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つい先ほど私のケータイ電話が鳴り出した。 電話に出てみると聞き覚えのない声。「あなたは誰ですか?」と聞くが、相手は名前を言わずに何だか分けのわからないことを言っている。再度、相手の名前を確認するが名前は言わないので、こちらから切った。 数十秒後また電話がかかってきた。ディスプレイを見るとさっきと同じ番号。今回は無視する。その後もまた・・・。全く迷惑な間違い電話! 中国で間違い電話を受けた時、相手から謝りの言葉を聞くことはまずない。間違い電話に限らず、バスの中で他人の足を踏んだりしてもしらっとしているけれど・・・。まあ、日本人の感覚からすると常識を疑うようなことがしばしば。 私のケータイ電話の料金プランは、電話をかけるときだけでなく受ける時も課金される。だからこのような間違い電話は余計に腹が立つ。 それでも、ひとこと「すみません」と言ってくれれば、そんなことはないのだけれどね。 それと、どうして彼らは名前を聞いても名乗らないのか?どうして、番号を再確認せずまた同じ番号にかけてくるのか?理解しかねる。 きっと他人に対する配慮に欠けるのだろう。というか、そういう思考すらないのだろう。間違い電話に限らず、中国で暮らしていると、時々とても疲れます。P.S. 中国だけでなく他の国の悪口をブログでは書かないように努めていますが、今回はご容赦を。間違い電話をかけた時、きちんと謝る中国人の方ゴメンナサイね(以前、ひとりだけそういう方がいました)。
2007/06/11
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城寨(chengzhai)村での1日目の夜は村長宅でお世話になった。 こういうこともあろうかと想定し、寝袋を持参してきたのが正解だった。居間兼キッチンのようなスペースの壁際に、床から15センチほど高くなったベッドのような所がある。そこにムシロを敷き、その上に寝袋を広げて眠らさせてもらうことになった。 夜、そのムシロの上に体を横たえ眠る。しかし、どうも耳元をぶーんと飛びかう蚊がうっとうしくて眠れない。さらには体のあちこちが痒くなってきた。おそらくこのムシロにはノミとかダニが潜んでいるのだろう。 こんなことならば、宿のある新寨郷まで歩いて戻るべきだったと後悔したが、もう遅い・・・。後は開き直るしかない。疲れているので、そのうち眠気が痒さを上回るだろう、きっと・・・。そのようなことを考えているうちに、いつの間にか眠りに落ちた。 翌朝早く目覚めた。痒さが睡眠を吹き飛ばしてしまったのだ。横たわったまま、自分の足や脇腹を触って確認する。 「おお、随分と派手にやられた!」 昨夜、村長がムシロを敷く前に殺虫剤をかけてくれたが、その効果は果たしてあったのだろうか。かなり疑問?。いや、殺虫剤を使用してくれたからこそ、これで済んでいるのかもしれない。まあ、村長のその心遣いに感謝することにしようか・・・。 龍蕎菜節のお祭りは夜にならないと始まらないというので、朝食後、村長の息子(15歳)と新寨郷の六日に一度の定期市に行くことにした。昨日来た道を、また歩いて戻る。いつも田舎の定期市を訪れる時は、定期市が開かれる場所で村人が周辺からやってくるのを待ち受けているわけだが、今回ばかりは違う。自分も村人と一緒に市を目指し、のんびりと歩く。 はるか向こうまで定期市に向かう村人達が点々と連なっている。村人は皆、毎回こうやって遠い道のりをただひたすら歩いて行くのだ。私の場合は手ぶらだからまだ良いが、野菜とかを売る者はカゴを背負って歩かねばならない。農村に暮らす村人達の苦労に同情を覚える。 新寨郷に着いたら道の両側に並ぶ露店を一通り眺め、その後、歩き疲れた体を癒すため食堂に入りビールを頼んだ。15歳になる村長の息子とぬるいビールで乾杯! ちなみに中国では未成年の飲酒を禁じる法律がないのだとか(本当かな?)。私の知り合いに法学部の大学院生がいるのだが彼女もそう言っていたから、そういうことなのかもしれない、中国では。中国以外でも、イランとかサウジアラビアとかでもやっぱりこの手の法律はないのではないだろうか。イスラム教ではそもそも飲酒自体を禁じているわけだから・・・。 まあ、いい。とにかく村長の息子とビールを飲み、そしてビリヤードをやった。さすがに1時間5元(80円位)だけあり、台が傾いており、玉の転がりも悪い。しかし、ここではちょっとリッチな娯楽なのかもしれない。 昼食を食べてから城寨(chengzhai)村に戻ることにしたが、また、あの道を7キロ歩いて戻るのだろうか?さすがに村長の息子もそれは嫌だったらしく、城寨(chengzhai)村へ向かうトラックを待つことにした。 待つこと1時間弱でトラックは来たことは来たが、皆がどっとトラックに押し寄せ、荷台にはもう乗り込むスペースがない。やむを得ず、荷台の端に足を踏ん張り、ホロをかけるために渡してある鉄パイプを必死で握り締めてなんとか耐えた。(振り落とされたらシャレではすまない) 村長の家に戻り休んでいたら、「食事だ」との声がかかった。