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さて、今日の授業は、7時~9時。シャワーを浴びたりとか、食事をしたりとか、出勤の準備は4時くらいから始めれば、余裕かな、と。せっせと、今日が締切の数学の問題選定に励む。午後4時を過ぎて。そろそろ、シャワーを浴びようか、しかし、その前に軽く運動しとこうかな、と。鉄アレイを百数回、振り回す。さて、次は、腹筋。・・・と、思った、その瞬間。7時からじゃなくて、5時からだよ!!と、いうことに、気づいた。現在時刻を確認。なんと、非情にも。 16:24pm!!!ぜ~~~ったいに、間に合わない。スタッフに電話して、受講生には1~2時間待ってもらうように、伝えてもらおう。理由は、『講師のスケジュールの確認ミス』。ハズカシイあああ、実に、10年ぶりに近い、大失態だよ。。。オウ、マイ、ガ~~ッ。 (←欧米か?! by タカ&トシ)と、一瞬、大反省をする自分。しかし。絶好調のときの自分は、ここからが違う。いや、待てよ・・・。電話するのは、ギリギリでいい。いまから、シャワーも浴びず、髭もそらずに、着替えだけして、出発しよう。そして、途中で、どうしてもやっぱり遅れてしまうと判断したら、電車の中からでもいいので、会社に連絡しよう。そう判断した僕は、Tシャツを脱ぎ、運動して汗だくになった体に性感剤、じゃなくて、制汗剤をたっぷりスプレーして、コロンをいつもより多めに振りかけて、Yシャツに着替える。ネクタイをしている時間はないので、電車の中で着けるべく、カバンに放り込む。駅まで、全力疾走。渋谷駅から会社まで。人ごみを、躱わして、躱わして、、、、、全力疾走。間に合った。 なんと、間に合った!!!あまりの奇跡的な強運に、驚いている間もなく、とりあえず、いつもどおり、会心の授業を無事に終える。授業を終わった瞬間、ふと思った。16:24 という、まさにギリギリに間に合う時刻に、自分の勘違いに気づいたのは、なぜだろう。自分は、とてつもない強運の持ち主なのだろうか。それほどまでに、自分の普段の行いは善いということなのだろうか。
Sep 12, 2006
最近のお気に入り。のむ大豆。 口当たりのよさとかはどうでもいいから、とにかく健康にいいもの、体にいいものを。と、求める人には、ぜひお奨め。 -----------------Skype 初体験。先月からアメリカに住み始めた親友と。地球の反対側にいる人とでも、何時間でも、無料で、テレビ電話で会話ができる。こんなに便利なものがあるのに、そして、その存在は知っていたのに、どうして今まで利用しなかったんだろう。というか、こんな便利なものの存在を知っている人たち、どうして皆に利用を奨めないのだろう。パソコンの常時接続環境があるかぎり、世界中のどこにいる人とでも無料で会話ができる。カメラとヘッドホンのセットも千円程度で買える。特に、遠距離恋愛中の人たちに、絶対お奨めだと思ったよ、これは。NTT Docomo や NTT の高い電話代を気にして通話を中断する必要もない。ボーダフォンの『LOVE定額』すら、払う必要がない。世界中のどこからでも、誰と何度話しても、無料。しかも、お互いの顔が見える。いや、僕みたいに、友だちが少ない人は、いいんだけどね。友だちが多い人は、携帯やNTT電話で話すヒマとお金があったら、ぜひ、Skype で話すべきだと、切に思うよ。
Sep 2, 2006
なんというか。最近は、夜の記憶が飛んでいる。要するに、それだけ速いペースで酔っ払ってしまっている、ということだ。たとえば昨晩など、かなり酔った頭で日記をアップしたらしいのだが、翌朝にはその記憶が、全くない。いや正確に言えば、ぼんやりとは何か書いた記憶が残っているのだけれど。何を書いたかは、ぜんぜん憶えていない。相当に酔っている時は、楽天でヘンなこと書いたら恥ずかしいと思ってアップしないように気をつけている(いた)んだけど、、、、昨晩などは、その辺のことあまり考えずにあっさり書いてしまった(らしい)。たとえば、数日前など。プロフィールの写真がいつのまにか変更されてるのに気づいて、われながら唖然とした。いつのまに、か。そう、ほんとうに、いつのまにか、に。この写真をプロフィールに載せようとするとは。さすが、酔った自分、と感心。そして、それをあえて意地でも外そうとしないのは、さすが、シラフの自分、と感心。そして今、こんなこと書いてる自分も、相当に酔っている。たぶん、明日の朝は、何を書いたか、記憶がないと思う。そんな日常。も、ときには、ある。
Sep 1, 2006
やっぱり最近は調子がいいんだな、と思う。この10日間、連続で休みがなかった。しかし、毎日が楽しくてしかたがなかった。3日連続で10時間の授業(5時間×2)があったりしたのだけれど。本当に、疲れない。ストレスが、全くない。仕事が、面白い。そう。こういうときも、ある。“「・・・したい」などという心はみな捨てる。 その代わりに、「・・・すべきだ」ということを自分の基本原理にする。 そうだ、ほんとうにそうすべきだ。” ―― 三島由紀夫
Aug 20, 2006
朝。目覚めると、午前11時を過ぎていた。昨夜は何時に寝たのか思い出せない。いつもよりも頭全体がぼんやりとして、靄がかかっている感じ。体も、なんとなくダルい。実に数年ぶりに、風邪でも引いたかな・・・と、漠然と思いつつ。階段を上がり、書斎へ。パソコンを開くと、就寝時刻がメモしてあった。たっぷりと酒を飲んだ夜は、だいたい寝る前に就寝時刻を記録しておく癖がある。翌朝になると、寝る直前の記憶が完全に失われることを経験から知っているからだ。記録を見ると、22:40pm 就寝。なんと12時間以上、眠り続けていたことになる。これなら、体調もおかしくなるはずだ・・・。「健康管理」という名前のエクセル・ファイルを開く。このファイルには、体重や体脂肪率のほかに、食事や運動内容も記録してある。昨夜の献立:めかぶ、もやし、冷奴、枝豆、ハム。焼酎ロック300ml、ビール350ml、レモン杯500ml、カンパリソーダ350ml、白ワイン300ml、ジャック・ダニエル100ml、赤ワイン250ml。たしかに、この量なら、久々に二日酔いになっても不思議でないな。そういえば、昨日は、突然、気分がなんとなくオチてしまったので、とことん飲もう、と思って飲み始めたのを思い出す。・・・・・・昼下がり。せっせと仕事メールを片付ける。受講生からの質問、学習相談、スコア・アップの報告。教務ディレクターからの教材作成依頼。営業スタッフからの特別クラス開講の相談。会社主催の暑気払いパーティーの案内。同僚からの個人的な依頼。・・・・・・夕方。すっかり体調も回復し、10キロ程度のジョギング。びっしょりと汗が流れるままに、鉄アレイ、懸垂、ベンチプレス、腹筋、という、いつものメニューをひととおり。入念にストレッチをした後、入浴。風呂上り。窓を吹きぬけていく南風が、なんとも心地よい真夏の休日。充実感。 “人生は何物にも値しない。だが、人生に値する何物も存在しない。” ―― マルロー -------------------------------- 「人生」を診断するテストを見つけたので、早速やってみた。こういうテストを受けるといつも思うんだけど、人間っていうのは、たった何十問かの質問に答えるだけで、ここまで的確に類型化できてしまうのだから、単純なものだ。おそろしいまでに、単純なものだ。「恋愛」についてのコメントには、自分でも爆笑。~あなたの人生は何点?~-採点結果-イーサさんの人生は70点です。ランクはBです。(最高:A~最低:E)偏差値は66.1 日本人の中で658万8792位です。項目別評価項目 ランク(A~E)心 A あなたはバイカル湖の水のように澄んだ心の持ち主です。誰とでも楽しく話せて、電車でお年寄りを見かけたら席を譲らずにはいられませんね。いつも人のことを考えて行動し、おまけにとても積極的な性格だから誰からも愛されています。これからも美しい心のままでいてください。 体 B あなたは普通の人以上に健康です。運動も得意な方です。なろうと思えば学校の体育の先生とか、地元のスポーツチームの監督くらいにはなれるでしょう。Aランクまでもう一歩。頑張ってください。 境遇 B あなたは平均よりはいい境遇にいます。しかし、あなたくらいの境遇では他の人の努力次第で簡単に抜かされてしまいます。境遇のすねをかじりすぎずに謙虚に努力してください。 恋愛 D あなたは少しもてないようです。いつも周りのもてている人たちを見ては、心の中で羨ましがっていますね。そして、もてないのは自分のせいじゃない、みんなが自分の良さに気付いてくれてないからなんだ、と思っていますね。この際はっきり言っておきます。あなたがもてないのはそういうところがあるからなんです。あなたのせいなんです。これからは正直に自分を見つめ直して頑張ってみてください。まだまだチャンスはあります。 コミュニケーション D コミュニケーション能力が若干劣っているようです。コミスキ(communication skill)があれば多少のことも話術でなんとかなりますが、あなたのレベルでは、むしろ実際以上に悪印象を与えてしまいます。自分のことだけ考えずに相手の立場に立ったコミュニケーションをとるようにしましょう。仲のいい少数の友達に対してや特定の話題なら楽しく話すことができても、それ以外の事は苦手ではありませんか?少しずつでも、他分野の人たちともコミュニケートしていく必要がありそうです。 将来性 A めくるめくバラ色の未来が両手を広げてあなたを待っています。将来は約束されていると言っていいでしょう。ひとえに今までのあなたの努力のたまものです。このままでの調子でがんばってください。 お金 A 日本人の上位7.8%の収入を得ています。あなたはお金になんの不自由も感じていないはずです。資本主義社会のピラミッドの頂点付近にいます。でも、お金を持っているぶん面倒な問題が増えるかもしれません。余ったお金は、友達におごるとか、慈善事業に寄付するとかして、財力に見合った人間になりましょう。 運 A あなたはものすごい強運の持ち主です。宝くじに当たったこともありますね。ジャンケンでは7割以上の確率で勝っているでしょう。安心してください。あなたには幸運の女神たちがスクラムを組んでがっちり守っています。
Aug 4, 2006
掃除とか,しているとき。ふと思う。生きているって,いいな,と。素直に,まっすぐに,透明に。そんな自分で,ありたいと思う。 --------------------------------- 最近のお気に入り。発芽玄米。玄米を少しだけ発芽させることで,やわらかく美味しくなり,栄養分も増大。実に素晴らしい食品。人類の英知。5合炊いて,一食分ずつ,ラップに包んで冷凍。食べるときは,ラップに包んだまま茶碗に入れてレンジで5分半。ラップをはがし,箸でほぐして,真ん中に穴を開け,温泉卵を流し込む。そこに納豆のたれをかけると,もう,その香りだけで,至福感。納豆の方には,温泉卵のたれをかけて,とろとろに。朝,起きるとき,何が楽しみと言って,温泉卵かけ発芽玄米ご飯の香ばしい匂いと,独特の食感をイメージするだけで,すっきり目が覚める。というわけで,最近の朝食は,だいたい献立が決まっている。温泉卵,発芽玄米,納豆,めかぶ,海苔,わかめスープ。3日に1度くらいは,これにキムチやヨーグルトが加わる。 ------------------------- ところで,昨夜は,社内の部署間交流会。(と称する合コン)31歳女。30歳男。26歳女。37歳男。初めての顔合わせながら,仕事や恋愛の話題で大いに盛り上がる。そんな中,僕が,「最近,心の底から本当に美味しい!と感じる食べ物は,卵かけご飯なんだ」と発言。すると,一人の女性が,「そういえば,子どもの頃,父親に卵かけご飯を顔にかけられたことがある」と言い出した。これには,みんな,一瞬,絶句。「卵かけご飯を,顔に。。。なぜ???」と訊くと。「家族で朝食してるとき,私が,いらんこと言ったから」彼女は,そんなお父さんが,とても大好きだそうだ。ぼくらもみんな,そんな彼女が大好きになった。 --------------------- “幸福になる必要なんかありはしないと,自分を説き伏せることに成功した あの日から、幸福がぼくのなかに棲みはじめた。” ―― アンドレ・ジード
Jul 27, 2006
例えば,親しい人が,少しだけ困っているとき。それと同時に,あまり親しくない人が,ものすごく困っているとき。そして,その,どちらかを選ばなければならないとき。う~~~ん。。。。選ぶんだよ。どちらかを。なので,選んだ。 しかし。自分は,選んだ後。とても後味の悪い感じで。後悔,しきり。 なんだか。自分が,とっても,ちっちゃい男になってしまったかなー,と実感。 "現実の自分が,もしかしたらなれたかもしれない自分に,悲しげに挨拶をする。" ―― フリードリヒ・ヘーベル 自分の存在が。あまりにも小さくて無力。と,感じるとき。
Jul 19, 2006
“私の全存在は、生活の陳腐さに意味を与えるかもしれない、 いまだ知られざる何かを求めていたのであった。” ―― ユング 今日の授業は,あるとてもユニークな人のおかげで,クラス全体が非常にいい雰囲気になった。僕自身も,最高に愉快な気分になった。この人。先々週の授業初日に,休み時間が明け,クラスのほぼ全員が戻って来た頃に,僕に向かって言った。「この授業は,情報満載なのはいいんですけど,,,一度にいろいろな情報が入って来すぎて,理解が追いつけないです・・・」僕にとって,こういうフィードバックは大歓迎。謹んで受け止める。「あぁ。。。早口って言うことですか。それは,よく言われます。そうですね。気をつけたいと思います」「いえ,早口って言うか・・・」数秒の間。先に,僕が口を開く。「ん?・・・説明のスピードが全体的に速いということですか?もっと間を取りながら,ゆっくり目に進めた方がいいってことでしょうか?」「はい。。。そうして,いただけますか?」「あ,はい。。。気をつけてみます。では,もしわかりにくいところなどがあったら,たとえば,首をかしげたり,してみてください。あるいは,わかりにくい,という表情など,してみてください。そうしていただけると,こちらとしても,スピードを調整しやすくなりますので。いや,でも,そういうコメントやフィードバックは大歓迎ですので,ほかの皆さんも,何か気づいたことがありましたら,どんどんおっしゃってくださいね。メールで頂いても結構です。あそこのあの説明は,ちょっとわかりにくかった,とか。。。」で,授業が再開。クラス全体の雰囲気が,一変。僕が,みんなの表情を見ている,という緊張感からか,あるいは,そういう意見があったことによる刺激からか,受講生たちの集中力が一気に高まったのを,肌で感じとることができた。しかし。なんと。「理解が追いつけない」と言い出した張の本人,授業が始まって5分後くらいに,寝てしまった。これには,びっくり。超びっくり。ときおり,目を開けるが,やはり,どうしても耐え切れない様子ですぐに目がとろんとなり,寝てしまう。ああ,この人。きっと,おそろしく勉強に不慣れな人なんだろうな。あるいは,今日に限って,睡眠不足なのだろうか。それにしても,あんな発言をした後に,寝てしまうかなー。神経がフツーじゃないんだろうなぁ,と,すっかり感心。しかし,大人だし。しかたがないな,と思い,放っておくことにした。授業後。あえて皮肉も兼ねながら,「やっぱり,わかりにくかったですか??」と,その人に訊いてみた。すると,「いえ,,,だいじょうぶです。ついていけるように頑張ります!」と言いながら,初回授業アンケートを僕に差し出す。オフィスに戻って,それを読み,再び,ずっこけた。アンケートの「早すぎる」「難しすぎる」「わかりにくい」という欄に,丸印。いやぁ。。。寝ている人に,どうやって,わかりやすい授業をせぇって言うんだい。それに,ぜんぜん「だいじょうぶ」じゃないじゃないか。言ってることと行動が,あまりにも違いすぎる。もう,この人,面白すぎて笑うしかなかった。そして,自由コメントの欄には,「今日は体調が悪くてついていけませんでしたが,ついていけるように何とか頑張りたいと思います」という記入。まあ,このあたりは,しおらしいと言えばしおらしいが。。。しかし。2日目も,この人,最初の方こそ,集中しようと頑張っていたが,やはり,途中で耐え切れなくなった様子で,授業の大半を寝て過ごす。授業にきている意味ないじゃん,と思いつつも,まあ,相手も大人だし,と思って,そのまま放っておくことにした。すると。3日目。大事件,勃発。宿題の解説が一通り終わったところで,「何か質問がありますか?」という僕の問いかけに対して,またもや,その人が発言。「まだ,ぜんぜん説明が早すぎると思います。重要なポイントは,もっと丁寧に強調して,進めてほしいです。もう少し噛み砕いて説明していただかないと,理解が追いつきませんので・・・」などと,言い出した。「んー,,,,重要ポイントは,きちんと強調しているつもりですけど・・・たとえば,さっきのこれなんかも,一度だけではなく,何度もゆっくり強調してほしいということですか?」「はい。そうしていただかないと,内容が頭にきちんと残らないと思うんです」このあたりで,クラス全体の雰囲気が,いいかげんにしてくれよ~,という表情になる。「いやぁ,,,でも,私の授業は,テンポよく進む,というスタイルで確立していますので・・・それは,ご自身の求める授業のスタイルと,私の授業のスタイルが違う,ということを仰りたいだけだと思うのですが・・・先日お話したように,首を傾げたり,不明な点があれば,どんどん質問していただいても結構ですし・・・」「いや,それじゃ効率が悪いと思うんです。逆に,講師がこちらの求めるスタイルの授業をすれば,受講生の満足度も高くなりますし,それが,結局,お互いのためにもなると思うんですよ。こんなふうに感じてるのは,私だけじゃないと思いますし・・・」「あぁ,,,それが,実はですね。初回に,そうおっしゃったので,ゆっくり授業をしてみたら,アンケートで,非難ゴーゴーだったんですよ。ペースを遅くしないでほしい,今のままでちょうどいい,という意見が,圧倒的に多かったんです。やはり,今のままのペースのほうがいい,と思っている方が,ほとんどだと私は思いますよ」「それは,わかりませんけど,,,,私は,そう思いません。私と同じように感じている方は,多いと思います。」こうなったら,2人で議論していても,水掛け論。この人以外の受講生全員の授業中の目の輝きと集中力をしっかりと肌で感じていた僕は,1つの賭けに出ることにした。「わかりました。では,,,ここでちょっと授業が中断してしまったので,他の皆さんに,伺いたいと思います。この方の意見に,賛成,反対,,,,いや,どちらかというと賛成,あるいは,どちらかというと反対,という,いずれかに決めていただけませんか?皆さんのご意見を伺います。よろしいでしょうか?はい。では,どちらかというと,この方の意見に賛成,という方は?」挙手,ゼロ。「お一人も,いらっしゃらないですか? はい。では,どちらかというと反対,という方は?」9割以上の人が,挙手。僕はといえば,心の中で大きくガッツポーズ。「はい。ありがとうございます。・・・と,こんな感じなんですよ,他の方のご意見は,,,。なので,やはり今のままのスタイルでいきたいと思います。もし,まだ何かご意見があるようでしたら,後ほど伺いますので。」と,そんなことがあってから。それまで以上に,クラス全体が,一体化した。今まで,授業のスピードが少し速いと感じていたであろう人たちも,クラスの大半の人が現在のスピードに満足していることを目の当たりにして,俄然,頑張ってついていかなきゃ,と思ったようだ。僕は僕で,クラスのほとんどの人が露骨に僕の味方をしてくれたことに対して,というより,僕の授業スタイルを本音で認めてくれたという嬉しさで,非常に,異常に,ハイテンションになった。ときおり交える僕の軽口に,何度も大爆笑が起きた。そして,驚いたことに。上の発言をしたユニークな人も,それまでとは人が変わったように,まじめに集中して授業に取り組むようになった。重要なところで,ノートもしっかりとるようになった。僕のネタにも,腹を抱えて愉快そうに笑っていた。休憩時間中に,彼に向かって「どうでしょうか?先ほどの話の続きを今した方がいいですか?」と訊くと,「いいえ。だいじょうぶです。完全に納得しましたので」という返事。その後も,この人も含めて,クラス全体が,非常にいい雰囲気。こうなると,もう,授業が,楽しくてしかたがない。そんな僕自身の気分が飛び火してか,他のクラスも,楽しい。すべての仕事が,最高に,愉しい。 “わたしは,どんなときにでも応用できるような政策をたてたことは,一度もなかった。 つねに,その時,その場で,最大に意義のあることを試みてきたに過ぎない 。” ―― リンカーン つくづく,人間っていうのは予測不可能で面白い。
