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sakura to my car 昨夜から不眠不休でここまで来たが、もはや限界、今から眠りに入ります。 タイの方から私の奨学金で学校に行っている子の写真が送られてきた。訳すのは申し訳ないので、断っているので、未だ彼女の名前も分からないのだが、何か何年か前と比べると成長しているのが分かってなかなか嬉しいものです。子供もいなくて、ただお金を送金しているだけで身勝手な私ですが、嬉しいものです。今からメシ食って来ます。http://www.thai-square.com/restaurant/shoukai/shokai_081.htm地震の後、何度か行きましたね。本格的です。
2004.03.31
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考えてみれば911で合州国が、311にスペインが、そう考えれば素人でも6月11日がやばいと感じる、できれば出かけずに家に篭っていることをお奨めする。安易。 本日、姫路市で生を受けて以来、未曾有の出来事に出くわし、天命を知る。財布を落した。陽の当る道をまっしぐらに素直に生きてきたと思われる私は、齢36年の間に2度、財布を拾ったことが、あるが、一度は釣りの最中テトラポットの下で発見し、財布が既に化石化しており、中に入っていた1000円少々の日本円は失敬した熱き小学5年生の思い出は、今や風化しているが、2度目は大学学生会館の便所にて取得、財布には他にもいろんなツール及び氏名まで知れた訳で、即座に中味を抜き取ることもなく学生課に届け、お礼の1割が入って来ることを夜も眠れずに待っていたのだが、何の連絡もなく、一人憤慨していたホロ苦い青春の思い出がある。そして、今回は、私の番であった。働き始めて数年は財布を持たずに直接ポケットにお金を入れていたために、落しても全く気が付かないというメリットがあったのだが、齢30歳から財布を持つようになって、このザマである。何せ、小銭を直接入れていると、いくら渋いポーズを取っていても、ズボンのポケットに穴が開き、裾から靴を通って、小銭が転がるのである。これはいくらダンディな私でもみっともない。そういう訳でワイフでなく財布を持つ様になったのだが、財布ごと、落したのである。 かつて、落し物をして母にこっぴどく怒られた記憶がある。「いつもぼっーっとしてるからよ。どこに落したの」そんなのどこに落したか分かっていれば、何ら問題はないのに、どこに落したか分からないから泣きべそかいていたのである。そんな母の矛盾した話はいい。 私は、皆様にカンパを求め様という気もこれっぽっちしかない。同情を引こうという気なんてさらさらある。不幸中の幸いか、カードはクリーニングカードしか挟まってなかったのである。お金はどの位はいってたかは良く覚えてないが、多分100万円よりは少なかったと思う。恐らく99万円よりも少なかったとウル覚えで覚えている。もしかしたら98万円に全然足りなかったかもしれない。とにかく、私は、今や、フテ寝するしか能がないのである。おやすみ。テロには気をつけて。
2004.03.30
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熱帯魚「隠れクマノミ」が品薄だそうである。明かに「ファインディングニモ」の影響である。しかし、それって映画の趣旨、子供達へのメッセージに反している。水槽から救い出して自然に戻してあげるという物語ではなかったかな。こういうことはよくある。自然破壊キャンペーンを張って現地に行き自然を破壊してしまう、リサイクル運動に積極的になりながらゴミや無駄な労力を増やしてしまう。http://www3.realint.com/cgi-bin/tarticles.cgi?chakopin00+177 中米の小国コスタリカという国は、美人の産出国3C(チリ・コロンビア)のひとつというだけでなく、軍隊を持たない国として有名である。その分教育や医療にお金を掛けることができている。軍隊を憲法で放棄したどこかの国が、朝鮮戦争によって擬似軍隊を作らされたのとは大違いである。日本の軍事費は大国並だが、それだけでなく高学歴の割合が高いのは何故か。http://www.zennisseki.or.jp/html_2002/kiji/kosutarika.htmlhttp://www.tokyo-np.co.jp/jieitai/txt/mani040112.html 最近の超高層のタワーはスザマジな~。つい最近までマレーシア首都クアラルンプールのペトロナスツインタワーかと思っていたら昨年7月に台湾台北に101階建508メートルの台北101が完成していた。http://www.sbpnet.jp/bisista/ferdi/diary/art.asp?newsid=1168
2004.03.29
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六甲アイランドもまあまあメシ食う所があります。食ってきた。http://www.ric.or.jp/shop/rivermall.html神戸ポートアイランドにしても六甲アイランドにしても人工島にここぞ多くの人口を移設したものだと思う。都市はゆっくり形成されていったのであるが、今日行ったショッピング街はまあまあ初期の頃に完成した場所。枠、中と外、という概念は、自分で枠や壁を内側から作るから外側が出来るのか、外側が出来るから内側ができてしまうのか、見た目は同じでも大違いであると思う。私は、携帯メールで一つだけ毎朝7時15分に配信メールを受け取っているが、それは天気予報である。号外で昨日昼過ぎに「神戸、桜咲きました」と入ってきて、その後5分後に知人から「桜咲いとる!」とメールが入った。そんなわけで、(そんな訳では実際ないけど)西宮市夙川の桜状況を査察しに行った。査察と言えば、国際原子力機関(IAEA)がイラクに対し査察を行ってそれを拒否するから合州国の逆鱗に触れて今回のイラクへの殺戮が行われたわけであるが、実際、イラクは別に拒否していたわけではなく、あまりに執拗で人数の多いとIAEAに抗議していただけで、サダムは悪人としても、完全にアメリカの侵略戦争であるわ、と思いつつ、川沿いの桜前線を見るが、まだ狂い咲きはしてなかった。