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主人は腸と肝臓と膵臓と肺の一部を取ってはあはあ言いながら一日おきに仕事に出かけています。はあはあ言うのは肺が少なくなったけれどおなかを切っているので腹式呼吸ができないから(よく、僕のおじいちゃんは肺を取ったけど90歳まで元気でしたよと励ましてくれる人がいるけれどそれは、肺だけを取った人でおなかの筋肉を切らないで腹式呼吸ができる人だと思います)そして貧血もあるからですが、元気は元気、はあはあ言っているだけで元気に会社に行っています。ただ満員電車なので「何が頭にくるって」と主人。「満員電車で肘をあげてスマホでゲームをやっている奴らだ」肘が肺や肝臓にあたって痛いらしいです。やっぱりまだ手術痕が痛いみたい。呼吸が苦しいのに肘うちでさらに辛いみたいです。きっと満員電車の中でゲームを「やらざるをえない人たち」にはそれだけの理由があるとお察しします。「場面」を切り替えないといけなくて必死なんじゃないかな。出勤は出陣みたいなものですものね。けど痛い人もいるみたいなのでもし近くに痛そうにしている人がいたら、一時中断してくださると嬉しいです。……そのように願う癌ぽちでした。
January 30, 2016
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この頃よそのお家にご飯(非癌食)を作りに行くお仕事もしています。もともと料理は好きなので苦ではないしそれ以上に他人の嗜好・志向・思考を読み取ってサービスをするのが好きなのでポーカーのようで面白いと感じます。お弁当作ったりパーティ料理を作ったりする喜びって賭け事にも似ていてデータがあって予測して制作するそれがうまく当たった時にものすごい喜びを感じるのでした。ある意味では演奏みたいなものなのですが演奏は「核」のところが「自分」で変えられないので様々な「条件」、解釈とか、楽器とか、お客様とか、クライアントとか、ホールとかの条件で少しずつ変わっていくのですが核はぶれないのでちょっと違う感じです。どちらかというと「演技」に近いというか……。もうちょっと政治的・策略的これってなにか上手い言い方あるのでしょうか、「スパイ大作戦」みたいな感じです。結局料理って食材とか技術より食べる方の味覚(これは無意識の物語なのだと思っています)にどこまでマッチングしているかということが最大のポイントのような気がします。よそのお家に行ってお食事の好みを聞くとたいてい皆さん「なんでも大丈夫」みたいな答え方をされます。ただ「キノコだけはちょっと苦手かな」みたいに。「大したことないでしょ」みたいなニュアンスです。でもそれで癌ぽちはいろんなキノコの名前を出し確認あと干しシイタケはどうなのかとかだしで使ってあってもだめかとか混ぜ込んであった場合についても聞いたりします。それから冷蔵庫の食材と調味料類をチェック調理器具でもいろいろわかることが多いです。あとね、トイレ。肉食の油多いお食事が中心のご家庭のトイレは汚いです。爆裂便の痕跡があります。そういういろんなデータから見えてくるその人その人の持つ味の「樹」みたいなものがあってこの人はこういう系列のこういう味に「固着」し「展開」しているんだとわかりますからその樹の中で作るようにするんです。でも今うかがっているお家は「薄味が好み」っておっしゃるのですが癌食からすると結構しっかり味がついています。でもこれで「薄味で我が家の好みにぴったりです」っておっしゃってくださいます。ここ5年は肉料理なんて作らなかったから昔何を作っていたか忘れちゃって肉じゃがに肉を入れるのを忘れるところでした。うちの肉じゃがは「じゃがじゃが」といって肉なしなんです。作りながらなんかなあ・・・・・って。本当は癌食を作りに行きたいです。これで病気が治るなんて言いませんけど毎日快適なお通じがあって少し長生きしそうなお料理です。もし癌食を作ってくださいというお宅があったら喜んで飛んで伺いますのでおっしゃってくださいね。
January 30, 2016
