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子どもたちよ。キリストのうちにとどまっていなさい。(1ヨハ2:28) 枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。(ヨハ15:4,7) 私は、キリストの恵みをもってあなたがたを召してくださったその方を、あなたがたがそんなにも急に見捨てて、ほかの福音に移って行くのに驚いています。ほかの福音といっても、もう一つ別に福音があるのではありません。・・・・私たちであろうと、天の御使いであろうと、もし私たちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その者はのろわれるべきです。(ガラ1:6-8) 疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。そういう人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。そういうのは、二心のある人で、その歩む道のすべてに安定を欠いた人です。(ヤコ1:6-8) 律法によって義と認められようとしているあなたがたは、キリストから離れ、恵みから落ちてしまったのです。あなたがたはよく走っていたのに、だれがあなたがたを妨げて、真理に従わなくさせたのですか。(ガラ5:4,7) 神の約束はことごとく、この方において「しかり。」となりました。それで私たちは、この方によって「アーメン。」と言い、神に栄光を帰するのです。(2コリ1:20)
2009年05月31日
主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。(ルカ1:45) (主よ。)私たちの信仰を増してください。(ルカ17:5) あなたの名は、・・・・イスラエルだ。あなたは神と戦い、人と戦って、勝ったからだ。(創32:28) 彼(アブラハム)は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰した。(ロマ4:20) 彼(ヤコブ)はその力で神と争った。彼は御使いと格闘して勝ったが、泣いて、これに願った。(ホセ12:3,4) 神を信じなさい。まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、「動いて、海にはいれ。」と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。(マル11:22-24) 信じる者には、どんなことでもできるのです。(マル9:23)
2009年05月31日
そこで、あなたの見た事、今ある事、この後に起こる事を書きしるせ。(黙1:19) わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。霊ならこんな肉や骨はありません。わたしは持っています。(ルカ24:39,40) それを目撃した者があかしをしているのである。そのあかしは真実である。その人が、あなたがたにも信じさせるために、真実を話すということをよく知っているのである。(ヨハ19:35) 聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのです。(2ペテ1:21) 私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。(1ヨハ1:3) 私たちは、あなたがたに、私たちの主イエス・キリストの力と来臨とを知らせましたが、それは、うまく考え出した作り話に従ったのではありません。この私たちは、キリストの威光の目撃者なのです。(2ペテ1:16) それは、あなたがたの持つ信仰が、人間の知恵にささえられず、神の力にささえられるためでした。(1コリ2:5)
2009年05月30日
私たちもこの世にあってキリストと同じような者であるのです。(1ヨハ4:17) 何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。(1ヨハ5:14) 求めるものは何でも神からいただくことができます。なぜなら、私たちが神の命令を守り、神に喜ばれることを行なっているからです。(1ヨハ3:22) 父よ。・・・・わたしは、あなたがいつもわたしの願いを聞いてくださることを知っておりました。(ヨハ11:41,42) イエスは目を上げて、言われた。「父よ。わたしの願いを聞いてくださったことを感謝いたします。」(ヨハ11:41) 「父よ。御名の栄光を現わしてください。」そのとき、天から声が聞こえた。「わたしは栄光をすでに現わしたし、またもう一度栄光を現わそう。」(ヨハ12:28) さあ、わたしは来ました。・・・・神よ、あなたのみこころを行なうために。(ヘブ10:7) わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。(ルカ22:42) 信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。(ヘブ11:6) (キリストは)ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。(ヘブ7:25) 私たちには、御父の御前で弁護してくださる方があります。それは、義なるイエス・キリストです。(1ヨハ2:1)
2009年05月30日
ますます熱心に、あなたがたの召されたことと選ばれたこととを確かなものとしなさい。・・・・このようにあなたがたは、私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの永遠の御国にはいる恵みを豊かに加えられるのです。(2ペテ1:10,11) 私たちは、この安息にはいるよう力を尽くして努めようではありませんか。(ヘブ4:11) あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。(1コリ9:24,25) 狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。・・・・いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。(マタ7:13,14) 天の御国は激しく攻められています。そして、激しく攻める者たちがそれを奪い取っています。(マタ11:12) なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それこそ、人の子があなたがたに与えるものです。(ヨハ6:27) 神の安息にはいった者ならば、神がご自分のわざを終えて休まれたように、自分のわざを終えて休んだはずです。(ヘブ4:10) 主があなたの永遠の光となり、あなたの神があなたの光栄となる。(イザ60:19)
2009年05月30日
あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。(1コリ6:20) 見よ、世の罪を取り除く神の小羊。(ヨハ1:29) 小羊の血。(黙7:14) 傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血。(1ペテ1:19) 肉のいのちは血の中にあるからである。わたしはあなたがたのいのちを祭壇の上で贖うために、これをあなたがたに与えた。いのちとして贖いをするのは血である。(レヒ17:11) 血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。(ヘブ9:22) 御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。(1ヨハ1:7) (キリストは)ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所にはいり、永遠の贖いを成し遂げられたのです。(ヘブ9:12) 兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです。イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです。・・・・ですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。(ヘブ10:19,20,22)
