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先日の日記に書いたように、明日から一週間ちょっと、この国を離れることになります。◇◇◇◇◇そのため、このブログは11月5日までお休みします。◇◇◇◇◇選挙の投票日を前にして、既に、街ではデモが行われたりと、多少ゴタゴタしてきた様子。すべてがつつがなく終わることを祈っています。それはそれとして、旅行の準備をしていたら、やっぱりワクワクしてきました。向こうで何をしようかな。何を持って行こうかな。いろいろと想像を膨らませながら旅行かばんをつめる時間が、私は大好きです。知らない土地に下り立つ。そのことだけで、なぜか胸が高鳴ります。世界には限りなくいろんな土地があって、いろんな人が暮らしている。その人たちが作り上げた独特の食べ物があって、文化があって、匂いがある。みんな違うようだけれど、同じ人間として通い合うものを持っている。旅することで、それにちょっと触れるのが、とても面白いのですね。この間、行ったことのある国を数えてみたら、46カ国になりました。けっこう、いろんな国に行ったんだなあ、という気持ちと、まだまだ、知らない国がたくさんある!という気持ちとが、交錯しました(笑)。明日から行くのは、ザンビアという国。有名なビクトリア湖までは足を伸ばせないと思いますが、私たちが滞在する首都の近くに、野生動物が見られる自然公園なんかもあるようで、観光情報を見ていたら、楽しみになってきました。心の中に新しい風を入れる気で、行って来ようと思います。
2006.10.25
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今日も、午後からどしゃぶりの大雨になりました。先日のように、家でぬくぬくしたかったのですが、あいにく、今日は外出しなければなりませんでした。木曜日から夫と一緒に隣国へ行くための航空券を買うためです。この国では、数ヶ月前、三十数年来の初の民主選挙の投票が行われました。その後、すったもんだがあって、数日間、政情がかなり不安定になりました。今度の日曜日は、一回目の投票で決着がつかなかったこの選挙の、第二回目の投票日。念のため、夫の出張を兼ねて、この国を離れることにしたのです。今のところ、政情は安定していて、普通の暮らしが続いていますが、中でマグマがドロドロとうごめいている休火山のように、一触即発で何が起こるか分からない危うさを秘めている感じです。さて、大雨の中、一歩街に出ると、道は完全な水浸しで、まるで川のようです。交通渋滞も激しくて、いつもなら20分ほどで行ける旅行会社まで、45分もかかってしまいました。手続きに少々時間がかかったこともあって、行って帰ってくるだけで、私なんかは、何だか疲れてしまったくらい。そんな中で、あちらこちらで、立ち往生している車を押している人たちの姿が目につきます。車を持っていない人たちは、泥沼と化した道の脇に列をなして、いつ来るともしれない相乗りバスを待っています。みんな、何ということもなさそうに、気楽な表情で。たくましいなあ……。ありきたりな言葉だけれど、つくづくそう感じました。旅行会社で順番を待っている間、韓国人の神父さん兼ジャーナリストと話をしました。この国には来て間もないものの、アフリカには長く住んでいるという彼は、単刀直入に、「この国は、アフリカで一番めちゃくちゃな国だよ」と言ってはばかりませんでした。その真否はともかく、暮らしにくい国であることは確か。そして、大きな変換の時期を迎えていることも確か。ちょっとやそっとの暮らしにくさなんか吹き飛ばしてしまう、この国の人たちのパワーが、これから、いい国を作っていく方向に向けられるといいなあ、と、改めて願った今日でした。
2006.10.23
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今日は、教会のミサに行ってきました。夫はカトリックで、特別信心深いわけでもないのですが(笑)、日曜日は教会に行くのを習慣にしていました。そして、結婚後、私も、それにつきあうようになったわけです。いつも夫と行く教会は、けっこう大きくて、神父さんの声が反響するので、ただでさえ、フランス語があまり上手でない私には、何を言っているのか、ほとんど聞き取れません。でも、私は、教会にいる一時間ほどの時間が、とても好きです。聖歌隊が歌う賛美歌を聴いていると、心が洗われるようで、その時の自分の心の状態によって、慰められたような気持ちになったり、感謝の気持ちがあふれたりします。その中で、自分なりの祈りを捧げて、「神様」と呼ばれる存在と向き合う時間。一週間に一度、そんな時間を持つことで、ともすれば、毎日がせわしなく過ぎていく暮らしの中で、ちょっと立ち止まって、いろいろなことを振り返ってみることができます。かくいう私は、実は、結婚する直前に洗礼を受けた、「にわかクリスチャン」。婚約当時は無宗教だったのですが、夫はカトリックだし、できれば、教会で式を挙げたいと思い、これを機会に洗礼を受けることにしたのでした。しかし、それは思ったほど簡単なことではなくて、友だち総動員で、やっと短期間で洗礼を受けさせてくれる神父さんを見つけたのはいいもの、約2ヶ月の講習に通うことになりました。ただでさえ、仕事の追い込みや引継ぎ、結婚式の準備、引越しの用意などで、目が回るほど忙しかった私は、内心しぶしぶ通い始めました。しかし、講習を受けるうちに、キリスト教の教えの本質が、思っていたよりもずっと深い愛に満ちたものであることが分かってきました。そして、漠然と感じていた「大いなる存在」に通じるものであることも。友人たちが立ち会ってくれた洗礼式は、講習を通して学んだ「大いなる存在の愛」を少しばかり自分の中に感じることのできた、とても心に残るものになりました。教会で結婚式を挙げるために、形だけでも洗礼を受ければいいや、と、軽い気持ちで考えていたのが恥ずかしくなるくらい、敬虔な気持ちになっていました。日曜日に夫と一緒に教会に足を運ぶたびに、その日のことを思い出します。結婚と、それを機に受けた洗礼とが、カトリックという形を通して、「大いなる存在」と向き合う時間を与えてくれたことに感謝しつつ。
2006.10.22
