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やるね~。ハレルヤ晴れる屋滞在先の藤沢から、ちょっと江ノ島に足を伸ばして歩いた道すじに見つけました。お店はお休みだったので、味の程はわかりませんが元氣の出る看板に座布団一枚☆渋い備屋珈琲店で、好きなカップにカフェオレを入れていただき、広いテーブルを一人で長時間占拠して、たまっていた仕事をこなすことができました。こういう所の方が、能率あがるんだな~。
2007.07.26

先日見てきました。男性だけで構成された”元祖コメディバレエ団”。白鳥の湖 瀕死の白鳥など、優雅さが際だつ演目を、筋肉隆々の男性ダンサーたちが踊り抜く。もう、開演前の場内アナウンスからすでに、ユーモアあふれていて笑わずにはいられない。瀕死の白鳥なんて、本来は”瀕死”なわけだから、悲壮感あふれる踊りなのに、彼らにかかったらお腹がよじれてこちらが瀕死状態。でも、笑いながらも感動するのがその技量の高さ。白鳥のしなるような腕の動きは、一体どうなっているのか腕全体がなめらかな一本の曲線を描いている。あんなになめらかな羽ばたきは見たことがない・・・とすら思った。ちなみに息子は、男のはずなのに艶っぽさ満点のダンサーたちに複雑な思いがあるのか、あまり舞台を直視していなかったけれど(!)、「あの腕はどうしてあんな風に動くんだろう???」と思わずつぶやいていた。背の高い人、低い人、細い人、たくましい人、それぞれがそのありのままを活かして舞台に花を添えていく姿は、コメディを抜きにしても見応えのある、素晴らしいエンターテインメントでした。
2007.07.17
人が大きく人生の方向転換をする時って、どんなタイミングなのでしょうか。よく、大きな事故とか病氣などをきっかけにして、それまでの生き方を180度変えた、などと聞きます。大きな出来事がきっかけだったとしても、生き方を変える、というのは勇氣のいるこ。そういう方のお話はいつも知恵に満ちていると感じます。幸いに大きな出来事はないけれど、最近、日常のささやかな出来事から「方向転換のサインかな」と思うことが多いと感じています。たとえば、これまで何の問題もなく働いていてくれた”つっぱり棒”(壁と壁の間で突っ張って、棚や物干し竿の役目をしてくれるアレです)が、2箇所立て続けに落っこちてしまったので、載っていたものを点検して軽くした。 物だけでなく、背負っている(と思っている)責任や、やらなくっちゃ!と義務だと思っていることなど・・の点検ある人から「今、車で(我が家に)向かっています」と電話がかかってから15分後に、「車が壊れたので行けなくなりました」と電話が入った。 自分が人生を載っけている、大切にしている価値観をもう一度見直してみる必要ありその他にもいくつもあって、まぁ、言ってみれば思いこみに過ぎないけれど、いくつも重なってくると、意味を感じる。今私なりに受け取っているメッセージは、シンプルに、身軽にすること、変化へのGoサイン といったところでしょうか。どでかい出来事がなくても、日常にはサインがたくさん送られてきているのだとすれば、益々直観を大切にしよう、と改めて心強く思う、今日このごろなのでした。この際、ここ数ヶ月で特に原因は思い当たらないのに、いきなり太ってしまった体重もシンプルに身軽にしたい
2007.07.15

ばっかやろー と、口走りたい時は、これなどいかがでしょう? 「バカリャロ」白身魚にビール入りの衣を付けて揚げたギリシャ料理。にんにく風味のじゃがいものソースを添えていただきます。すごくおいしかったんだよね、これが。「バッカリャロー!」と面と向かって言ってスッキリした後、「・・・・っていうギリシャ料理があるんだけどね♪」なんちゃって。
2007.07.14
昨日までアシスタントとして参加していたNLP(神経言語プログラミング)プラクティショナーコース。トレーナーのGFOFF(ジェフ)はオーストラリア人です。そして、多分魔法使いに違いないその証拠に、コースの間に、私の”娘に対する反応の癖”を見事に入れ替えるサポートをしてもらったのです。新生児の頃から、娘はとても感受性が強く、とにかくすぐ泣く子でした。病院を退院する時も、助産師さんに「この子はとにかくよく泣きますから、お母さん頑張ってください!」と言って送り出された程です。確かに、夜泣きもすごくて、真夜中でも30分と続けて寝てくれない時期が10ヶ月くらい続きました。しかも床が「ぎー・・・っ」ときしむ音だけで目をさましてしまう。日々、いつ泣き出すか・・・あぁまた泣いた・・・を繰り返している中で、無意識のうちに<娘の声→イヤだ・・という氣持ち>という連鎖反応ができあがっていたみたいなのです。