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夫の舟釣り、4度目の今回は乗り合い船にて。暖かくなってからかなと思っていたのですが、春まで待てなかったよう。前日は、先回購入した釣り道具を持ち出してお手入れです。「酔い止め、まだある?」「あるわよ」いつものように二錠ずつ携帯して準備万端で出かけました。二時過ぎに電話が鳴ります。「どうだった?」「うーん…あまり釣れなかった…10匹位かな…」「それだけ釣れたら充分じゃない?」「クーラーボックスを満タンにして、友達に分けてあげようと思っていたんだけど…」この日の目的は、カサゴ。それほど大きくはない魚というイメージでしたので、クーラーボックスを一杯にするつもりでいたということは……いったい何十匹釣るつもりだったのかしら☆さて、我が家にもたらされたお魚さんたちを並べた様子がこちら。数えてみると、カサゴ19匹、トラギス1匹。一日釣りを楽しんで、数千円の乗船代ならば十二分でしょう。出目さんになっているのは、数10メートルの海底から釣り上げるからだそうです。さて、その日はすっかり寝入ってしまった夫をそのままに、1人でお魚さんと格闘を開始します。大きいカサゴから順番に並べ、うろこ、おなか、えら取り。10~25センチくらいと、サイズが小さめの上、頭が大きくぬめりがある魚、なかなかつかみどころがなかったのですが、大きく開いた口を持ってみると作業がしやすくなり、野菜の皮むきでうろこを、キッチンバサミでおなか、えらを処理。かなり軽快に作業していると一度、ぱくっ!と指を挟まれます。よく見るとまだエラが動いているカサゴがいましたので、生きているものはボックスの氷水に戻します。おなかがぷっくり膨れているカサゴは卵を持っていて。軟らかいので慎重にさばかないと流れてしまうのですが19匹中7匹に卵が入っていました。さて、下処理もだいたい終わって調理へ。まずは25、20センチのカサゴを一匹ずつグリルで塩焼き。カサゴは獲れたその日のうちならば、下処理なしで塩焼きできるとのことでエラもうろこもおなかもそのままに天塩のみで。美味しく、すぐに無くなってしまいましたので、15センチのカサゴを3匹、さらに1匹だけいたトラギスを追加でいただきました。20センチのカサゴ3匹は、湯引きしてから梅煮に。10センチの一番小さなカサゴ4匹は湯引きしてから半分にぶつ切りにして玉ねぎ・にんじん・天塩・水を入れた鍋に。シンプルな美味しさのスープになりました。あとのカサゴは、まだ生きている1匹を除いて冷凍庫へ。翌日以降に食べるものがすでに何品かあるというのは、有り難いですね。丁寧に塩焼きを食べた後、「お刺身はないの?」と言っていた子供。今回のカサゴは小さめなので、その日の料理には火を通してしまったのですが子供も釣果を楽しみにし出した模様です。翌日はお休みをいただいた夫をおいて、妻は子供の学校のPTA会議へ。帰宅後、疲れて横になっていると、一日休養できた夫が台所に立ち、ボックスに入れておいたカサゴをさばいてお刺身にしてくれました。身が少ないため、夫婦で一口ずつ、あっという間に無くなってしまいましたが淡白で美味しかったです☆もちろん、前日に作っておいた梅煮やスープも五臓六腑にしみわたりました。身を捧げてくれたお魚さんに感謝。次回の釣りは、今度こそ春になるでしょうか。釣果が楽しみです。「我が家の釣果☆の日記」【楽天さんで購入可能なお魚&釣りグッズ】
January 31, 2009
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2月14日のゲストは奥菜恵さんですね☆***幼い頃に体験した現象は、ご家族への気遣いにも関係があるようです。江「それでね、霊的に過敏な人っていうのはね、生きている人、亡くなっている人、どっちも関係なく、全部キャッチするんです…あの、さっきの幽霊屋敷の話が繋がっていて…確かにね、そこの場所で悲しい歴史は…あの、多分、一家が二通りでね、皆がこう…餓死みたいに亡くなっちゃったか、もしくは心中みたいだったか…そうとう古い時代だと思うの…だから僕はね『女の子の声は無かったですか?』って言ったのは、そういうことなのね。それは悪い現象じゃないの。あのね、その当時の自分たち姉妹とかって…ごめんなさいね語弊があったら後でカットしてもらって…あの、親御さんのことでみんな子供はすごく心配して気苦労してたの。だから当時は親のことで心配なことがすごくいっぱいあったと思うのね。今でこそね…だけど、その当時はね。その心に同情して来たの」国「その…鞠みたいなものをついている女の子と、うめき声の人と…」江「それも男の、お父さんとかでしょ?」国「摺り足も…全員、違う人ですか?」江「みんなそう」安「その声を聞いたのが、ちょうどお父さんとお母さんが居なかった時だったんです。子供たち3人でお留守番で、3人だけで寝なきゃいけない時に聞こえた声だったんです。そういうことが起こるのも、両親がいない時に限って起こるんです」江「だから悪意じゃなくって、心配して…『この家族は同じようなことにならないようにね』その苦労した、亡くなった人たちがそうやって…だから、そうやってね普通は聞こえないものが聞こえるから怖いんだと思うけれどもでもそうは言っても、寝れたと思う」安「そうなんです」江「いつの間にやら寝てたりね…だから霊っていうのは、そうやって出てくるのはみんな悪いものではなくってね、要するに人間っていうのは本当に苦しみを味わうと人には同じ思いはさせたくないって思うんです。ね?それが中途半端だと『同じになっちまえ』って思うんですよ。それが本当に苦労して乗り越えた場合は人に対して優しくなるものなのね。だからそういう風にして、その女の子にしても同じ女の子だから気持ちも分かるし、みんなが和合して生きるようにって…だからそこのお家に居たとき、色々な気苦労はあったろうけれどもちゃんと乗り越えたはずなの、そこから後は」安「そうですね…」江「で、今では良い家族っていう風になったと思うんですよ。どこの家だって歴史はあるはずですよ、良いときばかりじゃない、いろいろある。だからそういう意味での歴史、でもそこを乗り越えて来られたかどうかということはすごく重要なことだと思うの…で、さっきのその…詩とかの問題のことで『それも関わりあります』って言いましたでしょう?それでそこでね、前世もそうだし、守護霊さんからもメッセージがあるの。奇しくもさっきスピリチュアルチェックで『ヒット曲が欲しいです』とか何かおっしゃったでしょう?」国「『一つだけ願いが叶うとしたら…』」江「いろんなね、切り替えの時であることは確かなんですよ。そこで言えるのはね『そんな過去のことに変に引き摺られて怯えるのではなく、ご自身で作詞作曲するべき』なのこれから。そのための出会いだったんですよ。全部、クリエイティブな人たちだけなんですよ、出会っているのが。『ここ一連、すごい人と出会っています』とおっしゃるけれども、だからそういった意味でもっと努力して、メロディとかも全部作れる、自分で作曲能力も上げていってそれで自分の作品を作る。ね?だから、どちらかと言うと、失礼な言い方だけれどやっぱりお若いときは何処か作られたアイドル的になってゆくんでしょう?で、そこをいったんご卒業になって、大人になって、で、そこで何かそこで引き摺られた部分での色んなトラブルもあった…だけどもこれからは『はい、自分の素材を充分に活かした人生にしてくださいっていう時に、いま来ていますよ』っていうことで…『さあ、新たな出発だよ、もう後ろを振り返っている暇はないよ』と…」美「だからね、江原さんがおっしゃったけれど…何故『愛の讃歌』を観に来させられたかということ。あのエディット・ピアフという大歌手、主人公だったでしょ?あの『愛の讃歌』の歌詞を作って歌っていたのはエディット・ピアフ自身なのよ。そうでしょ?彼女は『バラ色の人生』っていう有名な曲があるでしょう?あれも彼女の作詞なの。だからそれを江原さんがいみじくもおっしゃったように、ヒントだったの」江「あと美輪さんは、日本で最初のシンガー・ソング・ライター」安「あー…そうなんですか…」美「そう…」安「…すごいですね…全てが本当に繋がるんですね…」美「だから全部繋がっているって、さっきから言っていたのはそのこと」国「すごい…繋がっていて…」美「それと、写経…ね?」江「どうして写経したかっていう話です」美「何故、安部って名前なの?」安「え?…お父さんが…」江「(両手を組んで印を結んで)こういう世界ってあるでしょう?」美「知らない?安部清明(921?-1005 平安貴族に仕えた陰陽師)って」安「…知ってます…」美「ね?結界を全部、結んじゃって…」江「関わりがあるんですよ。だからそういうことを呼び起こさせちゃう、伝えてきているの」安「え?」美「だから、世のため人のため、そういうものが何かだとか、そういうものを全部今度はよく勉強して本を。詩を作るのであれば、文学的に、文芸的なものから宗教哲学から細かく読んでいって、そこの上から立脚した作品を作りなさいということなの。そうするともっと大きな、ちゃんとしたすごい作品ができますよということ、それがあなたのお役目ですよっていうことをおっしゃっているのよ」江「だから『色んな意味での役目を引いていますよ』と」安「本当に今のお話を聞いていても、お墓参りに行ったりお寺に行ったり神社に行ったりすると、気持ちが本当に穏やかな気持ちになって…本当に独特な香りってあるじゃないですか、お寺とか神社の。あの香りって本当に自分にとって安らぐんですね。気持ちが落ち着くし、本当にいつまでも居れるっていうぐらい…何か安心するんですよ」美「だから江原さんがおっしゃったように、前に寺院で暮らしていたから」安「そうなんですね…」美「懐かしいの。だから写経っていうことは、つまり宗教哲学とか、ね?例えば、お経っていうのは身の上相談の『こういう場合は、こう考えなさい』っていう身の上相談の本がお経なんですよ、内容は。ね?だからそういったものを全部網羅していって勉強していって、あなたは頑張り屋さんだから。その中で作り出すと深いものができるの。そういうものは流行は関係ない。永遠に名作として残るものができるんですよ」安「はい…」江「あと、楽器もね☆あなたの中のコンプレックスを取ってゆかなくちゃ。『自分は楽器が…』とかって…(鍵盤を叩く手振りで)やるの」安「ええ?それも…」江「言ってらっしゃるの」国「楽器も何度か挑戦してるんですか?」安「挑戦しようとしてます…けれど…」国「壁にぶつかっている?」安「そうですね…」江「突破しちゃったら、何でもできるようになるんだから。勇気を持って。もうビクビクしない」安「そうですね…はい…」美「まだ20代だもの…私から見れば、生まれたばかりみたいな人だから☆」安「はい☆」国「すごい人たちから背中を押されたものね、今ね」安「そうですねー…もう何か、勇気が湧いてきました。できる気がしてきますね」江「できる、できる…」国「できる気がするっていう言葉がすごいですよね。全国放送ですよ、これ☆」安「ちょっと変えた方がいいですか☆」国「いや、素晴らしいですよ、これ」美「(太一くんを指して)こちらはその先輩よ☆楽器だって全然、触ったこともない人なのにいま弾けるようになっているでしょ?」安「そうだったんですか?」国「全然、触れなかったよ。何か…『何でピアノなの?』みたいな…でも今は、やっぱりピアノで本当に良かったなと思いますね」安「素敵ですね…私もそう思えるように…」国「『楽しい』って思えば、できてくるのかなっていう…まあ先輩から☆言わせてもらえば☆」【エンディングトーク】 国「さあ、お二人の話を聞いていかがでしたか?」安「今まで小さい頃からあった出来事、デビューしてからメンバーとの出会い…もう全てが繋がっていたっていうことを聞いて…」国「家のね…」安「驚きましたね…」国「でも今日、ここで気づけたっていうことは大きいことであり…」安「そうですね…もう本当に大きいです、今日の日が、はい」国「まああの…楽器のことで☆分かんないことがあったら☆いつでも☆相談にのるから☆」安「お願いします☆」国「たまには☆あの二人だけじゃなくて僕に頼ってもいいんだからね☆」【スピリチュアル・メッセージ】☆ 家族のため自分の気持ちを抑えていた人が、唯一わがままを言って選んだ歌手の道。過去にとらわれず自分の作品を作り出すために勇気を出して…今が人生の切り替えの時です。【オーラの言葉】☆ 先のことを考え過ぎると取り越し苦労をしたり誇大妄想に陥ったりして必ず人生に裏切られます。大切なことはひとつだけ。明日の朝もし目が覚めなくても後悔しないと思える毎日が遅れればいいのです。(美輪明宏著 「愛の話 幸福の話」より)読んでいただいてありがとうございました。「オーラの泉の日記」「美輪明宏さんの舞台・愛の讃歌1ー5」
January 29, 2009
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2004年にモーニング娘。を卒業しソロ活動を開始。ドラマ、舞台、作詞を手がけるなか、写真集やエッセーに綴った詩が盗作と指摘され紅白も辞退、二か月間、芸能活動自粛をすることに。会見で「盗作の自覚というのは?」という質問に答えて「…はい…実は私は…中学生位の時から…大好きな言葉やフレーズや歌をノートに書き留めておいていまして…それが15冊以上あるんですけれども…その中の…言葉たちが…その…人のものと自分のものとの区別が…つかなくなってきてしまいまして…自覚がなかったとしか…申し上げられません、すみません…」***国「ソロデビュー後は本当に色々なことがあったと思うんですけれども…」安「そうですね…」国「どうでした?このぐらいの時期というのは」安「そうですね…本当に多くの方にご迷惑をかけて…心がついていなかったですね…自分の気持ちが…何か世の中で起こっていることと、自分に起きていることに自分がついてゆけていないというか…その自粛していた間も外に出られる状況ではなかったので…もうずっと家に居て…もう家に居ると、ずっと考えてしまうことばかりだったんですけど…」国「外に出られないというのは、もうその自分の…」安「もう出られないです。人の、周りの目も気になりましたし…」美「引っ込みってことね」安「そうですね…もう常に見られているというか、どこに行ってもそういう目で見られているんじゃないかっていうことが、やっぱり怖かったですね」美「でもね、今あなたの言っていることって、物凄くしっかりして的確なことを答えていたわよ。あのね、私、色々な作家の人とか詩人とか、文学者との交流が多かったでしょう?皆さん、そうなのよ。例えば寺山修司さんっていうのも古今東西のあらゆるものを乱読して、まあそれを良く記憶して覚えているの。ね?それが自分の中に詰まっていて、自分が必要な時には、それがポッと出てくるわけよボキャブラリーになってね。つまり表現することっていうのはまあ似たようなものだから、どこかで似てくるのよ。そうでしょう?でもそれを意識しちゃって、商売でね『あ、ここは誰、この詩はいいからじゃあこれとこれを繋ぎ合わせよう』これは盗作ですよ。そうじゃないんでしょ?だからそういうことを、あなたは今、おっしゃっていたから『あ、じゃあ他の文学者や何かと同じだな』と思ったのね。それ以外でね、作品を作れって言うんだったら新しい日本語を作らなきゃしょうがないのよ。言葉を」安「何かそれから、やっぱり自分が発する言葉や…こう…何かを書くっていうことが怖くなってしまいましたね」美「だから鼻という言葉をね、結局使っちゃいけないということ。(鼻を指して)じゃあこの鼻は何て言う、ポンポコピョンとかね☆そういう言葉も自分で新語を作り出さなくちゃいけなくなっちゃうのよ」国「…もっと例えでもあったでしょ☆ポンポコピョンっていう…☆」美「いやだから、そういう風な方法しか無くなっちゃうっていうこと」江「ただ、それにも実は、スピリチュアルな視点では理由があるんです」国「あるんですか?」安「あるんですか…」江「あります」美「理由のないものはないの☆」江「ないんです、そうなんです。だからそういう現実的な『考えてした』とか全く関係のない、意図しない理由があります」国「これは…後ほどに回した方がいいですか☆」江「ですね☆」美「そうですよ☆」安「そうなんですね…☆」国「じゃあ自粛している間は、どんなことをされていたんですか?」