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我が家の暮らしを支えてくれている人たちのもう一人は、先日の日記に書いたジョンと交代で門番をしてくれている、ドドです。(西洋風の名前がある一方で、「ズズ」とか「ドド」という名前もあるのが、この国の面白いところですね......)切れるタイプのジョンとは対照的に、ドドは、どちらかというと、朴訥なタイプ。同じことをやるにも、ジョンよりは時間がかかったり、少々飲み込みが遅かったりもします。でも、その分、ひとつひとつのことを丁寧にやってくれます。何よりも印象的なのが、彼の物腰の丁重さ。テラスで朝食を摂っている私に何か用がある時など、話しかけられて、立ち上がろうとすると、「いえいえ、どうぞ、そのままで」みたいな感じで恐縮するので、仕方なく(?)、座ったまま、彼の言うことを聞きます。書斎で書き物をしている私に何か話しかけるときも、必ず、「お仕事中、お邪魔して申し訳ありません」などと言います。夫の出張中など、一人の私を心配してくれているのか、「裏の戸の鍵を忘れずに閉めて下さいね。」などと念を押してくれたりします。一度、家の中に小さなねずみがいたので、出て行ってもらいたくて、戸を細く開けていたことがありました。そうしたら、ドドが、わざわざ、「恐れ入りますが、扉がちゃんと閉まっていませんよ。」と教えに来てくれました。「ねずみがいるので、追い出そうとしているの。」と説明したら、苦笑して去っていきました。同じように、家の害虫駆除を頼む前、家にゴキブリがたくさん出た頃、電気を消すと、すかさずゴキブリたちが姿を現すので、台所の電気をつけっぱなしにしていたことがありました。そうしたら、やはりドドが、「台所の電気がつけっぱなしですが……」と言いに来ました。わけを説明したら、不思議そうな顔をしていました。きっと、この国の人たちは、ゴキブリが出るくらいのことでは、大騒ぎしないんでしょうね……。私がこの家に住み始めたとき、ジョンと交代で門番をしていたのは、違う人でした。彼は、かなりエキセントリックなタイプ。私に対してはとても慇懃なのですが、お手伝いさんのズズに横柄な口のききかたをしたり、周りの家の門番「仲間」たちとも、たまに言い争ったりしているようで、正直言って、好きになれなかったのです。やることも、なぜかみんな裏目に出て、ヘマばかりしていて、そんな彼を、夫はいつも叱っていました。いろいろあって、彼が辞め、ドドが彼に代わった後、門番の人柄で、こんなにも気分が違うんだなあ、と思ったものです。接すると、いつも、穏やかな気持ちにさせてくれる。素直に、「一生懸命にやってくれて、ありがとう」と思わせてくれる。そんな人です。
2006.10.21
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大雨が降った後は、なぜかからりと晴れる日が多い、この国の雨季。今日も、その例にもれず、昼前から、雲ひとつない、ピカピカの快晴になりました。そうなると、気分も爽快。昨日に続き、書き物も進みました。でも、今までの経験から、調子に乗って頑張りすぎると、質が落ちてくることも知っているので、4時半ごろ、あえて筆を置きました。夫は、四半期レポートの締め切りに追われ、集中して仕事したいからと、家でパソコンとにらめっこ。そんな姿に、心の中で「おつかれさま」と声をかけつつ、こちらは、プール・タイム(笑)。水の中で仰向けになると、真っ青な空がまぶしいくらい。ひと泳ぎした後は、テラスで黄昏時を楽しみました。金色の光を放つ太陽が沈んだ後は、紫色にたなびく雲の縁がきらきらした橙色に輝き始め、空がうっすらと桃色に染まっていく。ねぐらに帰る鳥たちが、こころなしか、せわしい鳴き声を立てて、バタバタと飛んでいく。刻々と変わってゆく風景が本当に美しくて、一瞬でも見逃すまいと、食い入るように見入ってしまいました。黄昏時は、昔から、一日の中で一番好きな時間帯でした。透明感のある空気の色と、暗くなっていく空がかもし出すちょっとした切なさとに、なぜか惹かれるのです。結婚前に働いていた国で、私が住んでいたマンションのベランダからは、富士山にちょっと似た形の火山をシルエットに、これまた見事な夕焼けの風景が見えました。晴れた日の午後、自宅のベランダで黄昏時を過ごしたい……。と、焦って仕事を片付けようとするのですが、たいてい終わらなくて、今日も間に合わなかった、とがっかりするのでした。そして、いつか、ゆっくり黄昏時を楽しめるようになりたいなあ、などと思ったものです。その頃を思い返すと、今は、本当に贅沢な時間が過ごせているのですね。
2006.10.19
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今日は、早朝から大雨。朝、5時半頃、激しい雨の音で眼が覚めてしまいました。その後も、午後になるまで、ずっと強い雨が降り続いていました。そうなると、この街は、半分麻痺したような状態になります。雨の日は、仕事しない人が多いのです。雨が降った日は仕事に行かない、というのは、この国のみならず、アフリカの沢山の国でよくあることだそうです。たしかに、交通機関が整備されていないこの街では、自分の車を持っていないと、雨の日は大変だけど……。そうは言っても、1年12ヶ月のうち、約8~9ヶ月が雨季のこの国では、みんな、ほとんど仕事しないってこと?と、初めの頃はびっくりしました。でも、雨季といっても、毎日雨が降るわけではなく、からりと晴れる日も、けっこうあるのです。雨が降ったとしても、夜だけ降って、朝は止んだり、午後に1~2時間ザーッと降るだけのこともある。だから、仕事のほうも、何とかなっているようです(笑)。従って、今日は、お手伝いさんのズズもお休み。家の傍を通る車もほとんどないようで、とても静かな一日でした。舗装されていない道路がドロドロのぬかるみになるので、街に出るのはちょっと億劫になることもあるのですが、今日は、特に出かける用事もない日。雨音と、鳥たちのさえずり声を聞きながら、ゆっくりと家で過ごしました。窓を開けていると、ちょっと肌寒いくらいの涼しい風が入ってくる中で、熱いお茶を飲んだりすると、ぬくぬくして、ちょっと日本の秋を思い出すような感じ。ここのところ、ぼつぼつ始めている書き物もはかどりました。こんな日も、たまには悪くありません。明日、もし晴れたら、木々の緑がいちだんとみずみずしく見えることでしょう。
