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シリアで化学兵器が使われたというニュースを受けて、アメリカがシリアを「正義のために」攻撃したりなど…不穏な動きになっています。もちろんアサド政権はこれは自分たちの仕業ではない、と声明を出しています。アサド大統領の仕業だという意見が多数を占める中、アサド大統領であるはずがない、という意見も出ています。ある記事からの一部抜粋。Many have questioned why Assad would be so strategically stupid as to order a chemical weapons attack and incite the wrath of the world given that he is closer than ever to winning the war against ISIS and jihadist rebels. Just five days before the attack, U.S. Secretary of State Rex Tillerson said, “The longer-term status of President Assad will be decided by the Syrian people,” implying a definite shift in U.S. foreign policy away from regime change in Syria.Why would Assad put such assurances in jeopardy by launching a horrific chemical attack, allowing establishment news outlets like CNN to once against use children as props to push for yet another massive war in the Middle East?時間の関係で翻訳は省きますが、要約すると…「ISIS 掃討作戦が佳境を迎えている今、アサド大統領がわざわざ国際社会を敵に回すようなことをするはずがない」。つまり、アサド大統領はそこまで「strategically stupid」ではない、ということです。「strategically stupid」…直訳すると「戦略的にバカ?」うーーん。。。日本語的におかしいですね。「意図的に愚か」…こちらの方がしっくりくるか。アサド大統領はそこまで「意図的に愚か」ではないということですね。さて政治の世界は神と本人のみぞ知る世界。私達には真実は分かりません。ただし…アサド大統領がそこまで「意図的に愚か」しい行動を取るとは考えられないというのも事実。シリアでの情報が工作されているというのはこれまでも何度も見聞きしてきたことです。反政府派が情報を工作しているということはもちろんあり得ます。大多数のアラブたちの意見…「アメリカとロシアは戦争をしたいんだけど、場所がなかった。でもシリア内戦への介入という名目で、シリアという国土を使ってアメリカとロシアが戦える」。でもシリア内戦ももう6年。亡くなっていくのは無力な子供たちや女性・老人たち。シリアに家族を残して各国に散っているアラブたちの不安は尽きることがありません。誰が誰に対して戦っているかなんてもうどうでもいいから、祖国を返してほしい、というのがシリア人たちの心の叫びでしょう。皆さま、一日一回応援よろしく! です↓ 下の「ブログ村」のアイコンをポチッとクリックしていただけたら、皆さまの応援がランクが反映される仕組みになっています。ヨルダンツアーのことなら何でも:http://picturesque-jordan.com/お気を付けください!!:当方のブログ「月の砂漠―ヨルダンから」および当方のホームページ「Picturesque Jordan」は、東京池袋にあるヨルダン料理・アラビア料理のレストランとは何の関係もありません。類似のキャッチフレーズを使用している某旅行会社のサイトや「Picturesque-Jordan-月の砂漠ツアー」という名前で2013年に開設されている Facebook のページ (いずれも同一人物による) のことが報告されていますが、当方とは全く関係がありません。混同されないようにご注意ください。当方では、他のサイトの運営者と話し合ってオリジナルのキャッチフレーズや文面やツアーの内容を共有することは一切ございません。当方のホームページまた本ブログ「月の砂漠―ヨルダンから」からの違法転載・不正転載を目にされた方はお知らせくださいませ。資格のない自称「ガイド」にご注意くださいませ!!:https://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201412230000/ ヨルダンでは現在活動している日本語ガイドは2名となっております。それ以外で「日本語ガイド」と名乗っているヨルダン人は違法操業者となります。中東旅行のヒント! 現地旅行会社の選び方:https://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201502220000/
2017.04.07
昨日、シリアで行方が分からなくなっていたフリージャーナリストの方のものとみられる動画が公開されました。この邦人ジャーナリストの方がシリアで拘束された可能性については、去年の7月ごろから声が上がっていたようです。今回このジャーナリストを拘束しているのはイスラム国ではなく、イスラム国とは敵対関係にある「ヌスラ戦線」という武装組織だとみられるということです。ヌスラ戦線は、イスラム国と戦うと同時にアサド政権とも戦っている。彼らの目的は身代金を要求することだとか…。イスラム国とアサド政権の両方を相手に戦っている比較的小規模な組織であるわけですから、資金が必要なのは言うまでもないと思います。↑ ヌスラ戦線の戦闘員。CNNのホームページからお借りしました。ただしこの組織に関しては、少なくとも、イスラム国のように残忍な処刑を行っているといったことは聞かれていません。外国人の人質の扱いに関しては、イスラム国などとはあえて一線を意図的に画すということも十分考えられます。あるいは、ヌスラ戦線の政治的意図と外国人との間にはもともと何の関連もないわけですから、そもそも人質を手荒に扱う意味がないのかも。いずれにしても、拘束の目的は身代金要求というのは明らかなような気がします。私にはシリアで起きていることの真相というのはさっぱり分かりませんが、唯一分かるのはアラブの気質。アラブという国民は、お互いをさえ (つまりアラブ同士でも) 本当の意味では信頼していません。根強い不信感…これはアラブたちが互いに対して共通に持つ思いです。ですから、シリアで活動する組織の結束力も決して強いとは言えないと思います。アラブは、己の利益のためには何でもする国民。以前にも「寝返る男」というブログ記事を書いたことがあります。http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201509300001/ 己の利益のためには、あっさりと人を裏切ってしまう。普段からそうなのですから、戦闘地域で人々が極限まで追い詰められているような状況では、ましてそうであろうと思われます。そんなアラブを信じてシリア国内に入ることは無謀。アラビア語が話せたらまだ何とかなるかもしれませんが、アラビア語も話さない外国人が極限状態の戦闘地域へ赴くのは、やっぱり自殺行為だと思います。今回拘束された方に限らず、いわゆるジャーナリストの方々の活躍がなければ、シリア内戦で起きている事柄の多くは知られずに終わってしまうものかもしれません。それでも…シリア国内に入るということはあまりにも危険すぎる。以前の人質事件の時もそうでしたが、良いか悪いかは別として、今回の事件もシリアに入りさえしなければ起きなかったこと。極限状態のシリアで外国人がうろうろしているなら、「つかまえて」と言っているようなものです。目立ちすぎるのです。8年間アラブと共に暮らして、アラブの気質を知れば知るほど、私は以前よりずっと用心深くなりました。アラブの口約束を信じることは絶対にできない。今回シリア入りされたジャーナリストの方を含めて、日本人はその点、やっぱり人を信じやすい国民なのかもしれません。いずれにしても、この事件が早急な解決を見ることを心から祈っています。一日一回応援よろしく! です。↓ポチッ、してくださいね~。↓ 下の「ブログ村」のアイコンをポチッと押してください。皆さまの応援がランクが反映される仕組みになっています。 ヨルダンツアーのことなら何でも:http://picturesque-jordan.com/お気を付けください!!:当方のブログ「月の砂漠―ヨルダンから」および当方のホームページ「Picturesque Jordan」は、東京池袋にあるヨルダン料理・アラビア料理のレストランとは何の関係もありません。類似のキャッチフレーズを使用している某旅行会社のサイトや「Picturesque-Jordan」という名前で2013年に開設されている Facebook のページ (いずれも同一人物による) のことが報告されていますが、当方とは全く関係がありません。混同されないようにご注意ください。当方では、他のサイトの運営者と話し合ってオリジナルのキャッチフレーズや文面やツアーの内容を共有することは一切ございません。「当方のホームページまた本ブログ「月の砂漠―ヨルダンから」からの違法転載・不正転載を目にされた方はお知らせくださいませ。資格のない自称「ガイド」にご注意くださいませ!!:http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201412230000/中東旅行のヒント! 現地旅行会社の選び方:http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201502220000/2220000/
2016.03.18
な、なんと明日で2月が終わり! 3月に突入します。あっという間に春ですね…。2月中は色々ありまして、ブログの更新が滞っておりました。スミマセン。さて、2月25日付のロイターの記事には、ドイツ政府が2020年までに360万人の難民流入を予測しているということが書かれていました。昨年は過去最多の110万人の難民がドイツ入りしました。予測されている360万人という数には、昨年のこの数も含まれています。今後、平均して毎年50万人のペースでドイツに入ってくる、と予想されているそうです。同じ日に、ドイツ連邦議会が「中東などから押し寄せる難民の流入を抑制するための法案を可決した」という記事もありました。「一部の難民申請者について、2年間は家族を呼び寄せることを禁じるなどの措置が盛り込まれた」ということです。 さらに、「昨年12月31日にドイツ西部のケルンで起きた女性への暴行事件で難民が関与しているとされる問題を受け、犯罪を犯した外国人の国外退去を容易にする法案も可決された」とのこと。フムフム。確かに今のままのペースでドイツに難民が流入してくることになれば、国民の生活を圧迫することは必至で、メルケル首相も非常に難しい立場に追い込まれているかと思います。アラブは大家族なので、一家全員が同時に欧州へ移動できるケースはまれだと思います。ほとんどが、お父さんと子供一人、あるいは子供たちを置いて夫婦だけで、あるいはお母さんが3人いる子供たちのうち2人だけを連れて…などという風に、家族の一部が先に移動するケース。大多数のアラブは、ドイツでの生活が落ち着いたら家族を呼び寄せる、という考えでとにもかくにも移動してきます。中には、自分がドイツに着いたら家族に同じ道を通ってドイツ入りするように伝えることもあるけれど、過酷な行程を踏破してきたアラブたちは、できれば家族には同じ道を通らせたくない。特にちいさな子供には無理。あるいはもう資金を使い果たして、家族が移動する分は残っていない。だから、政府に申請して、家族を合法的に呼び寄せたい…と思っているわけです。でも今回の議会の法案で、2年間は家族を呼び寄せることを禁じる、などの措置が取られるようになると、これは難民たちにとっては大変なことです。こうした詳細は、シリアやイラクにいるアラブたちには分かりませんから、ドイツ入りすれば家族を次に呼び寄せることができる、という希望的観測を抱いて移動するアラブがほとんどでしょう。ドイツ側としても、臨機応変に法律を変えて行かないと対応できないので、難民に対する扱いはその時々で変わる。だから、前は可能だったことが今は不可能、ということも多々あるわけで…。難民側としては混乱しますが、これは致し方ないこと。そんなわけで、今後も混乱は続きそうです。難民たちの行く末は…? 短期間にものすごい数のイスラム教徒を抱え込むことになった欧州の行く末は…? 今後、様々な問題が山積しています。一日一回応援よろしく! です。↓ポチッ、してくださいね~。↓ 下の「ブログ村」のアイコンをポチッと押してください。皆さまの応援がランクが反映される仕組みになっています。 ヨルダンツアーのことなら何でも:http://picturesque-jordan.com/お気を付けください!!:当方のブログ「月の砂漠―ヨルダンから」および当方のホームページ「Picturesque Jordan」は、東京池袋にあるヨルダン料理・アラビア料理のレストランとは何の関係もありません。類似のキャッチフレーズを使用している某旅行会社のサイトや「Picturesque-Jordan」という名前で2013年に開設されている Facebook のページ (いずれも同一人物による) のことが報告されていますが、当方とは全く関係がありません。混同されないようにご注意ください。当方では、他のサイトの運営者と話し合ってオリジナルのキャッチフレーズや文面やツアーの内容を共有することは一切ございません。「当方のホームページまた本ブログ「月の砂漠―ヨルダンから」からの違法転載・不正転載を目にされた方はお知らせくださいませ。資格のない自称「ガイド」にご注意くださいませ!!:http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201412230000/中東旅行のヒント! 現地旅行会社の選び方:http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201502220000/2220000/
2016.02.28
パリで起きたテロ事件をきっかけに、日本でもまた思い出したようにイスラム国関連の報道が増えていると思います。もともと”宗教”が生活の一部ではない日本人の観点からすれば、イスラム国の思想とやらは「意味不明」という感じかと思います。欧米各国は足並みをそろえて「テロの撲滅」=つまり「(欧米からすると) イスラム国の撲滅」を声高に叫んでいます。が、そもそもイスラム国の拠点のラッカを爆撃したからといって、それがテロとの戦いへの勝利となるのでしょうか。答えはNOです。イスラム国の「思想」が世界中に広がっているからです。この「思想」が受け継がれていく限り、テロとの戦いに勝利はありません。そして思想との戦いというのは極めて象徴的なもので、爆撃などで建物を破壊できても人の心をコントロールすることはできない。以前に「正義とは?」という記事を書きました。http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201105020000/ オサマ・ビンラディン氏がアメリカによって殺害されたときのことです。この中で、「報復の連鎖が切れるわけではありません。欧米諸国は報復への警戒を強めているとのこと。ビンラディン氏が死んでも、同氏の思いを受け継ぐ次なる人物が現れることでしょう。その人物はビンラディン氏以上に fanatic かもしれません。報復は続きます」と書きました。実際にオサマ・ビンラディン氏はとうの昔に過去の人物になっていますが、彼よりさらに過激で残酷なイスラム国が現れています。例えばオサマ・ビンラディン氏は、イスラム国のように公開の斬首刑などを執り行ったり、女性を奴隷にしたり、人肉を食べたりはしなかったでしょう。ですから、たとえイスラム国というものが散り散りにされたとしても、こんな風に数年ごと、あるいは数か月ごとにさらに過激な人物や組織が出てくると予想されます。そのことに欧米諸国は気付いているのかいないのか…。まぁそれでも、建前としてはラッカを攻撃せざるを得ないのでしょうけれど。イスラム国によって被害を受けているのは、テロの被害にあった人たちだけではないと思います。一般の善良なイスラム教徒たちも被害者です。今、イスラム国はこうした被害者の一般のイスラム教徒たちをも取り込もうと躍起になっている。それは実際にシリアに来て戦闘に参加させることが目的なのではなく、イスラム国の過激な思想を脈々と受け継がせることが目的。こうしてイスラム国の「首都」であるラッカが陥落しても、過激な思想は一人歩きしていきます。これこそが目的。ラッカはやがて陥落するでしょう。過激な思想に洗脳されたイスラム教徒にとって死ぬことは何でもないことなのです。死ねば殉教者として天国に行ける。この宗教的信条にプラスして、イスラム国ではドラッグ(麻薬)で戦闘員たちはハイ状態になっていると考えられます。イスラム教の建前は麻薬は「罪」ですが、アラブの一般的な意見としては、洗脳のためにイスラム国ではある種の麻薬は常用されているであろうということ。本当に難しいですね。私はヨルダンでイスラム教徒たちに囲まれて暮らしてきましたし、彼らとの良い思い出もたくさん。イスラム教徒を怖いと思ったことは一度もありません。でも、そんな私もイスラム国だけは怖い、と思います。今までも何度も繰り返してきたことですが、「イスラム国=イスラム教徒」ではありません。「イスラム国=イスラム教を利用した過激な思想」です。今は出口が見えないかに見えます。私としては当面のシリア難民とのかかわりの中で、彼らに寄り添っていければと思っています。一日一回応援よろしく! です。↓ポチッ、してくださいね~。↓ 下の「ブログ村」のアイコンをポチッと押してください。皆さまの応援がランクが反映される仕組みになっています。 ヨルダンツアーのことなら何でも:http://picturesque-jordan.com/お気を付けください!!:当方のブログ「月の砂漠―ヨルダンから」および当方のホームページ「Picturesque Jordan」は、東京池袋にあるヨルダン料理・アラビア料理のレストランとは何の関係もありません。類似のキャッチフレーズを使用している某旅行会社のサイトや「Picturesque-Jordan」という名前で2013年に開設されている Facebook のページ (いずれも同一人物による) のことが報告されていますが、当方とは全く関係がありません。混同されないようにご注意ください。当方では、他のサイトの運営者と話し合ってオリジナルのキャッチフレーズや文面やツアーの内容を共有することは一切ございません。「当方のホームページまた本ブログ「月の砂漠―ヨルダンから」からの違法転載・不正転載を目にされた方はお知らせくださいませ。資格のない自称「ガイド」にご注意くださいませ!!:http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201412230000/中東旅行のヒント! 現地旅行会社の選び方:http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201502220000/2220000/
2015.11.24
