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早いもので今年も終わりですねこの時期、大掃除でついつい手が止まってしまう事ありますよね?例えば、すっかり忘れていた昔の本や写真の再会とか 笑何年かに一度の周期で自らの履歴や過去を一旦俯瞰したくなってしまう時期が訪れますそういう時は、これから起こるであろう変化のタイミングの場合が多いように感じてしまうのはあくまで個人的な経験則ですが・・様々な時勢の変化と自らを対峙しどうチューニングしていくのかあるいは周波数を合わせていくのか?まだまだ途上ですがコツコツ歩を進めていきたいと願っています本年も大変お世話になりましたどうか皆様も良いお年をお迎えください渕崎昭彦
2023.12.29
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本日、図書館からリクエスト待ちしていた沢木耕太郎さんの久しぶりの長編新作「天路の旅人」がようやく到着しました!(何と約1年待ち!)冷静に考えてみたら本屋で購入しておけばいいのに・・という感じなのですが、いやはや自宅の本棚スペースがもう限界でこれ以上増やすのは・・・沢木さんの作品を初めて読んだのは自身が26歳だった頃のユーラシア横断の旅を実に独自の視点で綴られている「深夜特急」という作品(文庫本6冊)知人の紹介で手にした訳ですが、当時、奇遇にも26歳だった僕はその本に夢中になってしまい、少なからず、その後の旅や視点に影響を受けることになったわけですが作品には「書き手と読み手のタイミング」みたいものが少なからず存在していて(もちろんそれを問わない超越している作品もたくさんありますが・・)現在の沢木さんの文体と物語に今の自分が何を思い、何を感じるのか読む前から「ワクワク」してしまいついつい書いてしまいました!楽しみです天路の旅人 [ 沢木 耕太郎 ]深夜特急1 香港・マカオ (新潮文庫) [ 沢木 耕太郎 ]
2023.12.27

「あるべきはずの国の名がなぜないのだろう・・?」中東に位置し世界で現存する中で最も古い都とも言われる「ダマスカス」のスーク(市場)のそばにある茶屋で旅の安息を取っているときのこと、ふと壁に貼ってある地図に目を向けると、そこには僕の中で認識していた「イスラエル」という名はなく「パレスチナ」とだけが書かれていた当時、僕は20代の後半それが「その場で通りすがりの異邦人が決して質問するべきではない」質のものである事は分別としてかろうじて兼ね備えてはいたものの、(そもそもアラビア語が判らないのですが・・)少なからず考え込むことになった。自分が疑いなく「知識」あるいは「基準」「常識」として思い込んでいたことはある一方が定めたものでもあり、視点が異なれば当然ながらそれらは異なってくるということ、そのうえで「自分の眼差し」というものを、一旦ニュートラルにするためにどう学び、育むべきかについて・・そして、この旅の少し前に単身オーストラリアに教師として成田から旅立った小学生時代の恩師である担任の先生から学んだ授業の事をふと思い出していた当時、絶対的な存在であるものと思い込んでいた「教科書」を尊重しながらも、そこに疑問を感じ必要があると判断すればそれを一旦、脇に置いて自らで新たなメソッドを再構築する。その労力を厭わず手書きで記されたプリントで受けていた授業の確かな手応えと、一度、自分自身の頭で考え直してみることを真摯に伝える先生のあり様、そしてそれこそが僕にとっての「気付きの種」であったことを先月、札幌でそんな小学生時代の恩師と同級生に逢う貴重な機会に恵まれた。もちろんアラブの旅の話はしませんでしたが,北の恵みの幸と談笑を交えつつ今も変わらず学ぶ姿勢を自然な形で継続する現役の恩師と、当時、その時間と空間そして「種」を共有した同級生たちとの会話から気づかされることは本当に多い!(鋭く飛んでくる容赦のないツッコミも何かしら記憶を揺さぶるみたいです‥笑)僕は、教員にはならなかったけれども、「フラメンコギターを教える」という生業の中で、自然に当時の授業の影響を受けながら自分で内容を再変換している事に気づかされます時を経て、それぞれの生活、あるいはそれぞれのステージで、それぞれが受け取り様々な形で育まれてきた種たち・・そんな過去と現在を共有できる場があることに心から感謝したいそして決して忘れてはいけないのは、僕自身が怠ってきたであろう目立たないところでの細やかな心ある配慮とそして行動されてきた方の恩恵に預かってきての現在のつながりであるということを・・感謝を込めて渕崎昭彦※ その後、先生のメソッドは札幌市(北海道)教育委員会に認められスタンダードになったと知らされました。また当時手探りだったのかもしれませんが、「性教育」の分野でもモデルケースとして、関係者を交えての公開授業等も積極的に行われており、恐るべしパワーに今更ながら感服です!