2006.10.18
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昨日に引き続き、今日も、我が家の暮らしを支えてくれている人たちの一人、うちのお手伝いさんのことを書いてみたいと思います。彼女の名前は、ズズ。実は、初めの頃、夫と私は、彼女の仕事ぶりについて、文句たらたらでした。9時から午後4時まで、という約束なのに、平気で10時半ごろやってくる。まだ仕事が残っているのに、4時前に帰ろうとする。土曜日は、何かと理由をつけて休もうとする。挙句の果てに、給料のほかに、交通費を要求してきたりする。そんな感じで、仕事のできは悪くないんだけど、とにかく、チャッカリした怠け者、というイメージが強かったのです。そんな彼女を、私は叱ってばかりいました。もっと早く来なきゃダメ。洗濯物が残っているんだから、ちゃんと洗ってから帰ってちょうだい。寝室の床の掃除がきちんとできていない。もっとちゃんと、ゴミを取って。交通費を要求するなんて、とんでもないわ、ちゃんと、給料を払っているでしょ。時に反論してくる彼女と口論になることもあり、終わった後は、けっこう疲れてしまったりもしました。ちゃんと見ていないと、いい加減に仕事して、そそくさと帰ろうとするんだから、まったく、イヤになっちゃう……。そんなふうにため息をつきながら、過ごしていたものです。何かが変わってきたのは、以前の日記に書いたように、彼女が「料理を教えてほしい」と頼んできた頃からです。夫はいつも、昼食を食べに家に帰ってくるので、簡単なサラダやスープを中心にした軽食を用意するのですが、それを彼女と一緒に作ることにしました。彼女はもちろん、料理はできるのですが、野菜の千切りなどは、今までやったことがない様子。そこで、包丁の持ち方、野菜を持つ手の置き方などの基本をはじめ、玉ねぎのさらしかた、こげないにんにくの炒めかた、ドレッシングの作り方などのコツを教えながら、一緒に料理するようになりました。不思議なもので、女同士、一緒に台所に立っていると、それだけで、距離感が縮まるのですね。彼女が野菜を切っている間、私がボールや包丁を洗ったり、私が炒め物にかかっている間、使い終わったものを彼女がしまってくれたり。「これ、どうかしら?もうちょっと塩を足したほうがいいわよね?」などと一緒に味見をして相談したり。料理がスムーズに進むように、気を配り合って、共同作業をすることで、連帯感のようなものが生まれるのです。夫と、「今日のサラダはズズが作ったんだよ」「へえ、おいしくできてるね」などという会話をした後、ズズに「夫がおいしかったって」と言うと、とても嬉しそうな顔を見せたりします。そして、最近、不思議なことに、昔、あれだけ口を酸っぱくして指示しなければやらなかったことを、私が何も言わなくても、彼女が自らやっていることに気づいて、びっくりしています。もしかして、以前の私は、彼女のいいところを見たり、やる気を上手に引き出したりすることを忘れていたのかなあ、などと思ったりします。もちろん、怠け者だったり、チャッカリしていたりするところがなくなったわけではないはず。でも、人は誰でも、短所と長所があるし、いろんな側面を持っているもの。その中のどれが強く出るかは、私たちが彼らにどう接するかによって変わる。ズズに、そんなことを改めて思い出させてもらっています。
2006.10.17
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昨日の日記に、我が家の暮らしを支えてくれている人たちのことを少し書きました。今日は、その一人、我が家の「便利屋さん」のことを書いてみたいと思います。この「便利屋さん」の名前は、ジョン。交代で我が家の門番をしてくれている一人です。人見知りするほうなので、初めは、無愛想だなあ、と思いましたが、だんだん、とても頭が切れて誠実な人柄であることが分かってきました。外国人と見ると、とかく値段をふっかけてくる人たちが圧倒的に多いこの国で、彼は、そういう心配がまったく要らない、貴重な存在。例えば、家の中の何かが壊れて修理を頼まなければならない時など、修理屋さんが要求する部品代が相場に合ったものか、ふっかけてきているのかなど、ジョンに聞くと、教えてくれたり、その辺に確認に行ってきてくれたりします。それに、とにかく、何でも知っているのです。停電になったときに自家用発電機をまわしてくれるのも、電気系統のちょっとしたトラブルを直してくれるのも、ちょっとした家具を組み立ててくれるのも、テレビのアンテナを立ててくれるのも、いろんなものの修理を手配してくれるのも、みんな彼。停電の後、電気が戻ったのに、どうしても家の電気の調子が悪かった時、どうしようもなくて、非番だった彼を呼び出して、来てもらったこともあります。そんな感じで、ジョンは、我が家になくてはならない人になりつつあります。いつも、夫と、「この国で暮らすには、ジョンのような人がいてくれるに限るね」と言っています。いつも、嫌な顔ひとつせずに、いろんなことを引き受けてくれ、起こったことに、落ち着いて素早く対処してくれる。物欲しげなところがまったくなくて、非番の時に助っ人を頼んだ時など、少しお金を払うと、はにかみながら、半ば申し訳なさそうに受け取って、淡々としている彼。自分の内に、確かなものを持っている人なんだなあ、と、すがすがしい気持ちになります。この国で、そういう生き方をしていくのは、簡単なことじゃないはずなのに……。彼の、まっすぐな、澄んだ瞳を見るたびに、こういう人が、良さを認められて、力を伸ばしていける国であってほしい……と願わずにいられません。
2006.10.16
