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玄関へ飛び出した迷亭は何かしきりに弁じていたが、やがて奥の方を向いて「おい御主人ちょっと御足労だが出てくれたまえ。 君でなくっちゃ、間に合わない」と大きな声を出す。 主人はやむを得ず懐手 のままのそりのそりと出てくる。 見ると迷亭君は一枚の名刺を握ったまましゃがんで挨拶をしている。すこぶる威厳のない腰つきである。その名刺には警視庁刑事巡査|吉田虎蔵 とある。 虎蔵君と並んで立っているのは二十五六の背 の高い、いなせな唐桟 ずくめの男である。 妙な事にこの男は主人と同じく懐手をしたまま、無言で突立 っている。 何だか見たような顔だと思ってよくよく観察すると、見たようなどころじゃない。この間深夜御来訪になって山 の芋 を持って行かれた泥棒君である。おや今度は白昼公然と玄関からおいでになったな。 「おいこの方 は刑事巡査でせんだっての泥棒をつらまえたから、君に出頭しろと云うんで、わざわざおいでになったんだよ」 主人はようやく刑事が踏み込んだ理由が分ったと見えて、頭をさげて泥棒の方を向いて鄭寧 に御辞儀をした。 泥棒の方が虎蔵君より男振りがいいので、こっちが刑事だと早合点 をしたのだろう。 泥棒も驚ろいたに相違ないが、まさか私 が泥棒ですよと断わる訳にも行かなかったと見えて、すまして立っている。やはり懐手のままである。もっとも手錠 をはめているのだから、出そうと云っても出る気遣 はない。 通例のものならこの様子でたいていはわかるはずだが、この主人は当世の人間に似合わず、むやみに役人や警察をありがたがる癖がある。 御上 の御威光となると非常に恐しいものと心得ている。もっとも理論上から云うと、巡査なぞは自分達が金を出して番人に雇っておくのだくらいの事は心得ているのだが、実際に臨むといやにへえへえする。 主人のおやじはその昔場末の名主であったから、上の者にぴょこぴょこ頭を下げて暮した習慣が、因果となってかように子に酬 ったのかも知れない。まことに気の毒な至りである。 巡査はおかしかったと見えて、にやにや笑いながら「あしたね、午前九時までに日本堤 の分署まで来て下さい。――盗難品は何と何でしたかね」 「盗難品は……」と云いかけたが、あいにく先生たいがい忘れている。ただ覚えているのは多々良三平 の山の芋だけである。 山の芋などはどうでも構わんと思ったが、盗難品は……と云いかけてあとが出ないのはいかにも与太郎 のようで体裁 がわるい。 人が盗まれたのならいざ知らず、自分が盗まれておきながら、明瞭の答が出来んのは一人前 ではない証拠だと、思い切って「盗難品は……山の芋一箱」とつけた。 泥棒はこの時よほどおかしかったと見えて、下を向いて着物の襟 へあごを入れた。 迷亭はアハハハと笑いながら「山の芋がよほど惜しかったと見えるね」と云った。 巡査だけは存外真面目である。 「山の芋は出ないようだがほかの物件はたいがい戻ったようです。――まあ来て見たら分るでしょう。それでね、下げ渡したら請書 が入るから、印形 を忘れずに持っておいでなさい。――九時までに来なくってはいかん。 日本堤 分署 です。――浅草警察署の管轄内 の日本堤分署です。――それじゃ、さようなら」と独 りで弁じて帰って行く。 泥棒君も続いて門を出る。 手が出せないので、門をしめる事が出来ないから開け放しのまま行ってしまった。 恐れ入りながらも不平と見えて、主人は頬をふくらして、ぴしゃりと立て切った。 「アハハハ君は刑事を大変尊敬するね。つねにああ云う恭謙 な態度を持ってるといい男だが、君は巡査だけに鄭寧 なんだから困る」 「だってせっかく知らせて来てくれたんじゃないか」 「知らせに来るったって、先は商売だよ。 当り前にあしらってりゃ沢山だ」 「しかしただの商売じゃない」 「無論ただの商売じゃない。 探偵と云ういけすかない商売さ。あたり前の商売より下等だね」 「君そんな事を云うと、ひどい目に逢うぜ」 「ハハハそれじゃ刑事の悪口 はやめにしよう。しかし刑事を尊敬するのは、まだしもだが、泥棒を尊敬するに至っては、驚かざるを得んよ」 「誰が泥棒を尊敬したい」 「君がしたのさ」 「僕が泥棒に近付きがあるもんか」 「あるもんかって君は泥棒にお辞儀をしたじゃないか」 「いつ?」 「たった今|平身低頭 したじゃないか」 「馬鹿あ云ってら、あれは刑事だね」 「刑事があんななりをするものか」 「刑事だからあんななりをするんじゃないか」 「頑固 だな」 「君こそ頑固だ」 「まあ第一、刑事が人の所へ来てあんなに懐手 なんかして、突立 っているものかね」本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。 夏目 漱石慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。
2016年08月24日
