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柳沢厚生労働相の「子供を生む機械に例える事件」は、一体いつまでつづくのか。この発言そのものよりもこの騒ぎの期間に興味がわくHです。なんだかニュースにも取り上げられてワイドショーでも取り上げられて、こんなこといつまでも取り上げるぐらいなら、もっと取り上げるべきことはないのかなあとチャンネルを変える今日この頃。これって、たとえば女性が男性を、あるいは男性が男性を「子作りマシーン」と例えたらこんなにも大問題になっていたのだろうか。いつもこういう問題で過敏に反応するのは女性のような気がしてならない。この発言、きっと男の人が「そんな問題もういいじゃないか」なんていったら、きっとものすごく目の敵にされて、女性から軽蔑の視線で見られてしまうんでしょうね。だから内心そう思っていてもいえない方のかわりに、わたしがいいます。「もうそのぐらいにして、次、いってください」この発言の善悪を問われたら、いいわけないことぐらい皆知ってる。みんなが悪いと思うことをバッシングするのは、とても簡単だ。すごくお手軽だ。即席のヒーロー誕生です。それを理由に予算委員会を欠席する野党の行動は、いいことなのだろうか。これ、最近の風潮なんでしょうか。どこまでも執拗に罪人を攻め立てるようなマスコミのやり方は。わたしはマスコミが正義とは絶対に認めません。柳沢厚生労働相にだって、妻や子供がいるんでしょうし。最近初期のつわりのような症状がでて、歩いても本を読んでも吐き気が襲ってくる。そのくせ食欲は衰えない。ああ、本当に機械のように産めたら少子化も歯止めがかかるのに‥‥と思う。もう柳沢厚生労働相も言ってしまったことは取り消すことができないのでこうなったら少子化対策に本腰を入れてくださると嬉しい。わたしが子供を生んだとき、今より少しでいいから、育てやすい環境になっているととても嬉しい。「深く反省している」と言うこれからの柳沢厚生労働相の仕事に期待したいです。
Jan 31, 2007
いわずと知れた、カトリーヌドゥヌーブの映画です。この方、8人の女たちにもでていましたがまったく美しさが衰えない方だなあと思います。古い映画だけれど、見たのは初めてでした。久しぶりにいい映画をみたなあと思いました。仏印の雰囲気がとても素敵でした。匂い立つ熟れた果実のにおいや、少し退屈な貴族的な生活、貧しい多くの現地民と富める少数の白人、そういう雰囲気がとてもよく映像化されていると思います。ラマンも仏印が舞台の映画でしたが、インドシナのほうが官能色は薄いです。どちらが好みか、といえばもちろんラマンです。こういう植民地映画を見ると、なぜだかわたしは映画が提供するストーリーにあまり集中できません。本来これは恋愛ものに分類されると思うのですが、わたしの目は、白い人間に支配される、数では圧倒的に勝っているにもかかわらず、どこか怒りを自らの手で握り潰してしまったような被支配者にばかり目がいってしまいます。そこに君臨する白い人をとても高慢だなあと嫌気すらさします。(この時点で本当は映画を楽しめていないのですが)だから、そこにどんなロマンスがあろうと、やはりそれは現地人の奴隷制のうえに成り立つ優雅な暇つぶしにしか見えない。とても芸術性の高い作品だと思いますし、素直にとてもおもしろかった。わたしのように、変なところにばかり気をとられない人にはお勧めです。
Jan 28, 2007
