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2010.10.31
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2010.10.30
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仕方ないので、ここで、マイガイドブックをチョット作ってみることにしました。なぜなら、対象者が、勤め人中年男性激務に耐えながら隙を見て地球の裏側にちょっと、2,3日行ってみるぞ!と意気揚々な人向きガイドブックがないからです。やけくそです。以前はリスボン、シンガポール、ビルマ版を作ってます。調子悪いけど。2009年夏USA・アルゼンチン・ウルグアイ旅行 スミソニアン、ワシントンDC1 スミソニアン、ワシントンDC2 スミソニアン、ワシントンDC3 スミソニアン、ワシントンDC4 マダムタッソー、ワシントンDC1 マダムタッソー、ワシントンDC2 マダムタッソー、ワシントンDC3 ワシントンDC逍遥 ワシントンDC,罪と罰博物館1 ワシントンDC,罪と罰博物館2 南米への道 南米のパリ、アルゼンチン アルゼンチン子 アルゼンチン女性 ブエイノスアイレス珍光景 ブエイノスアイレス、カフェトルトーニ アルゼンチンの神 アルゼンチン、ボカ地区カミニート ティエラサンタ1 ティエラサンタ2 ティエラサンタ3 ティエラサンタ ティエラサンタ4 歴史蝋人形博物館、アルゼンチン ラプラタ河のほとりにて ウルグアイ、コロニアデルサクラメント世界遺産 ウルグアイ、コロニアその歴史 ウルグアイその歴史 ウルグアイ、アルゼンチンgourmetの旅 有名人 アルゼンチン
2010.10.29
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ティエラサンタ編ももう6回目である。アルゼンチンまでいって、いきなり自由見学という訳にはいかないのである。最初の屋内コーナーだけは、延々とスペイン語で説明が続き、行列の末端に着いていくしかないのである。しかし、その後一行様の中でも1人だけ写真をバンバン撮っている女の子がいて、家族にちゃんと説明聞きなさい写真ばっかりとってないで、ばか!といわれていたので、私も馬鹿の一味であることが判明したのであった。というか、あの子はスペイン語分からないみたいだから仕方ないわよね、というような空気の存在になっていたに違いない。 でぐちてまえde 集合させられ、座席に座らさせられる。いよいよ光のファンタジーショーが始まるよ!光ショーが始まり、ただ光を浴びせる箇所が変わるだけという噂もあった。でも、大きな声では言えませんが、まだ膨大にティエラサンタの写真が残っているのですが、あきましta .2009年夏USA・アルゼンチン・ウルグアイ旅行 スミソニアン、ワシントンDC1 スミソニアン、ワシントンDC2 スミソニアン、ワシントンDC3 スミソニアン、ワシントンDC4 マダムタッソー、ワシントンDC1 マダムタッソー、ワシントンDC2 マダムタッソー、ワシントンDC3 ワシントンDC逍遥 ワシントンDC,罪と罰博物館1 ワシントンDC,罪と罰博物館2 南米への道 南米のパリ、アルゼンチン アルゼンチン子 アルゼンチン女性 ブエイノスアイレス珍光景 ブエイノスアイレス、カフェトルトーニ アルゼンチンの神 アルゼンチン、ボカ地区カミニート ティエラサンタ1 ティエラサンタ2 ティエラサンタ3 ティエラサンタ ティエラサンタ4 歴史蝋人形博物館、アルゼンチン ラプラタ河のほとりにて ウルグアイ、コロニアデルサクラメント世界遺産 ウルグアイ、コロニアその歴史 ウルグアイその歴史 ウルグアイ、アルゼンチンgourmetの旅 有名人 きりすと、生まれた時、Vサイン!(牛は意味が分かっていないみたいです)
2010.10.28
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都会的なシャープなセンスに、情緒豊かな人間性を育んでくれたのは、ひとつに、100万人都市に住みながら、海や山に10分20分でいけるという環境に住んでいたからかもしれない。そのあたりは親に感謝すべきだが、有り余る才能の行き場を生かしきれず、ヤクで暴走して、今やただの気のいい廃人さんになったのだが、ちょっと、自分を褒めすぎたかも知れないと思いなおした次第である。 小学生低学年の頃は、すぐ裏に広大な雑木林があり、つくし狩りやセリ、ぜんまい、わらび、やまいちごなどを季節ごとに採りにいき、オオクワ以外のクワガタ(コクワとミヤマ、ヒラタがメインだが、たまにノコギリが採れた)やカブトムシ(あまり人気がない)やセミ、ため池ではザリガニ釣りをしたのであった。そして、深山の森の奥には、動物の墓があり、添えられた手紙を読むと、その猫や犬への愛情がそそがれ、せいなるものを暴いたような後味の悪い気がしたものであった。 しかし、小学校高学年ともなると、大規模開発が始まり、工事車両が入り、警備員がジープでうろうろしていた、。我々はおもしろがって、基地ごっこをし、先に出来た溝の中を四つんばいで進み、回りに誰もいないことを確認して遊び、ジープやダンプに追いかけられると、また溝に隠れた。 日曜は休みなので、置いてあった重機に乗ったりしてみたが、一度鍵がついたままだったので、キーをひねると、エンジンがかかり、とめ方が分からず、逃げたり、ジープのラジオのスイッチを入れるとかかったので大音量にしたら、戻らなくなり、バッテリー明日なったらあがるんちゃうかと思いながら逃げた。 逃げることも、冒険の目的ではあったが、他に、掘り起こされた土から多くの、化石が出て来たのを回収するという新しい趣味をも開花させ、家中、役に立たない化石だらけになったのであった。 やがて、中学生になり、完全に住宅地となり、新しい友達もその新興住宅地に引っ越してきた子たちだった。当時とおなじなのは、調整池ぐらいであろうか。いや、森で一番大きな樫の木も剪定されまくって、移動して、公園の片隅にまだある。そのことを知っている人、何人いるんだろうか。これイレイザーヘッド(Dリンチ)にでてくる気色悪いあかちゃんのようだ。
2010.10.27
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飛行機予約初号機 シート4席かいなむちゃくちゃでかいマクドナルド。それでも長蛇の列。飲み物は紙コップをくれるシステムなので、飲み放題だが、そんなにでかい紙コップで何杯も飲めないよ、アメリカ人みたいに。悪の機軸の本拠地。アメリカって歴史が薄いから、古そうな建物建てたくなるのか。 そうだ、何百枚あるLPレコードをネットで売ろう、だってもうレコードプレイヤーないから、と思い立ち、実家に連絡したら、そんなもん、ステレオと一緒に全部捨てたわ、と一蹴。ワシントンDCってだだっぴろい。北京みたいやわ世界の本物のオベリスクは30本であり、コレは「当然」ニセモノです。香港みたいやわ時間がありませんでした。ところで、今週羽田空港国際化本格化が始動したが、残された成田、LCC専門空港になってしまうのか。世界競争に勝つには仕方ないよね。しかし、4000円で海外行けますよ、とかになれば、私に続くような人が続出するに違いない。またもや、大きな声では言えないが、私が先駆者になってしまった。老兵は去るべしか。 全然関係ないのだが、アメリカが悪の基軸の一国にしているイラン、この国はアラブではなく、ペルシア人が中心で、ペルシア根性というか、ペルシア伝統を承継していることを誇りにしているプライドが高い国であるが、中東に何度かいったが、心の中でアメリカやアメリカ文化が好きな国は、じつはイランが一番だと思う。かなり本音と建前がある国民性で、何度か若者が、アメリカはケシカラン!とぶちまげながらジーンズにコカコーラ、アメリカロックを聴いていた。過激になるのは、近親憎悪なのかもね。2009年夏USA・アルゼンチン・ウルグアイ旅行 スミソニアン、ワシントンDC1 スミソニアン、ワシントンDC2 スミソニアン、ワシントンDC3 スミソニアン、ワシントンDC4 マダムタッソー、ワシントンDC1 マダムタッソー、ワシントンDC2 マダムタッソー、ワシントンDC3 ワシントンDC逍遥 ワシントンDC,罪と罰博物館1 ワシントンDC,罪と罰博物館2 南米への道 南米のパリ、アルゼンチン アルゼンチン子 アルゼンチン女性 ブエイノスアイレス珍光景 ブエイノスアイレス、カフェトルトーニ アルゼンチンの神 アルゼンチン、ボカ地区カミニート ティエラサンタ1 ティエラサンタ2 ティエラサンタ3 ティエラサンタ ティエラサンタ4 歴史蝋人形博物館、アルゼンチン ラプラタ河のほとりにて ウルグアイ、コロニアデルサクラメント世界遺産 ウルグアイ、コロニアその歴史 ウルグアイその歴史 ウルグアイ、アルゼンチンgourmetの旅 有名人