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結構孤独な毎日であります。今日、帰りがけにふと「結構孤独な毎日」だと思いました。思ってからなぜかなと考えたのですが火・水・木、金と4日間続けて朝から夜までバイトで出かけて帰宅が10時過ぎで帰宅しても、次の日が早いのでご飯を食べてちょっと「憂さ晴らし」(例えばネットサーフィンとかゲームとか頭が空っぽになるもの)をしてお風呂に入って、すぐに寝るというくたくたな毎日で主人はもう10時には寝る支度に入るのでこのような日々を語り合う友達もいないしこんな日常の中だと頭の中で「独り言」を繰り返すことになるからどんどん観念的になっていくのに生徒さんがやめたりやめなかったり演奏仲間が「えっ」ということを言って来たりそうするとリアルな友人関係・師弟関係という「近親調的な」人間関係がひどく疲れる感じになって「もういいよ。あっちいけよ」的な気分に支配されます。そこで孤独の灰色の霧が私の周りに立ちこめてくるわけです。教える仕事以外の仕事はかなり表層的な人間関係なので心理的には疲れないし仕事自体もうまくいっているのですがただ、仕事として未来もないし、つまり経済的に右肩上がりになる展望はないしそう考えるとこちらの世界でも閉ざされたスモッグが発生します。一方でサイコロジストの彼に教えてもらった量子論とかラズロとかタッピングとかわあすごい、これって音楽そのものじゃないのとかラズロの話とコンサートをカップリングしたいなとかそんなわくわくしたことを考えてその重く垂れこめた靄の中から星の光のようにピンポイントで輝くのですがそういう話をする人もいないしいくら倍率を上げて望遠鏡を覘いてみてもあるはずの星が見つからずまたがっかりして孤独の螺旋の殻にしぶしぶと角をひっこめるわけです。そしてラズロのブタペストクラブを調べるとちょっとうさん臭いような気がしてまったく個人的にささやかに失望してしまったり。でもラズロの演奏は聞いてみたいものだと思う。言葉がわからなくても理屈がわからなくてももし本物なら共振するはずだと思う。でもラズロは大物すぎるおじいちゃんだしブタペストクラブの壁は厚いなあ……。そんな堂々巡りをしているとまたまたどっと孤独になる癌ぽちでした。
January 22, 2016
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実はこのブログを始めるとき私は友人のサイコロジストに時々私のブログを読んで、おかしいことになったら、止めて戴けますかとお願いしました。スーパーバイザーですね。ブログは不特定多数の方々に発信しますし、病気について語るわけですから結構な心理的なリスクがあると思ったんです。私も通院したり癌食の勉強をしていく過程でいろんな言葉に傷つきましたし、いろんな方の闘病ブログを読ませていただきましたがバランスのとり方って難しいなと感じたからです。一応、「彼」が読んでいる、と思うと夜、自分一人の思い込みで書く恥ずかしいラヴレター(13歳ぐらいによく書いたような)とは違うものが書けるような気がしました。で、〈彼〉とは大学時代からの友人(芸術療法学会の受付で隣に座って以来)なのですがスーパーパイズの依頼をしたもののここ20年くらいはそれぞれの家庭や仕事のことで忙しく現実で会うことはなかったのですがこのところ、極悪少年のことなどあってちょくちょくメールで相談することがあり先日は新年会と称してお食事をしたのでした。そしたらですね、これが本当に素晴らしい時間だったんです。男の子とのデートって相手のことを考えて相手にいいようにいいようにって気を回す感じなんですが〈彼〉の場合は違う、話の引き出し方、展開のさせ方、間のとり方、目線の合わせ方まで音楽のようでした。よく考えたら彼はそういうプロフェッショナルなんですから当たり前の話で私は楽しくても、彼にはちょっとした残業のようなものだったのかもしれません。でもよく勉強されているので話題が豊富ですししかも声がとっても素敵。(私にとって声は最も重要かも)サイコロジストとデートするって本当に素敵で贅沢な体験です。世界で最も理想的なデートかも。これって、寝台特急に乗ったことありますかとか富士山頂で初日の出を見たことありますかぐらいの確率の贅沢な体験ではないかしらと思います。心のスパみたいな?イケメン芸能人ホストとデートしてもこんな満足感は得られないと思う。お友達にサイコロジストがいてよかったです。(みなさんも、芸術療法学会の受付のお仕事を積極的に引き受けることをおすすめします。笑)彼から教えてもらった面白い話題についてはまた後日。
January 18, 2016