先日、いつもの産婦人科にいったら、妊娠の尿検査が陽反応だった。お医者様に言われたとき、診療台のうえで脚を広げながら何回も「本当ですか?」と聞いた。おなかの中の写真にはいくらみたいな白い点だけが写っていて、まだ受精してすぐの段階だとのことだった。まだ子供ができた、という段階ではなく受精に成功したといったほうが正確だと思う。後に会社の出産経験者から言われたが、子供を宿すというのは結構難しいもので、受精に成功しても、それがそのまま生理のように本人も気付かないまま流れてしまうことも多いらしい。だから、今の時期は一番、危ない時期だ、ということだ。また、いまを乗り越えても、安定期に入るまではやはり、危険らしい。人間は、動物のなかでも妊娠しにくい生き物らしい。さらに受精してからも、流産の可能性もある。そう考えたら、なんだかわたしが母と父の間から五体満足で生まれたことさえ奇跡に思える。今、わたしのおなかに受精卵があることも。そんな危険を知らなかったわたしは、病院の帰りアスファルトの上をステップダンス。かえってすぐに夫に報告。そしたら。夫は、ぽろぽろと泣き出してしまったではないか。日頃、「子供ができなくても夫婦二人で仲良く生きていけばいいよ」と言っていた夫です。もしかしたら、子を宿せない性をもつ夫のほうが、わたしよりも激しく子を望んでいたのかもしれない。ずっと、治療や投薬をしている間、「わたしばっかり。やっぱり女はめんどくさいなあ」と思っていたけれど、もしかしたら、わたしはずっと一人じゃなかったのかもしれない。今はまだ、妊娠何ヶ月という状態じゃないけれど、受精成功という通過点だけど、これが上手く成長を続けてくれればいいなあと思います。とり合えず、早寝早起き。禁酒禁煙。夜型生活はしばらく封印します。
Jan 25, 2007
他人の悪意を感じると、それがたとえ自分に向けられていないものだとしても、怖いと思う。暖かいお風呂につかっているときも、急にそれを思い出して背中をぞくりとさせられる。昨日、職場で同僚の携帯電話がなくなった。帰り際のロッカールームでの出来事だ。業務終了の数時間前、ロッカールームで携帯を使ったあと、コートのポケットにしまい、そのまま鍵をかけ忘れて業務に戻ってしまったとのことだった。最初はその同僚が勘違いをしているか、トイレがどこかに置き忘れたのだろうと思った。しかし、同僚の携帯を鳴らすと、どこかでかすかにバイブレーションの音がする。微かな音を頼りに、その場にいた4人の同僚と一緒に携帯を探していると、どうやらあるロッカーの奥から音が聞こえているようだ。そのロッカーには幸い鍵がかかっていなく、開けてみたが、携帯はない。けれど音はする。ロッカーの上の棚にある、ポーチの中から音はする。わたしの会社はロッカーに名前が記載されないので、誰のロッカーかはわからない。上履きが下の棚にあったので、ロッカーの持ち主はもう会社にはいないことだけはわかる。仕方がないので、4人の立会いの下、そのポーチを開けてみた。見事に携帯は発見された。でも、なんで?そのポーチは、社内で普段持ち歩く業務用のようなもので、メモや名札、電卓が入っていた。名札を見てみると、1週間以上、家庭の事情で会社を休んでいる人のものだった。そんな人が、携帯を隠せるはずがない。誰かが、同僚のコートから携帯を抜き取り、休んでいる人のポーチの放り込んだ、(罪をなするつけた)としか考えられない。女ばかりが100人近く働いている職場なので、まったく誰がやったのか見当がつかない。けれど、必ずそれをやった人が身近にいるんだ。そう思ったら、やっぱり怖い。できるだけ他人の悪意の対象にならずに生きたいと思う。できるだけ他人の悪感情にも、自身の激しい感情にも目をつむって生きたいと思う。自分のなかにある嫉妬や僻み、憎しみや怒りを上手く浄化させながら生きたいと思う。けれど、こういうあからさまな悪意をみると、自分の中の何かが呼応してしまうような気がしてとてもいやだ。誰かわからないその人は、今日も職場で笑っているんだろう。悪意を向けた同僚以外に、その悪意を目撃した人間にも黒い染みを与えたことに気付きもせずに。
Jan 21, 2007
