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天之日月神


2012.02.29
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カテゴリ: カテゴリ未分類
うるう年生まの方は?と飯舘村の話!


2月29日生まれの人は、久しぶりに誕生日を
迎える事になる訳です。
私の知人にもうるう年産まれの方がいましたが?
4年に一度の誕生日なものですから日常生活に
おいてもさまざまな問題を抱えているそうです。

こんな記事がありましたので紹介しましょう!
1932年2月29日に生まれたメアリー・アン・ブラウンさんは
「20回目の誕生日を迎えるが、私はもう80歳」と語る。↓

◆  うるう年生まの方は?





「けんちゃん」の愛称で呼ばれていました。
飯舘村の三世代同居のとてもほほえましい家庭でした。
仕事のご縁で長谷川さんと知り合いました。

長谷川さんは、飯舘村前田地区の区長であり、
飯舘村村長の菅野典雄氏とは親友でした。
村長選挙では「出納責任者」を務め、積極的に
村作りに協力して来ました。

しかし、東日本大震災に続いて起きた「福島第一原発
事故」による放射能汚染の実態を隠し誤魔化し村民を
無用な被爆をさせた菅野村長に対して不信感を
持つようになってしまいました。


対応は最初からデタラメだったというのです。
3号機が爆発した昨年3月14日当時、役場にあった
線量計は「毎時40マイクロシーベルト超」を計測した。
平常時の年間許容量(1ミリシーベルト)を1日余り
で超える危険水域だ。


菅野村長から『絶対人に言うな』と止められている」
と“口止め”したそうです。

京大原子炉実験所の今中哲二助教が3月下旬に
村内各地で計測した放射線量を菅野村長に伝えた際も
「とにかくこのデータは公表しないでほしい」と
いった問答がしばらく続いたという。

村にはその後、山下俊一長崎大教授(当時)ら
放射線専門家が入れ代わり立ち代わり訪れ
「安全だ」「大丈夫だ」と吹聴し、やがて
放射能をことさら危険視するほうがおかしいという
雰囲気さえ漂い始めた。

※ これは、 飯館村の今! で書いています。

長谷川さんは、村の復興計画会議の委員に
原発推進派の識者が含まれたことを挙げて
すでに飯舘村は原子力ムラの御用学者たちに牛耳られている!
と強調しています。

20日の会見では、菅野村長を操る黒幕の存在に
ついてもこう言及しました。
「実は今、菅野村長の行くところすべてに付いて
回っている経産省の官僚がいるのです。
村役場でも、常に村長のそばにいるのです。

そして、マスコミの取材の際もその彼が出張ってきて、
あれこれと指示を出しているんですね。
今では彼がマスコミ取材対応の窓口となって取材を
さばくようになった」

これでは、村長が村民無視で経産省の操り人形に
なっていても不思議はない。
やっぱり国の放射能対策を信じてはダメだと
指摘しています。

長谷川健一さんは、菅野村長が村民無視の経産省の
操り人形になってしまった今、「ふるさと崩壊」に
直面した人々の先頭に立ち戦う事を決意したのです。

飯舘村の75%は山林です。
現在進められている除染をしてもすぐに元に戻って
しまいます。
除染作業は、利権がらみのビジネスになってしまって
います。

それよりも早くやらなければならない事が山積
しています。
けっして長谷川さんは、戦う事を止めないでしょう!
村民が本当に安心して暮らせる日まで!
長谷川健一さんを応援させて頂きます。

以下長谷川さんの記事を掲載させて頂きます。


◆  「除染がうまく行くとは思えない」


  • 長谷川さん.jpg

  • 都内で記者会見をする長谷川健一氏

    高濃度の放射線汚染で、全住民が村外へと避難している福島県飯舘村。当地に住んでいた酪農家、長谷川健一氏(58)が2月20日、自由報道協会主催の記者会見を行った。長谷川氏は飯舘村前田地区の区長で、地域の取りまとめ役。原発事故直後に購入したビデオカメラで村の様子を克明に記録し、全国で講演活動をしている。20日に宝島社から単行本「原発に「ふるさと」を奪われて 福島県飯舘村・酪農家の叫び」を上梓したことを受けて、被災当事者の視点から政府・行政の取り組み方を激しく批判した。【写真・文:安藤健二(BLOGOS編集部)】


