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あっちこっち日記の話題が飛んでいたので、年末年始旅行をアップし終えるに、馬鹿みたいに2ヶ月かかっているので、昨年と同様、まとめ=とどめ、として、自分の中で列記しておく。会社帰りに飛行機に乗って、トルコ、イスタンブールにやってくる。空港のベンチで6時間ぐらい横になって寝ていたら昼前となる。1日1便のモンテネグロまで飛んで、そこから、タクシーバスを乗り継ぐかといえば、乗り継がずにタクシーでコトルまでいく。そこからバスでクロアチアに入りドブロブニクまで足を延ばす。いろいろ経由してマケドニア、首都スコピエに行く。肉を食う。空港まで行くが、飛行機が雪と強風のため、ダイバートされてキャンセルとなり、マケドニア延泊となる。翌日イスタンブールに到着は夜中前で、出発は9時なので、空港近くで宿確保し、明日の宿確保とか、いろいろしていたら睡眠時間も2時間となり、まあ、それでもギリシアに向かう。そこからイタリアのボローニャ、汽車でリミニ、バスで、96カ国目の国、サンマリノをめざそうとするが、計算するとサンマリノの滞在時間が2時間しかないことが判明し、検討に検討を重ねた結果、次回とすることに決定。次回はいつか未定。そんでもって、アテネで30年弱ぶりにパルチノン神殿見る。イスタンブールは7時間ぐらい乗継ぎ時間があったので、市内へ出る。そんな感じでの帰国。モンテネグロ、クロアチア、マケドニア、トルコ、ギリシア2015 関空→モンテネグロ、ポドコリカ モンテネグロ、ポドコリカ→コトル モンテネグロ・コトル夜 モンテネグロgourmetの旅 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク1 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク2 会社員の行くクロアチア、ドゥブロブニク クロアチア、ドゥブロブニク1 クロアチア、ドゥブロブニク2 高台へ クロアチア、ドゥブロブニク クロアチア・ドゥブロブニク→モンテネグロ・コトル モンテネグロで考える モンテネグロ・コトル早朝 コトルからポドコリカ空港に戻る。モンテネグロ モンテネグロ→マケドニア マケドニア、スコピエ 新市街観光案内 マケドニア、スコピエ 旧市街観光案内 マケドニア、スコピエ やたらスタチュー マケドニア、スコピエ 夜 マケドニア、スコピエ gourmetの旅 マケドニア、スコピエの何だこれ マケドニア、スコピエ やばい、大雪になってきた マケドニア、スコピエ フライトキャンセル マケドニア、スコピエ延泊 イスタンブール→アテネ アテネのホテル アテネで唸る アテネgourmetの旅 アテネ、アクロポリスへ行け アテネで正月を迎える アテネ正月ご来光 アテネ20数年ぶり アテネ時空を超えて7 アテネ1987 アテネから帰る イスタンブル ブルーモスク、アヤソフィア 1月1日イスタンブルの夜 イスタンブル待ち時間 イスタンブル→大阪 旅行荷物 ダイジェスト版 帰国後の所感
2015.02.28
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私は、まあ、単純に言えば自分勝手なので、基本的にそんなに土産物を買うわけではない。それでも、日本に戻る最後のフライトの空港近くのスーパーマーケットでいくつか、やっつけで買うという按配。トルコ料理オンパレード。世界三大料理にトルコ料理が入るのは分かる。5年前の命題で、基本、毎日日本食以外しか食べられないとすると、何料理食べ続ける?という難問に、韓国料理かタイ料理と思っていたが、今はトルコ料理かタイ料理かなあ、と思うようになった。機内のコックは女性だった。初めてだったなあ。あ、別にしみじみしてないけどさ。喉渇く。マンゴースムージー頼んだら、あれはごめんね、朝食しか出さないのよ、といわれ、え、これ朝食じゃないの?今起きたけど、何か?ああ、日本では今18時頃なのか・・・ああ、今日終わってしまった・・・何となくそう思うのみであった。しかし、賞味期限というのもあるので、結局、時間がたつと、急いで誰かに出血大サービスとなる。なかなかいいことだ。何だか、水も沢山持って帰ってきている。ビジネスラウンジからもぱちってきたんだ。ちなみに、シンガポールも台湾も、行きより帰りのほうが荷物が軽いという事実。駄目だ、面倒な人生。だって、地球の総重量、ほとんどかわらねえぜ。ちなみに、原料や原油を輸入して、高性能チップや精密機械を輸出、そうやって、日本の総重量はどんどん軽くなってきた。でも今は、どうなのか、というか、日本ってさ、1億人も人口いるから国内需要があるから輸出入って割と割合は低いんだよね。モンテネグロ、クロアチア、マケドニア、トルコ、ギリシア2015 関空→モンテネグロ、ポドコリカ モンテネグロ、ポドコリカ→コトル モンテネグロ・コトル夜 モンテネグロgourmetの旅 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク1 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク2 会社員の行くクロアチア、ドゥブロブニク クロアチア、ドゥブロブニク1 クロアチア、ドゥブロブニク2 高台へ クロアチア、ドゥブロブニク クロアチア・ドゥブロブニク→モンテネグロ・コトル モンテネグロで考える モンテネグロ・コトル早朝 コトルからポドコリカ空港に戻る。モンテネグロ モンテネグロ→マケドニア マケドニア、スコピエ 新市街観光案内 マケドニア、スコピエ 旧市街観光案内 マケドニア、スコピエ やたらスタチュー マケドニア、スコピエ 夜 マケドニア、スコピエ gourmetの旅 マケドニア、スコピエの何だこれ マケドニア、スコピエ やばい、大雪になってきた マケドニア、スコピエ フライトキャンセル マケドニア、スコピエ延泊 イスタンブール→アテネ アテネのホテル アテネで唸る アテネgourmetの旅 アテネ、アクロポリスへ行け アテネで正月を迎える アテネ正月ご来光 アテネ20数年ぶり アテネ時空を超えて7 アテネ1987 アテネから帰る イスタンブル ブルーモスク、アヤソフィア 1月1日イスタンブルの夜 イスタンブル待ち時間 イスタンブル→大阪 旅行荷物 ダイジェスト版 帰国後の所感
2015.02.27
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追記である。1986年7月終わり頃、バンコクからハジャイ経由でシンガポールにバス南下した。バス停はどこだか分からなくて、安宿のあるベンクーレン通りを探しながら歩くこと2時間、重いザックを背負って中央分離帯を歩いた。そして翌日だったか、まあ、マーライオンでも見に行くか、シンガポールは2泊で十分だよな、と思いながら、シンガポール国立博物館経由でマーライオンを見に行った。そこからすることが、なくなって通りがかりで映画を見に行った。確かに、マーライオン見てがっかりしたことに満足した。1986年、今の場所とは違ってもう少し内陸部にあって、その前にエスプラネード高速道路ができたので、なんだかよろしくなくなったらしい。確かに、そのようだ。2002年に海際に移転され、正面から見えるように桟橋もつけられた。故障していたポンプも修理され、再び水もほぼ常時吹き出すようになったとのこと。昔のマーライオン。確かに、写真を見ると、マーライオンのすぐ裏にフラトンホテルがある。写真を見ると、写真を撮ったエリアは、今はドリアンみたいなエスプラネードオンザベイってか、なんだかドーム劇場ができているが、昔は緑の芝生。今は、マーライオンは5つあるようで、まあ、そういうことらしい。そう母は繰り返すのであった。ふと、ガキの時代、マーライオンのチョコレートを貰った記憶がある。おばあちゃんからだ。1970年代だったと思う。シンガポールに知人が住んでいたからねえ、と母は言った。おじちゃんも確か1970年代にインドに行っている、巡礼の旅行に。じいちゃんばあちゃんは、結構、海外旅行が好きだった。勿論1970年代なので、団体旅行でではあるが、当時はかなり高かっただろうな。ちなみに、土産物をおかんは買うのを忘れ、ああ空港でいっぱい売っているから大丈夫だよ、と不安定なあどヴぁいすをした私であったが、早朝の離陸であった訳で、空港内の店はことごとく閉まっており、結局、成田空港で、世界の土産物屋に行き、そこで、何だかチョコレートみたいなのを5,6箱6,7,000円出して買っていた。いやはや申し訳ない。ちなみに、私は何も買ってない。フラトンホテルの開業は2001年と調べたところによるとなっているが、建物自体は1986年の写真を見る限り存在していたな。ウキペディアによると、ザ・フラトン・ホテル・シンガポールの建物は初代海峡植民地総督であるロバート・フラトンに因んでフラトンビルディングと名付けられ、1928年6月27日に完成した。フラトンビルは上海にあった建築会社キース&ドウズウェルにより設計され、当時としては大規模な建築とドーリア式の円柱などに特徴のあるパラディアン様式の建物として、シンガポールの代表的な存在となり、中央郵便局やいくつかの政府機関などが入居した。第二次世界大戦時における日本軍侵攻時(シンガポールの戦いを参照)に、当時の総督シェントン・トーマスがマレー駐在イギリス軍司令官中将アーサー・パーシバルと降伏について話し合った建物として、シンガポールの歴史にその名を残している。フラトンビルは1996年まで中央郵便局として使われたが、再開発によりホテルとして甦った。改装費用は約240億円。とのことであった。マア、地下鉄乗ろうやってことで3駅乗る。1986年、マーライオンそういえば、フラトン前の海にマハトマガンジーの骨の一部が散骨された。植物園へ 愛されキャラになりなさいベイフロントで降りる。今、プノンペンにも同じようなの作っているらしいよ。お、なんとなく、宇宙な感じ。なんとなく植物好きやな、割と意味なくボタニカルガルデン行くよね。全部、このあたり人工島なんだねえ有料コーナーに入る。高いから行かないよな、2度と。シンガポーリアンも割り引きあるけど、いかないだろうな。バオバブマーライオンのこと、学生時代、シェーライオンっていってたな。勿論、シェーは、おそまつクンだよ。私もタイムリーじゃないけど。おかんシンガポール招待旅行 シンガポールへ シンガポール 元祖マーライオン1 シンガポール 元祖マーライオン2 シンガポール ガーデンズバイザベイ1 シンガポール ガーデンズバイザベイ2 シンガポール ラッフルズホテルシンガポースリング シンガポールgourmetの旅/a> シンガポール普通観光 シンガポールから帰宅 シンガポールはどうでしたか。 1 シンガポールはどうでしたか。2
2015.02.26
