2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全88件 (88件中 1-50件目)
私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。もしだれかが罪を犯したなら、私たちには、御父の御前で弁護してくださる方があります。それは、義なるイエス・キリストです。(1ヨハ2:1,2) 神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現わすためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。それは、今の時にご自身の義を現わすためであり、こうして神ご自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。(ロマ3:25,26) 人が主に対して罪を犯したら、だれが、その者のために仲裁に立とうか。(1サム2:25) 神は彼をあわれんで仰せられる。「彼を救って、よみの穴に下って行かないようにせよ。わたしは身代金を得た。」(ヨブ33:24) では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。(ロマ8:31,33,34)
2009年01月31日
私たちは、私たちを愛してくださった方によって、・・・・圧倒的な勝利者となるのです。(ロマ8:37)私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。(ロマ7:23) 信仰の戦いを勇敢に戦いなさい。(1テモ5:12) 私たちの戦いの武器は、肉の物ではなく、神の御前で、要塞をも破るほどに力のあるものです。(2コリ10:4-6) もしその地の住民をあなたがたの前から追い払わなければ、あなたがたが残しておく者たちは、あなたがたの目のとげとなり、わき腹のいばらとなり、彼らはあなたがたの住むその土地であなたがたを悩ますようになる。(民33:55) 兄弟たち。私たちは、肉に従って歩む責任を、肉に対して負ってはいません。もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです。(ロマ8:12,13) 肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。(ガラ5:17)
2009年01月31日
苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。(詩119:67,71) 苦しみに会う前には、私はあやまちを犯しました。しかし今は、あなたのことばを守ります。若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いても、それから離れない。(箴22:6) 人が、若い時に、くびきを負うのは良い。(哀3:27) 私たちには肉の父がいて、私たちを懲らしめたのですが、しかも私たちは彼らを敬ったのであれば、なおさらのこと、私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。(ヘブ12:9,10) 主よ。苦難の時に、彼らはあなたを求めました。(イザ26:16) わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。──主の御告げ。──それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。(エレ29:11) あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。(1ペテ5:6)
2009年01月30日
私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。(ホセ6:3) 私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。(ヘブ12:1,2) だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。(ルカ9:23) あなたがたはだれでも、自分の財産全部を捨てないでは、わたしの弟子になることはできません。(ルカ14:33) 兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。(ピリ3:13,14) 私たちは、やみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか。(ロマ13:12) 闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。ですから、私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしてはいません。私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。(1コリ9:25-27)
2009年01月30日
しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。(エペ6:14,16,17) 私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう。(1テサ5:8) 心を引き締め、身を慎み、イエス・キリストの現われのときあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。(1ペテ1:13) (主は)永久に死を滅ぼされる。神である主はすべての顔から涙をぬぐい、ご自分の民へのそしりを全地の上から除かれる。主が語られたのだ。その日、人は言う。「見よ。この方こそ、私たちが救いを待ち望んだ私たちの神。この方こそ、私たちが待ち望んだ主。その御救いを楽しみ喜ぼう。」(イザ25:8,9) 信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。(ヘブ11:1)
2009年01月29日
いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。(エペ5:20) 感謝のいけにえをささげる人は、わたしをあがめよう。(詩50:23) 息のあるものはみな、主をほめたたえよ。(詩150:6) ほふられた小羊は、力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、賛美を受けるにふさわしい方です。(黙5:12) わが神、主よ。私は心を尽くしてあなたに感謝し、とこしえまでも、あなたの御名をあがめましょう。(詩86:12) 主に感謝するのは、良いことです。いと高き方よ。あなたの御名にほめ歌を歌うことは。朝に、あなたの恵みを、夜ごとに、あなたの真実を言い表わすことは。(詩92:1-3) 兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。(ロマ12:1) イエスも、ご自分の血によって民を聖なるものとするために、門の外で苦しみを受けられました。ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。(ヘブ13:12、15)
2009年01月29日
