炬燵蜜柑倶楽部。

炬燵蜜柑倶楽部。

2005.06.30
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カテゴリ: 調べもの
「ふうん」
 夕方。化学準備室の中、南雲は高村の提出した指導案を一瞥すると、一言そう言った。
「ど、どうでしょうか」
 高村は思わず弱腰になる。
 実習生は、実際の授業実習の前に、必ず指導案を担当に提出し、指導を受けることを義務づけられている。
 彼なりに、何とか形にしてみた案だった。時間もそれなりに掛かっている。一応、大学の「教材研究」授業でも実際の授業の指導案の書き方は習ってきたつもりだった。模擬授業も経験している。
 なのに、一瞥するなり、この態度だ。
 さすがに高村は、どう反応していいのか判らなかった。
 南雲はデスクの上に、彼の書いた指導案を軽く投げ出した。

「…って」
 南雲はにっこりと笑った。だがその目は決して笑っていない。
「まあ、そう固くならないで。一度、やってみなくては判らないでしょう? 生ものだし。授業は」
「は?」
 まだ合点がいかない、という表情で高村は彼女を見つめた。
「つまりですね」
 何やら紙を丁寧に折り畳んでいる森岡が、そこで初めて口をはさんだ。
「君の指導案はまだまだ全然、詰められていない、ということですよ、高村君」
 南雲はち、と舌打ちをし、軽く目を細めた。
「詰められて、いない?」
「内容がスカスカだ、ということです」

「それこそベテラン教師なら、その案で授業も進められるでしょう。彼らは蓄積がありますからね。しかし君の様に、初めてとか、数回限りの実習生の場合、手順や予想される反応等、きっちり詰めておく必要がある、ということですよ」
 はあ、と高村は思わずうなづいた。穏やかな口調なのに、言うことに容赦はまるで無かった。
「でもまあ、やってみてそれが判る、というのも確かにありですね、南雲さん」
 そうですね、と言いつつ、振られた南雲の目は相変わらず笑っていなかった。
 それに気付いたのか気付かないのか、森岡は付け足した。

「ハッタリ?」
 いきなり何を言うんだ、と高村は思わず声を張り上げた。
「君が何よりも、彼らに呑まれない、なめられないことの方が大事ですよ。教える内容よりもね」
「…?」
「彼らは後期生です。授業を聞くも聞かないも、自己の裁量に任せられている訳です」
「はあ?」
「ひらたく言えば、彼らに聞く気にさせて、飽きさせなければ、いいんです。…まあ、私が言えた義理ではないですがね」
 よし、と森岡は両手をほら、と広げて見せる。
「あ」
 思わず高村は目を見張った。その手の間には、三つにつながった鶴ができあがっていた。
「…い、いつの間に…」
「趣味なんですよ」
 そう言われれば。もしや机の上の恐竜や昆虫も、森岡の作ったものなのだろうか。高村の目が、机の上と森岡本人の間を往復する。
「これも一つのハッタリですがね」
 はあ、と高村はうなづいた。確かに直接科目に関係無くても、一芸に秀でている人物には、一目置きたくなるものである。
 しかし自分にその真似はできない。彼は案を手に取ると、もう少し考えてみるべく、デスクの上に全部を広げてみる。
 今考えてみるべきなのか、とにかく一度体験してショックを受けてみるべきなのか。
 いずれにせよ、今目の前に、確実に課題があるのなら、できるところまでは詰めてみるのが、今ここに来ている自分の義務だろう。彼はシャープの芯をかちかち、と数回出した。
 と、その時、こんこん、と扉を叩く音がした。
「失礼します」
 戸車のがらがらと動く音と共に、低い声がその場に響いた。ん? と高村は聞き覚えのある声に振り向く。
「あら、垣内君、どうしたの?」
 南雲は親しげな口調で、部屋に入って来る生徒に声を掛けた。そう、垣内だ。図書室でも確かにそう呼ばれていた。
 森岡は興味が無い、という顔で、目の前のTVのスイッチを入れる。ローカルのニュース番組がちょうど始まる所だった。
「…実は生徒会の問題で、南雲先生に相談に乗っていただきたいことがありまして…」
「また?」
 南雲は苦笑しながら、こめかみに指を当てた。
「去年と違って、あなた達の代は、私を呼び出すことが多いのね」
「それは仕方無いですよ、先生。先代の会長の頃とはまるで今は違いますから、皆…」
「ええ、わかった、わかったわ」
 南雲は冗談だ、とばかりに笑うと、両手をひらひらと振る。
「ともかく今からすぐ、そっちへ行った方がいいのね?」
「はい、すみません、ご足労お願いします」
 垣内は南雲に向かって軽く会釈した。
「では少々、行ってきます。高村先生、別にそのままでも案は構わないけど、必要があるのなら、ちょっと待っていてちょうだいね」
 言い残すと、南雲は足早に化学準備室を出て行った。その姿は、ここで高村や森岡を相手にしている時よりも、むしろ楽しそうに見えた。
 その後に垣内が続く。部屋を出る時に、彼はもう一度軽く会釈をしていった。扉が閉まると同時に、高村はふう、と息を吐いた。
「何ですか、高村君。ずいぶん気疲れしていた様じゃないですか」
「え? …そうですか?」
「だって君」
 森岡はつ、と折り鶴の一つを高村に突きつける。





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最終更新日  2005.06.30 06:32:00
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