2009年05月29日
志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです。いつまでも主に信頼せよ。ヤハ、主は、とこしえの岩だから。(イザ26:3,4) この希望は失望に終わることがありません。(ロマ5:5) わたしが主である。わたしを待ち望む者は恥を見ることがない。(イザ49:23) 主に信頼し、主を頼みとする者に祝福があるように。(エレ17:7) 私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の望みは神から来るからだ。神こそ、わが岩。わが救い。わがやぐら。私はゆるがされることはない。(詩62:5,6) 私はそれを恥とは思っていません。というのは、私は、自分の信じて来た方をよく知っているからです。(2テモ1:12) 神は約束の相続者たちに、ご計画の変わらないことをさらにはっきり示そうと思い、誓いをもって保証されたのです。それは、変えることのできない二つの事がらによって、──神は、これらの事がらのゆえに、偽ることができません。──前に置かれている望みを捕えるためにのがれて来た私たちが、力強い励ましを受けるためです。この望みは、私たちのたましいのために、安全で確かな錨の役を果たし、またこの望みは幕の内側にはいるのです。イエスは私たちの先駆けとしてそこにはいられました。(ヘブ6:17-20)
2009年05月28日
目標を目ざして一心に走っているのです。(ピリ3:14) 賞を受けられるように走りなさい。(1コリ9:24) この世の有様は過ぎ去るのです。(1コリ7:31) 私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。そういうわけで、愛する人たち。このようなことを待ち望んでいるあなたがたですから、・・・・励みなさい。(2ペテ3:13,14) 私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしてはいません。私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。(1コリ9:26,27) 心を引き締め、身を慎み、イエス・キリストの現われのときあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。(1ペテ1:13) なまけ者は言う。「獅子が外にいる。私はちまたで殺される。」と。(箴22:13) いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。(ヘブ12:1,2) いっさいの霊肉の汚れから自分をきよめ、神を恐れかしこんで聖きを全うしようではありませんか。(2コリ7:1)
2009年05月28日
すべての人を救う神の恵みが現われ、私たちに、不敬虔とこの世の欲とを捨て、この時代にあって、慎み深く、正しく、敬虔に生活し、祝福された望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるキリスト・イエスの栄光ある現われを待ち望むようにと教えさとしたからです。キリストが私たちのためにご自身をささげられたのは、私たちをすべての不法から贖い出し、良いわざに熱心なご自分の民を、ご自分のためにきよめるためでした。(テト2:11-14) 救い主を、私たちは待ち望んでいます。(ピリ3:20) 私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。そういうわけで、愛する人たち。このようなことを待ち望んでいるあなたがたですから、しみも傷もない者として、平安をもって御前に出られるように、励みなさい。(2ペテ3:13,14) キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。(ヘブ9:28) その日、人は言う。「見よ。この方こそ、私たちが救いを待ち望んだ私たちの神。この方こそ、私たちが待ち望んだ主。その御救いを楽しみ喜ぼう。」(イザ25:9)
2009年05月28日
あなたがたが思い煩わないことを私は望んでいます。(1コリ7:32) 何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(ピリ4:6,7) 神があなたがたのことを心配してくださるのです。(1ペテ5:7) 主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。(2歴16:9) 主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。幸いなことよ。彼に身を避ける者は。若い獅子も乏しくなって飢える。しかし、主を尋ね求める者は、良いものに何一つ欠けることはない。(詩34:8,10) わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。(マタ6:25,26)
2009年05月27日
謙遜を身に着けなさい。神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。(1ペテ5:5,6) 思慮深い人々は大空の輝きのように輝き、多くの者を義とした者は、世々限りなく、星のようになる。(ダニ12:3) 彼らは黙っていた。道々、だれが一番偉いかと論じ合っていたからである。イエスはおすわりになり、十二弟子を呼んで、言われた。「だれでも人の先に立ちたいと思うなら、みなのしんがりとなり、みなに仕える者となりなさい。」(マルコ9:34,35) あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。キリストは、・・・・ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。それは、イエスの御名によって、・・・・すべてが、ひざをかがめ・・・・るためです。(ピリピ2:5-11) 個々の星によって栄光が違います。(1コリ15:41)
2009年05月27日
だれがあなたのようであろう。主に救われた民。主はあなたを助ける盾、あなたの勝利の剣。(申33:29) 神、その道は完全。主のみことばは純粋。主はすべて彼に身を避ける者の盾。まことに、主のほかにだれが神であろうか。私たちの神のほかにだれが岩であろうか。(2サム22:31,32) 人が神を愛するなら、その人は神に知られているのです。(1コリ8:3) 主はいつくしみ深く、苦難の日のとりでである。主に身を避ける者たちを主は知っておられる。(ナホ1:7) 万軍の主に感謝せよ。主はいつくしみ深く、その恵みはとこしえまで。(エレ33:11) 神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。(詩46:1) 私は主に申し上げよう。「わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神。」と。(詩91:2) 神の不動の礎は堅く置かれていて、それに次のような銘が刻まれています。「主はご自分に属する者を知っておられる。」また、「主の御名を呼ぶ者は、だれでも不義を離れよ。」(2テモ2:19) まことに、主は、正しい者の道を知っておられる。しかし、悪者の道は滅びうせる。(詩1:6) あなたはわたしの心にかない、あなたを名ざして選び出した。(出33:17)
2009年05月27日