あなたはエル・ロイ[ご覧になる神](創16:13)主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます。あなたこそは私のすわるのも、立つのも知っておられ、私の思いを遠くから読み取られます。あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、私の道をことごとく知っておられます。ことばが私の舌にのぼる前に、なんと主よ、あなたはそれをことごとく知っておられます。そのような知識は私にとってあまりにも不思議、あまりにも高くて、及びもつきません。(詩139:1-4,6) 主の御目はどこにでもあり、悪人と善人とを見張っている。(箴15:3) 人の道は主の目の前にあり、主はその道筋のすべてに心を配っておられる。(箴5:21) 神は、あなたがたの心をご存じです。人間の間であがめられる者は、神の前で憎まれます。(ルカ16:15) 主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。(2歴16:9) イエスはすべての人を知っておられたので、人についてだれの証言も必要とされなかった。(ヨハ2:24、25) 主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。(ヨハ21:17)
2009年01月29日
あなたは・・・・東風の日、激しい風で彼らを追放された。(イザ27:8) 北風よ、起きよ。私の庭に吹き、そのかおりを漂わせておくれ。(雅4:16) すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。(ヘブ12:11) 御霊の実。(ガラ5:22) 父がその子をあわれむように、主は、ご自分を恐れる者をあわれまれる。(詩103:13) たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。(2コリ4:16-18) キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学ばれたのです。(ヘブ5:8) 私たちの大祭司は、・・・・罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。(ヘブ4:15,16)
2009年01月28日
疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。(イザ40:28,29) あなたの力が、あなたの生きるかぎり続くように。(申33:25) 弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。(2コリ12:9,10) 私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。(ピリ4:13) 私のたましいよ。力強く進め。(士5:21) 彼らに捕えられ、引き渡されたとき、何と言おうかなどと案じるには及びません。ただ、そのとき自分に示されることを、話しなさい。話すのはあなたがたではなく、聖霊です。(マル13:11) だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。(マタ6:34) イスラエルの神こそ力と勢いとを御民にお与えになる方です。ほむべきかな。神。(詩68:35) 主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。ですから、私は、キリストのために、
2009年01月28日
第一の人は地から出て、土で造られた者ですが、第二の人は天から出た者です。土で造られた者はみな、この土で造られた者に似ており、天からの者はみな、この天から出た者に似ているのです。(1コリ15:47,48) ひとりの人がすべての人のために死んだのです。(2コリ5:14) ちょうどひとりの人の不従順によって多くの人が罪人とされたのと同様に、ひとりの従順によって多くの人が義人とされるのです。(ロマ5:19) きたるべき方。(ロマ5:14) 御使いよりも、しばらくの間、低くされた方であるイエス・・・・その死は、神の恵みによって、すべての人のために味わわれたものです。(ヘブ2:9) 「最初の人アダムは生きた者となった。」最後のアダムは、生かす御霊となりました。最初にあったのは血肉のものであり、御霊のものではありません。御霊のものはあとに来るのです。(1コリ15:45、46) 神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。」と仰せられた。神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。(創1:26、27) 神は、・・・・この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われです。(ヘブ1:1-3) あなたは、すべての人を支配する権威を子にお与えになったのです。(ヨハ17:2)
2009年01月28日
見なさい。農夫は、大地の貴重な実りを、秋の雨や春の雨が降るまで、耐え忍んで待っています。(ヤコ5:7) この戦いではあなたがたが戦うのではない。しっかり立って動かずにいよ。あなたがたとともにいる主の救いを見よ。(2歴20:17) 主の救いを黙って待つのは良い。(哀3:26) 主を待ち望め。主があなたを救われる。(箴20:22) 主の前に静まり、耐え忍んで主を待て。おのれの道の栄える者に対して、悪意を遂げようとする人に対して、腹を立てるな。(詩37:7) 神は、いつくしみを忘れたのだろうか。もしや、怒ってあわれみを閉じてしまわれたのだろうか。(詩77:9) 私はあわてて言いました。「私はあなたの目の前から断たれたのだ。」と。しかし、あなたは私の願いの声を聞かれました。私があなたに叫び求めたときに。(詩31:22) 神は、夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。あなたがたに言いますが、神は、すみやかに彼らのために正しいさばきをしてくださいます。(ルカ18:7,8) 善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。(ガラ6:9)
2009年01月27日
私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。(申30:19,20) わたしは、だれが死ぬのも喜ばないからだ。──神である主の御告げ。──だから、悔い改めて、生きよ。(エゼ18:32) わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいる所に、わたしに仕える者もいるべきです。もしわたしに仕えるなら、父はその人に報いてくださいます。(ヨハ12:26) もしわたしが来て彼らに話さなかったら、彼らに罪はなかったでしょう。しかし今では、その罪について弁解の余地はありません。(ヨハ15:22) 主人の心を知りながら、その思いどおりに用意もせず、働きもしなかったしもべは、ひどくむち打たれます。(ルカ12:47) 罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。(ロマ6:23) 御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。(ヨハ3:36) あなたがたはこのことを知らないのですか。あなたがたが自分の身をささげて奴隷として服従すれば、その服従する相手の奴隷であって、あるいは罪の奴隷となって死に至り、あるいは従順の奴隷となって義に至るのです。(ロマ6:16)
2009年01月27日
キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。(2コリ5:14,15) 神は、・・・・この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。・・・・御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。(ヘブ1:1-3) キリストが現われたのは罪を取り除くためであったことを、あなたがたは知っています。キリストには何の罪もありません。(1ヨハ3:5) 神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。(2コリ5:21) あなたがたが地上にしばらくとどまっている間の時を、恐れかしこんで過ごしなさい。ご承知のように、あなたがたが・・・・贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。キリストは、世の始まる前から知られていましたが、この終わりの時に、あなたがたのために、現われてくださいました。(1ペテ1:17-20)
