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戦前、大本営・政府連絡会議というのがあった。日米開戦の約1カ月前の11月1日、会議に三つの案が出された。1.戦争せず臥薪嘗胆す 2.だたちに開戦す 3.戦争決意のもと作戦準備と外交を併行せしむ。綱引きの末、結論は3に落ち着く。当時の激論の記録が残っている。「外交は11月30日までだ」「12月1日にならないか」「絶対にいかん。いかんッ」「30日の何時までだ?夜12時までならいいだろう?」「夜12時までならよろしい」このやりとりの中の「12月1日にならないか」と開戦阻止に向けて粘ったのが、戦後に戦犯の筆頭として批判された東條英機だと知れば、多くの人は驚くだろう。東條はもちろん開戦派の急先鋒だったが、2週間前に首相に就任してからは、天皇の意をくみ、9月6日の御前会議で決議された「対米戦争を辞さぬ決意」(帝国国策遂行要領)の白紙化に奔走していた。開戦派の陸軍の筆頭東條を首相に担ぎ上げたのは、天皇の奇策だった。組閣は難航した。「シナ撤兵を含めて日米交渉を再検討する」と約束し、なんとか東郷を外相に据えた。海相は嶋田と直接面談し、「9月6日決定の白紙還元」を訴えてようやく就任してもらっている。東條は、首相、陸相、内相を兼務し、戦後、軍人独裁者と批判されているが、スタート時点では、独裁のかけらもない。当時の新聞は「軍人宰相なら、大本営と政府の双方にニラミがきく」と歓迎している。だが、開戦阻止に動いた東條首相も、組閣から11月1日の連絡会議までの約2週間で、石油を理由に主戦派に一気に寄り切られた。米国の禁輸のせいで、国内の石油は1時間に四百トン減っていた。官僚からの報告は「11月に開戦すれば、インドネシアから奪う分も含めて30カ月持つが、来年3月に開戦すれば21カ月しか持たない」という。結局、開戦を決意し、翌春、本当にインドネシアのパレンバン油田の略奪に成功した。ところが、石油を日本へ運ぶタンカーが米潜水艦に次々やられた。仕方なく石油を袋詰めにし、潮流に乗せることまでやったがダメだった(「空気と戦争」猪瀬直樹著)。今年ももうすぐ、開戦記念日がやってくる。【DEERS百貨店】 本・雑誌 ◇ パソコン・家電・AV ◇ 生活・インテリア ◇ スポーツ・アウトドア ◇ ファッション・ブランド ◇ ダイエット・健康 ◇ トラベル ◇ 趣味・ペット ◇ フード・ドリンク・ワイン ◇ 出品30日間無料 ◇ 人気blogランキング ◇ 大感謝祭セール蓮4044
November 23, 2007
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原油高騰が止まらない。先日、1バレル=93ドルを超えた。ちなみに1973年の第一次石油ショックのときは1バレル=11.65ドル、79年の第二次は34ドルだった。これがイラク戦争以降、突然ぐんと伸び、2004年には50ドルを超え、昨年は69.89ドルを記録。今では100ドルに迫る勢いだ。米国の産油量が落ち込んでいるからとか、中国の需要が伸びているからとかいろいろ言われるが、実際のところは分からない。みな、誰かが価格を釣り上げているのだろうと疑っている。きのう、NHKニュースを見ていたら、甘利経産相が「これはもうオイルショックだ」と発言していた。日本は資源に乏しい分、日常生活への影響が大きい。資源小国日本にとって、最初のオイルショックは1937年だった。日華事変の4カ月後、石油の第一次消費規制が発布され、大都市でのタクシーの流しの禁止、バスと乗用車のガソリン使用量1割削減、官公庁自動車のガソリンへのエタノール混入、木炭自動車の促進などが次々打ち出された。翌年、第二次規制として、ガソリン・重油購入が切符制になった。これで石油消費量を4割減らすことに成功している。同時に、国内油田探しが強化された。だが、日産7000バレルがやっと。そして41年9月、石油の輸入の81%を占めていた米国の米国の石油禁輸措置を受け、やむなく日米開戦へ突入していく。だが、実は日本には当時、大油田があったのだ(「石油で読み解く完敗の太平洋戦争」岩間敏著)。日産最大112万バレルの大慶油田群がそれである。ここは戦後1955年に発見され、現在、中国の最大の油田になっている。また、69年に発見された遼河油田も日産30万バレルをほこり、現在中国第三の油田である。日本は戦前、旧満州で探鉱を進めたが、結局発見できず、掘削機材や技術者を南方に送ってしまった。