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今回は、ツアー(飛行機+空港送迎+ホテルパック)なので、ホテルに行くまでに、免税店に連れて行かれる。しかし、なかなか合理的でホテルのチェックインが3時で、飛行機の時間を合わせたように、40分程度15時まで時間があいていて、するりと入れられるのであるが、速攻で、飯を物色しにいく。団体旅行ってのは、なかなかしたことがなかったが、安い国での意外なメリットを思い出した。インドのタール砂漠ででラクダを転がした帰りに我々5人組はジョードプルという街で列車の待ち時間12時間ということになったが、それなら休憩ってことで、ダブルの部屋を5人で使わせてもらおうと交渉し、休んだ、スモーキングしたということがあったな。ボルネオ島に4人組で河下りしたときも、こちらは安宿はないので、交渉してダブルに泊まったなあ。1泊2,000円とか2,500円したから予算上、仕方の無いことだったなあ。まあそんなことを思い出すのであった。朝食も、一応おかゆをメインに食べるのである。しかし、今後に備えて量は少なめにしたら、食べ残しのような皿になったという訳である。宿泊しているホテルから歩いて行けるフカヒレ有名かどうか知らんけど、リーズナブル&高級感の店に行く。上品魚翅。800元(3200円)コースに果敢にも挑むのである、一番安いコースである。フカヒレはそれでも2.5両125グラムである。まずは、ドドーンのあわびサラダである。しかし、バランス悪くあわびばかり食べて、サラダが残ってしまったのである。ズシーンのとびうおの卵の和え物である。食感を味わうのが目的なのか、味は、ズシーンとは来ないが、まあ貴重なもの頂きましてという気分にはなる。苦しゅうない。そしてトローンとフカヒレスープである。生のモヤシを入れて、フカヒレのユルユル感にシャキシャキ感を出そうという魂胆である。春雨とちゃうで!そう自分に言い聞かせるのである。メンバーは無言になるのである。本当においしいときは無言になるのである。同時に食べ慣れていないものを食べても無言になるのである。これは、何だ、過去のどこかで食べた何と似ているのだろうか?何にも似ていない、表現する言葉が無いの無間ループである。そして蒸し魚に季節の野菜煮に鮭チャーハンにデジャートにコーヒーが出てきて終了。このコーヒーは異常に不思議なことに利尿作用強烈で(ビール飲んだのもあるけど)、店を出る前に念のために10分前にトイレ行ったけど、もう一度行ったにも関わらず、30分後には、メンバーほぼ全員がトイレ探しの旅にでるはめになる。それ以外は満足した。九イ分からの帰り、チャーターしたヴァンの中で、サテ晩飯は再度ショーロンポー的なのでいこうやということになったのであるが、いろいろ見てみると22時にはほとんどの店が終わってしまっているのである。これはいけないぞ、といつも何故か半笑いのドライバーに、どこかリーズナブルで夜遅くまで開いているシャオロンパオの店ないかそれとなく大々的に聞いてみると、彼はいい奴で、あちこち電話してくれて、店を選んでくれて、その店まで連れて行ってもらったのである。彼の功績である。杭州小籠湯包であった。調べてみると、昼間は行列店のようだ。値段も合理的だ。まずは、席を占領し、厨房の横にあるところから飲み物や小皿や生姜や1品料理や箸や蓮華を勝手に取りに行く(最後に皿とか空き缶数えて精算するシステム)。蒸し物は、オーダーから5分もしないうちに運ばれてくるシステム。今回一番うまかったと感じられたのは、おそらくフカヒレ食べてから既に8時間以上経過していたからが最も大きな原因かと考えられるという実も蓋もない結論である。満足した。朝食はおかゆである。鹹豆漿(シェンドウジャン)油條や葱など入ってる塩味の豆乳、オーダー表に書き込んで渡すシステム。漢字で想像しながら適当に頼みまくり、一人200円。満足した。トドメは、空港。台湾団体旅行 台湾ツアー開始(リンク) ひげちょうるーろんはん(リンク) 猫空(リンク) 士林夜市(リンク) 迪化街 (リンク) 台湾現代建築のメルクマール(リンク) 仇分前後(リンク) 仇分の中(リンク) 仇分おまけ(リンク) 台湾gourmetの旅(リンク) ウエルカムトゥ台湾(リンク) 松山(リンク) 台湾カラーズ(リンク) 行天宮・龍山寺(リンク) あばよ、台湾 団体旅行団長所感
2015.02.25
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中華系は派手にする。台湾応援してたみたい。台湾で一番有名な日本人は、多分、八田與一だろう。何故か、台湾では、2時か3時まで遊んでいても、いつも早起きしてしまう。9時とか、9時半とか。早朝便なら5時とか6時とか。1日目もホテルで朝食をとったのだが、おかゆである。そのあとは、特に昼まですることはないのだが、足坪マッサージに行く。普段は、アシツボは平気なのだが、今日が特別に痛いのだか、うまいのか、下手なのか、体調が悪いのか、猛烈に痛く、断末魔炎の叫びを繰り返す。特に、生理不順の坪のところが痛くて、半泣きどころか、全泣きというか、オレが何故生理不順なのか、よくわからないままに、はじめの1分目から力が強いので、このまま30分だか40分だか耐え切る自信がなくなる予感はしていたのだ。痛気持ちいいなら良いのだが、単純に痛いのだ、胃腸や目が悪いのかどうかは、判然としないまま、これが坪に直撃、全部痛いなら、体はもうボロボロってことではないのか?自称日本人の大手商社で働いていたというオーナーはカタコトとしか思えない日本語を自由に操り、うさんくさくて仕方なかったが、これが本当のマッサージだよ、どうだ、ざまあみろ、わかったかね、というような勝ち誇った顔で解説するのである。解説する横で、私は死に掛けカエルのように、グワー、ゲボーっと叫ぶのである、コウモンにストローを突っ込まれて空気を入れられた気分だ。ガキの頃、そんなことしてすみませんでした!私は、カエルの亡霊に謝りつつ、少し頭の弱い後輩に、オマエもやってみろといって、やらせると、ストローを刺して吸っていた事を思い出して、バカ、オマエ,吹くんだよ!と慌てたことも思い出し、頭が弱いことをバカにしてゴメンよ、渾名もサルキチなんて言っててスマンよ、とマリアナ海溝より深く40年ぶりに反省するのであった。反省は猿でもできるのである。ナノで私は後悔もした。そんな昼下がりであった。そして施術が無事終わり、足取りが軽くなったかといえば、そういうわけでなく、若干財布が軽くなった程度であった。サクリファイス!ちょと前に、何かの本読んでたらそんな単語が日本語の中に唐突に出てきて、そういう単語って、もう日本語化しているのか・・・と思ったりなんかして。ヴィクテイムとは違って宗教的な意味あるからなあ・・・だから何だ、だからアシツボは終了した。・・・この前の酔っ払って、半分寝てるけど寝てない状態のマッサージは、超気持ちよかったなあ。懐かしいよ。台湾団体旅行 台湾ツアー開始(リンク) ひげちょうるーろんはん(リンク) 猫空(リンク) 士林夜市(リンク) 迪化街 (リンク) 台湾現代建築のメルクマール(リンク) 仇分前後(リンク) 仇分の中(リンク) 仇分おまけ(リンク) 台湾gourmetの旅(リンク) ウエルカムトゥ台湾(リンク) 松山(リンク) 台湾カラーズ(リンク) 行天宮・龍山寺(リンク) あばよ、台湾 団体旅行団長所感
2015.02.24
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クラークキイ、シンガポール沿いから眺める。ここから歩き始める。今の季節が一番気候のよい季節ですよ、と母は教えてくれた。そういえば6,7回目だが1月は初めてのような気がする。まあ、母は初めてである。前回かいつか、対岸のポートキーを歩いたな。ニューブリッジロードを超える。 10年前は、マリーナベイホテルないな。セントアンドリュース大聖堂。この周辺も26年前にラッフルズホテルあたりから歩いてきている。ラッッフルズ像付近。シンガポール議会周辺アートハウスこのあたりに、ビートチロードというのがあるが、海岸線からはかなり離れている。ラッフルズホテルの南側はビーチロードで、昔はここが海岸線沿いだった。今は海も見えない。1980年代私が行った頃は、ニコルハイウエイが海岸沿いぐらいだったが、まだ先まで埋められている。ニコルハイウエイは、初めて訪れた1986年、管理国家だったシンガポール社会からはみ出た暴走族みたいのが、憂さ晴らしにニコルハイウエイをぶっぱなしていた。ということで、その名前を覚えている。1965年の独立から、国土は2割り増しである。じゃんじゃん埋め立てている。よく東京23区や淡路島ぐらいといわれるが、そのうち比較対象も変わってくるかもしれない。でも独立前からもじゃんじゃん拡張していっているのである。昔チャイナタウンには丘があったらしい。今まで海底やマレーシアやインドネシアの土を埋め立てていたが、2国は環境問題もあってか、ええ加減にせいやボケ!といいだし、今やカンボジアとかタイとか遠くから砂や土を輸入鋭意埋め立て中。あと1割ぐらい埋め立てたいみたいだ。クリケットクラブ横ぐらいから。シンガポール最河口にあるフラトンホテル。今はここから先も陸地が続く。河にかかる小さな橋のふもとに猫の石造がある。シンガプラキャットって、シンガポール原産猫という眉唾。以前飛行機(チャンギ空港も埋立地)がメインになる前は、ここが国際航路の中心地だったんだねえ。あ、都市国家の宿命で、飛行機の国内線ないんだよねえ。それからこのあたりにガンジーの骨の一部も散骨されたそうだ。その跡地にフラトンが誕生したって按配。おお、28年ぶりのマーライオン。昔は前のホテルどころか陸も無かったから海を向いていた。おかんには、これが世界3大がっかりのひとつですよ、と紹介すると、残り2つとも知っていた。(すみません、3つとも見ました)まあ、これがシンガプラ獅子の街、ライオンなんかアフリカにしかいないのにねえ、まあ伝説の動物ってか狛犬か・・・サンスクリットのシンハ、タイのシンハビール・・・なんだ。ところで、このマリーナベイ、湾といいながら、貯水池なのだ、淡水化している。珍しい都心の貯水池である。シンガポールには水がない。昔からマレーシアから水を輸入、マレーシアと結ぶ橋の横に、水の管も通っている。そんなわけで、マーライオンも淡水を吐き出すのである。海を向いているので、ライオンの顔が見えるように前が見える桟橋が出来ている。観覧車シンガポールフライヤー(世界最大?)は結構小さく見える。開園3ヶ月で、風水から逆周りに変更になった代物、なんぼかかるねん。修復中、1976年完成、8.6メートル。こんなに人がっかりするのを楽しみに見に来るんだねえ。後ろはフラトンホテルおかんシンガポール招待旅行 シンガポールへ シンガポール 元祖マーライオン1 シンガポール 元祖マーライオン2 シンガポール ガーデンズバイザベイ1 シンガポール ガーデンズバイザベイ2 シンガポール ラッフルズホテルシンガポースリング シンガポールgourmetの旅/a> シンガポール普通観光 シンガポールから帰宅 シンガポールはどうでしたか。 1 シンガポールはどうでしたか。2
2015.02.23
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MRT文湖線の動物園駅(終点)で降りる。しかし、最後まで、動物園どこにあるのか分からなかったが、動物園が目的地ではなかったので問題ない。タイペイイチマルイチも見えるということである。駅から300メートルぐらい歩けば、ロープウエイ乗り場である。50元て200円だけど、これで2,30分4キロもロープウエイ乗るって安いのではないか。これは、ガキのエクスカーションでも問題ない、ましてや労働者なら言うまでもない。キティとのコラボレーションということである。底スケルトンコース(クリスタルキャビンというそうだ)を選ぶがなかなか来ないシステム。思ったより怖くない。宝塚あたりの中国自動車道か、この風景は?とデジャブする。途中に2つ駅があるが、誰もおりる気配無く、自動的に開いた扉を、一人佇む熟練係員が、降りないの?と聞きながら、悲しくも扉を締めていくシステム。一度90度まがりつつ、かなりの時間をかけて、到着。何があるかといえば、ロープウエイ自体がメインだたのではないだろうか。ロープウエイを降りると、少し店舗があり、歩き食いする人も多数。もう終わりかと思いきや、向こうに店舗が見えるので行くこととする。ここの下で茶を飲むことに決定。鉄観音茶の産地らしいよ、この辺。台湾行けば、一度は見せられる茶の入れ方。まあ、茶だけでなく、ちょとだけつまむ。時間が無いというか、行くきがないというかいっぱいあるね。さて、戻る、メシ食う、ただそれだけのために。台湾団体旅行 台湾ツアー開始(リンク) ひげちょうるーろんはん(リンク) 猫空(リンク) 士林夜市(リンク) 迪化街 (リンク) 台湾現代建築のメルクマール(リンク) 仇分前後(リンク) 仇分の中(リンク) 仇分おまけ(リンク) 台湾gourmetの旅(リンク) ウエルカムトゥ台湾(リンク) 松山(リンク) 台湾カラーズ(リンク) 行天宮・龍山寺(リンク) あばよ、台湾 団体旅行団長所感
2015.02.22
