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2月「藤原竜也さん 身毒丸 復活」「ファイナルと言わず、リターンを」と日記に書いていたところ海外招請に応じられて復活、念願の鑑賞を果たすことができました。「身毒丸復活観劇の日記」1月ボストン美術館「浮世絵 名品展」3月美術展「北斎展」4月江原啓之さん「スピリチュアル・ヴォイス」ヴォイスの活動は一先ず休止とのことで、初めて鑑賞。DVDのパッケージはご自身で「おにぎりを食べた後の丸めた銀紙☆」とおっしゃっていた衣装の後で着替えられた白い方でしょうか。「スピリチュアルヴォイス鑑賞の日記1-3」5月名古屋市美術館「アメデオ・モディリアーニ展」「アメデオ・モディリアーニ鑑賞の日記1-3」6月美輪明宏さん主演・舞台「黒蜥蜴」山本耕史さん主演・舞台「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」同じ週のうちに美輪さんと耕史くんの妖艶な姿を拝見できた6月。この濃密な鑑賞を心ゆくまで楽しむために、ヨガ講座の卒業論文をひと月早く提出、万端整えて鑑賞したのでした。 「黒蜥蜴観劇の日記」「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ観劇の日記1-3」7月キャラメルボックス「水平線の歩き方」「ハックルベリーにさよならを」CBCテレビ観覧「スジナシ」高島屋「赤毛のアン展」ボストン美術館「クロード・モネの世界」カイバルヤダーマ・ヨーガ研究所ヨーガ療法セミナー 「赤毛のアン展鑑賞の日記1-3」8月藤原竜也さん主演「かもめ」スワミ・メダサーナンダ師講演会三重県立美術館「没後80年 佐伯祐三展」「かもめ観劇の日記」「佐伯祐三展鑑賞の日記」9月ラージャ・ヨーガ講座アーユルヴェーダ講座11月蜷川幸雄演出「から騒ぎ」「から騒ぎ観劇の日記」12月ボストン美術館「日米修好通商条約締結150周年記念ペリーとハリス-泰平の眠りを覚ました男たち」2009年の観劇予定劇団四季「マンマ・ミーア!」「トロイ戦争は起こらないだろう」「ジーザス・クライスト・スーパースター」松岡充さん出演「キサラギ」美輪明宏さん主演・演出「毛皮のマリー」ご覧いただきありがとうございました。皆さまにも素晴らしい出会いがありますように。どうぞ良いお年をお迎え下さいね。「2005年に出遭った舞台」「2006年に出遭った舞台」「2007年に出遭った舞台」
December 31, 2008
東山紀之さん主演のドラマが今朝8時から再放送されるようです。大原麗子さん、沢口靖子さん、森光子さんといった面々も登場。源氏千年紀を締めくくるにふさわしい時間になりそうですね。
December 30, 2008
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1月実写版「ベオウルフ」ジェラルド・バトラー主演、劇場公開されていない作品をDVDにて鑑賞。「オペラ座の怪人」以来、彼の作品公開初日には劇場に足を運んでいますので二年越しに待った映画を観られたのは感無量でした。奥田瑛二監督「風の外側」小学生の時にNHKドラマ「憤激の恋」を見て以来、常に心のどこかにある奥田さんの監督作品。前作「長い散歩」では、緒方拳さんを主演に迎えられたのを誇りに思っていらっしゃいましたので今期のドラマ「風のガーデン」で最後の共演を果たされていたのも感慨深く拝見していました。 「ベオウルフ鑑賞の日記」「風の外側鑑賞の日記1-3」「長い散歩鑑賞の日記」3月映画「スルース」5月映画・「真珠の首飾りの少女」美術講座にて6月堺雅人さん主演・映画「ジャージの二人」大河ドラマ「篤姫」で、13代将軍家定と御台所の関係が最もホットになっていた頃、ラッキーにも舞台挨拶付きの試写会に。前髪のある堺さんのお顔も爽やかでした☆大泉洋さん・佐々木蔵之介さん・堺雅人さん出演「アフタースクール」三谷幸喜監督・映画「ザ・マジックアワー」ジェラルド・バトラー出演・英語版DVD「PS. I Love You」 「ジャージの二人鑑賞の日記」「アフタースクール鑑賞の日記」「ザ・マジックアワー鑑賞の日記」7月「西の魔女が死んだ」バランスの取れた生活=適度な仕事、食事、睡眠、そして感情の制御という、魔女の修行項目とヨーガを行う目的が見事に一致していることにしみじみと感銘を受けた作品。美しいガーデンと、手作りの様子も愉しみました。オダギリ ジョーさん主演「たみおのしあわせ」 「西の魔女が死んだ鑑賞の日記」8月地上波放送「キサラギ」劇場で拝見したいと願いながら叶わなかった作品、単館上映系でしたのでまさか地上波放送されるとは思わず、レコーダーの検索で発見したときは目を疑うほど喜びました。小栗旬さん効果もあるのでしょうね☆続けて3回拝見するほど面白く、いまだにハードディスクに残しています。9月「幸せの1ページ」ジェラルド・バトラー出演作品。無事に劇場公開されたことそのものが、まず嬉しく。ファンには馴染み深いアドベンチャースタイルも素敵でした。「幸せの1ページ鑑賞の日記」10月「P.S.アイラヴユー」2ヶ月続いてのジェラルド・バトラー公開作品。3作品も新作を観られた今年はかなりなビンテージ・イヤーだったのかもしれません。「P.S.アイラヴユー鑑賞の日記」11月「容疑者Xの献身」12月地上波放送「追憶」「ノッティング・ヒルの恋人」「ニューヨークの恋人」「K-20 怪人二十面相・伝」この作品と「容疑者Xの献身」は夫と鑑賞。来年も共に楽しめる機会が増えればいいなと思います。「K-20 怪人二十面相・伝鑑賞の日記」ご一緒いただいた方々、ご紹介くださった方、ありがとうございます☆皆様もよき作品に出遭えますように☆読んでいただいてありがとうございました。「2007年に出遭った映画 5-12月」「2007年に出遭った映画 1-4月」「2006年に出遭った映画 1-4月」「2006年に出遭った映画 5-12月」「2005年に出遭った映画」「2006年に出遭った舞台」
December 29, 2008
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北村想さんの名前を劇場予告を見て以来、愉しみにしていた作品。【作品の内容に触れますので、お読みになりたくない方はどうぞスキップなさって下さいね】幼少期から読んでいたシリーズにちなんだ題名と共に、心揺さぶるキーワードの数々、黒衣の仮面の男に、シャンデリアにサーカス、乱歩で明智小五郎で、BDで白いドレスの女、おまけに原作が学生時代によく観ていた劇団プロジェクト・ナビ主宰でいらした北村想さんとあれば当然、観ないわけにはいきません☆「容疑者Xの献身」鑑賞時に予告を観た夫も「これは劇場で」と申しましたので一緒に足を運びました。冒頭シーンは、鑑賞の数日前に放送された「3月10日 東京大空襲・語られなかった33枚の真実」の中村トオルさんの登場シーンとも通い合っていて昭和初期の匂いを色濃く醸していたように。確かにこの設定で時が流れていたならば良くも悪くも鹿鳴館時代の影響を残したままの世が続いていたのだろうなと思わせてくれました。大きなスクリーンで味わうにふさわしい場面がたくさんある一方、ディテールもかなり凝っているよう。映画センサー?☆である夫(途中で眠らなかったら○)も最後まで面白く観た模様。私の方はプロジェクト・ナビにいらした役者さんが出演しているのに喜んだり、「あ、あれは『カリオストロの城』、あ、こっちは『オペラ座の怪人』☆」「少年探偵団のバッジ…」などと、あれもこれもと数えていましたので、鑑賞するのにやや集中力に欠けてしまった感はありますけれども、それだけ観客を楽しませようという意気込みに溢れた、劇場に足を運んで後悔しない作品になっているのではないかなと思います。 「映画談義の日記」
December 27, 2008
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汚れ落ちがよく、手荒れもしない重曹の使い方を再録いたします。水回りやレンジなどを重曹を使ってお掃除してみませんか。すぐ手荒れしてしまう方はもしかしたら、お使いになっている洗剤がお肌に合わないのかもしれませんね。私も以前はひどい湿疹で、一時は指紋もないほどで、ゴム手袋をはめても過敏になった指が痒くなったりしていました。さて、そんな私が重曹(ベーキングソーダ)や手作り石鹸などのシンプルクリーナーに出会いました。重曹は昔、母が皮膚の弱かった私の体を洗うお湯に入れてくれていたもの。入浴剤にも重曹は使われていますね。「ベーキングソーダ335の使い方」によると重曹は☆1おだやかな研磨作用☆2弱アルカリ性で、酸に対する中和作用☆3水を柔らかくする軟水作用☆4強力な消臭・吸湿作用☆5自然の発泡・膨張作用 があります。 ネットや他の本も読むと、重曹の使い道は覚えきれないほど。年末でお掃除を念入りにされる方も多いと思いますので、ご参考までに。・キッチン・バスルーム・トイレなど水周り「重曹」を振りかけて磨いてみてください。穏やかな研磨力があり、手が荒れません。我が家は蜂蜜の入っていたプラスチックの容器に入れて振りかけています。浴槽掃除をすると、いつも泡が残っている感じでしたが重曹はスッキリと落ちてくれますし、入浴剤にもなるものなので安心して使っています。スポンジをバスルームに置いておくとカビやすいのですぐ洗えるタオルにつけて磨いても。・電子レンジの中・ガスレンジ・換気扇・冷蔵庫「重曹」大さじ1・水カップ1を耐熱容器に入れ、電子レンジで沸騰させて蒸気がついた中をふき取ります。重曹は油を落としやすくするので汚れがよく落ちますよ。耐熱容器に残った水溶液は、タオルにつけるかスプレーに入れ、ガスレンジ・換気扇・冷蔵庫をお掃除してみてください。こびりついてしまった汚れは、重曹を粉のまま振りかけて磨くとキレイになります。・床重曹の水溶液を作り、スプレーして拭いてください。油汚れもよく落ちます。(床の種類にもよりますので、まずは隅でお試しになってください。)ワックスは、ミツロウが主成分のものがおすすめ。すべり易いので薄く塗ってくださいね。油は酸性なのだそうで「☆2弱アルカリ性で、酸に対する中和作用」により汚れが落ちやすくなるのでしょう。・鏡・ガラス・窓拭きこちらはもしあれば、「炭酸水」を。ドラックストアなどに売っている外国製の甘くない炭酸水のボトルにスプレーを付けて使ってみてください。ふき取りもほどんどいらず、ピカピカになります。炭酸が抜けてもずっとお使いになれますよ。もちろん、重曹の水溶液でも。この場合はよく磨いてくださいね。・重曹はお買い求めになったら、ふたを開けて冷蔵庫やシューズボックスにいれておくと消臭剤になります。(☆4)☆以前の洗剤をスプレーしながらのお掃除は、特に台所・バスルームなど食べ物や肌に触れる場所はふき取りの方に気を使い、タオルを何度も換えて水ぶき。それでも、洗剤が残っているようなぬるぬるした感じがあり、しかも汚れ落ちもそれほどではないように思っていました。重曹でお掃除できるようになってから、手間が一気に解消。スプレーをしてからタオルでひとふきする程度ですみ、汚れ落ちもよいのです。洗剤と水ぶきの繰り返しでお掃除の途中で悲鳴をあげていた手も楽になり、時間も短縮。☆水アカになってしまったものは酢かクエン酸も使うとかなり取れますよ。重曹は先日お伝えしたケーキにもほんの少し入れて膨らし粉にできるほど、適量ならば口にいれても大丈夫なところも、また安心。(膨らし粉として使われる場合は「食品グレード」以上のものを。「簡単ケーキの作り方 画像付き」お掃除が終わったあとも、かえってすべすべになったような手を愉しみながら重曹の使い方に出会えたことに感謝しています。薬局でも安価に手に入りますので、よろしかったらお試しになってみてくださいね。***さて、我が家はキッチンの大掃除を先日行いました。調味料やお茶などがたくさん取ってあった戸棚や、お箸やスプーンが増えてしまった引き出しを整理し、重曹水をスプレー、ふき取って終了。今年は買い替えたのが幸いして、冷蔵庫の中はまだシンプルでキレイだったので楽でした。床のワックス掛けは夫が休みになってから行う予定です。☆重曹のそのほかの使い方は「重曹で快適ライフ」の日記へ
December 26, 2008

今年はケーキにご縁があり、3つのケーキが我が家にもたらされました。一つ目は、毎年、子供が作ってくれるケーキ。 ついつい手順をスキップしてしまう母と違い、小学生のときから本の通りに、きっちりとステップを踏んで作ってくれています。今年は苺とチョコクリームとみかんをサンドした高めの仕上がりになりました。二つめは、ケーキ屋さんでアルバイトを始めた子供がお店でいただいたケーキ。一年で最も忙しい時期、連日フル稼働でクリスマス休暇はなしとわかっていましたので、一つ目のケーキは、かなり早い時期に家族で囲んだのですが、こちらはきちんとクリスマス・イブにいただきました。三つ目は、ヨガの生徒さんが持ってきて下さったケーキ。雪を予感させる窓の外の様子を感じつつ、アーサナ、瞑想と共にしみじみとした話もして今年最後の教室を終えました。私は一年のレッスンを、子供は初めてのアルバイトのハイライトを無事に乗り越え夫も元気に仕事を納めようとしていることに感謝。日々、溢れるほどのギフトがもたらされていることにも。みなさまも良きクリスマスをお過ごしくださいね。
December 25, 2008
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比叡山で独演会をできなかったことにも意味があるようです。江「だからその辺は大変な神秘なところで、何故かというと魂の流れの中での一つの出発点であるわけで、そこからまた今があって。ですから自分自身の魂の歴史を辿るときは必ず来るわけですよ。だけども今までは『それには早過ぎる』ところがあったわけで。先ほどもご自身で『今、節目じゃないか』っておっしゃっていた、まさにそうなんですね。私もね、何も決してお世辞で申し上げるわけじゃなくて、やっぱり芸術的な方、芸術家でいらっしゃって、やっぱり天才なんだなと思うんですね。何故かというと、それはやっぱりオーラの色で言えるのはね…それは全然、あの…ごめんなさい、さっきの変な話とは別なんですよ…本当に金が多いんですよね☆」小「オーラで☆」美「ブタじゃありません☆」江「あれは良くないですね、(ご自分を指して)本当のブタは傷つきました、そういうこと…☆」美「オーラが金なの?☆」江「そうなんです」小「これからは『オーラ金野郎』って言って下さい☆」江「いや金の部分が強いっていうのはね、要するに天性のものなんですよ。で、感覚的なものが凄く強い。もちろんご自身でもいろいろ思慮深く考えられるけれども、でもやっぱり感覚的なもので、いつもその時その時のタイミングをつかんでこられているアンテナは持っているということなんですね。でいて、もちろん金だけなんてことはあり得ないんです。ただ、以前よりは大分違うんだろうなと思うのはね、赤い色を凄く強く持っていらっしゃるんだけど、その赤がね、物凄く柔らかい赤になっている…何ていうか…色の表現は難しいんだけど、赤々と情念みたいな赤じゃないんですよ。でも昔は凄く、もっと強い赤だったんじゃないかと。要するに例えば、自分に対しても短気だったり…『何でできない!』とか、物凄いパッションがね、強かったんじゃないかと。でも最近は、その…さっきの言葉で『ちゃらんぽらんになった』と言うけれどもそれはちゃらんぽらんじゃなくて、そのパッションよりもやっぱり思慮深く…」美「…力が抜けたっていうことね。余計な力が抜けたということ」江「ですから、非常に感覚的なところがあって、で…(スタッフの方に向かって)ここ、ちょっと使わないで下さい…お一人、楽でしょう?あの…というか…あのね本当に今までもそうですけど、人に対しては物凄く気を遣って、気を遣って…っていうかねこれご自身でね、性分として自分の中でね、もう温めてしまっていて、あの…要するに『そんなこと、気苦労だと思わない』ようにしていて。だからあの…前世のことでもお分かりでしょうけれども、孤高が好きなんですよ。僧侶の時もそうだし、だから…」小「すごく楽ですね、確かに」江「相当ね、役目とか人道的とか、そういうことでの、ご自身で無理を重ねて…無理じゃないな…一つの修行と思っていらっしゃったのかもしれないけれども…また、そう思わないと『それは自分の我がままです』という風にも思ってきたりとか、そういう部分もあってで。本来ならば、自分っていうものの時間とかそういうものをもっと大事にしたかったんだけれども…それで逆に言うと、今までやりたかったこともやれなかったっていう部分も結構あって。その節目っていうのがね『これから本当に極めることがこれで出来る』っていうね。もうその関わりとか、いろいろな義理とか、そういうことでの自分っていうことで自分は二の次といったら綺麗事のようだけれども。要するに『自分の時間、もっと欲しい。自分自身を極めたい』それには今までは『何を我がままなことを言ってるんだ。自分自身をこれだけ良くしていただいてこの世界でこれだけ大出世させていただいて、貢献しなければいけない』ということでそこに使命を置いていたんだけれども、でもそろそろ年齢も考えたりもしていて『あ、これからの時間を、やっぱり大事に使わなければいけない』ということになって。で、そういうことが基になって三木助さんも現れているわけですよ」小「…へえ…」江「要するに、どういうことかというと『時間』なんですよ。『人生というのは限りがあるよ』っていうね。だからご自身は早く自分自身で絶たれてしまったけれども、でもやっぱりね…そうは言っても小朝さんが先が短いというんじゃないんですよ。長いと言ったって…」美「百年はね…」江「うん。例えば今、百年経ってたとしても『あっと言う間だったな』と思うはずなんですよ。だから『そういうものの中にあるよ』っていうことでね。あとね、ちょっと言いにくいんですが、いいですか、何でも伝えて」小「はい」江「今後のね、いろいろ…お名前のことなんですけれども『名前には注意した方がいい』と。どの名前を襲名するかどうかっていうことは、やはり自分自身の命自体が変わる」小「おっしゃっていることは、公けにはできませんけれども、非常にわかります、それは」美「慎重に」江「ですからあの…『夜明け前の闇は最も深い』んです」小「はあ…今、そういう感じですか…」江「はい。でも、あれですね…『師匠、気の毒だな』と思うのは事故のような人間関係のトラブルが今までの人生にも多いです」小「ああもう、そんなのばっかりですよ」江「何て言うんだろう、複雑にドロドロとした何とかじゃなくて『あれ?どうして?』というような事故。車で言うと接触事故を起こしちゃったみたいな注意してつもりだったんだけど、どっちがどうとかも両方わからないっていう…何かそういうのありますよね?」小「いま江原さんが『どうして?』ってやったでしょう?あんなことばっかりやってましたよ☆僕自身も『え?どうして?』って、そういう感じでした、本当に」美「それは物事がね、順調に行き始めた時に限ってそうなの。そうでしょ」小「あー…はいはい…」国「今日はもう…やっぱり意味があったんですね」小「凄くクリアになりましたよ」国「クリアになりましたか☆」小「だって分からないじゃないですか。ずーっとその、天気と延暦寺のこととか京都のこととか気になっていたので、水とか、全部繋がりましたね、今」国「お坊さんの名前まで気になって出て『何で気になったんだろう?』というのもありましたしね」小「そうそう…ありましたしねえ…何だろうなあ…怖ろしいですねえ…」国「来年からですよ」50代になった小朝さんの将来は今後の時間の使い方次第、一人になったのは落語に集中し、芸を極めるためのようです。読んでいただいてありがとうございました。船越英一郎さん、櫻井淳子さん、松岡昌宏さん、つるの剛士さんがご出演になった「家族の愛の物語」の様子は、後日アップする予定です。「オーラの泉の日記」
December 25, 2008
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俳優としても活躍される小朝さんは、撮影の際に不思議な体験をなさったようです。国「京都でUFOを見たっていう…」小「これは本当に驚きましたね。時代劇の撮影中だったんですよ、河原で。そうしたらね、何だろう…車で言うと、10メートルくらい前に普通の車があるみたいな感覚、それぐらいな大きさですから。で、いわゆる『アダムスキー型』ってあるじゃないですか、あれなんですよ。丸くて下に肉球がいっぱい付いているみたいな…あれがポッて浮かんでいたんですよ。それで見てね、人間、面白いもので、あんまりはっきりしてると、ぼんやりしちゃいますね。『あ、UFOだ』と思って。もう間違いようがないんです、はっきりし過ぎてるから。隣で見てる役者さんもいて『本当だ』と言って…それでスタッフの人に『あの、ちょっと…UFOですけど』と言ったら、東映のスタッフの人、驚かないんですよ。『ああ、しょっちゅう出てますよ』みたいなことを…☆『ええ?!しょっちゅう?』☆」国「手も止めずに☆『しょっしゅう出てますよ』みたいな…」小「『ええ?そうなんですか?』とか言って、それで違う役者さんにね『あ、ちょっと、UFO出てます』ってパッと見たら、もういなくなっていたんですけど。でも、実際に見てる人もいるし…」国「何人か見てるわけですか?」小「そう。もう大道具さんとか『了解、しょっちゅう見てます』はっきり見えましたから。ちゃんとこうなって(UFOの下に付いた丸い肉球に似た形を手で示して)いるんですから、こういう風に…」国「何個位くっ付いているんですか?」小「四つ位だったかな?」国「四つ位☆」小「本当にはっきりしてるんですから」国「何型って言いましたっけ☆」小「アダムスキー型、後で調べたらアダムスキー型ってやつでしょ、ええ」国「不思議な体験をかなりされているというような…」小「不思議な体験というかね、僕は一番伺いたかったのは天気のことなんですけど。僕は年間、250回位独演会をやってるんですど、僕の独演会の会場がまず雨にならないんですね。それが、ただ雨にならないというようなレベルじゃなくて『九州に台風が直撃してます』と、その時に僕がツアーをしてるわけですね。僕の行く会場の周りだけが晴れているわけですよ」国「周りは雨降ってるのに?」小「そうそう。それで、僕が落語をやっている間は本当にすごい雨で、独演会が終わるともう雨が止んでたりとか小雨で帰れるとかいう状態で、もうそういうことを挙げたら切りがないんですけど、天候と僕との関係はいったい何なんだろうか…」国「これも深く関係してそうな感じですよね」小「そうですね。それからもう一つは、僕の大親友で後輩なんですけど、あの…亡くなった三木助(4代目 桂三木助 1957-2001)って方がいらしてあの方は自分で亡くなったんですけどね…で、本当に仲が良くてですねオランダに旅行に行った時にホテルでですね、いきなり『兄さん、僕ね、そんなに長く生きられないと思うんですよ』急に話し始めたんですよ。『何それ?』と言ったら『うちの親父が早死にだったんでね、うちの親父を越えられればもうそれでいいんです、年齢的に』『でもまだ若いじゃないの?』『…兄さん、僕、もし亡くなったら、葬儀委員長やってくれますか?』『…やるけどさ、まだそんなことないんじゃないの?』『それで、実は…』と言って葬儀に呼んで欲しい人と、呼んで欲しくない人を具体的に挙げ始めたんですよ。すごく具体的なプランなんですよ。『何だろう?』と思って…で、それから何年か経って2001年の1月3日ですけど、亡くなったんですね。それで僕が葬儀を仕切らせてもらったんですけど…その後にですね、あの…彼がずーっとやりたかった『芝浜(三木助さんのお父様が得意にしていた演目)』という噺がありまして結果的には僕がプロデュース公演で、彼、やったんですけど、その後、僕がその『芝浜』を手がけるようになったんですね。その噺をやろうとするとね僕の周りにパーッと彼の吸ってた煙草の香りがするんですね。だから『三木助さん来てるな』ってわかるんですけど、そんなことがしばらく続いてたんです。そうしたら最近、うちのね、女性マネージャーが三木助さんと話をするようになっちゃったんですね。その彼女は三木助さんに会ったことがないんですよ。でも、よく話をするんですって。『何を話してるの?』って聞くと『まあ、雑談だ』って言うんですよ。『他愛無い話なんですけど、よく三木助さんが出てきて話をするの』って言うの」国「あ、一回だけじゃなくて…」小「そう。だからね、何か僕に伝えたいこととか、何かあるのかな?と」国「そのマネージャーさんは霊感は強いんですか?」小「強いです。…だからこれもちょっと不思議なことで…」国「なるほど…」不思議な体験を数多くされている小朝さんに伝えられるメッセージとは。江「あの…水のことがありましたでしょう?何故『水だ☆』と言って笑ったかというとあの…前世という中でね、お坊さんの時代があるんですよね。で、修行僧だった。滝行とか、水に行ってて、その前の話にも京都の話、出てましたよね?実は私、ずーっとね、比叡山が見えるんですよ…」小「あの、ちょっといいですか?僕ね、京都って大好きで、本当に疲れるとすぐに京都行くんですけど『ただいま』みたいな感覚で京都の駅に降りるんですね。それで、世界遺産で僕、ずっと独演会をやってまわってるんですけどその中で比叡山があったんですね。比叡山の延暦寺(最澄の開いた天台宗の総本山)で独演会があったんですけど、この時だけ天候が悪くて、中止になったんですよ。これだけの晴れ男で…なのに比叡山だけ、結局、場所を移してやったんですけど…なんで比叡山の時だけが…そんなことが起きたんだろう…」江「できなかったから。そこにもまた、ミソがあって☆で、これからはありますよ」小「あ、そうですか…」江「比叡山が拒んでるわけじゃないです。要するに、そこが最後ですよね、戻るのは。そこでかなりの修行僧だったというのが見えるんですよ、高僧だったろうと…」小「こうそうってバジルとか、そういうんじゃないですよね☆…偉いお坊さん☆」江「そう。そういう方だから絶対、名前が残ってる方だと思うんですよ。歴史の中でね」小「歴史の中に名前が残ってる偉い人?」江「お坊さん」小「…ちょっと質問いいですか?僕ね、天海(1536-1643 江戸時代の天台宗の僧。延暦寺で学び、徳川家康に仕え政務にも参加、上野に寛永寺を創建)っていうお坊さんに異常に惹かれているんですよ。理由がわからないんですけど、もう天海っていうとね何かブルブルっと来るものがあるんですけど…」美「徳川家康の相談相手ね」小「相談相手で…」天海に惹かれることと水への関心には繋がりがあるようです。江「ですから、そういった意味では水にこだわる、要するに水、名水…そうしてまた…あの、昔はやっぱり水っていうのは、薬的にも扱われるんです。あとは穢れ、浄化をするということでもあったり、より神秘的な霊水的なもののとらえ方をしていますから。だからそのこだわりがずっとある。それは今みたいに水ブームだからじゃなくて、お子さんの時から水の味には物凄くこだわってたり…水が軟らかいか硬いか、そういったことを物凄く肌身で敏感に感じるお子さんだったと思うんですよ」小「はい、はい、そうです」美「それともう一つね、『昨日は美味しいと思って、今日は月が替わって不味くなる』とか結局、風水のお水取り(縁起の良い方向の水を飲み、体にパワーを取り入れること)ですよ。風水でね、お水取りっていうのがあるの。自分に合った、つまり磁場のね、湧き出たお水とかそういうものが月によって変わるんですよ。年によっても変わるの、日によっても変わるわけ」小「じゃあやっぱり、自分が『いいな』と思っているのを飲んでもいいんですよね」美「だから東西南北の、自分の今の磁気、体の磁気に合う水を自然と取り入れてたってことですよ。だから天海も風水をやってたわけですからね。天海も上野の寛永寺だとか日光東照宮…ああいうものも全部、天海が風水で調べて『そこにいれば安泰』ということを調べて、風水で建てたと言われているんですよ」天海は江戸の北東の鬼門を守るために上野の寛永寺を開き南西の裏鬼門を守るために日枝神社(山王社)を移したと言われているそうです。続きます。「オーラの泉の日記」
December 24, 2008
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寄席では思いもかけない反応が返ってくることもあるようです。国「そうですよね…僕も落語のシーンで、僕の落語が全然うけないというシーンを撮ったんです。ただ僕は真剣に覚えたわけですよ、落語を。でもお芝居で携帯電話でしゃべってるお客さんがいたり空き缶を蹴って帰ったりする人がいるんですよ。本気で腹立って☆芝居なんだけど『なんで?俺、一生懸命覚えたのに』っていうのがありますね」小「空き缶、携帯ぐらい、どうってことないですよ。本当に新聞紙に穴を空けて覗いている人とかね…」国「どういう人ですかね、それは」小「いや、わかんないよね。一番驚いたのは、これは本当の話なんですよ。池袋演芸場っていうところで休憩時間に本当はシンとしてるはずの客席から落語のねテープが流れてきたんですよ。みんながね『え?何かな、どうしたの?』と言ったらそれはね、お客様がデッキを持ってきていましてね、休憩時間中に名人上手のテープを流しているんですよ。それで『皆さん、昔の噺家はこんなに上手かったんですよ』って言ったんです、その方が」国「ええ?!」小「そういう人がいるんですよ」美「営業妨害ね」小「何を考えているんだろうなと思いますけれど。で、人間国宝になった小さん師匠は大阪の寄席で子供が前を走り回ってね、ジュースの缶が転がって大騒ぎですよ、じいちゃん、おばあちゃん、目の前を通って。30分、落語をやらなくちゃいけないんですよ。でね、小さん師匠の声が聞こえないんですね。それなのにマイペースでずっとやっていらっしゃる。で、15分経過した辺りから、だんだんその音が静かになって20分くらいから笑いが起き始めて、25分経過した時から爆笑になって最後は万雷の拍手で下りたんです。僕もう鳥肌がたってね『どういうことなんだ、これは』と思って小さん師匠がお亡くなりになる直前に『どうしても訊きたいことがあるんですけど、師匠、こういうことがあったんですけど…』『ああ、あったかもしれないな』『師匠、ああいう時は、どうなさるんですか?師匠の声は全然聞こえてなかったんですけど』『いや、そんなのは簡単なんだ。話に入っちゃえばいいんだから』」国「話に入る…」 小「噺に入っちゃう。つまり目の前にいる登場人物しか見えていない。だから何にも音が聞こえないんですって」国「あー、なるほど」小「だから誰が騒いでいても何をしていても、何にも見えない。目の前の登場人物だけ。で、スッと話に入って、30分しゃべって、下りてきた。結果的にはお客さんがついてきて、万雷の拍手だったんですよ。だからねえ…凄いですね…」1988年に故・林家三平さんの次女である歌手の泰葉さんと結婚後も銀座博品館劇場での30日連続公演、日本武道館の独演会などで活躍。2003年には笑福亭鶴瓶さん、林家正蔵さんなどと共に「六人の会」を結成する一方昨年11月には離婚へ。国「最近、ちゃらんぽらんになったというようなことを言っていましたけれども…いつ頃からですか?」小「これはですね、やっぱり一連の騒動からでしょうね。僕はね、自分で言うのも何ですけれど、結構大事に育てられてきまして師匠からも一度だけ怒られたことがありますけれど、怒られたこともなくですね本当に大事に育てられてきたんです。それなのにね…それから歴代のガールフレンドを思い出してみても、とっても皆さん優しくて良い子ばっかりだったんです。初めてです『金髪豚野郎』なんて言われたのは☆」国「まさか小朝さんの口から聞けるとは☆」小「いやいや、だってそれは毎日のように言ってるわけでしょ。僕は番組とかは全然観ていないんですよね。そういうものは観たくもないので観なかったんですけども、でも新聞にはそういうのが出るじゃないですか、活字で。そういう風になってくると『もうどうでもいいや』ってなりますね」国「全然、TV観なかったんですか?」小「観ませんよ、そりゃ」国「物凄かったですよ、各局」小「でしょ?だから噂は聞きます、当然。『あんなこと言ってました、こんなこと言ってました』聞きますけれども、僕自身はね、そういうことを言ってる姿も見たくなかったし…あとね…非常に…何ですかね…物事を表面だけで見なくなりましたね。つまり、例えば何か事件が起きましてもね、出ているのは上っ面なんですよ。で、皆さん、上っ面で判断して、やっぱりワイドショーなんかでも結局出てる情報だけで何か処理しなきゃいけないでしょう?」国「はい、そうですね」小「ところが、その下に隠れているものって、いっぱいあるわけですよね。そうすると僕は、誰か他の方が事件を起こしたり、何かスキャンダルがあった時も『この人、言いたいことがあっても言えないんだろうな』とかね『多分、違うことが他にあるな』とか、そういうことを考えるようになりましたね」国「小朝さんにとって、結婚というのはどんな分岐点でしたか?」小「そうですね…僕は楽しかったですよ…うん、あの…良い思い出ばっかりというか…楽しく過ごしていましたから」美「いやだからね、ネタにして申し訳ないんだけれど『別れ上手、恋上手、食べ上手は芸のうち』って言ってね、昔から言われているんだけれども。つまり別れ上手ってね、相手の心に永久に良い姿としてね、一生残してやろうっていう心意気がないっていうんですよね。とにかく惚れて一緒になってある時期暮らした期間があるじゃないですか。それまでね、別れが下手だったら泥まみれにしてね、踏みにじってゴミにしちゃうんですよ。もったいないでしょう?だからやっぱり、せっかくの時期は、綺麗にせめて浪漫の香りでまぶしてしまっておいて70、80になってフッとした時にね、寂しい時、苦しい時、悲しい時に思い出してしみじみと感慨に耽るみたいな…そういう別れ方をすべきなのに、最近は髪振り乱す刃物は振りかざす、泣き喚く…とにかく滅茶苦茶にしちゃうの、自分のせっかくの人生の良いところを。だからね、最近の人って、そういう古いことわざを噛み締めなさいっていうの。だからね、別れる時にね、いかにブレーキを引いて、恨みたい、罵りたいいろいろ言いやりたい…それをグッとこらえてね、それで『お幸せに。よござんしたね』っていうのが…」小「それが良いですね」美「格好良いじゃありませんか」国「やっぱりそう…」小「…だから僕は一切、コメントを出していないっていうのは、それなんです。もうだって、これ以上何かやったって、しょうがないじゃないですか。だからあの…一番は僕が何か発言することで傷つく人が出てくるんですね。僕は守らなきゃいけない人間が何人かいたんです。そんなこともありまして、それで今美輪さんがおっしゃった通り…やっぱり綺麗がいいじゃないですか。ねえ」国「そうですよね」小「ねえ。また喜ぶ人がいるからいけないんでしょうけれど僕は喜ぶ人はね、そんなにいないって判断なんですよ。そんな人ばっかりじゃないと。そんなのいいよっていう人たちがいっぱい居るだろうと。僕はそっちに期待をかけているんですけどね」美「いま大分増えてきましたよ、一頃より。昔はもう『人の不幸は蜜の味』の方でね『他人の幸せ、癪の種』っていう人が多かったんだけど今は随分、変わってきました」国「その…表というか、番組とかではそうやっていろんなことをクローズアップされながら公演に立つという…僕の中では、凄く複雑なんじゃないかなって思うんですけど…」小「それはね、そうなんです。つまりね、お客さんが緊張してるんですよ。『何か言うんだろうか?』とか、言わなきゃ言わないで、ちょっと物足りないような気もするし言わないでほっとしたみたいなのもあるし…あの…ちょっとね、お客さんの緊張感がね…」国「やっぱり見えるわけですか?」小「見える。最近は良くなってきましたけどね」国「小朝さん自体はそんなに揺れなかったですか?精神的なものというか…」小「いやそれは、ピークの時はやっぱり大変ですよ。その時に人を笑わせるって、なかなか…」国「…ですよね」小「大変です」国「そこなんですよ僕、すごく聞きたいのは。自分でも落ち込んでる時にTV番組があっても『やっぱり上手くいかなかったな』ってことがあるんですけれども、そこはどうやって…」小「いやいや、だってそれはお客さんには関係ないことですから、それの一点ですよね」国「はあ…すごく疲れません?」小「疲れます、疲れます」美「でもね、一番いい切り替え方はね、何かって言うとね、さっきいみじくもご本人がおっしゃいましたでしょう、小さんさんの…その人物の中に入ればいいの。関係ないの、そうすると。世の中の諸々の事象…違う次元にスポーンっと入っているわけだから。そうでしょう?そんなのなんか何にも関係のない次元に自分がタイムスリップしてるんだから。だから私はずーっと舞台に出ていて、あの『エディット・ピアフ』をやっている時もその中に入っているから…まあいろんなことがありましたよ。だけど、いつもそこでサッと切り替えるのはそこ。だから小さんさんがおっしゃったのは本当によくわかりますよ」国「そうなんですよね、美輪さんが本当にそういう風に…前も僕、聞いたことありますけれども…なかなかそれが…やっぱり自分が弱いのか…」美「だからね、自分が弱いって、その自分は要らないのよ、お客は。『お前さんは要らない』っていうの。その作品が欲しいわけであって」国「『なに自分を見せようとしてるんだ』って話ですよね、僕は…」美「『あんたは要らないの』☆」小朝さんがこだわっているものには、意味があるようです。国「これ面白いなと思ったのは、こだわっている物が水と炭酸水と入浴…これ…」小「…何でしょう?あのね、すごく水が恋しくなることがあるんですね。それが堪らなくなるとですね、例えば滝を見るとか、水につかるところへ行きたがるんですよ。そういう場所に行くんですね。それと何が好きかって言うとですね、洗車する時にガソリンスタンドで車の中に入ったまま洗ってもらうのが大好きなんです」国「内側から綺麗になってゆく姿を…☆」小「そう。それが何かね、自分が洗われているみたいな気持ちになっちゃって、すごく大好き」国「それ、子供がやることですよね☆」小「そう?大好きなんですよ☆」美「いや、そうじゃないのよ☆」国「…今、お二人が、水のことを話し始めたら、ざわつきましたね☆これは何か…」小「とにかく、水をすごく欲したときは、水を摂る…と」国「そのこだわりというのは、水ひとつひとつにもこだわりがあるんですか?」小「合う水、合わない水がありますから。全国から物凄い数を取り寄せてますから。それでテストして…それでまたね、あの…こないだ合わなかったのに、急に合う…なんていうこともあるでしょ?」国「へえ…何ですかね…」小「どんなに名水だとか言われたって、体が拒否する場合がありますでしょう?その…最初の一口も飲めない時もありますよね」国「へえ…僕はちょっとわからないですけど、あるわけですか」小「あります」続きます。
December 23, 2008
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25歳で真打に昇進、落語家として、また俳優としても活躍される方がゲスト。【スピリチュアルチェック】☆ 自分の性格をひと言で→甘ったれですかね…☆ 好きな女性のタイプ→深津絵里さん。具体的ですけど☆もうちょっと漠然としてるとそうですね、目がくりくりっとしてですね、多少ファザコン気味の人が好きですね。☆ 生活の中でこだわっていること→水、炭酸水、入浴剤にはこだわりありますね。☆ 人生で最大の転機→これはですね、25歳の時に大勢の先輩を飛び越えて真打に昇進させていただいたんですが、これは大きかったです。☆ 不思議な体験→いっぱいありますけど、一番驚いたのは京都でUFOを見たことでしょうね。ええ、もうすぐそこに、はっきりと。周りにも人がいて間違いなくUFOでした。☆ 最近、自分の中で変わったこと→そうですね…いい意味で少しちゃらんぽらんになってきたことですね。後は物事が起きたときに必ず表面だけじゃなくてもうちょっと深くものを考えるようになったかなという気はしますね。国「さあ、今年最後のゲストが、小朝さんでございます」小「そうですか」国「今年は…どんな年になりましたか?」小「…どんな年だと思います?☆ズタズタですよ☆ただね、物は考えようで、世の中の男性に夢を与えたと思いますね。いや本当にね『うちのかみさんもひどいと思ったけど、あいつのかみさんよりいいよね』っていうねそういう人は結構いるんじゃないかと思うんですよ。いかに自分は恵まれているかと皆さんがね。そういうことではね、世の男性のためになったかなと、思います」国「なるほど☆…まあちょっと笑うことしかできない僕らがいるんですけど☆…あの、美輪さんとはどうですか?」美「はじめまして」小「はじめましてなんです…あの…お芝居を拝見したんです。『エディット・ピアフ(愛の讃歌)』を」美「あ、そうでしたか…」小「オーラの出し方っていうのを、いっぱい見たいなっていうのがやっぱりあるんですよ。例えばね、僕は山田五十鈴先生、大女優さんですけれども、先生と一緒に舞台をやらせていただいたんです。その時に一番最後にですね、カーテンコールをやるんですよ。先生がお隣にお座りになって、僕が座って、それでOKを出して幕がスーッと上がるんですね。で、拍手がバーッと来るんですけど…その時にですね、幕が上がる寸前までスイッチがOFFになってるんです、山田先生。ですから拝見してると『大丈夫かな?』と思う位ちょっと(うつむかれて)こんな感じなんですけど、OKが出た途端にスイッチがONになるとですね…背中から何でしょうか…もう花吹雪とか蝶々とかいっぱい出てくるみたいな…ブワアーっていうのを、僕はここでみたんですよ。その時に本当は僕、お客さんを見なきゃいけないのに『すごい!』と思ってね『何だこりゃ』と思って…だからそういうものを持った方にいっぱい触れたいなと思って。それで美輪さんのステージを」国「同じような感じでしたか?」小「すごかったですよ」国「江原さんとは?」小「はじめまして」江「よろしくお願いします」国「どうですか、どんな印象ですか?」小「何か昔ね、これは噂なんですけど、何処かの神社を取り壊すっていう話になったときに江原さんがそれを見ていて何か『いっぱい泣いている動物たちがいるので止めなさい』って止めたにも関わらず、何かやってしまって変な方向に行ってしまったという話を聞いたんですよ」国「そんなことがありましたか?」江「まあ、そういうのはいくつもありますよね☆」幼い頃から落語に馴染み、視聴者参加の演芸番組では5週連続で勝ち抜き中学卒業後に春風亭柳朝さんに入門、高校に通いながら修行を続けた小朝さんは入門10年目の25歳で36人抜きで真打に昇進、これは故・古今亭志ん朝さん以来のスピード出世なのだそうです。国「元々その、落語の出会いって何ですか?」小「出会いですか?それは一家揃って落語ファンだったんです。普通子供っていうのは、親が一緒に遊ぶようなところに連れてゆくと泣くじゃないですか?ところが僕、寄席に連れて行っても全然泣かない子だったらしいんです」国「寄席デビューは?」小「だからもう、親の膝ですから。膝に乗っかって」国「四歳とか…」小「いや、もっともっとです。