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先日の日記に、地元の人たちが貧しい暮らしをしているのを横目に見ながら、自分は快適な生活をするのが心苦しい、というようなことを書いたら、何人かの方からコメントをいただきました。総括すると、「それぞれに役割というものがあるんだし、罪悪感を感じることで得られることはない」というような内容で、私って、意外と貧乏性なかなあ、と苦笑いしたくなりました。確かに、私が心苦しく思ったところで、誰も得しない。だったら、割り切って、思い切りハッピーな有閑マダム(?)の「役割」を演じよう、と決めました(笑)。奇しくも、このところ、我が家で働いてくれている人たちとの接し方について、考えていたところでした。我が家では、アフリカや、他の発展途上国の例にもれず、門番やら、お手伝いさんやら、庭師やら、いろんな人が働いてくれています。日本では考えられない、恵まれた環境なのですが、実を言うと、私は、いつも門番やらお手伝いさんやらが家の中や庭をうろうろしているのに、なじめないでいました。とにかく、プライバシーが確保できない気がして、それがストレスになっていました。せっかく、テラスでゆっくり朝食を楽しんでいたと思ったら、そばで門番が庭の掃除を始めたりすると、もう気になって、楽しめなくなってしまう。居間で音楽を聴いたり本を読んだりしていても、お手伝いさんが出たり入ったりすると、どうしても落ち着けない。今思うと、笑ってしまうのですが、初めの頃は、お手伝いさんが来ないうちに急いで朝食を済ませよう、と焦ったり、書斎に閉じこもって、扉を閉めて過ごしたりしていました。でも、そうは言っても、彼らのサポートがなかったら、この国ではとても生きていけません。洗濯機のないこの家では、洗濯物はすべて手洗い。お手伝いさんは、慣れたふうに鼻歌を歌いながら、苦もなく洗濯しているように見えるのですが、汚れはきっちり落ちている。私にはとてもできません。停電が起きたときに自家用発電機を回すのだって、一度教えてもらったけれど、意外に難しくて、私にはお手上げ。いろんなものが故障した時だって、電話帳もないこの国のこと、どこに部品を買いに行ったり、修理を頼んだりすれば良いのか、見当がつきません。「自分でやってみよう」なんて、ちらりとでも思うこと自体、おこがましいのかもしれない……。そう気がつきました。いろんな形で私たちの暮らしをサポートしてくれている人たちに対する感謝の気持ちが強くなっていくと、みんな、(やり方がマズいと思うことはあるにせよ)私たちが快適に暮らせるように、一生懸命やってくれているんだなあ、と感じられるようになってきました。そうすると、不思議なもので、「プライバシーが確保できない状態」も、だんだん気にならなくなってきました。テラスで朝食を摂っているとき、通りかかった門番とちょっと会話をしたり、私がピアノを弾いているときに通りかかったお手伝いさんが、「すごくきれい」と言ってくれたり。そんな、小さなコミュニケーションも、ちょっとずつ増えてきました。私が、この家の「マダム」として、ゆったり、ハッピーにしているのが、彼らにとっては一番嬉しいことなんだ。「一人になりたいのに」とうるさがるのでもなく、「こんな仕事してもらって、申し訳ない」と心苦しく思うのでもなく、単純に、「ありがとう」という気持ちで。やっと、そう思えるようになりました。それが、今の私の「役割」なのですね。
2006.10.14
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皆さん、こんにちは。ここのところしばらく、我が家では、水不足の状態が続いています。雨季だし、水がないわけではないのですが、私たちが住んでいる地区の設備に問題があるようです。いよいよ水がない!という状態になると、門番が、そこいらの「若い衆」に助っ人を頼んでくれます。水が出るところから長いホースを引いてきて、バケツに水を汲み、それを我が家の貯水タンクに移す、という手作業を、延々と2~3時間やってくれるのです。作業代として彼らに払うのは、日本円にしてわずか600円!それでも、仕事のない若者たちにとっては、ありがたい収入なのですね。発展途上国と呼ばれる国々に住み始めて、もう6年になりますが、貧富の格差を目の当たりにしながら暮らすのには、いまだに慣れることができません。地元の人たちが信じられないような貧しい暮らしをしているのを横目に見ながら、自分は大きな家に住み、停電があれば発電機を回し、水がなくなれば、「助っ人」をしてくれる人たちにすずめの涙ほどの金額を払って水を確保する。スーパーで買い物をし、時にはレストランで外食する。(そして、それでも「暮らしにくい」と時々ぼやく……(笑))そのことに罪悪感をまったく感じないのは、簡単なことではありません。私がこの暮らしを止めて、もっと質素な暮らしにしたら、その分、誰かが助かるのであれば、喜んでそうするのに、と、何度思ったかしれません。でも、そうはならないことは、よくよく分かっている。だったら、割り切って、自分が快適に暮らせることを選んだほうがいい、というのが、今のところの結論です。先日、ある方のブログに、その方が沖縄へ旅された時の記事を見つけました。行く先々で出会う人たちがあまりに親切なのに、その方は感激されたそうです。そして、地元の人たちが(彼らの言葉で)「出会えば兄弟」という意味のことを口にするのを聞かれた時、「ああ、そういうことだったのか」と思われたそうです。この地で出会う人たちが、私の「兄弟」だとしたら。私は、いったいどうするだろう? と考えてみました。兄弟が本当に困った時は、きっと、食事だろうが、宿だろうが、薬だろうが、お金だろうが、喜んで差し出すに違いない。でも、長い間にできることは、つらくても、じっと見守ることくらいなのかもしれない。相手が安易に甘えてきた時は、あえてはっきり断ることかもしれない。そう思うと、この国に暮らしながら、いつも抱えている葛藤が、少し和らぐような気がします。
2006.10.12
