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あべよしひろ氏率いる反ロスチャ同盟が面白いキャンペーンを張っている。貨幣改革への第一歩 歴史的実験へというのがそれで、自治体に対して、いま話題の「定額給付金」を担保にして、マイナス利子付の地域通貨を発行するのを提唱している。1929年の大恐慌のとき、オーストリアのヴェルクルで観測したところによれば、通常の通貨の14倍の速度(回転率)で流通したという。経済活動が活発になって、雇用は安定し、地域は潤ったというからやってみない手はない。もちろん、円の担保はあるので、円転することは可能だし、14倍の流通速度だから、逆にいえば、担保価値の何分の1かの発行高で十分にいきわたる。まずは公務員の給料からはじめれば財政赤字にも役立つし、いいことづくめである。さて、きょうは、ベストセラーとなっている、安部芳裕(あべよしひろ)「金融のしくみは全部ロスチャイルドが作った」(5次元文庫)から名門ジョージタウン大学のマイケル・ハドソンの論文「今日の世界経済を理解するために」を孫引きしておく。これは非常に重要な論文だと安部氏はいうが、まったく同感である。われわれは眼を覚まさなければならない。しかし、マイケル・ハドソンは米国の大学の先生だから、米国の懐の深さに驚くばかりである。(引用開始)…世界経済は純粋に経済上のものなのだろうか?(略)経済上の現象には暗部があり、その一連の邪悪な動機は、経済に重大な影響力を持つにもかかわらず、権力と支配を求める不合理な目的から生じ、経済に逆効果をもたらすものなのである(略)何世紀にもわたり世界は戦争によって形成されてきた。それにもかかわらず、戦争や暴力がいかに歴史を作り、世界の国境を書き換えてきたかという現実を子供たちに見せないように書くことは賢明な方法ではない。成功するためには道理をわきまえた行動をとることだと教えるならば、いつか屈辱されて深く傷ついたとき、子供たちを経済的な殺戮に対しても、平和裏にそして愚直に立ち向かわせることにはなるまいか(略)ヨーロッパの国境を定め、その政治・金融制度を確立し、さらに宗教上の忠誠心を形成したのはすべて戦争であり、若い国家にイギリスからの政治的、経済的独立を獲得させたのは、米国の独立戦争であった。日本に200年以上の鎖国を終わらせ、開国させたのはペリー提督率いる黒船であり、ナチ率いるドイツの反ユダヤ主義を解決したのは第二次世界大戦であった。また西側の金融資本主義に対抗するロシアの共産主義を崩壊させるには冷戦が必要であった。このことからわかるように、歴史の流れを決めてきたのは公正な取引における合理的な計算などではない。経済的な権力は、武力や威嚇、詐欺、公然と行われた窃盗によって手中に収められてきたのである。しかし、経済学者は、正当な価格は公正な市場均衡点で落ち着くと説明し、世界が公正であったことなどなかったにもかかわらず、世界が架空のしかも「おとぎ話」のようなすばらしい世界であるかのように、公正な市場がいかに機能するかという研究を続けている。一方、世界が実際にどう機能しているかの研究はなされていない。世界がどう機能しているかを知らずして、日本を含む正直な国家が、自分達の国を操作し、威嚇し、騙そうとする世界規模の略奪者から自国を守ることはできないだろう。したがって、軍事的征服者や弁護士、煽動政治家、腐敗した政治家や官僚、財界の詐欺師が、いかに歴史を作り上げてきたかを学ぶことから始める方が得策である。彼らが有利な立場を築くことができたのは、社会から土地や他の生産手段を不当な方法で奪取する一方で、司法制度や裁判長の立場を支配してきたからに他ならない。内部事情に詳しい人間や投機家あるいは小搾取者が、土地を独占したり、顧客を経済的困難に追い込んで借金をさせたり、さらには相続税なしで子孫に遺産を譲渡したりすることでいかに優位な立場を築いてきたかという点にこそ、経済の研究の主眼を置くべきだと思う。社会制度とは、始めに既得権益を手にした者たちがその権力を利用し、維持するために、警察、教育制度、宗教団体などを支配することに由来するものであり、それが社会を構成する人々の間の応分の取り決めだと考えるべきではないのである。このような研究をしていけば、勝者が戦利品を維持し、さらにそれを肯定、正当化するために、武力による威嚇とイデオロギーを諸刃の剣として利用してきたことが浮き彫りになるであろう(略)現実を形成しているのは、武力や他の圧力、または窃盗や詐欺行為なのである。さらに重要なことは、国家の支配によって権力が確立されるということである。国家支配のためには、不都合な政治ライバルが暗殺されたり、誘拐されたりすることもあり、それに協力した仲間には報酬が支払われる。しかし、こうした国家支配のための秘密工作の手口も、合理的なユートピアで生活していればどんなにすばらしい生活が送れるかということを示す経済モデルにはほとんど反映されることはない(略)実世界で行われているのは、「いかに無償で利益を得るか」ということに集約される。