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先日、有馬山叢 御所別墅にNHK大阪制作の「ルソンの壷」の撮影がありました。ルソンの壷というと2007年12月9日と2008年2月10日に出演した事があります。今回は、有馬山叢 御所別墅で使用しているハンガーが主役なのです。有馬山叢 御所別墅のコンセプトは「メイド・イン・ジャパン」・・・日本製の素晴らしさを内外の人に知ってもらいたいと思っています。そのなかで、私たちが選んだのは兵庫県豊岡市にある中多工芸株式会社のハンガーはっきり言って、日本の宿でハンガーまでこだわった宿は有るでしょうか?中多工芸さんに御所別墅のマークまで入れて頂きました。誰かに「アホか・・・こんな事をしなくても」といわれましたが、御所別墅にお越しになる方は、それなりの服を着られていると思うのです。その服は、ちゃんとしたハンガーにかけて売られている・・・もしくは生地を選ばれてフルオーダーされるものだと思うのです。小さな事でも、例えわかって頂けなくても、行う事が大事だと思っているのです。話が前後しましたが、今回NHKのルソンの壷に中多工芸さんがとりあげられ、その素晴らしいハンガーを有馬温泉でも使用されている・・・という紹介をされると思います。ちょっと嬉しい話です。
2011.03.22
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今だけ、ここだけ、これだけしかない・・・・手に入れたくても手に入らない食材があります。決して高価なモノではありません。はっきり言って価格的には安い代物です。だからこそかもしれませんが、どこにもないのです。昨日買いに明石浦漁港まで調理長が買いに出かけましたが、ありませんでした。今日ならるという事で現在買いに行っています。今回のような災害に見舞われると、人間と自然との関係について・・・つい考えてしまいます。人間って地球の自然の恩恵を受けているのに、自然を壊しているのは人間じゃないのかな・・・美味しい旬の食べ物も、私たちを癒してくれます。瀬戸内の春の旬の便りは「イカナゴ」・・・この子供を「シンコ(新子)」。親は「フルセ(古瀬)」とよばれています。明石から神戸にかけての家庭では、イカナゴ(シンコ)が市場に出回ると、買い求め佃煮にします。それぞれの家庭で独特の炊き方があり、手前味噌ならぬ釘煮(イカナゴを焚くと釘のような大きさと形状が似ている事から釘煮とよばれている)自慢がはじまります。春の関西の風物詩です。そのイカナゴが減って来ているのと、瀬戸内の魚が減って来ているのです。イカナゴのシンコは2隻の漁船で網を引く「船びき網漁業」で漁獲し、運搬船で漁港に運ばれます。イカナゴのシンコは遊泳力が未発達な為、潮に流され潮目に集まります。潮目は干満や季節風で変わってきます。2月末から3月初旬、全長3センチ程に成長します。・・・つまり小さいのです。イカナゴのシンコを獲る時に他の魚の稚魚も獲ってしまう事が、瀬戸内の魚の減少につながっていると言われています。6月~7月頃になるとイカナゴは海底の砂の中に潜って活動を停止します。「夏眠」とよばれています。11月~12月中旬。水温が13℃を下回ると、イカナゴは砂の中から出てきて、満一歳になる頃には親となって成熟し、散乱します。大きさは1歳で9~10センチ 2歳で12~13センチ、3歳で15~16センチで、瀬戸内海では3歳ぐらいが寿命といわれています。ところが「夏眠」に適した粒度分布の海砂がコンクリートの骨材に適していて、大量に採取される為に漁場が壊滅的被害を受けているのです。イカナゴは庶民の魚なのですが以上の理由から年々漁獲量は減ってきます。フルセも昨年は全く生が手に入りませんでした。他の地方で捕れたフルセは釜あげにされて流通しています。いつの日かイカナゴのフルセが貴重品扱いされる時期が来て、最新の冷凍技術で保存がきき、流通するかもしれません。今は漁師さん達が自分達が食べる為に生で持って帰っているだけのものです。それをホテル花小宿の旬重でご用意しています。小さいので炭火で焼いて、すぐにお召し上がり頂かないと良さが伝わりません。だから残念ですが、御所坊では提供できないのです。
2011.03.22