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以前の日記に少し書いたように、私は子どもの頃から20歳を過ぎるまで、ずっとピアノを習っていました。今でも、ピアノを弾くのが大好きです。昔、「ピアノを習いたい」と頼んだとき、母親は快く承知してくれたのですが、ひとつだけ、約束をさせられました。習っている間、毎日、少なくとも30分は練習をすることです。そんなの、わけないさ、と思って習い始めたものの、意外と練習が苦痛になることがあるのに気がつきました。あんな約束、しなければ良かった……と恨めしく思いながら、時計とにらめっこして、形だけギリギリ30分弾く、なんてことも、けっこうありました(笑)。でも、だからといって、決して習うのをやめる気にはならなかったのです。やっぱり、根っこのところでは、ピアノを弾くのが好きだったんでしょうね。母は、ちゃんとお見通しで、習い事を続ける時に必要な規律を教えてくれようとしたに違いありません。そのうち、練習すればしただけ上手になっていくことも、退屈な練習曲をマスターすることが、好きな曲を弾くための土台になることも、少しずつ分かってきました。そうなると、逆に早く上手になりたくて、言われなくても何時間もピアノに向かったりするようにもなりました。しかし、ここで直面したのが、スランプと呼ばれるもの。練習しても練習しても、いっこうに上手にならないどころか、かえってヘタになっていっているような気がする! 私にとっては、まったく未知の世界でした。どうせうまくならないんなら、もういいや、と、半ば投げやりな気持ちになって、形だけの30分の練習に逆戻りしてしまったりもしました。でも、不思議なことに、落ち込みながらもコツコツと練習を続けていると、ある日、霧が晴れたように、いつの間にか、弾けなかったものが弾けるようになっていることに気づくのです。時間が解決したとしか言いようがない、不思議な現象。ピアノっていうのは、一直線状に上達していくものじゃなくて、しばらく同じところにいた後、ポンと階段を一段上がる時期がやってくるものなんだ、と思いました。今、振り返って、人生もピアノの上達になぞらえることができるかもしれない、と思います。大曲を上手に弾けるようになりたければ、まず、その土台となる練習曲をくり返し練習する必要がある。いよいよ、大曲に取り組む時が来ても、片手ずつゆっくり練習して、それをマスターしたら、初めて両手で弾く。スランプの時期は、いつか階段を上がれる日が来ることを信じて、ひたすら地道な練習を続ける。同じように、人生の階段を上がりたいと思ったら、まずは土台を固める。スランプの時期は、人生を生きる「技術」を磨きながら、静かに待つ。当たり前のことなのに、意外と難しいものなのですね。ここのところ、私は、練習曲を練習する代わりに、いきなり大曲を両手で弾き始める、ということを、気がつかないうちにやっていたのかもしれません。まだ練習曲もマスターできていないなんて、認めたくなくて……。初心に帰るつもりで、ピアノに向かう時も、あえて練習曲をじっくり弾いてみるようにしよう。好きな曲も、通して弾くだけじゃなくて、昔のように片手ずつ練習してみよう。そう思っています。もしかしたら、好きな曲が上手に弾けるようになる頃、人生でも階段を一段上がることができるかもしれません。
2006.10.11
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昨日は、夫の誕生日。この街としては高級な(?)フランス料理のレストランでお祝いしました。店内は、アール・ヌーボー調。蔓のような模様が描かれた繊細なランプや、壁にはめ込まれた鏡がなかなかおしゃれです。夫と二人で、食前酒と一緒にカナッペを楽しんで、おいしい食事に舌鼓を打って、ワインも開けて、と、久しぶりに贅沢な時間を過ごしました。「すごくおいしかったね。本当にありがとう」と満面の笑みを浮かべる夫を見て、私も大満足。実は、夫と知り合ってから、誕生日を一緒に過ごすのは、まだ二回目です。結婚するまでの4年半にわたるおつきあいの大半を、「遠距離」で過ごしたからです。夫の誕生日を一緒に過ごした「一回目」は、つきあい始めて約半年が経った頃でした。当時、私たちが住んでいた国は、彼の母国のすぐ隣だったので、誕生日を家族で祝うために週末、実家に帰るのに、私を一緒に連れて行ってくれたのです。その時、ちょうど、夫は遠い国に転任することが決まったばかりでした。離れ離れになるのが寂しくてたまらなかった私。でも、彼の家族にとても温かく迎えてもらって、彼の子どもの頃の話なんかを聞きながら、彼が生まれ育った街を見て歩いて、いろんな話をしていると、今までよりも二人の絆がちょっとだけ強くなったような気がしました。これから離れるっていう時に限ってこんなことが起こるなんて、なんだか不思議。そう思いつつ、せっかく強くなった絆を大事に大事にしていこう、と心に決めました。あれから、かれこれ、もう5年。その間には、迷ったり、悩んだり、落ち込んだり、もうやめようかと思ったり(笑)、本当にいろんなことがありましたが、なぜか、一緒にいることをやめなかった私たち。こうやって、一緒になって、また一緒に誕生日を祝うことができるのが、何だかとても不思議な気がします。これから毎年、夫の誕生日を一緒に祝うとき、5年前のあの日に心に決めたことを思い出そう、と思います。そして、不思議な縁と、夫が傍にいてくれることに、心からの「ありがとう」を言いたいです。
2006.10.10
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「何もしないでいる時期」、気ままに、心がおもむくことをやってみることにした、と昨日の日記に書きました。そのほかに、もうひとつ、試してみているのが、普段の暮らしの中でやることを通して、「愛を表現すること」です。これは、寺山心一翁さんの「フィンドホーンへのいざない」という本に書かれていたことをヒントにしたものです。ご存知の方も多いかもしれませんが、フィンドホーンというのは、スコットランドにあるコミュニティで、スピリチュアルな活動を行ったり、訪れる人たちに、コミュニティで暮らす「体験週間」というプログラムを提供したりしています。この「体験週間」の中の活動のひとつが、love in actionと呼ばれるもの。台所仕事、庭仕事、建物のメンテナンスなどの日常の仕事を、愛をもって行い、周りの人たちと協力してよいものを作るのだそうです。私のlove in actionは、まず、自分の身体のケアから始めます。朝、シャワーを浴びた後、身体や顔の手入れをする時は、肌をいたわる気持ちで、いつもより念入りに、心をこめて。すると、しばらく注意を向けていなかった足がカサカサになっているのに気がついたりします。気がついたら、「ずっとほったらかしでごめんね」という気持ちをこめて、クリームを塗ってみます。同じように、例えばお皿を洗う時なんかも、「お気に入りのこのお皿をピカピカに磨いて、豊かな食事の時間を過ごそう」という気持ちをこめてみる。料理する時は、食べる人の喜ぶ顔を思い浮かべながら、メニューを考えて、いつもよりも丁寧に作ってみる。パソコンのスイッチを入れる前に、机の上を拭いて、お香を炊いてみる。