政治内部に入り込むということは結局、何かを無償で獲得するための政治プロセスに加わることによって、社会からただで恩恵を受ける仕組みを作る立場に立つことなのだ。無償の恩恵は、市場が耐えうる価格を設定することが可能になる「独占権」という形で与えられることもある。これこそ、イギリスの内部事情に詳しい者たちが17世紀から19世紀にかけて裕福になった理由であり、第三世界のエリートたちが20世紀に自らを富ませるために使った手法である。公費を使い労せずして利益を得ることこそ、最も熟練した経済の勝者が行っていることの本質である。土地や独占権、その他の資産を実際の価値よりも安い価格で購入すること、しかも自分の存在を可能な限り隠してそれを行うことは、裕福になるための最も確実な方法である。その目的は自分自身でリスクを負わず、社会や政府、あるいは国税当局やビジネス・パートナーにそのリスクを押し付けることにある。歴史を一瞥すれば、経済のゲームは決まって何かを無償で勝ち取るためであったことがすぐに理解できるだろう。米国で最古の富豪の財産が築かれたのは、独立戦争勃発の1775年から1789年に憲法が発布されるまでの十数年間、共和国誕生のどさくさに紛れて行われた土地の横領に端を発している。無節操な土地の横領、およびマンハッタンの南端部にあるトリニティ教会の不動産にまつわるニューヨーク市の腐敗によって、その後2世紀を左右する権力基盤が築かれたのである。征服王と呼ばれたウィリアム1世が1066年に英軍を破り、ノルマン人の仲間たちと土地を分割した。それがその後のイギリスの歴史を形成し、また英国書議会上院の有権者を決定することになった。軍事力を背景にした土地の強奪は、いわゆる「原始的蓄積」であり、それは常に貰い得であった。無償で何かを得るということは、無料で富を手にすることである。時にそれは、実際には発生しないリスクに対する代償という形をとる場合もある。リスクがあるように見えるが、実際には存在しないリスクを冒すことに対して高収益が与えられる(略)ニクソンは大統領時代、キッシンジャーや外交ゲームの理論家たちに、世界を舞台に自分の要求を押し通すには、他の国の指導者たちに、彼が狂っているのではないかと思わせることだと助言された。これでニクソンは有利な立場に立った。というのも他の指導者達は、米国の要求に屈した方が、ニクソンが癇癪を起こして世界の大部分を武力で破壊したり、秘密工作につながるような危険を冒すよりはましだと考えたからである。社会生活は、経済的責任や市場の妥協とは性質が異なり、むしろチェス・ゲームに似ている。しかしそのゲームには変動要因が無数にあるため、必要な戦略をマスターするには一生かかる。いや、一生かかってもすべてを学ぶことは無理かもしれない。チェスとは違い、初心者が秘密工作や汚職、契約不履行といった戦略を学べる教科書はほとんどない。この契約不履行が、富を蓄積するための最も確実で費用が一切かからない方法の一つだということはあまり知られていない。今日では、不正を働いて不運な取引相手を裁判に巻き込んだ方が得策だというのが一般的な考え方である。告訴者が損害賠償を勝ち得るまでには裁判に長い時間を要するばかりか、高い弁護料を払った方が裁判の勝者になると決まっているからである。窃盗が権力を得る最も簡単な方法の一つだとすれば、1989年以降(実際にはピノチェト将軍による1973年のチリのクーデター以降)行われている民営化は、歴史的に見ても最も重大な窃盗である。民営化については権威ある学術書が何百冊も書かれているが、それらはすべて民営化政策が社会にとっていかに生産的で良いものかという趣旨のものばかりである。そこには、チリの将軍、イギリスの投資銀行家、ロシアの元官僚といったエリートたちが、民営化によっていかに多くの略奪品を手にしたかについてはほとんど記されていない。経済学の裏には権力が存在する。権力とは、権力中の、あるいは権力そのものの否応なしの拡大に対していかなる抵抗も認めないことである。古来、富の蓄積を駆り立ててきた動機とは、それを生産的な投資に向けるためではなく、権力強化のために使うことだった。権力強化のため、ローマの役人に賄賂を与えたり、略奪的な指導者である主人が私設軍のために隷属平民を雇ったり、有利子の融資を行った後抵当権を没収したり、土地を獲得するといった手段がとられてきた。富や権力の追求は、とりつかれた霊魂の具現となる傾向がある。経済的利益は究極の目標ではなく、近代の産業経済および金融組織経済における力の指標にすぎないのである。多くの人々にとってさらに理解しにくいのは、国家および公的所有を形成することは、これらの資産を民営化するのと同じように権力を獲得し得るということである。心臓が収縮と弛緩を繰り返すように、民営と公営の両面で力が蓄積されるのである。社会そのものを道理にかなったものにするには、抑制と均衡の仕組みを作ることでそうした行動を食い止める必要がある。