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ひとときの休息仏語をさぼって御所でのんびりとした。 空が珍しくあおくライトブルーの地色に、しぼりたての白の絵具のような白さの、もこもことした、ふんわりとした雲が、なんとなくそれにしては刻々と流れては消えていった。ヘッセの詩を思いだした。 私は定めのないものが好きだ― ものでなくては あの雲の心はわからない―雲の心はわからなかったけれど、落ち着いた静かなひとときだった。 高野悦子著『二十歳の原点序章』(新潮社)より引用立命の広小路キャンパスが御所の東、加茂川との間にあった頃、悦子さんが過ごした休息の時間である。雲の詩は死の直前にもよく、日記に書かれている。しかしその頃の詩は現実逃避の色が濃いものであった。またお父さんの記述によると、時間を見ては、京都を散策したようである。
2005/04/30
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総括ここいらで大学生活の総括でもしようか。鈍行の東海道線にのって・・・高野悦子著『二十歳の原点序章』(新潮社)より引用この文章が書かれたのは、6月12日の日記です。大学に入学して、二ヵ月半経過した時である。サークル活動、自治会活動と新しい環境に対応できない部分もあったようである。なぜこの2年後、鉄道自殺することになったのか、山陰線を歩きながら、総括していたのではないか。
2005/04/28
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主体的死とは。現在生きている。死んでいない。どうして生きているのか、主体的に生きるという言葉はきいてもおかしくないが主体的に死ぬということは何となくおかしい。 生は流動しているのに対し死は固定しているものだから、主体的に死ぬといえるのは、自殺を主体的にしたときだけしかしえない。そしてその主体的行動をした結果すべてが終わる。何もなくなるのだ。 私は今何かをやっていきたいという気持ちだ。自殺をするほど死にたいと思わない。何かをやっていきたいと思っている。高野悦子著『二十歳の原点序章』(新潮社)より引用悦子さんは絶えず自己創造、自己変革を求めていた。それは主体性、自主性の追求である。その究極の主体性として死を選んだのかもしれない。
2005/04/27
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どうして生きているのだろうか?前の手紙で「現実のこの社会の中でどう生きていくか」ということについて考えてやっていきたいと書きました。でも私自身生きたいのかと考えてみると、今死んでもかまわない。ただし、自分で死ぬだけの積極性もないし、死ぬ場合にも苦しまずに死にたいという、きわめて消極的な態度をとっているのです。この考えは、もの心ついて以来ずっと心のかたすみにあったものです。その間、恵まれない環境や、不自由な体にめげず力強く生きている人をみて、自分も生きなければならないと思ったことがあっても、それは長続きせずに、生きるのがめんどうだという態度をとってきています。生きるのがめんどうだということは、逃避している一面があると書くはずだったが、考えてみると生きるのがまんどうだという考えが、現実からの逃避ではなくてなんだろう。 生きるのがめんどうだという意識とたえず戦っていかなくてはならないのではないか。どうして生きなければならないのか、私がその意識と戦っていかなければならないといわせたその根拠なんだろう。 みんなが苦しみにまけることなく生きているから、私も生きなければならないのだろうか、何故なのだろう。またどうしてみんな生きているのだろう。高野悦子著『二十歳の原点序章』(新潮社)より引用どうして生きているのだろうか。悦子さんは問うている。それは真理であり、答えがないものかもしれない。僕にも分からない。与えられた生に対して、どう自身が能動的に生を得たかという問題かもしれない。
2005/04/26
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対人恐怖症と笑顔のギャップ友達関係というものは、人間としてのぶつかりの場できびしいものである以上、私自身向上しなければ彼らは私を必要としなくなるだろう。これからの私はものすごく急激な自己変革をしなければならない。これに対して私はどのように対処していったらよいのか、恐ろしい気持ちがする。・・・ 生きている限り人に会う。会えば話をする。どのように会い、どのように話し、どのように別れるのか、わたしは人と接触するのに大げさにいえば恐れをかんじる。高野悦子著『二十歳の原点序章』(新潮社)より引用 悦子さんの写真を見れば、笑顔が素敵だと感じない人はいないと思います。しかしその笑顔は対人恐怖症からの防御なのかもしれない。那須文学に悦子さんの日記が初めて掲載されたとき、同時に友人の手紙の内容が掲載されていました。そこには悦子さんの笑顔が印象的で、魅力的だったと表現されていました。しかしその笑顔の本質を悦子さん以外は知らなかったのかもしれない。悦子さんは、自身をいつも笑っていると記し、自己嫌悪を感じていました。このギャップ。
