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1970(昭和45)年8月3日のこの日、最終的には鹿児島まで行き、宿泊しています。そして吉松から鹿児島へ向かう途中、隼人駅でDF50が牽く寝台特急「富士」を撮影しています。時間帯から考えると、東京へ向かう上り列車でしょう。 日豊本線はトンネルの多さと急勾配の連続で、九州ではいち早くディーゼル機関車が投入された線区です。551号機は1960(昭和35)年8月に新製され、大分運転所に配属された機関車の1輌です。「富士」のヘッドマークと、後ろに続く20系客車からは九州ブルトレが憧れの特急列車であった時代を思い起こさせてくれます。 四国・高松でテツの産湯を使い、その初日にDF50を撮影したわたくしには、この機関車が強烈なインパクトをもって刷り込まれています。今でもディーゼル機関車の中では上位に位置する「推し」の機関車です。それが憧れのブルートレインの牽引機として目の前に現れたのです。朝から数多くの記憶に残る出会いを重ねてきた1日の締めくくりにふさわしい瞬間となりました。 今回、肥薩線の沿線で偶然お会いした地元のベテランカメラマンさんに導かれて吉松駅を訪問したことは、はからずも半世紀以上前の自分を探す旅にもなりました。記憶の深いところに沈んでしまっている思い出がいろいろと浮かんできて、わたくしにとっては心ふるえる「センチメンタルジャーニー」になりました。キャプションが連日、長文になったのも、そういう理由からです。 さて、明日からは時計の針を一気に進めて「現在」の世界にもどりたいと思います。 今日6月19日は、理化学研究所創設の日、京都府開庁記念日、ベースボール記念日、朗読の日、桜桃(太宰治)忌、トークの日(毎月)だそうです。模型製作参考資料集L 西のDF50 詳細写真集
2023/06/19
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吉松機関区でどれほどの時間を過ごしたのでしょう。今のカメラのように、シャッターを切った時刻が自動的に記録される仕組みもありませんので、撮影開始、終了の時間は不明ですが、いずれにせよ、撮影を切り上げて移動する時刻が近づいてきました。 フィルムの最後の方のカットには、重装備D51 1058号機と形式入りナンバープレートをつけた門デフのC55 34号機、標準タイプのD51 889号機が機関庫の前に並んだシーンが残っています。 この当時、機関庫でこうしたシーンを見かけるのはそれほど珍しいことではありませんでしたが、半世紀という時が流れた結果、二度と目にすることのできない光景になりました。よくぞこのカットを撮っていた、と53年前の自分を褒めてやりたい気持ちです。 今日6月18日は、海外移住の日、考古学出発の日(大森貝塚を発見・発掘したアメリカの動物学者モースが来日、1877年)、おにぎりの日、頭髪の日だそうです。
2023/06/18
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吉松機関区で撮影したカットの中には重装備D51 1058号機とC56 99号機が並んで留置されているものが残っています。 その前のカットではD51と連結されて移動しているところを撮っており、前後を見比べると99号機の向きが変わっていますので、転車台で方向転換をしてきたのでしょう。 この時点では転車台がどこにあったのか分からなかったのですが、今回半世紀ぶりに訪ねて見た吉松駅前の説明板には機関庫の向こう側に転車台があったことがしるされていましたので、長年の疑問が解決されました。 肥薩線へはこの2年後(1972年3月)にもう一度訪ねていますが、吉松機関区には立ち寄っていません。代わりに人吉機関区を訪れています。肥薩線が無煙化されるため、最後にD51とDD51を並べて記念撮影会を行うイベントに参加しているのです。 吉松機関区を訪問した1970年のときには、2年後に重装備D51が役目を終えて引退することなど夢にも思わず、普段着姿のD51とC56を嬉々として撮影していたわたくしでした。 今日6月17日は、砂漠化および干ばつと闘う国際デーだそうです。
2023/06/17
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1970(昭和45)年8月の九州初遠征では、それまで雑誌でしか見たことがなかった憧れの機関車たち、具体的にはD50やD60、9600、C60、門デフのC11やC57、D51などが次々と目の前に現れ、興奮が止まりませんでした。 吉松機関区での初物はC55とC56でした。当時、C56は構内の車輌入換えや、今は廃線となった山野線で貨物牽引を担当していたようです。 吉松にいたC56のうち、91号機は形式入りのナンバープレートを装着しており、初めて撮影するC56が形式入りという二重の幸運に、若き日のわたくしは少なからず舞い上がったに違いありません。 このときから2年後の1972(昭和47)年10月、91号機は僚友の92号機とともに鹿児島本線でお召し列車を牽引して栄光の機関車となります。しかし、この時点では未来にそんなことが待ち受けているなどとは夢にも思わず、普段着姿の91号機の動きに見とれていたのでありました。 今日6月16日は、アフリカの子どもの日、ケーブルテレビの日、和菓子の日、麦とろの日だそうです。 ザ・ラストラン C56形160号機/鉄道[DVD]【返品種別A】
2023/06/16
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吉松機関区にはD51が数輌配備されており、その中に初期型のナメクジタイプも存在していました。わたくしが吉松に到着したとき、D51 18号機がまさに出区するときでした。 巨大な集煙装置をのせた重装備D51がいる傍らに、なだらかな曲線のドームが美しいナメクジタイプがいるという組み合わせは、何とも言えないものです(機関車のパワーの点から、ナメクジは矢岳越え区間では使われず、肥薩南線などで使われたのではないかと想像します)。重装備D51もボリューミーで捨てがたいのですが、わたくし的にはやはりナメクジタイプに1票です。 全国至る所で見ることのできたD51の中で、初期型ということから数も少ないナメクジタイプは、会えればラッキーという存在でした。これより前には吹田機関区で51号機に出会ったくらいしか経験のない鉄道写真初心者にとって、わが家から遠く離れた九州の地でナメクジに出会えるという僥倖に、これまた感激ひとしおでした。 今日6月15日は、新橋~下関間に初の特別急行列車が運転された日(1912年)、信用金庫の日、暑中見舞いの日、千葉県民の日、栃木県民の日、オウムとインコの日、お菓子の日、中華の日だそうです。 [鉄道模型]天賞堂 (HO) 71036 D51形半流線形(デフ点検口有)【ダイキャスト製 カンタム・サウンドシステム搭載】
2023/06/15
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ヤードで撮影したあと、C55 26号機に続いて機関庫の中へ入りました。そこではC55 10号機の点検作業が行われていました。 機関車の蒸気や煙が充満した機関庫の中は全体的に薄暗いのですが、2011年と2013年に訪問したインドネシアの機関庫もそうでした。吉松機関区を訪れたのは、それより40年以上も前ですが、インドネシアの場合は、機関庫の中に充満した煙に太陽光が斜光線となって射しこみ、幻想的なシーンを出現させていたのが印象的でした。 さて、吉松機関区。10号機の周りでは3人ほどの作業員さんが整備を続けていました。何の作業をしているのかは知る由もありませんが、そうしたことが日常的に行われていることにより、事故や故障なく機関車が走っているのだと、整備の現場を見て、改めて実感したものです。 今日6月13日は、鉄人の日(広島東洋カープの衣笠祥雄が2131試合連続出場の世界新記録を達成、1987年)、小さな親切の日、はやぶさの日、FMの日だそうです。【新品】蒸気機関車EX(エクスプローラ) Vol.46(2021Autumn) 特集異色のライト・パシフィックC55概論高木宏之/鉄の馬と兵ども足尾線C12椎橋俊之