Jul 15, 2006
ヤバイ。。。やばいくらいに,毎日が,楽しい。心地よい。充実している。ひょっとして,躁病なのか?と,思わず自己診断してしまいたくなるくらい。それはもう,最近は,24時間,ハイテンション。全く完全に,愉快な気分がとどまることがない,ノー・ストレスな日常。異常?うん。あるいは,そうかもしれない。このあいだ,など。朝,目覚める前,どんなに楽しい夢を見て,朝食がどんなに美味しくて,出勤前の数分間のひと時がどれだけ幸福感に満ちていて,そして何よりも,仕事がいかに快楽に満ちているか,そして,仕事の後のプライベートな生活がどんなにも自分にとってかけがいのない時間を提供してくれるか,行き帰りの電車の中での体験がどれだけ面白いか,ということを,ふんだんに数値を使ってリアリズムで克明に記した日記を書いたのだけれど,,,,,それをアップしようとしたところで,残念なことに,誤って文章を全部消してしまった。まぬけ。せっかく,時間をかけて書いたんだけれど・・・。でも。これは,今思うと,アップしなくてよかったかな,とも思う。それほど,ふだんの日記よりもはるかに,自己満足と自己陶酔に溢れていた。(いや,普段の日記がいかに自己満足と自己陶酔と自意識過剰に満ちているかは,自分でも何となく,というか,かなりきちんとわかっている(つもりな)んだ。それでも,それをはるかに上回るほどだったから,やはりちょっと,救いようがない感じ。)というわけで。このところ。こんな感じ。・・・・。うん,わかってる。心配だよ。自分でも。 “10歳にして菓子に動かされ、20歳にしては恋人に、30歳にして快楽に、 40歳にしては野心に、50歳にしては貪欲に動かされる。 いつになったら人間はただ知性のみを追って進むようになるのであろうか。” ―― ゲーテ
Jul 15, 2006
真夏日。全身を汗が滴るにまかせて、読書。少しだけ開けた窓を吹きぬけていく風。やわらかい音楽。薄く淹れたアイス珈琲の香り。至福感。 -------------------自分は、つくづく夏という季節が好きなんだな、と思う。そういえば、もう3年くらい、自宅でエアコンや扇風機を使ったことがない。正確に言えば、客が来たとき以外は、ということになるけれど。一人でいるときは、冷房器具は一切使わない。今日など、軽く5リットル以上は水分を摂取したから、ちょっと体を動かしただけで、どっと汗が出てくる。一日中、シャツから汗が乾くことはない。入浴後は、暫くのあいだ滝のように汗が止まらず、バスタオルが最低4枚は必要。3枚だけだと、全部ぐしょ濡れになってしまい、拭き取れないのだ。しかし、慣れてくると、こういう状態が快感になってくる。水が美味しい。珈琲が美味しい。ビールが美味しい。部屋を吹き抜ける柔らかい南風が、ゾクッとするくらい心地いい。“人は地に法り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法る。” ―― 老子うん。夏は、思いっきり暑くて然るべきだ。 ------------------- ところで、減量作戦。52kg 前後で、体重が1か月以上ものあいだずっと停滞したままだった。なので、これはこれで1つのベスト体重なのかと思って、とりあえず減量は小休止することにした。酒をやめるか、筋肉を減らすか、あるいはプロボクサー並みに激しい鍛錬をすれば、もっと減らせるかもしれないが、まあ、今回はこれでいいかな、と。しかし、せっかくだから。最近、カロリー摂取量をどのくらい増やすと、どの程度リバウンドするかという実験を始めてみた。食事や運動量を増やしても減らしても、体重の変化にはそれほど大きく反映しなくなったことに気づいたからだ。たとえば、大阪出張の際なども、駅弁、うどん、たこ焼き、韓国鍋、その他ツマミ類も食べたいだけ食べた。しかし、大食いをした翌日、今までどおりカロリー制限の食事に戻しさえすれば、すぐに体重が減るようになった。<朝の体重の推移> ↑ちなみに、55kg に跳ね上がったのは、昼食に回転寿司を食べたいだけ(12皿)食べて、夜に同僚と焼肉を食べたいだけ食べ、酒を飲みたいだけ飲んだ後、午前3時まで居酒屋で飲み普通にツマミも食べた、翌朝。そんな暴飲暴食をした後でも。2日後には、きちんと体重が元の52kg台に戻っている。不思議。 --------------------画像をアップしたら、「脳年齢チェックゲーム」の広告があったので、やってみた。診断結果: 「あなたの脳年齢は、超17歳です」「超」って・・・・。いや、でもこれ、平均的な17歳未満の子どもがやったら、普通の大人より成績悪くなる気がするけどなあ。。そもそも、「年齢とともに脳力が衰える」というのは完全に迷信であって。池谷裕二をはじめとした脳科学者が言っているように、脳の能力は、アルツハイマー等の病気で物理的に破壊されない限り、実は年齢とともに向上するのだ。『歳をとったせいで、記憶力や思考力が鈍った』と考えている人の多くは、自分達が学生時代には毎日、少なくとも何時間も授業を受けて記憶力や思考力を鍛え続けていたという事実を忘れている。単に、大人になって、新しい物事を記憶するという作業から遠ざかっているからとっさにテストされてもうまく反応できないだけなのであって。何日間か訓練すれば、すぐに記憶能力は元に戻るはずだ。僕自身、毎晩浴びるようにアルコールを摂取している割には、現時点での脳力が、今までの人生の中で最も高いレベルにあると実感している。酒とか、年齢とか、夏の暑さとか、そんなものでは、人間の脳はビクともしないように精巧かつ頑丈に、造られているはずなのだ。“神様、自分では変えられないことを受け入れる平静さと、 自分に変えられることは変える勇気と、 そしてそのちがいが分かるだけの知恵をお与え下さい。” ―― マイケル・J・フォックス
Jun 28, 2006
“いまぼくがひたすら望んでいることは――存在すること(to be)なのだ。 どうか忘れないでほしいが、この不定詞は中国語では<他動詞>なんだよ。” ―― ヘンリー・ミラー「南回帰線」 ----------------------- はじめての、大阪出張。・・・とはいうものの、仕事は、実質3時間。なので、この際、せっかくだから思いっきり観光気分を満喫しよう!と、最初から心に決めていた。あいにく、天気は雨だったけれど。 仕事が済んだ翌日、ちょっと足をのばして、明石港に行ってみたり。 明石海峡、雨で景色をあまり楽しめなかったり。 (ちなみに、左の方にうっすらと見えているのが明石大橋。右の方にぼんやり見えているのが淡路島。)それでも、今回の旅では、関西地方の文化に心ゆくまま触れることができたのが、何よりの収穫であった。僕が(あくまで個人的に)感じた、関西と関東との文化の違い。その1:エレベーターの階を選ぶボタンが、外にある。いやぁ、これは、関西文明の方が進んでいるな、と、ずいぶん感心させられた。たとえば、東京のデパートなどでは、エレベーター・ガールがいない場合、(というか、何ゆえにエレベーターで「上へ参りま~す」などという女性が、依然としてエレベーター・アテンダントなどではなくエレベーター・ガールと呼んでも、社会的に許されるのだろう。看護婦と呼んではダメで、看護師。スチュワーデスと呼ぶのはダメで、フライト・アテンダントならオッケー。なぜ、エレベーターガールだけ、だいじょうぶ??・・・と、ちょっと考えてみたんだけれど。理由は明白。エレベーター・ガールというものが、そもそも、日本にしか存在しなくて、西洋には、ないのだ。だから、誰もこの和製英語にだけは目くじら立てない。そういうこと。)ぎゅうぎゅう詰めになった空間の中で、「5階押して下さい」「すいません、9階、お願いします」などと、ボタンに一番近い人にすべてを依頼しなければ自分の降りたい階には止まらないシステムになっている。しかし、関西の(というか、とりあえず大阪で僕が乗った)エレベーターでは、そんな不便は、起こりえない。実に、すばらしいシステムである。その2:エスカレーターでの、立ち位置。Walk left. Stand right.カナダと同じ。東京と逆。(↑だから、何?)その3:道行く人々が、非常に、フレンドリー。というか、なんというか。親切。とても、親切。僕が、四つ橋線の入り口はこっちかな、いや、こっちの方が近道かな、などと悩んで、前からやってくる人(60代とおぼしき男性)に道を尋ねた。すると、その人、どうやら地下鉄のことなど、よくわからないらしい。なのに。「四つ橋線」など、今までの人生の中で一度も聞いたこともない、という表情をどうしても隠しきれない、その人。懸命に、最善を尽くして、僕がどうすればいいかを、教えてくれようとするのだ。僕は、心から丁寧に、礼を言って。その人の教えてくれた方向に進もうとした。と、そのとき。道端に車を駐車し、こちらの様子を窺っていた(らしい)人が、「四つ橋線?」と声をかけてくれた。この人の、「よつばしせん」という発音を聞いて、あ、この人の方が、断然、信頼できそうだ、と、直観的に判断。(ちなみに、最初の人は、僕と同様、「よつはしせん」と発音していた。)この人、なんと、わざわざ車から降りて、わかりやすいところまで一緒に歩いて、丁寧に道順を教えてくれたのだ。もちろん、最初の人のアドバイスは、全く的を外れているとはいえないけれど思いっきり遠回りで。車から降りて教えてくれた人の指示が、やはり、最短距離だった。しかし、どちらのアドバイスも、僕の心には同じくらいに温かく響いた。さらに、もう一度。別の場所で、大阪の地下鉄の非常にわかりにくい標識を見ながら右往左往していると、またも、背後から、にこやかに「どちらへ行かれます?」と、いう声。「新大阪へ行きたいんですけど、、、、JR線と、御堂筋線、どっちがいいかな、と迷ってたんです」そして、この人も、実に的確に、丁寧にわかりやすく、最善の方法を教えてくれた。たとえば、東京だったら。誰かが道に迷っていても、わざわざ自分から声をかけたりはしない。と、いう人が、ほとんどなのではないか。赤の他人に対しては、自分の助けがマイナスになることは決してなく、プラスにしかならないと確信した場合でもない限りは、お互いに干渉しないようにしよう、というのが、なんとなく暗黙にある、東京人の、ごく普通の感覚なのではないか。うん。やっぱり、これは、ひとつの文化なのだと思う。特に。↓こんな恰好のヤツが、標識見ながら、なにやら考え込んでいたら。 東京だったら、「どちらへ行かれます?」などと親切に向こうから尋ねられることは、まず、ありえないんじゃないかな、と。近寄って行っただけで、いきなり警察に通報されることはあっても。
Jun 23, 2006
晴天。五月晴れというのは、まさにこういうのを言うのだろうな、と感心したくなるほど爽やかな散策日和。Podcast(iPod用のネット配信番組)を聴きながら、鶴見川のほとりをウォーキング。そろそろと夏至も近づきつつあり、陽射しは、容赦のない高角度。--------------- Podcast のなかで、ABC Newsが、こんな話を紹介していた。同時テロの後、アメリカは、大きな賞金をかけて何百人というテロ関係者を捜索し、逮捕した。しかし、賞金稼ぎ達に大金を払って、ようやく捕まえた容疑者たちの中にも、よく調べてみると、テロとは全く無関係だった、という人たちも大勢いる。無実にもかかわらず、アメリカによってテロリストとして収容され、現在は釈放されている「元テロ容疑者」が、世界中に何百人もいるそうだ。ある中国在住のイラン人男性は、アフガニスタン旅行中、銃の使い方を知っている、というだけで、タリバンの訓練を受けたと疑われて逮捕され、悪名高きガンタナモ収容所で、3年間、非人間的扱いを受けた。当時のアフガニスタンでは、銃など、そこら中の家にあったし、タリバンが国の全システムを支配していたわけだから、タリバンと全く関係をもたないままで生活することの方が難しい。「銃の使い方は、好奇心から自分が独学で習ったもので、タリバンから訓練を受けたことは一度もない」という彼の主張が認められたのは、ガンタナモに3年間収容された後だった。しかし、彼にとっては、その後の1年2か月の方が、はるかに辛く苦しい日々だった、という。無実が認められた後も、送還される国が決定するまでは、別の収容所で過ごさなければならない。ガンタナモにいた頃に比べたらはるかに生活環境は改善したとはいえ、毎日、ミルクの紙箱で作ったオモチャや、潰れたサッカーボールなどで仲間たちと遊んで時間をつぶさなければならない退屈な生活を強いられた。アメリカが自分を『犯罪者』とみなしていた間は、イスラム教徒として不当な扱いだと思いながらも、これも運命だと観念していたところがあった。しかし、アメリカから見て『無実』だと判明した後も、自由にしてもらえないという境遇に、虚しさと、憤りと、どうしようもない疲労感が襲う毎日だったという。ちなみに、「元テロ容疑者」たちの多くは、自分の国には戻りたがらない。一度、アメリカに「テロリスト」という烙印を押され、しかも、ガンタナモ収容所で数年送ったとなると、自国で差別的な扱いを受けるのは目に見えているからだ。たとえば、上記の男性の場合、中国に戻れば、些細な理由を口実にしては当局に逮捕され、差別的な扱いを受けるばかりではなく、拷問を受けたり、しばしば、密かに監獄で死に至らされたりすることがある。すべては、アメリカによる『テロリスト』という烙印が原因である。しかし、無実で収容した数百人の「元テロ容疑者」たちに対して、アメリカは被害補償をするどころか、謝罪も反省も全くしようとせず、どこか適当な国を見つけて送還し、釈放して、それでおしまい、なのだそうだ。・・・けれど、まあ、それが戦争というもの、なのだろう。無実だと判明した「元テロ容疑者」の4年半の収容とその後の人生に与えた損害に対して、アメリカがきちんと賠償しなければならない、ということになれば、アフガニスタンやイラクで「誤って」殺されたり怪我を負わされたり生活基盤を破壊されたりした、何万人という民間人たちへの補償はどうなる、ということになってしまう。 “法律の盾の下、正義の名の下に行われる暴虐ほど、醜いものはない。” ―― モンテスキュー 法という正義は、戦争という暴虐に対して、あまりにも無力なものだ。 ------------------ そんな報道に、もの思いつつ。強い陽射しのなか、1時間半くらい歩いた。すると、夜には、Tシャツの跡がくっきり残るほど、真っ赤に日焼けしていたので、びっくり。
May 29, 2006
