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2006年07月15日
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テーマ: 京都。(6234)
カテゴリ: 伝統文化
祗園祭の宵々山・宵山の間に、京都の町家には家宝が飾られることが多く、まさに「ハレの空間」となります。ただし、この空間を内側から見ることはほとんどできません。あくまで通りから眺めるのが基本。ところが今年、伝統未来塾のカリキュラムで、京都を代表する町家3軒を訪問する機会に恵まれました。


1)吉田孝次郎邸(新町通六角下ル)
家主は最初に京町家を復興させた方として知られ、京都で最も美しい町家のひとつとして、様々な番組やCMに登場しています。部屋の暗がりと坪庭・前庭の明るさが見事なコントラストで、庭の緑の鮮やかさをより引き立たせます。奥の庭は広くて日光が入るようになっていて、手前の庭は狭くて日光が入らない。すると、奥から手前に風が吹き抜けるようになるのだそうです。そのおかげで、蒸し暑い日の朝に少し涼しい風が通り抜けていました。内装も、とにかくシンプルで端正で美しい!

京都の町家:吉田家

この町家は明治末期につくられたもので、戦後、賃貸に出された後に、当主が自腹で当初の姿に復元したのです。当時はそのような懐古的なことをする人はなく、非常に珍しがられたそうです。京都の町家は何年もかけて規格が統一されてきたために、フリーマーケットで買ってきた欄間がそのままピタッと使えました。その欄間は違和感なくはまっていました。

祗園祭のための展示では、琳派の画家が描いた金屏風に、江戸初期の陣羽織、ヴィクトリア調のじゅうたん…と、取り合わせを考えながら配置されています。こういうものをコレクションしていること自体がすごいことですが、当主が毎年その組み合わせを考えて展示するための知識や美意識を磨かれていることは、さらに素晴らしいことだと思いました。

当主の吉田さんは、祗園祭の山鉾連合会副理事長で、宵々山のこの日は、多忙を極めるスケジュールになっているはずですが、少しお話を聞くことができました。以下、メモをおこしたものをランダムにつづります。

「一年は、四季・二十四節・七十二候に分けられます。それに応じて、掛け軸を替えたり、しつらいを替えたりします。そうやって、日本人は五日に一度は季節の変化を感じられる、細かな季節感をもっていました」

「お祭りは種を植える春か、収穫の秋に行われるのがほとんどですが、この時期に行われる祗園祭は都市型のお祭りで、疫病供養のために始まりました。およそ600年前から、同じことを繰り返してきました。毎年の打ち合わせでは<例年通りやりましょう>と言えば、お互いに通じて、何をするかがわかるわけです」

「この家はつくられた当時、本当にスタンダードなものだったと思います。昭和三十年代後半から少しずつ復元しましたが、市で売っていたものをそのまま使うことができました。これはお金がなかったからできたことです。内装も長押をうたないなど、合理的にできています。日本家屋は戻すことができるんです。でも夏は暑くて、冬は寒い!」




2)長江伊三郎商店(新町通綾小路下ル)
江戸末期の1822年に住み始め、明治末期に増築された、奥行きのとにかく深い京町家です。およそ60mもありました。土間や屋根裏、蔵などが、当時の面影を残していました。祗園祭の宵山では、町家の住人が秘蔵の屏風を立てて、道行く人々に公開する習わしがあります。ここでは屏風の展示が充実。日本24景や琴棋書画図などが表通りから見て奥に向かって長く置かれていました。残念だったのは、蛍光灯を照明に使っていたことです。あれが間接照明になるだけで、町家の良さがひきたつのに、と思いました。


3)秦家住宅(油小路通仏光寺下ル)
明治2年に再建されたという、町家のなかでも古い方の家です。古い町家の特徴は、棟高が低くて、2階の部屋がないということです。この家は、店舗・玄関・住居の3部構成になっていて、それぞれの間に中庭があります。吉田邸と同じように、奥の庭が広く、表通りに近い方は坪庭になっていました。ここには、その子孫の方が実際に暮らしています。

前の2軒と同じように、冷房はなく、灯りは薄明かり。季節に応じて建具を替え、年末には餅つきをして、3月にはよもぎ団子をつくる。この家では、様々な人を招いて、そういう古き良き習慣を広める活動を積極的に行っています。

スローライフを地で行くような世界です。家屋の隅から隅まで、家に合った生活のあり方を非常に大事にしている。非常に神経を細やかに使っているように見えました。ここでは1日1組限定で、伝統的な家庭料理を食べられます。なつかしい気分に浸れそうです。


3連休の初日と言うこともあって、表通りは宵々山の夜を楽しむ人で混み合っていました。町家では、家宝を飾るハレの空間にいながら、少し奥に入れば、そんな雑踏もかきけすほどの静かな佇まい、ケの空間を提供してくれます。都会に暮らしながら静寂を感じる。家を吹き抜ける自然の風に涼しさを感じる。明治初期から大正にかけてつくられた町家には、都会にいながらもスローライフが失われないような工夫がたくさんされていました。

町家の良さを現代に伝えるにはどうしたらいいのでしょうか? 町家に暮らすと言うことは、生活から経済性・利便性を放棄することに近いです。今の町家復興ムーブメントが商業スペースとしての展開になってしまう理由がそこにあります。

その良さを、今の建築に活かすことはできないのかと思いました。例えば、あの細長い間取りを、現代の低層マンションに応用して、風通しの良い中庭のある物件にするとか、通りに面した窓を格子柄にする、濃い色の床板を使ってシックな空間をつくる…そういうひとつひとつのアイデアを活かすことが大事ではないかと思いました。でも今の建築学って、町家を勉強することはほとんどないのだそうです。





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最終更新日  2006年07月19日 05時09分52秒
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