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兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。(ロマ12:1) からだをきよい水で洗われた。(ヘブ10:22) あなたの目はあまりきよくて、悪を見ず、労苦に目を留めることができないのでしょう。(ハバ1:13) いのための青銅の洗盤と青銅の台を作ったなら、それを会見の天幕と祭壇の間に置き、その中に水を入れよ。アロンとその子らは、そこで手と足を洗う。彼らが会見の天幕にはいるときには、水を浴びなければならない。彼らが死なないためである。・・・・その手、その足を洗う。彼らが死なないためである。(出30:18-21) あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、・・・・聖霊の宮です。(1コリ6:19) もし、だれかが神の神殿をこわすなら、神がその人を滅ぼされます。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたがその神殿です。(1コリ3:17) 私の皮が、このようにはぎとられて後、私は、私の肉から神を見る。この方を私は自分自身で見る。私の目がこれを見る。ほかの者の目ではない。(ヨブ19:26,27) 汚れた者は、決して都にはいれない。(黙21:27)
2009年02月28日
あなたが裸であるのを、だれがあなたに教えたのか。あなたは、食べてはならない、と命じておいた木から食べたのか。(創3:11) 人間の息は主のともしび。(箴20:27) 「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」彼らはそれを聞くと、年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行った。(ヨハ8:7-9) なすべき正しいことを知っていながら行なわないなら、それはその人の罪です。(ヤコ4:17) たとい自分の心が責めてもです。なぜなら、神は私たちの心よりも大きく、そして何もかもご存じだからです。愛する者たち。もし自分の心に責められなければ、大胆に神の御前に出ることができます。(1ヨハ3:20,21) すべての物はきよいのです。しかし、それを食べて人につまずきを与えるような人のばあいは、悪いのです。自分が、良いと認めていることによって、さばかれない人は幸福です。(ロマ14:20-22) 神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。(詩139:23,24)
2009年02月28日
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハ3:16) 神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。(2コリ5:18-21) 神は愛です。神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。(1ヨハ4:8-11)
2009年02月28日
堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。(1コリ15:58) あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのです。(1コリ15:58) あなたがたは、このように主キリスト・イエスを受け入れたのですから、彼にあって歩みなさい。キリストの中に根ざし、また建てられ、また、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかり感謝しなさい。(コロ2:6,7) 最後まで耐え忍ぶ者は救われます。(マタ24:13) あなたがたは、信仰に堅く立っているのです。(2コリ1:24) 良い地に落ちるとは、こういう人たちのことです。正しい、良い心でみことばを聞くと、それをしっかりと守り、よく耐えて、実を結ばせるのです。(ルカ8:15) わたしたちは、わたしを遣わした方のわざを、昼の間に行なわなければなりません。だれも働くことのできない夜が来ます。(ヨハ9:4) 自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。ですから、私たちは、機会のあるたびに、すべての人に対して、特に信仰の家族の人たちに善を行ないましょう。(ガラ6:8-10)
2009年02月27日
「婦人よ。あの人たちは今どこにいますか。あなたを罪に定める者はなかったのですか。」彼女は言った。「だれもいません。」そこで、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」(ヨハ8:10,11) だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神。(ヤコ1:5) 神の恵みとひとりの人イエス・キリストの恵みによる賜物とは、多くの人々に満ちあふれるのです。・・・・恵みのばあいは、多くの違反が義と認められるからです。(ロマ5:15,16) あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、──あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。──キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。それは、あとに来る世々において、このすぐれて豊かな御恵みを、キリスト・イエスにおいて私たちに賜わる慈愛によって明らかにお示しになるためでした。(エペ2:4-7) 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。(ロマ8:32)
2009年02月27日
わたしが生きるので、あなたがたも生きるのです。(ヨハ14:19) わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。(ヨハ5:24) あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。(ロマ6:11) 私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです(ガラ2:19,20) わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。わたしに彼らをお与えになった父は、すべてにまさって偉大です。だれもわたしの父の御手から彼らを奪い去ることはできません。わたしと父とは一つです。(ヨハ10:28-30) もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。(コロ3:1-3)
2009年02月27日
苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。(詩119:71) あなたの神、主が、この四十年の間、荒野であなたを歩ませられた全行程を覚えていなければならない。それは、あなたを苦しめて、あなたを試み、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。あなたは、人がその子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを、知らなければならない。あなたの神、主の命令を守って、その道に歩み、主を恐れなさい。(申8:2,5,6)キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学ばれたのです。(ヘブ5:8) キリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしている・・・・。今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。(ロマ8:17,18) 神は、私の行く道を知っておられる。神は私を調べられる。私は金のように、出て来る。私の足は神の歩みにつき従い、神の道を守って、それなかった。(ヨブ23:10,11)
2009年02月26日
とこしえの契約・・・・。このすべては備えられ、また守られる。(2サム23:5) わたしとあなたがた、およびあなたがたといっしょにいるすべての生き物との間に、わたしが代々永遠にわたって結ぶ契約のしるしは、これである。わたしは雲の中に、わたしの虹を立てる。それはわたしと地との間の契約のしるしとなる。虹が雲の中にあるとき、わたしはそれを見て、神と、すべての生き物、地上のすべて肉なるものとの間の永遠の契約を思い出そう。(創9:12,13,16) イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。(ヘブ13:8) 御座の回りには、緑玉のように見える虹があった。(黙4:3) それは、変えることのできない二つの事がらによって、──神は、これらの事がらのゆえに、偽ることができません。──前に置かれている望みを捕えるためにのがれて来た私たちが、力強い励ましを受けるためです。(ヘブ6:18) 私たちは、神が先祖たちに対してなされた約束について、あなたがたに良い知らせをしているのです。神は、イエスをよみがえらせ、それによって、私たち子孫にその約束を果たされました。(使13:32,33)
2009年02月26日
主よ。私を調べ、私を試みてください。私の思いと私の心をためしてください。(詩26:2) ああ、あなたは心のうちの真実を喜ばれます。それゆえ、私の心の奥に知恵を教えてください。(詩54:6) 私は、自分の道を顧みて、あなたのさとしのほうへ私の足を向けました。私は急いで、ためらわずに、あなたの仰せを守りました。(詩119:59,60) 私たちの道を尋ね調べて、主のみもとに立ち返ろう。(哀3:40)ひとりひとりが自分を吟味して、そのうえでパンを食べ、杯を飲みなさい。(1コリ11:28) もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。(1ヨハ1:9) 私たちには、御父の御前で弁護してくださる方があります。それは、義なるイエス・キリストです。この方こそ、私たちの罪のための、・・・・なだめの供え物なのです。(1ヨハ2:1,2) 兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです。イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです。また、私たちには、神の家をつかさどる、この偉大な祭司があります。そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。(ヘブ10:19-22)
2009年02月26日
あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。(ヨハ14:1,2) 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」(1コリ15:55) しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。(1コリ15:57) 私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。(2コリ4:16) 子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。(ヘブ2:14,15) 地上の幕屋がこわれても、神の下さる建物があることを、私たちは知っています。それは、人の手によらない、天にある永遠の家です。そういうわけで、私たちはいつも心強いのです。ただし、私たちが肉体にいる間は、主から離れているということも知っています。・・・・そして、むしろ肉体を離れて、主のみもとにいるほうがよいと思っています。(2コリ5:1,6,8)
2009年02月25日
わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。(ヘブ13:5) 助け主・・・・その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるのです。(ヨハ14:16,17) 求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。(ルカ11:9) 見よ。・・・・いつも、あなたがたとともにいます。(マタ28:20) ああ、できれば、どこで神に会えるかを知りたい。(ヨブ23:3) あなたがたのうち、だれが主を恐れ、そのしもべの声に聞き従うのか。暗やみの中を歩き、光を持たない者は、主の御名に信頼し、自分の神に拠り頼め。(イザ50:10) もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。(エレ29:13) 私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。(1ヨハ1:3) 以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。私たちは、このキリストによって、両者ともに一つの御霊において、父のみもとに近づくことができるのです。(エペ2:13,18) もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、しかもやみの中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであって、真理を行なってはいません。(1ヨハ1:6)
2009年02月25日
身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。(1ペテ5:8,9) 悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。(ヤコ4:7) 神は・・・・あなたがたが耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。(1コリ10:13) 実を結ばない暗やみのわざに仲間入りしないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。(エペ5:11) 「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ。』と書いてある。」すると悪魔はイエスを離れて行き、見よ、御使いたちが近づいて来て仕えた。(マタ4:10,11) 主にあって、その大能の力によって強められなさい。悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。(エペ6:10,11) これは、私たちがサタンに欺かれないためです。私たちはサタンの策略を知らないわけではありません。(2コリ2:11) 私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。(1ヨハ5:4) 神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。(ロマ8:33)
2009年02月25日
私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らのz。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」(黙21:1-5) 見よ。まことにわたしは新しい天と新しい地を創造する。(イザ65:17) わたしの造る新しい天と新しい地が、わたしの前にいつまでも続くように、・・・・あなたがたの子孫と、あなたがたの名もいつまでも続く。(イザ66:22) 私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。(2ペテ3:13)