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1週間くらい前に来た時より10度程度気温が下がり、小雨が降る中、3時間程度歩き続ける。グランドバザール(カパルチャルシュ)は夜は閉まるのだな。正月だからかも知れないが。インドでまた性的被害を受けている。なんだろうか。リスクマネジメントないのかな。それとも性善説?ガイドするよって来られれたらどうするのか、勿論私は男なので、人見てタマに挑発に乗るが、基本的に男でさえ無視する。でも男だからタマに最終トラブルになってもいいよね、と思う。最終は金だから。まあ勿論力ずくでカマ掘りそうな奴にはついていかないけどね。しかし、それって日本でさえも緊張感なく暮らしているのではないか。自分の知り合いの女性が、絶対、少なくともそんなことないように願う。モンテネグロ、クロアチア、マケドニア、トルコ、ギリシア2015 関空→モンテネグロ、ポドコリカ モンテネグロ、ポドコリカ→コトル モンテネグロ・コトル夜 モンテネグロgourmetの旅 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク1 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク2 会社員の行くクロアチア、ドゥブロブニク クロアチア、ドゥブロブニク1 クロアチア、ドゥブロブニク2 高台へ クロアチア、ドゥブロブニク クロアチア・ドゥブロブニク→モンテネグロ・コトル モンテネグロで考える モンテネグロ・コトル早朝 コトルからポドコリカ空港に戻る。モンテネグロ モンテネグロ→マケドニア マケドニア、スコピエ 新市街観光案内 マケドニア、スコピエ 旧市街観光案内 マケドニア、スコピエ やたらスタチュー マケドニア、スコピエ 夜 マケドニア、スコピエ gourmetの旅 マケドニア、スコピエの何だこれ マケドニア、スコピエ やばい、大雪になってきた マケドニア、スコピエ フライトキャンセル マケドニア、スコピエ延泊 イスタンブール→アテネ アテネのホテル アテネで唸る アテネgourmetの旅 アテネ、アクロポリスへ行け アテネで正月を迎える アテネ正月ご来光 アテネ20数年ぶり アテネ時空を超えて7 アテネ1987 アテネから帰る イスタンブル ブルーモスク、アヤソフィア 1月1日イスタンブルの夜 イスタンブル待ち時間 イスタンブル→大阪 旅行荷物 ダイジェスト版 帰国後の所感
2015.02.21
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実は、イスタンブールの待ち時間がほんの6,7時間あったので、市内まで行ったのであった。空港に戻りつつある前に、路上でチャイを飲む。何故か、いつもはストレートだが、角砂糖を入れたくなり、薄茶色の熱いチャイにほうりこむ。まだ離陸まで4時間以上あるのに、今から空港に向かう。何人店員おるねんそれにしても国境を越えればシリアである。今、原油が安くなっているのは、多分イスラムテロ集団が石油基地を略奪していってそれを安価で売却してテロ資金にするわけだが、それを許さないアメリカやサウジアラビア、イランとかが協力して痛みを伴いながら我慢して、原油安を容認しているのかもしれない。でもそれで自滅気味なロシアとかベネズエラは、ひええだわ。まあ、原油安くなったらメタンハイグレードとかこれから深海から取り出そうとするものとか採算合わなくなってくるね。どんなけつり革あるねん。トルコの隣国の一つにシリアがある。モンテネグロ、クロアチア、マケドニア、トルコ、ギリシア2015 関空→モンテネグロ、ポドコリカ モンテネグロ、ポドコリカ→コトル モンテネグロ・コトル夜 モンテネグロgourmetの旅 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク1 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク2 会社員の行くクロアチア、ドゥブロブニク クロアチア、ドゥブロブニク1 クロアチア、ドゥブロブニク2 高台へ クロアチア、ドゥブロブニク クロアチア・ドゥブロブニク→モンテネグロ・コトル モンテネグロで考える モンテネグロ・コトル早朝 コトルからポドコリカ空港に戻る。モンテネグロ モンテネグロ→マケドニア マケドニア、スコピエ 新市街観光案内 マケドニア、スコピエ 旧市街観光案内 マケドニア、スコピエ やたらスタチュー マケドニア、スコピエ 夜 マケドニア、スコピエ gourmetの旅 マケドニア、スコピエの何だこれ マケドニア、スコピエ やばい、大雪になってきた マケドニア、スコピエ フライトキャンセル マケドニア、スコピエ延泊 イスタンブール→アテネ アテネのホテル アテネで唸る アテネgourmetの旅 アテネ、アクロポリスへ行け アテネで正月を迎える アテネ正月ご来光 アテネ20数年ぶり アテネ時空を超えて7 アテネ1987 アテネから帰る イスタンブル ブルーモスク、アヤソフィア 1月1日イスタンブルの夜 イスタンブル待ち時間 イスタンブル→大阪 旅行荷物 ダイジェスト版 帰国後の所感
2015.02.20
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前日の夜は21時までに食事を終えなさいという伝令を忠実に遵守しようとしたものの、会社を出たのは20字45分であり、飯を食ったのは21時30分であった。まあ、そんなに厳密なものではないが、病院に行って素直に申告しておいた。(納豆卵ネギご飯を食した)じゃあ、もしかしたら胃の中に内容物があったら、もうちょっと消化するまで待っていてもらうかも知れませんねと言われたものの、はいと快諾したふりをしておいた。 まずは、口の中にどろーとした麻酔液を入れられるのであるが、そこで3分間で口の感覚をなくすという手段である。舌がどこにいったか分からないのが前回であったが、今回は、そんなに効いていない、このままではやばいのではないかと危惧する。危惧している間に、ベッドに連れ去られ、横向きにされ、口にワッカをくわえさせられるのだが、先生、いまからの全身麻酔、私、耐性が強いんです(若気の至りで、とは言わなかったのであるが)、全身麻酔、おもいっきりきつくしてください、効かないんですとおねだり攻撃したのであった。それでも、割と、痛いというか、えずかないが、グゲー、ゴゲー、グググルグーと何だか奇声を漏らしてしまい、割と、私の心の内なる羞恥心が無尽蔵に溢れ、看護師さんたちに注視されているので、穴があったら入りたい気分になるのだが、逆に管が私の穴の中にどんどん入っていく模様であった。それでも、3分から5分で無事完了してしまい、ハイ少し休んで下さいね、という頃に、ようやく薬が効いてきて、ぼーっとしてきたのであった。なんとなく、キムチよい状態のまま、30分ほどソファで放置され、歩けますかといわれ、勿論ですと、若干の強がりを含め、浮遊するように歩き、検査結果としては別になんともないですといわれ、なんだよ、と思いながら、食事をして家に向かう電車の中では、熟睡するのであった。これはやばいと、会社では、クソやることがたまっているのに、睡魔には勝てず、永遠に近い眠りに入っていったのであった。くそっ、今頃、効いてきやがった・・・とろい・・・。年末も昔みたい。来年からは、健康診断で胃腸検査拒否することにしよう。病気になったり、死ぬ間際にならないと、健康のありがたみや生の意味が分からないからね。それより心配なのは、老化現象だ。昨日は、1時間約束を間違えてボーットするわ、急いで9時半に食事を終えて、30分越えてしまったなと思いながら、気がついたら、ゆっくりみかん食べているわ。食べているときに、あ、しまった、みかん食べとる・・・
2015.02.19
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イスタンブール市内に向かう。トラムに乗り換える。小雨が降っている1月1日、4時間の散歩に挑む、いや挑むという気合の入ったものではなく、暖をとったり、メシ食ったり、チャイを飲んだりするつもりである。(ま、飯は食べなかった)小雨は降り、傘は持ているが、サスホドデモナク、体は冷える。考えたら、夜このあたりを歩くのは初めてだった。考えたら、いや考えても、当たり前のことなんだけど、ここ5年ぐらい毎年イスタンブールに来ているけど、その前は22年ぶりだったから、その懐かしさはなくなっているんだよな。会社帰りに飛行機に乗って1週間が過ぎて、また日本に帰るときに、会社に行く姿になっているのが、なんだか、笑ってしまうイスタンブールの夜。グランドバザールって夜閉まっているんだね。モンテネグロ、クロアチア、マケドニア、トルコ、ギリシア2015 関空→モンテネグロ、ポドコリカ モンテネグロ、ポドコリカ→コトル モンテネグロ・コトル夜 モンテネグロgourmetの旅 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク1 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク2 会社員の行くクロアチア、ドゥブロブニク クロアチア、ドゥブロブニク1 クロアチア、ドゥブロブニク2 高台へ クロアチア、ドゥブロブニク クロアチア・ドゥブロブニク→モンテネグロ・コトル モンテネグロで考える モンテネグロ・コトル早朝 コトルからポドコリカ空港に戻る。モンテネグロ モンテネグロ→マケドニア マケドニア、スコピエ 新市街観光案内 マケドニア、スコピエ 旧市街観光案内 マケドニア、スコピエ やたらスタチュー マケドニア、スコピエ 夜 マケドニア、スコピエ gourmetの旅 マケドニア、スコピエの何だこれ マケドニア、スコピエ やばい、大雪になってきた マケドニア、スコピエ フライトキャンセル マケドニア、スコピエ延泊 イスタンブール→アテネ アテネのホテル アテネで唸る アテネgourmetの旅 アテネ、アクロポリスへ行け アテネで正月を迎える アテネ正月ご来光 アテネ20数年ぶり アテネ時空を超えて7 アテネ1987 アテネから帰る イスタンブル ブルーモスク、アヤソフィア 1月1日イスタンブルの夜 イスタンブル待ち時間 イスタンブル→大阪 旅行荷物 ダイジェスト版 帰国後の所感
2015.02.18