しかし、権力を持ったエリートはすばらしく大袈裟な目的の虚飾に満ちた声明を用意したり、近代の操作的市場の持つ利己主義的性質を隠した結果を約束したりすることで、そうした社会の努力を阻害しようとするであろう。この種の詐欺が、現在世界的に繰り広げられている社会および経済のゲームの一部をなしているのである。経済理論そのものが磨耗しており、今日、学生たちが受ける経済教育は、世界が実際にどのように機能しているかを示す学術的な描写ではなく、特別利益団体を擁護するための粉飾的理論にすぎない。したがって日本が行うべきことは、米国の大学に送る学生の数を減らし、将来の日本の政治家や官僚に、世界的ゲームという認識への妨げとなる「おとぎ話」を学ばせないことである。経済モデルの構築より、世界に対する穿った見方を含み史実を理解することが必要なのである(略)(引用終わり)なお、あべよしひろ氏のインタビューが面白い。参考までにリンクしておく。「お金とは何か?」あべよしひろさんインタビュー(全50分)。
January 31, 2009
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池田信夫のブログに気になるタイトルがあった(正社員の既得権にメスを)ので、書く気になった。池田信夫の時代は終わったことをおさらいするために本山美彦のブログ「消された伝統の復権」より、まず全体感をつかんでほしい。時代はいま、こういう時代なのだ。…レーガン(Reagan)政権以降、GOP(Grand Old Party、共和党の愛称)は、規制のない自由な市場というイデオロギーを米国政治の基本に置いてきた。しかし、このことが、米国を金融危機に追いやったのである。 米国は、「金持ちには社会主義、そうでない人々に資本主義、というのが経済的真実である。富者には『心優しい保守主義』、貧者には『市場の規律』が適用されているのである」(Gonsalves, Sean,"Financial Weapons of Mass Destruction, September 22, 2008, http://www.alternet.org/story/99812/)。 デリバティブが猛威をふるった〇八年の金融恐慌は、それがなかった一九二九年の大恐慌よりも深刻さの度合いが大きい。〇八年のデリバティブは全世界で五〇〇兆ドルを超えていたとされている。米国のGDPが一五兆ドル、全世界のGDPが五〇兆ドルであるのだから、デリバティブ契約は全世界のGDPの一〇倍もある。全世界の有価証券保有高が一〇〇兆ドルであったので、デリバティブはその五倍あったのである(Stock Marketwatch, Monday October 6, 2008)。 ジョセフ・スティグリッツ(Joseph Stiglitz)は、ベルリンの壁崩壊が共産主義を終わらせたように、〇八年九~一〇月に生じた金融の動乱は、市場原理主義(market fundamentalism)の終わりを意味すると断定した(Stiglitz[20081016])。 〇八年九月の金融動乱で米国では失業者が一六万人増加した。〇八年中には七五万人の失業増になるだろうとされている。 米国経済は、貯蓄がゼロなのに、旺盛な消費によって支えられてきた。消費を支えるために、米国人は借金を増加させてきた。資本不足に陥った米国の銀行は、国民にカネを貸さなくなった。借金ができなくなるとき、国民の消費は当然抑制される。米国経済の需要は減少し、それは世界の経済を停滞させる。 輸出に経済停滞からの脱出口を求めようにも、米国はドル高に見舞われている。このドル高は米国への信頼が高いからではなく、ヨーロッパの方が米国よりも経済状況が悪いからである。 銀行救済には、二つの方法が議論されている。 一つは、ポールソン(Hank Paulson)財務長官が初期に採用しようとしたもので、政府が不良債権を銀行から買い取るというものである。しかし、買い取る債権の価格を決めることは困難である。そもそも、銀行がつけた証券の価格の妥当性に対しての不信感が蔓延している状況で、政府が価格を設定してしまうことは、政府と銀行との駆け引きになってします。銀行は政府になるべく高く不良債権を売りつけようとするであろう。しかし、証券がその後値下がりしてしまえば、政府は大損してしまう。つまり、国民の税金が無駄に使われてしまう。国民は貧乏籤を引いてしまう。 こうした事態をスティグリッツは、「表が出たら私の勝ち、裏が出たら君の勝ち」(It is a heads I win, tailes you lose situation)、「籤で外れの短い棒を引く」(holding the short of the stick)という諺で表現した(ibid.)。 もう一つは、英国首相、ブラウン(James Gordon Brown)の案で、政府が問題の銀行に資本を注入することである。資本注入とは政府が銀行の優先株(10)を取得することである。スティグリッツはこの優先株取得を推奨する。 そもそも、米国の金融界を主導してきた経済学が間違っていた。