2009年02月24日
彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。(黙7:14)この方は、銀を精練し、これをきよめる者として座に着かれる。(マラ3:3) 主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられる。(ヘブ12:6)私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならないではないか。(ヨブ2:10) キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現われるときにも、喜びおどる者となるためです。(1ペテ4:13) 主よ。私は、あなたのさばきの正しいことと、あなたが真実をもって私を悩まされたこととを知っています。(詩119:75) 主よ。今、あなたは私たちの父です。私たちは粘土で、あなたは私たちの陶器師です。私たちはみな、あなたの手で造られたものです。(イザ64:8) その方は主だ。主がみこころにかなうことをなさいますように。(1サム3:18) 主よ。私があなたと論じても、あなたのほうが正しいのです。それでも、さばきについて、一つのことを私はあなたにお聞きしたいのです。(エレ12:1) 弟子がその師のようになれたら十分だし、しもべがその主人のようになれたら十分です。(マタ10:25) キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学ばれた。(ヘブ5:8)
2009年02月24日
求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。(ヨハ16:4) 神である主はこう仰せられる。わたしはイスラエルの家の願いを聞き入れよう。(エゼ36:37) あなたがたのものにならないのは、あなたがたが願わないからです。(ヤコ4:2) 求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。(マタ7:7,8) あなたがたはわたしの名によって求めるのです。わたしはあなたがたに代わって父に願ってあげようとは言いません。それはあなたがたがわたしを愛し、また、わたしを神から出て来た者と信じたので、父ご自身があなたがたを愛しておられるからです。(ヨハ16:26,27) 何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。(1ヨハ5:14,15) あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。(ヤコ1:5) あなたの口を大きくあけよ。わたしが、それを満たそう。(詩81:10) いつでも祈るべきであり、失望してはならない。(ルカ18:1) 主の目は正しい者に向き、その耳は彼らの叫びに傾けられる。彼らが叫ぶと、主は聞いてくださる。そして、彼らをそのすべての苦しみから救い出される。(詩34:15,17)
2009年02月24日
悩んでいる者や貧しい者が水を求めても水はなく、その舌は渇きで干からびるが、わたし、主は、彼らに答える。(イザ41:17) 実に、日の下で骨折ったいっさいの労苦と思い煩いは、人に何になろう。その一生は悲しみであり、その仕事には悩みがあり、その心は夜も休まらない。(伝2:22,23) すべては空しく、風を追うようなものだ。(伝2:17) 多くの者は言っています。「だれかわれわれに良い目を見せてくれないものか。」(詩4:6) 神よ。あなたは私の神。私はあなたを切に求めます。水のない、砂漠の衰え果てた地で、私のたましいは、あなたに渇き、私の身も、あなたを慕って気を失うばかりです。(詩63:1) わたしの民は・・・・湧き水の泉であるわたしを捨てて、多くの水ためを、水をためることのできない、こわれた水ためを、自分たちのために掘った。(エレ2:13) わたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません。(ヨハ6:37) わたしは潤いのない地に水を注ごう。(イザ44:3) 義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。(マタ5:6)
2009年02月23日
だれが御怒りの力を知っているでしょう。(詩90:11) 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。(1ヨハ4:9,10) 神ご自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。(ロマ3:26) 十二時から、全地が暗くなって、三時まで続いた。三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。(マタ27:45,46) 主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。(イザ53:6) こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。(ロマ8:1) 信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。(ロマ5:1) キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。(ガラ3:13)
2009年02月23日
キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。(エペ5:2) アベルの血よりもすぐれたことを語る注ぎかけの血。(ヘブ12:24)心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。(ヘブ10:22) 私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです。(ヘブ10:19)見よ、世の罪を取り除く神の小羊。(ヨハ1:20) ほふられた小羊。(黙13:8) 雄牛とやぎの血は、罪を除くことができません。ですから、キリストは、この世界に来て、こう言われるのです。「あなたは、いけにえやささげ物を望まないで、わたしのために、からだを造ってくださいました。」このみこころに従って、イエス・キリストのからだが、ただ一度だけささげられたことにより、私たちは聖なるものとされているのです。(ヘブ10:4,5,10) アベルは彼の羊の初子の中から、それも最良のものを、・・・・持って来た。主は、アベルとそのささげ物とに目を留められた。(創4:4)
2009年02月23日
苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。(詩119:71) 神は、私の行く道を知っておられる。神は私を調べられる。私は金のように、出て来る。私の足は神の歩みにつき従い、神の道を守って、それなかった。(ヨブ23:10,11) あなたの神、主が、この四十年の間、荒野であなたを歩ませられた全行程を覚えていなければならない。それは、あなたを苦しめて、あなたを試み、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。あなたは、人がその子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを、知らなければならない。あなたの神、主の命令を守って、その道に歩み、主を恐れなさい。(申8:2,5,6)キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学ばれたのです。(ヘブ5:8) キリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしている・・・・。今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。(ロマ8:17,18)