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1987年夏、アテネのホテルの屋上で寝た。というのも、簡易ベッドでは南京虫が出て痒くてたまらなかったからである。肌寒い朝に、朝日が昇ると同時にシュラフ(寝袋)から出てきて階下に行く。ギリシアでの1日の予算は8ドルだから、今日も何する人ぞ。まずは、航空会社のオフィスに行きリコンファームする(昔は、予約の再確認が必須であった)。何故か事務員はFAREのところを書き直していた。さて、今日やることは、何もなくなった。広場に座って、缶ビールチビチビ飲むか、飲んで人間ウォチングだ。教会では、結婚式が挙行されており、花嫁がなかなか教会の外に出てこない。遠くを見るために、久々に眼鏡をかけてみた。長い間、バッグの中で眠っていた眼鏡ケースである。(考えたら常時眼鏡をかけるようになったのは働いてからである)眼鏡をかけたら、急に世界が明るくなり、急に美人が増えた。同時に汚いものや顔の不自由な人も増えた。思わず、2本飲んだ後は、ホテルに戻り、昼寝だ。ドミトリーで昼寝しているのは、私とお金を全部取られて本国から送金待ちの南アの太った太った女性だけだ。やたら観光客が多いように思える。でも土曜の夜なのに、何でこんなに店閉まっているのだ。夕方には、遂に奮発して、パスタを食べた。底のほうが冷えていた。ケチャップみたいのをかけてたらい上げた、きっと美味かった。明日は、博物館などが無料開放なので、一気に回ろうと思う。まだアクロポリスにも行ってないし。 翌日、朝9時、外に出るとサンデーバザールとなっており、大勢の人で埋まっている。酷いガラクタを売るモノもいて、ヌード系ガラクタも下までスッポンポンで、ああ、ヨーロッパまで来たんだなあと分かるのであった。そのまま、ミュージアムに行き、アクロポリスの説明を読み、アクロポリスに登る。かつて、見たこともないほどの外国人観光客にびびった。パルティノン神殿を見て、日陰で座り、歴史も廃墟感も感じず、何でこんなに人が多いんだよ、もうヒト、人、人間!そんな自分もそのうちの一人。アクロポリスの入場料は無料の日だったが、パルティノンには別途500ドラクマの金が必要ということで、目の前で諦めた。丘からスモッグを通してアテネの街が見える。 スープとビールを飲んで、チェックアウトしたのに、ベッドが空いていたので勝手に昼寝をし、夕方となる。荷物をまとめる。今日4ドル使った、ホテルからシンタグマ広場まで10分歩いた。時間があるので、カフェでビール飲もうとしたが、マーケットで買う3倍である(当たり前だ)ことをメニュー表で確認して、キオスクでビールを買った。JALオフィスの前から空港行きバスが80ドラクマで出ているのであった。何となくヨーロッパは、ギリシアだけど、敗北である。アジアを横断してきて、アジアを抜け出すことが出来なかったような気がする。モンテネグロ、クロアチア、マケドニア、トルコ、ギリシア2015 関空→モンテネグロ、ポドコリカ モンテネグロ、ポドコリカ→コトル モンテネグロ・コトル夜 モンテネグロgourmetの旅 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク1 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク2 会社員の行くクロアチア、ドゥブロブニク クロアチア、ドゥブロブニク1 クロアチア、ドゥブロブニク2 高台へ クロアチア、ドゥブロブニク クロアチア・ドゥブロブニク→モンテネグロ・コトル モンテネグロで考える モンテネグロ・コトル早朝 コトルからポドコリカ空港に戻る。モンテネグロ モンテネグロ→マケドニア マケドニア、スコピエ 新市街観光案内 マケドニア、スコピエ 旧市街観光案内 マケドニア、スコピエ やたらスタチュー マケドニア、スコピエ 夜 マケドニア、スコピエ gourmetの旅 マケドニア、スコピエの何だこれ マケドニア、スコピエ やばい、大雪になってきた マケドニア、スコピエ フライトキャンセル マケドニア、スコピエ延泊 イスタンブール→アテネ アテネのホテル アテネで唸る アテネgourmetの旅 アテネ、アクロポリスへ行け アテネで正月を迎える アテネ正月ご来光 アテネ20数年ぶり アテネ時空を超えて7 アテネ1987 アテネから帰る イスタンブル ブルーモスク、アヤソフィア 1月1日イスタンブルの夜 イスタンブル待ち時間 イスタンブル→大阪 旅行荷物 ダイジェスト版 帰国後の所感
2015.02.17
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日の出を見た帰りは、新年徹夜した若者がまだハイテンションのまま。ホテルが野菜マーケットの前にあるからって、ホテルの入口、こんなん。空港には、帰りは電車で行くことにする。40分である。自動販売機ではなく、窓口で購入。バスは5ユーロだが、こちらは8ユーロ。空いているがなんとなく、立っている。飛行機の席は革張り。空港で休憩、ソファでうとうと。ゲートに行く時間も近づきつつある。モンテネグロ、クロアチア、マケドニア、トルコ、ギリシア2015 関空→モンテネグロ、ポドコリカ モンテネグロ、ポドコリカ→コトル モンテネグロ・コトル夜 モンテネグロgourmetの旅 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク1 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク2 会社員の行くクロアチア、ドゥブロブニク クロアチア、ドゥブロブニク1 クロアチア、ドゥブロブニク2 高台へ クロアチア、ドゥブロブニク クロアチア・ドゥブロブニク→モンテネグロ・コトル モンテネグロで考える モンテネグロ・コトル早朝 コトルからポドコリカ空港に戻る。モンテネグロ モンテネグロ→マケドニア マケドニア、スコピエ 新市街観光案内 マケドニア、スコピエ 旧市街観光案内 マケドニア、スコピエ やたらスタチュー マケドニア、スコピエ 夜 マケドニア、スコピエ gourmetの旅 マケドニア、スコピエの何だこれ マケドニア、スコピエ やばい、大雪になってきた マケドニア、スコピエ フライトキャンセル マケドニア、スコピエ延泊 イスタンブール→アテネ アテネのホテル アテネで唸る アテネgourmetの旅 アテネ、アクロポリスへ行け アテネで正月を迎える アテネ正月ご来光 アテネ20数年ぶり アテネ時空を超えて7 アテネ1987 アテネから帰る イスタンブル ブルーモスク、アヤソフィア 1月1日イスタンブルの夜 イスタンブル待ち時間 イスタンブル→大阪 旅行荷物 ダイジェスト版 帰国後の所感
2015.02.16
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何故か、アクセスがここ数日多くて、どうなってんだと、見てみたら、5位となっていて、何か間違っている。 ほう、メールにフェイスブックから、結婚しましたってお知らせか、あ、この人誕生日に結婚してるな(友達だけど、会ったことない人)。で、年に一度の行事である。僕は今日集団検診にいきました。1年に一回3時間ぐらいかけて、うだうだ検診するのです。その前にネットで問診があって、今年も、仕事を意欲的に取り組んでいないと診断されそうになりましたが、ストレスは少なく問題ないでしょうとのことでした。僕には仕事が向いていないのかもしれないなあ、と何となく思いました。しかし、活気が無い作戦でいくからこそ、ストレス少なく省エネの生き様を指し示しているともいえます。勿論、仕事以外の生き様には燃え滾るようなパッションがあるかも知れませんが、パッションあるドウブツはその熱を隠すという故事の通り、しかし、さすがに過労には勝っても老化には勝てず、疲労感は貯まりつつある、まあそういったところでしょうか。勿論、働くことに関しては、手を抜いたり、やる気がないわけではなく、診断でもちゃんと不通(3)と診断されている。体重身長は昨年と誤差の範囲で同じで、肥満度は103だったので、これも想定の範囲内です。 体重計に乗るのは、1年に一度しか乗らないので、特に、何もしていないので、タイ移住、いや体重の変化はありません、おや、ウエストは2センチ増えているな。すみません。そんでもって、十二指腸に、良性ぽりーぷがあるから検査しましょね、って、それは面倒だよ。医者いくの。無理矢理予約させようとするんだから、親切なんだけど・・・。胃カメラいやだ。と駄々をこねるが、優しい笑顔で病院に電話をかけられるのであった。今年も惨敗。 仕方ないので、ネギラーメン食べて帰りました。家に帰ると、また支払い時期がやって来てショック。また、2月にカメラ食べに行ってくるわな。2011年の結果。今、整理してたら、なんと、セントマーチンからアンティグアバーブダ飛ぶ時(カリブ海)、エアチケットの他にアンティグアの空港税37.5ドル。セントマーチンスクリーニングフィー(って何だ?)10ドル、セントマーチン出国税33ドル、セントマーチン空港税5ドルの85.7ドルも別途取られていることが判明、激怒である。もう行かないよ(行くつもりないけど)。
2015.02.15
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団体旅行のメリットと楽しい条件はというと、メリットは、多くのものをちょとだけいっぱい食べられるということと、チャーターしても安くつく、下手に一人で安くつく(地下鉄やバスに乗るよりタクシーの乗るほうが安いとか)ということである。楽しい条件は、まあ、簡単にいうと、私が一番偉いということである。誰にもヘコヘコしなくていいということである。偉いと言うのは、一番年上ということである。仕事や収入や気立てや性格が偉いということではない。歳以外はしょうもない事項である。年上は、気持ちよくされて、よきにはからえというだけで、最終判断を直感と勢いだけで事を済まし、シレーっと誰からも文句を言われないようにするだけである。とても簡単である。日和見である。そして、常にでもないけど、意味なく先頭を歩きながら、意味なくイキって、意味なく旅行の極意を披露するだけである。オレに任せとけという態度だけ示し、実際は年下に任せるのである。それは単なる経験者の叡智であり、闘争のエチカである。所詮アソビであるから、常にオールOKの世界であり、あとは任せた!というか、もともと任せているので、よく分かっていないのである。分かっていないのに、議事進行していくのである。大局から見て、単純に見えていないのに、歴史は流れていくのである。最終決定については私が誰の意見も聞かずに判断し、不満分子は粛清するだけなのである。それが、政治なのである。具合例を挙げる。 市場から面倒なので、タクシーに乗ってMRT「忠孝復興」駅に向かう。その駅前のバス停から直通バス(1062番バス)に乗り渋滞していなければ1時間半で到着という情報は得ており、行きますよオラオラと、信号を渡る。そこのおじさんが立ちはだかる。「お前たち、九分いくあるか?このボード見るあるよ(まあ、私が偏見で勝手に通訳)」掲げられたファイルには、バスは1人105元で下道(外道ではなくしたみち)で90分、タクシーなら1人200元で高速道路40分でいくよ、と書いてあった。人間コンピューターである私は、円安とはいえ1元4円で800円と計算し、自分及び同行人一体も勤め人なので、0.5秒で相談もなく、OKそれでいくよ、と快諾するのであった。じゃあ、こいつについていけ、というので、ついて行く案内人に、ビール飲んでて出発前にトイレに行きたいんだよ、というと、足の悪い案内人は、何人だというので、この中でトイレ行きたい人は?と聞き、ほぼ全員がいくこととあいなると、何故か、案内人は、半笑いで、早く来いと悪い足を引きずりながら怪しい九龍城みたいなアパートの共同トイレに案内した。急げ急げ、の意味は最後まで不明であったが、彼につられて、無意味に急げと私は皆さんに号令をかけ「これから変なアパートに入って、売られますから、臓器ね」とかいいながらも、それどころではない、膀胱が破裂しそうだ集団を鋭意導くのであった。 さて、さっぱりした我々は、さてミニバスに案内してくれよ、と私が目配せをすると、ミニバンであり、案内人が急遽運転手に変身するんであった。正体やっと明かしたかという感じである。オマケに、バンにはWIFI搭載であり、ここにつなぎなさいよ、という進言。おお。アイスランドではバスにWIFI搭載していたけど10人乗りぐらいのバンにも搭載か。 さて、皆さん、今から到着まで昼寝の時間ですよ、というと、いや、いうまでもなく皆さん熟睡である。但し、例の2日前のトランスアジア墜落現場の川沿いでは、運転手も興奮気味に叫ぶのであった。半分くらいの人間は、その興奮ぶりに起きた、いや、興奮気味に叫んだのは俺だった。あ、墜落現場だ!と叫ぶのであった。 キールン(基隆)近くの山沿いに入っていて、高速を降りる。到着するのであった。運転手は、帰りどうする、倍で送っていくよ、というので、好きなところに送ってくれるか、3時間ぐらい待ってくれるかということを確認し、誰にも相談せず、0.5秒でOK、といい2時間半後に戻ってくることを確約すると、彼は行きのお金をとらなかった。これは確実に待っていてくれるなと分かり、台湾優秀やないかと感心した次第であった。ちょうど、山沿いを走る対向車のバスが満席どころか立っているのを見て、こちらも、帰りも送ってもらえないだろうかと思案していたのであった。このまま、客見つけて帰っちゃうのを阻止しなければとおもっていたところに運転手からのありがたい提案であった。都合いいものである。九分の細い道は観光客でいっぱいであり、これはたまらないなと思うのであった。こういうときには速攻で団体さんははぐれるのである。はぐれ雲である。はぐれても、大丈夫である、私の次に年下がバンバン走ったり探したりしてくれるのである。ラク珍である。ちゃんと皆さん見といてくれよ、まあ、そうオーダーするだけクラブの私であった。台湾団体旅行 台湾ツアー開始(リンク) ひげちょうるーろんはん(リンク) 猫空(リンク) 士林夜市(リンク) 迪化街 (リンク) 台湾現代建築のメルクマール(リンク) 仇分前後(リンク) 仇分の中(リンク) 仇分おまけ(リンク) 台湾gourmetの旅(リンク) ウエルカムトゥ台湾(リンク) 松山(リンク) 台湾カラーズ(リンク) 行天宮・龍山寺(リンク) あばよ、台湾 団体旅行団長所感