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身体に優しい料理と有馬温泉らしい料理をご提供したいと考えています。今回チャレンジしたのは、お粥・・・・朝食に陶泉 御所坊の1階食事処「閑」でご用意させて頂きます。お粥に使用するのは、定評のある美方御庄米。 これをゆっくり炊き込みました。そして有馬温泉らしい具を、ご用意させて頂きました。陶泉 御所坊 朝餉 「 美方御庄米 お粥 」有馬の温泉たまご 「有馬 汐湯玉」中国粥に良く使用される「塩蛋」代わりにご用意致しました。玉子を有馬の温泉でゆでて、そのまましばらく温泉に漬けておおきます。有馬の温泉は日本でも一番塩辛いといわれる温泉。だいたい海水の1.5倍から2倍あります。それが有馬が世界的に珍しい温泉を証明する一つの証拠です。約一晩、漬けておくとちょうど良い塩加減になります。これは有馬温泉たまご 「有馬 汐湯玉」 として販売しようと考えています。これを一晩でなく、もっと漬けこみます。そうすると塩辛~い たまごが出来上がります。塩蛋は生のうちから漬けこんで、それをゆでるのですが、和食として出すのであれば御所坊が考えた方が良いと思っています。淡泊なお粥に加えて頂くと、ちょうど良い塩加減になると思います。また食感を増す為に、御所坊では毎朝、調理長が一定量手打ちそばを打っています。その蕎麦を少し余分目に打って、それを揚げます。ワンタンの皮を揚げたモノと同じです。お粥にあうように、神戸ビーフの佃煮や明石のイカナゴの釘煮などをご用意致します。干物の魚は、宮津湾で獲れる、脂の乗ったカマスをご用意したします。あっさりとした白身なのに味わい深い干物です。この他、好評の丹波の黒豆を使って、唐津の川島豆腐店につくってもらっている「黒豆豆腐」。安心できる美味しい逸品です。 この朝餉 「 美方御庄米 お粥 」は宿泊の選択出来る朝食の一つですが、もしご希望があれば前日までの御予約でご用意致します。朝食時間は8:00~9:00 3.750円 078-904-0551
2011.03.20
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ジュリア・ロバーツが映画のPRで初めて日本を訪れた。日本嫌いとも噂され、来日しない最後の大物ハリウッド女優と言われていた彼女がやって来た理由がなんと「神戸ビーフを食べてみたかった」との一言だった。この大物ハリウッドスターをつき動かせた神戸ビーフは2011年1月現在、1頭も海外に輸出していない。日本以外で神戸ビーフと称している肉は偽物だという事になる。神戸ビーフを管轄している神戸肉流通推進協議会では神戸ビーフを輸出する考えは当面ないという。神戸ビーフは日本国内でしかお召し上がり頂けないという事になる。【1】神戸ビーフは何故 美味しいのか? ある時、有馬温泉で神戸ビーフの試食会を行いました。そしてアンケートを取りました。90%以上の人が脂身が美味しいと答えました。神戸ビーフの脂身(脂肪分)は他の牛肉に比べて不飽和脂肪酸の含有率が51.4%と高く、融点が24.9度と低いので口の中で溶けやすく柔らかい肉と感じるのが特徴です。そして美味しさの決め手であるイノシン酸やオレイン酸を豊富に含んでいる事が科学分析で明らかになっています。この脂身が筋肉の中に細かく入り込んだ状態が「霜降り」とよばれる状態です。 また赤身は肉繊維がきめ細かく、上品な甘みがあります。ほんとうに神戸ビーフを食べると他の牛肉に比べて「甘い!」と実感して頂けると思います。 【2】「育った環境」と「牛の品質」の両方の基準をクリア―しなければならない。 1983年に生産者、食肉流通業界、消費者の参加により神戸肉流通促進協議会が設立されて、神戸ビーフの定義を正式に定めました。 (1)神戸ビーフは但馬牛の血統から生まれる。 兵庫県産の血統の牛を神戸肉流通推進協議会の指定登録会員の繁殖生産者、肥育生産者が食肉用として10ヶ月から20ヶ月ごろまで肥育し、兵庫県内の食肉センターに出荷され生体検査を受けと畜後、枝肉にされます。枝肉とは頭部、皮、内臓などを除いて左右に背割りした状態で、英語ではカーカスと呼ばれています。またすべてにBSEの検査が行われています。 出荷牛は生後28カ月齢以上60カ月齢以下の未径産牛、去勢牛である事が基準です。神戸で日本で最初に肉屋が誕生した。 (1)神戸港開港とハンター 神戸港が1868年1月1日(慶応3年12月7日)開港。神戸より10年早く横浜港が開港されていたので、横浜から神戸でビジネスチャンスを求めてイギリス人、E・CキルビーとE・Hハンター(神戸の異人館ハンター邸で有名。日立造船の創始者)がやって来た。 キルビーは外国人や日本人に牛を食べさせようと考えていた。その当時神戸は田舎で、米よりも綿花や麦を作っていた。ハンターは農家をまわって役目を終わった牛を売ってくれるように頼んだ。農家も年を取って役に立たなくなった牛を買ってくれるという事で、話がつきハンターは牛を手に入れる事が出来た。 屠牛場は現在の神戸ポートタワーのあるあたりの酒蔵を借りた。