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2387 再び夏は大浜プール、毎年、夏の恒例行事、孫を連れて大浜プールに行く。昨日は、茹るような暑さの中のゴルフ、付き合い相手の年齢は平均75才、今日の付き合い相手は平均9才。大きな違い。パーフェクトなおじいちゃんの一日を務めた。朝の内に夏休みの宿題の答え合わせと、間違いの解説。9時には家から出発、プールへ、私も今回は水泳パンツを持ってきたので、流れるプールに一緒に入った。浅くて泳ぎにくいので、泳ぐより、歩行の方が多かったと思う。それでも、結構、運動にはなる。3時間近く、水に入って、水泳指導をしながら、私も遊べたと思う。彼女達と一緒に、彼女達の記号でMAXで遅い昼食、高いのか安いのか分からない、ただ、従業員は、全て、若い女性ではなかった。何故でしょう。インドネシアのマックで食事をしたことは、高いから何年もないが、インドネシア人は、次第に、よく、利用するようになってきている。経済的に余裕がある人が増えているからでしょう。ただし、KFCなどと共に、高級外国レストランという位置に有る。一旦、家に帰って、16時過ぎに、英語教室へ送って行く、私がいない時には、バスでおばあちゃんが一緒に行く。私が、いれば、それは、私に役目になる。何という、町名だろうか、江川町でしょうか、紺屋街でしょうか。繁華街の中のビルの中、呉服町のスクランブル交差点に近い。一度、送って行って、私は家に戻る、約一時間後、迎えに出発する。街の中に駐車して、そこらあたりをうろうろしながら待つのは、駐車場代金が勿体ない、家から往復するガソリン代の方が安いし、家で、一仕事ができる。18時前に家に戻っていた。おじいちゃん、おじいちゃんと、何回呼ばれたでしょうか。彼女達に頼りにされている事は十分、分かる。おじいちゃんが家にいる時には、あれやって、これやってと、駄目もとで、頼むのが、孫流である。出来るだけ、希望通りに対応してやろうと思う、希少な時間である。自己満足の世界がここに有る。水泳 教室 送迎
2015.07.31
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2386 期待通りというか、当然というか、静高が優勝でしたね。二年連続だそうだ、飛龍が勝ってしまったら、相当しらけたと思う。テレビ局も報道的には、静高が勝つのも望んでいたような気がする・報道の仕方から、それを感じた。日本でゴルフ、風がない、暑い、湿気が高い。過酷な条件、その上、上り下りは激しい、カート道から遠い場所に打ってしまうと、そこへ行くのも大変、打った後、カートに戻るのは大変なので、歩く、それが、急な登り、キャディーなしで、パターやピッチングを持って歩く。そして、このコース、左右どちらかが崖下の様、下の方に柵は有るが、50mくらい下もあるし、角度も、見かけ30度以上ある。私は一度もそういう下へは転がすことはなかったが、同伴者は、頻繁に下り、登りをしていた。以前、日本でやった時の印象を書いたことがったが。その時も書いた。コースの途中、落とし物、忘れ物が多い。そうではないが、拾ったり、取りに行ったりするのが、面倒だったり、体力的にできなかったり、するのかもしれない。ロストボール?捜したが、見つからなかった?そうではない、そこまで拾いに行かない、捜しに行かないのでしょう。ちょっと下に、見えるところに、二つボールを見つけたのが三回あった。ティーを持って行かない人、ティーグラウンドに転がっていたり、刺さっていたりする。これは、明らかに、持って行くことを忘れている、意識にないのだと思う。マーカーは何故だろう。マーカーは備え付けがあるのが普通で、スタート前にいくつかを、ティーやボールと同じボケットに入れて置く人が多い、だから、ボールやティーを出した時に落としても気がつかないし、無いと、捜す必要もないから、落ちているのは、分かる。その他の忘れ物、落とし物では、タオルやクラブ、フィールドに持って出て、打つ時に地面に投げて置く人が多い。打ち終わって、それらを、持って行かないのです。偶々、見つければ、それらは、拾ってカートのどこかに置く。終わった時まで、誰も、聞きに来ない場合は、係の人に、どこどこで、拾ったといいながら、渡す。今日は、渡した後、別のタオルは見つけなかったかと聞かれた。原因は高齢者プレーヤーが多いからだということは、明らか。私は、終わってカートから離れる時に、ポケットに入れてあるものをバッグに仕舞いながら、クラブを確認する、そして、係の人に、落とし物が良いねと、話した手前、私がカートに忘れ物をしたらシャレにならないと思い、HPやカメラ、ボトルなど確認する。家から出る時と同じである。汗がだらだら、ペットボトルの水が少なくなったら、途中にある水飲み場の水で補給をしておく。多分、600mlで4本くらい飲んだと思う。熱中症にならなくて済んだ。終わって、ひとっ風呂、快適である。オリンピックはかなりの収入だったし。帰りの途中、ガソリンを満タンにしたが、その分はでた。熱中症 無意識 落とし物
2015.07.30
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2385 勝ちましたね。明日は決勝戦、相手は飛龍、20年近く、日本には、ほとんどいない私にとって、失礼ながら、いつ頃、創設したのか、どこにある学校なのか、今日まで、知らなかった。どうも、昔の沼津学園らしい?何故、名前が変わったのでしょうかね。昨日の夜中、インドネシアで出すある文の日本語版が示されてきた。OKをした。いつ出されるのでしょうか、全ては、仲介者に依る。このことに関しては、一二か月後に書こうと思う。思い込みと忘れものは表裏一体。私が外出する時に必ず持たなければならない物がある。財布(お金、免許証、カードなど)HP、デジカメ、メガネ(老眼)、目薬、ボールペン、マジックペン、予備バッテリー、これらな作業服のポケットに入っていなければならない。リックサック(パスポートなど必要なものだが、日頃は必要ない)とラップトップのセットである。そして、外出する時、家の中で確認することがある。電気を使っている物、冷蔵庫以外のOFF、水道栓を閉じる。特に断水中、停電中には確認が必要。扉に鍵を掛ける前に、もう一度、ポケットの中を確認する事と、水道の栓を閉めてあるかどうか、思う。車を発進する前に、もう一度、思う。それでも、いざ使おうとした時に、無いと気が付くことがある。特にHP、車に乗った時に、ポケットから出して、助手席に置くことにしている。持ってきていることを確認する事と、運転中に掛かってきた場合に、ポケットを探る必要がないように、である。それでも、車から降りるときに、そのまま、置き忘れることがある。我ながら、認知症が進んでしまっているのかなと思う。歳だから仕方がないのかなと思う。何通りというのでしょうか。静岡の東海道本線の南側に沿って通る幹線、静岡駅の南口とパチンコ屋?失敗 忘れ物 確認
2015.07.29
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2384 小学校の時に父親の自転車の後ろに乗せられて、草薙球場へ行って静高静商(しずこうせいじょう)の定期戦の観戦に連れて行かれた。私は興味がなかったが、父は野球観戦が好きだったようで、都市対抗戦やプロ野球観戦にも付きあわされた。明日、県大会の準決勝戦、静高静商戦がある。定期戦は、今はどうなっているか知らないが、以前は毎年行われていた。静岡の早慶戦などと言われていて、外野まで満員になるほどの人気だった。また、私が静岡に住んでいた高校生当時は、甲子園に交替で出ていたほどレベルが高かった。両校の卒業生もプロ野球や東京六大学で活躍していた。小学校の頃、静商の野球部員が掛け声を掛けながら、安西の私の家の前までランニングに来ていた。また、吹奏楽のレベルが全国大会優勝入賞の常連だった。定期戦の時には。静高のブラスバンドは貧弱で、静商のブラスバンド部が戦いの前にグランドで行進演奏をして、観客を魅了していた。私は、何回か、学校の授業が終わってから、練習風景を見に静商まで行ったものでした。他のクラブ活動を見ていた。そんなことだったので、当時は静商に行きたいと思っていた。ところが中学生になってからは、どうも、大学へ行くなら、静高へ行った方がいいと教えられた。そこで、静高へ行くことにした。野球の定期戦は当然やっていたし、甲子園の出場も夏も春も交替に出ているような感じだった。同級生が甲子園へ行っても、余り興味はなかった。応援も昼休みに練習すると掲示がでていたが、集まりは悪いし、応援部の連中もお願いの形で、逆にヤジられていた。で、私は、三年間、一度も野球の試合の応援に行ったことがなかった。全国で準優勝した時も草薙にも甲子園にも行ったことがない。ただし、同じクラスの友人も多かったので、頑張ってほしいと思っていたし、勝てば、うれしいと思っていた。二学期になって皆と会えば、スごかってねといっていやっただけだった。それだけのことだった。しかし、明日は勝ってほしいし、甲子園に行って欲しいと思う。日本にいて、予選の様子を見守っているのは、初めてだと思う。勝てば、寄付金の振り込み用紙が送られてくる。寄付はしない。卓球部のOB会としては、寄付をする。マツダまで行ったついでに、その先まで行ってみた。右側に草薙総合運動場?がある。野球場もこの中に有るが、私が行ったことがある野球場とは場所が違うと思う。ドッジボールの練習をしている孫。定期戦 応援 寄付
2015.07.28