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独仙にやられたものがもう一人同窓中にある」 「あぶないね。 誰だい」 「立町老梅君 さ。あの男も全く独仙にそそのかされて鰻 が天上するような事ばかり言っていたが、とうとう君本物になってしまった」 「本物たあ何だい」 「とうとう鰻が天上して、豚が仙人になったのさ」「何の事だい、それは」 「八木が独仙なら、立町は豚仙 さ、あのくらい食い意地のきたない男はなかったが、あの食意地と禅坊主のわる意地が併発 したのだから助からない。 始めは僕らも気がつかなかったが今から考えると妙な事ばかり並べていたよ。僕のうちなどへ来て君あの松の木へカツレツが飛んできやしませんかの、僕の国では蒲鉾 が板へ乗って泳いでいますのって、しきりに警句を吐いたものさ。ただ吐いているうちはよかったが君表のどぶへ金 とんを掘りに行きましょうと促 がすに至っては僕も降参したね。それから二三日 するとついに豚仙になって巣鴨へ収容されてしまった。 元来豚なんぞが気狂になる資格はないんだが、全く独仙の御蔭であすこまで漕ぎ付けたんだね。 独仙の勢力もなかなかえらいよ」 「へえ、今でも巣鴨にいるのかい」 「いるだんじゃない。 自大狂 で大気焔 を吐いている。 近頃は立町老梅なんて名はつまらないと云うので、自 ら天道公平 と号して、天道の権化 をもって任じている。すさまじいものだよ。まあちょっと行って見たまえ」 「天道公平?」 「天道公平だよ。 気狂の癖にうまい名をつけたものだね。 時々は孔平 とも書く事がある。それで何でも世人が迷ってるからぜひ救ってやりたいと云うので、むやみに友人や何かへ手紙を出すんだね。 僕も四五通貰ったが、中にはなかなか長い奴があって不足税を二度ばかりとられたよ」 「それじゃ僕の所 へ来たのも老梅から来たんだ」 「君の所へも来たかい。そいつは妙だ。やっぱり赤い状袋だろう」 「うん、真中が赤くて左右が白い。 一風変った状袋だ」 「あれはね、わざわざ支那から取り寄せるのだそうだよ。 天の道は白なり、地の道は白なり、人は中間に在 って赤しと云う豚仙の格言を示したんだって……」 「なかなか因縁 のある状袋だね」 「気狂だけに大 に凝 ったものさ。そうして気狂になっても食意地だけは依然として存しているものと見えて、毎回必ず食物の事がかいてあるから奇妙だ。 君の所へも何とか云って来たろう」 「うん、海鼠 の事がかいてある」 「老梅は海鼠が好きだったからね。もっともだ。それから?」 「それから河豚 と朝鮮仁参 か何か書いてある」 「河豚と朝鮮仁参の取り合せは旨 いね。おおかた河豚を食って中 ったら朝鮮仁参を煎 じて飲めとでも云うつもりなんだろう」 「そうでもないようだ」 「そうでなくても構わないさ。どうせ気狂だもの。それっきりかい」 「まだある。 苦沙弥先生御茶でも上がれと云う句がある」 「アハハハ御茶でも上がれはきびし過ぎる。それで大 に君をやり込めたつもりに違ない。 大出来だ。 天道公平君万歳だ」と迷亭先生は面白がって、大に笑い出す。 主人は少からざる尊敬をもって反覆|読誦 した書翰 の差出人が金箔 つきの狂人であると知ってから、最前の熱心と苦心が何だか無駄骨のような気がして腹立たしくもあり、また瘋癲病 者の文章をさほど心労して翫味 したかと思うと恥ずかしくもあり、最後に狂人の作にこれほど感服する以上は自分も多少神経に異状がありはせぬかとの疑念もあるので、立腹と、慚愧 と、心配の合併した状態で何だか落ちつかない顔付をして控 えている。 折から表格子をあららかに開けて、重い靴の音が二た足ほど沓脱 に響いたと思ったら「ちょっと頼みます、ちょっと頼みます」と大きな声がする。 主人の尻の重いに反して迷亭はまたすこぶる気軽な男であるから、御三 の取次に出るのも待たず、通れと云いながら隔ての中の間 を二た足ばかりに飛び越えて玄関に躍 り出した。 人のうちへ案内も乞わずにつかつか這入 り込むところは迷惑のようだが、人のうちへ這入った以上は書生同様取次を務 めるからはなはだ便利である。いくら迷亭でも御客さんには相違ない、その御客さんが玄関へ出張するのに主人たる苦沙弥先生が座敷へ構え込んで動かん法はない。 普通の男ならあとから引き続いて出陣すべきはずであるが、そこが苦沙弥先生である。 平気に座布団の上へ尻を落ちつけている。 但 し落ちつけているのと、落ちついているのとは、その趣は大分 似ているが、その実質はよほど違う。本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。 夏目 漱石慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。
2016年08月23日