しかし屋台は漫然と出ていたし、人々はちょこちょこ出向いていた。夙川で私は何度か花見をしたことがある。一度、隣が、某神戸大丸の宴会で、えらく盛り上がっており、ある営業マンが桜の木によじ登り、パオオーンとやっていた。おまけに下半身があられもない姿であった。私は、その脱ぎ捨てられた汚物に限りなく近いブリーフを河に葬った。河を汚してごめんなさい。http://www.jutakukobo.co.jp/sakura/その後、甲陽園で渋滞していると思ったら、ツマガリ渋滞で参った。http://www.tsumagari.co.jp/koubou/六甲山経由で帰る前に茶しばいた。時々読書タイムに出かける。http://www.cafetheterrace.com/index2.htmlちょっと高いんだよね。但し、長居するカフェでしょうけど。ソフィーマルソーは美人やなあhttp://www.geocities.co.jp/Hollywood-Theater/7029/
2004.03.28
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ドイツワイマール共和国 参謀総長の言葉軍人は4つのタイプに分かれる。有能か無能か勤勉か怠惰か有能で勤勉な者は参謀に有能で怠惰な者は司令官に無能で怠惰な者は連絡将校に無能で勤勉な者は銃殺しろ確かに例えば企業の2代目が無能であれば、有能な人間に任せて、2代目には幾許かのオカネを渡して遊ばせておくといい。会社は潰れないだろう。この2代目が無能なのに勤勉なら会社を潰してしまうだろう。ここ2週間ぐらい困ったことにイカ中になっている(正式名称自称、スルメ中毒)毎日コンビニやスーパーでついつい100円のさきいかやあたりめを買ってしまう。噛めば噛む程味が染み出るというコンセプトが好きだ。タイの屋台でもスルメ売っているが、何故か万力のようなローラーが置いてあって、イカを伸ばしてくれる。意味は分からない。http://ethnicdaisuki.cool.ne.jp/thai26.htmいや違うな、これこれローラーで引き伸ばすhttp://www.thai-no-nichijo.com/img_page06/main06_b.html旬なのでたけのこを買ってきたが、今の所、わかたけ煮をしようと画策しつつ、検討しているだけで、散歩に出かけてついつい夕食はラーメンになってもたがな。http://www.ramen-taro.co.jp/「バス、ガス爆発」早口でゆうてみい。実は、「北朝鮮の貨客船万景峰号」も早口でいう自信は私にはない。
2004.03.27
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小学校6年生の時の文集に「ボクはお金持ちにはなりたくない。そんあオカネがあれば恵まれない人々に寄付したい」などと刻んでいた。小学生であるからに偽善者という言葉は知らなかった。何を隠そうワタシは偽善者(Hypocrisy)と言う言葉を大学受験のためのシケ単で英語と同時に覚えたのであった。躊躇するとか不寛容なとか瀟洒といった言葉は実は英語と同時に覚えた日本語であった。シケ単を覚えながら歩いていた学校の帰り道に通る分譲地は「トーメン」と看板が立っていた。ラーメンの仲間かいなと思っていたが、それが商社の社名であることを知るのは就職活動してからであった。
2004.03.26
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日々は淡々としたもので、しょおもない、カスみたいなセイカツや人生と実感しながらも、尚、生き続けているのは、時折目標を達成したりだけでなく、意味なく幸福感を味わったりする瞬間があって、そのために生きててよかったなと思うのですね。しかし、そう考えられるのは平和だからなんだな、贅沢なことだな。アイルランド人のようにいつもシラフでイギリス人のように料理が上手でフランス人のようにいつも謙虚でイタリア人のように秩序正しくドイツ人のようにユーモアを解しオランダ人のように気前良くベルギー人のように勤勉でデンマーク人のように思慮深くスエーデン人のように柔軟でフィンランド人のようにおしゃべりでスペイン人のように地味でポルトガル人のように技術に強くオーストリア人のように忍耐強くルクセンブルク人のように有名でギリシア人のように組織化されているそれがEUである。
2004.03.25
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ワインオープナーがない!パリで買ったソムリエナイフを確かどこかに閉まったはず。整理箱を開ける開ける、しかし、ない。スイスのお土産の万能ナイフが出てきたので、コルクにオープナーを突っ込むと、ぷちっと折れた。涙が出た。そしてオープナー探しの悪戦苦闘の旅が始まる。1987年、アジア陸路の旅に備えて神戸市長田区のトポスで買った万能ナイフ発見、しかし既に、オプナー部分が切れてなくなっていた。涙が出た。またもや探すと奄美大島に行く時に、買った万能ナイフを発見。でも、それは二つに分かれる奴で、片方しかなく、そちら側にはオープナーはついていなかった。涙が出た。そして、ボルネオ島に行く時に買った万能ナイフが出てきた。こいつは新品に近い。ということで、折らないように開ける。錆びついていたのは気にかかるが無事開く。大和男(ヤマトオノコ)の行く道は赤き敷島か青き敷島か、とのたまい、やっと飲むことができた朝方。嬉し泣きしようぜ。オープナー探しの旅、それは自分探しの旅とダブるのであった、筈がなかった。多分、数ヶ月後、きっとソムリエナイフは出てくるであろう。。
2004.03.24
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心が遊ぶとエネルギーが高まる。高い動機←明確なビジョン←夢は知識強い本気←数値で表現癖演じる←演じ続ける←身につく理想を喋る←近づく気休め←気を休めるできそうにない、から、やってっみる。迷い←間違いの元←間違いに気がつくと修正できる気の向くままに←気が好きな方向に向く気の向くままの旅行、そりゃ楽しいはず。気の向くままの方向、時間、は理論より正しい。導かれて、旅。あ、何かおかしいと思ってたら夕飯食うの忘れてた!