2010.10.26
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2010.10.25
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特に、私の場合、大きな意味はなかったのだが、今年は立て続けにではあるが石巻まで石の森章太郎記念館と、それに続き(何ヶ月かあいているが)、青梅の赤塚富士夫記念館に続き、遂に、いつでも行けるのでじぇんじぇん行ってなかった、巨匠というか、彼らの先輩記念館に総括として行ったのであった。市立なんだねえ・・・。 最近、昔と違って、昔は国内外関係なく、また来るから、あるいは行きたくなったら行けるからって感覚があったけど、もう来ないよな、もう行かないよな、そんな場所が多くなってきている。私の中の交通の拠点、東京とか、バンコクとか、フランクフルトとか、サンフランシスコとかはこれからも何回も行くことにはなろうが、多分、ウクライナとかオマーンとかウルグアイとかもう行かない気がするんだよねえ。同様にこれら記念館にももう行くことはないだろうなあ、と一生に一回分を存分に楽しむぞ!というかというと、結構投げやりな訪問だったりなんかして。 ブッダ、火の鳥、奇子、アドルフに告ぐ、三つ目が通る、ブラックジャック・・・まあそういったものを読んだ訳で、確かに深い!あれ、終わり? 奇子をもう一回読んでみようかと、今しがた、部屋を捜索したが、奥に入ることが出来ず、発見ならず。
2010.10.24
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こんなにベタベタ貼っていると、倒産した都市を思い出してしまう。まだカセットテープ売ってます。ここに車あります。日本語で、鳥と道ですか。ヒッチコックとフェリーニですか。残念ながら、それぞれの覚えているシーンは、鳥がいっぱい静かにいる恐ろしげ風景と、ジュリエッタの上目遣いの顔だけだ。青梅のイメージと言うと、マラソンと鉄道公園ぐらいだったのだが、あまり無理して暴走しないほうがいいよ。電話してねテレビで白鯨を見たことがある。中学校3年のときで、まだビデオは普及していない時代。休みの日、受験が近く、合計6時間を捻出して3本目の白鯨を見る。残念ながら覚えているシーンは、主人公Gペッグが、死んで風車のようなものに絡まってくるくる回るラストだけだ。交番にチャップリンもどきとか、うばぐるまおばちゃんとかいてもいいのか。べし、なつかし。土地ころがし解禁。ゆうじろう??カメネコなのだ!これでいいのだ。そういえば、バカボンの漫画の中で、パパが無理矢理、ネコのこうもんに柳の枝入れて、「ネコヤナギなのだ」と言っている横でそのネコ死んでいたなあ。みつばちがすってなんだ。ミツバチのっさやき、という映画よかったなあ。ザ、ドン、怖い普通のカラオケ屋も、怖いさて、東京都もはしっこのほうのこの市の将来を心配して帰るとする。東京駅まで90分。ダメだ、疲れているのか、寝ている間に着いてしまうホド、たいした時間ではない。
2010.10.23
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多分、学生時代なのだが、4,5泊の厳しい山合宿を終えて、バスを1時間か2時間か3時間か1日に1,2本しかない バスを待つ間に、寺の境内でバスを待っている。そのときも、山の中でもずっと雨だった。境内の屋根から雨が滴り落ち、やっと厳しい山の合宿が終わったと安堵しながら、タバコをノンビリ吸っている。 いや、雨が上がるのを待ち、最寄のバス停までアスファルトの道をこれから登山靴で1時間は歩くのだ。まだ。赤い合羽が眩しく、風もなく、煙がゆっくり空中を淀む。 趣味でしかしてなさそうな雑貨店で、お菓子を買い、何故だか1品多くチョコレートを持って来てしまい、数十円をおばあちゃんに返すためにまた20分歩度歩いて店に戻る。 帰りの特急列車の中で、先輩の買ってくれた缶ビール1本飲むだけで、アルコールが前進に軽くいきわたり、どっしりと酔い込む。 山間部を抜けるころには、雨も上がり、すっかり暗くなったようであった。 一体、どこの山に行っていたのであろうか。
2010.10.22
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魚市場へやってくれ、渋くタクシーの中で呟く私。この国のタクシーも状況を見ていると、中国やオランダやエジプトと同様、ここオマーンでも1人でタクシーに乗るときは助手席に座るのが一般的のようで、私も助手席に乗り込み、運転手と握手をしたあと、呟いたのであった。魚市場にやってくれと。 しかし、午後に入るころの魚市場は終わりかけで、個人が魚を買っては、捌くコーナーにて、客が注文を出しながら三枚なり何なりにおじさんが、ガンガン切っていく光景が愉快だが、総じて生臭い。でもかまわないんだ。市場だから。空気が濃厚になりすぎて、生きている感じがするんだ。 そうしてその後数時間の徘徊を終えて、宿に戻ると、成田で昼の2時まで寝て以来24時間ぐらいほとんど寝ていないという状況に、ふと気づき、というか体が睡眠を容赦なく要求しはじめたので、2,3時間だけ寝る事にした。 気がつけば夜の9時であり、どうやら3時間寝ていたようであった。明日は、3時に起き、5時の飛行機に乗るのだが、その前に夜の街を徘徊ということで、外に出ると、昼間は気がつかなかったが、やけにだだっぴろいスークであった。スークと地図には記載されていたが、繁華街であり、そうはいっても、2、3階建ての建物が続くエリアであった。人々が食事をし、珈琲やジュースを飲んで徘徊していた。気温もちょうど良く、昼間にはへたっていた人々が、総出してきているという感じの賑わいであった。多少寝ぼけている感があり、ふわりとした服をまとう人々を見ると、ナトリウム電灯の下、空中を泳いでいるような感覚に陥る。 しかし、明日の朝は早いので、飯を食ってからホテルに戻る。エレベーターを乗るときに、横にバーがあった。バー・・・そんなものは、なかったな街中には。それに酒は飲めない。例外的にホテルで飲める、それが厳しすぎないイスラム圏の話。ビール一杯飲むことにした。予算も突破する1250円であったが、ついどんなものかという誘惑に勝てず。 外国人(西洋人)もいるが、現地人も酒を飲めるということで、半分ぐらいは、白装束の皆様もおられて、ここぞとばかりビールを飲んでいる人もいれば、出されたジョッキを口にせず(じゃあ、何で来ているんだ?)ひたすらおしゃべりしている人もいた。音楽ブースがあり、舞台にはフィリピン人女性2人(かなりのデブ。多分イスラム社会好み)と演奏担当のフィリピン男の3人がいて、スピーカーなんかいらないのに、大音響で歌を歌っていた。 向こうの離れたテーブルに韓国人2人が座っていたのだろう。急にそのフィリピン人シンガーは、コリアンソングをあの人たちとアナタのために歌うわとアナウンスし、なにやらハングルで歌い出し、向こうのテーブルが盛り上がった。本当にここ20年旅行してきて、日本の国力が下がった、或いは、韓国中国の力が上がったなあと思う。ではハイジ、アラブ版2009年秋EUA・オマーン・バーレーン旅行 ドバイ、ブルジュハリファ/a> ドバイのホテルライフ 中東を飛ぶ オマーンへの道 オマーンへの道 オマーンの歴史 オマーン国立博物館 オマーンへの道 オマーン、魚市場 バーレーン空港から市内へ バーレーンのスークにて バーレーン市内から空港へ ジェットラグ
2010.10.21
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取引先の高層階のビルのトイレから、誰も入ってこないことを祈りつつ、下界を見下ろしながらミーティングとかするワケなんだねと思う。オフィスには空虚だけが残るのか・・・逃げた女房にゃ未練はないいが~お乳欲しがるこの子が可愛い~(親父が何だか歌っていたなあ。あと、村田英雄の王将と)通りがかりでセントクンだかマントクンだかをチラ見。茨木に用事で行ったはいいが、エキスポランドや万博公園まではいけませんでした。そういえば、大阪市バスの広告に何故だかカタール航空がベタベタ貼られているのを、下町で見たことがあり、はあ~似合わないねえと思ったことがある。京都のイメージでない京都に行きましたが、京都市っていっても、考えたらスポットで見るとここどこか分からないよ日本中。あの山を越えると、密かに滋賀県となる。通りがかりで、公園を抜けるが、人間か人形か分からない。 ん、海坊主か?西日本最大規模の蔵書を誇る大阪府立図書館に行く。週刊誌をメクル。エリートの昼飯、日本海まで行きます、境港まで行きます。おメエは誰だ、会社員か?
