炬燵蜜柑倶楽部。

炬燵蜜柑倶楽部。

2006.07.02
XML
カテゴリ: 本日のスイーツ!
 回が進むにつれて、皆「勝たなければ」という気持ちで焦りが出てくる。
 特に、今回の様に、頭上の脅威にさらされている場合は。
 しかしそれでも、ホイのリードは冷静だった。ダイスは感心する。
 きっとこのひとは、きっとどんな状態になってもそうなのだろうな、と彼は思う。地味だけど、こういう人はプロだよな、と。
 無論、色んな選手のタイプがある。
 華があり続けるというのも、「見せ物」としてのベースボール・プレイヤーとしては重要なことだし、そういうキャラクターであることも、また「プロ」であると彼は思う。
 じゃあ俺は。
 ダイスは振りかぶって、投げる。
 さすがに、まだ彼はそこまで考えていない。考えられない。

 ストライク、と審判が告げる。ホイがよし、とうなづく。
 ストライク、という言葉は、そもそもは「良い球なんだから、打て」という命令から来ているのだ、ということをダイスは実業時代の監督から聞いたことがある。遠い遠い昔、地球という人類発祥の惑星で、そのスポーツが生まれた頃のエピソードだ。
 そう、打たれてもいいのだ。
 ちら、と右を向くと、テディベァルが闘志むき出しにして打球を待っている。
 この人だったら絶対に打たれても守ってくれそうだな、と彼は思える。きっとこけてもただでは起きないだろうこの「ぬいぐるみ」は。 
 背後でぱんぱん、とグラブを叩く音が聞こえる。右では、冷静に打者の姿を追っている「先生」が居る。
 大丈夫、俺は。ダイスは次第に気持ちが落ち着いてくる自分を感じる。
 だがジャガーズの方も、彼等が気合いを入れるのに比例するように、志気が上がって来ていた。
 カーン。
 鋭い音が響いた。
「わあっ」

 ぱっと振り向くと、センター前にまで打球は飛んでいる。ワンバウンドで拾っても、一塁には間に合わない。
 ふう、と彼は帽子を取って、一気に吹き出た汗を拭いた。
 3対2。まだ一点リードとしているからとは言え、油断はできなかった。
 あと何回だっけ…
 彼は、新しいボールをぐっと握った。次の打者が、左打席に入る。

 ヒュ・ホイはそれを知っている。だから彼には、いつもその逆を要求してくるのだが。ホイはその時、ダイスの投げ易いコースを指定してきた。
 いいのか? と目でダイスは訴える。するとOK、とホイはうなづいた。打者が一塁に居るのに、だ。
 ただし、思い切り。
 そういう意味のサインを捕手は返す。判った、とダイスはうなづいた。
 振りかぶり、自分の一番速い球を。
 星系内の大会で、誰も打てなかった、俺の。
 ぱん!
 ボールはミットに大きな音を立てた。
 オーケイ、とうなづきながらホイは彼に返す。もう一発それを、とサインを送る。
 行けるかも、とダイスは思った。いや、行くしかないのだ。
 もう一発!
 渾身の力を込めて。
 …だが。
 キーン、と音が響いた。
 三遊間。綺麗な流し打ちだった。
 テディベァルが飛びついたが、ダイレクトキャッチはならなかった。
 そのまま、体勢が悪いにも関わらずセカンドへ。間に合わない。一塁は一塁で悠々セーフだった。
 ホイはダイスの方へ来る気配は無かった。
 ダイスは思わずベンチの方を見る。監督も、動かない。どうやら、初登板のルーキーに、このまま続けさせる気らしい。
 勝っても負けても、それは経験値。
 あの監督だったら言いそうだった。
 そしてそれは間違っていない、とダイスは思う。自分の様なな若造が、勝つことばかり覚えてはいけない、と。
 そう言うだろう、と彼は思った。
 だが彼は、どうしても勝ちたかった。自分の完投でなくていい。誰であるにせよ、とにかく、勝ちたいのだ。頭上の脅威が彼を急かす。
 だがベンチは動く気配が無い。
 信じろ、と自分に言い聞かせる。虚勢だっていい。とにかく、今は。自分自身を。
 ダイスは歯を食いしばる。
 ストンウェルはあの試合の時、マウンドでどんなことを考えていたのだろうか。負けをひっくり返してしまった試合のことをダイスは思い出す。
 彼の気持ちを見習えるものなら見習いたいものだった。
 怖いものが無い、という訳ではないのだろうが、逆境であればある程、闘志がわくというのは。
 でも俺は俺でしかないんだ。彼は思う。正直言って、怖い。怖かった。
 それでも俺は、今ここで投げなくてはならないのだ。
 だったら。
 ホイのサインを見る。右打者仕様だ。やるしかない。

 その回も何とか締めたが、さすがにダイスのベンチに戻る足取りは、重かった。
「大丈夫か?」
 マーティは問いかける。
「大丈夫です」
「うん、それならいい」
 本当は、助けて欲しい、とダイスは思う。だけどそれは無いらしい。
 マーティは肩を作ろうとしていない。監督の方針が今日はそう決まってしまったのだろう、とダイスは予測をつける。
 皆ベンチの中で言葉少なになっていた。
 そしてその後ろで、場違いなピンクのスーツの女が、退屈そうに、グラウンドとメンバーの間に視線を往復させていた。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2006.07.02 20:41:03
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: