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1本だけ長らくアップ忘れてましたが、続き。 みんないろいろいいたことあるんだけどな。
2017.08.31
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空港からのタクシーを降りると目の前がホテル。チェックインは、まあスムーズで、受付の女性もフレンドリーな感じの女性で、WIFIつなげてチェックイン。ああ、アフリカやった。暑い。暑いけど日本より暑くない。でもカーボベルデは窓のところなんですけど。観光客というか宿屋のメーンストリートなんだろうか、数件のバー等があるが、店によっては音楽が流れ、そして客はまばらにいる。サンタマリアホテルに泊まった。安全で清潔で、アフリカ、とうより、島国ね。でも人いないぞ。隣の通りは国民のメーンストリートなのだが。人、少ないな。そして、どこ行くか困り、ホテルの横のバーに入り、ホテルのWIFIをつなげながら、ビールを頼み、どこ行くか検討開始する。世界遺産あるけど、行くのも面倒で、どうも触手沸かない感じなんで、やめとくかということであった。とりあえず、お代わりもしてダラダラするか。一応、ガイドブックなかったんで、グーグルマップ地図打ち出してきたから見るけど。プライアの観光案内を英語バージョンで見るものの、よし!ここだ!というのがなく、もう少しお代わりしておく。おい、動く気ないのか、ああ、もうここまで来たから、まあ満足したかな。それで、とりあえず、すぐ近くの市場に行き、ブラブラする。スーパーとか、市場とかブラブラするんが、どの国も一番楽しいんじゃね?スーパーは遠かったから行かなかったが、ミニスーパー、写真ないけど、暗いよ。一瞬閉まっているかと思ったくらい。 2017年夏旅行 モロッコ、カーボベルデとか成田→マドリードスペイン→モロッコタンジェ宿泊タンジェの迷宮タンジェのカスバ メディナタンジェ旧市街から新市街までモロッコgourmetの旅タンジェdrinkの旅モロッコの歴史タンジェ→シャウエンシャウエンの青シャウエンと共にシャウエン画像モロッコ→ポルトガルポルトガル→カーボベルデプライアから カーボベルデ共和国とはカーボベルデ画像カーボベルデ。プライア散策プライアからリスボン2度目のリスボンリスボン散策リスボン散策2リスボン→イスタンブールへリスボンから帰国
2017.08.30
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成田空港6時間以上滞在ぼやぼやしたのだが、まあ、無事、出発の兆し。ロブスタースープ鯛グリル何かこうなってくると、どこに向かっているのかというか、もういいやって感じになってくるのだねえ。まあ、それが緩い旅行なんだねえ、初老の。でも気持ちはちっとも初老ではなく、10時間も飛行機に乗っていると、ビールでも飲むかという気分にもなるのだよね。今回も無事アメリカ2時間の乗り継ぎにうまくいった、警告でてたけど、知らんよ乗れなくてもって「警告」なのか分からないが。とにかく、入国してゲート前には無事でもないが25分前に到着、まだ誰も登場しておらず、搭乗直前で列に並んでいたよ。こりゃ、ウンコでもしてくるか、そんな余裕(さっきまで入国とセキュリティではよせんかいと怒っていたけど、まあ、ESTA随分早くなったけど)。イベリア半島上空。もう自宅出てから30重数時間やのに、まだ乗り換えや。でもよく寝た。まだ疲れてない。ウーン。乗り換えて、モロッコついて、すぐ散歩にGOとなる。何か、忘れてもた。忘却力やわ。 2017年夏旅行 モロッコ、カーボベルデとか成田→マドリードスペイン→モロッコタンジェ宿泊タンジェの迷宮タンジェのカスバ メディナタンジェ旧市街から新市街までモロッコgourmetの旅タンジェdrinkの旅モロッコの歴史タンジェ→シャウエンシャウエンの青シャウエンと共にシャウエン画像モロッコ→ポルトガルポルトガル→カーボベルデプライアから カーボベルデ共和国とはカーボベルデ画像カーボベルデ。プライア散策プライアからリスボン2度目のリスボンリスボン散策リスボン散策2リスボン→イスタンブールへリスボンから帰国
2017.08.29
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お墓がないからお墓参りしたことない。盆になぜ墓参りするかというと、盂蘭盆会のからきていて、当て字で盆になっているってことだね。ガキの頃はお盆に池や海に行くな、足引っ張られるからということであった。凄いよな、黙って行かずに田舎では池に行かなかったよな。自分ちでは、目盗んで海泳ぎに行ったけどな。ご先祖様に足引っ張られるぞ、と。チーズの底を溶かしてパスタに和える、これって美味そうに見えるのだよねえ。隣の席がやってて、1時間後頼んだら、隣の入れ替わった席の人たちも見ていて、そのあと頼んでた。お盆前の出来事である。その場で、今回はどこ行かれるのですかって、仕方なく、カーボベルデ考えてるっていうと、一人だけ、ポルトガル専攻していたたった一人が知っているとのことであった(帰国後もどこ行きましたかと聞かれて100パーセント誰も知らないので、小声でゴニョゴニョとカーボベルデというので余計に不明状態である)ビアガーデン行けば、暑いだけだった。暑いし、高いし、不味いし、で涼みに2件目行くと、今度は狭かった。風がないとダメね。パッタイ味、割とうまい。久しぶりに行くよ、界隈で一番美味い焼き鳥。じゃじゃうま、提灯死んだ。 帰国してからの、最初の休みに体調を崩し、軽い熱と関節が痛くなり腹を壊した。関節と熱は翌日にはほぼ回復したものの、腹は下したまま、下り人生を歩み続けた。実家に帰ろうかと思うと、一時帰国している妹と一緒にヨーロッパに戻り、オーストリア、チェコに行くとのことでドラ息子の相手はでけん。150オランダギルダー出てきた。調べらたユーロ発足30年後の2032年まで両替可能とのことで、オランダの中央銀行行ったら換えてくれそうだ。レートはよく分からないが、多分1万円以上になりそうだ。これは、オランダにいかねばなるまい。日本でもできるみたいだが、半分ぐらい手数料でごっそり持っていかれるようだ。結論として、湿度が高い日本、一番暑い、背広にオフィス街一番暑いってことだ。わ。
2017.08.28
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西アフリカ沖に浮かぶ島、カーボベルデ共和国に行くこととした。ポルトガル領だったので、ポルトガルから行くのである。あとはパリからぐらいかなあ。席は一番後ろであったが、後ろからも乗れたのですぐさま座れたということである。機材の不具合で、席に座ったものの、乗り換え。TAPポルトガルの飛行機に乗ると、カーボベルデ人はなんだのだろうか、皆が皆、トイレに行きはじめ、離陸する前からトイレに行列ができている、どうしたのか分からない。出発しても4時間の飛行時間にカーボベルデ人トイレに行きまくるが、トイレで何かやってんのか?女性も行きまくる。一番後ろの席であったが、多くの乗客が、すぐ後ろを振り向くので何だと思ってたら、トイレに人が並んでいるかどうかを見ていたのであった。日本ではカーボベルデのガイドブックは地球の撃たれ方でもなかったが、ふと横の西洋人を見ると、割としっかりした分厚いカーボベルデガイドブックを読んでいた。確かに、日本人、ビーチならカリブやカナリアやこんなとこいかず、ちゃんと東南アジア行くよな。ところで、プライアの空港名は、ネルソンマンデラ空港である。何故なのだ。良く分からんが首都なのに2005年開港。まあ、サル島のほうがメインだったのか(今もメイン)。ビール、飲めるよ。てか、後ろの席から見ていると、みんな飲んでるよ、アルコール。着陸すると拍手。セネガル沖500キロ。カーボベルデ、プライア到着。後ろも空き、後ろから1番に降りる。今回はアライバルビザであるが、並んでいるのは私だけ?というか、係員いない、これまずいのではないのか、と思っていると、西洋人7,8人が私の後ろに並んだ。やがて係員が遅れてやってきて、まあ、入国ビザ代は25ユーロである。割と手続きはスムーズで3分ぐらいで終了。無事、イミグレを通り抜けると、うわー、なかなか何もないな、というか、空港でたら、あれ、工事中って感じだなあ。俺しか歩いてないやん、という感じである。勿論、公共バスはないので、タクシー乗り場まで歩いて行く。ほぼ、多分、談合してタクシー料金は一律だ。1000エスクード、1,000円ちょっと、ちょっとて、高い、だってすぐそこなんだ。多分数キロ。カーボベルデは、ポルトガルが一番最初の頃に植民地にしたところだねえ。空港出たらすぐ首都プライアが見える。ここだとぽつりと降ろされ、ホテルにチェックイン、暑いなあ。1975年あたりに独立。オブリガード。とりあえず、歩き出す前にチベタイビール飲むことにする。時代は変わるな。長年の心の星、バンコク竹亭さん閉店。行ったなあ。 2017年夏旅行 モロッコ、カーボベルデとか成田→マドリードスペイン→モロッコタンジェ宿泊タンジェの迷宮タンジェのカスバ メディナタンジェ旧市街から新市街までモロッコgourmetの旅タンジェdrinkの旅モロッコの歴史タンジェ→シャウエンシャウエンの青シャウエンと共にシャウエン画像モロッコ→ポルトガルポルトガル→カーボベルデプライアから カーボベルデ共和国とはカーボベルデ画像カーボベルデ。プライア散策プライアからリスボン2度目のリスボンリスボン散策リスボン散策2リスボン→イスタンブールへリスボンから帰国
