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カニゴロでのブローシーン2週間ほどにわたって綴ってきたインドネシア夏絵日記ですが、そろそろ帰国の時間が近づいてきました。インドネシアの締めくくりは、カニゴロの青い機関車によるブローシーンであります。中国やインドネシアでは、運が良ければ機関車が勢いよく横に蒸気を放出するブローの瞬間を見ることができます。チェブのE型タンク機もブローシーンを見せてくれましたが、カニゴロでも撮影できました。みんながカメラを構えている前でのブローですが、機関士とのタイミングが合わず(まだ準備ができていないうちに突然噴射させるものですから、あせってしまいます)、何度か繰り返してもらいました。ブォーという轟音とともに蒸気が吹き出し、このカットのあと、白い蒸気はさらに広がっていくのですが、わたくし的にはマンガの吹き出しのようにも見えるこの瞬間の方が好きであります。撮影地:インドネシア・カニゴロ今日9月18日は、かいわれ大根の日(日本かいわれ協会)だそうです。
2013/09/18
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さとうきび貨物をプッシュするSLとDL2年前と今年の訪問で10カ所以上の製糖工場を訪ねました。工場の線路は、それぞれの土地柄にあわせて配置されていますが、そのなかでプルワダリーでは、ヤードと工場の間で高い鉄橋を渡ります。その様子を鉄橋と並行して走っている道路から安全に撮影できます。光線は……、と何だか「お立ち台通信」インドネシア版のよう(笑)。本日の「思い出の1枚」は、SLとDLの重連カットですが、実はこれ、バック運転なのです。つまり、列車は画面の手前から向こうに進んでおり、さとうきびを満載した長い貨物列車の先頭にはもう1輌蒸気機関車がついています。それを、写真に写っている蒸機とディーゼル機が後ろからプッシュしているのです。すなわち、編成としてはSL+貨車+SL+DLなのであります。しかも後ろから押すSLとDLは貨車に連結されているわけではなく、それぞれが走りながら貨車に近づき、後ろからプッシュしているのです。ですから、プッシュする必要がなくなればスピードを緩め、自動的に離れていきます。力のいるときだけちょっとお手伝い、と阿吽の呼吸でヘルプしているようです。う~む、超カッケ~(格好いい)。撮影地:インドネシア・プルワダリー今日9月17日は、モノレール開業記念日(東京モノレール株式会社)、キュートな日だそうです。
2013/09/17
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爆裂花火の走行写真日本では、なかなか撮影することのできないのが、夜間の蒸気機関車走行流し撮り花火シーンであります。インドネシアの製糖工場の蒸気機関車は、石炭ではなく、薪とバガスを燃料とするものが多いのですが、そのため、火の粉がよく出ます。日中はほとんど気づきませんが、夜になると一目瞭然。そのため、バルブ撮影では、お願いしてバガスを燃やしてもらったりもいたします。2年前の訪問では、さとうきびを満載したローリーを牽く蒸機が、盛大な火の粉を巻き上げながらフィールドから工場へもどっていくのを目撃しました。そのときの機材では、残念ながらうまく撮影することができず、悔しい思いをしたのであります。今回、機材を更新し、さらに先遣隊のT島さんが爆裂花火の走行写真をものにしているのを拝見し、自分もこれを、と心密かに決意したのでございますよ。バルブと同じ効果を出すため、スローシャッターの流し撮りに設定いたしました。ISOは最高感度近くにまで引き上げます。2年前ではノイズが出て使いものにならなかったですが、このあたりが機材の進化によって大きく改善された点であります。撮影した場所が倉庫のそばだったため、外灯で車体が明るく照らされたことも幸いしました。爆裂花火の走行写真。今回の訪問における成果の1つでありました。撮影地:インドネシア・カニゴロ今日9月16日は、ハイビジョンの日(通産省制定)、マッチの日、競馬の日だそうです。
2013/09/16
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エネルギー充填中のファイアレス機関車別の角度から見たファイアレス機関車製糖工場を訪ね歩くツアーの中で、数台のファイアレス機関車と出会いました。ファイアレス、すなわち、無火機関車とでも言えばよいでしょうか。薪やバガス(さとうきびの搾りかす)を燃やして走るのではなく、蒸気や圧縮空気などを蓄え、それを動力源として動く機関車のことであります。日本でも、若桜鉄道のC12をはじめ、数例見ることができます。このときはエネルギーをチャージ中ということで、動いているところは残念ながら見ることができませんでした。でも、煙室扉を開け、長く伸びた管を挿し込んでチャージするさまは、何だか電気自動車の充電に似て、これが古くて新しい次世代蒸気機関車の姿なのかも。撮影地:インドネシア・パゴッタン今日9月15日は、新橋~横浜間で国内初の貨物列車運転(1873年)、老人の日、ひじきの日、大阪寿司の日、スカウトの日、シルバーシートの日だそうです。
2013/09/15
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ジオラマ鉄橋ポイントをわたるEタンク機テンダー車代わりに燃料の薪と水を積んだ無蓋車のあとに、もう1輌無蓋車(実はわたくしたちが乗車した車輌)、さらに大きなチーク材を載せた貨車の組み合わせは、E型のタンク機と相まって本当に模型のよう。それが、そばでバナナの葉が揺れる小さな鉄橋を渡っていくのですから、まるでジオラマを見ているようであります。これまでにも、中国などでジオラマポイントと呼びたくなるロケーションをいくつか見てきましたが、ここもそのリストの1つに挙げておきましょう。撮影地:インドネシア・チェプ今日9月14日は、メンズバレンタインデー(日本ボディファッション協会、1991年)、コスモスの日、セプテンバーバレンタインだそうです。
2013/09/14
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インドネシアの森林鉄道インドネシアでは、製糖工場だけでなく、今回初めて森林鉄道の機関車も撮影しました。ただ、このチェプ森林鉄道は、今や林鉄としての役目はほとんどなく、保存鉄道的な存在になっています。赤や黄色、緑、青といった原色の機関車ばかり見ていて、久しぶりに黒い機関車を見ると、何だか日本へ帰ったようでホッとしました。E型のタンク機は、愛らしくも存在感たっぷりです。わたくしたちより一足先にここを訪ねた先遣隊は水鏡の田植え風景などをゲットしたようですが、すでにそれも終わり、叶わぬ夢となりました。森林鉄道らしく、軽快なブラスト音を響かせ、山に向かって高度を上げていく中で、前方に線路を見下ろせる丘を発見しました。これでもか、とばかりに繁った草で足回りがはっきりと見えないのは致し方ありませんが、製糖工場の機関車とは一味違う光景に、うん、満足、満足。撮影地:インドネシア・チェプ今日9月13日は、世界の法の日(法務省)、司法保護記念日(司法保護事業団)だそうです。
2013/09/13
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田園地帯を走る定番のメニューが焼めし(ナシゴレン)と焼そば(ミゴレン)というインドネシアは、日本同様、米が主食の国。そのため、稲作も盛んであります。手押しポンプの家から少し移動すると広い田園地帯に出ました。ここで1カットを、と思って見渡すと、水田の草取りに精を出す地元マダムたちの姿が目に入りました。近寄っていくと、写真撮影の邪魔になると判断したのか、作業をやめようとされますので「どうぞ、そのまま、そのまま、お仕事をお続けください」と身振り手振りで伝えると、笑いながら元どおり草取りを続けてくれました。機関車の回りはというと、地元チルドレンが取り巻き、ちょっとした騒ぎとなっています。赤道直下の田園地帯で、楽しくも緩やかな時間が流れます。撮影地:インドネシア・オレアン今日9月12日は、水路記念日、宇宙の日、マラソンの日だそうです。