2005/04/25
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初めての行動明日のメーデー参加についてメーデーとは、一八八九年アメリカの労働者の団体であるアメリカ労働総同盟が、五月一日に八時間労働の確立を求めて大集会を行ったが、その要求が通り多くの労働者が八時間以内労働となった、ということを記念して、一八九〇年から労働者の地位向上をスローガンに、五月一日に集会がおこなわれるようになったのがメーデーの起こりだ。そして歴史的にいろいろと変わりながら現在にいたっているそうだ。(次の日の日記)私がデモにもったイメージは平穏なものだということだ。シュプレヒコールや歌などがあるが、穏やかなものだと感じた。大衆とともに進むなら穏やかなデモの形態がいいと思う。高野悦子著『二十歳の原点序章』(新潮社)より引用 悦子さんが初めて参加した、学生運動である。この時は民青と非民青の亀裂があったようだが、悦子さんの思考、行動、存在を問うようなものではなかったようだ。なお立命館大学では、民青の力が強かったようである。やがて全共闘運動の中で民青と対立していく。
2005/04/22
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自虐と主体性の追求は両刃の刃生きるのがめんどうだという考えをすてること。私はあらゆる問題に対して最初の興味だけしか持っていない。問題意識がない。どんな本でもとにかく本を読むこと。(別の日の記述)私の日記は奥浩平君のいう“自虐的な文”でつづられている。高野悦子著『二十歳の原点序章』(新潮社)より引用悦子さんの日記は自虐的かもしれない。生きるのは面倒だと記述しながら、自己の存在、主体性、自主性を求めていく。しかしその行動と思考は現状維持というような停滞や慎重さを許さない。その追求は自身へと突き刺さる。両刃の刃かもしれない。完全を求めすぎたのかもしれない。
2005/04/21
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自主性・主体性自信と誇りをもつ自主性のある人間になるよう努力しよう。それから人対人の関係、対人関係の処理をじょうずにしよう。(別の日の日記)・・・私はどうしてもこの四年間主体性を持って進まなければ、これからの人生は無意味になる。学生の生活は講義などのほか、自治活動が大きな位置をしめている。その中のどの自治活動に入るか自分でよく考えて決めようと決心した。高野悦子著『二十歳の原点序章』(新潮社)より引用悦子さんの大学時代、いや人生において主体性(自主性)と対人関係が大きな問題だった。自己の存在の確立、自己と他者との調和のとれた関係構築を求め続けた。それらが全共闘運動、孤独へと到る。
2005/04/20
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死の恐怖死ぬのがこわいと山はいった。松岡さんは死ぬことがこわいといった。死ぬことは平気だわ。だって何も自分はわからなくなってしまうんだもの。だけど、私は死ぬことはこわい。自分ののらりくらりとした生活をたちきってしまいたいけど、自分の命を絶つということはできない。と私は思った。山は「死んだらこの世の中に私というものが全然なくなってしまうんだもの、死ぬのはこわいわ」といった。西ちゃんも山の考えと大体同じようだ。それからサカとマツも一致していた。私もマツも似通っていた。高野悦子著『二十歳の原点序章』(新潮社)より引用悦子さんは死ぬことは怖いと言っている。しかし死を選んでしまった。現実、自身の存在を問う現実の方が怖かったのかもしれない。【楽天市場】本・雑誌・コミック
2005/04/19
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決意だらだらとした惰性の生活を送ってきた。四月には京都での一人暮らしだ。この調子で京都にいったら大変なことになる。四月から始まる大学生活!四年間の京都での一人暮らし。どのように過ごしたらよいのか。自身の意志できっぱりと選んだ道をどう生きていくべきか。「悔いなき大学生活」にするにはどうしたらよいのか?自信の持てる自分にすること。英会話を勉強すること。日本史を通じて何かをつかむこと。高野悦子著『二十歳の原点序章』(新潮社)より引用悦子さんは進学先を立命館大学とし、京都での四年間の大学生活の決意をする。自分が大学に合格し、東京に上京したときには決意はなかった。やっと受験勉強が終わって、開放された気分だった。この決意からも悦子さんの生真面目な気質が感じられる。【楽天市場】本・雑誌・コミック