2009年02月22日
何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(ピリ4:6,7) 主はその愛する者には、眠っている間に、・・・・備えてくださる。(詩127:2) あなたが横たわるとき、あなたに恐れはない。休むとき、眠りは、ここちよい。(箴3:24) 激しい突風が起こり、舟は波をかぶって水でいっぱいになった。ところがイエスだけは、とものほうで、枕をして眠っておられた。(マル4:37,38) 平安のうちに私は身を横たえ、すぐ、眠りにつきます。主よ。あなただけが、私を安らかに住まわせてくださいます。(詩4:8) 彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで、こう言った。「主イエスよ。私の霊をお受けください。」そして、ひざまずいて、大声でこう叫んだ。「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」こう言って、眠りについた。(使7:59,60) むしろ肉体を離れて、主のみもとにいるほうがよいと思っています。(2コリ5:8)
2009年02月22日
あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。(詩119:105) あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから「これが道だ。これに歩め。」と言うことばを聞く。(イザ30:21) 主を恐れる人は、だれか。主はその人に選ぶべき道を教えられる。(詩25:12) からだのあかりは目です。それで、もしあなたの目が健全なら、あなたの全身が明るいでしょう。(マタ6:22、23) わたしは、あなたがたに悟りを与え、行くべき道を教えよう。わたしはあなたがたに目を留めて、助言を与えよう。あなたがたは、悟りのない馬や騾馬のようであってはならない。それらは、くつわや手綱の馬具で押えなければ、あなたに近づかない。悪者には心の痛みが多い。しかし、主に信頼する者には、恵みが、その人を取り囲む。正しい者たち。主にあって、喜び、楽しめ。すべて心の直ぐな人たちよ。喜びの声をあげよ。(詩32:8-11) 主よ。私は知っています。人間の道は、その人によるのでなく、歩くことも、その歩みを確かにすることも、人によるのではないことを。(エレ10:23)
2009年02月22日
まことに主は渇いたたましいを満ち足らせ、飢えたたましいを良いもので満たされた。(詩107:9) わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。(ヨハ6:35) 私たちは、あなたの家、あなたの聖なる宮の良いもので満ち足りるでしょう。(詩65:4) 私は一つのことを主に願った。私はそれを求めている。私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。主の麗しさを仰ぎ見、その宮で、思いにふける、そのために。(詩27:4) 義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。(マタ5:6) (主は)飢えた者を良いもので満ち足らせ、富む者を何も持たせないで追い返されました。(ルカ1:53) 神よ。あなたの恵みは、なんと尊いことでしょう。人の子らは御翼の陰に身を避けます。彼らはあなたの家の豊かさを心ゆくまで飲むでしょう。あなたの楽しみの流れを、あなたは彼らに飲ませなさいます。いのちの泉はあなたにあり、私たちは、あなたの光のうちに光を見るからです。(詩36:7-9)
2009年02月21日
涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。(詩126:5) 種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。(詩126:6) 光は、正しい者のために、種のように蒔かれている。喜びは、心の直ぐな人のために。(詩97:11) あなたが蒔く物は、後にできるからだではない。(1コリ15:37) 私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。いまは、しばらくの間、さまざまの試練の中で、悲しまなければならないのですが、信仰の試練は、火を通して精練されてもなお朽ちて行く金よりも尊いのであって、イエス・キリストの現われのときに称賛と光栄と栄誉に至るものであることがわかります。(1ペテ1:3,6,7)
2009年02月21日
真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です。(ヨハ17:17) 平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。(1テサ5:23) わたしはあなたがたを聖なる者とする主である。(レビ20:8) わたしは、あなたがたを国々の民からえり分けたあなたがたの神、主である。あなたがたはわたしにとって聖なるものとなる。主であるわたしは聖であり、あなたがたをわたしのものにしようと、国々の民からえり分けたからである。(レビ20:24,26) 私たちは聖なるものとされているのです。(ヘブ10:10) イエスも、ご自分の血によって民を聖なるものとするために、門の外で苦しみを受けられました。(ヘブ13:12) 私たちの救い主であるキリスト・イエス・・・・が私たちのためにご自身をささげられたのは、私たちをすべての不法から贖い出し、良いわざに熱心なご自分の民を、ご自分のためにきよめるためでした。(テト2:13,14) 聖とする方も、聖とされる者たちも、すべて元は一つです。それで、主は彼らを兄弟と呼ぶことを恥とはされません。(ヘブ2:11) わたしは、彼らのため、わたし自身を聖め別ちます。彼ら自身も真理によって聖め別たれるためです。(ヨハ17:19) 御霊の聖めによって、イエス・キリストに従うように、またその血の注ぎかけを受けるように選ばれた人々。(1ペテ1:2)
2009年02月21日
人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる。(箴29:25) その人は倒れてもまっさかさまに倒されはしない。主がその手をささえておられるからだ。(詩37:24)主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます。あなたこそは私のすわるのも、立つのも知っておられ、私の思いを遠くから読み取られます。あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、私の道をことごとく知っておられます。(詩139:1-3) エリヤよ。ここで何をしているのか。(1列19:9) 神は、私の行く道を知っておられる。(ヨブ23:10) 正しい者は七たび倒れても、また起き上がるからだ。悪者はつまずいて滅びる。(箴24:16) 善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。(ガラ6:9) 心は燃えていても、肉体は弱いのです。(マタ26:41)私はあなたの御霊から離れて、どこへ行けましょう。私はあなたの御前を離れて、どこへのがれましょう。(詩139:7) 私が暁の翼をかって、海の果てに住んでも、そこでも、あなたの御手が私を導き、あなたの右の手が私を捕えます。(詩139:9,10) エリヤは、私たちと同じような人でした。(ヤコ5:17) 父がその子をあわれむように、主は、ご自分を恐れる者をあわれまれる。(詩103:13)
