2021/09/15
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テーマ: 社交ダンス(8695)
カテゴリ: TVのはなし
​1744年、15歳だったフレデリーケは母親とともに雪道を馬車でサンクトペテルブルグに向かっていました。

ロシアの女帝エリザベータが甥のピョートル・フョードロヴィチの結婚相手として選んだドイツ貴族の娘です。





エリザベータは正統な世継ぎだったイヴァン6世をクーデターで幽閉し、ロシアを手に入れたやり手です。

独身で跡継ぎがいなかったため、懐柔しやすそうな姉の息子を呼び寄せ、子供ができたら自分が育てて次期皇帝にしようと目論んでいました。


<女帝エリザベータ>



ところが甥のフョードロヴィチはダメな男で、プロイセン(ドイツ)の王フリードリヒ2世に心酔し、毎日仲間と兵隊ごっこして遊んだりバイオリンを弾いたりネズミの解剖したりと全く政治には無関心でした。

しかも妻のエカテリーナ(フレデリーケから改名)に子供ができたら自分は用済みになると恐れて彼女を避け、7年の歳月が流れます。


<ピョートル・フョードロヴィチ>



エカテリーナはその間、科学や歴史、ロシア語を学び、何よりエリザベータから帝王学を学んでいました。



跡継ぎができないことに剛を煮やしたエリザベータは、エカテリーナに愛人としてハンサムなサルトゥイコフ公爵を差し向けました。





王子パーヴェルが産まれますが、父親はどっちなのか微妙です。

女帝に赤子を取り上げられ、サルトゥイコフ公爵も左遷されて、エカテリーナは再び一人に。

次にポーランドのポニャトフスキ公爵と恋仲になって女の子を産みますが、2歳で亡くなってしまいます。





女帝がプロイセンに対して宣戦布告した7年戦争中も、相変わらず兵隊遊びに夢中だったフョードロヴィチは、侍女のリザを寵愛するようになり、エカテリーナとの夫婦関係は完全に冷え切っていました。

エカテリーナも新しい恋人グレゴリー・オルロフ近衛連隊長ができて、彼との間に息子アレクセイが生まれます。





1761年に女帝エリザヴェータは崩御し、フョードロヴィチが皇帝ピョートル3世として皇位を継承。

ほぼ勝ち戦だったプロイセンとの戦争をいきなり終結し、奪った領土も返して信奉するフリードリヒ2世との友好関係を築こうと、完全に掌返しな政策を打ち出しました。


<フリードリヒ2世>



命をかけて戦ってきたロシア兵たちからは大きな不満が巻き上がります。

さらにエカテリーナと離婚し、侍女のリザを皇后に迎えようとする始末。




<女帝エカテリーナ2世>



王冠の豪華なこと。

トルコのドラマ の長さに比べると全10話なんてあっという間でした。

歴史の勉強にもなるし面白いです。

音楽が​​ GOT





ロシアに来てすぐに宮殿お抱えのフランス人医師に毒殺されそうになるんです。

フランスとしては、国益上フョードロヴィチにフランス人の花嫁をと考えていたんでしょうね。

ドラマだからより強調して描かれているのかもしれませんが、フョードロヴィチのダメっぷりと対照的にエカテリーナの聡明さと美しさが引き立っていました。





元はドイツ人なのに祖国に対して何の未練もなく、ロシアに必死に溶け込もうとする姿が健気でしたね。

女帝エリザベータがいろんな意味でいいお手本になったんでしょう。

さて、いよいよロシアを大きく発展させるエカテリーナ2世の活躍が始まります。







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Last updated  2021/09/16 12:21:27 AM
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