2023/06/13
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吉松機関区で次に出会ったC55は34号機でした。形式入りのナンバープレートに流麗な門鉄デフ。これはもう、文句なしに格好いい。 34号機はしばらくの間、構内で客車の入換えに従事していました。どういう理由なのかは分かりませんが、ブドウ色の客車には車掌室のついた2軸貨車のワフが連結されています。 わたくしが人吉駅から乗ってきた列車も客車は1輌だけで、その後ろに貨車が連結された混合編成だったような気がするのですが、ワフ付きの客車も似たようなものなのかもしれません。いずれにせよ、ローカルムード満点の編成です。 今日6月12日は、児童労働反対世界デー、恋人の日(全国額縁組合連合会、1988年)、エスペラントの日、アンネの日記の日だそうです。 肥薩線のC55 鹿児島区のB20 鉄道趣味人01 南九州1 [ いのうえ・こーいち ]
2023/06/12
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1970(昭和45)年8月3日、吉松機関区でわたくしは3輌のC55と出会いました。当時、わたくしが住んでいた関西エリアでC57は見ることができましたが、C55は遠い存在で、それゆえ憧れの機関車の一つでした。 C55とC57は兄弟のような車輌ですが、最も大きな違いは動輪です。C55はスポーク動輪、C57はボックス動輪というのは、蒸気機関車に関する基礎知識でも初級レベルのことですが、実際に目にすると、これまた感激ものです。 門デフのC55 26号機が機関庫の中へもどっていこうとするのに出会いました。憧れの機関車たちが次々と出現する吉松機関区で過ごした午後は、今も記憶に残る至福の時間帯でした。 今日6月11日は、傘の日、雨漏り点検の日、日本初の海底トンネル、関門トンネル下り線が開通した日(1942年)、第一国立銀行(日本初の銀行)が設立された日(1873年)だそうです。 [鉄道模型]トミックス (Nゲージ)2010 国鉄 C55形蒸気機関車(3次形・北海道仕様)
2023/06/11
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わたくしは、今から半世紀以上前の1970(昭和45)年8月、九州各地の蒸気機関車を撮影するために遠征しています。吉松駅に降り立ったのは8月3日のことでした。 自宅を出て九州入りし、吉松駅へ至る間の経緯は省略しますが、人吉駅から吉松駅まで、日本三大車窓の一つと言われた矢岳越えをして到着したあと、吉松駅構内で最初に撮ったのは重装備D51が牽引する貨物列車の発車シーンでした。 今まさに出発していくプッシュプルの貨物列車を今、改めて見ると、貨車の輌数はそれほど多くないのに、前後を重装備機関車でサンドイッチしていかなければならないところに矢岳越えの急峻さを感じるのです。 今日6月10日は、路面電車の日、時の記念日(生活改善同盟会、1920年)、商工会の日(全国商工会連合会、1985年)、ミルクキャラメルの日、歩行者天国の日だそうです。 想い出の中の列車たちシリーズ 驀進〈第四巻 中国・九州の蒸気機関車〉大石和太郎16mmフィルム作品 [DVD]
2023/06/10
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緊急事態宣言中は、半世紀前のモノクロ写真をご覧いただきました。中学生の時、友人と初めて九州を訪れた記録を連載させていただいたのです。あと1日分残っているのですが、それはまた後日改めて(もしかすると、再度の緊急事態宣言が出されて遠出ができないようになるかもしれませんから)。 熊本から人吉を経て、吉松、隼人、鹿児島へというルートで移動した日に撮影したカットです。このうち、吉松機関区では重装備D51 1058号機と、形式入りナンバープレートをつけた門デフのC55 34号機、標準タイプのD51 889号機が機関庫の前に並んだシーンも撮っています。この当時、機関庫でこうしたシーンを目にするのはそれほど珍しいことではありませんでしたが、半世紀という時の流れは、こうしたシーンを二度と再現させることができなくなってしまいました。よくぞこのカットを撮っていたものだ、と51年前の自分を褒めてやりたい気持ちです。 撮影地:肥薩線吉松機関区 今日6月30日は、ハーフタイムデー、トランジスタの日、アインシュタイン記念日、集団疎開の日だそうです。 A4クリアファイル(C62蒸気機関車)【JR関連鉄道グッズ】
2021/06/30
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D51が牽引する貨物や客車列車、さらには急行気動車を山の上から俯瞰したあと、下山して線路際へもどったとき、C61 13号機がやってきました。おそらくじっくりと構える余裕がなく、手持ちでカメラを振り回したと思われます。画面の右半分が大きく空いているのは中坊の未熟な腕前ゆえですが、結果として流し撮りになり、50年後にこうしてご覧いただくことになりました。 C61 13号機は1949(昭和24)年3月にD51 1115号機を種機として改造され、鳥栖機関区に配属、翌年9月に鳥栖から鹿児島機関区へ異動しました。13号機の特徴である前方へ傾いた鹿工式デフ(KG-1型)が取り付けられたのは1954(昭和29)年6月5日のことです。わたくしがこの機関車を撮影した1カ月後の1970(昭和45)年9月22日には第一種休車指定となり、さらにその3カ月後の12月29日には廃車されています。13号機は、誕生から廃車まで九州を出たことのない機関車でした。偶然だったとはいえ、終焉間近の時期に現役で走っている姿を捉えることができたのは幸いでした。 撮影地:鹿児島本線上伊集院~薩摩松元 今日6月23日は、東北新幹線、大宮~盛岡間開業(1982年)、オリンピック・デー、沖縄慰霊の日、ふみの日、踏切の日だそうです。 蒸気機関車EX(Vol.45) 特集:東海道3シリンダ黄金期C53(2)/復活10周年C61 (イカロスMOOK j train特別編集)
2021/06/23
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夕刻の山上からはナメクジD51が牽引する客車列車も撮っています。 機関車の次位には郵便車のオユ10、そのうしろには客車が4輌つながっています。モノクロ写真なので色が分かりませんが、オユは青色、そのうしろの客車はおそらく茶色でしょう。時間的に考えると夕方の通勤・通学列車だろうと想像します。都会ではもっと長い編成も存在したのでしょうが、鹿児島あたりでは郵便車を含めて5輌編成が普通だったのかもしれません。 棚田というほどではありませんが、少し階段状に広がる田んぼでは稲が大きく成長しています。あと1カ月もすれば黄色くなり、刈り取りの季節を迎えるのでしょう。 今、このあたりはどのようになっているのでしょうか。鹿児島市内からそれほど離れていないので、半世紀も経てば住宅地に姿を変えているかもしれません。いつかセンチメンタルジャーニーで訪れてみたい気もします。 撮影地:鹿児島本線薩摩松元~上伊集院 今日6月21日は、近畿日本鉄道で冷房特急の運転を開始(1957年)、がん支え合いの日、冷蔵庫の日、交番の日、スナックの日(全日本菓子協会)だそうです。