2015.02.14
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23時40分、どうもパルチノン神殿の向こうに花火が打ちあがるようだ、これは見に行かねばなるまい。モナスティラキ広場に行くが誰も集まっていないので、急ぎ、シンタグマ広場に行く。人は集まり、12時になると、あちこちで完成、特にパトカーがサイレンを鳴らし、白バイがバイクを吹かしまくり、一般市民より警察がエキサイティング。しかしながら、酒を飲んでいる人は少なく、ちょっとビール缶なんか持っている自分が、1パーセント程浮いている気もした。ああ、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。花火が上がるが、建物で全く見えないので、急いでパルチノンが見えるところまで歩いて行くが、花火は草々に終わってしまった。うーん、タイミングが悪い。今年は失敗だ。ビール1杯だけ飲んで帰ることにし、レストランに入ると、生演奏、どこの店も生演奏。陽気である、財政破綻しても、なお、陽気である。しかし、何だか、疲れ切っているのである。そういうのは、嫌いではない。だって、5分歩けば、もうホテルに戻って眠れるのである。あと歯磨きぐらいしかしることないのである。音楽や踊りが、流れていくのみである。悪くない。ホテルに戻るが、廊下の色も、写真でみると、なんだか斬新というか、デジャインホテル、ブチックホテルならではである。部屋に入ると、粋なことに、ワインの小ボトルがホテルからのプレゼントで置かれていた。早速栓を開ける。日の出は7時半となっていたので、6時半に起き、アクロポリスに向かう。パルチノンの入口横の岩に登り、寒さで震える。リカビトスの丘フィロパポスの丘どうも、日はでそうにないな。リカビトスの丘この向こうから日が昇るのだが、雲隠れ。教会の鐘が鳴る。吹きさらしが寒い。でも悪くない感覚。日の出時間になり、何だか明るくなったな程度で、リカビトスの丘の中腹から大砲の空砲が発射され煙が上がる。いやはや、今年もよろしくお願いいたします。心の中で、太陽は昇った、そう日記に書いておこう。見学だ、と思いきや、正月は休み。8時にホテルに戻り、朝食とする。部屋で2時間ほどうだうだしてチェックアウト。モンテネグロ、クロアチア、マケドニア、トルコ、ギリシア2015 関空→モンテネグロ、ポドコリカ モンテネグロ、ポドコリカ→コトル モンテネグロ・コトル夜 モンテネグロgourmetの旅 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク1 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク2 会社員の行くクロアチア、ドゥブロブニク クロアチア、ドゥブロブニク1 クロアチア、ドゥブロブニク2 高台へ クロアチア、ドゥブロブニク クロアチア・ドゥブロブニク→モンテネグロ・コトル モンテネグロで考える モンテネグロ・コトル早朝 コトルからポドコリカ空港に戻る。モンテネグロ モンテネグロ→マケドニア マケドニア、スコピエ 新市街観光案内 マケドニア、スコピエ 旧市街観光案内 マケドニア、スコピエ やたらスタチュー マケドニア、スコピエ 夜 マケドニア、スコピエ gourmetの旅 マケドニア、スコピエの何だこれ マケドニア、スコピエ やばい、大雪になってきた マケドニア、スコピエ フライトキャンセル マケドニア、スコピエ延泊 イスタンブール→アテネ アテネのホテル アテネで唸る アテネgourmetの旅 アテネ、アクロポリスへ行け アテネで正月を迎える アテネ正月ご来光 アテネ20数年ぶり アテネ時空を超えて7 アテネ1987 アテネから帰る イスタンブル ブルーモスク、アヤソフィア 1月1日イスタンブルの夜 イスタンブル待ち時間 イスタンブル→大阪 旅行荷物 ダイジェスト版 帰国後の所感
2015.02.13
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1967年2月11日から建国記念日として祝日となった。朝は、仕事であろうとなかろうと、おきるのは、まあまあ辛いものだ。それでも、オレは起きる、ほんの僅かな勇気を振り絞るほどでもなく。福島は、まあ、原発とその風評被害で空いている。前にのっったときも空いていたと記憶する。 最近は、割と、ANAの場合、オールナイトニッポンを聞く。きむらかえらさんの曲は1曲も知らないが、カエラはヘブライ語であるということを聞いたことがある(帰ってネットをみるといろいろ意見はあるようである)。デビュー10周年だそうである。最近新しいアルバムだしたそうである。先月乗ったときは、ベーヤンであった、アリスの人である。 山のてっぺんに、加工された人工物があった。ポケットに手突っ込んだらメモが。警察の家庭訪問、嫌な感じだなあ。しかし、国際線飛んでないでしょ。うつくしまの福島らしいよ 帰りはボンバルディア74人乗りであり、数えると14人である。それでボーディング時間は3分ぐらいで、私は5番目ぐらいに機内に乗り込んだのに、座って1分後にドアは閉められ、定刻より5分以上早く動き出した。乗り始めたのが遅れたのかなと思う定刻10分前にもかかわらずである。15分前にビール缶をプシューっと開けて3分で飲んだのが、そんなに早く飲まなくてよかったやん、ってことやん。しかし、廃線になりそうな勢いである。暇そうに見回る客質乗務員を、何度か、チラ見して勝手に心配してしまう意味のない私である。秋ほどお眠りになられましたね、何かお飲み物は?、あめちゃんはいかがですか?何かありませんか?富士山が見えますよ。右側の通路で御嶽山見えてきますよ・・・など個人的に話しかけられ、こちらも、読書ほどほどに、この路線は厳しいなあ、と思わざる得ないのであった。どこが損益分岐点点かは企業秘密ではあろうが、能登空港が何とか航空会社を誘導するときに、ANAとの提携で7割埋まらない分については年間2億円を自治体が負担することで就航を合意したということがあって、それで自治体も必死のパッチで頑張って、7割以上の乗車率を誇っているようである。というか、今見たら、1日2便飛ばして16、170席で小型ではない。国際線なんかは実際ファーストビジネス埋まっていればエコが全部空席でもペイできるぐらいだというから、全席エコなら常に一定以上の価格と乗車率を誇らねばならないだろう。あれか2億ならざくっと1年で1日150万円ぐらいの負担で、1人の席をざくっと○万円・・・うーん、やっぱ6割は欲しいかなあ・・・。何となく、客の少なさと、客質乗務員の手持ち無沙汰で、意味なく私がヤキモキするフライトであった。(廃線なっても、乗務員は他の路線回るだろうし・・・でももしボンバルディアしか乗れない乗務員だったら、かなり限られるなあ・・・パイロットと同様乗れる機材の訓練にパスしないといけないからなあ。ANAも最近は機材で決まるので国内線国際線の区別ないからなあ)福島 福島へ(リンク) 郡山市 浄土松公園 きのこ岩(リンク) 田村市 あぶくま洞(リンク) 小野市 東堂山満福寺前編(リンク) 小野市 東堂山満福寺後編 福島 おまけっ屁 須賀川市 円谷メモリアル選手 須賀川市 ウルトラマン空港
2015.02.12
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実は、姑息にも、昔のギリシアの記録を探した結果、いろいろ分かったのである。アテネに宿泊したのはPELLA INN。確かにパルチノンが見えたのだ、屋上から。結構な値段になっているな。当時は600ドラクマ。空港券が、片道だが、エジプト航空で46500円2週間後、エアロフロート56500円本日夜、パキスタン航空で68900円2日後。昼飯はパンとアムステルビール。夕食はスブラギ2つとビールで200ドラクマで粘りに粘って深夜0時にホテルに戻る。アテネ2135-カラチ605、1800-バンコク045、バンコク205-マニラ615、マニラ735-成田。そうやって帰国までストップオーバーできる航空券を購入した。アテネでの予算、1にち8ドルだった。まあ、1ドル160円だったけど。アテネからの行き先選択の自由 神戸港から中国に入り、アジアを縦断しアテネまでやってきた。学校はもう当の昔に始まっている。語学の最低出席回数だけが心配である。これからどうするのか。1.今月中に日本に帰るのか。帰る、または、エジプトに船で行く。2.エジプトは強制両替150ドルが必要で、航空券を買うともう足りない。ピラミッドには行けない。3.エアロフロートで日本に帰る、しかし、週1便で今晩乗らなければ1週間後であり、そんなに待てるか。4.パキスタン航空で帰るか、直接帰るか、パキスタンのカラチでストップオーバーするか、そしたらモヘンジョダロに行く。5.そのあと、タイにストップオーバーするか。1週間ほどストップオーバーしたら、コサムイ島か北部チェンマイに行くか、バンコク沈没か。6.そのあと、フィリピンにストップオーバーするか。1週間ほどストップオーバーしたら、ミンドロ島に行くか。7.東京に到着したら、東京に滞在するか、神戸に帰るか。そういったことを考えるが、結論的には、その後カラチに半日、コサムイに10日、東京に3日滞在して家に帰った。今月(2015年2月)EU中央銀行も遂に、ギリシア勘弁してくれ、借金なんぼ棒引きにしたら済むねん、もう低金利融資ストップじゃ、となった。ドラクマの時代に戻るか、連鎖的にスペインやポルトガルも崩れていくか・・・、いよいよ危機迫る。モンテネグロ、クロアチア、マケドニア、トルコ、ギリシア2015 関空→モンテネグロ、ポドコリカ モンテネグロ、ポドコリカ→コトル モンテネグロ・コトル夜 モンテネグロgourmetの旅 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク1 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク2 会社員の行くクロアチア、ドゥブロブニク クロアチア、ドゥブロブニク1 クロアチア、ドゥブロブニク2 高台へ クロアチア、ドゥブロブニク クロアチア・ドゥブロブニク→モンテネグロ・コトル モンテネグロで考える モンテネグロ・コトル早朝 コトルからポドコリカ空港に戻る。モンテネグロ モンテネグロ→マケドニア マケドニア、スコピエ 新市街観光案内 マケドニア、スコピエ 旧市街観光案内 マケドニア、スコピエ やたらスタチュー マケドニア、スコピエ 夜 マケドニア、スコピエ gourmetの旅 マケドニア、スコピエの何だこれ マケドニア、スコピエ やばい、大雪になってきた マケドニア、スコピエ フライトキャンセル マケドニア、スコピエ延泊 イスタンブール→アテネ アテネのホテル アテネで唸る アテネgourmetの旅 アテネ、アクロポリスへ行け アテネで正月を迎える アテネ正月ご来光 アテネ20数年ぶり アテネ時空を超えて7 アテネ1987 アテネから帰る イスタンブル ブルーモスク、アヤソフィア 1月1日イスタンブルの夜 イスタンブル待ち時間 イスタンブル→大阪 旅行荷物 ダイジェスト版 帰国後の所感
2015.02.11