2009年01月27日
心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。(マタ5:3) 悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。あわれみ深い者は幸いです。その人はあわれみを受けるからです。心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。(マタ5:4-12)幸いなのは、神のことばを聞いてそれを守る人たちです。(ルカ11:28) 自分の着物を洗って、いのちの木の実を食べる権利を与えられ、門を通って都にはいれるようになる者は、幸いである。(黙22:14) あなたが祝福する者は祝福される。(民22:6)
2009年01月26日
後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現われたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。(1ヨハ3:2) 彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともない(黙7:16) 彼らは、神のしもべモーセの歌と小羊の歌とを歌って言った。(黙15:3) キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。(ピリ3:20,21) その王座に似たもののはるか上には、人間の姿に似たものがあった。・・・・その腰と見える所から上のほうは、その中と回りとが青銅のように輝き、火のように見えた。その腰と見える所から下のほうに、私は火のようなものを見た。その方の回りには輝きがあった。・・・・それは主の栄光のように見えた。(エゼ1:26-28) 私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。(2コリ3:18)
2009年01月26日
愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現われるときにも、喜びおどる者となるためです。(1ペテ4:12,13) ですから、私たちは、キリストのはずかしめを身に負って、宿営の外に出て、みもとに行こうではありませんか。私たちは、この地上に永遠の都を持っているのではなく、むしろ後に来ようとしている都を求めているのです。(ヘブ13:13,14) あなたがたが私たちと苦しみをともにしているように、慰めをもともにしているのです。(2コリ1:7) もしキリストの名のために非難を受けるなら、あなたがたは幸いです。なぜなら、栄光の御霊、すなわち神の御霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。(1ペテ4:14) 使徒たちは、御名のためにはずかしめられるに値する者とされたことを喜びながら、議会から出て行った。(使5:41) モーセは・・・・はかない罪の楽しみを受けるよりは、むしろ神の民とともに苦しむことを選び取りました。彼は、キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる大きな富と思いました。彼は報いとして与えられるものから目を離さなかったのです。(ヘブ11:24-26)
2009年01月26日
あなたがたは、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。(ロマ8:15) ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。(エペ5:1)(放蕩息子は言った。)「立って、父のところに行って、こう言おう。『おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。』」こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。(ルカ15:18-20) イエスは目を天に向けて、言われた。「父よ。・・・・聖なる父。正しい父よ。」(ヨハ17:1,11,25) 「アバ、父よ。」(マル14:36) あなたがたは子であるゆえに、神は「アバ、父。」と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました。(ガラ4:6) 私たちは、このキリストによって、両者ともに一つの御霊において、父のみもとに近づくことができるのです。こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。(エペ2:18,19) まことに、あなたは私たちの父です。・・・・主よ、あなたは、私たちの父です。あなたの御名は、とこしえから私たちの贖い主です。(イザ63:16)
2009年01月25日
キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。(ガラ3:13) キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。(1コリ1:30) すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。(ロマ3:22) 神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。(2コリ5:21) 神は、私たちが行なった義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。神は、この聖霊を、私たちの救い主なるイエス・キリストによって、私たちに豊かに注いでくださったのです。(テト3:5,6) それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得、また、キリストの中にある者と認められ、律法による自分の義ではなくて、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる、という望みがあるからです。(ピリ3:8,9)
2009年01月25日
わが愛する者は、よく肥えた山腹に、ぶどう畑を持っていた。彼はそこを掘り起こし、石を取り除き、そこに良いぶどうを植え、・・・・甘いぶどうのなるのを待ち望んでいた。ところが、酸いぶどうができてしまった。(イザ5:1,2) わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。(ヨハ15:1,2,4,8) 良いぶどうの木。(創49:11) わたしは、あなたをことごとく純良種の良いぶどうとして植えたのに、どうしてあなたは、わたしにとって、質の悪い雑種のぶどうに変わったのか。(エレ2:21) 肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、・・・・ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。・・・・しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。(ガラ5:19-23)
2009年01月25日
あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主の来られるのが近いからです。(ヤコ5:8)主は近いのです。(ピリ4:5) 主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい。(1テサ4:16-18) これらのことをあかしする方がこう言われる。「しかり。わたしはすぐに来る。」アーメン。主イエスよ、来てください。(黙22:20) そういうわけで、愛する人たち。このようなことを待ち望んでいるあなたがたですから、しみも傷もない者として、平安をもって御前に出られるように、励みなさい。(2ペテ3:14) 悪はどんな悪でも避けなさい。平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。あなたがたを召された方は真実ですから、きっとそのことをしてくださいます。(1テサ5:22-24)
2009年01月23日
私たちのいのちであるキリストが現われると、そのときあなたがたも、キリストとともに、栄光のうちに現われます。(コロ3:4) わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。(ヨハ11:25) キリストが現われたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。(1ヨハ3:2) 神が私たちに永遠のいのちを与えられたこと、そしてこのいのちが御子のうちにあるということ。御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。(1ヨハ5:11,12) 主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい。(1テサ4:16-18) 卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえらされるのです。(1コリ15:43) わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。(ヨハ14:3)
2009年01月23日
もし耐え忍んでいるなら、彼とともに治めるようになる。もし彼を否んだなら、彼もまた私たちを否まれる。(2テモ2:12) 彼に信頼する者は、失望させられることがない。(ロマ9:33) 私たちが神の国にはいるには、多くの苦しみを経なければならない。(使14:22) 十字架のつまずき。(ガラ5:11) だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。(マタ16:24) 私はキリストとともに十字架につけられました。(ガラ2:20) キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。(ガラ5:24) 世を愛することは神に敵することであることがわからないのですか。世の友となりたいと思ったら、その人は自分を神の敵としているのです。(ヤコ4:4) より頼んでいるあなたがたには尊いものですが、より頼んでいない人々にとっては、「家を建てる者たちが捨てた石、それが礎の石となった。」のであって、「つまずきの石、妨げの岩。」なのです。(1ペテ2:7,8) 私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。(ガラ6:14)
2009年01月23日
主に信頼し、主を頼みとする者に祝福があるように。(エレ17:7) 志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです。いつまでも主に信頼せよ。ヤハ、主は、とこしえの岩だから。(イザ26:3,4) 私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の望みは神から来るからだ。神こそ、わが岩。わが救い。わがやぐら。私はゆるがされることはない。(詩62:5,6) この希望は失望に終わることがありません。(ロマ5:5) わたしが主である。わたしを待ち望む者は恥を見ることがない。(イザ49:23) 私はそれを恥とは思っていません。というのは、私は、自分の信じて来た方をよく知っているからです。(2テモ1:12) 神は約束の相続者たちに、ご計画の変わらないことをさらにはっきり示そうと思い、誓いをもって保証されたのです。それは、変えることのできない二つの事がらによって、──神は、これらの事がらのゆえに、偽ることができません。──前に置かれている望みを捕えるためにのがれて来た私たちが、力強い励ましを受けるためです。この望みは、私たちのたましいのために、安全で確かな錨の役を果たし、またこの望みは幕の内側にはいるのです。イエスは私たちの先駆けとしてそこにはいられました。(ヘブ6:17-20)
2009年01月23日
彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、ご自身の使いが彼らを救った。その愛とあわれみによって主は彼らを贖い、昔からずっと、彼らを背負い、抱いて来られた。(イザ63:9) 彼らを安らかに導かれたので、彼らは恐れなかった。(詩78:53) わたしは正義の道、公正の通り道の真中を歩む。(箴8:20) 見よ。わたしは、使いをあなたの前に遣わし、あなたを道で守らせ、わたしが備えた所にあなたを導いて行かせよう。(出23:20) 彼らは、自分の剣によって地を得たのでもなく、自分の腕が彼らを救ったのでもありません。ただあなたの右の手、あなたの腕、あなたの御顔の光が、そうしたのです。あなたが彼らを愛されたからです。(詩44:3) あなたは、あなたの民を導き、あなたの輝かしい御名をあげられたのです。(イザ63:14) 主よ。私を待ち伏せている者がおりますから、あなたの義によって私を導いてください。私の前に、あなたの道をまっすぐにしてください。(詩5:8) どうか、あなたの光とまことを送り、私を導いてください。あなたの聖なる山、あなたのお住まいに向かってそれらが、私を連れて行きますように。こうして、私は神の祭壇、私の最も喜びとする神のみもとに行き、立琴に合わせて、あなたをほめたたえましょう。神よ。私の神よ。(詩43:3,4)
2009年01月22日
子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された。娘よ。しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを直したのです。(マタ9:2,22) わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。(2コリ12:9) 私のうちで、思い煩いが増すときに、あなたの慰めが、私のたましいを喜ばしてくださいますように。(詩94:19) 私のたましいが脂肪と髄に満ち足りるかのように、私のくちびるは喜びにあふれて賛美します。ああ、私は床の上であなたを思い出し、夜ふけて私はあなたを思います。(詩63:5,6) 私の心が衰え果てるとき、・・・・私の及びがたいほど高い岩の上に、私を導いてください。(詩61:2) あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、・・・・神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。(ヤコ1:5) 主よ。私はしいたげられています。私の保証人となってください。(イザ38:14) あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。(詩55:22) 私は小さい子どもで、出入りするすべを知りません。(1列3:7) このような務めにふさわしい者は、いったいだれでしょう。(2コリ2:16) 私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。(ロマ7:18,19)
2009年01月22日
