日本はアメリカの戦略に従い、中国やロシアと戦争する準備をしてきた。その一環として自衛隊は2016年、与那国島にミサイル発射施設を建設、それに続いて19年には奄美大島と宮古島、そして23年には石垣島でも施設を完成させている。そして現在、フェルディナンド・”ボンボン”・マルコス・ジュニアはアメリカの手先として、日本と手を組み、中国と戦争する準備を進めている。

アメリカ国防総省系の「RANDコーポレーション」が2022年4月に発表した報告書によると、与那国島を除く3島へASCM(地上配備型対艦巡航ミサイル)部隊とSAM(地上配備型地対空ミサイル)部隊の配備が重要。アメリカ軍はGBIRM(地上配備中距離弾道ミサイル)で中国を包囲しようとしている のだ。ロシアの周辺やイランの周辺にミサイルを配備しているのと同じことである。
15世紀から17世紀にかけての「大航海時代」、スペインやポルトガルは地球全域で押し込み強盗を働き、そうした国々が略奪品を運ぶ船をイギリスは海賊に奪わせた。
ヨーロッパの富はこの時に築かれたと言われているが、特にラテン・アメリカでの稼ぎが大きかった。1521年にエルナン・コルテスは武力でアステカ王国(現在のメキシコ周辺)を滅ぼして莫大な金銀を奪い、インカ帝国(現在のペルー周辺)ではフランシスコ・ピサロが金、銀、エメラルドなどを略奪しながら侵略を続けて1533年には帝国を滅ぼしている。
ヨーロッパの侵略者は莫大な量の貴金属を盗んだだけでなく、鉱山開発も行うために先住民を奴隷として酷使した。その象徴的な存在がボリビアのポトシ銀山。1545年に発見されたこの銀山だけで18世紀までに15万トンが運び出されたとされ、スペインが3世紀の間に南アメリカ全体で産出した銀の量は世界全体の80%に達したと言われている。スペインは16世紀の後半にフィリピンを植民地化、銀を使い、中国から絹など儲けの大きい商品を手に入れる拠点として使い始めた。(Alfred W. McCoy, “To Govern The Globe,” Haymarket Books, 2021)
1593年から1603年のエリザベス1世の時代、イギリスを支配する人びとの中で「ブリティッシュ・イスラエル主義」が現れた。アングロ-サクソン-ケルトは「イスラエルの失われた十支族」であり、自分たちこそがダビデ王の末裔だという信仰で、人類が死滅する最後の数日間にすべてを包括する大英帝国が世界を支配するとされている。
17世紀と18世紀、イギリス東インド会社はインドの各都市に商館を設立、インド全体を支配。その過程で傭兵のセポイ(シパーヒー)を育成、略奪に利用されるが、中国を制圧することはできなかった。イギリスはその一方、アラビア半島ではカルトのひとつであるワッハーブ派を支配が支配するサウジアラビアなる国を樹立させている。
イギリスは東インド会社を介してアヘンを中国へ売り始めるが、中でも悪名高い企業がジャーディン・マセソン。当時、世界最大のアヘン取引企業で、香港上海銀行と密接に結びついていた。それに対し、清の皇帝は林則徐を広州に派遣し、アヘン貿易の撲滅を命じ、1839年9月から42年8月までの「第1次アヘン戦争」と1856年10月から60年10月までの「第2次アヘン戦争」につながったが、イギリスは中国(清)を征服できなかった。
そこで目をつけられたのが日本。長州と薩摩を支援して徳川体制を倒すことに成功、明治体制は琉球併合、台湾派兵、そして江華島事件を引き起こし、日清戦争、日露戦争へと突き進んだ。ロシア革命後の1918年から22年までシベリアへ派兵、その後もソ連へ軍事侵攻する動きを見せていた。その流れが変わるのは1941年8月に関東軍特種演習が中止になり、同年12月にマレー侵攻と真珠湾攻撃を実行してからだろう。