何気なくやってしまいがちなひとつひとつの行動に「愛をこめてみる」ことで、ルーティンワークが、自分や夫や友人のために居心地のいい空間や時間を作るための作業に変身します。そして、不思議と満たされた気持ちになって、そのせいか、夫まで、いつもより優しいような気がします(笑)。ふと、昔、好きでよく読んでいた森瑶子さんのエッセイに、次のようなことが書かれていたのを思い出しました。「私が今、本当にやってみたいのは、心をこめて「主婦」をすること。時間をかけて家をきれいにしたり、好きな食器たちを磨いたり、ケーキを焼いて友だちを招いたり、編み物をしたり、といったことを、ゆっくりとやってみたい」あそこまで売れっ子のもの書きになると、執筆、講演、取材旅行等で息をつくヒマもなくて、そういう形で息抜きしたくなるのかしら、などと思いながら読んだものです。でも、今思うと、森さんは、目まぐるしい暮らしを続けることで、大事なものが失われているように感じていたのかもしれません。できる時間がある時に、しっかり、Love in actionの練習をしておこう、と思います。もっと忙しくなる時期が来た時に、それを見失わないですむように……。
2006.10.09
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先日の日記に書いたように、今は、私にとって、「何もしないでいる」ことが必要な時期のようです。そこで、とりあえず、気ままに、心がおもむくことをやってみることにしました。すると、ピアノに向かったり、プールでひと泳ぎしたり、テラスでぼうっと夕焼けを眺めたり、という、「何も考えない」時間を過ごすことが多くなっています。朝の日課にしている、ちょっとした瞑想をやっても、何となく気分が晴れない……。そんな時、ふっとピアノに向かって、ひたすら好きな曲を弾いてみる。すると、雲の間から陽の光が差してきたように、なんだか気持ちが明るくなっていることに気づく。午後になって、何となく、身体が重たい感じ。ふと思いついて、プールで30分ほど過ごしてみる。身体の動きだけに集中して、ひたすらゆっくり泳いでみたり、仰向けになって、空を眺めてみたり。すると、身体も心もスッキリ軽くなっていることに気づく。夕暮れ時、沈んでいく太陽をぼうっと眺めて、だいだい色の光に染まっていく庭の草木を愛でながら、ゆっくりお茶を飲んだ後、なんということはなく、満ち足りた気持ちになっている。結婚を機に退職して、この国に住み始めてから、そんなに忙しくしていたつもりはなかったのに、今思うと、「何もしない」「何も考えない」時間を純粋に楽しむことは、意外にしていなかったのかもしれません。「頑張って仕事した後のリラックスタイム」という、「何かをした代償」としてしか、「何もしないこと」を自分に許していなかったのかもしれない。あるいは、「何もしないでいる」つもりでも、仕事やら、心配事やら、いろんなことを考えて、頭をからっぽにはしていなかったのかもしれない。そんな気がします。今日、ある方から、とても面白いメッセージをいただきました。「忙しいことを現代人はよしとする傾向があるけれど、『忙しい』=『心が亡ぶ』ってことなんですよ」って。眼からウロコが落ちるようでした。現代人が考えもしなくなってしまった大事なことを、昔の人たちはちゃんと分かっていたのですね。「心が潤う」時間をじっくり楽しんでみようと思います。
2006.10.08
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先日の日記にもちょっと書いたように、数日前、私が昔から好きだった、モーツァルトのオペラ「魔笛」を久しぶりに聴きました。このオペラの中では、賢者たちの仲間入りを目指す王子が、そのためのいろいろな試練を課せられます。そのひとつに、「無言の行」というものがあります。つまり、試練の間は、何があっても、誰とも決してしゃべってはいけない、というものです。昔は、この試練を、単なる「ガマン比べ」としか捉えていませんでした。人は誰しも、しゃべりたくなる衝動を持っているものだから、それに打ち勝つ、ということだろう、と。でも、今回、夫とケンカした後、改めてオペラのこの場面を聴いていると、ちょっと違うものが見えてきました。しゃべらないでいると、否応なしに、周りで起きていることを一方的に見聞きすることになります。そして、起きることや、人が言うことに対して、しゃべることで即座に対応する代わりに、時間をかけて熟考する機会が得られる。一見、受身の行動に見えるけれど、実は、すごく奥深いことなのかもしれない。そう思ったのです。賢者の仲間入りするために「無言の行」が必要なのは、そういうことだったのか……。私にとっては、ちょっとした発見でした。今度から、誰かがだんまりを決め込んでいるように見えて、イライラすることがあったら、「無言の行」の最中なんだ、と思うようにしてみようかな。ヘタにしゃべるより、熟考することが大事だって分かっているから、あえてしゃべらないでいるんだ、って。そして、ケンカや争いになった時、つい、口を開きそうになったら、私も、自分に「無言の行」を課してみてもいいかもしれない。そんなことを考えていたところ、今日、私が愛読しているいくつかのブログに、「私たちは、何かをすることが、与えることであり、愛であると思いがちだけれど、ただ、ただ、一緒にいること、黙って聞くことも、深い愛の表現だ」というようなことが書かれてありました。とても、考えさせられました。昨日の日記に書いたように、「今は何もしないほうがいい時期」ということが分かって、少々がっかりしていました。でも、あえて何もせず、大事な人たちと(物理的には離れていたとしても)一緒にいて、彼らが言うことを黙って聞く。まず、それをやってみよう。そう思っています。ひょっとして、いつの日か、私も「賢者」の仲間入りができるかもしれません(笑)。
2006.10.06