2004.03.23
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日本人は反省したか。 10数年前、部室(ぶしつ)で同級生と踊っていた。かつてギネスブックに載っていた。世界一大音量を出した音楽として。ザ・フー。フーアーユーフッフフッフといいながら暴れていた所に後輩(渾名プリケツ)が入ってきて、おまえも、フッフフッフー言えや~、と強制した。彼は再三再四の我々の要求に屈服し、眉間に皺を寄せて半泣きで、踊っていた。 翌日、部室(ぶしつ)で同級生と踊っていた。かつて我々が一番何度も聴いていたバンド、ローリングストーンズ。ストーンズの「悪魔を憐れむ歌」フーフッフーフーフッフーといいながら暴れていた所に後輩(渾名プリケツ)が入ってきて、おまえも、フーフッフーフーフッフー言えや~、と強制した。彼は再三再四の我々の要求に屈服し、眉間に皺を寄せて半泣きで、踊っていた。歩いていたらこんにゃくばたけ安く売っていた。こんにゃく喉に詰まらせて死んだって寂しい。花屋の前も通った。花食らえ~。
2004.03.22
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無人島合宿というのに数回行ったことがある。2日後に漁船で迎えに来てもらうということをチャーター料として確約してもらって、飲め切れない程の酒に水、数回分の食料に酒、テントに寝袋に着替えに酒、ついでに酒、それから歯磨きセットやラジカセにガソリンに爆竹に食事セットに医薬品に酒少々、その他趣味のものや酒などをしこたま積み込んで、上陸する。女人禁制または女性を止める場合のみ参加可能という状態で、夜の酒盛りに備えて、昼間はゆっくり酒を飲んだり、島を1週(すぐ)したり、魚釣りをしたり、昼寝、読書、またはハイピッチに酒を飲んだり、または流木を集めたり飲んだりして屈伸運動などをして夜に備える。円陣を組み、焚き火が始まると、いじめも始まる。年下の者に、心無い年上の者があらん限りの大声でフォーレターワードを叫ばすのだ。当然、叫んだ所で聞こえへんと言われるのが関の山で、おおよそ卑猥淫猥親が聞いたら泣くような言葉を概ね2000回ぐらい死ぬほど大声で叫べば解放される。解放された頃には、既に目は据わっている。そこで、誰かがラジカセのボリュームを上げる。オープニングの曲はジョニーBグッドや、ツエッペリンのロックンロールやアナーキーインザUKで、今風に言えば誰かが切れる。踊りが始まる、火を飛び越えるどころかゆっくり火の上を歩いたり、焚き火を振り回したり、あらん限りの奇声を上げる。ナベは遠慮なく楽器になり、ガソリンは景気づけに注がれ、近くに私物などあろうものなら間違いなく炎と化す。春先どころではなく雪の中でさえ、海に飛び込み、前後不覚になる場合も多々ある。さすがに雪の中のダイビングは他の者が冷静になり抑えるが、抑えた本人が暫くして飛び込んでいたりなんかする。記憶は途切れ、皆踊るのではなく、踊りになってしまう。 翌朝は悲惨だ。強烈な二日酔いと体中の生傷、そしてもはやへこんで使えないナベ、着る服はなくなる者もでてくるわ(多分燃えた)靴がない者も出てくる(多分燃えた)。しかし一番困った問題は、2日目の夜の為の酒が既にないということだ。深刻な問題である。 2日目の夜は、大人しくなった、とおもいきや、酔ってもないのに昨日と同じ暴れ!ともかく、無人島合宿は参加費は安くても、後日買いなおし品が多く高くつくのである。拘置所に夕日 塀の向こうに日が沈む。高層マンションから囚人が見える風景。(映画「窓からローマがみえる」改題)
2004.03.21
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子供の頃、タクシーが通った後のLPガスの臭いがたまらなく好きだった。しかし、近所のガキ大将(という言葉があった)で頭の中が多少不自由な(という表現はなかった。当時の表現でいうとノータリン)Sも同じようにタクシーを追いかけて深呼吸して、「ん~、ええにおいや」といって満面至福の笑顔を見て、まねはすまいと幼い肝に銘じた覚えがある。あなたからチャクラーもらいたい。ワタシチェルシーあげたい。ワタシの幼馴染に先程と違うS君というのがいた。ややこしいのでS’君にしよう。家が3件隣の同級生ということもあり、幼稚園までは毎日一緒に遊んでいた。s’はワタシより賢かった。ワタシは「ゲンキモリモリ」と書いたつもりが、「ぎぇんきみょりみょり」と書いていたが、S’はちゃんと「ひとつぶさんびゃくめーとる」と折込広告の白紙の裏に書いていた。やがて、彼は、小学校2年でどこかに編入していき、灘中に入学した。時々会ったが、ニキビが酷かった。やがて彼は東京大学(理系)とお決まりのコースを行ったが、枕草子にはまってしまい、就職はせず研究を始めたのであった。その後のことは知らない。しかし、その後の彼の人生は、それまでの親の決めたレールを外れ、自分に正直で、格好いいものだった。ワタシ?ワタシは一度も親に勉強しろと言われたことがない。中高校も大学も、願書を出すまでどこを受けるか知らなかったのであった。しかし、その後のワタシの人生は。いつも今がスタートとノータリンなことをいっている。
2004.03.20