安「うーん…写経(仏教の経典を書き写すこと)をしたり…」国「写経…何故また写経を…」安「これはあの…『するといいよ』っていうことを言って下さった知り合いの方がいて…『家に居るだけでしょ』って」国「『写経がいいよ』と?」安「はい。『いいよ』って。『そうなんだ…』と思って、私は…」美「ほら、そこは言わなきゃ☆」国「…これは必然ですよ…このタイミングで良いんですよね?☆」美「必然っていうよりも、そのずーっと、そうなるべくしてなっていたのに気がつかないのよ」国「あー…そっちの言葉だったんですね☆」美「だから、そこに何かがあるということなのよ」国「どうでした?何か落ち着くとか…」安「うーん…気持ちはそうですね…落ち着きましたけれども…はい…去年あたりから、自分が出会ったことのない素晴らしい方だったり後は自分が立ったことのないようなステージに立たせていただく機会が…本当に去年の『トゥーランドット(2008年 演出 宮本亜門 音楽 久石譲 衣装 ワダエミ 出演 岸谷五郎 中村獅童他)』という祝祭音楽劇の時からスタートしていて…もう不思議なんですよ…もう江原さんの出会いもそうなんですけどイルカさんだったり松山千春さんだったり…本当に素晴らしい大先輩の方たちとお話をしたり、一緒にステージに立たせていただく機会が…本当に去年位からです」国「急にですか?」安「急になんですよ。『ええ?!』っていう驚きなんですよね。でも何か意味がある気がしていて…」出会った事全てが繋がっているという安部さんに贈られるメッセージとは。江「じゃあ一通り全部お話しましょう。ええっと…全部が繋がっています、全部が。で、あの…その本当に何か取って付けたように聞こえるかもしれないけれどモー娘。のメンバーとあなたは前世でも一緒ですよ」国「ええ?!」安「全員ですか?」江「いやその…全員じゃない☆最初のメンバー」安「最初のメンバー…」国「5人?」江「5人。ね?最初の初期メンバーが一緒。その前世のことなんだけれども、あのね実は見えてくるのは東南アジアとかの方です…の方の景色でね、あのそれこそ今で言ったら、ベトナムとか、ああいう方の地域じゃないかと…あのね、丸い円錐形の笠(ベトナム衣装)があるじゃないですか…被ってねそういう女性たちが見えるんです。でいて、ちょっと悲しい事情があってね…寺院みたいな綺麗なところに皆、その女の子たちがいるんですよ。ね?で、いるんだけれども皆、実は親を失った人たちなんです、お子さんたちなの。そこで、色んな事情ですよ、病気だとか争いかもしれないけれども…だからある意味で、みんなすごく自立心があると思う、みんな揃って」安「初期のメンバーは特にです、はい」江「でしょ?さっきね『皆がライバルだと思うから』って、要するにね甘いことを考えないんですよ、生ぬるいことは。その前世で、皆がそうやって色んな苦労があって、小さい時に親と死に別れたり生き別れたりで、そういう人たちが来て…だから自分で自分の生きる道をちゃんと決めなければいけないしかと言って家族観みたいな、何というのかな、そこでの家族観新しくできた姉妹みたいな感じで…だから支え合う気持ちでも自分は自分っていう自立しなきゃいけない…そういう誰にもちょっと理解されない不思議な感覚のグループだったと思うんですよ」美「同志愛よね」安「そうです…」美「同志、仲間同志の同志」江「だから何かポワーンと来ちゃったという感じじゃなくて、みんながそれなりに若くても人生に疑問を持ったりして集まっていて、だからあまり生ぬるいことは考えずその…何ていうのかな…『自分で道をちゃんと作らなくてはいけない』っていう…すごく真剣だったと思うんですよ。『何となくアイドルに、ただ憧れて』とかいうもんじゃなかったと思う。ね?そこ(前世)のときも皆そうだけれども異国語として聞こえてくるんだけれどもね、皆の励みは、楽しみは歌なんですよ。お遊びっていうかね、それは全部歌なの。皆で歌っていて、歌っている時は楽しい…そういう時は心一つになる…で、そういうことで一つあるのね、さっきの『角の部分が好きだ』ということもそうなんだけど私は初めて会った時にね、『何て気苦労症の人なんだろう』と思ったのが第一印象なんですよ。そのオーラの大きさとか色合いもそうだしね。どういう色合いかって言うとね、ブルーが強い紫なんですね。意外とね、赤い色もあるんだけれど極端なのね。だから割りと頑張って燃え上がる時もあれば、すごくクールに見るところがあってね…基本的にこういうオーラの人は優しいんだけれども…で、オーラが大きいで、感受性が豊か。だから人の気持ちを完全に汲んじゃうんですよ。だから悪く言うと振り回されるの…それでいて、あの…失礼ながらちょうどあのコンサートの時にご両親がいらっしゃっていたけれどもとってもいい優しいご両親なんだけれども…『今だからそうなんだろうな』と思うの。お小さい時とかはもう、お父さんのことでもお母さんのことでも色いろんな問題があって、ご本人は、安部さんは物凄く気を遣って、親のこと姉妹のこと…だから夢でね、『妹を必死に守って引っ張っている』という夢があったでしょう?あれも、ただの夢じゃなくて二通りあるんですよ。要するに前世でそういうようなところに居たということで『皆で助け合わなくてはいけない時は助け合う』っていうのもあるのとあともう一つは今生の中でも常に姉妹とかを守っていかなくてはいけない。だからよく『子はかすがい』って言うけれども、かすがいの人なんですよ家の中で、ムードメーカー。一生懸命、気を遣ってお父さんのことも気を遣って、お母さんのことも気を遣ってみんなで平和平和…平和になろうね、みんなで仲良くいこうね、っていう気苦労。そういうのがあるから、いつも過敏で結局そういうことで気を遣い過ぎちゃってギクシャクしてきちゃう…空回り空回り…『何でそんなに人のことばっかり気を遣って自分で自滅するのかな?嫌だな…』っていう思い、強くなかった?」安「本当にその通りですね…あの…何なのか分からないんですけど小っちゃい頃から、やっぱり家族が笑顔になることとかが、すごく嬉しくてすごく気を遣っていました」江「前世では親とは縁が薄いでしょう?だから家族であることが物凄く大事だと思っているわけ。でいて、今回もそうやって、皆に気を遣っているんだけど、自分だけで楽しめたのはTVなりで歌手を観ること、音楽を聴くこと、歌を自分が歌うこと…その時だけは誰にも邪魔されないし、誰もが喜んでくれた、一緒に歌っていてもね」安「はい…」江「…っていうことで、そこだけは自分の聖域だったはずなの。『だからこれだけは手放さないぞ。この夢だけは諦めないぞ』」安「そうですね…」江「ね?『他のことは我慢する、お小遣いでも何でも我慢する。自分よりも姉妹のこと、どうぞどうぞ…だけど、ここだけは我慢しない』今までね、家族の中で我がまま言ったことは歌だけじゃない?」安「そうですね…あんまり『こうして欲しい、ああして欲しい』って言わないでいつも親の顔色をうかがって、お母さんが喜ぶことだったり、姉妹が喜ぶことを先に…何か察知してというか予想して、自分の中でいつもやるんですよ。でもやっぱり、悲しい時辛い時、そういう場面に陥った時は、歌に励まされたんですよね物凄く…頑張ろうって…前を向いて生きていかなきゃなと思いました」続きます。「オーラの泉の日記」
January 28, 2009
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歌手になることを信じていたという安部さんの夢は実り「モーニング娘。」は一大ブームとなって、オリコンシングルチャート通算10作首位(ピンク・レディーは9作とのこと)を獲得。メンバーの入れ替えが続くためチームワークを大切にする中にも常に緊張感があったのだそう。国「物凄い人気でしたよね、本当に」安「ありがとうございます、本当に」国「まあその後、『モーニング娘。』は色々こう…卒業があったりまた新しく入ってきたりと…本当に色々…それこそ複雑じゃないですか?」安「いやもう…いっぱい不安もありましたし…『もう明日どうなるかわからない』って思う中でした…」国「『なんだよ、つんく♂』でしょ?☆家では」安「もう…そうですね☆」国「『卒業システム、何だよ?』ってことで…」安「そうです、本気で…もう本当に台本とか全くなく突然なんですよ。突然『あ、明日、何人か加入します』と本当に聞かされるんですよ」国「一番最初、加入してきたりとかっていうのは凄く複雑な気分だけれども…」安「嫌でしたよ…はい…」国「…嫌だよね…」安「嫌ですよ…」国「『嫌だ』っていうのが顔に出てたもん☆」安「もう嫌でしたよ☆『この5人で頑張ってきたのに、このままでいいじゃない。どうして?』って…」国「大人って色々なことを考えるよね」美「最終的には何人になったの?」安「ええっと…私が卒業した時が一番多い人数で、15人いました。最多人数でしたね」国「今でも仲の良いメンバーっていうのはいますか?」安「いますね。その卒業したメンバーは仲が良いんですよ、みんな。あの…みんなでお酒を飲んだりとか『最近どうなの?』みたいな話をしたり…何かやっぱり卒業すると、また全然違いますね。あの…私はメンバーにいたときはお食事に行ったりとかしなかったんですよ。やっぱりどんなに年下の子でも常にライバルと思ってやってきたので…」国「うわあ…凄い…」安「『仲が良くなくていい』って…すみません☆」国「素直でいいと思いますよ」安「…って思っていたので、常にライバル視をしていたので、本当の意味で『仲良しこよしじゃなくていい』って」国「なるほど」安「『そうじゃなきゃ勝ち残っていけない』っていうのもありましたし…卒業して、少し経ってからですね、そういう機会が作れて…」国「みんなでご飯を食べられるようになったりしたのも…」安「…そうです」国「そんな中でも運命を感じる人っていうのは…」安「飯田佳織とはですね…実はその二次審査の時に会場で、何千人もいた中で席が隣になっていて、二人とも履歴書を持った状態で。で、プリクラを交換したり会話をしているんですよ、その時に。で、まあ受かっていった過程も一緒で、グループになって活動をし始めるんですけどその途中で気づいたんですが…生まれた病院が一緒だったんですね。しかも誕生日が二日違いで、同い年なんですが…」国「うわあ☆」安「…8月8日が彼女で、私が8月10日なんですが…室蘭で…『お母さんがね、室蘭だから』…私も地元が室蘭なんですけど『病院、一緒だよ』って聞いて『ええ?!』って鳥肌でした」国「お母さんが室蘭なんだ」安「そうなんです、飯田の実家は札幌なんですけど、お母さんの地元が室蘭だったのでそこの病院で…」国「こんなことあるんですね☆」江「ねえ☆ということは、同じ時期に病院にいたってことですよね。新生児室で並んでいたり…」国「並んでいるんですよ☆」美「並んでオムツ替えてもらったのよね☆」メンバーの方のみならず、安部さんに続いて芸能界に進んだ妹の麻美さんに関しても不思議なご縁があるようです。国「…そして夢ですけれども、逃げている夢を…」安「そうなんですよ、あまり見ないんですね、夢は。でも見る時は常に逃げていてシュチュエーションが山だったりとか、すごい…皆が敵だったりするんですよ、槍を持っていたりとか追っ掛け回されていて…で、もう妹が常に私の隣にいて…でも引っ張ろうと思っても重い時もあったり…なかなかついて来れなかったりするんですけれども、必死で命がけで守っていたり…」国「必ず妹がそこにいるんですか?」安「必ず妹がいるんです…」国「この夢自体に何かこうメッセージ的なものっていうのは…」江「うん、あります。後ほど☆」国「あ、後ほどですか」安「やっぱりあるんですか?」江「だってここから言い出すと、全部繋がっていって話しちゃうから☆」国「あら☆そんな夢なんですか?」江「うん、色んなこと☆」国「…で、小さい頃の不思議な体験というのは…これは色んな音を聞いているんですか?」安「これは…ええっと私が小学生の時に住んでいた家なんですけれども…ちょっと不思議なお家なんですね。借りていたお家なんですが、玄関を開けてすぐ階段が13段あって真っ赤な絨毯で…私が居た部屋にお札が貼ってあったんですよ。私は『怖い、怖い』と言って、そのお札を剥がしてしまったんですね。そうしたらお母さんに『何で剥がしたの?』って言われたんですけど…そこからですね、そのお家に住み始めてから結構不思議な体験というか…そういうことが多くて…その廊下で足を摺るような音がしたり姉と一緒に二段ベッドで寝ていた時に、襖があって隣の部屋から声が聞こえてきたんですよ。ずーっと二人でその声を聞いていて、今でもやっぱり耳に残っているんですね。その後にもゴムボール、子供が遊ぶようなゴムボールをついている音がしたりとか…」国「うわあ、怖いねー…それは同じ部屋で?」安「そうなんですよ、同じ部屋と後は廊下みたいな…」江「その聞こえた声は女の子じゃなかったんですか?」安「男の人…」江「ボールとは全然違う…」安「違いますね。男の人のちょっと低いような声で…うめき声ですね」江「で、鞠をついている時には聞こえなかった…鞠の音だけで」安「聞こえなかったですね、鞠の音が…ポンポンってついていたり…」国「それはやっぱり、お札を剥がしたっていうことからですかね?」江「いや、それも後で…繋がりがあるので」安「ええ?!繋がってるんですか?」美「全部☆」江「全部繋がりがある」国「今日は勿体ぶるねー☆」美「みんな繋がってるの、全部答えが出ちゃうから」国「本当ですか、これ全部繋がっているんですか」江「うん、だから後、話が無くなっちゃうじゃない」美「全部答えが出ちゃうのよ、そこで」安「そうですか…」国「凄い☆」安「…私、角が好きでTVを観る時も茶の間の角に背中を付けていつも観ていたりとか…それとドアの間とか、棚と棚の間とか…背中が気になってしょうがないんです、背後が」国「…これは何かありますね☆これは背中を見せたら危険っていうような…」江「関係ないんだけどね☆」国「あれ?☆」江「背中が特別云々ってわけじゃないんだけど、それだけは今、答えられますけどね…あのね、霊的なものの出入り口っていうのは全部、背中なんですよ。だからほら肩が重くなるとかゾクゾクっとするとか、ね?言うでしょう?」美「背筋が寒くなるとか…」江「ね?全部(首の後ろ側を触って)こちらなのね。だからそこを、霊的な部分の弱いところを何か隠そうとする本能がここで働くだけで…だからと言って別にそうやって壁にくっ付いていたからって霊的なものに関係ないじゃない。だってその壁から手が出るかもしれないしね☆なぁんちゃってね☆」国「…怖い冗談を…☆」安「本当に☆」江「だから気分の問題。でも背中っていうのはそういうものです」続きます。「オーラの泉の日記」
January 27, 2009
