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“11.22は“いい夫婦”アンケート?”を期間限定で掲載することにしました。お気に召しましたらご参加くださいまし♪作成に当たり、以下の文献、資料を参考に作成させてもらいました。 『データで考える結婚差別問題』(奥田均著、解放出版社、2002年5月)より「2000年部落問題調査」結果結婚相手を考える際気になること「同和」地区外住民(「同和」地区内)相手の学歴13.7(4.2)%相手の職業24.6(12.0)%相手の家族に「障害」をもつ人がいるかどうか14.8(4.5)%相手の国籍・民族22.7(8.0)%相手のセクシュアリティ-(-)%相手の宗教32.0(13.5)%相手が「同和」地区出身かどうか18.1(3.8)%その他2.1(1.9)%特に気にしない29.2(52.6)%2007年度岐阜県が実施した「人権に関する県民意識調査」(毎日新聞 2007年11月20日)ありがとうございました。
November 22, 2007
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日本の白・赤・黒不浄も「賤」から「貴賎なし」への宙返りを♪イタコ
November 19, 2007
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『部落の根っ子ばなし・第二集』より 目ふさぎの藪むかし、美濃の国の部落は、本村の小字なみに多少なりとも竹薮のくろにあったと。小字などは人の往き来の道ばたが家並みで裏が竹薮じゃが、部落はあべこべでな。本村の人家に向けて竹薮があって、裏は人の住まん野っ原や河原など明けっぴろげになっとったと。世間でよっぼど部落を見とうないのか、藪は本村の目ふさぎじゃったそうな。竹薮のなかの一本道が部落と世間をつないどったらな。出入りするのは部落の者だけで、どうでも用事の百姓などは、部落の裏からあぜ道や道草づたいに訪ねてきたと。本村では代官所の指図をうけて、年ごとに竹の年貢を納めたで、おりおりの村うちの竹薮を伐りはらったがな。部落のくろの藪ばかりは村人の思惑で手をつけんので、おのずと部落の者だけが立ち入るようにできとったとよ。竹皮拾い、樋づくり、竹の子掘り、竹細工なんぞ、ずいぶんと暮らし向きのたすけになったがな。部落の者が竹薮をわがもの顔にせんかぎり、村の者も見て見んふりしとったと。村の者が寄りつかん竹薮でも、ときには極道百姓が集まっての手なぐさみや、村の帳外者が小屋をつくって坐りこみ、親や庄屋の気が変わったらまたぞろ村へ戻る手段のかくれどころに使ったが、部落の者も見て見んふりしとったと。大野の藪川ぞいに部落があってな。ぐるりを藪に囲まれとったが、いつやら藪から血相かえて飛び出した男がおってな。部落のかかさを呼び止めて、女房が藪で産気づき、のたうちまわって弱っとる、運ぶ人手を貸してくれ、と頼んだとよ。胡散くさいがともかくと、近所の連れを四、五人呼んで、女ご衆ばかりが藪へ踏みこんだらば、いつの間にやら小屋掛けしとってな。たった一枚のござの上で、いま産み月の女房が、はちけんばかりの大腹を波うたせ、あお向けざまに転がっとったと。雨つゆをしのぐだけの掛小屋じゃ、子を産む用意なんぞ、ほってもありゃせんと。女房はござに爪たてて、すぐと生み落す息づかいじゃで、こりゃ放っておけんと、女ご衆が手とり足とり抱えあげ、ひとまず部落へ運ぼうとしたらばな。抱えられとる女房が息たえだえの声あげて、 「そっちで生むのはかんにんじゃ。