何とも痛ましいニュースが入ってきました。パリでの同時多発テロ。120名以上が亡くなり、負傷者はそれを上回る数に上るということですね。さらに負傷者の中には多数の重傷者がいるようです。イスラム国が犯行声明を出したということです。今年の1月に人質事件が起きた時に、「受難のヨルダン」という記事を書きました。http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201502010001/ この記事にはFacebookでもたくさんの「いいね!」を押していただきましたので、読んでくださった方が多かったようです。その中で、こんな風に書いていました(以下引用)。ヨルダン=危険なのではなく、むしろイスラム国に参入している欧米からの戦闘員のことが問題視されています。フランス人のルームメートとも話していますが、かえってヨルダンの方が安心かも…という側面もある。フランスからは1000人以上がイスラム国の戦闘員になっているようで、こうした人たちがフランスに帰って来た時にテロなどの危険が増すと言われています。 テロなんて、一時はごく限られた国だけの問題だったかと思いますが、イスラム国の台頭+インターネットの普及に伴って、今では世界中でその危険があります。イスラム国のツイッターやサイト、暴力的な動画なども、ごくごく普通の一般人が世界中でアクセスできます。ですから、テロの確率という観点からいえば、ヨルダンが危険というより世界中が危険です。ヨーロッパでのテロなんて、いつ起きてもおかしくない。こうした側面が全く伝えられず、ヨルダンにだけ「危険」というレッテルが貼られるのはちょっとおかしい。ですから、ヨーロッパでのテロは必ず近いうちに起きると思っていましたし、起きるとすればまずはフランスであろうとも思っていました。今回の事件を受けて、やっぱり…というのが正直な感想です。ドイツはシリア難民を受けて入れているのでまずテロは起きないだろうという楽観的な意見もありますが、私としてはドイツも例外ではないと思います。イスラム国はシリアを捨てて難民になっているシリア人たちをも非難しています。ですから国を捨てるとどうなるか、といういわゆる"見せしめ"的にドイツ国内でもテロ行為が起きる可能性は十分にあります。テロとの戦い…。いったん始まってしまったからには、終わりはないでしょう。そしてもっと世界に拡散していくと思います。イスラム国なんて1,2年前には存在すら知られていなかったのですが…。欧米諸国の努力?がかえって過激派を育てるという皮肉な結果になっている感は否めません。もっとも大多数のアラブの意見としては、イスラム国はアメリカが作り出したもの、ということですが…。こうした政治絡みのうんぬんは当事者と神のみぞ知る世界。でも私たちが直面している現実は、テロとの終わりなき戦いが今後も続くということです。今回の事件で、これ以上犠牲者が増えないように願っています。一日一回応援よろしく! です。↓ポチッ、してくださいね~。↓ 下の「ブログ村」のアイコンをポチッと押してください。皆さまの応援がランクが反映される仕組みになっています。 ヨルダンツアーのことなら何でも:http://picturesque-jordan.com/お気を付けください!!:当方のブログ「月の砂漠―ヨルダンから」および当方のホームページ「Picturesque Jordan」は、東京池袋にあるヨルダン料理・アラビア料理のレストランとは何の関係もありません。類似のキャッチフレーズを使用している某旅行会社のサイトや「Picturesque-Jordan」という名前で2013年に開設されている Facebook のページ (いずれも同一人物による) のことが報告されていますが、当方とは全く関係がありません。混同されないようにご注意ください。当方では、他のサイトの運営者と話し合ってオリジナルのキャッチフレーズや文面やツアーの内容を共有することは一切ございません。当方のホームページまた本ブログ「月の砂漠―ヨルダンから」からの違法転載・不正転載を目にされた方はお知らせくださいませ。資格のない自称「ガイド」にご注意くださいませ!!:http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201412230000/中東旅行のヒント! 現地旅行会社の選び方:http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201502220000/2220000/
2015.11.14
ドイツで難民の受け入れ反対のデモが激化しています。デモが起きているのは、ドイツの東側。西側ではデモは起きておらず、西側ドイツの住民たちの中には、東側で起きているデモのことを否定的に語る人も多い。東側でもベルリンはマルチカルチャーの大都市ですから、難民たちへのデモは起きていない模様。でも例えばドレスデンという都市では、毎週月曜日に難民受け入れ反対の大々的なデモが行われているようです。下の写真はどこかのサイトからお借りしました。大がかりなデモはまだ起きていない都市 (例えばライプチヒなど) でも、外国人に対する風当たりが相当強くなっているようです。ドイツ人と結婚している外国人なども攻撃の対象になるらしく、例えばレストランに入っても誰も注文を受け付けてくれない、などの嫌がらせから始まって、実際の暴力行為まで様々。実はドイツの東側は、いわゆる「ネオナチ」の活動が活発な地域。ネオナチ(ネオナチズム)とは、ナチスの思想を信奉する人物・団体のことだと言われています。若い人たちに多いらしく、「外国人排除」を声高に叫んでいます。ドイツの東側に住むシリア難民の男の子が親戚を訪ねてドイツ西側に来ていましたので、話を聞く機会がありました。彼の住んでいるところでは夜8時以降は外に出歩けないということ。難民キャンプへの放火もあるようです。また道を歩こうものなら、殴られたり叩かれたりすることもあるよう。警察も難民を守ることはしていないようで、自分の身は自分で守れ、と伝えられているということです。そんな彼が西側に来て、地元の住民たちが積極的に難民に関わって助けている様子を見て、「帰りたくない。ここに住みたい」と言っていました。結局彼は、親族の住む小さな町の心やさしいドイツ人のご夫婦に一時的に引き取られ、そこで仕事と自分の住居を探すことに。いやぁ…私の住んでいる地域ではデモなどは一切ありませんし、先に書いた通り、地元の住民がかなり積極的にシリア難民たちに関わっています。ですから、東側で起きていることは信じられません。私の学校の先生たちも、同じドイツ人として恥ずかしい…と言っていました。東側マインドと西側マインドはかなり異なるようで、東側のドイツ人は考え方が狭いから…と嘆いていました。同じドイツといっても地域によって人々の考え方も様々。でもこの東側のデモが今後どうなっていくか…ちょっと心配ですね。それから東側に住むことを余儀なくされている難民たちは、かなり住み心地が悪い思いをしていると思います。身に危険が及ぶ場合などは特に大変。難民問題は欧州諸国に色々な問題を引き起こしています。ドイツでの対応に不満を感じるシリア難民の中にはシリアに戻ることを決意する人もいます。こうした帰国者たちの多くは、シリアで戦いに巻き込まれるしかない。欧州としては、難民を引きうける! と宣言したはいいものの、実際には過激なイスラム教徒を育てる結果にもなりかねないという何とも皮肉な結果…。本当に世の中、大混乱中です。一日一回応援よろしく! です。↓ポチッ、してくださいね~。↓ 下の「ブログ村」のアイコンをポチッと押してください。皆さまの応援がランクが反映される仕組みになっています。 ヨルダンツアーのことなら何でも:http://picturesque-jordan.com/お気を付けください!!:当方のブログ「月の砂漠―ヨルダンから」および当方のホームページ「Picturesque Jordan」は、東京池袋にあるヨルダン料理・アラビア料理のレストランとは何の関係もありません。類似のキャッチフレーズを使用している某旅行会社のサイトや「Picturesque-Jordan」という名前で2013年に開設されている Facebook のページ (いずれも同一人物による) のことが報告されていますが、当方とは全く関係がありません。混同されないようにご注意ください。当方では、他のサイトの運営者と話し合ってオリジナルのキャッチフレーズや文面やツアーの内容を共有することは一切ございません。当方のホームページまた本ブログ「月の砂漠―ヨルダンから」からの違法転載・不正転載を目にされた方はお知らせくださいませ。資格のない自称「ガイド」にご注意くださいませ!!:http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201412230000/中東旅行のヒント! 現地旅行会社の選び方:http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201502220000/2220000/
2015.11.14
シリアが内戦状態に陥って5年近くが経過。当初はすぐに収まると皆が楽観的だったシリアでのゴタゴタ。でも年を追うごとに収拾がつかなくなり…。今ではシリア国民の3分の2が国を既に捨てているとも言われています。2012年に「悲しくて泣きました」という記事をアップしました (http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201205260000/)。信頼できるビジネス・パートナーだったシリアの旅行会社がついに閉鎖を決めた時に、誠実に地道に築き上げてきたものを全て奪い去られた人たちの悲しみを思って、やり切れませんでした。その後、この旅行会社のマネージャはエジプトへ一家で避難。そして、いつ頃だったか、多分2012年中だったと思いますが、ドイツへ移動したというメールを受け取りました。その頃は、ふーん、ドイツ…なんでドイツなんだろう…というくらいの認識だった私。その頃は私から見るとドイツなんて遠い遠い国で、接点も何もなく、いつか私自身がドイツに入るなんて考えたこともありませんでした。今から思うと、彼はドイツへの避難民の先駆け。そして彼には先見の明があったと言わざるを得ません。2012年に移動した彼は、今頃はドイツ語を自由に操り、ドイツで活躍していることでしょう。着の身着のままでドイツ入りする何千という難民たちと比べると、彼は事前に周到な準備をしてドイツ入りしたと思います。仕事でかなり成功していたし、ダマスカスの一等地にあったオフィスを売り払い、すべての財産をドイツに移したはず。本当に本当に賢い人でした。仕事もすごくできたけど、仕事が単にできるだけではなく、先を読み通す能力があった。人格的にも優れていたし、私の中では5本の指の中に入る逸材のアラブ。仕事を持ったアラブたちの中には、仕事を失うのを恐れるがゆえに移動のタイミングを逃し、最終的に移動が遅れて全財産を使い果たして移動してきた人もいる。そんな中で真っ先にシリアに見切りをつけてドイツ入りした彼。スゴイ! その眼識! このマネージャさんに、是非もう一度会いたい! というのが私の強い願いです。分かっているのは彼の名前だけ。この広いドイツで、たった一人のシリア人を見つけ出すのは至難の業だと思います。でも絶対に会いたい人。いつか会えると思っています。もうビジネスパートナーとして一緒に仕事をすることはないかもしれないけど、「旧友」としてシリアについて語りたい…。そして、中東にはあなたほど優れた逸材はなかなかいなかったよ、ビジネスパートナーになってくれてありがとう、と伝えたい。シリアを愛するが故に祖国を捨てた人。彼の決断力には脱帽です。きっとその決断力と先見の明で家族を守りながら、ドイツでたくましく生きていることと思います。ホント、男性にはこうあってほしいですね。一日一回応援よろしく! です。↓ポチッ、してくださいね~。↓ 下の「ブログ村」のアイコンをポチッと押してください。皆さまの応援がランクが反映される仕組みになっています。 ヨルダンツアーのことなら何でも:http://picturesque-jordan.com/お気を付けください!!:当方のブログ「月の砂漠―ヨルダンから」および当方のホームページ「Picturesque Jordan」は、東京池袋にあるヨルダン料理・アラビア料理のレストランとは何の関係もありません。類似のキャッチフレーズを使用している某旅行会社のサイトや「Picturesque-Jordan」という名前で2013年に開設されている Facebook のページ (いずれも同一人物による) のことが報告されていますが、当方とは全く関係がありません。混同されないようにご注意ください。当方では、他のサイトの運営者と話し合ってオリジナルのキャッチフレーズや文面やツアーの内容を共有することは一切ございません。当方のホームページまた本ブログ「月の砂漠―ヨルダンから」からの違法転載・不正転載を目にされた方はお知らせくださいませ。資格のない自称「ガイド」にご注意くださいませ!!:http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201412230000/中東旅行のヒント! 現地旅行会社の選び方:http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201502220000/2220000/
2015.11.04
欧州、特にドイツに流れ込む難民が数とスピードともに史上かつてないほどの勢いで増えている。そして、ドイツを目指すシリア難民に立ちはだかる試練…。1-2年前程からほんの数か月前までは徒歩での移動か、リビアからイタリアへの海路からかが一般的でした。が、リビアが1-1.5年ほど前からか全くの崩壊状態に陥ってからは、リビアを通ることはかなり危険な状態になっている。そのため、シリア難民たちのほとんどが徒歩によるドイツ到達を目指してきた。でもここ2,3か月ほどは一時的に難民を見過ごす動きに傾き、ハンガリーやセルビアから列車でドイツに入ってくる難民の数が増えていました。最近では1日で2000-3000人が到着した日も。もうこうなっては、人道的な観点から難民を積極的に受け入れてきたドイツもお手上げ。欧州の他の国々に、もっと負担を分配するよう呼び掛けた。それを受けて、9月に入ってハンガリー政府が難民の列車の利用を禁じる方向に突然の方向転換。それが下の写真です。ロイターからお借りしました。ロイターの説明によりますと、「欧州連合(EU) にかつてないペースで難民や移民が流入し、受け入れ側の対応が追いつかない状況となっている。写真は9月1日にブダペストの駅に集まった移民ら」ということです。彼らは切符を持っているのですが、ハンガリーから出られない状況になっています。さらに詳しいニュースは、以下のロイターによる動画もどうぞ。http://jp.reuters.com/video/2015/09/02/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%81%A7%E9%9B%A3%E6%B0%91%E3%81%A8%E8%AD%A6%E5%AF%9F%E3%81%8C%E3%81%AB%E3%82%89%E3%81%BF%E5%90%88%E3%81%84-%E9%A7%85%E9%96%89%E9%8E%96%E3%81%AB%E4%B8%8D%E6%BA%80%E5%AD%97%E5%B9%95%E3%83%BB1%E6%97%A5?videoId=365467395&videoChannel=201また写真や動画を見てもお分かりになる通り、シリア難民のほとんどは男性たち。女性の姿はほとんどありません。これはアフリカからの難民も同じ状況。これがドイツ国民をかなり不安にさせる要素になっているようです。難民のほとんどが30歳以下の男性たち…。これが近い将来にドイツ国内のかなり大きな問題に発展するだろうとみられています。もっとはっきり言いますと、レイプや性犯罪の増加につながる恐れがあるのではないかと。確かに言われてみればそうです。そして、ドイツには親なしで一人で入ってくる非常に若いアラブの少年たちも多い。15歳、16歳といった少年たちが一人で海を渡ってきます。こうした若者たちを受け入れる少年専用の施設もあります。こうした少年たちのほとんどは、家庭でママに散々甘やかされ、社会に出る訓練などはされていません。若い子たちに限らず、アラブ社会には口だけで何もできない男たちが多い。ヨルダンにもたくさんいますが、料理できない、掃除できない、洗濯できない、自分の身の回りの世話もできない、仕事もろくにできない、その上怠惰で努力はしたくない。できることといえば、人の真似と嘘を付くことと人の足を引っ張ることだけ…と来ると、果たしてどれほど社会的に有用な資産になるか疑問です。もちろんすべてではありませんが、こうしたアラブ男性の数が増えると、ドイツでのルールに全く適応できないので、他人がかなりの負担を強いられる結果になります。特に難民たちは何家族かがまとめて一つの家に住むことが多く、掃除もゴミの仕分けもできないアラブ男性たちは、一緒に住む人たちに多大の迷惑をかける…などということもたくさん報告されています。そして一つ屋根の下に住む隣人たちが連帯責任で罰金を支払わされたり…などということもあるようです。いやぁ、さすがのドイツもここまで膨れ上がるとは思っていなかったであろう難民の数…。もう、人々の日々の会話で難民の話題が上らない日はない。今後早急な対応が求められます。日本の皆さんにも、こうした欧州の緊迫した状況を知っていただきたく、ブログにアップさせていただきます。↓応援のポチッ、毎日1回ヨロシクお願いしま~す。↓ 下の「ブログ村」のアイコンをポチッと押してくださいネ。皆さまの応援がランクが反映される仕組みになっています。 ヨルダンツアーのことなら何でも:http://picturesque-jordan.com/お気を付けください!!:当方のブログ「月の砂漠―ヨルダンから」および当方のホームページ「Picturesque Jordan」は、東京池袋にあるヨルダン料理・アラビア料理のレストランとは何の関係もありません。類似のキャッチフレーズを使用している某旅行会社のサイトや「Picturesque-Jordan」という名前で2013年に開設されている Facebook のページ (いずれも同一人物による) のことが報告されていますが、当方とは全く関係がありません。混同されないようにご注意ください。当方では、他のサイトの運営者と話し合ってオリジナルのキャッチフレーズや文面やツアーの内容を共有することは一切ございません。当方のホームページまた本ブログ「月の砂漠―ヨルダンから」からの違法転載・不正転載を目にされた方はお知らせくださいませ。資格のない自称「ガイド」にご注意くださいませ!!:http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201412230000/中東旅行のヒント! 現地旅行会社の選び方:http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201502220000/2220000/
2015.09.02