2年ぶりに会う親友、T。「イーサさん!!! や、、痩せましたねー!!」「うん」「それに、髪の色まで変わって! まるっきり別人ですよ! たぶん道ですれ違っても気づかなかったと思います。すごい変貌ぶり」「8キロくらい痩せたからね」「保釈後のホリエモンみたいですね」「・・・・。それは、あまりうれしくない」Tは、大学の空手部時代の後輩でもあり、大親友でもある。かれこれ15年来のつきあいになる。かつて、一緒に法律の勉強会をしていた時期もあった。そんな彼が、今年の3月、法科大学院を卒業した。記念すべき、日本における「法務博士」第一期生。一昨日、新司法試験の全科目を終えたということで、飲みに誘ってくれたのだ。彼にとって、実に2年ぶりに飲む酒。大学院仲間もたくさんできたのに、まず最初に僕と一緒に飲みたいと思ってくれたことを光栄に思った。ところで、久しぶりに彼と話している途中、ある現象が起きていることに、ふと気づいた。「これ、ささやかだけど、卒業祝い、ってことで」「えっ!? いやぁー。ありがとうございます。開けていいですか」「もちろん」「何だろう・・・。あ、イーサさん、次、何飲みます?同じのでいいですか?」「いや、メニューを。そう言えば、弟さん、独立して店を出すなんて、すごいね」「一緒にボクシング見に行きましたよね。最近は、亀田兄弟に注目していて。。あーっ!?万年筆ですか。。。これは、こんな高価なもの、どうもありがとうございます」「うん。それ、ヘッドの部分が通常より大きいので、書き味がしなやかなんだよ。亀田兄弟は、僕も好きだよ。ちょっと小生意気だけど。。本当に強い相手と戦うところ見たいねぇ。えっと、僕は、ジン・トニック。あの頃とは見違えるほど、一人前になってるんだろうね。ボクサー目指してた頃とは・・・」「はい、ぜひ、機会があったら、食べに行ってあげてください。亀田兄弟は全員、世界チャンピオンくらいにはなれるでしょうね。レモン・サワー1つ。ちょっと紙に書いて試してみてもいいですか?あ、でも、買ったばかりはインク入ってないですよね。これ、店の名刺、渡しときます」「いや、頼んで入れといてもらったよ。予備のインクも箱の底に入ってるよ。さっき慌てて選んだんだけどね。店の人に相談しながら。今度、大阪に出張があるから、そのときにでも、時間があれば、行けるかな。一番下が、一番大物になるんだろうね。大怪我とか事故とかなければ、ね。それ、細字のほうが小さい字をたくさん書くのにも実用的で、いいと思ったんだ」「うん、たしかに。なめらかですね。。一緒にボクシングを見に行ったイーサ、と言ってもらえれば、何かサービスしてくれるはずですよ」という具合。ごく自然に、2つか3つの話題が同時並行で進んでいた。お互い、相手の返事を待たずに、言いたいことだけをどんどん話す。相手の話が一区切りついたのを待って、2、3文ずつ、応答を返していく。まるで、パソコン上で、複数のウィンドウを立ち上げたまま作業を並行処理しているときのような、心地よい刺激。2年ぶりに会うのに、ここまで会話のテンポが噛み合うことに、驚いた。「試験が終わったということで、明日からは、ここ数年で一番のんびりできる時期なんじゃないの」「いやぁ、とんでもないですよ。合格してるかどうかわからないので。また明日から全力疾走です」「え、明日から!? もう来年のために勉強始めるんだ。。。すげえなぁ」「ところで、イーサさん、またゼミ再開しませんか?」「いやぁ、、、ほら、僕は最近もう、すっかり法律の方は、サボってるから、、、それって、甲子園出場校が草野球チームを合同練習に誘うようなものだよ」「そうですか。じゃあ、僕が、新試験の問題を講義形式で解説する、ということでどうですか。勉強再開のきっかけにもなりますし・・・」「うん、そうだね。じゃ、講師に少しでも知的刺激を与えられる学生になれるよう、できるだけブラシアップしておくよ」「楽しみです」これは、たいへんなことになった。“ 「なぜやらないのか?」と自問せよ。 あなたがやっていないことのほとんどすべてが、 なぜやらないのか、十分な理由がない。 ” ―― セス・ゴーディン
May 25, 2006
弟から、電話。ふだんは能天気で、おバカなボケが第一声だったりするのに、今回は今まで聞いたこともないほどの、沈んだ声。「バイクで事故、、起こしちゃってさ・・・」「え!?」怪我は? 他人を巻き込んだのか? 相手の被害は? いつ?と、矢継ぎ早の質問が頭に浮かんだが、こういうときは、相手に話をさせたほうが要点がつかめることが多いので、黙って話を待った。弟によると、左右を十分に確認せずに横から飛び出してしまったため、速度を落とさずに走ってきた原付バイクに、横から衝突されてしまったとのこと。左右をきちんと確認せずに飛び出した弟の方に、9割以上、非がある。相手も自分もバイクは壊れたが、それは自賠責保険でカバーできる。弟の怪我は、顔にちょっとした切り傷ができた程度で、相手の怪我は、手足の打撲程度で済んだ。しかし、相手が病院で「全治2週間」という診断書をもらったため、仕事を休んでいる間の給与の損害賠償+治療費として、14万円、請求されたそうだ。「相手は、怪我したって言っても、大して痛くなさそうだったのに。。。」「ふむ」「たぶん、オレの勘だと、相手は仕事にも休まず行って、その吹っかけてきたお金、丸儲けにしようとしてると思うんだ」「なるほど、それは十分、ありえるね」「診断書なんて、医者は、患者の言いなりで何とでも書くからねー」「うん、そうだろうね」「でも、オレが悪かったんだし、ケチってモメるのも見っともないから、その言われた金額だけ払って、それで話を収めようと思ってる」「なるほど。それが一番かもしれない」「ほんと、オレ、ついてねーよ」「ん、、、いやいや、それは、でも、すごい運がよかったと思うよ」「ん??」「バイク同士の事故で、その程度で済んで、ホントによかったと思うよ。もし、突っ込んできた相手の打ち所がちょっと悪くて、死んでたりしたら、一生、償っても償いきれないことになってたろうし・・・」「あー、、、たしかに。そう言われてみると、、、」「あるいは、相手か自分が、下半身不随とか、一生残る怪我になってたとしても、それはもう、大変だったはずだし」「うーん、、、、そういう見方は、ぜっんぜん、してなかったなあ」「それに比べれば、ちょっと賠償して、これっきりで済むなんて、本当にラッキーだったと思う」「いやー、なんだか、、、一昨日から、ずっと凹んでたんだけど、今の一言で、ぜんぜん気分が変わったよ」「あ、そうかい?」「肩から、すーっと力が抜けた感じ。やっっぱり、お兄ちゃんに話してよかった。気がホント楽になった」「うん、そりゃ、よかった。。。。あ、、、でも、失敗したかなぁ。この際、もっともっと落ち込んで、しっかり反省させといた方がよかったかもな」「いや、そういう問題じゃなくて(笑)。してるよぅ、反省。しーーっかり、大反省してますよ。おとといから、ずっと」「なら、いいけど」 “経験とは、起きた事柄ではなく、それに対してあなたがしたことを指す。” ―― アルドス・ハックスレー 経験を、どう受け止めるかは、心次第。 『何が起きたか』を考えるよりも、『何が起きなかったか』を考えることの方が、はるかに重要な場合もある。した経験よりも、しなかった経験にこそ、感謝すべき場合もある。
May 18, 2006
春。曇り空。薄く入れた珈琲を、時間をかけて味わう午後。中島美嘉のアルバム「BEST」「LOVE」「MUSIC」が交互に心地よく流れる部屋。乙一の短編集「さみしさの周波数」を読んでいた、ある瞬間。不意に襲ってきた、恍惚。この時間が永遠に続いてもいい、と思えるほどの幸福感。 “ 答えを出すこと きっとすべてじゃない あせらなくていいんだよ あなたも ” ―― 中島美嘉 / 「FIND THE WAY」 偉大な芸術の調和が、人の心にもたらすことができるもの。その大きさに、改めて感心させられた休日。 ------------------- ところで、GW中は、毎日7時間の授業があったので、エネルギー補給のためいつも間食をしていた。おかげで、もう少しでリバウンドしてしまう勢いで体重が増えてしまった。筋力トレーニングだけで、有酸素運動をしていなかったことも原因にある。慌てて、昨日はちょっと多めに運動して、強引に下降傾向に戻した。<朝の体重の推移>せっかく、2か月で約7kgの減少に成功したのに、この10日間、ずいぶん足踏みをしてしまった。でも、まあ、体つきは以前とは見違えるほど引き締まったので、良しとしようかな。<BEFORE> ↓<AFTER> ちなみに、↑これは、入浴後、体脂肪率が7%台のとき。現在、朝は12%くらい。 “体脂肪率な、家の体重計で計ったら5.8しかないねん。 試合と試合の合間、 いちばん高いときでも7とか8ぐらいやな。” ―― 亀田興毅風呂でたっぷり汗を流して、やっと亀田兄弟の最も体脂肪率が高いときと同じかい・・・。
May 9, 2006
昨日は、例によって鶴見川のほとりを12~13kmくらいジョギング。1時間くらいかけて、景色を楽しみながら、ゆったりと。2本の足で、どこまでも走りたいだけ走れる、悦びと充実感。恍惚感が、全身に漲る。自宅に近づいたあたりで、ふと、思った。現在の自分は、今までの人生の中で、最高に調子がいい時期なのではないか。精神的にも、肉体的にも。空手部で週4日稽古していた学生時代なども含めて。今の自分は、最も長い距離を走れる。最も体が柔らかい。最も全身の筋肉が発達している。最も体脂肪率が少ない。最も病気にかかる頻度が低い。最も仕事が充実している。最も私生活にゆとりがある。最も本を速く読める。最も記憶力・学習能力が優れている(気がする)。最も夜が激しい。もしも「人生のある一定期間における幸福指数」というものが発明されたなら、保育園時代か現在が、最も指数の高い時期という結果になるかもしれない。“幸福とは、幸福をさがすことである。” ―― ルノアール 幸福一般については、僕はよくわからないけれど。少なくとも「快楽」というものについては、待っていれば期待より小さくなり、自ら行動を起こせば期待よりも大きくなるもの、ということは言えそうだ。 ------------------ 乙一(おついち)という作家の作品を初めて読んだ。「GOTH [ゴス] 夜の章」という短編集。この中に収録されている「犬」という小説に、正直、度肝を抜かれた。びっくりさせられた。やられた。映画やドラマでは、絶対に、絶対に表現できない、実に小説ならではの仕掛け。少なくとも、僕自身、かなり頭を絞ってみたけれど、この作品のエッセンスを伝えつつ映像化する方法が思いつかない。古今東西の数千作品は小説を読んでいるつもりだけど、こういうのには今まで出会ったことがなかった。斬新、の一言。 “芸術ってのは、判断を超えて、「なんだ、これは!」というものだけが本物なんだ。 「ああ、いいですね」なんてのは「どうでもいいですね」ってことだよ。” ―― 岡本太郎 GOTH [ゴス] 夜の章。まさに、「なんだ、これは!!」という、強烈な衝撃を受けた一編。
Apr 29, 2006
昔から、現実と理想を、いつのまにか頭の中で混同してしまうような思考回路だったせいか。いつどんな状況になっても、根本的なところでは、まあ何とかなるはず、という楽観がある。だから、最後の最後まで、現況を一変してくれるような奇跡が起こることを、呑気に心から信じることができてしまう性格。しかし、僕の願う『奇跡』というものは、ときとして、破壊的かつ逃避的。小学生の頃など、何度、「学校が火事になって、無くなればいいのに・・・」と願ったことか。理由は、と言えば。宿題をやらずに寝てしまったので先生に叱られるのがイヤだとか、仲が良かった友だちとケンカしてしまい、会うのがどうも気まずいとか。今思えば、他愛もない。そして、大人になった今。つい、数日前までの自分が、ひたすら考えていたこと。「会社が火事になって、無くなってくれればいいのに・・・」理由は、と言えば。テキストの執筆が、締め切りに間に合わないから。と言うより、間に合わせようと思えば間に合うのだが、ペースを上げて必死に頑張るのが面倒だから。 じっくりと、自分のペースで納得のいくものに仕上げたいから。今思えば、他愛もない。なぜ、他愛もないかというと、先日、僕にとって願ってもない『奇跡』が起きたからだ。なんと。会社の都合により、テキストの締め切りが数か月先に延長!!!僕のほうは、会社に対しては強がって「4月末までにきっちり原稿を上げますよ」という感じのスタンスを保ち、涼しい顔をしていた。ところが、会社側にとてもとても複雑な事情が生じたため、原稿の執筆をもう少し待ってくれないか、と逆にお願いされるという成り行きになってしまったのだ。締め切りまで1週間となり、内心、相当にあせっていたから、僕としては締切延期は心から大歓迎。やはり、普段の行いが善い人間には、実に都合よく、奇跡が起きるものだ。 --------------- というわけで、時間にゆとりができた僕は、まだ行ったことがなかった六本木ヒルズをぶらついてみることにした。駅を出て、テレビ朝日の隣に降りてみると、都会の真ん中に、一瞬ふっと喧騒を忘れさせてくれるような空間、毛利庭園が出現。ほっとした気分で、ベンチに腰を下ろすと、しかし、突然、雷の轟音。大粒の雨も降ってきたので、屋内に避難することにした。建物の中に入り、所狭しと並ぶショップの数々を、ひととおり見物。斬新なデザインの家具や調度品、雑貨類などをウィンドウ・ショッピング。ミュージーアム・ショップと、おしゃれな雑貨の店には、特に興味を惹かれた。数あるレストランやカフェも、それぞれの店独特の工夫があって、食欲をそそられる。特に、独創的なメニューが目を惹く回転寿司屋には、あわや、ちょっと寄ってみようかという誘惑に駆られた。しかし、減量中の僕は、昼食はもちろん、ベル・エアーで。フィットネスジム「トータル・ワークアウト」がプロデュースしているテイクアウトも可能なレストラン。メニューはデリ形式で、好きな料理を好きな分だけ、大皿に盛り付けてもらう。欲張りな僕は、10種類のメニュー全部を1掴みずつ、大皿一面に盛り付けてもらった。しかし、カロリー値を計算してみると、なんと10種類を合計しても、200kcal未満!しかも、コーヒー / 紅茶も付いて、1000円(!)という価格。料理は、どれも非常においしかった。たんぱく質が豊富で食べ応えがあり、必要栄養素を満たしつつ、十分な満腹感。こんな素晴らしい店が家の近所にあったら、毎日、いや、ほとんど毎食のように通いつめてしまうことだろう。そろそろ、IT 関連企業の1つくらい経営して、ヒルズ族になってみるのもいいかな。食事をしている最中、一人の女性がジムを出て、トレーナーに案内されながら店にやってきた。黒くて大きな帽子を目深にかぶり、見るからに高級そうな衣装をまとって有名人オーラ全開。すらりとした長身。美しい茶色の髪が、大きな帽子にも収まりきらず肩口に揺れている。誰だろう、と好奇心が湧いたので、水をお代わりするついでに近づいてみると、マネージャーらしき人を相手に、何となく聞き覚えのある子どものような声と話し方。エアロビクスの復習でもしてるのか、店の端でステップを踏みぴょんぴょんと飛び跳ねる様子が無邪気だったので、思わずニコニコと微笑んで眺めていたら、目が合った。神田うのだった。なるほど、彼女もこのジムで、しっかり鍛えてるんだな。それにしても、、、かなり、優柔不断のよう。あちこち目移りしながら、ずいぶん時間をかけて、メニューを選んでいた。まあ、それだけ自分の好みや栄養等にも、こだわり抜く性格だということかもしれない。人生に対して、とことん主体的な、彼女らしい。 “理想の男性なんてものは、絶対にいないんです。 私は、この人と決めたら、悪い言い方をすれば、叩き直す。 良く言えば、調教していく。 受身で理想は実現しないですから。” ―― 神田うのやがて、料理をテイクアウトして、トレーナーに案内されながら、ジムに戻って行った。その後しばらくの間、コーヒーを飲みながら、ジムの中でトレーニングをしている人たちを見物していたら、なんだか、僕も、体がむずむずしてきた。早速、家に帰り。ベンチプレス、懸垂、腹筋、背筋、ストレッチをひととおり。フィットネス・ジムに通わなくても、「入会金+1か月分の会費」程度の予算さえかければ、そして正しい知識と意志さえあれば、自宅トレーニングでも、ジムとまったく変わらない効果は得られる。<朝の体重の推移>第4次停滞期に突入した模様だが、完全に想定の範囲内。あと7キロ減くらいが、とりあえず今回の減量作戦の最終目標かな。“『理想』とは、天空の星のようなもの。 我々は、決してそこに到達することはできない。 しかし、行宛のない大海原において、我々に進むべき方向を知らせてくれる。” ―― カール・シュルツ
Apr 25, 2006
そろそろ締め切りも近づき。今日は、10時間くらいパソコンの前に向かっていた。午後7時。まだまだ、じゅうぶんに余力を残しつつ。今日はこのぐらいで、と、早めに仕事を切り上げる。軽く運動した後、入浴。火照った体を、丸い氷を浮かべたジャック・ダニエルで癒しながら。雑誌に目を通したり、DVDを観たり、ブログを更新したり。ずっと以前の自分だったら、全力でやれば短期間で終えることができる仕事であれば、さっさと終わらせてから、他のことをしていただろう。特に、気分が乗ってきているときは、なおさら、趣味など後回しで、くたくたに疲れて眠くなるまで、集中して取り組みたくなっていたはず。しかし。これが今の自分の、バランス感覚。仕事も重要。私生活も重要。趣味も、同じくらい重要。 “210kmまで出せる車に乗っていても、60km制限を守る。 それが、大人になるということ。” ―― 映画「世界でいちばん不運で幸せな私」「どのくらい速く走るか」よりも「どう走るか」のほうが、今の自分には、はるかに重要なことに思える。少なくとも、210kmで走ることが必要とされる状況に直面するまでは・・・。
Apr 20, 2006
経験における『価値』とは、主観的なもの。後で冷静になってみると、自分が時間とエネルギーを費やした対象が、実は、それほどの客観的価値はないものだとわかった、と感じることがしばしばある。しかし、主観的にせよ、その時その場で、そのものに希少価値を見出したときの自分が納得して払った対価なら、後悔する必要は何もない。少なくとも、対価を払っていたときの自分は、満足していた。そして、対価を払っていなければ経験できなかったであろう感情も、経験できた。さらに重要なことに、『普遍的に客観的な価値』などというものは、存在しない。 ある経験に『価値』があるかどうかを決めるのは、常に、自分自身でしかない。 “人生は、認識者にとっての1つの実験であってよい。” ―― ニーチェ ------------------- さて、自分自身を用いた、もうひとつの『実験』。減量作戦のほうは、ようやく第三次停滞期を脱出。<朝の体重の推移> 1か月半で、-5キロ。当初の理想的な予定よりは1週間遅れのペースだが、まあまあ順調な滑り出し。しかし、今日のニュースで陣内孝則が役作りのために1か月半で18kgも落としたという記事を読んで、びっくり。90キロから72キロという重いレベルで体重を落とす方が簡単だとはいえ、相当な努力と苦労をしたはず。でも、まあ、他人は他人。快楽主義者の自分の場合は、今くらいのペースで落としていくのが、ちょうどいい。ちなみに、今回の減量作戦を開始するに当たって、心に決めておいたことがある。1.微塵も、無理はしないこと。(仕事や私生活に少しでも支障をきたしたら、本末転倒。)2.酒は飲みたいだけ飲むこと。(禁酒や節酒をしなければならない減量作戦は、継続できないと自分でわかっているので。例えば昨夜のメニューは、ビール500ml、ジャックダニエル・ダブル、カンパリソーダ2杯、白ワイン2杯という組合せ。)3.筋肉がついて体重が増えても、運動だけは止めないこと。(なかなか体重が落ちないのは筋肉が増えていることも原因の1つにあるのだが、運動を止めて肉体の免疫力を落としてしまったら、これも本末転倒。)4.必要栄養素は摂取すること。(健康を犠牲にすることは、論外。あらゆるものを犠牲にするに等しい。)5.睡眠とストレスに注意すること。(最悪の場合に、食事、睡眠、ストレス・コントロールという3本柱のどれかが欠けても、他の2つがきちんとしていれば、何とか心と体は持ちこたえられるもの)・・・・それにしても、なんだか最近、「ダイエット日記」みたいになってきた。
Apr 14, 2006