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事務所を出る時に、傘を持った。「もう雨止んでいるからなあ。電車に忘れないようにしないとなあ」と思いつつも、まあええかと傘を持ち、地下鉄に乗り、シートの端に座った。端に傘を立てかけながらも「体に傘が触れておかないと忘れてしまいそうだなあ」と思いつつも、まあええかと傘を掛け、数分の地下鉄の旅というのに強烈な惰眠の彼方へ意識は飛んだ。はっと気がつけば降りる前の駅で「おお、傘はちゃんとあるな。次の駅で忘れないようにしなければ。そろそろ手で持っておくか」と思いつつも、まあええかと傘はかけっぱなし。振り返れば、愛、ではなく、手に傘を持っていないことに気がついた。奇跡に近い、七年の傘の寿命であった。さらばアニエスベーの傘、地下鉄の忘れ物コーナーの藻屑となり、永遠なれ。JFKはマリリンモンローだけでなくストリッパーや画家メアリーメイヤーなど数々の浮き名を果たしたが、怖いのがマフィアのボスの情婦にも手を出していたことだ。このボスがマリリンとの関係をケネディに脅迫していたのである。ケネディ暗殺後大統領を次いだジョンソンも愛人をたらしこんだが、その愛人がベトナム戦争反対を叫び始め破綻した。だいたい、確か、原爆を指導していったフランクリンルーズベルトも、ホワイトハウス内に愛人を囲っていた。その愛人に外交、軍事、原爆開発など相談していたはずである。その後のアイゼンハワーも愛人を秘書にした。酷いのはハーディングだ。愛人が戦争に(第一次世界大戦)参加しないと別れると迫ったようである。歴史は夜作られる、オトロシイのう。
2004.03.19
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夢日記って起き掛けにつけるの大変なんだよ。昨年の夢日記を披露しちゃうぞ。眠気と速攻で忘れていく記憶とペンのと戦いなのだ。9月11日 チベットに来た。水上コテジで暮らしている。半漁人の軍団が水中からやってきて、槍を投げてくる。丘の向こうに逃げて、振り向くと半漁人はうろこのついたユニフォームを脱いで、「自由になった」と喜んでいる。もう危害は加えないだろうと思い、橋を渡ろうとすると、向こうはイスラエルだという。どうやらこちらはシリアらしい。橋は双方一人づつしか渡れないらしく、橋の中央でシリアのパレスチナ人とイスラエルのユダヤ人が握手して、誰かが入国するには誰かが出国しなければいけないというルールを知った。9月9日 夜中の2時になったというのに会社の人は誰も帰らない。最上階に出来たという社員食堂に行ってみたら、サンドイッチしか置いてなかった。10年以上会ってないMさんが食堂で働いていた。3月22日モロッコに行くことになる。車を取りに行ってくれと誰かに頼まれるがスペインからモロッコ行フェリーにあと2時間しかない。おまけに両替するところがない。山麓道を通り、「先週も通ったやないか」と憤慨し、「写真確認作業みたいな旅は嫌」という。2月10日 実家の外壁の50センチぐらい出た庇の上で寝ている。ウォークマンを引っ掛けてラジカセ代りに聞いている。家族が自動販売機でジュースを買っているのが見えて、こちらを見られるのが恥かしい。ピンクフロイドを聞いていて、自分が宙に浮く。浮遊すると、暫くしたら水槽の中に入っていて、ガラス越しに花火を見ている。1月27日 将来有名な悪ボスになる男の不良少年時代の話を見ている。その話を見終わると、どこかの家族(父母息子)が捕われて山を歩いている。変な男が目を離した隙に家族は逃亡。父は車で逃亡しようとするが変な男は父を捕まえ、口から酸性の液体を吐き出して、右手を溶かしてしまう。それから何故か友達のOとHと私の3人でロサンジェルスに行き、NYのタイムズスクエアのまねをした広場があり、そこで映画を撮影する。そしてホテルに行くと黒人メイドがやたら博識で、話ながらガンジャを取り出すのだが、いつの間にかガンジャがたまねぎに変わっていた。1月15日 裸足で割れた瀬戸物の上を歩いている。破片が足にささり取るのが大変。何故かホームパーティをしている。幼馴染の大塚(阪急ブレーブスのプロ野球選手)がホストをしている。ロビーを歩いていくと、一番端っこの店が梯子を昇っていかなくてはならず、昇るとオーダーされた料理がたまっていて、給食のおばちゃんが鍵をくれて、このレストランのオーナーが自分になったことを示してくれた。 真理は見えてこないね。錯綜するだけだね。
2004.03.18
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眠気の限界につき、先程までガレージで眠っていました。家への帰還が3時間遅れました。眠気は無事順調に回復の方向へ向かっているが、まだ、よく考えれば、まだまだ眠い。 「順調に回復の方向へ向かっている」との表現は、87年のデリーの路上アイスクリーム購入、即、水状下痢事件以来でありまする。 皆さんも悪いことはいいません。インドの路上でアイスクリームはできるだけ買わないほうがいいと思いますよ。(何、買わない?ナヌ、行かない?ホウ) 勿論、この論理は限りなく間違っていますが、(1回あったことが全てであるかのごとく)まあ、気をつけましょう。 ちなみにたまたまですけど、カトマンドゥでアイスクリーム工場を見学して、そこで買いましたが、大丈夫でした。ただし、そのころは、聖なる胃袋でしたけど。 皆さんも悪いことはいいません。ネパールカトマンドゥでアイスクリーム工場見学後そこで買うアイスクリームはまあダイジョウブだと思いますよ。(何、買わない?ナヌ、行かない?ホウ)
2004.03.17
