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あーんちゅうぅー もさくぅー?(語尾は上げます)「あなたはモサクさんではないですか?」すみません、よく見かけるギャグです。原文は“Aren't you Mosaku?”時間がないといいつつ、やっぱりブログ巡回していると(^^ゞみなさん、年末のご挨拶シリーズを展開されている。なので、私も来年の抱負について、ちょっと書いておくことにしよう。「これだ!」という夢を見つけることは難しい。実現することは、なおさらだろう。また今年も慌しく過ぎてしまった。ただ、今年は人との出会いに感謝する場面が多かった気がする。来年もできうる限り、いろんな場所に出かけていきたい。【あれこれとさがしもとめること】これが本当のタイトルの意味。さがすことにも意義があるって思えば、結果が出ずとも焦らずにすみそうだな。ブログで出会ったみなさま、リアルでお会いしたみなさま、今年私が時間を共有できたすべての方々に、心からの感謝を込めて。来年も引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。\(^o^)/
2005年12月31日
平日の昼間は、すいすい仕事がはかどるはずなのに、冬休みに入ってからというもの、全然作業が進まない。家事を片付けて、さー仕事って思っても、仲良くできるじかんは30分もない子どもたちは、すぐに兄妹ケンカを始める。やかまし過ぎて近所迷惑なので、何度もカミナリを落とすことになる。そのたびに子どもとムキになって言い合いをし、精神的にも疲れてしまう。きのうからは、休みに入ったダンナも加わり、スローペースの3人に、いらいらするばかり(-_-;)結局、午前中は洗濯とエアコン・トイレ掃除などで終わってしまった。去年より量が少ないなどときのうの日記に書いたけど、量が少ない分、納期も短いの。忘れとったぁ~。(こんな大事なこと忘れるか? ふつー)ちょっとブログ巡回は控えまする。
2005年12月30日
今年も残り3日となって、世間様は大掃除だのおせち料理だのと季節に合った喧騒でにぎやかだ。例年通り年越し仕事をいただいたので、今年もそれをお題目に、プチ掃除くらいでごまかすことにしよう。おせち料理は自分が苦手なので(作るのも食べるのも)、結婚して以来一度も作ったことがない。ズボラ主婦のかがみ!←ひらきなおりそんなわけできょうも変わらず仕事を続ける予定でいるが、ふと、去年の予定表を見ていて、多忙だった1年前を振り返る。いくつかの仕事をかけもちすることが増えたので、自作の予定表をエクセルで作り始めたのは、何年前からだろうか。1枚が1月分、縦軸に日付を、横軸にそれぞれ項目を入れる。仕事用は多いときは4つ枠、ふつうは3つ枠で作成。その横に子ども2名分、最後にその他欄。ここに家族の行事や、私用を入れる。昨年12月はクリスマスのころに膨大な仕事をいただき、冬休み明け納品のスケジュールだった。繁忙期・閑散期の波がある仕事ではあるが、1月の収入は、トータルの1/6を占める金額となり、ホクホクしたのを覚えている。(でも、結局は前年と同じくらいになったけど)今年末の仕事は比較にならないほどの量なので、やっと普通の年越しができそうだなー。(などと油断しているとすぐに納期がやってくるので、気をつけよう!)1/3、宅急便さんに集配コールをするまで、がんばりまする。ふぁいと~!
