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好意を抱く相手に自分の気持ちを伝えるには勇気が要る。わたしの時代は携帯もPCも無いから手紙か電話、或いは口頭で伝えるしか手段はなかった。それまでに散々悩み、何度も同じ内容の手紙を書いては破り捨てる。好きな人への想いは募る一方で眠れぬ夜を何度も向かえ、睡眠不足のまま仕事或いは学校へと出かける。しかし頭の中は相手のことばかりで、仕事や勉強など手が付かない。こんな経験を持った人は多くいるだろう。その相手が今の奥さんになっている人、初恋の相手、失恋と様々ではあるが、あまり強引だったりすると現代では「ストーカー行為」として犯罪者になってしまう恐れもあるから、告白するにしても別な意味で神経を使う時代になった。しかし今は携帯やPCがあり、便利で容易く相手に自分の気持ちを伝えられる時代になったが、それでも恋人と呼べる相手が中々見つからないと若い人たちは嘆いている。つまり人間本来のコミュニケーションである、心の触れ合いが欠けているのだ。むかしなら心のこもった一通の手紙で結ばれることもあったが、それだけ純粋だったのかも知れない。メールのようなデジタル変換の文字には感情が無い。現在ではそれに慣れてしまったせいか、生きた文字を見ると逆に抵抗を感じてしまうこともある。手紙や葉書の筆記を見て相手が誰か直ぐ分かる時代は終わったのだろう。さて、部下の女性にメールを匿名で送り付けていた裁判官が逮捕されたが、これまた前代未聞の事件である。法を裁く人間がどうしてこんな間違いを犯してしまったのか、やはりそこは裁判官とは言え弱い人間で、色恋には勝てなかったのか疑問が残る。ストーカー自体その線引きがはっきりしないまま、一人歩きしているようにも思えるが、相手が拒否しているにも関わらず執拗に交際などを迫るのは脅迫にも似ている。恋は盲目と言うが、今はこの言葉が犯罪は盲目に変わってしまったように思えて仕方がない。
2008.05.30
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1978年「勝手にシンドバッド」を引っさげてメジャーデビューを飾ったサザンオールスターズ。この曲を聴いたとき「コミックバンド」かと思った。早口で何を歌っているのか分からない。確かにテンポはよく、リズミカルではあったが、当初流行っていた曲は、世良公則&ツイスト「銃爪」「宿無し」、キャンデーズ「微笑み返し」、山口百恵「プレイバックPart2」、ピンクレディー「サウスポー」「UFO」、アリス「ジョニーの子守唄」、矢沢永吉「時間よ止まれ」、沢田研二「ダーリング」「抱きしめたい」「サムライ」、渡辺真知子「かもめが翔んだ日」、サーカス「Mr.サマータイム」、八神純子「水色の雨」、アン・ルイス「女はそれを我慢できない」、中島みゆき「わかれうた」、中原理恵「東京ララバイ」、桜田淳子「追いかけて横浜」、郷ひろみ「バイブレーション」、榊原郁恵「夏のお嬢さん」などである。当時を振り返って見ると、サザンの曲が既成のジャンルに当てはまらないという印象を強く持った。2ndシングル「気分しだいで責めないで」も同様にヒットしたが、やはりイロモノ的なバンドと言う見方を音楽業界のみならず、視聴者もそう思っていたに違いない。しかしそれは3枚目のシングルで大きく覆されることとなる。「いとしのエリー」はR&Bの大御所レイチャールズがカバーをするといほどの名曲。この1曲によって桑田佳祐の実力、サザンオールスターズというバンドの底力を見せ付けられることとなった。以後、彼らは日本の音楽シーンに於ける最大且つ実力派ナンバー1の座を長年に亘り維持し続けるロックバンドとして成長した。そんな彼らが無期限活動休止を発表。デビュー30年目を迎えるサザンに一体何が起こったのであろうか。ソロはともかく、バンドの場合は3人以上のメンバーを揃えなければならず、バンド結成は以外と難しい。個性豊かな気の合う仲間、そして最も大事な「音楽に対する方向性」が同じでなければならない。