2009年02月20日
彼らは、荒野で激しい欲望にかられ、荒れ地で神を試みた。(詩106:14) 聖霊に満ちたイエスは、・・・・御霊に導かれて荒野におり、四十日間、悪魔の試みに会われた。その間何も食べず、その時が終わると、空腹を覚えられた。そこで、悪魔はイエスに言った。「あなたが神の子なら、この石に、パンになれと言いつけなさい。」(ルカ4:1-3) 荒野での試みの日。(ヘブ3:8) 主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。(ヘブ2:18) だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。(ヤコ1:13-15) シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。(ルカ22:31,32)
2009年02月20日
彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。(イザ53:11)イエスは、・・・・「完了した。」と言われた。そして、頭を垂れて、霊をお渡しになった。(ヨハ19:30) それは、あとに来る世々において、このすぐれて豊かな御恵みを、キリスト・イエスにおいて私たちに賜わる慈愛によって明らかにお示しになるためでした。(エペ2:7) わたしのために造ったこの民はわたしの栄誉を宣べ伝えよう。(イザ43:21) これは、今、天にある支配と権威とに対して、教会を通して、神の豊かな知恵が示されるためであって、私たちの主キリスト・イエスにおいて実現された神の永遠のご計画に沿ったことです。(エペ3:10,11) 神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。(2コリ5:21) あなたがたも、・・・・それを信じたことによって、約束の聖霊をもって証印を押されました。聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証であられます。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。(エペ1:13,14) あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。(1ペテ2:9)
2009年02月20日
主が振り向いてペテロを見つめられた。ペテロは、「きょう、鶏が鳴くまでに、あなたは、三度わたしを知らないと言う。」と言われた主のおことばを思い出した。彼は、外に出て、激しく泣いた。(ルカ22:61,62) 彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともない。(イザ42:3) 主は羊飼いのように、その群れを飼い、御腕に子羊を引き寄せ、ふところに抱く。(イザ40:11) わたしはイスラエルには露のようになる。(ホセ14:5) キリストの柔和と寛容。(2コリ10:1) (イエスはイザヤの書を朗読された。)「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油を注がれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕われ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、主の恵みの年を告げ知らせるために。」イエスは人々にこう言って話し始められた。「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。」みなイエスをほめ、その口から出て来る恵みのことばに驚いた。(ルカ4:18,19,21,22)
2009年02月19日
主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。(1テサ4:16) わたしはよみの力から、彼らを解き放ち、彼らを死から贖おう。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。よみよ。おまえの針はどこにあるのか。(ホセ13:14) 彼らを贖う方は強く、その名は万軍の主。(エレ50:34) わたしの贖いの年が来た。(イザ63:4) あなたがたは第五十年目を聖別し、国中のすべての住民に解放を宣言する。これはあなたがたのヨベルの年である。あなたがたはそれぞれ自分の所有地に帰り、それぞれ自分の家族のもとに帰らなければならない。(レビ25:10) あなたの死人は生き返り、私のなきがらはよみがえります。さめよ、喜び歌え。ちりに住む者よ。あなたの露は光の露。地は使者の霊を生き返らせます。(イザ26:19)
2009年02月19日
あの人が話すように話した人は、いまだかつてありません。(ヨハ7:46)主が知恵を与え、御口を通して知識と英知を与えられる。(箴2:6) みことばの戸が開くと、光が差し込み、わきまえのない者に悟りを与えます。(詩119:130) あなたに罪を犯さないため、私は、あなたのことばを心にたくわえました。(詩119:11) 心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。(箴3:5) あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。(ヤコ1:5) 神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いのです。(1コリ1:25) どんな反対者も、反論もできず、反証もできないようなことばと知恵を、わたしがあなたがたに与えます。(ルカ21:15) 神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選ばれたのです。これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。(1コリ1:27-29) みなイエスをほめ、その口から出て来る恵みのことばに驚いた。(ルカ4:22) あなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。(1コリ1:30)
2009年02月19日
あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。(ヨハ14:27) 私は言いました。「ああ、私に鳩のように翼があったなら。そうしたら、飛び去って、休むものを。あらしとはやてを避けて、私ののがれ場に急ぎたい。」(詩55:6,8) 私はいつまでも生きたくありません。(ヨブ7:16) 私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。実はそのほうが、はるかにまさっています。(ピリ1:23) 私たちはこの幕屋にあってうめき、この天から与えられる住まいを着たいと望んでいます。確かにこの幕屋の中にいる間は、私たちは重荷を負って、うめいています。それは、この幕屋を脱ぎたいと思うからでなく、かえって天からの住まいを着たいからです。そのことによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためにです。(2コリ5:2,4) 私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。(ヘブ12:1-3)
2009年02月18日