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備えよ常に、常に、眠気との戦い。電車内でひざが砕けた瞬間、大地震が起こったと錯覚する。本を開けど目は閉じる。大学ノートの大学とは東京大学のことだ、許せない~。ラヂヲ体操、見えないのに何で体操方法知ってるんや。ジョーカーやのに何でババヌキなんや。 小学生の時、アイデアの本を読んでいて、「タマネギむくのに泣かないで済む方法」というのがあって、それは目にサランラップ(登録商標名だが)を巻くこっちゃと書いてあった。しかし、それは何となくダサいので三十年たった今もまだ実践していないぞ。 テレビで宣伝していてたのであまり期待していなかった中華料理店(海鮮料理)の生きたエビ一匹を透明の入れ物に入れてそこに酒を注いで振った料理、うまかったなあ~。 金とは世界中集めてもプール2杯分ぐらいしかないんだよな~。アメリカのある場所に大量に国別に保管されていて、ある国からある国に金を売却した場合、金を持ち運びするのではなく、その保管してある建物内の国のブースを移動させるだけなんだよな~、それってアメリカ国内にあるやんけなあ。ナンだか信用できねえな~。 あ、駅着いたがな。
2004.03.16
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新幹線が九州の一部開通した。思いのほかニュースにならなかったような気がする。開発当初と違って、時代は変わり、新幹線の意味合いがなくなってきたのか(実際新幹線が黒字を出せ、便利なのは東京博多間ぐらいじゃないのか?)新幹線と聞いて思い出すことは江戸時代の人間がいきなりこの新幹線をみたら、きっと妖怪おばけにみえるだろうなということ。知らないものは怖い。ましてやすごい勢いで走っている流線型で運転台が目として鉄のまっすぐな蛇にも似てなくはない。スペインセビリア万博時に開通したマドリードセビリア間の新幹線。ガイドブックは古く、駅も違い、新幹線の情報も乗っていなくて高く早く着いた覚えがある。少しの間だけでも不在にしていると事情が変わる場合がある。先日の吉野家に中国人が入ってきて、メニューも見ずに、「ギュウドン」といった。が、しかし今、牛丼はない。彼はくにでを出る前に日本で働いていた友達に、「吉野家っちゅうのがあって、290円ちゅう日本にしては安価でメシが食えるぞ(大阪弁ではない)」というアドバイスを忠実に再現したのであろう。吉野家店員も北京語も上海語ででも昨今の事情を説明することは出来ず、ナイナイナイに一点張り、中国人は発音がおかしいから通じないと思ったのか「牛丼ギュードン、ギュウウドン、ギュドン」等唱える昼下がりであった。クエートの王族は、自家用ロールスロイスの車内の灰皿がいっぱいになれば、買い替えていたという本当の話がある。しかし、日本とてそう変わらないものかも知れない。モデルチェンジや新発売してくれるのは車でも家電製品、機械類でもいいのだが、旧式の部品もなくなるという企業の論理。直せないのだ。やだなやだやだ。
2004.03.15
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何を隠そう、少し仕事を抜けて地下鉄に乗り、買い物に行った。駅の売店で腰に手をやって栄養ドリンクを飲んでいるサラリーマンを見た。少し寂しい気がした。地下道に浮浪者が大き目の鳥かごを置いていた。その中には丹精で背筋を伸ばした成人猫が3匹入っていた。ワタシの用事は絵葉書を買うことだった。http://www9.plala.or.jp/pandanotasogare/dvd.html愛してますをいっぱいhttp://haradakun.cool.ne.jp/forward/54.htm1枚に対して今まで一番高い絵の拝観料は、1000円。サンタマリアディグラッチェ教会。最後の晩餐、高かった。
2004.03.14
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ここ数年人気上昇の中世の画家フェルメールは、オランダのデルフト焼きで有名なデルフトで生まれ、デルフトで死んだ。デルフトは、キレイな均一のレンガ色の屋根が続く普通電車しか停まらないようなアムステルダムとロッテルダムにはさまれた小さな街であった。無理にいうと大阪駅と神戸三ノ宮駅にはさまれた芦屋みたいなところか。ところでフェルメールはその作品が30数点しかないとう、また2点を除いてすべて室内画ということで有名であるが(贋作が多いのでも有名だが)その室内というのもほとんど同じ部屋なのだ。その閉じられた空間をもってして世界に通じる芸術を生み出すに十分な才能と資質を発揮したというのはスゲエなあと感心していた本日であった。以前住んでいたところでもあったのだが、今の勤務先近くの高速道路乗り場でも、若い兄ちゃんがプラカードを持って信号待ちしている車の横を歩いている「高速チケット650円」と書いてあるのだ。格安チケット屋か回数券を買って1枚売れば定価700円に対して50円以上の利益を得る訳だ。以前韓国に行ったとき、地下鉄でおばちゃんが11枚綴りの地下鉄切符を買って、自動販売機に寄る人々にばら売りしていた。定価で。おばあちゃんの利益は11枚売って1枚分だ。実は日本にも万博まではそういうおばあちゃんは結構いたそうだ。自動販売機の設置の投資額とおばあちゃんの日当、そういうのを考えたら安くつくからという理由だけで物事は進んでいないということが分かる、でも何か寂しい。会社の論理と社会の道理。おばあちゃんは人間です血が通ってます、自動販売機は会社の答えです。経済効率はからくりです。誰のためではありません。広義の快楽指数とは関係ありません。快楽って不条理とその周辺にあるはず。寝る。昼のマーケットは休みなりZZZ・・・
2004.03.13
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野生の夜に 先程、車を爆走させていると、ラヂヲよりナイトインチェニジア。アートブレイキーもサッチモも見ていないが、そういえばNYのブルーノートでチックコリアを見に行ったことを思い出した。大阪ブルーノートとは違い、狭い狭い場所、それゆえに近く近くで見ることができる。私の席も、チックコリアの真後ろ。顔は見えないが、鍵盤をたたく指を1メートル以内のところから見ている。狭くて、ウエイトレスも通れないので、お代わりしにくく厄介だ。トイレなんか行こうものなら何人に迷惑かけることやら。チップも含めカード払いにしていくらだったかな、日本の半額以下だったような気がする。神が与えた指を更に酷使して、もうたたけません、血が滲んでという世界から始まるのだなと思った。野生の夜に
