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レジ袋のいらないエコバッグ。とても便利で、様ざまに良いことがあるので、気に入って使い続けています。存在そのものは、ずいぶん前から知っていたのですが、何も持たずにお買い物に行き、袋に入れてもらうことの方が簡単で、便利で、お得だと思い込んでいたのです。ところが、ある食料品店でお買い物するようになってから会員サービスの「おいしい水」を汲む専用ペットボトル4本(一週間分)を運ぶためちょうどよい大きさの袋としていただいたエコバッグをおろしたついでに思い切ってレジでも使ってみたところ、遅まきながらその便利さに気づきました。以来、そのお店のお買い物には、かかさず持参するように。我が家で使っているエコバッグは、スーパーなどにあるプラスチックのお買い物かごとほぼ同じ形。ほとんどのスーパーのお買い物のプロセスは、1 自分で欲しい商品をこのお買い物かごに入れてレジに運ぶ。2 レジに通して値段をチェックし終わった商品を、再び別のお買い物かごに入れてもらう。3 レジ袋をもらう。4 お金を支払う。5 商品の入ったお買い物かごを別の場所に運ぶ。6 商品をレジ袋に入れる。こんな感じでしょうか。エコバックを使うと、2の「再び別のお買い物かごに入れてもらう」というプロセスは「別のお買い物かごに持参したエコバッグをあらかじめセッティングして入れてもらう」に。こうするだけで、お金を支払ったあとは持参のエコバッグに入った商品をそのまま持って帰ればよいだけになり、3、5、6のプロセスが必要なくなるのです。エコバッグを使ってみてよかったこと。1 レジ袋に商品を入れ替える手間、時間がいらなくて楽。混んでいるお店で商品を入れ替える場所を探してうろうろしたり、入れ替えるときに傷めることもなくなりました。また、エコバッグは持ち手が丈夫なので運ぶのも楽に。2 ゴミが溜まらなくて楽。レジでいだたいた袋は、毎日のゴミをまとめる袋として利用はしていましたが、大きめなのでいっぱいにならないうちに持ち手部分をしばり、次の袋を使っていました。それが結果的に、ゴミのカサを増やすことになっていたのでしょう、週に二回、ゴミを出しに行くのが当たり前でした。レジ袋をいただかなくなってから、毎日のゴミをもっと小さい袋でまとめるようにしたところ週のゴミ出しが一回で済むようになりました。3 レジ袋の整理がなくて楽いただいたレジ袋は、きちんとたたんでもどんどん増えて収納に窮することも。以前はレジ袋で溢れていたあたりが、いまは本当にすっきりのまま。物が増えるのはいいことばかりではないと、改めて実感しています。4 ポイント加算で喜楽☆我が家の通う食料品店では、会員カードを提示すると商品がかなり安くなるのでお買い物をされるほとんどの方が会員になっているのですが、レジ袋を断ると1ポイントが会員カードに加算されます。本来なら、1ポイントいただくには500円のお買い物が必要。ポイントはレジで自動加算され、30ポイントで100円のお買い物券が発券されるのですが、レジ袋を断るようになってから、ポイントがかなり早くたまるように☆お得感がさらに増しました。5 食費が下がって悦楽☆☆何故か、エコバッグを使い始めた月と、それ以前を比べると食費が数千円~1万円単位で下がっているのです。これはおそらく、出先でスーパーを見かけるとふらっと寄って卵1パックのつもりが☆、他のものもお買い物かごいっぱいに買ってしまう…というこれまでの習慣が改まったから。1 お買い物はなるべく週一度、「おいしい水」がなくなる頃に行くことにし、 なくなったら水を汲みがてら、エコバッグでお買い物。2 エコバッグ一つ分=スーパーのお買い物かご一つ分に入るだけ買う。この二点によってお買い物に計画性ができて、食費削減にも大いに貢献しているのではないかと思います。おまけ ダイエットもできて極楽☆☆☆5に関連することなのですけれども「他のものもお買い物かごいっぱいに買ってしまう」、これはやはり、お菓子やパンなどレジかごに入れやすく、すぐ食べられるものが多いのですね。こういったお買い物が減ったおかげで以前よりウエイトコントロールもしやすくなりました。冷蔵庫も以前よりすっきりとし、レジ袋の溜め込みを止めたのも、視覚的にダイエットに貢献しているのかも☆エコバッグは、古きよき時代の「お買い物かご」、サザエさんが持っているようなバスケットの現代版なのでしょう。スーパーでまとめ買いができるようになる以前は、近所の小売店でその日いる分だけ、歩いて運べる分だけを小さいかごに入れていて、買い過ぎも少なかったのではないかなと。このほど決算をしてみたところ、食費も下がり、家計全体もシンプルになっていました。使ってみると、意外にいいことが満載で、気づくことも多かったエコバッグ。みなさまも使っていらっしゃいますか? 「エコバッグstyle」さんのバッグは相変わらずとても可愛いですね☆
March 31, 2008

百合の芽を探すことから、我が家の春は始まります。秋まで葉を保ち、球根を育て、次の年も咲いてくれるように祈りながら冬を越した後、こんな風に芽を見せてくれると、ほっとして。数年前にひとつ植えた球根が、大きく育ったリノという品種。6月には背丈ほども伸びて、ピンクのキレイな花をたくさん見せてくれます。百合はとても育て易い花ですけれども、次の年に花咲くものは半分ほどに。そこで毎年、30ほどの百合の球根を新しく植えますが、この品種は数個植えたうち、一箇所だけが生き残り、数も5~6株ほどに増えました。適材適所、同じ花もよき場所を得ることによって、より美しく元気に育つということをこの百合を見るたびに思うのです。5月に満開になる我が家のシンボルツリー、木香薔薇も花芽を見せて。この日はとても風が強く、小さな芽をとらえるのはようやくのことでした。 薫り高い水仙やスノーホワイトをはじめ故人の残してくれた花はこの時期の供花になります。 ゆすらうめも、今が満開。桜の花に似て、ソメイヨシノと同じ時期に開くこの花はこんなにキレイな実を結びます。乙女椿も見ごろを迎えて。さまざまに心なぐさめてくれる花たちに感謝です。「我が家の庭」
March 30, 2008

手作り石鹸の仕込みに適した季節となりました。リクエストも何人かの方からいただくことができ、今年も石けん作りが続けられそうです。今回は、三日かけて作るトリコロール、三色石けんを久しぶりに作ります。一日目はレッドパームオイルを使った石鹸。オレンジ色の成分はカロティン(ビタミンA)で、現地の子供たちの栄養補給に使われることもあるのだとか。抗酸化、傷修復作用もあり、手術後の洗浄用の石鹸にも配合されているオイルだそうで、そのためか特に、お肌の弱い方、アトピーのお子さまを持つ方々に、人気の石鹸。↑は苛性ソーダとオイルを混ぜて攪拌し、数時間たった石けんのタネ。美味しそうですけれども、素手で触ってはいけません☆約12時間後。クリームのようでますます美味しそう☆泡だて器で☆を描いて、消えなくなったらタネの出来上がり。今回はパック4本分を仕込み、3本をオレンジ石けんに、1本を三等分して、三色石けんの第一層目にします。完成し、切り分けるとこんな感じに。2日目は7本分を仕込み、抹茶マーブル、黒みつ、クランベリー&ローズヒップをそれぞれ2本分ずつ入れ込みます。1本分は三色石けんの第二層目としてリクエストをいただいた黒みつに。3日目も7本分、マヌカハニー、アッサム、柚子種を2本ずつ、三色石けんの第三層目は、アッサムの予定。仕上がりはこんな感じになると思います。手作り美肌石鹸 黒みつ保湿作用。肌にも髪にも優しい。手作り美肌石鹸 クランベリー&ローズヒップオーガニックハーブの香り手作り美肌石鹸 マヌカハニー抗酸化 にきびや荒れ肌に手作り美肌石鹸 アッサムティカテキンの抗酸化 色白、美肌に。幼い頃からアトピーや紫外線アレルギーなどに悩まされてきたため、学生のときから自分で化粧水を作るなど、肌にいいと思われることをいろいろ試してきました。数年前、新鮮なオイルで作る石鹸やクリームに出会い、自分が本当に心地よくなった経験をおすそ分けしたくて、少しずつ、周囲の方にお伝えできるようになってきたのが幸せ。いま悩んでいることには、必ず幸福のタネが入っていると心から信じられる由縁です。いつも後押ししてくださる方々、我が家の石けんをご覧いただいた方々、ありがとうございます。 「美味しい手作り石けん」
March 29, 2008

合格発表までの一週間当日の出来がどんなに良かったとしても、試験の結果を待っている間は、不安にかられるもの。初めての受験を終えた子供の一週間も、やはり不安と平常心との間をいったりきたり。落ち込んでいるときは、ちょうどドラマで観ていた「ネガティブ善男」と闘っているような感じでした☆「もし駄目だったら、この1年、全部無駄ってことになる…」「どうして?頑張った経験は、絶対に消えないよ。『努力したけれども、残念でした』というのと『努力しなかったから、駄目でした』とでは、まったく違うでしょう?」「どうせ大学には行かないつもりだから、勉強しなくてもよかったのに…」「あのね、どの学校に入れていただくとしても、勉強は一生続くのよ。ここまで一生懸命やってきたのだから、やっていないあなたとは、入学してからのスタートラインがまったく違ってくるの。この先どの道を選ぶとしても、勉強をやっていた方が選択肢が広がるのは確かだしこの学校を目指さなかったら、きっと勉強をする習慣も一生つかなかったと思うわよ」子供が投げるネガティブボールを、ポジティブな色にして投げ返す作業が延々と続きます。私も、高校受験の合格発表前の一週間、不安におそわれて母と話していた記憶があるので、きっと子供もそうだろうと予測はしていました。「どこに入っても、何とかなるわよ。」という母の言葉が大きな救いとなり発表の当日を迎えたのを、今度は親の立場で、受験というものを経験したのです。合格発表当日発表の三日ほど前、かなり勘のよい夫が「多分、合格してるような気がする」と言ってくれたので、とても喜んでいた子供。前日には、初めて自分の携帯電話を手にして、友人とのやり取りで気も紛れていたので「合格発表の受験番号表を写メールしてね」と言うと「公衆電話で合格報告するのが夢だったから」とのこと。当日は、朝10時からの発表に間に合うように、駅まで送ります。ちょうどその日は、自宅で11時からヨガ教室があるので、発表をみたら、すぐに連絡をするようにと伝えて、電話の前で待ちました。発表から20分後、ようやく写メールが届き、子供の受験番号を確認。夫に電話して、お互いをねぎらいます。しみじみするのもつかの間、すぐに生徒さんがいらしたのでレッスンを開始、終わってから駅に子供を迎えに行きました。「遅くなってごめんね。合格おめでとう」「やったね☆」「ところで、公衆電話はどうしたの?」「…受かって写メールしたら、面倒になって…やったね☆」にこにこです。帰ってからも、すぐに中学校に合格証をいただきに行かねばなりません。お世話になった美術の先生に、お礼のイラストを差し上げようと準備して行ったのですが、その日は校舎に入れないのでお会いできずに戻ってきました。発表の翌日この日は画塾へお礼に。今年はやはり後期の試験が難しかったそうで、子供が何とか得点できたのを「冴えていたんだね~」とのお言葉を。「この学校は、入学してからが大変です。課題もたくさんあるので、頑張って下さいね」「大好きな絵に関する勉強だから、望むところです☆」という顔で聞いていた子供。ハードな日々が待っているのは確かなので、その思いをキープして卒業まで漕ぎ付けられることを願います。受験前日にお願いにあがった近隣の神社へもお礼に参ります。帰宅してから、お彼岸には墓参できなかった子供は、改めて仏壇の前で合格報告をしてお礼参りが一通りすみました。多くの方々の支えがあってこそ、手にできた果実を、大切に味わい続けてゆけることを願っています。お世話になった方々、お読みくださった皆さま、ありがとうございました。「子供の絵の日記」
March 27, 2008

前期公立試験お弁当を持たせ、緊張の面持ちの子供を送り出した後はTVでの解答速報を録画予約します。今日の試験は併願校ではあるものの、志望校を受けているつもりで全力で臨むことを願いました。午後、帰って来た子供は、相当に沈んでいます。聞けば、午後に受けた2つの科目で時間が足りなくなり、最後の大問にほとんど手がつけられなかったとのこと。解答速報で答えを照らし合わせてみると、併願校の合格ラインには達しているものの、予想よりやや低めの得点で、さらに基本問題での取りこぼしもいくつかありました。「あなたの弱点、ケアレス、タイムレスな部分が出てしまって残念だったわね。時間の感覚を、周囲に合わせるということの大切さがわかったでしょう?最後の大問は2教科とも得点できるところだったけれども、もし、時間に気をつけていたら、きっと何問かは解けていたものね。でも、大問が2つもできなかった割には、できている方よ。基本問題のケアレスミスも惜しかったけれど、時間配分と見直し、このふたつに注意すれば、確実にあと数点はアップするからね。」翌日の面接と実技試験から帰ると、すぐに後期試験の勉強です。後期試験の前日にやろうと最後まで取っておいた予想問題は内容を見ると前期試験用のものだったので、子供は自分で判断して取りやめ、代わりに1度取り組んであまり得点できていなかった昨年の過去問に再度チャレンジ。きちんと見直しもしたため、今度は目標点を上回ることができ、やや気分よく眠ることができたようです。後期公立試験志望校の受験の前日は夫が休みでしたので、家族で近所の神社にお参り。菅公ゆかりの天満宮もおわしますので、いま一度、よくよくお願い申し上げました。「神さま頼みもね、きちんと努力したからできるのよ。人事を尽くした人が、天命を待てるの」「うん☆」スロースターターでマイペースな子供でしたが、自分なりに努力したことは確か。願いを込めて、大宰府のお守りを当日持ってゆく鞄に付けてやすんでいました。家を出る前には、仏壇の前でも手を合わせていた子供を前期試験と同じく、TVの解答速報を予約して待っていると先回よりは手ごたえのあったような表情で戻ってきます。「今回は時間は足りた?」「うん。最後まで解けた」「基本問題の見直しはした?」「うん。数学は3回、見直した」解答速報では、後期試験はかなり難問が多かったと伝えられていましたがありがたいことに、画塾の先生に言われていた総合得点をクリアできています。いつもケアレスミスで1つ、2つ間違ってしまう計算問題も完答、英語の作文も、並び替えも、理科の難問と言われる箇所もできていて。特に、内申点が下がってしまった科目が高得点だったので、親子で手を取り合って喜びました。「よく頑張ったね。休み時間もちゃんと勉強したんでしょう?」「うん。だけど、周りは勉強しないで、絵を描いている子が多かったよ」「面白いわね、やっぱり、あなたみたいな子がたくさん集まってくる学校なのね」翌日は実技試験。やはり絵を描くことに慣れている人が多かったようで、デッサンも立体模型も、一味ちがった作品が目についたそう。それでも、なんとか形あるものを提出することができ、面接も入りたいクラブのことなどをリラックスして答えられたようです。 続きます。「子供の絵の日記」
March 26, 2008