2023.12.20
今回は、僕が自身の勉強用資料として活用しているもののひとつを紹介します!「マグナ・アントロヒア・フラメンコ」12枚組のCDとレトラ(歌詞)付きで各種曲種形式別に様々な古典カンテが収録されており、重要なカンテがかなり網羅されております!自分のノートにコツコツレトラを書き写して(手を動かして自分で読みながら書く行為が大事なんです!笑)その後、音源を聴きながらギターのコード付けなどを確認したりすることからスタートするわけですが、(恥ずかしながら、未だに全ては終わっておりませんが・・) それは、あくまで勉強の一部であって自分の基礎滋養的なワークみたいものでしょうか・・資料の選択は人それぞれの特徴があって、いろんな方の意見を聞いてみるのも面白いですよね!さてカンテを聴くための最初の取っ掛かり、あるいはきっかけになればと思いこのシリーズを書いてきましたが、本当はもっと個別に掘り下げてより深い部分へと紹介したい歌い手が沢山いるのですがあまり長くなり過ぎてもいけませんので今回は、「導入」ですのでこの辺で筆を止めることにして機会を見つつ、また新たに書ければと思います!今まで出会ってきた様々なスペインのフラメンコアーティストのほとんど全ての人が「古いカンテを聴きなさい、そしてずっと勉強を継続しなさい」と述べています少なくとも「聴く必要が無い」または「興味がないなら聞かなくても良い」等と発言した人には未だ出逢った事がありません、「カンテそのものがフラメンコの原点であり原始であること」そう気づくことが出来たのは、やはりスペインでの生活経験の中で、生きたカンテに触れる機会が得られたこと、そして自分の師をはじめ多くの人々が僕に声をかけてくれたこと、なのかもしれません少しでも参考になりましたら幸いです!では
2023.12.07
フラメンコがスペインはアンダルシア地方を故郷に持つと言ってもアンダルシアにもいくつもの県や町が存在するわけですがそれぞれに豊かなフラメンコの地方色を見受けることができ、それらは色濃いバックボーンとして様々な歌い手のスタイルに個人性をより深めたものになっています例えば 港町カディスでは「アレグリアス」というフラメンコの曲形式がやはり重きをおかれ、その出身地である歌い手からやはり「カマロン」のアレグリアスはいいよね!とかいやはや「ランカピーノ」の繊細さはたまらない!それよりも、やはり「ペルラ・デ・カディス」だ!(本当はもっともっと紹介したいのですが・・)こんな感じで話を進めていくとまた違う角度から「カンテフラメンコ」が見えてくるかもしれませんちなみに、今活躍中のランカピーノの息子さんも本当に素晴らしいです!時を越えて継承されていくフラメンコのカンテを聴き比べしてみるのもなかなか面白いかと思いますシェリー酒の町ヘレスでは、「ブレリア」が盛んですし、イスラムの影響が色濃く残るグラナダでは「タンゴ」かつての炭鉱町であったレバンテ地方アルメリア等では「タラント」ポルトガルに隣接するウエルバ地方では「ファンダンゴ」かつて山賊が盛んだった?とされる山間が残るマラガでは「アバンドラーオ(ファンダンゴ)」等またセビージャ県にある町でウトレーラやモロンそしてレブリッハなども実に豊かで深淵なフラメンコが残されていますもちろん、これはひとつの例であってスパっと書き切れるものでは決してありませんが、参考になれば幸いですちなみに セビージャ県レブリッハに「イネス・バカン」というやはり古の一族から継承されたカンテを歌うカンタオーラがいるのですが、※ 兄はペドロ・バカン(ギタリスト・故人)彼女のカンテはぜひ聞いて欲しいと思います!(とても僕の言語能力では追いつきませんが、歌うという価値観そのものに影響を与えてくれた歌い手の一人です)参考になりましたら幸いです