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国民的アイドルグループのメンバーとして活躍された方がゲスト。【スピリチュアルチェック】☆ 不思議な体験→小さい時、小学校3、4年生位の時に住んでたお家で人の声を聞いたりボールが跳ねてるような音がしたり…そこの部屋には人がいないんですけどそういう音を聞いたりした体験はあります。☆ 人生の転機→15歳の時です。オーディションを受けた時ですね。☆ 生活の中でこだわっていること→仕事上、海外のホテルや地方に泊まることが多いんですが何か周りというか、背中が気になって誰かに見られているような気がするのでいつもベッドに入って寝る時は枕で自分の体を囲ったり…何かこう気になるのでそうして寝るようにしてます。☆ よく見る夢→夢はあんまり見ないんですけれども…見るとしたら逃げる夢ですね、逃げてます、いつも夢の中で。それで妹が必ず逃げてる夢では出てくるんですがいつも命がけで必死で妹を守ってます。☆ ひとつだけ願いが叶うとしたら→ヒット曲が欲しいです☆(「あー、一緒だなー…」と太一くん)国「いや、こうやって見てもそうだけど、大人になったねえ☆」安「ありがとうございます☆」国「今いくつになったの?」安「今…27歳になりました」国「あ、27になったんだ。今日はまだ、なっちって呼んでもいいのかな?」安「はい、全然かまいません、大丈夫です」国「27歳でも?じゃあ今日は、なっちと呼ばせてもらいますので…よろしくお願いします」安「お願いします」国「どうですか?このオーラの泉に出ることになって…」安「もう…何か夢みたいです。今あそこで(中央階段のセットを指して)上がってくるときに何かちょっと泣きそうになってしまって…ずーっとこの番組がスタートした時から観ていたので自分がまさかここに立てるとは思いませんでした。でも、自分の中で、もう本当に一番出たい番組だったんです。でもそういう時が来たらきっと出れるって自分の中で思っていたので『ついにこの時が来た』って何かこう…うるっとしましたね」国「上がってる最中に、そういうことを思い出したりして」安「はい」国「どうですか、美輪さんとは初めましてなんですか?」安「いや、違うんですよ。2年…3年位前に舞台を拝見させてもらったんですけれどもその時に私、友達と行っていたんですね。そうしたら、帰ろうと思っていたらマネージャーさんがこっそり来て『美輪さん本人が是非ということなので』と言って…」国「うわあ、嬉しいね☆」安「『ええ!?まさか、お会いできるんですか?』と思って…」国「舞台で観てたのに実際に楽屋で…」美「いやあの私、『毛皮のマリー』ってお芝居でね、♪日本の未来は…♪っていうのをねあれを使ってたのよ」国「あ、そうなんですか」美「私、大好きだったの、『モーニング娘。』…で、とっても可愛らしいじゃない?そうしたら『来てる』っていうんでね『あ、よろしかったらどうぞ』って言ったの」安「そうなんです。もう本当にどきどきしながら…」美「『愛の讃歌』でしたっけ?」安「そうです。『愛の讃歌』でした」美「ね?で、ちょっとお話させていただいたの」国「江原さんとはどうですか?初めまして…」安「江原さんとは違うんですよ。去年のイルカさんのイベント(2008年9月『イルカ with Friends』)歌のイベントがあるんですけどそこで江原さんと初めて共演させていただいて…」国「これまたオーラの泉を観てたら…」安「そうなんです、そのお話をしたんですね、そうしたら…」江「『絶対出たい、出たい』って言って…『じゃあ、お伝えしますね』って」安「そう。江原さんが『是非おいで』って。『え?』って…」国「江原さん、ブッキングしてるんですか?☆」江「そうでは…☆でも皆さんもありません?よくそうやって…」国「言われます、これは言われます、よく…」江「だから『じゃあ、お伝えします』ってカレーライス食べながら…」安「そう何かもう本当に…カレーライスを、メンチカツを乗っけていただいて…江原さん、おかわりしてて…『あー…』って…」国「江原さん、おかわりしたわけですか、メンチカツを☆」美「おかわりは、ちなみに何杯くらいですか☆」安「結構されてましたよね☆」江「いえいえ、そんなことないですよ!」安「何回食べました?」美「10杯位?☆」北海道・室蘭市出身の安部さんは、高校一年生のときTV番組のオーディションを受けた後「モーニング娘。」を結成し、1998年「モーニングコーヒー」でデビュー。最初のメンバーは、いったんはオーディションに落ちた5人だったのだそうです。国「人生の転機ですけれども『オーディションを15歳の時に受けた』のが人生の転機だと…」安「はい、そうですね…やはりそこから…色んな出来事があったので…やはり自分が『受けよう』って思って…」国「自分が受けようと思ったんですか?」安「そうです、あの…ずっと歌、歌手を。歌いたいって、そういうメッセージを伝える人になりたいっていうのを思っていて…中学生位の時にも『浅ヤン』っていう番組を観ていて、オーディションを受けたいって言っていたんですけれども親や周りの先生が、学校の先生だとか、反対されていて…それでもやっぱり受けたかったので『高校入ってからならいいよ』って言われたので、入ってから一番最初にあったオーディションに『よし、行くぞ』って」国「一番最初で、もう合格したんですか?」安「いえ、違うんですよ。まず9900人の中から1人グランプリが決まって…」国「1人だけだったんだ、最初は…」安「最終的に10人位いたんですけれども、全員落とされて各地、帰らされたんですね、田舎に…」国「その10人の中には入ったんだ」安「はい、入ってて『グランプリ、いけるかな』って、ちょっと正直、思ってたんですけど…落ちました、見事に…もう相当、今まで体験したことがないくらいショックで…『もう人生の終わり』位に感じていて、その時は。でもそこから声がかかったのがまあ5人…全国各地、色んなところから5人が集められて『5日間で5万枚、手売りで売る。売ったらデビューしてもいいですけどそれをやりますか?』と。1人1人に聞かれて皆『やります』『やります』…『やります』みたいな…」美「で、失礼だけど、あの…グランプリで受かった人はどなたなの?」安「ええっと…今でも歌手をやってるのかな…デビューしたんですけれども…」美「そんなものなのよ」安「…そうなんですね…」国「…物凄く重みがありましたよね、今…」美「そんなものなの。落ちた人が残ってて、受かった人が消えてゆくって…世の中ってそういうことがあるのよ」安「でもその、まだデビューが決まる前に私…いま思うと不思議なんですけど学校を辞めたんですよ。先生のところに…」国「それは忙しくなるからっていう…」安「いや違うんです。何か感覚的になんですけど『私はこっちの道だ』って思って親にも言わず…」国「親に言わなかったの!?」安「もう驚かれましたね…『浅ヤン』のスタッフ、その時の番組のスタッフの方にも『何やってんの?』って。『デビューも決まってないのに何してくれたの?保障が無いんだよ』って言われたんですけど、私は全然、そんなことを言われても動じず…いま思うと凄いことですよね…」国「いやいや…凄いよ、それ…お母さんは何て言ったの?」安「『何やってんのさ、あんた?』って言われました。『あんた何してんのさ?』って言われました」国「方言で☆」安「はい☆『何したのさ?』って言われましたね」国「それは…もう覚悟が…」安「ありました。『私はもう此処だな』って」続きます。「オーラの泉の日記」
January 26, 2009

レッドパームオイルの石鹸をアトピーのお子さんを持つ方からのご依頼で作り、年明けにお渡しすることができました。このオレンジの石鹸は、作らせていただくと、ご縁を得ていつのまにか在庫が無くなってしまう人気の定番。今年も石鹸作りを続けられそうで、有り難いことです。現在、在庫のある石鹸手作り美肌石鹸 オレンジカロチン豊富 傷修復効果大手作り美肌石鹸 インドチャイカテキンで美白に手作り美肌石鹸 バジル美肌 シワに手作り美肌石鹸 枇杷の葉アミグダリン豊富、傷修復効果大手作り美肌石鹸 ミント美肌 シワに手作り美肌石鹸 マヌカハニー抗酸化 殺菌作用 にきびや荒れ肌にインドチャイはクリッパーの有機ティ、バジル、枇杷の葉、ミントは我が家の庭で育っているもの、マヌカハニーは、傷に直接付けて治すこともできるよう。保湿効果の高いミツロウとセサミオイルのクリームも作っています。香りはラベンダー、ユーカリ、ゼラニウム。ご要望がありましたら楽天オークションさんに出品させていただきますのでよろしかったらどうぞ。【手作り石鹸 作成手順】(画像はレッドパームオイルを使った石鹸です)↑は苛性ソーダとオイルを混ぜて攪拌し、数時間たった石けんのタネ。美味しそうですけれども、素手で触ってはいけません☆約12時間後。クリームのようでますます美味しそう☆泡だて器で☆を描いて、消えなくなったらタネの出来上がり。紙パックに分けて、一ヶ月以上熟成させます。幼い頃からアトピーや紫外線アレルギーなどに悩まされてきたため、学生のときから自分で化粧水を作るなど、肌にいいと思われることをいろいろ試してきました。数年前、新鮮なオイルで作る石鹸やクリームに出会い、自分が本当に心地よくなった経験をおすそ分けしたくて、少しずつ、周囲の方にお伝えできるようになってきたのが幸せ。いま悩んでいることには、必ず幸福のタネが入っていると心から信じられる由縁です。いつも後押ししてくださる方々、我が家の石けんをご覧いただいた方々、ありがとうございます。 「美味しい手作り石けん」************************************************1月26日、午4後時55分より、満月が始まりますね。メールマガジン第83号をお届けいたしますので、ご登録いただいている皆さま、よろしくお願いいたします。「『恋でキレイに~源氏物語で恋愛セミナー~ 』源氏物語を題材にした現代に通じる恋愛セミナーを中心に、ヨガ・心理学・手作り石鹸・自然療法・文化などを交え、楽しくキレイになる方法を。新月と満月の日に、あなたも生まれ変わってみませんか? 」毎月、満月と新月の始まる時間に発行予定。ご興味をお持ちいただいた方は、よろしかったらバックナンバーをご覧下さいませ。『恋でキレイに~源氏物語で恋愛セミナー~ 』
January 25, 2009
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1月24日のゲストは安部なつみさんですね。***地球一周をするという今回の挑戦には、たくさんの理由があるようです。江「それでいてね、あの…実は今回、こうやって周るということもね、幾重にも理由が重なっているんですよ、実は。幾重にも。前世ということではね、あの…ネイティブアメリカン(かつてインディアンと呼ばれたアメリカ先住民)だった頃があります」間「僕?…マジですか?」江「だからあの…寛平さんってね、花というよりも草類を見るのが好きなんです。あのね、薬草とかね、そういうものをずーっとやっていたからなんですよね、ネイティブアメリカンの頃に」間「子供の時、葉っぱを気にしていた…」美「花よりもね」間「花よりも」美「その通りだったのね」間「はい…」江「それはその名残、ネイティブアメリカンだった頃の名残で…でね、さっき言ったようにまるで千日回峰行のようでしょ、あとは行く場所自体も自分の魂のルーツとか、色んなルーツを探す…」間「…びっくりしたのが、インディアンと言われた時に…僕、めちゃめちゃインディアンジュエリー(ネイティブアメリカンが造り始めた装身具 ナバホ族やホピ族が有名)が好きで、いっぱい持っている…」江「それも名残、その時の記憶」美「昔の記憶をそのまま留めているわけ」江「自分で覚えていないだけで、(胸を示して)刻まれているんですよ」国「いつ頃から集められたんですか?」間「もう大分になるけど…」国「いっぱいあるんですか?」間「ホピ族とかズニ族とか…僕、ズニ族が好きで…ズニ族のをずっと持っているの…それで今、走っているから僕、全然着けずに置いていたんですよ…昨日、全部出して磨いたとこや…」国「うわ☆」間「全部、磨いたんですよ」国「何で昨日なんですかね…」間「わからへん、それは…たまたま昨日…」国「思い出したようにですか?」間「うん」美「面白いわね☆」国「うわ、何これ☆」間「何これ…や思うて…」江「だから感覚で生きている人なんですよ、常にね。だから前世でも、いわゆる非常に現実的な世界で生きていないんですよ。修行僧もそうだし、ネイティブアメリカンもそうだし…だからどっちかと言うと自分が自然界の中で本当に生かされていることを理解し、感謝し…とかいうことを…常に感謝したい人なんですよ…それでね、ごめんなさい、ここからもう一つ、大事なことがあるの、ここからがね…あの、寛平さん、オーラね、ずっと見てるんだけれども…美しい紫があるんだけれどもそのオーラをくすませている原因があるんですよ。それは凄く最初から気になって、気になって…私はどうしようかな…と…」美「それで悩んでいらしたの」江「そうなんです…ちょっと二点…実はね、ご存知かな…戦死なさっている方がいるはずなんですよ」美「戦争で亡くなった方…」間「あぁ…」江「それが一つ。後もう一つ…若いのに、割と早くにパッと逝っちゃった…だから陽の目も見ずに終わったみたいなね、『これからだったのに』とかいうような感じでその人のことを物凄く心配して同情して、情を持って…いつも何かといえば思い出せば拝むというかね、手を合わせるような気持ちの方がいらっしゃるはずなんですよ」国「どうですか?」間「居てます…その…若い時に亡くなった子というのは、僕の中学校の同級生なんですけどその子に僕がこういう世界に入れてもらったんですよ。それで僕が吉本興業に入って…一年位かな…経って亡くなっているんですよ」美「何で亡くなったの?病名は」間「あの…ちょっと事故で…だからその子のおかげなんですよ」美「だからその人のことを折に触れて思い出されるわけね」間「そうです」江「なるほど…だから凄く、あっという間の出来事でしたでしょう?その亡くなるまでは」間「そうですね」江「だからどこかでね、命っていうものを自分が何処まで最大限に生かせるかっていうことを常に自分に課している…だから『中途半端に生きていたら申し訳ない』っていう気持ちが強くなっちゃう…で、そこで私は…粋じゃないことをちょっと言っちゃうんですけれども…あの…この旅、行かれることはいいと思うんですけれども、海に関してだけはちょっとあまり賛成…私はできないところがあって。何故かというと、あの…さっきの軍人さんたちの思いが凄く海にあるんですよ…亡くなっている人を見ると…多分、異国の地、海とかに仲間が亡くなってるとか陸での戦いよりも海とかそっちの方で命を落としたり…飛行機でもそういうのありますよね、海軍も空軍もね、あり得るじゃないですか…だからね、その渡る場所が気になるんです、凄く…だから最初の…(太一くんが地球儀の太平洋上の赤いラインを指して)この…」美「最初の部分ね」江「あのね寛平さん、これ理解しにくいかもしれないけれど、煽られるんですよ。自分の正常な信念で『やりたい』という気持ち『修行みたいにしたいんだ』っていうのとさっき言った魂のルーツも探るわけですよね、ネイティブアメリカンもそうだしそういう魂のルーツ、千日回峰行のように行く…そこまでは魂のルーツなんだけれどもそれ以外のところは、ちょっと煽られちゃうところがある。要するにご自身だけじゃない、そういう戦争のときの仲間のこととか、彼(先祖)とかそういった影響でね、何か『ギリギリまで行かないと申し訳がない』みたいに必要以上にいきやすい。だから、それは別。ということは、どういう風にするかというと『行くな』と私は言っているわけじゃないんです」美「それはあなたも予感しているはずですよ、何処かで。水に対してはね。『ちょっとヤバいんではないかな』とフッと。っていうのは行者だったから。自分の霊感でそれを知っているわけですよ。陸にはね、もう死にかけていても絶対に自信がどこかおありだし、絶対に到達できるって確信がおありなんだけど水はちょっとヤバいところがある、ひょっとしたら帰れないかもしれないな…っていうのがおありのはずなのよ」江「あの…そのさっきのね、軍人さんたちの思いが凄く海にあるんですよ」間「ということは、どうしたらいいんですか?」江「だから『今回は供養は別です』ということをね、しっかりお祈りして一生懸命念じるんですよ、その人たちに話しかける…『悪いけれど今回のことは自分の修行なので供養はできないけれど、それはまた後々お寺でも何でもするから、だからそれは邪魔しないでおいてくれ』と念ずる。後は船で行った時に躍起にならない。だからもう絶対に船で行くとするならば何かあったら戻ってでも、すぐ引き戻して飛行機に変える…」美「あの、もしどうしても船ということであればね、もう何かあったらすぐ最寄のところへ一番最寄のところへね。引き返すよりも行っちゃった方が早いって冗談でおっしゃったけれどもそういうことじゃなくて最寄のところで一番近いところで、何処へ逃げ込むかということも計算していらした方がいいということをおっしゃっているのね」間「いや…今更止めるわけにも…はい…」美「ギリギリのところですものね、もうオンエアの時には最中だからね。でもそれをあくまでもアドバイスとして練り直すことがね、できる範囲では練り直したり足したり削ったりなさったらいかが?っていうことなのね」江「ただね『絶対駄目だ』と言っているわけではないので、だからもう慎重に慎重を重ねてそしてすぐに戻る、何かあったら。無理はしない」間「無理はしないように行きます、はい…」江「絶対無理はしない。お墓参りもそうだし、お墓に入っている以外の彼らに対してもちゃんと言って下さいね。『今回は違う』ということ」美「それはね、もう始まった時に、そこにお座りになったときから一番江原さんが言いたかったことなのよ」江「そう…行き過ぎないで下さい。私もお祈りさせていただきます」間「はい、ありがとうございます…ずっとあの…(手を合わせて)お祈りします…」江「でもね寛平さん、守られているから、あの…それが本当に駄目だったら行けないようにされちゃいます。船に乗れないことになってしまう」国「なるほど。怪我とかもそういうことですものね」江「そういうのに逆らわないことなんですよね」間「はい…」国「頑張ってください、本当に…」間「はい…」国「もう今、出ている最中ですからね☆」【スピリチュアルメッセージ】☆ 絶対に海では無理をしない。何かあったら引き返す勇気を。旅の無事を祈っています。【オーラの言葉】☆ 困った時に助けてもらえるのは心が善良な人。傲慢でわがままな人は誰も助けたいとは思わない。最後にものを言うのは人柄。読んでいただいてありがとうございました。「オーラの泉の日記」