曇り空の日々が続いている。天気がよくないとジョギングなどする気にもなれず、この2日間、家から一歩も出ていない。部屋で、独り。テレビやDVDを観るのも、音楽を聴くのも、仕事をするのも、すべてパソコン上。だから、家にいる間は、必然的に、ほとんど一日中パソコンの前に向かっていることになる。やれやれ。でも、まあ、これはこれで、自分にとっては心地よいから、いいのだけれど。ちなみに、今日は同僚の講師が作成した解説の赤入れで、ほとんど1日費やしてしまった。反論には、エネルギーが要る。以前働いていた他校ではそれなりに有名だった講師だから、彼なりのプライドもある。なぜ、その書き方が不適切なのか、きちんと学問的な根拠を示して不備を指摘するには、意外に時間とエネルギーが取られるものだ。知識と経験の、ぶつけ合い。彼からの再反論が、とても楽しみだ。 ------------------------ 頭を冷やして。 あらためて冷静に自分を眺めてみると、どうやら、ちょっと意地になっていただけだったのかもしれないな。価値観の柔軟さや思想的な寛容さ、懐の深さなら誰にも負けない、ということを他人にも自分自身にも誇示してみせたくて。『それでも自分は平気なんだ』と、言い聞かせてきた。されど、人間関係。自分の気持ちだけを整理しさえすれば、全てがうまくいくというわけでもない。そろそろ、前に進むべき時なのかもしれない。 ------------------------それにしても、K-1。日本人が、意外に強い。山本KIDをKOした鉄腕ザンビディスに、佐藤が勝つ。韓国王者イム・チビンを、小比類巻がKO。そして、リトアニアの格闘天才、秒殺記録を持つレミギウスを、魔裟斗がTKO。 “負けるのが本当に嫌いだから、それまでの過程はどんなにキツくてもいい。” ―― 魔裟斗彼は、練習量も、遊んでいる量も、自分は誰にも負けない、と公言している。圧倒的なパワーを持った人間に、僕は心から魅了されてしまう。
Apr 11, 2006
さて、減量作戦の進展はといえば。ここ1週間ほど、体重にほとんど変化がない。横ばい状態を脱しようと、昨日は、ジョギングをいつもより増やし、カロリーも普段より減らし、風呂では汗を通常以上にたっぷり流した。なので、今朝は行けるかな、と思ったのだが、ほとんど体重に反映されていなかった。意外。 そこで、グラフをよく分析してみると、どうやら第3次停滞期に入った模様。<朝の体重の推移>生命体の恒常性維持機能。自分の体が、変化に対して必死に抵抗し、適応しようと、もがいている。その頑張ってる様子がグラフから如実に見てとれて、微笑ましい気分にさえなってくる。人間も含めて、動物は通常よりも飢えている状態が続くと、わずかな栄養分をも効率的に体内に取り入れ、蓄積しようとするシステムを発達させる。一日の食事回数が少ない人が脂肪を溜め込みやすい体質になるのも、ダイエット中、またはダイエット直後に、少しでも食事量を増やせば簡単にリバウンドをしてしまうのも、肉体が飢餓状態に備え、必死に適応しようとする結果である。だから、体脂肪率が低くなるほど、体重を落とすのが難しくなる。第1次停滞期よりも第2次停滞期の方が長かったことを考えると、再び減り始めるのに今回は、だいぶ時間がかかるかもしれない。でも、まあ、株価や景気同様、移動平均を分析すればどんな変化でも予測できるってものでは、全然ない。特に、生命現象というものは、不確定要因に溢れている。理論的にあれこれ予想しても、一瞬先には、理論や直観を完全に裏切るような奇跡的な出来事が起こってしまったりすることもあるから、この世界は面白いのだ。 ------------------- 奇跡という言葉で思い出したのだけれど、先日、懸賞で iPod Shuffle が当たった。 自分の普段の行いが、とても善いからに違いない。 “人生には、ただ2通りの生き方がある。 ひとつは、奇跡など何もないかのように生きること。 もうひとつは、あらゆるものが奇跡だと思って生きること。” ―― アインシュタイン
Apr 7, 2006
かれこれ、十年来の付き合いになる、親友の同僚がいる。ここ数か月、彼と一緒に飲めば、ほとんど必ず「朝まで」にならないことがないというくらい、意気投合している。朝まで何をしているかと言えば、2人だけで、延々と飲み、ただ、話し続けるだけ。話題はといえば、仕事、政治、学問一般、人生、世界、恋愛、悪さ自慢、、、、etc.要するに、何でも話せる相手、ということ。それでも、たいていは、朝6~7時ごろには、電車かタクシーで帰るのだが。あるとき、翌日が仕事、という日があった。よせばいいのに、例によって、朝5時くらいまで飲み続け、翌日は二人とも朝から授業があったので、しかたなく、カプセルホテルに泊まることになった。ほろ酔い気分で、さあ、寝ようか、と思ったとき。同僚が、なんと、あらかじめコンビニで買っておいたらしい缶ビールを2本取り出して、「もう寝るだけだし、飲もうや!」と言い出した。あ、朝の5時だよ。5時間後には、お互い、授業をするんだよ。と、内心呆れながらも、僕も相当に酔っていたので、喜んで付き合った。その日は、5時半ごろ寝て、8時ごろ起きた。授業は、朝10時から夜の7時半まで。休憩を除いて、8時間半。しかし、朝のうちこそ眠気を感じたものの、午後には栄養ドリンクのおかげで、むしろ、いつもよりハイテンションで、少しも疲労感がなかった。同僚も、同じような感じ。彼は今年、39歳になる。僕は今年、37歳になる。働き盛りが、二人。朝5時のカプセルホテルのロビーで、政治とか人生とか恋愛とか、缶ビール傾けながら、学生みたいに熱く語ってる姿って、いったい、どうよ。。。 “ 今僕らは 変わらない時代の尖端で 戸惑いながらも 未来へと続く扉を叩く 遍し空へ 偉人たちの涙を胸に 共に羽ばたこう 今じゃないけど 時は来るだろう ” ―― 森山直太朗 / 「例えば友よ」 ------------------ 最近、これはアリ(ぜひ人に奨めたい)、と思ったもの。1.DISCASツタヤのレンタルDVD, CDを、自宅配送してくれるシステム。貸し出し期限がなく、延滞料の心配がないのが嬉しい。ただ、店舗と比較すると、在庫が少ないのが欠点。2.スパークリング・ウォーター最近は、毎日こればかり飲んでいる。サイダーから砂糖を抜くという簡単な発想なのに、なぜ、日本でもっと早く流行らなかったのか、不思議。3.ゲルマ・パワー 温泉これを風呂に入れたときと入れないときでは、発汗量が断然違う(気がする)。4.グーグル・デスクトップ検索自分のパソコン上で、あるキーワードを含むファイルを、ネット検索と同様、一瞬で検索して一覧リスト表示にしてくれる。パソコンのファイル検索機能なら、ウィンドウズに最初からついているから、、、と思って今まで興味がなかったのだけれど、実際に使ってみて、その圧倒的な便利さに、感動。5.葡萄オイルのドレッシング味が、自分の好みにとても合っている。健康にもよい(はず)。最近、これはナシ(人にお奨めできない or 個人的にダメ)、と思ったもの。1.ターター・コントロール・リステリンこれを使うと、舌だけではなく、歯までが、気味悪いほど真っ青に染まってしまう。そのままでは仕事に行けないので、もう一度歯を磨いた。それでも、なかなか色が落ちない。どうして、あそこまで、どぎつくてしつこい青色着色料を使うのか。全く意味不明。2.カシオの電子辞書授業をしてると、ものすごく小さな音で、遠慮がちに、ピピピピ、と、電子音が響くことが、たまにある。そんな時は、決まって、カシオ。「すみません、電子辞書は、音が出ない設定にしていただけませんか?」「あぁぁぁ、、、すみません、音を消すにはどうすればいいか説明書で調べたんですけど、、、どうしても見つからなかったので、、、、もう、使いません。失礼しました」というやりとりが、今まで、少なくとも2度あった。初期設定で、ボタンを押すごとに音が鳴るのが、個人的にまず許せない。しかし、それは、どこのメーカーでも同じなので、まあそれは百歩譲って置いておくとしても。なぜ、カシオの電子辞書だけ、ここまで、音を消す設定に変える方法をわかりにくくするのか。全く意味不明。3.たれとからしが同時に出る工夫がされている納豆のたれパチン、と容器を折ると、ワンプッシュで、たれとからしが同時に出てくる。まあ、それを「便利」と感じる人もいるだろうから、全く意味不明、とまでは言わないけれど。しかし、僕のように、塩分は薄味が好きで、辛さは強いものを好む人間にとっては、単なるありがた迷惑な工夫でしかない。一般に、消費者の選択の余地を狭めるような画一化を目指す製品は、個人的に嫌い。4.某食品の内容表示前にも書いたとおり、最近は食品のカロリー表示を必ず確認するようにしている。先日、ツマミとして良さそうな真空パックの鶏のササミをコンビニで見つけた。早速、カロリー表示を見てみると、「100gあたり178kcal」とある。そこで、1本あたりの重さを確認しようとしたら・・・・↓この表示。 「1本」って・・・・。わざわざ表示しなくても、見れば、誰でもわかりますから。残念っ!!(←古。) ------------------------ 言い方を変えれば、最近、何かに対して、イライラとか、感じたのは、↑この程度ということ。限りなく、平和な日常。しかし、思えば、今現在。自分の人生の中の『台風の目』の中にいるようなものなのかもしれないな。遅かれ早かれ、想像を超えるパワーとスケールの『嵐』が、やってくる。そんな予感がしてならない、36歳の春。“ 不思議だね 時には全てをなぎ倒して 猛々しく吹く君の"風" よりそえば こんなにも優しくて あたたかいよ ” ―― 大暮維人「エア・ギア」
Apr 1, 2006
“花散れと 河岸に吼える 向かい風” ―― 伊々茶<通釈>川の土手を走っていると、体が押し戻されるほどの強い向かい風が吹き続けている。まるで、「開花したばかりの桜よ、みんな散ってしまえ」と、太い声で吠えながら桜並木に襲いかかっているかのようだ。そんな中、全部散ってしまいそうに見えて簡単には散らず、悠然と咲き続けている桜花は、なんと頼もしいことだろう。人生において、突然吹きつける思いがけない逆風に遭遇しても、この桜の花々のように、泰然自若と対処したいものであるなあ。 ----------------- 僕の体型は、太っても痩せてもいない「普通」という感じだったのだけれど、ふと「やせてみようかな」と思い立って、1か月前から食事制限を始めた。「あしたのジョー」の中で、ジョーと戦うため1日トマト1個だけで生活しつつ、激しいトレーニングをしてガリガリに痩せていく力石徹に強い憧憬を抱いた子どもだったので、食事を減らすこと自体には、個人的に抵抗感がない。19歳で初めて一人暮らしをしたときは、1日の食費200~300円で何日も生活したりして、1年後には10キロほど痩せたという経験もある。ところで、1日の消費カロリーは、平均的な男性で2,500kcal。1kg の脂肪を落とすためには、通算で7,000kcal分ほど、消費カロリーが摂取カロリーを上回る必要があるといわれている。実際は、運動量・基礎代謝量の違いや、ホメオスタシス(変化に対して、体が元に戻ろうとする働き)等の不確定要因も考慮に入れると、もう少し数値を厳しくする必要があるかもしれない。そこで、1日の摂取カロリーを1,500kcal程度に抑え、1日あたり-1,000kcal、1週間で-7,000kcal(-1kg)という作戦でとりあえず行き、体重減少が思うようにいかなくても、あまり気にしないで気長に減量していくことにした。スーパーやコンビニでは、カロリー表示がある食品か、自分が正確にその食品のカロリー値を知っているものにしか手を出さない。毎日、ベンチプレス、懸垂、腹筋、背筋、鉄アレイを、ひととおりこなす。熱い湯に入浴して、たっぷり汗を流す。水分を2リットル以上(アルコール入れると3リットル)摂る。ということを、日課にした。すると、いままでのところ、見事なくらい予定通り順調に体重が落ちている。<朝の体重の推移>今日はジョギングをしたので、入浴後に体重を測ると、53.8kgになっていた。翌朝には、たいてい前日の入浴後の体重より200g低いことが多かったので、明日の朝の体重は、53.6kgくらいになるだろう。もしそうなれば、1か月で最大5キロ落としたことになる。カロリーは抑えつつも必要栄養素は確実に摂取しているので、心身ともに絶好調。今のところ、精神的にも肉体的にも全く体に無理を感じないので、4月末までにあと3~4キロは行けそうかな。“自分にとっての満足の基準は、少なくとも、誰かに勝ったかどうかではない。 自分が定めたことを、達成できたかどうかなんです。” ―― イチロー
Mar 30, 2006
“ひとりの人間がどの程度まで『信念』にではなく『仮説』に基づいて生きていけるか、 限りない大海原に乗り出していけるか、これが力の充溢を測定する最高の尺度である。” ―― ニーチェ理性が欲しているのか、感性が求めるのか、一時の感情の高まりなのか。あるいは、それら全ての総体なのか。それとも、もしかしたら、この揺れ動く心自体、己の生み出した夢想でしかないのか。いずれの「仮説」が正しいにせよ、それが正しいかどうかは、行動を起こしてみないとわからない。 ------------------ 会社がブランド名を変更することになった。それにともない、テキストを全面改訂するということになり、3月初めに執筆を依頼された。締め切りは、4月末。まあ、2か月もあるし、と、掲載する問題をのんびり解きながら、余裕で構えていたら、ほとんど本文には手をつけられないまま、もう1か月が過ぎてしまった。やばい。。。と、言いつつも、内心はそれほど動揺していない。1日5ページずつ書けば、30日で150ページ。10ページずつ書けば、15日で終わる。自信過剰に基づく、根拠のない楽観。しかし時には、目の前に横たわる様々な困難や苦しみを少しも恐れない、この呑気さこそが、人間を前進させる大いなる原動力にもなっているのだと思う。というわけで、いよいよ、今日から、本文執筆開始。BGM は、シューマンの「トロイメライ」。『夢想』と名づけられた名曲に包まれて、脳が心地よい活動を開始する。 -------------------- <私信>僕が今日、どんなに安堵の胸を撫で下ろしたか、君には想像もつかないと思う。天使でも悪魔でもなく、自分自身の魂の声にしたがっておいて、本当によかった。これだけの困難を克服できるとすれば、もう何も怖いものはないという気さえしてくる。Where there is a will, there is a way.大事なときであればあるほど、目先の駆け引きや損得よりも、自分の信じる道に遵って生きたい。心からそう思った。
Mar 29, 2006
あなたの美しい部分醜い部分空虚な部分不快な部分一切を受け入れる覚悟ができたときぼくの魂が共鳴を誘う ------------------早速、『自己分析』の成果が、最高の形になって表れた。会心。あまりにも、会心。昨日と今日の授業では、自分でも驚くほど、クラス全体との一体感を満喫できた。授業を、成功か不成功か、うまくいったかいかなかったか、という二分法で考えるのではなく、とにかく、受講生にとって『価値あるもの』を提供しようとサービス精神を徹底した結果、受講生の満足度は大きく上昇し、自分自身も、大いに楽しむことができた。「成功を優先しない」ことによって、失敗を必要以上に恐れなくなっている自分に気づいた。だから、伸び伸びと言いたいことが言える。アドリブも冴える。そして、僕自身が話していて心地よければ、それが受講生にも伝わる。受講生に満足してもらっているのを実感することで、僕自身もますますテンションが高くなる。自分自身が集中するにつれて、受講生の求めているものが、こちら側に敏感に伝わってくるようになる。シナジーの、無限循環。振り返ると、最近、どこか無意識に「知識の切り売り」をしていたところがあった。すでに持っている経験と知識を、最低限必要なだけ頭から取り出して、提供する。それでも、技術次第でそれなりの授業にはなり、それなりの評価は得られるし、それなりの満足度は感じてもらえるのだけれど、やっぱり『心』が伴った仕事にはなってなかったな、と反省。“お客さんに「昔から変わらない味」と思ってもらうには、 本当に何も変わっていない味を作り続けていたらダメ。 世間の味覚の変化に合わせて、常に、少しずつ工夫を重ねてこそ、 「変わらない味」だと思ってもらえる。” ―― 今村五男(ラーメン店「春木屋」創業者) というわけで、今夜は、ワイルドターキー15年。いつもと変わらぬ味の中に、いつもと違った味わいを愉しむ夜。
Mar 26, 2006
春。天気や気温が変わりやすい日が、続いている。そんな季節だからこそ。僕が、今朝、ドトール・コーヒーにて、言い放った一言。「ホットのカフェラテ、アイスで!」(←元気よく笑顔で)店員さん、一瞬ぽかんとした後、次の瞬間、顔を真っ赤にして笑いをこらえていた。で、僕自身もヘンなことを言ったことに気づいたので、「あ、ちがう・・・アイスのカフェラテ、ラージで」(←平静を装い、無表情で)僕が小声で訂正すると、店員さん、なぜかすっかりツボにはまってしまったらしく、ついにケタケタと微妙に声を出して笑い始めた。もちろん、相変わらず、必死にこらえながらなので、顔はますます赤く、苦しそう。僕は、それを見て、「いや、いいですよ、そんなに我慢しなくても。思いっきり笑って」と言ってあげたくなったが、やはり客を笑ってしまうと、後で上司にきつ~く注意されてしまったりするのかもしれない、それはかわいそうだ、と考えたので、そのまま放っておいた。おそらく、この店員さんの頭の中では、何度も何度も「どっちやねん!」というツッコミの言葉が渦巻いて消えなかったんだろうな。 日によって、ホットになったり、アイスになったりがめまぐるしい、気まぐれな春の天気のおかげで、心がふっと和んだ朝。 ------------------ ところで、昨日は、実に数年ぶりになるかもしれない、衝動買いをしてしまった。渋谷のとあるデパートで、天才的なアパレル店員に出会ったからだ。スーツを後で買うため下見だけしようかな、と思い、まずフロアを一通りウィンドウショッピングして回ろうとして、1軒目の店に入る。しかし、その1軒目の店で、この店員に会い、なんと入店して約10分後には、「ぜひこの店で買いたい」という気分にさせられてしまったのだ。この店員、ブランドやファッションに関する知識が、驚くほど豊富。何が流行っていて、何が微妙に時代遅れか、どんな人にはどんな時にどんなものが似合うか、何がアリで、何がナシか、、、、立て板に水のごとく、後から後から、明快に言葉が飛び出す。説明が要領を得ていて非常に分かりやすく、たいへん説得力がある。熱心でありながら、物を売りつけようという押し付けがましさがない。客の褒め方が、さりげなく客観的。早口なのに聞き取りやすく、僕のコメントや質問に対する相槌のタイミングも、実に心地よい。会計のとき、電卓を4回くらい打ち直してから、ようやく電卓自体が壊れていることに気づくという、天然ボケぶりも最高だった。予算を軽くオーバー、、、どころか、予め予定していた金額の2倍以上の買い物をしてしまったけれど、ちっとも後悔はしないだろう、と素直に思う、いい買い物だった。「プロの仕事」というものに、久々に魅せられた。 “意識する存在にとって生存するということは、変化することであり、変化するという ことは、経験を積むことであり、経験を積むということは、無限におのれ自身を 創造していくことである。” ―― ベルグソンその仕事ぶりに本当に心の底から感激したので、僕の感想を、率直に店員に告げる。そして、若く見えるけれど相当に経験を積んでるのかな、と思ったので、この仕事を始めてから、どれくらいになるのか、と尋ねると、なんと「1年です」という答え。天才。と、いうものを目の当たりにして、鳥肌が立った。