2010.10.20
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その1その2 マダムタッソーについては、やっぱり、ロンドン本家に行かないと意味がないなと思いながら、ロンドン、パリ、ローマには、いろいろマイナーでありながら、行って見たいスポットが目白押しなのだが、何だか、行き易いところなので、ずっと先延ばしのままである。昨日の続きではないが、この2週間で4日程度車に乗り、ラジヲを聞いているのだが、4日とも懐かしいロックが流れるのであった。キングクリムゾン、イエス、ACDC、クラプトン、ツエッペリン、クイーン、ジャーニー、ジミヘン、パープル、ドアーズ、Tレックス、フー、ニールヤング、ボブデイラン、ピンクフロイド・・・なんなんだこれは・・・ 考えはまとまらないし、もう特に働き出してから、新しいロックから離れて、90年代グランジロックがでてきて、一時期大御所もなりを潜めたようであるが、その後、どれもこれも昔解散したバンドが復活したり、長らく低迷していた大御所が見事売れまくっていたりなんかして、時代はじいさんロックになり、若いファンを獲得しつつも、同じように年をとっていく、往年のファン(40代後半から50代)に支えられ、60年代70年代に来日しなかった大物含め、ここ何か結構来日している。・・・私が思い出すだけでも、ストーンズやフーをはじめディープパープル、スティーリーダン、ロッドスチュワート、トト、ポリス、ジェフベック、そしてイーグルス・・・多分、見にいっている大半は30代後半から50代じゃないのだろうか・・・ほかに高校時代にはまったロックで来日しているのを調べてみると、アイアンメイデンとかブラックサバス、ジャーニー、チープトリック、ジューダースプリースト、ACDCとかも日本でコンサートしてるねえ・・・。懐かしみも含めて、わしもボヤボヤせずにみにいかないと、このひとたち老衰で死んじまうよ。もうみんな還暦だよ、そういえば、中学校の時好きだったオリビアニュートンジョンもラジオで流れてて来日したんだって、還暦・・・おお、グリースよ・・フィジカルよ。 来日実現どころか、ここ10年では昔には実現できなかったようなはぷにんぐも起っているようで、ジェフベックとエリッククラプトンが共演したり、キャロルキングとジェームステイラーが共演したり、おまけに音響もかなりよくなっているようで、ロックコンサートにはもう20年は行ってないが、初めていった1982年のレインボーでは、全くどの曲を演奏しているのか、はじめ分からなかったぐらいだが、その効果もあり、往年以上のコンサートが味わえるとのことである。アア、ロックフェスティバル、行ってみようかなという気分になった2週間であった。2009年夏USA・アルゼンチン・ウルグアイ旅行 スミソニアン、ワシントンDC1 スミソニアン、ワシントンDC2 スミソニアン、ワシントンDC3 スミソニアン、ワシントンDC4 マダムタッソー、ワシントンDC1 マダムタッソー、ワシントンDC2 マダムタッソー、ワシントンDC3 ワシントンDC逍遥 ワシントンDC,罪と罰博物館1 ワシントンDC,罪と罰博物館2 南米への道 南米のパリ、アルゼンチン アルゼンチン子 アルゼンチン女性 ブエイノスアイレス珍光景 ブエイノスアイレス、カフェトルトーニ アルゼンチンの神 アルゼンチン、ボカ地区カミニート ティエラサンタ1 ティエラサンタ2 ティエラサンタ3 ティエラサンタ ティエラサンタ4 歴史蝋人形博物館、アルゼンチン ラプラタ河のほとりにて ウルグアイ、コロニアデルサクラメント世界遺産 ウルグアイ、コロニアその歴史 ウルグアイその歴史 ウルグアイ、アルゼンチンgourmetの旅 有名人
2010.10.19
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宝塚市には、武庫川が流れる。宝塚駅から多少、川上に向かって左側の細い道を車で5分程度進むと、橋が現れるのであった。いやはや、ほんまに普通の橋に見えるのだからアッパレである。 宝塚と地名は、多分、古墳か塚があって、宝があるという言い伝えがあって、縁起のいい名前だから市の名前にしちゃおうぜ、ってな感じだったのかも知れない。そこに、阪急電車の創始者小林翁が宝塚まで電車通して、温泉つなげて、ついでに歌劇団作って、てな感じだったワケなんだが、私にとっては、大学も近くて、大学のトモダチや、会社の人々も多数住んでますよ、てな感じなのである。 どんな感じだ。ちょうどそのとき、巨匠サンタナのニューアルバム、巨匠が巨匠の曲をカバーしまくるギターヘヴンの中の曲、ツエッペリン、クリーム、ACDC,ジミヘンが流れた。 そうだ、こな感じだ。子供時代から学生のころまでのロックの巨匠が今でも大御所のまま(アルバムを調べると、カバーは、ほかにストーンズ・・ビートルズ・デフレパード・ドアーズ・パープル・ヴァンヘイレン・Tレックス・ジミヘン・ジェフベック・CCR・ZZトップクラプトンつながりで、ジョージの名曲ほわいるまいぎたーじぇんとりーうぃーぷす) 要は、実は、最近のことは知らないのだが、当時は、ミックもジョンも生きていればジムモリソンもジミヘンもジャニスジョップリンも、(てか3人とも27歳で死んだけど)30代や40代であった。クラプトンもフレディマーキュリーもボブデイランもドンヘンリーもリッチーブラックモアもジミペイジもジェフベックもロッドも・・・40代ぐらいだった。それやいまや、みんな死んだりして、生きてたら還暦越えて70歳・・・ロックも年をとった・・・往年の巨匠のような存在のロッカーは今、20代や30代にはいない(いるのか?一瞬ニルバーナがなりそうになったか?)なんだか、そんな感じだ。おお、年取ったねえと感慨深げ、宝塚はそんなイメージかな。 そういえば、当時黎明期はロックミュージシャンもロック的に死んだけど、先日、オランダに飛行機が着いたソロモンバーグ、機内で死んでた・・・ まあ、橋の話に戻って、橋には人が歩いてたりなんかもしているのであった。 私も橋を渡るのだ、そこに橋があるから。ん? ほそっ!壁は安全対策?靴から見て、幅50センチ程度か・・・ 買い物袋は前後にずらして歩かなければならない。すれ違えないから、退散だ!