その頃から、もう泣かないで観てる子だったらしんです」国「マジですか?だって子供っていったら、戦隊物に憧れたり、野球選手に憧れたり…」小「もちろん憧れてますよ、そういうものにも憧れていますけれど…でも何でしょうか、三味線とかね、提灯とか着物とか、それから何でしょう、そのライブ感。『不思議なところだなあ』と思って」美「雰囲気とか匂いとかね。そういうのがお好きだったのね」小「はい。落語ってことに関しては、かなりませていましたね」国「ですよね。ただ、もう小学校後半くらいになってくると『あの人、あんまり上手くないな』っていう人も出てきたりするわけですか?」小「あのね、その『しろうと寄席』っていう番組ですけれど、僕が茶の間で観てまして大人ですよね?下手なんですよ。『下手だなあ』と思って。『この人がチャンピオンになるなら、僕が出たら間違いないな』と思ってそれで局に自分でハガキを書いて…」国「自分で書いたわけですか?」小「書いたんです。で、予選があるわけですね、200人位来るんです。その中の5人か10人選ばれるんですけど、僕、疑いもせずに『絶対に選ばれる』と思ってました。で、受かるわけですよね。『当たり前だ』と思って。それで本番に出まして『当たり前だ』と思ってますから順調に勝つわけですよね。で、5週勝ち抜いて『名人』というのをもらうんですけど、1回だけねギリギリの得点で合格だったときがあったんですよ。その時にね、僕、中一ですよ、納得がいかないんですよ。『何故ギリギリ?』みたいな」国「ダントツじゃないと…」小「そう。だから物凄く落語に関しては生意気な子供ですよね」国「それで本当の落語家になろうと思い始めたのはもう中学一年生くらいのときなんですか?」小「文楽師匠(8代目 桂文楽 1892-1971)が『噺家におなんなさい』っておっしゃたんで。『これは雲の上の方がそう言うんだから間違いないんだ』と思ったんです。で、入門してわかったんですけど、文楽師匠はお世辞の上手い方でいろんな人に言ってたんですね☆それでね『お前も言われたの?』みたいな人がいっぱいいるわけですよ☆それは大して上手い人じゃなかったりするんですね。だからね『ああ、いい加減なもんだな』と思いましたけど、でもそれは大きかったですよね、やっぱり」国「もし言われなかったら、本気で目指していたかどうかわからない…」小「やっぱり文楽師匠のひと言って、やっぱり褒められて伸びるタイプなのでその勝ち抜いたというのが大きいですね。だから5週勝ち抜けないで3週で落ちてたら『この程度なんだな』と思って多分、ならなかったかもしれないですね」国「人生の転機が25歳で36人抜きの真打と。これは凄いことなんですよね」小「凄いことですよねえ。でも本当に凄いのは、決断を下した方々ですね。その当時、理事の中に談志師匠とか圓楽師匠とかがいらっしゃったんですよ。そういう方々が『どうだ?』って言って下さったらしいんですね。その時の会長が柳家小さん(1915-2002)師匠で、結局は小さん師匠がNOと言ったら成立しなかったんですけど、小さん師匠がまた凄い方で『いってみるか』っておっしゃったんですよ。それで決まったことなんですね」国「先輩からしてみたら『何だよあいつ…俺らを抜きやがって』っていうようなこともたくさんあったんじゃないですか?」小「それは当然あるでしょうね。直談判した方もいたらしいですから。『納得いかない』とか言ってね。それはそうだと思いますよ、その通りだと思います」美「やっぱり妬み嫉み僻みっていうのがあるでしょう?」小「あって当たり前ですものね。それはそうです」国「もう話しててもわかる感じなんですか?『今までとちょっと違うなあ』と」小「一番困ったことは、例えばね、僕が7時上がりだとしますね、7時の高座、持ち時間が15分だとします。そうするとね、前の方たちが時間をどんどん押してっちゃう。で、僕が7時に上がらなきゃいけないのに僕の上がる時点で、もう7時半になってるんですね。そうすると、僕らは時間のことが厳しいですから、そういう時はですね、本当に短くやって下りなくちゃいけないんですね。ところが36人飛び越して真打になってるんで、お客さんは僕目当てでお見えになってるんで上がった途端に『待ってました!』って言われるわけですよ。『待ってました!』って言われたからには何かやらなきゃいけないのに1分2分で下りなきゃいけない。これは本当に辛いんですよね」美「真打なのに」小「そうです。僕だって30分やりたいんですよ。やりたいけど無理なんですよね。例えば僕がそこで長めにやって下りてきたとしますよね、そうするとね、先輩たちが。下りてきて『お先にありがとうございました』って言いますとね、普通『お疲れ様』って言うんだけれども、先輩たちがまず時計をチラッと見るんですよ。それがグサッとくるんですよね。何も言わないけれど『長いね』っていう…もうそれがね、結構きつくてね…。でもね、その時に思ったのは『恵まれてる状況でリスクがない方がおかしい』と思ったんですよ。だって僕、良い目もいっぱい見てるわけですから、そういうことで。当然、嫌なことがあるのは当たり前なんですね。で、逆に言うとですね他の出演者の方たちは、僕を目当てに来てる女の子たちがいるわけですね当時まだ25ですから。そうすると、その女の子たちが2列ぐらい陣取ってるわけですよ。僕が終わった途端に、スコーンとそこが空いてしまうわけですね。それは僕の後に上がる方たちは堪らないですよ。それと僕の前の方たちも『あんたじゃないのよね』みたいな顔をして見ているわけですよねお客さんたちが。『早く小朝出してよ』みたいな。その中でやる辛さってあるわけですよ。だからそういうのは僕だけじゃなくて、他の方たちも嫌な思いをしているわけですよね。それを考えたら、これはもうしょうがない」続きます。「オーラの泉の日記」
December 22, 2008

紅金色とでも呼びたいような彩なす木々に囲まれた昨年、三島由紀夫さんの命日であったため覚えているその訪れた日よりも今年は5日遅く行っただけだったのですが、すでに木の葉は落ち始め、空模様も変わりやすくなっていました。 本堂や無際橋とともに、梵音巌という岩山の上にある六角堂(霊擁殿)も修理されたそうで水を抜かれた池の上に拝することができました。 もうひとつ、無際橋の傍に立つ観音堂、京都で修理中だった銀閣寺にも似た姿はそのままで禅のご縁か代わりに拝見できたように。 ご縁といえば、建物内にあった虎の絵。虎渓山の地にふさわしい図柄で、夜な夜な外に出て暴れだしそうなところも一休禅師の洒落っ気が使われていた木橋のそばに似合います☆境内を巡り終わって、再び展示室に。古来の図面や、宮城県の瑞雲寺など様式を同じくする建造物に照らし合わせたりなど、再建の苦労があるよう。 展示を観て今一度、大銀杏の前にきたとき、目まぐるしく変わる雲が晴れて青空になり、金色の葉吹雪の舞に居合わせることができました。これだけ広く、見どころ多い場所、虎渓山・永保寺、拝観が無料なのも魅力なのです。境内を出て、帰る前に駐車場脇にあるスタンドで五平餅をいただくのも楽しみ☆クルミやエゴマ入りの甘味噌をつけた半搗きのお餅を香ばしく焼いたもので、わらじ形もよく見かけるのですけれども、このあたりではお団子形のよう。秋の終わりを夫と過ごすことのできた一日。来年もまた、訪れることができればと思います。「虎渓山永保寺 公式HP」「虎渓山・永保寺2007の日記」
December 21, 2008

まだ山染まる頃、永保寺に。2003年に焼失してしまったという本堂の再建工事が本格的に始まっていました。 境内の大銀杏が金色に煌いて。外国からいらした方々を含む団体が道をふさいで長々と記念撮影を続けられているのをやむなく少し制して、歩を進めます。 紅葉の赤をとらえるのに夢中になっていると、一緒にいた夫が見えなくなってしまいましたので現れるまで昨年も拝見した無際橋の方へ。何とこちらも解体されていて。この古い木の橋の端には「このはし渡るべからず 一休」とお茶目な注意書きがあったのですがいよいよ持ちこたえられなくなったのでしょう、池の水もしっかり抜かれて、本格的な修理をしていただいているよう。完成したら、渡るのが愉しみです☆ さらにしばらく待っていると、夫が本堂再建工程の展示室から出てきました。小さなプレハブは混んでいたので、「桧皮葺」の模型のみおさめて、先に進みました。 瓦を使った塀の向こうには、八重咲きの淡桃色の椿。夫はにじり寄って瓦の層を撮っています。10月に訪れた京都・渉成園の高石垣には石橋や石臼まで使われていましたけれどももとの形を活かしたまま次の建造物に変えるのも、心得のひとつなのでしょうか。続きます。「虎渓山永保寺 公式HP」「虎渓山・永保寺2007の日記」
December 20, 2008

パソコンを使うようになって10年あまり、年賀状はもっぱら画像を取り込んで夫か子供に作ってもらい、ご挨拶に添えるひと言と表書きを自筆にしてお送りしています。昨年は忙しく、パソコンの前に座る暇もなかった夫、今年も相変わらずの忙しさではあるものの、部署が変わり、交友関係や趣味などにも起伏が生まれたせいか、早々と「年賀状を作る」と言い出しました。毎年、妻の年賀状を作っても、自分では一通も出さないどころかいただいたお返事さえ出さない夫がどうしたことかと思いつつ、いつもは何度も促してようやく作ってもらうという過程そのものを労にも楽にもしていましたので、あっさり出来上がった作品にもうひとつ自分の手を加えたくなり、絵手紙のときにも使った和紙の花を添えてみました。 3センチ四方にした和紙を3つに折って、はさみを入れるという簡単なもの。 手の動くまま、心の向くままにはさみを使うので、開くまでどんな形が現れるかわからないところが楽しみです。全体のバランスを考えて、形によって良いかなと思われる場所それぞれに貼って完成。和紙のぬくもりが伝わるといいなと思います。「子供たちと切り絵で絵手紙の日記」
December 19, 2008

ホットケーキミックスでも作れる好評のレシピを作成手順の画像付きで再録します。我が家で普段からよく作るレシピで、今回が八度目のご紹介☆「作ろう!」と思い立ってから、最短で40分後には出来上がっている手軽さ。夕べ、早めのクリスマスをした我が家。デコレーションケーキをせっせと作ってくれた子供も、このケーキで育ち、美味しさのギフトを贈ることを覚えてくれたものです。ココアを入れない場合は、シンプルリングケーキになります。簡単チョコケーキ材料「粉系」ホットケーキミックス 130gココア 8g砂糖 30g「汁系」卵 1個蜂蜜 20gサラダ油 80g牛乳 70g********************ホットケーキミックスがないとき (()に置き換えるとヘルシーケーキに)「粉系」薄力粉(全粒粉) 130gココア 8gベーキングパウダー 5g または重曹 または2g砂糖(黒砂糖) 70g(黒砂糖の場合は50g)「汁系」卵 1個蜂蜜 20g(卵を使わない場合は40g)サラダ油 80g牛乳 70g *********************手順・オーブンを180度に温めておく。・エンゼル(ドーナツ)型にサラダ油(分量外)を塗る。・はかりにボールを載せ、目盛りを0にして、粉系の材料をはかりながら入れ、汁系の材料を入れ込み、スプーンで粉気がなくなるまでよく混ぜる。・オーブンで30-40分焼く。☆大さじ○、○○g、○○ccなどの単位がいろいろなものを、すべてgに統一しましたので、材料を書いてある順に計りながらどんどんボールに入れてゆくと、タネがあっという間にできます。洗いものはボールひとつと混ぜるスプーンと型だけですみますよ。☆焼けたかどうか、お箸をさしてチェックしてください。刻んだクルミを焼く前に型に入れたタネの上にふりかけると香ばしくて綺麗です。チョコチップを入れるとさらに美味しい。☆8-10等分してラッピングして配ったり、丸ごと差し上げたり。☆ お子様でも簡単にできます。☆ エンゼル型がない場合は、普通のケーキ型でもOK。少し低めになりますが、美味しくできます。 今回はホットケーキミックスを使わないときの画像です。 【粉系すべて投入】→ 【汁系すべて投入】→ 【スプーンで混ぜる】・はかりにボールを載せ、目盛りを0にして、粉系の材料をはかりながら入れ、汁系の材料を入れ込み、スプーンで粉気がなくなるまでよく混ぜる。(左側の画像に見える薄い茶色のお粉は黒砂糖、濃い茶色はココアです。) ・チョコチップを入れた場合。今回は30g入れました。 ・型にサラダオイルを塗って、タネを流し込みます。 ・くるみを入れた場合。今回は30g刻んで、表面に散らしました。 ・あらかじめ180度に温めたオーブンで30分焼いて、完成。あら熱が取れてから、フォークをふちに入れて外します。 ・ひっくり返してお皿に出したところ。元に戻して、くるみが見えるようにします。・八等分に。 冷ましてからいただくと、しっとりとしてさらに美味しくなります。クリームやいちごで飾ってみても。よろしかったらお試しになってみてくださいね。「チョコチップ」おなじみ「ヴァンホーテン ピュアココア」香ばしいくるみも。「栄養満点くるみパック1kg」テフロンが便利「エンゼル型」
December 18, 2008

今年は柿が豊作のようで、我が家の木にも初めて実りがやってきました。春に夫が庭木をかなりたくさん伐採した際、何の木かわからないものもいくつかあり、「これも切ってしまおうか」と言うのを制して残したのが、この木。周りの木に囲まれて葉っぱもよく出ていなかったのが、日当たりが良くなったためか枝を伸ばし、秋になってようやく柿の木と判明した次第。豊作年のラッキーもあって渋柿かと思いますが、数十個実っています。柿の木のとなりにあるのは紅葉。新芽の頃から紅い色を見せてくれる木ですが空気の冷たさが凍みるように季節が深まるごとさらに染まってゆきます。柿と良いコントラストになったためか、今年はより濃い紅があらわれていました。濃桃の椿も花を咲かせて。秋から冬にかけて、花の少なくなる季節にとても有り難い花。庭には二本の同じ種類の木があるのですがいっぺんに咲くのではなく、まず南側の木から、少し遅れて西側にある木が年を越えても花をつけてくれるので長く愉しむことができています。2月に逝ってしまったセナ(ジャーマンポインター♀ 享年14歳)の棺にも供えたのも思い出しながら、枯れ葉の覆う庭で花の色を探していましたら、今朝になって、また一つ、たんぽぽのような菊が咲いていて。春待つ大地は、まだたくさんの色合いを秘めているようです。「セナの旅立ち」「我が家の庭の日記」