情報の完全性を前提し、インフレ・ターゲット論(11)を主張してきたのが、これまでの誤った経済学である。中央銀行の責務は、金利を動かすだけでなく、もっと広く経済全体の安定化を図ることにあるはずである。価格の安定化だけに中央銀行の機能を限定してしまえば、金融機関に投機的なリスクをとることを許してしまう。こうして、経済全体を損なう危険性を大きくしてしまうのである。 つまり、インフレ・ターゲット論とは中央銀行と金融組織との対話を促進するというが、実際には、投機に関しては規制などの行動をと一切とらないということを意味する。スティグリッツは、そういた苦言を呈したうえで、以下のように経済危機の歴史的意味を理解する。 今回の金融危機は、経済関する転換点であることはもちろんであるが、経済学の考え方そのもについて当てはまる。私欲(self-interest)が競争を通じて社会全体の幸福(well-being)を増大させるというのが、アダム・スミスを始祖と仰ぐ経済学の基本的視点であったが、この二五年間で生じたことは、情報の不完全性からスミス的世界は妥当しないということである。それは市場全体にいえる。とくに、金融市場は不完全情報の典型である。エンロン(Enron)やワールドコム(WorldCom)は確かに私欲を追求した。しかし、その私欲は社会全体の幸福を増大させなかった。金融という産業が私欲を追求した結果、経済は底なし沼に沈みつつある。現代経済には政府が重要な役割を演じている。重要なことは根っからの市場主義者がいまや政府に頼っていることである。しかし、その前に、金融崩壊を未然に阻止することが政府の役割であったはずである。現在、金融における公私の間には奇妙な対照性が見られる。私である、金融組織は、利益を確保したまま金融混乱の出口からでていくのに、公の政府は損失を引き受けて金融混乱のだ只中に残されてしまう。こうしたことを避ける均整のとれた制度設計がこれからは必要となる(Stiglitz[20081016])…以上の文脈で言うと池田信夫なんて、トンデモ学者だし、そんなトンデモ学者に寄りかかられる大竹先輩は、これまたトンデモなのかも知れない。ということで、ちょっとコメント。正社員の既得権にメスを大竹文雄氏が、WEDGEで解雇規制について書いている:整理解雇の4要件のうち、「解雇回避努力」の中には、非正規雇用の削減や新卒採用の停止が含まれており、今回のような不況期には雇い止めという形で、まず「非正規切り」を実施することが司法サイドからも要請されているわけである。[・・・]つまり、非正規社員を雇用の調整弁と位置づけ、正社員の解雇規制と賃金を守っていくという戦略に、経団連と連合の利害が一致したのだ。大竹さんがなんのために整理解雇の4要件を重視するのかわからないが、司法サイドから言うと契約自由の原則は、労働法に認められないっていうのはわかるだろうか。なぜ一般法である民法の契約自由原則が労働法で認められないのかが、法律音痴の池田信夫にはわかってない。だからこんな整理解雇の4要件みたいなミクロの問題を取り上げて鬼の首を取ったかのように騒ぐ。原則と例外を入れ替えて騒いでるのが池田=大竹ラインだ。労働法の世界では契約自由の原則は認められていない。この厳然たる現実からスタートすれば非正規雇用なんてありえない、例外中の例外の話だということを前提にして話をすべきことに気づいていいのにね。まずはなにが原則でなにが例外か、法学の基本中の基本を押さえないと、単なる馬鹿か、扇動家にすぎないとレッテルを貼られることになる。すなわち、御説が宙を浮く。ところで、非正規切りを司法サイドが要請しているというが、要件というのは、事実を評価する際のメルクマールであって、評価すべき事実があってはじめて役に立つツールなんだが、それを非正規切りの要請だと解する経済学者の実質論には歯止めがいるだろう。要件を解釈するのはいいが、それは実質論であって、つまりは実質的にはそういうことなんだろうという曲解も自由ではあるが、万人がそのような曲解に肯首するとは思えない。まあいってみれば、陰謀論みたいな少数説だ。法には趣旨というのがあって、要件も規範であるからには、趣旨を考えなければならない。これが法的に正しいアプローチ。あやしい経済学者の少数説的曲解など、趣旨から考えればありえない。ここでは、この要件の趣旨は、いかに労働者を守るかというところにあるのであって、この趣旨からはずれた解釈は、トンデモ解釈である。断じて言う。トンデモ解釈を堂々と胸をはって主張するな!!要件という規範は運用するためにあるのであって、つまり、規範を立て、事実をあてはめるのだが、法律の運用には正義の観点が必ず顔を出す。この点経済学が功利(赤黒)の観点でものを見るのとは違う。派遣切りに対してお墨付きを司法が与えたという勘違いをしていいわけがない。やはりそこは正義の観点で問題を整理すべきなのだ。そもそも意識すべきは、派遣vs経営者の図式である。派遣vs正社員という図式は空想的な「ためにする議論」だ。派遣を切るのは、正社員ではなく、あくまで経営者の責任。