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2004年08月16日
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テーマ: 戦争反対(1197)
カテゴリ: カテゴリ未分類
今日の私はソフト路線。

なるだけ冷静、客観的に、かつ簡単に言えばこのテーマには(勝手な命名なので異論反論もございましょうが)反戦派、国防派、というのが大まかに分けておられるでしょう。
私はある一定の立場がありますが、それは割と置いておいて(自虐も厭わず)勝手に纏めると


●反戦派・・・何はともあれ、戦争反対。LOVE&PEACE。(古!)自らを問答無用で常識派で良識派だと思っている。いやむしろ信じている。しかしその信心が最大の長所かつ最大の弱点となってしまうことも多い。自らは常識だと思っているので、”学級会”レベル以上の持論への反応は予想外で、そもそも”反論される”と言うこと自体に過剰な反応をする事も多い。賛同が得られると思って書くのに味方が思ったより少ないことにあわてふためき、”ネットには右翼が多い”と思うことで自らの立場の正当化と精神安定を図る。(多分)付和雷同という言葉はネットにはない、という事実を嫌という程思い知った末、思わず削除を繰り返してしまい、国防派に不興を買う。信じる力の強さの割に持論を支えるべき根拠、証拠、資料が薄弱だが、その事自体を認識していない事も多い。ソースを要求された時や、またはそれらの信憑性を検証された時には即、”反論=悪意”と言い切り議論を拒否、またはそのまま感情論に雪崩込んでうやむやにする事が多い。よく言えば被害者心理を理解する感性には鋭い。しかし、”加害”の理由、事情というものを察する能力は反比例して低い。国防派の知識量や痛いところを突く指摘に対して”軍事オタク”、”右翼”、などという、或る意味、ごく効果的な言葉で対抗。国防派は”常識と良識”、”被害者心情への理解”が足りないと思っている。(多分)

●国防派・・・外交としての戦争という存在、また先の日本の戦争の当時に於ける国際関係的な妥当性や、外交交渉上の戦後処理の解決を主張する。自らは左傾化した日本でマイノリティーではあるが、国際的にはごく、常識派だと思っている。決して戦争が好きな訳ではないが、それを反戦派に理解してもらうにはオタク的雰囲気と小難しく、冷静過ぎる評論家口調が大きな壁となっている。まずは”軍事知識≠戦争好き、改憲≠即戦争、愛国≠ファシズム”、というそれだけのことでも解って欲しいのだが、日教組教育をそれと知らず自然に受けいれて来た人間は手強い。たまに小馬鹿にしたような文体になるのはそういったストレスの密やかな発散(多分)だが、根気よくレスしつつも”アホか~”とか、は決して口にしないのが、おそらく反戦派を大きく凌ぐ強い冷静さと理性の賜物。しかし、丁寧なレスが”荒らし”に準じるものと受け取る人間もいる。が、”真実”を伝えたい、という使命感はそういったデリカシーを凌ぐ。独自の近寄り難い雰囲気と、強硬なイメージ、または時には実際、強硬さそのものを持つ。冷酷なまでに論理的で、歴史的な認識に裁判的手法を用いる。多分そこが”情”の国ではなかなか受け入れられにくい所以でもある。”血が通ってない”、”感情がない”と言われる。論理的かつ冷静であろうとすればするほど、反比例して情熱や執念は反戦派の想像を絶するモノになり、引かれることも多い。ソースや資料が豊富だが、時には”提示するソースが偏っている”との指摘もあり。しかし、得てして反戦派よりもソースは豊富かつ、正確。反戦派は”知識と国際感覚”に乏しいと思っている(多分)




一応、私は後者に近いと思うのですが(はい、そのものです、ごめんなさい。)自己反省も込めて、一つ二つ双方について思うことを。っていうか、互いに話をして意見を交換せねば成り立たないでしょう?

まず、自分らのような主張を持つ人間の問題点ですが、(自戒込)話をするときに導入をもうすこし柔らかくすべきかもしれません。朝日新聞的な常識をユニバーサルスタンダードと思っている方には、多分私たちが当然と思っている思考回路やら、知識、ソースを突然提示しても、”うわ、極右が来た!”と思われるだけに終わるかもしれません。まさに、某あれじゃないですが、ソフト路線から入るべき所もあるんじゃないでしょうか。ある程度の信頼関係や、親しい雰囲気を作り上げ、(甘いと言われるかもしれませんが)相手を一人の人として接して議論を繰り広げれば、互いにもうすこし言葉が柔らかく出来るでしょうし、信頼関係を元にした議論であれば、互いにもっと得ることろがあるかもしれません。何より激しい議論の後でも楽しく他の話題に花を咲かせることも出来るでしょう。同じ考えの人間だけでかたまるだけではなく、対話の前提としてお友達になる、ということをもっと考えた方が良いかもしれないです。なんというか、もう少し殺伐としない方法を考える、というか・・・

それから、反戦派の方について思うところですが、反論されるということを自分を否定されたように思わない方が良いかと思います。貴方の常識が全ての常識でなくて当然です。確かにこちら側の意見は一見過激に見えるかもしれませんし、文体も排他的に見えるかもしれませんが、そんな恐い気持で反論しているわけではありませんし、誰かを傷つけてやろうなどとは増してや考えているわけでもありません。そして、他人の意見に目を逸らさず、少しは反論を冷静に読み、耳を傾け、相手が言うていることの妥当性を少しは調べてみることも場合によっては必要ではないでしょうか。(後でも言いますがそれだけデリケートな話題ではあるわけです。)そして自分の意見は間違っているかもしれないという意識を少し持つ方が良いのではないかと思います。そうやって調べた末、やっぱり相手が違うならそう言えば結構なことであって。こちら側はそれから目を逸らしたりは決してしません。今日日、ちょっと調べるなんて検索エンジンも発達して大して時間の掛かることではありません。私たちだって所感や感情のみが綴られた日記にわざわざ反論を提示したりはしません。ある程度の間違っていると思われる断言や、決めつけ、思いこみを見るからこそ書き込むのです。子供ではないのですから、それなりにデリケートな問題であることは承知でしょう。生半可な気持であればこういった話題には下手に触れないのが賢明だと思います。



こんなこと書いててなんですが、意見が違おうとなんだろうと、知りあいの輪が拡がるのは良いことですし、異なる人と知り合うのは悪いことじゃありません。今でこそこんなこと書いてますが、私のサイトは鬱ネタだったり、SMだったりノロケだったり、多重人格ネタだったり、児童虐待ネタだったりするわけです。このネタでは一緒でも、あのネタでは相容れないかもしれませんし、このネタでは相容れなくても、あのネタでは意気投合かもしれないわけですよ。お前が言うな度120%でしょうし、余計なお世話だよって言われるでしょうけど、互いに心を広く持ちましょうや。





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Last updated  2004年08月16日 15時26分58秒
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