カザフスタンのカシムジョマルト・トカエフ大統領の広報担当者によると、暴動に参加したとして逮捕された人は約6000名に達し、 拘束された人びとへの取り調べから外国勢力が関係している実態が明確になってきた ようだ。
外国人を含むジハード戦闘員2万名ほどが暴動に参加、銃撃戦を始めたとされているが、それだけでなく、「抗議活動」を演出するために近隣諸国から人を集めたようだ。
そうしたひとりとされる人物がカメラの前で語っている様子が公開されているが、それによると、1月1日に見知らぬ人びとが彼に接触、抗議活動へ参加する代償として9万テンゲ(2万5000円強)を支払うと言われ、失業していた彼は承諾したという。彼はチケットを受け取り、カザフスタンのアルマトイにあるアパートへ連れて行かれたが、そこにはタジキスタン人やウズベキスタン人もいたとしている。
1970年代にズビグネフ・ブレジンスキーはアフガニスタンへソ連軍を誘い込み、「ベトナム戦争」を味合わせるという計画を立て、ソ連軍と戦わせる戦闘集団を編成した。資金と戦闘員を提供したのがサウジアラビア、情報を提供したのがパキスタンの情報機関。集めた戦闘員はアメリカの軍や情報機関が訓練した。 その時に戦闘員として訓練を受けた人びとの「データベース」が「アル・カイダ」だとロビン・クック元英外相は2005年7月に説明 している。
戦闘員の多くはサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団で、ダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国などとも表記)にもつながる。
ブレジンスキーが作り上げた「ジハード傭兵」の仕組みをバラク・オバマ大統領は採用したのだが、その理由のひとつはオバマがブレジンスキーの影響を強く受けているからだと考えられている。もうひとつは、ジョージ・W・ブッシュ政権が始めた正規軍によるイラクへの先制攻撃が泥沼化したことだろう。
シーモア・ハーシュが2007年にニューヨーカー誌に書いた記事 によると、ジョージ・W・ブッシュ政権はシリア、イラン、そしてレバノンで活動するヒズボラを最大の敵だと定め、スンニ派の過激派と手を組むことにしたという。「スンニ派の過激派」はサラフィ主義者やムスリム同胞団を指すが、アメリカが潰したサダム・フセイン政権の軍人も含まれていた。
オバマ大統領は2010年8月にPSD-11を出し、ムスリム同胞団を主力とする体制転覆プロジェクトを開始。同年12月にはチュニジアでいわゆる「アラブの春」が始まり、2011年2月にはリビア、3月にはシリアで戦争が勃発する。西側の政府や有力メディアは「内戦」と表現するが、侵略戦争以外の何ものでもない。2014年のウクライナにおけるクーデターも今回のカザフスタンの暴動もシナリオは似ている。