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ロビーでの接客、ただ定位置に立って挨拶しているのでは、本当のウエルカムにならない。例えば握手する時は相手に近づいていく。「挨拶」とは相手に胸を開いて飛び込んでいくことだ。開演前MC、滑舌やゆったりさは大変良くなった。次の段階を目指すために、言葉を自然に届けるようにすること。全部同じテンポでは聞きづらい。言葉に感情をのせること。フレーズのまとまりを感じること。たくさんの人からダメをもらうこと。演劇部や高橋先生は絶対だね。拍子木、最後の「チョン」の前の一瞬の静寂を感じること。テンポの移り変わりが会場の空気を変えていく。獅子、入場はテンポと足は揃えない。自然な足捌きを。緞帳とのタイミングを合わせること。振り向き方がデジタルにならない。ちょうちんを持つ高さを上げる。ドラがしっかりと世界観を表現するために、楽器のコントロールを出来るようにする。一日中ドラと付き合ってみるべし。平胴、二発の音色の追求不足。イメージを持つ。同じくシメの雨だれ。洞窟でのエコー。イメージを持った上でのテクニックを磨く。シメの音程。今年のシメは異常に低い。三宅問題と同じく、自分達だけで追求しても磨かれない。どれだけ教えてもらっているのか?笛のひしぎ、タイミング。間の取り方。バランス。中間部笛の歌い方。音色。伴奏の太鼓のリズム、テンポ、バチの選択。全体のアンサンブル、後半の笛のバランス、音程・・・全曲を通じ、多くの時間を費やす必要がある。鼓組囃子、冒頭のアンサンブル、小さな音は小さく、大きな音は大きく。ブレイクのイメージが浅い。タメが欲しいが、拍しかない。声が出ない。世界に入りきれていない。面白くない。みかぐら、声が大きく出ない。イメージを強く持つ。飛ぶ、花が舞う、切る、撒く・・太鼓ソロ??????????三宅、エンター??????????????????????????????????ぶち合わせ。曲が始まって入場、なぜに後ろ向いて座る?そのココロは?ここまで全ての曲がシンメトリーな並び方。ほとんど舞台中央からの演奏。演奏側のこだわりはわかるが、もっとお客さんの視点に立った舞台を考えてみてはどうか?客席を練り歩く時、どれだけお客様に「目」を配れるか?「声」を掛けられるか?隊列の間隔を意識する。海渡、笛と太鼓のバランスをきちんと取る。笛の返しのスピーカーの確認をする。笛の音量を確認する。リバーブの深さを確認する。桶胴離れすぎてアンサンブルにならない。大祭、冒頭???????????????????????????????女王襲名難し。研究あるのみ。屋台、八丈、つまらん。2年生紹介???????????????????????????????アンコールでもテンポが乱れる。夜の暗さが沁みる一日。それぞれがそれぞれの方向を向いている演奏ほどつまらないものは無い。「心一つの演奏」には程遠い。
2010年05月31日
モンテッソーリ教育について書かれた『お母さんの「敏感期」~モンテッソーリ教育は子を育てる、親を育てる』(文春文庫・相良敦子著)という本を読む。幼児がティッシュを何枚も出し続けたり、ドアを何度も何度も開け閉めしたり、保育園に登園する時いつも同じ道をたどらないと気がすまなかったり、少しでも味が違うと食べなかったり、何かに熱中していても、違うものが目に入ると途端に興味が変わったり、縁石の上でバランスとって歩きたがったり、ボロボロになったぬいぐるみを大事に持ち歩いたり、重いものを持ちたがったり、同じ形を何度も何度も書き続けたり・・・・幼児には、秩序の敏感期や感覚(五感)の敏感期、運動の敏感期などそれぞれの成長に合わせて現れる時期がある。「敏感期」の行動を理解し、見守り、助け、より適切に方向づけてあげる。以下引用・・・・ 「敏感期」という燃え上がる時期 あることに対して特別に情熱を燃やしてかかわる短い限られた時期があります。 敏感期に今やりたいものを環境の中に見つけた子どもは夢中になります。 それが敏感期だからなのだと知っていれば大人は感動しますが、 敏感期のことをしらなければ見過ごしたり、苛立たしく思ったりするでしょう。 恋をしている人が喜び輝いているように 「敏感期」の感受性にうながされて環境に関わる子どもは、喜び輝きます。・・・・さて、この子どもの敏感期を逃してしまった。もう手遅れですか?というお母さんに対しての答えが以下引用・・・・ 幼児期の強烈なエネルギーがほとばしりでる敏感期のような形ではないにしても、 人間には生涯にわたって、いつも何か夢中になれるものがあり、 そのために情熱を傾ける時期があります。 