December 17, 2008
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風邪のケアは、基本的には手洗いとうがいと、できれば鼻洗い(ヨガでも古くからこの療法が行われていたそうです。)。先月、久しぶりに風邪を引き込んだ原因を探してみると、10日ほどこのケアを怠ってしまったこともあったかなと思っています。引いてしまった風邪のために。これまで何度かご紹介してきた我が家のレシピを再録いたします。「風邪のひきはじめに」ジンジャー(ショウガ)パウダー(生しょうがのすりおろしやチューブ入りのものでも可)をハーブティや紅茶、お番茶、梅昆布茶などに入れて飲むと体が温まり、よく休むことができます。甘味をつけたい方は殺菌作用もある蜂蜜、特にマヌカハニーがお薦め。マヌカハニーは殺菌力も粘度も高いので、スプーン一杯くらいを口に含んで飴のようにゆっくりのどを通してゆくのもいいですね。 「咳と熱で辛い方のための薬で胃を荒らさずに症状をやわらげるレシピ」三週間ほど、咳が止まらなくて困ったことがありました。薬を飲んでもなかなか治りません。そんなとき、自然食品店を長年経営していらっしゃる老婦人から、たまたま前日に40度の熱が出たけれど治ったのよ、というお話が。とても元気よくお店に立っていらっしゃるので、これはと思い、レシピをお聞きしました。「コーレン(れんこん粉)」7に対して「昆布の黒焼き」(粉状になっています。)を3の割合(全部で小さじ1くらい)にして、天塩をひとつまみ入れてお湯で飲む。同量の片栗粉と合わせてからくず湯にするとさらに効果がアップします。 「梅肉エキス」も、あれば加えてみてください。この梅エキスは、腸の中のよい菌を育て、悪い菌をなくす効果があるそう。これで辛い咳が解消いたしました。咳や熱は体の毒素(老廃物)を排出するための反応だそう。内臓が弱っていると毒素を出しにくいため、胃を荒らす食事や薬を摂らない方が良い場合もあるようで、以来、この3点を我が家では常備しております。☆☆☆おまけ 「会議や講演会などで咳を止めたいときに」 ☆☆☆コンビ二やスーパーにある「のど飴」をいろいろ試しましたが、私が一番効果があったのは「カンロ 梅のど飴」☆梅エキスとハーブ(シソ・カリン・ヨモギ・枇杷など)がたくさん入っています。大抵のコンビニにありますね。以来、バックにいつも入れて持ち歩き、咳をしている方がいると差し上げています。咳を続けると肺や気管を痛めてしまうので、お気に入りののど飴ですかさずケアするといいですね。どうぞ心地良く、美しく、お健やかに。
December 16, 2008
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クリムトと薩摩切子があしらわれた美しいタイトルバックから最後まで目を離すことができなかった今年の大河ドラマ・篤姫。タイトルロールの女優さん本人がテーマ曲と共に現れる斬新なスタイル、金と赤を纏い、恋人たちの足元の花々が咲き舞う中にたたずむ可愛らしくも凛々しい姫君が、全てに引導を渡して昨夜、その生を終えました。世界に類を見ない、一年間という長きに渡って実在の人物を生きられる大河ドラマ、誕生の瞬間から幼き日々、幾多の出会いと別れ、夫婦の機微から家族への成り立ち、そして最期のときまで、通常のドラマではあり得ないほど細やかに描かれた人生を、良き言葉が溢れるほど散りばめられた今回、観る側も心豊かに寄りそって共に生きることができたように思います。写真の残された人物像は、人々の間に根強いイメージを下ろしているものですけれども最終回の、やや暗がりの中で座るシーンでは、断髪のやや厳ついあの有名な写真に、華奢な若い女優さんがハッとするほど重なって。たゆたう大河を泳ぎ渡り培われた威力をまざまざと感じたのでした。全50話を観終えた今、年末の総集編ではどのあたりがピックアップされるのかも楽しみ。将軍をされた方々が、3代すべて美しい☆というのも見どころだった今回、ままならぬ時代の中で、篤姫という触媒によって変容してゆく姿を振り返り拝見しましょう。 ☆ 今回のNHKドラマストーリーは、三冊目の完結編も発行されています。「TV談義の日記 篤姫に注目☆」
December 15, 2008
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山本耕史さん出演の「三億円事件40年目の真相」が今夜放送されます。中村梅雀さんと共に、実在の刑事さん役に挑まれるそうで、ひと月以上前からお待ち申し上げておりました。今秋放送されたNHKの土曜時代劇「居眠り磐音」でもお二人は共演されていますので、息の合ったところも拝見できることでしょう。同じく共演の杉本哲太さんはこちらもNHK時代劇「鞍馬天狗」で土方歳三を演じられた方。土方役者二人を拝見できるのも楽しみです☆ 「新証言!三億円事件 公式HP」同じ時間帯のNHKさんでは谷崎潤一郎さんの平安時代を舞台にした小説「少将滋幹の母」のドラマ化「母恋ひの記」が放送とのこと。山本さんのドラマを楽しみに待って、今朝の新聞を開きながら「フィギュアのグランプリファイナルと重なっていないといいな~」と思っていたのですが源氏物語を訳された谷崎さんの平安物の同時放送を発見、…これも観なくてはいけません☆「NHKドラマ 公式HP」小塚くんの活躍が目覚しかった昨夜のグランプリファイナルSP、今夜のフリー、浅田さんの仮面舞踏会も見逃せませんので、3つの番組が重なった時間帯は、やむなくレコーダーのお世話になることになるでしょう。「山本耕史さんの舞台&映画&ドラマの日記」「TV談義の日記」
December 13, 2008

名残惜しく芸術センターを後にして、本日三回目の地下鉄乗車、四条駅から京都駅へ。新幹線の時刻よりも、一時間ほど早く駅に着いたのは、もちろんお土産を購入するため☆今回は、新幹線往復に3000円分のクーポンがついた個人ツアーを利用しているため、朝、チェックした駅構内のチケットを使える「ASTY京のみやげ」さんへ直行します。まずは、子供のリクエスト「生チョコレート」を。フランス屋製菓さんのもので、抹茶チョコもありましたが今回はスタンダードな方にしました。次は、夫のためにお漬物とちりめん山椒を。西利さんの京つけものは、ご飯にぴったりでした。西谷堂さんの金つばも。丸い形で食べやすく、お抹茶との相性も素晴らしかったです。それぞれの買い物は「ASTY京のみやげ」さんの中にある各店舗でお会計をする際にクーポンを渡し、残額を記入したクーポンを返してもらって、また次の店舗でお買い物…という形。最後に残った数百円分は数十円を足して、鍵を失くしやすい子供用に京ちりめんのキーホルダーを購入、キレイにクーポンをお土産に使うことができました。コンパクトにまとめたお買い物袋を提げて、新幹線に。帰りのこだまにもスムーズに乗車し、また本を広げます。遠出の旅に電車を使いたいのは、読書をしたいためでもあって。往復の新幹線の中で「源氏物語」、フランソア喫茶室では「カフェー小品集」、ジュンク堂書店で「文芸春秋」、京都芸術センターでのアート本鑑賞と、読書空間巡りでもあった京の一日。「京都読書空間」のマップに載っているのは全部で44箇所。スタンプラリーのように心でしるしをつけて、また訪れたいなと思います。皆様のおもむかれる場所全ても、よき空間となりますように。読んでいただいてありがとうございました。 「京都芸術センター 公式HP」「南禅寺 公式HP」「銀閣寺 公式HP」「金戒光明寺 公式HP」「平安神宮 公式HP」「渉成園(しょうせいえん) 公式HP」「秋の京都へ2008 源氏物語ゆかりの地めぐりの日記」 「秋の京都へ2007 新選組ゆかりの地めぐりの日記」「秋の京都へ2006 京都御所&嵯峨野の日記」
December 12, 2008

「京都読書空間」という本は、タイトル、装丁からページひとつひとつまで眺めているだけでも私にとっては十二分に愉しいのですが、購入してから3年目の今回、ようやく載っている空間を訪れることができました。ひとつめは、すでにアップした「ジュンク堂書店」。高い書棚で本の渓谷に佇めるような、本好きさんたちが集まる匂い芬々とした空間でした。もうひとつ、錦市場で早めの夕食をとった後、出発までの時間で行ける空間はないかしらと思った時に目に留まったのが「京都芸術センター 図書室」。錦小路通から烏丸通の交差点を渡って、さらに100mほど西へ進み、室町通りで右折(北向き)して到着。 昭和初期に改築された小学校舎を再利用している場所で、教室はギャラリーや制作室としてアーティストの方々に使われているそう。門を入って左手の三角屋根のエントランスの建物は事務室とミーティングルーム、石畳をまっすぐ進んで正面の明かりの見える入り口を通ると、左手が演劇の練習などにも使えるフリースペース、細い廊下の窓からグラウンドを眺めつつ進むと、教室サイズのままのカフェ、情報コーナーに並んで図書室があります。納められているのは演劇、映画、美術、音楽、伝統芸能関係の本や雑誌が約4000冊。一冊一冊すべて手にとってみたいのを押さえてページを繰ったのは「月間京都」「ウィリアム・モリスの庭」「ワダエミの衣装」「キネマ旬報」と「ユリイカ」のバックナンバーなど。演劇の視聴覚資料も豊富で、時間がないため美輪明宏さん主演の「毛皮のマリー」のビデオを拝見できなかったのが残念でしたが本とアートに囲まれた静謐な空間に身を置けたのがとても幸せ。図書室には、展覧会の図録なども。私の夢のひとつが、これまで集めた画集や演劇のパンプレット、澁澤龍彦さんなどの本を鑑賞できるこういった図書室のような空間を共有することですので、良いヒントをいただくこともできたのでした。陽が落ちてから図書室を出て、情報コーナーも少し覗きカフェーの前を袖引かれる思いで通り、薄暮の校庭を眺めて読書空間から街の灯りを縫って地下鉄へ。帰路を始めましょう。 「京都芸術センター 公式HP」「南禅寺 公式HP」「銀閣寺 公式HP」「金戒光明寺 公式HP」「平安神宮 公式HP」「渉成園(しょうせいえん) 公式HP」「秋の京都へ2008 源氏物語ゆかりの地めぐりの日記」 「秋の京都へ2007 新選組ゆかりの地めぐりの日記」「秋の京都へ2006 京都御所&嵯峨野の日記」
December 11, 2008

瀬戸内寂聴さんは「小説家は実際に訪れたことがあるかよく知っている場所を描かなければならない」といったことを述べていらっしゃいますけれども、読者にとっても、その点は似通うところがあって。小説中に描かれた場所を訪れることで、さらにその作品を活きたものとして立ち上がらせるようなイメージを描くことができる。まして読書に最適な場所が舞台になっている場合はなおさら。「フランソア喫茶室」の扉を開け、レディメイドの品性のある制服を着たウェイトレスさんに迎え入れられすぐ右手のコクトー自筆の手紙が掲げられているというボックス席が残念ながら空いていないことを確かめてから、モナリザの複製画を正面に臨めるテーブルの、右角の椅子に座りました。注文したのはケーキセット(1000円)。本を読んでいたのなら、本当はコーヒーを頼むべきだったのですが、長く歩いて喉が渇いていたのでしょう、メニューを見てすぐ「アイスティーとチーズケーキ」と口に出していました。ケーキもいくつか選ぶことができたのですが、チーズケーキが自家製だというずいぶんと前に得た情報がふと蘇り、頼んで正解、とても美味しかったです☆紅いベルベットの二人掛けにゆったり納まり、開いたページはもちろん「品性のある制服と、品性のある歯車」。「ごゆっくりどうぞ」という今ではあまり聞くことができなくなったお言葉に甘えて数十分。先客の方々もいっこうに帰る気配が見えないほど居心地の良い場所は最奥まで進んでみると、ちょうど背にして座っていた壁の向こう側にも空間が続いていることがわかります。また訪れることを願ってお店を後にしました。四条通に戻って横断、左折(西向き)すると、休日の午後、京都の大通りはさすがに物凄い人出、いつもなら人の間をすり抜けてゆくのですが前に歩を進めるのがやっと。ようやく到着したのは「京都読書空間」に紹介されていた「ジュンク堂書店」。「文芸春秋」の11月号、宮尾登美子さんと堺雅人さんの対談を読み、長居したい気持ちを押さえて、東側の小路を通ってすぐ、京の台所・「錦市場」へ。そろそろお土産を買う時間、左右に隙間なく並ぶたくさんの誘惑を越えて午後4時半の店じまいに間に合うように「富美家(ふみや)」さんに入り、念願の「富美家なべ」を。こちらも小品集に登場するお店&メニューです。運ばれてきたのは、海老天、卵、焼餅がのった鍋焼きうどん(600円)。お店の隅に小さく座り、ケーキセットを食したばかりのお腹にきちんとおさめました。再び錦市場の喧騒へ戻り、夫が来れば狂喜乱舞するに違いないなあと店先を眺めるだけで人波を泳ぎ去りました。お土産は京都駅構内で買うことにしていましたので。朝にも少し歩いた烏丸通を渡り、最後の訪問先「京都芸術センター」へ参ります。 「南禅寺 公式HP」「銀閣寺 公式HP」「金戒光明寺 公式HP」「平安神宮 公式HP」「渉成園(しょうせいえん) 公式HP」「秋の京都へ2008 源氏物語ゆかりの地めぐりの日記」 「秋の京都へ2007 新選組ゆかりの地めぐりの日記」「秋の京都へ2006 京都御所&嵯峨野の日記」
December 10, 2008