なんら避妊の手段を講じていないにもかかわらず、2年間妊娠にいたらない場合を、医学的に不妊症と定義します。一般的には病気という認識がうすいのですが、不妊症はれっきとした病気なのです。‥‥‥これに当てはめるなら、わたしは筋金入りの不妊です。うすうすおかしいなあと感じて去年の9月頃から総合病院の婦人科へ通っています。看護婦の母と、薬剤師の弟から「不妊治療は長期化するから、個人病院(お医者様=経営者)より総合病院に行ったほうがいいよ」とアドバイスを受けました。以前個人病院に行った際、若干検査や投薬に差が生じたせいか、万札飛びました。今の病院はまったく経済負担がない。けれど、やっぱり精神的負担は大きい。仕事をして、毎日基礎体温をつけて、週に一回の通院(総合病院のデメリットは待ち時間が恐ろしく長いこと)おまけに小説なんぞ書いてたら、もう、めんどうくさいよ。これ、本音です。けれど、あきらめるわけにはいかない。たとえ文学賞を諦めても、こればっかりはあきらめるわけにはいかない。今は排卵誘発剤と女性ホルモンの投与をしています。来月から人工授精に移行します。男も女も肥満と喫煙は不妊の原因になるそうです。それを知ったわたしは、今年最初のダイエット宣言。○週二回のプールと週二回の岩盤浴(デトックス)を欠かさない。○夜6時以降は炭水化物禁止。○野菜もりもりこの三項目を守ることを誓います。いつか、必ず、このしんどい経験を小説にしてやる。ネタにしてやるんだ。絶対、負けない。
Jan 18, 2007
よく、勝手に拝見させていただいているブログで取り上げられていたので、気になって調べてみて、びっくりした。昨年の十一月に話題になった奈良県の小学校の校長が戒告処分になっていた。‥‥‥。点と点がまったく線にならない。実は、このニュースを見て、わたしはふーんと思ってしまった。小学校4年にもなって食べ物でそんなふうに遊んでたら怒られて当然だろう、というぐらいにしか思わなかったのだ。それが教育委員会から処分だって?ご飯を団子状にして天井に投げたって‥‥それ家庭のしつけの範囲だよね。ずいぶんと教育委員会って迅速に動くようになったのね。わたしたちの時代はてこでも動かなかったのに。でもその動き方に、人一人処分して、教育委員会としてはできることをしましたなあんていうポーズが透けて見える気がするのはわたしだけなんでしょうね、きっと。実は、どうも理解できないのが、普通、こういう場合注意するのは担任じゃないのかなあ。校長に叩かれたって生徒の話、聞いたことないぞ。わたしが中学、高校の頃、先生にゲンコツをくらって怪我をした生徒がいたけれど、こんなおおごとにはならなかったぞ。たぶん、その影で先生は生徒の親に謝罪して、いいだけ罵られたと思うけど、こんな大事にはならなかったぞ。それは、先生の立場もあるけれど、子供のことを考えた一つの策だったような気がする。時代が違う。たぶん、その一言なんだろう。わたしは、自分が中学のとき、散々殴られたので基本的には体罰はいやです。わたしの親も、体罰は基本的には使わなかった。そんな親に殴られたのは「てめえ、わたしなんか生まなきゃよかっただろう!」といったときだけです。父親に。言ったとたんに殴られる気配を察知して本気で逃げました。どんなことをしても殴らない親に殴られたのは、効いた。正直、叩かれたことじゃなくて、叩かせる事を言ってしまった自分に泣けた。会社の主婦のかたに聞くと、今と昔の学校って全然違う。聞いていて恐ろしくなるぐらい別世界だ。そこで教育をしていかなければならない先生もさぞかし、ギャップを感じていることだと思う。学校教育の問題っていうのはいつの時代も問題になっていて、よくしていこう、すこしでも子供を良い方向に持っていこうと努力した結果が今だ。380度回って、もとある位置からすら大きくずれこんでしまったような気がする。若年層の犯罪が起こるたびにテレビの評論家たちは言う。「今の子供たちは、痛みを知らない」「たたかれたことがないから、今の子は加減を知らない」誰が、痛みを教えるんだろう。誰が、叩けるんだろう。