ましてや経団連と連合の利害の一致だなんて、これまた赤黒ではぐらかし、意図的に問題の在り処をわからなくさせているとしかいいようがない。ましてや司法がお墨付きを与えただなんて、司法に派遣切りの責任をおしつけるようなものだ。したがって、労働市場の二極化に歯止めをかけるためには、非正規社員と正社員の雇用保障の差を小さくする必要がある。たとえば「正社員の労務費削減を非正規社員削減の必要条件とする」あるいは、「非正規社員を削減するのであれば、正社員も一定程度削減しなければならない」というルールを、立法措置によって導入することは直接的な手法となる。大竹氏は、定期借地権をヒントにした10年程度の「任期つき雇用制度」などによって、雇用形態を多様化することを提案している。景気変動のショックを非正規労働者にしわ寄せする現在の雇用制度は、中高年の余剰人員を残す一方で、若年労働者の技能蓄積をはばみ、日本経済の潜在成長率を低下させるおそれが強い。このような身分差別を撤廃し、正社員の雇用保障を非正規社員に近づけることが合理的である。さて、ここからは法律を離れて、フツウの常識で考えるが、池田信夫の労務費削減を非常勤講師削減の必要条件とする、あるいは、非常勤講師を削減するのであれば、池田信夫のようなセンセの数を一定限度削減しなければならない、というルールを立法措置によって導入することは、労働市場の二極化の歯止めになる。こんなことを議論してなんのためになるのかね。大竹さんも中高年が家族を抱えていて、給料というのが生活給である現実を知っていて、角をためて牛を殺すようなことを言っていたらあかんわ。池田信夫がちゃんとガッツを押さえた議論してると仮定しての話やけど。あくまで、雇用を守るのは大切だというのはわかるけど、300万人しかいない、派遣労働者(登録型)の問題を騒ぎすぎるのは、セーフティーネットの不備をつくべきところ、論点のすりかえに聞こえたりもする。湯浅誠の見識と現場力にとうてい及ばない不見識のそしりをまぬかれない。繰り返す。論点のすりかえはやめるべきだ。参考EU労働法政策雑記帳より「WEDGE大竹論文の問題点」
January 23, 2009
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安部芳裕「日本人が知らない恐るべき真実」(晋遊舎)より、地域通貨の成功事例を引用。安部氏は地域通貨を中央通貨を補完する存在だと位置づけている。ロシアではパンとウォッカと電気・ガス・水道がタダだと確か佐藤優氏が言っているのを読んだ記憶がある。最低限の生活を保障するセーフティーネットを用意するロシア的なやり方も確かに「アリ」であろう。なにしろ、セーフティーネットがなければすぐに国民は寒さと飢えで死んでしまう。それがロシアに備わっている与件だ。それを考えるとロシア的な解決法は、荒削りだが、それはそれで妥当なラインだと思う。翻って、この国はどうだろう。この国は、もともと分権的な国家で、というのも地域によって、気候や風土がまちまちで、全国一律の制度や仕組みはどこかで齟齬をきたす。北海道では桜は5月に開花するのに、入学式=サクラの中央集権的な教科書はいかにもまずい。江戸時代、各藩が藩札を発行していた歴史もあるので、各地方の研究家が掘り起こせば、いろんな地域通貨の事例が出てくるんではないだろうか。話は変わるが、自民党を離党した渡辺氏が政府紙幣の発行を提言していた。国債を発行して財政赤字を積み上げるくらいなら政府紙幣を発行すべきだと思う。国債を発行したら国債=債権だからいつかカネを借りて償還せなアカン。けど、政府紙幣なら返す必要はまったくない。もしかして、中央銀行って、信用創造で国民を奴隷化してるだけなのかもしれない。中央銀行に俄然興味がわいてきた。まあ、それは置いておくとしても、分権化と地域通貨はワンセットで考えるべきだろう。東京だけが、繁栄しているのはおかしい。一極集中というのはその一極がボトルネックになったとき、変化に柔軟に対応できないシステムだ。効率はいいけどね。けだし、腐敗や誘惑に弱い。(引用開始)…ゲゼルの自由貨幣理論を実践し、大成功をおさめたのが、オーストリア・チロル地方のヴェルクルです。世界大恐慌の影響は、このヨーロッパの小さな田舎町にも波及していました。当時、人口わずか4300人のこの街には500人の失業者と1000人の失業予備軍がいました。通貨が貯め込まれ、循環が滞っていることが不景気の最大の問題だと考えた当時の町長ミヒャエル・ウンターグッゲンベルガーは、自由貨幣の発行を実践してみることを決意し、1932年7月の町議会でスタンプ通貨の発行を決議しました。ウンターグッゲンベルガー自身が地域の貯蓄銀行から32000オーストリア・シリングを借り入れ、それをそのまま預金として預け、それを担保として32000オーストリア・シリングに相当する「労働証明書」という地域通貨を発行しました。この労働証明書は、1シリング、5シリング、10シリングの三種類からなり、裏面には「諸君、貯め込まれて循環しない貨幣は、世界を大きな危機、そして人類を貧困に陥れた。