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先週の月曜日に「思いがけない成果主義」に出くわした後水曜日は「極悪兄弟最後の果し合い(=話し合い)」がありました。というと大げさですが、もうこれもお辞めになるということでご挨拶にいらっしゃいました。こちらのご兄弟、中2と小5でご紹介でいらっしゃった方なのですが多くの極悪を王子に育て上げてきたさすがの癌ぽちも心が折れそうになった兄弟でした。私は自分で自分にいつくつか決めていることがあってそれは「先生」という職業からくる副作用(ダメな人間になる)を避けるためなんですけれどひとつは、生徒を選ばないということ。ひとつは、私からやめるようには言わないということ。そして、生徒がやめたら、一切干渉しない。こういう決まりごとは自分の価値や世界観を超えるできことを運んでくるのでどれだけの度量があるか、いつも試されているような感じになります。心の器が水たまり並みに狭い癌ぽちには修行の毎日なのでした。でもその分、学ぶことも多いし、自分の考え方が正しいかどうか、ひとつひとつのレッスンが『証明』書という感じ。でも、この兄弟の場合、ちょっと手に余るかなという感じがありました。素人の私では太刀打ちできないな、という実感です。専門家が必要だなって。つまり、お父様もお母様も、病んでいるんです。もしレッスンが続くのだったら専門家をご紹介しようと本気で考えていました。結局、お辞めになったのですが……。最後まて子供たちは極悪だったのですがお母様は泣きながら私のレッスンをやめたくなかったと訴えました。そしてつらつらとご家庭の病んでいる内情を・・・・・・・。うーーん。詳しい話があまりにプライバシーに関わるし怖い話なので、できないのですがとても重い水曜日でした。これってレッスンなのかなあ。よく「スタンドはスタンドに牽かれる」とかいうでしょう。私が病んでいるから病んでいる人たちが集まるのかあるいは隠れていた病が顕在化するのかもしれない。もしかしたら〈音質〉って私がこだわるところなのですが結局心の状態にまで関わるから本当はあまり追及してはいけないのかもしれない。芸術療法は両刃の刀とかいうけれどうかつに心の泥沼に手を突っ込んでかき回しているのかもしれない。この頃の音楽があまりにもつるつると表層的な感じがするのは逆に音楽が無意識の領域に到達しないように意図的な制御が働いているのかもしれない。あくまでも音楽がスタイルやファッションの部分で収まるように。などと裏読みしてみる癌ぽちでした。
January 11, 2016
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片づけ続けていますが片づけるということはよみがえるということでこの書類は破棄これは保留これは保存と仕分けするのに記憶をよみがえらせるので結構時間がかかります。トリオの楽譜のパート譜をきちんとスコアにまとめ破れた楽譜は修理しMC用の資料はノートに貼り思わぬところから出てくる領収書をまた「領収書入れ」の袋にぽいと入れる。問題はコピー譜です。私は譜メクリストを使わないので(伝説の譜メクリストMAっちゃんは別!)楽譜を自分でめくれるようにコピーして製本します。コンサートのたびに曲順に並べて1冊の本を作ります。コピー譜をばらばらに使う人もいるけれどどういうわけか私は本にしないと気が済まないんです。アナログだからかな。楽譜1曲だけなくなったら不安だしぺらぺらしていると安定しないし曲を並べてひとつのなんというか流れを作るのでそうしています。でもこの作業は結構大変。コピーも大変ですが製本作業が。この楽譜を見た先生に「すごい〈工作〉だね」とびっくりされました。そして実際に「この音のタイミングでめくり」とかどこをセンターに持ってくるとか2ページ捲りとかそういうのも微妙にあったりしてそういう書き込みもして。そして本番が終わったらこの1冊、どうしたらいいのかしら。存在感はしっかりあって、ベートーヴェンのソナタ並みの厚さです。まったく同じプログラムでやることはほとんどあり得ないのですが書き込みや発見もあるので捨てられずこれがどんどん溜まっていく。去年は結構本番があったのですごく溜まってしまいました。去年の演奏の音源を聞きながら作業しています。音源は何度も何度も聞くといろんな課題を発見します。そしてちょっと疲れたのでブログに逃避。この記事は何か教訓があるかしら。私がアナログ人間だってことと片づけられない人間だってことかしら。……すみません。
January 3, 2016