2010.10.18
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錦糸町で暫く働いていたことがあるが、出勤一日目に、飲みに連れて行ってもらいながらも、この街はなあ、誘惑が多いから気をつけなあかんでえと、言われたことを思い出すが、そう注意した人も関西人であり、東京駅からわずか10分程度の近さに驚愕しつつ、夜、飲み屋街を離れて歩いていると、ロシア人女性がいろいろ客引きしていた。風俗店や場外馬券場があり、東京隋一の猥雑さを醸し出しているといっても過言ではなく、その周りもえらく猥雑なのであった。昭和40年代は、錦糸町でカクセイザイが蔓延したそうだが、居間は、立派にマルイがドデーンとそびえる。 錦糸町で暫く働いていたことがあるが、職場に刑事がやってきた。決して私が悪いことをした訳でなく、捕まるような覚えはあってもヘマはしていないのだが、多少卑屈になって要件を尋ねると、ここから見えるマンションの部屋を見張らせてもらえませんか、ということだったので、ついつい、一緒にみていると、黒人男性と日本人女性がその部屋でセクスしており、それを確認すると(というか在室を確認したのかな?)刑事は飛んで出て行ったのであった。もしかして、異人種間セクス禁止令に引っかかったのであろうか。そんな法律があっただなんて。錦糸町で暫く働いたことがあるが、その間、泊まっていたのは、隣の亀戸駅付近のウィークリーマンションで、ウィークリーマンションなるものに宿泊したのは、このときだけであり、寒い季節で、何故かエアコンのドレインのふたがなく、そこから隙間風が吹き込んできてなかなか寒く、風邪もひいてしまったという訳であった。錦糸町で暫く働いていたことがあるが、浜松町でメシを食った後、通りがかりに、みなさん、DSで懸命にナニしてた。皆、ナニ洗脳されてんだ。
2010.10.17
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考えれば1年半ぶりに、高校のトモダチに会ったし、飲みすぎて、コーモンが開きンコを漏らすこともなかった。個人の名誉のためにいっておくと、記憶を授かって以来、後にも先にも、おもらししちゃったのはあの日だけなんです。 まあ、ちょっと軽く飲みに行こうということになり、60分1本勝負と約束したのだが、それは反古にされ、何故帰らなければならないんですか、何故全てに理由が必要なんですか、何故納得させなければならないんですか、という状況に落ち着きつつあった。 何を隠そう、高校の時は、家も近いかといえば4駅ぐらい離れていたのだが、お互いが会社所在地の移転を目まぐるしく繰り返していいる間に、いつの間にか3ブロックしか離れていないところに勤めていたという有様で、ちょっと帰り一杯ひっかけて帰るエリアが完全にかぶっていたので、よくも偶然会わなかったものだねえ、と感心するほどであった。 もう、印度追放、ニューヨーク出張で、ここにはいないどこかにいるとは思っていたのだが、楽天などにはついぞ訪れることもなく、今年はどこに行ったの?という話題から始まった事の次第であった。 彼の近況を、ここに記しておくが、彼の了承を得てないので、詳しく書いておく。1. 最近はツイートしている。部下にも公開しているので、ここで飲んでるぞよ、とつぶやくと、部下が来たりするそうで、体操人望があることが伺える。(私が呼びかけても誰も来ない、あ、部下おらんかった)2. 高級住宅街に一戸建てを建てた(というか嫁に建てさせられた)、ゆえに借金でクビ取れた。3. 今年は黙ってサイゴン行こうとして、嫁子供にばれて、一緒に行った。外人との交渉術を娘に伝授した。4. 義父は元気でいろいろ働いている(ニースでお会いしたことはある)5. 2件目のバーに行ったら、893がいっぱいいてビビルと、彼の会社の人々で、広告代理店は怖いところと判明。(翌日の彼からの言い訳メールによると、会社の雰囲気はサイバーエージェントと似てますとのことであった。)まあそんなこんなで、あとは、ネット社会のこと、仕事のこと、世代のこと、景気のこと、政治、まあ、そんなこんなでヘベレケと化し、内容はあまり覚えてはおらんが、まあ、近くなので、また軽くいきましょうかということで散会となったのであった。PS アイフォーンとフリーWIFIとツイターを駆使して、ベトナムでは、この近くでうまい店あるの?とか、ここからどうやっていけばいいの?とか、近くでおもろいところない?とかタイムリーに近くにいてツイッターしてる人とか、日本にいて詳しい人に聞けたりして楽チンでしたとのことで、ああ、そういう使い方もあるのねえ、便利な世の中になったものだねえ、というものだった。チャンチャン。
2010.10.16
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バージュアルアラブ7つ「星」全室スイートでも、すごいよね、10年もたつと色褪せるねえ宿泊かレストランの予約がないと入れないなんて、まっことにつまらんホテルだな、ケッ!ATLANTIS The Palmは、海上に浮かぶパーム型の埋立地の最先端にあるのだが、地上を走っても何も分からないのが、笑ってしまう。場所はここ ATLANTIS The Palm ジュメラビーチホテル ATLANTIS The Palm ATLANTIS The Palm 見えないが、対岸はイラン。マディナジュメラ場所はここ どうなんだよ。 ジュメイラエミレーツタワーズ空港から近いしかし、本当は暢気にホテルなんか紹介していても仕方ないんだ。世界は胃袋のために、まずは移動してくるんだ。多分、空港以外でドバイ人を見ていないような気がしてきた。まあ、見た目だけでは分からないだろうが。住んでいる9割が外国人なのだから。タクシーの運転手はパキスタン人であった。ここへ出稼ぎに来て6年、何もかもが変わったという、自分の収入以外。パキスタンには20年ぐらい前にいったよと言い、彼の出身であるラホールにも行ったことをいうと、急に愛想がよくなったが、GPO前のYWCAに泊まった、あそこ以外ほホテルは泥棒ホテルだらけなんでな、と余計なことを言うと、少し険悪になった。おまえの故郷、イランの向こう側に接しているところじゃん、慰めの言葉にも、あまり反応せず。では最後に、世界一高い建築物の中には、アルマーニホテル。 ブルージュカリファ アルマーニいやはや、豪華に散財しましたがな。2009年秋EUA・オマーン・バーレーン旅行 ドバイ、ブルジュハリファ/a> ドバイのホテルライフ 中東を飛ぶ オマーンへの道 オマーンへの道 オマーンの歴史 オマーン国立博物館 オマーンへの道 オマーン、魚市場 バーレーン空港から市内へ バーレーンのスークにて バーレーン市内から空港へ ジェットラグ
2010.10.15
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恥ずかしい話だが、学生時代、場所も近く、一度は行こうかと思っていた清荒神に初めて行ってみた。しかし、夕方に逝ったので、参道は、結構、終わりかけであった。人生が終わりかけの青年もいるくらいである。やがて悲しき参道を通り抜けるときよしこうじん、は出てくるのであった。残念ながら、多少乱暴な言い方をすれば、仏陀はどこにもおられない。この地上に。すごい建築物や信仰心には畏怖するが、そのこと自体がありがたいのであって、ごめん、神は、そこには存在しない、というのが、私の前提条件。動物に、直接水を与える人なんているんだね。それは宗教心でなくてモラルですね。賽銭はちゃんとしていけよという「警告」(ごめん、賽銭しない主義です)みくじを木にくくると鬱陶しいので「辞めてくれ」ということです。勝手に鳴らす輩がいるということでしょうか。勇気あるなあ。おみくじでなく、単なるみくじなんですね。いい感じです。そろそろ分かっていただけたと思いますが、やめろするなのオンパレードをこのお寺を代表してアップした次第で、どこも似たり寄ったりです。お賽銭を川に入れられると、取りに行くのが無茶大変、面倒なのでやめろということです。木も塩に弱いんです、塩害で、作り直しでお金がかかるのでやめてけれ。燃えてもたらどんなけ金かかるかワカットルんけ!ということを優しく諭してます。荒らされたら掃除が大変やし、壊されたら金かかるじゃろ、ということです。風吹いていたら常識人だったら閉めます。火事なったらどないしてくれる念という「警告」です。柵が壊れたら費用がかかるし、賠償求められたら困るので注意書きしておく。えさ代もこれ以上増やしたくないので、生き物もってくるなよ、ってことです。あ、すみません、注意書きではなかったです。色も違います。看板でかいのは、鳩の糞や毛が一番の問題なのかもねえ。随分、本音に近づきました。賽銭は賽銭箱へ(でないと取りに行くのが大変、面倒、うっとうしい、誰かに取られる)ついでに芝生に入るなって、じゃあ、芝生作るなって。全国の芝生に対して思います。貴重品は、置く人が悪いと思うんですけど!なくなったって怒鳴り込まれたら面倒だからね。無料決別宣言したばかりなのに・・・水飲みました、愚か者です。ゴミ分別も参拝客にやらせます。コレ最近どこでもだけどね、まあいいけど。勝手に登り落ちていくのは本人の責任です。文句言われる筋合いはないですよ。木に登るな、逆立ちするな、滝に裸で打たれるな、もうキリないですよ。まあこのぐらいやったら許し取ったるけどね。てか、それなら車道の門閉めとけよ。銀杏落ちてきて、頭に当たってしまう自由もありません。看板で美観を汚すな、と書きたいです。以上。