January 22, 2009
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寛平さんがマラソンを始めたのは36歳のとき。走り始めてすぐにフルマラソンを完走。1986年 青梅マラソン 第14回ハワイ・ホノルルマラソン 1987年 種子島ロケットマラソン 第15回ハワイ・ホノルルマラソン 1988年 飛騨高山マラソンを完走。1988年・1990年には246・3キロもの距離を走るギリシア・スパルタスロンに挑戦。この挑戦の際、現地でもサポートしてれたのが寛平さんを敬愛する後輩・明石家さんまさんなのだそう。88年、90年は途中棄権したものの、3回目の1991年に完走を果たされたそうです。国「本当にいろんな記録に挑戦してますけれども、そもそもマラソンを始めたきっかけというのは…」間「きっかけはね、あの…もう25、6年前に、もう僕、吉本興業でも駄目な男やったんですよ。アルコールは何ぼでも飲む、もうやんちゃばっかりしていて…それでその時に『もうあかんでこいつ、寛平は』いうてる状態やったんですけれども…池乃めだかちゃんって、あのめだかちゃんと二人で飲みに行ったんですよ。飲んでずーっと話をしていたんですよ。その時に『めだかちゃん…物凄い同じ夢を2回続けて見たんよ』『どんな夢?』『瀬古選手(瀬古利彦さん 福岡国際マラソン ボストンマラソン優勝など日本の長距離界をリードした国民的マラソン選手)とデッドヒートしてる夢を見たんよ』と言ったら『走ってみたら?』って言われたんですよ」国「それまで、一切走ったことないんですか?」間「ないです、ないです」国「瀬古選手には興味はあったんですか?」間「あのね…瀬古選手とイカンガー(シュマ・イカンガー タンザニアのマラソン選手)って凄い、いっつも闘っていた…で、そのイカンガーが僕になったんよ…」国「夢の中では?」間「はい。それでデッドヒートしてる夢を見て『いっぺん走ってみようかな』ってそれで煙草を吸うてたのも『今日で止めやー!』ってバーッて吸って終わりにしたんですよ」国「あ、その日に止めたんですか?話した時にもう止めたんですか」間「はい。それで5キロ程度ですけど、ずーっと走ってたんですよ」国「え?いきなりもう5キロ走るんですか?」間「ええ、5キロとか。それで『あ、5キロも走れるわ』と思って今度は10キロを走ったりとかしてたんですよ。『ええ汗かくなあ、気持ちええなあ』と思って…そうしたら吉本興業の…まあちょっと偉い人が『寛平走ってる?おい、ちょっと寛平!』って呼ばれて『お前、青梅マラソン行け』と。『3時間切ったらギャラ、倍にしてやる!』…多分、僕がええ加減な男やから『無理や』と思ってたから『ギャラ、倍にしてやる』それで僕が2時間26分(30キロ)で走ったんですよ」国「わっ早や!」間「はい、それが2月の16日…」国「あ、覚えていますか…」間「本当に覚えていますわ…」国「それは言った人は後悔したでしょうねえ…本当にギャラは…」間「倍にしました」国「凄いじゃないですか!」間「はい、だから僕が倍にしたから、新喜劇のメンバーとかも…僕を上げて皆を上げへんわけにはいかんから全員、上げたんですよ」国「新喜劇の人たち全員のギャラが上がったわけですか?」間「上げていったんですよ」国「素晴らしい…」美「世のため人のためだわね☆」国「やってるじゃないですか、ちゃんと…」間「そうなんですよ…ま、そこだけやけどね…」国「いや凄いことですよ、それ」人生の転機となったマラソンへの新たな挑戦を控えた寛平さんに贈られるメッセージとは。美「さっきから色んなものが見えて大変でいらっしゃるところ、こちら…悩んでいらっしゃる…」国「はい、どこから…て感じですよね」江「最初に出た…マラソンに向かうってことで申し上げるのは、寛平さんはね、実は『やんちゃしてた』っておっしゃるけれども、何でも一生懸命やりたい人なんですよ。その一生懸命を見つけられなかったから、何か破天荒なことをしちゃったり自暴自棄にも思えてしまうような、そんな保証人になっちゃったり…何でも全力疾走したいんですよね…なんだけど、道が見つからないから今までそういう風な、遊んでたりというだけであって…それがマラソンっていうものが見つかったものだから今度そこに向かっていったらば全部こう…世の中においては地に足ついて非常に良くなったっていうだけのことで…何でも一生懸命やりたいし、そうやって煽られるとすぐにやる人だからそれを夢というものを使って、そういう方向を変えたんですよね」美「それともう一つ。瀬古さんが走っているのでね、あなたがデッドヒートして競り合っているという様な夢ね…あれは、瀬古さんじゃないんですよ。瀬古さんなら一番説得し易いから、瀬古さんの姿を借りて後ろについていらっしゃる方たちが方便(人を正しく導くための便宜的な手段)でもってそれをあなたに見せただけの話なの」間「…瀬古さんじゃないの、あれ…」美「方便なの☆方便で瀬古さんの姿を借りただけ☆」国「なるほど☆」江「それが一番分かりやすいから☆」間「ほな僕がイカンガーでもないわけですね?」美「そうそう☆」国「ある程度デットヒートさせたのは『楽しいよ』って意味もあったんですか?」美「だから指示を与えるのに一番分かりやすい方法、感じやすい方法の方便をね、使うわけよ」江「その人にとって一番刺激のあるところを突っついてくるのが面白いところなんですよね」美「一番分かりやすいところをもって、霊的な世界はそういう方法を使うのよ、いつも」間・国「へえー…」江「それで走るということ自体は、私は全然、不思議じゃないんですよ。何故かと言うと…あの…これ、二通りのことがあって一つには、寛平さんの後ろについていらっしゃる、守っていらっしゃる方、修行僧の人がいるんですよ。昔の修験者ね…あ、全然話が違うんだけれども、寛平さんがお寺に行く姿がよく見えるんですよ、私…で、寛平さんがご自身のことだけじゃない、ご自身の周りの人たちのこともお祈りされてるんですよ…願をかける、お祈りするっていうようなことで行っていてお坊さんに会うとほっとするんですよ」間「はいはい…」江「だからそれは、お坊さんのような格好の人、要するに全然縁のないお寺さんでも行ってお坊さんたちを見るとほっとするというかね…」間「はい、本当にそうです…はい…」江「でしょ?それはスピリチュアルな視点から言うと、寛平さんの守護霊さんでもあり後は元の前世の中にもあるんですけれどね…修験者というか修行僧であった…だからね、あの…これは不思議なことでね、マラソンとかを好む人の中にね、結構そういう昔の修行僧の人、いるんですよ。要するにね、千日回峰行(山谷を1000日間、歩き抜く密教の荒行)に似てるじゃないですか。ある種の修行であり、精神統一…」美「修験者ってね、崖を上ったり下りたりとか、逆さまになってぶら下がって…あれのことでしょ?」江「そうなんです。だってそれじゃあ世界一周、まるで千日回峰行じゃないですか、日数的にも」美「そうね。それのスケールの大きい…」江「一つの山でするんじゃなくて、地球という場所の千日回峰行するわけですよね。でね、さっき美輪さんがおっしゃっていたんですけれども…」美「天狗さん?」江「そうそう。『天狗に力を借りて行かなきゃ駄目ね』って言ったじゃないですか。だからあの…実は天狗信仰って、そういう修験道の中にあるんですよ」美「自然霊のね」江「ええ」現在もこの修行を行っている比叡山延暦寺の場合、7年間に渡り延べ1000日間、念仏を唱えながら山道を歩き続けるのだそう。その距離を合計すると、およそ地球一周分になるようです。江「あの、比企さんってお料理上手じゃないですか?」間「作ってくれます」江「何でも割りと作りますでしょう?男の人だと、割と面倒くさくて作らなかったりとかって多いんだけど、割りと何でも作られる方だと思うんですよ。それはどうしてかと言うとね、あの…修験僧仲間ですよ、昔の…でいて、比企さんの場合は、ご調理担当者だった…」美「お料理担当の修行僧」江「そう。だから要するに精進料理とか、そういうのを担当していた人ですよね」間「コツコツ、コツコツ作ってくれます、僕に…はい」江「だからそこからのご縁はあるんですよ、確かに…」続きます。「オーラの泉の日記」
January 21, 2009
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地球一周を目指す寛平さんには、大きな支えがあるようです。国「でも、これ最悪…死んじゃうかもしれないわけじゃないですか」間「……何てこと言うの…何てこと言うの…☆」美「縁起の悪いこと☆」国「ヨットの経験は本当に無いんですよね?」間「はい、ないです」国「比企さんは経験はあるんですか、ヨットの」間「大学時代にヨット部やったもんで…」国「大学時代、ヨット部…」間「そうなんですよ」国「で、どこか横断したりとか、そういう経験というのは…」間「あの…小笠原まで行ったことがあるけれど、物凄く泣いたらしいです☆『怖い、怖い』言うて…『神様、助けれくれー!』言うて☆」国「何回言うんですか、今回それ☆この(太平洋を渡るルートを指して)60日間の間に☆これだって、1ヵ月で『引き返そう』ってなったって、1ヵ月かかるわけですよね?」間「それやったら、行った方がええやん☆1ヵ月行って引き返すんやったら…」国「これ…過酷ですよね?本当に…二人だけですよね?」間「二人だけです」美「比企さんと二人だけ?」間「はい。60日ずーっと二人っきりでヨットの中に居てるわけだから…」国「ご飯も一緒に食べるわけですよね」間「僕、何にもせえへん人間やから、もう比企に言われたんですよ。『自分が食べたカレーライスの皿は自分で洗うようにしてくれ』と。途中でやっぱり、腹も立ってきたりするやん?喧嘩になるかもわからへんと…」美「で、また愛し合うようになるかもしれないしね」間「抱き合ってですか?」美「はい☆」国「そうですよ☆60日も一緒だったら、それは抱き合う時間も出てくるかもしれないですよ☆」間「絶対、比企はよう抱かんわ☆」美「大丈夫よ、向こうもそう言ってるから☆」間「ということは、僕が抱く方ですか、それとも僕が抱かれる方ですか?」美「そんなのは私は知るわけはない、勝手にすれば☆」間「見て分かりません?見てもらいたいんですが、そこも☆」美「勝手にすれば☆」国「でも、親みたいですね、比企さん」間「そうなんですよ」国「『ちゃんとカレーのお皿は自分で洗って下さいよ』とか、スケジュールも全部組んでくれたりとかっていう…本当に比企さんがいなければ…」間「そうなんです、はい…」比企啓之さんの言葉「まあ僕としては、言いだしっぺは寛平さんで、企画したのが僕なので、もう何が何でも届けないと駄目なので…あの…頑張ります」ヨットの経験が全くない寛平さんの訓練のみならず、2年半の旅にも同行されるのだそうです。国「今どうなんですかね、スタートして1ヵ月経って、比企さんとの関係っていうのは…間違いなく、海ですものね」間「はい…でももう、その時は…もう大変な状態になってると思うんですよ」国「と言いますと、どんな…」間「まあ冬の海ですから、まあ荒いんですよね、やっぱり」国「波が…」間「はい」国「その経験というか、体験はしてきてるんですか?」間「…いいえ…」美「いや、だってあの堀江さん(堀江謙一さん 1962年 太平洋単独横断に成功 1974年 単独無寄航の世界一周を成功)だってね、『もうこれで年貢の納め時で、もう死ぬな…』と思ったことが何度もあるっておっしゃっていた…」国「それだけ過酷なわけですよね…もうすぐ還暦なんですよね?」間「そうなんです。だから還暦はね…(地球儀を回して)多分この…アメリカ大陸を走って、欧州の…この辺…」国「フランス辺りですか?」間「そこ位ですね…」国「…で還暦を迎える?」間「はい…」国「それはそれで、楽しみと言えば楽しみですよね」間「だけど、誰も居てないんやで…」国「『おめでとう』って言ってくれる人が☆…あ、ここはもう比企さんも居ないんですか?」間「居てない…もう比企は…(大西洋から欧州到着地点のリスボンを指して)ここに着いた時点で、もう車で潰れている(解体した)ヨットを陸送して(ユーラシア大陸最終地点である中国の青島を指して)ここに持ってきて(組み立て)直さないかんから…」美「じゃあ比企さんも大変だわね」間「大変なんですよ」美「あーやだやだ☆」国「大変ですよね…」美「でもこれだけ…いま説明していただいたから『大変だな』と分かったけれど説明を聞いていない一般の人たちは『ええ?』って思うでしょうね、これをご覧になった方は」間「はあ…」美「如何に大変かピンとくるんじゃないですか?」間「はい…」国「そのスケジュールっていうのも、ほぼ毎日走っていたり…」間「毎日…そうですね、50キロは…」国「…50キロですか!」間「毎日」国「毎日50キロですか?」間「毎日50キロ走らんと、着かれへんねん」美「でも海も、波もあれば時化もあるし大変でしょう?」国「全然進まない日もあるわけですよね」美「凪なんて言ったら波がそよとも吹かないんですものね」間「そうですね…辛いですね、そういう時は…」美「もう天狗さんに頼んでね、風を吹かせてもらわないと☆」間「そうですね…」国「これは何が起こるか本当に分からないわけですよね」間「本当に何が起こるか分からないですよ」今年1月1日に千葉県の鴨川港を出発した直後、大時化(おおしけ 海がとても荒れること)の予報が入ったため進路を変更、千葉県千倉港に避難し3日に再出発され、1月15日現在、日本から2056キロ進んだ太平洋上を航行中とのこと。順調に進んで60日間、比企さんと二人きりの航海が続くそう。吉本新喜劇の座長として活躍する一方、仕事が終わると朝まで飲み続けたり、借金してギャンブルに熱中したりと、破天荒な生活ぶりだった寛平さんを公私に渡って支え続けてくれたのが比企さん。「歩くハンコ屋」と異名を取るほど人の良さに付け込まれ、他人の借金の保証人となり借金地獄に陥ったのを救ってくれたのもマネージャーだった比企さんだそうです。国「何ですか、この『歩くハンコ屋』というのは…」間「いやまあ…僕もいろいろ借金があって、まあ何て言うんですか…」美「人が良いから騙されちゃうのよ」国「それは…頼まれるんですか?『ちょっと…押してもらっていいかな?』って」間「そうやねん…頼まれんねん…」国「それは断ったことがない感じですか?」間「…断ったこと…ないですね…」国「どこかで『ヤバイかもしれないな』と思いつつも…」間「…いうのもあんねんけど、押してまうん…」美「だって私たちも、こんなにたくさん貰ったわよ」国「何がですか?」美「『アメーマー☆』って、アメマバッチ(10万個生産して約6000万円の借金が発生)☆さんまちゃん達と☆」国「あれも相当な赤字…」間「そうですね…借金を返すために『一発当てたろう』と思ってアメマバッチを作って…」国「そうなんですか、借金が溜まってきたから…」間「アメマバッチでね、当てて…自分で勝手に作って、またどえらい目に遭うとか…『これだけ残ってるから、だからこれだけのお金を払え』って裁判したんですよ。『アメマバッチの契約に判子を押したのだから、アメマバッチのお金を払ってもらわないといけない』僕はやっぱり『いや、アメマバッチに、何でこんなん1個630円かかるねん。こんなもん『ICが入ってる』とかどうのこうの言うてるけどIC入ってへんやん』って言うてたら、裁判官が『アメマとは、どういう意味ですか?』