太陽がもうあなたの昼の光とはならず、月の輝きもあなたを照らさず、主があなたの永遠の光となり、あなたの神があなたの光栄となる。あなたの太陽はもう沈まず、あなたの月はかげることがない。主があなたの永遠の光となり、あなたの嘆き悲しむ日が終わるからである。(イザ60:19,20) あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神。(1ペテ5:10) 都には、これを照らす太陽も月もいらない。というのは、神の栄光が都を照らし、小羊が都のあかりだからである。(黙21:23) その途中、正午ごろ、私は天からの光を見ました。それは太陽よりも明るく輝いて、私と同行者たちとの回りを照らしたのです。私が「主よ。あなたはどなたですか。」と言いますと、主がこう言われました。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」(使26:13,15) イエスは、ペテロとヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に導いて行かれた。そして彼らの目の前で、御姿が変わり、御顔は太陽のように輝き、御衣は光のように白くなった。(マタ17:1,2)
2009年05月26日
あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。(1ペテ2:25) わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。(ヨハ10:11) わたしは失われたものを捜し、迷い出たものを連れ戻し、傷ついたものを包み、病気のものを力づける。(エゼ34:16) 羊の大牧者、私たちの主イエス。(ヘブ13:20) 大牧者。(1ペテ5:4) 主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。(詩23:1-3) わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。また、わたしのものは、わたしを知っています。わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます。わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。(ヨハ10:14,27,28) 私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。(イザ53:6)
2009年05月25日
後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現われたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。(1ヨハ3:2) 彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともない(黙7:16) 私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。(2コリ3:18) キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。(ピリ3:20,21) その王座に似たもののはるか上には、人間の姿に似たものがあった。・・・・その腰と見える所から上のほうは、その中と回りとが青銅のように輝き、火のように見えた。その腰と見える所から下のほうに、私は火のようなものを見た。その方の回りには輝きがあった。・・・・それは主の栄光のように見えた。(エゼ1:26-28) 彼らは、神のしもべモーセの歌と小羊の歌とを歌って言った。(黙15:3)
2009年05月25日
彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともない。(イザ42:3) 主は、私たちの成り立ちを知り、私たちがちりにすぎないことを心に留めておられる。(詩103:14) 主はご自分に属する者を知っておられる。(2テモ2:19) 人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう。わたし、主が心を探り、思いを調べ、それぞれその生き方により、行ないの結ぶ実によって報いる。(エレ17:9,10) 燃える炎のような目を持った・・・・神の子。(黙2:18) あなたは私たちの不義を御前に、私たちの秘めごとを御顔の光の中に置かれます。(詩90:8) 主が振り向いてペテロを見つめられた。ペテロは、・・・・外に出て、激しく泣いた。(ルカ22:61,62) イエスは、ご自身を彼らにお任せにならなかった。なぜなら、イエスはすべての人を知っておられたからであり、・・・・人についてだれの証言も必要とされなかったからである。(ヨハ2:24,25) わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。また、わたしのものは、わたしを知っています。わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます。わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。(ヨハ10:14,27,28)
2009年05月25日
「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮んだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。(1コリ2:9,10) あなたのいつくしみは、なんと大きいことでしょう。あなたはそれを、あなたを恐れる者のためにたくわえました。(詩31:19) あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。(詩16:11) 神よ。あなたの恵みは、なんと尊いことでしょう。人の子らは御翼の陰に身を避けます。彼らはあなたの家の豊かさを心ゆくまで飲むでしょう。あなたの楽しみの流れを、あなたは彼らに飲ませなさいます。(詩36:7,8) 今のいのちと未来のいのちが約束されている敬虔は、すべてに有益です。(1テモ4:8) 神を待ち望む者のために、このようにしてくださる神は、あなた以外にとこしえから聞いたこともなく、耳にしたこともなく、目で見たこともありません。(イザ64:4)
2009年05月25日
愛する者たちよ。あなたがたにお勧めします。旅人であり寄留者であるあなたがたは、たましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけなさい。(1ペテ2:11) 私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。(ピリ3:20,21) 私のたましいは、ちりに打ち伏しています。あなたのみことばのとおりに私を生かしてください。(詩119:25) もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。・・・・あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。(コロ3:1-3) 肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。(ガラ5:17) 兄弟たち。私たちは、肉に従って歩む責任を、肉に対して負ってはいません。もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです。(ロマ8:12,13)
2009年05月24日
もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。(1ヨハ1:9) 彼らが自分の罪を認め、わたしの顔を慕い求めるまで、わたしはわたしの所に戻っていよう。(ホセ5:15) あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。(イザ59:2) わたしは彼らの背信をいやし、喜んでこれを愛する。わたしの怒りは彼らを離れ去ったからだ。(ホセ14:4) 愛する方は、背を向けて去って行きました。・・・・私が捜しても、あの方は見あたりませんでした。私が呼んでも、答えはありませんでした。(雅5:6) わたしは、・・・・顔を隠して怒った。しかし、彼はなおそむいて、自分の思う道を行った。わたしは彼の道を見たが、彼をいやそう。(イザ57:17,18) あなたの神、主が、あなたを道に進ませたとき、あなたは主を捨てたので、このことがあなたに起こるのではないか。(エレ2:17) 彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。(ルカ15:20)