たとえ死んでもあっちで生ませとくれ」 と本村を指さしたとよ。亭主も真顔で引きとめて 「そっちで生ませてなるもんか。わしらの体面丸つぶれじゃ」 と、立ちふさがって押し返したと。部落の女ごの虫が出てな。 「ごたく言うなら、なぜ呼び止めた。女ごの大役前にして体面なんぞを構うなら、好きなところで産みなされ」 とな。腹だちまぎれに女房を、その場へ一気におっぽらかしたと。大腹かかえた女房は、地べたをはって手あたりしだい、右や左の青竹にすがりつき、目をつりあげて泣き叫んだで、藪のそとまで知れわたってまったと。部落の婆さが駆けつけて 「どこで生もうと指図はせんが、産所えらびは、もう、手おくれじゃ」 とな。言うなり両足ふんばって、泣き叫んどる女房を抱え上げ、亭主を尻目にとことことひとりで部落へ運んだが、生まれる子どもに待ったはきかん。婆さの家の軒さきで、自分勝手に生まれ落ちたと。腕におぼえの婆さはな 「これみい、よい子じゃ、よい子じゃぞ。藪で生まれんでよかったな。生まれとったら竹の子じゃ」 なんぞと目を糸にして、ひとりで後の始末をしてやったと。せんかたなしの亭主はな。ひとまず母子を婆さにまかせ、おのれひとりが掛小屋で、しきりと藪をすかし見て、村の使いを待っとったがな。村八分ならいざ知らず、親さえ久離の帳外者を、村にとりなすひまどもおらんのか、待ってもたっても迎えにこんと。このうえは、忘れるほどの年月を知らぬ他国で生きのびて、歳にめんじて戻るより他に手段がなかったと。部落の者が哀れがり、誰かれなしに食い物を運んでやったらな。喰うの、喰わんのと、しばらくは片意地だけで気を引きたてとったが、ものを喰わずに生きとれるなら、こんな住みよい世間はないて。二日、三日とたつうちに、生まれたばかりの乳呑み児かかえ、どこに住みつくあてもない、宿なし者の身の上じゃと、わが身でようやく納得したとよ。そこで婆さが口きいて、夫婦そのままずるずると藪のこっちに住みついてまったがな。なんで村から追われたのか、仲間うちじゃで誰も聞かんに。
November 19, 2007
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『部落の根っ子ばなし・第五集』より取りあげ婆(ばば)さあのせつは朝めし喰っとるさいちゅうに、いきなりどーんと突きあげて、とたんに左右へゆさぶったがな。軒につるした芋ふりかごがふり切れて、地べたをあちこと転がるし、軒の柱もゆれ動いたで、地震がやんで気づいたら、柱がかごをふんどった。部落はいぜんのわらぶき屋根、埋めこみ柱の平屋じゃで、かるいのと、柱が土を履いとるでな。つぶれんかわりにかしいだが、世間のように倒れた家の下になり、死んでまったは一人もおらんと。ゆすり返しが波うつで、たがいにやうちの名を呼ぶと、ゆれてくずれる土手こえて、前の河原につくなったがな。河原へのがれた人の口から、やれ、どこやらは一村残らず埋まったぞ。やれ、どこやらの町に火のてが上がったぞ。倒れた家の下になり、なん百人が死んどるぞ、とな。聞くたび肝をちぢませる噂ばかりがつたわるで、つねづね聞いとるよがめつとは、いまのことかと念仏じたと。今夜はどうでも野宿じゃぞ。年より、子ども、病人に、むしろやふとんをはこびだせ、飯のまわしも忘れるなと、仲間のさしずで騒いどったら、難をのがれた人のむれが、ひとまず河原へぞろぞろと、着のみきのまま集まってきたと。夜は河原のあちこちで、思いおもいに火をたくで、遠くのほうからながめると、高声たてる者もなく、ものの怪の火をみるような、背筋の寒い思いがしたと。そのおり暗がりの向うから 「さんばはおらぬか、このなかに。さんばに用がある者じゃ」とな。