2013/09/12
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手押しポンプと蒸気機関車フィールドへ出て数回フォトランを楽しんだあと、復路で小さな住宅街を抜けるとき、1軒の庭先に手押しポンプがあるのに気づきました。これって、ガッシュ、ガッシュとハンドルを何度か上下させるとようやく水が出てくるのですが、その動作を停めるとすぐに水が出なくなってしまいます。顔や手を洗ったりするのも、二人がかりか、そうでなければ水が出ているうちにすばやく済ませなければなりません。いやあ、懐かしいなあ。ちょうど外出していた奥さんが帰宅されたところだったので、庭に入って写真を撮らせてほしいと身振りで示すと、「フォート、オーケー」と少し巻き舌気味の発音で了承されました。しばらくしてやってきた機関車と手押しポンプを入れて撮ったのが、本日の「思い出の1枚」。生活感のあるお気に入りのワンカットとなりました。撮影地:インドネシア・オレアン今日9月11日は、公衆電話の日、警察相談の日だそうです。
2013/09/11
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オレアンの朝の機関庫インドネシアの機関車撮影において、朝の機関庫は大きなモチーフであります。庫の中に充満した煙によるスモーク効果満点のところへ差し込む太陽は、光のカーテンとなって幻想的なシーンを現出させます。2年前の訪問では、スンベルハルジョの機関庫が秀逸でございましたが、今回それに匹敵したのはオレアンの機関庫であります。それにしてもまあ、何と美しいのでありましょう。同じ場所に立っていても、光の強弱によってカーテンの濃淡は刻一刻と変わります。気がつけば庫の中で結構な時間を過ごしていました。その間に太陽も位置を変え、鋭角で差し込んでいた光のシャワーが鈍角になっています。そろそろフィールドに出かける時刻が迫ってきたようです。撮影地:インドネシア・オレアン今日9月10日は、全国下水道促進デー(建設省、1961年)、車点検の日、国際自殺予防デー、屋外広告の日(全日本屋外広告業団体連合会、1974年)、カラーテレビ放送記念日だそうです。
2013/09/10
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オレアンお待ちかねのサンセットタイム。少し開けた場所に機関車を停め、日が落ちるのを待ちます。さあ、真紅に燃える夕陽ショーの始まり、始まり。太陽の位置が少しずつ下がり、機関車のキャブの上にかかり始めたころから空は真っ赤に染まりました。そして見る間にキャブの屋根の上から運転室の中へと朱に染まる場所が変わっていきます。同じアングルでも、露出は刻一刻と変わっていきます。難しくも、楽しい瞬間。そして太陽が水平線の彼方に沈んだあとは少し場所を変え、今度は残照の赤と、迫り来る闇の一歩手前、蒼く広がる空とのコラボカットにしばし時を忘れます。朱天から蒼空へ。わずかな時間の天体ショーは、また一つ忘れられない思い出を残してくれました。撮影地:インドネシア・オレアン今日9月9日は、救急の日(厚生省、消防庁)、チョロQの日、重陽の節句、栗きんとんの日、カーネルズデーだそうです。
2013/09/09
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水牛憩うインドネシアの水辺フィールドを進んでいくと、小さな川があり、インドネシア名物の水牛たちがのんびりと水に浸かっていました。おお、これは、これは! 急遽機関車を停め、水牛の持ち主と交渉。撮影許可をもらいました。インドネシアの水牛といえば、忘れられないのがスンベルハルジョの水牛積車。サトウキビ満載のローリーを2頭立てで牽引し、最後、畑から機関車の傍まで引き上げる際は、ときに4頭立てとなる迫力は、まさに水牛機関車の面目躍如であります。ここオレアンの水牛たちがローリーを牽く業務に携わっているのかどうかは確認できませんでしたが、ゆったりとした時間に身を任せる牛たちの姿が羨ましくもありました。撮影地:インドネシア・オレアン今日9月8日は、サンフランシスコ平和条約調印記念日、国際識字デー(ユネスコ)、ニューヨークの日だそうです。
2013/09/08
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インドネシアのヤシの葉揺れて機関車の準備も整い、いよいよフィールドへと出発です。バナナの並木を抜け、サトウキビ畑の傍を走り、要所ごとに撮影を重ねます。ヤシの木が群れなす場所へとやってきました。機関車1輌分くらいのミニ鉄橋もあり、そこを渡るシーンを撮影しようと、全員ローリーから下りてカメラを構えます。準備が整うと、合図とともに機関車は再スタート。川を渡るシーンもよかったけれど、わたくし的には発車直後のヤシの葉入りカットも捨てがたかったりして。撮影地:インドネシア・アッセンバガス今日9月7日は、クリーナーの日、CMソングの日だそうです。
2013/09/07
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インドネシア、光のシャワーセンボロに続いて訪ねたのは、アッセンバガスの製糖工場。朝早くから1日の仕業に備えてSL、DLとも準備に余念がありません。どの製糖工場の機関庫でも、手を真っ黒にして機関車の整備を行うスタッフたちの熱心さには頭が下がります。庫の中での撮影が一段落したので、外に出て小休止を、と思っていたら、外に停まっている機関車から出た煙が流れて、ちょうど映画やドラマで使われるスモークと同じ効果をあげ、木の枝の間から降り注ぐ赤道直下の陽光をはっきりと浮かび上がらせました。太陽を中心に放射線状に広がる光のストレートライン。こんな景色、見たことない、とスモークの動きにあわせ、夢中でシャッターを切っていきました。撮影地:インドネシア・アッセンバガス今日9月6日は、黒の日(京都黒染工業協同組合、1989年)、妹の日(妹の日実行委員会、1991年)、墨の日、クロスワードパズルの日だそうです。
2013/09/06
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夕陽に向かって走れ赤道直下の地インドネシアの夏は乾季のため、天気はほとんど崩れることがなく、朝日や夕陽と組み合わせた、いわゆる「アマテラスカット」が狙いの1つとなるのも、日本における普段の撮影と大きく異なるところ。太陽の位置が低くなり、空がオレンジ色に染まるころ、フィールドに機関車を停めてギラリカットに備えます。刻一刻と光の量が変わり、それにあわせて機関車のサイドが妖しいまでに輝き始めました。夕陽に向かって走っているようなイメージで、はい、ギラリ、いただきましたあ!撮影地:インドネシア・センボロ今日9月5日は、石炭の日(クリーンコール・デー・資源エネルギー庁、1992年)、国民栄誉賞の日だそうです。
2013/09/05
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センボロのフィールドで出会ったヤギの群れこの夏、インドネシアへ行ってきました。今回で3回目の訪問ですが、いずれも初めての撮影地ばかりとあって、とっても新鮮。気づけば3000カット近くシャッターを切っており、帰国後の整理にひと汗流すことになりました。それにしても、2000数百カットといえば、フィルムで換算すると70本以上になります。フィルム代と現像代を考えると気が遠くなる金額になるのですが、デジタルだとそういうランニングコストを考えなくていい。つくづく便利な時代になったものです。さて、最初に訪れたのはセンボロの製糖工場。機関車が牽く空ローリーに添乗してフィールドに向かい、途中数カ所でフォトラン。そのうちの1回で、ヤギをつれた羊飼い(ヤギ飼いか)の青年と出会いました。インドネシアや中国のローカルへ行くと、ヤギや牛、ロバなど、家畜と機関車とのコラボカットが比較的容易に撮影できるのが、とってもうれしい。日本ではほとんど叶わないシーンですから気合いが入ってしまいます。帰国後、この場所で撮影した一連のカットを見ていると、かつて人気番組であった「世界ウルルン滞在記」のナレーションを思い出してしまいました。下條アトムさん風に言うとこうなります。「日本のテツおじさんが~インドネシアの線路際で~ヤギの群れと出会った~」。撮影地:インドネシア・センボロ今日9月4日は、くしの日(美容週間実行委員会)、串の日、クラシック音楽の日、関西国際空港開港記念日だそうです。