2005/04/18
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自己に厳し過ぎた。人間は、自分の目的のために己を律することが必要なのである。私は自分を律するとういことができない。(別の日の日記)私は生きようとする意志もまた死のうとする意志もなく、のらりくらりと日々を過ごしている。高野悦子著『二十歳の原点序章』(新潮社)より引用悦子さんの意識は高く、自身に厳し過ぎた。真面目で、完全主義的資質がそうさせたのかもしれない。また生と死の間で葛藤していた。ある意味で現実に失望していなかったのかもしれない。生にも死にも期待も、絶望もしない。ただ物体のように現実に存在する、現実にそこに「ある」という選択をしなかった。この社会に「ある」「ただ存在する」という選択を、望まなかった。【楽天市場】本・雑誌・コミック
2005/04/16
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生きることはめんどうだ。「人生論」・・・人はいかに生きるべきか、という事をかくのだろう。正直なことをいって、生きることはめんどうでたいへんなことだ。時々私は、自殺しようかなと思う。生きていることから逃避したくなるのだ。私の場合、これは中学のころから何かいやなこと、苦しいことがあるとそう思うようになってきている。もの心ついたころからである。そして、自殺する時は苦しまずに死ねる方法でやりたいと思っている。高野悦子著『二十歳の原点序章』(新潮社)より引用前回まで『二十歳の原点ノート』でしたが、今回から『二十歳の原点序章』に記された日記を紹介します。以前にも記したように悦子さんは中学の頃から自殺を考えるようになっています。自身の将来を予期していたのかもしれません。しかしなぜ自殺を考えるようになったかという具体的な原因は書かれていません。もちろん自殺について初めて書かれたのは、深く影響を与えられた奥浩平さんに出逢う以前のことです。何があったのでしょうか。心臓弁膜症、孤独、劣等感【楽天市場】本・雑誌・コミック
2005/04/15
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何をすればよいのか。私は現在生きている。生きていることは確かなことだ。けれども、現在いや一秒後にくる時間、その時、私は何をすればよいのだろう。現在生きていることは確かなのだけれども、これから一体何をすればよいのかわからない。高野悦子著『二十歳の原点ノート』(新潮社)より引用悦子さんは「与えられた生」自身について、自身の向上、自己創造を求め続ける。完全主義者的資質により、死の直前まであるべき自己を追い求める。【楽天市場】本・雑誌・コミック
2005/04/14
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会えたのだろうか?私はその人(奥浩平さん)に会ったこともなければ、見たこともありません。ただ私は、その人のことを本で読んだだけです。これからも会うことはないと思います。会えたらいいなあと思いますが、会ったもお話することがないのではないかと思います。でも、ああ、もし彼が生きていたら・・・高野悦子著『二十歳の原点ノート』(新潮社)より引用悦子さんに深く影響を与えた奥浩平さんに会えただろうか。もしこの本との出会いがなければ、悦子さんは全共闘運動に参加していなかったかもしれない。そして『二十歳の原点』の読者は奥さんを悦子さんに置き換えているかもしれない。一度あなたに逢いたかった。【楽天市場】本・雑誌・コミック
2005/04/13
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生は与えられたものである。生は与えられたものである。だが、生を持つからには、前進したい。暗、非、黒、陰・・・、といわれるものにはなりたくない。高野悦子著『二十歳の原点ノート』(新潮社)より引用「生は与えられたものである。」という言葉に、悦子さんの生、存在に対す考え方が現れている。生、存在に対して、能動的、受身である。悦子さんは「どうして生きなければならないのか」と日記に記していました。生、存在そのものが重荷だったのだろう。また人間の存在意義を問うものである。心理を問うものである。私にはその答えがまだ判らない。ブログの「悦子さんの死の私的考察」に記した「与えられた生」はこの記述による。【楽天市場】本・雑誌・コミック
2005/04/12