しきりと探ねる声がして、やがてのことに砂利ふんで、たき火に姿をみせたのが、あきんどふうの男でな。 「わしゃ、取りあげのまねごとするが、だれぞ、にわかに産気づいたかや」 と、部落の婆さまが声かけたら やれ、ござったか。わしの主人の奥さまが、河原で産気づかしたで、ともかくめんどうみてくだされ」 とな。かた手おがみにせきたてたと。部落の女ご衆がつれだって、向うのようすを見てもどり、着のみきのままお産じゃぞ。いかにもあわれじゃ、ほっとけん。それっ、むしろじゃ、ぼろじゃ、ろうそくじゃ、家へもどって取っといでと、男衆たちを追いたくったでな。それぞれ手わけで走ったと。女ご衆に、手むしろ囲いにかこませて、片はだ脱いだ婆さまが、大きな声ではげまして、やがてのことに生まれたと。げんきな声で泣いとるのを、にきの湧き水が産湯がわりじゃ。古着のゆかたにくるんでな。むしろの上の母親に、お手がらじゃったと抱かせてやったと。さっきの男は番頭じゃと。鼻水もふかんとよろこんで 「後日、主人がお礼にあがる。失礼ながら」 と、いんぎんに婆さまの名前とところをたずねたで 「なあに、わしゃ、あそこらが住まいじゃて」 と、たき火の向うを指さして、名前とところをつげたらな。あかりのなかで番頭が、じんじょうでない目つきして、にわかに口をつぐんだと。ひと月もしてから婆さまたちが、地震の始末にやとわれて、神社のにきで働いとったらな。町でいちばんの金持ちが、地震の騒ぎをわすれたように、人力車つらねて宮まいりじゃと。見物衆がうわさして、地震のさなかに生まれた子じゃそうな。見やれ、お抱えの医者も産婆もつきそいじゃ、とよ。婆さまがなんの気なしに背のびして、車の上の着かざった奥さまとやらをながめたら、なんじゃい、河原で助けた女ごじゃと。ならば抱いとる赤ん坊は、この手をかけた赤ん坊じゃ。あのあくる朝、暗いうちからかゆの鍋さげて、母子のようすを見にゆったらば、廻りにおった人の口から、夜さのうちに引きはらったと。どこのだれとも聞かせなんだが、やれやれ無事でござったかやと、喜んでな。石だん前の車止めに、ずらりとならんだ人力車から、しゃなりと降りたあの女ごに、 「やあれ、ご無事でよかったなあや。赤ん坊に乳もでとるかや」 と、駆けよって、赤ん坊をのぞきこんだらな。紋つき姿の身うちの衆が、わらわらと婆さまを取りかこんだと。あの番頭がとんできて、いきなり婆さまの袖口つかみ、ものも言わせず引っぱりだして 「やいっ、ばばあ。みようないんねんつけるなよっ。おまえらなんぞとかかわりもたん」とな。あのおりのうれし涙の顔とは別の、喰らいつくよな顔したで、あっけにとられた婆さまが、がてんできずにあんしてしまって、立ち去る姿をながめとったと。警察から婆さまに呼びだし状がとどいたと。身うち仲間がつきそって、なんの用じゃと出向いたらな。婆さま一人が署長室じゃと。 「さきごろは産婆づらしてごねたそうなが、おまえ、免許を持っとるかい」 と、顔をみるなり署長が聞いたと。そのころは免許をうける産婆がたりんで、村々の取りあげ婆さを役場に呼んで、仮の免許をわたしとったがな。部落ではどっちみち免許を取るまでないと。看板かかげた村の産婆なぞ、部落で頼んでも、足ぶみせんし、部落の産婆が看板かけても、いぜんどおりに世間が呼ばん。仲間うちだけの取りあげ婆さなら、免許なんぞに用があろか。 「無免許ならば罪になる。おいっ、おばば、おまえをこの場で、ひっくくったろかっ」 と、署長がきつい開きなおりようでな。二の句がつげぬ婆さまに声やわらげて 「年よりのおまえなんぞを罪にしとうない。今日かぎり、いっせつ産婆にかかわりなしと、忘れてまうなら話は別じゃ」 とよ。 