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○反「平和憲法が平和を守る主義者」論 1946年に公布された日本国憲法、特にその第九条により戦後日本は戦争をすることなく平和の内に存在してきたと反戦・護憲論者の多くが言うわけだが、これが間違いなのをご存じだろうか。実は国際的には日本は五十数年もの長期間に渡り紛争を続けているのである。その紛争は宣戦布告もなく突発的に行われ、結果として我が国の領土の一部が不当に占拠された。紛争勃発から現在に至るまでの間で数千人の民間人が捕虜となり、更に悲惨なことに数十人の尊い犠牲者がでている。既にピンときた方もいるであろうが、その地域とはどこでもない「竹島」である。 更に加えれば、北朝鮮の拉致工作・武装工作船、中国原子力潜水艦の領海侵犯、年間100回以上に及ぶ周辺国からの領空侵犯。いずれも一歩間違えば十分に開戦の理由になりうる、開戦しても国際的にも非難されようがない重大な事件だ。「平和憲法を守り反戦平和を唱える国に誰も侵攻してこない」という彼らの主張は、遙か半世紀の昔からとうに瓦解しているのである。○反「原発反対主義者」論 原子力発電反対主義者は声高にその危険性を喧伝しているが、その代替手段を主張できていない。二酸化炭素を吐き出す火力発電に戻るわけにも行かず、水力発電は環境への影響が懸念されており、風力発電は安定した出力が期待できず、太陽光発電はコスト的に引き合わない。潮汐発電、地熱発電、海洋温度差発電、発電衛星、核融合、それらの未来技術の経済的・技術的・環境的問題点を反対論者が引き合いに出すことはない。彼らはここに述べた代替手段の発電方法をいくつ知っているのだろうか。そしてその代替手段の利点欠点について知識はあるのか。 高度な経済発展を遂げた我が国もエネルギー無しでは廃墟である。代替エネルギー研究をする予算も与えられず研究を進めることができない日本。実験施設の建設に地元の環境だけを考えて反対する市民団体。現状を打破するための研究を縛られ、技術を検証するための場所も与えられず、町を歩けば反対デモの群れ。まさに四面楚歌である。ただ原子力発電を全廃すれば良いというものではない。今の日本の繁栄を維持し、さらなる発展の余地を持ちうる発電手段の当てはあるのかということだ。少なくともそこまでの知識と将来へのビジョンがないならば、現状を否定する行為は自殺行為に過ぎず、論を述べる権利も資格もないのだと認識しなければならない。○反「中国礼賛主義者」論 昨今の中国における反日デモを肯定する愚か者は、この条約を知っているか?http://homepage1.nifty.com/arai_kyo/intlaw/docs/diplomat.htmhttp://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/kaisetsu/other/wien1963-treaty.html国際条約では外交官・領事館は庇護されねばならないと規定されている。中国の反日デモはこれに適合しているか?また中国の江沢民のこの言葉を知っているか?http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%B6%8A%E6%88%A6%E4%BA%89ダブルスタンダードと国際条約無視の無法国家に対して、日本は何を謝罪しなければならないのだろうか。日本政府ははっきりと「貴国のベトナムに対する主張どおり、我が国も未来志向で行こうとだけ述べさせていただく」くらいに返してやるべきなのである。そうでなければ元寇の役の損害賠償を複利で利息をつけて請求してやればいい、まずはそこから払って解決していきましょうと。
Apr 23, 2005
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よく事実には「客観的事実」という言われ方がされる。だがそれは本当の意味での、真実の客観ではないということは理解されているのだろうか。歴史に限らずあらゆる出来事はその発生した時間においては客観的に存在している。だがその存在を観察し記憶するのは主観を持った人間である。人間は「情報」を得た段階で自らの脳に記憶し、思考し、それについて述べることによって、あらゆる事象を主観的なものに変換しているということだ。確かに主観の程度の差はあるが、人間である以上これを避けて完全な客観性を実現することはできない。 だが主観だけで論を進め社会として建設的な進展を望むことは困難だ。なぜならば主観の形は個人の数だけ異なり、その利害得失も異なった形で存在しているからである。にもかかわらず人間社会は進歩している。ゆっくりとだが、着実に。コンセンサスを得て、利害得失を踏み越えて進歩している。 なぜか。 それは人間が完全な客観性を得ることは不可能でも、より客観的事実に近い主観を追求してきたからだと私は考えている。複数の主観による記憶を思考に用い、その複数の主観からそのとき起きた「客観的事実により近い事実」を類推する。複数の主観による思考を類推に用い、その複数の思考からこれから起こり得る「より現実的な事象」を予測する。こういった手法を用い、その思考過程が妥当なものかを常に検証して改良を加え、その上で成り立っているのが現在の社会のはずなのである。 だがネット上の議論はすれ違う。なぜか。 多くの場合ネット上の果てしない論争は、一方あるいは双方が「複数の主観」の存在を認めないところから始まる。他者の意見に耳を貸さないものは、自らの主観のみに依存した思考のループ、類推のループの無限の円環の中で堂々巡りをしているのである。こういった複数の主観の存在を拒否するものは、反論の物証や資料すら拒否する。なぜならばそれは「彼ら自らが認めたものではない」からである。自らの主観に基づかないものを認めない近視眼的行動論理である。 たとえ話をしてみよう。 あなたはある日、町の薄暗い路地裏である男性がもみ合いの末に手に持った包丁で女性を刺し殺す事件を目撃した。その事実を見たあなたはその事件を記憶し「男=殺人者」という主観を作り上げる。その時点であなたが持つ情報ではこれは正しい。そしてその裁判であなたは証言を要求され、あなたが見た現実をあなたが記憶した内容に沿って証言する。あなたの見た限りでそれが真実なのだから当然である。だが裁判官は男に無罪を言い渡す。なぜならば死んだ女の手には拳銃が握られており、薬物中毒の反応があり、凶器とされた包丁もその女が直前にある店から盗んだもので、そしてあなたが殺人者と証言した男はその直前に襲われていた老人を救うために女ともみ合いとなり、そのとき取り上げた包丁が腹部に刺さってしまったことを、他に複数いた証言者が証言し、その物証も得られたからだという。 あなたはそれでもまだ男を殺人者と呼ぶだろうか?主観的事実はあなたも他の証言者も同じように持っている。その複数の証言(主観的事実)から裁判官は「客観的事実に近い事実」を類推し、男の行動を正当防衛と判断して無罪を言い渡したわけである。つまり一個人から見た主観的事実だけで物事を判断することは誤判断の最大の源なのだ。 ネット上での論に対して多くの反論が寄せられることもあるだろう。その中のいくつかは、反論者の主観・思考だけに頼ったお話にならないものも多く存在しているだろう。だがそれでもその多くの意見を封殺することは愚の骨頂だ。数多くの主観を集めて寄せられる物証を判断し、自らの思考過程の誤りを検証してそれを訂正し、あるいは強化する新たな物証を探し出し、その論を少しでも進歩させることが必要だからだ。 反論をただ削除し見なかったことにする人たちは、自らの主観の檻に囚われた哀れな囚人である。真実の自由な思考とは「自らへの反対論すら糧にできる柔軟さ」にのみ存在しうるのだということを理解することが必要なのである。
Apr 19, 2005
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この言葉はちょっと前のニューズウィーク誌日本語版(2005.3.23号)の記事に載っていた言葉だ。映画「ローレライ」の公開がゆっくりとナショナリズムに傾倒していく日本を表している、から始まるこの記事は、今の日本を否定的に見ているかのような出足を一気に裏切り実は日本が本来の意味でのナショナリズム、軍国主義には傾倒していないことを文化の側面から語っている。この記事を書いたコラムニストのデーナ・ルイス氏は、比較的日本の各種動きに否定的なようだが今回の考え方は非常に的確に思える 彼女(デーナ氏は女性である)は映画「ローレライ」が伝えるのはオタク世代の価値観であり、それを「軍国主義的な個人主義」と定義する。幾つかのアニメ、「ヤマト」「ガンダム」「ナウシカ」等の主人公達が逃げることなく戦うと述べ(個人的には作品の選択を一部誤っていると思うが)、「ローレライ」の登場人物もその例に漏れないとする。そして、そういった戦いを美化する物語を幼少の頃から見せられた子供が育つ国日本が再軍備化するのは当然・・・と言うかと思いきやそれを否定するのである。 なぜか。彼女はそれらの主人公達が命をかけて戦う価値があるとしているものが「国家・大義」ではないからだと喝破する。そしてそれは「個人として『守るべきもの』」だと語る。具体的には友人であったり、仲間の乗るホワイトベースであったり、何も知らずに日常を送る原爆投下の危機にさらされた都民だというのだ。 そして彼女はそれらをまとめて「命をかけるべき国家があるとすれば、それは人々のささやかな日常生活の舞台としての『国家』だけ、というのだ。」と括る。 この記事を読んだとき、そしてこの言葉を見たとき「ああ!」と思った。ネットにおける「軍国主義者」「ネットウヨ」などのレッテルを貼られた人たちに関してこれで説明ができると考えたからである。 ネット内で「ネットウヨ」だの「軍ヲタ」などとレッテルを貼られる人たちのほとんどが、実はこのパターンに当てはまるのである。私も含めて「主義の方々」から「ウヨ」扱いされる人は、単に「攻められたら守る」と言っているに過ぎない。「守るものは何だ」と問われれば大半の人は「家族、仲間、恋人を」と答える。「国」と答える人もいるがその国とは実はダーナ氏の書いた「家族、仲間、恋人のささやかな日常生活の舞台となる日本」なのである。そしてこれは私個人の考えだが、そういった人たちの仲間の範囲は非常に広いのではないかと思うのである。 ここで辞書を引いてみる。一般には仲間とは次のような意味で使われる。(1)ある物事を一緒になってする者。「―に入る」「―を裏切る」「遊び―」(2)同じ種類に属するもの。同類。「鯨は哺乳類の―であって、魚の―ではない」(3)近世、商工業者が結成した同業組合。【三省堂提供「大辞林 第二版」より】 (3)についてはやや特殊な感じがするので省略するとして、(1)と(2)が関係する。(1)での「ある物事」を「日本で生活する」とした場合の範囲は日本国民のすべてとなる。(2)の「同じ種類」を「日本人」とした場合も同様だ。更に加えて言えば(1)で言う自らの行う物事の狭い範囲での仲間、それぞれの仲間には同じように自分には関係ない別の物事においても(1)に該当する仲間が存在する。それは重なって存在する仲間を通じた間接的な仲間なのだ。それが次第に重なりをたどり希薄化していきながらも、直接には知らないはずの他人に「仲間意識」を持たせる要因になっている。 これこそが日本人にとっての「ナショナリズム」なのだ。 ここに推論が至ったとき、なぜ多くの人が最初は根気良くそして相手の対応によって時と場合によっては怒りを交えながらも、突き放すことなく理と情で説得しようとするのかを理解した気がした。 そう、どんなに意見が対立しようとも多くの人が日本語で書かれた反日的記事のサイトに対する意見を述べる原動力、それは彼らも仲間の一員なのだという深層意識のなせる業(ごう)なのではないだろうか。
Apr 16, 2005
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【私の読解力の無さから庄治さんの真意を読みそこない、不快な思いをさせてしまった。大変申し訳ない。自分の書いた内容を変えると、文脈が大きく変わってしまうので、失礼ながらここで私の不明を表明させていただくこととする。文中での私の勘違いについて庄治さんへ重ねてお詫びする。これから読む方は、どうか庄治さんの真意は私が間違って判断したことには無いことをご了解いただきたい。】○第1ステップ補足(2) katsuakiさんからは手厳しいお言葉をいただいた。>現状ではアメリカのチワワと言ったところですか。 チワワは言いすぎだが(苦笑)、そう受け取られても仕方ない側面はあった。しかしながら冷戦という時代は、自由主義陣営vs共産主義陣営の対立の時代であったことを念頭においてほしい。あの時代、自由主義陣営は米国と欧州諸国、共産主義陣営はソ連と中国が筆頭だった。欧州諸国は直接にワルシャワ機構軍と対峙しておりアジアに対しての影響力は少なかったから、日本が共産主義の侵略から守られたのは在日米軍(およびそれをバックアップする核の傘)の力が一因であったことを忘れるわけにはいかない。冷戦終了後に「ではそういうことで」と米国と手を切るにはまだ中国の脅威は衰えていなかった。そしてこれは現在でも大きく変化していない。かといって中国の軍事力に対抗するだけの防衛力を日本単体で構築することを考えた場合、それに必要なコストは恐ろしいものになる。(防衛力の増大に関する国民感情を無視できるとした場合でもである)今日に至るまで、米国は対アジアの拠点として日本を活用するとともに国際社会での日本の対米協調を求め、その見返りとして軍事力の傘を差し伸べていた。ある意味ギブアンドテイクだったのである。チワワまで卑屈になることはないだろう。また庄治さんから>ですから、日本が韓国と断交した場合、サムスンは米国に本社移すと思います。>他の韓国企業も一斉に海外に逃げ出す可能性が高いです。>海外に本社を移したそれらの企業と取引を継続すれば良いのではないでしょうか? というご意見をいただいた。しかしこれに関してはやや心配無用と考える。仮にサムスンなどが米国に本社を移転する策を講じた場合でも、大企業の本社が一朝一夕に移動が可能とは思えないし、移動の準備の間に韓国経済には致命的な影響が出る可能性が高いだろう。最終的にサムスンなどの企業が海外(米国など)に移転する可能性は否めないが、それは事が終わってから再発を警戒してという形になるのではないだろうか?どなたか海外に本社を移転するのに必要な期間のデータ・・・といってもさすがにこれは如何なインターネットでも無さそうである。よってこの件は残念ながら単なる予測にしか過ぎないのではあるが・・・○第2ステップ【対中断交】(1)中国の弱点 中国は韓国より遙かに強大な国家である。経済は発展途上ではあるがその国内市場は十分大きく、軍事力は現在の2大軍事力の一方である。しかしながら中国には3つの弱点がある。いずれも致命的とは言いかねるが、その弱点を有効に活用することで対中断交を有利に進めることができるだろう。 その一つ目は「国内の不安定要因」である。先般のデモ行動を見るとおり中国の反日教育はかなり浸透している。しかし中国官憲の協力的行動にもかかわらず民衆のデモは暴走し、日本大使館や民間資本への実力行使(襲撃)にまで発展し欧米先進諸国の非難を浴びてしまった。これらの政府の意図しない過剰な行動の裏には、中国国内の貧富の格差、政府への潜在的な反発からくる潜在的な政府への不満の鬱積がある。中国政府はこれらの解消策として反日行動への転換を図っていた節が多々見られるが、今回の暴走から見ると既に中国民衆の不満はコントロールが困難なレベルに近づいているのではないかということが予想できる。民衆の不満の爆発は抑圧的な政府にとって最大の危険要素である。未だ報道管制や情報統制で民衆をなんとかコントロールしているが、断交の間に日本の民間企業に雇用されている、あるいは取引のある企業に勤務するなどで、経済的な相互依存関係を作り上げていた一部の中国民衆の不満は更に増加するだろう。 二つ目は「国際世論の動向」である。今回の暴動でも欧米のメディアは中国政府の対応について苦言を呈している。この他にもチベットの民族浄化などは国際的に非難を受けている。大中国といえども、国際世論の後押しなしに行動を続けられるほどには強くはない。ましてフランスなどからの兵器購入など、国際世論の微妙な動きが大きな影響を及ぼしかねない様々な条件が山積している。純軍事力では日本をはるかに上回る中国ではあるが、国際世論を敵に回して日本と武力紛争を起こす(すなわち日米安保による米国の介入を招く)ことが可能であるとは考えにくいものがある。なにしろ中国は量で勝負だが日本は質、同盟国の米国は質と量がある。 三つ目は「台湾」の存在である。台湾は中国からの圧力に常時さらされており、かつ国際的に孤立傾向にある。(バチカンのニュースは記憶に新しい)ここで留意すべきは台湾自体は極めて親日的な国家であり中国と比較して民度も高いということだ。また地理的にも日本の石油輸入航路を制する重要な位置にあり、台湾が反日的な中国によって併呑された場合、日本のエネルギー政策ひいては防衛政策に致命的な影響を及ぼすことは想像に難くない。逆に中国は台湾をなんとしても併合したいという意思を持っている。この意思を利用することにより中国の行動に枷をはめることが可能になるだろう。(2)対応行動 対中断交は対韓断交よりも一層の慎重さが必要とされる。対韓断交と同じく各PFASEはア、イ、ウの順で段階的に実施するが、実際には対韓断交自体が対中国断交に対する示威的行為の側面を持つ。 ア PFASE.0 対韓断交の実施及び事後処理 一連の対韓断交による韓国経済の破綻を中国に示すことにより、中国に対する圧力とする。 この際、極力挑発的な言動は避けるとともに断固たる意志を示す必要がある。また、対韓断交が成功裏に終了すると同時に韓国に対しての支援、国交の完全な正常化、対等な友好関係を築くための諸政策を迅速に行い、経済国家日本の存在感を国際社会に顕示する。 イ PHASE.1 (ア)中国への外務省の渡航情報の変更 昨今の暴動と反日行動を見れば5段階中の3以上、「渡航の是非を検討してください」以上が妥当だろう。ちなみに外務省による区分は以下のとおりである。(上から危険度が高い順)「退避を勧告します。渡航は延期して下さい。」「渡航の延期をおすすめします。」「渡航の是非を検討してください」「十分注意して下さい。」「(記述なし)」 (イ)民間企業への安全上の問題を理由にした退避勧告及び他国への向上移転などに対する税制の優遇処置 日本資本の中国離れを促進させる。 (ウ)台湾との各種交渉(経済、渡航、技術、可能ならば防衛面) 以上3点をあくまで国内(ウは日台間)のみで実施する。この際一時的な中国の反日行動の激化が予想されるが、国際世論の動向を見極め弱気と取られないレベルですべてを貫徹する。 ウ PHASE.2 (ア)日米安保の改正協議 自衛隊の役割の明確化、シーレーンを含んだ包括的な取り決めの実施 (イ)輸出入制限の実施 対中輸出入では日本の金額は欧州すべての合計にほぼ等しいことを考えれば打撃は大きい。 (ウ)台湾との各種交渉(特に国家承認の件) 「一つの中国」が中華人民共和国によるものであるとの発想を捨て、平行的に台湾との政治・経済・防衛の関係を深めることで中国に対する圧力に転化する。今日までの間、親日的かつ重大な影響を有する民主国家を承認しないままに我が国は中国を重視した外交を行ってきたが、その結果は政府ぐるみによる反日感情の高揚であったこと、日本が国際政治の中で有する発言力を考慮すれば十分な対中圧力となる。 エ PFASE.3 対韓紛争の場合と異なり万が一中国と日本で戦争が起こる場合は、東シナ海か南西諸島での海軍力が発端となる可能性が高い。特に東シナ海でのガス田は既に多くの指摘がなされているように、中国海軍のフリゲート艦による警戒あるいは示威行動が行われることは確実である。中国軍事力の洋上戦力は海軍は沿岸海軍(徐々に変容しつつある)、空軍は足が短いという実情がある。このことを考慮すれば沖縄を含む南西諸島への陸海空自衛隊の派遣で相当の圧力を加えうる。戦力の質の差、特に海上自衛隊の対潜水艦能力は世界でもトップクラスであることを考えれば、中国からの不意の攻撃以外で大きな損害を受ける可能性は低い。万が一発生した場合は適切な反撃を加えて、米国の安保による介入又は国連による仲裁までの間をしのぎきることが必要である。(中国が先制攻撃を行った場合に米国が全面的あるいは限定的に介入する可能性がきわめて高いことを考慮すれば、既に竹島に軍を派遣している韓国との衝突と異なりその可能性はほぼ皆無とは考えている) PHASE.1~3の間でいつの時点でもその行動を即時停止できるように準備する。ただし台湾との関係強化は継続的に行う必要がある。(国際間の信義、中国の脅威が実質的には継続されていることを考慮すれば当然であろう) 中国は韓国とは異なり長い歴史を有している。(自称半万年とは全く異なる)彼らの本質はその歴史を通じて「対等以上の相手以外には威圧か紛争」であるから、日本が彼らの認識に無い実質的な「対等以上の力」を有していることを明示することによって、その扱いは大きく変化することが予想できる。(中国の対米関係をみれば、彼らの思考パターンがある程度判断できる)○まとめ・対韓断交は日韓関係の改善、特に韓国民の意識改革を目的とする。またこれは対中示威行動の要素を含む。・対中断交は中国に対して日本が既に有している力を明示し、対等以上の競争相手であることを認識させることを目的とする。・いずれも主として行使するのは「経済力」であり、日本からの防衛力行使は先制的には使用しない。(竹島については既に侵略を受けているという見解から、先制攻撃には該当しない)・短期的な経済損失を被る。(規模は年3兆円プラス規模?)この対策として経済交流を対中・対韓から台湾を含む東南アジア重視へとシフトさせる。・国際関係を重視した柔軟な対応を心がける。(日米安保、台湾関係は特に重視) 今回対韓中断交について考えたことで、中国を相手にするということがいかに難しいかを改めて認識した。韓国相手は「格下相手」の戦いでさほどの問題は無い。しかし中国相手だと全く違う。市場規模、軍事力、国際社会での発言力・・・どれをとっても極めて手ごわい相手である。今回弱点を考えてみたもののやや我田引水の気があったことは否めない。ステップ2として対中断交をまとめてみたものの、正直「この程度の思考で中国を考えたとは到底いえない」というのが本音である。(予想よりも日数が開いたのはそのためでもある)いままで外務省の対中姿勢をあまり考えず批判的な目で見てきた自分を恥ずかしく思う。 しかし対韓中の外交が、既に行き詰りつつあることも事実である。相手がこちらを理解してくれるのを待つ、という姿勢があの2国に対しては有効でなかったことは事実が証明した。それを改めるのに「断交」という手法を述べたたのはいささか極端すぎる気もするが、少なくとも対韓についてはそれなりに有効な手段であるように思う。最後になるが、3回にわたる長文にお付き合いいただいた方、また様々なご意見・示唆をしていただいた方に改めて御礼を述べさせていただき、本稿の最後とする。
Apr 15, 2005
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恥ずかしくないのだろうか?何がかというとここを見てほしい。http://plaza.rakuten.co.jp/kouzen/・自己矛盾を平気で行う・他者の反論・指摘は一切認めない(自らに同調するものは除く)・決め付け、レッテル貼りで相手を誹謗中傷・コメント、TBの大量削除 このようなブログを大人(自称)が書き、一丁前なスタンスを取っている。私も、ここに来ていただいている人も、このブログを反面教師として自らを厳しく戒めなければならないだろう。 この記事もトラックバックしておくが、おそらく素早く削除されるだろう。 宴会から帰って倒れるように眠って、水を飲もうと起きたらこの事態・・・ここを見てどう判断するかは、ここを見てくださってる皆様に判断を一任したいと思う。ただ、私はここの管理人を人間として「軽蔑」することを宣言する。
Apr 13, 2005
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過激な前日の日記に対し、複数の方から幾つかの問題点を指摘していただいた。私自らの知識の無さを、読んでくださっている方が補完してくださる(いや、批判なのかもしれないが)のは大変ありがたいことである。WinStrategyさんのゲリラの脅威に関する指摘には別途稿を起こすこととして、katuakiさん、Neo59さんから戴いた指摘について少し述べてみる。(ところでNeo59さんは、私がEQ内で存じ上げている方だろうか? もしそうならばイメージの違いにあごがお落ちのことかと思うが、笑って許していただきたい)○第1ステップ補足 前編を投稿後に、幾人かの方から経済的影響が膨大なものになるとのご指摘を戴いた。私が経済面に疎いため「韓国以外に輸出の矛先を向ければ」というやや短絡的な思考から影響を軽視したことは否めない。まずは数値データを探す上での貴重な示唆、情報を提供してくれたお二方に感謝する。 韓国と断交した際の直接的な貿易損失は2兆円+αを超えるという指摘であるが、一時的にはその影響は確かに大きい。付け焼刃で調べたデータで申し訳ないが、以下のリンクのデータを参考に考えてみたい。http://www.nihonkaigaku.org/ham/eacoex/100econ/120doms/121prod/1212trad/jptrcnkr/trjpkr.txt 上記のデータによれば日→韓の輸出で最大のものは1989年から大きくは変わらず、各種機械類と鉄・金属類のようである。(鉄等・金属製品、一般、電気、輸送、精密となっているようだ)金額的には、1989年の2.28兆円中の約1.7兆円から2003年では4兆円中の2.6兆円で半分を超える。これらの韓国の輸入品目は加工され日本を含めた世界各国へ輸出される。(ちなみに同じ品目の逆ルートの韓→日をみると2兆円中の1.2兆円である。)これらのデータから韓国の工業製品は近年価格の安さと製品の質から次第に日本製品のシェアを奪う傾向にあるが、そもそもその製品を作る機械、作る材料、作る部品がかなりの率で日本に依存していることが推測できる。(残念ながら韓国の世界相手の総輸出データが見つけられない。どなたかデータをお持ちでないだろうか) 結果としていえば彼らの工業力は日本に依存している。この推論から韓国が経済破綻を望まない限りは、日本が強硬な態度をとってもそれを長期に維持しなければならない可能性は低いと考える。(韓国自体が持たないからである)影響は長期化し得ない、私はそう考えている。 katuakiさんからいただいた下記の貴重なご意見も考慮に入れるべきではある。>韓国ウォンの通貨保証を日本円がやめると言えばいいだけという記述をどこかで見ました。 これによる間接的打撃だけでも確かに韓国は屈服する可能性は大きい。しかし単純に経済的な争いに勝つのならばこれでも十分であるが、今回私が提言しているのはその先、謝罪と賠償を叫び続ける中韓に対しての抜本的対策としての行動である。経済だけなら今でも勝っている訳で、それにもかかわらず彼らは反日行動を取り内政干渉を行っているのが現状であるからだ。この根底には戦後60年間蓄積された日本にとっては「平和外交」、中韓にとっては「弱腰外交」による影響、すなわち俗な言い方をすれば「歴史でごねれば言うことを聞いて金を出す国日本」のイメージがある。 これを打開するためには「日本も怒ることがある、しかも怒ったら恐ろしいことになる」という事実を知らしめるしかない。だが平和主義国家日本としては自衛隊を軍隊に変えて他国と戦争とはいかない。それは世界すべての国々に対して、日本が今日まで築き上げた平和への信頼を失う行為だからだ。そこで中韓に対し日本が世界において行使しうる最も有効な「力」、日本が「弱腰のウサギ」ではなく「紳士の虎」であることを示すことができる力すなわち「経済力」を最大限に活用すべきなのである。 日本が「限度を超えた理不尽な敵対行動には実力を持って対応する覚悟をもつ」ことを示すことが、単なる韓国の屈服よりも今回ははるかに重要であると考える。 私は日本は永久に中韓と断交せよと言っているわけではない。対等の国家として相互に付き合える段階まで認めさせることを考えている。本来それは外交関係だけで十分事足りるはずだが中韓に関してはこれが通用していない現実から、一時の経済損失と長期的利益を考えて断交やむなし、と判断したところである。 しかし経済的損失の大きさは私の浅薄な知識からの推論をはるかに上回るものであったのも事実である。前編に対してkatsuakiさん、Neo59さんから指摘いただいた経済損失の問題をを軽減する方法も、断交の準備と並行的に行う必要があるだろう。 予想外に補足が長くなってしまった。自らの文章をまとめる力の無さを痛感する。第2ステップの対中断交についてはまた明日ということで・・・(ただし明日は宴会が入っているので明後日になるかもしれない)どうかご勘弁願いたい。
Apr 12, 2005
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【英単語の無知をご指摘いただいたので修正しました。ありがとうございます】 中国の暴動、韓国の反日運動と最近我が国を巡る動きが大変きな臭い。いずれも両国が戦後継続して行ってきた国家主導による反日敵視政策が効果を発揮したもので、ことの是非はともかく両国の政策決定機関とそれに付随する報道機関の意志の強さと能力の高さを示すものだ。我が国にもこの両国の出張報道機関があるようだが、彼らの働きかけが日本国内において両国ほどに効果を発揮しなかったのは不幸中の幸いというしかない。 しかし全く効果がなかったわけでもないようだ。ネット内各所には過去の戦争の責任を持ちだし、彼らの動きを正当化しようとする論が散見されている。国旗を焼かれ、大使館を襲撃され、民間の店舗を破壊され、更に留学生が負傷する事態になっても、あの両国と国内の彼らは「日本が悪いからである、反省しろ」と主張しているのである。 戦後の我が国はこうした状況の中で国際協調と対話による外交関係を重視し、たとえ領土を不法占拠されようと、いわれのない非難を浴びようと、じっと我慢し「話し合いでわかってもらえる」との姿勢を涙ぐましいまでに堅持してきた。多くの国家との間ではその一貫した協調姿勢は高く評価され、平和国家として国連常任理事国候補として、あるいは地域の経済共同体の中心的国家としての期待を持たれているのは周知の事実である。(その実際的な行動として、大きな経済力を背景にODAをはじめとする各種の資金支援、高度な科学技術による技術援助、最近では自衛隊の平和目的に限定した派遣などがある。) こうした我が国の姿勢に対して公平な判断をする複数の国家からの評価を尻目に中韓両国は日本に対する非難を強め、先に記したような行動をとり続けているわけだが、果たして我々はこのような行動に対していつまで忍耐を強いられねばならないのだろうか。またこれらの状況を打破する方策はないのだろうか。既にネット内でもこの種の論議は活発に行われているが、ここで私なりの考えを明確にしておきたいと思う。 日本は中韓両国に対し断交を視野に入れた強硬な姿勢で臨むべきである。 ただし中韓両国に対する断交はその方法・思考法において若干趣を異にする。上記「断交」を行うべき理由と併せて、その過程をどのようにステップアップしていくかを述べてみたい。○第1ステップ【対韓断交】 なぜ対韓を先に行うか。より強硬な姿勢をもって日本に相対している中国ではなく、韓国を相手にするにはそれ相応の理由がある。(1)韓国の弱点 経済面で見れば、韓国の現在最も勢いのある外貨獲得手段は工業製品の輸出である。しかしその基本となる部品等は、特にエレクトロニクスの分野で日本からの基本部品の輸入に依存している。(韓国自身もこのことに対して危機感は持っているようだ)断交によりこの供給が立たれることは韓国経済に深刻な影響を及ぼすことができるだろう。反対意見として日本経済に及ぼす影響を懸念する声もあろうが、海外において日本の電気製品のライバルとして近年韓国製品が力をつけてきていることを忘れてはならない。断交による韓国工業の停滞は、韓国製品のシェアを日本に呼び戻すことも可能になるのである。 またこの際に合わせて韓国への企業進出を東南アジアへシフトさせることも重要である。これにより東南アジア各国との間に経済協力・技術協力的な面で現在よりもより緊密な関係を築くことができるだろう。これは日本に対して非道な行いをしない限りは日本は援助を惜しまないという姿勢を明示することでもある。 また韓国軍は中国軍に比して弱点が多い。これは主として北朝鮮との関係により戦力の移動が制限されることと、韓国軍の装備が自衛隊以上に国内向けの装備重視であることがあげられる。特に海上兵力にその差は顕著である。韓国軍は陸海空あわせて常備70万人弱の軍を保有しているが、休戦状態の北朝鮮は常備108万人の兵力を保有している。このため、仮に日韓戦争となった場合もその総力を日本に向けることが可能とは考えられない。北宥和政策の現韓国政府でも、北朝鮮に祖国統一の機会をみすみす与えるほどに愚かではなかろう。また日本海を挟んでの戦争となった場合、海上兵力は日本41万トンに対し韓国は14.4万トン、航空機は作戦機で日本470機に対して韓国600機ではあるが上記同様の理由で全戦力を日本に向けることが可能でない以上、質・量ともに日本が優勢となるだろう。韓国は現状の日本と戦争を行っても、自らの軍事的危機を拡大するのみで全く利がないのである。(2)対応行動 断交を行う際に以下のステップで行うことを提言する。各PFASEはア、イ、ウの順で段階的に実施するが、特にPFASE.2から3にかけては韓国の対応行動により一気に進行する可能性がある。 ア PFASE.1 国交断絶の予告 (ア)日本に対する内政干渉の中止要求 (イ)竹島問題のハーグ国際司法裁判所での解決要求 (ウ)以上に対応しない場合の行動を可能にする法令の整備 (下記に記す東南アジアへの資本シフトへの優遇税制など) (エ)PFASE.2の予告 以上4点を主張することにより日本の断固たる姿勢を示す。 また国際通貨としての円とウォンの信用度の違いからして上記予告の時点で韓国経済は深刻な打撃を受けることは想像に難くない。(日本経済への影響はキムチの輸入減程度だろう。すなわち全くといっていいほど問題にならない) イ PFASE.2 輸出入の停止及び国内の韓国資本の一時凍結 (ア)韓国との経済交流を含むすべての経済活動の停止 (あわせて東南アジアへの資本のシフト及びその優遇) (イ)竹島海域の自衛隊艦船による封鎖の実行(竹島への補給線の遮断) (ウ)PFASE.1の2事項に対する履行要求 (履行された段階でのPFASE.2の解除を保障) 直接の武力行使は限定されるものの、我が国固有の領土竹島に対する違法な上陸行動などは護衛艦による威嚇に留まらない行動で意思を示す必要がある。 この際、実行動に移す前に竹島近海で韓国の不法占拠以降にうけた漁船の被害及び被害者を全世界に広く通達し、我が国の行動の正当性を主張する。当然ハーグ提訴の件も抜かりなく広報し韓国の不当占拠を世界に知らしめる。 ウ PFASE.3 PFASE.2までの段階で韓国の国際的信用は完全に失墜しているはずだが、それでも竹島に対しての軍事行動を起こす可能性はある。 PFASE.3はあくまで韓国側からの軍事行動に対応してのみ行う。この場合防衛行動を発令し竹島付近の日本領海に侵入する韓国艦船に対して取り得るすべての手段を行使し、陸海空三自衛隊の共同のもと竹島を奪還、防衛する。 これは憲法及び国際法に規定された防衛行動であるから、全く違法性のない行動である。 予想としてはPFASE.2の(ア)の段階で韓国経済は破綻し、国家としての体をなさなくなることが予想される。その場合第2次朝鮮戦争の可能性を無視はできないが、北朝鮮の現状も破綻した韓国の状況に比して良好とはいえず、更に米軍関与の危険性を考えれば行動に移る可能性は低いと考える。 ○第2ステップ【対中断交】長くなったので、以下については後日とする。(対中断交については台湾、国連、アジア情勢、日米安保が重要なファクターであることは容易に予想できるだろう。)
Apr 11, 2005
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私の日記に疑問を持っていただいた方がいる。私としても長文を書く割に説明不足だったかなと思う点に、的確に疑問を呈していただきそれを質問の形で表していただいたことを嬉しく思う。 今回はdu@docozoさんのご質問に答える形で、昔学んだ知識をほじくり返してお答えする形式を取っている。わざわざ読んでいただき、しかもご質問いただけるということはブログ書き新人の私にとっては非常に楽しいことだ。今後も私の説明不足な点や意味不明瞭な点などには、ぜひご質問いただきたく思う。それは私への叱咤激励であり、ありがたく受けるべきものだと思うからである。【以下本文】 ご質問戴きありがとうございます。短くまとめようと思ったのですが、文章力の無さから相も変らぬ長文になってしまいました、ご容赦ください。それでは私なりに考えたご質問への回答です。 朝鮮戦争の大元の火種は1943年11月のカイロ会談に遡ります。この会談の決定事項は「カイロ宣言」として日本領土の問題、無条件降伏の要求、朝鮮を適当な時期に独立させることが謳われていました。当初は米英中(中は蒋介石)にの会談で宣言されたカイロ宣言に1945年8月8日、ソ連も加わります。ソ連は即日日本に宣戦布告し、わずか20日ほどで現在の北朝鮮にあたる地域を占領します。米国は日本の降伏後に朝鮮南部から上陸し、9月2日に北緯38度線を境界とする分割統治案をしています。以上の手間の掛け方からすると当時の米国には「半島イラネ」という考え方は無かったかに思います。なお米ソ両軍は1949年にはそれぞれ撤兵を完了しています。(ただしソ連軍は戦車を含む各種装備のほとんどを残していっています) 一般には朝鮮戦争は北朝鮮の先制攻撃から開戦されたとなっています。(それ以前にも小競り合いは多発していました)この開戦(1950年6月25日)からわずか二日後には、米国主導による韓国援助の決議案が国連で採択されていることからも、けして当時の米国が韓国を軽く見ていなかったことが伺えます。ちなみに当時の国連軍には米英仏韓の他、カナダ、オランダ、ベルギー、ルクセンブルグ、ギリシア、オーストラリア、ニュージーランド、トルコ、タイ、フィリピン、コロンビア、エチオピア、南アフリカが含まれまており、対する北朝鮮は中華人民共和国の増援を受けています。(ソ連は公式には兵器援助のみ)米国の積極的介入の理由は複数考えられますが、日本防衛のためというのは当時の(今も)ソ連、中国の海軍力の貧弱さによる渡洋攻撃の高難易度から、それが第一という可能性は極めて低かったと考えます。むしろドミノ理論への恐怖感、朝鮮半島からアジア全域へ共産主義革命が広がる可能性を潰すためだったのではないかと考えます。 当時の世界においては自由主義と共産主義がそれぞれに覇権を賭けて、代理戦争を行わせていたということです。その代理戦争に勝った側はその地域を自陣に引き入れるとともに、相手より強大な勢力として第三国に圧力・同盟・譲歩などを行わせ、更に勢力を拡大するという感じでしょうか。 朝鮮戦争の帰趨については長くなるので省きますが、その後は米国の戦略爆撃機による核攻撃能力の増大、ソ連のICBM開発、中国の核開発など矢継ぎ早の事件で世界規模の戦争勃発の可能性は減少していきます。(ただし戦争=核戦争=人類滅亡という危機感は逆に上昇していきましたが) この中で韓国という共産圏の喉元に刺さったとげは、常に両国にプレシャーを与えていくことになります。そういう意味で米国の朝鮮戦略は正解だったといえるでしょう。 最後になりますが、韓国の地理的価値は日本の前線陣地にありという見方には確かに一理ありますが、欠かせないというほどではありません。その当時日本に侵攻する可能性のあった国のトップは冷戦崩壊に至るまでの間ずっとソ連でした。(中国は海軍力の点で渡洋攻撃を単独では行えないと考えられていました) ソ連は北海道と極めて近い距離にあり、これには韓国・北朝鮮を経由する必要がありません。また北海道自体も上陸作戦に適する海岸線を複数有していたため、冷戦崩壊までの間は日本は北方重視の防衛策をとっていました。(日本列島の日本海沿岸は意外に上陸に適する海岸線が少ない) しかし韓国が存在するということは、先に述べたように中ロに対しての強力なプレッシャーになっていたことは想像に難くなく、それだけでも当時は存在する意味になったのかと思います。(反撃の拠点となりうる地域をつぶさずに攻勢に出るほど両国はギャンブル好きではなかったいうことでしょう) 冷戦崩壊後からの流れは私が以前の記事で書いた感じかと思います。もちろん私の意見とは違った価値を韓国の地政学的な状況から考える人もおられます。あくまで本稿は私の知識に基づいた一意見として、できれば本稿等で疑問に思われた語句などを辞典やネットで調べていただければ、du@docozoさんなりの視点で新たな考えを持つことができると思います。 そしてそうやって出来上がったあなたなりの論を、ご自分のブログなどで発表していただければ更にその輪は広がっていくでしょう。そのときはぜひ私のブログにも「私の意見を見てよ!」と書き込んでいただくなりTBを飛ばしていただければ、私もその新たな知識・考えに触れることができます。それこそ私が本心から求める知識の拡大へとつながって行きます。 ご希望の回答には満たないかもしれませんが、このようなところでいかがでしょう。今後も私を見捨てることなく、本ブログを覗いていただけることを本心からの願いとして本稿を終わります。
Apr 8, 2005
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今回は本ブログでも何度か触れている韓国のお話である。今日、日記リンクさせていただいているASDICさんのところのブログで下記の記事を興味深く読ませていただいた。http://plaza.rakuten.co.jp/mcneill/diary/200504070000/ 竹島不法占拠、経済摩擦、外交問題などでなにかと話題になる機会の増えた韓国だが、彼らは彼らなりの生き残る術を模索しているようだ。今日はこれについての私見を述べたいと思う。人様のふんどしで相撲を取るような真似で申し訳ないのだが、最近の韓国に関する重要なニュースは上記のASDICさんのブログにすべて書かれてあるので、ASDICさんの記事をあわせ読んだ上できっちり参照していただければ幸いである。むしろその記事だけでも、私が書いた記事と同等あるいはそれ以上のレベルの推論を得る人が多いはずである。【以下本文】 ロシアが冷戦の崩壊と同時に弱体化した21世紀の今、世界の2大パワーといえば米中である。(EUはまだ統一した勢力であるとは言い難い)この2国が現在の自由主義と社会主義の双方の勢力の筆頭、盟主であることは疑いの余地が無い。世界各国はそれぞれ自国の主義主張・国益などを勘案し、米中どちらかの陣営に組しているのが現状である。(あるいは中立の立場を表明することで存在を誇示している場合もあるが) さて朝鮮半島という地域は現在も米中両陣営に組する相反する2国(分裂国家でもよい)の対峙する緊張地域である。しかしそれが今も変わらないかというと、実は大きく変化していることがわかる。 冷戦時の共通認識として「大規模核戦争=人類滅亡、よって次の戦争は通常兵力の限定戦争の可能性が高い」というものがあった。(これは現在の米中関係にも言えることである) 通常戦力は湾岸戦争・イラク戦争を見てもらえればわかるとおり、補給を含めた大規模な拠点を必要とする。(上陸作戦という例外はあるが)通常戦力の展開という地理的な要素からみれば、台湾を基点とし沖縄を含む日本列島線、そしてアリューシャン列島に至るラインは完全にソ連・中国の港湾を包み込み、その海軍戦力の発揮を大きく阻害する。逆に米国にとっては自国の海軍力を自由に運用できる海域を設定しうる。米国が日本に対し片利的な安保条約(軍事的な側面としてであり、駐留経費を含めた経済的な面では片利ではないが)を許容していたのも、共産主義に対する防波堤、封鎖線の中核地域として大きな価値を見出していたからである。この米国の封じ込めの戦略は今に至るも大きく変化はしていない。(対象はソ>>>中から中>ソと変化しているが)韓国はこの封鎖線の内側に存在する軍事的な出島であり、米国にとっては陸軍戦力発揮のための橋頭堡的価値があったわけである。つまり通常戦力を中国・ソ連(当時)に展開・進攻するための起点としてのものである。(ヨーロッパ正面からのソ連戦力分散の意味もあっただろう)実際ことが起こった場合には、その意思も戦力の余裕も無かったのではないかとは思うが、手段を保有しているのといないのでは相手に与えるプレッシャーに大きな違いが出る。中ソが当時の北朝鮮に支援等を行っていた理由も、韓国経由の米軍の攻撃を緩衝するためのものだっただろう。 戦争が起こらない状態においては、中国本土に韓国経由の自由主義陣営の情報が流れ込まないようにするために北朝鮮は有用であったともいえるし、その裏返しとして情報発信の拠点として米国にとっての韓国の価値があっただろう。 では近年の状況変化を考えてみる。ソ連の崩壊により、自由主義陣営側から見たヨーロッパ正面の軍事的圧力・危険性が大きく低下したことに疑問の余地は無い。 翻ってアジア地域では中国は崩壊もせずに、社会主義・共産主義陣営の盟主としての地位を確固たるものとしている。本来なら韓国の相対的価値は増大するはずであり、実際ソ連崩壊後の10年ほどの間はその傾向があったわけだが、軍事技術の急速な発展と湾岸戦争からイラク戦争に至る原因の一つとなった対テロリズムへの米国の傾倒が米韓関係に影響を及ぼしていく。 核戦争が人類滅亡に直結しかねない状況は変化していないにもかかわらず、対案の通常戦力による限定戦争は兵器の高性能化に伴う価格高騰で容易に行えるものではなくなってしまった。これは特に兵器の高性能化が著しい米国にいえることである。俗な言い方をすれば、本体と各種搭載武器合わせて100億円の高性能ステルス戦闘機が、1台3000万の高射砲の打ち出す1発5千円の砲弾で破壊されては割が合わないのである。 圧倒的戦力差だったイラク相手の戦争ですらこの状況であるから、はるかに広大な領土と巨大な軍事力を有する中国相手の通常戦争というオプションが米国においてほとんどその意味を失ったことは想像に難くない。 それでも米国は既得の勢力圏をみすみす手放す気はなかったはずだ。米国はいったん結んだ同盟を相手がそれを望む限り一方的に破棄することはしない、いやできない。それをしてしまうと自由主義陣営の盟主としての立場に影響するからである。言ってみれば米国は韓国が望んでいたから同盟を維持していたに過ぎないのである。 しかし状況は変わった。対テロ戦争という大義を持ち出した米国にとってその主張に同意できない国家との同盟には消極的にならざるを得ない。かつてNATOとして対ソ連の強固な同盟を組んだヨーロッパ各国とすら友好関係に影が見えるほどである。その立場を理解せずテロ国家と名指しされた北朝鮮との融和を急ぐ韓国は、統一を急ぐ自国民と北朝鮮世論におもねることを重視するあまり、米軍不要論まで持ち出してしまった。米国にとってはまさに自国の面子をつぶさずに手を引く好機である。米国にとってすでに通常戦力による限定戦争のオプションが困難である以上、対中封鎖は必要だが進攻の橋頭堡は必要ない、無くても影響しないのである。 韓国は自国のプライドを重視するあまり米国のプライド・行動原理を軽視した。冷戦当時の圧力拠点としての地位が変化することなく自国に保証されていると誤解したのである。「国家百年の計」とはよく言ったもので、10年先も見通せない韓国ではこれに対応することができなかったわけだ。 米国からのいわば離縁状をたたきつけられた韓国が、米国と対立するもう一つの力に安定の基盤を求めるのも無理は無い。私の考えからすれば、下らぬプライドを捨てて米国に対しもう一度頭を下げる(せめて態度を変える)ことがベストだと思うが、彼らの高いプライドはそれを認めないだろう。北朝鮮と中国の現在の関係からして北主導での統一はありそうも無いが、将来的に現在の「北朝鮮民主主義人民共和国」と親中国の「南朝鮮社会主義人民共和国」が朝鮮半島での分断国家となる可能性は否定できないだろう。 その場合は米国にとっての日本及び台湾の価値は相対的に増大する。日本の防衛戦略のあり方を激変させかねない状況の変化、加えれば台湾の国名加盟の好機として、韓中の今後の情勢は油断することなく見守る必要があろう。 ただ・・・どちらにしても韓国の言う「北東アジアの平和と繁栄のための“バランサー”の役割」は果たせそうもない。歴史は信義を軽んじたコウモリ国家に対して名誉を与えることは無いからである。
Apr 7, 2005
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まだ私が若く、考えも今よりも浅かった頃の話だ。3曹からの選抜試験で運良く幹部自衛官の候補生として合格した私は九州にいた。陸上自衛隊幹部候補生学校、九州久留米にあるこの学校では、防衛大を卒業したものと陸曹から候補生になった者はは約6ヶ月、一般大学を卒業した者は約10ヶ月、自衛隊幹部としての基礎的な知識・教養を学ぶ。(一般大学出身の期間が長いのは自衛隊をまったく知らないため、立ち居振る舞いの基礎から学ぶためだ) 一日の日課は8時間、しかし朝は六時に起きて乾布摩擦の後に数キロの駆け足、夜は強制的に3時間の自習時間のあと、おおむね12時くらいまではそれぞれが明日の教科の準備時間として半ば自主的に、半ば強制的に勉強をする。今思えばよく半年も持ったものだと思う。 そこでの教育科目には戦時国際法、軍事英語、各種装備の取り扱い、戦史、国際情勢などのほかに、自衛隊幹部として最も重要かつ必須の「戦術」という科目があった。 初めて行われた戦術の授業中に教官から質問があった。教官は地図を示しながら話した。「戦力はほぼ互角、ただし機甲戦力(戦車)は増援が到着すれば我が、砲迫火力(いわゆる大砲である)は敵がやや優勢である。敵は現在のところ攻撃準備をしており、我の増援戦車部隊は現在こちらに向け移動中で、攻撃開始予想時間の数時間前には到着する。」教場の床には大きな地図が張ってあり、そこに赤に塗られた(つまり敵だ)様々な兵科のシンボルマークが配置に応じて置かれていた。「地形的に戦車部隊が戦闘準備ができる地積を有するのは、A、B、Cの3地区だがそれぞれに利点欠点がある。」 手に持った指示棒で一人の学生を指すと教官は言った。「述べよ」「Aは広さ的には十分で道路網も良好、隠掩蔽も悪くはありません。しかし敵火力のほとんどがここを射程内に収め、かつ敵陣から動向を把握されやすい地域です。」指示棒が次の学生を指す。「Bは広さは十分で、敵の火力は長距離砲以外は射程外、かつ隠掩蔽良好な森林が存在し我の企図の秘匿が容易です。しかし周辺の道路状況等が悪く急激な戦闘の推移に即応が難しいです。」更に指示棒が別の学生を指した。「Cは道路網は良好かつ遠距離で敵火力のほとんどが射程外です。ただ地積的には必要最小限というべき程度で、夜が明けてからの敵航空攻撃の際に十分な防御態勢が取れないと考えます。また遠距離なため機甲戦力の発揮に時間を要し、その時機を制限します」「よろしい、君たちの言うことはそれぞれに一理ある。では今3人が述べた見解に個人それぞれの意見を加味して最適な集結地を選定せよ。今から休憩に入るので休憩後全員が発表だ。その時に質疑応答もあるので理論武装しておけ。」10分の休憩のあと教官は言った。「Aに集結するものは教場東側、Bは北、Cは西に椅子と必要な資料を持って移動せよ」三十名ほどの学生がそれぞれ椅子を持って移動を開始する。ほどなく3つの適地の意見の割れ方が判明した。A3、B15、C12。私はAだった。その分布を見て教官は面白そうに笑った。「A組はずいぶん分が悪いな、相当な理論武装をしていないと論破されるぞ?」 ほどなく論議が始まった。敵火力からの戦力の防護を優先するもの、航空攻撃の危険性を重視するもの、戦力の投入のしやすさから考えるもの、それぞれのバランスを取るもの・・・様々な意見が続出した。そして私の番が来た。「自分がAを推す理由は、戦力発揮の容易さ、地積と隠掩蔽の良好さのバランス・・・」(ここまでは他の二人と同じだった。先に意見を述べていた二人はB,C組からの反論に答えきることができず、数分で沈黙していた。)「そして・・・敵に対して発見されやすいことです。」一瞬教場が沈黙した。その要素はどう考えてもマイナスにこそなれプラスにはならないもので、前の二人が論破される大元だった要素だからだ。「なぜそれがプラスに?」何をアホなことを言い出すのかという顔で一人が質問した。「我有利の要素が戦車であることは敵も承知している。その有利の要素をわざわざ前線に配置し敵に見せ付ける事で、我が方に更に戦力があるのではないかと敵を欺瞞することができる。」「しかしこちらの企図を戦車が発見されることで察知される危険性が」「狭い作戦地域であるから遅かれ早かれ発見はされる。それよりも前線を戦車が走り回ることで敵にプレッシャーを与え士気をくじくことが出来る。」「しかし敵火力の集中で貴重な戦力をすり減らしては意味が無い」「敵砲迫火力はやや優勢であるとはいえ、戦車部隊を壊滅させるだけの火力を集中することは物理的に困難である。無損害というわけにはいかないが、数台の破壊で敵砲迫の位置が判明しこちらの火力でこれを大きく減殺することができれば敵優勢の要因を失わせられる」「敵がそれに乗ってこなければ?」「戦車がそこから攻撃に移ればいいだけだ。道路状況・距離的に最も戦力発揮に優れているのはAである。」「よし、そこまで。次のもの意見を」教官が質疑応答をさえぎり、私の出番は終わった。「全員意見を発表したようだな。それでは今までの討議を元に再度自らの支持する集結地の場所に移動。」ガタリと音がして、私の両隣の二人が椅子を持って移動し、A組に残っているのは私一人になった。(まぁひねくれた意見だしな)そう思った瞬間、一人が椅子を持って私の隣にそれをおろした。戦車乗りであることを常々誇りにしていたD候補生だった。「いやね、戦車を釣り餌ってのは気分よくないけどさ、打って打たれてこそ戦車だよ。奥に引っ込んで待つのは性に合わん」かれはボソッと呟いた。「よし、意見がまとまったようだな。A2、B16、C12か。AとBでは人間の移動があったな」教場に一回り視線をめぐらすと教官は続けた。「多数決ならB、そうなるところだが」少し間を置いて教官は更に続けた。「この問題には・・・いや戦術というものには正解が無いのだ。」当然正解が示されると思っていた仲間達にかすかなざわめきが走った。「特定の状況において勝利した条件は、必ずしも他の状況に適用はできない。わかるか?」数人がうなずいた。「考えられる状況は千差万別だ。戦略的な総戦力の多寡、国際世論の動向、彼我の指揮官の性格、あるいは兵士個人の士気の高さまで、戦局を左右する要素は無数に存在する。」「その中でその場において勝つための最適な術を「考える方法」を習得する、それが戦術という科目の目的である。当たり前に考えることは考え、かつ人の考えないような利点欠点まで、つまり裏の裏まで思考の範囲に入れることが重要なのだ。」 その日の授業はそれで終わった。 卒業も間近に控えたある日、教官たちを招いて祝賀パーティーが開かれた。仲間達と酒を飲み交わすのに疲れた私が壁際で一服しているときに戦術の教官が通りかかった。 教官は私の顔を見るとグラスを片手に歩み寄ってきた。半分ほどあいていたグラスにすかさずビールをつぐと笑いながら教官が言った。「XX、お前最初の時間で戦車を囮にするって言ってたよな。」実はその教官も戦車乗りだったことは後から聞いていた。「いや、結局最後は二人でしたから・・・」不意に真顔に戻って教官は続けた。「数の考え方が違うよ。A組のお前はたった一人で最大多数派から一人を自分の側にしたんだ。B組は15人で2人、Cに至っては12人で0だ。」「いや、まぁそうですが」「ものの考え方を学べと俺は言った。だが実際には知識がどうしても先行する。そして知識を持ってるものは知識に依存し固まってしまうことが往々にしてある。」「・・・」「知識はもちろん重要さ。だがもっと重要なのは知識を活用する「思考力」なんだ。詰め込んで覚えるだけならコンピュータのほうが上だろう?」「・・・」「知識と記憶に裏づけされた思考力、これが知恵なんだ。それが人間の価値になる、人生の価値になるんだと俺は思う。」教官はグラスのビールで少しのどを湿らせて続けた。「知恵のあるものの言葉には説得力が自然に生じるのさ。そんな人間にはなかなかなれないのも事実だがな。」グラスに残ったビールに視線を落とした教官は、ほんの少し笑ったようだった。厳しかった教官の笑い顔らしきものを見たのはそれが最初だった。「俺ももうすぐ定年だよ。大して出世できなかったが最後に教官をやらせてもらえたのは面白い経験だった。」教官はそう言うと、くるりと私に背を向けて次のテーブルへと歩み去っていった。 すでに昔の話である。そしてそれから十数年がたった。ここにはいまだに知恵を求めてあがく自分がいる。道はまだまだ遠い。
Apr 6, 2005
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【前文】 今回の日記は、kimdongsungさんがわざわざ当ブログにおいでになり付けてくださったコメントへの、私なりの意見、あるいは反論という形のものである。kimdongsungさんは私と様々な点で意見の対立している方である。ただしこれは完全な対立ではなく(私がそう思っているだけかも知れないが)、少なくとも双方は、戦争よりは平和が遙かに好ましく、自由闊達に意見の言える社会をより望ましいと考えている点において同じ立場に立っているように考えている。以上の点を踏まえても、この対立する意見の発表の場である私のブログに、その反論対象の一人であるkimdongsungさんがわざわざおいでになるには相当の覚悟が必要だったと思う。その対話に対する姿勢と勇気にまずは素直に敬意と感謝を表したい。この場でのこの論の交わりが何か一つでも有意義な実を付けることができるように、私も最大限努力をしたいと思う。蛇足であるがここをお読みの方々にお願いする。そのようなことはないと思うが、わざわざ出向いてくださったkimdongsungさんに対して礼を失することがないよう、当ブログ管理者として強くお願いするものである。(私の主義とは反するが、万一kimdongsungさんの発言に対して著しく礼を失するコメントがあった場合、他所の議論をここに持ち込む等の行為、単なる煽り・罵倒と判断せざるを得ないコメントなどがあった場合は、私の判断で管理者権限を行使し該当コメントなどを予告無く削除する場合があるのでご了承願いたい。ただしそれはkimdongsungさんのコメントへの返信・コメントのみに適用され、私の日記・コメントに対しての前記例に該当するものに対してはこれを行使しないことを宣言する。) 長くなったが、以下より本文とする。【以下本文】 kimdongsungさん、一つまず読み返していただきたいのは憲法の自由の種類です。おそらくはあなたは自らもお書きになっているように>個人の自由は「何をしてもいい」という意味ではありません。とご理解されています。しかし、憲法には「行動の自由」という権利は保障されていないのです。そこを勘違いされていると思います。思想の自由は間違いなく保障されています。しかしその思想に基づいて自由に行動する権利は完全にはありません。これを弾圧と取るかどうかですが、私はこれを弾圧とは取りません。なぜなら「法的手続きに従うのならその法を改正する行動を取る自由が認められている」からです。 理解していただきたいのは、私は個人として「国旗・国歌を否定する活動」を苦々しく思いこそすれ、否定はしていないということです。それを行動し公の場で他者にそれを示した者がおり、しかもそれらが「教員」であったこと自体が現時点で法に反していることを問題視しています。 もし法が改正されたなら私はその法に従うことでしょう、もちろん再改正のための法に許された範囲の運動をしつつ。 モラルなき自由の最悪の状態とは、相反する自由が実力を持って相手を排除しようとする状態です。そういった最悪の事態を回避するために法があるのです。法を否定することは法の庇護を得られなくなることを覚悟してやってください。 いやむしろそこまでのスタンス・覚悟であるのなら、それはそれで信念となります。今回処罰された教員が卑劣だと私が感じてその行動を否定するのは、法を否定しておきながら法の庇護を求めたことにも由来しています。>思想の自由をマナーとか常識とやらで阻害することが公共の福祉に反するのであって、それを防ぐために自らへの強制にも反対するのがむしろ「職務」です。 マナーと常識を否定することは人間の共同体としての国家を否定することです。マナー、常識は国や法がある前からありました。それは人間の共同体を円滑に運営するために獲得された知恵です。ただそれらは地域差などがありました。ある街では窃盗は弁償と労働。ある街では即死刑などです。しかしこれでは一つの国としては問題がある。それゆえに共通のモラルの基盤を作るべく整備されたのが法です。法はマナーと常識の最大公約数です。 そしてマナー・常識を否定する行為は結果として法を無視する行為、すなわち「無法」へとつながります。あなたは自由を最大に行使することが他者の「個人の自由と責任」に影響を及ぼす「無法」につながるとは考えませんか? あなたはあなたのブログで私への返信に「教員は上司に奉仕をするのではなく、第一に子どもに奉仕するべき者です。」と書かれていますが間違いです。教員を含むすべての公務員は公共に奉仕するのです。子供に対象を絞るのは間違いでしょう。 そして公共とは全員一致というものではありません(それは不可能です)。公共とは何かを定義するのは日本では民主選挙によって選ばれた政府です。その定義に不満があるのなら、民主的な方法によってこれを交代させる以外に方法はありません。 確かに民主主義には多数決という問題があります。可能なら直接民主制がいいのかもしれませんが、利点欠点のバランスから現在の間接民主制に落ち着いた経緯を考えれば、それは現実的手段ではないのでしょう。 ただ多数決によって決定された事項を、少数のものが行動をもって覆そうとするのはそれこそ問題です。あなたの主張が正しければ、多数の賛意がえられて必ずやそれが実現されるでしょう。そしてそれが実現されない以上は現行の法に従うべきなのです。少なくともその法が有効である限り。それが大人の行動です。 そして例の教員は大人の行動を取らなかった。彼らは行動で示すのではなく子供達にただこう言うべきだったのです。「人にはいろんな考え方がある。先生は戦争につながる記憶を思い起こす国旗や君が代には反対だ。だがその反対に自分の国の国旗や国歌に誇りを持つ人も日本だけでなく世界中にいる。そして今の日本では「国旗・国歌」には敬意を表すように法律がなっている。先生は自分の思想として納得はできないしその気持ちを変えることは無いけれど、君たちに法を守るということとマナーの大事さを教えるために、卒業式では君が代を歌って日の丸にお辞儀をするよ。そして君たちが大きくなったらこのことを思い出してほしい。思想の自由と法を守ることはどちらも大事だ。先生達はそれを君たちに教えるために我慢したんだと。そして大きくなっていろんな知識を持った君たちが国旗と国歌について考えていくんだよ。」 これなら法を守ることの大事さ、思想の自由の尊さ、マナーの大事さを教え、我慢の尊さを教えることができます。どちらかといえば国旗・国歌に反対する子供を増やすことができたかもしれないですね。やや「主義の方々」よりですが、そう非難されることは無いでしょう。>私がその立場なら、「歌や旗を強制するのが自由の濫用でしょう」と言います。 歌や旗を強制?するのは自由ではなく、法に基づいた規則なんです。規則を守らなくてもいいという意見・行動を先生や親が示せば、それは子供に拡大解釈の余地を与えるでしょう。子供達は屁理屈が大好きですからね。 親の言うことを聞かない子供にあなたがもし「それはそれ、これはこれ」などという怒り方をするようなら、子供はどんどん歪んでしまうのではないでしょうか。 最後に繰り返しますが、様々な思想の存在を認めることは当然です。ですが、その思想に基づいて「様々な行為・行動」を自由に行うことは人間社会をぶち壊す危険性をはらんでいます。だから法がそれを規制しているのです。もし私が「弱肉強食は自然の摂理である。よって人間は殺す自由があるはずだ。これを制限する法はおかしい。」と叫んで部隊の銃を持ち出して暴れだしたらどうします?あなたはその自由を認めてくれますか?昨今の凶悪犯罪多発と絡めて考えてみてください。「法でいう犯罪を犯す自由」なんかは認められないでしょう? 自由を行動で示すには法の範囲内で。法が間違っていると思うならまずは法を改める。当然のことではないでしょうか。 最後に最近マイブーム(死語)な先人の金言から。「悪法でも法は法である」ソクラテス「民主主義と独裁国の違いは、民主主義ではまず投票して、そのあとで命令をきくが、独裁国では投票する無駄が省かれているということである。」チャールズ・ブコウスキー
Apr 5, 2005
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今回、非常に示唆に富むコメントをいくつか戴いた。残念なことに当方の仕事が少し忙しくなってきてしまい書き込みが遅れている。じっくりと考えてこちらの意見を出さねば失礼に当たるので、軽々なレスではなく今日・明日にでも日記として書かせていただくことにしたいと思う。ご了承願います。
Apr 5, 2005
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我が国のイラクへの財政支援、これによって行われる各種事業のほとんどが米国企業によって実施され、結果として米国が潤っていると指摘する人たちがいる。日本の税金からでた援助金がイラク戦争を主導した米国に流れることに対して、様々な主義主張から反対しているわけだがこれが本末転倒も甚だしい。 確かにイラク戦争により、イラクのインフラは多大な被害を受けた。そしてその被害をもたらしたのは戦争当事国のイラクと米国・英国等なのも間違いはない。「主義の方々」はこのことをもって、日本を始め国連等からの援助金が当事者の米国に流れることを非難している。「おまえらが壊したのに修理代もおまえらの懐に入れるのか。それが目当てで戦争をしたんじゃないか」と。 だが私はあえて言おう。「アホか」と。彼ら「主義の方々」は自分たちの主義・主張・思想を神聖視するあまり、物事の根本を見失っているのである。 電力不足で困窮しているのは誰だ? 飲料水不足で衛生状態が悪化しているのは誰だ? 道路網の寸断で物資流通が阻害されて困っているのは誰だ? 学校が破壊され学ぶことすらできないのは誰だ? 財政支援で行われる各種工事、これにより完成する各種インフラは誰のためのものか。財政支援を行う日本はじめ世界各国のためでもなければ、大規模な軍の駐留を行っている米国のためでもない。工事を発注する暫定政府のためでもなければ、これを受注する米国企業のためでもない。 一番困っているイラクの人たちのためである。 我々は治安が安定し、かつ他国に比して裕福な「日本」という恵まれた環境にいるから見失いがちであるが、高邁な思想が生命の維持と同等またはより以上の価値として扱われる国はまだ少数派であると認識すべきなのである。未だ多くの国々では「思想よりまず命」なのだ。困窮しているイラクの民衆のための各種インフラが、米国企業の手により整備されることの何がいけない?確かに工事受注をイラクの企業がやれるならそれがベストだ。だが今のイラクにそのような大規模な工事を行える企業が果たしてあるのだろうか。 高邁な理想を念仏のように唱えれば、空中から発電所が沸いて電力を供給するのか? 戦争反対とデモをすれば、ユーフラテス川の水は飲用できるまでに綺麗になるのか? 劣化ウランの放射能を根拠もなく罵れば、舗装された道路網がたちまち復活して物資が流通するのか? 世界各国の軍を撤退させれば、春の畑にまいた種が芽吹くように廃墟の街に学校が生えてくるのか? お題目を唱えて何かをしている気になるのは簡単だ。だがそれは単なる自己満足の自慰行為にすぎない。思想・主義・主張よりも遙かに優先度の高いものが存在する場所、時代があることを失念してはならないのである。 イラク戦争に関する判断はいずれ国際社会が下すだろう。そしてイラク人自身にとってそれが「圧政からの解放」だったのか「外国からの侵略」だったのかも。我々にできることはイラクが少しでも早く、その判断をすることができる余裕を持てる国になるように援助することではなかろうか。少なくとも自らの思想・信条のためだけに、真実困っているイラクの人たちへの援助を取り下げるよう主張することはすまい。他人の困窮を利用して自らの政治的主張をするような下衆な行為は慎むべきだろう。
Apr 4, 2005
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先人の言葉というものはなかなかに味があります。さすが歴史において何かを成し遂げた人たちは、その言葉に重みがある。実績を伴う重みはなかなかに出せないものです。 まずは当該ブログ管理人さんに、この2つの言葉を贈ることにします。「自己満足に陥らぬ者は成長する。自分の考えが正しいという確信を持てぬ者のほうが、多くのことを学ぶ。」(中国の格言から)「知性を高める唯一の方法は、どんなことについても断定しないこと、すなわち自分の精神をあらゆる思想に対して広く開けておくことである。」(ジョン・キーツ) 今の管理人さんには自己を過信する様子しか見えません。著作権に関する指摘は某S氏さん以外にも多くの方がされていますゆえ、一歩とは言いません、半歩引いて冷静に考えたらいかがですか? また某S氏さんは次第に過激な口調になるタイプではありますが、理由もなしに過激になる無法者ではありません。「長年の経験が私に教えたことが少なくても1つある。相手が不快なことを口走っても嫌がらずに、むしろ積極的にそれをとりあげて、少しでも相手の意見を尊重していることを示すのだ。そうすれば相手もこちらの意見を尊重してくれる。」(ベンジャミン・フランクリン)罵声と罵倒には、罵声と罵倒で返したくなるのが人の常。だが某S氏さんが先にあなたに対してレッテル貼りや罵声を浴びせたのかどうか、考えて見るべきですね。某S氏さんの反応はあなた方の反応を鏡のように返している事に気づきませんか?そしてそうして次第に荒っぽくなるやり取りに、この言葉を贈りましょう。「自分の面が曲がっているのに、鏡を責めて何になろう。」(ゴーゴリ) また、発端となった日記記事自体の評価として、この言葉以上に相応しい言葉はありません。「日本人の欠点は、感覚を偏愛し、理性に欠ける所にある。」(田中美知太郎)私や某S氏さん、あるいはあなたに対して反論をしている人のほとんどが、これについて質問しているのですよ。 自分の過ちに気が付いたならそれを訂正すればいいんです。それを怠っているからあなたが多くの人から非難されているのがわかりませんか?「もしあなたが、過失を擁護する態度をとるだけであれば、進歩の望みはないだろう」(チャーチル)「盲目的前進は、どこかで方向を間違っても気づきません。ときおりたちどまって周囲を見まわしましょう。そして反省の時をもちましょう」(石ノ森章太郎)「己が分を知りて、及ばざる時は速やかに止むるを智といふべし。」(兼好法師)「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるでもない。唯一生き残るのは、変化できる者である。」(ダーウィン) そして学んでください、基礎知識を。その後でご自身の意見を発してください。「型をしっかり覚えた後に、"型破り"になれる。」(中村勘九郎)そうすれば、貴方の意見に賛同する人も出てくるかもしれません。 最後に蛇足ながらご忠告です。あなたに味方するかのように現れたお二方ですが、その投稿の中身を見てもらえれば判るとおり、単に「某S氏憎し」だけで現れたピエロに過ぎません。彼らのことをもし味方と期待しているのならこの言葉を胸にお納めください。「無能な味方より有能な敵のほうがマシだ!」(ジョージ・パットン中将)
Apr 3, 2005
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金載圭(元韓国中央情報部部長)「軍人や革命家が政権を取れば、独裁するに決まっている。」 至極最もな見解。で、この人は何をした人かというと・・・http://1026.ifdef.jp/kim-jaekyu.htmを参照のこと。リアリストの頂点を極めそうな組織の、そのまた頂点にたった人物にしては謎の多い行動だなぁ、と感慨が深いです。 さて、韓国は国を挙げて日米を非難してるけど、実は韓国軍部は結構な危機感を持っているらしい。ま、軍人と言うのはどこの国でも極めつけのリアリストですので当たり前と言えば当たり前なんですが。 近いうちに韓国軍の話でも書くかな・・・意外にまともですよ、とか言ったら失礼か・・・
Apr 3, 2005
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十人十色、といっても大昔の歌ではない。じゅうにん-といろ じふ―【十人十色】 考え・好み・性質などが人によってそれぞれ違うこと。「―の癖」【大辞林 第二版】という本来の意味のほうである。人間はそれぞれの考え方を持っている。もって生まれた資質、教育、親の躾、愛読書、趣味・・・あらゆるものに影響され、完全に同一の考え方を持つ人間などほぼ確実に存在しない。その差が少ない場合、人はそれを「話の合う人」「仲間」などと称している。政治的な面で近い場合は「党」「党派」などという形で集団も作る(昨今ではそうでないものもあるが)。 人という生き物が群れを作り、その群れが村、都市、国家と共同体の規模を段階的に大きくするにしたがって、それを構成する個体数は増える。個体数が増えれば増える分だけ考え・好み・性質は十人十色から千人千色、億人億色となり、その差を個人のマナーや妥協で緩衝し切れなくなる。では次第に大きくなる差分を吸収することができずに、人間の集団は瓦解するものなのだろうか? 古い時代では確かにそのようなこともあった。その緩衝しきれない軋轢が争いを生み多くの悲劇を引き起こした。だが人間はそれを克服する術を、解決策を見出すことに成功する。それが「法」だ。明文化して様々な規制を盛り込みその及ぶ範囲にこれを徹底することにより、法は規模の大きい共同体に対して一定の行動規範を設けて瓦解を防ぐ存在である。「法を犯す」ということはその共同体内における行動規範を無視することである。共同体が与える各種の庇護・利点には大きなメリットがあるので、そのメリットを受け入れたい人間は法を犯してはならないわけだ。法は様々な権利や自由を規定し保障するが、対価としてその法を守ることを要求するのである。「自由」も「権利」も生得の、無償で与えられる存在ではないのである。 しかし昨今、権利・自由を法に保障させながら法を守らないという輩が散見されるようになった。彼らは声高に「自由、権利」と主張し、それを規制しようとする法があれば「法など無視」と発言し行動する。彼らの主張する自由と権利は「何」によって保障されているのか、「何」によって定められているのか。「法」である。彼らの度し難い矛盾は、自らの行動基盤を自ら否定することを当然としていることだ。その行動基盤を否定することで自らが主張するものすら失われることに気づかない。 もちろん「法」は絶対唯一、無謬なものではない。人間が作ったものには大概向上の余地があり、先人はそれをわかっているからこそその手段を残している。そう、我々は政治に関わり(直接か間接か、人それぞれやり方はあるだろう)「法」を作る、あるいは改正する権利を与えられているではないか。規則・法を曲解し自らの思い込みだけでそれを無視しようとする行為は、民主主義法治国家に住む人間として失格なのである。「悪法でも法は法」というソクラテスの最後の言葉がある。我々は合法的に法を改正する権利を与えられている。また悪法を作らない政治家を選ぶ権利もある。それを超えて自らの思想を主張し行動に移そうとする人間は、傲慢かつ無政府主義の唾棄すべき存在である。国家という共同体に存在すべきではない。当然ながら彼らは公職に付く資格を満たさない存在であり、万一そのような行動をしたならば処罰を受けて当然であろう。彼らに法治国家の一員としての資格は無いのだ。
Apr 3, 2005
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ネットの論争を見ていると頑として自説を曲げない人がいる。自説に根拠があって曲げない、これならわかるが、根拠もなく曲げない人がいる。(今回の主題となるブログ)http://plaza.rakuten.co.jp/kouzen/ 思想・主義は確かに自由だが、これを何らかの手段で発表すれば当然反対意見の人からは反論が来る。このときどういう対応が取れるかでその人の論者としての器がわかるのだが、上記サイトを見た方々はどう思うだろうか。さて上記サイトでは国歌・国旗について意見を発表している。この意見についてはすでに私自身のブログにおいて関係する記事を書いているので省略する。 私が今回述べてみたいのは彼の人の意見を発するための思考方法である。いや、彼個人だけではなく同様の反論方法でしか発言できない人に共通する思考方法を推察してみたいと思う。まずは彼と、対立する意見を出す人と、その両方の書き込みを比べてもらいたい。発端は当然彼の記事である。その記事自体は国旗・国歌に対して彼の意見を述べているものだ。当然意見を異にする人たちが反論をするわけだが、反対論者は彼の意見に対し様々な判例、法規、世界的な常識などを自説の根拠として反論している。本来であれば、彼はそれらの論拠を覆すことができる論拠を自ら発して反対論者と討議するはずである。しかし。しかしである。 当該ブログ管理人が行っていることは、○レッテル貼り 反対論者のブログを見て「戦車の写真があるから軍事オタク」などのレッテルを貼り、そのレッテルを侮蔑的に用いることで自らを相対的に有利に見せかける。ただしなぜ軍事オタクが侮蔑的な扱いをされるのかは示されないし示せない。○書き込み削除 なぜ削除かも明確にされずただ削除。管理者は誹謗中傷といっているが誹謗中傷であることは誰にも証明できない(なぜならその発言がすでに無いからである)。そして表面上反論が存在しないかのように言論を弾圧し、自らに正当性があるかに見せかける。○侮蔑的表現の羅列 根拠を示さず、ただひたすら相手を中傷する。「嘘つき」「恥知らず」「いい歳をしたおっさん」「非常に醜い」「情けない」等々。○法的誤謬 著作権法に関しての的確な指摘を幾つも受けているにもかかわらず、これに動じない。自分ではなくて法が間違ってる、とでも言いたげな大胆不敵な態度。 これらのことは何度も書き込まれるが、反対意見への根拠を示した反論はまったく無い。 さて、このような感情的な反論(とすら言えないが)しかできない管理人の思考方法はどのようなものなのだろうか?まず彼が自説を曲げないことから推測できるのは、彼が自説に絶対の自信を持っているということである。