2010.10.14
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現在日本のパリに住んでいる私ではあるが、○○銀座とかすぐに有名どころにあやかる奴隷根性的名称のつけ方はカナシズムシニシズムが走るのではあるのであるが、虫唾も走るのであるが、今年は5月に中東のパリであるベイルートへ行き(呼ばれていたのはかつて)、大きな声ではいえないが、小さく呟くだけなら言えるので、吐露してしまうが、夏には南米のパリといわれるブエノスアイレスを訪問した。 パリと同じように計画的に作られた町は、道路幅150メートルという本場シャンゼリゼ通りもマッツアオの世界一広い道路が有り、大きな声では言えないが、歩いて渡るには、結構鬱陶しい人間サイズを困らせる緑地帯プラスのドドーンの23車線である。昔の人は、シャンゼリゼのでかさにびびったというが、それは日本には車道(整備された馬道か?)がなかったからで、現代人の我々がみとき、ああ、まあ、大通りだねってな感じなだけであった。といっても、10代で初めてソウルに行ったとき、キンポー空港からバスに乗ると10車線の道路にチョイびびり、これが、万が一の時に滑走路になるといわれて、準戦時国家(今も北とは停戦中のままである)なんだなあ、と思ったものだけれども、車道、鬱陶しいよね。歩き続けると、夕暮れが迫る。 夜には、バーやレストランが並ぶレコレータ地区を歩くが、ここは、まあ、いわゆる高級住宅街ってなことで、まあ、100年ぐらいは、熟成に時間がかかるものなんだね、と思うのであった。でも高級ブチック、大使館、結構面白くないが、各家には花が咲き乱れ、一体どんな金持ちが住んでおるんじゃいというと、結構、大牧場地主が多いとか。レンコータの端には墓地があり、歴代大統領やエビータ(ペロン夫人)も眠る。高級墓場である。その横の高級酒場にいってきただけなのであり、肉を食らって、もう数年肉はいらねえ状態のままである。時計台の横に泊まった、外観はよいが、屋根裏部屋と相成る。2009年夏USA・アルゼンチン・ウルグアイ旅行 スミソニアン、ワシントンDC1 スミソニアン、ワシントンDC2 スミソニアン、ワシントンDC3 スミソニアン、ワシントンDC4 マダムタッソー、ワシントンDC1 マダムタッソー、ワシントンDC2 マダムタッソー、ワシントンDC3 ワシントンDC逍遥 ワシントンDC,罪と罰博物館1 ワシントンDC,罪と罰博物館2 南米への道 南米のパリ、アルゼンチン アルゼンチン子 アルゼンチン女性 ブエイノスアイレス珍光景 ブエイノスアイレス、カフェトルトーニ アルゼンチンの神 アルゼンチン、ボカ地区カミニート ティエラサンタ1 ティエラサンタ2 ティエラサンタ3 ティエラサンタ ティエラサンタ4 歴史蝋人形博物館、アルゼンチン ラプラタ河のほとりにて ウルグアイ、コロニアデルサクラメント世界遺産 ウルグアイ、コロニアその歴史 ウルグアイその歴史 ウルグアイ、アルゼンチンgourmetの旅 有名人
2010.10.13
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先日は、オマーンへの道、その熱い20年間に亘る思いを粛々と綴ったのであるが、本日は、その2,3日前に起こったことを粛々と綴るつもりなのである。 まずは、トイモイ氏、独自の方法により(というのはウソ)、独自のルートにより(というのはウソ)、各社との粘り強い特別交渉(というのはウソ)、エグゼクティブなコントラクト(というのはウソ)により、満席でも空席待ちチケットを事前に購入し、外国に行けば、往復オープンチケットを購入し、いつでも、すぐさま、どこかには明日にでも飛んでいける状態にしているため、逆に、無茶適当になったり、楽観主義が吹き荒れるのである。特に自慢ではないが、学生時代にプラプラして、やる気のなくした慣れの果てであるに過ぎないのである。そんな訳で、私の自宅には未使用の航空券が多数転がっているのである(というのはウソ。きっちり整理されてしまってある)が、それは、富豪でもあるゆえ、仕方ないのである。(というのはウソ) そんな訳で、先々週の金曜日は夜中にいっちょドバイ経由でオマーンを目指しますよ、ってな感じで、目指すのであるが、連休突入で、前日の昼間に空港会社に直接連絡したところによると、満席でとても乗れません、来られるだけ無駄ですよ、ということだったのだが、まあ、それでも空港に行ってみようという前向き一筋の私目であった、が、金曜というのは、概ね、仕事を帰り際に頼まれるのである。私は、とておいい人なので、明日できることは明日に延ばすが、頼まれたことは、すぐしてしまうという、非常に便利な人間というか性格であり、刻々と、23時の関空発の時間が近づきつつあり、汗も多少噴出しながら、まあ、でも満席だから、行くだけ無駄かもね、とか思いつつ、結構消極的に22時に会社から、コインロッカーで荷物出し経由で関空に行ってみたのであった。そして、しっかり、満席で乗れなかったのである。一応、明日はどうですかと確認すると、明日も満席で厳しいです、明後日からは多少空席ありますね、という職員の返事であった。 私は、最終バスで大阪に戻り、自宅に戻り、いろいろ検討の結果、成田発バンコク行きのチケットを持っているので、とりあえず挑戦してみることにしたが、結構死の時も迷いつつあり、急いで、バンコクからバスで行ける名所、珍スポットをチェックしつつ、夜な夜な終えてしまったのであった、ノートにびっしりである。とにかく、必死のパッチのメモ帳ではありながら、急いで成田に向かうのであった。 翌朝、成田空港に到着したのだが、しかしながら、バンコク便は夜なので、飯食いに、日帰りで急遽ソウルに行くことにしたのである。うっかり全ての荷物をコインロッカーに預けてしまい、全くの手ぶらで財布とパスポートとクレジットカードだけを忍ばせて飛行機に乗って、飯を食って、夕刻に戻ってきたのであった。 そうして、夕方の成田、それがそれで、しっかりがっちり満席で乗れるはずもなく、もう家にも帰るのも面倒になったので、成田の近くのホテルにに泊まるのであった。そして翌日、月曜なら夜便はまあまあ空いているという関空のカウンターの言葉を思い出しつつ、成田から、伊丹空港経由で関空に向かうのであった。結構時間もあったので、空港で散髪したどころか、成田空港近くのホテルでは、2時まで寝ていたぐらいの堕落ぶりであった。 結局、1日あけてまた関空のカウンターに行くのも、前の担当者に見つかると、まだ日本にいたのですかと笑われそうだったので、神妙に担当者を選び(おとといに面会しなかったカウンターにいる「担当者」)、「あのー、すみません、完全なオープンチケットなんですけど、祝日土日挟んでいるので問い合わせも出来なかったんですけど、今日空席ないですか」とカウンターで聞いてみると、「え、予約もなしですか?」と不審がられも、今日も満席で、非常に厳しいですよ、予約も成なしに突然くるなんて・・・とうような顔をされながら、空席待ちのリスティングを終えたのであった。また出発1時間前に来て下さいといわれ、愕然とする。もうこの休みの旅行は終わったな、と思ったのであった。 出発40分前、カウンター近くには私と、グアム在住のアメリカ人夫婦2人以外は閑散としていた。実は、3人まだノーショウ(予約しているのに現れない)だという、誰も来なかったら乗れる。我々3人は健闘しあった、どんな健闘かというと、3人来るなよ、という祈りであった。 出発30分前、遂にファンファーレの旗は振られた。3名様OK!と、ノーショウ(予約した人現れず)と。そこで、トイモイ氏、いつも抜かりないのである。我々3人は、「コングラチュレーション!」と健闘を称えあい、荷物を通過させるのである。席も既にプリントアウトしてくれており、走ってください!といわれるのである。彼らは、ドバイ経由でチェニジアに行くそうである。今朝グアムから飛んできて、マニラに行こうとしたが、満席で乗れなかったそうである。