2013/09/04
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今回、ソロという街で蒸気機関車のチャーターをできたのも至福の時間でございました。機関車はC12 18号機。日本のC12とは姿かたちが異なりますが、小型のタンク機であります。もとはアンバラワの保存鉄道にあったものだそうですが、最近こちらへ運んできて、要望に応じて市内の支線を往復しているようです。小型の木造客車を2輌連結し、車やオートバイであふれかえる併用軌道を、ほとんど汽笛を鳴らしぱなしで走るさまは模型の世界のようです。普段は列車が走ることのない市内の支線であるため、沿線の人たちも汽笛を鳴らして走る機関車に何ごとかと目を向け、蒸気機関車と分かると、携帯のレンズを向けて写真を撮る人や、笑顔とともに手を振って応えてくれる人など、こちらもうれしくなる光景が繰り広げられました。あ、そうそう、テレビ局のクルーたちも、このチャーター列車を取材しに来ていました。さて、1週間あまりにわたって続けてきたインドネシアレポートですが、そろそろ帰国の時刻が迫ってきたようです。明日からは国内の路線に転進いたします。撮影地:インドネシア・ジャワ島・ソロ今日9月1日は、上野~青森間(現・東北本線)全通(1891年)、防災の日、関東大震災記念日、国際青年デー、宝塚歌劇団レビュー記念日、羊毛年度始め、霞ヶ浦の日、省エネルギーの日(毎月)だそうです。
2011/09/01
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ナイトショーといえば、タジクマドゥで見た夜の景色も忘れられません。ここタジクマドゥには、日本の9600型蒸気機関車を連想させる機関車がおり、3年前にも一度確認しているのでございますが、そのときはあまりうまく撮れませんでした。今回そのリベンジを果たせたら、という想いをわたくしは密かにいだいていたのであります。午前中、スラギ製糖工場で撮影したあと、7時間ほどかけて移動し、タジクマドゥのヤードについたときには、すでに夜の帳が下りていました。ヤードのそばに車を近づけると、憧れのキューロク型が停まっているではありませんか。一同欣喜雀躍し、早速撮影機材を持って飛び出しました。タジクマドゥのヤードで稼働していたのはキューロク型の6号機(キャブにつけられている銘板を確認すると、このキューロク型はコッペル製であることが分かりました)と、画面右に写っている5号機の2輌だけでしたが、念願だったキューロク型のナイト撮影を堪能できたことは、この日の大きな収穫でございました。撮影地:インドネシア・ジャワ島・タジクマドゥ今日8月31日は、都電の廃止が決まった日(1963年)、野菜の日(1983年)、そばの日(毎月)だそうです。
2011/08/31
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日が完全に沈むと、この日もう1つのイベント、バガス花火ショーの始まり、はじまり。フィールドでのナイトショーは、まわりに電灯1つない闇夜ですから、手持ちの懐中電灯を頼りにピント合わせをしなければなりません。この夜は満月に近かったので多少は明るいのですが、カメラのファインダー上での視覚的効果はほとんどございません。機関車の前照燈の調子が悪いということで、その代わりにガスランタンが灯されました。これが電灯と違って、なかなかにムーディー。そしてカマに燃料をくべると、ワンテンポ置いて煙突から火の粉が舞い上がります。サトウキビのフィールドで盛大に上がったバガス花火。モニターで写り具合をチェックしたときには、日本の伝統的な文化である手筒花火の華麗さを思い出してしまいました。撮影地:インドネシア・ジャワ島・スンベルハルジョ今日8月30日は、富士山測候所記念日、みその日(毎月)だそうです。
2011/08/30
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水牛機関車にムチが入るのは日没間近。あまりゆっくりしていると、もう1つの絶景を見逃すことになってしまいます。そう、夕陽バックが今回どうしても押さえておきたかったシーンなのでございます。機関車が停まっている場所へアタフタと駆けつけると、同行のT島さんや鈴屋さん、ktkrさんはすでに準備万端で、太陽の位置が希望の場所へ降りてくるのを今や遅しと待ち構えています。わたくしも大急ぎでカメラをセットし、露出を調整いたします。待つこと数分。太陽が動くのは思いのほかに早いもの。シャッターチャンスは刻一刻と変わってまいります。何度かシャッターを切るうちに、地元の方が自転車に乗って現れました。うん、いいじゃない。太陽、機関車、自転車おじさん、三者の位置関係を見ながらカットを重ねます。おじさんが画面から消えるのとほぼ同時に太陽も最後の輝きを落としました。モニターで確認すると、コウモリでしょうか。ちょうどいい位置にワンポイントのアクセントで入っています。これで決まり! 思い出の1シーンを押さえることができました。撮影地:インドネシア・ジャワ島・スンベルハルジョ今日8月29日は、焼き肉の日、秋田県の記念日、文化財保護法施行記念日、肉の日(毎月)だそうです。
2011/08/29
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運転指令所前から乗ったローリーに1時間ほど揺られて辿り着いたフィールドでは、空車のローリーを一定の台数ごとに仕分け、水牛たちが刈り取りの行われている畑へと運んでまいります。刈り取り場所は、毎日少しずつ変わるため、即席で引かれた支線には、たとえナローといえども、重量物の機関車は入っていけません。そこで活躍するのが水牛たちであります。機関車が到着する場所の近くには水牛小屋が建てられ、10頭以上もの支線用機関車(水牛)が待機しています。彼女たち(ローリーを牽引するのはメスの仕事のようで、子牛とオスは支線機関庫でお母ちゃんの帰りを待っています)はローリーが到着すると自分たちの出番ということが分かっているらしく、機関士(牛飼い)が2頭建てに編成するのを当然のように受け入れています。そして空ローリーを刈り取り場所の近くまで届けた支線機関車たちは、そのまま重連単機回送してきて、支線機関庫で夕方の仕業まで休憩いたします。帰り着くと同時に近くの水場で川に浸かるものもいて、その姿は「水の牛」に恥じないものでございます。本日の「思い出の1枚」は、夕方、サトウキビを満載したローリーを懸命に引っ張る水牛機関車の雄姿であります。支線から本線につながる部分は、短いながらもサミットとなりますので、このときは後続の列車から切り離された機関車が増結されて4重連となる場合もしばしば見受けられます。機関士のムチが入り、足を踏ん張る水牛機関車たち。これが本物の蒸機ならば、爆煙まちがいなしの力行シーンでございます。撮影地:インドネシア・ジャワ島・スンベルハルジョ今日8月28日は、民放テレビスタートの日、にわとりの日(毎月)だそうです。
2011/08/28