もしひとりの違反によって多くの人が死んだとすれば、それにもまして、神の恵みとひとりの人イエス・キリストの恵みによる賜物とは、多くの人々に満ちあふれるのです。(ロマ5:15) ひとりの人によって罪が世界にはいり、・・・・ひとりの人の不従順によって多くの人が罪人とされたのです。(ロマ5:12,19) アダムは、・・・・彼に似た、彼のかたちどおりの子を生んだ。(創5:3) 神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。(1コリ15:57) だれが、きよい物を汚れた物から出せましょう。だれひとり、できません。(ヨブ14:4) ああ、私は咎ある者として生まれ、罪ある者として母は私をみごもりました。(詩51:5) 罪過と罪との中に死んでいた者であって、・・・・ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。(エペ2:1-3) 私は罪ある人間であり、売られて罪の下にある者です。私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行なっているからです。私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。(ロマ7:14,15,18) キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したのです。(ロマ8:2)
2009年02月18日
「わたしはほんのしばらくの間、あなたを見捨てたが、大きなあわれみをもって、あなたを集める。怒りがあふれて、ほんのしばらく、わたしの顔をあなたから隠したが、永遠に変わらぬ愛をもって、あなたをあわれむ。」とあなたを贖う主は仰せられる。(イザ54:7,8) あなたがたの悲しみは喜びに変わります。(ヨハ16:20) 夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。(詩30:5) 多くの者は言っています。「だれかわれわれに良い目を見せてくれないものか。」主よ。どうか、あなたの御顔の光を、私たちの上に照らしてください。(詩4:6) この私は、あなたの力を歌います。まことに、朝明けには、あなたの恵みを喜び歌います。それは、私の苦しみの日に、あなたは私のとりで、また、私の逃げ場であられたからです。(詩59:16) あなたは、わざわいの日の、私の身の避け所です。(エレ17:17) 私が栄えたときに、私はこう言った。「私は決してゆるがされない。」・・・・あなたが御顔を隠され、私はおじ惑っていましたが。主よ。私はあなたを呼び求めます。私の主にあわれみを請います。私が墓に下っても、私の血に何の益があるのでしょうか。ちりが、あなたを、ほめたたえるでしょうか。あなたのまことを、告げるでしょうか。聞いてください。主よ。私をあわれんでください。主よ。私の助けとなってください。(詩30:6-10)
2009年02月18日
私の皮が、このようにはぎとられて後、私は、私の肉から神を見る。この方を私は自分自身で見る。私の目がこれを見る。ほかの者の目ではない。(ヨブ19:26,27) からだをきよい水で洗われた。(ヘブ10:22) 兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。(ロマ12:1) 洗いのための青銅の洗盤と青銅の台を作ったなら、それを会見の天幕と祭壇の間に置き、その中に水を入れよ。アロンとその子らは、そこで手と足を洗う。彼らが会見の天幕にはいるときには、水を浴びなければならない。彼らが死なないためである。・・・・その手、その足を洗う。彼らが死なないためである。(出30:18-21) あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、・・・・聖霊の宮です。(1コリ6:19) もし、だれかが神の神殿をこわすなら、神がその人を滅ぼされます。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたがその神殿です。(1コリ3:17) 汚れた者は、決して都にはいれない。(黙21:27) あなたの目はあまりきよくて、悪を見ず、労苦に目を留めることができないのでしょう。(ハバ1:13)
2009年02月17日
あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かしてくださいました。私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。(エペ2:4,5,10) 目ざめるとき、あなたの御姿に満ち足りるでしょう。(詩17:15) 勝利を得る者は、これらのものを相続する。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。(黙21:7)神は、人をご自身のかたちに創造された。(創1:27) そのように私たちは神の子孫ですから、神を、人間の技術や工夫で造った金や銀や石などの像と同じものと考えてはいけません。(使17:29) 神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。(ロマ8:29) キリストが現われたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。(1ヨハ3:2) もし子どもであるなら、相続人でもあります。・・・・私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。(ロマ8:17)
2009年02月17日
今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。(2コリ4:17)キリストの苦しみにあずかる。(ピリ3:10) キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現われるときにも、喜びおどる者となるためです。(1ペテ4:13) その雄牛の全部を、宿営の外のきよい所、すなわち灰捨て場に運び出し、たきぎの火で焼くこと。これは灰捨て場で焼かなければならない。 (レビ4:12) 彼らはイエスを受け取った。そして、イエスはご自分で十字架を負って、「どくろの地」という場所(ヘブル語でゴルゴタと言われる)に出て行かれた。彼らはそこでイエスを十字架につけた。(ヨハ19:16-18) 動物の血は、罪のための供え物として、大祭司によって聖所の中まで持って行かれますが、からだは宿営の外で焼かれるからです。ですから、イエスも、ご自分の血によって民を聖なるものとするために、門の外で苦しみを受けられました。ですから、私たちは、キリストのはずかしめを身に負って、宿営の外に出て、みもとに行こうではありませんか。(ヘブ13:11-13)
2009年02月17日
あなたは・・・・私の頭に油をそそいでくださいます。(詩23:5) あなたがたには聖なる方からの注ぎの油があるので、だれでも知識を持っています。(1ヨハ2:20) 神はこの方(イエス)に聖霊と力を注がれました。(使10:38) 神はみこころによって、満ち満ちた神の本質を御子のうちに宿らせられました。(コロ1:19) 私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。(ヨハ1:16) 助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。(ヨハ14:26) 御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。(ロマ8:26) あなたがたのばあいは、キリストから受けた注ぎの油があなたがたのうちにとどまっています。それで、だれからも教えを受ける必要がありません。彼の油がすべてのことについてあなたがたを教えるように、──その教えは真理であって偽りではありません。──また、その油があなたがたに教えたとおりに、あなたがたはキリストのうちにとどまるのです。(1ヨハ2:27)
2009年02月16日