ダラアから来たシリア人の家族。父親と母親と3人の子供で、合計5人の家族です。子供たちはまだ小さく、一番上は9歳くらいの女の子。一番下は4歳の男の子。ダラアといえば…ヨルダンとの国境。シリアでのデモはこのダラアから始まりました。ダラアでデモが始まってからだいぶ経っても、ダラア以外の地域は平穏そのもので、ダラアで何かが起こっているらしい…と聞いていても、「ふーん」というのが一般的な反応でした。それがいつしか国中を巻き込む内戦になってからもう5年以上が経過。ダラアに住んでいるシリア人たちは、問題が起き始めた初期の初期からずっと不安定な生活を強いられています。この家族もそう。いつか終わる、いつかは終わる…と思っていたのに、もう収集がつかない段階まで来てしまったシリア。ヨルダンとの国境が閉じられ、レバノンの国境が閉じられ…シリアに閉じ込められてしまっている人も多くいます。この家族は、やはり3か月かかって徒歩でドイツに到着しました。母親は30代前半か20代後半かもしれませんが、がんを患っていて、体中の痛みと闘いつつ小さな子を抱えて3か月の徒歩での行程を突破してきました。でも今では椅子に5分も腰かけていられない。一日の大半を床に身を横たえて過ごします。彼女のがんは新しいものではなく、ダマスカスで乳がんの手術をして片方の胸を切除しています。でも内戦の激化に伴い、ダラアからダマスカスに治療で通うことすらできなくなった。また一番下の4歳になる男の子は自閉症。彼女いわく、妊娠中に爆撃などから来る極度のストレスを感じていたためだということです。4歳の男の子は、人と全くコミュニケーションを取れない。言葉も話さないし、トイレも自分で行けません。またこの女性の夫は、かなり年が離れていると思われますが、非識字で母国語のアラビア語も読めません。彼女は持ち前の明るさと機転で一家を引っ張ってきましたが、もう自分が長くないことを知っています。片方の残っている方の胸も、切除した胸と同じ痛みがする…もう私は長くないけれど、この自閉症の子が心配…この子一体どうやって生きて行くのか…と淡々と語る彼女。彼女の病気はもう片方の胸だけではなく、体全体を冒しているようです。ドイツの病院では、手が打てないということ。というのも、彼女たちはドイツに来たばかりで、まだ永住権を持っていない。この段階では、治療を無料で受けることができないのだそうです。必要な治療はすごく高いので、ドイツ側としてはお金も永住権もない彼女に今の段階で治療を始めることができない。家事ももうできないので、夫が料理をしています。この女性、気さくでオープンで、かなり芯が強い。元気だった頃は、何でもバリバリこなしていたんだろうなと思います。彼女がいなくなったら、字も読めない夫と自閉症の子供と2人の小さな女の子が残されることになる…。この一家は母親で持ってきたようなものなので、母親がいなくなると一体どうなってしまうのか。この家族は、ドイツ南部の小さな村に住んでいます。この家族以外にはアラブはいないし、大きな都市と違って田舎のドイツ人はまだまだ人情味がある。だから近所のドイツ人たちがこの家族を時どき訪問して、交流を持っているようです。ドイツに来てまだ新しいのに、ドイツ語をたくさん話すことができるのもそのためかと思います。私が訪ねた時は、30分ほどイスに座って話しました。こんなに長くイスに座れたなんて、信じられない! アラビア語で話せることが嬉しい! と喜んでいました。やはり母国語でしか表現できないこともあるので、アラビア語で話しているとしばしの間は痛みなどを忘れられるようです。そんな非常につらい環境にいるのに、彼女からは悲痛さは伝わってきません。ただただ、この子のことが心配…と繰り返す彼女。夫のほうがオロオロして、伏し目がちで…、そんな彼を見ながら、本当に男は逆境に弱いな! しっかりせいっ! と思ってしまう。このご家族もとても気になるシリア難民たちです。今日は痛みはどうだろうか、どんな風に過ごしているだろうか…とふと考えてしまう。近いうちにまた訪問することになっていますが、彼女の症状が落ち着いていればいいなと思います。↓応援のポチッ、毎日1回ヨロシクお願いしま~す。↓ 下の「ブログ村」のアイコンをポチッと押してくださいネ。皆さまの応援がランクが反映される仕組みになっています。 ヨルダンツアーのことなら何でも:http://picturesque-jordan.com/お気を付けください!!:当方のブログ「月の砂漠―ヨルダンから」および当方のホームページ「Picturesque Jordan」は、東京池袋にあるヨルダン料理・アラビア料理のレストランとは何の関係もありません。類似のキャッチフレーズを使用している某旅行会社のサイトや「Picturesque-Jordan」という名前で2013年に開設されている Facebook のページ (いずれも同一人物による) のことが報告されていますが、当方とは全く関係がありません。混同されないようにご注意ください。当方では、他のサイトの運営者と話し合ってオリジナルのキャッチフレーズや文面やツアーの内容を共有することは一切ございません。当方のホームページまた本ブログ「月の砂漠―ヨルダンから」からの違法転載・不正転載を目にされた方はお知らせくださいませ。資格のない自称「ガイド」にご注意くださいませ!!:http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201412230000/中東旅行のヒント! 現地旅行会社の選び方:http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201502220000/2220000/
2015.08.24
人懐っこい目の奥に悲しみがすぐに見て取れた。どうしても今すぐに永住権がほしいの! 子供たちを呼び寄せたいから! と必死に訴える。ドイツでは、国内に入ってきた難民たちは、すぐに家をあてがわれ、食べ物も与えられ、一応生活ができるようになっている。ただ、実際にドイツにずっと滞在できるかどうかが審査される。この審査にかなりの時間がかかるらしい。なんせ膨大な数の難民が入ってきているし、言葉が通じない彼らとのコミュニケーションだけでかなり大変。それに加えて、なぜ国を捨ててドイツに来たかなど一人一人との面談があり、数か月ごとにビザが延長されるものの、"永住権(正確な名称は分かりません。まだドイツ語初心者なもので…)" はそんなに簡単に降りない。人によっては数カ月から数年かかる人もいる。6年以上も永住権を待っている人もいる。その間もドイツ政府から生活支援はずっとあるわけで、基本的な生活は保障されている。ただ、永住権がない状態では仕事もできないし、合法的に家族をドイツに呼び寄せることもできない。知り合ったシリア人のご夫婦は、まだ若そう。多分30代前半…。子供は3人いるらしい。10歳、9歳、7歳。子供を呼び寄せたい! と必死で訴える彼女に「子供はどこにいるの?」と聞くと、シリアという答え。「誰が面倒を見ているの?」と聞くと…今は路上で生活している…という答え。ええ??? なんで子供を置いてくるの? なんで誰も子供の面倒を見てくれないの?? ストリートチルドレンになってどうやって生活しているの?? などなど、グルグルとたくさんの疑問がわいてくる。哀しそうな顔で母親が説明するには、最初は親族の家に預けて出てきたのだ、と。でも(多分いろいろ問題が出て)あちこちの家を転々とするようになり、今ではストリートチルドレンになっているのだ、と。携帯は通じるらしい。子供たち3人で、毎日色々な場所を転々としているらしい。なんで親族が面倒を見てくれないの? と聞くと、父親が苦笑いして、今のシリアは誰もが生きて行くのに必死だ。誰かの面倒なんて見ていられない…と。それでも父親の友達の家などに行き来して、何とか食べる物はもらえているようではあるけど。そんな環境のシリアになんで子供を置いてくるかな!!?? と一瞬思ったけど…そこは物事を深く考えないアラブ。最初は預かってくれる人もいたわけだし、とにかく海を越えてドイツに入って、すぐに子供たちを呼び寄せよう、と短絡的に考えたはず。でも徒歩での行程は実際のところかなりきつかったし、有り金は全部はたいてしまった。そしてドイツに入って分かった現実は、永住権はそんな簡単に降りないということ…母親のほうは泣きださんばかりだった。不安でいっぱいのよう。当たり前。3人の子たちが路上で暮らしている。しかも治安すらおぼつかないトルコとの国境で…。彼らはセルビアまでは徒歩で、セルビアからは車に乗ってドイツまでやってきた。その車代にかかったのは4000ドル。50万ほど!!!! なんでも、セルビアの森林を抜けたところで、スーダン人かなんかの男が待っていて、「ドイツに行きたいのか?」と聞いたらしい。そうだ、と答えると、「この車で連れて行ってやる」と。要求金額は6000ドル。85万!!!! それは払えない。ということで、4000ドルで合意したそうだ。明らかに…もうシリア人の通るルートは把握されていて、これをビジネスにしようと待ち構える輩(やから)がたくさんいる。セルビアからドイツまで…50万の移動費って…法外。しかも初めは85万を要求していた。よくそんなに払ったね! と言うと、「死ぬよりましだから」と。それくらい多分、徒歩での行程は厳しいのだろう。途中で亡くなる人も実際いると聞く。また来てね、また来てね! と言われながら、このご夫婦と別れた。子供たちを徒歩でドイツに来させることはできない。親がそう願っても、誰が他人の子供を3人も引き連れて来てくれるだろう? 親族ですら彼らを見放しているのに…そう考えると、彼らが子供たちと再会できる見込みはほぼないように感じる…。戦中戦後の混とんとした日本を思い出させるかのような哀しい現実だ。映画「火垂るの墓」で描かれていたように、他人の子は親族であっても、足手まといにされる。シリアに残された3人の子供たち…。そんな子供たちがきっとシリア国内にたくさんいるんだろう。やがて IS (イスラム国) に捕まって売られるんだろうか? 児童売春の対象になったりするんだろうか? それとも飢えてしまうのか…? 母親の気持ちを思うととてもやりきれない。↓応援のポチッ、毎日1回ヨロシクお願いしま~す。↓ 下の「ブログ村」のアイコンをポチッと押してくださいネ。皆さまの応援がランクが反映される仕組みになっています。 ヨルダンツアーのことなら何でも:http://picturesque-jordan.com/お気を付けください!!:当方のブログ「月の砂漠―ヨルダンから」および当方のホームページ「Picturesque Jordan」は、東京池袋にあるヨルダン料理・アラビア料理のレストランとは何の関係もありません。類似のキャッチフレーズを使用している某旅行会社のサイトや「Picturesque-Jordan」という名前で2013年に開設されている Facebook のページ (いずれも同一人物による) のことが報告されていますが、当方とは全く関係がありません。混同されないようにご注意ください。当方では、他のサイトの運営者と話し合ってオリジナルのキャッチフレーズや文面やツアーの内容を共有することは一切ございません。当方のホームページまた本ブログ「月の砂漠―ヨルダンから」からの違法転載・不正転載を目にされた方はお知らせくださいませ。資格のない自称「ガイド」にご注意くださいませ!!:http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201412230000/中東旅行のヒント! 現地旅行会社の選び方:http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201502220000/2220000/
2015.08.16
売春してたんじゃないか…彼女の目を見ながら思っていた。17歳で結婚。21歳で離婚。当時幼児だった子供2人を抱え、22歳からレストランの厨房で働き始める。5年間。時を前後して、2人いるうちの兄が一人亡くなり、父親は4年間シリアの刑務所へ投獄される。女手一つで2人の子供を養っていくのは、たとえ人々の情が深いシリアであっても並大抵のことではない。その後、シリアの内戦の激化に伴い、彼女は自分の妹と2人の子供を連れてトルコへ逃れる。トルコで3年間働き、海を渡る資金を整えた。トルコでは何でもした。そういう彼女の話を聞きながら、コックだった彼女が言葉も分からないトルコで3年間どうやって仕事をしてきたのか、うっすら思っていた。大変だったね。つらい思い出がフラッシュバックしてこない? と聞いた私に対して彼女は、「ドイツでも子供の学校のこと、日々の生活のこと、考えることが一杯あって過去のことなんて考える時間はないわ」。過去は振り返らない、前だけを見て歩く…そう決意しているようだった。そんな彼女のことをつらつらと考えているうちに…「売春…してたんじゃないか」とふと思った。だって3年間で、3人分、もしかしたら妹の分も含めると4人分の旅費をためるなんて、神業(かみわざ)。しかも彼女は言っていた。トルコに移動した時、お金なんて全然なかったって。となると、3年間で女性一人で、しかも外国人で難民で100-150万ほど貯めようと思うと…売春しか道はないように思える。時折ふと見せる彼女の複雑そうな目の表情がそれを証明しているように思えた。でもドイツでは売春をする必要はない。多分、自分の仕事のことは家族の誰にも言ってない。彼女の子供たちは今、12歳と9歳。本当に人懐っこくて、私を見ると走って抱きついてくる。子供たちをシッカリ育ててきたんだな、と思う。体を売って。彼女は、だれにも頼らず一人で子供たちを引き連れて海を越えてきた。疲れた子供たちを抱っこして、昼夜を問わず歩き通した。男性でも厳しい行程を女性だけで突破してきた。そしてドイツで新しい一歩を踏み出そうとしている。そんな彼女のようなシリア人女性を温かい愛情で包んであげたいと思っています。↓応援のポチッ、毎日1回ヨロシクお願いしま~す。↓ 下の「ブログ村」のアイコンをポチッと押してくださいネ。皆さまの応援がランクが反映される仕組みになっています。 ヨルダンツアーのことなら何でも:http://picturesque-jordan.com/お気を付けください!!:当方のブログ「月の砂漠―ヨルダンから」および当方のホームページ「Picturesque Jordan」は、東京池袋にあるヨルダン料理・アラビア料理のレストランとは何の関係もありません。類似のキャッチフレーズを使用している某旅行会社のサイトや「Picturesque-Jordan」という名前で2013年に開設されている Facebook のページ (いずれも同一人物による) のことが報告されていますが、当方とは全く関係がありません。混同されないようにご注意ください。当方では、他のサイトの運営者と話し合ってオリジナルのキャッチフレーズや文面やツアーの内容を共有することは一切ございません。当方のホームページまた本ブログ「月の砂漠―ヨルダンから」からの違法転載・不正転載を目にされた方はお知らせくださいませ。資格のない自称「ガイド」にご注意くださいませ!!:http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201412230000/中東旅行のヒント! 現地旅行会社の選び方:http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201502220000/2220000/
2015.08.12
日に日に増え続けるシリア難民を黙々と受け入れ続けるドイツ。少し前の記事で「海を越えてきたシリア人たち」について触れました。http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201507270000/ なぜドイツがシリア難民を受け入れ続けるのか…。これにはドイツの過去の歴史が関係しているのだそう。ナチス時代に言語道断の虐殺行為を行ったドイツ。それに対する負い目から、人道支援が必要な場合は「来るものは拒まず」、の姿勢を貫き続けているのだそう。ただ、このままではドイツは早晩パンクしてしまう。なぜって、このブログを書いている今も、海を越えてドイツを目指す何百・何千というシリア人たちが黙々と山を越え森を横切ってここへ向かって歩き続けているから。彼らの主なルートは、こんな感じです。シリア→トルコ(ここであっせん業者と接触)→いかだでギリシャへ→マケドニア→セルビア→ハンガリー→オーストリア→ドイツ*注)あっせん業者に接触するのは、シリア国内である場合もあります。いかだでギリシャへ渡った後は、ひたすら歩き続けます。私は歩いたことがありませんので分かりませんが、上記の国々の国境間は人の住まない深い森になっていたりするようです。シリア人たちは人目に付かないように、森の奥深くへ森の奥深くへと足を進める。頼りになるのは携帯のGPSのみ。通常シリア人たちは個人行動ではなく、幾人か(5-6人)のグループごとに移動するらしい。彼らを待ち受けるものは、森に生息する毒蛇や虫の大群、野生のバッファロー(これはバッファローかどうか分かりませんが、シリア人曰く、「野生の豚」。野生のイノシシかもしれません)、ハンガリーではワニ(これも何度も確かめましたが、ワニがいるらしい)などなどの自然の敵に加えて、あちこちで待ちうける強盗たち。シリア人が来るのを待ち受けて文字通り全てをはぎ取ろうとする追いはぎがいるらしい。こうして、道中で亡くなって行くシリア人もいるそう。野生のイノシシかバッファローの角に引き裂かれたり、ワニに食べられたりする人もいるということ。イノシシまたはバッファローに関しては、普段はおとなしい動物だと思います。多分、動物嫌いのアラブが相手を刺激すること (彼らの領域内に自分たちが入っているのに、追い払おうとするなど) をして、やり返されたものと思います。ワニに関しては…一説によるとハンガリー政府がシリア人が国を超えて行くのを防ぐために川だか湖だか知りませんがにワニをあえて置いたとか何とか…でもこれって本当だったらかなりキタナイやり方じゃないですか???その理由ですが、何でもハンガリーはシリア難民を自国に引きとめておきたいらしい。というのは、難民を受け入れると国連(UN)から支援金が支給されるのだそう。だから帳面上だけでも難民の数を充実させたい。そのためにハンガリー政府はシリア人を捕まえて、いったん保護するそう。そこでシリア人の指紋を取り、「こんだけいますよ」と言わんばかりに UN に提出する。ところがシリア人たちはハンガリーなどにはとどまりたくない。というのもハンガリー政府の狙いはUNからの支援金だけだから。そんなわけで目指すはドイツ。だからハンガリーの刑務所から逃げ出すシリア人もいるし、こうして先にドイツに着いた経験済みのシリア人たちの情報をもとに、つかまらないルートを選んで森へ森へ、あるいは川を渡って移動していくシリア人も多い。ハンガリー側としては、シリア人たちが別ルートを通らないために、いっときワニを設置したらしい(現在ではワニはいないらしい)。本当なんでしょうか…。でも人を食べるなんてワニ以外にいませんよね。まさかカバが人を食べるわけないし…ま、ハンガリー側としては、いったん指紋を取りさえすれば、シリア人たちが逃げても特に構わないらしい。とりあえず帳面上は難民を受け入れていることになるから。…もうここまで来ると、なんかメチャクチャって感じですね。ヨーロッパの国々はシリア難民が自国を通って行っても、目指すがドイツなら別に通らせてもいいわけですし…なんかドイツが尻拭いをさせられているという感もありますし…本当に難しい。という訳で、シリア人の通る道は戦争こそないものの、危険に満ちている。でも、毎日毎日、毎日毎日それはそれはすごい数のシリア人がこの行程に挑んでいる。ドイツに着いたシリア人が家族に詳細を伝えるから、家族の者が同じ行程に挑戦する。ネズミ講式(?)に増え続ける難民の数…。でも、以前のブログで紹介したように、お金がないとこの行程には到底挑戦できません。悪徳あっせん業者たち(主にトルコ人?? あるいは自国民を売り飛ばすアラブたち??)は、こうしてお金をせしめているのです。実際、私の知り合ったシリア女性のお父さんは、5回もその行程に挑戦し、その度に船のエンジンが壊れただの何だのでトルコに引き返しているのだそう。明らかに悪徳ですね。そんな訳で…日本にいると多分信じられないようなことがここでは起きている。ドイツで増え続けるシリア難民のことなんて、日本では一切報道されていないのでしょうね。もちろんドイツだけではない。シリア難民たちは今後、フランスへ入っていく可能性も高い。ドイツへの扉はいつか閉じられるはずだから。国民の3分の2を失ったともいわれるシリア。国としてはほぼ崩壊していますし、もはや何のために戦うのか…。そしてヨーロッパ。突然に膨大な数の難民を抱え込むようになり、国として今後どう対応していくのか…。先の見えない暗闇の中で模索が続きます。↓応援のポチッ、毎日1回ヨロシクお願いしま~す。↓ 下の「ブログ村」のアイコンをポチッと押してくださいネ。皆さまの応援がランクが反映される仕組みになっています。 ヨルダンツアーのことなら何でも:http://picturesque-jordan.com/お気を付けください!!:当方のブログ「月の砂漠―ヨルダンから」および当方のホームページ「Picturesque Jordan」は、東京池袋にあるヨルダン料理・アラビア料理のレストランとは何の関係もありません。類似のキャッチフレーズを使用している某旅行会社のサイトや「Picturesque-Jordan」という名前で2013年に開設されている Facebook のページ (いずれも同一人物による) のことが報告されていますが、当方とは全く関係がありません。混同されないようにご注意ください。当方では、他のサイトの運営者と話し合ってオリジナルのキャッチフレーズや文面やツアーの内容を共有することは一切ございません。当方のホームページまた本ブログ「月の砂漠―ヨルダンから」からの違法転載・不正転載を目にされた方はお知らせくださいませ。資格のない自称「ガイド」にご注意くださいませ!!:http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201412230000/中東旅行のヒント! 現地旅行会社の選び方:http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201502220000/2220000/
2015.08.11