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中3の冬休み夏休みは受験の天王山とも言いますけれども、スロースターターな我が子にとっては冬休みこそが、本当に貴重な学習の期間です。2学期の成績は何とか合格ラインに届いてはいるものの、これは第3学年の学習範囲でのこと。1、2年生の復習がまだ必要なことは、それまでに受けた模擬試験で分かっていましたので冬休み直前に、書店でテキストを買い求めることに。受験コーナーには、各種さまざまな参考書が並んでいます。その中で、わかりやすく単元ごとに要点がまとめられた後に良問が続き、かつ短期間で終えられるテキストを幾つか候補にして最終的に子供に選ばせました。時間があまりないので、購入したのは苦手な英語、数学、社会の三教科。冬休みに1、2年生の復習とは、非常に遅いスタートのように思いますけれども基礎がない上に、難しい演習問題などをしても頭に入らないことは明確ですので確実に点数が取れるよう、入試の2/3、またはそれ以上を占めると思われる範囲に的を絞ることにしたのです。テキストは直接書き込むのではなく、何度か繰り返すことを想定して別紙に答えを記入。結局、時間はそれほどなく、1回だけしかできませんでしたが冬休み後の模擬試験では、1、2年生の範囲も成績を上げることができ、2学期の評定との総合で合格圏に届くようになりました。子供は浮かれて、何度も何度も、いつまでも成績表を眺めています。そうすることで、もっと志望校合格を引き寄せることができるかのように。新聞に各校別の志願者数と倍率が載ったときも、志望校にマーカーを引いては飽きずに見ていましたので親としては、その時間を学習に使って欲しいなあと傍らで思ったほど☆ 中3の1月冬休み明けには、各校別に推薦入試の志願者数が出ます。中3で挽回した成績を加味しても、中2の成績を考慮に入れると推薦の基準には達していないと思われたので、子供は申し出ませんでした。志望している学校は、ただでさえ少ない定員の半分が推薦で決まる上に、例年、一般入試のみの受験合格者は数名しかいないらしいとのこと。今年は、昨年よりはやや推薦志願者数が減ったものの、やはり相当な狭き門に。それでも、模擬試験の成績と内申点の総合では、志願者の中では上位数名以内に入るようになりましたので、まったく無理というわけではなさそうです。画塾の方は、デッサンも立体模型も何とか試験に耐えられるものができるようになったので2月の私立受験まではお休みさせていただき、その分をしっかりと学習時間に回すことに。そうは言っても、この時点でも学校の課題がかなりあったので、通信教育のテキストは土日に集中的に行っていました。1月は、最後の三者面談もあります。「相当、挑戦的な受験になると思います。併願校に行く覚悟はできていますか?」「…」「はい、大丈夫です。ちゃんと行かせます」「公立の過去問はもうやりましたか?」「…」「いえ、まだ復習が終わっていませんので、私立受験が終わってから取り組ませる予定です」過去問題は通信教育のテキストに付いていましたが、学校からは頂いていないのでこういった質問があることそのものに少し戸惑いを覚えました。他の保護者の方から、受験に関しては、自分でしっかり情報を集めないといけないと聞いてはいましたが、やはりそういうものなのかな…と。1月の末から2月初旬の私立受験期には、我が家の飼い犬が天に召され、受験から帰ったその足で、子供は動物霊園に向かったということもありました。2月私立校には無事合格させていただき、本命の公立校試験まであと1ヵ月に。ようやく、過去問に取り組む時間もできたので、手書きのグラフを作り、ボーダーラインを引いて、五教科総合得点の推移を書き入れます。公立は、前期受験校と後期受験校で試験内容が違うためそれぞれを過去三年間分、および入試の予想問題を幾つか行いました。本来なら、もう少し早い時期から取り組む方が良かったのかもしれませんが全体の復習を一通り終えることができてから、と思っているうちに入試1ヵ月前になっていました。過去問を解いた結果、ボーダーラインのあたりはキープ、あとは内申点のアップ分を含めれば、まず、合格するのではないかな…と安堵していたのですが…3月卒業式の前日、そして入試数日前。子供が絶望的な顔で戻ってきました。内申点として、受験する高校に提出される学期末の評定が2学期よりも1つ下がって落ち込んでいたのです。受験する学校によって、内申点と当日の試験の得点の配分は違うのですが子供が受ける学校は内申点の比率が比較的高く、1つ下がれば、総合得点から2ポイント分下がることに。2学期の評定で出していた模擬試験の志望校の合格判定のグラフも、1つポイントを下げて見なくてはならなくなり、志望者内の順位はあまり変わらなかったものの、大変なショックを受けていました。「学年末の評定だから、あまり良くなかった1学期の成績も加味されているのね」「……」「大丈夫だと思っていた科目だから、びっくりしたと思うけれども当日の試験で、2点、多く取れば挽回できるの。ケアレスミスをなくして、基本問題の取りこぼしをなくせば今からでも5点くらいはすぐに上がるわよ」卒業式の後は、同級生の集まりもあったようですが子供はまっすぐ帰ってきて、黙々とテキストを埋めていきました。続きます。「子供の絵の日記」
March 25, 2008

中3の1学期志望校は決まったものの、最終学年を迎えても、子供の学習への力の入れ方はいまひとつ。第2学年末の美術の成績は、ちょうど真ん中。五教科、九教科の総合的な成績も、中の下から、良くても中の中のあたり。通信教育の学校情報で、一般試験のほかに、実技試験もあるらしいということ、一般試験の成績もある程度必要だということは何となく伝わってきましたが、どのように実技試験の対策をしたらいいのか、内申点がどのくらい必要なのかもわかっていませんでした。そのころ、たまたまヨーガの集まりでお話してみたいなと願っていた方にお声をかけていただき、子供の話題が出たときに、志望校の名を出してみると「それは私の母校です。入学にはかなり成績が必要ですよ。」同じような話を、夫の会社の方からもお聞きしていたので、親子共々、「かなりの成績」というのは、どれほどのものなのか、妄想が膨らんでゆきます。実技試験の情報も欲しいところ。「やっぱり、学校で美術の先生にお聞きした方がいいわよ。」「なんて聞けばいいの?」「『○○高校に入りたいのですが、どういう勉強をしたらいいですか?』自分でしっかりお聞きしてきなさい」子供はすぐに、決意表明をするごとく志望校をお伝えし、美術担当の先生から実技試験の内容と、受験対策をしてくれる画塾の案内書を頂いてきました。早速、画塾とコンタクトをとり、子供の成績状況を率直にお話すると「今から頑張れば、大丈夫だと思いますよ。」これまでも、子供と同じような成績だった塾の生徒さんが入学した例もあったようで安堵して夏休みの講習会に参加させていただくことに。実技試験は、工業製品のデッサン(硬い物と軟らかい物…例 ハンカチとフィルムケース)、及びケント紙一枚を使った立体模型(動物などのテーマにそって時間内に作る)とのこと。(「子供の絵」の日記に載せていたデッサンは画塾で描いたものです。)このころ親の方は、たまたまヨーガの学会で福岡に行くことになり、学問の神様の総本山、太宰府天満宮でお守りを頂いてきました。帰って菅公のお話をしてから渡しましたが、机の前にしっかりと据えて思いを新たにしていたようです。中3の夏休み画塾通いと、学校の宿題、通信教育のテキストに取り組む日々が始まりました。これまで長期の休みといえば、遅寝遅起きの権化のような子供でしたが一日のスケジュールの中に、大好きな絵を専門的に描ける空間に身を置ける時間でき、かなりメリハリがついたようです。テキストができてから次のレッスンに通うという約束も、学習を進める助けになりました。もうひとつ、これは子供にとっては画期的なことだったのですが夏休み直前に、模擬試験を受けてみたいと言い出しました。地元の受験対策のために開催される模擬試験については、それまでも何度か案内が来ていても見向きもしなかった子供が大きく変わったものです。そこで、8月以降、受験直前まで数回に渡って行われる試験に申し込むと受領証と共に、夏休みの自宅学習講座の案内が送られてきました。子供の志望は公立だったのですが、県の独自問題の対策が充実しているようだったのでこちらも申し込むことに。ありがたいことにその講座では、各校別の合格ラインとなる模擬試験の偏差値と内申点の目安もグラフや表でわかるようになっていました。進学塾に通っていれば、おそらく教えていただける情報がようやく手に入り、子供は自分がどのくらいの位置にいるのかがはっきりしたのです。夏休みの時点では合格の可能性は7割程度。偏差値も内申点も、合格ラインにはやや足りないもののこれから頑張れば、何とか挽回できるといった位置にいました。それまで、その学校に通っていた方や、三者面談で担任の先生のお話し振りをみる度に学力がかなり重要視されているといった印象を受け相当にハードな挑戦になりそうだと思っていたのですが、現在の成績を数値化し、指標を与えていただいたことで必要以上に大きな存在として捉えなくてすむようになったのです。「あと一歩で、何とかなりそうね。」「うん☆」「でも、もったいないよね、内申点よりも偏差値の方が高いというのは。学校のテストの点からすると、あなたの評定はやはり低いみたいね。提出物を期限までにきちんと出せば、もう少し良くなるんじゃない?」「うん…」これまで、何度も何度も言い続けてきたことが、ようやく数値を根拠に子供に伝えることができるようになったのでした。中3の2学期夏休みが終わった後も、画塾には引き続き、土曜の午後だけ通うことに。毎日の学習は、中学校の課題を提出期限までに終えるのが精一杯でしたので土日を使って、通信教育のテキストと夏の講座で残った添削問題を終えました。添削問題は、各教科の単元ごとに点数が出るので弱点がわかりやすく。子供はやはり、サボりにサボっていた1、2年生の範囲ができていませんが3年生の学習範囲は何とか一定の点数が取れているようです。通信教育は、受験対策用のテキストと共に、1、2年生のときにやり残したテキストを単元ごとに分類し、添削問題で点数が取れていなかった範囲から取り組ませました。2学期には学校での定期試験が3回あり、内申点には重要な影響を与えそうなので学校の授業をしっかりと受けることで、3年生の学習範囲の受験対策と見なすことに。特に英語と数学が弱かったのですが、学校で出された課題とプリントをきちんと覚えてゆけばたくさん点が取れることがわかってからは、テスト勉強にも力を入れるようになり、2学期以降の定期テストは順位が上がり、その状態をキープできるようになりました。何度も呼ばなければ起きず、一苦労だった朝も自分で起きられるようになり、何度も何度も伝え続けた提出物の期限もようやく守れるようになった結果、成績もかなり上げていただくことができました。当たり前のことを、当たり前にするだけのことだったのですけれどもその大切さが、ようやくわかってきたようです。 続きます。「子供の絵の日記」
March 24, 2008

おかげさまで子供が志望校に合格いたしました。定員が少なく、実技試験のほかに、内申点、一般試験の成績もある程度必要なデザイン系の専門科でしたが、画塾に通ったほかは、進学塾のお世話になることなく、中学校、通信教育、市販のテキストを頼りに学習を進め、何とか果実を得ることができました。普通科と異なり、情報が少なかったため、戸惑うこともありました。家族の記録として、また同じ志しを持っておられる方々の参考のひとつにもなるかとも思いますのでぼちぼちと親子で歩んだ日々を、少しずつ振り返ってみます。よろしかったらどうぞ。中2の夏休み中1の頃から、あまり勉強に身が入っていない様子の我が子、1学期の定期テスト、および成績表を見て親は愕然…特に英語。幸いにも、休み中に学校で補習を受けさせていただくことになり、同時に家庭でも中1からの復習を開始。テーブルで親子向き合い、テキストを開き(開かせ☆)それこそ、this isのisからの見直し。be動詞の変化あたりからつまずいていることがわかり、ひとつひとつ説明、表を作って壁に貼ったりなどするも、子供は上の空で、気がつけば手は絵を描いていて。「問題用紙にもよく絵が描いてあるけど、テストの後は、見直ししてる?」「してない」「見直しをしたら、ケアレスミスが防げるんだけど」「ケアレスミスってなに?」「…」こんな状態でしたが、学校での補習も進み、最後のテストでは、少し進歩があったようで先生に褒めていただいたと嬉しそうに戻ってきたのを覚えています。中2の2学期風邪などの病気が流行っていることもあって、子供は学校を休みがち。それでも、文化祭の準備に携わっているらしく、イラスト入りの幕などを描かせてもらっているようでそのときばかりは、張り切って学校に。頑張ったおかげか、美術の成績はやや上向いたものの他の教科は相変わらずでした。そのころから、毎月締め切りのあるイラストコンクールに応募させはじめました。いつも何かしらの絵を描いているので、腕だめしという意味合いもあったのですが、学校のテキストの提出期限がなかなか守れない子供に、時間内に作業を終わらせるという訓練をしたかったからでもあります。子供の方は、普段は時間制限されているパソコンも使えるので大喜び。下絵を描いて、スキャナーで取り込み、イラストレーション用のソフトを使って延々と飽きずに形どり、色を入れ込んで、レイアウトを考え、応募用紙にプリントして…3回ほど応募しましたが、いつも作業修了は締め切りギリギリのところで毎回、速達で出していました。「絵が描けてもね、もしお仕事にするとしたら、納期に間に合わないと意味がないの」「うん」「学校の課題も一緒なの。きちんとできていてもね、提出期限までに出さないと」「…」伝わったかどうかは定かではありませんでしたが、時間までに形づくるという経験のひとつにはなったようです。中2の3学期第2学年も終りに近づき、翌年の受験について考え始めた頃。子供は、朝起きるのが苦手で、いつもギリギリで学校に飛んでゆくので親としては、できるだけ近い場所にある高校がいいのじゃないかしら…と考えて、近隣の普通科の名前をあげると、まったく気乗りしない様子。幼稚園時代から続けている通信教育(添削問題提出は滞り勝ち☆)にも受験対策や、各校の様子などが載った冊子が付いてくるようになり、1月に提出予定の模擬試験の用紙には、早くも志望校を書く欄があります。ちらりと覗いてみると、市外にある専門科の学校名を書いているよう。親の思いや経験とは、かなり離れた子供の選択に、最初は戸惑いましたが冷静になって考えてみると、それもありのように思えます。徒歩圏にある中学校さえ、行くのをおっくうがっていますけれども専門的に学んでみたいことがあるなら、多少遠くても通い続けるかもしれません。それでも、子供が選択した学校は、自宅からの通学がかなり不便な場所にありましたのでもう少し検討させてみます。親も地図をじっとみて(県外出身者なので、どういう学校があるのか知らなかったのです)駅からほど近いところに、それらしき名前を発見し、子供に調べさせました。インターネットはこういうときに、本当に便利です。すぐにその学校のHPがヒットし、学びたい絵やデザインが学べること、歴史のある学校であること、将来進みたいと願っている服飾に関する部活動も充実している様子がうかがえます。子供のテンションはかつてないほど上がり、そのときから、その学校が志望校になりました。 続きます。「子供の絵の日記」
March 23, 2008
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国分太一さん出演、余命半年の少女の物語が今夜9時から放送されます。太一くんは少女の学校へ新任教師として登場するそう。オーラの泉に義家弘介さんがゲストでいらしたときに太一くんが語っていらした言葉は「僕は、末期がんで11、2歳で亡くなる女の子の本当にあったお話をやったんですけれども彼女が右手が動かなくなりながら、左手で残した詩があるんですけれども。『12色』って詩を書いているんですよ。『12色…ここには12色の色がある。目立たない色もあるけれど、みんな頑張っている。ひとつひとつ』っていう詩があったんですけれども、これにはやっぱり…僕はそのとき、先生役だったんですけれども、先生として教えられているんじゃなくて本当に国分太一として僕は、いろんなことを彼女のその詩で教えられたなって思ったんですよね」…必ず拝見します。「いのちのいろえんぴつ 番組HP」↓ドラマのことについて太一くんが触れている回の日記はこちら「12色のえんぴつ」
March 22, 2008