2005年12月29日
毎年この時期だけ購入する『テレビガイド』(今年は、付録にひかれて『ザテレビジョン』)まずは今晩の「プロジェクトX」は、はずせんでしょう。どうせ永久保存だからと、初めてDVDに録画することにしたので、説明書片手に孤軍奮闘。←大げさ録画モードっていうのがビデオと違って4種類もあり、HDDは分からんまま、「SP(標準)」にしていたものだから、意外に残りが少なくなっている(>_
2005年12月28日
決して「スイートポテト」などとは言えない。だって、さつまいもをゆでて皮をむき、ビニール袋に入れて、ぐちゃぐちゃとつぶし、そこにバターとさとうを入れてまたつぶし、牛乳を入れてまたまたつぶし、最後にバニラエッセンスをふりかけ、根気よくつぶす。(というか握るだけ)本来なら、うらごししてなめらかなテクスチャーを楽しむものなのだが、その過程が飛ばされているので、食物繊維たっぷりって感じが、私は好きだ。腸に良さそう(^^)この工程なら小学校低学年でもできる。きょうは、娘が学校でつくった料理を家でやってもらった。学校でのさつまいもの収穫後、自分たちで育てたものをちゃんと食べさせてもらえたらしい。オーブンは家庭科室から教室に持ってきたそうだ。アルミのカップには、そのつぶした袋の端を切り、生クリームをしぼるように、ぎゅうっと出していく。手も汚れないし効率的。ちなみに、収穫した大根のときは、お椀(われないもの)持参で、やはりみんなで食べたそうだ。こちらは、大根だけのおでん。まったく他の具材はなしでも、ふだん給食を食べない子すら、おかわりするほどの人気だったらしい。「自分たちが収穫した」「みんなで食べる」この条件が大きいんだろうなぁ。
2005年12月27日
クリスマスの当日、ツリーも飾らぬ寂しい家に、サンタさんがやって来た。美しく輝くプレゼントを持って…。切り身ではないタチウオを見たのは初めてで、噂には聞いていたけど、本当に光っていた。待ち合わせたセブンイレブンの駐車場で、「きゃあ~」だの「うわ~」だの叫んでしまった(恥)昨日はすでに夕食が済んでいたので、本日の食卓に登場。刺身、塩焼き、そして中骨部分がもったいないので、塩コショウでバター焼き。なかでも刺身はおいしすぎて、脂を考えずに食べ過ぎたものだから、ただいま若干、胃もたれ中(-_-;)疲れているのに帰り道、みんなにプレゼントして回ってくれた和くん、本当にありがとう。この大漁の張本人(だと和くんは言っていた)ペコリさん、お疲れ様でした。ありがとう~。クリスマスプレゼント、だーれもくれないので、勝手にお二人からのプレゼントと解釈させてもらいまーす!(^^)!ところで、タイトルにつけた「きらきらひかる」このドラマ、好きだったんですわ。1998年1月~3月だったらしいので、もう8年も前の話。鈴木京香さんに憧れたなぁ(^^ゞ
2005年12月26日
フュージョン【fusion】(1)融合。合併。連合。(2)二つのジャンルの音楽(特にジャズとロック、ジャズとソウルなど)を融合させた音楽。クロスオーバー。金曜日にMAN3が出演する『Fusion Night(フュージョンナイト)』なるライブに行ってみた。実は、このフュージョンという言葉が、音楽のジャンルだとは知らず、上記(1)の意味でしか考えていなかった。(ドラゴンボールで悟空とベジータ、悟飯とトランクスが合体するイメージが強くって (*_*))こんなすっとぼけた私でも、文句なしに楽しめた4時間半!音楽への情熱みたいなものが伝わってきた。デジタル音ではない生の音って、やっぱり違う。20代のころに何度か行ったSQUAREの『TRUTH』は、思わず目をつぶって、あのころに戻ってみた(^^ゞ詳細は、MAN3、ゆこりんさんのページにどうぞ!外に出るとすっかり夜になっていて、ちょっと飲みたい気分だったので、知人がお手伝いしている飲み屋さんへ向かう。女二人で昔話に花を咲かせ、途中かわいい彼女(知人)と会話しながら、おいしいお酒、おいしい料理、絶品のチーズケーキを堪能。満足、満足。じゃ、元気で新年を迎えようねと、小雨降る八丁堀で友人と別れた。そこから家に戻るまでの時間、1人で過ごす自由な時間を満喫しながら、たった3両しかない(笑)呉線に連れて帰ってもらった。いつものことだけど、初めての場所に出かけるのは、とても緊張するし勇気が必要だ。だけど、必ず何かを与えてもらえる。行って良かったと穏やかな気持ちで眠りにつける。とげとげの気持ちに、そっと柔らかなヴェールをかけてくれるような女性にもお会いできたし、こういう機会を与えてくれたMAN3、いちばんに参加表明をしてくれていた蓉子ちゃんに感謝!(だって、蓉子ちゃんが表明していなかったら、一人で行くなんて考えられなかったもの)次はどこへ出かけよう?でも、そろそろ家族の白い目が気になる(^_^;)母の良心と女の冒険心。両天秤にかけたらやっぱり後者が勝っちまうのさ~!(^^)!