☆」国「そんなことよりも、アメマの方が気になっちゃって☆裁判官は」間「裁判官は、アメマ知らんもん☆」国「大人同士が『アメマ、アメマ』言いながら…☆」間「そうそう☆後ろで、それを見に来てた人、みんな笑ろてたで☆」国「最終的に、借金はどうやって返していったんですか?」間「そうですね…まあ比企が…」国「またここで比企さんが出てくるわけですね」間「そうなんですよ。あの…とりあえず『自分で営業は行くな』と。『この一年後は必ず借金を返せるように僕がしてあげるから』…」国「『僕がスケジュールを組むから』と」間「『組む』って言って…『このままこうして払ってゆけば、何年かで返せるな…』っていうところは、比企が全部、作ってくれたんです」国「これは比企さんがいなかったら、もしかしたら今も借金はたくさん残っている可能性もありますか?」間「あるでしょうねえ…」美「でも素敵な人ね、比企さんてね」国「そうですね」間「『僕が一生懸命頑張って何とかする』と、そういう具合に言うてくれたんですよ…」美「なかなかそんなマネージャーいませんよ」間「はい…」国「比企さんの存在は大きいですね、寛平さんにとって」間「はい…」国「奥さんと結婚されて、それだけ借金が溜まってくると、奥さんから『別れよう』なんて話とかは出ないですか?」間「いや、僕が切り出したんですよ」国「寛平さんの方からですか?」間「はい。『お前にも迷惑がかかるから別れよう』と。そうしたら嫁がね『あんたが緒形拳になったら別れてあげる』と。『今は別れられへん。この状況では』って言われたんですよ。『もしあんたが、ちゃんとできて緒形拳くらいの役者になったら別れてあげる』という風に言われて…」美「粋じゃないの☆ねえ…そのセリフ」間「まあ…『一生懸命…ついてきてくれるんか?こんなに借金あるねんで』って言うて…はい…」国「物凄く周りの人に助けてもらってますね」間「だからすんごい助けられて…もうみんなに…僕、自分の力って何にもないですもん…」国「いや本当だよ、寛平☆」間「…呼び捨てにしてもいいよ…☆もうほんまに…」国「これは凄いですね…こんなに助けてもらって…」美「結局、助けようという気持ちになるような相手だから、助けようという気持ちになるんでご本人が嫌な奴でエゴイストで自分のことばっかりで、本当に欲だらけの人だったら誰も…『こんな奴…』と思うから、みんな逃げて行って放ったらかしますよ。だけどやっぱり、心がちゃんと優しい、善良な人だから皆さん、そういう気持ちになるんですよね」国「なるほど…」間「いやもう…本当にお世話になって皆に…」美「人柄がよろしくていらっしゃるからよ。世の中っていうのは、最後に物を言うのはね、何の商売でも人柄ですよ」続きます。「オーラの泉の日記」
January 20, 2009
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地球一周のアースマラソンに挑戦中の方がゲスト。【スピリチュアル・チェック】☆ 自分の性格をひと言で→うーん…弱い。☆ 苦手なもの→人間以外の生き物☆ 好きな言葉→若いとか、青春とか、好きですね。☆ 不思議な体験→夢で見たマラソンですか…☆ アースマラソン出発前の今の心境→まあ不安なんですけど、一歩を踏み出したらがむしゃらにとことんやりたいですね。国「さあ、寛平さん☆何か凄いことをやろうとしてますよね…と言うかこの番組がオンエアされる頃には、もう出ているという状況なんです、寛平さんは(昨年12月のアースマラソン出発の直前に番組は収録されたそうです)」間「はい、そうですね。太平洋…小笠原より…」国「…行ってる感じですか?」間「まあそうでしょうね」国「まだスタートする前に、このオーラの泉ですけれども…本気で相談したいことがあると…」間「誰がモンキィやねん…☆」美「…出た☆」間「ありがとうございます☆」国「本気じゃないじゃないですか☆」間「すみません☆…俺、物凄く真剣な顔していいんかな?こんな真剣な顔したの…何十年ぶりかやねん」国「番組で☆」間「番組で」国「いや、でもまあ、スタート前に、本当にちゃんとね、聞きたいことは聞いてから行った方がいいですものね」間「そうですよ。何かちょっと…この番組が怖くて…何を言われるかっていうのも心配やんか…」国「…ということは、この番組をご覧になられたことはありますか?」間「あります、あります…こうカメラが…ずーっとこの辺、回りながら撮る時あるやん?なあ?ああいう時なんか、怖いよなあ」国「その場所に、今いるわけですよ、寛平さん」間「そうですよね…」国「本気の顔を…」間「誰がモンキィやねん☆誰がモンキィの顔やねん☆」国「…まあ、そのアースマラソンもそうですけれども、それこそ江原さんに見えていること、この挑戦に何の意味があるのかということも、やっぱり気になりますよね」間「あ、そうですね、はい」国「今日は地球儀を用意したんですけれども…これ、寛平さんが通るルートですね」間「そうです」地球儀には日本から太平洋に向かって赤いラインが引かれています。国「ええっと…大阪でしたっけ、一番最初はそうですね」間「まあとりあえず…大阪のNGK(なんばグランド花月)あそこをスタートするんですけれども…舞台から」国「舞台からですか!」間「はい」自分の足と風の力だけで地球を一周するアースマラソンは2008年12月17日に大阪をランニングで出発、14日間をかけて12月30日に千葉県鴨川市に到着、現在はヨットで太平洋を横断中。2009年2月にロサンゼルスに到着した後は、再びランニングで120日間をかけてアメリカ大陸を横断、約4500キロを走破して6月にニューヨークに到着。さらに大西洋を30日間かけてヨットで渡り、7月にポルトガルのリスボンに到着。欧州からアジアへ約14000キロ、400~550日間でユーラシア大陸を走り、2011年2月に中国の青島に到着してヨットで鹿児島へ、最後は約900キロを走って3月に大阪に到着予定。順調に進んでも2年半はかかるとのこと。国「何でこんなことをやろうと思ったんですか?」間「そうですね…あの…今まで、いろいろなきついことをやってきてどんどん歳をとってきたら、もうスピードもないし『もう限界やな』と思ってたんですよ。でも、何か最後に…何かやっぱりやることないかなあ…とかいうのがずーっと頭にあったんですけど…」国「いつ頃からですか?」間「そうですね…もう5年位前から…」国「あ、5年前から?」間「はい…それで、この3年位前ね、何か…バーン!と降りてきてね…この頭のてっぺんの…ペコペコに…」国「てっぺんのペコペコに☆」間「ここ…ペコペコってするとこ、あるやん(頭を指で押さえて)」国「…間さん…今、いくつですか?☆」間「…甘えん坊☆」国「…このペコペコするところに☆…何かが…落ちてきたんですか?」間「そう」国「ドーン!と」間「バーン!と落ちてきて『地球一周や!』と…」国「もうそれが落ちてきたわけですか、ドーン!と」間「はい。『そうや、地球一周や!これやろう!』と思って」美「感触としては、どんな感じの当たり方だったんですか?」間「そうですね…ぺっこーん!と…☆…」壮大な計画を思いついたものの、陸以外の海をどうやって進むかという難題を解決するに当たっては、いつも寛平さんを支えてくれる方の力が大きかったようです。間「『地球一周するのには、どうしたら…そうや、比企(比企啓之さん 現在は『よしもとデベロップメンツ社長』)や!』と思って、20年前に僕のマネージャーをやってくれていた比企に電話を入れたわけです、そこで。比企は、僕がスパルタスロンという長い距離を走る時には『そうするためには、どうすればいいか』というのを考えてくれて…」国「あ、そうなんですか。スケジュールを組んでくれたりしたんですか」間「組んでくれて…乃木坂から富士山のてっぺんまで走らされたりとか乃木坂から大阪まで走ったりとか…その練習をさせるという…きついんですけど…」国「スタートは全て、乃木坂なんですか?☆」間「何か知らないけれど、乃木坂なのよ☆…そういうのをやってくれるんですよ、いつも、組んで…吉本興業というのは、大体3年、マネージャーがついたら離れるんですけどもう離れて17年位になるんですけど、僕は比企に電話を入れたんですよ。『そうや、比企や!』と思って。それで『地球一周をやりたいんだけど…ちょっと話を聞いてくれへんか?』『あ、いいですよー』って言って…」国「あ、冷静なんですか?『そんなことやるんですか!』っていう驚きとかは無く…」間「『はいはい分かりました、いいですよ~』っていう感じだったんですよ」国「もう分かっていたような感じですね、それは…」間「はい。それで『僕が考える』と言ってくれたんですよ、比企が。で、日本というのは北緯35度だと。(地球儀上の赤いルートを示して)北緯35度をこう周ったら、一番皆に分かりやすいやろうと…こう考えてくれたんですよ」美「なるほどね…」国「そういう意味があるんですね」間「北緯35度を周ると、これは海があると。『海は悪いんやけど、手漕ぎで行ってくれへんか?』と☆」国「手漕ぎで☆」間「『手漕ぎでずっと行くんか?』☆」美「それはねえ☆」間「『手漕ぎで行ったら多分…(腕を触って)こっちが足みたいになって(足を示して)こっちは使わへんから細っそうなるぞ』って☆『そんな…(アメリカ大陸を示して)ここへ着いた時に(フラフラと)こんな状態やぞ☆これは無理やぞ』…『それやったら、今はエコの時代だから自然の風と自分の足で周ろう』ってなって…」続きます。「オーラの泉の日記」
January 19, 2009

やや山際にある花フェスタ記念公園、午後になると空気がひんやりとしてきます。 ☆1 ☆2 ☆3 ☆41 ダニエル ジェラン Daniel Gelin フランス 19882 フリュイテ Fruite フランス 19853 モーツァルト Mozart ドイツ 19374 チャールストン Charleston フランス 1963 ☆1 ☆2 ☆3 ☆41 フィヨルド Fiord フランス 1986 2 ルージュ メイアン Rouge Meilland イギリス 19843 ジャン モネ Jean Momnet イギリス 4 ムーナ Mouna フランス 画像は携帯で名札とセットで撮り、帰ってから花のライブラリで来歴などを今一度確認する際、名前からどの国のものかなとある程度推し測るのですがさもありなんと当たっていることもあり、見事に予想が違っていることもあり、それがまた愉しく、各国の関心の向きが分かるようで興味深いのです。 ☆1 ☆2 ☆3 ☆41 マリーアントワネット レティ Marie-Antoinette Rety フランス 2 マザーズ ディ Mothersday オランダ 19493 マチルダ Matilda フランス 19884 毎回、咲いているかどうか愉しみにしながら、いつも花期を見逃してしまっていたフランスの王妃にちなんだ薔薇。ようやく見ることができました。彼女の名前を冠したい育苗家は多いようで、1968年作出アメリカ産のピンク色と「マリー マリーアントワネット」2003年作出ドイツ産の白い「マリー アントワネット」が園内にはあるよう。スプレー咲きのカーネーションのような「マザーズ ディ」。色も赤でイメージが合っていますが、同じくオランダのGrootendorstという方の作出で「マザーズディ ホワイト」「オレンジ マザーズディ」という薔薇も。 ☆1 ☆2 ☆3 1 白雲 Hakuun デンマーク 1962 2 イングリッド バーグマン Ingrid Bergman デンマーク 19843 サプライズ Surprise ドイツ 1993漢字で「白雲」といえば、当然、日本産の薔薇かと思い込んでいましたらデンマークのもの。続いて名花「イングリッド バーグマン」も同国で、きっと彼女はデンマークでもとても人気があるのでしょうね。日本産にも、ヘップバーンやアントワネットと名づけたものがあっても良さそう☆ ☆1 ☆2 ☆3 1 ラバグルート Lavaglut ドイツ 1978 2 ロサ ペルル Rosa perle ドイツ 3 イングリッド ウェイブル Ingrid Weibull ドイツ 1983 ☆1 ☆2 ☆3 1 サマー レディ Summer Lady ドイツ 19922 プリスタイン Pristine アメリカ 19783 高雄 Takao 日本 1975寒さに似合うドイツの花が続き、最後に見たのは日本の薔薇でした。園内では、すでに掘り起こしが始まっている箇所もあり、次の季節の準備が着々と進んでいるよう。また訪れたいと思います。ご覧いただきありがとうございました。「花フェスタ記念公園HP」「世界一の薔薇園の日記・青薔薇の庭・ターシャの庭」【楽天さんで手に入る本日の薔薇】
January 16, 2009

真昼の陽を受けても、薔薇色の豪華さはかえって映えるようです。 ☆1 ☆2 ☆3 1 ザ ダークレディ The Dark Lady イギリス 1991 2 ザ ダークレディ The Dark Lady イギリス 19913 シャーロット Charlotte イギリス 1993 ☆1 ☆2 ☆3 1 ポール ゴーギャン Paul Gauguin フランス 2006 2 アルフレッド シスレー Alfred Sisley フランス 20053 マルティーヌ ギヨ Martine Gillot フランス 19961と2は画像になると同じように見えますが、ゴーギャンはサーモンピンクと白の絞り、シスレーはオレンジレッドと白の絞りとライブラリにありました。実際に拝見したときは、もっと違った色合いだったように思います。 ☆1 ☆2 ☆3 ☆41 凛 Rin 日本 2007 2 しのぶれど Shinoburedo 日本 20063 るる Ruru 日本 2006日本名の薔薇三種。「しのぶれど」は青系、藤青とありますので、青薔薇のひとつでしょうか。しのぶれど 色にいでにけり わが恋は 物や思ふと 人のとふまで花への飽くなき静かな情熱が奇跡の色に昇華しつつある…といったところ。 ☆1 ☆2 ☆3 ☆41 プレジデント ソノ President Sono 日本 1977 2 パティ マグレディ Paddy McGredy イギリス 19623 ロズマリー ローズ Rosemary Rose オランダ 19544 イングリッシュ ミス English Miss イギリス 1977 ☆1 ☆2 ☆3 1 アン ハークネス Anne Harkness イギリス 1979 2 ジャックリーヌ ネブ Jacqueline Nebout フランス 19893 ウィンチェスター カスィードラル Winchester Cathedral イギリス 1988人名にちなんだと思われる薔薇が多いのも興味深いところ。奉げられた方の人となりにもイマジネーションが広がりますね。 ☆1 ☆2 ☆3 ☆41 ノーブル アントニ- Noble Antony イギリス 1995 2 マリネット Marinette イギリス 19953 モリノー Molineux イギリス 19944 ワイズ ポーシャ Wise Portia イギリス 1983最後はイングリッシュローズを生んだオースティンの薔薇4種。「ワイズ ポーシャ」「ノーブル アントニー」と劇作家を彷彿とさせる名を冠するセンスも母国への誇りを感じて。続きます。「花フェスタ記念公園HP」「世界一の薔薇園の日記・青薔薇の庭・ターシャの庭」【楽天さんで手に入る本日の薔薇】
January 15, 2009

花フェスタ記念公園の「ターシャの庭」、昨年の春、ターシャ・テューダーさんが逝去される直前に訪れて以来の秋の訪問です。 ☆1 ☆2 ☆3 ☆41 ネバーランド Neverland 日本 2003 2 ボルテュール マジェンタ Bordure Magenta フランス 1994野性味のある植物に囲まれている中に、いくつか咲いていた薔薇。☆3のローズヒップの名前は分からなくなってしまいましたが☆4がその花です。 秋の頃なのでワイルドガーデンにも紅葉が見えますね。 室内には薔薇をモチーフとしたものなど、たくさんのグッズが並んでいます。先回から少し、ラインが替わっているようでした。揺り椅子には、おなじみのコーギーがいますね☆ ターシャさんが逝去されてからの「ターシャの庭」、素敵な雰囲気がキープされていて嬉しく思いました。維持してくださる方々に感謝です。続きます。「花フェスタ記念公園HP」「世界一の薔薇園の日記・青薔薇の庭・ターシャの庭」