牛は御存じのように熟成期間が必要で、冷蔵庫の無い時代には都合が良かった。 そこでハンターはサンプルに牛肉を詰め込んで歩いた。農家の人達も牛の肉に興味を示した。というのも農家の人達は農作物を荒らす六甲山のイノシシをすでに食べていたからだ。 ハンターは農家の軒先にあった、鍬や鋤をを使って肉を焼いて肉の美味しさを広めた。 すき焼きやクワ焼は神戸がルーツという事になる。 横浜ではどうだっただろうか? 1862年横浜で居酒屋を営んでいた「伊勢熊」が初めて牛鍋屋を開業した。1868年創業の串焼き屋「太田なわのれん」が外国人用の食用肉の切り落としを入手し、牡丹鍋(イノシシの鍋)にヒントを得て、味噌とネギで肉の臭みを消して、浅い鉄鍋を使って七輪で牛鍋を始めた。今日の牛鍋のスタイルは「太田なわのれん」だが「伊勢熊」牛鍋屋の元祖と言ってよい。 これらの肉は当初、付近の農家から牛を購入しようと試みたが、農民たちは食用にされるのを知って牛を売る事を拒んだためあきらめざるを得なかった。 そこで中国や朝鮮、アメリカから仕入れていた。牛肉の需要が増えてくるとそれでは足りなくなり、近畿地方や中国地方が和牛の生産地である事を知り、神戸から横浜へ輸送させて供給を満たしていたという。 この事から、神戸より10年早く開港した横浜で牛肉は最初食べられたが、それは和牛でなかった。キルビーやハンターは神戸にいち早くやって来て、近郊の農民とコミュニケーションを図り、牛肉を手に入れた。それは和牛であり、時間がかかった輸入牛でなかったので、外国人は「美味しい!」という事になったと考えられる。 またハンターは六甲山を開いた事で有名なグルーム(Arthur Hasketh Groon)と神戸港メリケン波止場の海岸通りにオリエンタルホテルをつくり、当時日本最高のホテルと称された。 このオリエンタルホテルから「KOBEビーフは美味しい」という伝説が広がったという。 ちなみに、日本初の牛肉小売店は大井精肉店で創業1870年。現在も神戸のポートタワーの近くにお店がある。 【4】神戸ビーフのふるさと小代 (1)日本の牛の歴史 約1300年前、飛鳥時代の記録に牛の乳から作る「蘇」(そ)が年貢の一つとして国に納めていたと記されています。話は少し外れますが、蘇は古代のチーズともいわれ、有馬温泉御所坊では牛乳を4時間程掛けてゆっくり煮詰めて蘇を作っています。その蘇に丹波栗の甘露煮を加えて練り込み、前菜などに使用しています。 日本では牛は農耕用として飼育されており平安時代から鎌倉時代にかけては牛車を引く牛として活躍していました。その様子は平安絵巻に描かれています。 1200年前の平安期に書かれた「続日本記」に「耕運・輓用・食用に適す」と記載されています。1583年豊臣秀吉が大阪城をつくる際に全国から牛が集められたが、但馬牛は他の牛に比べて粘り強く活躍したといいます。 それは山深い但馬で育った牛なので高地トレーニングを積んだ運動選手の様なものだったと考えられます。 神戸ビーフをはじめとして本松坂牛、近江牛、宮崎牛、前沢牛、飛騨牛、佐賀牛、鹿児島牛など日本の和牛の85%以上が但馬牛の系統です。 仏教が伝来した奈良時代には肉を食べる習慣がなく、江戸時代1687年徳川5代将軍綱吉の「生類憐みの令」による殺生肉食禁断戒律の厳重な励行により、一般庶民の間には「生き物を殺して食べると、その地域社会に不幸をもたらす」という迷信が広まった。 1868年(明治元年)神仏分離令の公布により肉食が解禁された。 1872年正月。明治天皇は肉食の禁を破り牛肉を召しあがられた。天皇により僧侶の肉食、妻帯、蓄髪が公認されると、一般庶民も肉食の偏見を捨てる事になった。 伊藤博文(初代兵庫県知事。初代内閣総理大臣)や福沢諭吉など知識人が肉食を推進した。 (1)伊藤博文や福沢諭吉と御所坊の関わり 「日本人にとって、肉は薬であり、それを用いずに虚弱であるのは、すなわち一国の存亡であり、一軒の家で病人が多いのは、わが家系だとして薬を用いないのが賢明だといえるか」と福沢諭吉は言っている。 1872年福沢諭吉が有馬温泉で滞在している。現在の御所坊の温泉浴場の所が、二階坊という旅館だった。そこに福沢諭吉が滞在していた。福沢諭吉は健康に留意していたのか、温泉の浴槽で泳いだという事が記録に残っている。 福沢諭吉と有馬温泉とのかかわりは多い。これは1868年慶応義塾をつくり教育活動に専念する。有馬温泉を統括する三田藩からも多くの藩士を受入れ交流が深かった。 また朝鮮人改革者、金玉均を有馬温泉に招待したという話もある。
2011.03.01
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