いまは、しばらくの間、さまざまの試練の中で、悲しまなければならないのです。(1ペテ1:6) 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。(ロマ7:24) この幕屋の中にいる間は、私たちは重荷を負って、うめいています。(2コリ5:4) 私がこの幕屋を脱ぎ捨てるのが間近に迫っているのを知ってます。(2ペテ1:14) 朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないのです。しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。(1コリ15:53,54) 主よ。私の願いはすべてあなたの御前にあり、私の嘆きはあなたから隠されていません。私の咎が、私の頭を越え、重荷のように、私には重すぎるからです。(詩38:9,4) 被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしています。そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。(ロマ8:22,23)
2009年02月16日
もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。(ヨハ14:15)あなたの名は注がれる香油のよう。(雅1:3) キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。(エペ5:2)より頼んでいるあなたがたには尊いものです。(1ペテ2:7)私たちの主、主よ。あなたの御名は全地にわたり、なんと力強いことでしょう。あなたはご威光を天に置かれました。(詩8:1)インマヌエル・・・・神は私たちとともにおられる。(マタ1:23)その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。(イザ9:6)主の名は堅固なやぐら。正しい者はその中に走って行って安全である。(箴18:10)神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。それは、イエスの御名によって、・・・・すべてが、ひざをかがめるためです。(ピリ2:9-11)キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。(コロ2:9) 私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているのです。(ロマ5:5)家は香油のかおりでいっぱいになった。(ヨハ12:3)ふたりがイエスとともにいたのだ、ということがわかって来た。(使4:13)
2009年02月16日
どうか、私たちの主イエス・キリストであり、私たちの父なる神である方、すなわち、私たちを愛し、恵みによって永遠の慰めとすばらしい望みとを与えてくださった方ご自身が、あらゆる良いわざとことばとに進むよう、あなたがたの心を慰め、強めてくださいますように。(2テサ2:16,17) 私たちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふれています。(2コリ1:5) キリストの苦しみにあずかる。(ピリ3:10) むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現われるときにも、喜びおどる者となるためです。(1ペテ4:13) もし私たちが、彼とともに死んだのなら、彼とともに生きるようになる。(2テモ2:11) もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。(ロマ8:17) 神は約束の相続者たちに、ご計画の変わらないことをさらにはっきり示そうと思い、誓いをもって保証されたのです。それは、変えることのできない二つの事がらによって、──神は、これらの事がらのゆえに、偽ることができません。──前に置かれている望みを捕えるためにのがれて来た私たちが、力強い励ましを受けるためです。(ヘブ6:17,18)
2009年02月15日
私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。(2ペテ3:13) 私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」(黙21:1-5) 見よ。まことにわたしは新しい天と新しい地を創造する。(イザ65:17) わたしの造る新しい天と新しい地が、わたしの前にいつまでも続くように、・・・・あなたがたの子孫と、あなたがたの名もいつまでも続く。(イザ66:22)
2009年02月15日
約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。(ヘブ10:23) キリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。(エペ3:17-19) 神は真実であり、その方のお召しによって、あなたがたは神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに入れられました。(1コリ1:9) 神はこう言われました。「わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。」(2コリ6:16) 私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。(1ヨハ1:3) キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現われるときにも、喜びおどる者となるためです。(1ペテ4:13) だれでも、イエスを神の御子と告白するなら、神はその人のうちにおられ、その人も神のうちにいます。(1ヨハ4:15) 神の命令を守る者は神のうちにおり、神もまたその人のうちにおられます。(1ヨハ3:24)
2009年02月14日
私は、あなたのさとしを永遠のゆずりとして受け継ぎました。これこそ、私の心の喜びです。(詩119:111) わたしがあなたの割り当ての地であり、あなたの相続地である。(民18:20) 天では、あなたのほかに、だれを持つことができましょう。地上では、あなたのほかに私はだれをも望みません。この身とこの心とは尽き果てましょう。しかし神はとこしえに私の心の岩、私の分の土地です。(詩73:25、26) 主は、私へのゆずりの地所、また私への杯です。あなたは、私の受ける分を、堅く保っていてくださいます。測り綱は、私の好む所に落ちた。まことに、私への、すばらしいゆずりの地だ。(詩16:5、6) 「主こそ、私の受ける分です。」と私のたましいは言う。それゆえ、私は主を待ち望む。(哀3:24) 神よ。あなたは私の神。私はあなたを切に求めます。水のない、砂漠の衰え果てた地で、私のたましいは、あなたに渇き、私の身も、あなたを慕って気を失うばかりです。あなたは私の助けでした。御翼の陰で、私は喜び歌います。(詩63:1,7,8)
2009年02月14日
まことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、はいれません。(マタ5:20) 今はそうさせてもらいたい。このようにして、すべての正しいことを実行するのは、わたしたちにふさわしいのです。(マタ3:15) 主は、ご自分の義のために、みおしえを広め、これを輝かすことを望まれた。(イザ42:21) わが神。私はみこころを行なうことを喜びとします。あなたのおしえは私の心のうちにあります。(詩40:8) わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。(マタ5:17,18) 肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。(ロマ8:3、4) キリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです。(ロマ10:4)