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「4年に1度、うるう年にそれまでの4年間を振り返り、これからの歩みを見直す」この方法をある方から教わってから4年、次のうるう年を愉しみにしていました。4年前の2004年は、ヨーガを始めて1年足らずの頃。石けんやクリーム作りを始め、このブログを開設したのもその年でした。地域のボランティアの壁につきあたり、乗り越えていたのも、子供が小学校の最終学年を迎えた年でもあります。長年、愛してやまない「源氏物語」を最終帖まで語り終え、ブログという場を借りてアップすることができたのも、2004年。自分の中にどんなタネが秘められているか、たな卸しをし始め、自分の好きなことも、また何度も何度も出合う辛い経験も、すべてが自分の財産であるということを、インプットした年でも。さて、4年後のいま、2008年。ヨーガを始めて丸5年となり、順調に行けば今年はヨーガセラピストになる予定。いまは仙台でのヨーガ療法学会でのプレゼンテーションの準備に取り組んでいるところ。また、学校などでヨーガをさせていただく機会も増え、市からの講師登録要請も。ゆっくりと前に進んでいるようです。石けん&クリーム作りは、ぼちぼちと続けていたところ、今年になってヨーガ関係の方で使ってくださる方が急に増えています。「自分の好きなこと、原点に還りたいな」と思っていた矢先のことでした。地域のボランティアは、大きな山を登り切り、手放しでも大丈夫なところまで来ました。それは直接の関わり合いが少なくなるということでもあるのですけれども、また新たな学びのステップに入ったという意味に捉え、自分の愉しみにも立ち返りたいと思っています。小学生だった子供は、高校受験を終え、ただいま粛々と結果を待っているところ。進学塾には行かず、自宅学習に徹した子供と、戦友のように乗り越えてきた受験勉強の日々を親である私も、静かに振り返り、味わいつつあります。田辺聖子さんの現代語訳から入り、円地、谷崎、与謝野、橋本、そして瀬戸内源氏にとどめをさして、原典を読めるようになった源氏物語は、今年で成立1000年を迎えるそう。先日の劇団四季会報には「オペラ座の怪人」のファントムと光源氏との共通項に触れている記事があって面白く思っていたところ、源氏物語の背景となっている歴史物語を改めて読む機会にも恵まれています。またゆっくりと、この世界に誇る日本の文学について語る機会があるかもしれません。「自分の中にどんなタネが秘められているか、たな卸しをし始め、自分の好きなことも、また何度も何度も出合う辛い経験も、すべてが自分の財産であるということ」をインプットし、味わい、アプトプットができるようになってきたこの頃。創造、維持、破壊。キャッチ、アンド、リリース。吸気、止息、呼気…次の4年は、静かなる美しい心を養いたいと思います。
March 20, 2008
美しいボトルの色からメッセージをいただけるオーラソーマ。ものごとの入れ替わるこの時期に選んでみました。解説・画像はナチュールアロマテラピーさんより。☆ 一本目 魂のボトル(本質を現わす) B41 オーラソーマ イクイリブリアム 叡智のボトル/黄金郷ゴールド/ゴールドテーマ・・・さまざまなレベルでの知恵の真髄おすすめの使用部位・・・腹部~ボトルのメッセージです。参考にしてください~・冒険を愛し、チャレンジ精神が旺盛で、目標を達成する喜びと楽しさを知っている人です。あらゆる試練や困難の中に自分を成長させる機会を発見できる人です。・このボトルは、自分への不信感と過去のパターンに取り付かれ、虚勢を張ってしまう人、常に贅沢をしたいという思いから欲求不満になりがち、人に依存してしまう人をサポートします。自分に対する不信感を消し去り、自分が得意とすること、人にはない個性、魅力を再確認し、内側にある喜びと知恵を得ることをサポートします。 ☆ 二本目 チャレンジ&ギフトのボトル(過去と課題)B60 オーラソーマ イクイリブリアム ラオツー&クアンイン(老子と観音)ブルー/クリアメインテーマ・・・鎮静し、自分が誰かを知るおすすめの使用部位・・・のどの周り~ボトルのメッセージです。参考にしてください~・一見静かな人ですが、存在感のあるカリスマ的な人です。話すととても楽しい人です。完璧主義で、自分自身の能力を現実的に見極め、目標に向かってしっかり努力する人です。・ストイックになり、感情を抑圧し、自分自身を表現できずにいるかもしれません。社会や目上の人からの威圧を感じているかもしれません。または自分自身が威圧的に振舞ってしまうことがあるかもしれません。心の中にあるものを浄化し、手放していくことで、もっと自分に対して、人に対して自由に平和でいられるようこのボトルはサポートしてくれます。穏やかで平和なブルーがやってきます。 ☆ 三本目 「今ここ」のボトル(今の状態と気づき) B63 オーラソーマ イクイリブリアム ジュアルクール&ヒラリオンエメラルドグリーン/ペールグリーンアファメーション・・・私は正しい場所で、正しい時に、正しい事を行っています。おすすめの使用部位・・・胸部の周り~ボトルのメッセージです。参考にしてください~・正直で心が広く、人の意見をよく聞く人です。人と調和をとり、人をまとめることが上手な人です。自分の道、成功を確信している人で、忍耐強く物事を続けていく方です。・狭い観念の中から抜け出せないとき、自分らしさが発揮できるよう、新しい道を見出すことができるようサポートしてくれます。変化のときがきているのに、なかなか決断がくだせずにいるとき、スムースに決断が下せるようサポートしてくれます。 ☆ 四本目 未来のボトル(未来の可能性)B47 オーラソーマ イクイリブリアム オールドソウル(古い魂) ロイヤルブルー/レモンテーマ・・・古い傷、新しい目標をたてるときおすすめの使用部位・・・胃や心臓の周囲・頭髪の生え際~ボトルのメッセージです。参考にしてください~・このボトルを選んだ人は、分析力、論理的思考能力を備えもち、リーダーシップもあります。一方で鋭い直観力を持ち、より深い人生の目的とつながることができる人です。・このボトルは、深い孤独感から癒し助けてくれます。社会的威圧を感じ、不安と緊張でいっぱいになっているとき、心を癒し、不安を解放してくれます。そして新しい目標を立て直し、新しい道を歩みだす力を与えてくれます。☆ オーラソーマのボトルを選んでみたい方は、楽天さんに出店されている「ナチュール アロマテラピー」さんののメニューから「106本全体の画像と選び方はコチラ」へ。「オーラソーマボトルを選ぶ の日記」
March 19, 2008
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昨夜放送された「東京大空襲」第一夜、ご覧になられましたか?今夜も9時から放映があります。必ず拝見したいと思います。「東京大空襲 番組HP」昨日の日記に引き続き、東京大空襲と原爆投下などの第二次世界大戦中の体験について、海老名香葉子さんと美輪明宏さんが語っておられる回を再録いたします。「オーラの泉 終戦特別企画 東京大空襲と原爆投下」2時間で10万人の命と東京の6分の1を奪いつくした東京大空襲。海「3月9日の夜半から、沼津で退避命令がでましてね、山の上に登っていったんですよ。真夜中過ぎましたらね、東の空がボーっと赤くなってて。『東京がやられてるぞー』って大人の声が聞こえましてね。子供でしたからもうとにかく、正座して拝んで拝んで拝んで、一生懸命拝みました。それで明け方戻ってきましたら、『本所深川は全滅だってよ。』ってお友達に言われたんですよ。それでも元気な兄達、父も元気でしたし、絶対大丈夫って、祈りながら思ってましたけど、それから四日目。すぐ上の兄(喜三郎さん。当時13歳)が、もうぼろぼろになって現れまして。着てるものから何からぼろぼろで。『ごめん、ごめん・・・。みんな死んじゃったんだ。』って言って現れたの。『父ちゃんも母ちゃんもみんな死んじゃったんだ・・・。かよ子、ごめんね、ごめんね・・・』って泣いて現れましたの。」美「『ごめんね・・・』っていうのが哀れですね・・・。自分のせいみたいに思っているっていうのが・・・。自分ひとりだけが生き残ったっていうね。」海「はい。父は警防団(父 忠吉さんは警防団・班長で消火を指揮)に詰めてましたから、途中で帰ってきたんですよ。そこの学校が焼け落ちちゃったんで、違う学校へ行ったら門が閉まってて。中に入れば助かったんですけど、門が閉まってて入れなかった。それで学校の校舎と塀の間を乗り越えて。炎を避けるために母が弟を胸に抱いて突っ伏して、その上から父が覆いかぶさったんです。三人の兄達は寄り添って。一番上の兄が『日本男児だ。潔く舌を噛んで死のう』って言ったら、父が『喜三郎、あそこに逃げろ!』無我夢中で、気がついたら自分ひとりが学校の中に入ってて、助かっちゃった。自分ひとりが生きてるのが悪いように、私に『ごめん、ごめん』って。一晩、抱き合って泣いて・・・。二人でお世話になるのは悪いからって、ひとりで東京に帰っていっちゃったんですよ。」中学一年生のお兄様が、麦畑の中で手を振りながら去ってゆくのを、「大丈夫かなあ」と心配しながら見送った11歳の海老名さん。国「もちろん、止めたわけですよね。『一緒にいよう』・・・。」海「『一緒にいよう』って言ったんですけど、私の手を取って涙をぽとんぽとん、兄が垂らすの。その涙が熱いんですよ。熱い涙なんて、あのとき以来知りません。」美「お兄様は当ても何もおありにならなかったでしょうにね。だって東京全部、焼け野原ですものね。」海「何もないです。それなのに戻って行っちゃって。闇市だとか、その辺りを歩いていて、兄は行方不明になっちゃいました。」美「もう本当にね、憎らしいわよ。だって日本中、じゅうたん爆撃(じゅうたんを敷き詰めるように目標一帯を集中的に爆撃すること)。じゅうたんをひいたみたいに全部、やっちゃう。」海「じゅうたん爆撃は、下町の密集地ですよ、紙と木でできた。爆弾を周り中に落として、(逃げ道を全部断ってしまってから)そこに焼夷弾(火炎や高熱で殺傷・破壊する爆弾)を落としたんですよ。ガソリンの塊みたいなものですよね。地上何百メートルのところで、炸裂して落ちるんです。だから火の海になって・・・。東京大空襲はたった二時間で、十万人の人が死んだんですよ。もう火の海の中でみんな苦しんで・・・。」美「すごい残酷でしょう?だってね、戦闘要員、つまり兵隊さんとか軍事施設だけだったらわかるわよ。戦う能力のない、非戦闘員の女、老人、子供をやる?(第二次大戦の犠牲者6000万人のうち、その半数は民間人だった)だからある空軍大佐は、軍事施設だけやりましょうって。アメリカにも良心的な人がいるのね。でもその人はぽーんと左遷されてしまって。皆殺しにしろってことになったの。それの私たちは犠牲になったんですよね。」海「そうですよ。」東京大空襲の5ヵ月後、1945年8月には広島に次いで長崎に原子力爆弾が投下され、7万人が犠牲に。当時10歳の美輪さんは、ご自宅でその惨状に出会います。美「私は原爆が落ちたときに長崎にいたんだけど、全然、何の音もしないのよ。『ああいい天気』って、防空頭巾被って、夏休みの宿題の絵を描いて、出来上がりを見ようとちょっと下がった途端に、ピカってなったのよ。『え?こんな雲ひとつない、いい天気に?』マグネシウムをたいたみたいに、雷?って思うか思わないかのうちに、雷を一千万個くらい集めたみたいな轟音がして、瓦が全部、降ってきちゃったの。」カフェーを経営していた美輪さんのご実家は洒落た洋館で、ガラスをふんだんに使った造り。そのガラスが爆風で全て、一瞬にして砕け、立っていたすぐ後ろの壁や、床に鋭く、直角に突き刺さった。ところが、顔にもどこにも、何一つ傷を負っていない。一緒に逃げたお手伝いさんやお兄さんも、裸足だったにも関わらず、まったく怪我をしていなかったそう。美「帰ってきたときにどうやって逃げたのか。ガラスが全部、針山みたいに刺さってるの。」原爆が投下された長崎では、爆風と熱線で半径1キロメートル以内は全壊。半径2キロメートル以内も80%が倒壊したほどの被害。国「外に出たら・・・」美「もう、地獄ですよ。馬は横倒しになっていて、引きつけを起こしているし。馬車引きのおじさんは飛び上がって叫んで。全身、皮が剥けているのよ。もう地獄。あちこち逃げて・・・。塀の下敷きになっている人が『助けて』って腕をつかむのよ。『キャー』って逃げたら、その人の肉が剥けて、腕にぴたっとくっつくの。もう、すごいわよ、戦争っていうのはね。」終戦後、戦災孤児となった海老名さんはご実家の処理をするために中野のご親戚のもとに引き取られるも、そのお家そのものが、焼け野原に焼けトタンを立てただけの小屋で、親子が肩寄せ合っているようなところ。居たたまれずに、親戚や知り合いのもとを転々とする日々だったそうです。海「東京に戻ってきてからは、生きる戦いでした。どこのお家もそんなに長くいられないで。子守をすれば新制中学に行かせて下さるっていう家があって。そのうちもおじさんが職が無くなったから『あんたの面倒みられない』って言われて。葛篭を背負って、あっちの家、三日、こっちの家、三日って転々として、学校も行かずに。」国「数日で変わっていっちゃうんですか?」海「だいたい、『こんにちは』って言って、いられそうだなと思うと、三日、四日いるの。で、『これが限界だな』ってわかるんですよ、自分で。そうすると『おばさん、さようなら。ありがとう』って言って、次のところに行くの。」美「あの頃はね・・・。親が子を食べさせるのに自分が食べないで、子供達だけ食べさせるって言うでしょう?おにぎりを三つ持ってたら、大金持ちなのよ。(終戦後、食料不足で米は貴重品だった)お金が何の役にも立たないの、品物がないんだから。ご親戚をたらいまわしっておっしゃったけれど、親戚も自分達が子供に食べさせるだけで精一杯。そういう時代だったのよ。だから、『日本人はどうやって生きてきたのかしら?』ってお思いにならない?」海「雑草が生えてきたんですよ、焼け跡に。ふすま粉(小麦をひいて粉にしたとき残る皮の屑)をすいとん(雑炊)のようにするんですけど、固まらないからどろどろ。そこに雑草を入れて食べてました。」美「かぼちゃのヘタとかね、大豆のカスね。」実家が焼け落ちたあとに、初めて行く気になったのは、『もしかしたらみんな生きているかもしれない』と思ったから。海「どきどきして、三ノ橋っていう橋の上に立ったときに、『これはだめだな・・・』と思ったのは、町が全部消えちゃってなかったんですよ。人もいなくなったし、家も消えちゃったし、『皆消えたなあ・・・。』ってその時思いました。うちの焼け跡の前に立ったとき、初めて大声で泣きました。『とうちゃーん、かあちゃーん』って叫んで焼け跡に入って。3月に空襲があって、そのときはもう12月の終わりで。ザクザクと焼け跡を掘っていったら、最初に弟の昼寝布団が出てきたんですよ。『これ、こうちゃんのだぁ』と思って、抱きしめました。母のお茶碗のかけらや何か、みんなの生きていた証が出てきて、泣いて泣いて。」12月の寒空のもと、雪が降ってきても『もうこのまんまでいいや・・・』とご実家の石段のあった場所に膝を抱えてじっとしていたとき、通りかかったのが黒っぽい姿の男性。海「『助けて』って言おうと思ったけれど、言わないで座っていたら、その人が戻ってきたんですよ。『姉ちゃん、しっかりしなくちゃだめだよ。こんなところでこんなことしてたら死んじゃうじゃないか。頑張ろうよ、頑張ろうよ・・・。』って言ってくれて。顔をみないでじっとしていたら『おあがり、おあがり』って。何の気なしに手を出したら、さつまいもを半分割ったのをくれて。それを夢中で食べましてね。体に本当に伝わって。『ああ、今の人、神様だったかしら?』って、そのとき思いました。」美「まだあの頃は、人情っていうものが残ってましたからね。」国「そんな方がいるんですね。」***読んでいただいてありがとうございました。
March 18, 2008