2017.08.27
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だんだん、塗っているだけだろ、と思いだした。これはギャグの街?でもここまでやるなら、許せるけどねえ。それにしても、モロッコで検索して画像にしたらいきなり出てくるから、実は有名なんだねえ。まあ私も5年ぐらい前から知っていたけど、タンジールからすぐ行けるとは昨日まで知らなかった。迷宮都市フェズの近くかと思っていた。何でもいいけど、半日射病状態(懐かしいな日射病という言い方なくなったもんな、熱中症になったもんな)になり、頭が痛くなってきた。頭を触ると、熱い、青いから涼しいと胡麻化された。もう休憩だ。Chefchaouen 2017年夏旅行 モロッコ、カーボベルデとか成田→マドリードスペイン→モロッコタンジェ宿泊タンジェの迷宮タンジェのカスバ メディナタンジェ旧市街から新市街までモロッコgourmetの旅タンジェdrinkの旅モロッコの歴史タンジェ→シャウエンシャウエンの青シャウエンと共にシャウエン画像モロッコ→ポルトガルポルトガル→カーボベルデプライアから カーボベルデ共和国とはカーボベルデ画像カーボベルデ。プライア散策プライアからリスボン2度目のリスボンリスボン散策リスボン散策2リスボン→イスタンブールへリスボンから帰国
2017.08.26
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ホテルは細い道を入り、ドア1つの道幅の入口。受付の女性も親切。エアコンのリモコンはあるのに、エアコン本体がなく、聞きに行くと、このランプがついたら吹き出し口から冷風が出てくるよ、とのことであった。部屋はちょと狭い。アルガンオイル買う。モロッコが有名。アルガン好きのヤギがアルガンツリーに登る画像は有名だね。ホテルはグランモスクの前だった。ホテルの上層階に上がっていく。ホテルは大概ドアを閉めていて、ピンポンを押して入る。風がずっと吹いていて心地よい。シロッコを思い出した。アフリカから地中海を渡ってイタリアに届く風のことで、時々砂が混じっていることもある。ヨーロッパ各国によって言い方は違い、アフリカではギブリという。スタジオジブリの語源である。朝、8時からだったか7時だったか、1番に乗り込み、朝ごはん。西洋人が2番目にボンジュールと入って来た。まあ、フランス領だったが、スペイン近いし、どうなんだろうと思ってたけど、やっぱフランス語のようだね。アラビア語にベルベル語にフランス語。グランドモスク前宿泊 2017年夏旅行 モロッコ、カーボベルデとか成田→マドリードスペイン→モロッコタンジェ宿泊タンジェの迷宮タンジェのカスバ メディナタンジェ旧市街から新市街までモロッコgourmetの旅タンジェdrinkの旅モロッコの歴史タンジェ→シャウエンシャウエンの青シャウエンと共にシャウエン画像モロッコ→ポルトガルポルトガル→カーボベルデプライアから カーボベルデ共和国とはカーボベルデ画像カーボベルデ。プライア散策プライアからリスボン2度目のリスボンリスボン散策リスボン散策2リスボン→イスタンブールへリスボンから帰国
2017.08.25
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ビールを買って宿に戻り始める。近道してみよう、暗い道を下り始める。ジブラルタル海峡沿いの大きな道に出て、メディナが見える。朝早くチェックアウトするだけなので、少し安いところに宿替えしたが、あれ?エアコンは?扇風機は?WIFIは、ロビーだけね。外は風が吹いて、凄く涼しいので窓を開けて寝る。ダメだ、大量の蚊にやられた、あ、しまったここアフリカだった。マズイのではないか、不安になり、もう寝るのは止めた。午前3時、チェックアウトし、フロントでタウシー友達を読んでもらう。結局、エアコンタクシー乗らなかったなあ、一度も。TAPポルトガル、イブンバトゥータ空港、まあまあマイナー。1時間半の飛行時間も寝ている。旧植民地をメインに飛ばしてますなあ。アンゴラ、モザンビーク、ブラジル・・・アジアの方には行ってませんなあ。 2017年夏旅行 モロッコ、カーボベルデとか成田→マドリードスペイン→モロッコタンジェ宿泊タンジェの迷宮タンジェのカスバ メディナタンジェ旧市街から新市街までモロッコgourmetの旅タンジェdrinkの旅モロッコの歴史タンジェ→シャウエンシャウエンの青シャウエンと共にシャウエン画像モロッコ→ポルトガルポルトガル→カーボベルデプライアから カーボベルデ共和国とはカーボベルデ画像カーボベルデ。プライア散策プライアからリスボン2度目のリスボンリスボン散策リスボン散策2リスボン→イスタンブールへリスボンから帰国
2017.08.24
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ジブラルタル海峡、スペインまで20キロ程である。タンジェからは30キロ程度である。イブンバトゥータの家。 ヒッピーストリートこのあたりにくれば、もうどこを歩いているか分からない状態で、適当に歩いている。 2017年夏旅行 モロッコ、カーボベルデとか成田→マドリードスペイン→モロッコタンジェ宿泊タンジェの迷宮タンジェのカスバ メディナタンジェ旧市街から新市街までモロッコgourmetの旅タンジェdrinkの旅モロッコの歴史タンジェ→シャウエンシャウエンの青シャウエンと共にシャウエン画像モロッコ→ポルトガルポルトガル→カーボベルデプライアから カーボベルデ共和国とはカーボベルデ画像カーボベルデ。プライア散策プライアからリスボン2度目のリスボンリスボン散策リスボン散策2リスボン→イスタンブールへリスボンから帰国
2017.08.23
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ホテルは旧市街の中にとっていたが、親切なタクシー運転手はぎりぎりのところまで車を寄せてくれ、迷路だから人に聞きながら歩いて行きなよ、とのことであった。かつて悪名高き客引き、自称ガイド、その他もろもろぼったくり軍団が押し寄せるという噂のあったが、ホテルに着くまでにやんわりと2人程声をかけてきたぐらいで、ホテルも親切に教えてくれ、あれ?それだけ?という感じであった。旧市街の中のメインストリート、キサリアを歩く。西側に出てくると、スークとなる。プチソッコ広場ソッコ広場ところで、スークはアラビア語で、バザールはペルシア語、ペルシア語であるが、アラビア語圏以外のトルコやインドではバザールといっているなあ。両替屋多し。風はかなり強く、日陰を歩くには心地良い。海沿いの道に出てくる。新市街のメインストリート、パスツール通り、展望台。皆、ミントティーをカフェで飲んでいる。終点はフランス大使館。タジン鍋 2017年夏旅行 モロッコ、カーボベルデとか成田→マドリードスペイン→モロッコタンジェ宿泊タンジェの迷宮タンジェのカスバ メディナタンジェ旧市街から新市街までモロッコgourmetの旅タンジェdrinkの旅モロッコの歴史タンジェ→シャウエンシャウエンの青シャウエンと共にシャウエン画像モロッコ→ポルトガルポルトガル→カーボベルデプライアから カーボベルデ共和国とはカーボベルデ画像カーボベルデ。プライア散策プライアからリスボン2度目のリスボンリスボン散策リスボン散策2リスボン→イスタンブールへリスボンから帰国
2017.08.22
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昨晩、シャウエンへの行き方を調べていると、民営バスと公共のCTMバスがあり、3時間から3時間半ぐらいで到着、40~45デュルハム程度、しかし、時間はよく分からない(時期のよってバラバラのようで、CTMも公式HPをみうると1,2本ぐらいしかないようで、それも1本目が12時半発となっている。ただ民間バスは5本程度は走っているようだが、始発が何時か良く分からない)。プチタクシーでホテルからバスステーションに行ってもいいのだが、街の外れにあるが、目測で20分程度でいけそうなので、歩いていくことにする。バス停に到着すると、そこにひっつくように、乗り合いタクシー乗り場があって、シャウエンと書いてあった。あら?乗り合いタクシーもあるのか、いくらか聞いたら75(1,000円程度)というので乗ることにした。運転手たちは、シャウエンシャウエンと叫んでいる。5人乗りで3番目であり、残りの2人を待つことになる。4人目はすぐにやってきたが、30分たっても5人目はなかなか現れず、どうやら私を除いた4人の客と運転手は話し合ったようである。4人で5デュルハムを出し合って4人の乗客ですぐに出発することになった。(5人目が来たと思ったら西洋人カップルで2台目の車に乗り込んだ)最初は運転手が5デュルハム見せて、これ払えみたいなこといっているので、お釣り集めかと思ったらすぐに出発。いいやないか。出発したのだが、飛ばす、一度も抜かれず、20台ぐらいの車やバスを抜かし続ける。トロイ車には悪態をつくドライバー。道はそれなりによく、帰りは右側にティトアンの街が一瞬見える。途中休憩は、ない。タクシーが終点で降りると道の逆側にタクシーと書いてあり、何台か停まっているので聞いてみると、そこが乗り合いタクシー乗り場だ。タンジェのようにバスターミナルに併設されているのではない。