January 14, 2009

広大な庭園である花フェスタ記念公園は、テーマを持った広場や散策路がたくさんあります。 西ゲートから右手に音楽広場を見ながら進むと、正面にあるのが「霧のプレリュード」という噴水のある広場。 薔薇はロイヤルファミリーにちなんだ名前を持つものも、園内の音楽広場にある野外ホールは「プリンセスホール雅」、秋深い「霧のプレリュード」に咲き残ってくれていた薔薇の名はマサコ(英名 Eglantyne イギリス 1994)でした。 噴水のそばには「そよかぜのみち」という看板の示す階段があり登りきると園内を一望できます。丘の上にある木々は桜で、春の爛漫を待っていました。 丘を下ると大きな銀杏の木。秋空の蒼に葉の金がよく映えていました。 軽い昼食をとって、「世界のバラ園」へ。 ☆1 ☆2 ☆3 ☆41 緑光 Ryokko 日本 1991 2 マジカル ミステリー Magical Mystery オランダ 3 ホワイト ジェム White Gem フランス 19764 シャンビラン Schanbiran フランス 1985 ☆1 ☆2 ☆3 ☆41 メロディ メイカー Melody Maker イギリス 1990 2 クリテリヨン Criterion オランダ 19663 シティ オブ リーズ City of Leeds イギリス 19664 オレンジ センセーション Orange Sensation オランダ 1961 ☆1 ☆2 ☆3 ☆41 タモラ Tamora イギリス 1983 2 フェアリー ウィング Fairy Wing 日本 19953 ラジオ タイムス Radio Times イギリス 19944 ビューティフル ブリテン Beautiful Britain イギリス 1983 ☆1 ☆2 ☆3 1 ドーン コーラス Dawn Chorus イギリス 1993 2 マダム バタフライ Mme.Butterfly アメリカ 19183 カーマイン Charmaine イギリス 1929真昼の太陽を映した薔薇、時間による色合いの違いも愉しめるよう。続いて「ターシャの庭」に参ります。「花フェスタ記念公園HP」「世界一の薔薇園の日記・青薔薇の庭・ターシャの庭」
January 13, 2009

7000種の薔薇が愉しめる花フェスタ記念公園。昨年の秋に訪れた際の画像をご紹介しますね。 ☆1 ☆2 ☆3 ☆41 シャーロット Charlotte イギリス 1993 2 LDブレスウェイト L.D.Braithwaite イギリス 19883 アワ モーリー Our Molly イギリス 19944 ピュア ブリス Pure Bliss イギリス 1994 ☆1 ☆2 ☆3 1 バリンダルロッチ キャッスル Ballindalloch Castle イギリス 1997 2 ウィー クラッカー Wee Cracker イギリス 19963 クレア ローズ Claire Rose イギリス 1986同じ薔薇も、花開く段階によって表情が変わるのも見どころ。 ☆1 アブラハム ダービー Abraham Darby イギリス 1985 ☆1 ダブ Dove イギリス 1986 訪れたのは11月を一週間ほど残した頃。最盛期は過ぎていましたので、咲いているものを探して画像をおさめ撮った順番にご紹介しているのですが、はじめはイギリスの花が多く集まったようです。 ☆1 ☆2 ☆3 ☆41 ジ アレキサンドラ ローズ The Alexandra Rose イギリス 19922 ソフィーズ ローズ Sophy's Rose イギリス 19973 ソフィーズ ローズ Sophy's Rose イギリス 19974 シェリー メイデンローズ Cherry Meidiland フランス 1994ようやくフランスの薔薇が登場。 ☆1 ☆2 ☆3 ☆41 メヌエット Minuette アメリカ 1969 2 フィジー Fiji オランダ 20063 ゴールデン フラッシュ Golden Flush オランダ 20054 ゴールデン フラッシュ Golden Flush オランダ 2005 ☆1 ☆2 ☆3 ☆41 サンゴ Sango 日本 2002 2 ゴールデン ボーダー Golden Border フランス 19873 ゴールデン ボーダー Golden Border フランス 19874 ロイヤル メイアンディナ Royal Meillandina アメリカ 1984作出年が比較的新しいものが多いのは、花期が長いことと関係しているのでしょうか。続きます。「花フェスタ記念公園HP」「世界一の薔薇園の日記・青薔薇の庭・ターシャの庭」【楽天さんで手に入る本日の薔薇】
January 12, 2009

お正月休みの最後の日、夫と密蔵院へ。全盛の頃には数千人もの学僧を抱えていたという由緒ある文化財も豊富なお寺で、その存在は知っていたのですが訪れるのは初めてでした。 梵鐘の響きが聴こえてきましたので、心地よく耳を預け、近づいてみるとどなたでも撞くことができるとのこと。「ついてみよう」と夫が言ってくれたので一緒に。幼い頃、お寺の中にある保育園に通っていたので、朝夕、お坊さんがお勤めされるのを観て聴いていた記憶はあるのですが実際に撞いたのは初めてだったかもしれません。懐かしい音が心身に行き渡りました。 本堂の前へ。鈴生りの音を聴き、手を合わせます。 こちらを訪れようと思ったのは、薬師如来さまがいらっしゃるから。今月、入院する身内のことを思っていると、本堂の前の大きな木の下に銀杏がたくさん落ちていました。高山の国分寺もそうだったのですが、薬師如来さまをご本尊に戴く場所には銀杏が植えられていることがあるよう。人々に与え救う御姿が豊かな実りをもたらす木に重なるからでしょうか。 子供連れのご家族の撞く梵鐘の音を聴きながら帰路へ。善き力を道しるべとして活かすことができるように祈りました。
January 11, 2009

いちご大福と栗きんとんを、新年最初のレッスンの際、ヨガの生徒さんからいただきました。夫が帰ってからお抹茶を点てていたところ、子供もアルバイトから帰宅。こちらもお菓子をいただいてきましたので、お皿に加えました。いちご大福といえば高校生のとき、同じ学校の生徒さんのお家が和菓子屋さんで、苺に白餡を合わせた「ゆめいちご」という、当時としては画期的なお菓子を作っておられたのを文化祭のクラス出店で特別価格でわけて下さっていたのを覚えています。その後、このいちごを使った和菓子は全国的に広まり、景気の波にも乗ってかいちご大福産業?は当時でも何十億円もの規模になったそう。小豆を使った黒い餡のものもあると知ったのは、県外に住むようになってからでした。いただいたいちご大福は、小豆餡のふっくらしたもの。栗きんとんはきめ細かく、丸いお菓子はパイ生地にかぼちゃ餡、さつまいも餡、あずき餡が入っていて家族で美味しくいただきました。ありがとうございます☆【楽天さんのいちご大福】
January 10, 2009
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1月17日(土)のゲストは間寛平さんですね☆***箱根駅伝に繋がる親子の絆の物語をご覧になったゲストの方々のお話が続きます。つ「羞恥心のメンバーも凄く、何か本当の兄弟みたいで、みんな歳のバランスも性格のバランスも、凄く一緒にいて楽しいし、みんなのことを尊重し合っているんですね。こいつら本当に可愛いなって思うし、本当に一緒にいて楽しいんですよ」美「だから、そういうのを家族っていうの。だから松岡君にしても(太一くんを指して)あなたにしても、まあ生まれの家族はいるでしょうけれどもTOKIO、あれが家族なのよ。家族っていうのは、さっきね、VTRを観ていていみじくもね、ご対面はしたんだけれども、話が無くて所在が無くてそれでマラソンの話だけは共通点があってしたんだけれど、後は何も話すことが無くて…だから、血の繋がりが家族じゃないよってことなの。お互いに手を取り合って、荒波を乗り越えて、試験があって、嵐があってねそれをアップアップして溺れそうになって、また岸まで泳ぎ着いて『ああ、良かったね』…それの繰り返しが人生でしょう?それは共に生きてきて、歳を取った時に『あのとき、こういうことがあったね』…それが家族なの」国「そうですね…船越さん、どうですか?」船「本当に僕はもちろん、それを信じていますし、あの…まだうちは子供も19歳ですけれども、でも、もう振り返れますね。『俺って、お父さんの作品みたいだよね』なんてうちの子供が言ったり…するのよ、最近」国「ドキッとしません?それを言われたとき」船「ドキッとする。俺、泣いたりする、その時☆」国「可愛い☆…なりますよね☆」松「可愛い可愛い☆それはなりますよね☆」国「そんな言葉…もう泣きますよね…今日は絆ということをテーマに色々と観てきましたが…どうでしたか、つるの君」つ「僕はもう本当に凄く有り難いことに、あの…凄く幸せなんです。だからそういったものを何かこう…こういう場で再確認できて明日からまた、今日もですけど『頑張ろう』っていう気になりましたね」国「どうでした、松岡君」松「いや、何か…凄く面白かったですね、色々と」美「でも、番宣の方が頭にずーっと☆」松「いやいや、番宣は別に大丈夫なんです…」美「ご自分の口からおっしゃって☆」国「時代劇を☆」松「そうですか、じゃあここで番宣をさせていただきます☆」「必殺仕事人 2009」の連続ドラマが1月9日金曜夜9時スタートのこと。国「先輩の東山さんと…」松「後輩の大倉と、三人でやってます」美「ぜひ拝見します☆」松「ありがとうございます」国「さあ、櫻井さん、どうでしたか?」櫻「いやもう本当に勉強になりました。母として、はい。本当に今日来て良かったです。ありがとうございました」櫻井さんご出演の連続ドラマ「特命係長 只野仁」は1月8日木曜夜9時スタートのこと。国「さあ船越さん、どうでしたか?」船「改めて、やっぱり原点は家族、そして家族の絆なんだな…まあ色んなニュースがあるっていう…でも、そのねこの一番核になるところが、ちゃんとしてれば、そんなニュースも減ってくるんじゃないかなっていうことを、改めて勉強させてもらったような気がします」国「いやあ、さすが…やっぱりMCも増えるわけですね☆素晴らしいまとめですよ☆」【スピリチュアルメッセージ】 ☆ 2009年は「怒り」に注意。恨みや憎しみの“悪想念”を抑え、いたわり合い助け合う“愛念”を。必要なのは「調和」です。【オーラの言葉】☆ 着るものがある 食べるものがある 雨露をしのげる家がある 愛する家族に愛を伝えることができる すべてに感謝読んでいただいてありがとうございました。「オーラの泉の日記」
January 8, 2009
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自身のがん治療よりもお子さんの命を守った母親の物語を観たゲストの方のお話が続きます。国「そうですね…松岡、どうですか?」松「まあ…どうなんでしょうね…きっと悲しいし大変なんだろうけど…この番組に出てるせいかですけど、きっとよく江原さんとか美輪さんがおっしゃるようにこういうことをきっかけに来世で一緒になったりするんじゃないのかな…みたいなね。もちろん現世で亡くなることは悲しいし、90歳まで生きる方もいらっしゃれば生まれた次の日に亡くなる方もいて、もちろんみんな悲しいんでしょうけど死って一緒だと思うし…そこに取り巻くものが、きっと悲しいんだと思うんですよね。ご本人も、もちろん悔しいだろうし…だから、よくこの番組を観てるとそこが唯一の救いかなって。『実は前の、前世で一緒だったんですよ』みたいなのを聞くと『あ、今、だから幸せなんだね』みたいな。どうしてもハッピーエンドが好きな僕としては、そういう方を願ってしまいますね」美「でも良い視聴者ね☆こういう視聴者…だからね、江原さんもいま観ていてそう思いになったんでしょうけど、あれは死んだんじゃないんです。松岡君が今、いみじくも言ってくれたように、ずーっと子供と共に生き続けるの」松「…そうあって欲しいですしね、やっぱり」国「言葉としてだったり、本としても、ああやってメッセージを残すという晃子さんは素晴らしいですね、本当に…」美「でも、断腸の思いよ。愛している者を残して」江「…本当に松岡さんがおっしゃった通りで、だから取り巻く事柄にいろいろな不幸があって。確かに傍に居られないのは辛いことだし、ご主人だって寂しいだろうし…でも、それ以外のところでは美輪さんがおっしゃったように私はやっぱりずーっと一緒っていう風に思うんですよ。で、私はやっぱり人生で大切なのは『どれだけ長く生きたか』ではなくて『どれだけ(思いを)こめたか』だと思う。こめるって、見えます?」国「見えないですね」江「これがスピリチュアルなんですよ。要するに、お母さんでも『子供とどれだけ接することが出来るか』って言うけれども、そうじゃない。どうしてみんな、時間で計るんだろうかって。要するに『居る間にどれだけこめるか』っていうことをしてるか。それは親子だけじゃないんですよ。こういう場でも、お友達でも、家族でも、会った時間内にどれだけこめているかっていう…」美「密度ね」江「密度。そうするとね、悔いがない。だってあのお母さんがおっしゃっていた。『みんな一人で生まれて 一人で死んで行く』」国「そうなんですね…あの状況で、すごいことを…」江「でもね、国分さんね、私こんなことを言うと、また水を差すようであれなんだけど…たくさんいらっしゃいますよ、こういう人…」国「そうですね…」美「そう」江「たくさんいらっしゃる…みんなそれぞれ、ドラマがあります」国「船越さん、どうでした?」船「いや…やっぱり触れ合っている時間の長さで何が計れるかって言ったら何も計れないような気がするんですよね」美「密度ですよね、愛情の密度」船「密度ですね。だから時間って、僕たちこうやって普通に生きてると時間に感謝することも忘れちゃって無限にあるような気がするんだけど本当は限られているものですからね。だからこういうものを観るにつけ、やっぱり今この瞬間を本当に大切に生きてゆかなきゃなっていうのは、本当に思いますよね。すぐ忘れちゃうんですよね」国「そうなんです。忘れちゃったりするんですよね、これがね…」船「こうやって思い出させてくれる場所があるのは、すごく素敵なことで…」美「忘れるのよね…」国「そうなんですよ。何で何となく生きちゃうんだろう…」美「いや、だからその度々に、この番組をご覧下さい☆」国「そうですよ、本当に…」【スピリチュアルメッセージ】☆ 子育てに必要なのは「お金」や「手間」をかけるよりどれだけ真心を「こめる」かです。***心に響く愛の話 第三話 1975年、第55回箱根駅伝で当時、早稲田大学のエースだった瀬古利彦さんからトップでたすきを受け取った作家・黒木亮さんは数年後、親子の深い絆を知ることになりその体験を自伝的小説「冬の喝采」にまとめられます。黒木さんは北海道出身、生後間もなく両親が離婚。神社の神主さん御夫婦に引き取られるも生みの両親のことは知らないまま。幼い頃から長距離が得意で中学の頃には全国でも指折りの選手になり、受験勉強に励んで早稲田大学へ。入学手続きのため北海道から上京したお父様が持参した戸籍を見て初めて出生について知ることに。生まれてすぐに養子になったことを告げられても、黒木さんは意外なほど冷静だったそう。黒木さん「育ての親が充分、愛情を持って育ててくれてましたし現状に何の不満もなかったですから。『僕のお父さんとお母さんは、お父さんとお母さんしかいないから、よろしくお願いいします』と頭を下げたら、あの…父親は涙を溜めて肯いていましたですね…」早稲田大学で競走部に入った黒木さんは、すでに日本のトップランナーだった瀬古選手と共に箱根駅伝に選ばれ、三年生で往路の三区、四年生で復路の八区という戸塚から平塚までの同じ地点を結ぶ21.5キロを走ることに。卒業後は銀行に就職、30歳でロンドンに赴任することが決まった時「海外では何が起こるかわからない。生みの親に会っておきたい」と住所を探し手紙を書いたのだそうです。黒木さん「あの…返事が来ないかな?