2005年12月25日
かんせい~!(^^)!生クリームがセットのもの(2パック)では足りず、もう1パック買い足して出来上がり。原型が分からないほど、いちごと生クリームをどっさり使ったオリジナルケーキができたぞー。つかれた。ぼそっ
2005年12月25日
夕方6時ごろ、玄関のチャイムが鳴った。ピンポーン開けてみると、宅急便さんが荷物を持って立っていた。ひぇ~、追加の仕事かよ(-_-;)って不安になったのは一瞬のことで、その荷物には「要冷蔵」の文字が見られたのでピンときた。何年かに一度、モーツアルトからこのセットが届く。これは大学時代の後輩が送ってくれるものだ。(彼女はけっこう幹部クラス)子どもたちはすぐにでも作りたがったが、フルーツ類が何も用意されていないので、なんとかなだめすかして明日作ることに。いつもいつもありがとう。いたらぬ先輩のために、夏・冬のお届け物をかかさない。できた後輩をもって幸せだわ!(^^)!
2005年12月24日
「暖冬(だんとう)」という言葉ばかり聞き続けていたので、その反対はこんな風に表現するのね。冬は寒いよ、当たり前じゃん。などと突っ込みはよしましょう~(^^)気象庁は22日、この冬が20年ぶりの全国的な「寒冬(かんとう)」になる可能性が高いと発表した。これまで同庁は「今シーズンは暖冬」としていたが、12月が記録的な寒さと大雪になったことから予測を見直した。恒例のヤフトピから。1月中旬まで厳しい冷え込みが続く見込み。とも書いてあった。きょうは午後から広島へ。呉線のダイヤが非常に心配だわ(^^ゞ
2005年12月23日
年に1度の SOHO の日記念イベント【ひろしまSOHO博'05】私の日記での参照はココこのイベントのレポートページがアップされていた。数秒ずつ変わっていく写真を見ていて、思わず、ぎょぎょぎょ~。楽しそうに笑っている姿が写っているじゃん。全然撮られたのに気がつかなかった。この日も出会えた方々に感謝しながら、幸せな気分で帰途についたんだっけ。出会いがあれば別れがあり、また再びの出会いがある。出かけてみよう!明日も何かが見つかるかな?(呉線、動いてくれよ~)
2005年12月22日
翌週が待ち遠しかったドラマが先日最終回を迎えた。~1リットルの涙~『海猿』の後番組で、何度も予告編を目にしていたし、涙なくしては観られないということを予想していたので、あえて観ないように努力していたのに。ある日ふっと子どもがつけていたテレビの画面から流れる美しいメロディ。♪こなーゆきー ねえ こころまでしろくー…♪そこからはもう画面に釘付け。主人公や、家族や友人の流す涙よりも遥かに多い量の涙が私の頬を伝い、心の中で問い続ける。「なぜ、彼女じゃなきゃならなかったんだろう」3年と少し前。私は同じように泣きながら、現実の世界で叫んでいた。「なんで? どうしてあなたじゃなきゃならなかったの?」ある朝突然かかった電話で、生涯友でいたかった女性の死を告げられた。彼女はワケあって夫と別れ、女の子二人を育てながら、自身は小学校の教師を続けていた。心の底から教職に誇りを持ち、子どもたちからも慕われ、教師としても女性としても素敵なヒトだった。病は少しずつ彼女を蝕み、腫瘍は取り除きにくい場所に発見され、入退院の繰り返しだったそうだ。高校時代とほとんど変わらない、美しい笑みをたたえた遺影は、それまでの苦しい日々を感じさせないよう、きっと愛するご両親が選ばれたに違いない。お別れのときに、私は彼女に謝りたかった。こんな健康な体があるのに、「やりたいけど、○○だからできない」って、言い訳ばかりの人生を歩んできた自分が恥ずかしかった。今の仕事が軌道に乗ったのも、いろんな場所に出かけて人の輪を広げられているのも、みんなみんな彼女のおかげなのだ。生きていれば、成し遂げたかった夢や、描いていた理想もあっただろうに、志し半ばにして倒れてしまった親友。同じ夢を受け継ぐことはできないけれど、私は私の想いを実現するために、勇気を出してこれからも挑戦し続ける。怖くて回れ右をしたくなることも多いけど、そんなときには彼女の柔らかな微笑に励まされ、できることから逃げないようにがんばってみよう。彼女の死の意味を考えるとき、「生」への感謝を気づかせてくれたのだと思うようにしている。「生きていること」は、当たり前ではない。「生きていること」は、それだけで尊いのだと。何もしなくても過ぎていく人生だから、何かを見つけて一歩一歩歩いていきたい。
2005年12月22日
仕事をやる気が起こらん(ーー;)時々こんな風に集中力が切れる。(ま、納期が明日とかならせねばならんが)それで、きょうはブログ巡回を念入りにやっていたら、たかちゃんチでこんなものを発見!状況を想像すると、とっても楽しい♪たかちゃん、もらったよー。(事後承諾)2005年12月17日いきなり次回予告!!私は登場人物を以下の3人に設定してみた。(広町ペーパードライバー連合)「どうせ世界は作り事なのだから」そういいながらバーボンを空けるたかちゃん。何も言うことの出来ないちゃかりんは蓉子ちゃんに想いを馳せる。「ああ、蓉子ちゃんは、まだ、あの歌を歌っているのか?」次回、3人の邂逅が全ての謎を明らかにする!?「いつか3人で輝いて」を刮目して待て!!ついでに、この3人でもやってみた。←トリビア風(不惑を迎えてなおお盛んトリオ)ちゃかりん「さぁ!勇者ペコリさんよ!新たな冒険へ旅立つが良い!」国王ちゃかりんは偉そうに言った。ペコリさん「ようし、まずは武器と防具を揃えるか!」勇者ペコリさんは新しい冒険の始まりに、旅立ちの村中のタンスをあさった!きよちゃん「ちょっと!人のパンツ盗らないでよ!」次回、『勇者、窃盗罪で逮捕される!?』いつかはそうなると思っていたけど…乞うご期待!!きよちゃんのセリフなぞ、はっきり聞こえるように想像できた(^^)あー、笑った、笑った。さて、仕事すっかなー。(仕事人の仮面をつけましょ!)