ドイツで知り合ったシリア難民の中に、ヌールという男の子がいます。ヌールは9歳。お父さんとはるばる徒歩でドイツまでやってきました。4か月ほど前のことだそうです。ヌールはアラブの中でも端正で繊細な顔立ちをした、少女マンガに出てきそうなきれいな男の子。茶色でうっすらカールがかかった長髪を風になびかせて立っている端正な顔立ちのヌールは、かなりハンサムなアラブの少年です。ちなみにヌールとはアラビア語で「光」という意味。初めて出会った時、「どこから来たの?」と聞くと、ラッカからという返事。ラッカ…すごく聞き覚えのある名前だな、と思った瞬間、ああ、ラッカ!!! ラッカはイスラム国によって「首都」と宣言された都市。イスラム国が制定するイスラム法が隅々まで施行され、商業・金融など都市のすべての機能がイスラム国によって統制されているところです。 ヨルダンではラッカからのシリア人に会う機会はありませんでした。ですから、ラッカからのシリア人に会うのは、これが初めて。お父さんとも知り合いまして、ラッカの様子を色々聞いていますと、人々は普通に生活はできているということ。ただしアメリカ主導の空爆やシリア政府主導の空爆がひっきりなしにあるようで、シェルターなどもない普通の家々では、シリア人たちが恐怖に怯えながら生活をしているというのも事実だそうです。ラッカ=イスラム色が非常に強い都市、というイメージがあったのですが、ヌールのお父さんによると、イスラム国が来るまではクリスチャンもイスラム教徒も混じり合って全く問題なく生活していたそう。クリスチャンの友達も多いらしく、ラッカで宗教の違いが問題になるなんてことはなかった、ということです。今はイスラム国が支配しているのですが、教会はすべて破壊されたもののクリスチャンたちが全て虐殺されるということはなく、クリスチャン女性はイスラム女性のように体全体をすっぽりと覆いさえすれば普通に生活できているとのこと。ただヌール一家はイスラム教徒なので、実際にラッカに住むクリスチャンたちに話を聞けば、普通に生活できているなんてとんでもない! 恐怖におびえているんだ!! という答えがきっと返ってくることかと思います。ラッカでもイスラム国による処刑などは普通に行われていたようで(多分、イスラム国台頭の初期のころかと思われますが)、誰々が首をはねられた…なんていう会話が大人たちの間でよく交わされていたそう。親は、子供たち(特に女の子たち)が不必要に家から出ることを禁じますので、「今日は誰々が首をはねられて処刑された」などという大人の会話を聞くは聞くも、子供たちがそうした現場を実際に目撃することはあまりないようです。ただしヌールは別。9歳ともなれば、そして男の子なので、女の子よりはるかにあちこち自由に行き来していたようで、処刑の現場や首をはねられた遺体などを実際に見てきた、ということです。ヌールは当たり前のように、「首を切り落とすところを見たよ」などと話す。でも9歳でそんな場面を何度も見るなんてことは、実はかなり異常なことです。1回目はショッキングなことでも、何度か続くと見慣れてしまう。ヌールも見慣れてしまったかに見えます。でもドイツにやってきて、今はお父さんと一緒に心療内科で薬を処方してもらっています。お父さんもヌールも、夢でフラッシュバックする残忍な光景に眠りが妨げられてしまうようです。お父さんはうつ的になってしまっているかに見えます。一日をほぼ眠って過ごすらしい。妻と3人の娘をラッカに置いてきているので、そのことも彼の良心を責め立てるのでしょう。ヌールはごく普通に見えます。普通に受け答えできますし、ぱっと見ると普通の子と全然変わらない。いつも外で遊んでいるし、学校にもちゃんと行っているし、活発な男の子。でも…目が違う。初めて会ったときから、ヌールの目がちょっと気になっていました。私の勘違いなのか…とも思っていましたが、色々話を聞くうちに、やっぱり本当は「普通」じゃないんだ、と思います。彼の大きく見開いた目は不必要にギラギラしていて、目の奥は無表情。このギラギラ感がちょっと異様で、単に目が大きいというだけではない感じ。その目は「僕は全てを知っている」という目。9歳という子供の無邪気な目ではないんです。それから"悲しみ"という感情が全くない。悲しみという感情はなくなったかに見えます。今のうちに手を打たないと、この幼少期の体験がのちのち彼の人生を大きく変えてしまうことになりかねません。が、ドイツ語もままならない彼ら。心療内科にかかっているからといって、お医者さんやカウンセラーに思いを打ち明けられているわけではありません。ドイツでは、難民の子たちを対象に音楽セラピーのようなこともなされているみたいで、音楽を聴きながら自分が体験してきたことを話させ、何がトラウマになっているかなどということをお医者さん達が探る療法もあるようです。こうした療法は無償で提供されます。でも、ヌールのお父さんは自分も大変なので、ヌールをこうしたところに通わせることが必要だなどという認識はない。単に心療内科で処方される薬を飲んでいるだけ。ヌールのお父さんは典型的なアラブ男性で、家族と離れて、ヌールとたった一人で向き合うことに慣れていないようにも思えます。増え続けるシリア難民たちですが、言葉の壁があるので、きめ細やかなお世話がなされているわけではありません。住む場所、食べることには困りませんが、精神的なサポートまでは手が回りません。また、アラブ世界には一般的に「精神的サポート」などという発想はありませんので、彼ら自身がそうしたことを求めることもない。心に傷を負った難民たちの問題が表面化するには時間がかかりそうですが、あと数年もしたらきっと心を病む難民たちで溢れかえってしまうかもしれません。このラッカから来た少年のことがいつも私の気にかかっています。ヌールのお父さんよ、もう少ししっかりしてくれい! とも思いますが…。でもこんなケースは、増え続ける幾百・幾千というシリア難民の中のたった一つのケース。はるばると海を越えてきたけど、ドイツもパラダイスではないというのが現状なのです。↓応援のポチッ、毎日1回ヨロシクお願いしま~す。↓ 下の「ブログ村」のアイコンをポチッと押してくださいネ。皆さまの応援がランクが反映される仕組みになっています。 ヨルダンツアーのことなら何でも:http://picturesque-jordan.com/お気を付けください!!:当方のブログ「月の砂漠―ヨルダンから」および当方のホームページ「Picturesque Jordan」は、東京池袋にあるヨルダン料理・アラビア料理のレストランとは何の関係もありません。類似のキャッチフレーズを使用している某旅行会社のサイトや「Picturesque-Jordan」という名前で2013年に開設されている Facebook のページ (いずれも同一人物による) のことが報告されていますが、当方とは全く関係がありません。混同されないようにご注意ください。当方では、他のサイトの運営者と話し合ってオリジナルのキャッチフレーズや文面やツアーの内容を共有することは一切ございません。当方のホームページまた本ブログ「月の砂漠―ヨルダンから」からの違法転載・不正転載を目にされた方はお知らせくださいませ。資格のない自称「ガイド」にご注意くださいませ!!:http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201412230000/中東旅行のヒント! 現地旅行会社の選び方:http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201502220000/2220000/
2015.08.01
バタバタとしておりまして、ブログの更新が滞っております。2週間程ほったらかし!!!でもたくさんの方たちが毎日ブログを覗いてくださっているようで、本当にありがとうございます! さて、「海を越えようとするシリア人たち」という記事を2014年に書きました。http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201412230001/ 内戦が続くシリアから逃れる道は、国を出ること。でも、ヨルダンとシリアの国境は閉じられていますし、レバノンへの入国も難しい。しかもヨルダンやレバノンに逃れても、政府からの助けはほぼなく、苦しい状況が待っているだけ。飢えや貧困と戦わなければならないのはシリア国内だけではないのです。そこで彼らが目指すのは、ヨーロッパ。ヨーロッパの中でもドイツへ入国することを目指すシリア人が圧倒的に多い。ドイツでは手厚い保護を受けられる…そう信じて海を渡ろうとします。ドイツでのシリア人と接したい。彼らの生活はどんなものなのか…これが私がドイツに来た理由。ここでは海を越えてきたシリア人たちと知り合うことができます。とはいえ、ドイツに入ってくるのはシリア人だけではありません。イラクからのヤジディ教徒たちもたくさんやってきます。ヤジディ教徒たちは、悪魔を崇拝している異端者だとしてイスラム国に大量虐殺されましたので、命からがら逃れてくるケースも多い。またドイツは難民を受け入れているので、ありとあらゆる国から人々が毎日押し寄せます。アフリカのシエラレオネやエリトリア、ソマリアから来る人々も多いし、アルバニアやクロアチアから来る人たちも多い。様々な人種が入り乱れています。新たに入ってくる難民の規模からすると、ドイツに入るアラブは第3位だということで、多分一番多いのはアフリカの国々から来る人々なのではないだろうかと思います。さて、シリア人たちが海を越えるには…。まず資金が必要です。資金がない場合はシリアにとどまるしかない。これもまた不公平なことです。お金がある人たちだけが逃れることができる。でも一家総出で移動するだけの資金はありませんから、通常は家族の中で男性一人だけが妻や子供を置いてやってくるケースが多い。問題は資金だけではありません。まず、シリアからトルコに入り、そこから小さないかだで海を渡ってギリシャへ。ギリシャからは徒歩で2ヶ月ほど歩きます。国から国へと国境を超え続け、ドイツに着くまでに3か月かかることもある。途中でいったんどこかの国で刑務所に入るケースも多い。取り調べのためです。このコースが一般的。だから女性や子供を連れていくのは至難の業。行程の過酷さから、やはり男性だけが移動してくるケースが多い。イチかバチかでやってくる。ドイツに入れば、後から家族を呼べる…そんな風に「夢」を描いてやってきます。とはいえ、ガッツのあるシリア人女性たちの中には、こうした行程に挑戦する人もいます。数は多くありませんが、夫を置いて、子供を引き連れてやってくるシリア人女性もいる。安住の地を求めて移動してくる彼らがドイツで見つけるものは…? こうした彼らの生活については、ブログで少しずつご紹介していきたいと思います。日本にいると、シリア内戦や難民の話なんてきっと対岸の火事…。でも世界情勢は毎日毎日動いている。私は世界情勢を分析するエキスパートでも何でもありませんが、ごくごく普通の人間として、難民となった人たちの目線から素人なりに彼らの生活をレポートしていけたらと思っています。↓応援のポチッ、毎日1回ヨロシクお願いしま~す。↓ 下の「ブログ村」のアイコンをポチッと押してくださいネ。皆さまの応援がランクが反映される仕組みになっています。 ヨルダンツアーのことなら何でも:http://picturesque-jordan.com/お気を付けください!!:当方のブログ「月の砂漠―ヨルダンから」および当方のホームページ「Picturesque Jordan」は、東京池袋にあるヨルダン料理・アラビア料理のレストランとは何の関係もありません。類似のキャッチフレーズを使用している某旅行会社のサイトや「Picturesque-Jordan」という名前で2013年に開設されている Facebook のページ (いずれも同一人物による) のことが報告されていますが、当方とは全く関係がありません。混同されないようにご注意ください。当方では、他のサイトの運営者と話し合ってオリジナルのキャッチフレーズや文面やツアーの内容を共有することは一切ございません。当方のホームページまた本ブログ「月の砂漠―ヨルダンから」からの違法転載・不正転載を目にされた方はお知らせくださいませ。資格のない自称「ガイド」にご注意くださいませ!!:http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201412230000/中東旅行のヒント! 現地旅行会社の選び方:http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201502220000/2220000/
2015.07.27
シリアでの人質事件に関連して、日本からのメディアがアンマンに押し寄せているようです。これまでヨルダンという国の存在すらあまり認識されていなかったのに、急に脚光を浴びるようになったヨルダン。。。2015年の流行語は「ヨルダン」になってもいいくらい、ここ数日で誰もがヨルダンという名前を聞くようになったかと思います。現地にいますと日本でどんな風に報道されているのかよく分かりませんが、お客様からのお問い合わせの内容から推察するに、ヨルダン=危険極まりない国! というイメージがどんどんと出来上がってきているような気がします。シリアやイラクの隣というだけで、ヨルダンも戦闘地帯、あるいは誘拐の温床なんていう風に直結して考える人がいるんですね。といいますか、大多数の人が考えるのかもしれません。ヨルダンって…なんと損な役回り…。さて、ヨルダンの首都アンマンに押し寄せているメディアですが、なにも戦闘地帯の中を取材しているわけではありません。いえいえ、それどころか、あまりに平和でのーーんびりしているヨルダンに呆気にとられている方たちが多いかと思います。夜に街を一人で歩いても平気、タクシーに一人で乗っても平気…「恐ろしい所に派遣されたもんだなー、可哀そうに」という日本での声とは裏腹に、ヨルダンの青空とフレンドリーなアラブに迎えられて、最初の緊張は吹き飛んでいることでしょう。 イスラム国の件で急に大騒ぎになっているようですが、ヨルダンの治安も状況も私が最初にヨルダン入りした8年前と変わりません。数日前まで全く平穏だったのに、ある日を境にして急に騒ぎ出すのはなぜ? と思わずにはいられません。で、アンマンに押し寄せているメディア関連の方々にお願いいたします。この平和なヨルダンの様子をぜひ日本に正確に伝えてほしい。日本人はメディアの情報を鵜呑みにします。ネタが欲しいあまりに、ヨルダンまで巻き込まないでほしい。バランスの取れた記事を書いて下さるようにお願いいたします。私はこの1月末で中東滞在歴8年目に入ります。ヨルダンの悪い時期もよい時期も見てきました。イラクで何かあればヨルダンもとばっちりを受け、イスラエルで何かあればヨルダンもとばっちりを受け、シリアで何かあればヨルダンもとばっちりを受ける…。全くもってツイていない国、ヨルダン。ああ、ヨルダン、こんなに頑張っているのに・・・ネ。治安維持にも力を入れているし、ヨルダンの警察はきっちり任務を果たしているし、ヨルダンにいるアラブは日本人だぁぁぁい好き! なのに…ネ。というわけでヨルダンに関連して、「日本人がテロの対象になる」「親日感情が悪感情に変わった」「外国人の誘拐が頻発する」などというような報道がなされましたら、デマですので、振り回されないようにしてください。私は人質事件が起きる前も起きた後も、アンマンで普通に生活していますし、人々の生活も普通に営まれています。今回のシリアでの事件は、日本人だからテロの対象になったのではなくて、たまたまシリアにいた日本人がたまたま拘束され、たまたま拘束したからには政治的な理由で利用しよう、という流れになったのであって、あえて日本人を探していたわけでも日本人だけが対象になっているわけでもない。人質になっている日本人の方にはぜひ無事に帰国していただきたい…。そう心から願います。でもヨルダンには、イラクからの新しい難民が続々と押し寄せています。新しい難民の中には「イスラム国」に家も財産もすべて取られて、命からがら逃げてきた人たちもいれば、親族や家族を殺された人もいる。ショックが大きすぎて精神を病んでいる人もいっぱいいる。シリア難民は、たとえヨルダンに逃れてきても難民キャンプで寒さのあまり亡くなっている。数人規模ではなく、数百人規模で人命が失われている。そんな中で、日本人の解放だけを大声をあげて叫ぶことができないのも事実。命はとても大切で、犯罪的なやり方には悲しみを超えて嫌悪感を覚えます。でも「イスラム国」によって被害に遭っているのは数百人、いや数千人、いやいやもしかすると数万人という規模。もっと悪いことに、その数は増え続けています。今後どこへ行く、中東?日本のほとんどの方には、馴染みが薄くて遠い国、中東。多分ほとんどの方にとって中東は、不可解で摩訶不思議な世界でしょう。今回の事件で、ヨルダン観光へのダメージは避けられないと思いますが、日本人以外の外国人は普通にヨルダンに観光に来ています。中東へのバランスのとれた見方ができる日本人が増えることを願っています。↓良ければ応援のポチッしてください。↓ 皆さまの応援がランクに反映される仕組みになっています。 ヨルダンツアーのことなら何でも:http://picturesque-jordan.com/お気を付けください!!:当方のブログ「月の砂漠―ヨルダンから」および当方のホームページ「Picturesque Jordan」は、東京池袋にあるヨルダン料理・アラビア料理のレストランとは何の関係もありません。類似のキャッチフレーズを使用している某旅行会社のサイトや「Picturesque-Jordan」という名前で2013年に開設されている Facebook のページ (いずれも同一人物による) のことが報告されていますが、当方とは全く関係がありません。混同されないようにご注意ください。当方では、他のサイトの運営者と話し合ってオリジナルのキャッチフレーズや文面やツアーの内容を共有することは一切ございません。本ホームページまたブログ「月の砂漠―ヨルダンから」からの違法転載・不正転載を目にされた方はお知らせくださいませ。資格のない自称「ガイド」にご注意くださいませ!!:http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201412230000/
2015.01.27