2023.12.06
今回は別視点で眺めていきましょう!「カンテ」には、「ソロ」で歌うだけではなく、「踊りの伴唱」としても重要な役割を担います。スペインでは、ソロで歌うよりも踊りに捧げるカンテで力を発揮することで、敬意を払われている歌い手たちも多数存在しているのですが、なかなか「アルバム」という形で発表される機会は少ないのが実際です。先日、来日していた「エンリケ・エストロメーニヨ」はまさに長年に渡り、偉大な踊り手の歌い手をつとめた代表的な存在の一人ですがここ最近は「ソロ」でも活動し、アルバムなども発表されていますまたセビージャの故「クーロ・フェルナンデス」は有数の様々な踊り手を招いて伴唱したアルバムを発表しており、特に「踊り歌」に唄われるカンテに興味がある方は参考になるかもしれません!ちなみに、上記「クーロ・フェルナンデス」の娘である「エスペランサ・フェルナンデス」も大活躍中の歌い手の一人です。その「声」と共に、圧倒的なコンパスの呼吸感やエッセンスを充分に堪能できるかとも思いますのでこちらも参考にしてみてください!
2023.12.05
「我々は現代社会を享受することで大切な何かを失ったのではなかろうか?」そんな危機感に近い感覚を覚えたのは彼女のカンテに初めて触れた時のことです。彼女の名前は「ドローレス・アグヘータ」その純粋過ぎる目は、「フラメンコを学ぶ」という名のもと、ややもすると「方法論」や「合理性」で何とかこねくり回してフラメンコに近づこうとしている自分自身の浅はかさに大切な何かを投げかけ、今もそれをはっきりと思い出す事が出来ますカディス県ヘレスの生粋のフラメンコ一族である彼女の父は歌い手「マヌエル・アグヘータ」古のヘレスのカンテの始祖としても知られる「マヌエル・トーレ」から脈々と継承されてきたそのカンテはドローレスの息子に継承され現代に脈々と語り継がれて今を呼吸しています正直なところ音源ではなく直接、ぜひ生で聞いてそのカンテを細胞単位の全身で感じて欲しいところなのですが、とはいえ なかなかそれも現実的ではないかとも思いますので、音源で聞くならば、せめて雑事は一旦停止して「それだけを聴く」という行為にぜひ没頭してみてください!
2023.12.04
フラメンコのカンテを「聴く」と一口に言っても、「どこをどう聴くのか?」というのはそれぞれの目的や志向性も含めて、かなり個人差があるのではと思いいますいわゆる「学び」を目的として何かしらのポイントを求めて聴く事ももちろん大事なことですが、それ故に、見落としてしまうことや、失う感性もあるのかもしれない・・今回紹介したいのはフラメンコに携わっているなら当然のように聞いておくべき生粋のフラメンコ一族でもあるセビージャ県ウトレーラの偉大な歌い手「フェルナンダ&ベルナルダ」ウトレーラの姉妹です!いろいろウンチク書こうかと考えていましたが、彼女たちのカンテに余計な先入観はない方が良いかな・・と自分の中の物を一旦手放して「ただ聴く」「ただ感じる」という事皆さんにはどう聞こえますか?参考になりましたら幸いです
2023.12.03
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