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空のローリーに揺られて辿り着いたフィールドで、お決まりのカットをいくつか撮ったあとは特にすることもなく、水牛をつないでいる小屋の中で灼熱の太陽光線を避けながら、同行の仲間と雑談。お昼前の少し気だるい時間が流れます。そうした状況を見越して、ガイドのアリフさんが機関士さんと交渉。機関車を停めている場所から、あと数キロ進んだ所まで蒸機を走らせ、写真を撮らせてくれることになりました。バナナの並木をバックにしたり、小さな鉄橋を渡ったりするシーンを押さえながら、フィールドの外れにある村に入っていきました。普段は蒸気機関車が入ってくることがないのか、鳴り響く汽笛に、子どもだけでなく、村の大人たちまで興味深げに家から出てまいります。特に子どもたちは、一旦停車した機関車の前で一かたまりになって大はしゃぎ。そして、その笑顔の可愛らしいこと。忘れられない旅の思い出がまた一つ増えたのでございます。今日8月27日は、「男はつらいよ」の日(映画・寅さんシリーズ第1回封切り、1969年)だそうです。
2011/08/27
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いずれの製糖工場とも魅力満載でありますが、わたくし的にはスンベルハルジョが一押しでございます。他の工場では、畑で刈り取られたサトウキビはトラックで製糖工場のヤードまで運ばれてくるのでありますが、スンベルハルジョだけは、フィールドまで機関車が空のローリー(運搬台車)を運んでいき、夕方、サトウキビを満載したローリーを牽いてもどってまいります。フィールドでの様子は後日、あらためてご覧いただきますが、「本日の思い出の1枚」は、朝、機関庫で撮影したカットでございます。今回訪ねた4箇所の製糖工場のうち、3箇所の機関庫に入れさせていただきましたが、庫と太陽の位置関係から幻想的なシーンが現出するのはここだけでございます。3年前にもこの光景を目にしていますが、もう一度見てみたいと念願しておりました。その絶対条件として、晴れなければならないのですが、幸いその条件もクリアー。夢に見た幻想的な景色を再び目にすることができ、思わず快哉を叫んでしまいました。きゃっほっ~太陽の位置と機関車から吐き出される煙の量が変わるにつれ、刻一刻と移り変わる光のシャワー。同じ場所であっても、二度と同じシーンを目にすることができないと言う点では、この場所での撮影も広い大自然の中での撮影と同じ条件であります。気づけば1時間ほど庫の中をウロウロしていたようです。そろそろフィールドに出発する時刻が近づいてきました。ガタガタのローリーに揺られてフィールドに出かけるのも3年ぶり。さあ、今日はどんな景色に出会えるのでしょうか。楽しみ、たのしみ。今日8月26日は、国産機(三菱製作「日本号」)による初の世界一周飛行(1939年)、ふろの日(毎月)だそうです。
2011/08/26
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先日、インドネシアで撮影してきたカットを、今日からしばらくの間、ご覧いただきたいと思います。3年ぶりのインドネシア。どのように変わったのか、というのが訪問前の関心事でありましたが、いずれも大きな変化はなく、製造されて100年近い古典蒸機は、今なお現役でカクシャクとしておりました。ご同慶の至りでございます。今回撮影したのは、ジャワ島のパンガ、スンベルハルジョ、スラギ、タジクマドゥの4製糖工場で働いている蒸気機関車と、ソロ市内で行われているチャーター列車でございました。蒸気機関車の運用は製糖工場ごとに異なります。最初に訪れたパンガでは、サトウキビを満載したローリーを、ヤードから工場前のヤードまで移動させるのが主な役割。すでにディーゼル機関車も導入されていますが、馬力の点では蒸機の方が勝っているようで、ローリーの牽引数も大きく上回っていました。朝から夜まで、ひっきりなしに続けられる運搬作業でありますが、薄暮が迫り、コーランの聖なる祈りが捧げられるひととき、機関庫でも静かな時間が流れていました。バガス花火の美を堪能するには少し明るめでございますが、2輌の機関車から立ち上ったバガス花火は、漆黒の夜空に立ち上るそれとは、また一味違った雰囲気を醸し出していたのでございます。今日8月25日は、ラーメン記念日(日清食品が即席チキンラーメンを発売)、サマークリスマスだそうです。
2011/08/25
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台北市内では、MRT(台北捷運)が縦横に張り巡らされています。複数の路線がございますが、このうち木柵線は、神戸のポートライナーなどと同じシステムで運転されております。無人運転で、足回りは鉄製の車輪ではなくゴムタイヤ、といったあたりが似ているのであります。滞在中、このMRTはよく利用し、どこかで写真を撮っておきたいと思っていたのでありますが、なかなかその機会に恵まれませんでした。最終日の午前中、台北市内にある龍山寺というお寺に詣でる折、駅に進入してくるMRTを撮影することができ、ようやく念願を果たすことができました。ほっ。撮影地:台湾MRT木柵線南京東路駅今日6月25日は、東京馬車鉄道が新橋・日本橋間で開通(1882年)、日本鉄道が上野・高崎間で開通(1884年)、住宅デー、救らいの日だそうです。
2011/06/25
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鶯歌駅で電車を待っていると、下りの列車が接近してまいりました。特急か急行かは分からないのですが、普通列車でないことだけは明らかでございます。この列車、客車の前後に電気機関車がついております。日本では、一部の寝台特急とイベント列車を除いて客車列車は壊滅状態でございますが、台湾ではまだまだ現役。しかも寝台車ではなく、昼間の座席車なのであります。客車の前後に機関車がつくのは、ヨーロッパなどでよく見られる運転方法でございます。機回しをする必要がなく、ある意味、電車と似た感覚で運転ができます。ヨーロッパの合理主義が現れていると以前、欧州各国を訪ねたときに感心したのでございます。もしかすると台湾国鉄も、そうした影響を受けているのかもしれませんね。撮影地:台湾鶯歌駅今日6月24日は、UFO記念日、ドレミの日、林檎(美空ひばり)忌だそうです。
2011/06/24
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鶯歌駅構内の別の場所に目をやりますと、線路のバラストを積んだ貨車が一編成停まっております。これも夜中に線路工事のために活躍するんだろうなあ、などと思いました。この貨車などは日本でも目にする機会がございますが、最後尾を見て驚きました。すでに日本では、ほとんど絶滅したといってよい車掌車がついていたのであります。いやあ、懐かしい。昔は貨車の末尾には必ず車掌車がついていたものでございます。いくつかタイプがあり、荷物室を併せもった車掌車などもございましたね。今や、貨物の最後尾には赤丸のストップランプ(光りませんけど)が付いているだけ。寂しいものでございます。それに車掌車のボディに書かれている形式や番号などの字体が、日本で使われているものとよく似ているではありませんか。このあたりにも、日本がかつて台湾を治めていた時代の名残りがあるのかもしれません。台湾では現役の車掌車でありますが、わたくしにとっては、数十年前の昔へとワープするタイムマシーンのように思えたのでございます。撮影地:台湾鶯歌駅今日6月23日は、東北新幹線、大宮~盛岡間開業(1982年)、オリンピック・デー、沖縄慰霊の日、ふみの日、踏切の日だそうです。
2011/06/23
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TEM1000形「太魯閤号」は、台湾国鉄(台湾鉄路管理局)が誇る俊足列車で、台湾初の振り子式電車であります。最高速度は130キロ。台北と花蓮間を約2時間で結んでいます。EMU400形、同700形と、一般型車輌が続きましたので、ここらでイッパツ特急列車にも来てほしいなあ、と思っていたところ、遠くにこの白い電車が見えました。前回訪台した折にもこの電車にはお目にかかっているのでございますが、日本の885系、そう、「白いかもめ」によく似ております。振り子式の特急電車ということから、この撮影ポイントのすぐそばにあるカーブも気にせず、かなりのスピードでカッ飛んでまいります。やっぱ、特急はこうでなくっちゃ。撮影地:台湾鶯歌付近今日6月21日は、近畿日本鉄道で冷房特急の運転を開始(1957年)、冷蔵庫の日、交番の日、スナックの日(全日本菓子協会)だそうです。