いくら娘を大切に思っていても、裏腹に感じてしまう怒りだったり悲しさだったり・・・。14年間、そんな反応ができあがっていることには氣づきもせずに、なぜか娘とは派手なケンカが多いことで自分を責め、結構もんもんとする時間を過ごしてきました。でも、今回その反応自体を構成しなおすことを、GEOFFがサポートしてくれました。驚く程に効果てきめん。娘の顔をただただ普通に見ているだけで、「かわいいな~」という氣持ちがわき起こってくる。とても楽ちん。快適。そうなって初めて、これまでは、訳もなく妙な緊張感を感じていたことに氣付きました。NLPのワークをしてくれる人はたくさんいるけれど、私がGEOFFを好きな理由はその在り方です。人の可能性を信じて疑わず、その人自身が力を発揮してくることを信じて待っている。必要以上に手を差し伸べることもなく、でも見えないところで心からの愛とエネルギーを送っている。アシスタントをしてみて、改めてその懐の大きさ深さに触れて、感動している私です。「人のサポートをする」と言いながら、結局は自分自身が認められたいがためにやっている、という人をよく見かけます。私自身もやることあります(正直に認めます・・・悪いわけじゃないんだけれどね)。でもGEOFFは明らかに違う。彼は自分次第の人。GEOFFのそばで、その在り方に触れる機会をたくさん持てたことに、心から感謝そして改めて、16日間コースを一緒に過ごした仲間たちに感謝GEOFFや、仲間たちから受け取ったギフトを、今度は私が関わる人たちに贈っていきたい。そうすることで、皆さんから受け取った素晴らしいギフトへのお礼ができるように思います。
2007.07.11
ず~っと、”わかっているようでわからない”と感じていた、私自身のライフワーク。今日やっと これだ!と実感することができましたそれは、押さえ込んで感じないようにしている感情に関わること。なぜかというと、まずは私自身がず~っと”良かれと思って”寂しさや怒り、あるいは喜びや幸せでさえ、押さえ込んで感じないようにしてきたことがとても多かったことに、これまで以上にはっきり氣づいたこと。そしてそれらの体験から、実はとてもたくさんのことを学んできた!ということが、深~く腑に落ちたこと。それら諸々の氣づきが重なって、まるでジグソーパズルが一気にパタパタとはまったかのような感覚で、これからやっていきたいことがはっきりと見えた感じを持っています。氣づいてみれば、これまでもとても明確に提示されていたことだったし、無意識的にはわかっていたことだったけれど、見えていることに氣づくまでは、見えないという体験をする必要があったのね。抽象的な表現になってしまっているけれど、これからはしっかりと方向を定めてやっていこう。今日はその覚悟ができた記念日です。ここに至るまでの、これまでの人生全てのことに感謝しますやっと自分も人生も、100%肯定する立場に立ったと感じています。わ~い
2007.07.09
今、NLPプラクティショナーコースのアシスタントに没頭しています。4日間のモジュールからなるプログラムの、いよいよ最終モジュール。6月14日からスタートしましたが、いよいよ佳境ですな。日々、神経言語プログラムについて考えるせいか、色々と氣づくこと多し。最近感じる、人のふるまいに対する「え?!(怒)」シリーズ。その一外にある規準で、自分をエライ!もしくはダメ!と判断するお方。やったらエラそうだったかと思えば、まわりの反応次第でいきなり低姿勢になったりする。自分自身の軸がないお姿は、見ていて引っかかる。その二一見さわやかなポジティブシンキング、実は単にネガティブな部分を無視しているだけのお方。陰も陽もどちらもあっていいじゃない。コインだって裏の裏は表なのだ。当たり前だが。ま、引っかかりを感じるということは、私自身も同じパターンを持っているということでもありますから、ただイカっているわけにもいきません。しっかりとそこから学びをゲットしなくては。怒りや引っかかりを感じる中から、自分の中に浮かび上がってきたことを、まとめてみると・・・”中庸を行く”という言葉は、感情などあまり波立たず、いつもニュートラルで落ち着いた、仙人のような生き方のことだと思っていました。けれど、今はちょっと違う感じがしています。中庸を行くとは「陰にも陽にも触れながら、そのどちらにも価値を見出しつつバランスを保つ」ということではなかろうか。やっぱ人生バランス is ビューティフル ということで
2007.07.07