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2383 昨日の歩きで腰の状態を悪くした。先日、貰った膏薬を真面目に張ったり、薬を飲んでみたりしているが、治る気配がないというか、ちょっと、腰を曲げてする動作の時には、かなり抵抗がある。おまけに、風を引いているわけでもないのに、喉がいがらっぽい。何か、喉に邪魔物があるように感じる。インドネシアへ戻ってやることは、ビザの更新だ。切れる前に今のビザを取り消すことから始まる。消して、二週間以内に外に出て、新しいビザを修得する。アドバイザーとして取っているのだから、また、アドバイザーとして申請してある。聞くところによると、ローカル企業であっても、条件を会社が整えれば、何歳でもアドバイザーで1年のビザが取れるし、5年は国外に出ないで更新できるということも知っている。ゴルフ仲間に、私より二才年上の、そういう人がいる。ということで、今年から、ビザの修得資格やチェックが厳しくなっていることは、周知のとおりで、なかなか、取れなくて、困っている会社があると聞いているが、絶対、どうにもならないという資格はないようだ。エージェントの信用や真面目さやイミグレとの人脈(親しさ)によって、大きな差があるようだ。その点だけからなら、ローカルのエージェントの方が、気が効くと思う。60歳以上ではアドバイザーでは絶対取れないとか、高卒では絶対取れないとか、絶対、~~ない、ということは、絶対ない。思い込みは無知だし、他人に迷惑を掛ける、他人に被害を与える。インドネシアから出て、一週間、今回ほど、インドネシアでの仕事のことを思わなかったことはなかったし、考えることもなかった。悟りに近い感情だろうか、あの仕事をどうしよう、あの客先にどう言おうとか、考えることは、全く、なかった。それだけ、仕事に関しては、今のところ、なにもテーマがないと言っていい。ただし、インドネシアへ戻れば、新しい機械のための仕事を捜すというか、それに適した仕事を捜す必要がある。そして、それは、戻ってから、徐々にやればいいという状態だ。それに、捜すことはそう難しくないと思っている。そして、なお、適した仕事が見つからなかったり、遅れる場合は、今の仕事の延長線上のそれほど難しくない、私は登場しなくてもできる仕事で埋めることもできると思っている。一歩も外に出なかった。庭に有る葉っぱ。思い込み 無知 迷惑
2015.07.27
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2382 台風が沖縄方面を北上しているが、静岡は、快晴で暑さも厳しかった。内陸部は37とか38℃などといっていた。インドネシアは乾季で、今が、一番、暑い時期だが、チカラン、カラワン辺りは暑いとインドネシア人はいうが、30℃を越えることは希だし、湿度は、50%以上になることもまれ、昼前からは、涼しい風も吹き始める。日陰は本当の心地いい。だから、うとうとしてしまうし、気分も清々しい。日本のような熱中症にご用心なんていうことを言う人はいない。ただし、私は、スポーツドリンクを呑む。二年前かな、何年ぶりかに、河川敷まで行って眺めた。去年は行かなかったが、屋台で売っていた何かで、食中毒の騒ぎがあったのを覚えている。これが、孫たちと一緒に花火を見に行くのが、最後になるかもしれないと、ふと、思ってしまった。バスで、丸子マリコのバスターミナルから安倍川のスルガ大橋の静岡市街、本通6丁目まで行ってしまった。この日だけ、途中では止まらないそうだ。それを知らなかった。本通を歩いて安倍川橋の方へ戻った。真っすぐ戻るのも感雑しているので、右にそれて、安倍川中学、静岡商業の前に道を行き、田町小学校脇の道から、安倍川の土手に上がった。凄い人ごみになっていた。土手を南に向かい、途中から河川敷に降りた。人をかき分けて、川の中央に向かい、これ以上は入るなという、紐の仕切りがあるところ(最前列)に陣取った。特等席である。まだ明るい7時ちょうどに始まったが、直ぐに暗くなった。印象はどうか、一昨年と比較すると、若干、寂しい、規模が小さくなっていたと思う。それでも、何度も何度も、頭の上に覆いかぶさるように広がった。孫たちは、堪能したと思う。良く歩いた。家まで歩いた。何キロだろうか、6km歩いた。国道の駿河大橋を西に渡って、国道を辿った。これが最後になるかもしれないと思いながら、ひたすら歩いた。家に直前のコンビニで、私に付き合って歩いてくれた孫たちへ、アイスキャンディーを買ってやった。花火とは寂しいものである。文化 花火 浴衣
2015.07.26
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2381 同じ町内の整形外科へ行ってきた。インドネシアで一か月ほど、どうにもならない状態が続いていた代物で、厄介な、状態だった。少しは軽くなっていたが、ドッジボールのボールを拾う時には、やはり、ズキッと来ていたし、首の回転も抵抗を感じていた。掛かり付けの医者に、久しぶりだね、カルテを見ながら、一月以来ですね、と言われた。その時の症状と同じだと告げた。X線撮影をし、結果を見ての説明では、背骨の密度が大分低くなっている。骨の輪郭が薄くなっているというのだ。胃がない人は、カルシウムの吸収機能が減るから、骨粗しょう症になる速度が速いという。ということで、骨密度などもチェックをするために、血液採取をした。結果は、10日後だという。他にも、何か、色々な数値をチェックするらしい。その帰り道、昨日の夜の写真と同じ場所の昼間です。右側が私に家のサザンカの垣根です。もう一枚は右側がコンビニです。土用の丑の日、ウナギを妻が買って来て私に食べさせた。高いと思ったのか、そんなに沢山は食べられないと思ったのか、これだけである。超安い黒はんぺんが、添えられていた。私はウナギより黒はんぺんが好きだということを知っている。私の孫会社のようなところにいって来た。約三年、よくここまで持ってきた、今年の初めから、黒字になっている。良かった。市なのか、県なのか、国なのか知らないが、製造業創業補助金制度を利用して、ラインを増やすと言っていた。私がやっている時にも、そんな制度は有ったが、利用する必要はなかった。しかし、私が、もし、今、会社を興すなら,その精度を上手く利用するでしょう。今の日本、その制度を使う人が少ないらしい、予算が余っているという。だから、一千万円程度なら、審査もそう煩くないそうだ。装置を買う場合、三分の二を借りられるそうだ。孫会社 整形外科 丑の日
2015.07.25
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2380 インドネシアでは、最近は会社に出勤しない日が多かったし、出勤するにしても、遅く行って、早く帰ってきてしまうか、他の会社を訪問する事が多かった。体調不良だった。それに、仕事といっても、現場には行って直接指導をする機会が、今の仕事ではない事。PCでできる仕事が多い事などでした。在宅勤務でも出社して仕事をスルガ如し、でした。日本、四日目終了。しかし、日本でも、今のところ、インドネシアでの生活とは変わらない。外出する必要は特にないので、ごろごろ、していても、構わない状態だ。まだ、学校が休みではないので、孫たちは4時過ぎにならないと帰ってこない。帰ってくれば、ドッジボールの相手や勉強の結果を見てやる、それだけである。これは、おじいちゃんをスルガ如し、である。23時過ぎに、お腹がすいたので、近くのコンビニに弁当を買いに行った。夜中なので、弁当のコーナーは空きが多かったが、残っているものは。500円以下のものがほとんどだが。どれを見ても、すべて、美味しそう。ざるそばといなり寿司のセットを買った。使い捨ての剃刀、三本セットと合せて、税込みで約650円くらいでした。こんな時間でも、このコンビニは、場所がいいのだろうか、10台くらいの車が止まっていて、中には。それくらいの人数が、物色をしていたし、車の中で食事をしていた人もいた。私のような、年寄りはいなかったと思う。こんな姿は、やはり、日本だけかなと思う。駿河如しである。インドネシアのコンビニは腐るほどあるが、弁当は売っていない。日系のコンビニはどうかな、近くにないので、知らない。おにぎりは、売っているらしい。食べた後、うとうとと眠ってしまって、眼が覚めたのが、夜中の一時半。はと、ここは日本かと思う。空腹 ノンビリ スルガ
2015.07.24
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2379 “ならぬ堪忍するが堪忍“臥薪嘗胆、忍びがたきを忍び、耐えがたきを耐える。なんとなく気温が下がって、過ごしやしい一日でした。太田化工へ行って、世間話をしてきた。特にインドネシアの実情についてだった。再び、時期を待つ。いつまでインドネシアにいるの?と聞かれた。10年くらい前から、もう二年くらいかな、といい続け、毎年、そういってきた。先ほども答えとして、もう二年かな、といって来た。お前、いい加減にしろよ、もう、帰ってこいよ、人生、そう長くないんだから、ノンビリ、やりたいことをやった方が良いんじゃないの、と、いってくれる人が多い。そのやりたい事というのが、日本で何?やりたいことと言えば、他人に求められることなので、日本では、どうでしょうか、囲碁やゴルフの相手くらいしか、求められることがないような気がする。それも、頼られるということでもない。頼られると言えば、家の孫の勉強を教えることか、どこかへ連れて行く事くらいか。次郎柿の木が二本、庭に有る。一年置きに豊作になることは、経験で知っている。今年の秋は豊作だ。緑の小さい実が一杯垂れている。私は、暮れに帰って来た時にこの干し柿を食べることができるでしょう。私の部屋にジェックスの水槽がある。ジェノバだ。今も、インドネシアでリマテクノ(ジェックスのインドネシア工場)のブクブクチューブを作ってお手手伝いをしている。この水槽、私しか掃除をしない。半年もいないと、フィルターが詰まっていて、チョロチョロとしか水が落ちなくなっているし、ガラスが濃い緑色になっていて、中の魚が全く見えなくなっている。帰ると直ぐ掃除をすることにしている。http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0225.htmlインドネシアの他社では、大型水槽の枠を作っているが、私が、作ってやったものです。何かな 帰国 サバール