そして、全力投球して夢中にやり抜いたあとは、 人間いくつになっても素直になり寛大になります。 そのように自分の力で変われる機会を、 お母さんが子どもと一緒になって見つける努力はできないものでしょうか?・・・・この後の章では、「お母さんの敏感期」と題して「敏感期は特に幼少期にあらわれるが、いつも新しく学びたいという欲求を持ち続ける人間は、人生のすべての段階でなんらかの「敏感期」にいると考えてよいかもしれません。」と、「母親としての幼少期」にいる若いお母さんにあなたもわが子の教育についての「敏感期」ですよと、自覚を促す。・・・・・読みながら高校生達の顔が目に浮かぶ。「青春」という名の“敏感期”が確かに存在するのだと確信する。
2010年05月23日
本屋で目に留まった本。「切磋琢磨」とか、「温故知新」など、よく知っている言葉は論語から来ているらしい。高校の古文でやった雰囲気もあるが、受験は現代国語だったから、全く頭に残っていない・・・(´・ω・`)「君子は和して同ぜず、 小人は同じて和せず。」(君子=理想の人、は、多くの友と仲がよいが、しっかりと自分の意見を持っている。 小人=逆の小さいヤツ、は何でもヘイヘイと人に合わせてしまうが、本当に理解することはない。)「君子は人の美を成し、人の悪を成さず。 小人は是れに反す。」(いいヤツは人の良い点をほめてのばすが、欠点は叱らないでそっと直してあげる。 チーさいヤツはこれと逆のことをする。)深い(小人のワタシにとっては時には不快?!)言葉と、その心地良いリズムにハマって、一気に3巻まで購入してしまった。ワタシが読み始めると妻は最初の一行で微睡(まどろ)み始め、逆にお腹の子どもは嬉々として動くらしい。子曰く、「故きを温ねて新しきを知れば、 以って師と為るべし。」 watersun曰く、「小人は精進あるのみ。」精進します
2010年05月23日
「日本の防衛予算を全て世界の飢餓に」ある本で読んだ夢のある意見。「一日3時間しか働かない国」イタリアでベストセラーの本。「お金のいらない国」ただいま注文中。「watersunのマニュフェスト:育児休暇の義務化、夫婦で3年間」子ども達こそ世界の財産。
2010年05月22日
前回、鼓組の歴史を掲載し、正しい情報の提供を呼びかけたところ、さっそく「(誤)O教諭 → (正)O講師」というご指摘をいただいた。そう、現在鼓組の引率や、チラシなどの印刷物の印刷監督(生徒だけでは印刷をしてはいけないルールがある)を一手に引き受けている顧問の方は、任期が一年と決まっている「講師」の先生なのである。O講師は成田太鼓祭初日に引率していただいたが、ワタシが他の学校の先生方を紹介すると、きちんと挨拶された後、名前を覚えようとしっかりとメモ書きされたり、積極的に保護者やワタシともかかわりを持とうとする、信頼できるお方である。ただ、「講師」がゆえに、来年3月には退職、4月にまた同じ学校に配属されるとは限らない。公立学校の教員には「異動」がつきものだが、今回のように、メインで動いてくださる顧問が「一年間の期限付き」というのは初めてだ。他の学校、例えば同じ千葉のK更津総合高校などは、私立学校なので、顧問の先生方は基本的に異動が無い。創設時より顧問二人で活動されていたが、2年ほど前に顧問の一人で和太鼓部を創設した教頭先生が定年退職され、代わりに和太鼓は初めての先生が就任、すでに生徒と共に汗を流している。また、仲良くしてくださっている神奈川のS洋さんなどは、年々顧問団が充実しており、今春には和太鼓部の卒業生が就職して顧問に就任、成田太鼓祭では、総勢5名の顧問団となっていた。県立高校も負けてはいない。鼓組と同じく、外部講師に指導を委嘱している茨城県のK島灘高校は、生徒と年齢が近い、若い先生達が顧問になっているが、お二人とも生徒・講師と共に舞台に上がり、見分けがつかない程だ。先生の異動もあったが、その熱意は受け継がれている。都立F沢高校は和太鼓を修行した先生が顧問を担当、公立高校では珍しく、一つの学校に長期間、残ることが出来ている。成田太鼓祭では、この春、新しく就任した若い顧問の先生が、目を輝かせながらベテランの先生と共にイベントに参加していたのが印象に残っている。プロ野球でもJリーグでも、監督は頻繁に入れ替わるが、一人の監督が就任してその成果が現れるまでには、ある程度の時間が必要だ。ワタシも床屋に行くと、いつも決まった方が担当してくれるが、退職などの事情で担当が変わると、新しい方と意思の疎通が出来るまで、しばらくかかってしまい、なんだか落ち着かない。