《櫻井ジャーナル》

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2020.06.29
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 一部でエジプトが話題になっている。

 この国は1979年3月にイスラエルと平和条約を結び、イスラエルを公式に承認した。それ以降、エジプト経済は軍に支配されるようになる。軍の系列下にある企業は受注で優遇されるだけでなく国税を免除されているので、当然の結果だと言えるだろう。退役した兵士の失業対策という口実で優遇されるようになったようだが、強大な利権システムを生み出すことになった。

 平和条約を結んだ当時の大統領、アンワール・サダトはヘンリー・キッシンジャーの影響下にあった人物だが、1981年10月6日に暗殺されてしまう。その日から14日までスフィ・アブ・タレブが大統領代理を務め、そこから空軍大将のホスニ・ムバラクが2011年2月11日に辞任するまで大統領を務めた。

 ムバラクを辞任に追い込んだのは2011年1月25日に始まった反政府運動。「アラブの春」と呼ばれる運動、つまりバラク・オバマ政権による体制転覆工作の一環だ。この工作はオバマ大統領が2010年8月に出したPSD-11から始まる。この工作ではムスリム同胞団を傭兵として使っている。

 工作を作成したグループには国連大使を務めたサマンサ・パワーやロシア駐在大使としてプーチン政権を揺さぶろうとしたマイケル・マクフォールが含まれているが、それを実行する際には国務長官だったヒラリー・クリントンの側近、ヒューマ・アベディンが重要な役割を果たした。ヒューマの母親であるサレハはムスリム同胞団の女性部門を指導していた人物だ。

 反ムバラク運動で中心的な役割を果たした若者のグループ「4月6日運動」はカラー革命の系統に属し、​ そのリーダーは2008年からアメリカ政府と接触していた

 ムバラク政権が倒された後、大統領に就任したモハメド・ムルシはムスリム同胞団の人間。彼の政権はムスリム同胞団の教義を国民に押しつけることになるが、反アメリカというわけではない。ムルシは1982年に南カリフォルニア大学で材料科学の博士号を取得、82年から85年までカリフォルニア州立大学で助教授を務め、航空宇宙局(NASA)でエンジニアとして働いた経験があるのだ。

 ムルシはサウジアラビアの国教、ワッハーブ派との関係も悪くなかったのだが、アメリカのムスリム同胞団優遇は反発を招く。またムルシの政策はエジプト経済を破壊するもので、経済を支配する軍からも危険視されるようになった。軍やワッハーブ派も欧米と関係はある。

 ところで、個人的な関係だけでなく、ムスリム同胞団はワッハーブ派と1950年代に強く結びついている。

 ムスリム同胞団は1954年10月にガマール・アブデル・ナセルを暗殺しようとして失敗、同胞団は非合法化されてメンバーは国外へ逃れるのだが、その多くはサウジアラビアへ向かった。ナセルがエジプト大統領に就任するのは1956年6月。

 ナセルの命はイギリス、アメリカ、イスラエルに狙われていた。イギリスの対外情報機関MI6(SIS)はナセルが大統領になる4カ月ほど前からナセル暗殺の検討を開始したと言われている。ロンドン駐在のCIAオフィサーだったジェームズ・アイケルバーガーからワシントンのアレン・ダレスCIA長官に宛てたテレックスの中に、MI6がナセルを殺す話をしていたとする記述があるという。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)

 歴史的にイギリスやアメリカはムスリム同胞団と関係が深い。ナセルは1970年に心臓発作で急死した。その後に大統領となったのがサダトである。






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最終更新日  2020.06.29 20:36:08


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