2015.07.23
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2378 近くの小学校の夏休みは今週の土曜日からとか、二学期?が始まるのは、8月最終週からだそうで、夏休みは一か月くらいになっているそうだ。夏休みが始まる日ではなくなった今日、また、あの人の誕生日が巡ってきた、一足早い72才です。また、妻がテーブルの上に置いておいた教職員互助会の会員雑誌をなんとなく、ぱらぱらめくっていたら、中学三年の時の担任の先生の投稿文が目に入った。当時、大学を卒業したばかりの新任だったので、私より10才も年は離れていなかった。雨の日、新聞を包んでいるポリ袋(ビニール袋)の再利用に関して、だった。まだ、頑張っているんだなと、同級会を何年もやっていないので、インドネシアから早く足を洗って、声を掛ける機会を作りたいと思う。ただし、来年かな。車のバッテリーが上がってしまっているようなので、近くの修理屋へ自転車で行って、バッテリーを持ってきてもらってエンジンを掛けた。そのまま、15kmくらい走って、戻ってきた。そして、エンジンを切って、又、掛けてみた。掛からない。カチカチと音がするだけ、ロック、オフのリモコンは使えたので、全くというわけではないが、ほとんど充電がされていなかった。途中で買い物に寄ろうと思ったが、止めて良かったと思う。また、修理屋を呼んで、バッテリーを交換してもらい、充電をしてもらってから、元に戻してもらうことにした。一応、ゴルフや買い物や太田化工に行けるようになった。半年近く乗っていないし、バッテリー自体がかなり古いので、こんな時もいつかは来ると予想はしていた。それが、今回だった。真夏の様子、じりじりとした暑さがこの写真からも分かるような気がする。外出に帽子は欠かせないし、飲み物を携行して、水分補給しながら歩かなければならない、汗びっしょりである。ショッキング。静中静高卓球部通信が届いていた。開けてみると、私がダブルスを組んでいた山川君の訃報が目に入ってしまった。左利きの彼と毎日練習をしていた。団体戦の中のダブルスでは、中部大会も県大会へ行っても無敗だった。中部大会で、私は、個人戦でベスト8まで行ったが。彼は準優勝した。いつも、思っていた、個人戦で、彼は私と練習していいが、私は彼と練習をしたくなかった。理由は、実践では右利きとしか試合をしないのに、右利きとの練習を出来なかったからだ。彼にそれを言えなかった。ただし、名コンビだったと思う。顧問が名ばかりだったので、キャプテン、マネージャーとして、部内外を二人で仕切っていた。卒業してからも、何度もOG会などで会っていたが、私が日本から出てしまってからは、会っていない。とにかく、がっかり、ダブルス相棒がスルガへ旅立ってしまった。ご冥福を祈る。今日、誕生日の人も当時、別の学校で卓球をしていたので、私たちのコンビのことは良く知っている。試合会場では応援をしてくれていた。ショック 誕生日 恩師
2015.07.22
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2377 駿河Surgaスルガ、天国に着きました。静岡市駿河区です。やはり、こちらも天国です。しかし、今のこの天国、暑~~~い。今日梅雨明けだそうです。いつもは、桜の季節に帰っているのだが、今年は帰らなかったので、半年以上、日本から離れていた。飛行機のビジネスでは、何が特別扱いかというと、ラウンジを使って休憩できる。機内で出てくる料理が特別である。座席が三段階とその間も調整できる。ヘッドセットも付けやすい。アイマスクなどのセットがついている。預けたバゲジが一番早く出てくる。で、これらが必要かというと、私にとっては、どうでもいい事に近い。高額料金を払って受けるサービスをあまりうれしいと思わない。私にはエコノミーの最後部で、ひじ掛けを上げて寝転がるのが一番似合う。昼過ぎ、家に着くと誰もいない、自分でカギを開けて入ると、二階から、下の孫の声、お帰りなさい。いきなり、ドッジボールの練習をしたいからボールを買ってという。学校でクラス対抗戦があるので、それに勝ちたいという。近くに売っていない。車に向かって、リモコンで開けようとしたら、うんともすんとも、言わない。困った、キーで開けようかどうしようか迷った。結局、アラームが鳴りやまなくなることを心配して、車を諦めた。500mほどの距離に有るスポーツ用品店に歩いてゆくことにした。暑い、汗だく、飛行機の中で眠ったとは言え、長旅の後、大きな荷物を抱えていたし、疲れているし、眠い。それでも、おじいちゃん、おじいちゃん、と言われれば、行ってやるしかない。買って来て、家の前で、ボールのぶっつけ合い。一時間以上付きあった。何故でしょうか、首の痛みも腰の痛みも、頭の痛みも、全部治ってしまった。体調がなんとなく良くなってしまった。学校の休みは26日からだそうだ。彼女達と一緒にいるのが楽しみである。まだまだ、充分、相手ができそうだ。インドネシアとは別の世界では別の人間になっている。http://otaenplaext.net/newpage73.htmlアラックバリは、出発前、免税店で二本買った。いつもと同じように頼むと奥の倉庫から出してくる。二本で約4000円だ。これは、日本の酒好き人間に、大好評だからだ。家の前でドッジボールの相手。ゴルフより遥かにハードである。別人間 体調 体力
2015.07.21
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2376 京都の天竜寺の蹲踞つくばいは、「吾唯足知」の四つの漢字の口の部分が真ん中の水がたまる個所になっている、庭を眺める廊下の右端、お手洗いの脇にあった。中学校の修学旅行で京都、奈良を訪れた時に、お寺のお坊さんに、案内されたと記憶している。間違っているかもしれない。ただ、その意味については、凄い!!!と思った。昔の人は、凄い!!と思った。家に掛かる費用は全て込みで、3万円弱、運転手、お手伝いさんを使っていない。ゴルフと旅の費用は、バブルの時に得た資金を食いつぶしているし、若者への援助や技術指導の装置や金型も、同じだ。見ぬ付ける物は、ほとんだ、買わない。綻びは、治して使っている。それでもゴルフや旅ができることは、ちょっと、贅沢をしているかなと思う。そして、Surgaスルガ、天国への旅立ちです。夕方、5時過ぎに家から出発、会社へ6時前に着く、会社の若者が、運転したいというので、空港まで送ってもらった。11;15搭乗だが、2時間前にチェックインをするようにと言われていた。今夜あたりからUターンが始まりジャカルタ方面、タンゲラン方面は渋滞の可能性が高くなると思って、いつもより1時間以上早く6時に会社から出発した。高速道路を見たら、チカランバラットからジャカルタ方面、全車線一杯一杯に渋滞していた。びっくりした。慌てて、カリマラン通りに向かったら、進入禁止、仕方がないから、ジャバベカ1を通り過ぎて、ジャランラヤに向かった。こちらは、順調でほっとし、チビトゥンから高速に入った。何の事はない、順調に車は流れている。先ほどの大渋滞は、チカランバラット以東から来た車の一旦、支払いゲートの前で渋滞だったのでした。チポコゲート前の渋滞も同じ理由だった。順調に走り過ぎて、1時間ちょっとで空港に着いてしまった。7時半前にチェックイン、ビジネスだ。カウンターが見えないので、エコノミーのカウンターに行ったら、ここは違う、あちらのスペシャルカウンターへ行ってくださいと言われた。なるほど、仰々しいカウンターが斜め後ろにあった。ラウンジの入場券もくれた。イミグレも順調、いつ戻るか聞かれた。13日に戻って、すぐにエポの手続きをすると説明した。なるほど、頷いて、もう、チャペッかと、言われた。そうだと、答えた。搭乗時間は22;45たっぷり時間がある。ラウンジへ行って、飲み物、食料を取り。じっくり、休むことができたので、この点、ビジネスは恵まれているなと思った。ワイファイもキーワードを聞いて、直ぐに接続した。とにかく、ビジネスは初めて、何100回飛行機の乗ったか分からないが、エコノミー以外は初めて、足るを知る私としては、もの凄い贅沢、二度と使うことはないでしょう、ちなみに、ジャカルタに戻る便はエコノミー。15番のグリーンの脇のラフに寝転んで天を仰いだ。駿河 順調 ビジネス
2015.07.20