三条駅から土方ルートでもある三条大橋へ。ほぼ同時期に訪れたためか昨年同様、あしなが育英会の街頭募金が催されていて先ほども見かけた茶色い制服の女学院の生徒さんたちが立っていました。 三条大橋を渡って、木屋町通りを南下して向かうのは、これも「カフェー小品集」の作品の舞台となったお店。いくつかある通りの中で、木屋町通りを歩くことにした理由のひとつは、昨年、歩けなかった池田屋探索の近藤勇ルートがこの通りの逆向き(北上)だったから。二年かけて局長・副長の通った場所両方を訪れることができました。佐久間象山遭難の碑が見えた場所で左折し(もう少し真っ直ぐ歩くと池田屋跡)、隊士さんたちが水浴びをしたという高瀬川を見ながら通りを南向きに辿っていると「土佐藩邸跡」の看板。前方を行く方々の「何故こんなところに土佐藩?」という声を聞きながら画像をおさめ花街の真っ只中に在った志士の方々の気配を感じます。 この木屋町通を選んだもう一つの理由は「カフェー小品集」の冒頭の作品に登場する、いまはもう閉まってしまったというお店の前を通りたかったから。本に載っていた住所と同じ「紙屋」の文字を川端に見つけて、高瀬川の向こう岸に渡り一人で歩くには少し戸惑いを覚える彩色の溢れる細い道を南下しながら赤い切妻屋根の建物を探しましたが、出会うことはできないまま。 そのうちに「琥珀の中のバッハ」で少し言及されている「ソワレ」の前へ。浮き上がった周囲とは明らかに違うしなやかに根をおろしたような構えのカフェーで東郷青児の絵が飾ってあるという店内も見てみたかったのですが、こちらも次回に。四条通に出て、しばらく信号待ちをした後に横断、阪急百貨店の東側の細い道を入ってゆくと前方、通りの突き当たりには十字の家紋を大きく掲げたお店が見えて。土佐藩の次の薩摩藩、どんなところか確かめてみようかな…と思うまもなく道の右手にあったのが目的のカフェー「フランソア喫茶室」。店内では携帯電話禁止とのことで、入り口で電源を切り「品性のある制服と、品性のある歯車」の舞台に迎え入れられました。続きます。 「南禅寺 公式HP」「銀閣寺 公式HP」「金戒光明寺 公式HP」「平安神宮 公式HP」「渉成園(しょうせいえん) 公式HP」「秋の京都へ2008 源氏物語ゆかりの地めぐりの日記」 「秋の京都へ2007 新選組ゆかりの地めぐりの日記」「秋の京都へ2006 京都御所&嵯峨野の日記」
December 9, 2008

南禅寺の門をくぐり、次に目指すは水路閣、これも小説の舞台…だったのですが道なりに進むか曲がるか迷い、人の流れのある方へ分け入ったところに大きな建物、南禅寺の三門がありました。 近づけば近づくほど大きな造りで、内部も公開中。余裕があれば登ってみたいところ、こちらも次回のお楽しみに。さて、水路閣を目指して歩いていたつもりが、湯豆腐屋さんの並ぶ大通りに出てしまい、知らぬ間にインクラインの上を通る橋の上にいました。実はここも小説の舞台の続き。戻らずこのまま歩くことにします。 インクラインは琵琶湖疏水を通る船を運ぶために造られた線路。水位に落差のある場所では船を台車に収納して移動させるのだそうで廃線になった後も蹴上のインクラインは設備が残されているようです。 地下鉄・蹴上駅に向かうインクラインに平行した道をしばらく歩き少し空いた隙間から廃線上に進入。入ってもいいのかしら?とも思いましたが、はるか遠くに二人連れの方がいらしたのと、線路に敷石がありましたので歩くために整備されているのでしょう。哲学の道と同様、ここも春には桜でいっぱいになるようです。 線路道が終わり、石畳を上り下りして再び蹴上駅に通じる道路に。インクラインを歩いていたときに駅を通り越してしまったのを確認していましたので100メートルほど戻って地下鉄の入り口に到着することができました。本日二度目の地下鉄乗車。「京都市営地下鉄1日乗車券」を取り出してほんの二駅ほどですが、これから三条駅に向かいます。 「南禅寺 公式HP」「銀閣寺 公式HP」「金戒光明寺 公式HP」「平安神宮 公式HP」「渉成園(しょうせいえん) 公式HP」「秋の京都へ2008 源氏物語ゆかりの地めぐりの日記」 「秋の京都へ2007 新選組ゆかりの地めぐりの日記」「秋の京都へ2006 京都御所&嵯峨野の日記」
December 8, 2008
懐かしきあなたは かの地にまだいるだろうか。遥かな故郷で ともに眺めた大海原に 映る光りの 朧な影ゆく末照らす 山の端の月「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」*7「Portable Story 100 pieces」 【B7 ゲッセマネの園】
December 7, 2008

銀閣寺から哲学の道へ。参道の喧騒には比べられませんけれども有名な散策路は、やはり人の波が続いていました。それでも水際の土手にある少し小高い路と、土手下の舗装された道と疎水分流に沿ってふたつの通路があり、お好みの方を歩くことができます。 哲学の道は哲学者・西田幾太郎氏が思索しながら歩いたルートから名づけられたそう。「カフェー小品集」という本の作品の一つに描かれた舞台でもあり、読んだ時から歩いてみたかった桜並木の続く散策路。水際の路は橋のあたりで途切れることと、午後に入って少し疲れてきたため人空くなの舗装された方を進みます。小品集の「眠りの国、青い屋根の人の家」に登場する教会のような造りの小さな家が目に入ってこないかなと思っていると、途中から茶色の制服の女の子の集団が先生と一緒にやってきました。なかなかスルーできないままに後ろから見ていると、手に手に火ばしを持って、道に落ちている塵芥を拾っている様子。今日はご奉仕の日なのかなと思いつつ、背後にぶんぶん振り回される金属を避けてようやく集団を越えたところで、これも小説の中で言及されていた女学院の生徒さんたちだったかなと気づきます。 本はその名の通り、都市にあるカフェーをモチーフにした小説集で12のお店がそれぞれの作品になって収められています。京都のカフェーの小説は4つ。そのうち、どのお店に行こうか迷いながらガイドブックを探しお店が載っているものを購入したり、作品に登場する場所を調べたりしているうちに4つのカフェーのうち、すでに3つが閉店してしまっていることがわかりました。「眠りの国、青い屋根の人の家」のモチーフになった「喫茶・若王子」もその一つ。哲学の道沿いの終点、若王子神社の近くにあるお店は、やはり閉まっているようで駅名風の看板が入り口のワゴンに残っています。 午前中に訪問した金戒光明寺のことを調べているとき、何故か「新選組と幕末の京都」という本の地図にも載っていた「喫茶・若王子」。不思議に思いつつ、さらに調べていると、ここが土方歳三役を何度か演じられた栗塚旭さん(大河ドラマ「新選組!」では山本耕史さん演じる歳三のお兄様役をされていました)が経営するお店だということがわかり、腑に落ちると同時に、新選組と小説、二重の意味でのゆかりの場所にご縁があることに感慨深さを覚えながらルートに入れたのでした。 若王子橋付近で、哲学の道は終点。そのまま右手(西向き)に折れて歩くと、次は南禅寺に導かれてゆきます。続きます。 「銀閣寺 公式HP」「金戒光明寺 公式HP」「平安神宮 公式HP」「渉成園(しょうせいえん) 公式HP」「秋の京都へ2008 源氏物語ゆかりの地めぐりの日記」 「秋の京都へ2007 新選組ゆかりの地めぐりの日記」「秋の京都へ2006 京都御所&嵯峨野の日記」
December 7, 2008
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久しぶりに臥せるほどの風邪をひき込んだ11月。ここ数年来、つまりヨガを始めてから病院のお世話になることはほとんどなかったので、そのうち良くなるだろうという甘い観測のもと、かなりこじらせてしまってから通院、ほぼひと月、あまりすっきりしない日々を過ごしていました。ヨガの教室を初めてお休みし、生徒さんたちにご迷惑をおかけしてしまったり、声を出すことや深い呼吸をすることがなかなかできなかったりと、普段、当たり前と思って行っていることが、本当は全てのバランスの元に成り立っているということをつくづくと実感しました。ようやくワンフレーズ、言葉がスムーズに出せるようになって教室で滞りなくインストラクトできるようになった喜び、電話で友人と支障なく会話できる愉しみ、家族と出かけられるようになったことへの感謝、人にも自分にも今あることの奇跡を思えたひと月でした。さて11月も臥せりつつ、源氏物語の再読を少しずつ進めました。岩波文庫の校注付原文を一帖読んで、瀬戸内源氏の同じ帖を読んで…という風に。登場人物の解釈によって、同じ文章が全く違う印象に訳されてしまうということをつくづくと感じながら、かなり光の君に厳しい寂聴さんの訳と原文との印象の対比を愉しんでいます。 図書館に予約していた本も。逆説シリーズは文庫版で揃えていますので、先行している単行本は出版されてすぐ予約を入れるようにしているのですが今回は気づくのが遅れて14人待ちに。それでも思ったより早く連絡が来ましたので、私もすぐに読んで早めに返却。徳川宗春の治世について述べられていたのが興味深い15巻目でした。書店で眺めて、NHKの講座を観て、購入を決めたのが「知るを楽しむ 私のこだわり人物伝」中原中也さんと阿久悠さんのテキスト。稀代の詩人ふたりが同一冊子に入っているというのも面白く。今年で四冊目になったのがこのダイアリー。毎回、目の覚めるような色彩の表紙で、見るだけで元気になる文庫サイズの日記。見開き片面が一日分、その日のメッセージも載っているので日々の参考にも。ページの真ん中に横線を引き、上にはこの日記にも載せている「感謝したこと」を下にはスケジュール、食事、夢見、アイディアなどを。罫線がないため手帳としても自由に用いることができ、文庫の本と一緒に書棚にきちんと並べられるので管理しやすく気に入って使い続けています。大河ドラマも最佳境。覚えている限りの年は49話完結でしたので、今週の48話を観ながら来週で最終話なのね…と寂しく思っていたところ、まだ続きそうな展開。NHKのドラマストーリー、前編・後編はすでに読み、加えて「完結編」が出版されていることを知った時には購入を迷っていましたが、50話目もありそうだなと気づいてすぐ、後編に載っている筋を改めて読んでみると、どうやら話の運びが少し変わってきているようなので、やはり手に入れました。江戸城無血開城の際の大奥の反応などが、放送されるにつれて熟成してゆくドラマにふさわしいものに変化していくのを読み比べることで、さらに面白く見ています。11月に観賞した演劇&映画蜷川幸雄演出「から騒ぎ」映画「容疑者Xの献身」今年も続けているのが「感謝したこと」を手元の手帳に書き留めること。11月のギフト・地域のグラウンドゴルフ大会のご奉仕を今年もできたこと。・先月に続いて手作り石鹸の仕込みができたこと。・世界一の薔薇園で秋の薔薇を鑑賞できたこと。・永保寺の銀杏の葉吹雪に居合わせたこと。・夫と映画鑑賞ができたこと。・ヨガ教室を続けられていること。***日常がどんなに喜びに満ち溢れているかが、目で見てもわかり、潜在意識にも教えてあげられる方法。お薦めです☆皆さまのこのひと月が、素晴らしいものになりますように。「今月のギフトの日記」
December 5, 2008
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12月20日(土)は夜7時からの二時間スペシャル。ゲストは春風亭小朝さん。「家族の愛の物語」では泉ピン子さん、船越英一郎さん、櫻井淳子さん、松岡昌宏さん、つるの剛士さんのお話も聞けるようです。***岸部さんを支え続けた奥さまとは、深いご縁があるようです。江「あの…何故こういう風になったのかっていうのは、すごく良くわかるんですね。実はねこれは夢物語、前世っていうところで見ててもそうだけれど、フランスとかの姿が見えてきてやっぱりその時、貴族なのかとってもいいお宅、お坊ちゃんで生まれて育ってでも家が没落しちゃって、全て失っちゃったんですね。だからあれだけ物にこだわったというのはね、美しい物、綺麗な家…何でもそういったものを『取り戻そう、取り戻そう…』って、何かそういう気持ちが凄く強く出たと思うんですよ。『何か取り返さなきゃ』と。あたかもね、自分がそのヨーロッパの貴族のお家か何かに住んでいる生きているかのようにすると幸せを感じたんじゃないかと思うんですよ。だからそれで、そういう風な過去、前世を繰り返すかのような出来事、そしてまた奥さんという出会い。これは本当に救いの神じゃないですか。ね?だってこの人は、前世においても母なんですね。だから息子を助けに来たわけなんだけれどもやっぱり『可愛そうだなあ』と思うんですよ。少しは孝行してあげて欲しい。孝行とは何かというと、感謝という気持ちを取り戻して、一つ一ついただく仕事をこなしてゆくことだと思うんですね。奥さんがおっしゃること、当然だなと思うんだけどね普通ね、会社勤めなりをしていて、同じような出来事や病気があった時いま仕事ができる可能性の方が少ないですよ。要するに奥さんは何が言いたいかというと『普通、一般社会にいるよりも再起できる恵まれた環境にいることに感謝できないんだよね…』っていう言い方をするんですよ」美「あのね、幸、不幸は何処にあるかって言ったら、胸三寸にあるんですよ。『自分は不幸だ』と思うとね、何でも不幸なんですよ。例えば自分が着ている物。『こんな物じゃない、他の人はもっと、時計ひとつでも良いものを持っている。自分はあれ以上の物をするべきだ』そうしたら不幸でしょう?だけど『着る物がある。食べる物がある。雨露のしのげる家がある。何だかんだ言いながらでも面倒をみてくれる人がいる』何でもかんでも全てを感謝することに結びつければねどんなことでも即、幸せになれるんですよ。全部が極楽になるの。だから地獄、極楽にするのは自分の胸三寸で、やり方次第、発想の転換だけ。ところが『あれも不満、これも不満…』ぶつぶつ口から毒ガスばっかり吐いたらその毒ガスが何処にも行かないの。自分の周りにね、全部漂っているんですよ。そうするとね、毒ガスで自分でやられて『痛い、痛い、苦しい、苦しい…』誰のせいでもない。自分の中から出てきているの。そうなると『心臓が痛い、苦しい…』とかって、またそこで『同情を得よう、甘えよう、誰かに同情されよう…』それが結局、自分を駄目にしちゃう。だから『自分が面倒をみてもらう』とかね『元気にしてもらう』とかみんな受け身の人生は駄目で『自分が元気にしてあげる、面倒をみてあげる、尽くしてあげる』ってそういう風にならないと駄目なの」江「『そうでないと、もう死んじゃう』っていうのは、駄々っ子じゃないかな…っていうことを奥さんはおっしゃっているんですね」岸「…どうして自立していいのかが、分からないんですよね…僕は…非常にそういうところが…まだ子供というのか…どういう風にしてこれを切り拓いていったらいいのかっていうのが全くヒントがつかめないんですね…まあ今、いろいろ聞きましたけれども…」江「まず一つ、これだけ思っていてください。ね?『生きることを楽しむこと』感謝することね。それには…」岸「現在のですか?」江「そう。仕事をする。食べる。この暮らしをまず、規則正しく、リズムね。これをやること。まずそれだけでも良いから、それをきちんとやっていけば後はだんだん広がってゆきますから」岸「ふーん…それがなかなか出来ないんですよね…体が…言うことを聞かないんですよね…」美「聞かせないからですよ。そうでしょ?」