近くの親戚の家で食べるとのこと。その家の主は村長の甥で、彼と村長と村長の息子、そして私の4人でご馳走に箸をのばす。出された料理は豚肉の煮物、かぼちゃの煮物、菜っ葉汁、炒りピーナッツ、煮込んだ豆腐といったところ。味も悪くない。 普段はこんなにも料理はないらしい。お祭りだから特別とのこと。そしてお祭りには酒が欠かせない。中国の農村で一般的に飲まれる酒は白酒だ。日本でいう焼酎と同じような感じ。今回のはアルコール度数が35度ぐらいでトウモロコシから醸造したものだと言っていた。 カタコトの中国語で彼らと会話を試みる。素面ではちょっと怖そうだった村長もアルコールが回ると穏やかな表情になり、話しやすくなった。そして、時々、「乾杯(ガンベイ)」と叫び、杯の酒を皆で一気に飲み干す。外はまだ明るい。<その3へ続く>
2007/06/09
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4月のある日「春城晩報」という昆明の地方新聞を見ていたら、城寨に住む白ルオ人についての紹介記事が掲載されていた。記事を読んでみると城寨という村は文山チワン族ミャオ族自治州麻栗坡県の西部にあるらしいことがわかった。手持ちの地図を広げて探すが、城寨という地名は見つからない。そこで、ネットで調べてみると、ヒットした。 その情報によると、毎年旧暦四月の最初の辰の日に「龍蕎菜節」というお祭りがあるらしい。今年(2007年)は5月22日にあたる。これは行くしかない! ということで、先日授業を休み、城寨村を訪ねてきた。まずは昆明から麻栗坡まで夜行バスに乗り、翌朝、午前9時20分、麻栗坡発新寨郷行きのバスに乗り込んだ。城寨は新寨郷の付近にあるはずだ。だが、新寨郷からどのくらい離れているのか行ってみるまでわからない。 新寨行きのバスは山道を縫うように走っていく。途中からは舗装道路とも別れを告げ、本当の山道となった。午後2時半ようやく新寨郷に到着。昼食及び情報収集のため、村内のある食堂に入った。 そこの主人の話によると、城寨までは歩いて7キロとのこと。確かにそこには白ルオ人が住んでいるという。しかし、龍蕎菜節というお祭りについては知らないという。少し不安になった。本当に明日が彼らのお祭りなのだろうか? とりあえず食堂の主人から城寨への行き方を聞き、歩いていく。(分かれ道は全部で3つあり、1つ目の分岐は道なりに進み、2つ目の分岐は右へ、そして3つ目の分岐は左へ。これで本当に辿り着けるのだろうか?これまたかなり不安) 当初新寨郷からバイクで往復しようかと考えたが、彼らの言い値50元は少し高すぎるように感じて断り、結局歩いて行くことにしたのだ。 日本で言えば山道のようなダートロードをてくてくと歩く。幸い空は曇り空。これが晴天だとかなりこたえることだろう。1時間半ほどで老馬村に到着。この辺りから民族衣装のスカートをはいた女性をちらほらと見かけるようになった。更に進むこと1、2キロ、ようやく城寨へ到着した。 集落の手前に彼ら白ルオ人のものだろうと思われる民家を目にした。これまで目にしたことのないような美しい木造家屋だ。一見ゲストハウスかバンガローのようにも見える。 木材を使った高床式住居で屋根は瓦葺。高床の部分が居住スペースで、その下は家畜を飼ったり物置として使われている。建物の正面中央には居住スペースへと繋がる階段が見える。 まずは近くの民家の軒先で手作業をしていた女性に声をかけてみた。案の定中国語が通じない。それなので、あらかじめ切り抜いておいた春城晩報の新聞記事を見せる。記事には民族衣装の彼らの写真が載っている。すると家の中から椅子を持って来て、「まあ、ここに座れ」と身振りで示してくれた。 その後、彼女の夫らしき男が現われたので、この村を訪れることになった経緯を説明する。そして「明日は龍蕎菜節ですか?」と聞くと、「そう」との答え。ネットで調べたあの情報は確かだったのだ(無駄足にならなくて安堵)。祭りを参観するには村長の許可を得た方がいいだろうと考え、彼に村長の家への案内をお願いした。 集落内の各家では犬を数頭飼っている。この犬達が曲者で、外部の者には容赦なく激しく吠え立てる。これではとても一人で集落内を歩けたものではない。一瞬狂犬病のことが脳裏をよぎる。中国では年間2千人以上もの人が狂犬病で死んでいるらしい。私はまだ狂犬病の予防注射を受けていない・・・。 犬達の咆哮の洗礼を受け、村長宅に到着。村長は五十過ぎのちょっと険しい表情を持つ男だった。村長の家は私の予想に反し、集落内の他の民家とさして変わりがない。案内してくれた男が私のことを簡単に説明すると、村長は「まあ中にどうぞ」と室内へ案内してくれた。 そうして再び新聞記事を見せ事情を説明。村長から祭りを見学する許可も得た。そして50元出すので寝る場所と食事をお願いできないか申し出たら、それも受け入れてくれた。これでまた再び新寨郷まで歩いて戻らなくて済む。ここまで歩いてきた甲斐があった。 <その2へ続く>
2007/06/03
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