2009年05月24日
御霊の愛。(ロマ15:30) 助け主、すなわち、・・・・聖霊。(ヨハ14:26) あなたがたも、キリスト・・・・を信じたことによって、約束の聖霊をもって証印を押されました。聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証であられます。これは神の民の贖いのためです。(エペ1:13,14) 私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。(ガラ5:16,17) 神は私たちに御霊を与えてくださいました。それによって、私たちが神のうちにおり、神も私たちのうちにおられることがわかります。(1ヨハ4:13) 御霊も・・・・弱い私たちを助けてくださいます。(ロマ8:26)神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。(エペ4:30) 彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、ご自身の使いが彼らを救った。その愛とあわれみによって主は彼らを贖い、昔からずっと、彼らを背負い、抱いて来られた。しかし、彼らは逆らい、主の聖なる御霊を痛ませたので、主は彼らの敵となり、みずから彼らと戦われた。(イザ63:9,10)
2009年05月24日
神を愛する人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ロマ8:28) 主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。(2歴16:9)その夜、王は眠れなかった。(エス6:1) あなたは、私のまぶたを閉じさせない。(詩77:4) だれが、われらの神、主のようであろうか。主は・・・・身を低くして天と地をご覧になる。(詩113:5,6) 彼は、天の軍勢も、地に住むものも、みこころのままにあしらう。(ダニ4:35) あなたの道は海の中にあり、あなたの小道は大水の中にありました。それで、あなたの足跡を見た者はありません。(詩77:19) まことに、人の憤りまでもが、あなたをほめたたえ、あなたは、憤りの余りまでをも身に締められます。(詩76:10) 二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。また、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。(マタ10:29,30)
2009年05月23日
主に愛されている者。彼は安らかに、主のそばに住まい、主はいつまでも彼をかばう。彼が主の肩の間に住むかのように。(申33:12) あなたがたを、つまずかないように守ることができ、傷のない者として、大きな喜びをもって栄光の御前に立たせることのできる方。(ユダ24) 私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですから、私たちは、・・・・大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。(ヘブ4:14-16) その二つの石をイスラエルの子らの記念の石としてエポデの肩当てにつける。アロンは主の前で、彼らの名を両肩に負い、記念とする。 (出28:12) キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。(ヘブ7:24,25)
2009年05月23日
主であるわたしが、高い木を低くし、低い木を高くし、緑の木を枯らし、枯れ木に芽を出させる。(エゼ17:24) 主の木々は満ち足りています。(詩104:16) 主に信頼し、主を頼みとする者に祝福があるように。その人は、水のほとりに植わった木のように、流れのほとりに根を伸ばし、暑さが来ても暑さを知らず、葉は茂って、日照りの年にも心配なく、いつまでも実をみのらせる。(エレ17:7,8) 正しい者は、なつめやしの木のように栄え、レバノンの杉のように育ちます。彼らは、主の家に植えられ、私たちの神の大庭で栄えます。彼らは年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。(詩92:12-14) わたしはイスラエルには露のようになる。彼はゆりのように花咲き、ポプラのように根を張る。その若枝は伸び、その美しさはオリーブの木のように、そのかおりはレバノンのようになる。(ホセ14:5,6)
2009年05月22日
主は、私たちの成り立ちを知り、私たちがちりにすぎないことを心に留めておられる。(詩103:14) 彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともない。(イザ42:3) 心は燃えていても、肉体は弱いのです。(マタ26:41) 主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。(詩23:1,2) 御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。(ロマ8:26) 助け主、すなわち、・・・・聖霊。(ヨハ14:26) あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。(1コリ6:19) 神は、・・・・あなたがたのうちに働いてくださるのです。(ピリ2:13) 私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。(ロマ8:26,27)
2009年05月22日
わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。(ヨハ14:27) あなたがたが思い煩わないことを私は望んでいます。(1コリ7:32) 世と世の欲は滅び去ります。(1ヨハ2:17) まことに、人は幻のように歩き回り、まことに、彼らはむなしく立ち騒ぎます。人は、積みたくわえるが、だれがそれを集めるのかを知りません。(詩39:6) その当時、今ではあなたがたが恥じているそのようなものから、何か良い実を得たでしょうか。それらのものの行き着く所は死です。(ロマ6:21) (イエスは彼女に言われた。)「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」(ルカ10:41,42) わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。(ヨハ16:33) どうか、平和の主ご自身が、どんなばあいにも、いつも、あなたがたに平和を与えてくださいますように。(2テサ3:16) 主があなたを祝福し、あなたを守られますように。主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。(民6:24-26)
2009年05月22日
彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。(イザ53:11) イエスは、・・・・「完了した。」と言われた。そして、頭を垂れて、霊をお渡しになった。(ヨハ19:30) 神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。(2コリ5:21) あなたがたも、・・・・それを信じたことによって、約束の聖霊をもって証印を押されました。聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証であられます。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。(エペ1:13,14) わたしのために造ったこの民はわたしの栄誉を宣べ伝えよう。(イザ43:21) これは、今、天にある支配と権威とに対して、教会を通して、神の豊かな知恵が示されるためであって、私たちの主キリスト・イエスにおいて実現された神の永遠のご計画に沿ったことです。(エペ3:10,11) それは、あとに来る世々において、このすぐれて豊かな御恵みを、キリスト・イエスにおいて私たちに賜わる慈愛によって明らかにお示しになるためでした。(エペ2:7) あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。(1ペテ2:9)
