炬燵蜜柑倶楽部。

炬燵蜜柑倶楽部。

2006.07.02
XML
カテゴリ: 本日のスイーツ!
 のぼせ半分で、ダイスが大浴場から出て部屋に帰ると、長距離通信が入っている、とフロントからの知らせがあった。
 何だろう、と伝言を聞いてみると、それは故郷の友人の一人だった。
 同じように、実業学校で野球をやっていた仲間の一人だった。現在は、故郷の建設会社に入って、現場で汗を流しているという。
 彼は少し考えて、通信回線を開いた。
 数回のコールの後、見知った顔がそこには現れた。
「よぉ、どうしたんだよ」
『どうしたもこうしたもないよ! お前、初登板だったんじゃないかっ!!』
「え?」
 そう言えば。彼は思い出す。

 彼は全く忘れていた。
『俺さあ、全然知らなくて、会社の先輩に付き合って呑んでたら、いきなりTVにお前の姿がアップになってるじゃないか! 俺、すげえ驚いて、先輩に向かって思わずビール吹きそうになったぜ!』
 あはは、とダイスは笑う。何となくそれがどういう光景か、想像できたのだ。
「ごめんごめん、だけど俺も今日の今日まで、そうなるとは思ってなかったから。判ってたら、お前等に連絡したぜ」
『だろうなあ』
 回線の向こうの友人は、苦笑した。
『何にしても、おめでとう。俺は嬉しいよ』
「ん? 喜んでくれるのかよ。だって俺、今日負けだぜ」
『あったりめーじゃないかっ! 何でそんなこと言うんだよっ。いい試合だったぜ。負けても何でもよ』
 だって。彼は少し黙る。
 向こう側の相手は、少しだけ、意気を弱める。

「ちょっとな」
『ああごめん。お前がそんなに気にするとは、まるで俺、思わなかったからさ。でも、今日の試合、結局俺、ずっと見ていたんだけど』
「ずっと見てたのか?」
『ったりめーだろ! 思わず店の人達巻き込んで、大騒ぎしてしまったぜい。…後で先輩に笑われたけどな』
「また、何をやったんだよ」

『…あのさ、何かさ、俺、お前は好きなことを仕事にできていいな、ってこないだ言ったけどさ、…結構その方が辛いこともあるかもな、って思ったよ。…マウンドのお前見てさ』
「そうか?」
 意外な言葉に、ダイスは驚く。
『そうだよ。だって好きなことが仕事だったら、自分に言い訳って、できないだろ?』
「言い訳?」
『ほら、何か仕事で嫌なことがあったり、疲れてしまったりすることがあったりする時さ。大好きなことが、そこ以外にあれば、それを励みに毎日やって、何とか毎日をやり過ごしてくことができるじゃないか』
「そういう…ものなのか?」
『まあお前に判ってもらおうとは思わないけど』
 うん、と彼はうなづいた。それは確かに、ダイスにとっては、考えにくい「日常」だった。
「…うん確かに、俺はお前の言うことはよくは判らないけど」 そう、彼は、それでも野球のためだったら、別にしんどかろうが辛かろうが、…どうだっていいのだ。
 野球ができれば、それで。
『だよな』
と向こう側の相手はうなづいた。
『ま、でもよ、野球を辞めた訳じゃないぜ、俺も。日曜日に、会社の部活に出たりはしてるんだ。俺はそれでいい。それで楽しい』
「へえ」
 それでも続けているんだ、と彼は少し嬉しくなる。
『…だけどお前は、それだけじゃ、駄目なんだろ?』
 ああ、と彼はうなづいた。
『だろ。そういうもんだよ。結局、向き不向きなんだ』
「向き不向き」
 そうなのか、と彼は何かがすとん、と肩から落ちていくのを感じた。
 それで、いいのか。
『あ、それとお前の彼女』
「…もう別れたよ」
『うん、それも聞いた』
 さすがにそれも、話したくない話題の一つであったことには間違いない。
『でも仕方ないよな。そういう子じゃなかったし。まあ今度は、野球バカのお前を好きになってくれる子を探せよ』
 ああ、と彼はうなづいた。
 そうだよな、野球バカの俺をまるごと好きになってくれる彼女を。
 向こう側の友人は、さすがに通信料金が気になったのか、急に早口になる。
『がんばれよ~俺、お前の投げる試合、見に行きたいんだからな』
「うん。そうしたら内野席をおごるぜ」
『お、ラッキー』
 じゃあな、と言って友人の姿はモニターの闇に吸い込まれた。
 向き不向き、か。ダイスは闇に目を向けながら思う。
 そうかもしれない。自分は彼の様に、そんな片手間で野球を楽しむなんてことはできそうにない。それが自分だというのなら、もうそれは、仕方がない。どう仕様も、ないことなのだ。
 そして、あのひと達も。
 普段どう見ても本気に見えないような、チームメイトのことがダイスの心をよぎる。
 「プロ」として、球団に居るという時点で、もう普通の人が「好き」なレベルを越えてしまっているのだ。それが無ければ、生きていけない。そんなもの。
 そして彼も。彼が敬愛するマーティ・ラビイも。
 不自然なまでの「雪焼け」が、火傷の跡が。ドンパチしていたという過去が。
 かつての花形選手が。
 何が彼にあったのか、ダイスには判らなかった。予想もできなかった。
 ただ一つ、それでも彼には判ることがあった。
 それでも、野球をしたいと、マーティも、思ったのだろう。
 それだけのためにだったら、何でもできる位に。
 ダイスはもっと、彼等のことを、知りたいと思った。

 コンコン、とノックの音がした。
「ダイちゃんごはんよ~急がないと皆で食べてしまうぞ~」
 ひょい、とマーティが顔を出していく。
 すぐ行きます、と彼はぴょん、と座っていたベッドから飛び跳ねた。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2006.07.02 20:48:47
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: