全6件 (6件中 1-6件目)
1
====================================「かわら版NO.1276 ソフトノミクス情報」040121より <全席優先席は、関西の阪急電鉄と神戸電鉄が導入>◆全席を優先席に 横浜市市営地下鉄(毎日新聞:12月1 日) 横浜市市営地下鉄は、12月1 日、座席すべてを高齢者や障害者、妊婦ら向けの優先席にした。地下鉄駅では歓迎する高齢者に対し、若者らからは不満の声も聞かれた。全席優先席化は、関西で阪急電鉄(大阪市)や神戸電鉄(神戸市)が導入している。東日本では初の試み。 市営地下鉄は、高齢者が比較的多い地域を走っており、市交通局には「もっと優先席を増やして」などの要望が多数寄せられていた。優先席は、1 両3 席から48席に一気に増えた。車内では窓などに全席優先席化を知らせるシールが貼られただけで、座席の色などに変更はない。 導入初日のラッシュ時には、中田宏市長が横浜駅改札に立ち、協力を呼び掛けた。駅構内などでは、歌手の小田和正さんや落語家の桂歌丸さんら横浜ゆかりの著名人19人が「ご協力を」と訴える音声メッセージを流した。 「いいことだ。本当に助かる」(73歳、会社役員の男性)など、高齢者は歓迎しているが、「若い人でも具合の悪い時がある。そういう時はどうすればいいのか」(18歳、男子高校生)など、不満の声もあった。●田原の意見 全席優先になったということは、優先席はなくなったということに等しい。私は年の割に若く見えるし、実際ランニングマシーン上とはいえ週2回30分5kmを走っている身としては、どんなに疲れていても優先席だけには座るまいと心に決めて、シルバーシートができて以来ずっと守ってきた。しかし、全席優先席になれば・・やっぱり疲れていれば座る! やがて優先席ということも忘れてしまうのではないか。人間には、そうゆう弱い面や怠惰な面があるのではないかと思う。差がなくなれば意識されることもなくなる。一種の悪平等になる可能性がある。 それよりも優先車両を設け席はお座敷にする、などもっと優先席を強調したほうがよい。★日下の意見 パブリックの話をする時に、自分の話を例に出すのは、会話のパターンですね。読み物にするなら、第2ラウンドに進んで、必要効率、法律、経済で考え、海外の例やラッシュ時とそれ以外の様子の分析など、もう踏み込むと良いですね。お座敷にする、ということだが、優先席は足腰の弱った人のためだけにあるの?(田原)他には、妊婦とかですね。 若い女性のセクハラ避け、というのもあるんだよ。セクハラ取材のために2~3月も電車に乗りまくった産経新聞の記者によると、セクハラをする年寄りもいるから、セクハラ防止にならない優先席もあるようですが。●篠の意見 全席優先は若者のためにこの頃の若者を見ると本当に疲れ切っていると思う。コンビニの店先や電車のドア付近に中高生が輪になりへたり込んでいる姿を見る度、「お疲れさん」の一言をかけてあげたくなる。 そこへいくとシルバーは元気だ。丸ビル、六本木ヒルズ、カレッタ汐留の開業時に、大挙押し寄せたのはシルバーだし、町中をディーバッグを背負い、スニーカーで闊歩するのもシルバーだ。 65才以上の高齢人口の割合は今17% ぐらいだが、それが2014年には25% に達する。一方15~19才の割合は今5.4%、2014年には少子化がもっと進むとして3%ぐらいか。シルバーパワー全開の時代へ向け、ここは一つ電車の優先席は「若者のみなさんへ」といきたい。★日下の意見 そもそも年齢で分けることはない。疲れているかどうか、で分ければいい。でも、そんなことをいちいち測ることはできないんだよね。若い人でも座りたい人は、列車を1 本見送って、ホームで順番を待っている。それなのに、後から来た年寄りが、席を譲れと言うから、腹が立つんだよね。年寄りだって、1 台待てばいい。つまり、他に救済手段があるかどうか、で判断すべきなんだね。1 台待つなり、グリーン券を買うなり、別の方法があるなら、誰でも礼儀正しい方を選ぶべきなんだ。電鉄会社は、「我々は商売ですから、座りたい方はグリーン券を。」と言えばいい。年寄りの優遇を、というなら、自治体がバスと同様に補助金を出せばいいんだ。●浅井の意見 ルールでがんじがらめにしなければならなくなったのは、日本人が「思いやりの心」という共通認識を失ったからだ。 アメリカのテーマパークのアトラクションの多くは障害者専用口が用意されており、一般の乗り場に長蛇の列ができていても、障害者は並ぶ必要がない。障害者がいなくても一般には解放されず、頑なにルールに従って誘導する。席は一定数あるのだから、専用口を一般解放すれば、人がスムーズに流れるのにと思った。 全席優先席化は、中吊り広告と窓ステッカーで知らせるようだが、横浜市営地下鉄の中吊り広告は2 日で180,000 円、ステッカーは1 ヶ月で144,000 円。それだけの費用をかけるなら、吉野弘氏の「夕焼け」の詩を掲出した方が効果的だ。行政が声高にルールを押し付けても、思いやりの心は育たない。★日下の視点 思いやりの心はお互い様です。心優しい人が年を取ると、自然に席を譲ってもらえそうな顔になるものです。思いやりの心を誘い出す力、というのがあるんです。赤ん坊の持つ力がそうですね。無力な彼らは、周囲の人が手を差し伸べたくなる仕草を本能で知っています。 アメリカのユニバーサルスタジオを訪れた時、車椅子の人と一緒に付き添い2 人が、専用口からどんどんアトラクションの中に入って行く光景を見ました。関係者は、付き添いの人はインチキが多いのです、と嘆いていました。証拠はありませんから、どうしようもありません。結局、インチキしてまで入りたいと思ってもらえるのは、ユニバーサルスタジオ側には有り難い話なんですけどね。■ヒバゴンの意見高齢者や障害者、妊婦に優先席は常識的には分かるが、高齢者を全て対象にするにはチョットやり過ぎでは。高齢者の定義は・・60歳以上70歳以上それとも55歳以上などなど。70歳でも若く見える方。50歳でも老けて見える方。外見で判断するのは難しい。ましてや若く見える70歳の方が座りにくくなることも考えられる。そうなればトラブル防止で、席に座る方は首から年齢証明を下げることも必要。ヒバゴンでも体調の悪い時には、列車を1本見送って次の汽車に乗る場合がある。こんな時に限って目の前に高齢者方が来られると笑顔で席を譲る羽目になる。列車を1本見送ったことも報われない。当然席を替わる替わらないは個人の判断だが、全席優先席となると高齢者が我が物の顔で座席を独占する日がくる(笑)。いつも不思議に思う事は、早朝の通勤電車の中に熟年の登山の団体が乗ってくると必ず空き座席を必死で確保する光景。当然優先席は必要も無いしマナーも無い。座りたくない高齢者の方もいれば、身体が不調で座りたい若者もいる。相手を思いやる気持ちがあれば優先席など必要がないのだが・・・・冷たいようだが高齢者の方で座りたい方は、まず自分からお願いをするのが一番と思う。障害者や妊婦さん、赤ちゃんなどを連れたご婦人には無条件で席を譲る。これは日本人の最低マナー。
2004.01.30
コメント(1)
====================================★~北から南から~「かわら版NO.1274 成功宣言文の対比分析」040115より 前野七彦さんから中国の話をお送り頂きました。私たちは、目の前に起きたことに対し、素直にただ感じれはよいのに、すぐに善し悪しを判断してしまうというご指摘です。==================================== 中国の片田舎にある一人の男性が住んでいました。ある日、彼は名馬を手にします。それを見た隣の人は、やって来て「おめでとう、素晴らしくいい馬だね。君はラッキーな男だね」とお祝いをしてくれました。すると彼は、「このことが良いことだって、あなたはどうしてわかるんですか」と言うわけです。彼は、出来事に「良い・悪い」の判断をつけない人だったのです。お祝いを言いに来た隣の人は、彼のことを「変なヤツだ」と思いました。 しばらくして、その国の王様が近くを通り、その馬に目を留めます。あまりにすばらしい馬なので「この馬を手に入れたい。お金はいくらでも払おう」と男に所望しました。それを聞いた隣の人は「良かったね、これで君も大金持ちだ」と言うわけです。ところが彼は、「私にとってこの馬は家族同然、手放すわけにはいきません。お金に交換できるものではありません」と、いとも簡単に断ってしまったのです。「バカだなぁ、こんなにいい話を断ってしまって・・・、大金が入るはずだったのに台無しだ」と隣の人は、また良い・悪いの判定をするわけです。すると彼は、「どうして、これがバカなことだってわかるのかい、ねえ君」って答えるのです。 そしたら翌日、その馬が逃げてしまって、いなくなりました。そこで、隣の人が「ほら見ろ。だから言ったじゃないか、売っていれば大金持ちになれたのに、馬もいなくなった。お金も手に入れ損なった。かわいそうなヤツだ」って言うのです。彼は、「どうしてこれが、かわいそうなことだって、君にわかるんだい」って言い返すわけです。 確かに、昨日までいた馬が今日はいない。これが「あるがままの状態」であり事実です。事実は単に、昨日までいた馬が、今日はいないということだけです。それをあなたは、この事実をあなたの判断で「良い・悪い」と判定して観ているだけです。 そして半年後、その馬が子馬を連れて戻ってきました。隣の人は「ツイてたね、君は!」とまた判断するのです。彼は、「一頭だった馬が二頭になった。これは事実だけど、それがいいかどうかはわからない。どうして、あなたにこのことがツイていると判断できるのか」と言うわけです。 しばらくして、彼の息子がその子馬に乗って遊んでいたら、落っこちて足が不自由になってしまいました。それを見て隣の人が「気の毒に、息子さん、かわいそうなことをしたな」って同情するわけです。すると彼は、「骨折して足が不自由になったことが、どうしてかわいそうなことだって、あなたにわかるのか」と言うわけです。 しばらくして、戦争になりました。隣の家の息子さんは徴兵されて、戦死して帰らぬ人になりました。隣の人が「君はラッキーだね、君の息子さんは落馬して足を折ったおかげで徴兵を免れて、今も元気に生きているけど、私の息子はいなくなってしまった。私はなんて不幸なんだろう・・・」そこでまた、彼が言うわけです。「どうして、それが不幸なことだってわかるのかい。君・・・」。 ある出来事に対して、それが良いことか悪いことかはわかりません。判断することにはあまり意味がないのかもしれませんね。でもでも・・・わたしたちは、いつもいつも物事を判断して生きているのではないでしょうか!? 人から何かを言われて、ある人はそれを悪口だと判断するかもしれませんが・・・それが悪口かどうかはわからないし、言われたことが本当に悪いことかどうかもわかりませんよね。良いか悪いか考える時間があったら、そのエネルギーを「今に生きる」という方向つまり「今ここ」をあるがままに感じることに使いませんか!?====================================目の前に次から次えと起こる現象に、一喜一憂するぐらい無駄な事は無いと言うことですネ。 ましてや他人事に・・・・この無意味な事を、誰もが無意識にしている事に気づかなければいけませんネ。他人の人生にとやかく言うほどの見識は持ち合わせていないヒバゴンとしては先人の「今に生きる」を精一杯実践できればと考えます。
2004.01.23
コメント(4)
==================================== 「かわら版NO.1271 成功の宣言文その40」040107より☆私の師匠たちN0.7 「職人の世界」 今週は石川県鶴来町にある山下製材所の山下さんです。師匠についてと日本 伝統について話して頂きました。(矢島) ☆私の師匠たち 私は現在3代目で製材所をやっていますが、先代は木こりでした。私の師匠 ということですが、私が23歳の時に父親が死んでしまいました。その後は まわりにいた職人さんたちが師匠でした。当時は朝の4時から日が沈むまで 仕事をしてましたから、仕事と私生活が一体という感じで、職人さんたちに 色々教わりながら頑張っていました。私は3代目ですが、やはり前の代の人 の後を継ぐということは大変なものでした。継ぐべきものは大きく3つあり ました。それは、「もの、技術、信用」です。特に信用は大事で、先代たち が何十年もかけて築きあげてきた信用ですからプレッシャーもありました。 師匠というものについてお話しますと、例えば企業でいえば規則やマニュア ル、職人でいえば作業の工程というものがありますね。こういったものは頭 で描いたものなのです。実際に現場で働けば毎日状況が変わるのです。そう いった中で手抜きをさせず、いかに人の能力を引き出せるか、それが師匠と いうものではないでしょうか。手抜きというものは、その時はごまかせても 必ず最後に出てしまうものなのです。1年後3年後、いつの日かつけがまわ ってきてしまうものです。( 山下) ☆山下さんから一言 当時、私のまわりにいた職人さんというのは、大工と製材技術をもった職人 です。今は廃れてきていますが、当時は花形でした。いかに木のきじ肌を出 すかが勝負だったのです。やはり、こういった職人さんが建てた日本建築物 は100 年200 年たっても立派に建っているわけです。今の建築は、数十年で ダメになってしまいます。また、素材にもこだわりを持ってました。木は生 き物、命あるものです。お宮さんをつくる時は、お酒を持っていってお祓い をしてから木を切っていました。枝も燃料として使い、木の皮も屋根に使っ たりと素材を大事にしていました。建築技術以外にも、日本の伝統技術を持 っている職人さんは、今もまだいます。しかし、生活様式の変化からそうい った技術が求められず、伝統技術が発揮される機会が減り、だんだん技術が 廃れていってしまうのです。職人というものは、自分の仕事が100 %できて 当たり前の世界です。こういった職人、職人の世界を今までたくさん見てき ましたから、今の日本の建物、技術にはいくらでもクレームを言えます。 世間では日本文化、伝統技術を大事にしよう、守ろうとか言っていますが、 無理矢理守ろうとしている感じがします。日本人が本当にそういったものを 必要としなければ、継がれていくことは難しいと思います。 (山下) ☆最後に 日本建築物のお話ですが、昔は金属を一切使わず、本当に木だけの建築物が 多く、これは木が多いという日本の条件を上手く使いこなしている印象が あります。また比較的雨が多い国なので、湿気をためない構造になっている 瓦屋根が適していました。こういった日本人の知恵は素晴らしいと思います。 実際に立派な日本建築物を見たときに、みんな素直にすごいと思ってしまう はずです。やはり日本人は、潜在的にそういったものを求める欲求があるの ではないでしょうか。ただそういったものを知らない、知る機会がないとい うだけで。 山下さんの師匠は職人ということですが、まさに師弟関係の真髄は、この職 人の世界からという印象があります。職人は、自分の仕事が100 %できて 当たり前というお話がありましたが、もちろん、どんな仕事においても100 %を目指しますが、簡単なものではありません。 しかし、職人は繊細で100 %できなければ、職人と呼ばれないくらい厳しい 世界。お話を聞いていて日本独特の世界観を感じました。 北陸先端科学技術大学院大学 矢島広隆***************************************************************************仕事上での「手抜き」これはいけませんネ。ヒバゴンの職種ではこのチョットした「手抜き」が多くの社員の見えない作業効率を悪くします。たかがキーボード、されどキボード。例えば、同じ機能設定をしたキーでもどのキーを使えばスムーズな操作が出来、ストレスが溜まらないか、この辺まで考えてプログラム&システムを作り上げて行くのが、ヒバゴンの守備範囲です。その結果「もの、技術、信用」の「信用」できてくるのです。同じ機能のシステムが稼動していても、ヒバゴンさんのシステムが使い易いとなるのです。(笑)昨日は日帰りで我社の南関東営業所に行ってきました。実は新横浜駅の「鐵匠」でラーメンが食べられるのが一番の楽しみ!(行きと帰りで2杯)今年の前半は、北関東、南関東営業所関係の仕事が沢山あり、大宮、東京、横浜付近に出張する機会が増えます(喜)今年は週末の出張を多く組んで、ヒバゴンが青春時代を過ごした西武新宿沿線を訪て見たい。38年ぶり。高田馬場駅~小平(小平霊園)。石神井公園では手漕ぎボートに乗っ思い出。薄汚い高田馬場駅付近。バラック建ての小さな小平駅。近くに農家が2軒。家の前にみかん箱の無人のお店。覚えているのがサツマイモ。時々買って旧式ポットの中で蒸かし芋。近所の子供を連れて小平霊園でキャッチボール。チョット足を延ばして西武新宿駅前でバナナの叩き売り(寅さんの世界があった)一房買って終電車中で宴会。(こんな事も許された?時代でした)人口1万人(過疎化で現在は4500人)の片田舎から、突然「都の西北」出たものですからその衝撃は如何に!今でも昨日のように鮮明に覚えています。今年は、都会に変身した38年ぶりの西武新宿沿線を、ディスカバーして見たいと思います。
2004.01.17
コメント(5)
====================================「かわら版NO.1270 存在価値」040105よりかわら版の新春第1号は、北海道で獣医をされている前野七彦さんの「存在価値」をご紹介させて頂きます。 前野さんが敬愛されている津留晃一さんの新刊を読まれて、非常に良いと思われた文章をご紹介頂きました(英光舎 http://www.eikousha.com/ )。==================================== 私たちの存在価値ってなんでしょうか?これまでの長い教育の中で、私たちは「人の役に立つ人間に価値がある」と教え込まれてきました。その価値観によって、多くの人が、自分には「何かしなければならないことがある」「自分には何か成すべき使命がある」と考えているようです。 あなたに成すべきことが何かあるとしたら、それは「今を100 %生きる」ということであり、それ以外にあなたが成すべきことはありません。将来の、いつかあるとき、あなたが光るために、今があるわけではなく、何かを達成したときに輝くようにと、今が用意されているわけではありません。 今、輝くためにあなたは存在しています。それが、あなたの成すべきことであり、あなたがすることは、今光り輝くこと、あなたの命を今イキイキと発揮させることです。なのにどうして、今輝こうとせずに、夢を実現できていない自分をダメだと否定するのでしょうか。「あれがないかぎり不可能だ」とか「これさえあれば幸せなのに」とか・・・ 「これがあれば輝けるのに」と決めているのはだれでしょうか。そう決めているのは、あなたをおいてほかにはありません。 「いや、親に言われるから」と、あなたは言うかもしれません。しかし、親のその意見を受け入れているのは、あなたであり、あなたは親の意見を受け入れないこともできるのです。他人の意見を受け入れ、自分を縛っているのは自分以外にはいないのだ、と気づいてください。 人は本来、完全に自由です。宇宙が、あなたに対して望んでいるたった一つの願いが・・・・・「あなたが100 %自由であってほしい」ということです。 「何かしなければならないことがある」と考えただけで、人は束縛を受けはじめます。「ねばならないこと」は、あなたを縛ります。 あなたを不自由にしているのは、この「ねばならない」とする、あなたの考え方です。あなたがしなければならないことなど何もありません。もともと、神そものであるあなたに、何かしなければならないことなど、あろうはずもありません。神は、「したいからする」のであり、「しなければならないからする」のではないはずです。 「こんな自分を何とかしよう」「この気持ちを何とかしなければ」という思いから、行動をとっている人のなんと多いことでしょうか。これらは、いずれも、あなたの自我から出てくる行動であり、あなたの本質である神のなすワザではないようです。 これまで、人の役に立つような立派な人間になりたいと、多くの理想を掲げて行動してきましたが、人は、この「理想」を心に抱いたその瞬間から、実は、「何とかしなければならない人」になっていくのです。理想とはかけ離れた自分を、何とかしようと思うからです。人は、どんなときに理想を思い描くかと言えば、今が理想的でないと感じているときです。 あなたの無意識下に秘められた、今を否定する想い「このままではダメだ」という気持ちが、「このままではいけない」という困った現実を呼び寄せてきます。それが、あなたがこれまで体験し続けてきた、あなたにとっての現実のようです。しかし、本当は「そのままで何も問題ない」のです。何かを成さなくても、私たちは存在していることに価値があります。 「人の価値は、その存在にあります。」これまで人類は、この「存在の価値」をあまり認めようとはしませんでした。それは、「存在すること」を当たり前と受けとめ続けてきたからです。 私も、この「何もしなくてもいい」という情報を受け取ったときには、非常に抵抗しました。「そんなので良いはずがない。それじゃ、生きている意味がないじゃないか」と・・・そこまで抵抗するほど、私たちは「何かしないといけない」「何かすることに意味がある」「結果を出すことに価値がある」と誤解し続けてきたのです。 自分の内なる神という無限の存在を想像してみてください。神さまというのは、「このままで何も問題ない」と思っている人ではないでしょうか。「このままで良い」と思っている人が神さまなのです。そして、したいことをしている人なんです。 もともと、神さまであった私たちが、一番体験したいことをするために、ここにやってきています。神さまが一番体験したいことは、「まだ一度もやっていないこと」なのです。今目の前に起きていることがすべて初めてのことなんです。ですから、今のあなたの状況が最も理想的な状態なんです。今、ベストな位置にあなたはいるのです。今あなたが、夢を実現できていないとしたら、そのほうがいいから実現できていないのです。それで全然かまわないんです。 そして、この考え方が真実かどうかは、自分自身のハートに聞いてください。まず、「今がベストなんだ」「このままで大丈夫」って思ってみてください。そのとき、あなたのハートはどんな感じになるでしょう。逆に「今の状態は悪い」と思ったとき、ハートがどういう反応をするのか。おそらく縮むはずです。 夢を実現したい、より豊かに、よりよい環境で、より優れるため・・・あなたは行動をとり続けてきたわけですが、そんな「何かになってみたい」「夢を実現するために・・・」といった考え方にしばし別れを告げて、「今を100 %輝いて生きる」という幸せな考え方を選んで見るのもいいかもしれませんね。 津留さんは、生前自分の事を幕末の坂本龍馬とダブらせていました。時代の変換する時に・・・あたらしいビジョンを残して・・・自らは消えてゆく・・・津留さんの考え方をどのように捉えていただいてもいいです。また信じる必要もありません。何か使えそうなら使えばいいだけです。====================================「存在価値」=今を100%生きる。日本人の多くが中流家庭意識を持っていましたが、これが崩れ初めています。企業間格差、地域格差、個人格差が確実に出始めています。今企業の中に身を置く、ヒバゴンとしてはチョット生ぬるい感じもしますが、「今を100%生きる」がヒントなのでしょう。残念ながら、今は「存在感」の無い者。すなわち誰にでもできる仕事は、リストラ対象で会社に残れない時代なのです。「存在感」は日々の積み重ねであって、慌てても直ぐには「存在感」は出せないのです(苦笑)単純ですが、今年の目標は「今を100%生きる」でいきます(行こうと思います)楽天日記は「50%を維持」でいきます(これも行こうと思います)♪皆さん今年の目標はしっかりと持たれましたか?余談:昨年も歳の数だけ読書(44冊)ができませんでした。漫画でも雑誌でもカウントしないともう達成不可能!今年は出張を多めにしても何とか達成したい!月平均4~5冊。新ルールを決めなければ・・・(笑)
2004.01.13
コメント(2)
====================================★~北から南から~「かわら版NO.1262 成功の宣言文・事業編」より★ メキキの会の前野七彦さんから、あまちゆうとと言う方から送られてきたという「今を生きる」をご紹介戴きました。『今を生きる』 今を生きると言う事は、過去、未来に生きるのではなく、実在する場所にとどまると言うことです。実在する場所に生きている人は、本当の力があります。本当の力は、ひとつしかありません。そして実在する場所にいる人は、その力を使うことができます。実在しない場所にいる人は、その力を使えるつもりです。つもりですから、自信がありません。自信がないから、余計に空想、想像の中で生きています。反対に実在する場所に生きている人は、本当の力がありますから、自信があります。 本当の力と言うのは、思いやり、感謝、優しさです。そして、本当の力がある場所で生きている人から自然にでてくるものも、思いやり、感謝、優しさです。今と言う場所は、ひとつですから、出るものと出すものは差がありません。同じものが出ます。 ============== ================ ================= 比較と競争と言うのは、過去の記憶から出ます。過去がなくなったら、想像ができませんから、未来もなくなります。ですから、比較、競争がなくなったら、過去、未来はなくなります。そうしたら「今」にとどまることができます。ですから、比較、競争がなくなった時、「今」と言う実在の場所で生きることができるようになります。今を生きる、と言うことは比較、競争をなくすことです。 ============== ================ ================= 比較、競争をなくすのは、全てを大切にすればいいです。全てを大切にすれば、全てが大切だから、そこに比較、競争はありません。比較することも、競争することもできません。昔から言われてきたように、「全てを大切にする」ことが、今を生きると言うことです。 ============== ================ ================= そして「全てを大切にする」と言うことが、「良い、悪いをつけない」と言うことです。自分の価値観で回りを見ると言うことは、回りを全然大切にしていないと言うことです。全部、自己都合、自分勝手な見方をしています。本当に相手を大切にする人、回りを大切にする人は、自分の価値観で都合のいいように見るのではなく、「良い、悪い」をつけないで、そのままを、あるがままを見ると言うことです。そのままを、あるがままを見ないと言うことは、事実を見ていないと言うことです。事実を見ていない人が、いろいろ言ってもそれは答ではないですから、ずっと問題を残したままになります。「良い、悪い」をつけないで、そのままを、あるがままを見る、それが裏のない思いやり、裏のない感謝、裏のない優しさです。 ============== ================ ================= よく「良い、悪い」をつけなかったら、社会が混乱すると言う人がいますが、今の社会の混乱は、「良い、悪い」をつけた結果です。戦争も、人が人を殺めることも、すべて「私が正しい」と言う意識が形になったものです。ですから、この意識を止めない限り、今と言う実在の場所で生きて行かない限り、この社会の混乱は続いてしまいます。 ============== ================ ================= 私達が疲れたり、嫌なことがあったりした時、自然の中にいるとホットします。それは、自然が「良い、悪い」をつけずに、そのままの私達を受け入れてくれるからです。そのままの自分を受け入れてくれた時、強がる必要も、虚勢をはる必要もありません。その時、私達は自然に癒され、元氣をもらうことができます。 ============== ================ ================= 自然体で生きると言うことは、「今を生きる」と言うことです。今しかないのですから。そして「今」には、比較も競争もないのです。比較、競争がないと言うことは、裏がない、つまり「ひとつ」で動けると言うことです。ひとつの世界には個性はあっても、差はないですから、そこで、生きていったら本当に安心ができます。ために、全てを大切にすること、そして全てを大切にすることは、日常生活で「良い、悪い」をつけないことを実践することです。 ============== ================ ================= これから必要なのは「メッセンジャー」ではありません。