経済において恐ろしい世界の没落が始まっている。今こそはっきりとした認識と敢然とした行動で経済機構の凋落を避けなければならない。そうすれば戦争や経済の荒廃を免れ、人類は救済されるだろう。人間は自分がつくりだした労働を交換することで生活している。緩慢にしか循環しないお金が、その労働の交換の大部分を妨げ、何万という労働しようとしている人々の経済生活の空間を失わせているのだ。労働の交換を高めて、そこから疎外された人々をもう一度呼び戻さなければならない。この目的のために、ヴェルクル町の「労働証明書」はつくられた。困窮を癒し、労働とパンを与えよ」と書いてありました。そして、町が道路整備などの緊急失業者対策事業を起こし、失業者に職を与え、その労働の対価として「労働証明書」という紙幣を支給しました。労働証明書は、月初めにその額面の1%のスタンプ(印税)を貼らないと使えない仕組みになっていました。つまり、言い換えれば月初めごとにその額面の1%を失っていくのです。ですから手元にずっと持っていてもそれだけ損するため、誰もができるだけ早くこのお金を使おうとしました。この「老化するお金」が消費を促進することになり、経済を活性化させたのです。当初発行した32000シリングに相当する「労働証明書」は、次第に必要以上に多いことがわかり、町に税金として戻ってきた時に、そのうちの3分の1だけが再発行されることになりました。「労働証明書」が流通していた13.5ヶ月の間に流通していた量は平均5490シリング相当に過ぎず、住民一人あたりでは、1.3シリング相当にすぎません。しかしながら、この「労働証明書」は週平均8回も所有者を変えており、13.5ヶ月の間に平均464回循環し、254万7360シリングに相当する経済活動がおこなわれました。これは通常のオーストリア・シリングに比べて、およそ14倍の流通速度です。回転することで、お金は何倍もの経済効果を生み出すのです。こうしてヴェルクルはオーストリア初の完全雇用を達成した町になりました。「労働証明書」は公務員の給与や銀行の支払いにも使われ、町中が整備され、上下水道も完備され、ほとんどの家が修繕され、町を取り巻く森も植樹され、税金もすみやかに支払われたのです。ヴェルクルの成功を目の当たりにして、多くの都市はこの制度を取り入れようとしました。1933年6月までに200以上の年で導入が検討されたのです。しかし、オーストリアの中央銀行によって「国家の通貨システムを乱す」として禁止通達が出され、1933年11月に廃止に追い込まれました。このようなスタンプ通貨の成功は、大恐慌後の不景気に喘ぐ米国でも非常に関心を持たれました。全国的な通過不足を補うために何千もの地域通貨が、あらゆる小さな村や町で発行されたのです。エール大学の教授アーヴィング・フィッシャーは調査団をヴェルクルに送り、以来、米国の自治体にもこのシステムが次第に導入されていきました。そして、このスタンプ通貨を法案化する動きも出ました……ニクソン・ショック(ドルと金との交換停止)がおこなわれた直後の米国で、非常に興味深い実験がおこなわれました。1972~73年、ニューハンプシャー州エクセターでラルフ・ボーソディによって実験された「コンスタンツ」という地域通貨です。このコンスタンツは「財担保通貨」と呼ばれるものでした。実際の商品によって裏打ちされていて、必要であれば、それらの物と引き替えることができる通貨です。誰もが必要とする生活必需品をいくつか選んでバスケット(籠にまとめて物を入れるように、複数の商品、証券を一つにまとめたもの)にし、それで担保した通貨を発行する方式です。その通貨は交換手段として使われると同時に、担保物(実際にはその証券)と引き替えることもできたのでした。では実際に、それはどのようにおこなわれたのかを見ていきましょう…(引用終わり)
January 17, 2009
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フツウは、京都大学名誉教授といえば単純に言ってあなどれない。しかし、本山美彦先生は、同名誉教授であるにもかかわらず、ネット談義をキワモノ扱いするようなことはしない。逆に、先生のブログ消された伝統の復権には、日本のメディアや権力者が怖くて触れられないタブーをものともしない大胆さがある。エスタブリッシュメントと渡り合えるロゴスのひとがあえて触れるのだからやはりこれらのタブーには何がしかの真実が秘められているのだろう。学者といえども権力者の提灯持ちが多いなか、このひとはなかなか面白いユニークかつ矜持ある存在だ。なお、「本山美彦」で検索すると上位に、わけ知り顔のつまらない罵声がひっかかる。遠巻きに罵声をあびせるのではなく、堂々と議論で渡り合える猛者は、先生のサイトまでどうぞ。野崎日記(46)新しい金融秩序への期待(46)排出権市場創出批判(1)…新自由主義では、価格は市場によって決定されるとされている。それはウソです。市場で価格が決められるわけではない。市場を通さずにステータスのある人達が作ることによって、値段が決められている。