「おまえさま、あの災厄のさいちゅうに、免許なんぞがかかわろか。わしらは人を助けたのじゃぞ。産婆の祝儀ももらっとらん」 と、婆さまがつばをとばしていきまいたらな。おどしもすかしもきかんと見てとると、もったいぶった顔つきで 「当人も、番頭も産婆も正直に、実家で生んだと訴えとるぞ。おまえの話もほんとうなら、さては狐じゃ。狐じゃぞ。おまえらが河原の狐にたぶらかされて、狐の赤ん坊をとりあげたのじゃ。まず、まちがいはあるまいて」 と、いかにもたわけにした顔つきじゃったと。 「おまえさま、狐が人のまねしよと、わしらの目で見た人間が、生ませてくれだと頼むのに、そ知らん顔ができるかよ」 とな。このじんならば、地震も狐にかづけるじんとあきれてまって、とくと署長をながめたら、机の上に両足のせて、きせろくわえて天井見とると。 「なあ、おまえさま。この婆さから、先夜の衆にことづてじゃ。産気づいたら、またござれ。わしは死ぬまで取りあげ婆じゃに」 とな。返れと言わんにもどってきたが、歩くたんびにごうがわいて、河原の石が目につかなんだと。
November 17, 2007
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『部落の根っ子ばなし・第二集』より おもかるさん(占い石)むかし、美濃の国の部落では、仲間うちの信心で、めんめの部落に祠をすえて拝んだと。村によっては大層な神社や寺もあったがな、氏素性の知れん者は氏子にできんとて交ぜてもらえず、かとて寺では檀家がさわいで交ぜてもらえんで、生まれてこのかた宮詣りや祭礼や寺の法要なんぞ丸っきり縁なしじゃったと。祠は部落のはずれの道ばたや藪のなかにすえといて、風に飛ばされんようなかにひと抱えもの石の重しを入れといたと。部落によって拝む神佛もまちまちじゃが、おおかたは白山神社、お伊勢さん、お稲荷さん、祠の数は一つでも拝むほうにも好みがあるで、貼ったお札はぎょうさんあったと。手のひらほどの土版木で、顔まで黒いお大師さんのすぐにきに、文字ばっかりのお伊勢さんが並んどってな。毎朝、部落の爺さまがちょこ一杯の水をお伊勢さんに供えといて、拍手打ったすぐと後から、こんどは部落の婆さまが、お大師さんに花あげて念佛となえておったとよ。鳥羽川の代官屋敷をぐるりと囲んだ低い土手うちに、部落の小家がかたまっとってな。土手のくろに仲間うちの祠をすえて拝んどったと。夜遊び仲間の悪さじゃろか。祠の重しを放りだして、もったいぶって桟俵にのせ、そのころ大はやりのおもかるさんに仕立てあげたと。いわしの頭も信心でな。祠まいりの年寄りたちが、ことのついでに試してみたら、こりゃ、よう当る、と言いだして、せっせと試めしているうちに、屋敷の小者の目に止まり、それからそれへと口づてに百姓仲間に知れわたったと。心にかかる思案をば、おもかるさんの石抱いて、重ければ凶、軽ければ吉、なんぞとな。病い、失せ物、嫁えらび、旅立ちから米相場まで、代官屋敷のおもかるさんは当る、当ると評判でな。ふだんは部落に近づかぬ百姓までが、土手をまたいで抱きにきたとよ。そのうち屋敷の上役が、屋敷の囲いを踏みこえて出入りするとはもってのほかじゃ、世間をまどわす奇怪な石を、明朝とくと試してみるで、刻限までに運んでこいと、小者を通して戒められたと。その夜はひどい吹き降りで、明け方ちかくおさまったがな。起き抜けまいりの年寄りが、祠の前へ行ったらば、おもかるさんが失せとったとよ。頭をはじめ部落の者が、屋敷の衆に気づかれぬよう、物音ころして囲いのうちをあっちこっちと探したが、石のかけらもありゃせんと。部落の者がそれぞれに這いつくばって探すうち、言いつけられた刻限がくる。