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藤原竜也さん主演の番組「東京大空襲」。戦火に疲弊した人々にさらなる追い討ちをかけた人類史上、稀にみる非道な所業とその悲劇を忘れないために、拝見させていただきます。「東京大空襲 番組HP」また、東京大空襲と原爆投下などの第二次世界大戦中の体験について、海老名香葉子さんと美輪明宏さんが語っておられる回を再録いたします。「オーラの泉 終戦特別企画」「つい60年前まで、日本が戦争をしていたことが考えられないんですけれども。」と太一くん。美「アメリカと日本が戦争したことを知らない若い人がいっぱいいるんですよ。建物とか、生命だけじゃなくてね、伝統とか文化とか人の心も、全てを灰にしたんですよ。それまで日本は、アインシュタインもエジソンもチャプリンも、モネもマネもゴーギャンも、ロートレックもゴッホも、『日本ってなんて素晴らしい。』世界中から尊敬されてたんですよ。だから、60年たってもいまだに取り戻せないっていうのがね、本当に腹立たしいですよ。」江「私も戦後の生まれですからね、戦争を知らないわけですけれども。」美「でも名残があったでしょう?」江「そうなんですね。祖母からしっかり聞かされてて。私は東京の下町生まれですから東京大空襲がありました。だからその時の話で、どうやって生き延びていったか、常に聞かされていたので、私にとってはものすごくリアルなんです。その想像の域だけでもリアルなんですね。」美「これは絶対に、語り継いで、語り継いで、語り継いでね、その時代、その時代の人たちに、二度とこんな愚かなことをさせないように、語り継いでゆく義務があるんですよ。」☆ 東京大空襲・・・1945年3月10日 第二次大戦中、アメリカのB29爆撃機が、焼夷弾(しょういだん)1600トン以上を投下。東京の6分の1が焼失し、10万人以上の生命が奪われた。第二次世界大戦は世界中で6000万人以上の犠牲者を出し、日本人だけでも犠牲者は300万人以上。東京大空襲は終戦の5ヶ月前。このとき6人の家族をいっぺんに失ってしまったのが故・林家三平さんの奥さま、海老名香葉子さん。国「戦時中のお話を聞きたいんですけれども、海老名さんは当時11歳?」海「はい、小学校五年生でした。」本所深川(墨田区)生まれで、生家は江戸時代から続く竿師(釣竿職人)。お父さまは竿師として日本一だったそう。東京大空襲があったとき、海老名さんは、たったひとり沼津の親戚へ疎開(そかい)中。海「父も母も祖母も。祖母は国防婦人会の副会長をやってました。兄は3人おりまして、4人目が女の子の私で、8歳下に可愛い弟がいたんです。この8人家族で、私ひとりだけ疎開しまして、家族は残ってたんです。」国「家族と別れるときのことは覚えてますか?」海「よーく覚えてます。母が二階の母の箪笥の前に座りましてね、私の手をギュっと持ってね、『かよ子、あんたは明るくて元気で強い子だから大丈夫ね。』って言ったんですよ。その後、母は涙をぽろ、ぽろ、ってこぼしたの。それまで私は、はしゃいでたんです、出かけるので。でも母の涙を見たら、心細くなったんですよ。『もし疎開してお友達ができなかったらどうしよう。』って言ったら、また私の手をギュっと持って、『あんたは明るくて元気だから人に好かれるのよ。だから大丈夫よ。』って念を押して言ったんですよ。で、疎開しました。」国「お父さんは?」海「父は葛篭(つづら 衣類を収納する箱)を持ってくれて、弟にね『こうちゃん、姉ね(ねえね)はね、頑張って疎開するからね。』弟は数えの四つで、可愛い子でしたの。『姉ね・・・』って言っておもちゃ箱に行きましてね、私に、ひょっとこの絵が描いてあるメンコをひとつ持ってきてくれたんです。それをポケットに入れて、父に連れられて疎開しました。」国「ちょっとわからないんですけれども、何故、海老名さんだけが疎開したんですか?」海「軍で強制的でございました、あのころは。ちょうど私が五年生から、強制的に全員、疎開することに。」国「お兄さんはおいくつだったんですか?」海「兄は中学一年でした。」国「なるほど。中学一年生だったから疎開せずに。」☆ 強制疎開・・・第二次大戦末期、戦火を逃れるため、幼児・老人・学童などが地方へ避難させられた。美「それは大人の手が足りなくて、学徒動員で疎開できなかったの。何故、小学生が疎開になったか。次の日本を背負って立つ種を絶やしちゃいけないから、強制的に無事なところへ疎開させられたの。」☆ 学徒動員・・・第二次大戦中、中学生以上の学生は軍需産業などの労働力として動員された。沼津に行っても、三日に一度は家族から手紙が来て、寂しさを紛らわせてくれていたそう。国「どんなことが書かれていましたか?」海「父はね、いつも頭のところで、『かよ子ちゃんの夢を見ます』って書いてあるんですよ。『寂しくなったら、東京の空に、父ちゃん、父ちゃん、父ちゃんと、三回呼んでごらんなさい。』って書いてあるんです。」美「やさしいお父さまね。」海「ええ。」危険を避けて疎開した沼津にも1945年には8回もの空襲があり、市街地の大半は破壊されたそう。また、人を直接攻撃する機銃掃射も。海「低空で飛行機が飛んで来るんですよ。一度なんか学校で帰宅命令が出まして、空襲警報のサイレンも何も鳴らないうちに、米軍機がワーと来まして。防空頭巾を被ったまま夢中で、垣根に頭を突っ込みましたの。しばらくたってみたら、防空頭巾に鉄の破片が刺さっていて、慌てて落としました。火みたいに熱かったんです。それから近くに自転車がひっくり返って、ぐるぐる輪っかだけ回っていて。はっと気がついたら血がぱっと広がって・・・。」国「目の前で自転車に乗っていた人が、飛行機が来たことによって・・・。」美「飛行機の上から撃つのよ。ほとんど面白がって撃つの。」江「低空飛行っていうのは、どのくらいまで下がってくるんですか?」海「顔が見えますよ。」美「顔が見えるくらい。」お二人が同時に答えるのに、太一くんは驚き、江原さんは何かが腑に落ちた表情に。江「実は祖母からね『本当に操縦しながら笑ってた』とかね。作り話だろうと思ってたんですよ。顔が見えるまでね、『そんな低空飛行ないだろう』と思っていて。」美「面白がって来るのよ。それで飛んで来るときにエンジンを切ってくるの、音がしないように。スーッと無音のまま、爆音がないのよ。そばに来てから、急にエンジンをかけて。私も千々石(ちぢわ 長崎県)ってところに疎開して、機銃掃射やられたんだけど、面白がって撃ってるの。標的をゲームでダーっと撃つみたいに。私たちは逃げ惑うじゃない?そうしたら、また引き返してくるのよ。もう、面白がって楽しんでるの。」国「信じられないですね。」美「そうよ。」続きます。
March 17, 2008

ホットケーキミックスとサラダオイルと卵だけで手軽にクッキーを焼いてみました。子供の受験期に、ふと思いついて作ったおやつ。ミックスの袋を取り出してから、30分後には完成していました。サラダオイルなので粉と馴染みやすく、バターを使うときの練りの過程が省けホットケーキミックスのほのかな甘みとサクッとした軽い食感が愉しめます。ミックスがない場合は、小麦粉で。こちらはよりしっかりとした固さで、素朴な味のクッキーになります。材料ホットケーキミックス 200gサラダオイル 50g卵 1個ホットケーキミックスを使わない場合小麦粉 200g砂糖 50gサラダオイル 50g卵 1個作り方オーブンを170度に温める。計りにビニール袋を載せ、材料を計りながら入れ、良くもんでひとまとまりにし、タネが完成。 天板にオイルペーパーかアルミホイルをひき、タネを20~30等分にちぎってのせてから指で押して形を整える。(平にするとサクッと焼けます。) オーブンに入れて、15~20分焼いて出来上がり☆ クッキーが焼きあがった頃、お友達からお茶のお誘いを受けたので5つほどラッピングしてプレゼントしましたら喜ばれました☆チョコチップやナッツを入れても美味しいと思います。ホットケーキミックスは、メーカーによって配合が違うので味がお好みではないときは、次回はお砂糖を足すなどご家庭で工夫してみてくださいね。よろしかったらどうぞ。 「簡単レシピの日記」
March 16, 2008
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夜、夫が玄関から入ると同時に、カサコソとコンビ二袋の音。しっかりと聞き耳を立てて、にこにこと待ち構え、母子はお菓子の箱を受け取りました。子供の方は、リボンのかかったカラフルなパッケージで、中味はマドレーヌとトリュフチョコ。マドレーヌに夫は強い思いがあるようで、子供の頃、オーブントースターのレシピで完璧にこのお菓子を作ったそう。「お祖母ちゃんからほめられた」と、何度も何度も繰り返しつつ妻と子には1度も作ってくれたのことのない☆我が家にとっては「まぼろしのお菓子」です☆私の方は、淡いグリーンのパッケージに入ったチョコレート。このカンパニーのチョコレートを、バレンタインのときに渡した際、「お返しは何がいい?」と聞かれ、「チョコレート☆」と応えたのを覚えていてくれたようです。受験がようやく終わった直後で、母子ともどもすっかり気がゆるみホワイトデーだということは忘れていたのですけれども、夫のおかげで心なごむ夜になりました。皆さまはどのようなホワイトデーを過ごされましたか?
March 15, 2008
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次回は4月5日(土)夜7時からの二時間スペシャル。ゲストは東国原英夫さんと、松居一代さんです。***スーパースターを任じている方のさらなる学びとは。江「秀樹さんは先ほども『病気も気だ』とおっしゃったけれども本当にこの国には、元気を与えてくれましたものね。力、パワーというものをTVを通して与えて下さった。やはりそういう役割、秀樹さんの人生というのは、常にご自身だけじゃなくてやはり人と共有する、人に伝えるとか、元気を与えたいとか常にそういう人生なんですよね」西「好きですね、とにかくそういうことが。多分それが、一番の元気の元なんでしょうね」江「でもそれって、実はよくよく思い出すと、お父さんが一番望んでいる人生ですよね。ずーっとおっしゃっていた…」西「父にはね、申し訳ないなー、と思うんですよね。『何でお前』当時、言うことに耳を貸さなかったんですね。今になって、自分が親になって『ああ、ちょっと話したいよなあ』『どう感じてくれたかなあ』とか今は思いますね、本当に」美「お父さんは聡明な方でいらっしゃるから『こういう風な人間になって欲しくないし、こういう風になったら大変だ』ということばかり、危惧していらしたのね。ということは、私は芸能界をずーっと見てきて自分を含めてそうなんですけれどね、自分の価値感と市場価値とを混同しちゃうんですよ。自分とか自分の周りは、神様みたいで、大スターで偉い人だと、自分も思い周りもそういう風に思うんですよ。ところが別な世界から見ると、何の価値もない。『何で存在してるんだか、関係ないよ、あんなの』という世界も、また一杯あるわけですよ。そこのギャップみたいなものが、ずーっと…若い頃というのはね。若くて有名になったスターさんて、今までずーっと見てきたらそのスター本人と周りのプロダクションとか、扱いとか、ズレまくっているのね。それに早く気が付く人と、気が付かない人がいるの。そこが恐ろしいの。だから私、それに気が付くまで大変だったの」西「昔から言う『商売の器』というね、それはいろいろ感じ出してもそれはそれで置いておくんですよ。まあ自分で言うのもおこがましいんですけど生活の上でスターになりたいなって。つまり人生でね、そういうことを感じ出した…」江「やはり秀樹さんはやはりスピリチュアルな方でねいまおっしゃった言葉があるでしょう?お父さんがおっしゃっているの。『人生のスーパースターになりなさい』って。そのままおっしゃっているから通じているんですよね、全部が。お父さん自身が、実は秀樹さんにはものすごく夢を持っていたらしいんですよ。特に商売、事業に対しての夢をやはり持っていて。お父さんってすごく負けず嫌いの人で人には見せなくても裏で努力する人、コツコツと。それでずーっと、小さい時から生きてこられたところがあるんですよ。わからないところで努力して、すっかり知識を身につけて…とかね。こうおっしゃるんですよ。『数字も本当に、自分で独学で勉強した』これがね、最初から教えてもらっていたらもっと。『自分は出来が悪いわけじゃない。環境がなかったから、自分でコツコツやった分一つ一つ覚えるのに時間がかかった。でも、それで身に付いたとは思う。だからそれは自負している、自慢だと思っている』『でも息子には、次の段階から出発させたい。それが別の世界に巣立っていった』でもお父さん自身も音楽はお好きだったし、そういった意味では影で応援はある。けれどもやはり、自分がいっぱい現実を知っているんですよね。『そんなに世の中は、楽に渡ってゆけるものではない』とか…」美「特にあの時代はね」江「…知っているから。そのときお父さんは何を思ったか。『一日でも長く自分が元気でいて、万が一戻って来た時でもすぐに道が切り替えられるような準備だけしておけばいい』」西「そうですね。本当に苦労した人だからね…。本当に申し訳ないんだけど最近になって、亡くなってわかることが、いま多いですよね…だから、彼の息子で良かったと思っていますけれどね」江「でもね、今のスターと、秀樹さんの時代のスターって忙しさの度合いが違いますでしょう?ものすごく大変だったと思うんですがそんな中でもお父さんは『いや、結構会った』と言うんですよ。『本当だったら、もっと会えない。それでも自分は会えた方だと思う』『男同士はそんなに会話するでもなく』…」西「細かい会話はないですね、全然なかったですね」江「というよりも『いらない』と言うんですよ。『男同士だから会話もいらないし、気兼ねするのも良くないし足を引っ張りたくもないし、というものもあるから、たまに顔を出す手紙を出すということで、認識してさえくれていればいい』という感覚。先ほど、認知症だったとおっしゃったけれども確かに息子という意識は薄れたかもしれないけれども秀樹さんの顔を見たときは、全部蘇える」西「母親のことは分からないんですよね、兄も、姉も。僕だけなんですよ『ヒデキ』母に聞いたら『それは多分『西城秀樹』のことを言って、あなたは息子だと思ってないのよ』と言われたので『そうなのかなあ』と思って」江「いや、西城秀樹も息子も、一緒だったと思いますね。だから会えば、パッとその時は蘇える、感覚的にね」国「『結婚しないのか?』というのも、息子に言っていた…」江「魂から出たんでしょうね」国「結婚されたことは…」江「もちろん、わかっています」西「そう、それが一番伝えたかった。『子供がいるんだよ』って」江「もちろん、全部わかっていますよ。お墓に来て下さったこともよくわかっているしちゃんと伝わっているんですよ。『みんな揃って来てくれた』あり得ないって言うほど、驚いたみたい☆」西「ああそう、行ったんですよ、みんなで、子供を連れて」江「それは驚いたらしいんです。だからそれもあるんだけど…(長い沈黙)ちょっとごめんなさい…(立ち上がられて、西城さんに長い耳打ちが始まります)…」国「久しぶりの…パターンですね」美「久しぶりね☆そう…」国「勝俣さんのときにあったなあ…」江「(座られて)ごめんなさい、ちょっとプライベートな、秀樹さん以外のことなんです」美「今日のメインの話」江「本人に、やはり一番伝えたいことってあるじゃないですか」美「何故、今日、秀樹さんがここにいらしたかというのを。今の話が肝心だから、ここへいらしたわけ」国「何をお話されたかは別として、メインと言っていましたけれども先ほど耳打ちでお話されたときに、それを聞いた西城さんはどう思いましたか?」西「これからいろんな展開が来るだろうけれど、しっかりと自分の自分たちのいろいろなことを考えなさいというね。とても『ああ、親父らしいな』もし生きて、話をしたら『それはそうしなきゃいけない』と言っただろうな、という感じを受けましたよね。久しぶりに『あ、親父っぽいな』って言葉でしたよね、言っているメッセージがね。そういう風に言われて、今日会えて、本当に何か…ちょっと気持ちが落ち着いたというか…よかったなと思います」国「三ヶ月前、会いたいなと思ったことが、わかったということですよね、今日」西「そうですね。多分、さっき江原さんがおっしゃったことだったんだろうなという…」国「なるほど」江「全然、余談なことをひとつ質問してもいいですか?お父さんからなんですが『お子さんが芸能界に入りたいと言い出したら、どうします?』」西「いやぁ、どうしますかね☆…普通でいて欲しいんですけどね…普通でいて欲しいんだけど、どうも好きみたいなんですよね、三人共、感じとしては…それは多分、応援は…変な応援はしないですけど…あの…『自分で頑張ってみなさい』位は…言うかもわからないけど…ここは親父と似てるね☆苦しいね☆」江「お父さんの気持ちを、一番そこで学ばなくちゃならなくなるかもしれませんね☆」西「これは苦しいね☆…好きなことをさせてやりたいなとは思うけれども…」国「でもお父さんも、そういう気持ちだったんでしょうね」西「まあ、その時は、僕にはそういう風にはうつってなかったんですけれどね。いま思うと…そうなのかな…言葉が詰まっちゃって…☆」江「その質問をするお父さんが、嬉しそうな顔をしてね☆」西「困っちゃったから、手を今、自分でつねっている、さっきから☆…困っちゃうね☆」美「『子を持って知る親の恩』というのは、そういうことね☆」西「それは思いますよ。よくしてもらったなということは、自分で思っていますけれどね」江「『同じことができるか?』と」西「それは今、僕の本当に課題ですよね」【スピリチュアルメッセージ】☆ 病気にはメッセージがあります。西城さんの場合は「弱い人の心を学ぶこと」これからは「人生のスーパースター」を目指してください。【オーラの言葉】☆ 「黒」を知れば、生成りの白さが分かる。苦しみや挫折を知らなければ、幸せは分からない。しゃべる、見える、歩ける、すべて幸せ。☆ 太一くんからのお知らせ国「3月22日(土曜 夜9時~)に、スペシャルドラマがあるんですけれども『いのちのいろえんぴつ』というお話でございまして…」余命半年の少女の物語で、太一くんは少女の学校へ新任教師として登場されるそうです。美「今の時代に、一番必要なものじゃないかしらね、こういうものは」国「ぜひ、美輪さんと江原さんにも観てもらえたらなと…思い、お二人も勉強してもらえたらなと☆」美「勉強させてもらいます☆」「いのちのいろえんぴつ 番組HP」↓ドラマのことについて太一くんが触れている回の日記はこちら「12色のえんぴつ」読んでいただいてありがとうございました。