と思って出したんですけれども、すぐに返事が来まして…まあ多少、びっくりしたんですけれども、非常に嬉しかったなという気持ちでした」手紙には、自分たちの手で育てられなかったことを詫びる言葉と共に実の父親・田中久夫さんが明治大学生の時に箱根駅伝を、しかも三区、八区と黒田さんと走った区間まで同じ写真が同封されていたのだそう。田中さんは大学卒業後、北海道で教員となり、陸上競技の審判員を務め陸上で活躍する黒木さんが自分の息子であるということにも気づいていたのだそうです。黒木さん「あの…中学校時代とか高校時代の、僕の走る姿を競技場で実の父親が観ていたと。もう本当に、目の前を僕が走り抜けて行ったというのを観ていたそうです」審判員として、また箱根駅伝でも見守り続けてくれていたという30年ぶりに届いた手紙。それでも黒木さんが本に綴られた言葉は「私は冷めた気持ちで手紙を読んだ。自分にすでに30年以上かけて出来上がった親子関係が存在している。養父母は愛情を持って育ててくれ、養母は私が学校を卒業するたびに『こんなに大きくなって』と泣いた。30年の間には、たくさんの涙、喜び、苦労、葛藤、病気があった」40年ぶりに再会したときの素直な気持ちを語る黒木さんは「僕らはその…生後7ヶ月で生き別れになってしまったので、あの…親子の歴史っていうのがないんですよね。ですから、実質的に初めてあった時でも話すことがあんまりなくて、お互いに困っちゃったんです」二人の共通の話題は、やはり陸上競技のこと。箱根駅伝のたすきのように、走る才能を与えてくれた実の父親とその才能を愛情をこめて伸ばしてくれた育ての親という二つの絆で黒木さんの存在は結ばれているようです。***国「熱い絆の話でしたけれども、こんなことがあるんですね…どうでした、つるの君」つ「全く人生の中で接点がないから、お父さんの背中を見ていないまま…こういうところで開花して偶然にも…っていうのは、すごく不思議な気が…」国「同じ区間を走っていて…」つ「親の遺伝子って凄いなと思いましたね」美「まあ…だから江原さんや私たち流に言うと、遺伝子もあるけれどそれはやっぱり前世とか、つまりソウルメイトっていう魂のね、故郷とかそういうものから見ていった方がいいわね」江「それこそ船越さんのところは、むしろお子さんとの方が魂の絆は強いんですよ」船「そうですね、これは間違いないですね☆」美「前世で親子だった、でも今世では親子ではないのよね」船「そうなんです。でも顔も似てますしね…」江「そっくりですね。だからそういった意味では魂の方でむしろそちらの方が絆が強かったりとかね。だから全然、マイナスで『ええ?』って不安に思う人もいるでしょうからね、気にすることは全然ないんですよ」松「それはいいですよね。そう思ってる人、多分いると思いますよ」船「本当にそう思います。もし血だけを信じるなら、俺は…『何なの?僕は』ってことになっちゃいますから☆」国「そういうところで悩んだこともありましたか?」船「悩む暇がなかったですね。最初はやっぱり、一緒になった時はね。あの…『ちゃんと親子としてやってゆけるだろうか』っていう、最初に不安はありましたけど『せーの!』で始まったら、もう息子の方がそんなことを悩ませてくれるような隙を与えませんでしたね、僕に。もう…本当に…『こんなことをしても、お前は俺の親だって言えるか?』とかね、いつも何か僕を試していたし…」国「へえ…」船「だから、あっという間に僕も裸にならなきゃいけない。向こうが裸でぶつかって来てるのに、こっちだけね、洋服着てるわけにはいかないんで。そうした時にフッとこう…僕が想像していたのは『5年かけてゆっくり親子になりましょう』と思っていたんですけど、もう半年とかで…」続きます。「オーラの泉の日記」
January 7, 2009
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Jリーガーから車椅子バスケット選手としてパラリンピックに出場された京谷和幸さんと支え続ける奥さま・陽子さんの物語をご覧になったゲストの方々のお話が続きます。国「どうですか、船越さんは、そういう奥さんの絆とかっていうのを感じる時っていうのはありますか?」船「もう存在自体が僕を支えてくれている感じですからね。これはでもきっとね、人間って自分のために頑張れることってそんなにないんじゃないかって思うんですよね。自分のために本当に100%力を出し切れるかっていうと『どうかな?』って思うんですよ。彼も奥さまがいらっしゃらなくて『自分のために何とかしなきゃ』って思うんだったらパラリンピックまで行かれなかったかもしれないなって…」美「そう」船「やっぱり『それだけ自分を支えてくれたこの人のために、何か僕はしたいんだ』っていう思いが、あそこまで彼を強くしたんじゃないのかなっていう風にはちょっと思いましたね」美「だからこういうのを観るとね『ああ、日本もまだまだ捨てたものじゃないな』と思いますよ」国「櫻井さん、どうですか。妻の立場から、この映像を観るというのは…」櫻「映像を観ていると思ったし、皆様の話を聞いていると本当に自分って未熟だなと思ったんですよね…何でしょうね…自分は支えてもらいたいって思っちゃうんですよね…」国「すごく分かる。僕もそうなっちゃいます」櫻「本当ですか?どっちかっていうと、手の平で転がして欲しい。だから支えてて欲しいっていう感じだったので、私もちょっと…主人を支えてあげなくちゃいけないっていう気持ちになりました…」美「でもそれはね、あの…奥さまの新人だからよ。だんだんね、奥さま業もねプロになっていって古狸になると、そこら辺の加減が分かってきますよ…そう、結婚するのも初めてなんだから。子供を生むのも初めてでしょ子育ても初めてでしょ?初めてだらけだもの。初心者は上手くいかないの…」江「魂の上でも初心者なんですよ」美「あ、そうなの?…始まった☆はじまり、はじまり…☆」櫻「…(右側に座っていた松岡さんが体をずらしたので)何で離れるんですか☆」松「櫻井さん、初心者なんですか☆」櫻「…みたいです☆」江「初産でも、デンと構えている人っているじゃないですか?『あれはどうしてなんだろう?』前の世でも、しっかりそういうことをしてたりするんですよね。でもね、今回が初めての結婚だったり、初めてのお子さんを持つことだったりねそうすると何から何まで分からなくて凄く神経質になってパニックになっちゃうんですよ」美「だから前世も、結婚したり子供を産んだことがなかったのね」江「そう、今回が初めて」松「おめでとうございます☆」櫻「ありがとうございます☆」国「今日、聞けたのは大きいですよね、この話はね」櫻「はい」美「それにしてもいいわねえ、あのご夫婦ね」国「ねえ、本当に」江「ただ一つ、冷たく聞こえたらいけないと思うんですけど、あの…人生ってそういうものなんですね。美輪さんがいつもおっしゃるように何かを失うと何かを得る…だから極端なお話のように見えるかもしれないけれど私、みんなこのご夫妻と同じだと思うんです、どの人も。何かみんなある、どんな人も。この世に生きている人は、みんな何かしらの十字架を背負ってると思うんですよ。それは表面で見えないこともあるじゃないですか、いっぱいで。だから例えば、身体に及ぶ方もあるかもしれないけれども色んな、みんな何かしら持っている。同じなんですよ」美「私ね、今までの人生の中でね、ずーっと色んな人を見てきてね、とにかく羨ましい人って1人も見たことがないの。羨ましいなんて世の中にいませんよ。みんなね、いみじくも江原さんがおっしゃった通り、街を歩いている人たちこのスタジオの中のスタッフの人たち、ゲストの皆さん、何かしらのね大なり小なり痛みや苦しみや、それを抱えていない人はお目にかかったことがないわよ。だから人を見たらね『あぁ、お互いに大変ですね、ご苦労さまですね』初対面の人でも言ってやれば当たっているのよ。そういうことになっているの」江「だから私も必ず言うんですよね。『人を羨む時には、その人の持っている苦労も欲しがって下さい』」松「素晴しい」国「こうやってVTRを観て、僕らがそれに気づくということもとっても大事なことですよね」美「そうそう。だからこれは…☆」国「『必然』なんですよね、観ることは☆」松「ツーと言えばカーですね☆」美「はい☆」国「キューをうってくるんですよね☆」【スピリチュアルメッセージ】☆ 痛み・苦しみ・悩みを抱えていない人はいない。人を羨むならば その人の苦労も欲しがって下さい。***心に響く愛の話、第二話は、ガンで亡くなられた若いお母様の物語。36歳で逝去されたテレニン晃子さんは「自分の命をとるか?赤ちゃんの命をとるか?」という選択を迫られました。晃子さんが残したメッセージ「赤ちゃんがこんなに可愛いとは、ママは知りませんでしたよ。ゆりちかが笑うと本当に可愛くてこっちも幸せになります。その笑顔もこれからもずっと見ていたいのですが何があるか分からないのでママがゆりちかに話したいことを書きます」佐賀県に生まれた晃子さんは、共稼ぎだったご両親に面倒をかけない手のかからないお子さんだったそうです。妹の尚子さん「すごく頼りになるお姉ちゃんでしたね。『お姉ちゃんがいれば大丈夫だ』みたいな感じでした」福岡でウェブデザインの仕事をしていた晃子さんはIT企業で働くロシア出身のレオニド・テレニンさんとお付き合いを始めます。レオニドさん「旅行とか遊びにあちこち…いつも一緒に行きました。結婚の前に普通の生活を一緒にやっていたから楽しかった」2002年4月にご結婚、懐妊されたのは3年後の夏。尚子さん「『なかなかできん』と言っていて、私が先にできたので…そうしたら『できたとよ』って連絡があって、その時はすごく嬉しそうでした」母親になる喜びを味わっていたとき、晃子さんは体に異変を感じたそう。晃子さんのお母様「『お母さん、腰が痛いとよね』って言い始めたんですよ。『妊娠中の腰の痛いのはあまりよくないから、ちゃんと調べてもらいなさいよ』と言ったんですね」病院で検査すると、5年後の生存率が40%という悪性の腫瘍が脊髄にあることが判明。抗がん剤投与、放射線治療は胎児に悪影響を及ぼす恐れがあるため「子供が無事に生まれる保証はない」と告げられます。お母様「子供を産むのは、私は反対だったんですね。『子供のいない夫婦は数多くあるんだから、子供はいなくても夫婦は夫婦なんだから体を、あなたの病気を治しなさい』って言ったんだけど…」「自分の命をとるか?赤ちゃんの命をとるか?」という選択を迫られた晃子さんが「この赤ちゃん、本当に欲しい?」と訊ねると「ごめんね、ママも赤ちゃんも両方欲しい」と泣きながらご主人は答え晃子さんは気持ちを固めたそうです。晃子さんが残したメッセージ「ママはパパに約束したの。パパに健康な赤ちゃんをあげるってね」2006年2月6日、帝王切開で無事に生まれた赤ちゃんは日本でもロシアでも通じる「柚莉亜(ゆりあ)」ちゃんと名付けられ、ロシア語で「ゆりちゃん」という意味の「ゆりちか」という愛称で呼ばれるように。出産後、過酷ながん治療が始まり、足が麻痺した晃子さんは車椅子の生活へ。レオニドさんに支えられながら出来る限り柚莉亜ちゃんと過ごし万が一に備えてメッセージを残すことに。インタビューに応えて「男の人の口からは絶対に出ないようなことってあるでしょ。ね?だからそこは私が言っておかないといけないなあって思うことが多くて…思春期の頃とか、恋に悩む頃とかに、私はもういないかもしれないと思ったら『あ、何か書いておかないと…』」おしゃれ「ゆりあには おしゃれを楽しんで欲しい。たくさん たくさん 可愛くなってほしい アクセサリーも楽しんでほしい ママのがあるから使っていいからね」恋「どっきどきの恋は楽しいよ 相手の気持ちが分かるまでは はらはらどきどきで 相手の反応に一喜一憂で忙しいです」ガンの痛みと闘いながら柚莉亜ちゃんと過ごしていた晃子さんでしたが2007年3月にはガンが脳や首にも転移し脳出血のため再入院。痛みでペンを持てないときはテープにメッセージを残したそう。「パパにはママが必要。それにゆりあにはママが絶対必要。だからママは気持ちでは病気に負けません。今 ママがいなくなったら二人とも本当に困っちゃうもん。いなくなれないもん いなくなれない!だから気持ちでは絶対負けない!」インタビューに応えて「だいぶ片言が出てきたから嬉しいんですけど…パパは言うんですけどね『パパ』って。ママは言ってくれないんですよね。それが今の目標…」柚莉亜ちゃんは歩くまでに成長するも、晃子さんの病状は進行。お母様「あの我慢強い人が…『お母さん、助けて』って言ったんですよ…」晃子さんが残したメッセージ「ママの体はよくなりません。せっかくゆりちかを産んで せっかくこんなに可愛い赤ちゃんを産んで 赤ちゃんにはお母さんが、絶対、絶対、必要なんですけどあなたにいっぱい話したいことがあるんですけどママはあなたと一緒に生きることができないみたいです」残された時間が僅かであることを悟り、柚莉亜ちゃんが『女の子として自分と同じように悩む時が来るはず』とその日のために思いつく限りのメッセージを綴った晃子さん。「人間は一人で生まれて一人で死んで行くんだから さびしいけどさいごのさいごは一人なの。だから生きている間は いっぱい好きな人と一緒にいて 楽しい思いをするのよ」2008年2月25日、柚莉亜ちゃんが2歳になるのを見届けて逝去された晃子さんの思いは今も生き続けています。「ゆりあ あなたはママが生きる目的です」***国「櫻井さん、どうですか?」櫻「…苦しいですね…観ていて…母として傍に居てあげられないっていうのは本当に…でも、何か…妊娠して『自分の命をとるか?子供の命をとるか?』っていう選択を迫られた時に私もきっと晃子さんと同じ選択をするだろうなと思ったんですよね。命ってかけがえのないものですし、自分の体に宿ってくれたってことは本当に有り難いことだしだったら自分の…命よりも、犠牲にしてでも守ろうって…それが母親なのかなっていうのを…まあ初心者ですけど、すごく感じました」美「素敵ですよ」国「つるの君はどうですか?」つ「…うーん…僕はもちろん男性ですから、子供産めませんけれど…柚莉亜ちゃんにとってはすごい…まあお母さんはずっと生き続けているんだろうし…物凄い財産を柚莉亜ちゃんはお母さんから貰ったんだろうなって気はしますね…ちょっと…考えさせられますね…これはね…」続きます。「オーラの泉の日記」
January 6, 2009