同じような、行ける所に行くという人間がここにもいたのであった。とにかく、私は、卑怯なのである。1000円程度のお菓子をいつも用意しているんどえある。懐柔策というか買収である、搭乗OKが出ると共に、すぐさま、私はお菓子一式を皆様でどうぞと渡すのであった。後付けではあるが賄賂である。トイモイ氏、出国予定より48時間遅れての出国と相成り、全てのスケジュールを短縮しなければならなくなったのであった。カタール行きを諦め、アブダビも省略だ。ケツは決まっている、オレは、しがないビジネスパーソン、激務が待っているのである。歩きながら通関手続きなどしながら、携帯エクスペリアで格安直前ホテルに接続し、機内に入ったところで、予約が完了するのである。何て便利な世の中になったものだ。(エクスペリアは会社支給。ゴメン、会社よ、私用に使ってもた) 思い出せば、一度だけ、学生時代マニラからのオープンチケットで、帰りに何度トライしても、満席だったことがある。結局学校が始まり、もうどう仕様もなくなり、他航空会社のチケットを買って帰ったことがあったなあ、それもエグゼクティブクラスしか空いてなくて、7万円ですとかいわれて、片道で結構ですというと、これ片道ですといわれて、5万円で買ったオープンの往復チケットの片道を諦めたことがあったが、あれから20年たっても、綱渡りみたいなことやってんだな、と粛々と思う機内なのであった。ちなみに、最近、ローコストエアラインが日本にもぼちぼちでる。私は成田横田基地交換説を唱えていたが、これなら羽田は大手、成田はローコストエアライン空港にすればどうか。シンガポールなんかすごいよ、LLCのバジェットターミナル別にあるからね。そう思いつつ、眠りに入るのであった。一番後ろの真ん中席にて。2009年秋EUA・オマーン・バーレーン旅行 ドバイ、ブルジュハリファ/a> ドバイのホテルライフ 中東を飛ぶ オマーンへの道 オマーンへの道 オマーンの歴史 オマーン国立博物館 オマーンへの道 オマーン、魚市場 バーレーン空港から市内へ バーレーンのスークにて バーレーン市内から空港へ ジェットラグ
2010.10.12
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2010年10月10日、語呂合わせもまあ、いいのだが、車を起動させる。 地域ではGWだけでなく、秋にもだんじりをひいているようである。自分の田舎でもだんじりはあり、県下祭りと激しいものである。あるのだが、子供の時に、ふんどしからはみ出た尻に吹き出物がでたきったない尻を見てから、女性に対してもお尻に興味が抱かれずにいるという事実というかトラウマというか。確かに、べりーさんのいうとおり、震災後のFMCOCOROは、ベトナムとかパキスタンとか、面白い番組が続いた。それでも、車に乗ると、FMを無難に聴く。そこで流れたのが、クリムゾンキングの宮殿、10分近くに及ぶプログレの大作で、これが1969年10月10日に発売されたとラヂオは言っていた。む40年前の話なんだな、ビートルズを抑え、全英1位に輝く。(ちなみに10月9日はJレノンの誕生日だそうで)何故か、タイを自転車で縦断していた頃、前の籠にラジカセを入れ、流していた音楽がキングクリムゾンと、ボブディランであった。バンコクの南にある王宮ビーチ、ホアヒンで、渋谷でタイ料理を経営している人と出合った。君は、いつもいい子にしているんだろうなあと含みある言葉を彼はいい、私ははにかんで曖昧な対応をした。それから社会人にもなり、10年近くが経過し、渋谷のその店に行ってみた。オーナーは体を壊し療養中とのことで、10年たって、私なりの答えを用意していったのだが、遅すぎたと後悔する。それから更に5年後、行ってみると、バリのお寺風の建物がそのまま個人宅になっており、店はなくなっていた。今年、ふと立ち寄ってみると、建物自体なくなっていた。
2010.10.11
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本題の前にネタそんなわけで、無料の恐怖である。 会社の近くに、播磨屋のおかきの無料カフェができた。要は、おかきと飲み物を無料で楽しんでもらい、オプションでお金を払って追加で頼むとかお土産にドドーンと持って返るというシステムだ。勿論、なかには、バンバンおかき食べてソレ主食ですか、というがめつい人間もいるが、凡そ日本人には、ただでもらったらお返しせな悪いなとう心理が働き、そこを狙った作戦である。いままで播磨屋は何店舗かで成功していて、おかきに馴染みの薄い若い世代の取り込みにも成功したと聞いたことがある。 最近記憶に新しいところでは、期間時間限定コーヒー無料のマクドだろう。朝から暇な無職のにいちゃんや年金で暇なじいさんが並んでいたのを見たと聞いていたが、やっぱりついでに何かを買おうという心理が働くのか、過去最高益を出したわけで、コーヒーの原価を考えれば安い宣伝だったのであろう。 昔、アルバイトで働いていた女の子が無料エステ券持っていくと、散々、この皮膚のままではやばいですよ脅かされ、追加有料プランを勧められたが、自分は金遣いが荒く、旦那に全て金銭管理されていて、お金だせませんの一点張りで、無料体験コースで粘ったそうだが、それよか、気分悪くなるよねえ、ってこと。学校に最近おかれているらしいけど、裏面広告の無料コピーであるが、私の学生時代にこんなのあればテストも助かったのに・・。そういえば学生時代旅行に行く前に学校生協で現像をすることを条件にフィルム20本をタダでくれたなあ。考えたら、あの頃は、1日3枚とか5枚とかしか写真撮らなかったよねえ・・・。 そういえば、無料で面白いのは、プラハにある無料バイシュン宿である。スキモノ女性や妖怪の集まりではなく、美人揃いだそうで、要は、その行為がネット配信されることを条件だそうで、見られるのが好きだったり平気な男性のメリット、もうヤラセえろさいとには飽きたというリアリティを求める男性、ちゃんとネット配信から収入を得られる女性や経営者、それぞれにメリットのあるシステムなのだ。結構ヨーロッパ中からプラハを目指す見られるの好きで、ただでできちゃうダブルメリットを感じる男性も多いのだとか。 しかしまあ、無料といえばネット関係だろう。検索サイト、ブログ、ゲーム、何でも無料であり、追加オプションや企業からの各種宣伝によって成り立っている。 しかし、まあ無料というのは一部が局部的にやるから効果ガあるので、みなが皆やりだせば企業の優位性はなくなっちまうので、主流であり、ネット社会も今は過度期であろうか。それにしても、君子、裏側の見えない不確実な無料に近づかないことだよ。海外旅行すれば、、無料でラクダに乗った写真撮ってあげるよ、とか無料でガイドしてあげるよといいながらメシを奢ったりあとで法外な値段をいいつけてきたり、挙句の果てに、いつの間にか財布がなくなっていたり、散々なのである。さいなら
2010.10.10
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「これでいいのだ」それは悟りである。 太陽がどちらから昇るのかを覚えることができたのは、この漫画(アニメ)のおかげです。小学生の時、漫画も数冊持っており、セリフが手書きであり、非常に難解(漢字と意味が)であり、こりゃオトナの漫画やのおと思った次第。さすがにアニメはそうでもなく、いくつかのエピソードは思い出される。大人になってから、あかつかふじおが、何かのトーク番組に出演していて、ウイスキーを横に置いて、もうすでにベロベロ状態で、顔色も悪く、巨匠を感じたのであった。いいねえこれ
2010.10.09
