炬燵蜜柑倶楽部。

炬燵蜜柑倶楽部。

2017.12.14
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カテゴリ: 織屋の村の青春
「きっと吃驚される事だと思います。第一僕は貴方が何者なのか何も解っていませんし、貴方だって恐らく僕の事は何も知らないと思います。だけど、僕はどうしてもこうしなければ我慢できないいう衝動に勝てませんでした。貴方をはじめて意識したのは、盆踊りの練習会の時でした。僕は平和織物の西田君と友達でしたから、貴方が何処の工場で働いているかはすぐ解りました。あれから約一ヶ月、色々考え、悩み、悶々とした毎日を過ごしました。本当は僕ばかりが夢中で、貴方には迷惑な事ではないだろうか、とか、もう貴方にはとっくに素晴らしい恋人がいて、僕がいくら一生懸命手紙を書いても、結局は紙屑箱の腹のたしにされてしまうのではないだろうか、とか。でも、もう抑えきれないのです。そんな心配で足踏みをしている場合ではないのです。貴方に貴方のことを想っている僕が此処にいるという事を知ってもらいたいのです。僕が貴方について知っている事といえば、ほんの僅かなことしかない。貴方の故郷が東北地方である事と、名前が輝子という事(これは西田君に聞きました)と、それと僕が貴方に対してもった閃き、直感、これだけです。それから後の事は交際してみないと解らない。僕と交際してみて下さい。貴方に恋人がいない事を、今は祈るばかりです。お願いします。僕の事は、別紙に簡単な身分証明書みたいなものを書いておきました」



「僕ん持ってってやるよ」

 うちの事務所の経理係の高野が言ってくれた。まだ入社二年目の彼は、彼女の働く工場の近くに住んでいる。三軒南に下った辺りにある農家らしい。

「切手を貼る位なら、僕ん持ってってやるよ」
「悪いが、それじゃ頼むか」

 貰った写真を見せながら「この娘だでな、間違うなよ」と念をおした。
 昼休みに高野はそれを持って事務所を出ていった。
 その後姿を見ているうちに、自分の中で多少の不安と過大な期待が交差していた。

 昼食を終えた頃、高野は帰って来た。
 が、彼の切り出した話は、到底期待通りのものではなかった。悲観的な気持ちが心の中の重い扉を叩くばかりだった。

 高野がその工場の傍に差し掛かったときのことだ。
 夜番に入る準備をしていた娘達は、細い側溝の上に並べてある空ビームに腰を下ろして談笑していたという。




 ちょっと待って、と女の一人が工場の中へ入って行った。暫くすると作業着を着た女が出てきた。



 あれ、とその時高野は思ったという。「……違うなあ」
 咄嗟に、声を上げてしまった。

「何が違うの」
「それ、だってお前じゃないもん。輝子さんって人に用があるだもんで」
「だから、私がその輝子です」
「本当かあ?」
「本当です」
「変だなあ、それだん違うもんなあ……」

 困っていた時、また二人の女が工場から出てきた。

「あ」

 写真の女だ、とその時彼は気付き、素早く反応した。

「お前だ、お前だよ」

 ああこれでようやく昼飯にありつけると思った、と彼は後で言った。

「や、手紙を頼まれたもんで。輝子さんだら?」
「私ですか?」
「うん」
「……? 私は克子です」

「それだって、顔がそうだもんで、その女の人に渡してきた」

 高野はそう言った。釈然としない気持ちだった。

  *

 退けてから西田に会うと、こんなことがあった、と話した。

「確かに佐東輝子って言ったんなあ……」

 奴は真顔でうなったが、終いには「とんだ笑い話だなあ」と言って相好を崩した。
 そんな奴を見ていると、半ばあきらめの感情が湧き、また半ば自信を失いつつも、足は他の工場へと向けていた。娘達はあちこちに居る。口からは冗談を撒き散らし、その工場ごとに居る娘達を笑いの中におかせることに夢中になった。

   *

 九月末日。
 五穀豊穣を祈願する秋の例大祭の日がきた。
 神社の境内は夜店の明かりと、右往左往する着飾った人の群れで、華やいだ風景が出来上がっていた。
 この頃、自分達はこの町の青年団の役員で、祭り関係の行事に多忙を極めていた。
 初日の夜は盛大な宵祭だ。そんな中、西田と共に人ごみの中を祭典本部のある村役場に急いでいた。
 その時だった。克子の居る工場の娘達が何か言いたげに、皆でこちらを見ていた。
 だがこの時は、何か期待をしようとはもう思っていなかった。半ば諦めていた。それに、恋文を渡したということが妙に気恥ずかしく、黙って通り過ぎてしまおうと思った。
 その時、娘の一人がこちらの行く手を遮った。

「あのぉ、克ちゃん、何か話があるって」

 小声だったが、確かにそう言った。
 娘達は克子を残して歩み去って行く。西田はこっちに「うまくやれよ」と耳打ちすると、笑って足早に姿を消した。
 予期せぬ出来事に、戸惑い、視線のやり場に困った。
 とにかく、この賑わいの中から脱出しなくては、と思い「あっちへ行こう」と彼女を促した。
 ……と、思う。
 実は抜け出した下りははっきり憶えていない。
 はっきりしているのは、村役場と図書館の間の大きな松の木の下、一寸した暗がりまで二人で何とかやってこれたことだ。
 そこまで一緒にただ歩き、そして止まった。
 何から切り出したらいいのか、言葉に迷った。とりあえず自分の名を言い、よろしく、と言った。

「西塔克子です。こちらこそよろしくおねがいします」

 静かな口調だった。そんなに口数の多い方じゃないな、と直感的に思った。
 実際、その後の会話もこちらが照れながら話すばかりで、彼女はあまり喋らなかった。

「この間は吃驚したら。あんな筈じゃなかっただよ、本当は。色々手違いがあってさ。俺ってそそかしいだよなあ」

 克子は表情を崩した。だがそれだけだった。
 その夜の彼女は、写真で見るより、噂に聞くより、数倍は綺麗だった。彼女を目の当たりにしながら、直視するのを戸惑う程だった。とても綺麗だった。緊張した。

「宮城県の何処?」
「南方です」
「俺ん会社へも何人か来てるよ」
「もんちゃんや信ちゃん。知ってます」

 視線を巡らす。
 公民館脇、広場の明かりの中に花屋台があった。これからそれを引っ張ろうとする小学生達が、小さな法被を着て走り回っていた。

「俺ん事で何か聞いた?」

 克子は黙って首を横に振った。その様子に、ああ何で今こんなことを言ってしまったのだろう、と悔やんだ。

「色々言う人んあるかも知れんが、気にするなよ」

 そう言っておいてから、また後悔した。後ろめたい事があるから、こんな言葉が出てくる。

 三十分くらい二人で居ただろうか。
 会うこと自体初めてだったし、これからまだ、祭の用事が沢山ある。
 そんなことを言って、彼女とは握手一つだけしてその場は別れた。
 この時、彼女のことは決して負担に感じなかった。
 むしろ、驚く程にうきうきしていた。






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最終更新日  2017.12.14 20:57:49
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