惜しいことに、遼河油田は日本が集中的に探した阜新地域の山一つ向こうだったという。戦前、日本の石油消費量は日量8万バレルだったというから、これらの油田を見つけてさえいれば、南進することもなかった。もう一つ、真珠湾攻撃で、南雲機動部隊が、第一派、第二派に続き、第三派目の航空機攻撃隊を発進させ、石油タンクを攻撃していたら、日米戦争のその後は大きく変わっていたそうだ。日本海軍は第二派までに戦艦軍をことごとくやっつけたが、残念ながら真珠湾内東岸の大型石油タンクを攻撃する発想がなかった。このタンクには当時450万バレルの石油が備蓄され、もしここを破壊していれば、タンク再建造に半年、米西海岸からの石油輸送に三年近くかかったろうと言われる。日本は結局、石油に負けた。開戦の年、日本の産油量は5200バレルだったが、米国は384万バレルだった。実に740倍の開きがあった。さらに石油製品の精製能力も雲泥の差があった。戦後、日本海軍の最速偵察機「彩雲」を米軍のガソリンと潤滑油で飛ばしたところ、それまで時速610キロだったのが、695キロまで出たという。【DEERS百貨店】 本・雑誌 ◇ パソコン・家電・AV ◇ 生活・インテリア ◇ スポーツ・アウトドア ◇ ファッション・ブランド ◇ ダイエット・健康 ◇ トラベル ◇ 趣味・ペット ◇ フード・ドリンク・ワイン ◇ 出品30日間無料 ◇ 人気blogランキング ◇ 大感謝祭セール蓮4044
November 3, 2007
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この春に液晶テレビ、東芝REGZAのZ2000(42型)を買ってから、映画見まくりの毎日である。夜中、ソニー製5.1chのコードレスヘッドフォンで静かに楽しむ。このヘッドフォンは巷で言うところのソニータイマーがついていたらしく、保証期限が切れたらさっそく故障した。ただ、ヘッド脇についた音量つまみをある一定の箇所に設定すると、まだなんとか音が響く。それが結構ちょうどいい音量だったりするからまだ捨てられない。ということで、半年で100本近く見ただろうか。すごい、と思った一押し映画は「遙かなる大地へ」。1992年の公開当時こそ評価が低かったが、いまネット上では評価が高い。トムクルーズとニッコールキッドマンの演技が実にいい。映画の一番最後のホース・レースで、トムクルーズ演じるジョセフ・ドネリーが自分の土地に旗を立てるシーンがあるが、この場面を見ながら、つい映画の出発点だった西アイルランドの街を懐かしく思い出してしまった。きっと、場面場面に引き込まれるうち、主人公2人と一緒に海を渡り、大陸を横断してきた気分になったのだろう。韓国映画「僕の彼女を紹介します」は、日本のヒット映画「いま、会いにゆきます」を思わせる。一番最後、警官役のチョン・ジヒョンのもとに、ちょっとモサッとしたタイプの男が現れ、死んだ彼氏が「僕の彼女を紹介します」と天国から言う。それまでなんとなく、感動押し売りのいやらしさが漂っていたが、このシーンのうまさで全部吹っ飛んだ。もし、日本人監督だったら、あそこで、男の顔を出さずに終わらせるだろう。この映画は韓国映画史上最高の興行収入を記録した「猟奇的な彼女」と同じ監督・女優だと宣伝されているが、そちらはまだ見ていない。逆に、感動の押し売りのまま終わったのが、先日見た「涙そうそう」。「涙そうそう」は沖縄の言葉で「涙がぽろぽろこぼれ落ちる」という意味らしく、森山良子が若くして死んだ兄を想ってつくった歌からできた映画である。この映画、どこを楽しめばいいのだろう。嵐のシーンで突然兄が現れるのは唐突だし、死んでしまうのも唐突。鼻をさわるシーンもしつこい。鼻が高いのを自慢しているのだろうか。ぼくのように鼻が低いとああやってつまむこともできない。ということで、映画を見て以来「頭骨矯正で小顔をらくらく手に入れる方法」(小林カオリ著)を買ってきて、鼻筋スッキリ美人の体操を毎日している。【DEERS百貨店】 本・雑誌 ◇ パソコン・家電・AV ◇ 生活・インテリア ◇ スポーツ・アウトドア ◇ ファッション・ブランド ◇ ダイエット・健康 ◇ トラベル ◇ 趣味・ペット ◇ フード・ドリンク・ワイン ◇ 出品30日間無料 ◇ 人気blogランキング ◇ 大感謝祭セール蓮4044
November 2, 2007
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