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マトラを出た。マトラの町からオールドマスカットまで2,3キロ程度、直射日光にあたりながら海岸沿いまで岩山が近づいた道を歩いていくことにしてみる。砂漠の国にとって天国のイメージはオアシスであり、緑である。道沿いの緑には、スプリンクラーが回っている。誰1人歩いていなかったが、不思議にも2人の男がぶらぶら歩いていたので、オールドマスカットまで歩いてみよう、という気になった。山があれば、登りたくなる。特に岩山であれば、どこからでも、来た道とその奥に広がる風景を確かめることができて楽しいものだ。ほとんど分かっていない古代文明。そしてシンドバッド、ほのかなファンタジーか、車が高速で走りぬける音がするだけ。オマーン海や紅海は、ダイビングでも有名で、マトラの港は仕方ないとしても、ひとつ岬を越えるだけで、透明度は上がる。魚も見える。歩き続けると、遊園地があり、熱射でやられていた。人はいない。営業はしていない。軍が管理して城には行くことができないのに、整備された駐車場があり、車が一台、休憩の為休んでいた。海岸沿いに、城が続く。工事で、車道を歩かなければならず、スピードを出した車が30センチほどそばを通り過ぎる。想像力を働かせよ、感じよ、考えろ・・・そうなのだが、そんなに想像力がある訳ではない、何となく感じても、何となく考えても言葉にも行動にもならない。凡人は、体験、経験するのが早道だ。しかし、旅も日常になってきたらそろそろ潮時だ。オールドマスカットに入りつつある。家が現れはじめ、人が住んでいるんだなあ、そう思うだけで、それ以上の想像力は麻痺したまま。海まで迫る岩山には、無数の穴が開いている。砲弾の跡なのだろうか、と歩きながら思うのだが、体験経験を辿ると、猿の惑星を思い出した。(撮影地は、ネット検索したらユタ州とかのアメリカ国内の砂漠地帯)そういえば、マスカット、うまそうな名前だが、「落ちるところ」という意味だ。マスカットの門の下を通ると、何と涼しいことか、しばし座ってしまう。首都の一つオールドマスカットに入って歩くと、誰も歩いていない。歩いていたのは、犬だけ、トンネルを抜けると、海。見上げる。静かだ。ここが政治の中心・・・数人しか歩いていないのを確認し、開いている店も確認できず、戻ることにした。ルートタクシー(乗り合いタクシー)で戻ろうと、停留所に行くと、誰もいない。道端に座り込んで、始まったアザーンを聞く。スピーカーの音が、お決まりのように割れる。それが、異教徒の私でさえ、懐かしい。街はちっとも、オールドではないな、そう思いながら、タクシーを拾い、1リアルオマーン(250円)で戻る。どこへ。2009年秋EUA・オマーン・バーレーン旅行 ドバイ、ブルジュハリファ/a> ドバイのホテルライフ 中東を飛ぶ オマーンへの道 オマーンへの道 オマーンの歴史 オマーン国立博物館 オマーンへの道 オマーン、魚市場 バーレーン空港から市内へ バーレーンのスークにて バーレーン市内から空港へ ジェットラグ
2010.10.08
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政治編はこちら政治的になって、排除されながらも、そして、パンチ病に悩み、強すぎた男。大統領執務室公開されてます。誰でも座れます。クリちゃんと、髭生やしたら風格出るよと少女に言われて髭生やした人とのコラボレーション。う、とっさに名前出てこない。ハリウッドの2大パーティ好きが競演してた映画、ギルバートグレイプだったっけ黒髪だよね、本当は。学生の時、突然、パキスタンでお世話になったパキスタン人が家にやってきて、びびったが、イスラム教徒に酒をたらふく飲ませ、エロビデオでも見せてあげようと、ビデオ屋に行き、よくわからんが、エロ映画でもなさそうな、マドンナIN生贄という映画を借りてきて、つまらなくて、寝てしまった。ウイルスミスの思いで深いエピソードはありません。テレビドラマERをよく観ていた時期があったのだが、カッコイイ俳優だなあと思ってたら、いつの間にか、映画でまくり。しかし、僕は、とってもつまらないタランティーノの映画のフロムダスクティルドーンという映画が結構受けた。2回も観てしまった。組織を通さず、自分で自分をプロデユースするんだってね、この人。前述の人と、一緒に出てたねえ、オーシャンズ12だったかな、飛行機で行きと帰りに2回もみてしまったわ。大阪花博でバイトしてた人、成功してからは、100人の部下を携えて来日。本物より見えるけど、ジェニファーロペス、眉毛の角度、スゲエ。シブイ!やっぱ、思い出は、タランティーノのパルプフィクションですね。トラヴォルタが復活した映画でもありましたが、もうこの映画も10回ぐらい観ているんだねえ。ごめん、わからない。だれかな。名前が、いいねえ、モーガンフリーマン、韻を「踏んでる」どこの蝋人形館でもセット販売されているふたり本物より見えるけど、近くまできてから気がつきました。おまえも、固められたのかと。2009年夏USA・アルゼンチン・ウルグアイ旅行 スミソニアン、ワシントンDC1 スミソニアン、ワシントンDC2 スミソニアン、ワシントンDC3 スミソニアン、ワシントンDC4 マダムタッソー、ワシントンDC1 マダムタッソー、ワシントンDC2 マダムタッソー、ワシントンDC3 ワシントンDC逍遥 ワシントンDC,罪と罰博物館1 ワシントンDC,罪と罰博物館2 南米への道 南米のパリ、アルゼンチン アルゼンチン子 アルゼンチン女性 ブエイノスアイレス珍光景 ブエイノスアイレス、カフェトルトーニ アルゼンチンの神 アルゼンチン、ボカ地区カミニート ティエラサンタ1 ティエラサンタ2 ティエラサンタ3 ティエラサンタ ティエラサンタ4 歴史蝋人形博物館、アルゼンチン ラプラタ河のほとりにて ウルグアイ、コロニアデルサクラメント世界遺産 ウルグアイ、コロニアその歴史 ウルグアイその歴史 ウルグアイ、アルゼンチンgourmetの旅 有名人
2010.10.07
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イスラエルと亜米利加の関係は強い、というか、恐るべしユダヤロビーである。しかし、このユダヤロビーってのがよく分からない。アメリカに住むユダヤ人は人口の2パーセント程度であるから、人口的なマジョリティの圧力団体でもないし、確かに超金持ちや優秀な人間は多いが、それあけでは、そんな国を動かすほどの団体なのか分からないが、実際は国を動かすホドの力を持っている。表向きは、慈善イベントやチャリティーを繰り返しまくり、集金団体となっているようだ。チャリティーはラテン語のカリタスからきており、ユダヤジンがユダヤジンを救うためだけに意味する慈善はチェダカといい、正義ということばに由来する。 イスラエルにどんどん金を送り、そして見返りが何もないというのも不思議なものだ。湾岸紛争やイラクでも各国はアメリカからかね出せだせといわれているのに、当事者のイスラエルは貢献も求められず、米軍基地もない。ユダヤロビーは力をもっているので、反ユダヤどころか、まともなイスラエル政策を批判するだけでも、徹底的なネガティブ選挙妨害をやりまくり、落選させるのが得意であり、歴代大統領も、敵には回したくないと思っていたようだ。特に、ニクソン依頼は蜜月関係である。さすが、フィリピンのセブ航空、やっぱフィリピン人は東洋一のダンサーの国やのお明日から会社だ・・・のポーズ
2010.10.06
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港町。首都なのか。湾岸に沿った道だけが2車線であり、その奥は狭い道の両側に古い家を囲んで迷路状になっており、そこをスークが入り組んでいる。ダウ船ではない・・・マトラへの入り口になる道。ごつごつした岩山を両脇に整備された道を進んでくると、海岸に出てきた。私のことをフィリピン人と思っていたタクシーの運転手、日本人と知るや、悲しいかな、握手の手を差し伸べてきた。球状のものをみると、石油産出国という感じがする。人が歩いていないのに、不思議と、モスクからは人がちょろちょろ出てくる。岩山に城、白い建物・・・印度を思い出す。2時、2時間の休憩に入り、店は閉店になりだす。店が閉まれば、私も暇になり、彼の横に座り、読書2時間するとしよう。じいさんたちは、木陰でバックギャモンをやっていた。いつもそうなのですが、欲しいものがない。買って欲しいものは、モノから私を呼ぶはずだ。つい最近鎖国を解禁したというのに、アジア人労働者が多いから多いからなのだろうか、私が歩いていてもほとんど誰も意に介してなく、すんなりジロジロ見られることもなく、路地裏をブラブラ歩くことが出来た。何か、歴史的なエピソードがあれ、生活に密着しておれば、今更、特になんていうことはない。ここもそうだが、日中アラブでは人は歩いておらず、車は多い。岩山の上の城には、軍管轄のため、見上げるのみであった。このモスクをもって建物が途切れ、この先、岩山とその麓に道が続く。それをも進むと、全く人はおらず、防空壕のようなものがあった。暑い。16時またそろそろ市場が開き出す。しかし、それものんびりしたものだ。だいたい16時。16時またそろそろ人々が歩き出す。だいたい16時。ただ立っている。何を待っている、何も待っていない。この写真の場合、想像にて、おおよそ、肌寒い場所を想像してしまう。そして飽きない光景。適当に入っていく。38度でも、日陰は涼しい。迷路を抜けると、海に出る。迷うのは自由、方向はどちらでもよい。そのうち、開ける。2009年秋EUA・オマーン・バーレーン旅行 ドバイ、ブルジュハリファ/a> ドバイのホテルライフ 中東を飛ぶ オマーンへの道 オマーンへの道 オマーンの歴史 オマーン国立博物館 オマーンへの道 オマーン、魚市場 バーレーン空港から市内へ バーレーンのスークにて バーレーン市内から空港へ ジェットラグ