2005年12月21日
先日、5年間保証(購入後5年間は無料で修理できるシステム)で、パソコンを直してもらった。今回は、液晶画面の色が変わっていくというヘンな現象だったが、10日間くらいで戻ってきたので、受け取りに行った。「液晶を交換したようです。無償内で修理が可能でしたので、代金はかかりません」という言葉とともにいただいた修理明細書を見ると、なーんと、そこには高額な金額が。78,120円今ではD社のシステムが変わり、無償修理ではなく、半額は支払わなければならないから、もし、新しいパソコンだったら、4万近くの出費ということか。痛い、痛すぎる!デスクトップパソコンは5年を過ぎたので、次に買い替えのときは、購入店を考え直そうかな。
2005年12月21日
きょうは恒例の「あゆみ渡し」の日。5年生はシビアに「◎」「○」「空欄」という評価で、1学期も「空欄」だったところはそのままで、「◎」だったところは「○」になっていたし、結果的に成績が下がっている~(ーー;)高学年になると、かなり保護者の方も熱心になるようで、一人の時間が長いこと、長いこと。私は6番目だったけど、早めに行ったせいもあって、1時間は廊下で待った。(ストーブはありがたかったけど)すでに、私の順番が来たときには、6人ものお母さん方が待っていらっしゃったので、座るなり「先生、さっさとすませましょう!」と声を荒げてしまった(おとなげないわ)。3分で出てきたので、他のお母さん方には感謝されたとさ(*^_^*)私が聞きたかったのは、宿題がどのくらい出ているのかってこと。あまりにも家で宿題をしないので、不安になっていたのだ。待っている間に、他のお母さんに聞くと、「いっぱいありすぎて困るよねぇ~」って。では、毎日なーんにもしない我が子っていったい???漢字プリントもやらず、日記も書かず、本読みもせず。それでいいのか~。できない子は放置されてしまうような気がして、ちょっと悲しかった。(親が勉強させろ? ハイ、耳が痛い話です)
2005年12月20日
昨夜は待ちに待った忘年会。広駅で蓉子ちゃんと待ち合わせ、呉駅でたろねえと合流。寒さで顔がこわばりつつ、一次会の場所へと歩く。お座敷での飲み会はくつろげるので大好きだ。総勢25~30名くらいの人数には、明らかに狭すぎる部屋だったが、初めての人もそうじゃない人も、みんなが和やかにおしゃべりできるのが「広島弁で喋ろう会」の素敵なところ。しかし、きのうはいつもとは違う自然の驚異が、二次会へ向かう私たちを待っていた。吹雪、吹雪、氷の世界~♪(by 井上陽水)夜11時には外は真っ白。しんしんと降り積もるような雪は、どうみても温暖な呉には似つかわしくない。子どものようにワクワクしながら、カラオケ会場に進む。何人もの芸人さんがいらっしゃる会なので、聞いているだけでも十分楽しめるが、私はきよちゃんと『待つわ』を歌った(^^)ひさっちさんともたくさん話ができて、楽しいばかりの時間を過ごしたあとに、時計を見れば深夜の2時。タクシーのことを気にしながら、カラオケ会場を出てみると、どう考えても車は通らんなというくらいの雪道だった。呉駅まで行けばタクシーがいるかもと淡い期待を持ちつつ、雪だるまになりながら、みなでそーっと滑らないように歩いて行った。三次会のレクレへ行く人たちと一緒に館内に入る。そこからタクシーを呼んでもらおうと思ったのだが、タクシー会社はどこも電話がつながらない。ただで座って休んでいてはいけないような雰囲気だったので、仕方なく5人の女性はお湯につかる。最初から行くつもりならば、もっとゆったりとした気持ちで極楽気分を味わえたが、こんな形では合点がいかないねと蓉子ちゃんとも言い合った。これは始発の呉線を待つパターンかなと覚悟していたところ、広島へ帰るきのぴーさんが広経由で送ってくださるとのこと。戻って寝られると思うと、ありがたさに涙が出そうだった。ブルさんのギャラリーまで送ってもらい、広島組(7パパさん、ちっぷすさん)とはそこでお別れ。ブルさんの車でガソリンスタンドまで運んでもらった。おかげさまで5時には布団にもぐりこむことができた。今朝は9時起床。さすがに眠い。きのうの午後届くはずの仕事も、この雪できょうの配達時間も分からない有様なので、今晩は厳しい状況になりそう。プラスマイナス両面あったけど、忘れられぬ忘年会になったので、結果オーライとしよう。(みなさま、本当にお疲れさまでした!)