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吾輩は猫である_その131/180_ 仕方がないから君は眠くなかろ 仕方がないから君は眠くなかろうけれども、僕の方は大変眠いのだから、どうか寝てくれたまえと頼むようにして寝かしたまではよかったが――その晩|鼠 が出て独仙君の鼻のあたまを噛 ってね。 夜なかに大騒ぎさ。 先生悟ったような事を云うけれども命は依然として惜しかったと見えて、非常に心配するのさ。 鼠の毒が総身 にまわると大変だ、君どうかしてくれと責めるには閉口したね。それから仕方がないから台所へ行って紙片 へ飯粒を貼 ってごまかしてやったあね」 「どうして」 「これは舶来の膏薬 で、近来|独逸 の名医が発明したので、印度人 などの毒蛇に噛 まれた時に用いると即効があるんだから、これさえ貼っておけば大丈夫だと云ってね」 「君はその時分からごまかす事に妙を得ていたんだね」 「……すると独仙君はああ云う好人物だから、全くだと思って安心してぐうぐう寝てしまったのさ。あくる日起きて見ると膏薬の下から糸屑 がぶらさがって例の山羊髯 に引っかかっていたのは滑稽 だったよ」 「しかしあの時分より大分 えらくなったようだよ」 「君近頃逢ったのかい」 「一週間ばかり前に来て、長い間話しをして行った」 「どうりで独仙流の消極説を振り舞わすと思った」 「実はその時|大 に感心してしまったから、僕も大に奮発して修養をやろうと思ってるところなんだ」 「奮発は結構だがね。あんまり人の云う事を真 に受けると馬鹿を見るぜ。 一体君は人の言う事を何でもかでも正直に受けるからいけない。 独仙も口だけは立派なものだがね、いざとなると御互と同じものだよ。 君九年前の大地震を知ってるだろう。あの時寄宿の二階から飛び降りて怪我をしたものは独仙君だけなんだからな」 「あれには当人|大分 説があるようじゃないか」 「そうさ、当人に云わせるとすこぶるありがたいものさ。禅の機鋒 は峻峭 なもので、いわゆる石火 の機 となると怖 いくらい早く物に応ずる事が出来る。ほかのものが地震だと云って狼狽 えているところを自分だけは二階の窓から飛び下りたところに修業の効があらわれて嬉しいと云って、跛 を引きながらうれしがっていた。 負惜みの強い男だ。 一体|禅 とか仏 とか云って騒ぎ立てる連中ほどあやしいのはないぜ」 「そうかな」と苦沙弥先生少々腰が弱くなる。 「この間来た時禅宗坊主の寝言 見たような事を何か云ってったろう」 「うん電光影裏 に春風 をきるとか云う句を教えて行ったよ」 「その電光さ。あれが十年前からの御箱 なんだからおかしいよ。 無覚禅師 の電光ときたら寄宿舎中誰も知らないものはないくらいだった。それに先生時々せき込むと間違えて電光影裏を逆 さまに春風影裏に電光をきると云うから面白い。 今度ためして見たまえ。 向 で落ちつき払って述べたてているところを、こっちでいろいろ反対するんだね。するとすぐ顛倒 して妙な事を云うよ」 「君のようないたずらものに逢っちゃ叶 わない」 「どっちがいたずら者だか分りゃしない。 僕は禅坊主だの、悟ったのは大嫌だ。 僕の近所に南蔵院 と云う寺があるが、あすこに八十ばかりの隠居がいる。それでこの間の白雨 の時|寺内 へ雷 が落ちて隠居のいる庭先の松の木を割 いてしまった。ところが和尚 泰然として平気だと云うから、よく聞き合わせて見るとから聾 なんだね。それじゃ泰然たる訳さ。 大概そんなものさ。 独仙も一人で悟っていればいいのだが、ややともすると人を誘い出すから悪い。 現に独仙の御蔭で二人ばかり気狂 にされているからな」 「誰が」 「誰がって。 一人は理野陶然 さ。 独仙の御蔭で大 に禅学に凝 り固まって鎌倉へ出掛けて行って、とうとう出先で気狂になってしまった。 円覚寺 の前に汽車の踏切りがあるだろう、あの踏切り内 へ飛び込んでレールの上で座禅をするんだね。それで向うから来る汽車をとめて見せると云う大気焔 さ。もっとも汽車の方で留ってくれたから一命だけはとりとめたが、その代り今度は火に入 って焼けず、水に入って溺 れぬ金剛不壊 のからだだと号して寺内 の蓮池 へ這入 ってぶくぶくあるき廻ったもんだ」 「死んだかい」 「その時も幸 、道場の坊主が通りかかって助けてくれたが、その後 東京へ帰ってから、とうとう腹膜炎で死んでしまった。 死んだのは腹膜炎だが、腹膜炎になった原因は僧堂で麦飯や万年漬 を食ったせいだから、つまるところは間接に独仙が殺したようなものさ」 「むやみに熱中するのも善 し悪 ししだね」と主人はちょっと気味のわるいという顔付をする。 「本当にさ。本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。 夏目 漱石慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。
2016年08月19日
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