岸「聞かせようと思えば、聞くものなんですかね…」美「聞かせようと思えば、聞くものですよ。だから、あれをお作りになればいいの、簡単。一日の工程表。朝何時に起きて、何時から何時まで散歩して何時から何時までは為になる生きるためのスキル、ノウハウのねそういう本をちょっと読むとかね。そういう風に時間割りを作るの。誰でもない、自分自身がやれば良いんですよ」国「どうですか?」岸「うーん…」美「やっかいなことにね、この方の人生は、誰かが常に保護してくれたのね。保護してくれる人が誰もいなければ良かったのよ、いっそのこと。あのね、愛の鞭ってあるでしょう?シゴキじゃなくてね。いずれ人間は1人になって死んでゆくんだから、そういった時に1人で生きてゆけるようにって厳しくする。これも一つの愛情なんですよ。だからお兄様は、とにかく耳に痛いようなことを、おっしゃるでしょうけれどもそれが本当は素晴らしい愛情の現われで、一番有り難い愛情のあり方なんですよ。だからそっちの方を疎んじるようなことはしないで、そっちの方を『ああ、有り難い』と思ってね…そういう人が何人かいれば、そうすると自立できてしゃんと自分で歩いていけるようになるんですよ。その力を本当はお持ちなんだもの。本当はその健康のね、体力もお持ちなのよ。ところが『自分は病気、大変、ああ可愛そうなんだ…皆さん同情して下さい…心臓が止まりそうです、ああ死ぬかもしれない、もう死んじゃう…』って言えばみんな優しくしてくれる。その甘えとかね、その見え透いたずるさ。それが無くならなければ駄目なんですよ」岸「やっぱりそうかという感じですね…」美「そうですよ」岸「うん…」美「だから『可愛い子には旅をさせろ』だから自分自身が自分を旅させるようになさればいい」岸「でも…本当に…でも…本当に弱いんですよ…」美「でもも、しかしも無い!☆でもも、しかしもありません。だってその声の力とかね、その肌の色とか、可愛そうぶりたいでしょうけれどちっとも可愛そうな域まで来ていませんのよ☆残念ながら。ご希望に添えませんけれども☆」岸「(初めて微笑まれて)…結構、弱いふりするんですよ」美「弱いふりするの」岸「そうなんです」美「だから、ね?もうその手は通用しません!」岸「そうですかね…ぼちぼち…ぼちぼち通用しないですかね…☆」美「通用しませんよ☆」江「オーラの上からも、まだまだね、動けるはずです。最悪の状況ではないですよ」岸「どうですかね…」美「ほらまた。何てひねくれてる子なの、この子は☆」岸「そうなんです…ひねくれなんです…」国「でも時間割っていうのは良いですね。やってみましょう、明日から」岸「明日からあ?!」美「いや、今日から!」国「今日から。今日書いて、明日それを行動に移して」美「そうですよ」国「これは変わるんじゃないですか?今までやったことが無いことですものね」岸「それはそうです」美「あのね、いろんな人生を愉しむ権利があるんですよ、人間は。破産までしちゃったようなもの、甘え放題でやりたい放題で…そういう人生はもう沢山で『健康的で前向きな人生をこれから味わってみましょう』っていう風にお思いになれば、またね…」岸「良いものでか?別の人生も…」美「そう、良いものですよ。そうしたら、また物好きな人が愛してくれるようになるかもしれませんもの。花嫁さんも出てくるかもしれない」国「それですよ」岸「もうその点は、ちょっと諦めてるんですよ…」国「いやいや…」美「まずそれが、マイナスの毒ガスを口から吐いてるってことになるの」岸「そんなこと考えるだけで、この頃心臓がバクバク…☆」また繰言をつぶやく岸部さんに今度は皆さんの笑い声が上がりました。【スピリチュアルメッセージ】☆ 本当に奥さんを愛しているなら、これ以上心配させないで。仕事ができる環境に感謝して、規則正しいリズムを心がけ、生きることを楽しんで下さい。【オーラの言葉】☆ ひとりになっても生きて行けるように厳しくするのも愛情。可愛い子には旅をさせよ。読んでいただいてありがとうございました。「オーラの泉の日記」
December 4, 2008
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グループサウンズのザ・タイガースに加入して人気を博し、「西遊記」の沙悟浄役で俳優に、ワイドショーの司会も長年務められた岸部さんは、昨年、43歳という若さで妻である小緒理さんが逝去されてから、いまだ立ち直れないとのこと。奥さまとは、ワイドショーの司会で活躍されていた頃に行き着けのブティックで知り合い、1994年にご結婚。ところが金融業者からの借金が総額4億2千万円に膨らみ、1998年に自己破産。結婚後4年で全財産を失われても、奥さまは岸部さんを支え続けたのだそうです。奥さまの言葉「彼を1人にさせる訳にはいかなかった。それは人間は辛い時に1人にしてはいけない。1人にしたら絶対にどうにかなってしまうと思ったからです」(2004年4月7日「婦人公論」より)国「奥さんと結婚された当時は、どんな生活だったんですか?」岸「まあ…物集めに…走り回っていましたね。ブリキのおもちゃから、本類から…骨董品までですね…」国「それは買ったことに満足するわけですか?」岸「まあ…憧れの画家の絵だとかね、そういうものが自分の部屋の壁に飾れた時というのは、何かこう…『やったあ』という感じで…」国「奥さんは借金をして買ってるということは、知ってたんですか?」岸「稼いでもいるけれども、借金も多いということは知ってましたよね」国「途中で止めようとは思わなかったんですか?『もう買うのは止めよう』と」岸「…思わなかったですね…」美「いや、あのね、そういう方っていうのは…ほら、いろんなおもちゃとか、マニアで蒐集癖の方っていらっしゃるじゃない?あの…麻薬や何かと同じように、中毒症状になっちゃうらしいの」国「あーなるほど…」岸「そうですね…」国「僕が考えると、その骨董品をまた売ればいいんじゃないかなと思うんですけども、そうはいかないんですか?」岸「うーん…まあ売るとなると全然…10分の1ぐらいになっちゃうのでね…」美「宝石と同じよ。宝石や骨董品っていうのは、値段があってないようなものだから。だから買うときには、例えば宝石でも二千万くらいの物があるじゃないですか。そうして売るときには、上手くいって10分の1。だから二千万の物が二百万くらいになるんですよ」国「怖いですね」美「骨董品もそうです」国「自己破産してからの生活というのは、ガラッと変わりましたか?」岸「うーん…ちょっと今、心臓を、循環器系を悪くしてるのが…今だにその破産の話題は…非常に苦しいんですよ…破産っていう話題をすると、まず動悸が始まるでしょう…」美「だから心意的なものですよね。精神がもろくなると、肉体ももろくなるし…」岸「その通りだと思いますね…薬じゃ治らないんですよね…」美「何でもかんでも、全て暗示にかかりやすい方だからね。全ての原因はみんな、精神的な脆さだとか、精神的な自己暗示とか、そこから全部、発生しているんですよ。誰のせいでもないのね」国「自分のせい…」美「自分のせいなの。甘えっぱなしなの、全て甘え。あの…普通、収入を考えて、収入に見合っただけの支出。『これは許されるけど、これは買っちゃいけない』とか、普通それで自分の欲望を手綱を引いて、皆さん生活しているわけでしょう?ところが自分の欲望のおもむくまま『あれも欲しい、これも欲しい…』収入とのバランスも考えない、これも甘えですよ。ずーっと甘えの人生でいらしたのね」岸「もう全く…生まれた時から…子供の時からね…」美「だからこれは、もう誰が悪いんでもないですよね。自分自身だから。だから自分がそういう風に追い込んできたんだから、今度は自分が自分を救うこともできるってことですよね、反対に」岸「ふーん…」奥さまの支えもあって岸部さんは仕事に復帰されるも、2003年に脳出血で緊急入院。借金返済と介護に奔走された奥さまは2007年、心臓発作で帰らぬ人に。国「どういう形で亡くなったんですか?」岸「まあ朝起きたら、突然亡くなってたんです…階段から降りてきたら、彼女が台所のところでうつ伏せになって倒れているんですよ。それでびっくりして『どうしたんだ?』と言ったら…もう冷たいんですよ…」国「そこでは会話はできていない…」岸「あ、もうできていないです」国「そうですか…それまではずっと元気だったんですか?」岸「まあ心臓も、犬の散歩してて2回くらい、強力に痛くなってうずくまって倒れかかってベンチに横にならせたことはあったんですよ。でも何か病院嫌いで、とにかく病院に行かないんですよ。『検査すれば悪いところが見つかるから、大変だから、岸部さんが大変になっちゃうから…私はもういいのよ、そんなもの…』と言うんですよね…『もし何かが見つかって、一週間でも二週間でも入院でもしなきゃならないというようなことになったら…』」美「『…岸部さんが自炊もしなきゃいけない、家で自立して生きていかなきゃいけないから、大変なことになるから』って思いやりよね」岸「そうです…」国「今は1人で住まれているわけですか?」岸「そうです…幸いにも姉がいましてね、時々来てくれる…」国「それはご飯を作りにですか?」岸「ご飯を作ったり掃除をしたりですね…」美「お兄さん(俳優 岸部一徳さん)の方は?」岸「お兄さんは…一周忌とか、そういうとこは陣頭指揮を執ってやってくれましたけどね…僕がこういう状態だから芸能界でやっていけるかというのが一番心配だから、それを彼にぶつけたんですよね。そうしたら最初は優しく言ってたんだけど突然…まあ割りと語気が強くですね…『芸能界で、まず病人がタレントをしているということは普通、誰も思わないから、まず体を治せ』と」国「『それからだ』と」岸「『それからだ』と…『そんな元気でない人だったら迷惑をかけるから辞めろ』と言われまして…また心臓がドーン…としてですね…もう、その場にいられなかったですね…でも、そうなんですよね。兄が言うのはもっともな話…」美「当たり前の、普通のことをおっしゃってるだけなのね。別に怒ったわけでも叱ったわけでもなくて、当たり前のことをおっしゃっただけの話なの」奥さまの喪失から今だに立ち直ることのできない岸部さんに届けられるメッセージとは。江「極めて難しいっていうんですかね…岸部さんご自身の問題点、こちらの方が問題が大きいわけで…非常に厳しいことを申し上げますね…もういい加減、奥さんを解放してあげて欲しい。というか、奥さん、ずっといるんですよ、傍に。どうしてかと言うと、やっぱりそれは心配だからです。『もう、早く死にたい、死にたい…』『もう早く向こうへ行ってもいいや…』いつも投げやりな愚痴を言いますでしょう?」岸「うーん…愚痴ってますね…笑ってる写真があるんですよね、それに向かって…僕はしゃべる相手いないですからね…『小緒理さんよ、どうしたらいいのや、俺は…』というところから始まって、ぶつぶつ言うんですよ」江「もうそれが堪らないわけですよ…それでね、解放してあげてって言うのは、本当の愛だったらばね、いつまでも相手に依存したり、すがることじゃないと思うんです。だから、申し訳ないけれど岸辺さん、本当に奥さんを愛して欲しいんですよ。愛するってことはね、相手に心配させないことだと思うんですよね」美「思いやり。気遣い…」江「頼ることが愛なんじゃなくて…」岸「頼ってばっかりですね、僕は…」江「ね?だからそこをね、心配させないこと。これ、TVをご覧になっていらっしゃる方も多くの人がそうだと思うけど、よく亡くなった人に頼るんですよ。『あれも助けて、これもしてちょうだい』ね?でもそれはね、愛情じゃないんですよね」岸「それは駄目なんですか…まあよく手を合わせる時に『願い事をしちゃいかん』という風に言われてて、なるべくそれはしないようにしてるんですけどね」江「あのね、願い事をしてもね、大丈夫だとすれば、奥さんが岸部さんのことを愛していない場合ですね。『もうどうでもいいや』って思える人だったらば、何を頼んだって耳、右から左に聞き流しでしょう?ね?だけれども奥さん自身はやっぱり岸部さんのことをとってもね、もう…我が子のように心配している。だからそういった意味ではね、その言葉はきついわけですよ。だってその、病院が嫌いとかね、どうとかじゃない。奥さんは自分で具合が悪いのを自覚してましたからね、亡くなる前。『このまま病院に行ったら入院になるだろう』っていう風に自分で思っていたんですよ。でもそうしたらば岸部さんは誰が面倒をみるか…だから自分の命を…もうそれこそ引き換えにしてでも守り抜いたわけですよ、岸部さんをね」美「だから生きてる時に散々心配かけてね、それまで愛してもらって甘えっぱなしだったんだから、今度は逆に恩返しをしなきゃいけませんよね。恩返しが何かと言ったら、つまり60年近く甘えっぱなしの人生でだらしなかったのをちゃんとして、今こそ大人になって、そういう風にもうしてお上げになるのが、愛情の恩返しでしょう?ね?『お役目終わってね、楽になって下さい』という風な気持ちにおなりになれば…そうすると奥さまも心配なくスーッと行くところへ行けるし、岸部さん自身がね、スーッと体が楽になってね、病気も治っちゃうんですよ。そういうものなんです」続きます。「オーラの泉の日記」
December 3, 2008