すぐ近くのモハメッド5世サークルを横切り、アッサン2通りを行く。人が吸い込まれているのを見ると、あれがメディナに入っていく門のようである。入ってすぐ右なのか左なのかそれはもう自由で、前を歩いていた西洋人と違う道を歩いて行くと、5分後、またばったり横から出てきて出くわす、まあそんな感じだ。右に進んでいくと、広場となっており、そこのカスバとモスクが現れる。あとは適当に進んでいくだけで、その後土産物屋も消え住宅街のみとなっていく。住宅街に入っても一応危険度は低い。注意はするものの。子供たちも平和に遊んでいる。不思議だ、だんだん、とにかく青くペンキで塗りたくっているだけじゃないか、という感覚になっていく。それが面白いのだが。帰りは、5人乗客最後の1人で、すぐに出発、行きと違ってなぜか5安い70ドュルハム。 2017年夏旅行 モロッコ、カーボベルデとか成田→マドリードスペイン→モロッコタンジェ宿泊タンジェの迷宮タンジェのカスバ メディナタンジェ旧市街から新市街までモロッコgourmetの旅タンジェdrinkの旅モロッコの歴史タンジェ→シャウエンシャウエンの青シャウエンと共にシャウエン画像モロッコ→ポルトガルポルトガル→カーボベルデプライアから カーボベルデ共和国とはカーボベルデ画像カーボベルデ。プライア散策プライアからリスボン2度目のリスボンリスボン散策リスボン散策2リスボン→イスタンブールへリスボンから帰国
2017.08.21
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カスバとは城壁に囲まれた居住地区のことであり、アルジェのカスバが有名である。カスバの女が有名であるが、どうも私はカスハガを思い出してしまう。(カスの絵葉書のこと)メディナは北アフリカ(マブリグ地域)ではまあ旧市街のことである。バルセロナをはじめ、マヨルカじゃドブロブニクやらベネチアが旅行者来過ぎで現地人からの排斥運動が一部勃発する。そうしてたらテロ騒ぎがあった。木に塗っているイビルアイ(邪悪な目)を握るドアノックドゴールが作らせた牢屋地震で家がひっついてしまった情景ヒッピーエリア2017年夏旅行 モロッコ、カーボベルデとか成田→マドリードスペイン→モロッコタンジェ宿泊タンジェの迷宮タンジェのカスバ メディナタンジェ旧市街から新市街までモロッコgourmetの旅タンジェdrinkの旅モロッコの歴史タンジェ→シャウエンシャウエンの青シャウエンと共にシャウエン画像モロッコ→ポルトガルポルトガル→カーボベルデプライアから カーボベルデ共和国とはカーボベルデ画像カーボベルデ。プライア散策プライアからリスボン2度目のリスボンリスボン散策リスボン散策2リスボン→イスタンブールへリスボンから帰国
2017.08.20
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新市街メインストリートのパストゥール通りが始まるホテルレンブラントの前の道を渡ったRUE AL MOUTANABBI通り沿いに(プランスムレアブデラ通りまでに)酒屋がある。その日の夜、ネット検索したらどうやらスーパーならビール売ってるぜ、みたいな情報をもとにビールを買く道すがら、オッサンが声をかけてきた。「昼間カスバで会ったね、服着替えたから分からないかもしれないけど」と。そうかな会ったかな、全く覚えとらんが、「スーパーマーケットこの近くにあるんだけど、どこ?」と聞くと、ついて来いとのことだったが、「いやいや道教えてくれたらそれでいいから」、というと、まあまあ、といって歩き始める。5分程度のところにあり、2,3のアイテムをかごに入れ、ビールを探すが、ない、ない、0パーセントビールある、それいらない。やばい、アル中か、俺、まあ、多少はそうだが、ないじゃないかとがっかりして、スーパーを出ると、おっさんはがっちりずっと後ろをついてくるが、何ですか?と思っていたら、「案内代としてカフェ代くれないか」というので、「それはあげません」、というと泣きそうな顔になっていた。まあ、100円ぐらいあげてもいいかとこちらも優しい気持ちになり、「酒屋ないの?」と聞くと「あるある、付いて来い」ということで、また3分ほど歩くと、酒屋が、閉まっていた。(場所は前述の通りで、翌日再訪し無事ビール購入に至るのであった。)それで、閉まっているので、じゃあ、隣のレストランバーでビールしこたま飲んでから帰るかと思い、ありがとね、といいバーに入るとオッサンもついてきた。何だこのオッサンは、と思いながら、席に座らずぐるぐるレストランを歩くが、オッサンは「どの席がいいかい」とガッチリマークされており、席に座るとガッチリオッサンも席に座り、ビールを頼むと、オッサンもガッチリ指を2本立てていた。「一杯いくらなんだよ」と聞くが、「モロッコ価格ムッチャ安い」を連発し、答えようとしないのか、知らないだけなのか、(心の中で、おまえははじめからだけど信用できないな、と思いながら)ウイエターに値段を聞くと、23ドゥリュハム(まあ300円ぐらい)とのことなので、まあ、それならこのたかり屋にいっぱいぐらい捨ててやるわ、と思いながら、店はアンダルシア地方様式のようで、1杯頼むと小皿3品出てきくるシステムのようであった。4杯目を頼むと1品追加されるのである。こりゃいいね。え、4杯目?いつの間にやら、2杯目を頼み、オッサンもつられて2杯目を頼んでいた。「ちょっと、オメ、何で飲んでんだ?」というと、「もう一杯お代わりする?」とニヤニコしているので、「もうビールここでは飲まない、帰る。」といいバーのウエイターに「持って帰りたい」と頼むと、隣の店で買えみたいなことを言っている。隣の店閉まってたからな、どうやって買うのだ?と思いきや、オッサンが何本いるのだ?と聞いてくるので、「5本だ」と即答すると、「100だ」という。何、1,000円超か!と思ったが、とにかく、店閉まっているから裏口から買ってきてくれというと、まかしとけ、あいつは多少の手数料とりそうやな、と思いながら、100渡して頼んだのである。(実は翌日自分で買いに行ったら、バーで23やったのに、店で20近くした。高いな)暫くして彼は戻ってきて、買ってきたぞと新聞に包んで怪しそうに帰って来た。いいだろう、私は店を出る。彼は、「汗かいたからチップくれ」というが、阿保かおまえ、ビール2杯ここで飲んでおごってやったろ!「ダメだ」というと、何となくしょぼんとしていた。そもそも、彼は、奢ってくれるならバイクで来ているからホテルまで送るよと豪語していたのに、飲んでしまい、外に出るとブラザーじゃあな、と去って行った。おい、送ってくれるのではないのか、いや、あいつはビール2杯で酔っているようだからこれでいいのだ、歩いても10分だ、と思いながら宿に戻る。考えれば、多くの国でたかられてきた。たかられて30年。ま、いっか。あれ、宿屋でビール開けてみたら4本じゃん、セコイ!オッサンセコイ! 俺は呆れ、タンジェの1泊目を堪能したって訳であった。部屋飲み開始。このあたりに酒屋、バー. 2017年夏旅行 モロッコ、カーボベルデとか成田→マドリードスペイン→モロッコタンジェ宿泊タンジェの迷宮タンジェのカスバ メディナタンジェ旧市街から新市街までモロッコgourmetの旅タンジェdrinkの旅モロッコの歴史タンジェ→シャウエンシャウエンの青シャウエンと共にシャウエン画像モロッコ→ポルトガルポルトガル→カーボベルデプライアから カーボベルデ共和国とはカーボベルデ画像カーボベルデ。プライア散策プライアからリスボン2度目のリスボンリスボン散策リスボン散策2リスボン→イスタンブールへリスボンから帰国
2017.08.19
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タンジェの迷宮 旧市街、カスバに入る。早速、自称ガイドという鬱陶しい爺さんのターゲットとされる。最初はガイドはいらんやろ、迷ってぐるぐる歩くのみ、と思ったが、だれだれが借りていた家とか、案内もなくさっぱり分からないので、まあ1,000円ぐらいなら払っていいよ、ということにした。一人では迷いごっこしかできない。 ベラスケスの家ポールボウルズ シェリタリングスカイの家その横、手紙挟まっているのがウイリアムバロウズの家ネイキッドランチ その奥がジャンケルアックの家オンザロード。マチスダリの家ジャンジュネの家、だったかな・・ダニエルクレイブが007スペクターで走り抜けた小道その他、アレンギンズバーグ ピカソ マチス ドラクロワ ノーマンメイラー・・・あとフォーブズに乗ったお金持ちの家も紹介されたわ。キースリチャーズの家。 2017年夏旅行 モロッコ、カーボベルデとか成田→マドリードスペイン→モロッコタンジェ宿泊タンジェの迷宮タンジェのカスバ メディナタンジェ旧市街から新市街までモロッコgourmetの旅タンジェdrinkの旅モロッコの歴史タンジェ→シャウエンシャウエンの青シャウエンと共にシャウエン画像モロッコ→ポルトガルポルトガル→カーボベルデプライアから カーボベルデ共和国とはカーボベルデ画像カーボベルデ。プライア散策プライアからリスボン2度目のリスボンリスボン散策リスボン散策2リスボン→イスタンブールへリスボンから帰国
2017.08.18
