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昨晩は中秋の名月に’遭遇’してしまった。たまたま外に出たら、雲の切れ間に大きな月が煌々と輝いていた。きっとこの月を見ながら、いろんな人がいろんな想いにふけっているに違いない。ちょっと得した気持ち。昔の人の作り上げた暦って素敵だ。そしてその月夜のもと、弟が仙台に帰った。すっかり「にぃにぃ」大好きになっていた陽は、ちょっと寂しそう。車で何時間もかかるから、大変だけど、ちょっとした旅気分でいいなぁって羨ましく思った。私も一人旅がしたい。そして。夜が明けて朝になったら、まんまと陽の風邪がうつっていて喉が燃えるようにいたくなってしまった…からだがポカポカするのに身震いする。こんな日に限ってダンナは飲み会。一日ダラダラしたいのに、陽は物足りずにひっついてくる。試練の一日だった。子供は風邪ひいてもわりとけろっとしているのに、オトナのほうが弱いのね。。。
2004年09月29日
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弟とマティス展に行く。ダンナに陽を預けて、上野の国立西洋美術館まで。日曜の電車はただでさえ混んでいるのに、雨の湿気も加わって不快極まりない状態だった。弟が「人間ってクサいもんだってわかった。」とぽつっと呟いて、妙に納得。Henri Matisseは、もともと弟がはまっていて、私は弟の部屋で初めてマティスの作品に出会った。はっきりとした色づかいが好きで、ポストカードを2,3枚分けてもらって、ずっと飾ったりしていた。今回9月上旬からマティス展が大々的にやると聞いて、弟に知らせたら、はるばる仙台から車を走らせてやってきたのだ。西洋美術館は休日ということもあり、ものすごい人だった。若い人がわりと多く、ずいぶん人気があるんだなぁと少しおどろいた。作品も100点以上集められているらしい。私は彼の晩年の切り絵の作品しか知らなかったのだけど、若い頃描いた作品もとてもインパクトがあった。作品の「存在感」、マティスの主張が本当にまっすぐに伝わってきて、背筋がぞくっとするほどだった。マティスは自分の作品の製作過程を記録(写真)に残したり、一つのテーマをいろいろな切り口(スタイル)で描いているそうだ。その最終形に至るまでのすべてのプロセスを全部展示してあって、そこに彼の「こだわり」「思いいれ」を見た気がした。有名な画家の絵、、というと作品が一人歩きしてしまう感があるが、その作品にたどり着くまでには、様々な葛藤があったりする。葛藤とか試行錯誤、その過程にこそ意味があるんだなぁ、これって人生でも同じだ…と深く考えてしまった。人はともすれば結果ばかりを追い求めがちだけれど、それは結果がシンプルな形だから。もちろんスポーツの世界等では結果は大事だし、結果を出さなければ意味がないことも世の中にはたくさんある。けれど、そこにたどり着くまでの過程に目を向ければ、おもしろいことって実はそっちのほうにあったりするんじゃないかな。そんな哲学的な思いに至った素晴らしい展覧会でした。
2004年09月26日
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金曜、弟が仙台から車で遊びに来る。2,3日滞在予定。花の大学生で、まだなんと夏休み!!羨ましいかぎり。夜到着した弟はなんと長袖!!仙台と埼玉ってやっぱり気候がぜんぜん違うようで、「北国からの客」って感じだった。そして土曜は隣の市に住んでいるハトコ兄妹もやってきて、我が家で皆で食事をした。ケンタッキーをダンナが大量に買ってきたにもかかわらず、あっという間に売れてしまって、さすが若者、、と唸ってしまった。弟は23、ハトコ兄妹は22と19!!同世代感覚でいたけれど、明らかに溝があったようで、アルコールのとり方にも若さ特有の勢いが感じられた。26のダンナと25の私は敗北、、なんだか家の中を新鮮な空気が流れた気がした。