2021/06/21
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51年前のテツ旅にもどります。昭和45年(1970)8月3日の夕刻、鹿児島についたあと、一緒に行っていた友人の知り合い、おそらく親戚の家に泊めてもらっています。 翌4日は夕方、山の上から俯瞰したカットがいくつか並んでいます。午前中に撮影したカットがないのは、もしかすると観光でもしていたのかもしれませんが、全く思い出すことができません。そういう意味では、写真の力は偉大ですね。半世紀以上前のことでも、写真が残っていれば当時の雰囲気などが思い浮かんでくるのですから。 地元の人間でなければ、場所も上り方も分かりませんから、泊めてもらった家にいた同年代の方(おテツ?)の案内で山上の俯瞰ポイントへ行ったような気がします。 そこからD51が牽く貨物列車を撮影しています。今は、貨物列車と言えばコンテナで画一化されていますが、この当時は無蓋車や有蓋車がさまざまに組み合わされていました。同じ貨車がずらりと並ぶ統一美もきれいですが、長短凸凹が入り混じった編成も魅力的で、幼き頃の刷り込みの影響なのか、今でもワムやトラの混成による貨物列車に魅かれるわたくしなのでありますよ。 撮影地:鹿児島本線 今日6月19日は、理化学研究所創設の日、京都府開庁記念日、ベースボール記念日、朗読の日、桜桃(太宰治)忌、トークの日(毎月)だそうです。
2021/06/19
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熊本を出発して人吉、吉松を経て、この日(昭和45年8月3日)は鹿児島まで行って泊っています。そして吉松から鹿児島へ向かう途中、隼人駅でDF50が牽く寝台特急「富士」を撮影しています。時間帯から言って、おそらく東京へ向かう上り列車でしょうね。 日豊本線はトンネルの多さと急勾配の連続で、九州ではいち早くディーゼル機関車が投入された線区です。551号機は昭和35年8月に新製され、大分運転所に配属された機関車の1輌です。「富士」のヘッドマークと、後ろに続く20系客車からは九州ブルトレが憧れの特急列車であった時代を思い起こさせてくれます。 四国・高松でテツの産湯を使い、その初日にDF50を撮影したわたくしには、DF50が強烈なインパクトをもって刷り込まれています。今でもディーゼル機関車の中では上位に位置する好きな機関車です。それが憧れのブルートレインの牽引機として目の前に現れたのです。朝から数多くの記憶に残る出会いを重ねてきた1日の締めくくりにふさわしい瞬間となりました。 撮影地:日豊本線隼人駅 今日6月5日は、世界環境デー(国連)、ろうご(老後)の日、落語の日だそうです。
2021/06/05
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トンボ重連でC56とD51が移動したあとには重装備D51 1058号機とC56 99号機が並んで留置されているカットが残っています。99号機の向きが変わっていますので、転車台で方向転換してきたのでしょうが、吉松機関区の転車台がどこにあったのかは思い出せません。クラの向こう側にでもあったのでしょうか。クラの中へは入ったのですが、その向こうへは行っていませんので、分からないのです。 肥薩線へはこの2年後(昭和47年3月)にもう一度訪ねていますが、吉松機関区には立ち寄っていません。2年前に十分撮影しているのでもういいや、とでも思ったのでしょうか。その代わりに人吉機関区へはもう一度足を運んでいます。肥薩線が無煙化され、最後にD51とDD51を並べて記念撮影会を行ったようで、それを撮りにいっているのです。そのカットもいつかご覧いただきたいと思いますが、2年後に重装備D51が役目を終えて引退することなど予想だにしていなかった普段着姿のD51とC56なのでありますよ。 撮影地:肥薩線吉松機関区 今日6月3日は、測量の日(国土地理院、1989年)、雲仙普賢岳祈りの日だそうです。 【ふるさと納税】吉松物産館で人気の疏水百選のお米(合計7kg)【吉松物産館】
2021/06/03
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しばらくすると、テンダー同士を連結したトンボ重連のC56とD51がやってきました。C56は99号機です。後ろのD51は石炭山盛りですが、C56のテンダーには石炭がほとんど見えません。山野線でお仕事を済ませてきたあとなのでしょうか。 ところで、画面の左から突き出ているベルトコンベアは、テンダーに石炭を積み込むために給炭台に設置されているのですが、先端に四角い鉄板が取り付けられています。コンベアで運ばれた石炭が下に落ちる際、この鉄板があることで、遠くに石炭が飛んでいくのを防いでいるのです。この写真を撮った時は、そのような板に全く気付きませんでしたが、2018年10月に中国・大連の塩ナローを訪ねた時、ベルトコンベアで貨車に塩を積み込む際、コンベアの先端に同じような鉄板がついているのを目にしました(こちら)。50年近く経って、コンベア先端についているものの存在理由を理解したのでありますよ。 撮影地:肥薩線吉松機関区 今日6月1日は、日本国有鉄道、日本専売公社発足(1949年)、国際子どもの日、電波の日(郵政省、1951年)、気象記念日(気象庁)、人権擁護委員の日(法務省他、1981年)、写真の日(日本写真協会、1951年)、国際放送記念日、真珠の日(日本真珠振興会)、万国郵便連合加盟記念日、麦茶の日(全国麦茶工業協 同組合、1986年)、ねじの日(日本ねじ工業協会、1976年)、梅の日(梅研究会、1987年)、ガムの日(日本チューインガム協会、1994年)、あゆ解禁、衣替え、生糸年度始め、薪能、氷の日(日本冷凍事業協会)、バッジの日(徽章工学協会、1993年)だそうです。 KATO Nゲージ C56 小海線 2020-1 鉄道模型 蒸気機関車
2021/06/01
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当時の写真を改めて見直すと、吉松機関区はクラも立派で、それなりの規模だったことに気づきます。わたくしが人吉駅から乗ってきた列車を牽いていたD51 668号機が、給炭台のそばにいました。次の仕業に備えて給炭と給水を行っているようです。左奥のクラにはC55 26号機のテンダーが見えますが、人影をほとんど見ることができない、少しのんびりした空気が漂う午後の吉松機関区です。 撮影地:肥薩線吉松機関区 今日5月31日は、シベリア横断鉄道工事開始(1891年)、世界禁煙デー(世界保健機関[WHO]1989年)、そばの日(毎月末日)だそうです。
2021/05/31
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昭和45年(1970)8月3日午後の吉松機関区に3輌のC55がいたことはすでに書いてきたとおりですが、残る1輌は34号機でした。 34号機は流線形から改造された機関車です。流線形時代の面影を残すキャブのRのほかに、門鉄デフや砂撒き管3本のサンドドーム、撤去されたキャブドアなど、九州タイプの特徴を至る所で確認できます。そうしたことは今なら少し調べると分かるのですが、ネットもなく、知識も持たない当時の初心者ガキ鉄にとっては、おお、門デフや、で感激すれば十分だったのでありますよ。 34号機の門デフは取り付け位置が低いそうです。僚機の26号機(こちら)と比べると、確かにランボードとデフ下端との間が狭く、低い位置についていることが分かります。 それにしても、昔は客車と貨車の混合編成というのは、ローカル線に行くと結構目にしましたね。34号機が逆推進で牽き出していくワフと茶色い客車の組み合わせは今度、模型のレイアウトで再現して走らせてみようかしらん。 撮影地:肥薩線吉松機関区 今日5月29日は、国産初の電気機関車が走った日(1928年)、京都に地下鉄が開通した日(1981年)、呉服の日、幸福の日、こんにゃくの日(日本こんにゃく協会、1989年)、エベレスト征服記念日、白桜(与謝野晶子)忌、肉の日(毎月)だそうです。 KATO Nゲージ C55 門鉄デフ付 2012 鉄道模型 蒸気機関車