March 13, 2008
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ご長男が生まれたことも、回復への力になったようです。西「すごく不思議ですね。その日は軽いんですよ、体が。体も軽いし、よくしゃべりもできる。『あ、これは何かあるな』と思ってそこから頑張ったら、またどんどん良くなって。そうすると、自分に自信がつくじゃないですか。その時、たまたまドキュメンタリーとかいろいろなのを観て『もっと大変な人がいるんだ』と思った時に自分は『やることはやろう』という風に思ったのかな。死に対しての、これからの付き合い方とか。それは生きることを、三日でも四日でも、十年でも二十年でも楽しく一生懸命生きることだ、ということを感じるんですね。それまでは、鳥のさえずりを聞いても『いいな』と思ったことはなかったですけれどやはり変わってしまうんですよ。それから子供や女房に対する考え方も、ものすごく変わりますね」国「病気になる前というのは…」西「やはりどちらかというと、考え方が亭主関白風だったと思います。それが何と言うんだろう…普段怒るところを、そうじゃなくて『聴く耳を持ってあげたらどうなるだろう』ということを、自分で試し出してゆくんですね。例えば、マネージャーと何か言い合ってもそうだし、女房とでもそうだし『何で怒っているんだろうな?』という、そこから入るわけ」国「自分でも驚く部分というのはありますか?」西「『俺はこんなに変わるのか』信じられない位ですね。それは『歳をとったから、齢を重ねたからかな?』と思ったんだけどやはり病気が大きいんじゃないかな。病気をした後に、知ってからの、折り返してからの歩き方がちょっと変わってきたような感じがします」美「いろんなものが見えてきたんですね」西「そう、本当に」国「リハビリを経て、万全な体調に戻った時に、一番嬉しかったことって何ですか?」西「自分が子供と一緒に遊んであげられることとかやはり健康でいろいろやっていることですよね。健康であれば、何もいらないですよね。もう、何でもできると思いますよ、僕は」国「本当に些細なことがもう嬉しくて…」西「そうです。だからさっきの、コップを持って、ここに持ってくるということが当たり前だと思うけれども、当たり前じゃないということを、経験しちゃったものですから。『食べること、美味しいな』『つかむこと、素敵なことだな』ということを感じるわけです。そのために、箸で豆をつまむような練習を、ずーっと何年もやるわけですよ」美「だから本当の幸せというのは、いつも私が言うように真っ黒のそばに、生成りのものを置いても真っ白に見える。ところが黒を知らないで、ずっと中途半端な生成りで来た人は横に真っ白のものを置いても、その白の白さがわからないの。それと同じで、いろいろな苦しみとか、挫折とかそういうものを知ると本当は幸せなんだけど『何でこういうものが幸せなの?』と思っていたのがひどい目に会ってみると『あ、こんなことも幸せ。しゃべられるのも、幸せ。見られるのも、幸せ。歌えるのも、幸せ。歩けるのも、幸せ』だから、幸せな人だらけなのね、本当は世の中の人は。視聴者の皆さんも、みんな幸せだらけなの。だけど幸せだという風に、全然思わないのね、見過ごしているから」西「それをやっと感じたんです」国「奥さんは妊娠しながら、西城さんの面倒も大変だったと思いますけれど…」西「僕には絶対、言わないんですが、人から聞いた話では『ものすごくうろたえたんだけど、子供もいるし、しっかりしなきゃいけない』と思ったらしいですね。それがあるから、頭が上がらないんですけど、それは感謝してますよ」国「もし、結婚してない状況で…」西「死んでますよ、多分。結婚してなかったら、死んでましたね、間違いなく。あの…結婚してるから、あの病気にもなったけれども、違うことも得ましたからね。『あ、こうやって生きなきゃいけない』という。やっとまともな考えに、少しなってきたところもありましたので。ただ、早いうちにいろいろな病気になって、まあ良かったかなと今は思っていますけれども」日本医科大学神経内科・片山泰郎教授のお話☆ どんな人が脳梗塞になりやすいのか「高血圧、糖尿病、高脂血症といった方は、もっとも起きやすい方ですね。そのほかに、肥満、メタボリックシンドロームというものも気をつけなくてはいけない因子ですね」☆ 脳梗塞の予防法「栄養バランスの取れた食生活、充分な運動、それから水分をこまめに充分摂取していただくということが、脳梗塞の予防に繋がると思います」江「これは一つ、夢物語と思ってください。秀樹さんはね、今生においては大スター、スーパースターだけれどもスーパースターって大変だと思うんですよ。だけど、あまり苦じゃなかったんじゃないかな、というのは変なんですけど…前の生では、いわゆる武将みたいな人、中国とかの方の景色ですごく凛々しいお殿様なんですよね。逆に言うと、そっちの方は慣れているんだけれども下々というか、そっちの方がね…。先ほども『何でそう怒るのか』とか『悩むのか』ということがあまりわからないということがあって…」西「そうですね。だから本当に、ちょっとしたことがわからないんですよ。それを最近、自分は感じ出して…『何で?』という。逆なんですよ、人よりも、逆に戻っている。ある意味で、パートナーである女房にまともなことを少し教えてもらったようなこともあるんですね」江「実は病におけるメッセージがあって、それは親としての気持ちもそうだし夫としてとかも。要するに、弱い人の気持ちを全部学ぶために。私は映像で見えてびっくりしたのが、さっきも言語指導の話もあったんですけどその他のリハビリにおいても、あの…スーパースターだった人が他の患者さんとかいろんな方に接するって、すごく辛いものがあると思うんですよ。一患者さんに、ちゃんと徹してやったんですね」西「そうなんですよ。本当に、何だかそう思えちゃった。だからそのときの自分が一生懸命だったので『結構、俺、好きだな』ていう…その気持ちが、毎日リハビリをしようという風に、良くなるから頑張っちゃうわけですよね。それも不思議なんだけど…」江「当然、いろんな患者さんがいて、自分も一患者として『はい』って従うって、結構スーパースターの方というのは私の想像ではやはり大変なことだと思うんだけれども全く素直に応じていらっしゃる映像が見えて。少し話は戻りますが『幽体離脱もどき』。秀樹さんはね、例えは難しいんだけれども…『オペラ座の怪人』ってミュージカルがあるんですれどね、あの主人公の女性のようにいつもレッスンを受けているわけですよね、何かこう…催眠術がかかったみたいにして。それと似ていて、そういう経験をしながら、大ヒット前にそういう現象がいろいろ起きているんです、常に。何曲もヒット曲をお持ちだけれども、その都度ブレイク前というと、必ず何かこう…ちょっと特殊な感覚になったり、見えたり感じたり…」西「ああ、その通りです」江「でしょう?何かがこう…だから恐怖にもなっちゃうかもしれない、意味がわからないから」西「自分でもわからないんですけれど、何が何だか…」江「大きな波が襲って来るような気分になったり、そういうことがあって。だから幽体離脱というのも、そのときにいろいろ起きているのは、実はある種、教育を受けているところがあって。だから『導かれてのスーパースター』だったんですよ」オペラ座の怪人ガストン・ルルーの小説を、アンドリュー・ロイド・ウェバーがミュージカルに。パリのオペラ座の地下に棲みつく類まれなる芸術家・ファントムが新人歌手・クリスティーヌをプリマドンナに導く哀しくも美しい物語。☆ 番組内で流れたのは、2004年に制作された映画に登場する名場面。守護天使として振舞うファントム(ジェラルド・バトラー)の力によって初主演したクリスティーヌ(エミー・ロッサム)の舞台が成功した後、礼拝堂で祈る彼女に彼が賞賛の声をかけるシーンと、地下の芸術の殿堂に誘われたクリスティーヌが、ファントムから共に至高の音楽を目指そうと望まれるシーンでした。麗しい音楽と映像が満載の作品、ご覧になっていない方はぜひ☆ 「オペラ座の怪人」およびジェラルド・バトラーのファンのの皆さま、「聖なる怪物」以来の嬉しいサプライズでしたね☆「オペラ座の怪人の日記☆」江原さん、「オペラ座の怪人」を例えに出して下さってありがとうございます☆☆番組スタッフさん、一番美しいシーンを映して下さって感謝いたします☆☆☆続きます☆「オーラの泉の日記」
March 12, 2008
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お父様が亡くなって二年後に、西城さんはご結婚され、お子さんもご誕生。ご家族のためにも仕事に力を入れていた時ラクナ脳梗塞(脳の深部の細い動脈が動脈硬化を起こして小さい梗塞を発症するもの)に。国「どういう状況でなったんですか?」西「あの…済州島(チェジュトウ)で、韓国ですね。あんまり何か具合がおかしいので友達の医者に『これ何だろう?』『多分、梗塞かもしれない』『それ何?』上手くしゃべれないんですよ。平衡感覚がなくなって、歌で言うと、音楽の音程が取れない。それでも『どうしたらいいかな?どうしてもディナーショーをやらなくてはいけないんだけど』何とかしのいで、キーを下げてやったんですけどまあ…はちゃめちゃでしたね、ひどくて…それでもやりましたね。それであの…失語症というか、その三ヵ月後に『水』ということが言えないんですよ。コップにある『それ、水だよね』というのが言えなくて『………』とこれぐらい時間がかかる」国「水だということが理解できないんですか?」西「いや、水はわかっている、言葉にできない」国「言葉が出ない」西「言いたいことがスッと言えないんですよ。『困ったな、これは…』三ヶ月過ぎると、どんどん悪くなっちゃう。うつ病になったりとか『このままじゃ、もうちょっと生きてゆけないな…』みたいなことを考えてしまうような。やはり、そういう風なものなんですって、後遺症としては。半年後ぐらいになると、今度は『三歩進んで二歩下がる』みたいなね。一歩はよくなっているんだけど、もうわからないんですよ、自分で。『どんどん、悪くなっているんじゃないかな』と思って、どんどん落ち込んで…一年、二年…二年たっても苦しかったですね。三年たって初めて『あ、何か治す気になったな』という、自分が」国「気持ちが」西「だから病気も『気』だし、元気も『気』だし、ヒデキもキだし☆やはり『病は気から』というのはここから始まっているんだな、ということを理解しましたね。治す気がなかったら、病気は治らないんですよ」国「三年かかるんですか」西「かかります。それでその間に、自分との格闘があって、あの…リハビリに頑張っている自分が、こんなに自分で一生懸命、頑張ったことはないからだんだん好きになるんですよ。『あ、僕はこんなに自分で頑張って…何か、いいな、こういう人生も』ってその…考え方を変えるわけ。今までの自分と、比較しちゃいけないですよ。『70%でいいや。この70%を上手に利用してやろう』ということで逆に肩の力が抜けて、いろんなことができるようになった」国「それは何かきっかけみたいなものは?」西「やっぱり家族ですよね。僕はこの世界、辞めようと思いましたから。もう、歌えないと思ったんで。世の中『元気になって良かったですね』ばっかりじゃないですか。でも、その『大丈夫です』と言いながら、頑張らなきゃいけない自分が辛くなっちゃったんですね。『俺、辞めようと思う』と言ったときに、女房が『ゆっくり時間がかかって病気になったんだから、ゆっくり歩いて、治していこうよ』という、時間のかけ方をね、言われた時に『そんなに焦っていないんだ、俺より。焦っているのは俺なんだ』って悟って『子供も生まれたし、よし、じゃあ一緒に』初めて一生懸命、自分を治そうと努力したんですね。言語障害の子供たちを教える先生に、一緒についてトレーニングするんですよ。もうね、涙が出ちゃう、最初は」国「どんなトレーニングを?」西「あの…舌の筋トレっていうんですかね、冷やしたり、温めたり、刺激を与えたりそれからアナウンサーがやるような口の開口ですね。(口唇運動訓練…口を動かして筋肉や神経に刺激を与える、構音訓練…発音をして音を正しく出す)それだけじゃなくて、今度は有酸素運動で歩いて、血行を良くして…全てのことをやらなくてはいけない。それをやっぱり…四年続けてやっと…『やっと、まともになったかな?』という感じですよね…」国「そもそも、病気の原因というのは?」西「これがね…あの…結婚して、長女が生まれて『この子のために、よし、頑張ろう!』っていう気が、まあ逆効果になっちゃったんだね。水を飲まない、サウナに入る、絞る、絞る…その脱水症状を引き金にラクナ梗塞になっちゃった」国「それは、ダイエットみたいな感じですか?」西「それもやったんです。ひと月に5キロぐらいとか…自分では、良かれと思ってやったことが、ものすごく嘘っぱちなやり方だったんですね。だからあの…本当によく聞いてからやった方がいいですよ。怖いです、ダイエットは」美「お水が怖いんですよね」西「水の飲み方をね、医者に教えてもらった時に『大変なんだな。のどが渇く前に飲むのか…』」国「水の飲み方を教えてもらうんですか」美「どういうことなんですか?」西「飲んでもすぐには、水分を吸収しないんですって。『飲んで、一、二時間して、初めて吸収してるので、それから運動しながらまたペットボトルでこまめに飲んでください』と」国「しないですね。一日やはり、2リットルぐらい摂りなさい、とか?」西「食事にも水分がありますから、それを入れて1.5リットルでいいですよ。続けられる量でね。夏場は1.5から2リットル飲めば、充分じゃないでしょうか」美「それまでは、どういう食生活でいらしたの?」西「もう、めちゃくちゃです。倒れるまでは、油物だ、暴飲暴食だ『さぁ、行くよ、もう一軒!☆』そんな感じだったんですけど、それはないですね、今は」美「それが全ての原因だったんですよね。暴飲、暴食…」西「全部、その積み重ねですよね、本当に。自分はスーパーマンだと思ったんだけど、スーパーマンじゃなくてやはりメンテナンスをしなくてはいけないんだと。女房なんかは、揚げ物だったら二度揚げてくれたりとかしてくれるので、本当に助かります」国「そのとき奥さんは、二人目をお腹に…」西「ええ。医者に『言わないで下さいね、お腹に多分、いると思うのでショックを与えないで下さい』ということは、ろれつが回らないんだけど、ある程度言ったら『脳障害です』ってすくに言っちゃって☆だんだん事情がわかってきて、食べられるようになったら、病院までごはんを作って来てましたから。病院でもちゃんとカロリー計算があるんだけどさらにカロリー計算してくれて、できるだけやってくれたんですけれど。子供も会いたいだろうということで、二、三回連れてきたんですよ。でも、子供は病院に連れて来ない方がいいからって僕が…」美「でも、女の人の切り替えの早さって、もうつくづく…お思いになりません?」西「強いです。『参ったなあ…どうやったら、今後勝てるのかなあ』と思って☆一番痛いところを、グッと握られた感じですよね」江「痛みのわかる方ですね、お若くてね。話を聞いている中で、どんどん見えてくるのは奥さんのことなんですよ。本当に、慈愛というのかな、慈悲とか慈愛とか…お若くていらっしゃるけれども、いろいろな精神的な苦労をなさってきた方ですね。ご家庭のこととか、ちょっとそういうことが垣間見えて…」西「そうですね」続きます。***これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
March 11, 2008