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皇帝ビールを飲む。やっちまった、グリークサラダやっちまった。ムサカ。バー。つまみ。ギリシア料理って、モロッコ、スペイン、イタリア、フランスと地中海料理でヒトククリにできるのだが、どちらかというと、トルコやレバノンなど中東系のほうがイタリアスペインより親和性が高いような気がする。朝飯Mythosビール。その他に、FIXビール、Alfaビールなんかを飲んだ。ビールの国か?ワインの国か?といわれると、ギリシアもワインの国である。フムスバー。安い、缶ビールのまま出てきたが、閉店間際、1本150円ぐらい。部屋でホテルがプレゼントしてくれたワイン飲む。しまった、ザジキ飲むつもりだったんだが。まあ、ブウガリアで似たスープ飲んだけど。いやはや、学生時代と違って、あまり金を意識していないことに気がついた。まあ、カード使うときもあるからかも知れないけど。モンテネグロ、クロアチア、マケドニア、トルコ、ギリシア2015 関空→モンテネグロ、ポドコリカ モンテネグロ、ポドコリカ→コトル モンテネグロ・コトル夜 モンテネグロgourmetの旅 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク1 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク2 会社員の行くクロアチア、ドゥブロブニク クロアチア、ドゥブロブニク1 クロアチア、ドゥブロブニク2 高台へ クロアチア、ドゥブロブニク クロアチア・ドゥブロブニク→モンテネグロ・コトル モンテネグロで考える モンテネグロ・コトル早朝 コトルからポドコリカ空港に戻る。モンテネグロ モンテネグロ→マケドニア マケドニア、スコピエ 新市街観光案内 マケドニア、スコピエ 旧市街観光案内 マケドニア、スコピエ やたらスタチュー マケドニア、スコピエ 夜 マケドニア、スコピエ gourmetの旅 マケドニア、スコピエの何だこれ マケドニア、スコピエ やばい、大雪になってきた マケドニア、スコピエ フライトキャンセル マケドニア、スコピエ延泊 イスタンブール→アテネ アテネのホテル アテネで唸る アテネgourmetの旅 アテネ、アクロポリスへ行け アテネで正月を迎える アテネ正月ご来光 アテネ20数年ぶり アテネ時空を超えて7 アテネ1987 アテネから帰る イスタンブル ブルーモスク、アヤソフィア 1月1日イスタンブルの夜 イスタンブル待ち時間 イスタンブル→大阪 旅行荷物 ダイジェスト版 帰国後の所感
2015.02.10
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今回は、偶然だが、ホテルは中央市場の中にあった。肉と野菜のコラボレーションってな感じで、その中にホテルだと、いうことであった。夜中や、早朝に外に出てみると、準備や後始末を見る。実は、それだけなんだが、そういう場面を見ながら座ってぼーっとしているだけで、楽しい。ホテルの前はさすがに、野菜市場だが、道路を隔てると肉市場で、売っている人たちは、皆白い服を着ていて、売り込もうと大声を張り上げているが、白い服に鮮血ピヤーっとついていて、ザ・仕事という感じが溢れる。 兎、牛、豚、鶏。若い頃は、肉なんか食べなかったのに、40代になると、栄養を効率的にとるためか、肉を食べるようになった(スーパーで今まで個人で憎かったこと一度も無いけど)。ここから北にあがれば、ジャンキーが集まるオモニア広場があるらしいが、こりゃ知らなかった。ジャンキーは怖いけど、弱弱しいからな。フランクフルトのジャンキーが集まるってとこ昔行ったけど、寒かったから誰もいなかったよ。死んでも優しい目、死んでも寝ぼけ目、死んでも死んだ目、死んでも恨めしい目、死んでも涙目。モンテネグロ、クロアチア、マケドニア、トルコ、ギリシア2015 関空→モンテネグロ、ポドコリカ モンテネグロ、ポドコリカ→コトル モンテネグロ・コトル夜 モンテネグロgourmetの旅 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク1 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク2 会社員の行くクロアチア、ドゥブロブニク クロアチア、ドゥブロブニク1 クロアチア、ドゥブロブニク2 高台へ クロアチア、ドゥブロブニク クロアチア・ドゥブロブニク→モンテネグロ・コトル モンテネグロで考える モンテネグロ・コトル早朝 コトルからポドコリカ空港に戻る。モンテネグロ モンテネグロ→マケドニア マケドニア、スコピエ 新市街観光案内 マケドニア、スコピエ 旧市街観光案内 マケドニア、スコピエ やたらスタチュー マケドニア、スコピエ 夜 マケドニア、スコピエ gourmetの旅 マケドニア、スコピエの何だこれ マケドニア、スコピエ やばい、大雪になってきた マケドニア、スコピエ フライトキャンセル マケドニア、スコピエ延泊 イスタンブール→アテネ アテネのホテル アテネで唸る アテネgourmetの旅 アテネ、アクロポリスへ行け アテネで正月を迎える アテネ正月ご来光 アテネ20数年ぶり アテネ時空を超えて7 アテネ1987 アテネから帰る イスタンブル ブルーモスク、アヤソフィア 1月1日イスタンブルの夜 イスタンブル待ち時間 イスタンブル→大阪 旅行荷物 ダイジェスト版 帰国後の所感
2015.02.09
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今回は、会社関係ということもあり、オレだけ勝手に旅行計画を立て、合流という手段もあったのだが、それでは団体の風紀を乱すので、ツアーに参加することにしたのである。チケットとホテルと行き帰りの送迎付、あとは勝手によろしくポンチ系のやつである。やはり、規律が大切なのである、軍隊には。あ、軍隊ではなかった。オマケに、手配は私はしてないが、一番年上というだけで、まあ、会社で言えば、将軍である。 ツアーは何を隠そう社内旅行以来の数年ぶりである。数年前のことなので忘れたので、一人だけ、直接チェックインカウンターに並んでいたのである。誰も来ないので、調査したところ、ツアーデスクに来んかい、ボケっということが判明したのであった。よくよく考えたら、チャイエアラインは初めて乗ることが判明した。まあ、乗ってみて分かったことは、やたら客質乗務員の人数が多いなあということであった。何故、だかは分からなかったけど、あと、飲み物に、ビール、ワインもワザワザ勧めてきたのには、度肝を抜かれるほどではなかったが、普通は何飲みますか、だけなのだが、アルコールもあるよ、というところが、ヨッパライに対する危機意識が薄いというか、素晴らしいんじゃないの、と思ってしまったぐらいである。まあ、そうやって、実は割と台湾行く時って、まあメシ食いに行く訳だから、機内食パスするんだけど、今回はちゃんと4割ぐらい食べてみた。近いなあ。行きは3時間帰りなんか2時間ぐらいだ、沖縄と変わらない。いつもなら両替したらすぐにバスかタクシーか近郊列車に乗るのだが、ツアーデスクなので、待つんだよ、いくつかのツアーが合体するまで、同じ便で来ても出てくるまで30分以上の差が出てくるので、とりあえず、やることは、ボーっとである。重要である。 まあ、3時にチェックインなのでという言い訳と会社のリベートで免税店に連れて行く訳だが、まあ、それは無視してちょとだけ街を歩くわけだが、ホテルってさ、部屋空いてタラ面倒なんで、チェックインさせてくれるんだよねえ。もしくはフロントに、ちょっと金握らせるんだ、こそっとな。急に部屋が空くからな。大きいホテルならな。いやはや、ふと、駅前でチャーターしたバンの運転手が、騒ぐので、見たら、2日前に落ちた現場である。ニュースより 台北郊外で4日起きた復興(トランスアジア)航空機墜落事故で、航空当局は6日、離陸から墜落までの約2分間のボイスレコーダー(音声記録装置)などの内容を公表し、墜落約1分前に両翼のエンジンが停止していたことを明らかにした。 右翼側のエンジンは故障で止まったとみられるが、左翼側は乗員らが意図的に止めていた。一部台湾メディアは、正常だった左翼側を乗員らが誤って止めた可能性があると伝えた。当局は操縦ミスの可能性も含めて慎重に調べる。 一方、当局は乗客乗員58人のうち死者が35人になったと明らかにした。なお8人の行方が分かっておらず、墜落した川の下流などに範囲を広げて捜索を続けた。 墜落機は双発プロペラ機ATR72で、片方のエンジンが故障しても別のエンジンが正常なら飛行可能とされる。 公表記録によると、墜落機は離陸直後、右翼側のエンジンの異常を知らせる警告音が鳴り、約30秒後に同エンジンは停止。この間、乗員らは左翼側のエンジン停止作業に入った。右翼側が止まって約20秒後に左翼側も止まり、墜落までの1分余りは両方が停止した状態となった。 乗員らは救難信号を意味する「メーデー」を告げて「エンジンが停止した」と管制塔に報告、右翼側の再起動を試みたが起動しなかった。 当局の調査は、墜落機を供給したフランスとエンジンを供給したカナダの当局者らと合同で実施中。・・・おとといであった、落ちたのは。警察のテントが見えた。痛ましい。映像通りの高速を通り河が見えた。2日前なのに、高速道路は直され、何事もなかったように見える。騒ぐので、見たら、2日前に落ちた現場である。地下のフードコートキティと台湾、相性あるな、何が。帰りは、ジャンボであった。マッカランで酒のみました台湾団体旅行 台湾ツアー開始(リンク) ひげちょうるーろんはん(リンク) 猫空(リンク) 士林夜市(リンク) 迪化街 (リンク) 台湾現代建築のメルクマール(リンク) 仇分前後(リンク) 仇分の中(リンク) 仇分おまけ(リンク) 台湾gourmetの旅(リンク) ウエルカムトゥ台湾(リンク) 松山(リンク) 台湾カラーズ(リンク) 行天宮・龍山寺(リンク) あばよ、台湾 団体旅行団長所感
2015.02.08
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何故、気になったのか、分かった。学生時代、唯一来たことのあるヨーロッパだった。それをどうオレは思い出すのか?そこが、今回急に考えたテーマであった。いや、テーマというほどでもなかったけど。結論としては20年もたってからくると、しっかり、ほとんどを忘れているっていうことだった。断片的なことをいくつか覚えているだけで、地理的な感覚は全く覚えていなかった。まあ、それは滞在期間が短かったからだとは思う。確かに、マニラには15~20年ぶりに行っても、トータル何ヶ月かいると覚えていたなあ。地理的なことを覚えていないというのは、割と軽い眩暈を覚えた。あの頃は、まだ共産圏が近くまで迫り、地図で確認だ。あの時はトルコからギリシアにバスで行ったが、北部は、ユーゴスラビア、アルバニア、ブルガリア・・・すごく遠く感じた。東ヨーロッパに行くのは、昔、大変だった。話せば長くなるから、まあいいわ。あ、東欧って、ワルシャワ機構って、ありゃ、改めて国見たら少ないなあ。東ドイツ、ポーランド。ブルガリア、ルーマニア、アルバニア、ハンガリー、ユーゴスラビア・・・わ、そんな少なかったか?あの頃は、アルバニアが特に中世のままほったらかされているなんか言われてたなあ。そういえば、ギリシアに来る前のトルコに入る前のイランからトルコに入る国境で、アララット山(ノアの箱舟伝説のある山)を見ながら、向こう側はソ連のアルメニア地方なんだなあ、一生行けないところだ、モスクワぐらいなら死ぬまでに行くかもしれないけど、こんな辺鄙なアララット山の反対側なんかに行くことなんかまずないよな、と思った。でもそれから20年を越えた時、反対側に立っていた。自分も死に体に近づいたが、ソ連は死んで、ロシアより簡単に行けるアルメニアと言う国が出来ていた(簡単というのは、直行便という意味ではなくビザスグ取れるとう意味)。割と、一昨年、早朝、グルジアからの国際列車で、朝起きて、アララット山見たときには、ちょっと感慨深くてグッときてしまった。正直。そういえば、大学5年のときに、世界は大いに動いて、ソ連がなくなって、トーショウヘーやホメイニも死んで、気持ちも歴史の転換の中で、という気分になったな。モンテネグロ、クロアチア、マケドニア、トルコ、ギリシア2015 関空→モンテネグロ、ポドコリカ モンテネグロ、ポドコリカ→コトル モンテネグロ・コトル夜 モンテネグロgourmetの旅 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク1 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク2 会社員の行くクロアチア、ドゥブロブニク クロアチア、ドゥブロブニク1 クロアチア、ドゥブロブニク2 高台へ クロアチア、ドゥブロブニク クロアチア・ドゥブロブニク→モンテネグロ・コトル モンテネグロで考える モンテネグロ・コトル早朝 コトルからポドコリカ空港に戻る。モンテネグロ モンテネグロ→マケドニア マケドニア、スコピエ 新市街観光案内 マケドニア、スコピエ 旧市街観光案内 マケドニア、スコピエ やたらスタチュー マケドニア、スコピエ 夜 マケドニア、スコピエ gourmetの旅 マケドニア、スコピエの何だこれ マケドニア、スコピエ やばい、大雪になってきた マケドニア、スコピエ フライトキャンセル マケドニア、スコピエ延泊 イスタンブール→アテネ アテネのホテル アテネで唸る アテネgourmetの旅 アテネ、アクロポリスへ行け アテネで正月を迎える アテネ正月ご来光 アテネ20数年ぶり アテネ時空を超えて7 アテネ1987 アテネから帰る イスタンブル ブルーモスク、アヤソフィア 1月1日イスタンブルの夜 イスタンブル待ち時間 イスタンブル→大阪 旅行荷物 ダイジェスト版 帰国後の所感