誰でも最初はアマチュアからスタートするが、この時期にある程度メンバーがふるいに掛けられ、紆余曲折しながら、完成に近いものが出来上がる。デビューしたては無我夢中で勢いだけで突っ走る。自分達の世界を創り上げることに没頭し、その中からヒット曲が出る度に喜びと達成感を味わって行く。やがて時が経ち、気が付いて見ると自分達の方向性に僅かながらも食い違いが出ている事に気付く。どんなに気を許し合った仲間でも、個々の意見を尊重し、受け入れなければならい時が来る。今では伝説ともなったローリングストーンズが、デビュー以来一度も解散する事無くいまだに現役でいられるのは、カリスマ的存在のヴォーカリスト、ミックジャガーの影響が大きい。バンドを揺ぎ無いものにするのはその中心にいるリーダーが人間的、音楽的に如何に優れているかだ。ビートルズはリーダーが二人いたために解散に至ってしまったが、桑田佳祐率いるサザンは桑田が何処までミックジャガーになれるかだろう。再び帰ってくるとは言っているものの、このまま解散なんてことにならないようファンの一人としてお願いするだけである。
2008.05.25
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久しぶりのライブハウスレポート4月20日の模様です。デジカメ撮影の為、光源不足で写りが少々悪いですが、ご容赦下さい。京成線、市川真間駅の近く歩いて2,3分の所に小さなライブハウスがある。石井ひろあき(江戸川レノン)さんと知り合って2年になるだろうか、彼がこのライブハウスに時々出演するので、わたしもライブを聴きに出掛けるようになった。小さいがライブ内容は非常に濃いと思う。ここに集まるミュージシャンは様々だが、みなこのアルマナックを愛している。これはおそらく、マスターの人間性だろう。ライブが終了するとマスター自らがギターを持ちオールドソングを披露してくれるが、殆どがカントリーである。さて、この曲は説明するまでもない、飛行機事故で亡くなったジョンデンバーの大ヒット曲。1971年の作品 Take me home, country roads今では子どもでも知っている名曲でもある。誰もが一度は口ずさんだ歌ではないだろうか。親しみ易く覚えやすいメロディと歌詞。音楽は初めて合った人同士をその場で友人に変えてくれるという、素晴らしい力を持った人間同士を繋ぐツールである。わたしの声も入っているので(邪魔かな)皆さんも一緒に歌ってみて欲しい。映像はYouTubeなので記事とリンクしてあります。
2008.05.21
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こんなタイトルの映画が昔あった。中国がメルトダウンした訳ではないが、今回の巨大地震はそれに近いものを感じてしまう。チベット騒動や聖火リレーで揺れ動いた中国、それがこんな形で激しい揺れを招いてしまったのは皮肉なことであるが、オリンピック開催の国としてはマイナスイメージが更に拡大する恐れすらある。それを払拭するために地震を政治の道具に使うなどと、中国の政治家はどこまでも貪欲だ。激しい雨が降り続く中、震源地の四川省から届く映像は空爆を受けた戦場そのものである。山に囲まれた普段なら自然の静寂に心も安らぐ楽園が、今は地獄と化している。動物も既に安全な場所に逃げ、鳥の声すら聞こえない場所に人間の悲鳴だけが助けを求め乱反射している。死者、行方不明者は2万人を超え、絶望だけが生き残った人たちに容赦なく襲い掛かる。地震のエネルギーは原子力や核とは比較にならないほど大きい。文明や科学が自然を破壊すれば、それ相応の破壊力を持った自然が牙を剥く。地震列島である日本に住むわたしたちは、地震の恐ろしさを過去の経験から嫌というほど受けている。地震予知は数十年前から行われているが、国内でそれが役に立った例は聞いたことがない。科学がどれほど進化しても、人間の身体すら謎に包まれていると言うのに、地球の内部で起きていることなど地球の子どもである人類に分かる筈もなかろう。人間が成長し大人になるにはまだまだ時間がかかる。それまで地球は母のように人間を見守り、時には父のように怒りを表す。全ては人類存続のため、地球からのサインなのである。