そう考えたら、子供を叱る際に叩ける人っていうのは、加減を知っている大人、かつその子供に対して責任を負える学校の先生や親しかいない。見知らぬおっちゃんに叩かれたら、わたしは子供ながらに復讐していただろうし。もし、今回の件で、その小学校の生徒が胸を痛めていたら。自分の行いが、こんなにも大きくなってしまったことに恐ろしさを感じていたら、今回校長先生から叩かれた事実よりも深い傷を負ってしまうだろう。もし、わたしがその小学生だったら、自体の恐ろしさにがたがた震えて自分を責めてしまいそうだ。もしくは、しめしめと裏で舌をだすか。本当に子供のことを考えたら、もっとほかに方法があったような気がしてならない。
Jan 16, 2007
同級生と偶然スーパーや、本屋であうと、とんでもなく気恥ずかしい。自分が普段着ですっぴんだったりすると、思わず知らないふりをしてしまう。自分が妙にかっこうつけた身なりをしても、また恥ずかしい。どっちにしろ恥ずかしいのだ。そんな出会いがあった。しかもネット上で。中学校のときに、i先生という国語の教師がいた。細くて背が高く、神経質そうな目をしていた。いつも白衣をきて、腰をぴんと伸ばし、背中だけを丸めて歩く姿は最初美術の先生かと思った。常識的な教師の雰囲気を逸脱していたからだ。しかし、今になって思うが彼の倦んだ目は国語教師以外のなにものでもない。とんでもなくこわかった。学問に対して厳格で、言い訳なんて一つも許してくれなかった。泣いたって、許してくれなかった。クラス全員を一人残らず拳骨で殴る。これが、涙がでるほど痛い。(今になって思うと、i先生の拳はもっと痛かったと思う)板書はほとんどなし。一年間立ちっぱなしで授業を受けた人もいる。生徒のペースに合わせた授業なんてとんでもない。先生のペースについてこいという先生だった。教室は呼吸の音すら聞こえないくらい静か。親の評判も悪かった。もちろん、生徒の評判も。教育委員会に訴えられたこともあったと思う。けれど、なんでか学年主任になった。中学校三年生の国語の期末試験は、ラサール高校の入試がでた。(ありえない。高得点でしたが)国語辞典を本気で読めといわれた。(三島由紀夫か)「やればできる」という言葉は嘘だと教えられた。(それを言っちゃあ‥‥)結果わたしたちの中学校、わたしたちの学年はは市内でトップになった。けれど、わたしは在学中からi先生が好きだった。変わり者のわたしは、あの「自分に対する理解全てを拒絶した態度」が、むしろ潔く見えたのだと思う。そして何より、わたしを本気で褒めてくれたただ一人の先生だった。たくさん殴られたけれど、はっきりいって人を褒める先生じゃないけれど、そんな先生がわたしを褒めたのだ。あのとき以上の名誉を、わたしはいまだ感じたことはない。やればできるということを教えてくれたのは、「やればできるは嘘」と教えた先生だった。iに褒められたくて、わたしは勉強した。辞典を読んだ。本を読んだ。‥‥そんなことを思い出してネットでi先生の名前と地元の町の名前を入力、検索してみたら、1件のブログがひっかかった。どうやら、地元で音楽活動をしているかたのブログらしい。コメントを公開してあったので、i先生についてコメントさせてもらった。返事がきた。嬉しくて、よくよくブログを読むと同年代。三年間国語の授業をi先生から学んだという返事を読むと、どう考えても同級生。あっちゃー。誰かなんとなく、わかっちゃったよ。多分わたしのことは気付いてないと思いたいが。返事には「i先生は厳格で国語以外にも大切なことを教えてくれた先生です」と書いてある。あいつも(多分だけど)大人になったもんだんだなあ。いっぱい殴られたのに。そんなことを言えるようになっちゃって。十数年間という時間は、人も、記憶も変えていくんだ。同級生との再会は、街であろうと、ネット上であろうと恥ずかしい。
Jan 14, 2007