2015.02.06
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アテネのホテルにチェックイン後、5分もせずに部屋を出て、まずはメシである。8時間ぐらい食ってない感じだ。なんせ、ハッピニューイヤーの文字も逆さになっているんだぜ。随分、心なしか酔った気もした。そろそろアテネの街を食べにいかんといけない、と勤しむ。まあ、そうやってブイブイいわす訳だ。何が?何を?坂を登っていくがこんな暗いところ歩いていったんかいな。酔っ払い怖いな。人生ほんの短い間しか経過していないが、酔って失敗、まあ、その後悔の連続だ。それでもやめられないのはその状態が大したことないか、アル中か、まあその程度の違いである。酒飲んで、怪我したとか知らんところで寝てたとか、パンチしたとか、醜態さらしたとか、友達なくしたとか、嫁なくしたとか、恋人なくしたとか、会社の上司を慰めたとかあるが、その辺はまだ愛嬌である。やっぱ、ベロベロに酔っ払って勢いセブシティ(フィリピン)の真っ暗な小道を踊りながら歩いていて暴漢数人に襲われたときは、さすがに酔いも一気に醒めたな、あの時、ビールのケース数えていて、5リットル飲んだんだけど、それでも、酔いは醒めるんだね、と分かった。歩きながら、学生時代にこのあたりを歩いたことを思い出した。いや、歩いているそこに遺跡があっただけだ。そのとき、知り合った男性は、多分5か10年齢が上だった人で、話題を覚えているのが、本多勝一の息子がべスパか何かでインドを回っている、みたいなことを言っていた。一期一会だが、メシ食って、彼は私にロバートキャパの「ちょっとピンボケ」の文庫本をくれ、私は大塚久雄の「社会科学の方法」を交換した。 彼は、ドーリア式の柱を見ながら、何か感慨深く話をした。何の話か覚えてはいないが、今、私が思い出したのは、彼はイスタンブールのバスステーションにいたのであった。少し話すとアテネ行きのバスに乗ること、同じ時間に出発することが分かったのだが、違うバス会社であり、じゃあ、降りたところでまた会うかもしれませんね、と行って別れたのだが、バスはあれはどこだったんだろう、小さなアテネ駅で降ろされると、彼が立っていた。5分違い位ですね、一緒に宿探しますか、目星あるんですよ、みたいなことを言って、10分15分歩いた気がする。 とはいっても、彼と行動をべったり共にした記憶はなく、ドミトリーで起きると、私と、もう一人南アフリカ人(白人)だけだった。2日目もそうだったので、話しかけると、パスポートと金取られたので送金待ちでじっとしているの、と答えた。もう昼である。今日も、特に行くところもないので、ホテルの前のキオスクで350ミリのビール買って、シタグマ広場のカフェの隣の地べたに座ってビールを飲んだ。メニューを覗くと、3,4倍することを確認して、同じ風景見て椅子があるかないかだけでこんな差があるんだね、と貧乏ゴッコが故の優越感を感じた。そんな1980年代後半だった。そんなことを思い出しながら、エントランスに到着すると、もう門は閉まっていた。まあ、遠くからパルチノンみたからいいか、と思うのであった。20数年前に行ったしな。それでもう1件飲んでから、帰った。テカテカ電飾で光っているのがホテルである。モンテネグロ、クロアチア、マケドニア、トルコ、ギリシア2015 関空→モンテネグロ、ポドコリカ モンテネグロ、ポドコリカ→コトル モンテネグロ・コトル夜 モンテネグロgourmetの旅 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク1 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク2 会社員の行くクロアチア、ドゥブロブニク クロアチア、ドゥブロブニク1 クロアチア、ドゥブロブニク2 高台へ クロアチア、ドゥブロブニク クロアチア・ドゥブロブニク→モンテネグロ・コトル モンテネグロで考える モンテネグロ・コトル早朝 コトルからポドコリカ空港に戻る。モンテネグロ モンテネグロ→マケドニア マケドニア、スコピエ 新市街観光案内 マケドニア、スコピエ 旧市街観光案内 マケドニア、スコピエ やたらスタチュー マケドニア、スコピエ 夜 マケドニア、スコピエ gourmetの旅 マケドニア、スコピエの何だこれ マケドニア、スコピエ やばい、大雪になってきた マケドニア、スコピエ フライトキャンセル マケドニア、スコピエ延泊 イスタンブール→アテネ アテネのホテル アテネで唸る アテネgourmetの旅 アテネ、アクロポリスへ行け アテネで正月を迎える アテネ正月ご来光 アテネ20数年ぶり アテネ時空を超えて7 アテネ1987 アテネから帰る イスタンブル ブルーモスク、アヤソフィア 1月1日イスタンブルの夜 イスタンブル待ち時間 イスタンブル→大阪 旅行荷物 ダイジェスト版 帰国後の所感
2015.02.05
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パスポルテ・・・2018年かそこらあたりで日本のパスポートの図案が変わるらしく富士山が入ったりするらしい。10年パスポートを作ったが、たった1度しか増刷できず、今4年目でそろそろ増刷しなければならない。そう考えると、5年パスポートに次回するか、と思う所存である。(紙を大切にするために日本の出入国は指紋認証の印無しである)現ナマ・・・3泊なら3万円程度、1週間なら同じく3万円程度。あ、同じか。クレジットカード・・・その他にシティバンク銀行カード、ATMで下ろせる銀行カード2,3枚。カードはVISAですね。JCBは既に死んでいる。あとはアメックスか。アメックスは強弱が激しいな。チャックが3つある財布・・・円、ドルかユーロ、その国の通貨)と1口財布(ナイロン)その国の通貨用。自分の家の鍵・・・施錠して出るから成田空港ならツタヤがあるのでTポイントカード、関西空港の本屋ではHONTOカード、関西空港ならITMKIXカードを持つ。ゴロゴロを持っていく場合でアメリカ行くことも考え・・・TSAロックの鍵(これ以外はチェックイン時に開錠を求められる場合有)。ビザ用の証明写真。空港券は、ついにもうほとんどEチケだけになってなくなったなあ。自己作成日程表及び自己作成簡易ガイド及び初めて行く場所にはガイドブック。筆記用具・・・第三国にいく場合はお土産用に多数用意。出合った現地の人用土産・・・寿司消しゴム、ダイソーで購入。お菓子・・・客質乗務員やチェックインカウンター、ホテルの従業員等への賄賂及びスタック用。ハブラシハミガキ粉。ポケットテッシュ3,4束及び旅行1週間前頃から食堂や喫茶店で集め回るウエットテッシュ。一応小さなボトルにシャンプー類。1週間以上の旅行なら爪切り。泊数考えて衣類・・・できれば、旅行用にためた穴の開いた靴下や下着を持って行き、有効に捨てていく。使い捨てスリッパ。海パン(冬でも、温水プールで泳ぐかも。下着を兼ねる)。携帯電話、デジカメ、充電用具、コンセント差込口可変器、場合によってはパソコン、LANケーブル(最近、LANケーブルのところほとんどなくなった感じ)もう、最近はWIFIがないと話にならない怖い状態、明日の宿の予約ができないじゃん。目覚まし時計及び懐中時計(1週間ぐらいの場合)。ポストイット、紙。3段折折りたたみ傘。薬ロキソニン(旅行中痛風になったら困るから)。割り箸。何よりも文庫本。暑い国はサンダル。いやー、重いなあ。厳冬の国に行く場合は12キロになるからねえ。1泊か2泊でも会社帰りなら会社の荷物もあるから3キロぐらいになるんだよなあ。モンテネグロ、クロアチア、マケドニア、トルコ、ギリシア2015 関空→モンテネグロ、ポドコリカ モンテネグロ、ポドコリカ→コトル モンテネグロ・コトル夜 モンテネグロgourmetの旅 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク1 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク2 会社員の行くクロアチア、ドゥブロブニク クロアチア、ドゥブロブニク1 クロアチア、ドゥブロブニク2 高台へ クロアチア、ドゥブロブニク クロアチア・ドゥブロブニク→モンテネグロ・コトル モンテネグロで考える モンテネグロ・コトル早朝 コトルからポドコリカ空港に戻る。モンテネグロ モンテネグロ→マケドニア マケドニア、スコピエ 新市街観光案内 マケドニア、スコピエ 旧市街観光案内 マケドニア、スコピエ やたらスタチュー マケドニア、スコピエ 夜 マケドニア、スコピエ gourmetの旅 マケドニア、スコピエの何だこれ マケドニア、スコピエ やばい、大雪になってきた マケドニア、スコピエ フライトキャンセル マケドニア、スコピエ延泊 イスタンブール→アテネ アテネのホテル アテネで唸る アテネgourmetの旅 アテネ、アクロポリスへ行け アテネで正月を迎える アテネ正月ご来光 アテネ20数年ぶり アテネ時空を超えて7 アテネ1987 アテネから帰る イスタンブル ブルーモスク、アヤソフィア 1月1日イスタンブルの夜 イスタンブル待ち時間 イスタンブル→大阪 旅行荷物 ダイジェスト版 帰国後の所感
2015.02.04