Mar 24, 2006
朝。セブン・イレブンで、道場六三郎「梅煮しめと俵むすび弁当」を購入。一流の料理人が「自信があります」と言ってコンビニ弁当を作るくらいだから、さすがにとてもおいしいのだろう、と、あえて期待と想像力を膨らませてから食べてみたのだが、やはり期待通り、というか、あまりに期待通り過ぎて逆に期待を裏切られた気分になるくらい、きちんと美味しかった。食後、その場で引く抽選くじで当たったUCCの「いつものコーヒー」を飲もうとしたら「アイス専用」と書いてあったので水で少し薄めてから電子レンジで温め、クリープを入れて飲んだら、これもとても美味しかった。おいしい食事の後、おいしいコーヒーを味わうひとときは、1日のうちで最も楽しい気分になれる時間の一つかもしれない。今日は何をしようか、誰に会うだろうか、職場ではどんなことを話そうか、、、、ぼんやりと、そこはかとなく、思いをはせる。 昨日までの世界を回想しつつ。今日の、少しだけ新しい世界に出会う仄かな予感。 ------------------- 「クーリエ」創刊号。1号だけ読んで思わず年間購読を申し込んでしまったくらい、とても面白かった。海外1000メディアから発信されるニュースを厳選して編集しているというだけあって、政治、科学、文化、芸術、宗教についてのバランスの取れた視点。 特に、興味深かった記事内容:「半年で50kg減量のマラドーナ。同様の胃のバイパス手術を受ける人が中南米で急増」「インドの貧しい家庭で育った19歳の美少女テニスプレーヤー、サニア・ミルザ。テニス界に旋風を起こし、イスラム世界に論争を巻き起こす」「ロシアの日本車輸入規制反対のデモ。国内の自動車産業を守るため右ハンドル車を禁止しようとするロシア政府と、日本車に生活を依存する極東ロシアの民衆との対立」「RHS (Retired Husband Syndrome)・・・夫の在宅によるストレス症候群」「村上春樹の小説に対する姿勢と、海外での評判。規則正しい執筆生活。午後9時に就寝、午前4時に起床。11時まで7時間執筆。休憩を取らない。ヘミングウェイと同じ初稿執筆と推敲のスタイル」「ゴジラ松井に対する監督の絶大な信頼。マスコミに対する真摯な姿勢。試合結果について戦犯やヒーローを作りたがるアメリカのメディア」「“共産主義”中国の長者番付。推定資産17億ドルの1位は36歳」「韓国人の北朝鮮観。男女間、兵役経験者・未経験者間の価値観の相違」「フランス移民たちへの抑圧と差別と分離が、暴動を起こす」「女がすべてを決める島。徹底した女尊男卑。男にとっても究極の理想郷」「南米の氷河を削って金鉱採掘を企てる父ブッシュ」「9.11直後の世界のメディアの反応。感情的な記事、冷静な記事」「性の科学最前線。男女の快感の重点の違い。靴下を履いたら絶頂に達する人が50%→80%に増加。女性の平均12分、男性の平均2分半」「至高のワイン、ロマネ・コンティ。神の降り立つ葡萄畑」「インド産の最高級ローズオイル。50kgの花びらを15日間手作業で蒸留して抽出できるのは数滴」 「アニメ 『シンプソンズ』、アラブでは禁酒禁豚」「牛をマットレスで寝かせると睡眠時間が7時間から14時間に倍増。乳の質も量も向上」「5歳のときダーウィンにイギリスに連れてこられたガラパゴスガメ。オーストラリアの動物園で今年、175歳(1830年生まれ)」 “世界には、メディアの数だけ視点がある。” ―― 「クーリエ・ジャポン」より -------------------- 未熟であり未完であり何者かになることもなく何かにこだわることもなく日々つれづれに
Nov 22, 2005
解禁前日ボージョレー・ヌーヴォーが目の前に飲むべきか飲まざるべきか ------------------ 地元の人が水代わりに飲んでいたような安酒用のブドウ品種を、一代にして世界的に有名なワインへと変えてしまった天才的な味覚・嗅覚を持つ醸造家、ジョルジュ・デュブッフ氏。ボージョレー・ヌーヴォー 2005は、彼をして、「私の人生の中でも、今年ほど出来がよかった年は記憶にない」と言わしめるほどの品質らしい。 ------------------- うーむ。。。そうだ!僕がここで解禁日を破って飲んでしまっても。社会のどこにも、困る人は出ない。誰にも、ちっとも。迷惑をかけない。どのくらい迷惑をかけないかというと、平日の東急東横線の8号車(女性専用車両)に間違って乗ってしまい、車内放送で「8号車は女性専用車両となっております」というアナウンスを聞いてから、はっと気づいて、でも、あわてて移動すると恥ずかしがっていることがバレてもっと恥ずかしいことになるから気づいてないことにしたほうがよい、と一瞬で判断し、読書に夢中になっているためアナウンスなんてぜんぜん気づいてませんオーラを周囲に振りまきながら本を食い入るように覗き込み、目は泳ぎつつ心も上の空ながらも、読書に一心不乱に集中する男性客をひたすら演じ、次の駅で扉が開いてから堂々とホームに降りて、急いで7号車に移るくらい、誰にも迷惑をかけない。 ------------------ しかぁーし。物理的な制約も、倫理的な制約も、もちろん、法的な制約も、まるで存在しない状態でありながら。あえて誘惑を抑えて、日付が変わってから栓を抜く。それが、粋というものである。 -------------------- 束縛された状態が、長く、強く、続けば続くほど、自由を求める欲求は大きくなる。 ときには、目の前の小さな自由を実現することが、あらゆる不自由からの解放を意味するかのような錯覚にさえ陥ることがある。だけど、いつでも、本当は。自由か、不自由かは、自分の心が決めることなんだ。 -------------------- ↑とか、書いた直後に。つい、、、出来心で。栓を、抜いてしまった僕は。サイアクに。無粋な男です、はい。 ---------------------禁止する力が中途半端に弱いとき、自由を求める欲望は、ますます強くなる。禁止する力があまりに強すぎるときは、自由は、欲望することを諦める。 禁止されていない状態では、自由を意識しなくても、自由でいられる。 -------------------- <イーサの法則 その4> 解禁前に飲むボジョレは、朝の「あと5分」の寝坊と同等の快感と後ろめたさをもたらす。
Nov 16, 2005
夜も、更けて。いつものことながら、酩酊。ふと、非常に酔っている状態で文章を書くとどうなるか、という実験をしてみたくなる。これ、明日、正気に戻った瞬間に削除するかもしれないけれど。まあ、それは、それで。ビール、焼酎、梅酒、チュウハイの合わせ技がもたらすもの。とりとめのない、戯言。。 ------------ 幸せか?と問われれば、もちろん。と答える。本当に幸せか?と、二度問われれば、もしかしたら、こういうのは幸せとは呼ばないかもしれない。と、答えなおしてみたくなる。そんな日常。 “ なんにもないへやのなかにぼくは とりとめもない いきるいみなんぞをさがしてしまんだよ ” ―― 森山直太朗 --------------- それはそうと、僕は、美しいものが好きだ。正しいとか、間違っているとか、善いとか、悪いとか、心地よいとか、不快だとか、幸せだとか、不幸だとか、楽だとか、つらいとか、面白いとか、つまらないとか。実は、そういうことは、どうでもよくて。いや、どうでもよいというか、正確に言うと、それらの優先順位は、とても低くて。僕は、(たぶん世の中のほとんどの人とは感覚がずれているのは百も承知ながら、)あるものや、ある人が、美しいか、そうでないかを、心の底では、何よりも重視している。もちろん、自分自身の内面とか外面とかは棚のはるか上の上のほうに上げておきつつ。自分が感じ取ることのできる『美』に、憧れ、魅了される。 『美』という条件さえクリアしていれば、それが偽でも悪でも不快でも不幸でもつらくてもつまらなくても。たいてい。許せるような気がするんだ。 うつくしかったり、かっこよかったりするのであれば、悪でも不快でも不幸でも苦痛でも退屈でも、なにかと許せる、と思う。いや、たぶん。うつくしいとか、かっこいいとか、言うと、言葉が悪いけれど、ようするに、自分の心に素直に、いいな、と響いてくるものを、美しい、と呼んでいるだけなのだろう、と思う。 -------------- ところで、この世界で最も美しい数式は、0! = 1だと、思う。あろうことか、ゼロを階乗すると、1になる、というのだ。無も、がんばれば、有になる。何だか、すごいことぢゃないか。 -------------- 無病息災。適度に食べ、適度に眠り、適度に遊び、適度に働く。心の赴くままに享楽を甘受し、しかし、一線を越えて羽目をはずすこともなく。すべてが、無難。すべてが、幸福。すべてが、快楽。まるで。洞窟から脱け出せないまま。小魚たちの不自由をあざ笑う山椒魚。 “なんという不自由千万なやつらであろう !“ ―― 井伏鱒二「山椒魚」
Oct 17, 2005
身をまかせ濡れた体が小刻みに火照り震えるとき沸々と心のどこかで燻っていたなにかが目をさますとき静かなる闘志がふたたび漲り甦るとき新たなる夢が現実と歩調を合わせ始めるときさりげなく発した言葉が与えた以上の意味を纏うとき自分のなかの一切がつかのまの均衡を貪る-----------------------ここ数ヶ月、仕事という名の、生きる手段でもあり、人生を豊かにしてくれるはずのものが自己目的化してしまい、すっかり僕の日々を支配し精神生活まで意のままに侵してくれた。ようやく、徐々に時間のゆとりも出てきたことで、一切の不条理を正当化するこの怪物から自分自身を取り戻しつつあるところ。というわけで、楽天日記、プチひきこもり期間、終了。(...I hope) “ 時の歩みは、三重である 未来は、ためらいつつ近づき 現在は、矢のようにはやく飛び去り 過去は、永久に静かに立っている ” ―― シラー
Sep 9, 2005
母が、田舎から東京まで出てきたついでということで、うちに遊びに来た。昼食に、せっかくだから、と思って、有名な老舗の鰻屋に連れて行く。すると、母は、メニューを見ながら、「あれーっ、たっかいなー!4千7百円もすんのー!!」と、店の人や他の客にも聞こえる声で、驚く。僕はあわてて、「いや、それだけ、モノが違うってことだよね」と、わざと周囲に聞こえるように、フォロー。(頼むから、驚くときは、黙って驚いてね)と、目で母に訴える。食事が終わり店を出る直前、テーブルの上に置いてある1本ずつ紙に包んである爪楊枝の束を、さっと周囲を確認したかと思うと、母は、わしづかみにして自分のカバンに入れてしまった。これには、絶句。いや、そのくらいの量なら、持って帰っても犯罪にはならないかもしれないけれど。。。せめて、こういうミヤビな場所にいる間だけでも、お行儀よくしてもらえないものでしょうか、母上殿。帰りの電車の時刻まで間があったので、近所の美味しいパン屋に入る。「焼きたてでーす」と店員が置いていったパンを、母は、ためらいもなく、指でちょこんとつまんで、柔らかさを確かめる。「あ、直接さわっちゃダメだよー!」と、僕が慌てて小さい声で注意すると、母はすばやく手を引っ込めて周囲を確認。そして、「パンは、帰りに駅ビルで買ってけばいいな」などと、つぶやきながら、そそくさと店を出てしまった。まるで、いたずらを見つかった子どものようだ。 いつものことながら、わが母のオバタリアン的天真爛漫な言動は、ささやかながらも新鮮なスリルを僕の日常にもたらしてくれたのだった。 -------------------------- 同僚の講師が、授業終了後のアンケートで、「講師の説明が主観的すぎて、理解できないことが多かった」というコメントをもらったということで、落ち込んでいた。「俺の説明は『論理的だ』と評価してくれる人がほとんどなのに、、、、こういうことを書かれると、腹が立つと同時に、一体どこが『主観的』だと思うの?って訊いてみたくてしかたないよ」詳しく話を聴くと、そのコメントをした受講生は、バリバリ理科系の理屈っぽい人だったらしい。つまり、僕が大好きなタイプ。(爆)「○○さん(←同僚)の説明が『論理的』であることは、誰が見ても確かなんだと思いますよ。ただ、そういう受講生に『主観的』であるように見られてしまうのも無理ないところはあったということかもしれないですね」と、僕。「んんん?・・・・『論理的』なのに『主観的』に見られてしまうって、、、どういうこと???」「理数系の人は、数値に置き換えることができないものは全て『主観的』だと思い込んでいる、というか、そういう価値観である人が多いんですよ。だから、『この文は、こう解釈すべきです』などという言い方をすると、『と、誰が決めたんですか?』などと反論してくる。で、例えば、『この語句の意味は、言語学的な統計に基づき、この文脈ではこのように解釈するのが正しいとされている』というような厳密さを意識した言い方をすると、学問的で『客観的』なものに聞こえてくれるわけです」「なーるほどぉ、、、、ああいう人には、数字を出せば納得するのかぁ」「一部の理数系出身の人には、言葉というものがそもそも共通主観性のもとに成り立っているという前提がなくて、すべての文章は数字や論理記号のように一義的に意味が決定できるもの、正解は客観的に決まるべきものだ、と考えている人がいますので、、、、文の意味を解釈するときの根拠や基準を丁寧に明確に説明しないと、どうしてその解答が『正解とされている』のか、心からは納得してもらえないんですよね」「あー、そう言えば、俺の説明って、『自分の長年の経験から、これはこういうものなんです、こう解くのが一番なんです』っていう感じの言い方が多いから、そういうところが『主観的』だと受け取られたのかもしんないなー」「そういうことなんだと思います。根本的な前提が一度『主観的』だと決めつけられてしまうと、その先どんなに論理的で矛盾のない説明をしても、ずっと理解が噛みあわないままなんですよね」「ほんと、いろんな人がいると、いろんな説明の仕方を考えなきゃいけないから面倒くさいよね」「でも、そこが、この仕事の面白いところでもあるんですけどね」 “いっさいを科学的に記述することは可能だろうが、そんなことをしても無意味だろう。 ベートーヴェンのシンフォニーを、波動の圧力の変動として記述することには 何の意味もないように。” ―― アインシュタイン しかし、この世界には、美しい音楽を聴いても、その美しさを感じ取ろうとせず、波動の圧力の変動として記述されたものを見て初めて、それが『客観的で理解可能』になったと喜ぶ人もいるということだ。
Mar 23, 2005
すごい人:誰も思いつかない、すごいことをする人。もっとすごい人:わかっているけれど誰にもできてない、すごいことをする人。さらに、もっとすごい人:やっていることがすごすぎて、もはや誰にもわかってもらえない人。 “私にはよいアイディアが浮かびますが、他の人もそうです。 ただ私の場合、幸運だったのはそのアイディアが受け入れられたということです。” ―― アインシュタイン ---------------- 最近、食欲の権化のごとく、食べたい放題に食べている。飲みたい放題に、飲んでいる。その影響は、僕の場合、すぐに顔に出る。つい数週間前とは見違えるほど、顔の横幅が広くなっている現在。マズイ。特に、今日は美容院に行ってマジマジと自分自身の顔を鏡で見て(見せられて)、ここ数日の堕落ぇた食生活を大反省。明日からの減量生活開始を、固く決心。 ------------------------ 朝。夢の中にでも出てきたのだろうか、「今日は、ちらし寿司が食べたい」という気分になり、その欲望をテコにして布団から抜け出す。以前から気になっていた、近所の小さな目立たない寿司屋に行ってみることにした。店の前を、いったん通り過ぎて、様子をうかがう。中の様子が、外からは全く見えない。もう一度、店の前に戻り、少し迷ってから、思い切って入ってみることを決心。ドアを開けると、客席で一人、新聞を読んでいた70歳くらいのおばあさんが、驚いたようにハッとこちらを見上げる。次の瞬間、うれしそうに、「はい、いらっしゃいませー」と言いながら、カウンターの奥へと引っ込んで、お茶とおしぼりを準備する。(それにしても、お昼のピーク時に、客が入っただけで、驚いたり喜んだりする店って・・・・。)狭い店内に、他の客は一人もいない。壁にかけてある食品衛生管理責任者の許可証を見ると、女性の名前。どうやら、このおばあさん、一人でこの寿司屋を切り盛りしているらしい。もしかすると、若い頃、ご主人と2人で始めた店なのかもしれない。ご主人が亡くなった後も、自分が経営者となって店を潰さずにやっていこう、死ぬまで寿司を握りつづけていこう、という決心があったんだろうな、、、などと、勝手な想像をした。それにしても、作り方が、非常に丁寧だった。(1人分を作るのに、あまりに時間が、かかりすぎ、という言い方もできるが。。。)とても素朴な感じの寿司ネタだった。(朝7時に開店する近所のスーパーで仕入れたような感じ、という表現もできるが。。。)が、だからこそ、なんだか懐かしい味がして、僕は大満足。今度は、夜に来てみよう、と思った。午後。美容院にて。「へぇー、代ゼミに通ってるんだぁ!」隣の席のヘア・スタイリストが、突然、素っ頓狂な声をあげる。店内中に響き渡る大声で、現在浪人中であるというあまり誇ってはいないであろう身分を明かされた女の子は、困惑した様子で横を向いている。「で、どこに行ってんの? 城南予備校、とか!?」と、見当違いな質問をするスタイリスト、必要以上にハイテンション。なるほど。彼は、「ヨゼミ」というのは「予ゼミ」とか漢字で書くような、予備校一般の普通名詞か何かであると勘違いしているらしい。「え、、、だから、代ゼミです、、、代々木ゼミナール」「代々木ゼミナール、、、、かぁ。代々木とかにあるの?あれ、でも、さっき横浜まで通ってるって言ってなかったけ?」「そう。横浜の代ゼミ」と、女の子が小さな声で言う。あまりに話が噛み合わなさすぎて、すでに理解してもらうことを諦めたような口調。「ふぅーん。じゃ、ってことは、何?4大目指してんの?」「ヨンダイ?」女の子の方が怪訝そうな顔になった。「あ、4大じゃぁないの?」「ヨンダイって・・・?」「ほら、4大。。。えーと、4年制の大学?」「大学って、ふつう4年じゃないんですか」「え、でも、ほら、、、短大とか、あるじゃん!」「ああ、、、、私は、4大に行くつもりです」「へー、すげぇーじゃん!!」と、感心されるが、あまり嬉しくなさそうな女の子であった。 夕方。「いま、会いにゆきます」を読んで、号泣。やられた。すごい。すごいよ、この本は。 夜。 ドンキ・ホーテで購入した、とても安くて、しかし、そこそこ美味しいワインを飲みながら、楽天日記を更新。 “記憶とは、もう一度その瞬間を生きることだ。頭の中でね” ―― 市川拓司「いま、会いにゆきます」