2011/06/21
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しばらくすると鶯歌駅の方から快速電車が接近してまいりました。EMU700形であります。下あごが突き出たような感じで、ちょっぴりファンキーフェイス。今回で台湾訪問は3回目になるのでございますが、現地で台湾国鉄、MRT(台北捷運)、バスといった交通機関を利用するにあたってはプリペイドカードを使用いたしました。関西での「ピタパ」、関東での「スイカ」といったものと同様でありますが、事前にチャージしておき、改札口を通過する際、読み取り部分にタッチするだけ。しかも、1枚のカードで台鉄、MRT、バスなど、ほとんど全ての交通機関を利用できますので便利でございます。さらに現金利用に比べて運賃が割引される点もうれしい。安くて早いとなると、これはもう大阪の人間には堪りまへん。撮影地:台湾鶯歌付近今日6月20日は、健康住宅の日、ペパーミントデーだそうです。
2011/06/20
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先週、所用兼観光で、台湾へ行ってきました。到着後すぐに用事を済ませたあとは、お楽しみの観光。わたくしの最近のマイブームであるやきもの巡りもしてまいりました。台湾のやきもの産地というと、台北から電車で30分ほど南下したところにある鶯歌という町が有名でございます。立派な陶芸美術館があり、やきもの屋が軒を連ねているあたりは、日本の有田に通じるところがあります。お店をひやかしながら、お気に入りの逸品を探すのが、やきもの巡りのおもしろいところ。一軒の店で、わたくしの感性に訴える作品を見つけました。日台の物価の違いもあり、こんな良品がこんな値段で買えるの、というところが台湾観光のうれしいところであります。下げて帰る都合がありますので厳選しましたが、簡単に宅配できたり、車で持って帰れるのであれば、さらに何点か追加購入したかもしれません。そのあたりが、ちょっぴり残念。やきもの屋巡りが終わり、台北へ引き返そうとしたのでありますが、来たときから気になっていた場所がありました。線路とオーバークロスした歩道橋を見つけていたのでございます。日本のように厳重な柵などもないようなので、もしかするとあそこへ行けば、簡単に俯瞰撮影ができるかも。同行の妻子に2、3本だけ電車を撮影したいからと、先に駅へ行ってもらい、「ちょっとだけ鉄」を行いました。最初にやってきたのは、台北から来るときに乗ってきたのと同じタイプの普通電車。帰国して調べると、EMU400という南アフリカ製の通勤電車であることが分かりました。ほお~。まずは台湾国鉄の日常の足をゲットでございますね。撮影地:台湾鶯歌付近今日6月19日は、京都府開庁記念日、桜桃(太宰治)忌、トークの日(毎月)だそうです。
2011/06/19
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今日9月14日は、メンズバレンタインデー(日本ボディファッション協会、1991年)、コスモスの日、セプテンバーバレンタインだそうです。平渓線を走る列車の多くは瑞芳駅を起点としており、そちらからやってきた列車は、十分駅に到着する直前、町の中を抜けていきます。十分老街では、線路に沿って雑貨店や食堂が並び、列車は家々の軒先をかすめるようにゆっくりと進んでいきます。線路と歩道との間に柵などの障害物は全くありませんから、路面電車、いや併用軌道を走る郊外車輌を見ているのと似た雰囲気です。十分に来たときから、帰り際には、この町並みの中を走る列車は必ず撮ろうと決めましたので、撮影場所を探し、気動車の到着を待ちました。平渓線沿線で最も大きい町は平渓ですが、ここでは毎年旧暦1月15日にさまざまな願いを込めて大型の提灯(熱気球)を空へ飛ばす「天燈節」が行われます。画面右下に写っている白、オレンジ、ピンクの大きなポンチョのようなものが「天燈」です。十分駅に到着直後、この店の女主人が天燈を指さし、何か言っていたのですが、その意味が分からず、わたしたちは十分瀑布へと先を急ぎました。渓谷の散策と撮影を終え、十分老街に帰ってきて、駅前のみやげ物店をひやかしているとき、爆竹がはじける音とともに空高く舞い上がっていく天燈を見た瞬間、女店主が言っていたことの意味が分かりました。「この天燈に願い事を書き込み、飛ばしたらどうですか? 祈りは天に通じますよ」ということだったのです。この次もしまた平渓線を訪ねることがあったら「家内安全、無病息災、学業達成、大願成就」なんて欲張りな願いを書き込んで天燈を飛ばしてみようかしらん、などと思いながら、ゆっくりと風に流されて天空へと舞い上がっていく天燈をながめていました。
2009/09/14
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今日9月13日は、世界法の日(法務省)、司法保護記念日(司法保護事業団)だそうです。十分渓谷を散策したあと、駅に向けてブラブラと帰ることにしました。ビジターセンターで休憩しているときに、あらかじめデジカメで撮影していた十分駅の列車発着時刻を確認すると、間もなく列車がやってくることに気づきました。そこで、わたしは家族より一足早くビジターセンターをあとにしました。「鉄抜き」と言っていたのは、どこの誰だったのかなあ? という家族の会話が聞こえそうです。ビジターセンターから駅に帰る道すがらでは、特にこれという特徴のある場所が見つかりませんでしたので、線路際で素直に編成写真を撮影することにしました。平渓線を走っている気動車のフロントは、黄色地をベースにオレンジの斜め線を配し、警戒模様を連想させるカラーリングとなっています(スカート部は、黄色に黒のストライプですから、まさしく警戒色です)。ステンレスボディといい、フロントの顔立ちといい、日本で走っていても違和感を覚えないデザインです。まあ、それにしても暑いこと! 沖縄より南に位置し、加えて真夏の台湾ですから、首に巻いたタオルが汗びしょになるのも当然です。でも、この大汗をかきながら撮影するというのが、いかにも真夏の「鉄」という感じで、正直わたくし、きらいじゃありませんね(笑)。
2009/09/13
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今日9月12日は、水路記念日(運輸省)、宇宙の日、パンの日(毎月)、マラソンの日、豆腐の日(毎月)だそうです。「渓谷に架かった鉄橋のそばに人が渡れるつり橋があり、それらを組み合わせて情緒豊かな写真を撮ることができる。十分駅から約2キロ、徒歩30分。付近は観光地となっているため、車はビジターセンターの駐車場に停めることが可能。ビジターセンターから川沿いの遊歩道を300mほどで撮影ポイントに到着。レンズは標準系が適当である。列車が来るまでは、周囲の渓谷や緩やかな川の流れを眺めて、のんびりできるのも楽しい」。もし、『台湾版 お立ち台通信』が出るとすれば、紹介文はこのような形になるでしょうか。十分の渓谷に架かっている鉄橋をモチーフに、上りと下りの列車を違う方向から撮影したのが、昨日と今日の写真です。鉄橋のすぐそばにつり橋が架かっているようなシーンは、日本でもあまりお目にかかれないでしょう。この光景を目にしたときは、思わず心が躍りました。これまで日本に限らず、中国やインドネシア、ヨーロッパなどでも印象に残る鉄道情景をたくさん見てきましたが、台湾の十分渓谷も、また1つ新たな記憶として脳裏に刻み込まれました。
2009/09/12