2008.05.17
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高級料亭ともなれば、料理以外に器にも気を使うもの。食材と器が互いに主張し合いながらも絶妙なバランスで相手を活かす。食べる者は一瞬、箸を付けるのを躊躇うほどにその圧倒的な存在感に見とれる。高級料理ならではの食の美学がそこにあるのだ。しかし、それを愚弄するかのように卑劣な問題が起き上がっていた。「もったいない」という言葉が一時何処かの国のご婦人によって流行っていた。そんなことすら忘れかけていた時、思わぬところからこの言葉が聞こえてきたのである。船場吉兆、言わずと知れた高級料亭。昨年は食の偽装で揺れた一年であったが、この料亭も同じ罪を犯し、散々叩かれており、大勢のマスコミ陣が集まる中で社長は深々と頭を下げ謝罪していた。それが偽装よりもっとたちの悪い食材の使い回しをしていたとは驚きである。それも20年も前から習慣となっていたようで、料理そのものを馬鹿にしているとしか思えない行動である。客の食べ残した物を棄てるにはもったいないので、使えるところは次の料理に利用する。これは信じ難いことである。一般家庭であれば、夕食に残ったおかずを次の日に回したり、お弁当の具として使うことはあるが、客を相手にする料亭でそんなことが許される筈もない。食に対するモラルが大きく欠如してしまった船場吉兆に一体何が起こったのか。何故それほど長い期間に亘って行われて来たのか、これも利益のみを追求した結果なのだろうか。船場吉兆で料理を食べて来たこれまでの多くの人たちは、前の客が残した物を食べてきたことになる。怒りとやるせなさが胃袋の奥から湧き上がってくるのも当然だろう。こんな不祥事が続くと迷惑を蒙るのは同業者である。高級料亭でなくとも、飲食業にとってはいい迷惑である。消費者にとって見ればやはり疑いの目で見てしまうのはやむを得ないこと。お客様をもてなす意味がまったく理解出来ていない、基本的なことからやり直さないともう終わりである。
2008.05.14
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母さんのいる空に風船飛ばそう僕の想いを一杯込めて風がサァッとやって来て高く高く舞い上がる届くかな 母さんに白い手が天から伸びて僕の風船 掴むかな母さんのいる空に僕も早く行きたいな
2008.05.11
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上野動物園の人気者ジャイアントパンダのリンリンが4月30日この世を去った。前日に体調を崩し、一般公開を中止した時、嫌な予感めいたものを感じてはいたが翌朝死亡とは思わなかった。高齢でもあり、よほど身体が弱っていたのだろう。パンダはもう少し長生きする動物だと思っていたが、意外とその寿命が短いことを知った。北京動物園で誕生し日本へ。そしてメキシコなどにも出張しその一生を動物園の檻の中で暮らし、人間のために尽くしてきた彼は幸せな生涯を送ることが出来たのだろうか。自然の動物を身近に感じ、観察出来る為に作られた動物園には様々な種類の生き物が暮らしているが、人の目に晒されて動物たちはストレスを受けていないだろうか。動物園で産まれた者は自然そのものを知らない。確かに自然は過酷であり、弱い者は生きて行けない。安全と食料を約束された動物園は彼らにとって安息の場所なのだろうか。自然を破壊する人間が環境保護だと言って、各地で環境保護運動を繰り返す。動物や植物を追いやり、生息地を奪いながら保護という名目で飼育する。人間の勝手極まりない行動は矛盾に満ち満ちていて時々怒りさえ覚える。ペットブームが過熱して外来種が増え続け、生態系が破壊されるという事態は最近始まったことではない。動物には何の罪もなく、それを自分の都合に合わせる人間たちが多すぎるのだ。共存、共生。この二つが守れなければ、将来人間も動物も地球から消えてなくなるかも知れない。
2008.05.06