2004.03.12
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セヌッティのこと 何を隠そう、ワタシは高校生時代は陸上競技の中長距離をしていた。前提として兵庫県は駅伝大国といわれており、報徳学園西脇工業が全国で優勝したりしているほどのハイレベルな県であった。ワタシが高校に入学する前の年まで、学校では駅伝の人数(7人)が足りずに短距離やサッカー部等他の部から応援よよこしてもらっていた寄せ集めよわっちいいチームであった。 ワタシが入学した年に、県大会には絶対出てやると決めた3年生の先輩Mさんがいた。彼は新入生の体育の1500メートル走のタイムをリストアップし、一人ずつ説得に回った。そうして入部してきたのがワタシを含めて4人。長距離の先輩3人に合わせてかろうじて7人丁度のメンバーが揃ったのであった。県大会に出るには市の大会に30校中7位か8位ぐらいにまではいらなければならなかった。そうして先輩Mの怒号怒涛の末、我々は前年25位程度からついに4位に入ったのであった。 翌年、ワタシは長距離のキャプテンとなり、昨年同様に厳しい練習を行い、市大会では昨年と同様に4位に入った。そして丹波篠山で行われた県大会。昨年は40校中32位であった。 ここで登場するのがセヌッティである。彼は前日から胃腸の調子を落とし、青ざめた顔をしていた。我々の戦略は、花の1区といわれる10キロコースだけには立派に県大会でも通用する先輩を採用、2区から7区までいかにその順位をキープできるかであった。1区の先輩のみが県でも通用する力を持っており、実際あとの6人はトラック競技で市の予選で落ち、市の決勝でさえでることができない実力であった。 我々はその3年の先輩を1区に、ワタシの同期(2年)は4人、しかしセヌッティの調子がすごく悪いので彼を4区8キロから、外しアンカーの7区5キロにした。5区3キロでも良かったのであるが、ここはここで短距離並の走りが必要であったので採用せず。 さて実際の試合は、1区を12位で通過、その後どんどん抜かされていった。ワタシも3区8キロを順調に2人抜かされたのであった。走り終えて、ゴールの篠山城内にある高校のグランドへ向かった。報徳、西脇と入ってきた。5位ぐらいまでは県が違えば全国大会に行けるタイムで帰ってくる。 セヌッティがグランドに帰ってきた。ワタシは愕然とした。このまま抜かれていったら1区の12位からおおよそ20~25位で入ってくると思ったのに、何と12位で帰ってきたのであった。なんと、セヌッティは5人ごぼうヌキして、昨年のタイムなら区間賞を取るスゲエタイムで帰ってきたのであった。体調崩した後異常に調子がよくなったらしいのだ。区間5位であった。 セヌッティのゴールに我々先発隊6人のメンバーは走って迎えに行った。セヌッティに感動の鼻水が垂れていた。その時、完全系の虹が出たのであった。我々にとっては勝利の虹であった。
2004.03.11
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今日は藤原新也写真展を見てきた。光の当て方がなかなか写真にキレイにマッチしていた。「旅は無言のバイブルであった。自然は道徳であった」ワタシはこれで旅に出たといって過言ではない(あと小田実の「なんでもみてやろう」)駅の改札を出るときに思った。もう「切符を切る」という言葉は、今の子供達は分からないんだろうなと。そうだな、ダイヤル回す、ねじを巻く、、もう分からないか。いったいどうしたいねんと言われるのは辛い
2004.03.10
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初めての海外旅行は高校を卒業した年の夏休み。フィリピン。 実は、ワタシはハンバーガーというものをそれまで死ぬほど食ったという経験がなかった。ワタシの高校生時代というと、やたら腹を減らした小汚いが野望に満ちた羊であった。そして、いつも腹を減らしていた。部活動が終わり、駅前のショッピングセンター(ダイエー等)を通る時、背中とお腹がひっつきそうになるのを我慢して帰ったものだが、たまには、ハンバーガーショップ(ドムドム等)に寄り、少ない小遣いの中から、今日は1個食べるべきか何とか家まで我慢すべきか検討に検討を重ね吟味し、清水の舞台から飛び降りる断腸の思いでハンバーガー一つを購入してみたり、閉店30分前に半額になる模擬店の焼きそばを閉店3-分前まで模擬店前でひたすら待ち続けるのボレロになっていたのであった。 そういう切なくも逃れられない高校時代の制約の中から、急に自由という「おもちゃ」を与えられたことと、物価の安さと言う未体験ゾーンに突入したことにより、ハンバーガーへ不満と欲求を満たす、止揚状態へと進んでいったのであった。フィリピンにはマクドナルドの様な外資系は勿論入っているが、ジョリビーという国産ファーストフードもあり、そこに入国1日目にしてハンバーガーを6つ頼んでみた。ワタシの復讐の胃袋では可能かと思ったのだ。店員は心配そうな顔をして、本当なのかと再三尋ねられた。そしてワタシは高校の時の存分にハンバーガーを食ってやるという夢を果たした。かくてハンバーガーはたった3つしか食えなかったことも同時に判明したのであった。こうしてワタシは、人生、はまっていくのであった。
2004.03.09