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別に憧れではないが、簡単に行けるということで5年ほど前からモロッコに行こうと思っていた。スターライアンスチームではルフトのフランクとトルキッシュのイスタンブルからモロッコのカサブランカに便が出ているので、カサブランカだと思っていたが、どうも悪名高きタンジールに目が向いた。それは遅れてきたビートニク世代、バロウズ、ギンズバーグ、オウルス、ケルアックなどが魅せられた街だということが30年前から頭の片隅にあったことを思い出したからだ。そうだ、悪名高く鬱陶しい(客引きが)タンジェに行こうや。今回はマドリーでの乗り換えは3時間であり、よくよく見ると空港えらく広いやないか。油断してたら乗降客数世界10位やないかい。おれが到着したのはターミナル2のスターアライアンスチームターミナルあたりであり、表示を見るとイベリア航空表示ないやん、まあ、多分ターミナル3くらいかなと、歩いていく。うわっ、歩いたら遠い、15分ぐらい歩いたらターミナル3であったが、何だか何の表示もない感じのどうも降りるのが専門のようである。じゃあ、どこなんだ。と思ってカフェの横でノラWIFIを拾い調べてみると、ターミナル4だ。それはどこだ。それは分からない。何だか出発時間も2時間を切っていて、どうやらターミナル間のシャトルバスに乗れば良さそうだということに、簡単に気が付いた。とにかく、何か月か前にヨーロッパはテロ対策でセキュリティが厳しくなっていて、(日本発)チューリッヒから入国するのに3時間かかったと聞いていたので、随分余裕をとっていると、入国には3分で終了し、余裕かまし過ぎたのであった。ん、コンピューターも通さずハンコ押してたぞ。ニースのときみたいだ。とにかくターミナル4まで、どんなけ遠いんだ、という程遠かった。バス移動は10分は超えた。分かりにくい空港である。T4では速攻で搭乗券を30秒ぐらいで発行してもらい、ゲートなんやねん、RSUゲートである。どこや、そう思いながら、出国後、移動トレインに乗りながら昇降を繰り返し、RSUに来るとやっとこさ、ゲートナンバーが表示されていて、ここまで来ないと分からないシステムなのか、ということであった。これは出発ゲートがギリギリまで分からんテロ対策システムなのか?エンブラエル、ではなくボンバルディアの小さな飛行機に乗り、考えたらイベリア航空初めてね、と思うのであった。考えたら、いや、考えなくてもスペインのフラッグシップか。まあしかしブリテッュの子会社みたいなものか。地中海の超える時間は数分という感じで、離陸1時間数分で、海が終わればすぐにタンジェ空港に入る。イブンバトゥータ空港である。世界旅行家の生まれの地と言われている。イブンシーナ、イブンハルドゥーン、まあイブンだね。まあ、~の息子とか苗字みたいなもんか。空港を出ると公共バスはないので、タクシーしかない、がタクシーが待っていないし誰も声をかけて来ない。不思議なことに、客を下ろしたタクシーは私が手を挙げても、皆さん、笑顔で無視。なんだかはにかんでいるから、乗せたいけど乗せられないんだよ、という感じに見えた。意味は分からぬが分からぬままに無視され30分が経過。モロッコは国旗だらけ。ヒッピーの集まった街とは、昔インドのゴア、ネパールのカトマンドゥ、自由だったころのアフガンのカブール、あとクタ、そしてタンジェだよね。何となくそう考えると、ちょとだけ嬉しくなってきた。30年前、いつか遠い未来絶対来る街に来たのだからねえ。ただ、行こうと思ったのは1週間前だけどね。仕方なく、駐車場のほうにいくと、タクシーが何台か並び、タクシーか?と声をかけられ、おれも大概疲れたからな、いくらよと聞くと150ドユルハムだとうので、看板はどの国もあてにならないものの100じゃないの?と思いながらもまあ1,000円台ならいいか、言い値交渉なし、で分かったといい乗る。乗るというかこれタクシーの列に並んでいた一般車だな。まあ、いいか。遠くから城壁に囲まれた旧市街、おお、スゲエというものではなく、はあ、あれねえ、という感じである。市内も遠くなく、多分15分ぐらいだろうか。市内に入り多少の信号待ちなどはあった。城壁内のオールドシティに宿をとったので、城壁横で降ろされ、さあ、ここから歩いて行ってね、ということだったが、割とギリギリまで細い道を来てくれて、それなりに誠実な運転手であったと思う。さて歩き出そう。おれにとっては遅れてきたヒッピーの街へ。誰も声かけるなよ。 2017年夏旅行 モロッコ、カーボベルデとか成田→マドリードスペイン→モロッコタンジェ宿泊タンジェの迷宮タンジェのカスバ メディナタンジェ旧市街から新市街までモロッコgourmetの旅タンジェdrinkの旅モロッコの歴史タンジェ→シャウエンシャウエンの青シャウエンと共にシャウエン画像モロッコ→ポルトガルポルトガル→カーボベルデプライアから カーボベルデ共和国とはカーボベルデ画像カーボベルデ。プライア散策プライアからリスボン2度目のリスボンリスボン散策リスボン散策2リスボン→イスタンブールへリスボンから帰国
2017.08.17
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睡眠時間は、4時半起床にもかかわらず、4時間半である。まずは、成田に行けという話であるが、もともと乗り継ぎが70分であり、まあ、行けるやろ、みたいな旅行の楽観主義である。しかし、大変申し訳ありません、当機は遅延します、であった。ぼやぼや機内で「恐妻家宮本」(阿部寛、天海祐希、菅野美穂、相武紗季など)みてたけど。(恥ずかしながらコスプレっぽいファミレス店員が気になったので、検索したら柳ゆり菜という人であった。)そして、成田空港に着いて、国際線まで走った走った、が、もはや離陸15分前。順調に乗れず、成田空港カードラウンジで朝からビール飲んで、どうしようかと思案。1杯ビール無料なんで、とにかく、グビグビしてしまう。(無料ビールカードラウンジは、成田、福岡、熊本ね。噂によるとセントレアは飲み放題?)そして帰国。このまま関西に帰るには、19時15分羽田行リムジンバスで羽田21時に乗れるか、そのあとのリムジンで21時30分のスターフライヤーに乗れるか、そこが微妙で、いや全然微妙でなく、遅延したため、税関を抜けたのが19時45分ぐらいであった。それと、成田発ではジェットスタージャパンが20時25分、ピーチが20時55分であり、ジェットスターは間に合わず、ピーチアビイエーション買うかと検索したら売り切れ。えーっ。(考えたら、新幹線東京発新大阪行最終が21時23分であった。これは乗れたかも。)それで速攻で諦め、とにかく30数時間シャワー浴びてないので、速攻でシャワー浴びにスッキリしに行く富豪であった。とりあえず、40分弱使ってもいいよということだったので、荷物の整理である。しかし、このダサいカバン、貧乏人に見せるためであるが、どうやって入手したのか記憶がない。買った記憶ないなあ。それで先週行ったカードラウンジに行く。21時までであり、20時30分頃に行くと、客は誰もおらず、1杯ビール無料なんで、とにかく、グビグビしてしまう。そして、もはや覚悟を決め、随分成田空港でぼーっとして、東京駅行1,000円バスに乗る。こいつは安い。それで1時間で予定より10分早く八重洲口に到着し、ラーメン食べるかと思ったが、22時にもかかわらず、東京駅地下ラーメン街は行列にて、行列までした食いとうない、と食べるのはヤメ、羽田国際空港に向かう。ホテルに泊まるか、しかしホテル滞在時間は6時間程度であり、明日仕事ないし、今も最後の旅行の続きみたいな感じだったので、まあ5時間ぐらい暫く読書して酒飲んで待つか、私まーつわ、わたしまーつわ。に決定。前も経験したけど。それで経験上24時間コンビニにて、一人路上の石宴会準備完了。充電もOK.しかし、昨年のお泊りとは朝方便が減ったからなのか、空港完徹組も減り、今年はベンチを占領奇襲成功せり。(昨年は床で凱旋睡眠)6時間前も機内で睡眠6時間後も羽田国内線搭乗口で睡眠5時から国内国際線循環無料バスが走り出すと、うわっ、どんなけ寝てる奴らいたの?てな感じで朝一から循環バス満席。1本目は乗れず、2本目に乗った訳。どうやら2時間は熟睡していたようで、うっかりポッケから携帯電話が落ち、床に転がっていた。迂闊にも、チェックインが4番目ぐらいであり、乗ってきたのは総勢25人程度のガラ空きであった。しかし、空港内カードラウンジは6時からであり、行列ができている有様。行列には参加せず、モーニンコーヒー2杯目も頂く。1時間もないフライトタイムは、あっという間。機内ムージックで六本木心中とかもしもピアノが弾けたならを優雅に視聴。考えたら神戸空港が最終帰国空港となるのは初めてだなあ。まあ、昔鑑真号で神戸空港から出国したことあるけど、いや神戸港から。 空港出たら目の前すぐモノレール、子供みたいに一番前占領する。前にも見たけど、1電灯1カモメ。そうやって六甲山系を眺めながら、今回の旅行は終了である。
2017.08.16