シュタイナー教育では、一人の先生が何年間にも渡って生徒を担当する。ある有名スポーツ選手が、何かの会議のおり、「一人の先生が一つの学校の部活動指導を長く続けられるように」との提言を出したとの話も聞く。教員の部活動指導・監督については様々な論議がされている。「部活動は学校ではおまけのようなもの」「部活動は教員のボランティア活動」という方もまだ見かけるが、平成21年には「部活動は教育活動の一環」(高等学校学習指導要領・第一章5の5の(13))と、規則によってきちんと明記されるようになった。※参考高等学校学習指導要領部活動顧問ハンドブック(東京都)外部指導員のための部活動指導の手引き(東京都)部活動指導ハンドブック(神奈川県)さて、我らがY高校・・ぅう~~~む(´・ω・`)私立のような「充実した顧問団」とは言わないが、せめて3年位は落ち着いて生徒を見守ることのできる数名の顧問、「名前だけ顧問」や「土日は出ません宣言顧問」ではなく、生徒の頑張りに協力することが出来る顧問が配置されるように、お上のご配慮をいただけないだろうか?そんなお上である校長も2年で交代、教頭は3年。これではまるで日本の首相ではなかとですかっヽ(`△´)/
2010年05月21日
(平成22年5月8日(土)に開催された新一年生保護者向けの説明会用に作成された。うろ覚えの部分もあるので、誤りや補足は「メッセージを送る」にてお知らせ下さい。)平成2年、吹奏楽部委嘱講師の太田雅人が、「鬼太鼓座(おんでこざ)」で約二ヵ月間、寝食を共にした後、吹奏楽部内に「鼓組」を結成。その年の6月、吹奏楽部第5回定期演奏会の第二部にて、八丈、花笠音頭、屋台囃子を発表。以後、吹奏楽部定期演奏会の第二部では鼓組のステージが定番となる。平成3年、3月に初の自主公演「鼓組夜祭(こぐみよまつり)」を開催。平成4年、第2回「鼓組夜祭」を二回公演で開催。平成5年、第3回「鼓組夜祭」を二回公演で開催。平成6年、4月から2年間、太田が青年海外協力隊に参加、ジンバブエに渡航。鼓組はOB/OGの指導のもと、第4回「鼓組夜祭」を開催。平成7年、生徒間の意見の相違から吹奏楽部が一時的に廃部、鼓組も活動を休止する。平成8年、活動が再開、太田帰国、鼓組の指導に復帰、吹奏楽部は鼓組OB、武井氏が指導(現在英和高校教諭)。平成9年、第5回「鼓組夜祭」が復活、平成10年 第6回「鼓組夜祭」を開催。その後、鼓組の活動は継続するが、「鼓組夜祭」は断続的開催となる。平成11年、成田太鼓祭に「鼓組withどんどこしょ」で初出場、以後毎年出場。平成14年、第8回「鼓組夜祭」を開催。その年に現在の吹奏楽部顧問が着任。吹奏楽部の活動が本格化する。この年の「鼓組夜祭」が吹奏楽部鼓組としての最後の「夜祭」になる。平成15年、吹奏楽部との両立が困難となり「鼓組」の廃部が検討される。当時一年生だったメンバーの大反対をきっかけに「鼓組を正式な学校の部活動に」という運動が始まる。PTA役員で鼓組メンバーの保護者の方の力添えと、吹奏楽部顧問の一人、梶山教諭が鼓組顧問に名乗り出ることで、平成16年、鼓組が正式に部活動として認められる。その年の6月、吹奏楽部定期演奏会第二部にて「吹奏楽部鼓組」としての最後のステージを迎える。(海渡を鼓組で初演)平成17年、成田太鼓祭には「鼓組」として単独参加。「鼓組夜祭」が復活(八千代市民会館小ホール・第9回)、以後毎年開催。鼓組保護者会が発足木更津総合高校と千葉県高校文化連盟郷土芸能部門を立ち上げ、全国高校文化祭青森大会に出場。19代目12名が入部。後藤教諭顧問に着任、顧問が二人になる。平成18年、全国高校文化祭京都大会に出場 20代目20名が入部。梶山教諭転出、工藤教諭着任平成19年、一年生の舞台「鼓組新春祭」を開催。21代目14名が入部。第11回「鼓組夜祭」を大ホール(定員1260人)にて開催。東京国際和太鼓コンテストに初出場、準優勝(課題曲+八丈)。平成20年、全国高校文化祭群馬大会に出場 22代目(現3年生)22名入部。第12回「鼓組夜祭」を開催(6月)。杉浦教諭着任平成21年、第13回「鼓組夜祭」を開催(7月)。23代目24名入部。杉浦教諭退任、関本教諭着任平成22年、第14回「鼓組夜祭」を2日公演で開催(6月予定)。後藤教諭転出、工藤教諭退任、小笠講師着任、相川教諭着任 24代目14名入部・・・・・・・・こちらは部活動初代顧問梶山氏によって作成された。↓過去の部活動紹介ホームページ「鼓組」
2010年05月17日