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とにかく放浪癖があった、が、今は帰巣本能を身につけてしまったのかも知れない。確か20代後半、結婚のようなものをしていたが、あまり気にせず家に帰らなかったような気がする。良い子だから多分一報は入れたとは思う。実家にいるときは、一報は入れなかったりややもすれば黙って海外に行ってたりなんかして。クレジットカードを持っていなかった学生の頃は、コレクトコールで実家に電話をかけ、履修届けに間に合わないからと勝手に適当に授業選択しといてなんていって、大学に母親を行かせたりするボンクラであった。また日本に学生の最後帰ってきたときに成田から実家に電話をして、成績表学校に取りに行ってくれと哀願し、翌日どうかな卒業してる?とまた電話をしたこともある孝行者だ。会社員になってもすねかじりの私はまだ実家に留まってはいたが、ショッチュウ朝まで飲みそのまま仕事に行くものだからついに家の玄関にワタシの札が作られた。不在、在室と札をひっくり返して家を出入りするのだ。母はなかなかアイデアウーマンだ。今久し振りに国語辞典を読書している。血行、決行、結構、結合、月光、激昂、結婚、血痕、決済、決裁、傑作、決算・・・そうやて続いているが、じつに連続性がある・・・作為的だ。
2004.03.08
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1980年代、ワタシは初めてインドに行った。その時、1960年代のインドに行きたかったなあと思っていた。東洋思想、ヒッピームーブメント、サイケデリック・・・今200年代に初めてインドへ行く人は、あと20年早く行ってみたかって思うのだろうか・・・
2004.03.07
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何を隠そう、2日前に散髪をした。ここに引っ越してきて2年半、ずっとパーマ屋(カット5600円)に行っていた。自然体にカットしてくれていて、どこがなかなかいいのかというと、カット後2週間から1ヶ月後と良い具合に髪の毛が伸びてしっくりくる点で、何故そうなるのか技術の理論から説明を何度も受けていた。 しかしワタシは本当は最良の散髪屋は「速い」「話しかけてこない」ということであった。ワタシは髪の毛を切りに行くとどうしても眠ってしまう。よく頭をぐいっとやられて起きるのだ。そんなわけで、この2年半以外は、行きつけのパーマ屋、理髪店というのはなく、気が向いたり時間がぽっと空けば、偶然見かけた店に入ってしてもらっていた。 先日は、どうしても何故か顔にあつあつのタオルをのせてもらって髭鬚髯を剃ってもらいたくなったのだ。そして2年半ぶり、いや顔剃りを考えると4年ぶりぐらいに理髪店に行ったのであった。(赤青の血液マークが回っている店ね)どういう髪型にしましょうか、と言われると、ワタシはいつも困るのであった。「短くして」ワタシはそういう。 隣に高校生が座った。「おおきなったなあ」「今日テスト終わったんか」「修学旅行は韓国か、え、38度線いくんか」という言葉が聞こえてきた。散髪を終えて、鏡を見たら、何と、「散髪」になっていた。出来上がりの自然に見える有無が2000円の差なのかと思いながら、それにしても髭剃りしてもらうのは気持ちいいなと思いながら店を出る。頭が「散髪」になっているものだから、今回ばかりは総計14人に「散髪したんか」「どないしたんや」「失敗か」「はめこんだんか」「カツラか」といろいろお褒めの言葉を頂いた。めでたし そろそろ夏になって、そろそろ休むのだ。(郡上八幡)
2004.03.06
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アフガン難民の子供達、ドブ河で遊ぶパキスタンのアフガニスタンに隣接する街ペシャワール。インドで世界地図を広げ、ベッドに寝転んで眺めていたところに、非常に響きのいい街の名前を発見した。ペシャワール。ジャカルタカキ氷屋さん食わせろ。一世帯辺り貯蓄が1番多い県は奈良県だという。あー、ぶっこわしてー道草食いすぎた
2004.03.05
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今日の昼飯 http://r.gnavi.co.jp/k002900/ 今、ジョンレノンのコールドターキーを久々に聞いた。俗語で、ヤクチュウになって、禁断症状がでて肌にサブイボができる様のことだ。その姿が毛をむしりとられた七面鳥にそっくりなんだ。その後で、ローリングストーンズのブラウンシュガーを聞いたんだ。ブラウンシュガーとは、一言でいえば、クズヘロインのことだ。精製されて真っ白でクオリティの高いNo5といわれるのがヘロインだが、こいつは、褐色で荒削りな野郎だ。かつて、ワタシは、ボンベイ(現、ムンバイ)に滞在していたが、タージマハルホテルの前にある海沿いの道に、足のない乞食がいた。胴体から上しかない彼はスケボーに座っていて、手で押してそれで移動するのだ。おまけに彼は、何故かブラウンシュガーをも扱っていた売人でもあった。彼と意味のない会話をしていると、ある西洋人男性が通りがかった。乞食は「あ、おまえまだ、金払ってない、金を払え~」と彼にきづくやいなや食い下がった。暫く西洋人男性は無視していたが、ひつこく悪態をつくながら追いかける乞食に、我慢ならなかったのか、いきなり張り手をくらわせた。乞食はスケボーからふっとんだ。肉の塊が転がった。乞食はすぐさま、手だけで体を引きずってスケボーの所に行き、乗り、そしてまた懲りずにその西洋人男性を追いかけた。その地面を張っていくゴロゴロという車輪の音が、今でも時々、ワタシを悩ませる。
2004.03.04