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インターネットの情報量は膨大な数に上り、TVや新聞その他の媒体とは比べ物にならないほど現代は情報氾濫の時代になった。ネットは便利であり誰もが簡単に操作が出来、欲しい情報を素早く手に入れることが出来る。しかし、規制が殆ど効かないネットには害を及ぼす情報も星の数ほど存在する。裏サイトなどはその典型でもある。これら危険な情報は人間の思考回路を破壊する。これらの危険な情報から身を守るには利用者のモラル、そして自己責任でしかない。最近多発している硫化水素による自殺問題。先日高知県の市営住宅で起こった中3少女の自殺は90人以上に被害が及ぶという悲惨な結果となっている。少女が自殺した背景には不登校が指摘されているが、多感な思春期を迎え自分をコントロール出来なくなる少年少女は多い。普段は優しく明るい子が何故と疑問の声が聞こえてくるが、明るい子ほど環境の変化や自分自身の変化に着いて行けず心は悩み、深い闇に陥り易い。そんな自分を誰にも相談出来ないまま、明るい自分を演技し続けその結果疲れ果ててしまうのである。おそらく不登校はその延長上で少女からの精一杯のSOSのサインだったのだろう。それに気がついてあげられない周りの大人たちに不甲斐なさを感じてしまう。死そのものは痛くも痒くもない。苦しかったり痛かったりするのは生きているからである。わたしたちは普段都合のよい事に死をそれほど意識せず生きて行くことが出来る。しかし死は生と表裏一体であり、最も身近な存在でもある。死そのものは誰にでも平等に訪れるが、病気や事故、事件などに巻き込まれ予期せぬ死を迎えてしまうことも多い。そんな中に自殺という行為があるが、その歴史は古くクレオパトラがコブラの毒で自殺した事は多くの人たちが知るところだろう。人は何故自ら命を絶つのだろうか。これは人間の宿命とも思える永遠のテーマかも知れないが、国や土地柄、宗教の違いなどによってはそうとも取れない部分もある。まるで自殺という遺伝子が存在するかのように、日本は自殺大国になってしまった。この現状を放置するわけにはいかないし、行政や民間団体が協力して自殺を食い止めようと働きかけても、自殺者は減らない。これが病める経済大国のブラックホールなのかも知れない。
2008.05.03
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吉野家がピンチに陥るのは何も今回が初めてではないが、ただ問題の発覚が前回同様に吉野家から始まったことが何か因縁めいているような気がする。吉野家と言えば誰もが知る、牛丼のブランド。長きに渡り庶民に愛されて来た経緯もある。人気ブランドとなった数年前からは、サラリーマンや男性中心の客層だったのが、女子高生やOLたちにも人気を得るに至り、家族揃って今夜は吉野家の牛丼なんてことも珍しくなかった。吉野家家でしか味わえない牛丼は他店の同業者には作れない秘伝の味が在る。牛肉への拘りとスピード。そして何より安くて美味い。これが吉野家のファン層を広げた結果である。その吉野家が再びピンチに追い込まれた。吉野家が購入した米国産牛肉にBSEの特定危険部位が混入していた問題。この牛肉、じつにくわせ者で過去に散々問題になり、輸入停止に追い込まれたニュースもまだ生々しく記憶に留まっている。これは米国の輸出作業が如何に安全に対しいい加減かを証明していることになる。米国産牛肉の検査は国内では抽出検査のみで、最終的確認は肉を購入した業者任せとなっており、過去の事例がまったく教訓と活かされていない実態に消費者として呆れるばかりである。食品を輸入に頼る日本としては、行政が最後まで責任を持ち、安全な食品が消費者の口に入るまでは、国の責任であることは承知のはず。二度あることは三度あるというように、もう大丈夫という安易な安心感は禁物である。今回については、消費者の口に入る前に発見されたことが唯一救いであった。それにしても吉野家が気の毒である。
2008.05.01
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