アメリカ人も麻薬取引に手を出していた。エール大学の秘密結社、スカル・アンド・ボーンズを1833年に創設したウィリアム・ハンチントン・ラッセルもその中に含まれている。ラッセル家はイギリスの東インド会社とつながっていた。(James Bradley, “The China Mirage,” Little, Brown and Company, 2015)
19世紀後半、アメリカはスペインやポルトガルの植民地になっていた中南米を植民地にしようと目論んでいた。そうした中、キューバのハバナ港に停泊していたアメリカの軍艦メインが爆沈。メインの燃料は石炭だが、その石炭庫で火災が発生したのだ。
それが原因で爆発したとチャールズ・シグスビー艦長は推測していたのだが、ウィリアム・ハーストが発行するメディアはスペインが爆破したと宣伝、政府による調査が行われる前に議会は戦争に向かって突進、ウィリアム・マッキンリー大統領は宣戦布告せざるをえなくなる。その背後では海軍次官補だったシオドア・ルーズベルトが戦争熱を高めていた。(James Bradley, “The Imperial Cruise,” Little, Brown and Company, 2009)
この戦争に勝利したアメリカはスペインにキューバの「独立」を認めさせ、プエルトリコ、グアム、フィリピンへ矛先を向け、ハワイも支配下におく。フィリピンは中国市場へ乗り込む橋頭堡としての役割を果たすことになった。
日本は台湾やフィリピンと軍事的な関係を強めている。フィリピンの大統領を務めるボンボン・マルコスはフェルディナンド・マルコスの息子。フェルディナンド・マルコス・シニアは1965年12月にフィリピン大統領に就任したが、その際、日本軍が隠した財宝の一部を掘り出し、使ったと噂されている。
マルコス・シニアは1954年にイメルダ・ロムアルデスと結婚、59年から65年にかけて上院議員を務めた。イメルダをマルコスに紹介したのはフィリピン系アメリカ人のセベリーノ・ガルシア・ディアス・サンタ・ロマーナ。この人物はアメリカ軍の情報将校で、OSS(CIAの前身)のエドワード・ランズデール大尉の下、日本軍の略奪財宝を調べ、捕虜からありかを聞き出していた。
ロマーナは回収した金塊をフィリピンから国外の銀行へ移すためのパイプを持っていて、そうした作業はDNPエンタープライズが中心になって行われ、そのネットワークの中にはウォーレス・グローブスも含まれていた。グローブスが所有するカジノを経営していたのはユダヤ系ギャングでCIAと手を組んでいたメイヤー・ランスキー。このギャングはイタリア系のラッキー・ルチアーノと少年時代からの友人で、このふたりはユダヤ系ギャングのアーノルド・ロステインの配下に入っていた。
中央銀行が民間から金を直接購入することが国際的に認められるようになると、マルコスは新しい法律を制定した。フィリピンで採掘された金はすべて中央銀行に売却しなければならないとし、1981年11月には「過剰に保管されている金」を国際マーケットで売却すると発表している。マルコスはサウジアラビア人のアドナン・カショーギの手を借りたという。(Sterling & Peggy Seagrave, "Gold Warriors", Verso, 2003)
この頃からフィリピン国内が騒がしくなり、1983年8月にベニグノ・アキノ元上院議員がマニラ国際空港で射殺される。社会が不安定化する中、1986年2月にアメリカ軍がマルコスを拉致して国外へ連れ出しているが、この誘拐作戦を指揮したのはポール・ウォルフォウィッツだったとも言われている。アキノへはNEDを通じてCIAのカネが流れ込んでいた。その妻、コラソン・アキノもCIAの傀儡だったと言われている。
2016年6月から22年6月にかけて大統領を務めたロドリゴ・ドゥテルテはフィリピンをアメリカから独立させる政策を推進していたが、25年3月、麻薬業者の取り締まりが違法だとしてICC(国際刑事裁判所)に逮捕された。
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