Mar 9, 2005
個性を無くす。というと聞こえが悪いかもしれないけれど、良い意味で、自分のクセをあえて消して、どこまでも無難に適度に自我を抑えた結果、今日は非常に最高にうまくいった。いろいろな材料をふんだんに使っているんだ、ということをわざわざアピールしなくとも、無色透明な上澄みの香味がすべてを物語るスープのような。自分の技術と、経験と、程よく冷ました情熱と。それらを統合するバランス感覚と。ときに、自分は、言いたいことを最後まで思う存分に言い切ってしまうクセがある。やりたいことをやりきってしまうクセがある。そんなとき、受講生の「満足度」は、必ずしもよくなかった。というか、そんなときは、決まって、賛否両論、大きく分裂したものだった。しかし、今日のような仕事も自分にはできるのか、と思うと、一つの新たな世界が開けた気分になる。自分が愉しいと感じるかどうかということと、相手が充実感を抱くかどうかということは、別のこと。何もかも逐一説明しなくても、押し付けがましいインパクトを与えなくても、物事を強引にシンプルにしてみせなくても。あるがままに見せるだけでいいこともある。 “ああ、なぜ僕はすべてに断定をいそぐのだ。 すべての思念にまとまりをつけなければ生きて行けない、 そんなけちな根性をいったい誰から教わった?” ―― 太宰治「晩年」 あいまいなものは、あいまいなままにしたほうがいいこともある。
Mar 5, 2005
というわけで、今日は仕事がないのに会社に行き、失われた愛、、、、じゃなかった、失われたメールについて、何かしらの手がかりを求めて、がんばってみた。うちの会社には1人しかいないマトモな技術をもった多忙極めるシステム管理者を1時間近くも独り占めにして、ようやく、何とか、消失したメールの差出人アドレスだけは、すべて判明。その結果。結局、僕へのメールの差出人としてログに残っていたのは、すでに連絡済みの相手と、迷惑メールの送り主のアドレスだけだった。・・・・・・・・。ああ、すっかり急性強迫性障害に陥ってしまった僕のために、無駄骨を折らせてしまってごめんよ、IT部長。いいや。考えてみれば、無駄骨ではなかったよ。少なくとも、あなたが費やしてくれた1時間のおかげで、僕の気分は、大いに晴れたのだから。(爆) “人間こそは、あるがままの事実とあるべきはずの事実との相違に心を打たれる 唯一の動物なのである。” ―― ハズリット --------------------- ところで、今日は仕事がないので、私服で会社に行ったわけだが。廊下ですれ違った、一人のスタッフが言う。「あれぇ、、、、イーサさん、イメチェンですかぁ?」いや、そういう問題ではなくて。 ---------------------- いまの自分が、心の底から、幸福感や、やりがいや、充実感や、愉快感を抱くのは、失敗やトラブルがあって、それを乗り越えた自分に出会ったときなのではないか、と思う、今日この頃。失敗やトラブルは、自分が蒔いた種であることもあるし、不可抗力のこともある。しかし、それらを解決してきたのは、決まって「無意識の自分」だという気がする。明鏡止水。泰然自若。誠心誠意。何事にも動じない、澄んだ心で事物を見通す肚が据わった自分が、いつのまにか誰にとっても良い方向で、厄介ごとを解決してくれている。 “意識に上る行為ほど、不確定性が高い。” ―― 永井俊哉 現在、自分の心の中心を占めている出来事が、心の一番上に位置している意識が、必ずしも、本当に自分にとって最も重要なことだとはかぎらない。たとえば、スポーツにおいて、自分の手足の動きを意識すればするほど、ますます動きが固くなるように。じゅうぶんに意識しながらする行為よりも、無意識におこなう行為の方が、はるかに自然に、物事をうまく運べることもある。確実に真実に近づくことができることもある。
Mar 1, 2005
以前、ディスカバリー・チャンネルで「笑いの解明」という特集をしていた。それによると、人間は、生後3か月くらいで初めて笑う、という。その後、5歳児になると、平均して1日になんと250回(!)も笑うそうだ。(↑瞬間的な「ニヤ」とか「ニコ」とか「クスクス」も含めての数字なのだろうか。)その後、成長するにつれて笑う回数は減っていき、思春期以降になると、それが1日平均15回程度になってしまうらしい。しかし、ようやく思春期にさしかかったばかりのイーサ君(←35歳)、昨日は、実に、500回以上は笑ったことだろう。。。愉快でエキサイティングな8時間半の仕事。その後、同僚と朝まで、飲み明かし。始発電車で帰宅。何をそんなに話していたかと言えば、仕事や会社に対する、きりがない愚痴。と、言ってしまえば、そのとおりでもある。それはそうなのだが、日頃のストレスを笑い飛ばす悪意のないシャレの利いた愚痴は、心を大いに浄化してくれるものでもある。愉しい気分にしてくれるものでもある。十年来の同僚との、適度に保った心地よい距離感。愚痴や批判の端々に垣間見える、お互いの人間観、人生観、世界観。 “人間という生き物のみが、この世界の苦しみから自分を解放するために、 笑いを発明せざるをえなかった。” ―― ニーチェ 真剣に生きているからこそ、ふいに、笑いはやってくる。 --------------------------- 朝、眠りにつく前にビタミンB群とたくさんのミネラル・ウォーターを摂取したためか、4時間程度の睡眠で、復活。アルコールも抜けて、すっきり心地よい寝覚め。徹夜で飲んでも、まったく酒も疲れも残っていないことに、自己満足。が、調子に乗って薄着で歩き回っていたら、だんだん寒気とダルさを感じてきて、ダウン。結局、そのまま午後まで眠り続けてしまったのだった。(爆) --------------------------- 午後。メールを受信中に、突然、パソコンがフリーズしてしまった。サーバーからダウンロードしたはずの仕事関連メールが、20通くらい、消失。プライベート・メールの方は、消失した件数さえも、不明。・・・・まいった。返事を書かなければならないはずの重要なメールも、何件かあったことだろう。やむを得ないこととは言え、それらのメールには返信できずに、自動的に無視する形になってしまう。いちおう、会社のスタッフや、その他、思い当たる人には、事情を説明するメールを送っておいたのだが・・・・・。初めてメールをくれた人なども、いたかもしれない。気持ちのこもったメールも、あったかもしれない。愛の告白メールも、あったかもしれない。(←ないない。)そんなことを想像し始めると、どこまでも、失われたメールの内容が気になってくる。気になる。う~~ん、気になる。あぁ。 “「遠くから見れば、」と僕は海老を呑み込みながら言った。 「大抵のものは綺麗に見える。」” ―― 村上春樹「1973年のピンボール」 決して見ることができなくなったものは、さらに美しく見えるのであった。。。
Feb 28, 2005
『否定』をすることで、その反動エネルギーが、大いなる肯定をもたらすことがある。たとえば、何かを「やろう」と自分に課したのはいいが、それをすることが何だか面倒になったとき。いったん、「やることには、意味がない」と否定してみる。たとえば、毎日の腕立て伏せ、腹筋、懸垂が面倒になったとき。「運動なんて、意味ないし。」と、さりげなく一言、自分に向かって主張してみる。すると、大の議論好きの自分が、猛烈に再反論。「意味ないことないよー。運動すれば、気持ちよくなる。翌日の寝起きも良くなる。翌日も肉体の気持ちよさが持続する。食事も美味しくなる。顔も体も締まって自己陶酔に浸れる。強靭な肉体ができる。技の切れも増す。内臓も強くなる。免疫力も向上する・・・・」と、これだけつぶやいている間に、いつのまにか足がトレーニング・ルームに向かっている自分がいる。 “真理とは何かを言うのはむずかしいが、誤りを認識するのは、ときとしてたいへん易しい。” ―― アインシュタイン 自分がしていることが「正しい」かどうか自信がなくなったとき、いったん全面的に否定してみるといい。「正しい」意見をゼロから弁護することより、否定的な意見に対して再反論することの方が、はるかに容易なはずだから。 ------------------ さて、今日もまた、痛烈な批判と、猛烈な賞賛を浴びる。最近、授業の感想アンケートに書かれるコメントは、なぜか批判にしても賞賛にしても、激しい言葉が多い。「早すぎてついていけない」「早口で聴き取れないことが多い」「問題が思うように解けなくてストレスがたまる」「2回受講しないと理解できない」などというのがある一方、「どうしていいかわからず五里霧中だった状態から脱け出すことができた」「強引なまでにクリアな説明が痛快」「テンポがよく明快。文句なし」「すばらしい。世界一の授業」などというのも、ある。以前の自分なら、まあ今回は、ヘンな人が多かったクラスだったしな、と、やや開き直りながら、批判された点については次回できるだけ気をつけよう、というくらいに考えていた。大勢の人が集まれば、なかには性悪な人もいる。小さなストレスが鬱屈した感情に転換する前に、批判そのものを忘れてしまうことにしていた。そして、賞賛の部分だけを回想しながら、美酒に酔って自己満足していたものだった。しかし、、、、今では、このような批判こそ自分を成長させてくれるものだと実感し、大いに感謝する。焼肉チェーン『牛角』は、オープン当時に経営がうまくいかなかったとき、店について「悪口」を書いてくれた客に300円の割引券を進呈することで、問題の解決に取り組み、それを積み重ねることで現在の規模に拡大してきた、という。そうなんだ。批判や悪口を受けた自分の“感情”など、少しも重要ではない。自分にとっても。会社にとっても。最も重要なことは、批判や悪口を、今後、自分の糧としてどう生かしていくかにある。自分の欠点は、自分では気づかない。だから、自分の欠点を単刀直入に教えてくれた人には、素直に感謝の気持ちを表すべきなのだ。・・・・今回のクラスは、自分が『活字体の発声』を心がける前に開始したので、たしかに、早口で聴き取れないことも多かったろう、と思う。また、説明や進め方が速すぎる、と感じる人に対する配慮も、今思うと十分でなかった。実際、個人間の差が激しいクラスだったので、自分では、最大多数の利益にかなうように工夫するしかなかったわけだが・・・・少数者の利益を平気で犠牲にするというのは、自分の哲学に真っ向から反することではなかったか。内容をよりわかりやすくするため、プレゼンテーションの仕方に、さらなる工夫の余地があったのではないか。・・・・いずれにしても、批判の1つ1つを、しっかりと噛み締め、じゅうぶんに咀嚼し、きちんと消化した上で、体の奥に染み込ませてやると、なんだか、すがすがしい気分になる。他人の批判に助けを借りた自己否定によって、一度、自分のなかの何かを失う。それをもう一度、自分のことばで、自分の中に取り込み直すことにより、さらにひとまわり成長した自分ができあがる(気がする)。 “最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。 唯一生き残るのは、変化できる者である。” ―― ダーウィン
Feb 26, 2005
朝。今日も、『活字体の発声』で、と自分に言い聞かせる。 英語に筆記体と活字体、日本語に行書体と楷書体があるように。話し言葉の発声にも、ほとんどの人がつねに明瞭に聴き取れるようにと心がけて発声するアナウンサーのようなタイプ(=活字体)と、魅力のある抑揚だけれど、いまひとつ聴き取りにくいこともある俳優のようなタイプ(=筆記体)があるようだ。自分自身、必要のある場合以外は、無意識に『筆記体の発声』になってしまっていたことに気づく。先日、ふと思いついて、これからは仕事でもプライベートでも『活字体の発声』だけをしよう、と決めてみた。つねに、聴きとりやすい、はっきりとした発音で話してみることにした。すると、その直接的な効果として、前回の授業は、この10年間で最もよかったのではないか、と自分で思うほど、会心の出来になった。受講生の反応や集中力も、目に見えてよくなった。 “理解しやすい情報を与えると、脳は必ず活性化するものです。” ―― 斎藤孝 もし、あの授業をビデオで撮ってあったとしたら、それをツマミに観ながら、幾晩も酒が美味しく飲めただろう。そう思うくらい、心地よい余韻に浸ることができる満足のいく仕事ができた。さらに、思わぬ副作用。仕事以外でも、他人と何気ない会話を交わすこと自体が、とても楽しくなった。よく行くコンビニで、「袋はご利用ですか?」に、「いえ、結構です!」と明瞭な発声で答えると、店員が、ハッとこっちを見上げたり。思えば、いつもの僕は、客として尊大な態度ではなかったにしても、少なくとも「こちらが客だし」という無意識の傲慢さはあった。そんな傲慢さのせいで、客としてコンビニやレストランの店員に何かを言うときは、無意識に小声で曖昧な発音になっていた。ウェイターやウェイトレスが水を注ぎ足してくれたら、「すいません!」と。道ですれ違うとき、ぶつかりそうになった相手に、先に「すいません!」と。一瞬、きょとん、とされることが多いが、とりあえず、相手が不愉快になることはないはずだし、自分も不思議と楽しい気分になる。ちなみに、この「すいません」という言葉は、「ありがとう」とか「ごめんなさい」とか「ちょっと失礼」とか「おねがいします」とか「あの~」とか、状況次第によっていろいろ意味が変わるので、曖昧な日本語だとして嫌う人もいるのだが。こういう、とても便利で無害な言葉は、どんどん使っていいではないか、と僕は思う。 ---------------------- 昼。ちょっと遠出の散歩。エキサイティングな週末の仕事の余韻に浸りながら、初めて通る道を歩く。途中、池を優雅に泳いでいた、つがいのカモが、なかなか美しかった。 名前を知らない鳥が、仲よく群れていた。 「そうだ、SUN&SNOWさんに名前を教わろう!」などと勝手に思いつき(爆)、 PDA を使って写真に収めてみたのはいいが、画素数が低く、写りが全然よくなかったのが残念。散歩の途中で、以前から行ってみたいと思っていた「やさいや」にて昼食。野菜も肉も水も調味料も何もかも、徹底して「自然」にこだわった店。100%自然食ということで、体全体で美味しいと感じてるような気分にさせられた。食前に出された有機人参ジュースが、想像を絶してまろやかな味だった。水も、長距離を歩いた後で喉が渇いていたとは言え、気づいてみたら300ccくらいのグラスで4杯も飲んでしまったほど、何だか不思議なおいしさがあった。別の客の注文を間違えたので、「もしよろしければ」ということで、無農薬栽培のコーヒーをサービスされる。これも絶品。店が非常に気に入ったときはいつもそうするのだが、会計のときに、「いろいろ驚かされた味でした」と、料理の正直な感想を率直に伝える。僕も店の人も、幸せな気分になる。 -------------------- 夜。有楽町の焼肉屋で、S と夕食。この店、経営者自身がこっそり客になって一度でも食べてみれば、通勤ラッシュの時間にもほとんど客が入らない理由がわかるのではないか。と、思わずアドバイスしてあげたくなるほど、いろいろな部分が、なってなかった。たとえば、禁煙席を希望した僕たちに、そんなものは焼肉屋ではないのが当然、タバコの煙など気にするほうがおかしいのだ、とでも言うような、店員たちの態度。少なくとも、客がほとんどいないのだから、奥の席に案内するとか、何かしら最大限の配慮を示すことくらいできたろうに。グリルの火加減も、強すぎるか弱すぎるかで、ムダに炎が出てしまうため、いくつかの肉や野菜があっという間に真っ黒焦げになった。冷麺の味付けが、必要以上に塩辛い。最後にお茶の代わりに彼女が水を要求すると、「お冷、ですか・・・」とめんどくさそうに聞き返すウェイトレス。「・・・」というわずかな間(ま)と、意外なこと言う人だね、と嘲笑うような、怠い口調。単に、「はい」とか「かしこまりました」とか、言えないのだろうか。自分の予想と違う注文をする客に対しては、何かしらの感情をぶつけてみないと気がすまない性格なのだろうか。ともかくも、最近では珍しいほどに、実に安いことだけが取り得の焼肉屋であった。まあ、しかし、店の感想は、実はどうでもよくて。(爆)どうやら、やはり、(ほぼ押し切られる形で)共同経営をすることになってしまった。僕がどうしても気が進まない部分はやらなくてもよいことになり、そして、最初の立ち上げの数か月間だけ、ということで。正直、この件を断って以来、心の中の何かが吹っ切れた気がして、とても爽やかな解放感に浸ることができた。だから、今さら、また引き受けるのは、、、、と、最後まで煮え切らなかった僕に対して、遠慮がちに、控えめに、意味ありげな沈黙を挟みながら、ときに露骨にガッカリしたり、拗ねてみせたり、「もう、いいよ」と諦める素振りを見せたり、これから自分はどうすべきかと素直に率直に相談してきたり、ともかく、あの手この手で話に引き込もうとする彼女の交渉術は、天才的だった。まあ、部分的・短期的に、という条件であれば、気分的にも楽だし、とりあえず自分ができるだけのことはしてあげてもいいだろう、という気にさせられた。しかも、非常に重要なことに、彼女はいま、結婚してもいいかな、と考えている相手がいるそうだ。なんだ、そういうことなら、早くそう言ってくれ、、、、と言いたくなった。何かと「面倒なこと」になる可能性もあるのではないか、とか、ちょっと心配したりもしていたのだが、彼女にそういう恋人がいるのなら、話は簡単だ。無意識にそんな安堵感を覚えてしまう自分に内心あきれながらも、なんだかそういう自分自身に対して、微笑ましい気分にもなった。120%、僕の好みのタイプだったはずの彼女の相変わらずの美貌にも、均整の取れた体にも、知的で機転の利く話し振りにも、、、、子どものような、はしゃぎ方にも、拗ね方にも、無邪気な表情にも、、、、、少なくともオトコとしては、もはや何ら魅力も興味も抱かなくなっている自分。そんな自分自身の心情の変化を、そのとき、心から楽しんでいる自分がいた。ふと、興味が湧いて、彼女に1つ質問してみる。「その結婚を考えている相手の人にあって、例えば、僕には欠けているもの・・・・結婚をしてもいい、と思うほどに、その人に魅力を感じたところって、なに?」すると、即座に、答えが返ってきた。「うん、いちばんの理由はね、はっきりしてる。 私を、こんなに好きになってくれる人は、これからも決していないだろう、と思うほど、強く、はっきりと、気持ちを表現してくれること。。。。これって、イーサ、ニガテだよね」「たしかに・・・(爆)」「私を愛している、っていう彼の感情が、素直にストレートに伝わってきて、、、、私のことを、優しく、どこまでも深く、理解しようと努力してくれること・・・・」心から、納得。 “宇宙をただ一人の者に縮め、ただ一人の者を神にまで広げること。それが恋愛である。” ―― ヴィクトール・ユゴー