ブログも更新せずに何をやっていたかといいますと、読書でした。ちょっと前にドラマ化されたのでつい最近の出版かと思ったら、1999年出版の本だったんですね。読み終わった感想なんですが、しくった。ドラマも見ればよかった‥‥でした。あまり日ごろからテレビを見ないので、ドラマ「白夜行」も見ていません。主人公は、キリハラという男のとユキホという女性だと思うのですが、二人の心理描写がまったくありませんでした。読み終わった直後、主人公は運命をかえられた人たちなのかなあと、とんちんかんなことまで考えてしまいました。けれど、やっぱり主人公はキリハラとユキホなのでしょう。意外なトリックや、思いもつかない犯人などはありません。最初から、犯人や物語の流れが読める作品でした。むしろ犯人ありきのお話なのかもしれない。あの二人の心理描写がなくて正解だったと思います。そこを詳しくしちゃうと永遠の仔の失敗したような作品になってしまっていただろうし、最後に自白なんてさせたら、火曜サスペンスになってしまう。二人の心理描写がないからこそ、ミステリーなんだろうなあと思いました。でも、本音を言えば、最後の種明かしはして欲しかったなあ。キリハラのユキホへの愛情は伝わるものがあったけれど、ユキホは最後まで冷たい女にかかれていました。女のわたしとしては、ユキホはラストの後ろ姿で泣いていたと思いたいのですが。きっと原作に忠実にドラマ化したら、視聴者には受けがよくなかったと思うので、ドラマでは何らかの解釈が付け加えられていたのでしょう。時間があったら是非、見てみようと思います。ちなみに、小説から映画化やドラマ化された作品はあきらかに原作を超えることがないなあと日々思っていますが、永遠の仔のドラマ版をレンタルショップでかりて見たとき、そうとも限らないということを知りました。
Jan 14, 2007
年末から気になってしょうがなかったk-1ダイナマイトの桜庭vs秋山戦。ようやく、調査の結果が発表されました。これだけネット上で騒がれているにもかかわらず、マスコミのほとんどが取り上げなかったのには深く疑問を感じます。秋山選手が乾燥肌のため、スキンクリームを塗っていた、という結果でした。ファイティングマネーは没収になり、この試合はノーコンテストになりました。桜庭選手、納得がいっていないようです。当然だ思うのはわたしが桜庭選手のファンだからでしょう。あの試合。わたしは桜庭選手が勝てる!とは思ってはいませんでした。秋山選手だって充分に強いと思っていたからです。でも、サクなら。もしかしたら、サクなら。いいや。きっと、サクなら。‥‥‥やってくれるはずだ。桜庭選手ファンのほどんどが、そう思って見ていたと思います。そう思わせる稀有な選手だからです。出場しただけで、何かを起こしてくれそうな、思わず期待してしまいたくなる選手。そんな選手が今のK-1にどれだけいますか?いつか、桜庭選手がリングを後にするときがきたとしても。あんな試合じゃ無理です。あんな試合だけはもうして欲しくない。正々堂々、勝負してほしい。この件で失ったものが多いのは秋山選手でしょう。セコンドに清原選手までいて、たくさんの子供たちまで応援に駆けつけていたのですから。お母さんだって泣いて喜んでいたのですから。「試合前のクリームの塗布がだめだとは知らなかった」というのが嘘であれ本当であれ、格闘家であれば、クリームを塗った肌が汗をかいたとき、どういう風になるかは知っていたはず。桜庭選手に「滑る」と指摘を受けたときに、もしかして、クリームのこと?あれ、俺ってもしかしてやばいことしたんじゃね?そういえば、クリームって油分入っているんだよなあ‥‥とは思わなかったのでしょうか。オイルを塗るのがだめだと知っていたなら。その時点で気付いてくれればこんな騒ぎにはならなかった。ダウンタウンデラックスにでている秋山選手は笑っていますが、わたしはまだまだ笑えません。
Jan 11, 2007
