1991年3月にロシアと8つの共和国(人口はソ連全体の93%)で行われた国民投票によると、76.4%がソ連の存続を望んでいた(Stephen F. Cohen, “Soviet Fates and Lost Alternatives,” Columbia University Press, 2009)のだが、同年7月にロシア大統領になったボリス・エリツィンはソ連解体を目論み、12月にウクライナのレオニード・クラフチュクやベラルーシのスタニスラフ・シュシケビッチとベロベーシの森で秘密会議を開いてソ連からの離脱を決めた。この時、クラフチュクとシュシケビッチは状況を把握できていなかったとも言われている。