この方こそまさしく神。世々限りなくわれらの神であられる。神は私たちをとこしえに導かれる。(詩48:14) 主は、私へのゆずりの地所、また私への杯です。(詩16:5) 主は・・・・御名のために、私を義の道に導かれます。たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。(詩23:3,4) 主よ。あなたは私の神。私はあなたをあがめ、あなたの御名をほめたたえます。あなたは遠い昔からの不思議なご計画を、まことに、忠実に成し遂げられました。(イザ25:1) あなたは私の右の手をしっかりつかまえられました。あなたは、私をさとして導き、後には栄光のうちに受け入れてくださいましょう。天では、あなたのほかに、だれを持つことができましょう。地上では、あなたのほかに私はだれをも望みません。この身とこの心とは尽き果てましょう。しかし神はとこしえに私の心の岩、私の分の土地です。(詩73:23-26) まことに私たちの心は主を喜ぶ。私たちは、聖なる御名に信頼している。(詩33:21) 主は私にかかわるすべてのことを、成し遂げてくださいます。主よ。あなたの恵みはとこしえにあります。あなたの御手のわざを捨てないでください。(詩138:8)
2009年01月22日
あなたがたを、つまずかないように守ることができ、傷のない者として、大きな喜びをもって栄光の御前に立たせることのできる方に、すなわち、私たちの救い主である唯一の神に、栄光、尊厳、支配、権威が、・・・・今も、また世々限りなくありますように。アーメン。(ユダ24,25) 見よ。神は私の救い。私は信頼して恐れることはない。ヤハ、主は、私の力、私のほめ歌。私のために救いとなられた。(イザ12:2) あなたは人の子らにまさって麗しい。あなたのくちびるからは優しさが流れ出る。神がとこしえにあなたを祝福しておられるからだ。雄々しい方よ。あなたの剣を腰に帯びよ。あなたの尊厳と威光を。あなたの威光は、真理と柔和と義のために、勝利のうちに乗り進め。・・・・神よ。あなたの王座は世々限りなく、あなたの王国の杖は公正の杖。(詩45:2-4,6) 神に感謝します。神はいつでも、私たちを導いてキリストによる勝利の行列に加えてくださいます。(2コリ2:14) 力ある神。(イザ9:6) あなたは、かつて、幻のうちに、あなたの敬虔な者たちに告げて、仰せられました。「わたしは、ひとりの勇士に助けを与えた。」(詩89:19) わたしの仲間の者・・・・──万軍の主の御告げ。(ゼカ13:7)
2009年01月21日
患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。(ロマ5:3-5) 実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、父が)刈り込みをなさいます。(ヨハ15:2)この方は、精練する者の火、布をさらす者の灰汁のようだ。この方は、銀を精練し、これをきよめる者として座に着き、レビの子らをきよめ、彼らを金のように、銀のように純粋にする。彼らは、主に、義のささげ物をささげる者となる。(マラ3:2,3) 訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生子であって、ほんとうの子ではないのです。すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。ですから、弱った手と衰えたひざとを、まっすぐにしなさい。(ヘブ12:7,8,11,12)
2009年01月21日
患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。(ロマ5:3-5) 実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、父が)刈り込みをなさいます。(ヨハ15:2)この方は、精練する者の火、布をさらす者の灰汁のようだ。この方は、銀を精練し、これをきよめる者として座に着き、レビの子らをきよめ、彼らを金のように、銀のように純粋にする。彼らは、主に、義のささげ物をささげる者となる。(マラ3:2,3) 訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生子であって、ほんとうの子ではないのです。すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。ですから、弱った手と衰えたひざとを、まっすぐにしなさい。(ヘブ12:7,8,11,12)
2009年01月21日
幸いなことよ。日々わたしの戸口のかたわらで見張り、わたしの戸口の柱のわきで見守る人は。(箴8:34) すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。(エペ6:18) 絶えず祈りなさい。(1テサ5:17)真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。(ヨハ4:23,24) 奴隷の目が主人の手に向けられ、女奴隷の目が女主人の手に向けられているように、私たちの目は私たちの神、主に向けられています。主が私たちをあわれまれるまで。(詩123:2) ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるのです。(マタ18:20) これは、主の前、会見の天幕の入口で、あなたがたが代々にわたって、絶やすことのない全焼のいけにえである。その所でわたしはあなたがたに会い、その所であなたと語る。(出29:42) わたしの名を覚えさせるすべての所で、わたしはあなたに臨み、あなたを祝福しよう。(出20:24)
2009年01月20日
私は、私の愛する方のもの。あの方は私を恋い慕う。(雅7:10) 私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子。(ガラ2:20) 私はあの方のもの。(雅2:16) わたしのものはみなあなたのもの、あなたのものはわたしのものです。そして、わたしは彼らによって栄光を受けました。(ヨハ17:10) 主の割り当て分はご自分の民である。(申32:9) あなたがたはキリストのものであり、キリストは神のものです。(1コリ3:23) あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。(1コリ6:19,20) 主はあなたがたを取って、鉄の炉エジプトから連れ出し、今日のように、ご自分の所有の民とされた。(申4:20) あなたがたは神の畑、神の建物です。(1コリ3:9) キリストは御子として神の家を忠実に治められるのです。もし私たちが、確信と、希望による誇りとを、終わりまでしっかりと持ち続けるならば、私たちが神の家なのです。(ヘブ3:6) あなたがたも生ける石として、霊の家に、・・・・聖なる祭司として。(1ペテ2:5) 彼らは、わたしのものとなる。──万軍の主は仰せられる。──わたしが事を行なう日に、わたしの宝となる。(マラ3:17) 聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、・・・・知ることができますように。(エペ1:18,19)
2009年01月20日
私たちが見つけることのできない全能者。(ヨブ37:23) その名は何か、その子の名は何か。あなたは確かに知っている。(箴30:4) その名は「不思議な助言者」と呼ばれる。(イザ9:6) ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。(ヨハ1:14) その名はインマヌエルと呼ばれる。(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)(マタ1:23) その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。(マタ1:21) あなたは、ご自分のすべての御名のゆえに、あなたのみことばを高く上げられたのです。(詩138:2) すべての者が、父を敬うように子を敬うためです。(ヨハ5:23) 神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。(ピリ2:9) 神は、キリストをすべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせられました。(エペ1:21、22) ご自身のほかだれも知らない名が書かれていた。「王の王、主の主。」(黙19:12,16)