2021/05/29
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整備が行われているC55 10号機の隣には、先ほどクラの中へ入った僚機の26号機が留置されています。こちらの方には作業員さんたちの姿が見えませんので、近づいて各部を観察させていただきました。 何よりも特徴的なのはスポーク動輪です。C55は日本の本線用大型蒸気機関車としては最後のスポーク動輪採用形式で、初めて間近で見る直線的なスポーク形状は、江戸時代の大八車の車輪をそのまま機関車に取り付けたような古風な雰囲気があり、ボックス動輪とは違った美しさです。 撮影地:肥薩線吉松機関区 今日5月27日は、山陽線全線開通(1901年)、百人一首の日、日本海海戦の日、海軍記念日だそうです。
2021/05/27
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ヤードで撮影したあと、C55 26号機に続いてクラの中へ入りました。そこではC55 10号機の点検作業が行われていました。機関車の蒸気や煙が充満したクラの中は全体的に薄暗いのですが、2000年代になって訪問した中国やインドネシアの機関庫もそうでした。吉松機関区を訪れたのは、それより30年以上も前ですが、クラの中の様子は時代を経ても変わらないのでしょうね。 10号機の周りでは3人ほどの作業員さんが整備を続けていました。何の作業をしているのかは知る由もありませんが、そうしたことが日常的に行われていることにより、事故や故障なく機関車が走っているのだと、整備の現場を見て、改めて実感したものです。 撮影地:肥薩線吉松機関区 今日5月25日は、アフリカデー、主婦休みの日、食堂車の日(私鉄の山陽鉄道に日本初の食堂車が誕生、1899年)、広辞苑記念日、アメリカ映画「スター・ウォーズ」が公開された日(1977年)だそうです。 九州の鉄道 国鉄・JR編【現役路線】【電子書籍】[ 牧野和人 ]
2021/05/25
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この日、吉松機関区では3輌のC55と出会いました。関西エリアでC57は見ることができましたが、C55は遠い存在で、それゆえに、これも憧れの機関車でありました。 C55とC57は兄弟のような関係ですが、最も大きな違いは動輪です。C55はスポーク動輪、C57はボックス動輪というのは蒸気機関車に関する基礎知識でも初級レベルのことですが、実際に目にすると、これまた感激ものです。 門デフのC55 26号機がクラの中へもどっていこうとするのに出会いました。憧れの機関車たちが次々と出現して、吉松機関区で過ごした午後は、今も記憶に残る至福の時間帯でした。 撮影地:肥薩線吉松機関区 今日5月23日は、世界亀の日、KISSデー、ラブレターの日、初の「公害白書」が出た日(1969年)だそうです。 九州の鉄道 国鉄・JR編【現役路線】【電子書籍】[ 牧野和人 ]
2021/05/23
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吉松機関区にはD51が数輌配備されており、その中に初期型のナメクジタイプも存在していました。わたくしが吉松に到着したとき、D51 18号機はまさに出区していこうとしていました。 巨大な集煙装置をのせた重装備D51がいる傍らに、なだらかな曲線のドームが美しいナメクジタイプがいるという組み合わせは、何とも言えないものでした。わたくし的には圧倒的にナメクジタイプに1票です。 全国至る所で見ることのできたD51の中で、初期型ということから数も少ないナメクジタイプは、会えればラッキーという存在でした。これより前には吹田機関区で51号機に出会ったくらいしか経験のない鉄道写真初心者にとって、わが家から遠く離れた九州の地でナメクジに出会えるという僥倖に、これまた感激ひとしおでありました。 撮影地:肥薩線吉松駅 今日5月21日は、京都に日本初の小学校が開校した日(1869年)、リンドバーグがパリに到着し、大西洋無着陸横断飛行に成功した日(1927年)、探偵の日だそうです。 D51のドラフトはひびく/鉄道[CD]【返品種別A】
2021/05/21
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半世紀前は機関区の事務所で必要事項を記入し、安全に行動すること、という注意確認を受ければ中へは比較的簡単に入ることができました。吉松機関区でも同様で、心躍らせながら入場させてもらったと思います。 初めての九州撮影遠征では、それまでに見たことのない憧れの機関車が次々と目の前に現れ、興奮が止まりませんでした。前日はD60をはじめ、9600、門デフのC11、D50などに歓喜の雄たけびを上げ、一夜明けた翌朝はいきなりC60、門デフのC57、D51に出会い、そのあとは重装備D51に牽かれた列車で吉松までやってきたのでした。 ここでの初物はC56とC55でした。当時、吉松機関区では、C56が構内の車輌入換えや、今はなき山野線の貨物牽引を担当していたようです。特に、C56 91号機は形式入りのナンバープレートを装着しており、初めて撮影するC56が形式入りという二重の幸運に、若き日のわたくしは少なからず舞い上がったのだろうと思うのです。 この日から2年後の1972年10月、91号機は僚友の92号機とともに鹿児島本線でお召し列車を牽引して栄光の機関車となるのですが、この時点ではそんなことは想像もできず、普段着姿の91号機の動きに見とれていたのでありますよ。 撮影地:肥薩線吉松駅 今日5月19日は、横浜駅(現在の桜木町駅)が開業した日(1872年)、ボクシングの日、織田信長軍が桶狭間の戦で今川義元軍を破った日(1560年)だそうです。 【新品】【本】遥かなりC56 ポニーの詩情と宿命の行路 塚本和也/写真・文
2021/05/19
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人吉から吉松まで、どれくらいの時間がかかったのかは覚えていませんが、矢岳越えのあとには吉松駅構内で撮った、重装備D51がプッシュプルで牽く貨物列車のカットが並んでいます。 今まさに発車していこうとする貨物列車。改めて見てみると、貨車の輌数はそれほど多くありません。それなのに前後を重装備機関車でサンドイッチしていかなければならないところに矢岳越えの急峻さを感じることができるのですよ。 撮影地:肥薩線吉松駅 今日5月17日は、世界電気通信記念日(国際電気通信連合、1968年)、生命・きずなの日、パック旅行の日だそうです。 肥薩線の近代化遺産 [ 熊本産業遺産研究会 ]
2021/05/17