なぜか夕張の町のことが気になってしょうがない。なんでこんなに気になるのか考えてみた。多分、わたしにとって地方自治体が破綻するなど今だに信じられないできごとだからだ。市町村合併でもない、ダムに沈んだわけでもない。それなのに?市が破綻するってことは、場合によっては県や国が破綻することもあるってことなんだろうか。なんだか民間企業みたいで驚きだ。先日テレビを見ていたら、これから地方自治体の格差も広がるだろうと言っていた。怖すぎる。き、きちんと税金も年金も納めるから、何とかしてくれい。夕張の成人式がニュースで流れている。市から予算が1万円しか下りなかった成人式。全国からの募金で行われた成人式。市役所の半数が退職してしまう街の成人式。けれど成人式は手作り感覚の低予算成人式が行われ、この日ばかりはにぎやかで本当に楽しそうだ。きっとこの日に、この街で会えるのを、みんな楽しみにしていたんだろう。インタビューに答えていた若者が言っていた。「いつか必ず夕張のためになることをしたい」「この街に戻ってきたい」と。なんだかこの感覚を知っている。懐かしい感覚がこみ上げてきた。わたしだって、確かにあったのだ。まだ学生の頃、いつか故郷に帰って親が誇れる仕事に就こうと。みんな田舎をいやがって出て行ってしまうけれど、いつか結婚して子供を生んでこの街で会えたらいいね、なんて話していたことを。税金が高いとか、人口が流出しているとか、仕事がないとかそんなことまったく考えずにただ、そう思えたときが。いつからか、心ではなく頭で考えることがあたりまえになってしまった。そのインタビューに答えた人が、実際帰ってくるかは問題ではない。この時期に、そう思い、言葉にしたことに意味があったと思う。こういう想いは、長く胸のなかできらきら輝くんだろう。たとえその想いを忘れてしまったとしても。長らく、こういう感じを忘れていた。いつだって、何かを突き動かすのは、まっすぐな想いだったはずなのに。
Jan 10, 2007
実は、実家は漁船を営んでいます。先ほど見終わったマグロ船!といいたいところですが、イカ釣りです。ほとんどテレビを見ないわたしが「マグロ」を見たのは何かの縁でしょう。地元は、日本で一番のイカ水揚げ量を誇る街です。いまいちアピールが下手で、函館のほうがイカの町というイメージが強いですが、そんなことはないのです。もう一度言います。日本一は八戸です。祖父は海が時化て、誰も漁にでないときに船をだし、漁をし、高値で売り、小金を貯めて陸に上がり、株式会社を設立しました。アルゼンチンまでイカを釣りに行く遠洋漁業をはじめました。祖父亡き後、父が後をついでいます。父は漁師の経験がないまま(会社の総務を行っていたので)後を継いだので、別の面での苦労はあったと思います。そんな環境もあって、小さい頃には漁師さんに囲まれて育ちました。若い衆達(ワゲエシュウンドと地元の人は発音する)はえらく血の気の多く、よく笑い、よく怒るので、感情のたかがはずれているように見えて小さい頃は恐ろしくてしょうがない存在でした。けれど、はるか昔自分が漁師をやりたいと思ったことを覚えています。停泊中の船に乗ったことを今でも覚えています。狭い二段ベッドが敷き詰められていて、ゆらゆらゆれていて、なんとなく、子宮の中を連想してしまいそうな環境です。単純にすごいと思う。あれは旅客船ではないわけですよ。漁船なんですよ。人なんて二の次の構造をしているんです。その中で三ヶ月以上、海の上で過ごすんです。船が満杯になるまで、陸には上がらない。実際、ワゲエシュウンドの話によると、船に乗った最初は船酔いで吐きまくり、吐くものがなくなって、血を吐くらしいです。漁が始まると不眠不休。しかも見渡す限り海。下も海。本当に男の仕事だと思います。けれど、やはり漁師も後継者不足で、若い人がどんどんいなくなってしまいました。年をとった、かつてのワゲエシュウンドが世代交代することなく現役で働いています。