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脳梗塞から見事に回復された歌手の方がゲスト。【スピリチュアルチェック】☆ 小さい頃なりたかった職業→ミュージシャン。ドラムのミュージシャン。☆ 毎日欠かさずすること→ウォーキングとストレッチ。☆ 不思議な体験→幽体離脱もどき☆☆ 人生で一番辛かったこと→父の死…ですかね…☆ 将来の目標→いつまでも健康で歌えることです。国「さあ。西城さんは美輪さんとはもう、共演とかお仕事を…」西「ないです。お会いはしてるんですけど、あまりお話はしていない…二、三ヶ月位前から、何か知らないけれど『ああ出たい、出たいな』っていう気が起こって。何でそういう気になったのかはわからないんですけど、そういう心境多分いろんなことがあったんですよね」国「不思議な体験も『幽体離脱もどき』というのは、どのような?」西「疲れて、本当に何も考えない、無の状態の時に起こったんですね。確実に心臓がドキドキしているので『お、何なんだ?』と思ったら、下に僕がいたので。『あれ?これは悪い霊かな?』と最初は思いましたね」国「これは『もどき』じゃないですよね」美「それはどちらで?」西「自宅、マンションです。その後、上に飛ぶんですよ。あの…風景は見えず、風を感じてね、とにかくひたすら上で。それで『怖い!』と思った瞬間に戻る、バーンって。それでドキドキしてる。『何だったんだろう、今のは?』というので、まあ『何かとり憑かれた』と思ったから、もう怖かったです」美「いつ頃ですか?」西「24ぐらいですね、ちょうど『YOUNG MAN』が出るちょっと前ですね。手を見ると、汗なのか、何か金の汗みたいな、何か光っているんですよ」美「金粉が出たのは、覚醒して、起きてからですか?」西「金粉は幽体離脱が始まる前です」江「西城さんほど、ある意味でね、スピリチュアルな方はいらっしゃらないんですよ。だって人生をずーっと遡って今日まで、本当に奇跡の連続みたいな方だから。あの…肌身でスピリチュアルを感じる方だと思うんですよ。『何かこれは、自分だけの世界、自分だけの意図じゃないな』っていういろんなことが…」西「そうですね、そうだと思います」江「ひと言で言うと、すごく強運な方、守られている」広島県出身の西城さんは、お父様の影響で小学生の頃からバンド演奏を始められます。国「お父さんがジャズをやっていたんですか?」西「やっていたというよりは、趣味で好きだったんですね。そんなに上手くなかったんでしょうけれど、ジャズギターのギブソンのクラシックギターがあったんですよ。それをポロポロ鳴らしていたら『どこか音楽学校でも行くか?』というので、小学校3年のときにジャズスクールというところに。普通の子はまあ、塾に行くじゃないですか。行かせてくれたので、兄はピアノで、僕はギターで。習ったらはまっちゃって」国「じゃあもう自然と、夢というのはミュージシャンになることが…」西「ロンドンに住むのが夢だったんですね、小学校の時から。ビートルズが現れて、高学年、六年生位になってくるとビートルズに憧れて、わけも分からず『向こうで、音楽でごはんが食べれればいいや』と。『いいや』なんて失礼だけれど、そういう風に思ったんです」国「お父さんはどうでした?そういう夢を持っている…」西「その頃は言っていませんから。高校に入って、初めてスカウトされたときに『ちょっと音楽の道にいってみたいんだけど…』と言ったら、もうバッシング。『お前は、音楽で食ってゆけるのか』みたいなね、ひどいことを言われました」国「そうなんですか、『良かったな』じゃないんですか」西「いや、全然。もう全然、反対で。要するに『そういうことで生きてゆけないよ』『そんなに軽いもんじゃないよ』と言われてから、家から出してくれなかったです。それで半分、家出みたいな形で僕は上京しました」国「ということは、お父さんを説得して上京したのではなく…」西「それは無理ですね」国「お父さんはずーっと、反対しっぱなしなんですか?」西「あの…とりあえずヒットして、みんなにキャーキャー言われてももう頑として反対でしたね。『帰って来い』ただ、後からわかったことは、誰よりも先に学校の周りにポスターを貼ったりとか応援はしてくれてたみたいですけど。里帰りするとファンの方が来るじゃないですか。何千人と家の前に来ちゃったら、うちの両親は『可哀想だから、みんなにおにぎりを作ってやりなさい』っておにぎりを渡したくらいですから。それでケンカになっちゃうくらい。『そんなことしないでくれ』って」美「目の中に入れても痛くないほど、めちゃくちゃに愛していらしたのね。溺愛なんだけど、それが溺愛にならないように自分でコントロールして昔風な親御さんでね。つまり、儒教(孔子の教えを中心とする思想)というのがあったじゃないですか。そういう風な親の愛し方ですよ。お幸せでしたね、そういうお父様でね」西「ええ、そうですね」国「よく考えてみたら、僕の父親も反対してましたね」西「そうでしょう?☆」国「はい。13歳で事務所に合格しまして、それでいろいろやっていて。やはり親は、父親の方は反対してましたね」西「『そんなことで食べてゆけないだろう』って」国「そういうことですよね。『キャーキャー言われねえよ、お前は』みたいなことを言われたのを覚えてますけれどもね…そして一番辛かったことが、お父さんが亡くなられた時…」西「そうですね。あの…認知症になったんですよ。だから僕が息子だということが分からなくて『ヒデキ』なんですよ。西城秀樹のファンなんですよ、父親は。もう亡くなるだろうなとわかって、最後に初めて、ディナーショーに看護婦さんと来たんですよ。僕も『多分、来年あたりに死んじゃうな…』と思って本当に泣いちゃって大変だったんだけど、その時に、病院に戻るのでエレベーターが閉まる前に『秀樹、結婚しないのか?』カチャってドアが閉まっちゃった☆今はもう結婚して、子供も三人いるので『ああ…話がしたかったな…』ってねすごく思いますよね」国「その言葉は、息子に言っている言葉では…」西「違うんです、ヒデキ、西城秀樹のファンなんです。思うに、ずーっとTVを観て実家の方で応援していたんでしょうね。認知症になっているから息子だということは忘れて、兄の名前も覚えていないんだけど西城秀樹の『ヒデキ』は覚えている。もう、ヒデキとして応援しているんですよ」国「立ち会えたんですか?」西「それがね、『寺内貫太郎一家』という舞台をやっていてその千秋楽のパーティがあるので、それに出る予定だったんですけど、電話があって『危篤だから、あんた来られる?』というので、一応みんなに『ごめんなさい、出られないので、ちょっと実家の方に行きます』実家の方に行って、約30分ですね、目はつむっていましたけれども『お父さん、来たよ、左手上がる?』と言ったら、ちゃんと上がっていましたから来たことはわかっているんです」国「そこでは言葉は何もなかったんですか?」西「そうです。医者が言うには『秀樹さんを、ずっと待っていらっしゃった』僕は、行くとは言っていないんですけど、舞台が終わるまで痛み止めをしないで待っていたらしいんですよね。それはちょっと…『会いたかったんだな』『呼ばれたな』という感じはしましたね…」続きます。***これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
March 10, 2008

ヨガ講座などでお世話になっている方から、ラベンダークリームの注文をいただきました。いつもヨガを指導されるときにつけて、良いにおいを愉しんでいらしたのを、生徒さんたちからお問い合わせを受けて、ご紹介下さったそうです。アトピーのお子さんを持つ方も、改善されたと喜んでくださっているとのこと。補湿(水分を補う)と保湿(水分を保つ)が皮膚を守るためには大切なので風雨にさらされる蜜蜂の巣を強力にガードするミツロウ、紫外線カット効果もある太白ごま油(においのない透き通ったごま油)とそして炎症を鎮める働きもあるラベンダー精油で作るクリームは、肌の弱い方に良いようです。【Bottega Jollity (楽工房)】私も肌が弱く、紫外線アレルギーで一年中、手袋が欠かせない体質。このクリームを作るようになってから、指先がすべすべになるのが嬉しく周囲の方にも差し上げていたところ、かかとやお顔にも使う方が現われ「お風呂上りに塗ったら、すぐかかとがキレイになったの」「シワがなくなって、お化粧のりがすごくいいの」と教えていただき今では私も、全身をこのクリームでケアしています。風邪や花粉が気になる季節にも、のどや鼻まわりをガード。精油をユーカリやティートゥリーにすることもあります。夫は妻のフェイスケアにはかなり厳しく、車の助手席に座っていてもちらりとチェックし、シワなど見つけると、しっかり指摘してくれるので、なかなか気が抜けなかったのですが、このクリームにしてから、その頻度が非常に減りました☆クリームのほかに、石けん、化粧水も手作りで。家族や自分をケアしてくれるものが、周囲の方にも喜んでいただけることに感謝しています。 「美味しい手作り石けんの日記」
March 9, 2008
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「ややこしや」の野村萬斎さん主演かつ、新選組の絡んだドラマとのことで観始めた作品☆テーマ曲も好きで、スルメのようなシルエットの天狗さんが月光仮面のごとく現れ、バサバサと切り結ぶ立ち回りを愉しんでいたところ、いつのまにか録画を初めから観た夫も、放送を心待ちにするようになりました。誰も倉田さんが鞍馬さんだと気づかない、というなつかしやの設定に、夫婦で毎回つっこみを入れながらも、ドラマティックな展開に引き込まれます。鞍馬天狗という作品は、もっと古い時代のお話だと思っていたのですけれどもあと数年で時代がゴロリと入れ替わる、複雑かつ新しい風のなびく幕末のお話で新選組を敵役にしたドラマとのこと。特に副長さんの描き方は時に悪そのもので、出家を決意した女性までも巻き込む非情さ。大河に馴染んだ私には「歳さんはそんな人じゃないのに…」と思うことも度々でしたが局長さんとの固い絆がだんだんと見えてきて、最後は納得のゆく形になりました。それにしても、あの時代に生きていると、どちらが正義で悪なのか、どの瞬間に光と闇が入れ替わるのか、立ち回る当の本人にも分かりかねるような、曖昧模糊とした感じを印象を改めて受けました。矢も剣も鉄砲も飛び交う中で、正義と信じて突っ走っているうちに、矢面になった局長さんたちの行末を知っているだけに天狗さんと闘う場面もどちらにもつくことなく、みてしまっていて。ラストは二つの立場が止揚するようなシーンになっていたと思います。楽しめたのが、配役の妙。石原良純さんの演技はこれまで観た記憶がなかったのですが桂小五郎役、とても似合っておられました。幕末の裏社会を牛耳る悪徳商人の役で出演しておられたのは、石黒賢さん。演技や声の高さを大河のときの桂小五郎と同じようにしておられたので、「桂さん、なぜ日本を外国に売ろうとしているの?」石原さんと石黒さん、特に幾松さんのお座敷にいるときはどちらが桂さんか混乱しそうだったのも、ああややこしやで、面白く☆鞍馬天狗といえば、杉作少年。明智さんには小林くん、ホームズにはウィギンズのごとく、正義の味方には少年役がつきもの☆その杉作くん役の可愛らしい男の子、どこかで見たことがあるなあと思っていましたら「しゃべれども しゃべれども」で見事な落語を披露してくれた森永悠希くんでした。映画のときよりも少し大きくなっていましたが、非常に上手い俳優さんです。頭巾の隙間からほんの少し覗いた野村さんの目と眉の演技に魅せられたこの二か月、「あ~天狗が終わっちゃったよ~」と第八回を観終わった夫。ヒーロー物が最終回を迎えたときの、寂しくも清々しい感覚なのでしょう。「続編がきっとあるわよ。」「正体がわかってしまったからなあ…」いかがでしょうか、NHKさま。 「NHK 鞍馬天狗HP」
March 8, 2008
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中学生の子供の卒業式に。小学校のときは、もう少し暖かくなってからでしたのでコートなしのスーツだけで行ったように記憶していますが今回は、春とはまだ名ばかりの三月初旬。しっかりと冬コートを着込んで参ります。会場は体育館。受付をすませ、小学校時代からご一緒させている方々と席に。君が代を歌い、ひとりひとりに卒業証書が手渡されるところを見守り、先生や来賓の方々の祝辞をお聞きして、送辞、答辞へと進みます。答辞を読んだのは、小学校時代、子供も遊んだことがある女の子。「G線上のアリア」が流れ、中学時代の出来事がひとつひとつ淡々と述べられる中にも、そこかしこに溢れる感情が垣間見えて。式に臨んた多くの方々が共感し、涙しました。合唱曲の一曲目は「はばたこう明日へ」。「青い空のかなたへすすめ」「無限の夢を抱きながら」二曲目は「旅立ちの日に」。「勇気をつばさにこめて 希望の風にのり」「この広い大空に 夢をたくして」こちらは小学校でも歌いました。名曲ですね。入学式以来、ほとんど聴いたことがなかった校歌も。創立60年あまりとのことで、おそらく終戦直後に作られたのでしょう、マーチのような曲調でした。式が終り、拍手で卒業生を見送ります。校庭で、いつまで話しても話し足りないようにしている子供たち。聞いてみると、これから近くのファミリーレストランなどで「打ち上げ」と称する集まりが開かれるとか。親である私のときは、中学生同士で飲食店に繰り出すことなど(表向きには☆)言語道断でしたから、そういった発想そのものがなく、まだほとんどの生徒は公立の受験が控えていたこともあり、名残惜しく思いながらもみな家路についたように思うのですけれども。「あなたも行くの?」と聞いてみると「行くわけがないよ」とのこと。当時の母と同じく、まだ本命の公立受験を控えている身の我が子なのでした☆ご卒業された皆さま、親御さん方、おめでとうございます。あっと言う間の三年間でしたね☆「卒業式1」
March 7, 2008
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今夜8日のゲストは、西城秀樹さんですね☆***お若いながら、非常に老成された中村さんに伝えられるメッセージとは。江「美輪さんもおっしゃっているんだけれども、もちろんこの現世の中で、太一くんも『自分は今になって気づいた』って言うけれども、以前に言ったことがあるんですが『肉の歳』と『魂の歳』というのがあるんですよ。これはとても違うんですね。『肉の歳』というのは、この現世に生まれてからの実年齢、肉体的年齢。『魂の歳』というのは、要するに精神性の年齢なの」美「精神年齢」江「これもスピリチュアルなことでね、非常に不思議だと思うんですよ。例えば中村さん、まだ弱冠20代に入ってすぐ…」中「22歳」美「22?まあ、なんて大人なの」江「でしょう?」国「大人ですよ、話すことが」中「とんでもないです」江「そういういろんな経験をしたから、ではないと思うんです。元の…これこそ目に見えないことで、これは夢物語と思ってください、それこそ魂というのは、太一くんは『今ごろ気づいた』って言うけれどもそれでも気づかないから、何回でも生まれてくるものなんですね。それこそ、あの手この手と自分の立場を変えたりして…」中「聞いたことある…」江「はい、そういう今までの経験が、かつての経験が多い人は若くても凄く落ち着いていて、物事の考え方も深く知ることができ…美輪さん自身が、例えば年齢を重ねて今ある、それはそうかもしれないけれどそれだけではない。だから、四つ五つのときからも、いろいろと自分で判断でき自分で本を読んだだけでも理解でき…」中「アポロンをイケメンとは言えませんよ…☆」江「だから中村さんにおいてもそうで、最初に言ったように『この世に無駄に生まれてくる人は一人もいない』みんなちゃんと意味を持って生まれてきて誰もが祝福されている存在であるということ。一番大切なのは『自分の役どころをきちんと受け入れて、そこから立ち向かって生きること』なんですね。それを『嫌だ、嫌だ』と逃げたら、棒に振っちゃうんですよね、もったいないことになっちゃう。真正面から、卑下せず、自分の個性でまず自分が自分のことを受け入れてあげなかったら…」中「そうですよね」江「でしょう?そこでね、ちょっと話はそれますけれどもお母さんにくっ付いていたいがために、生まれてきているのね。これは不思議なんだけど小さいときからお母さんをお母さんと思う現世の気持ちもあるけれども一人間として、ずーっと分析して見てしまうでしょう?『この人が一人の人間として、こういう考え方をするんだ。だから今までの人生がこうなる』幼いときから、すごくお母さんのことを人間観察していて。もちろん、育ててもらっているから現世側の方では感謝。精神の方の側では、いつも友達のように、寄り添ってなぐさめてあげる存在」中「うん…今、びっくりしました。