GOlaW(裏口)

2011/01/07
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 やっと今日、流れ星の最終話を見ることが出来ました。

(……SPドラマのレビューもちょっときつそうです、ごめんなさい。汗)

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 全部通して観て感じたのは、“これはエゴと想いやりという二極を突きつめたドラマなんだなぁ”ということ。

 ドラマの中でも繰り返し言われていた、
「臓器を売買していたら、臓器を待ってい他の患者はどうなる」
という投げ掛け。
 『無理が通れば道理引っ込む』、この現代に住むならば通してはいけない『無理』――言いかえるならばエゴを通そうとしてしまった人々がメインに描かれていきます。

 肉親を助けるために臓器売買に手を出してしまう主人公達、移植の協力者となることをためらう親戚や婚約者、入院中に抜け出す重症患者……etc。程度の差こそあれ、登場人物の誰もがエゴを抱え、それをもてあまし、己のそれに気付き、傷ついていきます。



 どうやってそんなエゴと向き合うべきなのか、それを作成者の皆さんから問いかけられたように思います。

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 そんな中で、修一の存在は象徴的でした。
 『妹は護ってくれる、見捨てない』、その思いだけで暴走する修一は、『エゴのみで生き、思いやりを与えない』人物でした。
 そんな彼が、『主人公の自己犠牲』、『マリアの兄への想い』を知って、気が付くのです。

 自分がかつて“妹から「護ってあげたい」と言われた”時から、変わってしまった事を。その変わってしまった部分というのが、『何かをしてあげる』という想いやりだったということを。
 そしてそれを一年かけ、必死で埋め合わせようとするのです。

 人が変わるのは容易ではありません。ですが、ほんの少しだけ意識をずらしただけで、違う本性を覗かせることはあります。
 彼の中の、かつての『妹思いの兄』という本性が、不器用に解放されていくのです。

 それでも、もう。
 自分の妹は、もう子供ではないと、自分が護るには大きくなり過ぎたと知ってしまった時。

 依存することも、与えることも、自分の役割ではないと知ってしまったから。


 その彼の成長こそが、ドラマの象徴のように私の目には映りました。

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 ……ぐっと惹きつけられるけれど、深いテーマの、見応えのあるドラマでした。
 最初は生理的に駄目だと思った修一が、最終話ではその不器用さに愛しくなったり(やっぱり疑ってぞくっとしたりしましたが)したのはすごく意外でした。元々、私は脇役好きではあるのですが、修一も好きになってしまいました。
 うん、絶対私は将来、碌な男に引っかからない(断言)。

 ともあれ、素晴らしいドラマをありがとうございました。





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Last updated  2011/01/07 09:07:21 PM
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