シリアで拘束されている邦人の方々のその後の安否については、まだ特に際立った情報は入ってきていないようです。ぜひご無事で帰国して下さるように祈らずにはおれません。拘束されている邦人のうちお1人はジャーナリストでいらっしゃるということです。内戦で混乱状態のシリアに入ることには賛否両論があると思います。これまでに幾人かの日本人のジャーナリストの方々がシリアで戦闘に巻き込まれておられます。その度に「自己責任」の範囲がどこまでなのかという議論が湧きあがります。危険な場所に赴くことに関しては色々な意見があるかと思います。ただ、私が思うのは、こうしたジャーナリストの方々のご苦労があってこそ、現地で起きていることが私たちのもとに伝わってきます。もしこうしたジャーナリストの方々の存在が全くなかったら、一体どこで何が起きているのかさっぱり分からないままのことも多いかと思います。だからある意味、私たちすべてがこうした方々の恩恵を受けていると言えます。ジャーナリストの方からすれば、いったん現地に入ってしまえば、まだいける、まだいける、あと少し…というようにさらに奥深くに入って行ってしまうことは当然ありうると思います。とはいえ、英語力が必須なのは言うまでもありませんが、加えて、その地域で話されている言語の知識や文化・メンタリティ・宗教的信条などに関する知識が欠けた状態では、自分の身を不本意に危険にさらすことになると思います。今回のジャーナリストの方は、シリア人"ガイド"の裏切りにあって、イスラム国に拘束される結果になったとも報道されています。シリアでは皆が極限状態に置かれています。この極限状態で、人間としての道義や常識を期待することは到底できない。極限下に置かれた人たちの口約束に自分の命を預けることはできない。シリアでの内戦では、誰と何のために戦っているのかすら、戦っている超本人たちが早い段階で分からない状態になっていたと思います。そんな混乱した状態が数年続いています。アラブたちでさえ誰も信じられない世界。加えて、普段からアラブ社会は排他的な社会。アラブ世界が排他的であることはあまり知られていない事実かもしれませんが、排他主義はアラブ世界の根本を成すものです。ですから極限下では、よそ者である外国人は容易に裏切られてしまう。もともと裏切るつもりで接触しているケースも多々あると思います。さて、混乱の中で台頭した「イスラム国」。今は恐怖政治で勢力を拡大しているとしても、将来的な内部分裂は絶対に避けえないと思います。己の利益だけで集まっているこの集団、すでに内部分裂の危機には当然さらされているはず。海外からの戦闘員に至っては、単なる「自己表現」だけであったりする訳ですから。内部分裂を避けるためには、お金で人をつなぎとめるしかない。西側諸国から入って来た多額の資金を既に有していますが(http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201409290000/)、資金は常に必要なもの。身代金の要求は、資金確保という面ももちろんあると思います。今回の日本人拘束を受けて、日本人がアラブ世界で敵対視されるようになったという意見もありますが、私としてはそうは思いません。たまたま日本人がシリアに入っていた、それを活用しない手はない、ということで資金確保+政治的な目的で利用されるのは当然のことだと思います。だから、アラブ世界に住んでいる日本人は「今度は自分がテロの標的になるんじゃないか」なんて恐れる必要はないと思います。「イスラム国」の決定=アラブ全体の決定ではありません。アラブの親日感情は一夜にして築かれたものではありませんし、一夜にして壊れるものでもありません。この「イスラム国」に人間としての道義が通じるとは思えませんが、拘束中のお2人が解放されるような結果になってほしいと神様からの奇跡を願わずにはおれません。↓良ければ応援のポチッしてください。↓ 皆さまの応援がランクに反映される仕組みになっています。 ヨルダンツアーのことなら何でも:http://picturesque-jordan.com/お気を付けください!!:当方のブログ「月の砂漠―ヨルダンから」および当方のホームページ「Picturesque Jordan」は、東京池袋にあるヨルダン料理・アラビア料理のレストランとは何の関係もありません。類似のキャッチフレーズを使用している某旅行会社のサイトや「Picturesque-Jordan」という名前で2013年に開設されている Facebook のページ (いずれも同一人物による) のことが報告されていますが、当方とは全く関係がありません。混同されないようにご注意ください。当方では、他のサイトの運営者と話し合ってオリジナルのキャッチフレーズや文面やツアーの内容を共有することは一切ございません。本ホームページまたブログ「月の砂漠―ヨルダンから」からの違法転載・不正転載を目にされた方はお知らせくださいませ。資格のない自称「ガイド」にご注意くださいませ!!:http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201412230000/
2015.01.23
つらいニュースが入ってきました。シリアで邦人が拘束されているだけでなく、今回は殺害予告の映像が送られてきています。ご家族の方のお気持ちを思うと心が痛みます。今回の映像が合成の可能性もある、とある新聞には書かれていました。そうであってほしいとも思いますが、いずれにしても拘束されているという事実には変わりありません。ただ、この殺害予告をしている覆面の男はイギリス英語を話す男性。つまり英国人である可能性が高いようです。アラブではありません。ここからも分かるように、「イスラム国」=「イスラム教徒」ではありません。実際、イスラム国の戦闘にはヨーロッパ各地やオーストラリアなどから大勢の若者たちが参加していると言われています。イスラム教とは何の関係もない、暇人の若者たちやビデオゲームの延長で人を殺したいと思っているような若者たちも参加しているのです。それをひっくるめて「イスラム国」=「イスラム教徒の集団」というような報道がなされると、"イスラム教=テロ組織" というような間違ったイメージが流れてしまう。というか、今に限った事ではありませんが、すでにそんなイメージがメディアでは強く打ち出されてしまっています。この違いをどんなに訴えても、私たちの声は少数派でかき消されてしまいます。私はイスラム教徒ではありませんが、ヨルダンというイスラム教国家に住んでいます。にわかに台頭した「イスラム国」とは何の関係もありません。つまり、大きな声で言いたいのは…× 「イスラム国」=イスラム教 →間違い× イスラム教徒=テロリスト →間違い× アラブ=テロリスト →間違い○ 「イスラム国」=テロリスト →これだけ正解ということです。繰り返しますが、この「イスラム国」のテロリストたちはアラブだけの集団ではない。欧米の若者たちを含め、イスラム教徒とはおおよそ何の関係もない各国からのろくでなしの集まりです。そして覆面の英国人の男、正々堂々と顔を出せ! と言いたい。本当に良心に全く汚れないことをしているという確信があるなら、顔を隠さずにハッキリとメディアに自分を公表したらいい。こんなろくでもない人間に、人の命を左右する権利も、人の命を奪う権利も全くない。シリアで拘束されている邦人の方々のご無事と安全なご帰国を心から祈ってやみません。↓良ければ応援のポチッしてください。↓ 皆さまの応援がランクに反映される仕組みになっています。 ヨルダンツアーのことなら何でも:http://picturesque-jordan.com/お気を付けください!!:当方のブログ「月の砂漠―ヨルダンから」および当方のホームページ「Picturesque Jordan」は、東京池袋にあるヨルダン料理・アラビア料理のレストランとは何の関係もありません。類似のキャッチフレーズを使用している某旅行会社のサイトや「Picturesque-Jordan」という名前で2013年に開設されている Facebook のページ (いずれも同一人物による) のことが報告されていますが、当方とは全く関係がありません。混同されないようにご注意ください。当方では、他のサイトの運営者と話し合ってオリジナルのキャッチフレーズや文面やツアーの内容を共有することは一切ございません。本ホームページまたブログ「月の砂漠―ヨルダンから」からの違法転載・不正転載を目にされた方はお知らせくださいませ。資格のない自称「ガイド」にご注意くださいませ!!:http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201412230000/
2015.01.20
昨夜は雨が降りまして、本日から朝晩ぐっと冷え込むようになりました。これからヨルダンにいらっしゃる皆様は寒さ対策をしっかりなさるようにお勧めいたします。親しいシリア人の友達が浮かない顔をしています。何があったの? と聞くと、ホムスに住んでいた親友夫婦がヨーロッパに移動するのだと。Good News! と思いきや、どうも不法入国するらしい。まずはトルコのイスタンブールで集合。その後、小さな船 (ヨットを大きくしたようなもの) に乗って地中海を渡りイタリアへ。そして汽車でドイツへ…というような経路らしいのです。ドイツに入れば、難民としてすぐに手厚い保護を受けることができるのだとか。初めから何となく胡散臭い話だと彼女は感じていたようですが、当人たちは「これがチャンス!」とばかりにこの誘いに乗っているのだそう。現在イスタンブールに移動した彼らは、船が出るのを待っている。が、よくよく聞くと、船は港から出発するのではなく、地中海のどこかで待機しているその船まで筏 (いかだ) のようなものに乗って夜間に移動するのだとか。ますます胡散臭い。しかも超寒いこの時期に夜間に筏 (いかだ) で??? 命を落とす確率のほうが高そうです。さらにこの胡散臭い誘いに乗ったシリア人が700人以上もイスタンブールに待機しているのだとか。この人数を、ヨットをちょっと大きくしたような小舟でどうやって運ぶのか? この旅、一人当たり50万ほどするらしい。シリア人からしたら50万円なんてかなりの額です。本人たちは「もうこれが最後のチャンス」とばかりに、いわば盲目の状態になっているそう。でも傍で聞いていると、明らかに詐欺っぽい…。しかも命を落とす可能性がかなりあることは一目瞭然…。この50万円をもっと別の方法に活用できないのか。。。と無念でなりません。私のシリア人の友達は、この無謀な誘いに乗っているのがかつての親友だったことから、かなり辛そうです。電話は通じるようなので、「もう一回よく考えて」と何度も何度も伝えているようです。が、相手は「何とかなる。大丈夫。神様が守ってくれる」と言って引かないようです。でも、unwise な (知恵に欠けた) 決定をしながら神様に守ってもらおうとするのって無理だと思う…と話すシリア人の友達。むしろもっとよく考えて「引く」ことも大切。確かにヨルダンにいるこのシリア人の友達の生活も楽ではありません。収入の手段はほぼなく、その日その日をなんとか暮らしている。でも命を落とすような決定をするよりは…と頑張っています。命あってこそ、ですから。海を越えようとするシリア人たち…。人の苦しみに乗じて詐欺的な行為でお金をもぎ取ろうとするとんでもないヤカラもいる。シリアの内戦はあと数カ月で4年目に入ろうとしています。国としては完全に崩壊したといってもいいでしょう。今シリアにいるシリア人たちに残された道は…? 今後も模索は続きます。↓良ければ応援のポチッしてください。↓ 皆さまの応援がランクに反映される仕組みになっています。 ヨルダンツアーのことなら何でも:http://picturesque-jordan.com/お気を付けください!!:当方のブログ「月の砂漠―ヨルダンから」および当方のホームページ「Picturesque Jordan」は、東京池袋にあるヨルダン料理・アラビア料理のレストランとは何の関係もありません。類似のキャッチフレーズを使用している某旅行会社のサイトや「Picturesque-Jordan」という名前で2013年に開設されている Facebook のページ (いずれも同一人物による) のことが報告されていますが、当方とは全く関係がありません。混同されないようにご注意ください。当方では、他のサイトの運営者と話し合ってオリジナルのキャッチフレーズや文面やツアーの内容を共有することは一切ございません。本ホームページまたブログ「月の砂漠―ヨルダンから」からの違法転載・不正転載を目にされた方はお知らせくださいませ。資格のない自称「ガイド」にご注意くださいませ!!:http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201412230000/
2014.12.23
シリアの友達からもらった「シリアの現状」を如実に示す風刺画です。まずはご覧あれ。ちなみにこのサンタクロースは「プロパンガス」を積み込んで「ガス、ガス、ガーーーース」といっております。この風刺画を理解していただくには、多少のご説明が必要でありましょう。説明は絵の下に加えております。この風刺画が言わんとしているのは、シリアでは物資が極端に不足していて、冬の間に暖を取ることさえできない、ということです。それでサンタクロースには、"プレゼントを配る代わるにガスのボトルを配ってよ! それくらい物資がないんだよ!" という訳です。中東では、料理用のガス台やストーブにはプロパンガスを使用するのが一般的。電気ストーブはかなり電気代が高くつきますし、そもそも電気がカットされた時には使えません。費用の面からも暖かさの面からも、このプロパンガス式ストーブを使うのが一番効率的という訳です。このプロパンガスについては、以前のブログでアップしたことがあります。http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/200810300002/http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/200811170004/さてこのプロパンガスのボトルは、使うとガスがなくなりますので交換が必要になります。ところがシリアでは、交換するガスがない。もうずっと以前からです。冬は大変。電気もずっと以前から1日のうち長時間カットされています。また物資が足りないので、物価が異常に高騰しています。暖を取るために、木々を伐採して焚き木をしたりしていたようですが、今は伐採する木々すらない。ホムスやアレッポなどの都市はずっと以前に完全に破壊されていますが、いわゆる都市部ではなく田舎に住んでいる人たちは、こうした破壊から守られています。田舎では自給自足が可能。それでもガスなどの生活必需品は枯渇しています。日に日に追いつめられるシリア人たち…。すでに国民の4分の3はシリア国外に難民として逃れているという統計もあります。となると、現在シリアに取り残されているのは人口の4分の1だけ…もうこうなったら国としてほぼ崩壊しています。こんなに物資が不足していてもなおどうしてシリアに残りたいの? と素朴な疑問がわきます。ヨルダンに逃れているシリア人に聞くと、土地を所有しているようなシリア人は土地を捨てたくないんだ、と。家や土地を全て後にして国外に逃れるというふんぎりがつかないシリア人もたくさんいるようです。確かにそうです。だって国外に逃れても、苦しい生活が待っているだけ…実際、ヨルダンに住むシリア難民たちも本当に苦しい生活を余儀なくされています。仕事もできず、持っていた資金はあっという間に底をつき…。ヨルダンでは UN(国連)が "食券" 的なクーポンを配ったり、シリア難民の医療費はほぼ完全に負担したりしてかなり援助をしていますが、それでも生活は楽ではありません。そんなシリアの現状を joke にしてしまうのも、シリア人。シリア人は総じて本当に忍耐強い国民です。私も心からエールを送らずにはいられません。私が日常的に接するのはごくごく限られたシリア人で、私の知らないところでたくさんのシリア人がその日の食事にも事欠く生活をしているのだと思います。頑張れ! シリア人!! 強くたくましく生き延びてほしい…2014年の終わりを前に、そんな風に祈っています。↓良ければ応援のポチッしてください。↓ 皆さまの応援がランクに反映される仕組みになっています。 ヨルダンツアーのことなら何でも:http://picturesque-jordan.com/お気を付けください!!:当方のブログ「月の砂漠―ヨルダンから」および当方のホームページ「Picturesque Jordan」は、東京池袋にあるヨルダン料理・アラビア料理のレストランとは何の関係もありません。類似のキャッチフレーズを使用している某旅行会社のサイトや「Picturesque-Jordan」という名前で2013年に開設されている Facebook のページ (いずれも同一人物による) のことが報告されていますが、当方とは全く関係がありません。混同されないようにご注意ください。当方では、他のサイトの運営者と話し合ってオリジナルのキャッチフレーズや文面やツアーの内容を共有することは一切ございません。本ホームページまたブログ「月の砂漠―ヨルダンから」からの違法転載・不正転載を目にされた方はお知らせくださいませ。
2014.12.19
魔の9月9日がやってきました! この日はアメリカの議会が招集される日で、シリアへの軍事介入についての話し合いが始まり、そして実際の軍事介入に至る可能性もあり…。さて、今後のアメリカの動きからしばらくの間は目が離せません。オバマ大統領はシリア攻撃を高らかにうたっていましたが、どうも現時点では孤立しつつあるようです。アメリカ国内外を問わず、シリアの攻撃に消極的な意見のほうが多い。ああ、このまま孤立してくれますように! と祈らずにはいられません。だって、何のためにシリアを攻撃するんでしょう? 宗教戦争に突入している国に、いきなり外部からドカンとやっても、そもそもターゲットというものがありません。さらに、アサド政権を弱体化させて一体どうなるというのでしょう? 野獣のような行動が目立つ "反体制派" が何をしでかすか分かりません。*「反体制派」というのは名ばかりで、実際は宗教グループや組織の利権ごとに分裂しており、大義も大志も何も持っていない。だから犯罪的な行動が目立ちます。こう書くからと言って誤解をしていただきたくないのですが、シリアで起きていることについて、無関心なのではありません。心を痛めています。特に中東にいれば、シリア問題にもイラク問題にもパレスチナ問題にも日常的に関わらざるを得ません。でもその分、物事があまりにも複雑すぎることを痛いほど実感させられます。アメリカや、アメリカ寄りの日本のメディアで報道されているような、「政府 VS 反体制派」という簡潔明快な方程式が成り立たないことを肌で感じているのです。前にも書いたように、中東は、新大陸を移民が切り開いて作り上げたような国とは根本的に違う。古の過去から人々が行き交い、「伝統と歴史と宗教」を作り上げてきた場所です。その途上で、民族的・宗教的プライドや憎しみも世代から世代へと伝えてきた。だからこそ、ここに住むアラブたちと一緒になって大きな声で言える。「シリアへの軍事介入に意味はない。意味がないどころか、事態を悪化させて最悪な結末を招くことにもなりかねない」と。だったら解決策を提示しろ、と言われるかもしれませんが、指導者たちによる解決策はありません。だって人々の心が変わらなければ、憎しみはいつまでも燃え続け、世代から世代へと受け継がれ、やがてまた同じことが繰り返される。中東の歴史はそうやって、憎しみの連鎖が繰り返されてきたのです。何より、軍事行動うんぬんという「解決策」を論じる前に、まず相手を理解することが必要ではないでしょうか? 中東の複雑な歴史的・宗教的・民族的背景を知らずして、どんな「解決策」も解決策にはなりません。今後シリアの内戦がどうなるか…レバノンのように15年間も内戦状態になるのか、イラクのように国として崩壊し国民が離散状態になるのか、今の段階ではだれにも分かりません。百害あって一利なし。それが戦争です。11月の混載募集中!http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201308310000/ヨルダンツアーのことなら何でも:http://picturesque-jordan.com/当方のホームページから無断転載している"類似品"にご注意ください:http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201302080000/
2013.09.09
ようやく最近になって、シリアの内戦を「宗教戦争」または「宗派対立」と正しく解説する記事が出始めたように感じます。「政府 VS 国民」という構図が成り立たないことにやっと国際社会も気付き始めたということでしょうか。私は1年前のブログで「NATOがシリアを攻撃すれば...?」という記事を書いたことがあります(http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201205310000/ )。その時点で、宗教戦争であることは明らかだったのですが、それ以降もニュース報道ではずっと「政府 VS 国民」という構図が報道され続けていました。あまりにも現実からかけ離れているので、いつしか新聞やテレビでシリアのニュースを見聞きすることをやめていました。宗教対立は根深く、現実的には「和解」が成立することはあり得ません。たとえいったん収まっても、憎しみは世代から世代へと受け継がれ、また再燃する―その繰り返しです。隣国レバノンもで起きた内戦も、宗教戦争でした。この戦争が残したものは、汚染された土壌と15年たっていよいよ増え続けるガン患者と、憎しみの再燃を恐れる不信感だけ。「中東のパリ」と言われたかつての面影はレバノンにはなく、失った過去を懐かしむプライドだけが先行しています。私たちの知っている美しいシリアはもうなくなってしまいました。故郷を追われたシリア人は、難民指定され、次々にアメリカやヨーロッパや北欧へ渡っていきます。前にも書きましたが、中東諸国は多宗教・多民族のモザイク国家。この微妙なバランスが壊れると、大混乱になります。いったん壊れたこのバランスは元には戻らないでしょう。これは当のシリア人が一番よく知っていることです。シリアという故郷を失っても、シリア人には渡航先で力強く生きて行ってほしいと思います。シリアの大地が緑のじゅうたんで覆われ、美しい花が咲き乱れ、子供たちの無邪気な笑い声が響き渡り、人々が夜遅くまで散歩し、道端に笑顔がこぼれる日が帰ってくるまで。当方のホームページから無断転載している"類似品"にご注意ください:http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201302080000/当ブログおよび picturesque-jordan (http://picturesque-jordan.com/) のホームページに掲載している全ての情報や写真の著作権は、本ブログおよび当該のホームページの管理者にあります。著作権者の許諾を得ずに、著作物を利用すると著作権侵害となります。違法転載を目にされた方はご報告くださいませ。