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ツィツィコさんとのお話で面白かったこともう一つ。何度か入院を繰り返しているツィツィコさんはベッドの上で勧められる治療や検査にはひとつひとつていねいに常に慎重で冷静なジャッジを下していらっしゃるのですが「どういうわけかみんな『はい』って言うのよ」「70歳を過ぎたおばあさんがもしかしたら効くかもしれないからって抗がん剤を打ちましょうって言われて『はい』って。それで始めたその日からもう1日中吐いているの。あれを隣で聞いていたらもう食欲も抗がん剤も結構って感じになるわよねえ」Do you want to taste my body?(病院の)ベッドの上の誘いは断りにくい。主人も何度も経験しました。返事は「はい」か「お願いします」になってしまいます。学級会でひとりだけ「賛成」に手を挙げないとかひとりだけ「反対」に手を挙げる時と似ています。こういうのは普段から練習していないと無理ですよね。あと、関係が対等じゃないところにも問題があります。お医者さんの知識はそれはやはりちょこっと勉強した程度の私たちにはかなわないわけですし口には言えない知識文字になっていない知識もあるわけですし「知っている」人が「知らない」人に「お勧めする」という形で実は「宣告」しているわけなのでそりゃもう伏して承る感じになってしまいます。でも圧倒的な「正しい知識」であってもそれが正しくない場合もあるわけで(知識の宿命として新しい知識に絶えず否定されていく)そしてその知識の結果を引き受ける側の自立した身体として選択権はあるはずなのですがそれは結局「直観」になっちゃうのかな?お医者さんだって肺先生のようにすごく丁寧に説明してくださる先生と愛すべきチャラオ先生のようにぶるぶ震えているだけの先生もいらっしゃる。情報の量にだってあまりにも恣意的な差があるわけです。ベッドの上で抗がん剤に誘われたらとりあえず1回死んだふりをするくらいの間合いがいいのかも。気絶していたら無理強いできませんよね。なんて考えた癌ぽちでした。
January 3, 2016
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息子の友達が次々と結婚することになりました。憂鬱そうな息子。元カノと別れたのも主人の病気が原因でした。今これこれこういう状況なのでもう少し待ってれ。そしてこの苦しみをシェアしてほしい。まあ大体こんな内容のことを言ったらしいです。もう少しってどのくらい?「5年」5年生存率が頭にあったのでしょうか。若いお嬢さんにそれは酷なことですよね。なんか、息子に悪いなといつも思っている私たちです。お友達のひとりが「まさかの結婚」だったので昨日から心で遠吠えをしている様子の息子。「僕はきっと一生結婚できない」と嘆くので「そんなことないよ、きっといい人がいるよ。ママのお友達はみんなかわいいとかすてきだとか言ってるよ」と慰めたら「みんな、年寄じゃないか」 ですって。大笑い。よくも言ったな~。お詫びに和菓子を買ってきてもらいます。でも結婚てするのは簡単だけれど続けるのは大変。そうでしょ?恋愛は何度でもするといいけど結婚はできれば1回がいいものね。そうでしょ?「そうでしょ?」と私が聞くとうんうんと頷く主人でした。あまりにも深く頷くのでちょっと怪しいな(笑)と思います。
January 3, 2016
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ツィツィコさんのお家でお話したことで興味深かったのはなぜ癌が悪化したのかツィツィオさんの説明ですとツィツィオさんが一時ルーマニアに帰国していた時があってその前はいろんな数値がよかったのに4か月ほど留守していてまた日本に戻ってきたら数値が悪化していたというのです。ただでさえ遠い職場なのに帰宅してからまた翻訳のお仕事をされていて睡眠時間が激減2時に寝て4時に起きるみたいなことをされていてそれが体にいいはずがなくそれが原因だということになりました。そのお話の中で「でも引き受けた仕事だからちゃんとやりたかったのよ」とツィツィコさんがおっしゃいました。「私は、ほかの人がだらだら仕事していてもそれに付き合いたくないの。自分はきちんとしたい」あと、数学が得意という話の中で「だって数学って答えが一つじゃない?合うと気持ちいい。バイトしていた時もレジをやっていてびたって合うと気持ちいいの。爽快感がある。1円でも合わないと気持ち悪い。私はいつもぴしっと合っていたからレジ打ちばかりやらせれた」というお話。癌ぽちには想像を絶するお話です。私は数字は一切覚えられない。生きていないから。電話番号も、住所も、年号も、値段も覚えられない。そんな話をしていたらでもツィツィコさんとそっくりな人がいるわけです。うちの主人。主人は不思議な感動を覚えた表情で「(お互い)癌性格ですねえ」と納得していました。主人もツィツィコさんと同じです。癌の再発の原因は仕事でした。でもこういう性格って「いい性格」ですよね、本当は。きちんとしていて、周りの人に迷惑をかけないし。でもきっとその「きちんと」が周りとの歯車が合わなくなって自分自身に向けられていって体が悲鳴を上げるのだと思います。だから本当に癌を治すためにはは生活(仕事)を変えないといけないのですがそれがかなり難しいです。たぶん食事を変えるより、難しいような気がします。