    安全と安心は違う

     長谷川氏は悲痛な表情で、飯舘村で進められつつある除染作業(放射性物質を地表などから取り除くこと)について、以下のように批判した。

    「政府は住環境を2年、農地を5年、山林を20年で除染をすると言っています。山林は里山しかやらない。住居の近くだけなんです。そうした場合にどうでしょう。放射性物質は浮遊しているんです。飯舘村の75%は山なんです。いくら住環境や農地を除染してもまた流れてくるんじゃないかという気がするんです。でも、今、村ではまっしぐらに除染という方向に進んでいます。私はそれに対して、『それじゃダメだ!村民の声を聞こうじゃないか』と訴えています。飯舘村だけが村民アンケートを取っていないんです。除染するなら村民の声を受け止めた上で、やらなきゃダメだと言ってるんですが、聞き入れられないんです。

    もちろん除染するというのは本来は当たり前のことなんです。私だって、もといた土地に戻りたい。だけども、最悪のシナリオだって想定しなきゃいけない。そうしたら村を離れるというシミュレーションを今からしとかなきゃダメなんだろうと思います。

    もし、4~5年かけて除染した後に『これではダメだった』となったときに、その4年なり5年の月日はどうなるのか。

    国でも村でも除染、除染の一辺倒で進んでいます。私は除染なんてうまく行くとは思ってはいません!飯舘村の放射線量が10マイクロシーベルトより下がったら、国が『帰っていいよ』って言うかもしれない。でも、私より上の年代は戻るかもしれないけど、私より下の年代を戻そうとは思わない。若い人達が子作りや子育てできるような環境じゃない。

    もし、私が戻ったとしても何も農作物は作れませんよ。国は『安全だ』と言っても、放射性物質がゼロになるまで安心はできない。安全と安心は違うと思うんです。我々農家は安心な物を消費者に届ける義務がある。それができないんです。そうなると、飯舘村では農家は無理なんだろうなと。私たちが村に戻ったときに、村が終わりになるのかな、とそういう思いがするんです。

    ですから、(山形県の牧場に勤めている)息子が『山形で(自分の)牧場をやりたい』という話にもしなったら、私は止める気はありません。私だって息子と供に、孫と遊びながらこれからの生活をしていきたいと思う。そうなれば、村を捨てて息子らのところに寄ってくのかなという気もするんです。飯舘村の人もいろいろな考えがありますけども、アンケートを取らないから正確な結果としては分りませんが、(私の印象として)『帰れねえべな』と思っている人は多いのが、今の飯舘村の現状です。

    彼は旅立っちゃった

  • 長谷川さん2.jpg

相馬市の男性が生前に壁に残した書置き

原発事故から3ヵ月後の2011年6月、隣接する相馬市で酪農を営む50代の男性が、「原発さえなければ」などと書き置きを残し、首をつった状態で死亡していたことに触れる場面もあった。長谷川氏はこう振り返った。

「彼は私の友人です。一番恐れていたことが起きたわけです。『原発さえなければ』という書き置きを残して彼は旅立っちゃった。『原発さえなければと思います。残った酪農家は原発にまけないで頑張ってください。先立つ不幸を。仕事をする気力をなくしました』。このような書置きでした。彼には5歳と7歳の息子がいました。その中で、私も彼に何もしてあげられなかったと、無念な思いが今もあります。

訃報を知ったときは、彼の家に吹っ飛んでいったんですね。『まさか嘘だろ』って思っていましたが、彼が布団に横たわっていた。それでも信じられずに、顔にかったシーツをはぐとやっぱり彼だったと。『馬鹿野郎!』って叫んだんだけど、彼は帰ってこない。

彼にもいろいろな事情があったにせよ、その事情のもとを辿れば発端は原発なんですよね。『原発さえなければ』という言葉が頂点なんですよ。『原発さえなければ何とかやりくりしてやれたんだ』という思いが、非常に入ってるなと。そんな感じがするんですけどね。

私も飯舘村の酪農家を守ることで精一杯で(相馬市の)彼のところまでいけなかったのも残念に思っています」

≪参照≫

◆  飯舘村のアキれた実情 酪農家はミタ 放射線量改ざん
◆  モニタリングポスト周辺を集中除染して「線量が下がった」という 飯舘村のアキれた実情







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Last updated  2012.02.29 09:46:24
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