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人吉駅と吉松駅の間には日本三大車窓の一つである矢岳越えがあり、それを挟んで大畑駅と真幸駅にはスイッチバックがあります。 人吉駅から(おそらく客貨混合の)列車に乗って吉松駅まで行く途中、スイッチバックを入れたアングルで坂を上ってくる客車列車を撮ったカットが残っています。この写真を長らくわたくしは大畑駅で撮ったものと思っていましたが、今回ブログへアップするために少し調べた結果、線路の敷設状況や勾配などの様子から真幸駅で撮影したのだろうということが分かってきました。写真に写っているのは、吉松駅から人吉駅方向へ向かっていくD51牽引の客車列車なのです。 つまり、わたくしが乗ってきた吉松方向行きの列車は真幸駅に停まっており、この駅で交換するために運転停車している最中だと想像されます。そうした事情から、反対方向へ向かう列車を撮る時間があったのでしょう。半世紀前のことですから、実際の記憶は深い霧の彼方で霞んでしまっています。 それにしても、D51の次位についているのはダブルルーフの客車です。今、旧型客車と呼ばれている客車、当時は旧型でもなんでもなかったのですが、そうした中にあっても、さすがにダブルルーフの客車を記録したのはこの写真くらいしかないような気がします。シャッター速度の関係でD51がブレたりしていますが、その点を差し引いても、わたくし的には貴重なお宝カットなのでありますよ。 撮影地:肥薩線真幸駅 今日5月16日は、旅の日(日本旅のペンクラブ、1988年)、東京・京都・奈良に帝国博物館が設置された日(1889年)だそうです。 【新品】絶景路線スペシャル 肥薩線スイッチバック・ループ線空撮&日本三大車窓&前面展望映像〈八代〜隼人〉 みんなの鉄道DVD BOOKシリーズ
2021/05/16
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人吉駅では客車1輌を連結した重装備D51も撮っています。おそらく客車の後ろには貨車が連結され、混合列車になるのだと思いますが、この時点では客車の後ろに貨車は見えていません。半世紀前のことですから、このカットを撮影した前後のことは霧の彼方へ霞んでしまい、思い出せないのです。 いずれにせよ、このあと大畑のスイッチバックからループを通り、矢岳を越えて吉松へ向かっています。機関車の次位につながれた客車のデッキに立ち、重装備D51のドラフト音を間近に聞いたり、トンネルへ飛び込む直前に客車内へ急いで逃げ込んだりと、車内をウロウロしていたような記憶があります。吉松駅に着いた時には全身煤だらけになっていたに違いありません。人吉駅に停まっているD51の写真を見るにつけ、そうしたことも少しずつ思い出されてくるのでありますよ。 撮影地:肥薩線人吉駅 今日5月13日は、大阪・千日前デパート火災が発生し、死者118人が出た日(1972年)、メイストームデー(5月の嵐の日)、カクテルの日、愛犬の日だそうです。 肥薩線の近代化遺産 [ 熊本産業遺産研究会 ]
2021/05/13
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昨日ご覧いただいた人吉駅貨物用ホームのバックには機関庫が小さく写っています。かつてSL人吉号を追いかけて何度か人吉駅まで行っているのですが、そのときの印象では、レンガ造りの機関庫は1970(昭和45)年8月とあまり変化がないように見えました。肥薩線は、2020年7月の水害からまだ復旧しておらず、将来どのようになっていくのかは分かりませんが、1日も早い復旧をお祈りいたします。 さて、時計の針を半世紀前にもどすと、人吉機関区で重装備D51を撮ったあとは駅にもどり、構内でC57 9号機を撮影しています。ナンバープレートが少し上についているような印象があるのですが、門デフ仕様のC57は、やはり綺麗です。 撮影地:肥薩線人吉駅 今日5月12日は、看護の日[ナイチンゲールデー](国際看護婦協会、1965年)、海上保安の日、民生委員・児童委員の日(全国民生委員児童委員協議会、1977年)だそうです。 【新品】【本】肥薩線 九州のローカル線 宇都宮照信/著 栗原隆司/著
2021/05/12
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国鉄時代には、それほど大きくないローカル駅にも貨物用のプラットホームがありました。本駅舎から少し離れたところに設けられた貨物駅の片側には線路が敷設され、ホームへは荷物を積んだトラックなどが道路から進入できるようになっていたと思います。 人吉駅にも貨物用ホームがありました。そして、そこには荷車を牽く馬がいました。牛や馬が農耕や運搬などに使われており、そうした家畜をまだ目にすることはできた時代ではありましたが、わたくしが住んでいた阪神地区では、すでに日常の光景ではなくなっていました。ですから、人吉駅の貨物ホームに馬車が停まっていたのは新鮮な驚きだったのでしょう。レンズを向けた当時の気持ちは今でもよく理解できます。 後年、2000年代になってテツ友と一緒に中国へ足を運ぶようになった際、線路際に羊(こちら)やロバ(こちら)などがいると必ずと言ってよいほど気合いを入れてレンズを向けたのは、もしかすると人吉駅で見た馬車がテツ人生の初期に刷り込まれた記憶として残ったせいなのかもしれません。 撮影地:肥薩線人吉駅 今日5月11日は、大阪~神戸間鉄道開通(1874年)、宇高連絡船紫雲丸が沈没し、死者168人となる事故が起こった日(1955年)、来日中のロシア皇太子を巡査が切りつけた大津事件が起こった日(1891年)、御堂筋が完成した日(1937年)だそうです。 肥薩線+α【プレミアムボトル焼酎5本セット】全25度 箱入 芋焼酎 米焼酎
2021/05/11
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4月第1週の大分で撮影したカットを長らくご覧いただいてきましたが、今日から「わが青春の国鉄時代」を再開いたします。緊急事態宣言で気軽に出かけられないようになっているため、手元のストックが少なくなっているのも理由の1つですが、改めて大昔の記録を紐解くことができるのは、こういう巣籠りの時期だからこそ。良い機会だと考えるのでありますよ。今しばらくは飛行機や新幹線などを使った遠出は我慢し、撮り溜めた撮影データの整理や過去ネタなどに想いを馳せてみようと思います。 1970(昭和45)年8月2日に初めて九州の地を踏み、直方機関区で初見の九州機関車たち(こちら)に打ち震えたのち、筑豊本線を経て熊本へ至り、一夜明けた翌朝、熊本機関区で門デフのC57(こちら)やD51、さらには憧れのC60(こちら)などを撮影したというのがこれまでの経緯でした。 九州撮影行2日目は、熊本から鹿児島本線、肥薩線を使って人吉へ移動しています。物語はそこから再開させましょう。人吉を訪れたのは、やはり重装備のD51を見たかったからだと思います。 人吉機関区を訪れると、独特な形状の集煙装置を戴いた重装備D51が出区に備えてスタンバイしていました。昼下がりの機関区は蒸気機関車の煙に包まれ、少し霞んで見えるほどです。とりあえず留置されているD51たちを片端から撮影することにしました。 撮影地:肥薩線人吉機関区 今日5月8日は、世界赤十字デー(国際赤十字連盟、1948年)、松の日、ゴーヤーの日、米の日(毎月)、イギリスで初の国際ヨットレースが開催された日(1849年)だそうです。 KATO カトー 2018-1 D51 一次形(東北仕様)
2021/05/08
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当然のことながら、このときは蒸気機関車に目が向いているため、今から見れば蒸機以外にも貴重なお宝車輌がたくさんいたはずですが、ほとんど撮影していません。 そのような中で唯一、「あかつき」のヘッドマークをつけたDD51は記録しています。さすがにヘッドマーク付きのDD51は撮っとかなアカン、と思ったのでしょうね。しかし、車輪は切れているわ、画面からはみ出さんばかりだわ、とカメラを向ける熱意が蒸気機関車ほど高くなく、画面構成がおざなりなのは手に取るように分かります。 それにしても、このヘッドマーク、悲しいまでにボコボコで、何かあったのかしらん、と思える痛々しさです。でも逆に考えると、これもまた歴史の貴重な記録だと言えるでしょうね。 撮影地:熊本機関区 今日9月21日は、国際平和デー、世界アルツハイマーデー、室戸台風、関西に来襲。死者・行方不明者3036人(1934年)、プロ野球でフリーエージェント制導入だそうです。 [鉄道模型]カトー (Nゲージ) 7008-C DD51 1043 下関総合車両所