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朝も4時半に起床、睡眠時間はざくりと4時間である。チェックアウトを済ませ、タクシー呼ぶか聞かれたが、外を見ると、1台タクシーが停まっているのが見えたので、あれに乗っていくよ、と答え、外に出る。空港までだよ、グリョーリアス国際空港のほうね、ターミナル2で。まあ、そいったものの、注意深く深くシートに潜り込む。まあ、早朝だし、こちらは空港専用タクシーでもないから一応大丈夫だろうなあ、できれば信号無視して行って欲しいなあ、信号で止まっている間に暴漢にあうのは嫌だからなあ、というごく普通の庶民的感覚を持ちながら、まず、タクシーはガソリンスタンドに寄り、1000円分のガソリンを入れた。5時台だが、割と一人で歩いている人普通にいるなあ。かなりの速度で、抜かすことはあっても抜かれることはないスピードで進み、3,40分で空港につき、何航空か聞かれ、LANTAMというが、それはないぞ、ウーン、ターミナル3だ、と移動し、そのためブラジルリアルも持ち金を超えてしまった。ちょとだけ超えたと思ったが、すっかり深夜割増料金であることを失念しており、全然足りず、表示料金から掛け算しよった。えー、高っ、7,8000円かよ、という金額である。カード払いにするが、自分のカードの暗証番号が分からず、足りない分はドルの現金払いにするわ、ということで、残りをドルで支払う。今回は、LANである。いつの間にかTAMと合体してLATAMになっている。(調べによると、2012年に合弁している。2015年よりリブランドされ、今は、まだ別の会社のように見えるが、2018年までにはデザイン統一機になるようである。それで南米で主だった航空会社は、ヴァリグブラジルなき今、コパ航空(パナマ)、ゴル航空(ブラジル)、アヴィアンカ航空(コロンビア)、アズール(ブラジル)航空あたりがライバルであるが、合弁で南米最大級の航空会社となった。まあ、最大って、利益なんか、旅客数なんか便数なんか、まあ、それはおいておこう。コパとアヴィアンカは乗った。こちらがTAMブラジル今から乗るのがLANチリ、お、787じゃないか。ディレイなく出発。結局、LATAMは、LANのワンワールドチームに残り、TAMのスターアライアンスを脱退した。日本語のHPも開設し、日本まで足を延ばすのであろうか。就航都市を座席に座って検査。そういえば、関係ないが、デルタ航空成田アメリカ便減らすんだってねえ。かつてのノースウエストのアジア時代が懐かしいね。デルタは、羽田に対して怒りであり、ANAのスターライアンスにも、JALのワンワールドにも属していないスカイチームだ。ついでに、魚介類のおいしいんだぜ!エリアリストも掲載。搭乗時間は、時刻表では4時間。機内放送では3時間半。何となく耐えうるひとつの目安時間である。2時間(沖縄、上海、札幌)はまあ寝ていれば。4時間(香港、マニラ、グアム)は厳しいけどしびれきれそうなキリキリかな。6時間7時間(バンコク、シンガポ、ハワイ)はまあ、キレかけ寸前。そんな目安だ。朝食はサンドイッチ。一目見てガイコツジンと分かりそうなのに、乗務員からはスペイン語だかポルトガル語を押し通される・・・あ、そっか、俺、日系ブラジル人か!席は、横2席に誰もいなかったので空いてるんだなあ、と思ってたら、トイレいくと、割と埋まっていた。あれ、6,7席しか空いてないよ。ああ、ビジネスの次のバシネット席だったので、エンタメの出し方が分からず、聞く。パラグアイ、アルゼンチン上空を飛ぶ。なぜか、音楽を聴く。ジャニスジョップリン、なぜかアバ。急に、乾燥地帯に海みたいのが見えてきた、湖か。マルチキータ湖。アルゼンチン最大の塩湖らしく、川の流入はあっても、出ていく川がない。この近くには、サリーナス・グランデス湖というウユニ湖みたいな湖がある。ウユニ湖有名になりすぎたから、こっちんほうがいいんじゃない?。あと、アルゼンチンにはアリサロ塩湖というのもあり、そっちも要はウユニ系である。近くには、サリーナス デ アンバルガスタという塩湖もあるが、日本語のページはないなあ。いいなあ、ウユニやめて、こっち系にしよう。急に陸地がガタンと落ちる光景も。奈良盆地から大阪平野に入っていくときに見る光景である。そしてアンデス山脈に入りつつあった。山脈でアルゼンチンとチリが分けられている、分けられているがゆえに、チリは特異な地形の国だ。山脈を超えると間もなくチリ、サンチアゴ。フラッグキャリアの本拠地へ。ランチリはイースター島に飛ばしているんだよなあ(チリだから)・・・でも5時間ぐらいかかるんだよなあ・・常に満席状態なんだよな。ブラジルまたゆっくりいくなら北部のレンソイスだなあ。
2017.08.15
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ラパスは世界で一番標高が高い首都である。 景色はどこがいいですか?という質問を受けることがよくあるのだが、首都としては、ボリビア(ラパス)は良い、良いのだ。ラパスはすり鉢状の町であり、高地であることと利便性から、すり鉢状の底が一番地下が高くオフィス街や高級住宅街になっており、高地に行くほど、傾斜ができていくほど貧民街となっていく。そんな訳で、街中が貧民街に囲まれてて、それが見えるのだが、崖みたいな勾配にへばりつく家並みが壮観である。色が統一されているのは、何故か分からないが、宇宙的な感じがするのだ。 ロープウエイはスペイン語で多分、テレフィリコというのだろう。キトもコロンビアも同じ名前だった。たまたま、ぶらぶらしていると、ロープウエイを発見し、急いでその麓らしきところに向かうのであった。廃止になった鉄道駅から墓地駅を経由してエルアルトまでいく。ここから空港近いやんという感じで、昼間なら、これで空港向かうのもいいのかもしれないなと思うのであった。勿論、タクシーは待っている。あとは、不得意の交渉でよろしくお願いします。空港からバスで10分ほどのすぐ近くらしいぜ。6349メートルイリマニ山ラパスの北に見えるのは標高6088mのワイナ・ポトシこれいいね、2往復しようかと思った思った程度、高低差400メートル、10分。途中、墓地駅にも降りてみる。ズイズイ上っていき、傾斜が限度に来ると、さすがに家はなくなる。自動車がはまってます。一緒に乗ってたおちゃんが興奮気味に教えてくれた。棺おけに見えた。しかし、棺おけ状態である。同乗者のスペイン語の説明によると、6人乗ってて3人シンだってさ。まあ、数字しか分からなかったが、当たっているだろう。あ、空港から来た道路だ。眺めは、それにしても、壮観だ。
2017.08.14
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アートギャラリーのレリーフとコンクリー彫刻を超えた向こうは水族館である。まあ、へびかああ、白蛇か。白い甲羅だけ白いサカナ白いスッポン普通のピラルクああ、ただのスッポンと、おもいきや、写真では分からないが、甲羅が50センチ以上。割とでかいやナイか土にタイプライター埋め込まれてた。アートか?この亀、絶対おかしい、シャムの亀やさて、洞窟は終わり次のコーナーに進むショータイムが始まったが、とぼけたピーコックがオモロイ悲しくなるほど、下手な踊りに同情しながら、観客の目線は、孔雀に。この3人組が暇すぎて、アイスクリームを買いに行ったものだから、俺もつられる。そんな主体性なくっていいのだろうか。意味なく、あのねのねの、なんだっけ、あひるもがちょうもガーガーガーだっけ?そして、第2の洞窟に向かいつつあるおお、これは世界の奇祭の本でみたやっちゃ、タイプーサムやもう泣いてますタイプーサム見に行きたいな。
2017.08.13
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地中海に浮かぶ分断国家。その首都ニコシア、レコフーシャの中心部は城に囲まれ、その城がちょうど南北に分断されている。ニコシアLokmaci Crossing meeting point北キプロスの国旗は、トルコの一味のはずなのに、トルコ国旗と色が正反対となっている。北側の壁その気になったら乗り越えれそうってのが怖いな。建物がそのまま南北に分かれているんですが、いいのでしょうか。多分ここ2,3年で随分、国境も緩くなったのではないだろうか。2013年、要は、南北いろいろ行けるのか調べた結果、10年ぐらい前までは第三国を経由しないといけなくて、数年前から外国人は南からならいけるようになったようで、ここ2年程で随分緩和されて北からでも平気で行ける様になったようである。勿論国境は日々変化する可能性があるので予断は許さない。南に行ったら戻れるよね、北に、って聞こうとしたけど、皆さん平気でこののどかな国境線を越えていく。Ledras Border Crossing それも24時間、行き来は自由のようである。北から出るときはスタンプを別紙に押すだけ、南に入るときは、パスポートをちらりと見るだけ。戻る時は南ではパスポートもチェックなして、北ではまた別紙にスタンプを押してもらうあっけなさ緩衝地帯 50メートルぐらいアヤふやな緩衝地帯を歩く。両脇は硬く閉ざされている。すぐに南キプロスに入る、全国家から承認されている国だが、スタンプもないし、何だかよく分からない状態である。北キプロスは出たというスタンプがあり、どこにも来てないよ状態である(EU圏への出入国には通常入ったときと出たときだけスタンプを貰う)南キプロスは北を認めてないので「トルコ入口」と表示されている。街はピカピカになり、物価は倍になり、まあ、勝手ながらつまんなくなる。南側の壁その気になったら乗り越えれそうってのが怖いな。国連軍、結構ぼーっとしているベルリンの壁ではないのだが。ノーボーダー、ではあるが、アンダーウエアでは何だかちょとだけ意味がやらしいように見える、すみません。また、北に問題なく戻る。しかし、こうなったら、よく分からないのだが単なる旅行者だったら、だいたいが半額になる北に宿とったり飯食ったりビール飲みに来たらいいのに、そういうものでもないのかな。離陸して分かった。城壁の緑で囲われているのが分かり、半分のところで南北分断だれている。
2017.08.12