同様に彼が根拠を示さないまたは示せないことから推測できるのは、この意見が根拠に基づく論理的帰結から得たものではなく、単純に感情的なものから発せられた可能性である。この推測は反対論者に対して感情的侮蔑を連発することからも裏づけされる。 論を証拠から構築せず、反論は感情的、しかし自説には絶対の自信を持つ。これが私から見た当該ブログ管理人の姿である。 このような発言をする人間がどのようなタイプか、まずはそこから焦点を当ててみよう。幾つかのレスに見られるとおり論理的思考能力が低いため、複雑な世界観を理解することは困難だろう。また容易に激昂して感情をあらわにし、他者の意見に対し耳を傾けられなくなることから社会的協調性が乏しく乏しいがゆえに広範囲の世界を見なくなっている可能性が高い。これは自らと対立する意見に対しての理解を示せないことにも合致する。更に他者に対して攻撃的姿勢を崩さないことから温厚とはいえない性格、そして常に反対する相手を罵倒する姿勢には高いプライドが垣間見える。全般に自己の意見を絶対視し、これに対する反論を許さない姿勢は強い独善性の顕著な表れでもある。 次にこのような人物像が持つ世界観とは、どういった世界観になるかを推測してみよう。まず論理的思考能力の低さと視野の狭さからは、最も単純明快な世界観しか持てないことが推測できる。すなわち善と悪の2つしかない世界である。当然「善なるもの」は自分であり、「悪」は自らに対立するものとなる。他者に対する独善性とプライドの高さは自らの知性を過大評価し、周囲の者(知性の劣るもの)は自らの叡智に従うべしという行動論理・考え方となる。これらを合わせた「周囲の反対意見を持つものは悪でなおかつ知性が低い」と考える姿勢は、差別弾圧を容易に形成する。すなわち選民思想である。 当該ブログ主と同様な思考法をもって全盛期に世界で一大勢力となった2つの国家・集団を覚えておられるだろうか?その集団も当初は市民のためと称して活動して支持を集めていた。そしてついにはその主義・主張はその国家において主導権を握った。 私の記憶にある限り、それらはナチス、ソビエト共産党と呼ばれた組織である。国家全体主義の名の下に無数のユダヤ人を虐殺したナチス、共産主義の名の下に同国人を粛清し続けた旧ソ連。いずれも自らの無謬を信じ、言論を弾圧し、対立するものを抹殺し、過去の自国の歴史を否定して、それが市民・国民のためであると欺き続けた。実に良く似ているではないか。 そして彼らの末路は歴史が物語っているのである。
Apr 2, 2005
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田中美知太郎「平和は、われわれが平和の歌を歌っていれば、それで守られるというものではない。いわゆる平和憲法だけで平和が保障されるなら、ついでに台風の襲来も、憲法で禁止しておいた方がよかった」ジョージ・サヴィール「民衆が自由を求めて戦ったとする。おそらく彼らが手に入れることができるのは新しい支配者ぐらいなものであろう。」ニーチェ 「飛ぶことを学んで、それをいつか実現したいと思う者は、まず、立つこと、走ること、よじのぼること、踊ることを学ばなければならない。最初から飛ぶばかりでは、空高く飛ぶ力は獲得されない。」
Apr 1, 2005
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自衛隊に入って十数年、いろいろな思い出があるわけだが今日はそれを少し語ってみようと思う。 某学校を中退し、その学校からの就職斡旋を蹴って自衛隊の門をたたいて幾年月、何の間違いか陸曹から幹部候補生の試験に受かってしまいぺーぺーの3尉として転属したA駐屯地。 部内からの選抜幹部の義務と言わんばかりに「陸曹候補生選抜試験」(要は陸士(兵)から陸曹(下士官)への昇任試験)の合宿教官役を仰せつかった。試験は1次試験(学科)と2次試験(面接他)からなっており、その試験に合格すれば陸曹となり自衛隊に定年まで勤務する資格ができる。学科の主担任教官は頭のいい防大卒のピカピカ3尉がやり、私は副として国語や自衛隊法関連などの科目を受け持った。 バブル崩壊からまだ数年、自衛隊を辞めたとしても再就職の先も少ない時代のこと、受験資格のある陸士50人ほどのうち約7割が合宿参加を希望し、その時の1次試験には6人ほどが合格した。(あとから聞いた話だが、普通は2、3人受かればいい方なのだという) 2次試験は面接主体なため、自衛隊風の面接をこなしたことのない防大卒の3尉と立場を入れ替え、主担任が私にまわってくることになった。面接や基本教練の基礎的事項の他に、見栄えの良い動作、受けの良い話し方などの要領とともに、大隊長の強い要望で「自衛官としての考え方の基本」を教えることになった。 さてずいぶんと難解かつ曖昧なことを申し使ったとは思ったが、確かにこれができていなければ陸曹として合格させるわけにはいかない。しかしまだ20~24歳の若い隊員が、日々の訓練や日常業務の中でそこまで考えていたのか、あるいは考えることができるのか、まずはそこを見極めなければならなかったわけだ。 面接の教育は、オーソドックスな質問例題集に対して受験者それぞれが自らの考えで回答を準備する。それに対して主担任の他に応援の幹部自衛官(時として大隊長や連隊長までお願いした)二人を加えた三人の面接官が質問をする。もちろん質問に対する回答に対しては、更に一歩も二歩も彼らの予想しない方向から踏み込んで質問を追加するわけで、私相手の面接の練習を受けた若い隊員からは「X3尉(私)の質問が本番の面接よりも怖かったですよ。」と言われるのが常だった。 ある日普段から私と話の合う仲の良い先輩幹部のH2尉とM中隊長の三人で面接指導を行った。M中隊長は一通りの指導を行うと別の仕事のために早々に退出した。偉い人が帰ったあとの流れは大体こんな感じだ。H2尉「んーあれだな、おまえらもう少し質問のつっこみに耐えれるくらいの知識付けろよ」私 「そうだなB士長、おまえ自分で興味があるとか言っといて、国連の常任理事国を間違えるのはやばいだろ」B士長「いや、突然振られたもので・・・あせっちゃって」H2尉「本番の面接で「今日はこの問題質問するよ~」なんて言ってくれないぞ?」という調子で、和気藹々としながらその日の面接の失敗を反省しつつ缶コーヒーを飲むのがパターンだった。(缶コーヒーは私のおごりで、たまに若い隊員たちが「いつも悪いですから」と気を利かせてくれることもあった) そして話が横道にそれながらも、合格して陸曹になったらどうするとかの話になったとき、かねてからのH2尉と打ち合わせていたとおりに私が質問の口火をきった。「おまえら陸曹合格してからさ、もしどっかの国が攻めてきて戦争になったらどうするよ?」H2尉も事前の打ち合わせどおりに「まー死にたくないよなぁ」と合いの手を入れる。世間話といえど私たち二人の頭の中には、「どうするもこうするも任務ですから」という感じの答えが返ってくることを当然として次のステップが組まれていた。「親や恋人が反対しても?」とかの追加の質問が準備されていたわけだ。 6人の受験者は「好き嫌いの問題じゃないですよね」「逃げてしまえば部隊の仲間に卑怯者扱いされる」「その時のために給料もらってるわけだし」と次々とほぼこちらの想定どおりの答えを言う。 そのなかで一人、K士長だけが違った。彼はなかなかに頭もいい。陸士で既に結婚しており子供もいるため、真剣に自衛隊に定年まで勤めたいという希望を持っていた(とそれまでは思っていた)。ただやや自己中心的な言動が目立ち、いままで何回か1次試験を合格はしているものの面接で不合格になっていた。その彼が何の迷いもなく、しかし半分冗談めいた口調で言った。「あ、俺その時は自衛隊を辞めますから」 一瞬周囲が凍ったかのようだった。一緒に受験する他の5人も固まった。おそらく時間にすればほんの10秒だっただろうが、固まった時間をH2尉が静かに動かすように冷たい声で言った。普段の彼を知っている人間には信じられないほどの怒りを含んだ声だった。「辞めるなら今やめろ、おまえは自衛官として、仲間として失格だ」K士長当人も失言だったと思って何かいいわけをしようとしたのだが、普段はいつもにこにこと冗談を言い、部下にも優しいH2尉が更に冷たく言い放ち彼の言い訳を遮った。「例えばおれはX3尉といつも冗談を言いながら笑っているが、有事の際に必要とあらばこいつに死ねと言う、言わなければならない。」私の顔を真顔で見ながら続ける。「本隊が撤退する時間を稼げとXとその小隊に命令する。Xも当然それで死ぬのをわかっているが、それで俺を恨むことはないし俺と冗談を言い合ったことを悔やむこともない。」私は黙ってうなずいた。「階級が上がるってのはそういうことだ。上がれば上がった分、偉くなればなった分だけ部下の命を預かることになる。お前達が陸曹になるということは後輩や部下の命を預かり、仲間の命に責任を持つってことだ。そういう立場になろうとする人間が絶対に言ってはならないことってものがある」K士長は黙ってうつむいた。「誰が悪いとかじゃない。なぜそういうことを言ってしまったのか、言わなかったやつも自分にもそういう考えがなかったか、それを考えろ」そこまで言うとH2尉は缶コーヒーを一息に飲んだ。「X、用事があるから先に帰る」目線がフォローを入れておけと語っていた。「なあ、お前ら」H2尉が部屋を出て行ったあと、椅子に座って缶コーヒーを飲むともなしに抱えている6人に向かって私は言った。「H2尉の言うことの意味がわかるか?」答えは返ってこなかった。「わかるまでじっくり考えろ。午後の教科は基本教練の予定だったが変更だ、今の話について考えて明朝レポートを提出しろ。椅子を片付けて解散」 その10日ほどあとに行われた2次試験で、我が部隊からは6人中3人が合格した。(2次合格率50%は部隊としても久々の快挙だったらしい。)「お前らが合格したら寿司おごってやるよ」とせいぜい1、多くて2だろうと踏んでいた私の軽口の報いで、総勢4人で寿司屋に行くことになった。「回らない寿司屋行ってみたかったんですよ」と冗談めかして言う若い隊員の、普段食べる量を考えて私は死をも覚悟した。「X3尉、あのときのH2尉との会話、あれマジだったんですか?」日本酒を飲みながら寿司をつまむ私にB士長が尋ねた。「さぁなぁ、ただあれでお前らみんなの目の色は変わったよな。」「ええ、衝撃でした。あれで目が覚めました。」うんうん、とうなづく私にB士長は酒をつぎながら言った。「ところで」「なんだ?」「大トロ頼んでもいいですか?」その月はやけにカップラーメンを食べる月になった。 私がその部隊を転属するまでに8人の陸曹の合格に関わった。奇しくも私とH2尉が同時に転属することになったとき、その8人が見送りに来て言った。(そのなかには後から合格したKの姿もあった)「ありがとうございました。おかげさまで陸曹にさせてもらいました。」「俺達がしたんじゃない」H2尉は言った。「お前らが陸曹になれるだけの能力と心を身につけただけだ、これからも頑張れよ」私達は私有車に荷物を積み込み乗り込んだ。「あいつら、立派な陸曹になりますかね」との私の問いにH2尉は答えた。「なるさ、バックミラーを見てみろよ」そこには私達の車に向かって、私達が教えたとおりピクリとも動かぬ姿勢で、教科書に載せても恥ずかしくない立派な敬礼をする8人の若い隊員の姿があった。バックミラーの中で次第に小さくなるその姿は涙で少しかすんでいた。すでに昔の話である。
Apr 1, 2005
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