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今日は、タロットの勉強をずっとされてきた、YOKO.comさんに、遠距離で、私のライフワーク等についての今の状況等を見ていただきました。自分がどんなふうに生きていきたいか、方向性は見えてきたものの、具体的にどのようにそれを形にしていったらいいのかが、自分でもはっきり見えないでいました。そこで、YOKO.comさんに、その辺りを見ていただいたわけです。ところが……。結果は、「今は、動かないほうがいい」というもの。こんな方向がいいかな、あんなのはどうかな、と思い描いていたオプションは、どれもボツ。正直言って、ショックでした。(言いにくいことをはっきり言ってくれたYOKO.comさんに感謝しています……。)「こっちの方向に進めばいいんだよ!」という答えを見つけるつもりだったのに、「何もするな!」って言われてしまうなんて。機が熟すのを待ったり、種を蒔いたら、実りを信じてひたすら水や肥料をやり続けたりするのが必要な時期もある。それは、分かっていました。でも、今、置かれている環境でそれをやるハメになろうとは……。家族や親しい友人たちが殆ど身の回りにいなくて、自由に出歩くことができなくて、娯楽も殆どない、この国での暮らし。ここでは、「なんとなく」楽しい時間を過ごすのは、決して簡単ではありません。しかも、今は、「とりあえず」できる仕事もない状態。何もしないほうがいい、って言ったって、じゃあ、毎日、何をして過ごせばいいっていうわけ?! でも、考えるうちに、少しずつ、分かってきたのです。「何か」をやらなきゃ、って思ってしまうのは、そうしないと、自分は何のとりえもない人間のような気がするからなんだ、って。あえて、何もしないことを「強いられる」のは、今の私にそれが必要だからなんだ、って。ふと思い出して、数ヶ月前に買った、ビクトル・フランケル著の「Man's Search for Meaning」(邦題は、「生きる意味」を求めて)の本を手にとってみました。ご存知の方も多いかと思いますが、この本は、フランケル博士が、ナチスのユダヤ人収容所での自らの体験を通して、生きることの意味について考えたことを書いたものです。実は、私がこの本を読んでみたいと思ったのは、この国での暮らしを楽しむことができなくて、悩んでいた時でした。想像を絶する苛酷な環境に生きることを余儀なくされた人が、何を考え、そこに何の「意味」を見出したのか、知りたくなったのです。この本の中には、例えば、次のようなことが書かれています。「すべてから見捨てられて、いかなる形でも自らを表現することができないような状況でも、ただひとつできることが、「正しい」やり方で苦しみに耐えることであっても、人は、愛する者たちに愛の想いを捧げることで、何かを成就することができる」「私たちは、人生に対する向き合い方を根底から変えざるを得なかった。私たちが人生に何を求めるか、ではなく、人生が私たちに何を求めるか。そして、人生の意味を問う代わりに、私たちが毎時間、毎秒、人生に問われているのだと考えねばならなかった」人生には、不本意でも、起こることを静かに受け止めて、ただただ、身を委ねることも、時には必要なのかもしれません。「何をするか」ではなくて、どう生きるのか? 何もしないという状況で、どう生きるのか?今の私には、それが問われているのでしょう。新しいチャレンジです。
2006.10.05
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昨夜、夫と一緒にテレビを観ていたら、「ロード・オブ・リングス」の最終篇が放映されていました。以前、一度観たことはあったのですが、とても印象に残った映画だったので、大喜びで再度観ることにしました。戦闘場面の素晴らしい迫力や、神秘的な景色の美しさはもちろんのこと、深いメッセージがこめられた作品だなあ、と改めて感動しました。三篇通してこの映画を観て、一番私の心に響いたセリフのひとつに、次のようなものがあります。「何かを成し遂げる人たちと、そうでない人たちの違いは、もしかしたら、一度歩き始めた道を、何があっても歩き続けるか、途中であきらめたり、引きかえしたりするか、それだけなのかもしれない。そして、ひたすら道を歩き続ける人たちが、歴史を作っていくのかもしれない。」(正確には覚えていませんが、このような内容だったと記憶しています。)主人公のフロードと、彼を傍で支え続けるサムが、先の見えない困難な旅路を進んでゆくとき、サムが口にするセリフです。何の変哲もない、普通の者だと誰もが信じて疑わなかったフロードが、世界の運命を左右する大任を果たすハメになる、という設定。絶望的に見える状況の中で、彼を信じて支えながら、捨て身の努力を続ける人たち。何があろうとあきらめず、数え切れない困難を経て、大任をまっとうするフロード。そして、彼と、彼を支えた仲間たちを前に、王自らがひざまずき、世界中がそれに倣う場面。あっけにとられながらも、フロードと仲間たちが見せる、誇らしげな喜びの表情。「英雄」とか、「偉業を成し遂げた人」とか呼ばれる人たちは、ひょっとして、そうやってつくられていくものなのかもしれません。もちろん、生まれつき「特別な人」もいるかもしれませんが、私たちのような「普通の人」が、迷い、悩み、苦しみながら、決めた道を歩むうちに、気がついたら、何かが成し遂げられていた、ということだって、実はたくさんあるのかもしれない……。誰もが内に秘める力と、無心に自分の道を歩むことの美しさを、強く感じました。
2006.10.04
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皆さん、こんにちは。実は、ここ数日間、夫と冷戦状態が続いていました。プライベートなことだし、ブログに書こうか、どうしようか、けっこう迷ったのですが、私にとってはいい経験だったので、やっぱり書いてみることにしました。よくあるように、ちょっとしたことが原因でケンカになってしまって、今回はどこでどうボタンをかけちがえたのか、誤解が誤解を招き、誠意を持って対応しているつもりが、火に油を注ぐような結果になってしまいました。夫がハリネズミのように自分の殻に閉じこもってしまうのは、彼が苦しんでいるからだということは、少しずつ分かってきました。そして、理不尽に見えても、彼にできる精一杯のことをやっているんだ、ということも。だから、遅ればせながら、私なりに心をこめて伝えました。傷つけるようなことをしてしまって悪かったこと。彼をとても大事に思っていること。でも、私の思いは、彼の心には届かないように見えました。そんな中で、私の気持ちは揺れ動きました。