2009年05月21日
主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕われ人には解放を、囚人には釈放を告げるために。(イザ61:1) 私たちの主イエス・キリスト。(1コリ1:9) その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。(マタ1:21) キリストは・・・・自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめるためです。(ピリ2:8-11) キリストと呼ばれるメシヤ。(ヨハ4:25) 最後のアダムは、生かす御霊となりました。・・・・第二の人は天から出た者です。(1コリ15:45,47) 私の主。私の神。(ヨハ20:28) あなたがたはわたしを先生とも主とも呼んでいます。あなたがたがそう言うのはよい。わたしはそのような者だからです。それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです。(ヨハ13:13-15)
2009年05月21日
主を喜ぶことは、あなたがたの力です。(ネヘ8:10別訳) 神の栄光ある権能に従い、あらゆる力をもって強くされて、忍耐と寛容を尽くしなさい。(コロ1:11) 主にあって、その大能の力によって強められなさい。(エペ6:10) 「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」・・・・ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。(2コリ12:9,10) 私は、あなたの大能のわざを携えて行き、あなたの義を、ただあなただけを心に留めましょう。(詩71:16) 福音は、・・・・救いを得させる神の力です。(ロマ1:16) 私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。(ピリ4:13) このために、私もまた、自分のうちに力強く働くキリストの力によって、労苦しながら奮闘しています。(コロ1:29) 私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。(2コリ4:7)
2009年05月21日
イエスは彼女に言われた。「マリヤ。」(ヨハ20:16) 恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。」(イザ43:1) 私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのです。(ヘブ4:14) 羊はその声を聞き分けます。彼は自分の羊をその名で呼んで連れ出します。・・・・すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます。(ヨハ10:3,4) 見よ。わたしは手のひらにあなたを刻んだ。あなたの城壁は、いつもわたしの前にある。(イザ49:16) 神の不動の礎は堅く置かれていて、それに次のような銘が刻まれています。「主はご自分に属する者を知っておられる。」(2テモ2:19) 二つのしまめのうを取ったなら、その上にイスラエルの子らの名を刻む。アロンは主の前で、彼らの名を両肩に負い、記念とする。あなたはさばきの胸当てを、巧みな細工で作る。その中に、宝石をはめ込み、宝石を四列にする。この宝石はイスラエルの子らの名によるもので、彼らの名にしたがい十二個でなければならない。アロンが主の前に出るときに、それがアロンの胸の上にあるようにする。(出28:9,12,15,17,21,30)
2009年05月20日
悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。(エペ6:11,12) キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。(ガラ5:24,25)自分自身にも、・・・・よく気をつけなさい。(1テモ4:16) 闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。ですから、私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしてはいません。私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。(1コリ9:25-27) 神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。(ロマ8:14) これらの務めに心を砕き、しっかりやりなさい。そうすれば、あなたの進歩はすべての人に明らかになるでしょう。(1テモ4:15)
2009年05月20日
彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。(イザ53:5) あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。(ヨハ5:40) だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。(ヨハ7:37) いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい。(黙22:17) 確かに、岩を打たれると、水がほとばしり出て流れがあふれた。(詩78:20) 私たちの先祖はみな、雲の下におり、みな海を通って行きました。そしてみな、雲と海とで、モーセにつくバプテスマを受け、みな同じ御霊の食べ物を食べ、みな同じ御霊の飲み物を飲みました。というのは、彼らについて来た御霊の岩から飲んだからです。その岩とはキリストです。(1コリ10:1-4) 兵士のうちのひとりがイエスのわき腹を槍で突き刺した。すると、ただちに血と水が出て来た。(ヨハ19:34)わたしの民は二つの悪を行なった。湧き水の泉であるわたしを捨てて、多くの水ためを、水をためることのできない、こわれた水ためを、自分たちのために掘ったのだ。(エレ2:13)
2009年05月19日
私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。(1ヨハ1:3) もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。(1ヨハ1:7) イエスはこれらのことを話してから、・・・・言われた。「わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにもお願いします。それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。」(ヨハ17:1,20,21) 福音を広めることにあずかって来たこと。(ピリ1:5) からだが一つでも、それに多くの部分があり、からだの部分はたとい多くあっても、その全部が一つのからだであるように、キリストもそれと同様です。なぜなら、私たちはみな、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つのからだとなるように、一つの御霊によってバプテスマを受け、そしてすべての者が一つの御霊を飲む者とされたからです。(1コリ12:12,13) 神は真実であり、その方のお召しによって、あなたがたは神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに入れられました。(1コリ1:9)
2009年05月19日
私たちにではなく、主よ、私たちにではなく、あなたの恵みとまことのために、栄光を、ただあなたの御名にのみ帰してください。(詩115:1) どうか私の咎を、私から全く洗い去ってください。(詩51:2) わたしは、彼らがわたしに犯したすべての咎から彼らをきよめ、彼らがわたしに犯し、わたしにそむいたすべての咎を赦す。(エレ33:8) わたしがきよい水をあなたがたの上に振りかけるそのとき、あなたがたはすべての汚れからきよめられる。(エゼ36:25) 人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。(ヨハ3:5) もし、やぎと雄牛の血、また雌牛の灰を汚れた人々に注ぎかけると、それが聖めの働きをして肉体をきよいものにするとすれば、まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。(ヘブ9:13,14) 主は、御名のために彼らを救われた。それは、ご自分の力を知らせるためだった。(詩106:8)
2009年05月19日
わたしは、・・・・生きている者である。わたしは死んだが、見よ、いつまでも生きている。(黙1:17,18) キリストは、弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力のゆえに生きておられます。私たちもキリストにあって弱い者ですが、あなたがたに対する神の力のゆえに、キリストとともに生きているのです。(2コリ13:4) その王座に似たもののはるか上には、人間の姿に似たものがあった。(エゼ1:26) 人としてのキリスト・イエスです。(1テモ2:5) キリストは、人間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質をもって現われたのです。(ピリ2:7,8) 子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、・・・・死の力を持つ者を滅ぼすためでした。(ヘブ2:14,15) キリストは死者の中からよみがえって、もはや死ぬことはなく、死はもはやキリストを支配しない。・・・・なぜなら、キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、キリストが生きておられるのは、神に対して生きておられるのだからです。(ロマ6:9,10) それでは、もし人の子がもといた所に上るのを見たら、どうなるのか。(ヨハ6:62) 神は、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせられました。(エペ1:20) キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。(コロ2:9)
2009年05月18日
愛は・・・・人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めません。(1コリ13:4,5) 何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。(ピリ2:3) わたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。(マタ11:29) 虚栄に走ることのないようにしましょう。(ガラ5:26) ギデオンは彼らに言った。「あなたがたに一つ、お願いしたい。ひとりひとり、自分の分捕り物の耳輪を私に下さい。」──殺された者たちはイシュマエル人であったので、金の耳輪をつけていたからである。──すると、彼らは「差し上げますとも。」と答えて、一枚の上着を広げ、ひとりひとりその分捕り物の耳輪をその中に投げ込んだ。(士8:24,25) ギデオンはそれで、一つのエポデを作り、彼の町のオフラにそれを置いた。すると、イスラエルはみな、それを慕って、そこで淫行を行なった。(士8:27) あなたは、自分のために大きなことを求めるのか。求めるな。(エレ45:5) 私は、高ぶることのないようにと、肉体に一つのとげを与えられました。(2コリ12:7)
2009年05月18日
どうか、世々の王、すなわち、滅びることなく、目に見えない唯一の神に、誉れと栄えとが世々限りなくありますように。アーメン。(1テモ1:17) 父がご自分のうちにいのちを持っておられるように、子にも、自分のうちにいのちを持つようにしてくださったのです。(ヨハ5:26) 私たちの救い主キリスト・イエスの現われによって明らかにされたのです。キリストは死を滅ぼし、福音によって、いのちと不滅を明らかに示されました。(2テモ1:10) わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。(ヨハ11:25) わたしが生きるので、あなたがたも生きるからです。(ヨハ14:19) 私たちは、キリストにあずかる者となるのです。(ヘブ3:14) 聖霊にあずかる者。(ヘブ6:4) 神のご性質にあずかる者。(2ペテ1:4) 「最初の人アダムは生きた者となった。」・・・・最後のアダムは、生かす御霊となりました。・・・・私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみなが眠ってしまうのではなく、みな変えられるのです。終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。(1コリ15:45,51,52) 聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな。神であられる主、万物の支配者、昔いまし、常にいまし、後に来られる方。・・・・永遠に生きておられる方。(黙4:8,9) 祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、ただひとり死のない方。(1テモ6:15,16)
2009年05月18日
この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。(ヨハ1:4,12,13) わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。(ヨハ11:25,26) いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。(ヨハ6:63) 神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。(ヘブ4:12) みことばは私を生かします。(詩119:50) 最初の人アダムは生きた者となった。」・・・・最後のアダムは、生かす御霊となりました。(1コリ15:45) それは、父がご自分のうちにいのちを持っておられるように、子にも、自分のうちにいのちを持つようにしてくださったからです。(ヨハ5:26)
2009年05月17日
恐れおののいて自分の救いを達成してください。神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。(ピリ2:12,13) 平和の神が、イエス・キリストにより、御前でみこころにかなうことを私たちのうちに行ない、あなたがたがみこころを行なうことができるために、すべての良いことについて、あなたがたを完全な者としてくださいますように。(ヘブ13:20,21) わたしがあなたがたの神、主である。わたしのおきてに従って歩み、わたしの定めを守り行なえ。(エゼ20:19) あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、あなたがた自身も、あらゆる行ないにおいて聖なるものとされなさい。(1ペテ1:15) 主よ。あなたのおきての道を私に教えてください。(詩119:33) 神のうちにとどまっていると言う者は、自分でもキリストが歩まれたように歩まなければなりません。もしあなたがたが、神は正しい方であると知っているなら、義を行なう者がみな神から生まれたこともわかるはずです。(1ヨハ2:6,29) 割礼は取るに足らぬこと、無割礼も取るに足らぬことです。重要なのは神の命令を守ることです。(1コリ7:19) 律法全体を守っても、一つの点でつまずくなら、その人はすべてを犯した者となったのです。(ヤコ2:10) 何事かを自分のしたことと考える資格が私たち自身にあるというのではありません。私たちの資格は神からのものです。(2コリ3:5)