ひたむきで目が生き生きしていて、これからどんなに転んでも立ち上がっていけるエネルギーがあるんだなぁと、たくましく思う。ちいさいころから知っているハトコ兄妹は、あの頃の半ズボンのシュウ君と、甘えっこのユキちゃんではなく、しっかり自分の生きる道を模索している若者になっていた。この兄妹は、昔から本当に仲がよく、素晴らしく立派に挨拶ができる礼儀正しいイイ子だった。二人とも東京に出てきて、一見華やかそうな学生になったけれど、芯の部分はとてもしっかりしている。きっと両親にとても丁寧に育てられたんだろう。細やかなところで、そういう育ちのよさがきちんとあらわれていて、なんだかちいさな感動を覚えた。ハトコ兄妹はなんと夜中の2時過ぎに、自転車で雨の中を帰っていった。すごい。。。次の水曜日、大量の缶のゴミをだすはめになってしまった。
2004年09月25日
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連休をかけて、江国香織の「泣く大人」というエッセイを読んだ。ものの捉え方や感じ方がとても繊細で、文章も清冽で、面白かった。今の私には本を読む時間がとれることが何よりも贅沢!だからとてもシアワセな気分になった。佐藤雅彦の「プチ哲学」も合わせて買ってあるので、次読むのが楽しみ。昔、母はよく私や弟に本を読んでくれた。もう筋書きがわかっているのに、ページをめくる度ワクワクして心が満たされた。絵の綺麗な世界文学全集なんかは、もうぼろぼろで、なぜかクレヨンでグシャグシャに絵まで書いてあるけれど、宝物。今その文学全集は我が家の本棚に収まっている。次私が陽に読んで聞かせるため、その出番をじっと待っているのだ。空は秋。夜の闇が日に日に濃くなり、月が煌々と輝いている。季節によって、空がこんなに移り変わりゆくものなのかと、うっとりしてしまう。今日も夕方6時過ぎ、ママチャリこいでスーパーへ買い物にいった。日が沈むのが早くなった埼玉です。
2004年09月21日
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井の頭公園に行く。想像していたよりはるかに広い公園で、老若男女、いろんな人種、いろんなタイプの人間がどやどやいて参った。私のイメージの中の一般的な「公園」から少しかけ離れていて、それはそれで遊園地みたいなのだけど、癒される感じではなかった。池のボートには人が列をなして、ベンチというベンチには人が座っている。皆楽しそうに秋を味わっているけれど、少し人口密度が高いようで、窮屈そうにみえる。そして、公園のあちこちで、ストリートミュージシャンが音楽を奏でていたり、絵やアクセサリーを売ったりしていた。それは一見楽しげで、私も興味で足を立ち止まらせ眺めたりしていたけど、なんだか次第に息が苦しくなってくるような圧迫感に襲われた。何でだろう・・・あの公園で作品を売っている人たちは「自分の世界」にこだわり、自信をもって、軒を連ねている。なんとか自分の「表現」を確立しようと必死なのだ。そういう「芸術家」な人がところ狭しとマットを広げている光景に、私はなんだか圧倒されてしまった。むろん一人一人の「アート」がどうとか、否定的なことでは決してないのだけど、あの場の雰囲気はなんだか公園とそぐわない気がしてならなかった。せっかくの緑が、秋の澄んだ空気が、じっくり味わうことのないままほったらかしにされている気がした。午後、ダンナさんの友達一家と合流して、やきとりの有名なお店に入る。兼ねてから期待していたのに、お店は昭和初期のレトロな感じで、ただただ汚くゴミゴミ。。評判だという焼き鳥の味もイマイチな感じだった。がっかり。
2004年09月19日