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今日9月11日は、公衆電話初設置の日だそうです。この夏、思い出に残ったできごとの1つは、家族で台湾を訪れたことです。わたし自身は昨夏にも台湾でC12が牽くイベント列車を撮っており、2度目の訪台ですが、今回は家族同伴ということから、基本的には「鉄」抜きの観光旅行(のはず)でした。ただ、観光ツアーの途中に全くフリーとなる日が1日ありましたので、家族で話し合った結果、台湾北部にある平渓線の沿線にある滝へ行ってみることにしました。十分という町にある瀑布は、台湾のナイアガラの滝という異名を持っているのですが、残念ながら直接目にすることはできませんでした。地元の人が滝の手前に有料の公園を作り、そこを通らないと滝へ行けなくなったため、行政と揉めて現在は立ち入り禁止となっていたからです。そんなことは現地に着くまで全く分からなかったため、やむなく引き返したのでした。しかし、その前後の区間は渓谷に沿って線路が走っており、わたしにとっては台湾の列車を撮影できる格好のチャンスとなり、思いもかけない僥倖に、にんまり微笑んでしまったのでした。
2009/09/11
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今日5月22日は、ワットが新発明の蒸気機関の特許を取得した日(1775年)、ガールスカウトデーだそうです。わたしにとって、オーストリアのグラーツは忘れられない街で、2年前の夏に一度、訪れています。グラーツはウィーンに次ぐオーストリア第2の都市。日本でいうと、大阪にあたるような町です。旧市街は、ユネスコの世界文化遺産にも指定されています。わたしは日帰りでウィーンからグラーツへ出かけました。電車で片道2時間あまりかかるのですが途中、これまた世界遺産に登録されているセンメルング鉄道などを車窓から眺め、いつの日かここで列車の走行写真を撮りたいものだ、と思ったりしました。グラーツの町にはエッゲンベルク城という昔の領主の居城があります。今は博物館になっていますが、数ある部屋の一室に、豊臣時代の大坂の街を描いた屏風絵が飾られています。もとは8曲1隻の屏風だったのですが、今はバラバラにされ、絵は壁に埋め込まれています。近年、この屏風絵の存在が判明し、現在、大阪の関西大学とエッゲンベルク城博物館、大阪城天守閣博物館の3者で国際共同研究が進められています。近い将来、なぜ今から300年以上も前に日本の屏風が遠く離れたヨーロッパの地に運ばれたのかが解明されるかもしれません。エッゲンベルク城を訪ねる際に乗ったのがグラーツの市電です。本日の「思い出の1枚」は、グラーツ駅前に停まっていた連接トラム(路面電車)です。
2009/05/22
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CK12が牽引するイベント列車は、午前と午後に1往復ずつ運行されます。このあたりはJR西日本で定期的に運転される「SL北びわこ号」と同じ感じです。「北びわこ号」も車で追いかければ、1往復する間に3~4回、1日だとその倍くらいの回数は撮影できるのですが、集集線ではタクシードライバー「ブラザートム氏」の活躍により、2往復する間に計22回も撮影できていました(最後の方になると、何回撮影していたのか全く分からず、写真のデータを整理した結果、これだけの回数撮影していたことが分かったのです)。ただ、実際は、走る! 停まる。ポイントへダッシュ! 撮る! また走る! 停まる。ポイントへダッシュ! 撮る! の繰り返しで、中学校のクラブ活動でランニングのダッシュを何本もやらされた記憶がよみがえりました。また、集集線の場合、撮影ポイントで引きを取れる場所がほとんどなく、いずれも正面ドッカンに近い構図しか構えようがないため、回数は多いものの、どれも似たバリエーションになるというのが玉に瑕でした。しかし、日本製のC12が異国の地で今なお現役として活躍しているシーンを撮影できるだけでも良しとしなければ。本日の「思い出の1枚」は、この日、23回目の撮影シーンとなる、1日の仕業が終わって二水駅構内の留置場所へ回送進入するCK12です。このあと、CK12は給水と整備が行われ、翌日の運転に備えてしばしの休憩に入りました。1ヵ月近くにわたって続けてきたインドネシア・台湾訪問記ですが、いよいよ帰国の時刻が迫ってきたようです。
2008/09/15
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2台チャーターしたタクシーのうち、私が乗った方のドライバーは、「バブルガム ブラザーズ」のお兄さん「ブラザートム」にどことなく似ている人物。この「ブラザートム」さん、客の注文には非常に忠実で、「汽車を追っかけて」と言ったものだから、まあ、飛ばすわ、飛ばす! 2車線の一般道を110kmほどで前の車を追い抜いていきます。足を踏ん張り、後部ドアノブを握りしめ、「安全第一に!」と訴えるのですが、ニヤリと笑って「ダイジョウブ」。思わず映画の「TAXI」を思い出してしまいました。しかし、土地勘のない私たちを見越して、適当な踏切で随時停車してくれるものですから、本命の撮影場所となる緑のトンネル「緑色隧道」へ到着するまでに4回ほど撮影することができました。「緑色隧道」というのは、集集線と平行して走っている道路と線路の間に楠の大木が立ち並び、その葉で空が見えないほどになっていることから、そう称されています。本日の「思い出の1枚」は、その「緑色隧道」を駆け抜けるCK12牽引のイベント列車です。
2008/09/14
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集集線は二水駅と車てい駅を結ぶ29.7kmのローカル線です。沖縄より南に位置する台湾の真夏のイベント列車ですので、もとより煙は望めませんが、途中には「緑色隧道」と称される熱帯樹林帯や、観光スポットが点在しているため、地元の人にとっても人気の場所であるようです。二水駅前で2台のタクシーをチャーターした私たちが最初に向かったのは、駅から車で5分ほどのところにある跨線橋です。ここは集集線の「お立ち台」の1つでもあるらしく、地元台湾鉄の人も何人か見かけました。水田の中を少し小ぶりの客車3輌を従えてやって来るCK12の姿は、次位の給水車と後部のディーゼル機関車がなければ、山口線のC56「やまぐち号」か、北陸本線のC56「北びわこ号」といった感じです。水田の情景も日本と全く変わらず、違和感がありません。日本から至近距離ということから今後、台湾のイベント蒸機列車もお手軽な撮影対象になるかも、という予感を持ちながら、追撃体制にはいりました。
2008/09/13
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インドネシアをあとにして日本へ向かう前に、台湾へ寄り道をしました。ちょうど、集集線で蒸気機関車の牽くイベント列車が運行されていたからです。イベント列車の牽引機は、かつて日本で製造され、台湾へ運ばれてきたC12です(台湾ではCK12と名前を変えています)。デフレクターがついているのと、運行上の都合から機関車の次位に貨車を改造した給水車を牽引しているため、遠目で見るとC56に見えるのがご愛嬌です。機関車が集集線へ出発する前に朝の機務段(機関庫)を訪ねました。彰化機務段にはCK124号機のほかにCK101号機とDT668号機(日本のD51)が保存されています。大型の扇形庫の中、ディーゼル機関車に混じって3輌の蒸気機関車が肩を寄せ合っているのは、ちょっと良いながめでした。CK12の圧力はすでに十分上がり、コンプレッサーから盛んに蒸気が噴き出しています。いよいよ準備が整い、ターンテーブルに乗るようです。私たちも集集線へと移動しましょう。
2008/09/12