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そんな訳で、ルーマニアに行くことになった。帰ってきたら、こいつはいたたまれない。私の居たときに、日本人女性殺された。それも空港からだ。8月15日、彼女とニアミスしている。15日空港に私も居た。ご冥福お祈りします。ルーマニアは、国も東欧ではでかいが、人口も多い。昔、チャウシェスクの子といって、無茶苦茶人口増やしたよな。チャウシェスク政権時代の人口大増進政策によってルーマニアの人口はバルカン半島一となっったが、子供を育てきれなくなった親が子供を捨てるといった事例が続出し、大量の孤児を出してしまい、孤児院は常時満員状態となった。ルーマニアの歴史(ウキペディアを省略)1881年ルーマニア王国樹立。第一次世界大戦では連合国側で参戦。ルーマニア軍は開戦からたった3ヶ月後で首都ブカレストを陥落させられたが、休戦後の1918年12月1日には、ブコヴィナ、トランシルバニア、ドブロジャ、ベッサラビアを獲得し、大ルーマニアを実現させた。第二次世界大戦では、ハンガリーやスターリンのロシアにケちょンケチョンにやられ、王政廃止の原因となる。最初、ルーマニアは枢軸国について戦ったが、ソ連軍侵攻により、1944年に政変が起こり連合国につき(1944年のルーマニア革命)、ナチス・ドイツと戦端を開いた。戦後、ベッサラビアとブコヴィナをソ連に奪われ、ソ連軍の圧力の下、1947年の12月30日に人民政府が成立。王政は廃止され、ルーマニア人民共和国となった。1965年にはチャウシェスクが指導者の地位につき、国号をルーマニア社会主義共和国へ変更。1974年には大統領に就任し、独裁体制をしいた。その間、アメリカ合衆国、西ヨーロッパ、中華人民共和国と外交関係を交わし、「東欧の異端児」と呼ばれるようになった。急速で過度に重工業化を目指し、西側からの技術の導入や機械の輸入で債務を膨張させた。対外債務は飢餓輸出の結果完済したものの、ルーマニアの経済は疲弊。ルーマニアには石油が埋蔵されていて資源面で優位なことが、東西冷戦、中ソ対立においても、独自の立場の維持を可能にした。ソ連にゴルバチョフが登場し、ペレストロイカをはじめ、1989年にはベルリンの壁の崩壊に連なる、東欧の民主化の波はルーマニアにも波及した。ポーランド、ハンガリー、チェコスロバキアなど、東欧諸国が無血で民主化を成し遂げる中、チャウシェスク大統領は権力の保持を企図したため、暴動が発生。ルーマニアだけは、流血の革命による民主化となった(1989年のルーマニア革命)。チャウシェスク夫妻は即決裁判で銃殺刑となった。その様子は映像で世界中に配信され、「ベルリンの壁の崩壊」の場面と並び、東欧民主化を国際社会に見せ付けることになった。(これニュースで何回もみたよね)その後、民主化はされたが、高失業率や経済成長の停滞で前途は多難なものとなり、今も旧東欧圏では遅れをとっている。また、トランシルヴァニア地方の少数民族であるハンガリー系住民との民族問題を抱えている。2007年、EUに加盟。ルーマニアは、東欧で、唯一のラテン系といわれており、ノリノリじゃないかと期待はする。何の期待だ。空港から市内へは、20キロ程度で、帰り、市内からメーターで25LEC(14キロで)であった。まあ、1LEC30円計算だ。そうすると750円だが、空港からは料金が加算されるので、そういうわけにはいかないが、そのときもあまりいくらか分からないが、まあ、倍以内に収まれば正解だろう。空港を出て、タクシーを確認すると、全員がよてったかって40だか50ユーロといって、こりゃ話にならないと、また空港内に入り、考える。1階下に下りて、そこから荷物を転がしながら、道を渡り、ガードレールなんかを飛び越え、駐車場までいく。この辺りにいると、タクシーが来る。(勿論、このあたりが安い、というか市内からやってきたタクシーだということを)知らなかったので、いろいろ声を掛けられて、80LECで手を打って(でも高いけど、もう面倒になったので)、連れて行ってもらったのだが、何とそいつに40LEC,タクシー運転手に40LECだ。随分、オマエが40はないだろ、おまえは10だ、タクシーに70渡すといったが、彼と、私と、運転手と押し問答の上、結局、10分程で運転手が折れて、40.40でということになった。一人で行って交渉したら、多分、40ぐらいで乗れると思う。いくらでもタクシーはいる。(時間にもよるだろうけど)まあ、税関出て、まっすぐタクシー乗るよりは安いけど。そうやって、ホテルに早々とと到着し、夜だったが、今晩中ならウエルカムドリンクが無料で後ろのバーで飲めるんだぜ、といわれて、荷物を置いて5分で降りてきて、フロントで地図を貰って、バーで、ビールというと、ニコニコ笑いながらソーダ持ってきた。しかし、もらった地図の広告がおかしい。エスコートクラブがこの国では流行っているのか?朝起きたら、前の家は工事している。夏だが、エアコンはつけたり消したり。シースルーのエレベーターで朝ごはんに向かう。ホテルを出る。地下鉄(僕がいえる柄じゃないんだけど、この人、かなり顔のほうは不自由でした)
2017.08.11
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カザフスタン、アルマトイ15時、今日中に5時間先のキルギスのビシュケクに行けばいいやと軽く考えていたが、ふと、もしかして陸路の国境って夕方に閉まるのではないか、そんな過去の経験からその可能性もあるような気がしてきて、至急焦りだした。 急いでホテルに戻り、バスターミナルに行こうか、と思ったが、少なくとも役人の17時には断然間に合わない。24時間オープン国境であることを願うしかないのではないか、と思うことにはしたものの、バスは頻繁に出ているとはいっても、向こうに夜中に着くようなバスはないかも知れないとも思いつつ、何だか悪いことばかり考え始め、急いでタクシーを捕まえてホテル荷物ピックアップ経由でバスターミナルに行くことにする。 しかし、この国は車の天井にタクシーマークつけたりボディにタクシーと分かる文字や色のタクシーが少なく、適当に道端で手を出して、走ってくる車が止まってくれるのを待たねばならない。それも、何だか、ヒッチハイクなのか、ヒッチハイクシステムで多少の銭っこを払うのか、ほんまにタクシー運転手なのか、分からないのだ。明らかにカップルの車が手を上げた人の前で停まったり、先ほど私が乗ったタクシーも私が乗っているのに同じ方向に行きそうな人を探していた(まあ、それは韓国他よくある話ではあるが)。 走ってくる車を止めて地図出してというのも、説明するのも大変だし、停まっている車にも結構人がぼんやり座っているので、車の中に人がいるのを片っ端に、「あなたはタクシーか」と聞くと、そのうちの一人がそうだといい、まあ、本当にタクシーなのだか、適当に乗せているのかよく分からないまま、地図を広げここに寄ってここに行くみたいなことを言って、人のよさそうなおっさんだったので、値段はこれでいいかと札を見せるとうなずいた。多分、結構、多目だったおかも知れない。(実はその前にも俺もタクシーだといわれた車もあったのだが、小心者の私、その車がぴかぴかのベンツだったので、遠慮した) バスターミナルに着くと、バスはどうやら、もう最終便が行ってしまったのか、よく分からないが、ビシュケクを叫び続けると、皆が指差す方向に歩いていくと、端のほうにたどり着き、キルギスの国境までしかないぞとか言われながらやはりそうかと落胆しつつ、一人かおまえといわれ、連れて行かれると、さあ荷物を乗せろというので、値段を聞くと3000テンゲ(1600円ぐらい)といわれ、バスなら1000テンゲなのだが、このヴァンでいくことにする。私が乗るとすぐに出発、後ろには5名の人数が乗っており、出発時に3000ずつ金を集めた。ぼられてはないが、1万円の商売か・・・と物価から考えてまあまあだなあと思いつつ、出発する。多分、学生時代ならそういうことも調べたであろうが、今は、時間を金で買う極悪サラリーパーソンなのだ。 市内は暫く渋滞だが、その後草原地帯を走り出すと、景色がすごく、ついつい、雪のないチベット高原を思い出した。ヤクがいたらそのままだなと思いながら羊や馬が放牧されていた。イスラムの墓も見える。後ろの3人家族は、「シナ?コリア?」と聞いてくるので、「ニッサン三菱トヨタジャパン」と答える。その後ろの若いカップルは、ジロジロと私を見る眼光が鋭い。(といいながら荷物を見てくれた)4時間程度で国境に到着し、人があふれ、押しくら饅頭状態の罵声(順番抜かした抜かされただの)の微笑ましい状態の中、1時間かかって出国する。3人家族のおばちゃんが、「私に着いて来なさい!しっかりと!」といいながら、どんどんスルリと抜け、前の方に行ってしまう。私の出国の番は、皆と違い、長く長い尋問、というか、まったくロシア語が分からず、オーオーといっている間に、スタンプが押される。キルギスの入国は、5分程度。それも、お前は別室だ、といわれ、別室に行くと、部屋に入るなとパスポートだけ取られ、3分ほど待つと、はいよ、とパスポートを渡される。入国カードも何もなかったんですけど。スタンプ押されてるのか、確認すると、「あ、薄っ!」となんだか押されているんだか分からないものがあった。運転手と車はまだであり、ゴロゴロ歩いていると、同乗者のおばちゃんがここよ、皆荷物固めてるわよ、といい、荷物を預けると、同乗者おじちゃんがビールを飲んでいたので、私も両替して、ビールを買いに行く。荷物を見張ってくれるカップル。その横で、ごめん、ビールぐびぐび。闇に隠れて立小便も。 30分ほど待つと、やがてヴァンが国境を抜けてきて、30分も走るとビシュケクの街に入ったのであった。途中でおばちゃん一家3人が降り、若いカップルがバスステーションで降ろされ、残り私は一緒にホテルを探してくれた。運転手はトルコ人だそうで、暗い街中をぐるぐる回ってやっとホテルらしき?場所で降ろしてくれたのであった。結局時速100キロを超える爽快な道を越えてでも、5時間半かかったが、90分は国境超えに時間を要したので、実質は2,300キロを4時間かけて走ったという感じであった。