2020/09/21
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機関区の中にはキューロクも停まっていました。テンダーバックで走ってきた機関車とは違うナンバーです。腰高のボイラに化粧煙突、物々しいコンプレッサーにパイピング、5つ並んだ小さめの動輪など、無骨な大正蒸機のフォルムは今見ても魅力的です。ハチロクも良いけどキューロクもね、という感じです。 熊本機関区所属のキューロクは後年、豊肥本線の立野駅で撮影しています。駅から眺めただけですが、スイッチバックを行き来する古豪の姿は今も記憶に残っています。 撮影地:熊本機関区 今日9月19日は、苗字の日だそうです。 天賞堂 HOゲージ プラスティック 9600形 本州タイプ デフなし 凸型テンダー 51052 1/80・16.5mmゲージ 動力車
2020/09/19
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朝の機関区は本線での仕業に備えて準備作業があわただしく進められています。留置線に停まっていた門デフ装備のC57 151号機が動き出し、ターンテーブルに乗りました。すでに給炭も済ませているようですから、これから本線へ出ていくのかもしれません。 それにしても、C57の後ろにずらっと並んでいる機関車たちの豪華なこと。当時はこれが当たり前だったのですが、今では考えられないシーンを記録していたのだと幸せに思うのですよ。改めて半世紀という時の流れを感じます。 撮影地:熊本機関区 今日9月17日は、モノレール開業記念日(東京モノレール株式会社)、キュートな日だそうです。 [鉄道模型]カトー (Nゲージ) 2024-1 C57 1
2020/09/17
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熊本機関区の構内では、例によって停まっている機関車を順番に撮影しているのですが、先ほど踏切で撮ったD51 590号機とC60 17号機が並んで休憩していました。しばらくすると、真ん中の線に1台の機関車が入ってきました。 顔を出したのは門デフ仕様のD51 272号機。同じD51同士ですが、横に並ぶ590号機と見比べると随分印象が異なります。こうしたフォルムの違いを間近に観察できるのは九州の機関区ならではです。 撮影地:熊本機関区 今日9月15日は、新橋~横浜間で国内初の貨物列車運転(1873年)、老人の日、ひじきの日、大阪寿司の日、スカウトの日、シルバーシートの日だそうです。 [鉄道模型]ワールド工芸 (N) 国鉄C60形 蒸気機関車 東北型 川崎 Aタイプ 組立キット リニューアル品
2020/09/15
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重連単機回送を撮ったあと、熊本機関区に入れさせてもらったのですが、構内に停まっている機関車を撮る前に、偶然やってきたキューロクのテンダーファースト貨物列車を撮っています。 キューロクは九州へ来て初めて目にした機関車です。記録できることのうれしさが勝っていますので、テンダーファーストであっても当時のガキテツにとっては全く問題ありません。 半世紀経って、改めてこのカットを点検すると、このキューロク(79653号機)のナンバーは形式入りなのですね。さらに機関車の履歴を調べると、1970年8月時点では熊本機関区の所属ですが、1973(昭和48)年6月10日に北海道の岩見沢第一機関区へ転属していることが分かりました。ただし、翌1974(昭和49)年8月8日には廃車されています。SL末期には全国的な配置転換が行われたようですが、この79653号機もそうした機関車の一つだったのですね。 撮影地:鹿児島本線熊本駅周辺 今日9月13日は、世界の法の日(法務省)、司法保護記念日(司法保護事業団)だそうです。 天賞堂 HOゲージ プラスティック 9600形 本州タイプ デフなし 凸型テンダー 51052 1/80・16.5mmゲージ 動力車
2020/09/13
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外出自粛が緩和されたことから少しずつ撮影に出かけられるようになりましたが、それでも以前のようにはまいりません。今日から50年前(1970年8月)の九州撮影行の続きを再開したいと思います。 九州入りした初日は直方機関区で撮影したあと、筑豊本線から鹿児島本線へと乗り継いで熊本へ移動し、九州で初めての夜を過ごしました。今なら夜は近くの居酒屋で地元の料理に舌鼓を打つところですが、そこは未成年のこと、ユースホステルで健全な夜を過ごしたわけですよ。 翌朝、勇躍熊本機関区を訪ねたのですが、機関区へ入る直前、踏切で待っていると目の前をC60とD51の重連単機回送が通り過ぎていきました。D51はともかく、C60は初めて目にする機関車です。もうこれだけでテンションが上がってしまいます。 しばらくすると誘導員の旗にあわせて機関車がバックしてきました。憧れのハドソンC60を間近に見ることができ、ホント、九州までやってきてよかったなあ、とシミジミ思ったのでありました。 撮影地:鹿児島本線熊本駅周辺 今日9月12日は、水路記念日、宇宙の日、マラソンの日だそうです。 【エントリーでポイント10倍!(9月11日01:59まで!)】【中古】その他DVD 鉄道・蒸気機関車D51 (パイオニア)
2020/09/12
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この日の最後の撮影は鳥栖駅で行っています。機関区の中ではなく、おそらく駅のホームからカメラを向けたと思われます。 鳥栖駅は鹿児島本線と長崎本線の分岐駅ですので、機関車の配備数も多く、駅のホームから撮った写真を見ただけでもかなりの数が確認できます。手前はカマボコドームの戦時型のD51 1150号機で、その奥は門デフのD60です。画面には写っていませんが、ハチロクも構内でスタンバイしていました。 機関車から立ち上る煙で覆われた機関区は、蒸気機関車がまだまだ頑張っていた古き良き時代の九州の象徴です。1週間余りにわたって続けてきた九州撮影行初日のレポートは、とりあえず以上といたします。 撮影地:鹿児島本線鳥栖駅 今日7月25日は、英国でスティーブンソンが蒸気機関車の初試運転に成功(1814年)、かき氷の日、知覚過敏の日、日本住宅公団発足(1955年)だそうです。 [鉄道模型]カトー (Nゲージ) 2016-9 D51形蒸気機関車 標準形
2020/07/25
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D60 22号機牽引の客車列車が発車していくと、次の仕業に向けて整備と給水を行っているC55 53号機が姿を現しました。客車の影に隠れていたのですが、これで撮影しやすくなりました。 C55もこの日が初見です。C57との大きな違いはスポーク動輪であるというのはテツの基礎知識ですが、間近で見ることができ、フムフム、なるほど、実物はこんな感じなのか、と感心しました。準備作業が終わるとターンテーブルで向きを変え、次の業務まで一休みするのでしょうね。 撮影地:筑豊本線原田駅 今日7月24日は、劇画の日、芥川龍之介が睡眠薬自殺(河童忌)(36歳、1927年)だそうです。 [鉄道模型]ワールド工芸 (N) 国鉄 C55 3次形 蒸気機関車 北海道タイプ 密閉キャブ仕様 II 組立キット リニューアル品
2020/07/24