January 2, 2016
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ツィツイコさんというのは「癌食研究会」にいらしてくださった方で私のブログを読んでくださった関係でお友達になりました主人の「癌友」です。うんと古い記事にはその辺のやり取りいきさつが載っていますがよかったら探してみてくださいね。ご主人のツィツイオさんがハーブやはちみつなどの効用について詳い方で私たちもいろいろ教えていただきました。ツィツィコさんは病院にも通っていますが基本的にはツィツィオさんの手当てで何度か奇跡的な復活を遂げてここまで至っています。今は骨転移があってぽきぽきとあちこち骨折してしまい骨折による貧血で動けないし痛みもあるようです。肝臓も転移があり大きくなっているそうです。でも頭は相変わらずシャープでじっとしていることのほうが辛いとおっしゃっていました。痛みは、この程度の痛みは全然気にならなくなったとおっしゃっていました。本当はご主人の故郷のルーマニアに帰りルーマニアで死にたいけれどこの状態では厳しいだろうとおっしゃっていました。心配なのはツィツイコさんに何かあったとき残される、日本語がほとんどできないツィツィオさんと中学1年のツィツィ娘ちゃんのこと。私もいろいろ考えていますけれど何か皆さんでお知恵があったらお知らせください。
January 2, 2016
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あけましておめでとうございます。たいしておめでたい実感はないのですが(「めでたい」という感覚は対人的なものになのだと気づく)やっぱり主人が「健康で」(「かっこつきの健康」と呼びたいです。前にも書いたけれど元気というわけではないので)家族で揃って話しながら食事できるということは本当に幸せの原点だと思います。発病から5年経ち、ここまで来ることができました。イメージにない世界を探検し、道なき道を、いろんな人に迷惑のフンベンを巻き散らかしながらいろんなものをかなぐり捨てながら歩いてきたような気がします。怖くて振り向けないし、皆さんにおかけしたご迷惑の数々を「死して屍拾うことなし」と拾うこともせず今日に至っています。ごめんなさい。コメントくださったのにお返事もしなかったのもほんとにひどい話ですよね。そもそも忙しさにかまけてうちがあんなに汚い状態であるということだけでもうちに来た人たちには嫌悪感と恐怖を与えていたに違いないと思います。うちが貧乏だということ自体もかなり恐怖と嫌悪の対象だったと思います。心ある人はあからさまに肯定はしないと思うけれど身近な人の貧乏はかなり恐怖を与えるのです。咳やくしゃみのようにね、うつるような気がするし、見たくない世界です。何かしなくちゃいけないような自分の裕福さを恥じなきゃいけないような気にさせられる太宰治症候群みたいな感覚も嫌なものです。貧乏が一種のホラーの対象となっているということにもあらためて気づいた年でした。去年はすごく本番が多くて大変でしたが今年は何もない!(本当に? とりあえず今のところ8月のみ)ので家の片づけとか、文章を書くとか落ち着いて練習するとかしてみたいと思います。芥川賞を狙おうかなと言ったら主人に「あなたが芥川賞とれるんだったら僕らはノーベル賞がとれるよ」と鼻で笑われました。チェロを習い始めたとき3年後の副科試験ではドボコンを弾こうとしていたのと同じくらい無謀なことらしいです。教材も完成させたいし、ブログももうちょっと書きたいと思います。私は書きたいことはいつもたくさんあるのですが書く時間がないだけでした。ところで31日にツィツィコさんのお宅にお邪魔しました。つづく
January 1, 2016
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