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しばらく日記をさぼってしまいました・・・先週土曜から、実家母が手伝いに来てくれていた。てきぱき家の隅々を掃除し、庭の手入れをし、山のように煮物をつくり、そして陽咲の相手をし、今朝嵐のように去っていった。「見送りなんかすると泣いちゃうからイイ」とか言っていたのに、姿が見えなくなるまで母は手を振っていた。陽咲も小さく手をふりながら「バイバイ、バイバイ」としょげていた。相当寂しかったのだろう、大泣きはせずにしょんぼりうな垂れていた。陽の気持ちがが痛いほどわかって余計切なくなった。けれど、ちいさくとも、別れのカナシミはきちんと味わったほうがいいと、私はそう思った。庭にぽつんと残された母のサンダルが、妙に存在感を放っていて、それが一層切なさを助長している。母は「捨てて」といってサンダルを置いていったのだが、そのサンダルのクタクタ加減が母の面影を彷彿とさせるので、思わず下駄箱に入れてしまった。母には感謝。一緒に暮らしている間は何かと衝突ばかりの親子だったけれど、こうやって離れてみて、ちょうど良い距離感で母のことを見られるようになった。母娘だからといって、べったりもだめだし、人と人の間にはどんな関係であれ距離感が大事なのだと思う。とにもかくにも、この一週間、すこし育児から手を抜けたので、リフレッシュできた。美容院にも行けたし。気持ちを切り替えて、新しい季節に備えられそう。心の衣替え完了。
2004年09月17日
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目をつぶると、私の手はたくさんの人と繋がっている。それは友達や家族。男の人であり女の人。年上の人、年下の人。たくさんの人とのつながりのなかで私は「生かされている」。だから「一人ぼっちで生きていて、自分だけで歯を食いしばって頑張っている」・・・なんて肩に力をいれずに、人を想い、想われていることを忘れずにいよう。遠くの地で、悩んでいる友達がいる。彼女はこれからどう進むべきか岐路に立っている。私は彼女が深く思い悩んでいるとき、傍にいって肩をたたいてあげることもできないし、的確な助言をすることさえできない。経験もないし、状況もわからない私の言葉は本当に薄っぺら。でも、彼女の迷いの出口が早く見つかるよう、心のそこから祈っている。この気持ちが伝わればいいと、目をつぶり彼女の笑顔を思い描く。私の大切な大切な友達で、本当に聡明な人だ。短い期間しか共有できなかったけど、私はたくさんのことを彼女から学んだし、出会えたことは財産になっている。きっと悩んでいる今は辛いけど、彼女はたくさん考えて、自分らしい答えにたどりつくに違いない。どんな道を選んだとしても、私は応援するし、繋がれた絆は決して離れない。がんばってほしい。私もここ最近の低迷期を、多くの人の絆によって救われた。見えない手は私を生かしてくれた。大げさかもしれないけど、それが「毎日」になり、気づいて後ろを振り返ったら「人生」になっちゃったりしているのだろう。感謝。
2004年09月12日
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午前中、川越へ。陽咲と私のパスポートを受け取りにでかける。ヒィなんて、まだ1歳なのに5年期限のパスポート。今度更新するのは小学生。なんだかウケた。本人は、新しいパスポートがえらく気に入ったようで、自分の写真をじっと見つめてニヤニヤ笑っていた。駅前のエクセルシオールカフェで、サンドイッチとコーヒーの昼食を取り、家に戻る。今日深く考えたことがある。私は一人の「人間」として、ちゃんとありたい。今私は「母親」で「妻」で「主婦」という役割を担っている。時には「娘」であり「嫁」でもあり「友達」であり「one of them」でもある。でもそれらすべては、あくまでも私の一面であり、それは私という人間すべてではない。私自身そのバランスがうまく取れなくなって、それはそれは辛い思いをした。ここ2、3日私の頭のなかは子供と家のことでいっぱいで、「ママである私」は爆発寸前だった。でも、こうして繋がっている友達は私を「ママ」ではなく、一人の人間として接し、見つめてくれている。それが本当に嬉しいし、だからこそちゃんとヨレヨレすることなく、自分の足で立ちたい。子供はいずれ自立し、親の元を離れていく。そのときに親としてだけでなく、人間としての魅力をきちんともっていたい。だから。私はちょびっと齧りかけの語学もちゃんとコツコツしたいし、たくさん本も読みたい。勉強もしたい。これは子育てから逃げているのではなく、私なりに真っ向から取り組んでいることなのだ。「二年後の私は?」「十年後の私は?」というちゃんとしたビジョンを頭において、目先のことにとらわれずにいよう。今日はだいぶアルコールのせいで、頭が哲学的に回転してしまいました。明日の夜、うちに救世主(実家の母様)がやってきます。recoverの兆し。