2013.05.18
シリアのデモによる被害者の数は1000人を超えるといわれています。もちろん正確な数字を特定することは難しいです。ヒューマン・ライツ・ウォッチによる報告では、シリアの治安部隊がデモ参加者を狙撃して多数の死傷者を出している事実は、人道に対する罪だといわれています。困ったことになりましたね、シリア。シリアびいきの私としては悲しい限りです。ところがそんな中でもアサド大統領に対する支持者は多数を占めています。アサド大統領個人に関する限り、かなりオープン・マインドで「改革派」というイメージが強いのです。若いアサド大統領は、父親の代から居座る旧体制派(政界の古株たち)を統制できていないのでは、といわれています。治安部隊の発砲もアサド大統領の本当の意向かどうか分かりません。現在のシリアは混迷の度を極め、どうにもならない事態に陥ってしまいました。でもデモがここまで拡大し、死傷者を多数出していることで、アサド大統領だけが責められるというのも理に合いません。そもそも、こうしたデモは外部資金によって拡大してしまったのですから、何億という資金を提供してデモをあおり、最終的に多数の被害者を出す事態にある程度関わった責任が関係者に問われても当然でしょう。さて、前にも書きましたが、政治の世界はとことん腐っていて真実は当事者と神のみぞ知る世界。私には詳しいことなど分かりません。が、治安部隊の発砲のニュースなどを聞いていると、人間の持つ二面性が大いに表れているな、と。いったん人を殺し始めると、慣れてしまう。普段はいたって普通の温和な人で、到底「殺人」という言葉など似つかわしくないように見えても、いったん非人間的な行為を始めるとどんどんエスカレートしてしまう。最後には人を殺すことを楽しむまでになるのです。これは映画「アラビアのロレンス」の中で、非常にうまく描かれていました。ロレンスは、公正明大・非暴力をモットーとし、理性と理論でベドウィンたちの尊敬を勝ち得て統率していきます。が、ある時、一人の仲間を処刑しなければならなくなる。銃を手に取り、人を殺したときに、それを楽しんだ自分に気づきます。その後、最後には目をそむけたくなるような大量虐殺を指揮することになります。自分の中に存在する光と影の部分との闘いが描かれていました。シリアの治安部隊の発砲もさらにエスカレートし、ついには大量虐殺に至る可能性があると思います。人間は他の人を躍起になって統制しようとしますが、実は自分自身が持つ「闇」の部分をすら統制できないのですよね。 夏休みはヨルダン散歩。http://picturesque-jordan.jp/japanese.aspx 応援してくださる方はクリックしてくださいね。
2011.06.06
シリアのデモは混迷の度を極めています。戦車投入だとか、無差別発砲だとか…確かに金曜日の礼拝後にデモが起きるようですが、実際のシリアでは国内のほとんどが通常は静まり返っている状態だということです。ニュースだけを聞いているとシリア国内全体が緊急事態という印象を受けることでしょう。が、シリア人の中には政府支持者も多く、反体制派が多数を占めているような報道は誤解を招きます。デモに関しては、当のシリア人が戸惑っているというのが現実かもしれません。実はシリアのデモには、エジプトの民主化デモなどとはまた一味違った怪しげな面も見え隠れします。シリアのアサド大統領は、民衆に向かって演説を行った初めの時から「このデモは外国勢力の工作によるもので、今こそシリア国民の団結と一致が試されている」というようなことを主張しておりました。そんな矢先、アメリカのワシントン・ポスト紙で明らかになった事実があります。それは実際にアメリカがシリアの反体制派を資金援助しているという事実。ブッシュ大統領の時代に始まったこの資金援助、オバマ大統領の代になっても続けられていたとのこと。少なくとも昨年の9月までは。米国務省は2006年から総額6百万ドル(約4億9000万円)規模の資金援助をシリア反体制派にしているということです(記事を一部抜粋)。さて、政治の世界はとことん腐っていて、誰がどんなふうに絡んでいるかは当人と神のみぞ知る世界でしょう。今回のシリアのデモに関しても、どこまでが外国勢力の「工作」で、どこからが民衆の熱き思いか確かなことは分かりません。ただ分かっていることは、反体制派が多額の資金を持ち、一般の民衆にお金を渡して情報工作しデモを拡大しているということです。これは実際に私の友達に起きた経験です。正確に言うと、友達の妹の職場仲間に起きた話。ホムス出身の彼女は、アレッポで教師の仕事をしています。ホムスで大規模なデモが起きたことを知ったある日、家族の安否が心配でバスに乗り、ホムスへ向かっていました。ホムスの手前で、突然バスが止められます。男性の乗客は全て降ろされ、バスには女性だけが残されました。一人の男が乗ってきます。かばんを開けて取り出したのは…マイク。彼女に職業は何か、なぜホムスに向かっているか聞きだします。そして、「アサド大統領に対する不満を何でもいいから話しなさい」と強要しました。「″給料が安い″でもいい、とにかく何でもいい」というのです。彼女が「何もない。何も言いたくない」と拒否すると、この男はマイクのスイッチを切り、「家族のところへ向かっているんだろう? 家族に会いたいだろう? 何も言わなかったら、家族の身の上は保証しないよ」というのです。ショックを受けた彼女は、マイクに向かってアサド大統領を非難する内容のコメントをせざるを得ませんでした。言い終わって泣いていた彼女に、この男は「Good Girl」と言ったということです。情報は明らかに工作されています。純粋な民主化デモと言えるのでしょうか。また反体制派が多額の資金を有していることも明らかです。前にも書いたとおり、シリアの政治事情は特殊で、言論の自由はないし、「圧政」と言うこともできるでしょう。不満を持つ人々がいることは否定できません。そもそも、誰もが満足する政治などというのはあり得ません。また時代の流れには逆らえません。民衆の声がかつてなく強くなっているのは、起こるべくして起きたこと。ただ、反体制派の情報工作や一般民衆の買収について、いったいどこまで報じられているのでしょう。メディアは本当に中立の報道をしているのでしょうか? 「中東の民主化のドミノ現象がシリアにも普及」などとは一言で言えない事情があるのです。シリアのことを本当に知っているジャーナリストでなければ、公平な報道はできないでしょう。この点、日本のメディアも中東から遠くかけ離れているような気がしてなりません。中東旅行のご相談は http://picturesque-jordan.jp/japanese.aspx まで。 応援してくださる方はクリックしてくださいね。
2011.05.05
ホムスから東へ60KMほど進み、坂道をぐるぐると上がっていきますと、小高い丘に見えてくるのが十字軍の城、クラック・デ・シュバリエ。アラビアのロレンスをして「世界で最も保存状態がよく、最も美しい城」といわしめたこのお城は、2006年に世界遺産に登録されました。 とても広いお城です。 そそり立つ美しい城壁。このお城は当時の築城技術の最高峰であり、中世ヨーロッパの建築にも影響を与えたといわれています。イスラム教徒によって征服された1271年以来はイスラム調に改装された部分もありますが、十字軍の時代の名残を残すゴシック調のアーチ天井などは今でも健在。 お城の美しさは言うまでもありませんが、お城から見下ろす風景も圧巻。眼下に肥沃な大地が延々と広がります。 クラック・デ・シュバリエとは、「騎士の城」という意味。難攻不落と言われ、誰もこのお城を力で征服できませんでした。1271年にイスラム教徒の手に落ちましたが、武力で制圧されたのではなく、マムルーク朝のバイパルスによる巧妙な策略で無血で明け渡されました。そのため、現在でもほとんどの部分がきれいに保存されています。シリア観光には欠かせないこのお城。ぜひご日程に含めていただきたい観光地です。またお城はとても広いので、駆け足で回るのではなく、ゆっくり時間をかけていただきたいもの。ガイドをつけていただけたら一番よいのですが、金銭的に余裕がないという方はせめて城内の詳細地図を手にしながら回ってくださいね。個人的には数日間じっくりと滞在し、のんびりと散策をしたい場所です。お城だけではなく周りの牧歌的な風景も楽しみたいものです。レバノンにいるシリア人の友達の一人はこの地区の出身。夏の滞在を勧めてくれているので、ぜひ今年は炎のベイルートを抜け出して、シリアのこの美しい風景に抱かれながら休暇を楽しみたいものです。 中東旅行のことなら http://picturesque-jordan.jp/japanese.aspx まで。
2011.04.02
今日はシリア滞在の最終日。仕事が終わったらセルビスでレバノンの自宅へ向かいます。シリアのデモが拡大しているというニュースが報道されており、心配しておられる方も多いことでしょう。今回のデモは、南部のダラア (Daraa または Deraa) で報告されています。ダラアはヨルダンと地上の国境を介しているシリア最南端の地方。とはいえ現時点では、国境越えに直接的な影響があるというわけではなさそうです。さてなぜ首都のダマスカスではなく南部のダラアでデモがあるのでしょう? ダマスカスの人々もダラアでデモが起き、それが続いていることに驚いているようです。これはダラアで起きたこのデモが局所的なものであることを意味しています。とはいえ、地方で起きたこのデモが他の場所へ拡大するかどうかは、現時点ではまだ不透明です。「誰もそんなことは望んでいない」というのがダマスカスの人々の大方の意見でしょう。もちろんすべてのシリア人が安定を望んでいます。が、前回のブログでも書きましたように、政治的には少し微妙なシリア。少数派であるアラウィ派出身の大統領が国を治めることに不満の声がないわけではありませんが、こうした声はかき消されてきたのが事実です。他民族・多宗教で構成されているシリア。誰が大統領になっても、何かしらの不満がどこかしらの宗教グループ、民族グループから出ることでしょう。それが高じると、レバノンのように単なる「ファウダ(混乱)」という事態に陥ります。政治がひどく混乱し、政治家がとことん腐敗し、人々が政治に関して全くあきらめきっている国―それがレバノンです。レバノンのような状況に陥らないためには、現在のように「強い」(言葉を換えると高圧的な)政府が必要だと認めているシリア人も多くいます。今後このデモがどう展開するか…当のシリア人も見守っています。ダマスカスにいると、ダラアでのデモはまるで別の国で起きているかのような出来事に見えます。「これ以上は拡大しないよ」という楽観的なシリア人も多々おりますが、上記のような複雑な政治的・民族的・宗教的背景を考えますと、今後の動きを見守っていく必要があると思います。お問い合わせなどがございましたら、下記のメールアドレスまでいつでもどうぞ。naoko_kimura@picturesque-Jordan.com 中東に関することなら http://picturesque-jordan.com/service_Introduction_Japanese.html まで。
2011.03.24
先ほどのブログをアップしてすぐに、お客様から電話が入りました。ヨルダン―シリアの国境からです。「国境の係官がビザがないと通れないと言っている」ということです。なんと…またか、という感じです。さて、この係官、「ビザがないと通れない」という一点張りだったようです。こうした態度に出会われても驚かないでくださればと思います。アラブにはよくある話。知らないことでも確信を込めて YES と言い切るその大胆さ。もちろん間違っていることが明らかになっても謝ったりはしませんよ。さて今回は、現地習得を決行される方へ私なりに国境での対応についてまとめてみます。 1. ダマスカスにある本部に電話をかけてもらう裁量の限られた係官ほど「ビザなしでは通れない」の一点張りになる可能性があります。アラブは面倒くさいことを嫌がる傾向があります。裁量の限られた係官の場合、ダマスカスにある本部に電話をかけて入国許可を取る必要があります。この作業を嫌がるわけです。でも、ここで引かないようにしてください。ダマスカスにある本部に電話をかけてもらったら、もうこっちのものです。2. 入国目的、宿泊先等の情報を正確に提供する前後しますが、ダマスカスにある本部に電話連絡する場合、入国目的や宿泊先等の情報が必要になります。こうした情報をしっかり持っておられると話が早く進みます。係官の質問にはすべてクリアに答えてください。3. イライラしないこちらがイライラしていることを顔や態度で表すと逆効果です。ビザが支給されないことはまずありません。時間がかかるだけです。ですから、ここは腹をくくって「これも中東旅行の醍醐味」と楽しむくらいの心構えでいてくださればと思います。上記のようなことから、前のブログにも書いていますが、時間的な制約のある方、団体での行動の場合などはビザ現地習得にリスクが伴う可能性があります。あとは個人の責任で、現地取得にされるか、あるいは事前取得にされるか決めていただければと思います。旅行会社を通してツアーをアレンジしておられる場合、国境での問題にはヨルダン・シリア各旅行会社からできる限りサポートさせていただきます。今回もヨルダン側、シリア側それぞれからマネージャが対応させていただきました。中東には、多少のハプニングは付き物。なんせ全てが「Insha Allah (神のご意志ならば)」の世界ですから。物事がうまく行っても行かなくても全ては「Insha Allah」。せっかくの中東旅行、「Insha Allah」の世界にどっぷり浸かって楽しむ覚悟でいらしてくださいね。 春休みは中東で。http://picturesque-jordan.jp/japanese.aspx
2010.12.29
今回の旅では、シリアの食を楽しむ時間はなく、入ったレストランは1件だけ。アレッポ住民もお勧めの庶民派レストランです。値段が安く、店内は清潔で、料理が美味しい。その名も「アル・クーマ・レストラン」。地球の歩き方でも紹介されています。 メニューに並ぶのは、中東ではよくお見かけする一般的なアラブ料理。レストラン・スタッフお勧めのケバブを注文しました。前菜には、サラダとホンモス。スタッフお勧めだけあって、ケバブはとっても美味しかったです。パセリもどっさりお皿に盛りつけてありました。パセリとケバブとの相性は抜群!地元住民が勧めるだけあって、お客もアラブが多い。でも1人でも入りやすい。とてもリラックスできるレストランです。スタッフの対応もとても親切です。あ、それからトイレもなかなかきれい。ちょっとしたトイレ休憩に立ち寄るのも良いかもしれません。お腹いっぱい食べて、最後に美味しいコーヒーもいただいて、それでも料金は 250SP (500円)ほど。なんちゅう安いの。あ~、シリアに住みたいなぁ。シリアに住んだら生活費むっちゃ安いやろうなぁ…とゴマメのつぶやき。このアル・クーマ・レストランは、それほど大きくないので目立たないですが、地元住民ならだれでも知っています。アレッポに来られたら、ぜひ足を運んでいただきたいです。 夏休みのご旅行は中東へ。http://picturesque-jordan.jp/japanese.aspx
2010.05.12
さて、シリアで今回購入したものは・・・アレッポ石鹸。安物のサングラス。そしてゴマ。レバノン行きを後に控えていたので、荷物はこれ以上増やしたくない。ただでさえ重いのに。でもアレッポに来たら、やっぱり石鹸を買わずにはいられない!! というわけで、1キロだけ購入。石鹸を買っていたら、トルコ人の観光客がわらわらと同じお店に入ってきました。アレッポはトルコとの国境にほど近い場所にあるので、当然のことながらアレッポの街にはトルコ人が多いのです。このトルコ人団体、石鹸には見向きもせず、「ゴマはどこだ、ゴマは?」と店主に聞いています。ちなみにゴマは、アラビア語で「シムシム」。どちらかといえば「スィムスィム」に近い発音です。実は最初に私が学んだアラビア語はこの「シムシム」でした。日本にいた時、NHK のラジオアラビア語講座をかじっていたのですが(長続きせず…)、最初に聞いたアラビア語レッスンで、アラビアン・ナイトに出てくる「開け、ゴマ!!」をアラビア語でどういうか説明していたのです。どうでもいいんですけど、アラビア語で「開け、ゴマ!!」は「イフタハ(開くの命令形) ヤー シムシム!!」といいます。さて話を戻して、トルコ人観光客は白いゴマやら茶色いゴマやら、とにかくゴマを大量に購入して去って行きました。そんなにいっぱい何に使うのでしょう。でも私も、ゴマをこのお店で早速購入(←すぐに影響を受ける...)。なんせゴマは抗酸化・高たんぱくで、ミネラルもたっぷり含んでいるようですから。でもこの、シリア発ゴマ、かなり香ばしく美味しいですよ!! けっこういいお土産になったりして? 皆さまもいかが?今回は金曜日だったため、スークがほとんど閉まっていたのが残念でした。観光でシリアにこられる皆様、スークを体験したいなら、ダマスカス観光とアレッポ観光は金曜日以外にご計画くださいね。ところで買い物をしていても思うのですが、アレッポの男性はかなり女性慣れしているというか、何というか…接していてあまり気持ちよくありません。まず、不必要に馴れ馴れしい。よく触ってきます。触るというのは、人の肩や背中や、ひどい時には頬などとにかく触れてくる!! 思うんですけど、これは外国人女性がアレッポ男性を甘やかしたんでしょうね。アレッポの街は外国人が非常に多く、ダマスカスと比べてもかなり開放的な雰囲気。観光客が多いため、ホテルのスタッフやお店の主人など観光業に携わる人たちの中には、だんだん大胆になって来て、絶対にシリア人女性に対してはしないようなことを外国人女性にはするのでしょう。ここでバシッと「触らないで!!」とはなかなか言えないですよね…。でも言わないと、喜んでいると勘違いされます。特に日本から女性一人で(あるいは2人でも)アレッポにご旅行に来られることがあるなら、是非気をつけてください。ちなみにこんな風に感じるのは、今のところアレッポだけです。これは私だけではなく、ヨルダン大学時代にもヨーロッパ圏の友達などが同じようなことを言っていました。まぁ大抵の場合、ちょっと触れてくるだけなんですけど、サングラスを買ったところでは顔にキスをしようとしてきました。ふざけるな~!! 「日本では、そんなこと絶対禁止!!」といって、ダダッとお店を出ましたが、「軽く見んなよ」と思います!! キ~~ッ そんなわけで、かなり大胆なアレッポ男性。ここまで大胆なムスリム男性は、女に狂ったヨルダンにもなかなかおりません。女性の皆さま、ぜひぜひお気を付けくださいませ。 中東散歩で中東情緒。http://picturesque-jordan.jp/japanese.aspx
2010.05.10