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2375 ジャカルタ、アンチョール、ラグナン動物園、TMII(タマン ミニ インドネシア インダー)どこもかしこも、大にぎわいだったようです。リッポチカランのヲーター ブームも混んでいたし、タマンセントサのプールも車が駐車場に入れなくて、路上駐車の列ができていた。Uターンの混雑も始まったようだ。人数が足りないので、キャンセルできずにゴルフをした。スコアーやオリンピックの結果はどうでもいい。ほとんで、誰もいない。日本人も韓国人も帰国したり、旅行に言ったりしているのでしょう。インドネシア人は家族と過ごしているのでしょう。6;30スタート時、誰も待っている人はいなかった。前に人は見えない、後ろも人が見えない。こんなに空いているゴルフ場は初めてかもしれない。順調過ぎて、ハーフにミーアヤムの食べながら30分くらい休憩をしたが、10時には終わってしまった。ただ、スタート時から好天に恵まれ、空に雲一つ見えない、そして、程よい風が吹いていて、清々しい、蓮の花も増えて、濃いピンクの花も流れてきたのか、一輪だけ混じって来ていた。サンライズが神秘的、頭の上の青空は、澄み切っていた。まさに、スルガSurga天国で遊んでいるようだ。体は気だるいが、気分はニルワナNirwana天国だった。もう、そろそろ、いいかなと思う。同年代の静岡の人は覚えているかもしれない。“寝ていて人を起こすな!”小学校五年の国語の教科書に、金原明善きんぱらめいぜん、天竜川の治水に貢献した人、をテーマにした文章があった。このタイトルが、これだった。板木をたたく人、モッコを担ぐ人達の挿絵が有った。自分から率先して奉仕をしようという意味を、私は、この時に感じた。その精神は、今も変わらない。その頃、家族は一つの部屋に五人で布団を敷いて寝ていた。全員が布団に入った時、まだ、頭の上の電気が点いていた。私が、母親に、電気を消して、と、言ったら、“寝ていて人を起こすな”と言われてしまったことを思い出す。家での予習、復習で教科書を朗読磨ることが多かったので、母が覚えてしまっていたのでした。他人に頼ることはできるだけしないようにしてきた。もし、頼った場合は、それ以上のことをお返しする事を考えていた。商売も自分が作ったものを買っていただくという点では、頼りにしていると思うが、それ以上に、買ってくれた人は利益を得られるようにサービスをした。技術指導やメイドインインドネシアを増やすことも、その気持ちからです。それも、もう、いいかなと思う。人の道 生き方 主義
2015.07.19
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2374 この記事での出来事は、昨日のことを書いているので、明日と書いてあることは、今日の事である。 Selamat hari raya idul fitri スラマッ ハリ ラヤ イドゥル フィヒトゥリ、新年明けましておめでとう。Mohon maaf lahir dan batin モホン マアフ ラヒル ダン バティン 心身共にごめんなさい。という日です。そんなメールやSMSが何人かから届いた、私も同じように返信した。故郷に帰った人は、午前中はモスクにいってお祈りし、午後は、先祖のお墓参りに行くのが習慣だと思う。日本の正月と同じようなものですね。日本に台風が上陸して大荒れになっていると伝えられていますが、こちらは、新年にふさわしく、よい天気、しかし、私の心境は,天気晴朗なれども、体は、波高し、というところだ。ここ、半年の間に、急に、衰えを感じるし、具合が悪いところが増えた。歳の所為も多いと思うが、実際に何かの疾患に掛かっているのかもしれない、時には、救急に駆け込むこともあるが、結局、病気は何だと、特定できないどころか、直ぐに、治ってしまう。慢性化している物は、病院に駆け込むほどのものではないような気がするし、動きが悪いし、食欲も進まないし、じっとしていれば、なんとなく、その日その日を過ごすことができる状態。一人でいるより、友人とゴルフをすれば、安心する時間がちょっと長くなると思うし、運動もしなければならないと思うが、会社が休みになっても、出かける気がしない。もっとも、今日は、ゴルフ場も全面クローズだ。9時ころまで、あちこちのモスジッドからお祈りの声が聞こえてきていたが、その後は、静寂そのもの、家の前を通る車やバイクはほとんどないし、外からの話し声や音が聞こえてこない、静寂の中になった。地べた野菜売りもトカン オジェックもセキュリティーも誰もいない。現金が足りなくなっているので、ちょっとだけ、ショッピングモールの前の銀行へ行こうと向かったが、駐車場に入れなかった。そこで、向かいのショッピングモールのATMでおろした。駐車場から出る時に聞いたら、12時から開いたそうだ。しかし、当然、駐車場はガラガラ、モールの中には入らなかった。ファーマーズマートやマックも営業をしていた。30分くらいの外出でした。疲労感 倦怠感 新年
2015.07.18
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2373 puasa最終日でした。近所に残っている人でしょう、花火の音がうるさい。民族大移動の雰囲気とは別に、ほとんど、家から出ない私にとっては、裏庭のマンガの木の下の日陰に立つと、適当な風が吹いて、涼しい。清々しい。横になると、うとうとする、ハッと気が付くと、暫く眠っていた。このまま、起きないで、Surgaスルガ(天国)へ行ってもいいかなと思う。左の二軒先の家に、私の家の前庭の木の下に座り込んで夕涼みをしている老人がいる、老人といっても、私より若いようだ。いつも、黙って、にこにこしながら、頭を下げて挨拶をする。何カ月か前に話しかけたことがあった。口がきけないと、手話のようなもので表現した。聞こえて入るようだったので、どこから来たのか聞いてみたら、指をさして、あちらからといっていた。その人、二軒先の家の人と分かったのは、一昨日だった。ちょっと、家の前にゴミを出しに行った時、その人、家の前に出てきていた。指先して、ここが、自分の家だと言っていた。私は頷いて、スラマッ ソレーといって、家に入った。それだけのことだ、その人、私に自分の家を伝えることができて、うれしそうだった。私と挨拶をするのがうれしそうだった。それを、トカン オジェックが何人か見ている。トカン オジェックにも、手を上げて、よく、挨拶し合う。家の中ばかりにいるので、ちょっとだけ、近所の雰囲気を確かめるために車で出てみた。一般道にトラックは見ない。車も人もほとんど見ない。高速道路に掛かる橋から下を見ると、車の渋滞どころか、相当な間隔が開いていた。ピークは今朝までだったようだ。ニュースでも各ゲートはほとんど待たずに支払いやチケット受け取りをしていた。ただし、中部ジャワでは、渋滞が残っていた。昨日の夜、渋滞にハマった車が、やっと、中部ジャワに到達したのでしょう。スマランまでは、渋滞がなくても10時間以上、掛かるのですから。明日からレバランだ。大統領のジョコ ウイドドさんは、スマトラ最北部の町、バンダ アチェに入っている。明日は、バンダ アチェ(http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page231.html)の2004年の大津波で大被害を受けたモスジッドでお祈りをする。ラマダン レバラン マズジッド
2015.07.17
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2372 凄い渋滞情報が各地から伝えられている。何処へも出かけず、1日、テレビの前のザイスに座っていて、ときどき、台所とトイレにいって必要なことをしただけだった。高齢者の一人暮らしで、こんな人は多いのかもしれないと思いながらだった。痛みは消えていたが、相変わらず、お腹の具合が良くないので、食欲も何か飲み物を飲みたいということもないし、吐き気がするわけでもなく、 苦味が上がってくることもないが、ただ、お腹に力が入らないようだ。平日なのでゴルフをしようと思えば、予約なしで一人でもできるのだが、そんな気は全く起きなかった。写真もテレビの映像だけを撮るしかない。ゴルフをしに行った友人の情報によると、6時から15時くらいに掛けての、ジャカルタから東に向かう高速道路はブカシ辺りから渋滞が始まっていて、チカランバラットやチバトゥの陸橋の下の高速道路も車で一杯だったという。カリマラン2迂回した人も多かったらしいが、こちらは、バイクが一杯だったという。ニュースによると、チカンペック辺りはチプラランに入る手前から、チパリに入るチコポのインター、大渋滞で、ほとんど車は動いていないという。夜になっても、車のライトが道一杯に広がっていて、上空からの得以上では、光る杓文字の様に見える。パリマラン チレボンは東へ、南はチレニ(バンドゥンバイパスの終点)まで、時速10kmだと言っていた。100kmを10時間掛かる計算だ、本当かなと思うが、映像を見ていると、あながち、誇張でもないような気がする。西はチレゴンからムラックの港まで、光の帯が続いていた。ここは、車の中で夜を越すだろうと言っていた。一方、ジャカルタは、閑散としていて、車は少ししか走っていない、ほとんどすべての会社が休みになっているし、多くの店も閉まっているからである。極端である。世間は凄い動きをしているのに、私だけ別の世界に、誰にも、気なされずに、一人ぼっちでいるようで、寂しくなる。閑散 大渋滞 一人ボッチ
2015.07.16