2004年09月10日
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ここ2、3日は本当に底辺を這う日々だった。眠れない。だるい。やる気が起きない。笑顔が消えてしまっていた。夏ばてか、今までの疲れがどっと溢れてきたのか、子供が早く寝てくれますように・・・とそればかり考えて一日を過ごした。そんなとき、ふと自分のページを確認して、励ましの言葉に本当に救われた。ちゃんと自分を支えてくれ、気にかけてくれる人がいる、そしてちゃんと繋がっているって素晴らしいね。どうもありがとうございます。育児は。すぐ結果がでるものではない。誰から褒められるわけでもなく、認められるわけでもなく、今はただただ子供と向き合っていくこと、それだけ。ヒィはまだうまく喋れないし、言葉というツールの代わりに、体全体をつかって表現するしかない。思いのたけを、全身で。80センチ、12キロの体はエネルギーの塊で、細胞がどんどん破壊されてっている母親の私はもうとても太刀打ちできない。最近、何をするにも私の後を着いてきて、私は「自由」を奪われてしまった。冗談抜きにトイレさえいけない。睡眠不足と疲労で、私は残酷な母親になった。でも、ちょっとずつ客観的な自分を取り戻しつつある。100%を目指さなくても、せめて笑顔で子供と向き合おう。「~しなきゃ」という考えは、しばらくホッタラカシにすることに決めた。私には何ひとつ誇れることなく、中途半端で、感情的。でも育児は「子供のため」じゃなく、あくまでも私自身の成長のためのものだと、最近思うようになった。「人間」として、試され成長してくひとつの段階なのだ。「私は育児に振りまわされている」と思わずに、「これが私の課題なのだ」ときちんと理解しなきゃいけない。そうでないと「子供のために人生がだめになった」などと嘆くオバサンになってしまう。明日はがんばろう。
2004年09月09日
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娘をきつく叱ってしまった。ヒィは目に涙を溜めて、しばらく俯いたかと思うと、「わぁゎぁぁ」と泣き出した。ほんとうは、そんなに怒るようなことじゃないのかもしれなかった。ヒィの意思表示が、私はただの我儘に思えた。多分、私の気持ちに余裕がなかったのだ。受け止めてあげるだけのキャパシティがなかった。自分ですぐに気がついて、体をぎゅーと抱きしめたけど、ヒィはなかなか泣き止まない。私は育児に振り回されているのではない。多分自分で作った「こうするべき」という身勝手なルールに振り回されているだけ。子供の世界を尊重してあげないといけないのに、親のエゴばかりが先行してしまう。最低。私は厳しすぎるのかもしれない。子供にだけでなく、いろんな面で。誰に対しても。今日の出来事で本当にほんとうにかなしくなってしまった。明日は笑顔で陽咲に「おはよう」を言おう。
2004年09月07日