あの、大人の中で育っているせいかなと思っていたんですけど『同じ人間なんだから』という風に思って母ともその周りの人とも接しては…」江「肉体の上では産んでもらったし、子供という立場でいるんだけれど精神の方では悪い意味じゃなくて、対等であったり、逆に『助けるべきところは助けなくちゃ』」美「普通のやんちゃな男の子のように『ママ、ママ』といってずーっといつ何時でも親子の関係で成長していって、成人を向かえた…そういう関係ではないということ。つまり、親子で、小さい男の子とお母さんという立場であっても心の中では母親に対して『疲れて帰ってきた』『いろいろ仕事もしている』そうすると親友の女同士のように『ねえ、あなた大変よね、愚痴を言ってもいいわよ』『泣いてもいいわよ、胸を貸してあげるから泣きなさい』という風な感じの。そういう気持ちでお母さんを見たりとか『この人も大変ね』と思ったりとかいたわりとか、そういう目で見たりもしていたでしょう?ということをおっしゃっているの」中「あの…助け合うことも同じ人間同士なんだから当然だろうという考えがあるのでそう接していたように思います」江「中村さん、ごめんなさいね。本当はこうやって表に出ているけれど『小さいときから、それは自分自身がそういう個性だから』とかと関係なくお母さんを分析したり、支えたりはするけれども本当に人をなかなか好きになれないというか、不信がある。だからちょっと『窓からこんにちは』くらいには人と関わることはあるけれども『人と関わることが好きだから』とスピリチュアルチェックでおっしゃったでしょう?あのときから『違います、違います』っていうのが聞こえていて『自分で自分のことを嫌いだ』って…あなたがね」中「はい…」江「『まず、自分を好きになりなさい』ってね、美輪さんがよく言う『原罪意識の強い方』なんですね。何か『罪である自分』から考えてゆく」中「…ありますね」美「いろいろ持っているの、原罪意識をね、自分の中に」江「そこで大切なのは、だからどうしてこうやって表に出たかというと人との世界になるべく、人の心をよく理解してゆくということ。そうして氷が溶けるように、心を溶かしてゆくということ。好きな人を追いかけているときは楽しいとおっしゃっていたけれどもそれって、心の、空想の中で追いかけているのが楽しいんです。現実に関わるのは怖いというか…」中「そうですね、言わされていたのかな…もちろん自分の好きなところ『そんな人との関わりが嫌な自分でも、人を好きだと思うことから逃げられない自分が好きだ』そういう意味だったのかなって。人との係わり合いを0にしてしまうことができない。そういう正直さがどこかにあって、そういうところを見たんだと思います」美「それで、歌ができるんですよね。そういう葛藤がなかったら、歌なんか作れません。また、歌えません…そう」江「それだけ強い思いがあるから、伝わる、人にね」中「なるほど…」江「歌という音楽を通して、そこに人生哲学を得て、より理解して、無知を知に変えてゆく。そうすれば、何も怖いものはない。恐れをなくしたとき、堂々と恋愛じゃなくて愛せるようになる。恋愛と愛は違いますから。どうしても恋愛は、やはり自分を守ろうとする。自分を愛する方向。愛というのは、相手を愛すること。そのときに恐れは何もないですから」中「…恐れ入りました…」国「今日は本当にヒントになって、また新たな気持ちで向き合うことができたわけですよね」江「それができたら中村さんね、自分の全領域に人を入れることができるようになりますよ。あと、自分の物。あのね、アーティストだからある意味でセンシティブなんだけど『これは人に触れさせないもの』というのがある。なんてことないものでも心許す人じゃないと持たせない。すごく仲良しの相手でも『ここから先は駄目。入れません』という…お家でも何でも中に入れる人は特定になっているし、最後の領域はね。それがちょっと不自由になっている感じなの、見てみると。だから、どんどん恐れなくていい、本当の自由を得られるようにこれから学ぶ、歩む中で…」中「そうですね。いろんな人たちに触れ合って。一番近くに来てくれる人は、そのときは愛する人であって欲しいです…」江「そうです、なりますよ…メッセージがあってね『これからが大変ですよ、正念場です』今こうやってご活躍されているけれども『まだまだ本当の理解ではない』本当の理解ということを深めゆく、求めてゆくと共に、ご自身がアーティストとして本当に思いを深めていかなければならない。力を発揮しなければならない。ただですらここ最近、自由を失っていることへの…自由というのは作品でも、自分の活動でも、自由を失いつつあることへの恐れが中村さんの中に芽生えてきているというようなことがメッセージにありましてね…今まではもっと自分の心のまにまに、いろいろチャレンジしたりするんだけれどもどうしてもここまで活躍すると、社会の中の型に入れられてしまうところがある。そこからもがいて『どうやってまた自分自身を発揮するか』という自分との勝負なのかな…」中「そうです」江「何かそういう風なことがあって『でもそれは必ず、脱却する日が来るんだ』と。『そのことだけをちゃんと心に留めて、歩んでいってください』というメッセージがあるんですよ」中「…望むところです」江「だから今日はね、映画で言う予告編をご覧になりに来たみたいなものです☆」中「なるほど☆まだ放送してなかったんですね☆」国「また放送したら、ぜひ来てください、気になるので」中「もちろんです、放送しましたと☆現れます」国「さあ、中村さん、今日はいかがでしたか?」中「何だろう…あの…これからも『人生、望むところだ』というところですね」国「覚悟じゃないですけれども、やってやるぞみたいな気持ちになりましたか?」中「肝が据わりました」国「自分を好きになってなかったんだという発見も、もしかしたら」中「そうですね。それは言い当てられたな、一本取られたなというところでしたけれども」国「僕もチェックを聴いているときは、『人が好きだ』ということを話していたのでそういうイメージだったんですけれど」中「好きなんですよ。好きなんですけど…」国「どこかでシャットアウトしている部分もあったりして…」中「…かもしれないですね」国「いやでも、しっかりしてるよ、びっくりするもん☆僕、今日の話、最後だから言いますけど、六割ぐらいしかわからなかった☆」【スピリチュアルメッセージ】☆ 自分の役どころを受け入れて、立ち向かうことを忘れずに。これからは自分との勝負。罪の意識を捨てれば、もっと自分を好きになります。【オーラの言葉】☆ 人をいじめるのは、自分がコンプレックスの塊だから。自分に自信のある人は、人に優しい。読んでいただいてありがとうございました。***これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
March 5, 2008
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4、5歳の頃にはご自分の性癖を自覚し、受け入れていたという美輪さんは中学生で神話の中に同じような記述を見出されます。美「自分がそういう性癖があるということ、それを『自分だけがおかしいのかしら?』とか『周りはそういう人はいないんだろうか』とか、いろいろ調べたり、比べたり…例えば私が自分がそういう風だということがわかったのは小さい頃からで開き直っていたし、隠すこともないと思っていたんだけど…中学のときにね、図書室の係りをやっていたんですよ。そうしたらギリシア神話の本があってね、アポロンという太陽のハンサムなイケメンの神様とヒュアキントスというヒアシンスの精になった神様と人間のハーフの絶世の美少年が愛し合って、ゼヒュロスという風の神が焼きもちを焼いて、アポロンの円盤を投げつけてその少年が死ぬんですよ。アポロンが泣いて『私の胸の中でいつまでも生きていておくれ』と言うとそれに答えるようにその少年の血の中から咲いたのがヒヤシンスの花っていうの。そういうものがあって『え?じゃあ古代からずーっと当たり前であったんだ』ということがわかったの」国「中学生の頃にそれを読んでいるんですものね。すごい中学生…」美「私、全部それを調べたの。『日本ではないのかしら?』日本の神話の中にもそれが出てくるの。それで私は『あ、別に卑下したり苦しんだり泣いたり騒いだりコンプレックスになったりする必要はない』ガーンと胸を張っちゃったの」国「すごいですね☆自分で見つけて『あ、何だそういうことだったのか』って言える美輪さん、凄いですよ」美「そうですかね…」国「中学生の頃の僕の神様といったら、マラドーナ(アルゼンチンの英雄的サッカー選手)しかいなかったですから☆やっぱり違いますもん、見てる神様が」中「そうですね☆」江「私ね、いつも違和感を覚えるのが、中村さんも自分でカミングアウトなさったけれども『性同一性障害』っていう…どうして障害という言葉を使わなければいけないのかというのがそれは全ての障害に対して思うんです。言葉が適切ではないかもしれませんけれども、弱者とか、何かそういう立場にすれば『助けてあげよう』という心が芽生えているというのが嫌なんですね。障害者という風に認定されれば、非難することではなく手を差し伸べるべきだということが。私はいつも申し上げるのは、この世に無駄な人は一人もいなくて、これは個性なんです。色々な個性の人たちがみんなで生きていて、それを助け合うのが当たり前のことで。だから障害という言葉で何か下の立場を作って、そうすれば手を差し伸べる。これは傲慢さが生むことだと思うんですよ。様ざまな個性の人たちがいて、そういう個性の人たちをみんなで補い合う短きを助け合うということの精神に行かなくてはいけない。私は手を差し伸べてはいけないと言っているんじゃないんですよ。そうではなくてみんなで認め合うことが大事で…」中「そうです」江「私がひとつ中村さんに伺いたいのは、今『そうです』とおっしゃられたのでわかったんですけれど『障害という言葉がつくのはどうかな?』とご自身でそれをこう…どうしてもそういう紹介をされてしまいますでしょう?」中「そうなんですよね…」美「お嫌じゃありませんか?」中「嫌ですね…嫌だという…もちろん嫌だという半面、一応事実であるということはこう…ぼやっとはさせたくはないんですけれど…」江「現世における認識のためにね」美「だから私はね、『病気』という言い方をするのはおかしいよ、ということを言いたいですよね。病気じゃないんですもの。例え病気にしても病気が何か犯罪でもあるかのような認識を持っているじゃないですか」中「…言われ方をすることがありますね」美「『病気がうつるんじゃないか』とか、『おかしいんじゃないか』とか『変態じゃないか』とかね。病気の人に失礼じゃありません?」中「皆さん、変態ですものね☆」国「すっきりした、何か☆『隠さなくていいんだ、僕、変態ってことを』って今思いました☆」江「『この世の中、じゃあ多数決ですか』ってことなんです」美「『あいつは変態だ』とか、『あいつおかしい』とかね、色々言っている人が実は中へ内面へ一歩入ってみると、ド変態なんですよ☆そういうのが多いの」国「変態に敏感なわけですからね☆『あの人変態だ』って自分と比べているわけですものね」江「その通りです。自分の中にあるものが気になるものです」美「あのね、正当化するために、人を非難することによって『自分はまともだと思いたい』という卑劣なところから。自分は全くまともだという人は、人のことをそういう言い方はしませんよ。自信があるから」国「言っている人はドがつくほどの変態なんですね☆」美「そうそう。ドが四つも五つもつくの☆」国「すごく思うんですけれど、小学生のときにこの重いテーマで悩む子っているわけじゃないですか、今も」美「だから私はそれを言い続け、闘い続けてきたの。それで自殺したり、殺されたりした人がどれだけいるか…もうみんな可哀想で、哀れでね…だから私は、オカマっていう言葉を、その差別、侮蔑語を何故取り締まらないのかと言うのね。そのオカマという言葉で小学生が引きずり回されて苛められてね、自殺した人がどれだけいるか。そういった人たちのことを考えたら、受け狙いで自分たちのことを卑下して言う馬鹿がいるんですよ、TVに出ている連中でも。そういうのは私は許さない」国「美輪さんが小学生の頃は、やはり苛められるようなことはあったりしたんですか?」美「そういう風に『オカマ』『おとこおんな』とか、いろんなことを言われましたよ」国「どうやって乗り越えていったんですか?」美「そういうことを言う連中というのは、だいたいレベルの低い、動物的な、頭も悪いただ腕力だけの馬鹿な連中が多かったの。多才で頭が良かったり、常識的で人格的に立派な人たちというのは逆に『可愛い、可愛い』『綺麗だ、綺麗だ』って褒めてくれていたの。だから私は、そういうのを逆に馬鹿にしていたから、相手にしなかったの」国「中村さんの小学生時代はどういう感じでしたか?」中「そうですね…そっくりとまでは言えないんですけど、やはり似ているなと思ったのは『自分に必要なもの』だけを見て過ごしていたので…もちろん、いろいろ言われて…まあ変態扱いもよくされましたけれど、そういう部分にばかり目を向けていたらそれこそ私は人生を途中で諦めていたかもしれないんですけど、とにかく『好きな歌がある』ということ、そこだけを考えていたので…まさにその、勉学に励むだとか、自分のために自分を躾けるというか…」国「僕は多分、最低な人間だと思うんですけど、小学校の頃にそういう子は多分いなかったと思うんですね、同級生で。でも、もしいたら、やっぱりちょっと変な目で見ちゃうと思うんですよ。『お前、なよなよするなよ、男だろ』って多分、言っちゃうタイプなんですよね。でもそれは…何だろう…やはり受け入れるとか、受け入れないとか教えてもらっていることじゃないから、自分の中で子供たちは判断しちゃうじゃないですか」美「でもね、そういうことを言って苛める子は、だいたい劣等感の塊りなの。自分に自信のある子たちは、人を苛めたり、おとしめたり、馬鹿にしたりしませんよ。優しい、みんな。コンプレックスの塊りみたいな子が、何か苛める材料を探すの」国「ということは、僕はそうだったわけですよね…その当時」美「そう?」江「ただね、みんな何も考えていないんですよね。TVを観ているお子さんたちの中でもね中村さんと同じような思いでいる子がいたとしてもね、考えて欲しいのはまた人にも伝えて欲しいのは、例えば『男のくせに』『女のくせに』男の定義は何?女の定義は何?おおよそ非難する人は、言えないはずなんですよ。『…男だからだよ』と言っておしまいなの」中「確かに、だんだん年を経てきて、大人になってくると昔は通じなかった気持ちとかが少しずつ通じてきたりするんですね。やはりそれは私も『自分をどう表現するか』『自分はどういう風に人に気持ちを伝えてゆくか』ということがだんだん確かになってきたということもあるんですけど…周りの人たち、身近な人たちですけれど、少しずつ自立してゆくことによって『自分は、自分という一人の人間だ。そして彼は彼という人間、彼女は彼女という人間』『あの人はあの人、そして私は私』という風に、こう…一人一人の人間性が確立されていってからは、何か『君はそういう個性だよね』という風に受け入れてもらえる…」美「さっき江原さんがおしゃっていた、それぞれが個性だという…それをおっしゃっていたんでしょう?」江「はい」中「私は一概に、例えば昔のクラスメイトであったり、私を非難してきた人たちに…憎しみの目は向けられないんですよ。きっと私以上に脆かった人もたくさんいるだろうしきっとわからなかったということもあると思うんですよ。どうしていいかわからなかった。でも時間を経て、そういう風に…だんだん世界が丸くなってゆくのであれば私はすごくいいことだと思うし…」国「なんていい子なんでしょうね☆…なかなか言えないですよ」江「私なんかこんなに若輩ですけれど、思うのは『生きるということは、無知を知に変えること』なんだと思うんです」中「無知を知に、変えてゆく…」江「一個一個を知ってゆく。あの…人を傷つける痛みがわからないからできること」中「怖いもの知らずということですよね」江「ええ。傷つく痛みを知ったら、人を傷つけなくなる」中「人の痛みを知るという…はい」江「だからそれができる人は、知らないんです、まだ。残念ながら」中「そうですよね…」国「僕、何か最近のような気がするんですよね」美「何が?」国「それに気づいたのが」中「素晴らしいじゃないですか」国「ありがとうございます☆遅かったなあと思うんですよ、ちょっと反省する…」美「60になっても70になっても、気がつかない人はいますよ。その若さで気がついたら、優秀ですよ」国「そういうことですね、そうか、『もっと若いうちから気づいておけばよかった』じゃなくて、今気づいたことが凄いことであって…」美「そうなんですよ、一生気づかないで死ぬ人もいるの」国「その人は可哀想ですね」美「うん…」中村さんが楽曲を提供された戸田恵子さんのお話「彼女独特な世界観というのがやっぱりあって、あたるワールドというものを持っていてそれがドキッとするワードだったり、一文だったり、センテンスだったりするんですけどやはり今まですごく傷ついて生きてきたところもたくさんあるでしょうから何か人の痛みみたいなことに凄く敏感な詩であったり…」続きます。「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ 観賞 半神への希求」***これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