まったく意図しなかったとはいえ、大事な人をそこまで傷つけて、追い詰めてしまったのだろうか。どんなに大事に思っていても、もう分かり合えないのだろうか。もしかして、二人の仲がもとに戻ることは、もうないんだろうか。不安と恐怖が、どんどん膨れ上がっていきました。そんな時、数ヶ月連絡がなかった友人から、メールが届きました。何ということはない、近況報告のメールなのに、不思議なことに、心に染み入るような、スピリチュアルなメッセージが添えられていました。私は、そのメッセージを夫にも送りました。その夜、夫の帰りを待ちながら、ふと、音楽が聴きたくなって、モーツァルトの「魔笛」のオペラをかけました。(このブログを立ち上げた時の日記に書いたように、私のハンドルネームのパミーナは、このオペラに因んでいます。)このオペラの最後の方に、王女パミーナが、恋人がもう自分を愛していないと思い込んで、自殺しようとするところで、誤解が解け、晴れて恋人と再会する、とても美しい場面があります。その場面を聴きながら、何だか、自分たちに向けられたメッセージのように感じられてなりませんでした。友人のメッセージといい、このオペラのメッセージといい、偶然ではない、何か、違う世界のものが語りかけてくれているような、ちょっと不思議な感覚でした。そして……。帰ってきた夫と、やっと仲直りできました。夫が、彼なりに努力して、心を開いてくれた。そのことがとても嬉しくて、「ありがとう」という言葉が、自然に口をついて出ました。もう、こんな痛い思いはしたくないなあ、と正直言って思いますが(笑)、違う人と一緒に暮らす時、互いがその時に一番いいと思うことをしても、気持ちがすれ違ってしまうことは、減らすことはできても、避けることはできないのかもしれません。でも、ヘタでも、時間がかかっても、誠意は伝わるものなのかもしれない。だから、相手を大事に思う気持ちを見失わないようにしよう。意地を捨てて、ためらわないで、自分にできる形でそれを伝えていこう。相手も、精一杯の努力をしていることを忘れないようにしよう。そして、「何か」が守ってくれることを信じよう。そうすれば、難しいことも、きっと一緒に乗り越えていける。今は、そんなふうに思えます。
2006.10.03
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先日の日記に書いたように、4日間、夫の出張に同行して、今住んでいる国の別の地域を訪れてきました。行く先々で、夫の仕事仲間が、「よく来てくれたね~」「せっかく来たんだから、この街や、私たちのやっているプロジェクトを見て行ってね」と、とても温かく歓迎してくれました。しかし、この街は、う~ん、はっきり言って、汚い!人口2百万人(大分サバを読んでいるように見えますが)の街というのに、舗装された道路は、ほんの一部。あとは、デコボコでガタガタの、四輪駆動車でも通るのに苦労するような、赤土の道。その両脇に、掘っ立て小屋のような店や露店が並んで、いろんなものを抱えたり頭に乗せたりして歩く人々が沢山行き交っています。そして、辺りに散らばるゴミのおびただしいこと。一方、そんな中に、妙にきらびやかなつくりの大きな家があったりもします。街の中心をちょっと離れると、もう街というよりは村のような風景になります。道はさらにデコボコですが、南国の木が茂っていて、鮮やかな緑が眼に染みます。辺りに見える家々では、ヤギや鶏が飼われています。そんな道を抜けて、かれこれ30分ほど走ったところに、カトリックの修道院があります。夫が働くNGOがそこの診療所と一緒に仕事をしているというので、その修道院を一緒に訪れました。出迎えてくれた修道女の方たちは、30年以上も前からずっとここで働いているという、スペインの方。初めて会う私を、まるで、古くからの知り合いでもあるかのように、温かく迎えてくれました。見せていただいた修道院の中の診療所や薬の保管所やらは、簡素ながら、きれいに片付けられていて、庭には花やハーブが植えられていて、静かで居心地のいい場所でした。ごちゃごちゃした街を通ってきた後では、ちょっとだけ、砂漠のオアシスに出会ったような気になります。訪れる人たちのために居心地のいい場所を作ろうとする修道女の方たちの愛情が、温かで静謐な空気を作り出しているのでしょう。しかし、修道女の方たちが話してくれたこの地域の現状は、残念ながら、とても明るいものとは言えませんでした。政府が機能しておらず、以前は街の繁栄の要だった、ダイアモンドの鉱山がさびれていること。そのせいで、街は荒れ放題で、道路、水、電気などの整備がまったくなされていないこと。度重なるクーデターによる政権交代や、内戦に疲れた人々は、修道女の方たちのような外国人を見ると、たかることしか考えず、敵愾心をあらわにするようになってきていること。教育のある人たちは、相次いで国を去ってしまい、この「頭脳の流出」が状況をさらに難しくしていること。30年以上にわたって、この国の歴史を自ら生きてきた方たちの言うことだけに、重みがありました。二日目は、やはりカトリック系の病院を訪ねるのに同行。道中、夫と一緒に仕事しているカトリック系の団体の職員の方と話す機会がありました。彼女は、ともすればないがしろにされがちな貧しい売春婦の人たちをエイズなどの病気から守ったり、既にエイズにかかっている人たちが互いに助け合っていけるようにしたりするために、これからやっていきたいと考えていることをエネルギッシュに語ってくれました。皆が言うように、この国が良い方向に向かうのには、まだまだ長い時間がかかることでしょう。その間、先の見えない、混沌とした国の中で、行き先を見失っているように見える人たちと、淡々と、できることに力を尽くしている人たちがいる。彼らは、いったい、どんな国の未来を作っていくんだろう?そして、こういう国に暮らす一介の外国人である私は、どういうスタンスでこの国の人たちに接していけるだろう?そんな疑問が、今、私の頭の中で渦巻いています。この疑問が解決できる日は、もしかしたら永遠に来ないかもしれません。だから、無理に答えを見出そうとは思いません。今は、ここに来て見たものを、解釈したり、意味づけしたりせずに、そっと心の中にしまっておこうと思います。
2006.10.01
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