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2371 ジャラン トール チパリでバスが中央分離帯にそれ、そのまま橋脚に激突した。バスの前部から半分位まで長さが縮まって見える。この事故で、11人が亡くなった。重傷者がいるので、増える見込み。41人が怪我で病院に搬送された。今日一日で、この有料道路で16人亡くなった。帰省(ムディック)も命がけで有る。横断陸橋の上に見物人が集まっている。南の島に雪が降る、ではなくて、イリアンジャヤ(パプア)山岳部でヒョウが、10日間も降り続いたという。雪は何年かに一回、この地方に降るとか、インドネシアは、ヒョウが降るという話は、よく聞くが、実際に、ニュースとして聞いたのは初めてだ。umbi-umbian mati karena tertutup es(アイスに覆われてイモ類が死んだ)イモ類の畑が大きな被害を受けたと出ている。頭が痛いし、お腹は痛いし、首も痛いし、腰も痛いので、パンガンダランどころではない、行けば、ヘアーサロンに寄るのだが、今回は,仕方がないから、町内のエアーサロンにいった。カットとカラーリングで、時間は40分くらい。10万Rp(1千円弱)安いでしょ。これが、リッポチカランモールなど日本人が良くいくヘアーサロンはカラーリングまですると30万Rp以上なので、私は、絶対行かない。ヒョウ 事故 ウビ
2015.07.15
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2370 大変な一日でした。体調が悪い中、今日は、もっともっと悪くなったような気がする。頭も痛いし、首も痛い。どうしたらいいのかわからない。とにかく、結論は出た。明日から、それに従って行動をするが、できるだろうか不安である。この顛末はが、早く落ち着くことを望む。テレビはムディックの状態を引っ切り無しに報道している。海上交通も発達していない。鉄道も発達していないインドネシアはバス、車とバイクの移動しかない。ところで、できたばかりのジャラン トール チパリの情況はどうか、コンテ穴などの大型トラックは締め出しているのか、見えない。チコポのゲート前の渋滞は、相当なものだ、ゲートの脇を開放し、その先に臨時の料金所を三か所、儲けているが、ざっと見たところ、2km以上は道いっぱいに繋がっている。料金所の手前の道の広さが15車線以上に見えるがゲートは、7か所、その内の5か所を入り口にしていて、その左の奥に三か所、臨時だ。合計十か所に左右から割り込みながらゲートに向かうのです。運転手、ここだけで、かなりのエネルギーを使ってしまう。ここのゲートで一旦、支払って、ここからのカードを受け取るので、一台あたりにお時間がかかるし、運転手は料金が分からないので、大目の札をだす。お釣りの支払いでも時間がかかる。そして、通過すると、ガラガラの感じ、真っ直ぐの区間が長い上に、両側の景色の変化がないので、私もそうだったが。速さを感じない、ついつい、スピードが出てしまう。事故が起きれば、大事故のなる可能性が高い道だと思う。この辺りは、バイクは、一般国道とカリマランである。道一杯に広がっている。夫婦と子供二人というバイクが目に着く、そして、三人乗り以上の事故が多いという。ジャワの西端のムラックからのフェリーや客船も大混雑、ここも、大型のトラックは制限されているようだ。作り置きの鍋、肉と野菜とジャガイモと玉ねぎ、にんじんなどがごっちゃ混ぜになっている。別のお鍋で、うどんやご飯、ラーメンなどに混ぜて食べる。不安 実行 現実
2015.07.14
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2369 Ramai lancar車は多いが、順調、というのが交通情報でした。会社は今日から長期休暇に入っている。休暇明けから。9月中旬までの、会社の動きが私にとっては、その後の行動に大きな影響があると思っている。インドネシアに、暫くいるのか、日本に引き揚げるかである。夜明け前、先ほども、三人しかいないので、体の調子は、悪いが、ゴルフに付き合った。欠伸が良く出た。ゴルフもチョロが多く、思うようには行かない。オリンピックも支払だ。会社の運転手の都合がつかない時、私が迎え、送りをする人がいる、同じゴルフ場で毎週、毎週、プレーしていて良くあきないねと、言われるそうだ。ご本人、あきるどころか、もっともっと、やりたいという。楽しいし、運動になるし、気分が良いという。他のゴルフ場では、メンバーではないから高くつくし、場所は遠いし、一緒にまわる他のプレーヤーに気を使うし、それが、普通なのかもしれないが、ここなら、その点でも、恵まれているから、他ではやりたくないという。私も同感で、ほとんど、自分の家の庭でやっているような感じで、何十人いるでしょうか、すべてのスタッフが、知り合いで、すべての人に名前を呼ばれて挨拶をする。同じ仲間でなくても、私たちのように、頻繁に来ている人も大勢いる、なんとなく、挨拶をするようになり、待ち時間には、雑談、情報交換をする。久しく、見えないと、あの人はどうしちゃったのかなと、スタッフに尋ねたりする。キャディー達も気心の知れた連中ばかりなので、彼女達のほとんど友達状態で、手伝うし、リラックスしているのが分かって、こちらもリラックスできる。日本でやるゴルフとは大違いだ。それでも、日本でやるゴルフも、それはそれで重要だと思っている。リラックス サンタイ 気軽
2015.07.13
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2368 今年のレバランのナショナルホリデーが金曜日と土曜日なので、その一週間前になる、今日の土曜日から、休みにする会社もあり、自主的に休む人もいて、今日から、帰省ラッシュが始まっているようです。それでも、ラマダン終了ちょっと前の15日辺りからレバラン杉の22日辺りまでを休業にしている会社が多いようです。その前後を年休で休み、10日以上を休む人が大部分だと思う。公務員も同じだと思うので、27日を過ぎないと、本格的仕事にはならないでしょう。日本人出向者は、どうでしょうか。日本に帰る人、インドネシア国内のどこかへ行く人、近くの外国へ行く人、そして、ゴルフをする人、何もしないで、ぶらぶらしている人、様々な人がいるでしょうが、腰や首がまともではない私は、どうするでしょうか。土日はゴルフの人数合わせで参加するが、月曜からは会社にいて、のんびりしようと思う。家のガスがなくなって、買いに行ったが、品切れだという。自炊ができないので、会社にいた方が、セキュリティーなどの手を借りられるので、そうしようと思う。ところで、大変なのは、マンダム、昨日が仕事収めの日だったそうで、今日から長期休暇(ただし、一部の事業所は、片付き次第、休日出勤で生産をするらしい)になっているが、大事故でした。日系企業でこれだけの事故が起きてしまった会社は、私の記憶にない。6月に、ジャカルタ北部のスンタールから本社も移し、生産量も何十パーセント増やすための増築工場の開所式を大々的に行ったばかり。これから、保証と原因究明、対策などと、やらなければならないことが沢山ある。日本から応援も大勢来るでしょうか、とにかく、大変である。レバラン休暇などと言ってはいられない。特に社長さんは気の毒だ。予期せぬ最悪に見舞われた。インドネシアでマンダムと言えば、優良、超有名な男性化粧品のメーカーです。テレビコマーシャルも全てのTV局から頻繁に流されている。この頃、女性化粧品も売り出している。多分、70%以上のシェアーを占めているでしょう。ところが、急にコマーシャルが消えたのではないかと思う。どうでしょうか。私のカン違いでしょうか。インドネシアのニュースでは、MM2100の化粧品メーカーというだけで、社名を言わない。不思議である。だからでしょうか、ジャカルタ新聞を読んでいる人以外は、インドネシアにいる日本人でも知らない人が多いようだ。マンダムがどこの有るのか知らない人の方が多いと思う。気の毒 無念 大変
2015.07.12
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2367 Katanyaである。Kabar anginカバール アンギン、風の便り、噂話とは違う。誰かが言っていることには、という意味で使います。はっきり、その言った人の名前を言って、誰それ、カタニャ、という場合もあります。Ootasan katanya太田さんが言うには、というように、です。歴史上の人物や政治家など著名ない人の名前を出して、その人が、そう言っていた。という話の時に使う、便利な詞です。 一般的には、これは、自分が言いだしたことではなくて、自分は知らなかったが、誰かか、複数の人が言っているよ、と、言う使い方をする場合いが多い。例えばですよ、あくまでも、例えばの話です。私の知り合いで、色々付き合いが多い人から、実は、あの人は、日本に奥さんも子供もいるのに、インドネシア人女性と結婚してしまって、私も友人代表として、呼ばれて行ったと、聞かされた時、放っておけないと判断し、その結婚してしまったという人の会社の社長さんに、こういう話を聞いたが、社長さんは、ご存知ですか、もし、知らないとしたら、問題が発覚してから、社長さんが初めて知ったのでは具合が悪いでしょうから、事実を調べて、知っておいた方がいいですよと、私から、報告したとします。 知らなかったこの社長さん、本人に直接確認をしてしまう。その時に、私の名前をだして、私がそう言っているが、本当ですかと。そして、本人は否定して、私に電話を掛けてきて、結婚などしていないと言い。そんな話を他の人にしないようにと、怒るように言う。そして、太田さんは、誰から聞いたのかと、問う。私は、答えるはずがない。