金曜日のアレッポ城砦は、子供連れや学生さんでいっぱい。地元の人と交流したい!! という観光客の方は、ぜひ金曜日にアンマン城砦へお出かけください。というのも、シリア人は、本当に人懐っこい国民なのです。外国人が大好きで、わらわらと近寄ってきます。アレッポ城砦のエントランスをくぐると、遠足の子供たちに拍手喝さいで迎えられました。引率の先生が、大きな声で「これは韓国人!!」と私を見るなり紹介するものですから、「日本人です」というと、一斉にわ~~っと盛り上がり、携帯を取り出して写真を撮る者あり、握手を求めてくる者あり…スターになった気分を味わえますよ。なぜここまで歓迎されるのか、私にはさっぱり分かりませんが。前日にサングラスを車内に忘れた私は、まずサングラスを求めて朝早くからアレッポの街をさまよったのですが、金曜日でどのお店も閉まっています。シリアの金曜日はヨルダンよりたちが悪い!! 街は死んでおります…。それで、サングラスは午後から買うことにし、とりあえずアレッポ城砦へ。でも日差しがきつく、帽子ですっぽり顔を覆っての観光。それでも(というか、それでだからか?)目に付くようで、あちこちから声を掛けられます。この女の子たちはハマから遠足で来ているそうな。次から次へと近寄ってきて、撮影を申し込まれ(?)ます。私は写真映りが悪いので、どうにも写真を撮られるのが苦手。 女の子たちに「私は撮らなくていいから、みんなを撮らせて」といって写真を撮らせてもらいましたが、向こうはかなりしつこく写真撮影をせがんできます。強い日差しのもと、しかめっ面で何枚も撮られて、ああ悲し...でも、とってもかわいい子たちでした。 こちらは、男の子のグループに「写真を撮って」とせがまれて撮ったもの。私のカメラで撮っても、彼らにはあげられないんですけど、それでもいいらしい。よぅ分からん…。 ↓この下の写真をアップにしたのには意味があります。 私を見かけると、お金をせびってきたのがこの子たち。お金ちょうだいよ~とかなりしつこいです。お父さんは? 働いてないの? と聞くと、病気だとか。この子たちは遠足でも何でもなく、アレッポ在住で金曜日に城砦に遊びに来ているみたい。でも外国人を見たらお金をせびるのは良くないよ、とたしなめました。お金はせびるものではなく、自分または親がきっちり働いてもらうもの、と諭しました。その後、お金をせびることはなくなりましたが、ずっと後に付いてきます。仕方がないから、少し話をすることに。で、彼らが言うには、何と左の男の子は14歳で結婚していて、もうすぐ赤ちゃんが産まれるのだとか!! 12歳の奥様が妊娠しているらしいです!! 右側の男の子は、これまた14歳で、現在婚約中!!!! 一番小さい男の子は「僕はまだだよ」とのたまっていましたが、アンタ当たり前やろ~。でもみなさん、信じられます? どこから見ても、まだ子供!! 子供が子供を持つなんて…。「家に来る?」と聞かれましたが、恐ろしすぎて断りました。いやいや、ムスリムの間ではこういうことがまだまだ行われているようです。でも14歳で夫とは、ちょっと行き過ぎ。しかもお金せびってるし!! 大人が12歳の少女を奥さんにするということなら、まだ分かりますが…いやいや、それもおかしいですけどね。シングルライフを心から楽しんでいる私から見れば、カワイソすぎます。結婚して数年経てば、次の奥さんを貰うんでしょかね。でも彼らからすれば、これしか知らず、これが普通。あ~~~、頭が痛い! というわけで、とっても複雑な思いを抱えたまま、私はアレッポ城砦を後にしたのでした。 中東情緒をお楽しみください。http://picturesque-jordan.jp/japanese.aspx
2010.05.08
アレッポは、ダマスカスの北300キロに位置するシリア第2の都市。地元では、アラビア語の「ハラブ」という名称のほうが通じます。これは「乳」という意味で、アブラハムが旅人たちに乳を振舞ったとの伝承から来ているそうです。ほんとに、アレッポって古い歴史を持つ都市なんですね!シリアをじ~っくりと回られる日本人の観光客の方は、まだまだ少ないのではないでしょうか。特にこのアレッポは、何だか遠いし…ダマスカス止まりの観光客の方も多いと思います。でもこのアレッポ、古代都市とはいえ、現在も躍進中。外国人の数もダマスカスより多いようで、英語もかなり通じます。さてアレッポ最大の見所といえば、言わずと知れた「アレッポ城」。このお城は、紀元前10世紀に最初に建築され、12世紀から14世紀にはモンゴル帝国の侵入や十字軍の攻撃にも耐えたそうです。たび重なる戦争の歴史のなかで、しだいに城砦化していき、現在のアレッポ城は、十字軍の侵略に対して改築された12世紀の姿のまま残っているということです。このお城の特徴は、市街地から50mも高い巨大な丘の上に立っていること。まさに難攻不落の都市の様相を呈しています。城砦からはアレッポ市を一望できます。 城砦の中も広く、まるで迷路のように入り組んでいます。城内は広いので、観光にはじっくりと時間を取っていただきたいもの。カフェもありますし、市内を見下ろしながら一服するのも、またヨシ。 この日は金曜日だったので、いつにも増して人が多かったようです。外国からの観光客というより、シリア国内からのシリア人がむちゃくちゃ多かった。アレッポ市内は金曜日のため、スークもすべて閉まっていて、街は仮眠中という感じでしたが、このアレッポ城砦だけは賑わっていました。 女学生さんが目立ちました。何でも学校からの遠足らしいです。その数、半端じゃありませんでした。灰色の城砦に、カラフルな衣服が花を添えていました。 次のブログでは、アレッポ城砦で出会ったシリア人の女の子たち、男の子たちを紹介します!! 夏休みは中東へ。http://picturesque-jordan.jp/japanese.aspx
2010.05.07
皆さま、お久しぶりです~。無事にシリア・レバノンからは帰ってきておりましたが、忙しくてなかなかブログを更新する時間がありませんでした。その間も、たくさんの方がブログを読んでくださっていたようで、本当にありがとうございます。 旅の様子、少しずつご報告してまいります :)今回の目玉(?)は、シリアでの列車の旅。レバノン訪問がメインの目的でしたが、シリアでの列車の旅を無理やり組み入れました。シリアという国はヨルダンと比べてかなり大きく、様々な表情を持つ非常に魅力に富んだ大国です。歴史の古さにかけては右に並ぶものなし? 国中に遺跡が残っており、現在でも発掘作業が続けられています。そんなシリアの色々な表情を列車の旅で体験しちゃおう、というわけ。でも2日間では足りるはずもなし!! 今回は時間の関係で、ダマスカス→ホムス→ハマ→アレッポと、シリア国内を南北に縦断するだけの旅になってしまいました。 今回乗車した列車は一応、快速。結構(かなり?)古いです。窓にところどころ薄いひびが入っていますが...大丈夫? でも心配ご無用。車内はきれいに掃除されていますし、シートはゆったりとしていて、快適。アラブ式ですがトイレもちゃんと付いています。 今回は木曜日だったせいもあるのか、車内は地元のシリア人でぎっしり。家族連れや女性たちもたくさん乗っていました。外国人は私だけ。実は列車の出発時刻に遅れそうになり、私はギリギリで駆け込み乗車をいたしました。発車の合図もなく、列車は時刻通りによろよろと動き始め、その後も「一体どうなるの?」というくらいノロノロ。 後で分かったのですが、都市部を抜けるまではかなり慎重な運転だったようです。それもそのはず。民家を縫うようにして線路が走っていますが、線路の上では子供たちが遊び、普通に人が歩いているのです。まさに道路と化している線路。踏切などもなく、人々が自由に往来しています。車内では人々はすっかりリラックスして、物を食べたり、ごうごういびきをかいて眠っている人も。私もそのいびきの音に誘われて、爆睡してしまいました。絶対寝ない!って決意してたのに。悔しい~~。でも時々ふと眼を開けてみると、外は砂漠。砂漠の真ん中を線路が1本走っているような感じです。ホムスについたのは太陽が少し傾き出した18時ごろ。ここからは私もばっちり目を開けて外の景色を楽しみました。ホムス以北は、これまでの景色とは一転。どこまでも肥沃な大地が広がります。イギリスの田園風景を思い出させるようなのどかな美しい風景です。同じ中東でも、不毛のヨルダンとは違い、シリアの土地は豊かで緑が広がります。 ↑車内からはこんな建物も見えました。 ↑ホムス以北の風景です。ハマを過ぎてしばらくしてからは、太陽がほとんど落ち、外の景色がだんだん見づらくなりました。車内では、人々がけっこう立ったり座ったり。アレッポまでは約6時間の旅。そろそろみんな疲れてきた? そんな頃から、たくさんの人に声をかけられるようになりました。やはり外国人が珍しいのでしょう。それにシリア人はとても人懐っこいのです。アレッポにつくまでの残り1時間ほどは、車内の女の子たちに囲まれておしゃべりタイム。ダマスカスからアレッポの親戚を訪ねて週末を過ごしに行く家族や、ダマスカスで働いているけれど出身はアレッポだという女性などなど、いろんな人が乗っていました。面白かったのは、ダマスカス人(?)とアレッポ人(?)の地方自慢。ダマスカスとアレッポは何かと比べられることが多いのですが、ダマスカス出身者はダマスカスびいき、アレッポ出身者はアレッポびいきで、お互い譲りません。これって大阪と東京の関係に似ている??私にまで「ダマスカスとアレッポ、どっちが好きか」と聞いてきます。私の答えは、実はダマスカス。でももちろん言いませんでした。そんなこんなでアレッポに到着したのは夜の9時半くらいだったでしょうか。夜になると、列車の車内には電気が灯されますが、この電気が黄色い薄暗い電気で、車内の人の顔もよく見えません。そのせいで、サングラスを車内に忘れてきてしまったようです!! 悔しい~~。おニューだったし(買って1か月ほど)、イタリア製で高かったのに~~~ 仕方がありません。そんなこんなで始まったシリア駆け抜けの旅。列車の旅はかなりお勧めですよ。時間のある方や、移動費を節約したい方、また人々との交流を楽しみたい方、是非シリア国内を列車で移動してみてくださいね。 夏休みは中東へ。http://picturesque-jordan.jp/japanese.aspx
2010.05.05
ご旅行のお客様にとって、一番面倒くさく、かつややこしいのはビザに関する情報かもしれません。情報もまちまちで、いったいどれが最新??? と頭を抱えられた方も多いことでしょう。ヨルダンはとってもシンプル。日本人には入国時に無料で現地支給されます。事前のビザ取得は必要ありません。ビザを購入するために列をなして並んでいる外国人を横目に、スイスイと入国審査に進めます。シリアに関しては、ちょっとややこしいです。シリア大使館で事前習得しないといけないの? とよく聞かれます。結論から言いますと、事前習得なしでも現地取得は可能です。ただし、訳あり。現地取得は可能なのですが、現実的には、実際に取得できるかどうかが国境の係官の裁量に依存しています。とはいえ、日本人に関しては取得できないということはまずありません。時間がかかるか、かからないかの違いです。現地取得を希望する場合、国境の係官がダマスカスにある本部に電話で連絡を取る必要があります。この作業に時間がかかります。本部の責任者が席を外していると、連絡がつきません。特に深夜などオフィスアワー外に到着されますと、責任者は当然帰宅しておりますので、かなり長~~~く(朝まで)待たされる可能性もあります。こうした中東の国では、係官の中でも手続きや取り扱いについての混乱があります。係官によって言うことが違う。複雑なことや自分が知らないことは「あなたが間違っている。自分が正しい」といって調べようともしませんから、厄介です。現地取得を決行される方は、最低でも1時間、ひどいときには何時間も待つつもりでどうぞ。先にも書きましたように支給がされないということはありませんので、気長に待っていただく必要があります。でも旅行はやっぱりスムーズに行ってほしいもの。時間を有効に使っていただくためにはお住まいの国での事前習得がおススメです。ただし東京以外の場所に住んでいる人には、これも厄介ですよね。そういう時には、シリアの旅行会社を通してビザを取得する方法があります。ただし、この旅行会社を通してシリア国内のツアーをアレンジしていただく必要があります。ホテルはご自分で取っていただいても構いません。必要な手続きは、パスポートのコピーをメールで送っていただくことと、US$ 200 のお支払い。後は国境(空港または地上国境)で旅行会社の担当者がお客様をお待ちしていますので、担当者と一緒に国境を越えていただくだけで済みます。いずれの場合も、パスポートの残存期間が6カ月以上あることをご確認くださいませ。パスポートにイスラエル入国歴のある方はシリアに入国できません。下の表は、ヨルダン周辺国の国境越えにかかる費用の一覧。出国税に関しては、陸路で地上国境を越える時に必要な金額です。空路の場合の出国税は航空券に既に含まれていることもありますので、下の金額は適用されません。 国ビザ(入国査証)出国税その他の情報ヨルダン無料で現地支給8 JD 出国税は地上国境のみイスラエル無料で現地支給約 US$ 46 相当シェケルにてお支払いレバノン25000 リラ (約 US$ 17 相当)無料リラ・ドルどちらでも可能シリア1.シリア大使館にて事前習得2.現地取得(US$ 24)トランジットビザは US$ 8 3.旅行会社を通してツーリストビザを取得(US$ 200)500 SP出国税はシリア通貨(SP)でのみお支払い可能上記の情報は11月現在のもの。突然予告なしに改正される可能性もあります。悪しからず。さらに詳しくお知りになりたい方は、メールでお問い合わせくださいね。 *追加情報:上記の情報を更新しました。2011年1月19日付 旅のご準備にお役立て下さい。 http://picturesque-jordan.jp/dailyreport.aspx
2009.11.30
突然にやってきた寒波も影をひそめ、気持ちのよい天気が続きます。ふぅ、ほっと一息。ダマスカス出張の日は雨と風と・・・それから気温は5度だったらしい。むちゃくちゃ寒かったです。今回はスペイン人の友達が旅のお伴。私がビジネス・ミーティングの間、彼女はオールドダマスカスを一人でぶらぶら。それから合流し、夜までダマスカスを楽しみました。1泊2日でしたが、気分転換にはちょうどいい旅でした。今日は、センスの良さでキラリと光るオールドダマスカス(旧市街)のレストランのご紹介。 店内は整然として、とてもセンスがいい。 レストランの入り口。「ナナ」(アラビア語でミントという意味)といいます。→ 今回注文したのは、すべてアラブ料理。アピタイザーには、お馴染みの“ババカヌッシュ”、“ファットゥーシュ”、それからもう一つは名前を忘れてしまいましたが、ヨルダンではあまり見ないもの。メインにはチキンのグリルとラムの料理を頼みました。ここのレストランは私からすると意外な味付け。同じアラブ料理でもヨルダンでは食べたことのない味です。スペイン人の友達は「美味しい」とご堪能。私は味よりもレストランの雰囲気が気に入りましたが。こういうお洒落なレストランは、ヨルダンではまず見つけるのが難しいです。シリアは食の文化が発達しており、サービス・テイスト共に満足でき、しかも低価格なレストランを簡単に見つけることができます。うむうむ。さすがシリア。このレストラン「ナナ」は、アゼム宮殿やウマイヤドモスクの比較的近くにあります。メインストリートから少し奥まった場所にあるので、なかなか見つかりにくいかもしれません。ぜひ通行人に聞いてみてくださいね。名刺をもらってくれば良かった、と後悔。日本人にとってはまだまだ知名度が低いシリアですが、一度来られた方はその魅力に取りつかれるはず。この地へ足を運ばれる皆さまは、シリアの“食”の文化もご堪能下さいませ。 同行者募集のツアー。ニューイヤーをヨルダンで過ごしてみませんか? 詳しくは http://picturesque-jordan.jp/tourinformation.aspx まで。
2009.11.07
ダマスカスからアンマンへ個人で陸路移動していただくには、2つの方法があります。ひとつはセルビスを使う方法、もう一つはバスによる移動です。とっても簡単かつ割安なので、ぜひともこの2つを活用して下さればと思います。アンマン行きのバスは一日に何本か出ています。が、時間が決まっていることと事前のチケット購入が必要なことから、多少めんどくさい。その点、セルビスはかなりフレキシブルです。セルビスとは乗り合いタクシーのことで、白い乗用車です。運転手以外に4人乗れますので、人数が集まった時点での出発となります。バスにせよセルビスにせよ、アンマン行きは“ガラージュ・ソマリエ”というバス・セルビスの集結地点からの出発となります。ダマスカス市内からこのガラージュ・ソマリエへはタクシーかバスで。バスならダマスカス市内にあるガラージュ・バラムケから16番にご乗車下さい。運賃は 10SP なり。20円ですね。タクシーなら100SP かそれ以上。バスはタクシーの 10分の1 の値段で済みます。旅行費用をできるだけ安く抑えたい方には、ダマスカス市内でもバスの活用をお勧めします。かなり頻繁に走っていますし、きれいだし、何より値段が安い。一律 10SP です。 行き先が書いてありますが、アラビア語。 バスの中もきれいです。行き先はアラビア語表示ですが、通行人に確かめると助けてくれます。まぁ・・・10SP なので、間違えても大丈夫ですよね。とりあえず来たバスに乗ってみて、市内を観察するのも良いかもしれません。シリア人はヨルダン人と違って、朝が非常に遅い。その代わり夜遅くまで起きています。朝8時のバスに乗った時も、乗客は私だけ。ヨルダンだったら朝8時のバスなんてぎゅうぎゅうです。この日はアンマン帰宅の日だったので、ガラージュ・ソマリエまで。貸し切り状態で市内を走ります。ところでガラージュ・ソマリエでは注意を一言。バス、セルビス乗り場共に、正面入口から少し歩かねばなりません。ところが正面入口では、違法な客引きがたくさんおります。「アンマン?」「セルビス?」と取り囲まれます。これらは、通常のセルビス乗り場でお客を待たずに、てっとり早くお客を捕まえようとするフトドキ者。こうした違法な客引きのセルビス運転手は厚かましく乱暴で、道中に嫌な思いをされること間違いなし。出来るなら、ガラージュ・ソマリエに着いたら、セルビス乗り場までテクテクと歩いていただきたいです。正面入口を入って、客引きには見向きせず、ズンズンと上の方に歩いて行って下さい。ちょっと難しいかなぁ・・・・。Anyway、Bon Voyage(ボン・ボヤージュ)! ご健闘をお祈りいたします。 「一般的な質問」の項目もご参照ください。http://picturesque-jordan.jp/frequentlyaskedquestion.aspx
2009.09.20
アンマンに住んでいると恋しくなるのが緑です。アンマンにも木がありますが、水不足のこの地ではシュンと首をたれ、雨で洗われることのない葉はホコリと砂にさらされて色あせています。一方、地上国境を超えた先のシリアは水と緑の国。首都ダマスカスにも木々が元気に植わっています。ダマスカスの夏はかなり暑いのですが、夕方になると風が出始め、気温がスーッと下がり始めます。私たちは夕涼みに公園へ。たくさん公園がありますが、今回はゼノビア公園へ。 公園は満席(?)で、座る場所を探すのに苦労します。たくさんの人が家族や友達と夕涼みに来て、おしゃべりを楽しんでいます。子供たちも走り回って楽しそう。こうしたホッとできる空間って、いいですね~。 気がつかれると思いますが、ダマスカスには街の至る所にフルーツジュース屋さんがあります。フレッシュ・フルーツをジューサーにかけて作っています。中にはオリジナルを作ってくれるところもあり。バナナやメロン、オレンジなどをミックスしてくれます。これがおいしくて、私たちはダマスカス滞在中に毎晩通いました。暑かった8月も終わり、もう 9月! 早いですね~。私は来週またシリア出張です。今回はビジネス・ミーティングのため。ゲスト扱いの今回は、ホテル代がタダ 。ちょっと得した気分です。でも経費節約のため、バスで揺られてまいります。さて9月のダマスカスではどんな変化が起きているでしょうか。日程がタイトなので、どれくらい自由な時間があるか分かりませんが、できるだけ情報収集してきます。バックパッカーの皆さまにお安く移動していただく方法など、お役に立つ情報が少しでも増えればと思っております。それから、今回はタブレ(中東の代表的なサラダでパセリをふんだんに使ったもの)を食べないこと。 シリアに旅行に来られる皆さまも、タブレにだけはご用心! 当のシリア人ですら食中毒になる恐るべき「シリアン・タブレ」。タブレはヨルダンでお楽しみくださいね。 シリア・ヨルダンの世界遺産を訪ねる旅 http://picturesque-jordan.jp/japanese.aspx
2009.09.04
ダマスカスの見どころの一つに「まっすぐな道」があります。下の写真では、その名の通り“まっすぐ”ですが、今はもう完全にはまっすぐではありません。この通りはローマ時代には長さ約1.5キロ、幅約30メートルの主要道路でした。なぜこの道が有名かというと、新約聖書の「使徒たちの活動」にこの道が出てくるからです。イエスの弟子たちを迫害していたサウロという名の男性がダマスカスに向かって旅をしていた途中で、突然視力を失います。使徒9章によると、「突然天からの光が彼のまわりにぱっと光り、彼は地面に倒れ、「サウロ,サウロ,なぜあなたはわたしを迫害しているのか」と自分に言う声を聞いた」のです。盲目になったサウロは、ダマスカス市の「まっすぐ」という通り沿いにある家に入ります。そのサウロのところへイエスの弟子アナニヤが遣わされ、サウロは視力を取り戻します。キリスト教に改宗したサウロは、後に使徒パウロとして知られるようになり熱心な宣教者になりました。パウロは、現在 新約聖書として知られる部分の数多くを書き記しています。ところでパウロの時代のダマスカスは、現在の位置より5メートルほど下にあったと言われています。そのため古代ローマの遺跡を発掘するのはもはや不可能といわれています。古(いにしえ)の時代から様々な人が行き交ったこの地・・・現在のダマスカスの下には、数多くの歴史が層を重ねて眠っているのです。ダマスカスに来られたら、この「まっすぐな道」を歩いてみてくださいね。聖書に馴染みがない方も、少し読んでおかれると興味深いかもしれません。旧市街には聖アナニヤ教会もあります。 日本人アテンドによるツアーも可能です。http://picturesque-jordan.jp/japanese.aspx