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内藤さんが心配性でマイナス思考である一方、奥さまはプラス思考であっけらかんとした性格。お二人は前世でも深いつながりがあったようです。江「美輪さんからも面白い言葉が出てくるし、ご本人からも出てくるし、最初から『どうしよう・・・先に言った方がいいのかな?こじつけるみたいに思われて嫌だな』と思いながらね☆」美「何だったんです?☆」江「キーワードは二つ。一つは美輪さんが武士道という言葉をお使いになった。もう一つは『よくアニメを観ていましたね』と言ったときに、内藤選手が何も考えずに『忍者ハットリくん』と言いました。忍者だったんですね、前世でね。忍者というと、漫画みたいで可笑しい感じがするんですがあれは武術と修験道が交じっているようなものなんです。要するに信仰なんですよ。武士とも言える、武術家とも言える、行者とも言える、そういう人が忍者、本当にいたんですよ。奥さんも一緒だった、いわゆる九ノ一(女性の忍者)というやつですね☆だから、いざというときには奥さんが『行け!』って感じなんです。申し訳ないけど、奥さんの方が雄々しいかな☆」内「・・・おおしい?」美「男っぽい」内「まったくそうですよ!ごめんね☆度胸もすごくいいの☆僕なんかの比じゃないですよ。僕はチキン(臆病)ですけど☆行動は女の子っぽいですけど、度胸は男っぽい」江「特に追い詰められて、ギリギリ駄目ってなると『しょうがない』ってなっちゃうんです。最後の腹くくりが強いの」美「開き直り☆」内「そうそう。すごくわかる・・・」江「今までも、才能もあったけれども、内藤選手はいらぬ心配をいっぱいするんですよね。これがイメージトレーニングが良くなかったかなと。奥さんと出会われてからの方が、よりポジティブシンキングになったはずなんですよ。そういった意味では、出会うべくして出会い、夫婦一体。リングに上がるのは内藤選手だけれども、常にひとつ。それは前世というところからの繋がり、そういう役目を持っていたわけでね」「オーラの泉・内藤大助さん」***元気なパートナーが突然うつ病になったときの夫婦の愛の物語。お話は寿美花代さんです。寿「うつというと、自殺を一番恐れました。まず、包丁とか、凶器は隠してお風呂の水は抜いて。私はそれこそ、夜は2年間はぐっすり寝なかったです。夜中に2回くらいトイレに行くんですが、行くな・・・という頃には目が覚めてじっと寝ているふりをして、ベッドに帰ったかな・・・と思うまで見届けてそれから寝て、主人が起きる前に起きて。それは本当に、地獄でしたね」美「よくなさいましたね・・・」寿「これは本当に使命だと思って、辛くはなかったんです。『この人を助ける人は、私しかいない』」美「生き甲斐でもありますよね」寿「生き甲斐です。生き甲斐というと・・・楽しみじゃないですよね・・・」美「楽しみじゃないけれども、生きるエネルギーにはなりますよね」寿「そうですね。『高島忠夫を助けるのは、私しかこの世にはいない』と、思いました。その間、主人の母が死にました。死んだということを伝えると後追い自殺が多いから『絶対に言っちゃ駄目』と主人に言われました。それを隠すのにどんなに苦労したか。母の日ごとに、政宏や政伸は花束を贈ってくるんですね。その日は門のところに待っていて、花屋さんが来たらそれを隠して外へ置いたまま家に入って、母の日ということは主人には知らせなかった。それが3年、続いたんです。亡くなってから3年も、ものすごく辛かったです、母の日。でも、私自身は、自分でよくやったなとは、今、思いますね」闘病は6年間続いたのだそうです。高島政伸さん「父親本人が一番きつかったと思うんですけれども、母親は常に明るく気丈にね、ユーモアのセンスを忘れずに本当に頑張ってたと言いますかね…そういう印象を持ってますね。母親が何か本当に引っ張っていってくれたような…母がいるから頑張れるというような、母がいるから無い勇気も振り絞れると言いますか…そんな存在でしたね」高島政宏さん「うつの人にはピアノを弾いたり、いわゆる楽器、歌を歌わせたりするのがいいということで『リハビリライブ』というものを開催したんですけれども、これはライブという名前の完全に父を知る僕らの家族、もしくは仲間、親友達の、さらにその親族のみという。全員に始まる前に『とにかく間違っても、野次を飛ばしたり、昔の父を想像しないで欲しい。これはあくまでも治療なんだ』ということで、僕らも必死でしたから、半ば強引に一人一人に確認をとって、一か八かの賭けで、父に無理やりピアノを弾かせて歌わせたんですよ」家族の協力で高島忠夫さんは奇跡的に回復されたのだそうです。江「実はね、このご家族というか、お子さんもそうだし、ご主人もそうだけれども、これ本当に前世からの関わりが深いんです。前世においては、ご夫妻、男女逆だったんですよね。寿美さんて非常に純粋で優しい方だけれども芯の中に凄く強い頑固さとか、男とか女とか言うのも変だけれど…そういう思いというか力、持っていらっしゃいますでしょう?で、ご主人さまの方が可憐な女性でしょう、中身の部分は」美「そうそう」江「凄く紳士な方だけれど、デリケートで全く逆。それが…私、パーッと見えてきたのはね、韓国か中国の、そっちの方の…で、寿美さんがね、皇帝みたいなね、すごく身分の高い…そういうお姿。で、芸術を物凄く愛していたんですよ。歌舞をとにかく。その歌舞を愛していた…やっていた今で言う芸能人、そういう役の人がご主人。それでいて、愛情関係があったんです。やはり昔だから、正妻っていうのと、そういう愛情を持つというのが違っていて…だからそういった意味では…その…女性との間っていうのは、まあ今のご主人なんだけど、実らすことはできなかったんです。だから、本当に家族の絆を学ぶために、何回も生まれ合って家族になっているんです」病を克服されて、夫婦の絆は一段と深まったのだそうです。美「家族というものは、ただ血が繋がっていればいいというものではないんですよ。だた血が繋がっているだけの家族なら、血縁者に過ぎないんですよ。家族というのは、この世の荒波、時化があって、いい天気になって、穏やかな海があってありとあらゆる天候、それにお互いに筏に乗って、手を携えて助け合ったりね。今日は凪だから岸辺に行ってご飯を食べたり。そういうものを共に、苦しみ、悲しみ、いろんなものを潜り抜けてきた思い出を共有したものだけが、家族なんですよ。だから、素晴らしい家族の条件を満たしてきたということなんですよ」寿「主人も元気になったし…今日は幸せだった…」「オーラの泉・寿美花代さん」読んでいただいてありがとうございました。明日からは今回のゲストである岸部四郎さんのお話をアップする予定です。「オーラの泉の日記」
December 2, 2008
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夫婦の絆について語られた回を振り返るスペシャル。最初は泉ピン子さんです。***国「人生の転機の中に結婚というのが…出てきましたけれども」泉「結婚は…この局の徹子さんの『徹子の部屋』で…その前の週に『え?結婚なんて全然する気ないです』とかって言って。で、『座頭市(1989 制作・監督・脚本・主演 勝新太郎』という映画が入っていたんですけど勝さんってあのような方ですから、役が無くなっちゃってたんで…『いや(脚本を)切ってたら、お前の役、無くなっちゃった』って言われて☆『カットしてたら、どう見てもお前の役、無いんだ』とかって言われて、『ええ?…そうですか…』みたいな世界で。じゃあ、白血球が前から高かったし、白血病も怖いし…で、検査して入った病院が『ガン研究センター』っていう『ガン研』っていうところで。そこでガラガラ…って『担当です』と入ってきたのが…私は入ってきた瞬間に『この人と結婚するわ』と思った。タイプじゃなかったのよ、はっきり言って。すいません☆」国「どこでじゃあ、結婚するって思ったんですかね?」泉「いや…入ってきた瞬間に『私、この人と結婚するんだ』と思ったの」国「はあ…タイプではないんですよね?」泉「全然タイプじゃない」国「でも、何か感じるものがあったわけですか?」泉「いや…わかんないんだけど…で、その徹子さんの『徹子の部屋』でも『結婚?全然興味ないです』と言っていたのに何で結婚したんだか、これもわからない」国「お付き合いはその後、続くんですか?」泉「1ヵ月くらいに、担当医だったからお礼にお食事を。そのとき主人が『渋谷のハチ公前で待ち合わせしたい』って言われたの。あなたハチ公前よ☆悪いけど、ハチ公前なんて私、悪いけど立っていられないじゃない☆一応、泉ピン子よ☆『そこはちょっと…』と言ったら、『じゃあ、僕が知ってるのは六本木の角のアマンドなら…』そこに入ってるのもね…」国「そうですね、どちらにしても、待ち合わせ場所が派手ですね☆」泉「『じゃあ、人をやりますから』と言ってマネージャーを行かせて、で、食事に行って。そうしたら、やたらと電話がかかってくるようになって。3ヵ月目くらいに『結婚』と言われて『やめなさいよ。だって家に帰ってきて、電気をつけるのは自分よ。夏は暑いのに冷房が入っていないよ』『私ができたら奥さんみたいな人が欲しいのにそんなにしてあげられないんだから。朝起きないよ』って。でも『そんなのは両方が、お互いができる人がやればいい』とか、そのときは上手いこと言って。何にもやりゃしない☆『台所はお互い、立てる方が立てばいい』やらないじゃない!☆」国「でも、人生の転機になっているわけですよね」泉「転機ですよ。そのときに主役はもう来ないと思ったもの」国「でも、その後もどんどん主役がくるわけですものね」美「いや、どんどん上り坂よね」泉「まあ…そうですかね…」江「泉さん、実はね、前に生まれていた時、歌手だったんですよ。で、あの…要するにシャンソンとか、そういう…だからフランス…」泉「え?大好きなの、シャンソン…」江「歌っていらっしゃったんですよ。で、散々ひどい目にも一杯あったんだけどお店や歌う場所とかそういったことで、いろいろな苦労を重ねながら自分自身で歌い続けていった人生なんですよ」泉「私、キャバレー時代も長かったんですけど、現世も。いろんな場所、日本全国」美「それは前世でやったことの続きなの」泉「続きやってたんですか?」江「あの…いまのご主人いらっしゃるでしょう?そのときにずーっと支えてくれた人ですよ」美「前世から」泉「前も一緒だったんですか?」江「一緒じゃなくて、パトロンというか、今で言うスポンサー。そんなに一杯の力があったわけじゃないんだけど、その人は自分の持っているものを全部投げ出してやってくれた人なんですよ。たくさん持っている中の余力でやったんじゃなくて本当に徹底した。だから、尽くさなくちゃいけないんですよ」泉「ガン研時代はお給料が安いから尽くしましたよ。週刊誌には『玉の輿に乗った』と書かれたけれど、私、『逆玉』じゃないかと思いましたよ。黙っていましたけれど、ありとあらゆることを書かれて…」江「大変ですよね、お医者さま。でも、それを言ってはいけないんです。恩返しだから」泉「今、思いました。恩返しなんだ…。そうなんですか、縁ってそういうものなんですか」美「そうですよ」「何でこんな人と結婚したんだろう?」と思うご夫婦ほど不思議な縁で結ばれているのだそうです。「オーラの泉・泉ピン子さん」***今年7月、3度目の防衛に成功した世界フライ級チャンピオン・内藤大助さんは昨年、亀田選手との試合直後にご出演になっていました。江「足の調子がずっとよろしくなかった時代があったんじゃないですか?内「足の調子…」江「うん。要するに怪我をしたか、足が痛んだっていう…内「…前チャンピオンと戦う直前に…」江「あのね、でも回復が早かったはずなんですよ」内「そう!」江「でしょ?ご本人、もしかしたら聞きづらいかもしれないけれど、聞いていただきたいのはもう一人、ご兄弟がいたはずなんですよ」内「あ、あの…今の兄弟以外に?」江「はい」内「そう、そう…」江「この世に生きて…駄目だった…」内「流産しちゃった…」江「そのご兄弟さんが助けてくれた。そのことを忘れないでいてあげて」内「そうですか…」江「だから亡くなったご兄弟が陰ながら、一生懸命応援していて『自分の分も、頑張って生きてくれ』というのもある。そのご兄弟がどうして、足を助けてくれるかというと、お母さんがいつも『頼むよ』という願いがあるからなんです」いじめられっ子だった内藤さんを甘やかさず厳しく育てられたのがお母さま、そしてアルバイトで生活費を稼ぎながら無名時代の内藤選手を支え続けたのが奥さま。内「極端に言えば、世界チャンピオンにならない限りボクシングだけでは食べてゆけないので・・・」国「それが何年も続いていたわけですよね」内「そうですよね、もうギリギリの生活というんですかね・・・僕、日本チャンピオンになって、ファイトマネーが一時的に入ります。それはもちろん、全部使わないですよね。それをちゃんと取っておいて、あとはアルバイト。二人一緒にアルバイトをして。やはりボクシングの方が大事ですから、アルバイトも長い時間やらないわけでだから収入も少ないわけですよ。その収入だけでやっていけないからファイトマネーを切り崩してやっていたという感じですね」美「立ち入ったことを伺ってちょっとはしたないんですけれど、奥さまとお働きになってアルバイトはおいくらぐらいになるんでしょう?」内「王座を獲ったときなんかは、試合の1ヵ月前まで僕、アルバイトをしていたんですけど夫婦合わせて月収12万円、実際は10万前後しか稼いでいなかったですね」美「そこからお家賃を払ったりなんかなさる、光熱費を出したり・・・」内「そうですね。今は世界を獲って、やっと食べていけますけれども・・・」美「大変でしたね・・・」内「本当に、周りの協力なしには、自分はなかったんですよ。本当にそれは、感謝してます、すごく感謝してます」22歳でプロボクサーに。19戦無敗でランキングを上げ、2002年、2005年に世界チャンピオンに挑戦するも敗退。内「あの・・・二回目のチャレンジのときに『負けたら引退』とは決めていましたね」国「奥さんにも『二度目の世界戦を失敗したら引退する』と言っていたんですか?」内「『辞めるよ、俺』とは言っていました」国「三度目に挑戦するときに『やっぱりもう一回、やりたいんだけど・・・』ということを話したとき、奥さんのリアクションってどうだったんですか?」内「『あ、本当』」国「そんな感じですか」江「奥さんって、あっけらかんとしてる人なんです。だからどっちを言っても『ふーん』やるも辞めるも『あ、そう』」内「まったくそうです」江「だって奥さんの力が絶大なんですもん☆」美「でも、それは救いよね。一緒にがっかりしたり『どうしようか・・・』なんて言われたら、真っ暗けよ☆『あ、そう』と言われたら、楽ですよ」内「めちゃくちゃサバサバしてますね」江「ある意味ではよくわかっているというかね『あんまりそこで関わってもしょうがないから、放っておこう』というところもあるんですよね。だから内藤さんが一人でクヨクヨ悩んでいるときでも横でいびきをかいて寝られる人です☆それが腹が立つんでしょ☆」内「そうそう☆試合の前日に☆ごめんね、かみさん☆(この日はスタジオに奥さまもいらしていました)あの・・・僕は二歳の子どもがいるんですけど、かみさんが『ちょっと寝かしてくるね。また起きてくるね』と言ってくれたんですね。『待ってるよー』と言って・・・そうしたら、そのまま寝ちゃって☆辛かったですね、その日はね。『話、聞いてくれないのかなーもう・・・』」美「面白い☆」国「江原さんの言ったようなことが、本当にあるんですね☆」江「だから、いいんですよ☆」内「そういう性格」江「ええ」「オーラの泉・内藤大助さん」続きます。「オーラの泉の日記」
December 1, 2008
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