Feb 21, 2005
僕という人間は、獲物を見つけたら一気に狩りをして、その場で食べてしまうタイプの「狩猟民族」。だから、小さなことをコツコツと計画的に積み重ねていくという「農耕民族」タイプの仕事は、決して向かないと思っていたのだけれど。しかし、小さなことを楽しんでいくうちに、いつのまにか、こんなに長い道のりを走ってきたんだな、と実感できるような仕事なら、それはそれでいいかも、と思う、今日この頃。 ------------------- 契約更改。委託契約で雇われている僕は、毎年1回の契約交渉によって給料が決まる。今回は、教務部長が交渉相手。いつもホンネで、腹を割って話せる、よき同僚でもある。開口一番、単刀直入に斬り込んできた。「まず、イーサさんには、講義の時給○○円ということで、お願いしたい、と。会社としては、考えています」毎度のことながら、予想を上回る好条件。破格のオファーに、つい笑みがこぼれそうになったのを、あわてて堪える。冷静沈着に、「・・・プラス、消費税ってことですね。まあ、悪くないですね」と、僕。「なんで消費税やねん!うちの会社いつから消費者になっとんねん。。。で、次ですけど、もう1つ、昨年度と変わるところは、、、、」・・・・という調子で、終始、マジメなんだかコントをやってるんだかわからないテンポで、ともかくも、無事、交渉終了。ほとんど二つ返事で、全面的に会社側の示した条件を受け入れることにした。経営が必ずしも順調ではないこの時期に、会社側は、自分を十分に評価してくれている。それが容易に実感できる待遇をオファーしてくれたという事実が、率直にうれしかった。 “仕事を追え。仕事に追われるな。” ―― フランクリン -------------------- ところで、最近は、身心の調子が必要以上によい。1年に360日以上は酒を飲んでいるから、酔いのまわり方や、酒の味をどう感じるかで、自分の体調がだいたいわかるのだが。ここ数か月は、今までの人生の中で最も健康指数の高い時期なのではないか、とさえ思う。働き盛りの年齢だから、ということもあるだろうけど、1日中授業が続く日でも以前ほどの疲労感がほとんどない。薬なしで病気が簡単に治ったことから、免疫力も以前より高まっているのではないか。また、実に不思議なことに、20台半ば以降は抜け毛が目立ち始め、そろそろ薄くなり始めたのかな、と思っていた髪も、完全に20歳以前のときのボリュームに戻っている。このところ、毎日、腕立て伏せ60回、懸垂10回、腹筋30回、鉄アレイ100回と、素突きと空蹴りを少々、しめて30分もかからない程度の非常に中途半端な運動をしているだけなのだが、それでも毎日続けていると、これほどの好影響があるものか、と感心してしまう。ペ・ヨンジュンが、1日に水を8リットル飲み、毎日5時間トレーニングを続けたことで、3か月後、体脂肪率3.3%の見事な筋肉質の体を造ったという話を聞いて以来、僕も毎日少なくとも2~3リットルは水分を摂取するようにしているのも、よいのかもしれない。(「水分」の半分程度は、要するにアルコールだが。爆)それに、体調の向上に加え、外観的な顔つきも体つきも、大いに変化しているらしい。 <事例1>朝、後ろから歩いてきた年上の同僚が、すっと横から顔を僕の覗き込み、「おお、イーサくん!」と耳の近くでとつぜん大声をかけるので、びっくりした。すぐ後ろを歩いてたのなら、もっと早く声をかけろよ~。いきなり横に来て大声出すことないし。しかし、彼が言うには、「イーサくん、何だか最近、体が、がっしりしてきたよね・・・・。後ろから見たら、イーサくんだってわかんなかったよ」とのこと。 10年近く一緒に働いている同僚でさえ、すぐ横に来なければ僕だと認識できないくらい体型が変わったらしい。 <事例2>1年ぶりに会った後輩が言う。「イーサさん、1年前とは、明らかに顔つきが変わりましたねー」「ん?どんなふうに?」「前より、鋭く精悍な顔になりましたよ。たしか、ちょっと、ぽっちゃりした感じの顔だったときも、ありましたよね。。。。食習慣の変化と運動だけで、そんなにも変わるもんなんですね」と、しきりに感心する。 <事例3>今日。久しぶりに、食欲にまかせて昼食に大食いしてしまった。餃子、ごはん、ネギとニラとチャーシューをたっぷり乗せたタンタン麺。もちろん、相変わらず、スープは全部飲んでしまう。今までなら、こんなふうに思う存分食べてしまった後は、腹がまあるく膨れてしまったものだが。3時間後、いつもどおりの運動をして風呂から上がると、依然として(かろうじて)6つに割れていた。思わず、鏡を見ながら、しばしの間ブルース・リーの物真似などして、自己陶酔。(爆) “筋肉は、激しく大きく使え。神経は、優しく小さく使え。” ―― ショーペンハウエル
Feb 18, 2005
批判を受けると、なぜかとても甘美な快感に浸ることができる、今日この頃。(爆)自分に対する痛烈な苦言があると、まず、その場では、カチンと来る。一瞬後、まあ、人それぞれ、いろいろな考え方がある、気にしないことにしておこう、と心に決める。しばらくすると、頭の中に浮かんでは消え、浮かんでは消え、を繰り返す。さらに時間が経過すると、自分では見えなかった欠点を指摘してくれたことに対して感謝の念さえ浮かんでくる。そして、いつのまにか、批判の言葉が、快感に変わる。。。自分自身、いったん口撃が始まると容赦もキリもなくなるほどの辛らつ極まりない毒舌家。なので、自分についての他人の言動に対して、「言い方が悪いから」という理由だけでは、とっさに怒れない。むしろ、思ったことを率直に言いたくなるその気持ちはよ~っくわかるよ、と、結局は心から同調してしまう。 “批判というものの究極の目的は、批判される者をして最高のものに気づかせることにある。 先走った人気や名声は、救いようがない結末を導くだけだ。” ―― クリスチャン・N・ボヴィー 少なくとも、今回の批判のおかげで、自分は以前より、よくなった。そう、実感することで、さらに気分がよくなった。とりあえず、感謝。 --------------------- ところで、共同経営の件は、激しく迷いに迷ったあげく、丁重に辞退することに決めた。『学ぶ機会がない人々に、教育の場を提供する。』という、理念はいい。理念を具体化しようとする事業内容も、悪くない。しかし、いまの僕がするべきことでは、ないかな、と。それに。共同経営者のSさん、出張先に携帯電話を置いてきてしまい、スポンサーにも僕にも数日間、電話できなかった、とか。 マヌケすぎです。 イーサのように、重要な情報は3箇所に分けてバックアップしておきなさい、とまでは言わないけれど。少なくとも、携帯電話をどこかに置き忘れただけで連絡不能になるようなビジネス・パートナーなんて、、、、ちょっとコワイよ。それに。自分が女性だったら、元カノが共同経営者として毎週長い時間一緒に働いているなんて、たとえそれが単なるビジネス・パートナーだとしても(あるいは、だからこそ)、とてもうっとうしい存在だと思うはず、という現実的な問題もあったり。もちろん、その逆もまた然り。それに。そもそも、仕事自体に心の底から興味が湧かない。と、最初はそう思っていても、始めてみれば、意外に面白くなってくるかも、と思って話に乗ってみようという気になったんだけれど。やっぱり、自分にとって根本的に面白くないものだと、長い目で見ると、ダメだろう。 まあ、ともかく、そんなこんなで、今回は、やめとこうか、と。 “「やらないで後悔するくらいなら、やって後悔した方がいい」 この言葉は、一瞬真理をついているように見えるのです。 私達はしかしその時、「やらない」という選択をすることによって、 後悔そのものをせずに済んでいる人もたくさんいるということを忘れています。 目先の面白いことを捨てることによって、人生の根本に関わるような大きな 後悔もせずに生きている人のことを。” ―― 酒井順子「負け犬の遠吠え」
Feb 14, 2005
ほんとうに久しぶりに、『本気』モードにさせられてしまった夜。自分の戦い方を、剣術に例えると。いわゆる「剣道」のように最初から刀を構えて、斬り合い、躱わし合い、打ち合ったりするのではなく。「居合道」のように、ふだんは刀を鞘に収めて泰然としているけれど、イザというとき、刀を抜いた一瞬後には相手を斬り、斬った一瞬後には再び鞘に収めて何事もなかったような顔をしているような、そんなイメージ。・・・・の、つもりだった。しかし。今回、久々に、初手の「剣」を躱わされ、受け止められ、撥ね返されてしまったことで、図らずも「剣道」をせざるをえなくなるような、そんな好敵手が現れた。 ------------- 少し前に原稿を書き上げた「改訂版」に、編集担当者(今回は編集長)からチェックが返ってきた。自分で読み返したときには、まったく気づかなかった「誤記」や、「疑問や誤解を招きやすい記述」などについての彼からの指摘を読んで、正直、唸らされた。この本は、ちょっと特殊な試験の参考書なので、初心者にとっては、ものすごく取っ付きにくいはず。なのに、この編集長、まったくの素人ながら、しっかり読者の身になって、解説本文を読み、問題を解き、問題の解説を読み、考え抜いた上で、疑問に思うところを率直に指摘してくるのだ。その綿密かつ的を得た反論や、微に入り細を穿つような周到なコメントから、相当に膨大な時間をかけて原稿を読み込んでいる、ということは容易に想像がつく。以前の編集担当者が問題なくスルーしてしまっていた「誤記」や「誤解しやすい記述」も、今回の編集長は、どんどん発見し、指摘してくる。『プロの目』とは、こういうものを言うんだな、と大いに感心させられた。その指摘は、必ずしも全てが正しいわけではないが、少なくとも「注意深く、かつ熱心な読者なら、疑問を抱くのも当然」というようなポイントばかり。メールを一読して、「これは、どうやら、『本気』でやり合う必要がある敵の登場だな・・・」と、思わずワクワクさせられてしまった。 “どんな友がいるかによってだけでなく、どんな敵がいるかによっても、人は判断できる。” ―― ジョセフ・コンラッド 果たして、僕の再反論に対して、彼がどう出てくるか。。。
Feb 9, 2005
人は、オトナになればなるほど、感じたことをそのまま表現することが少なくなる。言うべきことと、言うべきでないことを区別したり。ここは笑っていい場面だろうか、怒っていい場面だろうか、と配慮したり。オトナになればなるほど、『理性のフィルター』は厚くなっていく。しかし、そんなフィルターがまったく不要な人間も、この世界には、確かに存在するようだ。 “心の欲するところに従い、矩を踰えず。” ―― 孔子 -------------------------- 世界に存在するあらゆるヒト、あらゆるイキモノ、あらゆるモノを愛し、活力と行動力に溢れ、限りなく大らかで、笑顔を絶やさず、人をさえぎることなく、異様なまでに地に足がついた生き方をしながら、圧倒的なまでに理想主義的で、つねに向上を求め、感謝の心に満たされ、正しい道を歩み、心の底から善良であり、やわらかく人を包み、さりげなく中立的で、人や環境を責めず、ひとつひとつ、夢を実現し、才気に満ち溢れながら、途方もないほど勤勉であり、自分を飾ることをせず、だれもが幸せになることを望んでいる。そんな人物に、会った。 ----------------------------- 金曜の夜。「ワイルド・ターキー友の会」と称して、ぬるめ温泉の女将さんと飲む。魂が共鳴させられた、、、と言うと、オコガマシイけれど、さゆさんという人間にナマで接すると、やはり、というか、ある意味、とても同じ匂いを感じる。言葉の端々に、「うん、まったく、そのとおり」と聴く人を頷かせるニュアンスがこめられる。こういう感覚は、しかし、彼女と直接会えば、ほとんどの人が抱かせられるものなのかもしれない。浮世に流されるままに、すっかり忘れてしまっていた人間性の核の部分。愛とか、情とか、ココロとか、そういう言葉で括らなくても、人間は、自ずからつながっている、そういうものなんだ、という懐かしい感覚。そう、彼女は、ひとことで言えば。(o´-`o)な人。 海辺に近い下流の川原の小石のような。まったく「カド」というものが存在しない、やわらかでまあるい人。そんなふうに、終始ニコニコしながら、しかし、次々と「力」をもっている人々を動かし、この世界をよりよく、心地よいものに変えていってしまう手腕。そんなところが、僕の最も尊敬する幕末の志士、坂本龍馬のイメージと重なった。音楽家、写真家、画家、書家、華道師範、技術者、慈善活動家、実業家、詩人、旅人、自由人、、、、自慢というものをまるでしたがらない彼女から、これ以上の「かたがき」を僕は見つけることができないけれど。とにかくも、彼女の目を通して切り取られた世界は、非の打ちどころがないほど美しい。 “芸術とは、真実を伝えるためのウソである。” ―― パブロ・ピカソ この世界の真実を伝えようとするとき、ときに、人は、人にとってわかりやすい形に世界を曲げる。しかし、ほんとうのことを伝えるのに、そんなふうにウソを用いる必要はない。繕う必要は、全然ない。自然児、さゆさんが、そう教えてくれた。
Jan 31, 2005
一昨日、朝起きると、吐き気とともに激しい頭痛。「あ~、もう酒やめよう」とか、つぶやきつつ。布団から抜け出る。と、異様に寒気がして、体全体がだるいことに気づく。ふと、思い返してみると、前夜はふだんと酒量が変わらなかったことにも気づく。「なんだ、二日酔いじゃなくて、風邪か・・・」というわけで、ひたすら眠ることにした。ちょうど、週刊少年マガジンの「クニミツの政(まつり)」で、風邪薬やインフルエンザ処方薬の恐るべき副作用について特集しているのを読んだ矢先だった。なので、今回は薬に頼らず、熱を思う存分に出してウィルスをやっつけるという自然治癒に任せてみることにした。 “一切の病にみだりに薬を服すべからず。病の災より薬の災が多し。” ―― 貝原益軒 昼に、お粥とアイスを買いにスーパーに出かけた以外は、ただひたすら寝てすごす。体温は、37度4分~38度6分あたりを行ったり来たり。翌朝、午前4時ごろに熱を測ると、37度5分くらいだった。仕事に行く朝になっても熱が下がらないので、やはり病院に行こうかと、少し迷った。しかし、実際に仕事に行く準備をする時間になってみると、突然、36度に下がっていた。頭も体も、軽くなっている。不思議。 ----------------------- 病み上がりから、一夜明けて、夜。サイコロ・ステーキとカマンベール・チーズをつまみに、赤ワインを楽しみながらDVD で「Twenty Four III」 を観ていると、思いがけなく旧友から電話。「最近、どうしてる?」などという挨拶もそこそこに、彼女がいま思案中だというビジネスプランを、とうとうと立て続けに説明される。個人経営と会社経営の場合のメリットやデメリットなど、いくつか質問されたので、わかる範囲で説明。話を聞いた限りでは、なるほど、たしかに、アイディアとしては魅力的なものだった。需要がたっぷりありそうなのに、未開拓な市場。僕が感心して聞いていると、「イーサ、興味ある?」と彼女。「ん?」「これ、イーサと組んだら、うまくいきそうかな、と思うんだけど・・・」いつのまにか、僕が共同経営者候補になっているらしい。びっくり。「スポンサーに説明に行くときなど、一緒に行ってくれる?」「いや、、、それは、もうちょっとアイディアを詰めてからの方が・・・・うん、でも、よさそうだよね。僕も、考えてみるよ」というわけで、彼女の方は、やる気満々。どうなることやら。 “ビジネスにおいては、2人の人間がいつも同じ意見なら、1人は無用だ。” ―― ウィリアム・リグリー
Jan 12, 2005