石はさっぱり見つからん。かとて今さら失ったでは、いかにも上役をあなどり隠したようで、後のあたんがうとましい。乱々しとった若い衆が、いきなり家へ駆け込むと、漬けもん樽からよう似た重しを抱えだし、のそ、のそ、のそ、と運んでな。 「見せるだけならおんなじ石じゃ。知らんふりして運んでまえ」 と、仲間の前へ放りだしたと。そしたら頭がが鳴ってな。 「神や佛の目があるぞ。無いなら無いとこのわしが、死ぬ気で侘びを入れてくる」 とな。血の気のひいた顔で言ったと。 「石の顔なぞ見分けがつくか。律儀も相手によりけりじゃ」 と、若い衆がいきり立ち、石を囲んで部落じゅうが、差し出せ、出さんで割れてまったと。ところへ小者がやってきて、 「早ようせんかい。お待ちかねじゃぞ」 と、どぶつきながら目の前に転っとった漬けもん石を、止めるまもなく抱えあげ、腹にのせると背をそらせ、はちかりながら、のそ、のそ、のそと運んでまったと。どうなることか、と部落の者が役所の気配をうかがったがな。十日たっても音沙汰なし。ひと月たっても矢音を聞かず。待てど暮らせど放ったらかしじゃと。小者に、こわごわ催促したらば 「囲いのうちならば屋敷の物じゃ。お前らごときの知ったことか」 と、ひと言のめに突っぱねたと。この石がおもかるさんか、と改めて念を押さぬが小者の落度。ばれても難儀のかからんようと、ひとり残らず口つぐんだと。それからひと息たったころ勤番終えた上役が江戸屋敷へ戻るおり部落の者も駆りだされてな。家財道具のかずかずを、薦に包んで荷造りして、鳥羽川のふちまで運んだと。なかに絹布の袋に入れた、何やら重くて尊い物を人手に渡さず上役がもったいぶって運んだが、姿を見とった部落の者が思わず生唾をのみこんだと。両腕に抱えて腹にのせると背をそらせはちかりながら、のそ、のそ、のそと運ぶ姿がそっくりでな。なかみを覚った部落の者は、それでもぐっと耐えたとよ。なにを笑うと問われたら、なかみが言える代物かよ。大口あけて笑うより、口をつぐんで笑うのは、止めようもなくおかしいと。
November 16, 2007
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<冤罪 狭山事件>の石川一雄さんのふるさとを、郷土史家の目で見る。石川一雄さんの石川姓(菊池山哉さん流/『多摩史談会』)より<『多麻史談』>8巻3号、昭和十五年四月見学会(菊池山哉編/多摩史談会)より以下、抜粋する。「狭山南麓地帯」豊鹿島神社 境内に樹齢九百年の大 。明治十九年以前はただ鹿島神社と呼んだ。境内摂社に白山社。石の正体に「人王百六代御奈良院御宇 白山権現 祭主梅満 願主石川麿呂 天文三歳甲午十一月三日」と刻してあるが、石碑の形も書体も幕末頃のもの。これはこの村に戸隠神の信仰が盛んになり、この社の神主御師さんが、その先達となって、非常に信仰された時代があったので、いろいろの改作が行われたものであろう。 本社の北の山裏の小字に石川というところがある。石川入道なるものが住居した跡ともいわれ、本社の社伝に「天智天皇第四の姫宮又蘇我山田石川麿呂と申す人の建立なり」とある。 すなわち石川の小字から、一つは正史に名高い山田寺の石川麿呂へ、一つは天智帝の第四の姫宮へ、紐がついたもので、その紐の年代も、(命がついたり、師がついたりするのであるから)本居宣長以降のものであろう。 しかしながら源憲光といい、下総工藤入道といい、何か古伝説があったことは間違いない。古く芋窪村の鎮守。明治になってから村社となったが、天然記念物の が物語っているように、千年千早振る神の社で、当初から鹿島神が祀られていたのでないことは、明らか。