2005年12月18日
夜は出にくい主婦のために、きょうは昼間の忘年会。メンバーは、下の子が幼稚園時代のコーラス部員。数多いメンバーの中で、なーんとなく気が合いそうな気がして、それぞれ違う小学校での母親たちなのだけど、時々こうして集うことにしている。10時から14時の4時間が、恐ろしいほどのスピードで過ぎ去った。最後の1時間はお食事タイムとトーキング。いっぱい歌って、いっぱい聞いて、いっぱい喋って、はぁ~、すっきり。本音で語り合える仲間っていいもんだね。さっ、気持ちを切り替えて仕事しなくっちゃ!(喉が痛いのは、風邪のせいなのか、歌いすぎか?)
2005年12月16日
きのう、くもんの教室にお迎えに行ったときに、娘がポツリと言った。「お母さん、なんか寒いんじゃけど」普段より着こんでいるのに何でじゃろ?と疑問には思ったのだが、すでに次のYAMAHAの時間が迫っており、「そりゃそうよ、冬じゃけぇね」などと、お気楽なことを言い放ち、レッスンバッグを持たせた。1時間後、レッスン後のお迎えのときは、お友達といつものようにきゃあきゃあ遊んでいたし、帰るまでの自転車では何も変わりはなかった(はずだ)。急いで夕飯の支度をしていると、自分で体温計を取り出し測っていた娘が叫ぶ。「お母さん、私、熱があるよー」見れば、数字は39.4度。ひぇ~、もうお医者様へは行けない時間だし、どうしよう。すでに帰宅していたダンナに相談すると、「すぐに寝んさい」という言葉が返ってきた。二番目ってこんな感じで、よほどじゃない限り医者には行かないのだわ。(我が家だけ?)今朝の体温は38.2度。学校に休みますの電話をして、9時に開く医者を待っている間に、いつの間にやら熱は36.5度に。元気すぎる我が子をつれて、風邪引きさんの母はついでに診てもらった。明日、明後日にひかえる忘年会のため、注射もいっぽん!みなさま、風邪の季節本番でございます。うがい、手洗いの励行はお忘れなく!ゲホゲホ・・・
2005年12月15日
先日の呉(ご)レンジャー会議のときに、中国新聞社の記者さんが取材に来てくださった。その時の記事(「呉カルタ」募集)がきょうの朝刊に掲載されている。少しでも自分が加わっている内容が、こうして新聞に掲載されると、ちょっぴり誇らしい。(久行さん、どうもありがとうございます)今まで知らなかった呉の良さを、再発見できる絶好の機会。マイナス面しか見ていない、プラスの面を探そうとしない、私も含めて停滞しがちな市民の発想を、少しずつ変えていけるかもしれない。小さい頃は、遊びのひとつとして「かるたとり」をやったものだ。今の子どもたちは、音が鳴り、画像が動くものに慣れているので、逆に新鮮なのではないだろうか。自分の考えた『読み札』が長く作品として残されていく。それはそれは、素敵なことだと思う。呉を愛するみなさんの、想いあふれる作品を期待してみよう。
2005年12月14日
念願だった忘年会に参加できた。東京のエージェントが開催している忘年会は、私に限らず、関東近郊に在住の方々でも、それぞれが出会う機会のない人たちとの交流の場。みなさん、久しぶり~の声とともに席につく。私も、電話とメールでしかやり取りのない方と、初めましてのご挨拶ができ、中途半端だった親しみに、最後のピースを埋めることができた気がする。(やっぱり目を見て話すと気持ちが伝わるなぁ)土曜日は、あっという間にそんな充実した時間は過ぎ、二次会に繰り出すみなさまについて行きたい気持ちをぐっと抑え、幸せな気分で帰途についた。来年もぜひお会いしましょう!と、多くの方からうれしい言葉をもらった。来年は、二次会も参加できるように準備しようと決意する。忘年会に先立って、新宿で14時に、とある方にお会いした。クライアントとの打ち合わせでもあり、いちばん東京でお会いしたかった方とのおしゃべりタイムでもあった。その方との出会いは、もう6年くらい前にさかのぼる。電話でお話したのはたったの1回。メールでのやり取りも、最初は仕事上の話だけだったのに、いつの間にか、家庭の話、趣味の話、完全にプライベートな内容になっていった。メールの活字が声になり、電話の声が実際の唇の動きとなる。