2010/09/22
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カテゴリ: グルメのはなし
練習からの帰り、『目黒のさんまはどこで捕れたのか』という話になりました。

『銚子沖でしょ。回遊魚だもん。』と大将。

『そんな遠くから運べないじゃない。東京湾(昔の江戸湾)だよ。』と私。

大将は東京湾なんて魚は捕れないといいはり、私は東京湾でカツオだってタイだって捕れると白熱した論議に発展してしまいました。



しまいには大将がむかーしむかし京都の魚市場でバイトしてた時の話まで出て来て、ボクの方が魚に詳しいなんて言い出す始末。

『ぼくが間違ってたらごちそう券あげるよ。』

私だって生まれてからずっと東京で魚食べて育って来たんだから、東京の魚に関しては私の方が詳しいと譲りません。

『江戸時代は目黒のあたりまで海だったんじゃないの?』

勢い余ってこんなことまで言ってしまった私、気になったので調べてみました。



山手線の東京から品川辺りまでは海だったようです。



日本橋に魚河岸発祥の地の碑が建ってるんですよ。関東大震災のあとに、築地に移転したんだそうです。

落語ではお殿様が鷹狩りで目黒に行ったなんてことになってる通り、目黒周辺は魚なんぞ捕れそうもない原野だったようです。(それが落語の落ちにつながるんでした)

それじゃ江戸時代、さんまはどうやって日本橋まで運ばれたのか。





房総半島沖で獲って「押送船(おしくりぶね)」というので運んだという説がありました。

冷蔵技術だってないし秋の初めのまだ暑いさなか葛飾北斎が『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』で描いたような危険を冒してまで大衆魚のさんまを江戸の庶民のために運ぶとは思えないんですが...。


もう一つ陸路の説がありました。

銚子から利根川を使って我孫子(あびこ)で陸揚げされ、松戸まで『鮮魚街道』を昼夜問わず馬を代えながらのぼり、そこから江戸川を南下して中川、隅田川を経由して3日かけて日本橋に到着。

魚は腐らないんでしょうかね。

1匹3両もしたという初鰹ならまだしも、一般庶民が口にする秋刀魚にそこまでしないですよね。



さらに調べてみると、こんな記述を発見しました。( 鳩ヶ谷市HP

『江戸時代には、10月に入ると、脂が乗ってまるまる太ったサンマが銚子沖から江戸湾に大量に押し寄せる。大消費地である江戸の魚河岸は一挙に荷揚げされる大量のサンマで大騒ぎとなる。なにせサンマは鮮度が命。辻ごとにサンマを焼く煙が街中に充満したとの記録があるそうだ。江戸中がサンマであふれ、お祭りの様相だったのだ。』

さらに目黒川までのぼって来たという説も。( 目黒のさんまwikipedia )

『目黒川に遡上したサンマを農民が捕獲したものとも言われる。一時は汚染が激しかった目黒川であるが、最近は落ち着いた。現在でも目黒川河口はボラ・スズキ・ハゼ等の食用になる魚が生息する。1980年代前半に東京湾で大量にサンマが発生したことがあり、そのサンマが江戸川等の東京湾流入河川に遡上したこともあった。江戸時代は現在ほど河川の汚染が激しくなく、東京湾流入河川にサンマが遡上したことがあったのかもしれない。』



クッキング・スクールのサイト では江戸料理の特徴に関する対談を見つけたんですが、江戸湾で捕れた魚が江戸庶民の食文化の中心だったというような話がされています。日本橋あたりに生け簀がたくさんあって、鯛・平目・海老などの養殖もしていたそうです。

大笑いごちそう券いただきかな)




今年は猛暑の影響でさんまは不漁、市場で高値がついて庶民の食卓から遠ざかってるなんて話がニュースになってますけど、皆さんは今年の秋の味覚、もう堪能されましたか?





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Last updated  2010/09/22 08:26:41 PM
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