March 4, 2008
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昨年、紅白に出場された22歳の美しい歌い手さんがゲスト。【スピリチュアルチェック】☆ 小さい頃、好きだった曲→Winkさんの「淋しい熱帯魚」☆ 自分の好きなところ、嫌いなところ→表裏一体のところはありますが好きなところは人懐っこいところ、人が好きなところです。嫌いなところは、臆病なところ。☆ 最も腹が立つとき→同じ人間なのに、人が人を裏切れるところ。☆ 不思議な体験→小さな頃は街を歩いていて、街灯をよく消してしまいました☆☆ とても愉しい気持ちになるのは→楽しい…好きな人を追いかけています。国「どうです、この雰囲気?」中「すごいですよ、ゴールド☆」国「パワーありますか、このセットには☆」中「びっくりしました☆わからないですけれど…」国「スタジオに入ったときも驚いていましたものね…美輪さんとは、はじめましてですか?」中「はじめまして、よろしくお願いいたします。私は『ヨイトマケの歌』がすごく好きで…あの…働きに出ているお母さんの歌じゃないですか。私の母も女手一つで私を育ててくれたので、あの歌を聴くと感動してしまうんです」美「親孝行でいらっしゃるのね」国「江原さんとはどうですか?」中「はじめまして」江「よろしくお願いいたします」中「笑顔が素敵な方ですよね☆とっても…」国「さっきのチェックの中でもありましたけれども『子供の頃歩いていたら、街灯が消えた』なんていう不思議な体験をしていますよね」中「あれは何でしょうね…道を歩いていて、街灯が点いていますから夕方過ぎなんですけど自分の足、歩みのタイミングに合わせてパンっと消えたことが何回かありまして…」国「これは電気体ですね☆これはよく出てくる…こういうお仕事をしている方は本当に多いんですよね☆」中「すごい☆」国「でも心配することないですから☆」中「そうですか、良かったです」美「私、降ろさせていただきます☆」「佐藤弘道さんの回・念と愛情」中「すごく、詳しいですね」国「いや、これ以上はわからないのでお二人から。どうなんでしょうか?」美「その通りですよ」江「国分さんがおっしゃる通りだと思いますね。『内に秘めたる思いの強い人』が、割とそういう思いが飛び易い」美「エネルギーね。中村さんは歌い手でいらっしゃるでしょう?歌い手にはそれが必要なんですよ。ステージに立つでしょう?例えば美しい思いとか、想念とか、それをエネルギーとして全部お客さんに伝えるわけだから」国「子供の頃からやはり本当に歌が好きだったんですか?」中「そうですね。歌も…好きから始まったものですね」国「さっきのスピリチュアルチェックの中でも、Winkさんの歌が好きだと…振りも真似したりしたんですか?」中「しましたよ☆♪Heart on wave~」国「♪Heart on wave~必ずやりますものね☆ということは子供の頃から結構音楽が流れているお家だったんですか?」中「そうですね、TVから情報を得ることが多かったですね」国「TVからですか?」美「楽器は?」中「楽器は学校に行ってからです。小学校くらいから…」美「それはお家で買って下さったの?前からあったの?」中「あの…家に楽器はなかったんですよ。ピアノをまず最初に始めたんですけれど学校にあるピアノで先生に教わりながら独学で。レッスンとかを受けたことないんです」美「バイエルから始めたんですか?」中「そういうものも一切やらずに、一生懸命こう…まず楽譜を読むのを覚えるところからやりました。どこがド…ここがドだから♪ドレミ…って全部数えて、全部書いて見様見真似で。ちょうど弾ける友達が近くにいて、その子の指を見て、あと耳で覚えるじゃないですか。『同じ音じゃなかったら、間違っているのかな』という風に覚えて…『あ、違う音が入ってる。これが正解だ』」国「和音もそれで弾けるようになったんですか?『あ、この音が入ってる。音が違う』というのがわかっていたんですか?」中「何か感覚で、ですけれど…」国「すごい…いまだにわからないです、僕☆」美「最近は不協和音も一緒に弾いちゃうからね」中「…そうですよ!国分さん、キーボードニストじゃないですか☆」国「忘れていましたか?☆端くれですけど、僕も独学なんですよ。だから本当に、先生に一から言われたら、絶対に怒られるような指の使い方を多分してると思います。お母さんが音楽を好きだというのは、やはり大きいですか?」中「大きいですね…鼻歌で歌っているものを聴いて…」美「どういう歌?」中「私はあの…研ナオコさんの『泣かせて』という歌を…」美「ああ、いい歌ですものね」中「はい。母に教えてもらってから歌謡曲の魅力に引き込まれていったんですけど…『泣かせて』なんていう題名で曲を書いちゃうなんて…『粋だな』と思って。歌を見てみたら、私は歌詞をよく読んでから歌うようにしてるんですけど♪悲しいことは どんな化粧をしても 悲しいのです…っていう小椋桂さんの歌詞なんですけれど、それがすごくいじらしくて『こんな風な女性像があったんだな』って、何年か前は…」中村さんは性同一性障害であることを公表し、同じテーマのドラマに出演、昨年の紅白歌合戦には紅組から出場を果たされます。国「どうなんでしょうか、自分の性に違和感を感じたのもそのくらいですか?」中「そうですね…ちょうど声変わりをした頃だったと思います」美「14、5歳?」中「そうですね」美「ずいぶん遅かったのね」中「そうですね。元々異変に気づいてはいて、ただその…あまり認めたくなかった…あまりしゃべらないようにしたりとか…それまですごく歌が好きだったんですけど…」美「でも男の子として、男の子の形で学校へいらしたり育てられたりはされていたんでしょう?」中「制服がありましたから、制服を着て…」国「なるほど。小学生の頃も、やはり何か『ちょっと違うのかな?』ということは自分の中で思っていたりしたんですか?認めないだけであって…」中「そうですね…『何かいけないことをしているんじゃないだろうか?』とやはりその時は、思っていたみたいで…『人を愛するのに自分じゃ何か足りないんじゃないかな』って思っていた時期がありました」国「自分に何か足りない?」美「例えば、好きになる、小さい頃に『○○ちゃん、好き』とかいろいろ言うじゃありませんか。その対象が男の子同姓だったり異性だったりするわけでしょう?思春期前というのは、女の子でも男の子でも同姓に、同級生が好きになったりいろいろ…それを卒業してから異性愛に移るわけじゃありませんか。そういうことはどうだったんですか?」中「…きっと私は、学生の頃からもう、男性のことを異性だと思って接していたところがあったとは思うんですよ」美「好きな方はいらしたの?」中「…たくさん、恋をしているので…」美「浮気者なのね☆」中「そうですね☆」国「一番最初に告白したのは、小学生ですか?」中「小学校…5年生、6年生の頃だと思います」国「早いですね」美「いや、遅いわよ」中「あ、お早かったんですか?」美「私は四つか五つだったの」国「告白したんですか?」美「告白も何も、もうめちゃくちゃ可愛がられていたから」国「中学校の頃に思いを伝えることとかを、僕らの世代はやっていたような気がするんですけど小学生でもう…」中「やっぱり気持ちは止められないんですよね」美「それは上手くいったんですか?失恋だったの?」中「失恋でした、やっぱり…」美「そう。残念でしたね。初恋は破れるものなんです」中「そうですよね。最初にあんまりいい思いをしてしまうと、後が怖いじゃないですか。だから最初は失恋で良かったなと思いましたけど、それから『はじめは失恋だったから次は…』『じゃあまたその次は…』ってやっていて今、みたいな感じですね」美「ただね、ちょっとそれは異性愛の人にも同性愛の人にも言いたいんだけど自分が同性愛だから、好きな人に告白して『やっぱり自分はおかしいんだ』と自分で自分を差別してみたりだとか、おとしめてみたりとか『同性愛だからだ』という風に考える人が多いんですよ。それは大間違いでね、例え異性愛の人でも、失恋はするんですよ。向こうがタイプじゃないだけの話」中「そうですね」美「そうでしょう?だから異性だから、同姓だからって、そこで妙に捻じ曲げて引っ掛けて考えない方がよろしいんじゃないですか、ということなの」国「でも小学生の頃は、やはりそこで悩んだりとかもしたんじゃないですか?」中「なかなか…やはり今と違いましたね。自分でどういう…例えば同級生と会話するツール、言葉なんですけれど、どういう言葉で接したらいいのかそういうものもすごく悩んでいました」美「男の言葉と女の言葉ということでね。でも最近は、女の子も男の言葉でしゃべっていますよ」中「そうですよね、そういえば、確かに…」国「そのことって、誰かに相談したりしたんですか?」中「なかなか…できませんでしたね」国「お母さんには、どうですか?」中「母にも…母はその頃、すごく頑張って働いて、私を育ててくれていたのでなかなかそういう…今となっては『何を遠慮していたんだろう?』とは思うんですけど何かそういう苦労をかけて…」美「心配させたくなかった…」中「そうですね。『母も何か背負ってしまうんじゃないか』と思っていたところがあったので…」美「優しいんですね」中「ありがとうございます…これは優しいんでしょうか…」続きます。***これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
March 3, 2008
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卓球の中継をゴールデンタイムに観られるようになったことにしみじみとしながら、チャンネルを合わせていたこの数日。夫婦ともに中学の所属クラブが卓球だったので、街なかや宿泊先にピンポン台があると見過ごせずにゲームを開始、サーブ、カット、ドライブ、そしてスマッシュの応酬…とまではゆきませんが、つい熱が入って、とても温泉卓球とは呼べないような展開になります☆高校に進むと、何故か世間ではこの競技が冷遇されるような状況に。同じクラブに所属していた同級生に久しぶりで会ったときなど、「言わないで!」と卓球をしていたことを隠す発言もあって。時は移り、主に女子選手の方々の活躍ぶりが取り上げられるようになったことで認知が変わっていったように思います。さて、ゴールデンタイムの女子選手の方々の試合も見どころが多く、いつもより早めに帰ってくる夫と愉しんでいたのですが、気になるのは男子選手の方々の試合。「男子の試合中継はないんだね」と少し寂しそうな夫のためによくよくTV欄をみると、ゴールデンから遥か下方、日をまたいだ辺りに、小1時間ほどにダイジェストされた番組がありました。フィギュアスケートと同じく、女子の方が優遇されているのかしらと思いつつすでに寝入ってしまった夫をよそに宵っ張りで観てみるとダイナミックかつ緻密な応酬が、ものすごく面白いのです☆準決勝に進んだことで、ようやくフルタイムで中継された昨日、特に18才の水谷選手と、25才のアテネのメダリスト・韓国の柳選手の最終試合は水際立っていて。時に狭いボード上に体を畳み込み、互いの脇を刺し合うような息詰まる連打が続き、またテニスコートほどにも動作範囲が広がるスマッシュの打ち受けもあり、格闘技のような様相で湧かせてくれました。最も返球が早く多彩で、振幅の大きさが見どころの球技、北京五輪も愉しみです☆ 私はペン派、夫はシェイクハンド。またラケットを買おうか~と言い合っているところ☆
March 2, 2008
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幼稚園でのヨガ教室を開催できた2月。かつて住んでいた地域で、子供が生まれたばかりの頃、「参加してみたいな」と羨ましく思っていたイベントに講師として帰ってこられたことを感慨深く、感謝いたしました。「90分のヨーガプログラム」2月は以下の本とのご縁を得ました。待望の美輪明宏さん、瀬戸内寂聴さん、平野啓一郎さんの対談本。あっという間に読んでしまった後も、お三方の帯を見て幸せになっているところです。迷いつつ、「黒蜥蜴」の公演まで購入を待とうと決めたのがこの新刊。同じく美輪明宏さんの本で、今年のサイン本はおそらくこちらと踏みまして☆2月のヨガ療法士講座のレポートを書いている頃に、図書館で見かけて手に取ったのがこちら。セロトニン再取り込みを阻害するお薬のことや、周囲への理解の深め方などが見開きの図入りでわかりやすく説明されています。国分太一さんの番組「R-30」に出演されていた竹田恒泰さんのお話が面白く、興味を持って購入したのが「旧皇族が語る天皇の日本史」。日本史を学ぶ中で、江戸時代に差し掛かると、教科書にはほとんど天皇のお話が出てこなくなるので、関連本を購入したこともあるのですがいまひとつ氷解せず、もどかしく思うままに時が過ぎ。それが、昨年からの「新選組!」関連の資料に触れる中で、頻繁に登場する孝明天皇の存在をキーワードにして江戸期、幕末の天皇についておぼろにつかみかけてきたところでこの本に出逢ったのでした。古事記の時代から紐解かれた日本の歴史、こういった視点で見るのも面白いと思います。この数年、本はネットか図書館で手に入れて読むことが増えたのですが、ビジュアル系の本はやはり書店に足を運んで手に入れたくなります。今年の六月はヨーガ療法学会で仙台に行きますので、早々とこちらを☆昨年の学会は福岡で、子供のために大宰府でお守りをいただいてきたのですがたまたま時間が空いて、ふらりと入った宝物殿に幕末・明治の志士たちの資料が展示されていて。治外法権地帯である巨大な寺社町が、志士たちの梁山泊状態になっていたことが興味深く、その後の京都・新選組ゆかりの地巡りも面白いものになったのですが、仙台もまた、新選組、特に副長さんには縁のある土地柄。ガイド本の歴史記事にはまったく触れられていないのが残念でしたが資料のある博物館や、仙台城址、県庁舎、外人宿の跡地など、ゆかりの地を巡ろうと計画中。そのためには、卒業プレゼンテーションの練習をしっかりしておかなくてはなりません☆書店で次に目に入ったのが、発刊を待っていた小学館ウィークリーブックの「戦乱の日本史 新説 新撰組疾風録 今月の主役・近藤勇 土方歳三」。画像がないのが誠に惜しいビジュアルブック。その後、映画コーナーを周り、手招きしていたのが「スクリーン プラス」。不覚にも発刊を知らなかったのを、申し訳なく思いながら。ドラキュリア、タイムラインからの貴重な記事も載っているのでジェラルド・バトラーファン必携ですね☆三島由紀夫さんの「禁色」は、ようやく読書ペースが上がってきたところ。彼がよく言及している「精神」と「肉体」がどのあたりを指しているのかヨーガの五蔵説にも照らしてみているところです。2月に観賞した演劇「藤原竜也さん 身毒丸 復活」今年も続けているのが「感謝したこと」を手元の手帳に書き留めること。2月のギフト・日本メンタルヘルス協会の卒業パーティに出られたこと。・家族全員、健康でいられたこと。・セナくん(ジャーマンポインター ♀ 享年14歳)の葬儀が終っても、 存在を感じられること。・うるう年、4年に1度の人生チェックができたこと。・美味しいリーフパイを見つけたこと☆***日常がどんなに喜びに満ち溢れているかが、目で見てもわかり、潜在意識にも教えてあげられる方法。お薦めです☆皆さまのこのひと月が、素晴らしいものになりますように。「今月のギフトの日記」
March 1, 2008
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