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ネガを振り返ってみると、九州入りした初日は、転々と移動して撮影しながら、最終的に熊本まで行って泊っています。筑豊本線を南下し、鹿児島本線との結節点である原田駅では、D60が先頭に立つ客車列車がホームに停まっているところに遭遇しました。 原田駅には、2002年の復テツ後も天拝山付近で鹿児島本線の列車を撮影するため、何度か訪れています。この写真にはD60の後方に転車台が写っていますが、現在このあたりには戸建ての住宅が並んでいます。原田駅付近は福岡市のベッドタウンとして開発が進んだのでしょう。給水装置や転車台といった蒸気機関車に欠かすことのできない施設も無煙化とともに取り払われ、住宅用地に姿を変えたに違いありません。 撮影地:筑豊本線原田駅 今日7月23日は、米騒動の日、文月ふみの日だそうです。 昭和30年代の鉄道風景【電子書籍】[ 小川峯生 ]
2020/07/23
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筑豊本線の移動中には、D50とも初めての対面を果たしています。しかも門デフ付きの90号機です。 今回のブログ掲載にあたり、少し調べてみると、この90号機は、わたくしがこの写真を撮影した1カ月後の1970(昭和45)年9月13日に第一種休車指定となり、翌1971(昭和46)年3月11日に廃車されたことが分かりました。90号機との初めての出会いは、最後の出会いでもあったのです。撮影した駅はどこか分かりませんが、今見直しても武骨なデザインに心惹かれます。 今日7月22日は、下駄の日(全国木製はきもの業組合連合会)、著作権制度の日、ナッツの日、円周率近似値の日だそうです。 Nゲージ マイクロエース ディーゼル機関車 A8909 DD50・2次型重連セット スノープロウなし
2020/07/22
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直方機関区でワクワクの時間を過ごしたあとは筑豊本線を南下したようです。どこか分からないのですが、途中の駅で、今度はデフなしのキューロクを撮影しています。 デフがないところに大正機らしい武骨さを感じながら、レンズを向けたに違いありません。九州では、あ~んな機関車や、こ~んな機関車を撮りたいとリストアップしていたターゲットを次々とゲットすることができ、依然として興奮状態は続きます。 今日7月21日は、シベリア横断鉄道が完成した日(1904年)、自然公園の日、神前結婚記念日、日本三景の日、南極ボストーク基地で世界最低気温-89.2℃を記録した日(1983年)だそうです。 ビコムベストセレクション::筑豊本線 レッドトレイン 若松〜飯塚 [ (鉄道) ]
2020/07/21
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ヤードの片隅を見るとD60の重連がスタンバイしています。機番は26号機と27号機の続き番号の編成です。 同じD60とはいえ、細かな点で仕様が異なっています。まずデフレクター。片や門デフ、片や普通のデフ。煙突の形状も異なります。ランボードは、26号機には白が入っていますが、後ろの27号機には入っていません。テンダーの形も大きく違っています。しかし、ゆっくりと眺める間もなく、汽笛を鳴らして動き始めました。 貨車や客車のついていない重連単機ですが、走っているD60を見るのは当然初めてです。これまた感激。うれしかったなあ。 撮影地:直方機関区 今日7月20日は、月面着陸の日、ビリヤードの日、ハンバーガーの日だそうです。 【送料無料】中村精密 D60 国鉄 Nゲージ 【中古】 鉄道模型【中古】
2020/07/20
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構内をウロウロして、次に出会ったのはキューロクです。これも初めて目にした機種です。しかもデフ付き。キューロクにデフあり、デフなしの2種類があることは当然、認識しており、どちらも撮影できたらうれしいな、と思っていたのですが、とりあえずデフ付きゲットの瞬間でした。 50年前の関西にまだキューロクはいたのかな。いたとしても、少なくとも京阪神の近くでわたくしは目にすることはできませんでした。今と違って、車で遠征をすることの叶わない若輩者ですから、たとえ関西圏に配備されていたとしても、キューロクだけを目当てに出かけることはできませんでした。 とにかく、次から次へと憧れの機関車たちが目の前に現れ、リストアップしていた撮影候補を次々とゲットできるわけですから、やっぱり九州はちゃうわ、遠くまで来た甲斐があったなあと、しみじみ思ったものですよ。 撮影地:直方機関区 今日7月19日は、女性大臣の日(池田内閣の発足で日本初の女性大臣(厚相・中山マサ)誕生、1960年)、戦後民主主義到来の日、北壁の日、サイボーグ009の日、第1回ツール・ド・フランス(1903年)、沖縄国際海洋博覧会開幕(1975年)だそうです。 【中古】HOゲージ/天賞堂 51018 9600形蒸気機関車 本州タイプ 標準デフ【A’】※外箱傷み
2020/07/19
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扇形庫の隣ではC11 349号機が出区前の補給、ならびに清掃作業の真っ最中でした。 残っているネガを見ると、後ろの方から近づいていったようですが、機関車の姿がはっきり見えてくるにつれ、門デフや~、とテンションが上がりました。それまでに奈良機関区や広島機関区、吹田機関区などでC11の姿は撮影しているのですが、門デフの実物を見るのは初めてです。初日の朝早々から門デフに出会えるなんて、やっぱり九州やね。夜汽車の睡眠不足も一気に吹っ飛びました。 撮影地:直方機関区 今日7月18日は、光化学スモッグの日、ロサンゼルス郊外にディズニーランド開園(1955年)、チャップリン来日(1961年)だそうです。 天賞堂 51043 HO(16.5mm) プラスチック製 C11形171号機JR北海道タイプ 蒸気機関車
2020/07/18
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今日からしばらく50年前の国鉄時代へタイムスリップします。 1970(昭和45)年の春休みに初めて広島を訪れ、巨人機C62の洗礼を受けた4か月半後の同年夏休みには、念願であった九州に初上陸しています。夜行列車で九州入りし、向かった先は直方機関区でした。 扇形庫には数輌の蒸気機関車が休息のひとときを送っていました。C11、D51、機番からすると、おっ、ナメクジや、D60、きゃーっ、と初めて目にする機関車を含め、ワクワクしながら扇形庫の前を行ったり来たりしたものです。庫から顔を出しているのはC11 258号機だけで、残りはテンダーばかりなのは残念ですが、それまで本でしか見たことのない機関車を現実世界のものとして見ることができる幸せに、気分はいきなりハイトップになったのでございますよ。 撮影地:直方機関区 今日7月17日は、国際司法の日、漫画の日、理学療法の日、東京の日、アメリカの宇宙船アポロとソ連のソユーズのドッキングが成功した日(1975年)だそうです。 【KATO/カトー/関水金属】C11 鉄道模型 Nゲージ 蒸気機関車[▲][ホ][F]
2020/07/17