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バスを降りたら、ひたすら北に上り続けるのも悪くない。上がれ。とにかく、階段を上がれ、そういうことだ。SOBEが増える。民家の一室を貸しているような簡易宿。昔、カレンダーか何かで見た光景。直感で、ここは、いつか行くだろうな、と思った。直感ってなんだろう、それはあてになるものだ。それは、過去の経験を言葉や思考にする前に感じるものだからかもしれない。そして、直感は間違っていれば修正できるというものだ。直感のあと、いろいろあれこれ考えて迷ったら、最初の直感に帰る。まあ、仕事もそういうものだ。仕事の場合、致命的ミスを犯さない限り、後になって正しかったのかどうかは分からない。分かるのは、これで悪くはなかったということだけだ。もし、違う選択をしていたら、もっと悪かったかもっとよかったか、同じだったか比較のしようはないが、おかしなことにはならなかった、損はしなかった、まあこんなもんじゃないか、まあそういう小さな満足感、いや安堵感が漂う。 旅行も同じ側面があり、明日泊まるホテルを決めるにしても、泊まってみなければ分からない。基本的に、便利なところ、清潔そうなところ、多少の評判もみながら、最後は値段(予算)で確定させる。 飛行機が飛ばない、どうするか待つか、街に戻るか、列車やバスの代替手段にするか、行き先を帰るか、決めなければならない。勿論たまに迷走する。 アニバデファイティンー、サンバディトゥラブー!後悔しない生き方、行き方、そんなことが可能なのだろうか。良かった楽しかった悪くなかった、せいぜいそのぐらいだ。勇気をもらったとか、元気をもらったとか、感動をもらった・・・。そんなことあるのだろうか。少なくとも相手は勇気や元気や感動を与えるつもりはなく、こちらが勝手に感じることだ。それはこちらの感受性の問題だから。なんだか、もらうっていやだな。景色に感動をもらったのか?景色には、まあ、感動した。でもここまで来たストイックな自分にも感動した、あ、別にそれはしてなかった。10数年前から薄~く行こうと思っててやっと来たということに感動した、いや結局金と時間があればできるか。冷静にいうと、そうなのだが、決してシニカルになるな、それは私の教訓のひとつである。ニヒリストでもシニカルになるな、まあ、省略していうならそういうことである。意味ないね。モンテネグロ、クロアチア、マケドニア、トルコ、ギリシア2015 関空→モンテネグロ、ポドコリカ モンテネグロ、ポドコリカ→コトル モンテネグロ・コトル夜 モンテネグロgourmetの旅 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク1 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク2 会社員の行くクロアチア、ドゥブロブニク クロアチア、ドゥブロブニク1 クロアチア、ドゥブロブニク2 高台へ クロアチア、ドゥブロブニク クロアチア・ドゥブロブニク→モンテネグロ・コトル モンテネグロで考える モンテネグロ・コトル早朝 コトルからポドコリカ空港に戻る。モンテネグロ モンテネグロ→マケドニア マケドニア、スコピエ 新市街観光案内 マケドニア、スコピエ 旧市街観光案内 マケドニア、スコピエ やたらスタチュー マケドニア、スコピエ 夜 マケドニア、スコピエ gourmetの旅 マケドニア、スコピエの何だこれ マケドニア、スコピエ やばい、大雪になってきた マケドニア、スコピエ フライトキャンセル マケドニア、スコピエ延泊 イスタンブール→アテネ アテネのホテル アテネで唸る アテネgourmetの旅 アテネ、アクロポリスへ行け アテネで正月を迎える アテネ正月ご来光 アテネ20数年ぶり アテネ時空を超えて7 アテネ1987 アテネから帰る イスタンブル ブルーモスク、アヤソフィア 1月1日イスタンブルの夜 イスタンブル待ち時間 イスタンブル→大阪 旅行荷物 ダイジェスト版 帰国後の所感
2015.02.03
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この標識はなんでしょうか。スイスは山麓にあり、椅子に座って木を見ろ、高台から森を見ろ、という標識でしょうか。トイモイならぬトイトイって、移動式トイレじゃん。割とあちこちで見かける。自転車置場、少しオサレ。マザーテレサ記念館の前、鮫肌の二つの盛り上がりのサキッチョが・・・。サンタクロース夫婦。ヨーロッパでよく見る複雑系標識。お、ニュー系の複雑系標識。おもいっきり自転車で突っ走れ、乳母車で構えろ、車椅子でしょうか。パチモンミッキーたち。寂しい遊園地オサレなスコピエ空港。サムライ、爪楊枝で戦う。怖いよ、カメラに気がつき、こっちに手を振っている。逃げろ!モンテネグロ、クロアチア、マケドニア、トルコ、ギリシア2015 関空→モンテネグロ、ポドコリカ モンテネグロ、ポドコリカ→コトル モンテネグロ・コトル夜 モンテネグロgourmetの旅 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク1 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク2 会社員の行くクロアチア、ドゥブロブニク クロアチア、ドゥブロブニク1 クロアチア、ドゥブロブニク2 高台へ クロアチア、ドゥブロブニク クロアチア・ドゥブロブニク→モンテネグロ・コトル モンテネグロで考える モンテネグロ・コトル早朝 コトルからポドコリカ空港に戻る。モンテネグロ モンテネグロ→マケドニア マケドニア、スコピエ 新市街観光案内 マケドニア、スコピエ 旧市街観光案内 マケドニア、スコピエ やたらスタチュー マケドニア、スコピエ 夜 マケドニア、スコピエ gourmetの旅 マケドニア、スコピエの何だこれ マケドニア、スコピエ やばい、大雪になってきた マケドニア、スコピエ フライトキャンセル マケドニア、スコピエ延泊 イスタンブール→アテネ アテネのホテル アテネで唸る アテネgourmetの旅 アテネ、アクロポリスへ行け アテネで正月を迎える アテネ正月ご来光 アテネ20数年ぶり アテネ時空を超えて7 アテネ1987 アテネから帰る イスタンブル ブルーモスク、アヤソフィア 1月1日イスタンブルの夜 イスタンブル待ち時間 イスタンブル→大阪 旅行荷物 ダイジェスト版 帰国後の所感
2015.02.02
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マケドニア、首都スコピエ空港に24時間ぶりにやってきた。多少のディレイが発生しているものの、きっと今日はうまく飛んでくれるだろう。空港も、昨日とは違い、閑散としており、そらこれからフライトないからなあ、と少し安心はするのである。そんな感じでセキュリティを抜けると、デユーティフリーに行けとの足跡があり、まあ、足跡が無くても覗いてみるのであるが、残ったマケドニアディナールは何も買えないのである。買えたのは、バーでスナック菓子1個だけであった。まあ、お土産とするか、というか、このお菓子、朝食でナンボ食べてもいいよと、何個かぱくってきたのと同じやつやん。勿論、それらはお土産と化すのである。安上がりやん。 飯は食っておく。 そういう訳で、イスタンブールに着いて、外に出たのは24時頃であり、機内食で出た水が漏れてて、カバンの中が水浸しとなっており、それも止む無し、でも明日6時半に起きないと行けないし、ということは分かっていたのでただ寝るだけホテルに向かうとする。タクシーで300円ぐらいで行った先のホテルにチェックインしたのは、夜中の1時であり、そこから明日の宿とか、何ヤカンや、シャワーもしながら調べたりしているうちに3時を越えてしまったという按配で、睡眠時間は3時間程度ということになり、アラームをセットするのであった。朝は、順調に起床し。7時からの朝食付きというところを6時45分頃に行ったら、一応入れてもらい、コーヒーとゆで卵だけを食し、またタクシーを呼んでもらって空港に行くのである。 恥ずかしい話だが、をAegean Airlines何と読むのか1週間前まで知らなかった。なんだ、エーゲ航空かいな。そういうことで、朝一便のエーゲ航空にチェックインしようとするのだが、荷物預けは全て有料だ、ということを言われ、35ユーロと言われ、それTAXなの?って聞き返したほどだが、いや、君の荷物は小さいから機内持ち込みにしたほうがいいよ、と言われたので、そうすることにした。そのためには、オーバーヘッドビンにいち早く乗せないといけないぞ、という使命感からか、機内にはいち早く10番目ぐらいに乗り込むのであった。なんと、エボラ熱のアンケートが配られた。まあ、ギリシアまでは1時間である。もうすぐそこである。20数年前は24時間バスでイスタンブールからギリシアに行ったのが遥か昔の話である。エーゲ航空は、ギリシアのフラッグシップである。てっきりオリンピック航空と思っていたのだが、あれはもうダメになっちゃって、今はエーゲ航空の支配下にある。本当は、多分かつてのフラッグシップだったオリンピック航空を買収した際に、オリンピック航空になろうとしたが、欧州一円から反対されたという経緯。そのちょっと前まで、やたらマイルが貯め易いというか、上級会員になりやすい航空会社だったが、やりすぎてこのままじゃ潰れちまう、なんて気がついた次第。露天堀の横を通って、着陸。アテネ空港は、全く記憶がないと思ったし、もっと市内から近かったと思ったら、やっぱりアテネオリンピックの際に、新空港になっていた。発着料は世界3位の高さであるが、利用者負担はどうなかよく分からない。とにかく、ヨーロッパでは、空港使用料のほうが運賃より高い、みたいなことが起こってしまうこともあるからねえ。X35のバスに乗り、シンタグマ広場へ行け。5ユーロ。空港出たところのチケットブースでチケットを買う。渋滞で、90分もかかってシンタグマ広場に到着。20数年ぶりである。そういえば、あのとき、空港バスに乗ったが、ちょっと余ったドラクマで何かを買うためキオスクに行った瞬間に私の荷物を乗せたままバスは行ってしまった。焦った。何より大事だったのは3ヶ月撮りに撮り続けた写真の未現像フィルムであった。切符売りのおじさんが、ブースから電話をしてくれた。心配するな次のバスに乗れ、空港でバスを降りると荷物はアル。そういって不安のまま空港に着いて、降りると、おじさんが荷物を持って待っていてくれた。バイバイボーイと彼はいい、この旅行でここ以外だったらまず荷物なくなっていただろうな、ヨーロッパでよかったな、電話があってよかったな。そう感謝したことを思いだした。長いアジアとイスラムの旅行を経て、ヨーロッパに入ったときに見る風景。ゴロゴロを転がしながら1キロほど歩く。チェクインしたら窓から見える風景。そういえば、20数年前も安宿の屋上から見えた光景だったな。時々、言葉とは不思議である。部屋に入るカードが動かなくなったので、フロントに戻ってカードを差し込んでもドアが開かないっていうときに、WORKしない、っていう。この前も、インターネットがつながらなくなって、ワークしないって言った。モノや機械が動かなくなっても、擬人のように、働かなくなったというか、仕事しなくなったというか、本来の動きをしなくなったというか、使えなくなったというか。何だか言った後で、少し不思議な感覚に囚われた。詩みたいだな、と。モンテネグロ、クロアチア、マケドニア、トルコ、ギリシア2015 関空→モンテネグロ、ポドコリカ モンテネグロ、ポドコリカ→コトル モンテネグロ・コトル夜 モンテネグロgourmetの旅 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク1 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク2 会社員の行くクロアチア、ドゥブロブニク クロアチア、ドゥブロブニク1 クロアチア、ドゥブロブニク2 高台へ クロアチア、ドゥブロブニク クロアチア・ドゥブロブニク→モンテネグロ・コトル モンテネグロで考える モンテネグロ・コトル早朝 コトルからポドコリカ空港に戻る。モンテネグロ モンテネグロ→マケドニア マケドニア、スコピエ 新市街観光案内 マケドニア、スコピエ 旧市街観光案内 マケドニア、スコピエ やたらスタチュー マケドニア、スコピエ 夜 マケドニア、スコピエ gourmetの旅 マケドニア、スコピエの何だこれ マケドニア、スコピエ やばい、大雪になってきた マケドニア、スコピエ フライトキャンセル マケドニア、スコピエ延泊 イスタンブール→アテネ アテネのホテル アテネで唸る アテネgourmetの旅 アテネ、アクロポリスへ行け アテネで正月を迎える アテネ正月ご来光 アテネ20数年ぶり アテネ時空を超えて7 アテネ1987 アテネから帰る イスタンブル ブルーモスク、アヤソフィア 1月1日イスタンブルの夜 イスタンブル待ち時間 イスタンブル→大阪 旅行荷物 ダイジェスト版 帰国後の所感
2015.02.01
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