これからどんどん漁師をやりたいという若い人たちは減っていくでしょうね。いつかは無くなってしまう風景かもしれないけれど、わたしはやっぱり忘れられない。航海にでるとき、大きな音で演歌を流し、風になびいた沢山の大漁旗。紙テープを何本も投げつけ、ゆっくりと港を一周して悠々と彼方に消えていく船を。見えなくなるまで船に手を振る、海の男のを待つ女の姿を。見えなくなるまで手を振り返す海の男の姿を。その船をまぶしそうに眺める父の姿を。父の目は、きっと追いつけない祖父をいつまでも追いかけているのだろうなあ。
Jan 5, 2007
新年のごあいさつもろくにしていなかったことに気付きました。あけましておめでとうございます。今年もどうぞこのブログをよろしくお願いします。年末は大掃除も早めに済ませ、買い物に動き出したのは午後3時。スーパーに買い物に行ったが寿司なんてもうない!大慌てで即席の自作品です。スーパーに行って気付いたのですが、3時という時間でほとんどの商品が半額になってました。あわびもうにも半額で買っちゃったよ。うひひ。今年はいいことありそうな予感。年始は神社でくじびき。大吉です!実は新年のおみくじで大吉を引いたのは生涯ではじめての経験。ますますいいことありそうな予感。今年の抱負は‥‥健康に留意し、他人様に迷惑をかけない。でしょうか。あまり大きなことを書いてもしょうがないので、このぐらいで。やりたいこと叶えたい望みはたくさんあるけれどとにかくわたしや家族が大きな災難にあうこともなく、一年すごせればいいなあと思います。あ、あと年間読書数、200冊は去年と同じくキープしたいです。どうか、いい年になりますように。
Jan 4, 2007
年末年始は例え多少面白くなくても、紅白を見て過ごすべきだった。K-1 ダイナマイトを見てしまったせいで、わたしは1日ずっとビデオを録画画面に目が釘付け。音も最大限にして音声に集中しっぱなし。桜庭vs秋山戦である。桜庭選手がタイムを要求するもレフリー無視。K-1って結構危険な戦いなので、話ぐらいは聞いてもいいんじゃないのかなあ、と思う。これ、身体的な不調を訴えるタイムだったらどうするのかな。けれど、桜庭選手は訴え続ける。めちゃめちゃに殴られながらも。レフリーは訴えを無視し続け「アクション!アクション!」と叫ぶ。お前がアクションだよ!とレフリーに突っ込みたくなった。だってさ、一方的に殴られてる試合をとめることもせず、訴えに耳を貸すこともしないんだよ‥‥‥レフリーは試合なんて見ていなかった。リングの外のご機嫌を伺っていた。桜庭選手は必死に「滑る滑る」と訴えていた。後に知ったが秋山選手は柔道時代も胴着が滑ると三カ国から申しいれを受けたらしい。それに対してレフリーは相手の秋山選手の上半身を確認しただけ。下半身はお咎めナシ。観客も納得しないよなあ。秋山選手も身の潔白を証明するパフォーマンスぐらいしてくださいな。リングの上の疑惑はそのリングの上で晴らして欲しかった。だって、テレビ放送だよ。観客見てるんだよ。なんで桜庭選手以外、何にも無かったふりするんだ。なんだか、この際秋山選手が黒か白かというよりも興行というもの自体がいやになってきた。機能を果たさないレフリー。前回の試合でもそうだったが桜庭選手を殺そうとしているのだろうか。谷川プロデューサーのコメント。またしても感のあるTBS。亀田戦のときのようにまた再試合でもやるつもりなんだろうか。ちょっといいかげんにして欲しいな。なんでテレビ局やプロデューサー、レフリーの尻拭いを選手がやらなきゃいけないんだ。再試合をするなら、TBS vs 一般の視聴者だ。一般の視聴者だって、テレビの洗脳に惑わされないぐらいの目と耳と頭をもってるんだぞ。はずかし固めしちゃうぞ。
Jan 2, 2007
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