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タジクマドゥの撮影を終えたあと、夜汽車でジャカルタへ移動しました。海外での撮影においては、これまでも中国などで夜行列車に乗ることは何度かあったのですが、ほとんどが「軟臥(寝台車)」利用で、目的地に座席指定車で向かうのは初めてのことです(中国では一度だけ、北京首都空港から北京駅へ移動する最中、高速道路で渋滞に巻き込まれ、軟臥を取っていた列車に乗り遅れてしまい、意思とは全く正反対に食堂車で夜を明かしたことがありました)。のどかなサトウキビ列車の想い出を反芻しながら到着したジャカルタ市内の朝の喧騒は、浦島太郎になった気分を起こさせましたが、ある意味、日本へ帰る前のリハビリテーションにもなりました。そして、行き交う快速列車は、どこかで見た顔……。そう、ついこの前まで東急やJRで走っていた電車たちなのです。その一方で、普通電車はすべてのドアが開きっぱなし。鈴なりの乗客の中にはドアの外に食み出している人もいます。しかし、実は私たちが早朝のジャカルタで狙っていたのは、ドアの外だけではなく、屋根の上にまで人があふれているラッシュアワーの情景だったのです。何度か通り過ぎる普通電車を撮影しましたが、残念ながら(笑)、屋根の上に人が乗っているのを撮影できたのは、このカットだけでした。子どもが2人、屋根の上にいるのがお分かりでしょうか? 非常に危険なため、鉄道当局も取り締まりに躍起となっているようで、その結果として、ほとんど屋根の上に乗っている人を見かけなくなったのだと思います。ところで、以前、取締りが行われた際、警察当局は屋根の上に乗っていた人たちを列車から強制的に降ろし、ホームに一列に並べたあと、罰として腕立て伏せを全員に100回ずつやらせて放免したそうです。お金を持っていないから屋根の上に乗るわけで、罰金を取ることができないという事情もあったのでしょうが、なかなかの「大岡裁き」ですね。
2008/09/11
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工場へと単機で向かうキューロクを追いかけながら歩いていくと、工場内のヤードに別の機関車が停まっていました。こちらは、製糖工場としてはオーソドックスな(笑)、毎日普通に見てきたタイプの機関車です。あたりはすでに暗闇と化していますから、期せずしてバルブタイムとなりました。同行の先達たちに混じってカメラのシャッターを切りましたが、満足したカットを手に入れた人から順に一人消え、二人消えと、気がつけば私だけになっていました。機関車の乗務員もどこかへ行ったのか、あたりには見当たりません。機関車を独り占めする至福の時間――。街灯の光がシャワーのように降り注ぎ、幻想的な雰囲気を醸しています。これもまた、真夏の夜の夢。インドネシアにいる機関車の神さまが、シュガートレイン撮影の最後にくれた幸せの一瞬でした。
2008/09/10
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アンバラワの次に向かったのはタジクマドゥの製糖工場でした。ここもスラギと同様、畑から工場ヤードまではトラックがサトウキビを運搬しています。折角ここまで運んできているのなら、なぜ直接、工場に納品しないのだろう、と効率優先の日本人的発想が頭をかすめますが、そこがインドネシア的システムなのでしょう。オランダ統治時代からのやり方を頑なに守っているようです。工場のヤードに着くと、積車ローリーを従えた大型の機関車が停まっていました。俄かに同行の大先達の目が輝きはじめます。日本のキューロクに似ているため、いつしか「タジクのキューロク」と呼ばれるようになった機関車だそうですが、今回見かけることができたのはラッキーなことだそうです。この数日、タンク機か、テンダー機といってもナローゲージの小型機関車ばかりを見てきた目には、とても大きく映りました。青や緑といった原色とは異なり、キャブからボイラーにかけてオリーブドラブに塗られているのも、日本の機関車を連想させ、とても渋く感じました。ただ、足回りのフレームが黄色なのですが、このあたりがやはり、インドネシア的こだわりなのでしょう。フロントデッキに乗っている砂まきのスタッフに発車時刻を尋ねると、あと30分ほどで工場に向かうとのこと。そう思って待ち構えていると、数回、出たり入ったりを繰り返したあと、予定時刻が大分過ぎ、あたりがほとんど暗闇となったころ、結局、単機で工場へ帰ってしまいました。ああ、気を持たせた挙句のインドネシア的肩透かしですか……。
2008/09/09
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本日の「思い出の1枚」は、B25に連結された木造客車2輌です。車内に掲出されていた説明板によると、使用開始日は1907年9月14日! なんと100年以上も前の車輌なのです。そして66年間使用されたあと、一旦廃車され、3年後の1976年に再整備されて復活したようです。さらに、全長は9メートル、座席数が40席、最大速度は45キロ、板バネで、ブレーキは手動となっています。ああ、それで添乗している車掌が、停車時にブレーキのハンドルを回していたんだ。ラックレールの機関車B25に押されるマッチ箱のような木造客車。バナナの葉がゆれる南国の観光鉄道で余生を過ごす身ですが、鉄道員の愛情が至る所に注がれ、小ながら美。これはこれで幸せなのかも。
2008/09/08
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ラックレール区間では、機関車は常に麓であるアンバラワ側についています(往路は、後ろから列車を押し上げていくのです)。終点の頂上駅から折り返すときが、機関車が進行方向前方につく通常の運転形態となります。復路、客車の最後尾から後ろへ流れ去っていく景色を眺めていると、上の方から小さなものが接近してきました。よく見ると、少年が小さなトロッコに乗っています。思わず、ぶつかるのでは、と思ってしまいましたが、列車に近づくと一定の距離をあけて追走してきます。一見すると木製の台車のようで、それほど複雑な構造ではありません。どのような仕組みになっているのかと思い、しばらく観察していると、列車との間が詰まると左足のスリッパで何やらペダルのようなものを踏んでいます。どうやら小さなブレーキがついているようです。以前、中国の芭石鉄道で地元の人が簡易なトロッコを使用して荷物を運んでいる(レールの無断使用? 笑)のを見かけたことがありますが、アンバラワの方は線路の幅ではなく、ラックレールの幅に合わせています。大きなものは運べませんが、軽量小型、ブレーキ付という点ではこちらの方が一枚上手です。ところ変われば、いろいろな「道具」が生み出されるものです。ラックレールライダーはこの少年のものだけではなく、ほかにも2台ほど見かけましたので、この地では一般的な乗り物のようです。私たちがカメラを構えているのに気づくと、少年は右手を上げてポーズを取ってくれました。その顔はどことなく誇らしげでした。
2008/09/07
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現在、アンバラワの観光鉄道では、ふもとのアンバラワ駅と中間のJAMBU駅、頂上のBEDONO駅の3駅があります。中間駅と頂上駅の間はラックレールが敷かれており、そこを走る機関車は車体の中についている巨大な歯車を回転させて急坂を上っていきます。今回、アンバラワでは1回目、E10の牽く列車に乗り、2回目はB25が牽く列車に乗りました。E10は普通の機関車ですので、中間駅までしか運転できません。アンバラワから中間駅までE10で往復したあと、ラックレール対応のB25に付け替えて終点をめざすことになりました。本日の「思い出の1枚」はB25型機関車の動力部です。B型ですので動輪は2つ。注目すべきなのは、普通のシリンダーの上にもう1つシリンダーがあり、そこからもう1組のロッドが伸び、ボイラーの下部についている大きな歯車を回すようになっています。動輪より歯車の方が大きいのが、いかにもラックレール対応機関車らしいと言えるでしょう。それにしても、このメカニカルな美しさはどう表現したらよいのでしょう。ロッドや動輪、ギアがどのように動くのかは、残念ながら確認できませんでしたが、この機関車の模型を1台欲しいものです。
2008/09/06