私に言って来た人に迷惑がかかるからだ。すると、誰誰からでしょうと、三人の名前を出してくる。ということは、その三人が立ち会いしていたことを自分から言ってしまっているようなものだと、気が付いていない、滑稽だ。そうするに、結婚してしまったということを、認めたと同じ、だということに気が付いていない。それは、それとして。私が知らせた社長さんが、私からだと言ってしまったことは。もう、その社長は信用できない人だと思うしかなく、一事が万事、その後、その社長に、情報を提供する事は止めた。 私が、誰かから聞いた話を、言った相手に、誰からだということは絶対にしない。そして、わたしに、否定や言いわけをしながら、誰がそんな話をしていたのかと、聞き返す人が、必ずいる。私は、そういう人の話を信用しなくなる。私の情報源を聞かないで、話をする人を信用する。朝、顔を洗おうとすると断水になっている、夕方になるとチョロチョロで始める。こんなことがプアサに入って、今日も含めて三日になる。まさか、水を飲ませないために断水なんて言うことはあり得ない。こんな水を飲む人は誰もいない。ガス爆発の事故で5人死亡した、47人の怪我人が出たと、テレビニュースでやっていた。会社の名前は言っていなかったのが不思議だが。そう始末を付けるのだろうか。以前、すぐ隣の会社で仕事をしていたこともあり、知っている日本人も何人かいるので、どうなるのか、心配だ。カタニャ ガス爆発 報告
2015.07.11
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2366 昨日呼び出しを受けた会社へ行ってきた。MM2100の中でした。チカランバラットからジャカルタ、チャワンまで、一律4000Rpだったが、いつから、いつまでか知らないが、今日は2500Rpになっていた。レバランディスコンだと思う。呼び出された、というより、相談やアドバイスを受けたかったからだと、すぐに分かった。社長さんに会った時、取りあえず、色々迷惑を掛けているようで、申し訳ありませんと挨拶をしたのだが、その事は承知していたようだったが、その話は、それっ切りで終わってしまった。新しい軟質PVCの押出し成型をすることになってしまったが、こういう製品は、難しいでしょうか、私たちにもできるでしょうかという相談だった。二ライン入れることになったという。自分たちが積極的に、進めた話ではなく、親会社からの指図で、他の仕事とセットで、付加価値を上げようという魂胆らしい。私から、言わせれば、その製品は、難しくもなんともない、ローカル企業が、それを作り出していて、今や日系企業も利益はなくなっている、だから、今さら、それを、御社でやっても。難しいことはないが、それ、単体での利益は全く見込めないと、言っておいた。私に本心は、ローカル企業を使ってやらせた方がいいと思う。何も、社内で作る必要はない製品だ。それに、付けくわえて、インドネシアの押出成型の現状について話をしておいた。現在輸入して使っている押出製品を作ることができる会社はない、だから、それができる能力があって、新しく装置するラインで、そういう製品をつく事ができれば、押出し部門として、自立はできるでしょう。しかし、それは、なかなか、難しいことかもしれないとも、言っておいた。とにかく、世間話は多かった。ところで、MM2100のLGが一部でしょうか、売り出しになっているという話を聞いた。本当でしょうか、本当なら、何故でしょうか。かなり、広大な工場で、10年以上前に閉じてしまったソニーより、広いと思う。会社へは行っていない。15;00頃には家でメールの返事などを出していた。ふと、外を見ると、裁縫屋さんというのでしょうか、衣服の修理をする人が目に入った。そこで、ズボンのポケットの中の穴をなおしてもらった。1万Rp払った。そのポケットに何か入れると、足元に落ちてしまっていた。速報 マンダムMM2100 ガス爆発(小規模らしいが)による火事が9時過ぎに有って、従業員一人がなくなった、15人以上の怪我人、隣の会社に電話して、聞いたら、周囲の会社は何事もなく、11時頃には、騒ぎもなくなったと言っていた。杞憂 雑談 世間話
2015.07.10
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2365 朝、家にいる時に電話が掛かってきた。ある会社から、突然、呼び出しが掛かった。呼び出しの内容は知らされなかった。現在、取引がない会社なので、何か、新しいアイテムに関する相談かなと思った。その会社には、半年前 昨年12月くらいに、責任者が新製品の見積もり依頼を受けて、試作注文をもらっていた。パイプだが、サイズが10種類くらい有ったらしい。試作納期の回答もしてあって、金型を作り、試作を始めた。ところが、金型を一種類だけ作って、試作し、それは、OKになったという。その後、どうなったかというと、次の金型を注文していなかった。その客先には、注文したから、いついつまでに、次の試作品を出せると返事してあったという。その内、向こうのインドネシア人担当者が、変だと思ったのでしょう。いつまでにできるか、再度。確認された。その時の返事が、「装置が足りなくて、試作を入れることができなかったが、今月にもう一ライン増えるので、今月末から試作に掛かれる」と言ったらしい。その今月とは、4月末のことでした。その時、先方の日本人担当者が、変だと思ったのでしょう。最初の話では、一か月もすれば、いくつかの試作品が提供されて、順次、量産に持って行けるはずだったのでしょう。四か月も過ぎているのに、まだ、一種類だけとか、誰だって、変に思う。そして、私に直接、意見を聞きたいと言って来た。その時、私は、その製品に関して、何も知らされていなかった。初めてその話を聞かされて、“今月末に装置が増設されると聞いているが、大丈夫ですか”という。「えっ?増設、今月末?」全くの嘘、中古の押出機が今月末に入るとは聞いていたが、私は、それすら、信じていなかったし、水槽や引取機などの注文もしていない。私は、正直に言わせてもらいますと前置きして、「この仕事を受ける体制になっておりません。期待を持たれていたのでしたら、済みませんが、この話は、無かったことにしていただけますか」と、平謝りに、謝った。そして、それから、二か月以上過ぎた。まだ、その一ライン増えていない、中古の押出機は、あるが、修理しないと使えない。いつ修理するのか、聞いても無駄だから聞いていない。そして、その会社からの呼び出しが掛かった。責任者に、まだ、何かあるのかと、聞いたら、返事がない。会計の担当者に聞いたら、去年の12月から今年の2月に掛けて、その会社から、原料を購入したという。それの支払いをしていなかったが、昨日、してきたという。全部済んだのかと聞いたら、5000ドルの内、半分だけだという。半年過ぎて、やっと半分返したことになるらしい。その間、催促は頻繁にあったが、知らぬふりをしていたという。その事をその会社の日本人が昨日知ったのかもしれない。明日、どんなことを言われるのか。支払えと言われたら、どうしよう。立て替えろと言われたらどうしよう。前にいた会社と同じような会社にいてしまったことになるとは、思いもしなかった。頭も痛くなってきた。このことはオーナーに知らせた。オーナーは知らされていない。PCカバー クーリングダイから出てきたところです。どうです、単純でしょ。タマンセントサの中に建設中のアパートメント、2016年末完成だそいうです。参った 流石 心配
2015.07.09
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2364 出勤できず、一日中、ごろごろしていたが、体中が痛い、そして、部分的に痒い、小さい蚊が、どこからか入ってくる。蚊取り線香を三つ付けて、退治しようとしたが、目に見えないので、どこに行ったのか、死んでしまったのか分からないまま、夜になっている。私が寝たら、又、どこからか出てくるのではないかと思う。とは言っても、食料がなくなってしまうので、買い物をするためにチョッと外出した。昼1時すぎだったが、一日中部屋の中にいたので、日差しがまぶしく、異常に明るく感じた。自宅でゴロゴロしていても、TELは時々入ってくる。重要ではないものが多い。新規の製品の問い合わせが一件あった。夕方、その人たちが、ブカプアサで食事をしようということになって、出かけた。彼らの家がチカランバルだったので、ジャバベカまで出かけて行った。日本食レストランだったが、プアサ明けと共に出てきたのが、突き出しと例のチムンスリ(瓜の一種)の飲み物でした。私以外4人のインドンシア人は、気に入ったようだった。今日の話は、スズキの車関係の仕事で、1997年からトヨタ関係、その後、ホンダやニッサン、ダイハツの仕事を手掛け、ホンダ関係は、インドネシアから東南アジアに輸出をするそうで、かなりのキャパを必要としていた。そして、今日のスズキの話、この話が纏まれば、インドネシアの日系車の全部に、私が最初、提供することになる。トリムシートコーナーやヘッドレストカバートリムです。ナンブと手分けの形になりそうだ。ちらっとニュースを聞いたような気がした。ジャカルタ、バンドゥン間の新幹線に関してだった。いつになるのでしょうか、運転時間は40分だそうだ。カラワンに途中駅を作るとか、その何年後でしょうか、スラバヤまで、775kmだそうです。3時間だそうです。いつになるでしょうか。中国に持って行かれるのでしょうか。不思議な女性?が道の脇に座っていた。新規 トリム ブカ
2015.07.08