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ビーチの正しい遊び方(1ヶ月いると脳が腐って溶けます。宿確保ゲームやはり重要なのはどこに泊まるかである。ワタシは1泊300円から80000円まで泊まった。宿飾りつけゲームビールの空き瓶や貝殻などで日々コテジの装飾は増殖していく。室内火遊びゲーム室内をアートするのは大事だ。特に意味はないが何故だかピン球を買ってきたり、コップに水を入れたり、ムヒを置いてみたりなんかして楽しむつもり。カメラを持って海に入るゲームカメラを濡らさないように気をつけるのがスリリングでこの怠けたセイカツに緊張感を与えてくれる。カメラを持って海に入るゲームカメラを濡らさないように気をつけるのがスリリングでこの怠けたセイカツに緊張感を与えてくれる。カニ取りゲームえさもやりもなくカニを捕獲。カニの名誉の為にレストランでカラアゲにしてもらう。ビール蝋燭をあちこちに灯し、それを眺めながら、波の音、風の音を聞きながらビールを飲む。煙物語はここから始まる。昼間も煙気分はスカイハイ。音楽このときはラジカセをも購入、荷物の3分の1がカセットテープに。果物やはり南国は果物だ。手を伸ばせば果物が取れてしまうため発展の必要がないと感じてしまう。ドリアン、果物の王様、その季節野生の動物も大人しくなるという。花火夜は常夏は花火が似合います。手伝い現地の人の仕事を奪います。ボランティアで手伝います。地獄の黙示録ゲームヘッドホンでドアーズのジエンドを大音量で聞きながら、意味なく奥の椰子の密林を歩く。木登り椰子の実のジュースを取りに登る。買うと高いので。宿作り日々見学するだけ~。夜も散歩驚くべきことに月と椰子は似合うのだ。冷やかしコテジのテラスに一日寝転んでいると何人もの物売りがよってくる。うっとうしいけど、時々食べ物買ったり、子供だったら駄賃を与えてお使いに行かせたりしていた。チェック荷物チェック、しても、あまり、意味はないんだけど・・・・。昆虫を奴隷にトンボを飼いならしたりして。夕日に涙する感激屋さんになってみる。レンタルバイク快楽のおもちゃです。そして、何よりも、メシ注文からメシが出てくるまでだいたい90分かかります。
2004.03.03
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東南アジアを一言で無理クリ表現するとすれば「トロトロと」という形容詞か。大阪を無理クリ一言で表現するとすれば「どや」か。発音は「どや」と「でや」の中間をだみ声で発音する。「何がや」という返答は野暮な程に、深遠で、あらゆる雑多な意味合いを包含した崇高かつ困難な言葉であると思う。日本と言う国は、近年変わってきたとはいえ、第一次産業的な穀物や原油を輸入して、自動車や機会関連の集約型の加工品を輸出する。ということは、日本は少しずつ厳密には重たくなってきているということか。ワタシ個人でも、海外に持っていくより持って帰る方が多いか。友人の家に本を30キロ分持っていくとか、インドでモノを売ったりバクシーシ(喜捨)するために余りモノいっぱいもっていくといってもしれている。しかしワタシのお土産は、大抵スーパーで買った食材である。しかしこれ日本を重くしているか。出してやがて気化して軽くなるか。近年といえばエアレイジ(飛行機の中での激怒)が良く取り出される。酒に酔いすぎ、乗務員にからんだり、自分の思い通りにいかないとわめいたりして最近では飛行機が着陸後逮捕までされたりしている。やはりあまりに長い間、他人が近づきすぎて自分のテリトリーに入られるのが苦痛で仕方なくなってしまうのか。それとも、車と同じで凶暴になってしまうのか(車の運転は何故人を凶暴にするのか万能感だからか)ワタシも一番苦痛だった飛行機はパキスタン航空バンコクよりフリーシートしかしラワルピンディかカラチから飛んできた飛行機はほとんど満席に近く、空いてるか空いてるかと聞きながら席を探し回ったのであったいのりが大事INカジュラーホ
2004.03.02
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煩悩という墨で黒く塗られた。大声で自分の妻の下の名前を呼ぶ恥ずかしい男。まねできない事だ。今日で、意味なく5日連続で夜中にあたりめを食っている。まねできますか。ぼろぼろと言葉が崩れ、本当に言いたかったことも、歪曲され、去勢され、去れ。よわっちい自分を見よ。分かったよ、分かった。邪魔だ。と言って机の上の物を押すだけ。邪悪な単語が鼓膜を心地よくほぐす。かつて、バンコクの日本人協会というのが、ソドムの市の近くにあり、安価な日本食を食し、その後の午後を日本の雑誌や漫画を見て過ごすとう旅行してんだか漫画読みにバンコクまで来たのか良く分からない状態であった。 ワタシは、昼食のあと夕方までそこで過ごし(また客がいない)ゴルゴ13を数冊読んだ。おまけにギネスブックまで読破した。(世界で一番売れたアルバムはMジャクソン「スリラー」であったが)UKではピンクフロイドの「ダークサイドオブザムーン」と書いてあった。そうだったのかとワタシは思い、4本500円の違法カセットテープ屋に向かい購入、そしてはまった。犬を散歩させている人がうらやましい。急に立ち止まったり、意味なく振り向いたりすることができる。http://www.casado.net/files/bluehole/art/blueholelg.jpghttp://www.belizenews.com/files/pages/town/artpark/blueholemed.jpg
2004.03.01
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