2009年01月20日
満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。衣食があれば、それで満足すべきです。(1テモ6:6,8) 貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で私を養ってください。私が食べ飽きて、あなたを否み、「主とはだれだ。」と言わないために。また、私が貧しくて、盗みをし、私の神の御名を汚すことのないために。(箴30:8,9) 「わたしがあなたがたを、財布も旅行袋もくつも持たせずに旅に出したとき、何か足りない物がありましたか。」彼らは言った。「いいえ。何もありませんでした。」(ルカ22:35) その人のいのちは財産にあるのではない。(ルカ12:15) ひとりの正しい者の持つわずかなものは、多くの悪者の豊かさにまさる。(詩37:16) わずかな物を持っていて主を恐れるのは、多くの財宝を持っていて恐慌があるのにまさる。(箴15:16) 私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。(マタ6:11) 自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。(マタ6:25) 金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」(ヘブ13:5)
2009年01月19日
私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。(イザ53:6) ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。(ロマ3:24) 主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。(イザ53:6) わたしが事を行なうのは、あなたがたのためではない。──神である主の御告げ。──・・・・あなたがたは知らなければならない。恥じよ。あなたがたの行ないによってはずかしめを受けよ。(エゼ36:32) この人々はみな、その信仰によってあかしされました。(ヘブ11:39) ノアは、ぶどう畑を作り始めた農夫であった。ノアはぶどう酒を飲んで酔っていた。(創9:20,21) 彼(アブラム)は妻のサライに言った。「どうか、私の妹だと言ってくれ。そうすれば、あなたのおかげで私は生きのびるだろう。」(創12:11,13) イサクはヤコブに「ほんとうにおまえは、わが子エサウだね。」と尋ねた。すると答えた。「私です。」(創27:21、24) 彼(モーセ)が軽率なことを口にした。(詩106:33) (イスラエルの)人々は、彼らの食料のいくらかを取ったが、主の指示を仰がなかった。ヨシュアが彼らと和を講じた。(ヨシ9:14,15) それはダビデが主の目にかなうことを行ない、ヘテ人ウリヤのことのほかは、一生の間、主が命じられたすべてのことにそむかなかったからである。(1列15:5)
2009年01月19日
私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。(2コリ4:7) だれでも、りっぱでもない自分を何かりっぱでもあるかのように思うなら、自分を欺いているのです。(ガラ6:3,4) あなたがたの間では、そうではありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、あなたがたのしもべになりなさい。人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。(マタ20:26-28) 私は謙遜の限りを尽くし、主に仕えました。(使20:19) 私たちがこの世の中で、聖さと神から来る誠実さとをもって、人間的な知恵によらず、神の恵みによって行動していることは、・・・・私たちの誇りです。(2コリ1:12) 私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。(ロマ12:3) あなたがたも。自分に言いつけられたことをみな、してしまったら、「私たちは役に立たないしもべです。なすべきことをしただけです。」と言いなさい。(ルカ17:10)
2009年01月19日
身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。(1ペテ5:8) 敵。(ルカ10:19) 悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。(ヤコ4:7) 悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えをはきなさい。これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。(エペ6:11-16) 私の敵。私のことで喜ぶな。私は倒れても起き上がり、やみの中にすわっていても、主が私の光であるからだ。(ミカ7:8)
2009年01月18日
見よ、彼が、雲に乗って来られる。すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。地上の諸族はみな、彼のゆえに嘆く。しかり。アーメン。(黙1:7) 聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮んだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。(1コリ2:9,10) この後に起こる事。(黙1:19) 真理の御霊が・・・・やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すのです。(ヨハ16:13) 眠った人々のことについては、兄弟たち、あなたがたに知らないでいてもらいたくありません。あなたがたが他の望みのない人々のように悲しみに沈むことのないためです。私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られるはずです。主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。(1テサ4:13,14,16,17)
2009年01月18日
ひとりの人がすべての人のために死んだのです。(2コリ5:14) ちょうどひとりの人の不従順によって多くの人が罪人とされたのと同様に、ひとりの従順によって多くの人が義人とされるのです。(ロマ5:19) 御使いよりも、しばらくの間、低くされた方であるイエス・・・・その死は、神の恵みによって、すべての人のために味わわれたものです。(ヘブ2:9) 「最初の人アダムは生きた者となった。」最後のアダムは、生かす御霊となりました。最初にあったのは血肉のものであり、御霊のものではありません。御霊のものはあとに来るのです。(1コリ15:45、46) 神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。」と仰せられた。神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。(創1:26、27) 神は、・・・・この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われです。(ヘブ1:1-3) あなたは、すべての人を支配する権威を子にお与えになったのです。(ヨハ17:2) きたるべき方。(ロマ5:14) 第一の人は地から出て、土で造られた者ですが、第二の人は天から出た者です。土で造られた者はみな、この土で造られた者に似ており、天からの者はみな、この天から出た者に似ているのです。(1コリ15:47,48)