2009年02月14日
わたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。(ヨハ14:13,14,16,17) 私たちは、このキリストによって、両者ともに一つの御霊において、父のみもとに近づくことができるのです。(エペ2:18) わたしは彼らにおり、あなたはわたしにおられます。それは、彼らが全うされて一つとなるためです。(ヨハ17:23) からだは一つ、御霊は一つです。あなたがたが召されたとき、召しのもたらした望みが一つであったのと同じです。主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです。すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父なる神は一つです。(エペ4:4-6) こう祈りなさい。「天にいます私たちの父よ。」(マタ6:9) 兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです。イエスは・・・・私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです。そのようなわけで、・・・・真心から神に近づこうではありませんか。(ヘブ10:19,20,22)
2009年02月13日
この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。(ヨハ1:4,12,13) みことばは私を生かします。(詩119:50) 神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。(ヘブ4:12) いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。(ヨハ6:63) 最初の人アダムは生きた者となった。」・・・・最後のアダムは、生かす御霊となりました。(1コリ15:45) それは、父がご自分のうちにいのちを持っておられるように、子にも、自分のうちにいのちを持つようにしてくださったからです。(ヨハ5:26) わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。(ヨハ11:25,26)
2009年02月13日
わたしは、・・・・生きている者である。わたしは死んだが、見よ、いつまでも生きている。(黙1:17,18) その王座に似たもののはるか上には、人間の姿に似たものがあった。(エゼ1:26) 人としてのキリスト・イエスです。(1テモ2:5) キリストは、弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力のゆえに生きておられます。私たちもキリストにあって弱い者ですが、あなたがたに対する神の力のゆえに、キリストとともに生きているのです。(2コリ13:4) キリストは、人間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質をもって現われたのです。(ピリ2:7,8) 子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、・・・・死の力を持つ者を滅ぼすためでした。(ヘブ2:14,15) キリストは死者の中からよみがえって、もはや死ぬことはなく、死はもはやキリストを支配しない。・・・・なぜなら、キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、キリストが生きておられるのは、神に対して生きておられるのだからです。(ロマ6:9,10) それでは、もし人の子がもといた所に上るのを見たら、どうなるのか。(ヨハ6:62) 神は、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせられました。(エペ1:20) キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。(コロ2:9)
2009年02月13日
患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。(ロマ5:3-5) 耐え忍んだ人たちは幸いであると、私たちは考えます。(ヤコ5:11) すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。(ヘブ12:11) 私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。(ヤコ1:2-4) 試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。(ヤコ1:12) キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。・・・・私が弱いときにこそ、私は強いからです。(2コリ12:9,10)
2009年02月12日
私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。(2コリ3:18)どうか、あなたの栄光を私に見せてください。(出33:18) 「光が、やみの中から輝き出よ。」と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。(2コリ4:6) ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。(ヨハ1:14,18) 私のたましいは、神を、生ける神を求めて渇いています。いつ、私は行って、神の御前に出ましょうか。(詩42:2) あなたに代わって、私の心は申します。「わたしの顔を、慕い求めよ。」と。主よ。あなたの御顔を私は慕い求めます。(詩27:8) 父よ。お願いします。あなたがわたしに下さったものをわたしのいる所にわたしといっしょにおらせてください。あなたがわたしを世の始まる前から愛しておられたためにわたしに下さったわたしの栄光を、彼らが見るようになるためです。(ヨハ17:24)
2009年02月12日
その日に、主イエスは来られて、ご自分の聖徒たちによって栄光を受け、信じたすべての者の・・・・感嘆の的となられます。(2テサ1:10) 次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。(1テサ4:17) あなたは主の手にある輝かしい冠となり、あなたの神の手のひらにある王のかぶり物となる。(イザ62:3) 彼らは、わたしのものとなる。――万軍の主は仰せられる。――わたしが事を行なう日に、わたしの宝となる。(マラ3:17)わたしは、あなたが世から取り出してわたしに下さった人々に、あなたの御名を明らかにしました。彼らはあなたのものであって、あなたは彼らをわたしに下さいました。彼らはあなたのみことばを守りました。わたしは彼らのためにお願いします。世のためにではなく、あなたがわたしに下さった者たちのためにです。なぜなら彼らはあなたのものだからです。わたしのものはみなあなたのもの、あなたのものはわたしのものです。そして、わたしは彼らによって栄光を受けました。父よ。お願いします。あなたがわたしに下さったものをわたしのいる所にわたしといっしょにおらせてください。あなたがわたしを世の始まる前から愛しておられたためにわたしに下さったわたしの栄光を、彼らが見るようになるためです。(ヨハ17:6,9,10,24) また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。(ヨハ14:3)
2009年02月12日
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