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2363 なでしこジャパン残念でした。2点取られた時、4点も取られた時、ショックでした。1点を返した時、ちょっと、ほっとした。2-5で負けた時、残念だが、良くやった、と思った。ギリシャ。緊縮財政反対が圧倒的だったという。借金を自己責任にしない国や会社や人っているものですね。借金を返さない側は、そこから、自らの力で立ちあがることができるのでしょうか。立ち上がれないことを、他国の、或いは、他人の所為にするのでしょうね。レバラン休暇前に、なんとか、話して置きたいと、私に来てほしいと言われ、KIICのある会社まで行ってきた。HIPSの角パイプ、中に小さな突起がある。技術的は全く問題になる個所はない。今、どこからかっているのかと聞くと、インドネシア内のある会社からだという。上手くできていないようで、NG品が多く、納期遅れが多く、問題なので、他を捜しているという。私の姿勢としては、インドネシア内で既に作られている製品を横取りしたくないが、そういうことなら、見積もりを出させていただきますと返事した。それでも、新しいラインが入る9月中旬過ぎの話である。最初2のゲートから入ろうとして、購買のインドネシア人に会いに来たと言ったら、ここではなく、向こうの1のゲートへ行って欲しいと言われた。それにしても、この会社、駐車場から玄関ロビーまで遠い、ざっと400m、くらいある。腰が痛いし、頭も痛い中、カンカン照り、入り口が二か所有り、1の方が下請け、サプライヤー用らしい。そこから入ったが、駐車場まで遠い、これは車だから良いが、駐車場から、ずっとむこうにロビーが見える。斜めに歩いて行ければ、まだ、ちょっとは近いが、三角形の二辺や四角形の三辺を行くように指示されていて、斜めに行けない。最初行った2のゲートは、そのロビーの正面150mくらいのところに有って、駐車場は、その中間にあり、ロビーに一番近い場所は30mくらいだった。2のゲートからは誰が入るのかと聞いたら、主に、この会社の日本人と日本人に会うためのお客さんだという。運転手を使っている人達のためでしょう。なるほど、私がロビーから出る時、すれ違いで、どこからかは知らないが、運転手を使った(当たり前)日本人の二人連れが、2から入ってきて、ロビーに横付けされた車から出てきた。私は、それを見ながら、また、400mくらい先の駐車場まで歩き始めた。従業員と納品と訪問者のゲートを区別するのは自然だと思うが、同じロビーに入る訪問者を種類によってゲートや駐車場を分ける会社は初めてだった。区別 差別 残念
2015.07.07
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2362 人数が足りないので、休むことができず、また、夜明け前からゴルフ。腰の痛みがまたひどくなってしまった。背中全体に鉄板を背負っている感じで、車の運転では、背もたれにぴったり張り付くように坐っている。多分、月曜日も在宅勤務になる。今までは、普通の椅子とデスクで仕事をしていたし、会社も同じだ。しかし、ここ三週間ほど前からの在宅勤務では、卓袱台と座椅子でPCに向かうようになってしまっている。ここに、坐って、ボ~~っとしている時間が心地よくなってしまった。その、ゴルフの中間、休憩の時に、空港、ターミナル2で火事があって、ゲート閉鎖になっているというニュースが入った。ターミナル2Eから濃い煙が上がった。スカルノハッタ、タンゲラン、バンテン、日曜日に朝、火は、ターミナル2Eのラウンジから出たと思われる。Asap tebal membumbung tinggi dari Terminal 2E Bandara Soekarno-Hatta, Tangerang Banten, Minggu pagi, 5 Juli 2015. Kebakaran itu diduga berasal dari sebuah lounge di Terminal 2 E. 15;00には2Eは正常に戻っているようです。今度の土曜日、11日辺りから、会社を休みにする会社も多いし、公務員もそのあたりから帰省するようになる。今日が、土産物の準備をする最後の日曜日なる。車で通過する道沿いにあるショッピングモールは、どこも、混雑しているようで、駐車場に入ろうとする車が左車線を塞いでいるし、入るのを諦めた車が、入り口を過ぎた路肩にずらっと駐車している。ムディック(故郷へ帰る)の乗り物や交通情報が始まっている。列車、航空機は勿論、フェリーや客船の情報も伝え出している。道路の込み具合と交通規制、迂回路や一方通行への変更なども伝えだしている。Pulang Pergi Infomasi Mudikです。 会社は12日から21日まで休みのようだが、ゴルフ仲間は日本に一時帰国か、どこかへたびにでるようなので、私自身は、安静にしているしかないと思っている。PCとTVが無くならないように見張っているでしょう。終の棲家 民族移動 故郷
2015.07.06
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2361 あちこち痛いのでゴルフは休み、だからといって、家にじっとしていられなくて、車で出かけた。次の金曜日辺りからムディックが始まる。11日12日は、本格的、大渋滞になると予想する。そこで、開通したばかりのチカンペックからパリマナン(Jalan tol CIPALIチパリ)までのジャラントールを走ってみることにした。元々、ジャカルタからチカンペックまでのジャラントールは、私が1996年に来た時には、既に開通していた。それ以東、チレボンやスマランなどの北街道へも、それ以南のスバン、バンドゥン、ずっと南のパンガンダランなどに向かう時は、このチカンペックの終点までいっていた。その後、チプラランのジャラントールができてからは、ほとんど、終点まで行く必要が無くなり、手前で、バンドゥン方面に行ってしまうか、ゴルフ場も手前だし、ブキットインダー工業団地も手前で下りてしまっていたので、久しくチカンペックまでは行っていなかったので、新しいジャラントールの工事現場を見ることもなかった。 そして、先ほど行ってみると、チカンペックは普通の只の出口になっていて、道路は真っすぐ東に向かっていた。チカンペックインターを過ぎると直ぐに、CIKOPOのゲートが見えてくる。チカランバラットからここまで9500Rp払い、新しいチケットを受け取る。三か所ほどのインターを過ぎて。PALIMANANに着く。その先も直進でジャラントールは繋がっていて、チレボンに向かう。ここまでで、ジャラントールから出る。96000Rp,チカランバラットから約125km、どうでしょうか、高速代1000円くらいです。ガソリン代は900円くらいでした。 ガソリンが少なくなり、手持ちのRpも少なくなって、帰りが心配になって、チレボンまでは行ってみなかった。道路の様子、舗装の70%はコンクリート、振動が激しいと思う。道はガラガラ、トラックは全然といっていいほど走っていない。このガラガラ道がムディックの時には、渋滞するほど、一杯一杯になるのでしょうか。サービスエリアは三か所有ったが、未完成、マスジットとトイレとガソリンスタンドだけしかないような状態だった。とにかく、車の姿が殆どなかったので、アスファルトの区間は平均140km、瞬間的には170km近いスピードが出ていた。自分でびっくり。しかし、それほどの感じはしなかった。むしろ、コンクリート舗装上を120kmで走っている時の方が、出し過ぎ感は有った。 両側の景色は退屈その物、田んぼとサトウキビ、紙の原料になる木が見えるだけ、殺伐としている100km、街は、道路からは見えない。遥か南にタンクバンプラフ(3000m弱)の山が見えるだけだ。 11時過ぎに家を出て。戻ったのが、14時過ぎ、実際ジャラントール上にいたのは2時間ちょっとだった。時間の割にガソリンが減るのが早いという印象だ。それだけ、短時間で長距離を走ったということになる。 とにかく、チカランからチレボンまで6時間くらいかかっていたが、今日の調子になら、2時間も掛からない。ただし、大型車はどうでしょうか、今日のように、夜は特に、料金の関係で、一般道(今までの道)を使うでしょう。殺風景 コンクリート 高速
2015.07.05
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2360 首が回らないのと腰が曲がらないのは、相変わらずだ。バッファリンで少しごまかせる程度。今週も、会社にいたのは一日平均3時間程度でした。昨日の妙な手紙とは別に、以前から、妙なSMS,妙なTELガ、入ってきている。どちらも、HPからとは限らない、ホームテレホンからも入る。誰からかは、わからない、そして、出した人も、私が、どこの誰かも分かっていないようだ。多分、適当に番号を入れて、流しているのでしょう。SMSの一つは、日本で言う、おれおれ詐欺、振り込め詐欺、そして、手渡し詐欺の種類だと思う。息子の友人とか警察らしき人からだ。交通事故とか借金とか病気などを理由にしているようだ。日本での手口を参考にしているのではないかと思うくらいだ。インドネシア人の従業員も、この被害が増えていると言って、太田さんも中止した方がいいよといっていた。勿論、私が誰かを知っている内容ではない。もう一つは、高利貸しからだと思う。何百ジュタをKTPのコピーがあれば、貸すというのだ。一般的な一軒家を買えるくらいの金額を貸すというのです。この誘いに乗ってしまった若い日本人を知っている。女性問題で家族という人や紐らしきプレマンに脅かされて、手切れ金を払わなければならない羽目になり、高利貸しに手を出してしまったのです。怖いですね。分けも分からない人から、なれなれしい電話が掛かってきて、俺のことを覚えているだろう。という、どこの誰だと聞くと、警察だという、何処の警察だと聞くと、ブカシだという。どうも、私を日本人という意識がない様子。会って、話さないかという。間違い電話でしょと言って、切ってしまう。覚えて貰いやすいので、私の電話番号を非常に気に入っている。その事は、逆に、適当に入力した場合に、私の番号と一致する確率が高いのかもしれない。だから、ミスコールやSMSが送られやすいのかもしれない。だからといって、愛着があるので、変えたくない。THR要求デモ、最近の一般的な街の風景。頻繁に焼けるトランスジャカルタ。多分、今年だけでも、10台以上は燃えていると思うし、事故も頻発している。 SMS ミスコール 詐欺