2010.10.05
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その1そして、その2そして、飽き飽き気味のその3の続きです。ティエラサンタ全景どうかされましたかラクダのメリーゴーランド乗りたいですか?イスラムは男女差別をアッピールしてます。治療中でしょうか、拷問でしょうか。昔からエアコンありました。権力者、悪人、マルチンルター放浪達人語録:エジプト商人憎んでラクダ憎まず。子供ゲロ吐き、体調心配、トモダチ無視目つき悪い牛テな感じ目つき悪い牛テな感じ2岩に飛行機止まります。ポーランド人アルバニア人。(マザーだけは手放しで賞賛できる)どれが生きているかワカリマセンピザに針金入っていても優しい顔。向こうはほんまものの土産物屋でリアル人間なのに、手前のブースだけ人形。介護の晩餐?ルルド?素直な子供ら素直なオトナら。2009年夏USA・アルゼンチン・ウルグアイ旅行 スミソニアン、ワシントンDC1 スミソニアン、ワシントンDC2 スミソニアン、ワシントンDC3 スミソニアン、ワシントンDC4 マダムタッソー、ワシントンDC1 マダムタッソー、ワシントンDC2 マダムタッソー、ワシントンDC3 ワシントンDC逍遥 ワシントンDC,罪と罰博物館1 ワシントンDC,罪と罰博物館2 南米への道 南米のパリ、アルゼンチン アルゼンチン子 アルゼンチン女性 ブエイノスアイレス珍光景 ブエイノスアイレス、カフェトルトーニ アルゼンチンの神 アルゼンチン、ボカ地区カミニート ティエラサンタ1 ティエラサンタ2 ティエラサンタ3 ティエラサンタ ティエラサンタ4 歴史蝋人形博物館、アルゼンチン ラプラタ河のほとりにて ウルグアイ、コロニアデルサクラメント世界遺産 ウルグアイ、コロニアその歴史 ウルグアイその歴史 ウルグアイ、アルゼンチンgourmetの旅 有名人
2010.10.04
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錦糸町から始めよう。先日、恐れ多くも、ドバイの世界一高い建築物を紹介したからには、今度は、日本一を紹介しなければならないという使命に駆られ、ボヤボヤ、見学に逝くのである。逝ってしまうのである。何を隠そう、それまで、一番日本で背が高かったのは、トウキョウタワーでも、横浜ランドマークタワーでもないのである。何を隠そう、対馬にあるオメガタワーその人である。東洋一であったその支柱を見に行ったのも、もう2,3年前の話である。ついに、現在470メートル、それをも抜いたということである。凄く興味があるように思われるかもしれないが、まあ、それは、わが心の内なる単なる使命感である。オマケノコーナー。アメリカイチ高いコーナー。◆全米ステータスZIPCODEランキング1位 91008, Duarte, Calif.2位 94027, Atherton, Calif.3位 90274, Rolling Hills, Calif.4位 07620, Alpine, N.J.5位 10014, New York, N.Y.6位 90210, Beverly Hills, Calif.7位 10065, New York, N.Y.8位 94920, Belvedere, Calif.9位 10012, New York, N.Y.10位 93108, Santa Barbara, Calif.オマケのコーナー。一休み。さざえさんぎゃくまわし東京法律専門学校とスッカイツリー金太郎寿司とスッカイツリー江戸一とスッカイツリー手焼きせんべい加賀屋とスッカイツリー水道工事とスッカイツリーオマケのコーナー。一休み。さデスノートさて、完成したら行きますか。どうでしょうか。学校注意とスッカイツリー総合探偵社シェリーとスッカイツリー中外写真薬品とスッカイツリー現在470メートルちなみに、建築物としては470メートルで工作物としてはまあ630メートルぐらいになるようです。建築物というのは簡単にいえば、人が入れるような屋根とか壁とかあるもので、工作物の一種ですね。工作物は、作ったもの、鉄塔とか擁壁とかですね。オマケのコーナー。一休み。さざえさんぎゃくまわし麓には、見学人多数。寝転がって写真撮っているギャル(死語)もいました。結構、奇抜チックな麓の同時進行建物。最寄は業平駅ということで。ここです。都営浅草線押上駅から空港に向かいますが、迷いました。そんな訳で、最終便が怪しくなってきました。
2010.10.03
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ドバイの空港に着くと、驚くべきことに、ほぼ全ての人がトランジットエリアへ行き、入国に進むのは、2,3人であり、ガラガラのところを通り、入管まで急ぐ。遠い。空港もここはエミレーツ専用の空港建物。ドバイもオマーンもバーレーンも車当たります。1回12500円だよ。1000回に一回当たるよ。ドバイ空港内には小川も流れていますドバイ空港内には椰子の木もあって、皆さん涼んで寝てました。マスカット空港内のトイレの足洗い場。マスカット市内。マスカットの街は海沿いです。ドバイの街も海沿いです。この風景をたのしみにしていたのだが・・・あえなく到着。バハレーン空港。クゥエート市内。イラクに入りました。イラクの砂漠に、等間隔に照明が照らされてました。バグダッド市内と月。飛んでこないよな、ミサイル。
2010.10.02
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いやとにかく、荷物をゴロゴロさせての日中の徒歩は疲れる(のであるが、日陰はまだ湿度が低く、いやはや今年の日本の夏よりは、マシと感じた。というか、何度か印度中近東を旅行したが、高温多湿の日本の夏より不快な暑さというのは、砂漠ぐらいしかないのではないか)まあ、感じた!といいつつ、一通りぶらついたので、タクシーで一箇所立ち寄り、またそこからタクシー拾って空港に行くことにしたのである。何せ、私にはお金は少しあるが時間がなく、第一、街中から空港に直行で行く市内バスはないのである。(リムジンバスはある)市内バスが空港から出ていない国際空港というのは、これ、不思議にも時々あるんだよね。忘れたけど、近場では確かカンボジアなんかでも、いやラオスだったかな、空港に公共バスがないんだよねえ。まあ、それはいいとして、市内にもそんなに流しのタクシーが走っておらず、なかなか捕まらない、かというと、実はそうでもなく、おそらくあまり需要もないのだろうか、分からないのだが、それはまあそれでいいではないかと、スーク(市場)に入り込む。 遠くまで来たなあ、とこの前、アルゼンチンまで行ったときは思ったが、それは距離ではなく、知っている知らないである。確かにバンコクまで戻ると、まだ日本まで6時間あるが、もう帰った気になるし、多分北朝鮮や樺太に行っても遠い気がするだろう。 そういった距離的観点を外して「宇宙の果てはどこなんだ!」という単純な疑問を、同じように解くことができのが分かる。宇宙の果てはここなんだもの。宇宙(星や太陽)を観る時に、それは、昔の姿を見ている。太陽の光が地球に届くのは8分かかり、この瞬間に太陽がなくなっても、太陽が見えなくなるのは8分後であり、遠い星は、もう何千万年も前の光であり、いまは存在しないかも知れない。光速は1秒間に地球を7周半するというが、自分から離れると、全て過去なのである。未来はない。現在は、今、自分のここだけ。一番端にいるのである。 ところで、人々の聞こえる声を聞いていると、「イラレカ」と聞こえて、反射的に吹き出した。思い出したのだ。あれは、バーレーンのサッカー中継であった。馬鹿なことをよく覚えていた。(しかし、アラビア語で「さようなら」は、「マアッサラーマ」と「イラレカ」。マアッサラーマは「平和とともに」と祈り、イラレカは「またすぐに会いましょう」と望む言葉らしい。(イラレカ調べたら、このサッカー中継のページばかりで意味調べるのにグーグル先生5ページまで検索してもうたわ。) スークは、中心部にあるバーレーン門を曲がったところに、スパイス屋、電気屋、金屋、布屋、食べ物、土産物、日用品屋が広がる。左右上下に歩き回る。やっと、街の息づかいが感じられたのであった。2009年秋EUA・オマーン・バーレーン旅行 ドバイ、ブルジュハリファ/a> ドバイのホテルライフ 中東を飛ぶ オマーンへの道 オマーンへの道 オマーンの歴史 オマーン国立博物館 オマーンへの道 オマーン、魚市場 バーレーン空港から市内へ バーレーンのスークにて バーレーン市内から空港へ ジェットラグ
2010.10.01
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