付近に式内阿豆佐美神社があるところから推して、多麻郡八郷の一たる石津の郷は、ここ狭山南麓一帯の地であろう。・・・ *竹内コレクション標題および責任表示: 多麻史談||タマ シダン 出版・頒布事項: 八王子 : 多麻史談會事務所 , 1933-1949 その他の標題: VT:多摩史談||タマ シダン 注記: 出版地変更: 多摩村(東京) (-17巻1号 (昭24.1)) 注記: VLYR:1巻1号 ( [昭8.10] )-17巻1号 (昭24.1) 注記: FID:00152100 注記: BHNT:CS:東京史談 / 東京史談会 本文言語コード: 日本語*多摩史談 第2巻第2号から不揃50冊 菊池山哉編/多摩史談会 昭和9年 ¥73,500 特集号・長吏之研究等々*1. 多麻史談 3巻4号 - (主な目次から 二宮神社=多西郷・深大寺・大嶽山・御嶽山・霞村=奥多摩町板碑等々の事蹟) 菊池山哉・編 多麻史談会 昭10 \1,500 2. 多麻史談 巻4号 - (主な目次から 「宇奈比(宇奈根=砧村)」 水戸義公と谷保天満宮 春宮帯刀木曽先生義賢史蹟の考証 砧村狛江村巡礼等々) 菊池山哉・編 多麻史談会 昭11 \1,500 3. 多麻史談 6巻2・3号合併号 - 高幡山金剛寺不動堂の研究 菊池山哉・編 多麻史談会 昭13 \1,500 4. 多麻史談 6巻4号 - (主な目次から 武蔵國造 市守神社の祭神 多磨墓地における名墓の変遷 宗教上より看たる奥多摩の金鉱について 神文巴紋の起源等々) 菊池山哉・編 多麻史談会 昭13 \1,500 5. 多麻史談 7巻2号 - 百草紀行と狭山の栞 菊池山哉・編 多麻史談会 昭14 \1,500 6. 多麻史談 7巻3号 - (主な目次から 武蔵國造 大國魂神社境内のみやのめさま 多摩川用水時代と上水 大久野村の野口氏 常久一里塚から長沼常楽寺へ等々) 菊池山哉・編 多麻史談会 昭14 \1,500 <多摩の人物史317頁> <『蝦夷と古代王朝の研究』/田中 紀子著内容紹介>*別所と俘囚 菊池 山哉判型:A5判, 408ページ 上製 ISBN978-4-8265-0212-2初版発行年月1996年06月*特殊部落の研究 菊池 山哉判型:A5判, 704ページ 上製 ISBN978-4-8265-0165-1初版発行年月1993年06月 書店発売日1999年11月30日
November 15, 2007
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<狭山事件>の石川一雄さんのふるさとを、郷土史家の目で読み解く別所と俘囚 菊池 山哉判型:A5判, 408ページ 上製 ISBN978-4-8265-0212-2初版発行年月1996年06月特殊部落の研究 菊池 山哉判型:A5判, 704ページ 上製 ISBN978-4-8265-0165-1初版発行年月1993年06月 書店発売日1999年11月30日蝦夷(えみし)とアイヌ 菊池 山哉判型:A5判, 320ページ 上製 ISBN978-4-8265-0192-7初版発行年月1995年06月天ノ朝の研究 菊池 山哉判型:A5判, 464ページ 上製 ISBN978-4-8265-0220-7初版発行年月1996年06月五百年前の東京 菊池 山哉判型:A5判, 208ページ 並製 ISBN978-4-8265-0135-4初版発行年月1992年06月
November 15, 2007
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