2015.07.04
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2359 私が、在宅勤務をしていた間に、会社に何通かの封書が届いていたようだ。宛先は会社のものもあり、私宛のものもあった。会社のアカンティングや責任者の話によると、この時期(ラマダン)こんな、手紙が沢山来るそうだ。始まったばかりのこんな小さな会社にも、もれなく、来るそうだ。全てがミンタ ウアンだそうだ。何も、反応をする必要はない、読む必要もないと言っている。私宛に来ている二通も、 私は、確認していない。どんな所からなのか分からないし、インドネシア語で書かれているし、私が開いて見たところで、何が書いてあるか分かる筈がないし、反応しようがないと思うので、会社の人に委ねた。どうせ、THRだよという。私宛には日本語で一通来ていた、それは、どんな所から来ているか、そして、どんな内容かも開く前から予想できるから、当然、開封して読んだ。勿論、内容はわかる。必要書類の携行についての注意だった。 分けのわからない手紙が来たら、現地の責任者に相談する事、自分では読もうとしない事、受け取ったという、サインを求められても、サインはしない事。こういう注意は必要です。最近、日本人が、会社やホテルやアパート、ゴルフ場や日本食レストランなどで、突然、イミグレ職員や警察だとなのる人が、パスポートやキタスを所持してか、いないか、チェックに現れたという話を聞く。自分がやられたという人には会っていないが、レバランが過ぎるまでは、要注意ですね。オリジナルとコピーの携行をお勧めします。こんな風景は日常です。多分小学生低学年の女の子が、二歳くらい子供を前に立たせた状態でバイクを運転している。脇を通るのは怖い。こういう状態を無くすことが先じゃないの?と思う。お金にならないことはしないのがインドネシアでしょうね。なでしこジャパンとイングランドの試合、オウンゴールBunuh diri自殺という意味です。この選手、気の毒ですね。一生、残りますね。 意味 不明 拒否
2015.07.03
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2358 10年以上前にキタガワで同僚だったスハルトさんが、尋ねてきた。同じジャバベカ2の中の韓国系の会社で営業をしているという。押出製品の話が出てくるという。私をそれらの会社に紹介したいが、どうですか?という理由だった。原料と製品の図面か写真と外側の大体の寸法をメールで送ってもらえば、見積もりは出せると言っておいた。オーナーから結論を貰った。今のこちらの責任者を止めさせると、現在、新しい装置のための銀行からの借り入れの手続きをしている。その、契約サインの権限を持っているのが、彼なので、サインが済んだら、すぐに止めさせるそうだ。一番の心配は、彼が、持ち逃げしてしまう(その心配は充分にあると思う)ことなので、予告なしに、やってしまうらしい。交代要員は既に紹介済み出し、経理担当の人も紹介した。おそらく、9月末までには実行されると期待している。久しぶりに、キタガワの時、一緒に仕事をしていた仲間の情報を聞くことができた。ライハナ(アナさん)という、聡明な総務担当の女性がいた。彼女は今、どこで、何をしているのか、気になっていたので、聞いてみた。子供が三人いて、家庭の主婦をしている。チビトゥンの南の方に住んでいるという。彼女には、色々な手続きでお世話になった。キタガワからナンブまでだった。私のHPは彼女の名義になっている。今はどうか知らないが、前払いのプルサではなく、使った分を後で払うというシステムを登録できるのは、会社の所有で契約するか、個人ではインドネシア人に限る、時代だったので、個人で持ちたいと頼んだら、彼女自身が契約して、私に渡してくれた。10年以上前から、使っている。電話番号は、今、こんな電話番号はないそうだ。桁が少ない、今は、ケタが多くなっている。覚えてもらいやすく、自慢の電話番号だ。全く使わない時の基本料金は2万Rp。結構、なんだかんだと使っているが、毎月の支払いは4万Rp(390円くらい)と、安い。インドネシア以外の国にいることを知らないで、普通に掛けた人は、後で、料金を見てびっくりするかもしれないが、その国の番号を入れる必要なく、インドネシアに掛ける番号そのままで、国際電話として、世界中、どこでも使える。勿論、インドネシアにいない時にこのHPは、使えるが、使わない。アナさんに、会ってみたいと思う。今度、HP番号を聞いてみようと思う。その他にも、懐かしい人の名前が沢山出てきた。乾季で風がない日のジャカルタ方面の空は、スモッグに覆われている。太陽が赤く見える。ブカ プアサにはまだ早すぎるが、カキリマの周りには、コーヒーなどを呑みながら、休憩している人が多い。断食月とは思えない。私もここで5000Rpのコーヒーを良く飲む。 首 懐かし 久しい
2015.07.02
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2357 押出機の修理が終わった。試運転も済み、12時間以上、オーバーロードのストップする事もなし連続運転が続けられている。これが、当たり前のことですね。順調に生産している時に、何の前触れもなく、けたたましいアラームと同時にストップしてしまう。こんなことを繰り返していたのです。 前の会社はメンテナンスの会社、装置を貸して、原料代なども貸して、持ち込んで生産を始め、順調だったが、半年ほどして、時々、止まるようになってしまった。この会社、修理専門会社です、メカに強い人、電気関係に強い人、いるから、外からの修理依頼に対応して商売をしているのです。当然、この、時々止まってしまう機械の修理は得意にはずです。ましてや、部門が違うが、社内の事だ。 原因追求と修理を頼んだ。そして、何らかの修理をしてくれた。それから、暫くして、順調だったが。また、止まるようになってしまった。それを半年くらいの間に、3回繰り返した。オペレーターは常に、いつ止まるのではないかと、心配していた。この会社の人達、首をかしげるばかり。こんな状態なのだから、客先が他の会社なら、修理代は払ってくれないでしょう。 これらの装置を今の会社に売ったわけだが、この装置を買う側は、一年の保証を頼んだが、受け入れられなかった。それから、今の会社でも、時々、止まってしまう現象は続いていた。メンテナンス専門会社が直すことができなかったのです。そして、その会社、修理できなかったにもかかわらず、何回か修理をしたとして、その金額を、その部門の損失として、私から借りていた金額から引いてしまったのです。酷い会社ですね。 また、今の会社の責任者も、自分が知っている修理屋に頼んで修理をしたようだが、一向に直らない。度々止まるまま、機械の修理ができないのです。もう、放っておけないので、オーナーの許可を得て、私が知っている、別のメンテナンスの会社に修理を頼んだ。モーターなどのセッティングの仕方を変えるなどして、一週間後、修理が終わった。今日からPCカバーの生産が始まる、1万本作る。今後は、何の前触れもなく、突然止まってしまうことがないように祈る。 ここの責任者、私に、何故、治してもなおしても故障をするのか、と聞く。話は簡単だ。完全に治していないからだよ。この時期、当たり前にみられる風景です。ほとんど例外なく、どこの会社にも垣根越しの食べ物や飲み物を売る人が来ていて、それを買って食べている。どの会社も、普段は、ケータリングといって出前弁当を取っているが、プアサの期間中は、それをしないで、その代わり、食事手当を支給するのが慣例だ。離陸から2分後、スマトラ島、北部の大都市、メダンの空港から発信したヘラクレス、輸送機だが、空中給油機として使われていた。離陸後、間もなく、エンジンの変調に気が付き、空港へ引き返すと連絡直後、人口密集地に墜落した。12時すぎでした。乗員 101人 クルー12人全員絶望、地上の犠牲は、ジャカルタタイム20:00現在66人確認されている、合計179人だが、なお、相当数増えるでしょう。Hercules yang jatuh merupakan pesawat junis tamkel Pilot meminta reture to base diduka masin rusak イスラムのブカ プアサの番組どころではなく、ブレーキングニュースを流し続けている。 墜落 修理 順調
2015.07.01
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