戯れた言の葉

戯れた言の葉

2011.08.02
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DESIGN IT! w/LOVE
事件でありできごとである話しことばでは人は客観的で分析的な思考をするのがむずかしく、メタ認知を働かせて研究やデザインをすることができない

後半で「メタ認知が苦手な人は文字化する訓練が足りてない」的な事が書いてある。

これはそのまんま

やまもといちろうBLOG(ブログ)~切込隊長は不在にしています~
どうしても、もやもやして一歩が踏み出せない君へ

にあるような事と直結する。

それ以外にも昔っからあらゆる所で「混乱するならとにかく書け、文字にしろ、図にしろ」と言われている。

人間関係で悩むなら、とりあえず相関図を書いてみろ、とかもあるね。
そうすれば、とりあえず「現実」が目に見えやすい形・脳みそが理解しやすい形となり、「わかった気」になれる。

解った気になれてしまえば、「わからない」から生じる「恐怖・不安」から開放され冷静になれる、落ち着ける、そうすれば理性的な言語思考に割けるリソースが復活するからね、みたいな。





頭の中だけであーだこーだとやってただけ。

なので「自分自身」の事を知らない解らないって状態で生きていた。
つか良く生きてられたなぁ。

それが数年前にとある地獄を味わい、「なぜそうなったのか」の本当の原因を知りたい一心で「文字を紡ぐ事」をやっとやり始めた。

最初は単に思いつくままに全てを可能な限り文字にしていった。
タイピング速度だけはそこそこ速かったのでその作業自体は苦ではなかったし。

記憶にある出来事、その時何を考えていたのか、想ったのか、感じたのか、出来るだけ全てを文字にしていた。
単に吐き出していた、が正確な表現だが。

で、ふと気づいた。

「ああ、あの時自分はこう感じていたのか」とか。
「あの言動があれに結びついていたのか」とか。



なので「I See that.」が言い得て妙だというのは感覚的に解る。
ネットが無いころ、日記帳をわざわざ勝手日記つけるって習慣が普通にあったはずだが、あれの効用はこれだったんだろうなぁ。

昨今流行りの「見える化」ってやつだ。


例えば俺がいうところの「俺」の本質とは「言語思考そのもの」であると気づいたのもこの文字化作業が齎した物だろう。


例えば思考する場合「文字が頭の中にあり、その文字を使って思考出来る者」と「ヴィジョンが頭の中で流れていて、それが思考の代わりになってる者」が居るそうだ。


意識的にやらないと、論理的思考の真似事さえ出来ない。
もやもやとした不定形なヴィジョンが浮かんでは消え、消えては浮かび、様々な物が同時に並行で流れ続けている、と言うような状態になる。
無論そこには「文字」も存在するんだが、飽くまでもその文字は「断片」でしかない。
せいぜい文字化した場合に1行、2行になるかならないか程度の長さの物。

それではロジックなど組めようはずもない。
頭の中にだけ存在する「文字」も常に浮かんでは消えて行き、固定化出来ないのだから当然だ。

それでは当然メタ認知などまず無理。ありえない。
流れ続けるヴィジョンに自分自身が追いつけず、翻弄され続けるから。
無論、文字化された思考をする場合でも、すぐに「さっきまで何考えてたっけ」状態になりやすい。

なので音声によるコミュニケーションは割と苦手であったりする。

発声による言語コミュニケーションは「事件」であり、生じると同時に消えてしまう儚い物だ、と言うのはそうした理由によりやはり感覚的に解る。

例えるならば「なまもの」だ。


なのでいくら「情報」を持っていようがどうしようが、感覚的な自動化がされていない物に関しては「知ってはいるがわからない」と言うめんどくさい状態になる。

りんごを「りんご」だと知ってはいるが、そのりんごを使って創作料理を作る、とか絶対に無理不可能言語道断みたいな。
なんぢゃこの例え(しらん


要は「体で覚えるタイプ」が解りやすい表現だろうか。



なので当然、自己批判もまず無理だし、計画など「なにそれおいしいの?」だ。



まぁつまり未熟ながらも本気で文字を紡ぐようになったキッカケ、あの「地獄」を味わうハメになったのは「自明の理」であったって事だ。
それこそ「猿」みたいな存在だった訳だ。
さらに悪い事に、ちょっと頑張れば言語思考可能となる「機能」は元々持ってる訳だから「ずるがしこい」訳だから性質が悪い。かなり悪い。つかまじ悪かった。
正直言えば今でもあんまり変わんない(ぅゎぁ



自分で自分が何をしているのか、さえも全く知らない、理解出来ないと言う状態なのだから当然だ。



しつこくなるが、こうして書いていれば、いや、正確にはタイピングしていれば、目の前で次から次に文字が生じていく。
記録されていく。



だから「あれ、数秒前何考えてたっけ」は起きづらい(起きづらいだけで起きない訳ぢゃないのがミソw



だし、そもそも他者に何かを伝えたい、と言うより「自分自身が何を考えているのかをリアルタイムに記録し続けたい」が文字を紡ぐ一番の目的なので、ほぼ思考のまんま書いていたりする。



下手に編集とかしてしまうと、結局「リアルな思考」が見えなくなってしまうから。



しょっちゅう話が飛んだり、異次元に吹っ飛んだりするのは、わざとそうしてるとか、ウケ狙いだとか、ツッコミ待ちだとかって訳ではなく、まんま「素の俺の思考・脳みそのデータ処理を時系列順に列挙してるだけ」であったりする。



でないと、「やっぱりしょっちゅー話が飛ぶなぁ、落ち着きないなぁ、集中力がないなぁ」がわからない。



実態が解らないと、対策練れないし、そうなれば当然改善等夢のまた夢となる。



実質大して進歩などしていないが、しかし数年前と比べれば、これでも一応は進歩はしているのだ。



ちょびっとだけだからすんごい分かりづらいけれど、観えづらいけれどw




ただちょいと気になるのが、生じた瞬間に消えてしまう話し言葉だからこそ有用、って場合もかなり多く、故に使い分けをちゃんとしないと意図しない不都合を被る可能性が跳ね上がる事。



例えばそれは「誰かの悪口」をうっかりネット上で書いてしまうとかのあれ。
だが、単なる話し言葉で直接は関係ない誰かに誰かの悪口を言う、であらばまず問題にはならない。
なぜなら、残らないから、聞かされた方もすぐ忘れてしまいがちだから。

そしてそれは「口約束」と「契約書」の関係性のそれでもある。



何にせよ、言語思考を生きる為の道具の基本中の基本として据えている現代社会において、読み書き出来る能力ってのは「欠如」してると「まとも」な扱いはされないわなぁって事かいのう。



読書しろ、は良く聞くけれど、書け、とはあまり言われない気がする。
が、書け、も「読め」と同じように重要視せんとあかんよなぁ。



読む、ってのは単に「文字を見てるだけ」の状態になってる可能性あるし。
優先順位としては当然ながら「読む」が上なのだけれど。
が、インプットだけ重視してるとアウトプット能力が疎かになるような気がするのだ。



インプットだけでは「データ処理」の必要性があまり無い状態になりやすいし。
データ処理は基本的にはアウトプットのためにする物だし。

それはなにも「言語コミュニケーション」のみならず、「行動」も当てはまる。



そういや日本語ってかなり脳みそのリソース喰うらしいねw(話飛んだw








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Last updated  2011.08.03 00:10:51
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