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蒸気機関車から当時最新のディーゼル機関車や電気機関車まで、てんこ盛りのごちそうを堪能して駅へもどる途中、偶然通りがかった80系の臨時電車「おかやま万博号」を撮影しています。 日本万国博覧会の会場へ行くルートにはいくつかありますが、国鉄を利用する場合は茨木駅が最寄り駅だったようで、万博期間中に定期運行されていた「万博号」(新大阪駅で撮影したカットはこちら)は茨木駅が始発・終着駅となっていました。 ローアングルであることから、道路と線路の間にあるフェンスの隙間から撮影したのだろうと思います。とっさのことなのと、レンジファインダーカメラによる撮影ということから、編成が途中で切れていますが、記録しただけでもよく頑張ったね、と半世紀前の自分を褒めてやりたい気分です。 撮影地:東海道本線吹田~岸部 今日6月22日は、らい予防法による被害者の名誉回復及び追悼の日、ボウリングの日、日韓条約調印記念日だそうです。 国鉄急行電車物語 80系湘南形から457系まで国鉄急行形電車の足跡 (JTBキャンブックス) [ 福原俊一 ]
2020/06/22
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吹田機関区の電気機関車第2弾はEF14です。 EF14は、もとEF52ですが、9両製造されたうちの最後の2輌(8号機、9号機)は、高速運転を行うために歯車比を小さくして製造されたため、他のEF52とは性能が異なることから、1932(昭和7)年に形式番号をEF54(1号機、2号機)と改められました。 当初は東海道本線の旅客列車牽引を担っていましたが、太平洋戦争に突入すると少数機であるため貨物輸送需要増大に応じた貨物用機関車への改造対象となりました。1944(昭和19)年に1号機が、1945(昭和20)年に2号機が歯車比を低速向けに変更する改造を行い、形式番号もEF14と改められました。 つまり、EF52→EF54→EF14となったわけです。 その後は甲府機関区に配属され、主として中央東線の貨物列車牽引を行っていましたが、EF13の転入によって予備機的存在となったため、1960(昭和35)年に吹田第二機関区へ転じ、大阪駅構内の入換機となりました。 以後は大阪駅構内の入換用として終始運用され、1974(昭和49)年に廃車されるという歴史をたどっています。わたくしも大阪駅の端の方に留置されていたEF14を目撃、撮影しています。 1970年代は、関西でもEF14やEF15といったデッキ付きの無骨なオールドタイマーをごく普通に目にすることができた古き良き時代だったのです。 撮影地:吹田機関区 今日6月21日は、近畿日本鉄道で冷房特急の運転を開始(1957年)、がん支え合いの日、冷蔵庫の日、交番の日、スナックの日(全日本菓子協会)だそうです。 KATO カトー 3072 EF 13
2020/06/21
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ディーゼル機関車の次は電気機関車を撮影しています。最初にレンズを向けたのはEF66 19号機です。 EF66は、国鉄が1968(昭和43)年から1974(昭和49)年まで製造した電気機関車で、写真の19号機は、1968年から翌1969年(昭和44年)にかけて製造された1次車20輌の中の1輌です。1973(昭和48)年から1974年にかけて製造された35輌の2次車と比べて、外観上で最も大きな相違点は、前面窓直上に庇がないことです。そう思ってみると、2次車がホリの深いシュッとした顔立ちなのに、1次車の19号機は少しノッペリした顔つきに見えます。 19号機の後ろにはEF66がもう1輌つながっていますが、何号機であるのかは分かりません。いずれにせよ、製造開始から2年後の1970(昭和45)年に撮影したものですので、当時はまだバリバリの新鋭機だったのです。それが半世紀経つうちに基本番台はニーナを残すのみとなりました。時の流れを感じます。 撮影地:吹田機関区 今日6月20日は、世界難民の日、健康住宅の日、ペパーミントデーだそうです。 【新品】【O倉庫】[RWM](再販)3047-3 EF66 前期形 Nゲージ 鉄道模型 KATO(カトー)(20190418)
2020/06/20
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D51が健在な中で、片やDD51、それも11号機という初期型が同居するあたりが、日本でも屈指の貨物ヤードとともにあった吹田機関区の面目躍如というところでしょう。 一見して正面の塗りわけが異なっているのに気づきます。白帯がサイドと同じ高さでナンバープレートの下を通っているのが1 から 19号機までの特徴だそうです。写真が白黒なので分かりにくいところがありますが、何となくピカピカ感が漂っています。配属されてそれほど時間が経っていないのかもしれません。 11号機の後ろに写っているオート三輪が懐かしい。独特のエンジン音を響かせながら街なかを走っていた記憶がよみがえってきます。 撮影地:吹田機関区 今日6月19日は、理化学研究所創設の日、京都府開庁記念日、ベースボール記念日、朗読の日、桜桃(太宰治)忌、トークの日(毎月)だそうです。 たちあがろう東北 DD51重連牽引燃料輸送列車 [ (鉄道) ]
2020/06/19
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もう一度50年前、1970(昭和45)年の吹田機関区へタイムスリップします。今度はDL、EL編です。 扇形庫とその周辺でD51やC11などを撮影したあと、構内を移動してディーゼル機関車や電気機関車が留置されているあたりへ行き、DE11が停まっているのに出会いました。その後のテツ人生でDE10には何度も出会っていますし、昨年はハンドル訓練で走るDE10とキハ185系のチンドコ編成を追いかけて四国へも行っていますが(こちら)、DE11を撮影した記憶は、半世紀前の吹田機関区だけしか残っていません。それだけに今回、デジタイズを行っている際、お宝を発見したような気になりました。 DE11について調べてみると、1967(昭和42)年に貨物ヤードの貨車入換え、特にハンプ押し上げ作業などのために登場した機関車だそうです。基本的にはDE10と同じ形体ですが、本線上での客車牽引を考慮していないので蒸気発生装置 (SG) は搭載されておらず、車輪の空転による牽引力の損失を防ぐため、2エンド側にはコンクリートブロックによる死重が搭載されたそうです。1987年3月までにほとんどの車輌は廃車され、この30号機もすでに過去帳入りしています。 撮影地:吹田機関区 今日6月18日は、海外移住の日、考古学出発の日(大森貝塚を発見・発掘したアメリカの動物学者モースが来日、1877年)、おにぎりの日、頭髪の日だそうです。 ビコムベストセレクション さようなら久大本線の客車列車1 DE10運転展望編 鳥栖〜久留米〜日田/鉄道[DVD]【返品種別A】
2020/06/18
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D51 51号機がいたあたりには、どうやら灰落としを行うためのアッシュピットがあったようで、その付近に数輌のD51が集まっていました。 蒸気機関車のキャブ付近を撮影するのは、わたくしにとってお約束のことだったようで、角度は異なりますが、鉄道写真を始めたころからキャブ付近にカメラを向けています。吹田機関区でも同様で、手前にD51のテンダーを配し、後方にいたD51 840号機のキャブを撮っています。付近には灰落としのために使ったであろう道具も置かれていて、こうした小物類も、現役時代を表わす重要なアイテムであったことに改めて気づかされます。 撮影地:吹田機関区 今日6月8日は、世界海洋デー、大鳴門橋開通記念日だそうです。 [鉄道模型]カトー (Nゲージ) 2016-9 D51形蒸気機関車 標準形
2020/06/08
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