その値段によって人々が買わされていく。 たとえば、サブプライムローンが非常に大きな問題になりました。金融マンですら2年前まではサブプライムローンという言葉を知らなかったはずです。サブプライムローンの一番の問題は価格がマーケットを通さずに、売り手によって勝手につけられていることです。売り手によってつけられていく、それに箔付けするのが格付け会社です。つまり、売るべき商品に点数をつけるんです。あなたはトリプルAだとかBだとか点数をつけることによって、お金をもらうんです。これが格付け会社。正しくは格付け機関というのです。金もうけがなんで機関と言わなあかんねんということで、私は、格付け会社という言葉を使っています。その親玉、ムーディーズ、S&P。この2社が全世界の証券の75%のシェアをもっています。しかもアメリカ政府はこれに、「国民的に認知された格付け機関」という称号を与える…そのうちの上位2社が全世界の75%のシェアを持ち、アメリカで金融商品を売買するには、このお墨付きを与えられた機関から格付けしてもらわなければならない。こういったことを推進するのが新グローバリズムなんです。価格を通さずに権威でもって、つまりムーディーズの権威、S&Pの権威で商品を売る。それ以外は売らさない。 抽象的には、価格が市場で決められるべきであるということは正しい。売りと買いで価格が決まるというのは、だれも独占価格を設定することはできないことを意味する。売り買いの妥協点が価格。だれも介入できない。これが本当の民主主義です。しかし、世の中には、そんな価格などない。上手にマーケットを通さずに価格付けしていくテクニック。これが新自由主義だということを理解しておいてください。 彼らは仲良しクラブを作ります。エリートたちと知り合いになります。権力と知り合いになります。一握りの連中たちが集まって会議する。ですから原住民たちを恐れて、必ず、サミットは人里離れた所で、警備の楽な所でやります。世界の重要な定権は、我々がアクセスできないようなところであるなされる。 キーワードは、権力から遠い人達はもう売り買いに参加できない。会員制クラブが権力である。 ファンドの話をします。ヘッジファンド。年率40%位の利益を上げます。それを10~20年つづけます。私達の定期金利は、1%前後ですよ。んですね。105円の手数料の方が高い。 一方でファンドの参加者たちは年率40%利益を得ている。多くの人々はこのクラブには参加できません。クラブは言う。会員外の人は駄目です。ファンドは50人を上限といたします。ただし、出資は一人100億円です。福井日銀総裁が村上ファンドに投資していた。1000万円。ウソつけ。1000万円位で参加さしてくれるファンドなど、世界のどこにあるんだ。とてつもない高いお金を出さなければ会員にはなれません…野崎日記(49)新しい金融秩序への期待(49)排出権市場創出批判(4)…どうしてこの金融の自由化を嬉々として日本人は受け入れたのか。おそらくは、財界は、本当は分かっていてもアメリカに楯突いたら、権力が生きながらえた例がないことを知っているからです。と思ったと思います。財界の御手洗さんなんかでも、キヤノンの経営者であるときには、割と歯に衣を着せぬ形で反米的なことを言いました。経団連会長になったとたんおかしくなった。トヨタの会長もそうだった。 郵政民営化のときには、米国は、日本社の輸入規制をちらつかせた。スーパー301条というものですが、郵政で日本が約束守らなかったら日本の最も得意とする分野でしっぺ返しをするという、とてつもない他国を威圧する法律がアメリカにある。それでそれまでかなりずけずけアメリカにものを言っていた奥田さん(前日本経団連会長・トヨタ自動車)が急に郵政民営化に賛成にまわった。心の中ではわれわれは食い物にされているとわかりながら、その怖れをオープンにしてしまうと、どんなしっぺ返しをされるかわからない、そういう恐れが財界には常にある。 日米安保条約というのは軍事同盟ではなく経済同盟です。日米経済一体化ということが第2条にうたわれている。年次報告がある。6月と11月に必ず行われる。これでアメリカに対して約束したり、約束の履行程度が判定される。3月の貿易政策報告書というもので槍玉にあげられたら、日本は制裁措置を受けるという段取りになっている。非常に恐ろしいものを用意しながら交渉しているのが日米安保だと思います。基本的にはアジアがまとまって、少なくとも中国、朝鮮半島、台湾、日本とまとまって交渉する実績を一つでも二つでも作っていかなくてはならないのではないでしょうか。アジアは集団となってアメリカにものを言い、その反応を国民の前に知らせていくことをしていただきたい。 ご質問の意味と違うかも知れませんが、私は暴力が秘密裏に使われていると疑っています。権力者といえども危ない。ほとんどのラテンアメリカの権力者たちは飛行機事故で死んでいる。そういう意味ではCIAは健在だということです…野崎日記(50)新しい金融秩序への期待(50)排出権市場創出批判(5)…実際には闇の中で、東洋経済から出た「エコノミックヒットマン」はまさにそのことを書いています。