7月5日に、JCAT(日本コーチ協会東京チャプターの勉強会にてファシリテーターを努めてきました。現役の先生、塾の先生、学校で読み聞かせのボランティアをなさっている方、保護者の立場でPTA役員をされている方・・・いろんな立ち位置の方が参加してくださいました。今、先生に対して色々な厳しい声が寄せられたり、常識のない保護者のニュースなどが飛び交っていますね。学校は一体どうなっているのか!と不安に感じることもしばしばです。でも、実際学校で頑張っている先生方の話をお聞きすると、多くの先生は純粋に子供のことが大好きで、毎日身を粉にして地道に取り組んでいらっしゃるのですよね。コーチ仲間には、そんな先生たちの力になりたい、とか、子供たちのサポートがしたい、と教育の分野に高い関心を寄せている方がたくさんいらっしゃいます。私自身もその一人ですが、学校というフィールドのほとんどは、なかなかに守りが固いように感じます。まるで内堀、外堀に守られたお城のようです。お堀の外からいくら手を伸ばそうとも、声をかけようとも、お堀にかける橋が見つからない限り、中に入ってサポートするのは難しく感じます。(中には、すごく柔軟でオープンな学校もあって驚くこともありますけどね!)また、実はお堀の内側、お城の中でもサポートを求める声がたくさん上がっているのだけれど、やはりお堀にかける橋がないように感じているために、あきらめの境地に達している先生方もたくさんいらっしゃる。昨日は、現場の生の声や、それぞれの取り組みから見える可能性などについて、とても熱い議論が展開されました。本当~に中身の濃い素晴らしい時間でした。やれることは、たくさんあるのだ!と実感した2時間。参加された皆さま、この場を創ってくださったスタッフの皆さま、そして一緒にリードしてくれたふゆふゆ、場を設定してくれたともちゃん、ありがとうございました!あの場での学びを活かして、タッグを組んで、どんどこ前に進みましょうね!そして、時にはまた集まって熱い議論の場を持ちましょう
2007.07.06
音叉をコーンと叩くと、遠くにあっても同じ音の音叉が鳴り出すように、人はひとの氣持ちに共感して、心の音叉が鳴り出すことがありますね・・・。人によって、どんな氣持ちに共鳴しやすいかは違うようです小さい頃から実は感じていたことですが、私の心の音叉は”哀しみ”に共鳴しやすいように思います。当然のことながら、それはいつも哀しんでいるわけではありません。ただ、誰と一緒にいる時でも、ドラマや映画を見ている時でも、相手が笑っている時ですら、その奥に哀しみを感じるとそちらにスーッとフォーカスしていく自分がいます。笑っている人に水を差すわけではありません。ただ、見逃さないでいられるという感じでしょうか。4年前に参加したCo-Active Leadership Programで、リーダーのフィルに言われた印象的な言葉があります。「君が涙を流すこと、悲しみを感じることは、心の弱さではない。 それは私たちに何かを教えてくれること。 君がそのメッセージを伝えることは、私たちにとっても大切なこと」当時、訳わからん!と思っていたけれど、最近になってようやく少しだけその意味が伝わってきましたすぐに哀しみに共鳴する自分について、ずっと”性格が暗いんだな”とか”弱いからすぐ一緒になって涙が出るんだ”とか思っていました。どちらかというと、いいイメージはあまり持っていなかった。ですが、コーチとして色々なクライアントさんに関わる中で、”哀しみよりの心の音叉”は、相手の方が安心して哀しみを出せる場を創り出しているようです。(ご本人が意識的にでも無意識的にでも、そこに向き合おうとしている時に限ります。念のため)何というか、哀しみを感じている人の話を聴くことが、私自身あまりつらく感じないのですよね。表現が難しいですが、哀しいけれどつらくない。なぜかというと、哀しみを実感している人って、その奥にとても細やかな愛情や優しさをたたえていることが多いのです。その深さに触れるのは、心癒される瞬間ですまた、人は哀しみをしっかり出してしまえば、後は自然と前に向かって歩き出していく力強さを見せてくれます。それは、人の可能性を思い切り実感する瞬間でもあるのです入り口が”哀しみ”だというだけの話で、出口で見るのはいつも人の暖かさや力強さ。やっぱり人っていいなぁ、と思えるのは、哀しみに敏感な私の心の音叉のおかげです。感謝して大切にしていこうと思う今日この頃ですここ数ヶ月、ブログをまったく更新しませんでした色々な体験が数多く重なって、自分の心の中の棚卸というか、整理というかをしていました。こういう時にいつも力になってくれるのは、家族と仲間。関わっている全ての人に感謝です。特に、つい最近お父様が天に戻られたMちゃんにも感謝
2007.07.04
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