2009年05月17日
何事かを自分のしたことと考える資格が私たち自身にあるというのではありません。私たちの資格は神からのものです。(2コリ3:5) 主よ。あなたのおきての道を私に教えてください。(詩119:33) 恐れおののいて自分の救いを達成してください。神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。(ピリ2:12,13) わたしがあなたがたの神、主である。わたしのおきてに従って歩み、わたしの定めを守り行なえ。(エゼ20:19) あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、あなたがた自身も、あらゆる行ないにおいて聖なるものとされなさい。(1ペテ1:15) 神のうちにとどまっていると言う者は、自分でもキリストが歩まれたように歩まなければなりません。もしあなたがたが、神は正しい方であると知っているなら、義を行なう者がみな神から生まれたこともわかるはずです。(1ヨハ2:6,29) 割礼は取るに足らぬこと、無割礼も取るに足らぬことです。重要なのは神の命令を守ることです。(1コリ7:19) 律法全体を守っても、一つの点でつまずくなら、その人はすべてを犯した者となったのです。(ヤコ2:10) 平和の神が、イエス・キリストにより、御前でみこころにかなうことを私たちのうちに行ない、あなたがたがみこころを行なうことができるために、すべての良いことについて、あなたがたを完全な者としてくださいますように。(ヘブ13:20,21)
2009年05月17日
あなたは、私をさとして導き、後には栄光のうちに受け入れてくださいましょう。(詩73:24) この方こそまさしく神。世々限りなくわれらの神であられる。神は私たちをとこしえに導かれる。(詩48:14)あなたのしようとすることを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない。(箴16:3) 私は助言を下さった主をほめたたえる。(詩16:7) 心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。(箴3:5,6) その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。(イザ9:6) 摂理とすぐれた知性とはわたしのもの。わたしは分別であって、わたしには力がある。(箴8:14) あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。(詩119:105) 主よ。私は知っています。人間の道は、その人によるのでなく、歩くことも、その歩みを確かにすることも、人によるのではないことを。(エレ10:23) あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから「これが道だ。これに歩め。」と言うことばを聞く。(イザ30:21) 神は、私の行く道を知っておられる。(ヨブ23:10) 人の歩みは主によって定められる。人間はどうして自分の道を理解できようか。(箴20:24)
2009年05月16日
私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。(ピリ3:7) キリスト・イエスのしもべ。(ロマ1:1) 今は、罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得たのです。その行き着く所は永遠のいのちです。(ロマ6:22) あなたがたはわたしを先生とも主とも呼んでいます。あなたがたがそう言うのはよい。わたしはそのような者だからです。(ヨハ13:13) わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいる所に、わたしに仕える者もいるべきです。もしわたしに仕えるなら、父はその人に報いてくださいます。(ヨハ12:26) わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。(マタ11:29,30) わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。(ヨハ15:15) あなたがたはもはや奴隷ではなく、子です。(ガラ4:7) キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。(ガラ5:1,13)
2009年05月16日
私の愛する方よ。そよ風が吹き始め、影が消え去るころまでに、あなたは帰って来て、険しい山々の上のかもしかや、若い鹿のようになってください。(雅2:17) 「夜回りよ。今は夜の何時か。夜回りよ。今は夜の何時か。」夜回りは言った。「朝が来、また夜も来る。尋ねたければ尋ねよ。もう一度、来るがよい。」(イザ21:11,12) わたしは、世の光です。(ヨハ8:12)気をつけなさい。目をさまし、注意していなさい。その定めの時がいつだか、あなたがたは知らないからです。それはちょうど、旅に立つ人が、出がけに、しもべたちにはそれぞれ仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目をさましているように言いつけるようなものです。だから、目をさましていなさい。家の主人が・・・・不意に帰って来たとき眠っているのを見られないようにしなさい。わたしがあなたがたに話していることは、すべての人に言っているのです。(マルコ13:33-37) 夜はふけて、昼が近づきました。ですから、私たちは、やみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか。(ロマ13:12) わたしは・・・・輝く明けの明星である。(黙示22:16) ヤコブから一つの星が上る。(民24:17) 彼に明けの明星を与えよう。(黙2:28)
2009年05月15日
恐れるな。わたしは、・・・・生きている者である。(黙1:17,18) 朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。(1コリ15:53-55) [神は]キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせてくださいました。(エペ2:6) あなたがたは、キリストにあって、満ち満ちているのです。キリストは・・・・かしらです。(コロ2:10) 父よ。お願いします。あなたがわたしに下さったものをわたしのいる所にわたしといっしょにおらせてください。(ヨハ17:24) 私たちはキリストのからだの部分だからです。(エペ5:30) 御子はそのからだである教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。(コロ1:18) 子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。(ヘブ2:14,15)
2009年05月15日
見えないものはいつまでも続くからです。(2コリ4:18) [神が]彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ・・・・もない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。(黙21:4) (主は)永久に死を滅ぼされる。神である主はすべての顔から涙をぬぐい、ご自分の民へのそしりを全地の上から除かれる。主が語られたのだ。(イザ25:8) あなたの太陽はもう沈まず、あなたの月はかげることがない。主があなたの永遠の光となり、あなたの嘆き悲しむ日が終わるからである。(イザ60:20) そこに住む者は、だれも「私は病気だ。」とは言わず、そこに住む民の罪は赦される。(イザ33:24) そこにはもう、泣き声も叫び声も聞かれない。(イザ65:19) 嘆きと悲しみとは逃げ去る。(イザ35:10) わたしはよみの力から、彼らを解き放ち、彼らを死から贖おう。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。よみよ。おまえの針はどこにあるのか。(ホセ13:14) 最後の敵である死も滅ぼされます。・・・・「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。(1コリ15:26,54)
