ウィキリークスを創設したひとりで看板的な役割を果たしてきたジュリアン・アッサンジをアメリカへ引き渡す手続がイギリスの法廷で進められている。カンガルー法廷と呼ぶ人もいる。
アッサンジは法廷で弁護団と接触することが厳しく制限されている。相談することは勿論、挨拶することも難しい。防弾ガラスで作られた箱の中に入れられ、スリットやマイクを通して話すことが強いられているのだ。
昨年4月11日にイギリス警察はエクアドル大使館へ乗り込んでアッサンジを逮捕し、イギリス版グアンタナモ刑務所と言われているベルマーシュ刑務所へ入れたが、その時から続く隔離策だ。
その刑務所でアメリカの国防総省、FBI、CIAに所属している人びとから尋問を受けたとされているが、その際にBZ(3-キヌクリジニルベンジラート)という薬物が使用されたという。
それだけでなく、1日に22時間、あるいは23時間は外部との接触が禁止され、友人や親戚と面会できず、弁護チームも監視下で会うことが要求され、食べ物の差し入れや基本的な医療行為も拒否されたと伝えられている。
ウィキリークスが2012年2月に公表した民間情報会社 ストラトフォーの電子メール によると、アメリカ当局はアッサンジを2011年初め、秘密裏に起訴したという。その後、この情報は公的な文書で確認された。 ケレン・ドワイアー検事補が裁判官へ書いた文書 の中で、アッサンジが秘密裏に起訴されていると記載されているのだ。
ウィキリークスはアメリカ軍のヘリコプターが2007年7月にバグダッドでロイターの特派員2名を含む非武装の十数名を銃撃、射殺する様子を撮影した映像を2010年4月に公開。ストラトフォーの電子メールが正しいなら、その半年後にアッサンジは起訴されたことになる。バラク・オバマが大統領になった翌年のことだ。
この映像を含むアメリカ軍の犯罪的な行為をウィキリークスへ渡したブラドレー・マニング(現在はチェルシー・マニングと名乗っている)特技兵は2010年5月、アメリカ陸軍のCID(犯罪捜査部)に逮捕されて拷問を受けることになった。
それ以外にもウィキリークスは権力犯罪を明らかにするが、それは権力者にとって許しがたい行為。当初、ウィキリークスに協力していた西側の有力メディアは途中からアッサンジを攻撃する側につき、その状態は今でも続いている。
西側の有力メディアがCIAのコントロール下にあることは1970年代から指摘されてきた。例えば、ウォーターゲート事件で活躍したカール・バーンスタインは1977年にワシントン・ポスト紙を辞め、「CIAとメディア」というタイトルの記事をローリング・ストーン誌に書いた。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977)
その記事によると、それまでの20年間にCIAの任務を秘密裏に実行していたジャーナリストは400名以上に達し、そのうち200名から250名が記者や編集者など現場のジャーナリストで、残りは、出版社、業界向け出版業者、ニューズレターで働いていた。また1950年から66年にかけてニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供したとCIAの高官は語ったという。1980年以降、情況はさらに悪化しているように思える。
また、ドイツの有力紙、フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング(FAZ)紙の編集者だった ウド・ウルフコテ は2014年2月、ドイツにおけるCIAとメディアとの関係をテーマにした本を出した。
彼によると、ドイツだけでなく多くの国のジャーナリストがCIAに買収されている。人びとがロシアに敵意を持つように誘導するプロパガンダを展開、人びとをロシアとの戦争へと導き、引き返すことのできない地点にさしかかっているとしていた。2017年1月、56歳のときに彼は心臓発作で死亡している。