ノルウェー政府が債務帳消しするといっても急にできない。お互い契約交わさないといけないから、3か月とか6か月かかります。その間大統領の私腹を肥やすためにヒットマンが行く。契約が成立する前に、自分たちの有利な取引をする。国家財政を担保に大統領の私腹を肥やす。「エコノミックヒットマン」の本によると、ヒットマンが、埒(らち)が明かなかったジャッカルが行くとあります。ジャッカルの手に負えなかったらCIAが行く。次にイラクのように軍隊が行く。結局、米国の要求通りになる。しゃんしゃんと債務の取り消しをみんなが認めるが、実際にはだめでしょう。前のドイツ・サミットのときもそうだった。債務削減が決められたけれど、実際に起こったことは各大統領による着服だった。 アフリカでは、ゲィティッドコミュニティの象徴的な存在があります。石油や金、ダイヤモンドを掘るには、狭いテリトリーの中にいっぱい軍隊を配置していなければならない。その軍隊が傭兵です。その傭兵は、イラクで「活躍」した退役軍人です。人を殺していたら普通の生活に戻れません。そういう連中がブラックウォーター社という民営会社が警備担当として出て行く。それが現在の戦争企業の意味なんです。先ほどゲィティッドコミュニティと言いましたが、武力で囲まれた平和、小集団の金持ちの平和、こういったものが現代社会なのです。アフリカの小国では、その国の軍隊が警備をやってもブラックウォーター社の武器・弾薬に勝てない。完全に軍事会社の力を借りなければ、治安活動ひとつできない。ブラックウォーター社は貧乏人から治安活動の報酬をもらうよりも、シェブロンからもらうほうが手っ取り早い……IMFと世界銀行は対立しています。世界銀行の方がかなり模様替えしまして、南の諸国に同情するような気配です。IMFは逆にもっと頑固で、そもそも創設時のIMFの条文は資本の自由な動き禁止しているのです。現在のIMFは、条文を変えて資本の移動を自由にしようという方向へもっていこうとしています。世界が、IMFの援助を二度と受けたくないと言うのはこういうことなんです。まず、コンサルタントが送られてきます。それもアメリカ人です。新古典派経済学オンリーです。このコンサルタントが送られてきて、今まで依存していた会計士とか法律事務所を全部切らされるわけです。そして、アメリカから送り込まれたコンサルタントの言うままになるわけです。そして企業経営に介入してきます。 社外重役出せとか、株式の値段を上げるためにもっと財務会計を良くしろ、そのためにも人間の首を切れとか、年功序列型賃金をやめろとか。こういうことをどんどんやってくる。最終的には国家政策まで介入します。公教育に介入します。公立学校は無駄である。私学にしろと。そして、バウチャー制度です。政府が500ドル出すから、好きな学校を選べと。学校を競争させる。そして小さい時から株式の取引を教え、銀行という銀行は今までの地場産業への融資ではなくて、もっぱらM&A、アメリカへの株式投資という方向へ傾斜させる。結局は、IMFの勧告に従えば全世界のすべての国のお金がアメリカに集まっていくというシステムです。だからIMFの配下にあった国は反米的になってきた。 私たち、研究者は、アメリカの雑誌に何点論文が載ったかで評価されている。私など載せてくれるはずがない。しかし、載っていないのは無能だとされる。載るためには新古典派の意見をそのまま書かなくてはいけない。いまは、本当に帝国主義だと言いたい。経済的搾取だけでなくて、思想のすべてを改造してしまう。私は、新自由主義反対を闘うのは正しいと感じている。 貧しい国のお金は地場産業に融資するということがなければならない。決定的な影響力を与えるには、女性に与えるということです。なぜなら、男が金儲けすると悪いことする。女遊びする。女性がお金を持つと子どもの教育に使う。国の自立というものは教育なんだということで、99%女性に融資するというのがグラミン銀行の発想です。このグラミン銀行の発想に世界の人たちが呼応しています。南の銀行のイメージです。ちなみに、グラミン銀行の発想はどこにあるかというと、日本の「お講」です。日本人は忘れていますが、グループでお金を出し合って、お金に困っている人がいたら講を落として、利子をもらう。でもその利子はみんなのものだということで、その利子でどんちゃん騒ぎするためにみんなでお伊勢参りをする。これをお講と言う。生産的には結びつかないけれども少なくとも講という組織を通じてお金のやりとりで人々の心を結集しようとするメカニズムであった。ユヌスは、日本の講の組織を、自分の故郷バングラディシュでやってみようとした。それで、ノーベル経済学賞ではなくて、ノーベル平和賞をもらった。この動きは世界的な動きに連動しているはずです。そういう意味で全面支持しています…
January 10, 2009
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