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アンバラワ鉄道の稼働率は、年間どれくらいの回数なのでしょうか。それほど頻繁に運転されているわけでないのは、沿線の住民たちが汽笛を聞いて屋外に走り出てくることでも分かります。しかも運転停車の最中に、それがさも当然と言わんばかりに、大人も子どもも木造客車に乗り込んでくるのです。連結されている客車の1輌は、私たちの専用車として区分されていますが、それ以外の車輌であれば、添乗している車掌さんも全くとがめようとしません。地元民にとっても、観光鉄道は数少ない娯楽の1つとなっているようで、それだけ地元に親しまれている証拠です。もちろん、私たちも同乗は大歓迎です。我先にと乗り込んでくる小学生はもちろんのこと、幼稚園児くらいの女の子を連れたお母さんや、幼児を膝に抱いたおじいさんなど、同乗者はさまざまです。子どもたちの歓声が響きあう地元の人たちが乗っている客車を訪ね、記念のスナップを撮らせてもらうことにしました。「写真を1枚、いいですか?」。ジェスチャーで伝えると、どの人もにっこりと笑って許してくれます。本日の「思い出の1枚」としてご覧いただく、この写真に写っているおじいさんもそうした1人で、膝に乗せている孫の手を取ってポーズを決めてくれます。うん、いい表情だ! それにしても、このおじいちゃんとお孫ちゃん、顔の輪郭を初め、目や鼻の形がそっくりです。ここにいないお父さんとお母さんがどんな顔立ちをしているのかは分かりませんが、まちがいなく2人の間には、はっきりとした血のつながりを看て取ることができます。
2008/09/05
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実はインドネシアへ行く1ヵ月ほど前に大怪我をし、一時は旅立ちをあきらめようかと思いました。出発直前まで、はたして無事、帰ってくることができるだろうか、最後まで体力はもつのだろうか、と不安だったのですが、一旦、祖国をあとにしてみると、見るものすべてが新鮮な驚きに満ち、毎日パワー全開で被写体を追いかけていました。いやはや、現金なものです。スラギのあとに訪ねたのは、観光鉄道となっているアンバラワでした。それまで数日間見てきた現役蒸機にはない垢抜けた雰囲気。しかし、それはそれで好ましいものでした。マッチ箱のような木造2軸客車を牽引するのはE10型蒸気機関車。かつて日本にも同型の機関車が存在しましたが、それと車輪配置も同様のタンク機関車。残念ながら、私は現役時代の日本製E10を目にすることはできませんでしたが、異国の地で同型の機関車を見ると、その大きさと独特の車輪配置に魅せられます。しかも、この地のE10は、煙突の形状が扁平なギースルエジェクタです。日本でも、D51の一部にこの煙突を持つものが存在しましたが、実際に煙を上げているのを見るのは、今回が初めてでした。アンバラワの駅を発車してしばらくすると、列車は築堤の上を進みます。前夜、大雨が降っていたのと、上り坂となっているため、ここが赤道直下とは思えないような煙が出ています。椰子の木が2本、田んぼのあぜに立ち、水鏡となって揺れる南国情緒豊かな景色のなか、巨大タンクロコがマッチ箱のような客車を牽いて爆煙を上げている。もう、何もかもが、この世のものとは思えません。夢なら醒めるな。ああ、幸せだなあ。
2008/09/04
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スラギの製糖工場では、畑から工場へサトウキビを運搬する役目はトラックが荷っていました。ヤードに到着したサトウキビは、クレーンで持ち上げられ、空のローリーに移しかえられます。積車のローリーが10輌ぐらい溜まると、それを蒸機が後ろから押して工場に入れるというのが一連の作業です。サトウキビはローリーより長くてはみ出しているのと、ヤードから工場までが緩やかな上り坂となっているため、機関車とその前のローリーとは連結器でつながれておらず、機関車はローリーに積まれているサトウキビの中へ直接、顔を突っ込んで押し上げていきます。そのため、サトウキビからにじみ出た砂糖液のせいか、機関車の顔は銀色に光って、テカテカしています。クレーンの積み替え場には5、6本の線路があり、トラックが続々と到着する繁忙時間帯には、機関車も複数台待機し、ローリーが満車になるのを待っています。すべてのローリーが積車になると、やおら、グワッシ! という感じでサトウキビの中へ顔を突っ込み、全力で押し上げていくのです。本日の「思い出の1枚」は、積み替え場で、ローリーが満車になるのを待っている機関車たちです。複数の機関車がヤードでたむろしているさまは、かつて北九州、たとえば直方や若松などで、本番に備えてキュウロクやハチロクなどがしばしの休憩を取っていた様子を彷彿とさせます。
2008/09/03
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インドネシアの製糖工場で今なお現役で働く蒸気機関車たちは、その多くがオランダの統治時代に導入されたものですから、齢はすでに、ン十年。もしかすると100歳以上の大ベテランが含まれているかもしれません。機関車はサトウキビが刈り取られる3~4ヵ月ほどだけ稼動するわけですから、仮に100年とはいっても、実働期間はその3分の1程度かもしれません。しかし、機械ですから、休み休み動かす方がよいのか、連続して運転させた方が調子よいのか、そのあたりについてはよく分かりません。いずれにせよ、小さな不具合であれば、製糖工場のスタッフが自分たちで修理してしまうようです。薄暗い機関庫の片隅で、黙々と旋盤を回している工人の姿も見かけました。すでに機関車を作った本国においても部品などは残っていないでしょうから、車歴ン十年の機関車を動かし続ける地道な努力には頭がさがります。ヤードから戻ってきた1台の機関車が機関庫の前で停車するや否や、機関士たちが集まってきました。どこか不具合があるようで、そのうちの1人がキャブの下に潜り込みます。ワイワイ、ガヤガヤ、しきりに意見を交換しながら作業を進めています。こうした光景を見ると、もとは遠くヨーロッパの地で誕生した機関車たちですが、すでにインドネシアの地にしっかりと根付き、今やなくてはならない存在になっていることを改めて実感します。
2008/09/02
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インドネシアでは夜間のバルブ撮影もお楽しみの1つで、今回はパンガ、スラギ、タジクマドゥの3ヵ所で実施することができました。本日の「思い出の1枚」は、スラギでのバルブカットです。インドネシア・製糖工場の蒸気機関車は、バガスというサトウキビの搾りかすを乾燥させたものを燃料にしているため、カマの中にバガスを入れると、火の粉が盛大に舞い上がります。稲ワラほど瞬時に燃え尽きるわけではありませんが、比較的短時間に燃え上がっては消えてゆきます。火の粉は昼間だと、ほとんど目につきませんが、夜間はまるで線香花火のごとく、そのきらめきは瞬時のものですが、それだけに美しい。夜空に赤く線を引く火の粉は、何とも儚く、物悲しい感じで、サザンクロス(南十字星)からこぼれ落ちた流れ星のようにも見えました。まさに真夏の夜の夢物語です。
2008/09/01
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「スンバルハルジョの機関庫は、晴れに限る」。同行の大先達から、そう教えられていました。機関庫の明かり取りの窓や屋根の破れ目から差し込む光の筋が、それはそれはきれいに見えるからです。しかし、今回のインドネシアは天候が今ひとつ安定せず、お昼前になってようやく太陽が顔を出す、といったことの繰り返しでした。機関車たちは10時を過ぎれば庫をあとにして畑へと向かうため、出区準備が整うまでの時間帯が勝負どきなのです。光のシャワーが美しく見えるためには、太陽光の存在と角度が大きな決め手となります。さらに、機関庫の中で機関車が煙を上げていることも必須条件です。映画撮影でスモークを焚くのと同じ理由です。それらの条件が満たされたとき、神々しいまでの光の筋が現れます。レンブラント光線といわれる光のシャワー。この朝は、機関車を照らし出すスポットライトとして出現しました。聞きしに勝る美しさに、思わずため息が出てしまいました。
2008/08/31
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