2017.08.10
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ブエイノスアイレスのホテルのフロントで、今から日帰りでウルグアイに行きたいのだがどうすればいいのか尋ねた。首都モンテネビオまで45分のフライトであるが、それも、国内線専用空港から飛んでいるので近いのだが、調べてみると、午後からの便が全て満席で帰ることができない。 しかし、ラプラタ河対岸の町にウルグアイの小さな町がある。その船に乗るにはどうすればいいのか聞くと、ホテルから歩いて10分程度のことろに、ブケバスのオフィスがあり、そこでチケットを買えるという。いくらフロントでも、アジア諸国では結構、こういう話はいつも信憑性が薄いのだが、歩いていくと、オフィスはあり、チケットを購入した。 そこから歩いて30分程度か、第4ドッグの北港に到着し、少し、最近流行り出したという、どの国もあまり面白くもない何処に国も同じようなウォーターフロント再開発地域を少し散歩する。サクラメントデルコロニアまでの船は1時間で着く速い船と3時間かかるフェリーがあり、1日6往復であった。往復2000円程度。チェックインもスムースで、どういうわけだか、乗客を荷物のように預かっていないかと外人目当てにアンケートをとっている係員にインタビューを受けるが、結構オーストラリア人が多い。確かに距離的には、日本からアメリカに行くようなものか。イミグレには、2人係員がいて、パスポートを渡すと、手前の係員が、アルゼンチン出国のスタンプを押し、奥の係員にパスポートを渡し、ウルグアイのスタンプを押す。 船内は、3等席は満席状態。腹ごしらえする人々は、多分、このままブケバスに乗って、首都モンテネビオに向かうのであろう。船は出港し、泥の川を進み始める。ラプラタ河。中学生の時に、アマゾン河と一緒に学んだ河の名前。河口の幅は世界一で、対岸のウルグアイは見えない。というより、湾である。4,50キロはある。銀の河という意味である。しかし、川底は浅く、大型船は中に入れなかったので、奥地の都市の発展には寄与しなかった。結構皆ビール買ってたし、免税だろうと思って(免税店が裏にある)、買ってみたら440円もした。街中のスーパーではビール1リットルが150円程度で買えるのにである。不思議なことに、330観るのビールが100円程度なのに、1リットルの3倍になっても、1.5倍まで値段が上がらないのが、良く分からないアルゼンチーナスタイル。ウルグアイに1時間で到着。ほとんどの人々は、そのままバスに乗るか迎えに来ていて、歩き出すのは、観光客らしき十数人のみ。町は小さく、タクシーも必要なく、市内バスも走っていない。ノンビリ歩いて回れる街である。いや、村だなこれは。10分も歩けば、いわゆる歴史地区にはいっていく。しかし、その前に、恒例のスーパーマーケット巡り。どの国もスーパーは楽しい。同時に物価も把握できる。ウルグアイはビールの種類が豊富だ。(写真は一種類)大都会のベイノスアイレスから来ると、やたら落ち着く。特に何を見るではなく、何となく世界遺産、何となく、メキシコのティファナを落ち着かせた感じ、ホンジュラスのコパンみたいな感じ、20年前のネパールのポカラを少しラテンにした感じ、スペインのセビリアの裏通りという感じ。ラプラタ河、広いなあ、近くに寄ってみよう、ああ、魚いっぱい死んどる。その死んだ魚を喰らうナマズ。しかし、ウルグアイといえば、我々の年代は、ウルグアイラウンドである。というか、その記憶しかない。1980年代後半、GATTで、日本も米の自由化問題で盛んに新聞を賑わせたなあ。一番高い建物、灯台に登り、風をあおる。ウルグアイこそ、日本の真裏にいるという感覚が面白い。日本から一番遠くまで来ているんだ、という感覚が愉快。(正確には真裏はウルグアイ沖の海だけど)
2017.08.09
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関空を出る時に、お金を下ろすのを忘れ、日本円が7,000円とタイバーツが500バーツ分しか財布に入ってなかったので今回の滞在予算が決定した件。関空を出るときに、お金を下ろすのを忘れていたことにきがついた。日本円が7,000円とタイバーツが500バーツ分弱しか財布に入ってなかったが、いざとなれば何とかすることにして今回の滞在予算はこれだけに決定した。だいたい300バーツが1,000円である。1バーツ3.3円ぐらいで、予算といえば、2,800バーツぐらいである。スワ何とか空港→マッカサンのエアポートリンク線 35バーツ。地下鉄MRTペチャブリ→シーロム 25バーツチャンビール、シンハビール、レオンビール等、350CC 33~35バーツ×3本で105バーツ冷房冷え冷えの高級レストランでの食事及びビール 300バーツシーロムから南バスターミナルまでタクシー 130バーツ地獄寺までのローカルバス100バーツ(昔はだいたいエアコン無し市内バス2バーツ10円であって、今7バーツ25円。だいたい物価は2~3倍ぐらいになった感覚)南バスターミナルからタクシー2時間半乗って周遊し、ホテルまで 700バーツ(メーター、チップ込) (といっても、帰りはほぼずっと渋滞)大瓶シンハ 60バーツタイマッサージ90分 330バーツ(チップ込)屋台でシーフード麺 70バーツ+コンビニでビール35バーツ (昔屋台はだいたい10バーツであって1バーツ5円であった。だいたい物価は3~4倍ぐらいになった感覚)オープンエアバーでビール2本 200バーツ 2200屋台で焼き飯40バーツ(タイプーパッポンカリー400バーツと高く退散)スーパーでお菓子等 150バーツ(この時点で寝る前で最後に空港までのタクシー代300は確保しつつ残りは使って宜しいという計算)バーでビール 130バーツ空港までタクシー 270バーツ空港でごおかゆ 65バーツ (もうあとは、機内食あるけど、機内食残してでもいいからおかゆ食べたくなり、残りのお金をすべて使ってもよろしいということとなった)合計 だいたい2800バーツ(9,000円)残り40バーツ(次回に使う)> 2017年7月タイKIX→BKKタイ予算タイ パイロンウア地獄寺 Wat Phai Rong Wua までタイ パイロンウア地獄寺 Wat Phai Rong Wua 地獄以外1タイ パイロンウア地獄寺 Wat Phai Rong Wua 地獄以外2タイ パイロンウア地獄寺 Wat Phai Rong Wua0タイ パイロンウア地獄寺 Wat Phai Rong Wua1タイ パイロンウア地獄寺 Wat Phai Rong Wua2タイ パイロンウア地獄寺 Wat Phai Rong Wua3タイ パイロンウア地獄寺 Wat Phai Rong Wua4タイ ナコンパトム ワットサンプラン到着タイ ナコンパトム ワットサンプラン内部タイ ナコンパトム ワットサンプラン敷地散策タイ gourmetの旅bKK→KIX
2017.08.08
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田舎館とは、驚くべきことに村の地名である。第2田んぼ過去の作品紹介どっかの機内で見た。カネゴンとかピグモンとかバルタン星人とか東芝ヤバイ、もはやサエさん。出来ワルイナ、ジョコンダ。竹がうまく表現されてますなあ弁慶棟方志功、このあたり出身でしたな復興ビビアンリーが割と雑やな
2017.08.07
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ピース大阪で勉強である。大阪空襲の中で戦争へ突入していった説明を聞く。何で泳いでいるの?と思ったものの、違うのである。今のOBP。御堂筋、大阪城再建、通天閣米をポンピングするの、裸足のゲンで見たわきょうびのスイトン美味いらしい新聞の罪ってほんと重いよな。ジオラマ、これは金かかかっとるな防空壕体験。入ると空襲がはじまる家庭における防空壕の作り方、主婦の友社より戦争終了。アメリカで余った小麦、売りつけられたやつね ララ給食買いにいこか、場所は大阪城
2017.08.06
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何気に2年ぶりの青森にて、2年ではよく覚えていて、空港出たら右に歩いたらレンタカー屋やがて車を走らせ、山麓に入りつつある。赤倉大神はこちらの方が詳しい。 私は、鳥居脇の須藤さんが、えらく怖くて、ここは遊び半分ではやめておこうと瞬時に思い撤退する。馬である。チャントバケツでご飯あげているのである。これは、リンガか。
2017.08.05