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週末は、ダンナさんの大学時代の友達が3人うちに泊った。夜は皆でそとで食事したし、来客には慣れっこだけど、さすがに疲労がどっと溜まる。疲れていると私は悪魔みたいになるから、彼とは距離を置いたほうが懸命と思い、日曜の夜は別行動。こうして結婚生活も二年目になり、ある程度距離を置くことが大切なんだなぁと思う。いつもべったりで共に行動していると、本当に疲れてくる。動物と同じように、人間も個々の「テリトリー」があって、家族といえど、恋人といえど、そのテリトリーの中に入られると極度に不快になる。。。という話を前に聞いたことがある。ここ二年、(子供が小さかったというのもあるけど)、私は自分の自由になる時間がほとんどもてなかった。大好きな本すら読めなかった。一人でいる時間を楽しむ余裕がないと、ひとは窮屈で息が詰まってしまうものなのだ。誰かと一緒に生きていくというのは、「時間」や「場所」を共有するということではない。別々に離れていても「気持ち」を共有できれば、それでいいのだ。私が選んだ「結婚」という選択肢が、正しかったかどうか、答えはすぐにはでないし、これから先長い時間を経てわかってくるものだと思う。…私もまだまだだ。話題をかえます、、、今日は友達からおすそ分けで頂いた銀杏を乾煎りして、キノコをたくさん入れて炊き込みご飯にした。秋だ!!ヒィの食生活が穀物中心なので、ご飯に工夫をしないとなかなか栄養が取れない。オカズも食べてよ~。そんなこんなでバタバタしていると、夕方その友達が今度はサツマイモを届けてくれた。ザ「秋の配達人」って感じ。笑ってしまった。「おすそ分け」って、抜き打ちでなんだか嬉しくなる。主婦になってそういう機会がぐっと増えたが、何かをもらったりあげたりする度、心が喜び色に染まる。
2004年09月06日
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今、眠ろうとベットに入っていたら、突然の揺れで目が覚めてしまった。11時58分、和歌山のほうで大きな地震があったらしい。埼玉でもこのくらい揺れるのだから、近畿地方はすごいことになってるに違いない。地震が一日に二回。浅間山も噴火するし、最近天災だらけ。なにかが起こってるのか。本当にコワイ。。。NHKの緊迫した報道を見てて、なんだか眠れなくなってしまった。津波警報が出たときの「ピー」という信号、初めて聞いた。週末の分の日記をまとめて明日書こうと思っていたのに、眠れなくなったため、思わずパソコン立ち上げてしまったのでした。
2004年09月05日
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突然の素敵なお客様がきたのは、昨日の午後のこと。彼女は高校時代からの友人だが、私にとって彼女は「栄養剤」のような存在で、話をするとたくさんエネルギーをもらう。最近結婚し、本当に楚々とした美しい奥様になってしまっていたので、ノーメイク・しかもプール帰りの汗だくの私はなんだか気恥ずかしくなってしまった。家でゆっくりお茶をしながら、いろんな近況の話や、楽しい計画(10月あたり旅行に行きたいというもの)を立てたりした。旅行、本当に楽しみ。彼女の話で、本当に微笑ましく幸せな新婚エピソードがあって、私はえらく感動してしまった。そんな友達夫婦の幸せを心から願って止まない。そして。もうひとつ。なつかしいひとの近況を聞いた。私はその人を心底尊敬していたし、とてもとても賢い立派なひとだった。3年前その友達を介して知り合ったが、しばらく音信は途絶えていた。人の話をとても丁寧に聞き、そして自分の頭でじっくり考えてくれるひとだった。今は遠く離れた地で仕事をしているのだが、先週日本に帰ってきていたとのこと。馴染みのない土地でいろいろ大変らしいが、魅力的で才能のある人だから、どこにいてもきっと大丈夫だろう。背中をしゃんと伸ばし、笑顔でいるにちがいない。もうお会いすることもないだろうけど、頑張ってほしい。さて9月に入り、夜の月がとても見事。秋の夜は空気が少しひんやりして、心地いい。詩的だ。そろそろ温かいコーヒー用のガラス製のドリップポットが欲しい。かねてからずっと手に入れたかったのだけど、なんせうちのだんなさん、コーヒーのめないから。この楽しみを共有できないなんて・・・
2004年09月03日
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