2009年05月15日
私は、あなたのさとしを永遠のゆずりとして受け継ぎました。これこそ、私の心の喜びです。(詩119:111) 天では、あなたのほかに、だれを持つことができましょう。地上では、あなたのほかに私はだれをも望みません。この身とこの心とは尽き果てましょう。しかし神はとこしえに私の心の岩、私の分の土地です。(詩73:25、26) 主は、私へのゆずりの地所、また私への杯です。あなたは、私の受ける分を、堅く保っていてくださいます。測り綱は、私の好む所に落ちた。まことに、私への、すばらしいゆずりの地だ。(詩16:5、6) わたしがあなたの割り当ての地であり、あなたの相続地である。(民18:20) 「主こそ、私の受ける分です。」と私のたましいは言う。それゆえ、私は主を待ち望む。(哀3:24) 神よ。あなたは私の神。私はあなたを切に求めます。水のない、砂漠の衰え果てた地で、私のたましいは、あなたに渇き、私の身も、あなたを慕って気を失うばかりです。あなたは私の助けでした。御翼の陰で、私は喜び歌います。(詩63:1,7,8)
2009年05月14日
「白い衣を着ているこの人たちは、いったいだれですか。どこから来たのですか。」・・・・「彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。」(黙7:13,14) 兄弟たちは、小羊の血のゆえに打ち勝った。(黙12:11) 神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。(ロマ8:33,34) いのちとして贖いをするのは血である。(レヒ17:11) わたしは主である。あなたがたのいる家々の血は、あなたがたのためにしるしとなる。わたしはその血を見て、あなたがたの所を通り越そう。(出12:12,13) 今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。(ロマ8:1) イエス・キリストは私たちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放ち、また、私たちを王国とし、ご自分の父である神のために祭司としてくださった方である。キリストに栄光と力とが、とこしえにあるように。アーメン。(黙1:5,6)
2009年05月14日
今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。(ロマ8:1) 兄弟たちは、小羊の血のゆえに打ち勝った。(黙12:11) 神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。(ロマ8:33,34) いのちとして贖いをするのは血である。(レヒ17:11) わたしは主である。あなたがたのいる家々の血は、あなたがたのためにしるしとなる。わたしはその血を見て、あなたがたの所を通り越そう。(出12:12,13) 「白い衣を着ているこの人たちは、いったいだれですか。どこから来たのですか。」・・・・「彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。」(黙7:13,14) イエス・キリストは私たちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放ち、また、私たちを王国とし、ご自分の父である神のために祭司としてくださった方である。キリストに栄光と力とが、とこしえにあるように。アーメン。(黙1:5,6)
2009年05月14日
私たちも、・・・・私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。(ヘブ12:1,2) キリストの苦しみにあずかる。(ピリ3:10) 弟子がその師のようになれたら十分だし、しもべがその主人のようになれたら十分です。(マタ10:25) 彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。(イザ53:3) あなたがたは、世にあっては患難があります。(ヨハ16:33) あなたがたは世のものではなく、かえってわたしが世からあなたがたを選び出したのです。それで世はあなたがたを憎むのです。(ヨハ15:19) 私は同情者を待ち望みましたが、ひとりもいません。(詩69:20) 私の最初の弁明の際には、私を支持する者はだれもなく、みな私を見捨ててしまいました。(2テモ4:16) 狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。(マタ8:20) 私たちは、この地上に永遠の都を持っているのではなく、むしろ後に来ようとしている都を求めているのです。(ヘブ13:14)
2009年05月14日
主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、・・・・私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。(2コリ12:9,10) 私の心はわななきにわななき、私の力は私を見捨てました。(詩38:10) 神よ。私の叫びを聞き、私の祈りを心に留めてください。私の心が衰え果てるとき、私は地の果てから、あなたに呼ばわります。どうか、私の及びがたいほど高い岩の上に、私を導いてください。(詩61:1,2) (ペテロは)風を見て、こわくなり、沈みかけたので叫び出し、「主よ。助けてください。」と言った。そこで、イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」(マタ14:30,31) もしあなたが苦難の日に気落ちしたら、あなたの力は弱い。(箴24:10) (主は)疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。(イザ40:29) 永遠の神があなたの隠れ家。永遠の御手があなたを支える。(申33:27) 神の栄光ある権能に従い、あらゆる力をもって強くされて、忍耐と寛容を尽くして、喜ぶことができますように。(コロ1:11,12)
2009年05月13日
ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。そういう人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。(ヤコ1:6,7) もしも私の心にいだく不義があるなら、主は聞き入れてくださらない。(詩66:18) 私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。もしだれかが罪を犯したなら、私たちには、御父の御前で弁護してくださる方があります。それは、義なるイエス・キリストです。この方こそ、私たちの罪のための、・・・・なだめの供え物なのです。(1ヨハ2:1,2) 男は、怒ったり言い争ったりすることなく、どこででもきよい手を上げて祈るようにしなさい。(1テモ2:8) 真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるのです。神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。(ヨハ4:23,24) あなたが呼ぶと、主は答え、あなたが叫ぶと、「わたしはここにいる。」と仰せられる。(イザ58:9,10) 立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。(マル11:25) 信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。(ヘブ11:6)
2009年05月13日
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