どんなに距離が離れていても、つながっていたい人とはご縁があるものだと、今回つくづく感じた。東京はちょくちょく行けるものではないが、心の糸は切れないものだと信じて、これからも末永くお付き合いさせてもらおうと思う。さて、日付は替わり、日曜日。きょうはランチを中華街で食べるため、横浜行きを予定する。時間をずらすため、それまではお台場あたりでもとゆりかもめに乗って、フジテレビへ。2年前の夏休みは、イベント開催中につき、球体展望室へ行くには1時間待ちという混雑振りで、結局あきらめたのだが、今回は普通の日曜日なので、ほとんど待たずに25階へ。10日から始まった『HOT FANTASY ODAIBA』という企画の一環で、バーチャル東京ナイトクルーズなる企画があり、窓ガラス全体を壁として、東京のいろんなナイトスポットがスクリーンに映し出される。いたるところに出没するレイザーラモンHGに苦笑い。観客は、そこにいながら夜空から見下ろす東京の夜景を堪能できたわけだ。途中の階で催されていた『電車男』ワールドも楽しかった。登場人物のそれぞれの部屋が展示してあり、電車マニアのおじさんの部屋は、鉄道模型がぎっしりで、そこだけマニアが激写していたのが笑える。(もちろん、宅のダンナもです)一通り社屋内の展示物を見終わり、時計はまだ12時過ぎ。もうひとつくらいは回れるだろうと、次の目的地へと歩く。地図上の直線距離ならば、ほんの少しだけのはずなのに、歩いてみると、これが遠いこと!30分弱歩いて着いた先は、『東京都水の科学館』という場所。もっと時間があればよかったのだが、いかんせん、空腹の身で疲れた足を引きずっている家族は、主要スポットのみを押さえ、駆け足で館内を巡る。やっと横浜へ向かう京浜東北線に乗れたころには、そろそろあたりは暗くなりつつあった。おい、おい、これって夕食なのか?石川町で降り、中華街に向かって歩くこと15分。やっと到着したお目当ての店は、夕方4時半という中途半端な時間なのに、1時間待ちでございます、と平気で言い放つ。険悪なムードで待つこと30分。ちょっと早めに行ってみたら、どうぞお2階へと言われ、やっとこさ食事にありつけた。注文する形式の食べ放題なので、温かい料理を堪能できた。満足、満足。最終日の月曜日は、これも前から楽しみにしていたジブリ美術館。土日は多くてゆっくり見られないという経験者の話により、わざと月曜日に予定して準備は万端。三鷹駅南口から出発する、トトロワールド満開のバス(循環線)にきゃーきゃー言いながら、5分ほどで到着。ちょっと早めに着いたので、井の頭公園で座って待つ。きょうは少ないので、30分前には入場できますと言われていたので、その時間に入り口へ向かう。中はどこもかしこもジブリワールドだった。ネコバス(小学生以下)もちょっと並べば遊ばせてもらえたし、お土産物屋さんも、それほど混雑していない時間帯だったのか、比較的ゆっくり選ぶことができた。難点だったのが、昼食時間。13時に始まった待ちタイムが終わったのが14時。この1時間があればと後悔するほど、長い時間だった。昼食を館内でという考えは捨てたほうがいいと思う。帰りの新幹線は、17時33分東京発ののぞみ号だったので、駅弁調達と、東京土産購入のため、東京駅を目指す。ずっと娘が頭痛を訴えて、新幹線の中でなだめるのが大変だった。私のひざで1時間くらい眠ったら、どうやらすっきりしたらしい。たぶん、寝不足が続いたからだろう。大人でも疲れる旅行日程によくついてこられたなと感心する。今回は、一人の時間も家族の時間も両方とも持てたことに大満足だった。花のお江戸は刺激がいっぱい。ぬるま湯生活で仕事をしている私に、活を入れてもらえる。だけど、やっぱり暮らすのはここがいい。田舎だけど、刺激が少ないけど、仕事もちょっと不便だけど、やっぱり私は、この町がいい。都会に出たら田舎の良さがわかるのって、タイトルにした本に出てくるネズミのようだなって、帰りの新幹線でふと思った。写真は渋谷で見つけた「からくりミュージアム」内に展示してあった絵。これ、絵です。ほんとに平面の絵です。レリーフではありません。不思議でしょ?