2009.09.02
ダマスカスの魅力は何といっても、歴史を感じさせる街並み。古来から絶えることなく人々が住み続けた世界最古の都市。歴史が街の至る所に息づいています。なぜ人は古いものに惹かれるのでしょう? 過去から学ぼうという潜在的な意識がそうさせるのでしょうか。ダマスカスにある旧市街が世界遺産に指定されていることは、前にご紹介済みです。ところが、この旧市街が危機に瀕しているって皆さまはご存知でしたか?写真を見ていただくと分かるように、老朽化が主な問題になっています。今にも倒れそうな家。写真では分かりにくいですが、左側にある黒い棒によってこの家は支えられ、倒れずにすんでいるのです。オールドダマスカスと呼ばれるこの旧市街、1995年から2005年の間に2万人以上の人が旧市街から引っ越して、モダンな家に住むようになりました。急激に減った旧市街の人口。たくさんの建物が放棄されたり、修理されないまま廃墟になったりしました。そのため地方自治体は、旧市街の広範囲にわたるエリアで再開発を進めるため、古い建物を取り壊すという政策を発表したそうです。これがきっかけとなって、ワールド・モニュメント財団による「最も危機に瀕しているワールド・モニュメント・ウォッチ・リスト」にこの旧市街が加えられることになったのです。 今にも崩れ落ちそうな2階 このウォッチリストは、ユネスコが指定する「危機遺産」とは違うのですが、内容は重複しています。オールドダマスカスには、旧家を改装して素敵なレストランやホテルに変身させたケースも多々あります。先回ご紹介したレストラン「エリサール」もそうですし、Beit Zaman や Old Vine といった人気の高いホテルなどもその例です。こうしたアンティークな建物はすごく人気で、観光客を魅了します。開発という名のもとに、歴史の息遣いが消えていくのは残念なことですね。ウォッチリストに載ったことで、少しでもこうした動きに歯止めがかかることが期待されています。日本でも京都で町屋を改装して、お店にしたり宿泊施設にしたり、いろんな試みがなされていますね。ダマスカスでも引き続きそうした試みが続けられていくといいなぁと思います。 中東の街並みとホスピタリティを味わうには http://picturesque-jordan.jp/japanese.aspx
2009.08.30
今日はオールドダマスカス(旧市街)にある人気の高いレストランをご紹介します。オールドダマスカスと呼ばれるエリアは、かつて街全体が城壁に囲まれていました。現在でも城壁と城壁に作られた門が7つ残っています。その門の一つ、バーブ・トーマにほど近い場所に「エリサール(Elissar)」という名前のレストランがあります。ごちゃごちゃ入り組んだ通りにあるので、見つけるのは難しい! でも道を歩く地元の人に聞けば、すぐに教えてくれます。このレストランでは伝統的なシリア料理と西洋料理の両方が楽しめます。また、アルコールも楽しむことができます。エリサールは、旧家を改装してレストランになりました。レストランの中に入ると広い中庭があり、真ん中には噴水も。吹き抜けの中庭には太陽の光が温かく差し込んで、グリーンの美しさを際立たせます。とっても雰囲気がいいレストランです。 旧市街を歩き疲れた私たちは、ちょっと休む場所が欲しくてこのレストランに立ち寄りました。お腹は全然すいていなかったので、フルーツだけ注文。ちょっと高級感が漂うこのレストランでフルーツだけというのは、断られるかな? と思ったのですが、問題ありませんでした。このレストランはサービスの良さでも評価が高いようです。 壁の装飾もきれい 天井にも美しい装飾が施されています。 オールドダマスカスには、このように旧家を改装したレストランやホテルが幾つかあります。歴史を感じさせるので、とても素敵ですね。皆さまもこのアンティークなレストラン、エリサールで古き時代のシリアに思いを馳せてみてくださいね。 シリアの観光のお手配は日本語でどうぞ。http://picturesque-jordan.jp/japanese.aspx
2009.08.30
今日はダマスカスで一番お勧めのレストランをご紹介。「アル・カマール」という名前です。ダマスカスの中心には″5月29日通り″と呼ばれる通りがありますが、このレストランはその通り沿いに位置しています。このアラビア語″カマール″には「完璧」「完全」といった意味があります。その名に恥じず、このレストランの料理はとっても美味しい! 地元の人もご推薦の人気が高いレストランです。広々とした店内にはナチュラルなポトスが垂れ下がっていて、清潔感が漂います。上の写真は朝食を食べに行った時のもので、まだお客さんが少なかったのですが、昼から夕方にかけてはお客さんでいっぱい。観光のピークシーズンに行ったことも関係あると思いますが、それでもやはり普段から沢山の人が訪れている感じでした。 ↑朝には焼きたてクロワッサンが出てきました。 ↑ 中東のサラダの代表格ファットゥーシュ 結局このレストランには、滞在期間中に何度も足を運びました。どれを頼んでも外れがなく、美味しかったです。上の3つの写真は夕食に食べたもの。ヨルダンではシーフード料理がバカ高いので(内陸のため)、私はここシリアで海老のスパイス風味を頼みました。久しぶりのシーフードです。値段もリーズナブル。3人でサラダ、メインディッシュ一皿ずつ、それからデザートを食べて 20 ドルでおさまりました。友達のおごりでした。ご馳走さま! 締めくくりはデザートで。 一緒にいたのがフランス人の友達でしたので、 食後のデザートは欠かせません。 前にも書きましたが、ダマスカスには美味しいレストランがいっぱいあります。食の文化がかなり発達しています。フランスの植民地だった影響でしょうか。レストランできびきび注文を取り、お客様に仕えるのは40代くらいのおじちゃまたちばかりだったのも印象的でした。中東のレストランは、キャピキャピの女子高生が働くような場所ではありません。まぁもっとも女性の就業人口そのものが少ないですけれどね。こうしたレストランで働くのは、シリアではかなり高貴で名誉な仕事なのだと感じました。これもフランスの影響?シリアに来られることがありましたら、ぜひこのレストランで“完璧”な味をお楽しみくださいませ。 あ、それから一つご注意いただきたいのは、このレストランの近くに「アブ・カマール」 という似たような名前のレストランがありますが、お味の方はいま一つ・・・。雰囲気はいいんですけれど。混同されませぬよう、お願いいたします。 イエメンへのお手配も始めました。http://picturesque-jordan.jp/japanese.aspx まで。
2009.08.28
シリアといえば、スーク。スークとは″市場″のことで、中東の国々ではこうしたスークで何でも揃います。シリアの首都ダマスカスには、オールドダマスカス(旧市街)と呼ばれるエリアがあり、このエリア全体が世界遺産に指定されています。このオールドダマスカスの見どころの一つがスーク。写真はスーク・ハミディーエ。 地方からのアラブや観光客でいつも賑わっています。シリアのスークのいい点は、店主たちが強引ではないこと。ふらりふらりと適当に立ち寄りますが、「買って買って」などとしつこく言われないので、ゆっくりと品定めできます。ディスカウントは…ヨルダンの方が簡単かも。ヨルダンではあっさりとまけてくれる人が多いのですが、シリアはなかなかシビア。この値段で納得しないんだったら買わなくていいよ、と簡単に突き放されるので、ヨルダン流の駆け引きに慣れている身にとっては、「あれ~~~。そ、そんなぁ、つれないねぇ」という感じ(笑)。アイスクリーム屋さんを見つけ、人が一杯だったのでつい誘われて買いました。ピスタチオをびっしりつけた大きな大きなアイスクリーム。食べきれないほどです。このアイスクリーム屋さんのお兄ちゃんも笑いませんねぇ。ヨルダン人は砂漠気質であまり笑わない、と言われますが、シリア人の方が笑わないような気がします。ヨルダン人の男性は、老いも若きも基本的に女性に対してはデレレとかなり弱いのですが、シリア人はキリッとしています。カメラを向けても表情を変えず、仕事に専念。こんな時、ヨルダン人だったらポーズまで作ってニタリと笑っていますよ。この辺、ヨルダン人の単純さは時に可愛いくもあり、時に頭痛の種でもあり…? 下の写真は、スーク・ミドハド・パシャ。これもオールドダマスカスにあります。上のスーク・ハミディーエよりは少し小ぶりですが、整然としていて買い物がしやすいです。主に香辛料がたくさん売られています。このスークには、以前にもご紹介したアレッポ石鹸のお店も幾つか軒を連ねています。このスークをズンズンと歩き進むと、かの有名な「まっすぐな道」へとつながります。この「まっすぐな道」は、聖書に造詣のある方にとっては外せないスポットです。イエスの使徒となったパウロが改宗した場所として有名。この道については、また詳しくご紹介いたしますね。 ビジネス用のホームページで、新たに「お客様からのコメント」欄を増設しました。ぜひ覗いてみてくださいね。http://picturesque-jordan.jp/comentsfromourclients.aspx
2009.08.22
今回のシリア旅行は初めから終わりまで波乱万丈。何とビザの申請を忘れての旅行だったのです。なぜかビザのことを全然考えなかった私…。ツアーコンサルタントでありながら、自分のことを考えていませんでした。よくビザの申請などをしてこなかった人を横目に「一人は絶対いるねんなぁ、こういう人…」と憐れみの目で見ていたのに、憐れみの目で見られる人になってしまった! ヨルダン在住だし何とかなるわ、などと勝手な理屈を自分の中で作っていましたが、はたして、地上国境で引っ掛かりました(当たり前!) 役人がパスポートを何度も何度もめくって、「ビザないやん!」。「え~と、ヨルダン在住なんですけどぉ」「それとこれは別やろ」とあっけなく突き放されました。なんちゅうこと! ここで引き返さなあかんの?? と一瞬血の引く思い。でもすぐに役人は「ちょっと待ってて。上司に電話するから」と席を立ちました。おお! 希望の星が見えてきた! 実は同じバスにビザなしの外国人が4人いたのです。こういうときは仲間意識で結ばれます。それと共に、絶対通してもらえるという確信も生まれてきました。JETT バスの運ちゃんがまたいい人で、心配そうに行ったり来たりしてくれています。待つこと1時間以上・・・。その間、満席のバスの中ではアラブがずっと私たちを待っています。時間にルーズなアラブ。いつもは「なんでこんなにルーズなん?」と切れかけることもしばしば。でも今回はアラブのルーズさに助けられました。40名近くの人が1時間もの間、文句も言わずに4人の鈍くさい外国人を待っているんです。さて、待って待って待った挙句の1時間後・・・。どうなる、どうなる? 「日本人! 24ドル払って」。なんと、お金さえ払ったら通れるのか~。「フランス人! 28ドル」「イギリス人! 28ドル」「アルメニア人! 32ドル」兄ちゃんが読み上げます。・・・国によってお金の額が違います。ここでも日本人は優遇されて、一番安くで済みました。そんなこんなで再び乗り込んだバス。誰も文句ひとつ言いません。何事もなかったかのようにバスは国境を越えていく・・・かに思えたその時、最後のチェックポイントで、シリアの警察がまたパスポートのチェックに入って来ました。ここでまた一人、何かの不手際があったようでバスを下ろされ、バスは再び魔の入国管理事務所へ。さすがにバスの中からはため息。1時間以上の待ち時間、この人は何をしてたん・・・? と自分のことは棚に上げて私もあきれ顔。待つことしばらく。この人は無事に戻って来て、「マブルーク(おめでとう)」とみんなに迎えられ、やっとバスが本当に出発です。 ↑ JETT バス ↑ シリア側の Welcome のサインに迎えられますそんなこんなで始まった今回の旅。日本からシリアにお越しになる皆さまは、ビザの申請をお忘れなく! でも最悪、忘れた場合も大丈夫ですよ。内緒ですけどね、通れます! お金で解決しますから(笑)。でも私たちはたまたま良い役人に当たっただけかも。やはり事前申請がベストですね。ちなみにヨルダンでは必要ありません。日本人には国境で無料で支給されます。バスの旅は人数が多い分、こんな風に思ってもいない時間が取られます(今回は私のせい。反省することしかり)。それでも安いのでやっぱり便利。ヨルダン⇔シリア間のバス、皆さまもぜひ活用して、シリアにも足を運んでみてくださいね :)ヨルダン・シリア周遊ツアーなら http://picturesque-jordan.jp/japanese.aspx まで。
2009.08.19
ダマスカスは世界最古の都市と呼ばれています。もう少し正確に言うと、「世界一古くから人が住み続けている都市」。現在もシリアの首都として、活気にあふれています。昼間のダマスカスは、歩いているだけで楽しいです。ダマスカスという都市の印象をひとことで言い表すと・・・「自由に息ができる都市」。街自体はしゃれた感じもなく、ごちゃごちゃと建物が並び、大勢の人々が行き交う普通の都市です。この点、ヨルダンの首都アンマンのニューエリアの方が洗練された雰囲気。でも人々はというと・・・シリアの人々のほうがヨルダン人よりずっと洗練されています。礼儀正しく、教養があり、品があります。ヨルダンではかなりぶしつけな視線を浴びたり、失礼な発言に遭遇したりすることも多いのですが、シリアでは驚くほど街に溶け込めます。人々の注目を集めることなく、自由に街の中を移動できるこの開放感! こう感じるのは私だけではありません。一緒に行動していたフランス人の友達も全く同じ意見です。この差はいったいどこから来るのでしょう。私の今後の研究のテーマです! さて夕刻近くになると、私たちはタクシーでカシオン山へ移動。市内からは15分もかかりません。カシオン山からは、この世界最古の都市ダマスカスを一望できます。カシオン山へのアクセスですが、タクシーが一番手っ取り早い手段です。でも交渉制になります。私たちは行きと帰り両方をお願いし、カシオン山で過ごす間待っててもらう、ということで 750SP (約15ドル) を払うことにしました。でも後から考えると、この額は通常の3倍はしていたようです。運転手、すごく親切だったけど、ぼったくったな、アンタ! という感じ。 まぁ、でも夜景が素晴らしかったので良いとしましょう。本当にこのカシオン山から見るダマスカスの夜景は、息をのむほど美しかったです。 ダマスカス市内からはどこからでもカシオン山が見えます。建物と建物の間にある山が見えるでしょうか? 昼間にカシオン山に行かれるのもいいと思います。中東の夏の夜は涼しくて気持ちがいいので、夜遅くまで外で過ごす人が多いです。このカシオン山も地元のシリア人で夜遅くまで賑わいます。家族連れ、友達同士・・・それから恋人たちもやってくるようです。カシオン山の頂上まで(といってもそれほど高くはありませんが)、路肩という路肩には車がびっしりと駐車してあります。人、人、人・・・。風に吹かれながら、会話を楽しんでいます。ダマスカスに来られたら、ぜひこのカシオン山に足を運んでみてくださいね。世界最古の都市ダマスカスの観光なら http://picturesque-jordan.jp/japanese.aspx まで。
2009.08.18
シリアの見どころは言わずと知れたスーク。無数のお店が立ち並び、たくさんの地元の人で賑わいます。ふらりふらりと見て歩くだけで楽しいです。観光で来られる方たちは、もちろんこうしたスークでお土産の品定めをされることでしょう。ヨルダンに住んでいる私にとっては、特に目新しいものはありません。ヨルダンとシリアの値段の比較をして楽しむくらいでしょうか。でもアレッポ石鹸は別! 絶対にたくさん買い込むと決めていました :) 今回見つけたのは、下の写真にあるようなひも付きのアレッポ石鹸。アレッポ石鹸は水に溶けやすいので、こうしたひも付きの方が4倍近く長持ちするのだとか。ナルホド。 幾つものお店を回り、アレッポ石鹸と呼ばれるものの中でも“正真正銘”のものを探します。でもお店の人によって言うことが違うんですよね。さすがアラブ。間違った情報でも堂々と流しますから。あるお店では、こっそりと「実はこのブランドはアレッポ石鹸といわれているけど、ダマスカス製でアレッポ製ではないんだ」とごにょごにょ教えてくれました。ほほう。違う店に行ってそのブランドについて尋ねると「いやいや、これは本当のアレッポ石鹸だ」と自信たっぷり。どっちやねん?いろいろ回りましたが、さっきのゴニョゴニョ話をしてくれたお兄ちゃんのお店で買うことにしました。このお兄ちゃん一押しの“正真正銘”アレッポ石鹸は「アブ・フーズ」というブランドです。オリーブ油とロレール油をミックスした石鹸。ローレル油の含有量がとても多いので、お肌はしっとり、香りはかぐわしく、とても質の高い石鹸です。まけてもらって一個55SP。100円くらいです。早速使ってみましたが、気持ち良いです! 髪の毛にももちろん使えます。とても気に入りました :)アレッポ石鹸の店は複数あります。下の写真はゴニョゴニョお兄ちゃんのお店ではありませんが、ディスプレイが面白かったのでカチャリ。壁のように積み上げられたのは全て石鹸です。ここのお店の石鹸は高かった。一個100SP だということで、先ほどのお店と比べると約2倍の値段。ここでは買いませんでした。全身に使えるアレッポ石鹸、ぜひ皆様も旅の思い出にどうぞ! 歴史的遺産の宝庫シリアへは http://picturesque-jordan.jp/japanese.aspx まで。
2009.08.17
シリアから帰ってまいりました。・・・食中毒になって。人生で初めての食中毒です。苦しいものなんですね~。発熱、下痢、嘔吐がいっぺんに襲ってくるのですから、大変です。高熱で全身がキリキリ痛み、冷たい汗が吹き出します。今回の旅は合計3名。3名ともがかなりひどい食中毒です。まず一人がなり、その半日後にもう一人、そして一日遅れて私がなりました。この時間差は何なんでしょう。まぁそれはいいとして、原因は最後のレストランで食べたタブレ(パセリのサラダ)。タブレについては前にご紹介済み(http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/200810130000/)。中東の代表的なサラダです。美味しいんですけどねぇ…。パセリをよく洗っていないところでは、食中毒の症状が出るらしいです。 最後に行ったレストランは「地球の歩き方」にも紹介されている「タル・アルカムル」の隣のレストラン。ガイドブックには、「アラビア料理の基本はここで押さえられるという2軒」というコメント付き。このレストラン、あまり清潔ではありませんでした。隣の「タル・アルカムル」のほうがきれいそうでしたけれど、タバコの煙が充満していたので隣のレストランに行くことに。それが命運を分けた…かもしれません。 でも、串焼きのケバブは本当においしかったです。あまり清潔そうではないレストランでは、生野菜にだけご注意くださいませ! よく「シリアとレバノンの食卓は豊かだ」と言われます。つまり、シリアとレバノンは食事がおいしいのだそう。ヨルダンにはマンサフしかない、とジョークでよく皮肉られます。でも今回、改めて納得。今回の旅ではシリアの食を堪能しました。ダマスカスにも美味しいレストランがいっぱい。ファーストフード店しかないヨルダンとは違います。シリアのレストラン事情、ブログでもアップしていきますので、お楽しみに! 食中毒が治ってから、になりますけれど(笑)シリア・ヨルダンのツアーなら http://picturesque-jordan.jp/japanese.aspx まで。
2009.08.14
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