これから必要なのは「実践ジャー」です。言うだけ、見せるだけではなく、実践する人の行動が本当のメッセージとなります。そして「今を生きる」ことを実践している人の行動は光動となります。その光動は、必ず回りに調和をもたらします。 ============== ================ ================= 手を抜かず、氣を抜かず、力は抜いて、真心を込めて日常生活を過ごす事が、本当の癒しになります。そして、それは、事実を事実のまま見る、今を生きると言うことです。 ============== ================ ================= 最高の至福は、本当にある道をただ、そのままで歩くことです。そのままで歩いた時、私と道はひとつになります。その道になって、そのままでずっと歩き続けるだけです。ただそれだけなのです。 あまちゆうと*************************************************************************今を真剣に生きることは、大自然の中で自分を見つめるのと同じ心境ですネ。不思議に山の中に入ると、日々の生活の事などは本当に些細な営みに映ります。人間がもっとも純粋な心に戻れる場所は、冷暖房の効いた快適なオフィスでも無ければ、コンクリートで固められた綺麗な街でも無く、ましてや健康を損なわんばかりの美食の贅沢でも無く、やはり大自然の中に身を置くことですネ。高い山、低い山、憬れの山、無名の山であれ人間の煩悩をそっと包み込んでくれ何かがそこにはあるのでしょう。今年も汗を流しながら「山の神」に何度遇うことができるでしょうか。天気次第のヒバゴン、明日今年初めての「山の神」に遇いく予定です。「山の神」の経験が無い方は是非今年一度体験をされて見ては如何でしょうか?一回で終わるのも良し!病み付きになるのもまた良し!ヒバゴンも応援します♪
2004.01.09
コメント(3)
世界を旅する@川さんの便りで、2004年の日記をスタートさせていただきます。http://www.weddingnavi.co.jp/wwk/ あけましておめでとうございます。広島は雪ですか。僕らのいるところは夏です。そう、旅に出て3度目の正月はカンクンです。カンクンはユカタン半島の先のほうにあります。地図を見てみてください。たぶん見つかると思います。ここはアメリカから近いためかかなりの賑わいをみせてます。まぶしい白の砂浜、その白い砂が透けて見える透き通った海、明るい熱帯地方の太陽そんなビーチでごろりとなって、優雅なリゾートを堪能しています。ここにたどり着くまではいろんな遺跡にいってきました。ティオティワカン、モンテアルバン、パレンケ、ウシュマル、チェチェンイッツァーなど有名な遺跡目白押しなメキシコですが、そのなかでも特に僕が好きなのはウシュマル。一面広がるジャングルのなかから浮き上がるようにたっているマヤのピラミッド、その光景は圧巻です。人々はみんな親切で旅もしやすいし、食べ物もタコスをはじめどれもイケます。カンクンでは魚も食べられます。 そんなかんじで大変内容の濃くそして楽しい旅が続いています。 これまで遺跡めぐりがずっと続いていたのですが、これからは、ここカンクンにイスラムヘーレスという島、コスメル、ベリーズにあるキーカーカーと呼ばれるさんご礁の島としばらくビーチめぐりが続きます。せっかくの機会なのでカリブの海を満喫したいと思います。 今後の予定ですが、メキシコのあとベリーズに入り、そしてグァレマラに向かう予定です。 それでは、どうぞよいお年をお迎えください。今年も宜しくお願い申し上げます。 川 昭浩*****************************************************************************新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞ宜しくお願いいたします。今年も他力本願の日記でスタートします(笑) ヒバゴン@2004
2004.01.04
コメント(7)
全6件 (6件中 1-6件目)
1