大晦日に実家に帰り、2泊ほどしてきた。今回の帰省で最も驚いたのは、今年5歳になる甥の落ち着きぶり。1年前に会ったときは、弟が運転する迎えの車に僕が乗り込むなり、いきなり髪の毛を引っ張られ、家に着くまで40分くらい、プロレスごっこに終始したものだった。それが、今年は、車に乗り込むと、「おにーちゃん、あたま、短くなったねー」とか言いながら、ぽんぽんと僕の髪を叩くだけ。(「おにーちゃん」とは僕のことで、「あたま」とは髪の毛のことである。念のため。)そして、車が走り出すと、集めたポケモン・カードや、パソコンに似せたおもちゃなどを次々と取り出して、「これは、こうするんだよ」「こっちのは、こんなふうになるんだ」などと1つ1つ丁寧に説明してくれる。いつのまにか、ひらがなやカタカナの読み書きもできるようになっていた。幼稚園では英語の時間もあるそうで、「ABCの唄」もきちんと歌えるようになっていた。たった1年会わないあいだに、すっかり「体育会系」から「文化部系」にキャラ・チェンジしてしまった甥だった。朝なども、昨年は、「いつまで寝てんだ~!」と叫びながら、寝坊している僕の顔面の上に、いきなりフライング・ボディ・アタックをかましてくれたものだった。が、今年は、寝ている僕の頭を手のひらでちょこんとなでて、「そろそろ、おきな」と優しくささやいたり。。。さらに、もうひとつ感心したのは、弟の、何気ない一言一言に表れる子どものしつけに対する姿勢だった。たとえば、コンビニに寄ってお菓子を買った後、「これ、食べてもいい?」と遠慮がちにききながら、すぐに開封して食べようとした甥に対して、「車の中で食べちゃダメだって言ったでしょ。」と叱る。運転中に子どもがお菓子を食べると、飴などがのどに詰まったりする危険があるのと、スナックのくずで車内が汚れる等の理由で、走行中は食べることを禁止しているらしい。そこまでは、普通だ。僕が感心したのは、弟の『禁止』のしかた。甥が、「おなかへった~。おかし、、、たべたいな~。おねがいしますぅ~」などと、無理を承知で、さらに甘えた声で、わがままを言う。すると、「食べるんだったら、外で食べてね。外でなら、食べてもいいよ。どうする?降りるかい?」と、子どもに選択を迫ったのだ。そのとき、外は大雪だったし、もちろん子どもが一人で降りて外に出てまで食べたがるはずはないから、実質的には『禁止』していることになる。しかし、単に「絶対にダメ」と一点張りに禁止するのではなく、子ども自身に一応の選択権を与え、好きな方を選ばせよう、という発想が、そこにはある。選択の自由を与えることで、単純な絶対禁止の場合よりも、子どもに与える精神的なストレスは、はるかに低くなるわけだ。また、子どもは自分の頭で考えてメリット・デメリットを比較し、選択せざるをえなくなるから、無意識のうちに主体性や自主性も身につくことになる。家に着いてからしばらくした後、オモチャ屋に連れてって、と、甥が言い始めた。弟が、連れて行くことを約束していたらしい。「大雪だから、車、走れないよ」と、パパ。「はしれるよ~。おねがいしますよぅ~。」と、子ども。すべって危いから、と説明しても、よく理解できない。ついさっきまで、時速30キロ程度ながら、のろのろと大雪の中を車で家まで来たので、「走れない」ということはないだろう、と、子どもは思っているようだ。そこで、「じゃあ、くすぐりゲームで勝ったら、いいよ。負けたら、明日ね」と、パパ。「うん」と納得して、やる気満々の、子ども。しかし、くすぐられるとあっさり笑ってしまい、甥の負け。もとより、パパにしてみれば、どこをどうくすぐったら子どもが笑うか、というツボをじゅうぶんに知っているから、100%勝つ確信があった上での提案だったわけだ。笑ってしまった甥は、『自分のせい』で行けなくなったということで、しぶしぶ、その日のオモチャ屋行きをあきらめる。 “やさしい言葉で相手を征服できぬひとは、いかつい言葉でも征服はできない。” ―― チェーホフ あくまでも子どもに何らかの選択権を残しておき、『禁止』を『自由』にすりかえてしまう弟の心理操作術に、脱帽。 ↑オモチャ屋には行けなかったが、僕と弟が作った2mの4段雪だるまに大満足の甥。
Jan 7, 2005
仕事の帰りに、とある駅で電車が数分間、停車。走り出してすぐに、車内アナウンス。「ただいま、酔われたお客様が、他のお客様にケンカを売っていましたため、数分ほど、発車が遅れました。。。お客様には、お急ぎのところ、大変ご迷惑をおかけいたしました。深く、お詫び申し上げます。」もう、これには、満員電車の中、笑いを抑えるのに必死だった。なにしろ、「酔われたお客様」が、「ケンカを売っていました」のだ。そして、そのことを、車掌がなぜか「深くお詫び」しているのだ。もっと、何か、「お客様の間でトラブルがありましたため・・・」とか、「口論になりましたため・・・」とか、オブラートで包んだふつうの表現を選ぶとか、、、、などという野暮な助言を寄せつけないパワーが、このアナウンスにはあった。『タチの悪い酔っ払い、ほんと困るよ。かんべんしてよ~。』という車掌の生々しい内心の声が聞こえてくるような。『どうして、酔っ払いが暴れたからって、オレが謝んなきゃなんね―んだか』という車掌の声なき愚痴が届いてくるような。 東急電鉄東横線、車内アナウンス。ときどき、無意味にボリュームが大きすぎて大迷惑なこともあるけれど。忘れた頃に、ふと、乾いた心を優しく潤してくれるその人間味。僕は、大ファンだよ。 “真実は、この世で一番面白い冗談である。” ―― ジョージ・バーナード・ショー ------------------------ ふだんあまり話したことがなかった同僚が、先日、パパになった。昨日、初めてその子どもの名前を聞いた。「○○っていうんです」それを聞いて、僕は、不覚にも思いっきり大爆笑してしまった。そばにいた、普段よく話す(顔も体も巨大な)同僚と同じ名前だったからだ。隣にいる巨体の同僚がそのままの巨顔で赤ちゃんになった姿を一人で勝手に想像してしまい、完全にツボにはまって笑いが止まらなくなってしまった。「ま、まさか、この人にちなんで名づけたわけではないですよねー(笑)」と、まだ笑いが収まらないまま、隣の巨大な同僚を指差しながら、余計なことを訊いてしまう。(しまった)と内心、反省するが、時すでに遅し。愛する我が子の名前。両親が考えに考え、悩みに悩んだ末につけたに決まってる。それを、聞いた瞬間に大笑いされた上に、「よりによって何故そんな名前?」みたいな訊き方をされたら、だれだって不愉快になる。「いいえ、偶然の一致ですけど・・・(苦笑)」とても温厚な性格で知られる彼の笑顔が引きつっているのを見て、やばい、と。あわてて、付け加える。「あ、でも、漢字は違うんじゃないんですか?」↑まったく無意味な質問(泣)。「同じです」(←仏頂面)やぶへび。。。「い、いや、でも、ほら、名前がすべて、ってわけじゃないですから、ね」「・・・・ぜんぜん、フォローになってない」(←とうとう眉間にしわ)(た、たしかに・・・。)「あ、いや、というか、いえ、いやいやいや、あはははは・・・・・(大笑)」↑自分のあまりの失言の連続に、すっかりわけがわからなくなっている。何を言っても墓穴を掘る気がして、それ以上、何も言えなくなり、とりあえず無意識に、笑ってお茶を濁そう、と。が、、、もちろん、これもいけなかった。最悪に、いけなかった。社内一温厚な彼が、すっかり不機嫌な表情のまま、顔を真っ赤にしてその場を去って行ったのだった。ああ、また一人、敵を作ってしまった・・・。 “「問題は、、、」と、ハンプティ・ダンプティは言いました。 「(言葉と人間と)どっちが主人か、ってことだね。」” ―― ルイス・キャロル「不思議の国のアリス」
Nov 26, 2004
ボジョレー・ヌーボー解禁!!(←遅)こういう、あからさまな商戦略には・・・・いとも簡単に引っかかってしまうイーサであった。(爆)とりあえず、スーパーで最もおいしそうなワインを購入。ツマミに、肉野菜炒めを作ることにした。しかし、買った肉400グラム全部使い切ってしまったので、出来上がってみると「野菜入り肉炒め」。それにしても、、、、、きゃべつ、にら、もやし、豚肉、コンソメ、ニンニク、塩胡椒、七味唐辛子の奏でる絶妙なハーモニーは天才的においしかった。(←限りなく自己満足)というわけで、ボジョレー、残りわずか。 ------------------ 思いがけず、とてもとてもラッキーで幸運でタナボタな出来事があった。うん。やはり、ふだんの行いが大切だということだな。(爆) 社会心理学の一般法則に、『コミットメントが低いほうがその関係を支配する』というのがあるけれど。もちろん、例外もあるということだよ。誠心誠意。そんなクラシックな手法が生きることもある。 “私の表情は私の知らないうちに、私の知らない気持ちを映し出しているのかもしれない。” ―― 綿矢りさ「蹴りたい背中」 ---------------- 職場では、現在、『自己満足ギャグ』が大流行中。ギャグの種類によって、オヤジ系、オタク系、コテコテ系、シュール系、と派閥が分かれている。 たとえば、同僚に話しかける用件があったとき、真剣に仕事をしている後ろからそっと近づいて、話しかけるタイミングをうかがう。同僚が気づいて振り返り、「わっ!!びっくりした~」「わーっ!!こっちこそびっくりしたよ~。こんなところに座ってるんだもん」「ここ、オレの席だっちゅうの」「あ、そっか。。。ところで、つまらないこと聞いていい?」「ふむ。そりゃ、つまらない」「いや、まだ、なにも言ってないから」 ・・・という、これは、コテコテ系。(←イーサ所属(爆)) 「では、数学の話を始めマス。」(↑オヤジ系。) メールがまわってくる。「1.今週のオフ会(※)の場所が決まりました。2.2ゲット。3.>1~2自作自演。4.↑おまえもな。5.休暇中の山本さんもぜひ参加キボンヌ。 ・ ・ ・(以下、非生産的な数行がつづく)」↑言うまでもなく、オタク系。(※)もちろん、ふつうの飲み会の誘い。 “人生は、真剣に語るにはあまりに重要すぎる” ―― オスカー・ワイルド ↑というか、ギャグですらないし。↑シュール系
Nov 19, 2004
オフィスで仕事の準備をしていたら、同僚の女性が、突然、「イーサさんに、質問がありまーす!」と、話しかけてきた。「なんだか、やたら楽しそうで気味が悪いんだけど(笑)・・・・なに?」「四字熟語を2つ、思い浮かべてください」なるほど、心理テストか、と思いつつ、2秒くらい考えて「一刀両断」「はい。で、もう1つ」今度は1秒くらいで「天真爛漫」「なるほど~・・・」と、ニヤニヤしている彼女。「で、どういうオチなの?」「1つ目が人生観で、2つ目が、、、恋愛観!!」(←なぜか勝ち誇った様子)・・・・なのだそうだ。「ふむ。。。それで?」「え?」「え?、、、って、それだけ!?」「うん。それだけ。」「なんだか、、、、ぜんぜん、ひねりも説得力もない気がするんだけど(笑)。ま、いいか。“人生、一刀両断。恋愛、天真爛漫。”・・・これから、これ、座右の銘にしようかな(笑)。」 -------------------- 仕事の帰りに、ビッグイシューの最新号を購入。デンゼル・ワシントンを特集していた。この雑誌のいいところは、有名人にインタビューをするときでも決して媚びた記事の書き方をせず、つねに適度な距離をおいているところだ。特集記事を書かせてもらうからといって、俳優やアーティストの単なる宣伝記事で終わらない。ときには、作品に対して、冷静な批判や疑問もぶつける。インタビューを受けている有名人の答え方などに対しても、容赦なく批評を加えたりする。今回も、「(ワシントンは)答えをはぐらかすことを得意としているとしか思えなかった」とか、「作品の中で聖書のローマ書を暴力を正当化するために利用している」ことが気になる、とか、記事の文章のところどころに、ちくりとした批判が入る。「ラリー・キング ライブ」を観ているときなども感じることだが、ときには相手の最も嫌がる本質的な部分についての質問や指摘をすることで、観ている人 / 読んでいる人も興味を惹かれるし、答える本人も、自らの生き方に説明を与えることで、ひとまわりもふたまわりも成長していく、ということはあると思う。・・・・・・・シンガー・ソング・ライターの松本哲也のインタビュー記事も載っていた。「暴力団の父と薬物中毒の母。少年時代の虐待といじめ・・・・。自らの運命を憎み、非行を繰り返した少年が、今、ギターを手に『僕には歌う理由がある』と言う。」「窃盗、無免許運転、シンナー、セックス、恐喝・・・。14歳の時には、ついに傷害事件で逮捕され、救護院に送られた。」中学を卒業すると、音楽をあきらめ、父親の勧めるままヤクザになろうと決めていた。しかし、ある偶然(必然?)が、彼を音楽の道へと引き戻すことになる。'02年、彼がメジャー・デビューを果たすと、母は、息子の成功を近所に自慢して回った。昨年、その母が、拒食症による餓死で亡くなった。彼は、自らの著書のなかで、こう呼びかける。 “俺、もう恨んでなんかいないから。 きっと、母さんも寂しかったんだよね。 もし生まれ変わったら、今度は俺の子どもになりなよ。 俺がしっかり抱きしめてあげるから。” ―― 松本哲也
Nov 17, 2004
心地よい解放感。黙々と取り組んできた仕事が、いよいよ明日中には終わりそうな目途が立った。ゴール直前の恍惚。100kmマラソンで、あれほど疲労困憊していたのに、武道館が目前に迫った途端、魔物にとり憑かれたような潜在能力を発揮して猛スパートした杉田かおるになったような気分。(爆)早く解放されたいという気持ちと、まだもう少し、この仕事を続けていたいという気持ちとの、快い葛藤。束縛から解き放たれる直前にこそ、恍惚の絶頂はやって来るものなのかもしれない。絵がもう少しで描きあがろうという直前、ビールを飲みながら、完成間近の悦楽に浸りつつ仕上げに取りかかるという奈良美智を見習って、僕は今夜、ラムと日本酒を飲みながら、執筆を続ける。。。。(というか、見習わなくても、毎晩、いろいろ飲んでるけど。) “世に生を得るは、事を為すにあり。” ―― 坂本龍馬 小さな仕事でも、大きな仕事でも、何かを成し遂げたという実感には、それまでの苦難を忘れさせる力があるものだ。
Oct 28, 2004
仕事の後、帰ろうとしてオフィスを出たところで同僚につかまり、飲みに誘われる。まあ、少しくらいなら、、、、と思って、つきあうことにした。少し寝不足だったし、朝からほとんど立ちっぱなしでちょっと疲れていたし、今週末締め切りの仕事もあったので、早々と立ち去るつもりだった。しかし、気の合う仲間と飲み始めて話に花が咲いてしまえば、「少しくらい」で済むはずもなく。店員が、熱燗の徳利を何度も下げては持ってきて、持って来ては下げて。。。当然のごとく、終電も逃がし。必然的な流れで、朝まで飲み明かし。言うまでもなく、始発で帰宅。もちろん、翌日は、昼過ぎに起きることになる。そして、、、、ボチボチと、締め切りの迫った仕事にとりかかる。 “われわれは、絶壁が見えないようにするために、何か目を遮るものを前方においた後、 安心して絶壁の方へ向かって走っていくのである。” ―― パスカル 朝まで飲み明かしたことは今まで何度もあった。しかし、今回ほど翌朝の気分や体調や思考がすっきりしていたことはなかったように思う。途中から、ずっと日本酒ばかり飲んでいて、明け方近くには、頭は動いているのに口がついていけずに全く呂律が回っていないというような状態だったのだが。。。最近は運動を欠かさないので、肝臓その他の内臓も意外に鍛えられているのかもしれない。 というわけで、今夜もまた、人肌に温めた純米酒のぬくもりを全身に感じながら、ノートパソコンのキーを叩く。つまみは、生姜やニンニクをたっぷり利かせたレバニラ炒め。「目には目を、肝には肝を」ということで。。。(←違)
Oct 25, 2004
ずいぶん前に、もともと僕の紹介で職場でバイトとして働き始めて、しばらく一緒に仕事をしていた、とても純粋な心の持ち主がいる。彼女が、渋谷に来たついでということで、数年ぶりにオフィスに寄ってくれた。数年前とまったく変わらない、どこか人好きのする童顔と、どこまでも明るく元気な性格に急に懐かしさがこみ上げた。この子(と言っても32歳)は、現在でも、小人とか妖精とかサンタクロースなどを信じている。(と、誰にでも堂々と公言している。)ムーミンが好きだから、というだけの理由で、フィンランドに住んだこともある。何よりも赤毛のアンに憧れていて、何度もプリンス・エドワード・アイランドに旅行している。今でも、「自分はアンの生まれ変わり」と言って、はばからない。(そもそも、実在しなかった人物の生まれ変わりには、なりようがないのだが、、、)そんな彼女が、先日久しぶりに会って語ってくれた将来の夢というのが、「赤毛のアンの家を再現したペンションを経営すること」というものだった。・・・・・。(←僕)永遠に夢見る少女のような彼女が、しかし、今では、小さなホテルで主任として人をまとめる仕事をして、会社からの信頼も厚く、働く女性として雑誌にも紹介されたりしたこともあるというから、世の中は不思議なものだ。そして、最近まで働いていたホテルでは、仲居や部屋の掃除、人員シフトの管理などもこなし、ひととおり旅館経営のノウハウは身につけた、と言う。また、経理の人などに財務に関して必要なことをいろいろ質問したりして、資金さえあれば数年以内にでも独立開業できるくらいに、計画がかなり具体的になってきているとのこと。ほ、本気だったのか・・・。(↑しばらく、唖然。)そして、料理はどんなのを出して、どんなインテリアにして、どのようなサービスを提供するのかとか、お菓子は自分の手作りをごちそうするんだとか、具体的にいろいろ話してくれる。最初は、なかば呆気にとられながら聞いていた僕も、彼女の熱のこもった話を聞いているうちに、きっと、泊まり客を物語りの世界に誘うような、いわばディズニーランドのホテル版みたいなのができるんだろうな、という気がしてきて、こっちまでワクワクした気分になってきた。「秋葉原にでも建てれば、そういうのが好きそうな人が集まってくるかもね」と、僕がためしに提案してみると、「ちがーーーう!!そういうのじゃないのっ!!」と直ちに全否定されてしまった。彼女によると、こういう特殊な形態の旅館の顧客は、財産的にゆとりのある層が中心になるだろうということで、高級リゾート地に建設予定なのだそうだ。ふむ。。。さすがにきちんと考えてるものだな、と感心。高卒で、マトモな資格も持たず、少女の心のまま大人になったような女の子が、果たしてこれからどんなふうに夢を実現していくのか、本当に楽しみだ。 “自信のある自己流は、自信のない正統派よりもはるかに優れているんだ。” ―― アーノルド・パーマー
Oct 23, 2004
熱中が、熱中を生む・・・。ほとんど1日中、部屋に閉じこもってパソコンに向かい、文字を打ちつづける日々が続く。ハワイ産の、ナッツの香りのするコーヒーを淹れ、ときどき、マルボロなど吸いながら窓の外の景色を眺めつつ。ひたすら、文章を綴る時間が続く。外出するのは、スーパーに食料を買い出しに行くときくらい。体が固くなってきたら、鉄アレイを振り回したり、懸垂をしたり、腹筋をしたり。今度こそ、今度こそ、本当に、今度こそ(←しつこい)、、、締め切りぎりぎりにならなくても、せっせと、黙々と、仕事に取り組むことに成功している。・・・今のところは。たとえ1日に1回でも、一区切りついた後に思わず「ひゅうぅーっ!」と溜息が出るくらいに集中できるような仕事が与えられているということに、感謝。 “(集中力を高めるコツは)神経を集中することに、全神経を集中することです。” ―― マルチナ・ナブラチロワ パソコンのスクリーンから、ふと顔を上げて我に返ったとき、依然として、日常的なものが日常的なまま雑然と散らばっている様子を目にしたときの安心感というものは、何ものにも代えがたいものがある。いま、ここに、自分が存在しているという確かな実感。
Oct 21, 2004
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