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結局ひとりなんだ。ひとりなんだ。ひとり。生きてたって死んだって、彼らには、結局縁のないことなのだ。金銭的なうすっぺらなつながりだけなんだ。今、この世の中で、私を必要として理解してくれる人がいるのだろうか。お父さん、お母さん― 暖かく見守ってくれるだろう。私のことを理解はしないだろうが、理解しようと努め、いつでもつつんでくれるにちがいない。だけど結局一人なんだ。そうだよ悦子、おまえは自分の足でしっかりと歩いていかなくちゃいけないんだよ。 さびしいからといって、愛されることを考えてちゃだめだよ。やらなくちゃ。何かをやらなくちゃ。お母さんからの手紙をひっぱりだしてくるなんて弱虫のすることだ。高野悦子著『二十歳の原点ノート』(新潮社)より引用以前にも記したように、悦子さんは深い孤独を感じていました。家族の中でも孤独を感じていました。そして理解し、包んでくれるSOMEONEを求めます。また存在の意義を求めるように、全共闘運動に参加していく。この孤独はどこからきたのだろうか。【楽天市場】本・雑誌・コミック
2005/04/11
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神との決別「くよくよしているだけなら、誰でもできる。その状態を脱して、希望をもて!行動を起こせ!」とアカオさんにいわれたみたいだ。神にすべて任せて生きるなんて、弱者のすることだ。私達はもっと人間の力を信じて、強く生きるべきだ。こう思った。高野悦子著『二十歳の原点ノート』(新潮社)より引用悦子さんは自身や社会を変えるために、思考から行動へと全共闘運動に参加する。しかし自分の行動で社会が変わるあるいは活動をしていても何も変わらないとういような葛藤に襲われる。最終的には人間、自身を含む人間を信じられなかったのかもしれない。【楽天市場】本・雑誌・コミック
2005/04/07
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運命の出逢い『青春の墓標』を一気に八八ページまで読んだら、後が続かなくなってしまったので、閉じてしまった。思想的なところは最初の二、三ページしかわからぬが、彼の態度にひかれた。学問と闘争こそが生きがいであるといい、彼は本から、友人から、先生からいろいろ学ぶが、結局はそれは外的なものであって、彼は彼自身のものをつくろうとしている。あるときは外的なものをかぶっている自分に気がつき、なげいたり。しかし、彼は単なる学者ではなく、社会に痛烈に働きかけている。高野悦子著『二十歳の原点ノート』(新潮社)より引用17才の悦子さんは、奥公平(自殺)さんが記した『青春の墓標』と出逢い、影響を受ける。闘争こそが生きがいとあるが、悦子さんや奥公平さんが存在していた時代は、今の学生がテニスサークルで活動するように学生運動に参加することが、ごく普通のことだったようだ。悦子さんも全共闘運動に参加する。悦子さんは『二十歳の原点』に「闘争のない生活は、空気の入っていない風船、タマの入っていない銃、豆腐の上にのせたコンニャク、空っぽの膣、空中に向かって出された陰茎・・・ではないでしょうか。」と記しています。【楽天市場】本・雑誌・コミック
2005/04/06
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幸福は一瞬だったのかもしれない。幸福とは長続きのするものではない。永続する幸福というものはない。よりよい生を得たときから、またよりよい生が生まれてくる。それでも、私達はしあわせを求めて生きていく。そのしあわせは、年とともにいろいろと変化していくだろう。前はしあわせだったものが、今ではかえって不幸と感じることもあるだろう。けれども私は、今自分が何を求めているのかをよくしり、自分の心に従って生活するまでである。 高野悦子著『二十歳の原点ノート』(新潮社)より引用悦子さんは自身の向上を求め続ける。大学進学とともにサークル活動、ワンゲル、全共闘運動に参加する。サークル活動、全共闘運動は自身の存在を問うものだった。唯一ワンゲル活動をしていた時期が幸福だったのかもしれない。しかし自身の存在を賭けって、全共闘運動に参加する。【楽天市場】本・雑誌・コミック
2005/04/04
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何かを求めていた私は、神、キリスト、聖書について、もっとしりたい。 高野悦子著『二十歳の原点ノート』(新潮社)より引用以前のブログで「神を求めていたのか」と記述しましたが、悦子さんは何かを求めていた。それは何か、僕のように感性の鈍い人間には判らない。だから今この空間に存在しているのかもしれない。【楽天市場】本・雑誌・コミック
2005/04/01
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