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年末に放送されたスペシャル。ゲストは船越英一郎さん、つるの剛士さん、櫻井淳子さん、松岡昌宏さんです。国「さあ、今年もう最後のオーラの泉になりましたけれども(放送は2008年12月)、まあ今日、こんなに豪華なゲストの皆さんに集まっていただきました。まず、船越さん、今年一年、もう本当にいろんな犯人を捕まえてきましたけれども☆」船「ずいぶん捕まえさせていただきました☆」国「でも、こうやってまた今年最後にね、来るっていうことも、これもまた縁なんでしょうね。さあ、そしてつるの君。つるの君はも、今年一年は…」つ「いやー、本当に有り難いことに、突っ走らせていただきましたね、何か本当に…」国「すごく早かったんじゃないですか、一年が」つ「いや、一年が早かったというか、長かったですね、逆に」国「あ、長い?それは何で?」つ「気づいたら、羞恥心も四月なんですよね、デビューしたのが。まだ八ヶ月しか経っていなくて…」国「あ、そうか…元々はピンでずっとやっていたわけだもんね☆」つ「そう、ピンでね☆まあ芸人じゃないんですけど☆」国「さあ、そして櫻井さんは、オーラの泉は初登場ですよね」櫻「初めてです。もう大好きな番組だったので、ここの席に居れるだけで本当に光栄です」国「…こちらも初オーラですけれども☆うちのメンバーの松岡君ですけれども。どうですか、この番組の雰囲気」松「耐えられません☆…何か嫌な汗が手に…☆本当に一緒に出ていただく方が知ってる方ですから本当に助かりますけれども…本当にどうしようかな?という…」国「これね、一時間半後に大抵わかってくる感じですよね」松「これをずっとやってる国分太一の凄さを改めて今!ひしひしと今…今日はよろしくお願いします」***絶望を乗り越え新たな栄光をつかんだ夫婦の愛の物語。2008年に開催されたパラリンピックで日本選手団主将を務められたのは車椅子バスケット代表選手の京谷和幸さん。かつてJリーガーだった京谷さんは15年前、交通事故で脊髄を損傷、下半身不随に。現在は二人のお子さんに恵まれ、奥さまの陽子さんがリフォームしたマンションで家族で暮らし「足がタイヤに変わっただけ」と語る京谷さんは、小学生の時からサッカーに打ち込み名門・室蘭大谷高校へ進学、19歳以下の日本代表にも選出され、JリーグのF・市原と契約する前にチアガールだった当時19歳の陽子さんと出会われます。京谷さん「僕が一方的に、強引に好きになってしまったんですよね」陽子さん「その強引さにだんだん押されて…押されつつ彼の良さが少しずつわかってきて…」20歳で婚約後、1993年にはJリーグが開幕。Jリーガーとして将来を期待され、翌年の一月に結婚も決定。ところが11月末の結婚式の衣装あわせの当日、陽子さんは夜明け前の電話で起こされ京谷さんが交通事故で入院したという知らせを受けます。命は助かったものの、駆けつけたご家族に医師は「今後は車椅子の生活になるかもしれない」と告げたそう。陽子さん「もうね『99%は車椅子になるだろう』って自分の中でも思ってたんですね。99.9%は…でも、残りの0.1%、何があるか分からないから…」「少しでも可能性があるなら諦めたくない」と思い歩けなくなるほどの重症だということは本人には知らせず結婚式は延期するも、京谷さんのご両親からは「こんなことになってしまったから今度の話はなかったことにして欲しい」と婚約解消の申し出があったそうです。陽子さん「多分、主人の両親の優しさだと思うんですけれども…『わざわざ苦労するところに来てもらうのも申し訳ない』っていうことで…まあ私にではなかったんですけれども、主人の両親が私の両親の方にそういう話を持ちかけて下さっていたみたいなんですけど…」陽子さんの気持ちは固まり、病室に婚姻届と結婚指輪を持ってゆき不思議がる京谷さんに半ば強引に判を押してもらって指輪を交換、12月9日に入籍を済ませたのだそう。京谷さん「『入籍しよう』って言ったときの顔は、何て言うんでしょう…必死の形相って言うんでしょうかね…もう何か鬼気迫るような感じだったんで…」陽子さん「彼の家族になることで彼が頑張るっていう気持ちになってくれるんだったらそれが本望かな…という気持ちもあって、大安の日を選んで入籍をさせてもらったんですけれども…」妻として夫を支える日々が始まり、お二人のご家族も協力することを決めるもお正月を過ぎても京谷さんの足は動かず「二度とサッカーは出来ない」と医師は宣告。京谷さん「その日の夜は泣きましたね…泣いて泣いて…もうずっと消灯時間から明け方までずーっと泣いてて…『あ、でも今、俺は1人じゃないんだ』って思った時に初めて、そのときに初めて、彼女が必死の形相で言ってくれた意味…自分が車椅子になるってことが分かっていながら入籍してくれたってことをそのとき初めて気づいて…ありがたかったなって思いますね…」陽子さん「そうですね…何でよりによって足を使うサッカー選手が…どうしてよりによって足を怪我して歩けなくなっちゃうんだろうって、ぽろぽろ涙で…目が自然とね…その時は本当に一年で何か一生分泣いたっていうくらい泣けてきて…でも『私は歩ける。辛いのは主人なんだから、私はここで弱音をはいちゃいけないよな…』っていろいろと自分で言い聞かせながら…『何でこんなことになっちゃたのかな』って…思った時は何度かありましたけどもね…」車椅子に乗る練習から始めて半年に及ぶリハビリを終えて退院、1994年10月に改めて結婚式を挙げて新婚旅行に出かけるもその後は厳しい現実に直面することに。陽子さん「サッカー選手だったものですから職業もなく、家に日々、居る生活で一日中付き合っていると嫌な部分も見えてきたりして…仕事もしていないものですから金銭的にも、だんだん苦しくなってくることもあったりしてよく言い合いになったりしたこともありましたね…」生きがいを失い、仕事も見つからなかったとき、車椅子のバスケットに誘われることに。全国でも指折りの強豪チーム・千葉ホークスの練習に参加した京谷さんは車椅子を自在に操り、激しくぶつかり合うという予想外のハードな競技に驚かされたそう。陽子さん「結構しんどかったみたいで、練習が。で、行かなかったみたいだったんですけどでも私もお尻を叩いて『行ってらっしゃい』と。でも行って来て、帰ってきたら…あの…顔が違うんですよね。楽しそうな、何か凄く満足した顔で帰ってくるのがだんだん行く度に増えてきて…」周囲の真剣さに刺激されてスポーツマン精神が蘇りサッカーに代わる新たなチームメイトに出会った京谷さんは「また少しこう…自分の中で何かが変わり始めたかなっていう…家族っていうのも、もちろん一番なんですけども、まあ…チームメイトとの絆っていうかそういうのもあったから、ここまで来たのかなって気はしますけどね…」バスケット仲間の紹介で新しい仕事も決まり、待望のお子さんも誕生。「この子たちの自慢の父親になりたい」という思いでバスケットに打ち込みシドニー、アテネ、北京とパラリンピックに三大会連続で出場を果たされます。京谷さん「あの…妻に褒めてもらいたくて…それが一番だと思うんですよ…いつまでもやっぱり僕は、妻に認めてもらいたいし、子供たちにも自分の背中を見せ続けて見せた自分を褒めてもらいたいなと思いますけどね…」***国「本当に奥さんの支えがあって、ここまで来たんですよね。どうでした、つるの君」つ「いやー、でも奥さんに褒めてもらいたいって気持ち、僕はすごく分かりますね。僕はもう、何でもそうです。やっぱり全て奥さんに褒められたりとか認められたことは自分でも凄く自信になりますし、自分のことを一番理解してくれていますから…逆に奥さんも、やっぱりそういう風に言ってくれますので…ある歌番組で優勝させてもらって、そういう忙しい中で。それでそのオンエアを奥さんが観て。で、僕に言うわけじゃなくて、僕のお父さんにですね、あるメールをうちの奥さんがあげてて…その内容っていうのが『こういういろんな可能性を持った素敵な息子さんを生んでくれてありがとう』っていうメールをうちのお父さんのところに言ってたんです。お父さん、『すぐに奥さんにメールを返そうと思ったんだけど、涙で返せないからお前に電話した』って僕の方にかかってきたんですよ。『お前は本当に素敵な奥さんをもらったな』って。いやでも本当に、僕はその時すごく…何かこう…何て言うんだろうな…有り難いなと思いましたね」美「素敵なお話ねえ…」国「どうですか、松岡君は今のVTRを観て…」松「いやあの…バスケットをおやりになっているお仲間さんのね、チームメイトとその方たちに支えられているってご本人も言っていましたけれども…実は僕たちよりも、そういう体に障害を持った方の方が凄くメンタルが強かったりして。目の力が、えらい強いじゃないですか、バスケをおやりになっている皆さんの目が」国「そうですね」美「それと連帯感とね、助け合いの精神。情報交換してね、『こうした方がいいよ、ああした方がいいよ』素晴らしいじゃありませんか」松「何で僕ら、こうやって普通に生活している中であの目を持てないのかっていうこともありますよね。あの目をいつも持っていなきゃいけないなって反省させられます」続きます。「オーラの泉の日記」
January 5, 2009
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京都行きの日記を完結させることができた先月。源氏千年紀に合わせて訪れた物語の舞台を、実際に歩いたとき以上に愉しみました。実は先月に入ったばかりのとき、身内から病に罹ったことを告げられました。ヨガ講座でも学んだ病で、表面上は穏やかに過ごせていたつもりが、心ここにあらずの時間も多かったようで、大事ないとの知らせがあった夜はかえって眠れず、次の朝はすっかり寝過ごしてしまったり、読書をほとんど進めることができなかったり。父方が腎臓病、母方が糖尿病に罹ることが多いので、この二つに関して特に注意しなければならないと思っていたのですが、あらゆる病が訪れる可能性があるものとして、何事も粛々と受け止めることをもっと学ぶ必要があるのでしょう。ほんの少し読み進んだのは、やはり源氏物語。 無常の物語を年内に読み終えられなかったのも、何か意味があるのかもしれません。読書が進まない一方、TVはよく観ていました。映画や、筑紫哲也さんの企画されたものや川島芳子を描いたドラマ、「篤姫」最終回に伴う歴史物やトーク番組、「風のガーデン」、「イノセント・ラヴ」は最後まで、「三億円事件」のドラマと映画をそれぞれ一本ずつ、そして「源氏物語 上の巻 下の巻」など。DVDに残したものも多いので、年末にディスクを買い足すことに。オーラの泉も含め、ディスクの山がうず高くなってきました☆12月に観賞した映画&美術展「K-20 怪人二十面相・伝」地上波放送「追憶」「ノッティング・ヒルの恋人」「ニューヨークの恋人」ボストン美術館「「日米修好通商条約締結150周年記念ペリーとハリス-泰平の眠りを覚ました男たち」「感謝したこと」を手元の手帳に書き留めること、今年も続けます。12月のギフト・11月に続いて夫と映画鑑賞ができたこと。・自宅でのヨガ教室再開後、無事に一年が経ったこと。・新年度からのヨガ教室のお話をいただいたこと。・生徒さんからヨガマットをプレゼントされたこと。・3つのクリスマスケーキがもたらされたこと。***日常がどんなに喜びに満ち溢れているかが、目で見てもわかり、潜在意識にも教えてあげられる方法。お薦めです☆皆さまのこのひと月が、素晴らしいものになりますように。「今月のギフトの日記」
January 3, 2009
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新年を迎えた日、美しい光を集めたボトルの色からメッセージを受け取るオーラソーマの四本を選んでみました。解説・画像はナチュールアロマテラピーさんより。☆ 一本目 魂のボトル(本質を現わす) ボトルNo 031ボトル名 泉カラー グリーン/ゴールドテーマ・・・自分自身の空間を見出すことからの知恵おすすめの使用部位・・・胸、腹部の周り~ボトルのメッセージ~・協調性、社交性があり、チームリーダーや調整役として人望があります。他の人との心のつながりを大事にします。人に教える才能があります。このボトルのメッセージは、泉。ゴールド(知恵)が溢れ、ハートを通して人々と分かち合っていくことを表します。・このボトルは、心から信じられるもの、自分自身の道を見つけられるようサポートしてくれます。世間や周囲の人が信じられなくなったり、周囲から孤立していると感じるとき、癒しサポートしてくれます。不安や恐れを取り払い、本来の社交性、協調性を取り戻し、リーダーシップを発揮できるようサポートしてくれます。 ☆ 二本目 チャレンジ&ギフトのボトル(過去と課題)ボトルNo 028ボトル名 メイドマリアン カラー グリーン/レッドグリーン/レッドテーマ・・・自分自身の空間を見出すパワーおすすめの使用部位・・・胴体~ボトルのメッセージ~・一見穏やかに見えますが、内には溢れる情熱、行動力、バイタリティを秘めています。新しい視点で物事を判断することができる勇気ある人です。自分自身に対して正直で、自然体でいられる人です。周りの人との調和も大切にし、厚い信頼を得ているでしょう。・ときに、周りとのバランスや人の言動を気にするばかり、自分を犠牲にしてしまうことがあります。また近しい人に支配的に振舞われたり、ひどい扱いを受けて悩んだことがあり、人を信じることができないかもしれません。このボトルは、あなたの中に眠っている赤い情熱、そして愛のパワーに気がつき、人も自分も信じることができるようサポートしてくれます。正しい場所に進むよう十分なバイタリティに気が付かせてくれます。 ☆ 三本目 「今ここ」のボトル(今の状態と気づき) ボトルNo 104ボトル名 大天使 カマエル カラー イリデセントピンク/マジェンタおすすめの使用部位・・・下腹部~ボトルのメッセージ~・思いやりと愛情に溢れた心美しい方です。内面に情熱的なパワーを秘めています。慈悲の心があり、愛情を上手に受け取り、与えることを知っています。・自分の内側にある苦しみ、痛みを、批判したり裁いたりすることなく、ありのままを受け入れることをサポートしてくれます。真珠母貝は痛みを伴いながら真珠を生み出します。自分の中の美しさを見出すときは、苦しみや痛みを伴うかもしれないことをこのボトルは教えてくれます。リラックスしてこのボトルを使ってみましょう。そうすることで私たちの葛藤を克服し、執着をより簡単に手放すことを手助けしてくれます。・対立している人たちの間にたって、分裂を癒し、調和を回復してくれます。 ☆ 四本目 未来のボトル(未来の可能性)ボトルNo 092ボトル名 グレーテルカラー コーラル/オリーブグリーンテーマ・・・女性の真なる自立、競争ではなく強力おすすめの使用部位・・・胴・腹部の周り。身体の右側~ボトルのメッセージ~・グレーテルは、自分の直感を信じ、恐怖を乗り越えて魔女をオーブンに押し込め、ヘンゼルを救い幸せになりました。このボトルは、女性の自立、愛情を持って人と協力しながら進めていくリーダーシップをあらわしています。美しいものがすきで繊細な人ですが、心にはしっかりとしたものを持っています。困難な状況でも、しっかり乗り越え、成長していく人です。・このボトルは、過去に人間関係や恋愛で傷ついた心を癒し、自分自身を信じることができるようサポートしてくれます。困難な状況でも、成長のチャンスと捉えることができるようサポートしてくれます。人に頼ってしまうナイーブな心を癒し、真から自立できるようサポートしてくれます。 ***1本目と2本目のボトルに共通するテーマが「空間」。キーワードは4本のうち3本にあるグリーン系の「調和」に伴う「リーダシップ」、2本にあるピンク系の「愛」と「美」、レッドの「情熱」、ゴールドの「知恵」、恐れを克服し困難を成長の糧として自分の空間を見出し、内なる愛、情熱、知恵を調和によって分かち合い、前進すること。初詣で引いたおみくじは「吉」。「気性はよそ目には見えねど必ず大きな望あり 水に縁あるものよし竜のふちに隠れて天上のじせつを待つ如し 心をおとなしく持ち、先祖の祭おこたるな」とありました。それぞれの言葉を今年の指標にしてゆきたいと思います。☆ オーラソーマのボトルを選んでみたい方は、楽天さんに出店されている「ナチュール アロマテラピー」さんのメニューから「107本全体の画像と選び方はコチラ」へ。「オーラソーマボトルを選ぶ の日記」
January 2, 2009
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明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。「新しき 年の初めに かくしこそ 千歳を重ねて 慶びを積め」(元歌「新しき 年の初めに かくしこそ 千歳を重ねて 楽しきを積め」 読み人しらず 古今和歌集より) ***皆さまはいかがお過ごしでしょうか?我が家の大晦日は、友人宅へ年越しの集まりに行くのが恒例でしたけれども今年は子供が夜までアルバイトでしたので、夫のみ参加、私は自宅で「TBS開局40周年記念 源氏物語 上の巻 下の巻」を元旦にかけて拝見していました。17年前、1991年の年末に「上の巻」1992年のお正月に「下の巻」と2年越しで放送された、それぞれ4時間、計8時間に及ぶ大作です。途中で夫が帰ってきたため実はまだ数十分、ちょうど柏木と女三宮のくだりの辺り以降が残っていますけれども、それはそれは絢爛豪華な俳優陣と舞台、CGなど一切使わずに見せてくれていて。帰宅した子供が何気なく目を向けて、自分が生まれる以前の作品の、舞台セットの奥行き、渡りの大きさ広さに驚いて見入っていました。おそらく作品が企画制作され始めたのはバブル崩壊以前。世界中の美術品を買い集めていた頃の金満ぶりが、本当に向かうべき場所に向けられた幸運な例でしょう。こうして放映以後に生まれた子供にも本物を観る感動を与え続けてくれるのですから。源氏千年紀のうちに再放送を熱望して下さった原作者の方に深く感謝したいと思います。詳しい感想は、また後日。皆さまの一年が素晴らしいものになりますように。 「源氏物語の日記」
January 1, 2009
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