2005年12月13日
楽しい時間を過ごして、うきうきしながらお風呂に入り、さて、明日の準備でもとかばんをのぞくと、そこにあるはずのモノがない。焦る、焦る。あせると人間は冷静な判断力を失うらしい。(「もともとないだろう」とつっこまないように!)まずは最後の飲み屋さんに電話する。鳴らしてみてくれると言われたが、返事もないので10分ほど待ってから、ふと我に返り、家の電話から携帯にかけてみた。留守番電話コールになる。やっぱりどこか道で落としたのか。しばらく待ってもう一度。3回コールのあとで「もしもし」という女性の声を聞いたときは、もう涙が出そうだった。何て言ったらいいのか言葉が出ない。「あの、すみません…」と言いかけると、その女性は言った。「ちゃかりん?」動揺しているので誰の声かもわからなかった。しばらく考えて、「たかちゃん?」そうなのだ。昨夜はちょうど、広方面が3人いたので、帰りはタクシーに乗った。私がいちばん最初に降り、そのときにポケットからすべり落ちたらしい。(ポケットに入れていたことすら覚えていない)最後に降りたたかちゃんが気が付き、持って帰ってくれたのだ。悪いことに、パソコンはいつもの場所になく、たかちゃんが送ってくれていたmixiメールを見ることなく(携帯忘れているよーって知らせてくれていた)、一人でくるくると回ってしまった。はぁ~。それにしても、こんなんじゃ明日の東京での忘年会が不安だ。舞い上がったら「わけわからん」状態になるから、やっぱり首からかけて行くことにしよう。そんなわけで、一度浮上したけど、また明日からもぐります。
2005年12月09日
油断していたら、かなりやばい状況だ。仕事を終わらせないと、東京旅行どころではない。その前に、まず木曜日の“呉(ご)レンジャー忘年会”に参加できなくなる(-_-;)まずい!そんな訳で、しばらくの間は日記をお休みすることにします。楽しみにしているみなさんのブログ巡りも、極力(自信はないけど)控えます。では、それまでしばらく、さようなら~。ぶくぶくぶく(もぐります)。
2005年12月05日
これはウチの息子の「食」欲の話。入学したときは、身長はダントツで一番前。体重もそれに応じたやせっぽちだったのに、5年生の今では、130センチ強の身長に対して、体重は43キロ。ウエストなどは、とっくに私を超えている。3年生のときに、学校の身体測定で、「病院に行ってください」という紙をもらって帰ってきた。これは、肥満度数がある比率を超えていたら、渡されるらしい。クラスでたった2人だけ。そのころは、まだ「すこーし太っちょ」くらいだったけど、今は笑い事では済まされないレベルだ。きょうは、ダンナが親戚の結婚式で留守をしており、夕食は簡単に済ませようと、兄ちゃんにはすしを一人前買ってきた。それでは足りず、卵かけごはん(それも山盛り)を一杯たいらげた。お風呂に入り、9時までは仕事してくるからねーと2階に上がり、コーヒーを飲みに下りてきた私が目にしたものは…。プチシュークリームが4つ、魚肉ソーセージ2本、卵が2つ(フライパンが流しにあったのでたぶん焼いたはず)、クッキー2枚。以上のものが紛失していた。ここまでくると、怒りを通り越して悲しみが襲う。何度も肥満は健康を害すると言ってもわかってくれない。彼の将来を思うと、非常に暗いものを感じる。その前にあと1年ちょっとで迎える、中学の入学式。制服が特注になるのは、まず間違いない。彼の欲望をどうやって断ち切るか。母の悩みはまだまだ続きそうだ。
2005年12月04日
我が家のノートパソコンは、私専用のようなものだから、かなり酷使していると思う。別に、パソコンを使って作品をつくる仕事でもないのに、結局はブログ巡りやら、トピ探しのために、毎朝起動させて、終了はだいたい時計が回っているので、この子の睡眠時間は、ほぼ私と同じってわけ(^^ゞどうやら、激務に抗議の反乱を起こしたようで、突然画面の左下が夕焼け色に染まってしまった。(写真はきのうの夜のもの)次第にそれは侵食し始め、きょうは1/3はこの色だ。ちらつきも加わり、どうにも目によろしくない。仕事は2階のパソコンを使うことにして、午後からデオデオさんへ持って行くことにする。戻ってくるのは1週間先くらいかな?それまでは、慣れないデスクトップパソコンからなので、日記の更新やらコメントやらは控えるかもしれない。でも、2台あるって便利だな!(^^)!
