・大竹昭子『写真があってよかった。――森山大道伝』 は、写真家・森山大道の初の本格的な評伝。2026年6月に新潮社から刊行された。大竹昭子は森山と30年以上にわたる親交があり、綿密な調査と本人へのインタビューを重ねながら、その生涯と創作の軌跡を描いている。本書は単なる「巨匠の成功物語」ではない。デザイナーから写真家へ転じ、細江英公との出会い、三島由紀夫『薔薇刑』、横須賀での路上撮影、『にっぽん劇場』、寺山修司、『プロヴォーク』、『写真よさようなら』、スランプ、薬物に頼った時期、『写真時代』、そして海外での再評価へ――。森山大道という写真家が、何度も自分自身を壊しながら、写真だけを手放さなかった過程を追う。
・ 物語の出発点にあるのは、森山大道が「写真家になるまで」だ。デザイナーとして働いていた森山は、写真家・細江英公との出会いを契機に写真の世界へ深く入り込む。三島由紀夫を撮影した『薔薇刑』にも関わり、その後、横須賀で米軍基地周辺の街と人々を撮影することで、森山独自のストリートスナップが形を取り始める。やがて寺山修司ら文学・演劇の世界とも接近し、『にっぽん劇場』を発表。さらに1960年代後半の写真運動『プロヴォーク』に参加し、日本の写真表現に大きな衝撃を与える。しかし、評価が高まるほど順風満帆になるわけではない。『写真よさようなら』に象徴される大胆な実験の後、森山は深いスランプに陥る。写真家として何を撮ればいいのか、自分は何者なのか。その迷いは創作そのものを揺るがしていく。それでも写真をやめない。ワークショップ寫眞學校、『オリジナルプリント』論争、CAMP、『写真時代』、私設ギャラリー「room・801」、写真集『hysteric』など、活動の場所と方法を変えながら再出発を繰り返す。そして後年、パリでの展覧会や海外での評価、2019年のハッセルブラッド国際写真賞へと至る。つまり本書の「あらすじ」は、 一人の写真家が成功する話ではなく、何度も終わりかけながら、そのたびに写真へ戻っていく話 だ。
・ 森山大道にとって「写真」は職業ではない
本書でもっとも重要なのは、森山にとって写真が「作品をつくる仕事」ではなく、 世界と接続するための生き方そのものだった ことだ。森山は路上を歩く。街を見る。シャッターを切る。そしてまた歩く。そこには、写真を撮ることで何かを「所有」しようとする態度がない。むしろ、目の前に現れたものを一瞬だけ受け取り、自分の中を通過させていく。だから森山の写真には、整った構図よりも、ブレ、ボケ、粒子、偶然性が入り込む。いわゆる「アレ、ブレ、ボケ」の表現は、森山の写真を象徴するものになった。森山の写真は、そんな「不確実な世界との付き合い方」を教えている。
・ スランプは「失敗」ではなく、変化の前兆。 本書で印象的なのは、森山のスランプを単なる挫折として扱わない点だ。一度評価された表現を繰り返せば、写真家としては安定する。だが、それは同時に「過去の自分のコピー」になる危険もある。森山は何度も自分の写真を疑う。そして、その危機から別の表現へ移っていく。これはビジネスにも通じる。30代、40代になると、過去の成功体験がむしろ足かせになる。「以前これで成功した」「このやり方なら評価される」という記憶が、新しい挑戦を阻む。森山の生涯が示すのは、 キャリアの停滞とは、能力がなくなったことではなく、過去の成功と現在の自分との間にズレが生まれた状態なのかもしれない ということだ。
・ 「巨匠」という肩書きを壊す。 この評伝の面白さは、森山大道を神格化しないことにある。薬物に頼った時期もあれば、深刻なスランプもある。写真界の評価や「オリジナルプリント」をめぐる議論にも巻き込まれる。決して一直線に偉大になった人物ではない。むしろ本書から浮かび上がる森山像は、 非常に不安定な人間 だ。だからこそ面白い。巨匠とは、迷わない人間ではない。迷いながら、それでも自分の仕事を続けた人間なのだ。
・ 『写真があってよかった。』は、森山大道という巨匠の成功譚ではなく、「何度自分を見失っても、創作を通して自分を取り戻していく人間」の評伝だ。 そして本書が最後に残すのは、成功への羨望ではない。 「自分にも、これがあってよかった」と言える何かを持っているか。 その静かな問いだ。
写真があってよかった。 森山大道伝 [ 大竹 昭子 ]
価格:3,630円(税込、送料無料)
(2026/8/15時点)
Book #1239 キャッシュとディッシュ 2026.09.21
Book #1236 自律神経 これ1冊ですべて整え… 2026.09.18
Book #1234 1勝4敗でもしっかり儲ける新高… 2026.09.16