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銚子、利根川、霞が浦、なめろう、九十九里浜はしっこ俯瞰すれば、房総半島そのままだ。昔、何か月かぶりに日本に帰って来た。その間に何度かアジアの空港に降り立ったが、また緑に囲まれた地域に入り、日本もやっぱアジアじゃないか、そんな気がした。とても懐かしい気がした。バンコクとかマニラとかカラチとかそういうところに降り立つのと同じような気がした。日本に帰って来たけど何か間違っているんじゃないか。まだアジアだと。アジアというか、千葉かと。今は、もう長くても1週間から10日程度で帰ってくる、懐かしさもなく、また日常にもどってきたぞ、という感じである。夏を越えて日本に帰ってきて、成田空港を出ると、日本中に冷房がかかっていて、そしてやたらシステムで動いていると感じたものだった。今はアジアでは、最新のものが急に導入されるので、日本に帰ると多少古くなってるなという印象を受ける。アメリカも同じだ、古いなと感じる。道路なんかメンテ遅れていかれてるものな。まあ、今はオンデマンドディバイスみているうちに着いてしまってたりなんかして、情緒のかけらもねえや。
2017.08.04
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関空便も辛いことに、今年の初めに関空発夜中便バンコク早朝着がなくなり、困ったことになっていた。10年ほど前に10年ぶりぐらいにバンコクに行きったがそれはユナイテッド航空で成田発が夕方でバンコクが夜中0時頃着き、バンコク発が朝の7時頃であったが、それは3年ぐらい前にアライアンスが進んで以遠権を放棄して飛ばすのを辞めてしまった。それからは関空発夜中0時半発の便を使っていたがこれは便利で仕事後ゆっくり行け(一回家に帰ることも可能)、タイも早朝から猛烈ダッシュできたのであった。それもなくなり、朝便はマニラ経由もなくなり、遂に直行便となった。それでマニラ便のタイ航空を何度も使っていたのであるがそれも終わりである。それで今週に入り、今週末は3連休ということが世間的に判明し、じゃあ、どっかいくか、タイ行くか、どうやって行くかであったが、仕事終わってから羽田に行き、羽田発0時半とか0時20分とかのタイ航空か全日空で行くことにしようかなーと考えたのであるが、何と金曜の羽田行の国内線が厳しく、もう一度調べると、タイ航空関西発は1日2便のままであり、夜中発が夕方発になっていたのであった。それ、いくか、仕事を早く行き(当日起きたらちっとも早くなかった)、効率よく仕事をし、(当日いつもと同じ効率であった)、たまたま夕方にアポイントがなかったこともあり(わざわざ業者に連絡して、アポを移動してもらった)、順調にフレックスを利用してちょと早く会社を出る。出るが、まったくカバン一つに背広なのでエリートリーマンのままである。心の中はそうでもないが、人間見栄えが大切である。でもさすがに関空に到着したのは、仕事ぎりぎりまでしたので、出発1時間前であり、カウンターで、「トイモイサマ、ご予約が明日の便になってますが・・・」とのことであった。しまった普段からぼーっとしているが、冷静を装い、「今日は15日では・・・あ、ないですね・・・あ、あの、すみません、今日空席あれば今日に変更してもらえませんか?」暫くの沈黙の後、「席ありますね、じゃあ、今日で発券しますね、預ける荷物は?」「預ける荷物はありませんね。」「帰りの便はどうなってますか?何かみせてもらえますか」「ハイハイ、これですね、あ!これも1日間違ってますね・・・こちらはバンコク着いてから自分で修正しときますよ、はは」と言っておく。今回は、バンコク在住ですかとは聞かれなかった。何だかわからないけど、バンコクにお住まいですか?といつも聞かれ、台湾チャイナエアラインズでも台湾に住んでますかと聞かれ、アメリカに至っては、ベリーズにお住まいですか?と聞かれ、ルフトハンザ航空では大阪に住んでますというと、へーオーランドですかといわれ、面倒なのでハイ!と答えてたなあ。おれの発音も悪いけど、オだけやん、同じの。まあ、普通でもどこに住んでるのか聞かれないってか、最近意味なくカウンターで聞かれるなあ。時間帯もあったのか、関空セキュリテイ並んでいたら、日本人おれだけや、韓国語しか聞こえてこない。機内に乗り込むとき、「入り口で2階です」といわれ「?エコが2階?」ずんずん進むと、一番後ろまでいくと階段があり、2階に上がると10列か15列ぐらいエコノミ―が並んでいた。「あ!これA380ちゃうの?」ってことであり、2階は全部ルフトはビジネスだったようなと思いながら、そかこれ導入されてから10年、初めて乗ったわ。なかなかこの10年で超ジャンボみたいな需要がなくなってしまってきているよなあ。(ところ帰り便はこの折り返し便だったのでA380って思ってたら今回は違うかったなあ。今HP見たら基本関空1便はA380になっているのだが・・・)飛行機になると、人間的に友達になりたくないようなおじさんたちが乗っていたが、バンコク便にはこういう輩が多いのは仕方ない。半面韓国や台湾は若い女の子が増えて、そういう友達になりたくないひとたちは減ったようなきがするなあ。勿論俺は、革靴に背広なので、どう見ても、仕事だ。でも本当は仕事ではなく修行である。しかし、飛行機のっちゃうとデカいか分からないが、外を映すモニター見ると、バックしているみたに見えるのであった。どこに添えつけたカメラだ!うわ、後ろ向きに飛んでる!スワ何とかバンコク国際空港では、A380用ボーディングブリっジがあり、2階からそのまま外に出て、ゆくりスロープダウンしていて、1階からゆっくりスロープアップした通路と途中で合体していた。栄光の真ん中席であったが、隣は日本人女性で、ちいさかったので、うまくすみませんだけで足を横に向けて貰えるだけで、すり抜けられ2回トイレに行けたのであった。22時頃という時間に到着し、トレインでホテルに向かうよ。それでホテルにチェクインしたんは23時台であり、急いで出かけるのであった。マシメシメシ。その前にコンビニデカタビールビール。まあ、ホテルはモンティエンで2,3回目であり、数年ぶりかな。今日は7割引きだったからねえ。 2017年7月タイKIX→BKKタイ予算タイ パイロンウア地獄寺 Wat Phai Rong Wua までタイ パイロンウア地獄寺 Wat Phai Rong Wua 地獄以外1タイ パイロンウア地獄寺 Wat Phai Rong Wua 地獄以外2タイ パイロンウア地獄寺 Wat Phai Rong Wua0タイ パイロンウア地獄寺 Wat Phai Rong Wua1タイ パイロンウア地獄寺 Wat Phai Rong Wua2タイ パイロンウア地獄寺 Wat Phai Rong Wua3タイ パイロンウア地獄寺 Wat Phai Rong Wua4タイ ナコンパトム ワットサンプラン到着タイ ナコンパトム ワットサンプラン内部タイ ナコンパトム ワットサンプラン敷地散策タイ gourmetの旅bKK→KIX
2017.08.03
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てんぷらなんかのうどん投入妹娘バーにてドリンクトルコウルカーまあ、そんな感じで、何か最近食べたいものがないんだよなあ。腹減るけどなあ。カレーラボ東京。100円ポップコーン。57円。ぷっちょ。牡蠣ソース。台湾お菓子。食べるネギラー油、シモニダ。
2017.08.02
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Wat Samphran ナコンパトム県 ワットサンプラン内部草履を脱いで、恐る恐る寺に入る。 裸足で登っていく、どこまで登るのかぐるぐる回る。17階分もぐるぐる裸足であがっていくのだ。尼さんに目ざとく見つけられ、是非塔の上に登ってくださいとのことだった。龍の腹の途中から入るのだが、何だかはくしょん大魔王のような方の口から入るようになっている。ここに閉じ込められたら悲しいな、崩れたら悲しいなの龍の中、扇風機も回る。もうぐるぐる回って疲れてきた、いい加減にしてくれ、あるいはいい湯加減にしてくれといった頃に、屋上手前に出てきた。エレベータもあるようだったが、とっくに壊れている。そして、龍から塔本体に乗り移る。これは、7歩進んで、天上天下唯我独尊君か、勿論、ただ唯一俺だけがえらいってことではないよね。タラレバ!この人はラオスのブッダパーク系の人だ(最後の写真)。え?ガオー!は?グエエエ!17階建に龍がぐるぐる巻きで、その龍の内部中を登っていくシステムね。緑だねえ。 2017年7月タイKIX→BKKタイ予算タイ パイロンウア地獄寺 Wat Phai Rong Wua までタイ パイロンウア地獄寺 Wat Phai Rong Wua 地獄以外1タイ パイロンウア地獄寺 Wat Phai Rong Wua 地獄以外2タイ パイロンウア地獄寺 Wat Phai Rong Wua0タイ パイロンウア地獄寺 Wat Phai Rong Wua1タイ パイロンウア地獄寺 Wat Phai Rong Wua2タイ パイロンウア地獄寺 Wat Phai Rong Wua3タイ パイロンウア地獄寺 Wat Phai Rong Wua4タイ ナコンパトム ワットサンプラン到着タイ ナコンパトム ワットサンプラン内部タイ ナコンパトム ワットサンプラン敷地散策タイ gourmetの旅bKK→KIX
2017.08.01
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