2005年12月03日
きのう、古い映画の話を書いたら、もっと古い映画の話題になった。懐かしの映画『アウトサイダー』確かパンフレットがあったはずと、屋根裏に上がって探してみた。写真は、登場人物が紹介されたページ。向こうに移っている「ROADSHOW」のロゴが見えるだろうか。あれが、ゆこりんさんへのコメントに書いた、感想を書いて読者欄に掲載されたときの賞品なのだ。(ずいぶん古いので色が焼けている)ダイナミック!Y・Aスターが総出演!!そういえば当時のアメリカでは、若者たちの総称として、Y・A(ヤング・アダルト)という言葉を使っていた。Y・A時代がやってきた!という見出しもあった。1983年公開なので、22年も前の彼らはとても若い。左上から、C・トーマス・ハウエルパトリック・スウェイズロブ・ロウマット・ディロンラルフ・マッチオエミリオ・エステベスレイフ・ギャレットダイアン・レイントム・クルーズの順に並んでいる。この中で、今でもメジャーなトム・クルーズは、本当にこの作品の中ではチョイ役。『ゴースト』のパトリック・スウェイズは、ロブ・ロウ、C・トーマス・ハウエルを弟にもつ、しっかり者の兄役。レイフ・ギャレットは、アイドル歌手だったな。役柄のために髪を切らないでとファンからの嘆願書が届いたとか。紅一点のダイアン・レインは、華やな雰囲気をたたえた、それでいて芯の強いヒロインを演じていた。語れば長くなるので、彼らのことはこれくらいにしておこう(^^ゞ監督:フランシス・F・コッポラ主題曲:スティービー・ワンダー(「STAY GOLD」)ゆこりんさんお勧めの(^^)ポニーボーイがノートにつづる文章に合わせて、彼が語る言葉が思い出せない。でも、オープニングの映像の美しさは覚えている。それにかぶさる伸びやかな歌声も。映画の内容にピッタリの歌詞、耳に残る心地良いメロディ。名曲だ!(^^)!20年前と、自分の人生経験も積み重なった今と、同じ映画を観ても、またその想いは違うものだろうか。年末年始にでも、レンタルしてみるかな。
2005年12月02日
『ベスト・キッド』という映画を覚えているだろうか?主演のラルフ・マッチオが大好きだった。正確には、『ベスト・キッド2』から夢中になったはずなので、1986年ごろか。ああ、もう20年も前の話なんだな。その映画で重要な役割を演じていた俳優、パット・モリタ氏が死去というニュースを発見した。主人公に空手を教える師匠「ミヤギさん」で登場。1作目の『ベスト・キッド』では、アジア系アメリカ人としては初めてアカデミー助演男優賞にノミネートされたくらいの、演技派だった。11月24日にご逝去、享年73歳。ご冥福をお祈りする。と同時に、当時のことが鮮明に蘇ってきた。あのころは、今と違って何もかも一生懸命で、恋愛感情も例外ではなく、「恋は盲目」状態だった(^^ゞ毎月、スクリーン、ロードショウなどの映画雑誌を買い、切抜きを眺めてはため息をつく。たぶん、目はハート状態。親はつくづく嘆いたことだろう(たぶん、知らないからいいか)。あの頃から映画が好きになったのかもしれない。当時のように、スクリーンの登場人物に恋をすることはないけど、再び胸キュン(←死語)の存在が見つかったら、また映画館で現実逃避をしてみよう。だけど、そろそろ素敵な俳優さんって、自分の子どもでもおかしくない年齢が増えつつある。おーまいがーっ(ーー;)
2005年12月01日
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