ワタシの出た高校は、静岡は浜松にあるごく平凡な普通高校だ。その中でワタシは、クラスでは平凡な、しかし部活動では過激で、ヒジョーに扱いにくい生意気な生徒だったのではないだろうか。平凡な?クラスでの生活、クラス担任の先生方は失礼ながら名前も思い出せない。一年時の担任は確か英語の老教諭で、今でも彼の純日本的な英語の発音を覚えている。二年時の時に理系のクラスに変わり男ばかりのクラスになる。その時の担任は数学教諭だったか?今から考えれば、体に障がいがあったようで、彼の独特な歩き方が思い出される。他の先生方から比べれば熱心な方だったんだろう、笑ったり怒ったりの表情も記憶に残っている。三年次の担任は、その数学の先生が体調不良でお休みになり、副担任の方が受け持ったような?社会の先生、いや国語?さばさばした方で、「教え子にお礼参りで呼び出されたけれど、行かなかった」なんて話がクラスで大うけだったことぐらいしか記憶に無い。思い起こしてみると、ワタシの高校時代、担任の先生方の印象はヒジョーに浅いものだ。進路指導や面談なんかもあったはずだが、ほとんど覚えていない。まぁ、「高校時代=部活動」っていう生徒だったので無理も無いか。代わりに部活動の顧問の先生の印象は、担任のそれよりもちょっとだけ深い。とはいえ、「自分に指揮をさせろ」という顧問に、「無能な顧問はいらぬっ!」と、彼の部活動への関与を断り、生徒のみで活動していたので、顧問教師とケンカしていた時の印象位しか残っていないが。それとは正反対に、外部での講習会に参加した時に出会った全国レベルの高校の先生方には、その後の自分の人生を変えるほどの衝撃を受けた。音楽への真摯な姿勢優れた指導力人間的魅力ワタシが今こうして高校部活動に関わっているのも全てこの時の出会いがきっかけである。こんな高校時代を過ごしたワタシの頭の中には、当時流行った「良い子・悪い子・フツーの子」よろしく、「良い高校教師=熱心、優れた教育技術、人間力」「フツーの高校教師=表面的、お役所仕事、浅い関係、自分の生活第一」「ワルイ高校教師=傲慢、出たがり、怒鳴る、自分本位」なんて公式がインプットされたようだ。まぁ~、当たり前の公式・・・これは三十年たってもあてはまる。成田太鼓祭りで出会う高校の顧問の先生方や指導の先生は、どの学校も魅力ある素晴らしい方ばかりだ。都立や県立の高校でも新任の顧問の先生が生徒と共に太鼓に挑戦するなど、積極的に生徒達の中にダイブしている様子が多く見られる。Y高校で吹奏楽部時代初期に出会った顧問教師はいわば「フツー」の先生だったが、「フツー」に見せておきながら、実は手綱をゆるめて生徒らの自主性を伸ばす「達人」だった方もいたに違いない(上記カテゴリーにはない)。後期にはワタシと顧問とのつながりも深くなり、運営は全て生徒に任せながらも、彼らの目の届かない学校側や外部との交渉をしっかりこなし、生徒を万一の危険から守る「達人」の方が確かにいた。 K組が部活動になると、もちろん太鼓が打てる顧問などいない。そして教師自身が知らない分野の顧問になろうとする奇特な方もほとんどいない。初代顧問を除き、「K組の顧問」はほとんど他の学校から転入してきた何も知らない教師に割り振られる形となった。学校内では「K組顧問」は、「元旦も出勤」「土日は縛られる」など、「フツーの高校教師」にとっては恐怖の役職※となっているらしい?(※真実は、人に感動を与えられる素晴らしい役職)しかし、ありがたいことに、受け持ってくれた顧問の方々は「フツー」なんてものじゃなく、みんな立派な教育者で、K組の演奏場所を探しに学外に営業?にまわった先生、ワタシのところの太鼓教室で習う方、「生徒達の活動」を尊重し、かつ、きちんと大人の目で見守ってくれた先生など、多くの温かい出会いがあった。・・・・・・・さて、今年度はベテラン顧問が二人抜け(一人は転出、一人顧問辞任)、代わりに他の学校から転入してきたお二人の教師に、顧問の白羽の矢が立った。昨年から引き継いでいる一人を含めて、若葉マーク顧問3名の体制が始まった。お一人の方は女性ながら(女性顧問は初)、すでに引率を一手に引き受けられ、鼓組生徒との時間を共有されている。きっと毎回足を運んでいただいているお客様の中には、「あの人が顧問かな?」と、お気づきの方もおられるのではないだろうか?日頃はどうしても生徒の活動に目がいってしまうが、生徒を影から支える学校や、顧問教諭の動きにも是非とも注目していただきたい。
2010年05月16日
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