2009年01月18日
ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。(2コリ5:14,15) 彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。もし彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を彼がになう。(イザ53:10,11) キリストは、世の始まる前から知られていましたが、この終わりの時に、あなたがたのために、現われてくださいました。あなたがたは、神を、キリストによって信じる人々です。(1ペテ1:20,21)キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光にはいるはずではなかったのですか。(ルカ24:26) キリストは、死んだ人にとっても、生きている人にとっても、その主となるために、死んで、また生きられたのです。(ロマ14:9) イスラエルのすべての人々は、このことをはっきりと知らなければなりません。すなわち、神が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。(使2:36)
2009年01月17日
小さい者たちよ。今は終わりの時です。(1ヨハ2:18) 夜はふけて、昼が近づきました。ですから、私たちは、やみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか。(ロマ13:12) 今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ています。(1コリ13:12) 今でもなお、私たちはすべてのものが人間に従わせられているのを見てはいません。(ヘブ2:8) 今ある事。(黙1:19) 私たちは、さらに確かな預言のみことばを持っています。夜明けとなって、明けの明星があなたがたの心の中に上るまでは、暗い所を照らすともしびとして、それに目を留めているとよいのです。(2ペテ1:19) あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。(詩119:105) 愛する人々よ。私たちの主イエス・キリストの使徒たちが、前もって語ったことばを思い起こしてください。彼らはあなたがたにこう言いました。「終わりの時には、自分の不敬虔な欲望のままにふるまう、あざける者どもが現われる。」(ユダ17、18) 御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。(1テモ4:1)
2009年01月17日
私は切なる思いで主を待ち望んだ。主は、・・・・私を滅びの穴から、泥沼から、引き上げてくださった。(詩40:1,2) あなたは、滅びの穴から、私のたましいを引き戻されました。(イザ38:17) 私のたましいが私のうちに衰え果てたとき、私は主を思い出しました。私の祈りはあなたに、あなたの聖なる宮に届きました。(ヨナ2:7) 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。・・・・私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。(1ヨハ4:9,10) 私の神、主よ。私があなたに叫び求めると、あなたは私を、いやされました。主よ。あなたは私のたましいをよみから引き上げ、私が穴に下って行かないように、私を生かしておかれました。(詩30:2,3)あなたのような神が、ほかにあるでしょうか。あなたは、咎を赦し、ご自分のものである残りの者のために、そむきの罪を見過ごされ、怒りをいつまでも持ち続けず、いつくしみを喜ばれるからです。もう一度、私たちをあわれみ、私たちの咎を踏みつけて、すべての罪を海の深みに投げ入れてください。(ミカ7:18,19)
2009年01月17日
待ち望め。主を。雄々しくあれ。心を強くせよ。待ち望め。主を。(詩27:14) わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。(2コリ12:9) 父なる神にあって愛されている方々。(ユダ1) 父がなさることは何でも、子も同様に行なうのです。(ヨハ5:19) 天にも地にも、わたしは満ちているではないか。──主の御告げ。(エレ23:24) いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。(エペ1:23) わたし、このわたしが、主であって、わたしのほかに救い主はいない。(イザ43:11) この方がほんとうに世の救い主だと知っているのです。(ヨハ4:42) 父なる神および私たちの救い主なるキリスト・イエスから、恵みと平安がありますように。(テト1:4) 主が知恵を与え、御口を通して知識と英知を与えられる。(箴2:6) どんな反対者も、反論もできず、反証もできないようなことばと知恵を、わたしがあなたがたに与えます。(ルカ21:15) 聖とする方も、聖とされる者たちも、すべて元は一つです。それで、主は彼らを兄弟と呼ぶことを恥とはしません。(ヘブ2:11)
2009年01月16日
私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。(1ヨハ1:3) わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。霊ならこんな肉や骨はありません。わたしは持っています。(ルカ24:39,40) そこで、あなたの見た事、今ある事、この後に起こる事を書きしるせ。(黙1:19) 聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのです。(2ペテ1:21) それを目撃した者があかしをしているのである。そのあかしは真実である。その人が、あなたがたにも信じさせるために、真実を話すということをよく知っているのである。(ヨハ19:35) 私たちは、あなたがたに、私たちの主イエス・キリストの力と来臨とを知らせましたが、それは、うまく考え出した作り話に従ったのではありません。この私たちは、キリストの威光の目撃者なのです。(2ペテ1:16) それは、あなたがたの持つ信仰が、人間の知恵にささえられず、神の力にささえられるためでした。(1コリ2:5)
2009年01月16日
私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。(ヨハ1:16) 万物は御子にあって造られたのです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。(コロ1:16) キリストは、死んだ人にとっても、生きている人にとっても、その主となるために、死んで、また生きられたのです。(ロマ14:9) あなたがたは、キリストにあって、満ち満ちているのです。キリストはすべての支配と権威のかしらです。(コロ2:10) 神はみこころによって、満ち満ちた神の本質を御子のうちに宿らせてくださった。(コロ1:19、20) 父は御子を愛しておられ、万物を御子の手にお渡しになった。(ヨハ3:35) 神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。(ピリ2:9-11) 神は、・・・・キリストを・・・・すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。(1ペテ1:20,21)
2009年01月15日
愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。(2ペテ3:8,9) 主よ。あなたは、あわれみ深く、情け深い神。怒るのにおそく、恵みとまことに富んでおられます。(詩86:15) ああ、あなたが天を裂いて降りて来られる!・・・・神を待ち望む者のために、このようにしてくださる神は、あなた以外にとこしえから聞いたこともなく、耳にしたこともなく、目で見たこともありません。(イザ64:1,4) もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない。(ヘブ10:37) 幻を書きしるせ。これを読む者が急使として走るために、板の上にはっきり書きしるせ。この幻は、なお、定めの時のためである。それは終わりについて告げ、まやかしを言ってはいない。もしおそくなっても、それを待て。それは必ず来る。遅れることはない。(ハバ2:2,3)
2009年01月15日
私たちは、もはや互いにさばき合うことのないようにしましょう。いや、それ以上に、兄弟にとって妨げになるもの、つまずきになるものを置かないように決心しなさい。(ロマ14:13) あらゆる恵みに満ちた神・・・・が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。(1ペテ5:10) 「わたしにそんなことができると信じるのか。」・・・・彼らは「そうです。主よ。」と言った。・・・・「あなたがたの信仰のとおりになれ。」と言われた。(マタ9:28,29) 私たちの信仰を増してください。(ルカ17:5) あなたがたは、自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げさい。(ユダ20,21) 信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。(マタ14:31) ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。(マタ15:28) 信仰の量り。(ロマ12:3) 信仰の弱い人を受け入れなさい。(ロマ14:1) 信仰がますます強くなって、神に栄光を帰しました。(ロマ4:20,21) キリストの中に根ざし、また建てられ、・・・・信仰を堅くしなさい。(コロ2:7) 私たちをあなたがたといっしょにキリストのうちに堅く保ち、私たちに油を注がれた方は神です。(2コリ1:21) 私たち力のある者は、力のない人たちの弱さをになうべきです。自分を喜ばせるべきではありません。(ロマ15:1)
2009年01月15日
愛する者たちよ。あなたがたにお勧めします。旅人であり寄留者であるあなたがたは、たましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけなさい。(1ペテ2:11) 私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。(ピリ3:20,21) もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。・・・・あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。(コロ3:1-3) 私のたましいは、ちりに打ち伏しています。あなたのみことばのとおりに私を生かしてください。(詩119:25) 肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。(ガラ5:17) 兄弟たち。私たちは、肉に従って歩む責任を、肉に対して負ってはいません。もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです。(ロマ8:12,13)
2009年01月14日
お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。(エペ4:32) 「主よ。兄弟が私に対して罪を犯したばあい、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」イエスは言われた。「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。」(マタ18:21,22) 私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。(マタ6:12) 「悪いやつだ。おまえがあんなに頼んだからこそ借金全部を赦してやったのだ。私がおまえをあわれんでやったように、おまえも仲間をあわれんでやるべきではないか。」こうして、主人は怒って、借金を全部返すまで、彼を獄吏に引き渡した。あなたがたもそれぞれ、心から兄弟を赦さないなら、天のわたしの父も、あなたがたに、このようになさるのです。(マタ18:32-35) 神は、そのようなあなたがたを、キリストとともに生かしてくださいました。それは、私たちのすべての罪を赦し、いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。(コロ2:13,14) 主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。(コロ3:13)
2009年01月14日
彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。(イザ53:5) 彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。(創3:15) 神の子が現われたのは、悪魔のしわざを打ちこわすためです。(1ヨハ3:8) イエスは、・・・・多くの悪霊を追い出された。そして悪霊どもがものを言うのをお許しにならなかった。彼らがイエスをよく知っていたからである。(マル1:34) その顔だちは、そこなわれて人のようではなく、その姿も人の子らとは違っていた。(イザ52:14) 今はあなたがたの時です。暗やみの力です。(ルカ22:53) もしそれが上から与えられているのでなかったら、あなたにはわたしに対して何の権威もありません。(ヨハ19:11) わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。(マタ28:18) わたしの名によって悪霊を追い出す。(マル16:17) 平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます。(ロマ16:20)
2009年01月14日
父は御子を愛しておられ、万物を御子の手にお渡しになった。(ヨハ3:35) 子が、あなたからいただいたすべての者に、永遠のいのちを与えるため、あなたは、すべての人を支配する権威を子にお与えになったのです。(ヨハ17:2) 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。(ヨハ15:9,10) 父はわたしよりも偉大な方です。(ヨハ14:28) こう祈りなさい。「天にいます私たちの父よ。」(マタ6:9) わたしの父またあなたがたの父、わたしの神またあなたがたの神。(ヨハ20:17) わたしは、父の命じられたとおりに行なっている。(ヨハ14:31) わたしが父におり、父がわたしにおられることを、あなたは信じないのですか。わたしがあなたがたに言うことばは、わたしが自分から話しているのではありません。わたしのうちにおられる父が、ご自分のわざをしておられるのです。(ヨハ14:10) ピリポはイエスに言った。「主よ。私たちに父を見せてください。そうすれば満足します。」イエスは彼に言われた。「・・・・わたしを見た者は、父を見たのです。どうしてあなたは、『私たちに父を見せてください。』と言うのですか。わたしが父におり、父がわたしにおられることを、あなたは信じないのですか。(ヨハ14:8-10) わたしと父とは一つです。」(ヨハ10:30)
2009年01月14日
全88件 (88件中 1-50件目)
![]()
![]()